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2011
11/09

見えてきた

111104_061038[1]
この風景は毎朝通勤に見る。なにもなかった海面にブイや漁船が見えはじめ、南三陸町の水産業が少しづつ動き始めてきた。だが以前の海いっぱいの養殖施設はまだまだで何十年もかかるだろう。以前には「密植」が問題になったが、計画・整備も陸地の「都市計画再生」のように、漁場の環境整海と共に進める事が必要に思う。この見える海水が津波襲来前に海底が見えるまで引いた。信じがたい事実が河北新報の紙面に写真掲載されたのが発生1か月後ごろだった。大津波の予兆は間違いなくあった。
昨日は歌津地区で、京都大学の海中捜査活動が漁民と一体に行われ、海中瓦礫の確認により定置網の設置場所の参考となった。また、陸地近くの瓦礫の多さも発覚し、今後の水産業の厳しさも知る事となった。ロボット探査の捜索をもっと早く進める必要と、範囲を広く設定し、それに伴う海の活動地の把握は、水産業の早期復興に繋がり、漁民の生計へと繋がる。
仕事で気仙沼に出かけたが、県議会の選挙カーとの交差・声もきけなかったが、三陸道の工事は大谷の裏街道には所どころにみられ、南三陸町より進んでいるのかなーとも思える。歌津地区の旧歌津ドライブインの跡地の、大規模な杭打ちや基礎の姿に驚かされた。こんな海から近い場所に、そして町の「復興計画」の詳細もも住民に発表されない中で、個人事業者の積極再建の行動に、「行政にも爪のアカを・・・」と思った。こんど写真で紹介したい。
こないだ、志津川高校の仮設の通路に凸凹がと、入居者からの整地の要望があった。昨日お陰様で砂利を引いてもらつたという電話がきた。建設課の各種に及ぶ仕事があり、順次要望を解消している。少しの我慢も行政・町民にも求められるのかなとも思う。
福島の原発事故での避難者は、除染の厳しさから四分の一の帰らないという。また、2年以内に戻りたいとの声も多い。この気持ちは仮設入居の、我が町の被災者も同じで、しかしながら現在の状況からは、2年で戻れる可能性は非常に低く、自己での帰れるための行動も必要と思う。行政任せではいつ帰れるか判らない。早期帰省に頑張ります。
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