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2011
04/13

生と死のドラマが

4月13日110318_154240

南三陸町全ての地区で生死のドラマを聞く!昨日に知人がスボ日の五日付けの新聞だった。町庁舎の防災センターの津波の襲来の一部始終だった。町内の写真店の店主が、現実を後世に伝えようとシャッターを連写した。電波塔に昇り津波を避けようと二人が昇り、屋上では職員が右往左往する姿が数コマの写真に写っていた。最後に、この写真の中で数名が死亡不明となっているがこの現実を報道する。今回の大震災を記録する上で貴重な資料と考え掲載したと記されいた。この新聞の映像の津波の凄さに驚きを隠せなかった。
私の避難経路も混乱しての選択がある。避難所となる。入谷方面の国道398号があり、大混雑渋滞により車に乗ったまま津波に多くが呑まれたと聞く。私はは志津川中学校の通学路で助作と言い旧水道事業所があった、車の交差も狭い道路の選択で、89歳のの二親とこの難を逃れる事ができた。何気ない偶然の重なりと無意識の選択でいま生かされている。写真は志津川地区の中心地である汐見・塩入の45号線の町内の大型スーパーや結婚式場、志津川公立病院があった。高野会館ではこの日町主催の『芸能大会』があり、300人を超える高齢者と関係者が津波発生時に屋上に逃れ一夜を会館で過ごし翌日高台に避難した。向かいの公立病院では患者と病院スタッフが400名前後、四階の東病棟から五階の西病棟に移り難を逃れたが、厳しい寒さの中で多くの患者が亡くなった。大型百貨店サンボートでも津波避難が屋上であったと聞く。サンボートには志津川湾からの養殖の施設の残骸が三階屋上から一ヶ月経った今でも垂れ下がっている。
戸倉小学校でも悲惨な現実があったと昨日聞いた。学校の道路向かいの高台の住宅街が近くそこに避難しようと向かった。車での避難途中に多くが流され、高台だった避難場所へも津波が迫り、その上の神社に逃れ一夜を過ごしたという。次の日に戸倉中学校に場所を移す途中には、道路に木にバックネットに死体かぶらさがった光景に、子供たちの目を伏せたという。しかし高台の戸倉中学校の校舎二階まで津波が襲来した。歩き瓦礫の折立・西戸を線路づたいに安全な場所の荒町に着き『水が飲みたい!』と子供たちが話したと言う。ホテル観洋の観光客も荒町で同じような経過で受け入れたと言う。
このブログのコメントにも多くの応援メッセージがあり昨日初めて目をとうし元気をもらった!海外からも三件入っていた。今日の朝のニュースで台湾から110億円もの義援金が子供たから大人まで集まったという。支援金・ボランティアの全国世界からの支援の輪が子供たちの笑顔と変わり、大人のやる気・元気・活力へと変わる。7000を超える犠牲者のためにも『南三陸町の復活』を私は小さい一人の力ながら頑張りたい!
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