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2010
11/22

映画館に


町内五日町夢プラザで上映された「タイマクラばあちゃん」、常日頃のシャッターの店は、多くの人たちで賑わい、昔の「初売り」を思わせるような街の活気となった。
 映画の冒頭に「味噌玉」作りは、私が5歳ぐらいの頃、向かいの「ばあちゃん」の家で作っていたのを思い出した。軒下に吊された味噌玉、作っている途中での「つまみ食い」は、当時の地区との普通のつながり合いの姿だった。岩手の「早池峰」さんの麓のタイマクラでの老夫婦の生活のドキュメンタリードラマだ。観る会の代表の「シャッター通りに賑わいを」の街を思う心と、キッカケを作った杉田氏との仲間の会での「上映会の開催をしましょう」の事の経緯、澄川監督の「この地しか知らないばあちゃんが世界を駆けめぐり驚いているだろう」の、開演前の挨拶は、身構える映画から「小上映」の身近な映画鑑賞会と言った感じに思った。この自然の共に厳しい中での「幸福」を感じ、「生き方」を考え直す良い機会となった。上映後は映画についての交流会も、監督を囲み持たれた。

 こんな生き方をし、時を経つと共に「死」を迎える事を「ふと」思った。自然と共に、動物の場所に入った自分たち、作った物が動物に食べられても、それを追い払おうとはしない。何故ならこの自然から多くの物をもらっているからと思った。二人で暮らす事の幸せ、花の美しさを見てそこから自然に何かを知る。豊富な水は暮らしのなかで多く使われ、綺麗な豊富な水が「とうふ」や「みそ」を作る。作った物は総て使い食べる。おじいさんがもくもくと丸い物を削り数珠のような物を作っていた。小さな小芋だった、皮を剥きアクを川で抜き、それが消えたかを雪に載せ「紫色」にならなかったが、アクが取れた証拠と3年前に亡くなったじいさんが教えてくれた。こうして「じいさん」が亡くなり一人で、タイマグラで暮らす。19年前に「山小屋」での暮らしを求めて隣に引っ越してきた青年がいる。取った物は「持っていけ」と、厳しい山での暮らしを共に生きた。妻をもらい子供の出産には「ばあちゃんは妻の手を握り続けた」と言う。じいさんは91歳を過ぎあっと言う間に亡くなり、一人になってもタイマグラでの暮らしを、毎日の繰り返しを「もくもく」と続けた。ある日「心臓?」の発作で、山を下り3ヶ月間も意識が戻らなかった。娘に車で送られ、一輪車に乗せられタイマグラの家に戻ってきた。しかし、それは病院でお世話になった皆さんへ、「味噌」を送る為に来たのだった。それから間もなく「タイマグラのばあちゃん」は死んだ。

 最後の映像は、隣に住んだ青年夫婦が、ばあちゃんのやっていた「味噌玉」を家族と共に作業する。母親の出産でのばあちゃんの握る手の温もりと、共に生みの苦しみを味わい、大きな支えとなったばあちゃんの姿、家族に浸透している。こんな地域の繋がりが昔はあった、50年前にもなる。しかし、この最後の映像は平成の終わりの頃、今から22年前でしかない、希薄になっている地域との繋がり、人の温かい心、町を思う住民意識、生活に金に追われる社会が、今ある。総てが「タイマグラばあちゃん」の世界に、二軒の世界ながら、希薄になっている失い欠けてる、人と人との繋がりの大切さと、自然・生活との係わりを教えてくれた映画だった。

 パンフと共に添えられた「よせての言葉」にある、「生きると言う意味」を考えさせられた映画だった。是非同世代には見て欲しい映画だった。子供達は「どう感じ見るのだろう?」と思った、我慢する事のない現代社会の子供達へのメッセージとして、判るだろうか? やはり親子間の「道徳教育」の必要性を大いに感じる。
 
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