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2011
08/27

田尻畑


デイサービスセンターでは多くの高齢者が亡くなり、それを助けようとして職員も殉職した。避難所でもあるこの場所には避難者が来ていたものの、今回の大津波はこの施設の一階部分を飲み込むこととなった。
ここで歌津の同僚と町の職員も危機を逃れた。旭ケ丘に被災後避難し、歌津地区・家族が心配と、翌朝旭ケ丘から山越えし入谷へそこから払川を通り歌津に入った。と同行した私に、同僚が話してくれた。
写真はこの場所まで来たのかと驚く光景が「田尻畑」にあった。菊のブランド「黄金郷」の産地で、奥にはすべてのビニールハウスが倒壊しメチャメチャとなっていた。写真のように被災地には雪が地面を埋め尽くし、なんとか入谷までたどり着いた。消防団長が交通整理など、すでに活動しており、ここまで軽トラの助手席に女性二人、荷台には私と同僚が乗った。ここからは消防団長のご厚意により歌津まで車に乗せてもらい行くことができたと、後に聞くことができた。
寒い冷たい朝だったことを今も体が知っている。入谷地区は被災してをない、避難者支援はあったものの、命からがら逃げてきた歌津地区の3人に対する、地区の代表の心冷たい対応も忘れることができない。
命からがらの逃げてきた歌津住民の目の前で、「暖かい味噌汁をすする姿」を知人も忘れることができないと、今も話している。そんな現実が被災地のあちこちであったのだろう。
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