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2011
09/18

あの場所


写真はわが社の残った分のだが、この悲劇の現場を風化・忘れないためにも、多くの写真を撮った。しかし、もとのようにはならない。ここは本浜町、「復興計画」により新しい南三陸町に生まれ変わる。観光ゾーン・商業ゾーンとなり、7メートルのかさ上げで、復興道路と大きな海からの道路が作られる。
自分が生活の場としていた三階建ては一階部分のみとなり、その前には赤い車が工場の中央に横たわっていた。55歳私が中学生から家業を手伝い、40年間一緒に生きた仕事場は見ての通りで、両親が作り上げた60年もの思いでが詰まったいた。汗と涙と苦悩の思いでがすべてが流失し、残った中の機械も遺体捜索・鉄くず回収で、何もなくなった。多くの角度からの写真が瓦礫の会社が、私の思い出の宝となりました。
写真も友達が入谷中の「思い出写真支援隊」により、数10枚のファイルが探し出された。5万点の写真から2千点が、持ち主にわたる事ができた。多くのボランティアと福祉大学の学生に感謝です。
昨日の葬儀でも突然の両親の死に、葬儀の段取りもつかぬままでの告別式、予想だにもしない自然の驚異には人間はなすすべもない。しかし、子供たちの将来への礎を築く指名が、今の大人・両親にある。
今も家族の突然の死に、悲しみのどん底から、どうして自分に区切り納得をさせるか、悩む心情が電話の向こうから感じられる。肉親の死は忘れる事ではなく、生きた姿を語ることで私は「供養」となると考える。まだまだ今後しる事となる、不幸を正面から受け止め、できることをしてあげようと思う。
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