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2011
10/29

美しい町だった

110924_203536[1]
しばらく前にベイサイドアリーナに行った時に、ホール内で写真展示をしていた。懐かしい綺麗な街並み風景が写真の中にあった。もうこの風景は見る事が出来ない。しかし、私が「ブログ7つ」「ホームページ」で、2年から8年続けた中に多くの南三陸町の風景がある。その一つの「南三陸の贈り物」には、水産品・名所・イベント・人物など写真があり、まだ震災後は再発信はしていないが残っている。パスワード・ブログIDがわからず再開できない、時間が出来たら始めたい。
「仮設商店街」も出店者の数が減少している聞く、厳しい出店の中身に多くのリスクがある。被災者のための商店とは言えず仮設生活者の買い物事情は改善されない。また、被災地の事業の再開も「復興計画」が決まらず、建設場所・経営が成り立つか・人口減少など、消費者動向も経営者にとっては気になる。今の南三陸町は町内に社会経済の成り立ちが見えてこない。早く今後の姿が見える事で、商店主・住民は前に進めるのだが、現在のこの面では何一つ前に進んでいない。観光・被災地支援に来た方の消費の場があるものの、事業者にはまだまだ「復興の光」は見えてこない。
そんな中でも地元に仕事があり、従業員の維持できている会社がある事に疑問だ。復興に関係のある会社ならまだしも、どこを探しても仕事がない。行政の発注にも仕事にも限りがあり、地元の事業所を活用になど、みんなで復興に向かう、行政の姿勢・体制が求められる。従業員の維持は企業努力と、被災地以外にお得意様を持つことが求められている。
手持ちの資金もつきる時期がそこまで来ている。もう限界と住民の声も聞こえている。今後の生活を見据え方向性を見極める時期がきている。人口減少は想定を遥かに超える事がないことを願うしかない。
八戸のトイレに4千万円が置いてあった。「青森・岩手・宮城・福島の被災地に使ってください」とあり、「東北人」と名前が書かれてあった。
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