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ARCHIVE - 2020年04月

2020
04/19

工藤先生わたしの生き方間違ってますか


先生御無沙汰しています。こないだ登米市の「津島神社」の宮司さんより、先生の神社への思いと、志津川に早く帰りたいとの気持ちを、先生の行動で聴く事ができました。
宮司さんは神社の前で祈る「手を叩く音」と「その姿」が、一般の人と違うと気付き、話をお聞きしたそうです。「私も神社の宮司です」と話していたと言っていたと聴きました。
先生の南方仮設での生活は「5年間半?」でしたかね。故郷に帰り神社の再建や、町の役職をこなし、わざわざ巡回バスで御出でになっていましたね。町内を徒歩で歩いているのを見つけ、送って行きますかと言うと、「バス停まででいいから」と言っていた事を思いだしました。住宅再建を終え、帰って間もない突然の逝去に、私の身体の一部をもぎ取られた気がし、私の隠れた応援団として、精神的な支えでありました。まだまだ先生のする事がいっぱいあったのに、「無念」でしょう。(合掌)

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登米市は神社から町が発展したと言う。鳥居の前の登米市の商店街は、ここを中心に発展した。現在は市役所の周辺に商店があり、その周りの加賀野、イオン地区を中心に大型店・飲食店が点在する。
南三陸町志津川地区の「上山八幡神社」は「防災庁舎」の今の場所にあった事を知っている人は少なくなった。現在の神社は以前の建物を現在の場所に移築した物と思っている。
登米市へは南三陸町からの水産物の「売り子」が、バスで登米市に干物や新鮮魚を運び販売していた。貧しい漁村の町民は、家系を助ける為に、毎日のように市場から魚屋から物を仕入れ、浜の物を内陸に届けた。
津島神社は以前の大火で焼失し、新築され100年も経つ。そして、来年には同じ場所に再度新築される。
志津川地区の当時を振り返れば、この場所から高台へ町の庁舎を移転する英断が当時の町長にあれば、50年前の岐路の場で、神社の移転をする事無く、移転を決断していれば、少しは災害は免れたかもしれない。また、平成の合併時の両町の合意の「新庁舎移転」がなされ、それに従わなかった佐藤町長の責任は重い。この議論は「建設委員会」で決定したと町長は言う。震災の回避はこの時にもできたと私は考える。この議論は終わってはいない。800名の震災死の中で、43名の町職員があり、その中にはまだ20歳前後の職員も含まれる。この職員・ご家族への慰霊は、町の再建の役目を私は担っている。と時折、話をする。誰も職員の遺族は願ってはいない。それでも2回の選挙を勝ち抜いている。政治の歩みに無関心な町民が多い。神社・仏閣・寺院を移す事で。タタブーであり何かが起こった。


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