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ARCHIVE - 2020年07月

2020
07/03

先生方の機転が子供たちを救った


昨日は戸倉地区の「名勝神割崎」に行く。メディアと報道で、こないだの豪雨で神割の割れ目に松の木が倒木となり、岩の間に留まり、撤去するにも重機も作業船も近づけない状況にあった。10月には割れ目から「朝日が昇る」と言う名所、これまでには撤去して欲しいと願う。

大川小学校の問題は「石巻市が責任」を認めた。子供を亡くし「大川小学校」の津波防災活動と、津波対策を訴え続けている遺族に、日本のある教師が脅迫したとして逮捕され、未だに多くの議論があるようだ。私も大川小学校跡地には3回足を運び、手を合わせている。津波の脅威は川を駆け上がる。蛇行する北上川の津波は、一揆に学校を呑込んだ。津波の脅威を判らない先生もいたと言うが、この予測は大変難しい。一人の子供が「裏山へ」と叫んだが、先生たちが安全な避難を選択した事が「仇」になった。

戸倉地区の「戸倉小学校」は写真の中央にあった。現在は8.7mの防潮堤が築かれた。町の教育委員会の津波の避難場所は「学校3階屋上」と定義されていたが、震度6の地震が3分も続くと言う「3.11」の地震に、先生は「ここは危ない」と、隣りの保育所の園児と共に、裏山の「五十鈴神社」に逃げた。高台にあるその上の小高い山の頂上に写真の神社があり、雪の降りしきる中で、小さい子たちは神社内に、入りきれない子供達は外で身体を寄せ合い、歌をうたい寒さをしのいだと言う。

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10年目を迎え、大震災の記憶を辿り、街中を巡っている。
最悪の事態となれば、石巻のような責任問題となっただろう。ここに子供達の教育拠点があった。「想定外の津波」との行政の判断は、逃げの口実としか私には聞こえない。例を見ない大地震の発生は、行政は「高い所に逃げろ!」と言う呼びかけが必要だった。地震から30分で津波は町を呑込んだ。迅速な支持と行動で、高い所に逃げる事は、南三陸町の地形ならできる。

今後発生が予想それる所には、「20mの避難塔」の建設が多くの平坦な土地では自治体は整備を進め、検討を重ねている。お金がかかるのは判るが、「人命が大切」と言う事は、多くの国民が理解をしている。大震災の悲劇の風化が、時間と共に進んでいる。


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