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ARCHIVE - 2020年01月

2020
01/31

志津川ワカメ


三陸ワカメの収穫始まりました
新生ワカメはやはり柔い
友達も「若布しゃぶしゃぶ」を絶賛
気温が高いのが心配

志津川湾の海面には多くのワカメの養殖の設備が見える。上から見るとその下にはたわわに育つ茶色の物体があり、それがワカメです。ワカメの種は小さな切れ端ながら、三陸の海で山からのミネラルを吸収し大きく育つ。冷たい水がワカメを柔らかくする。
一月の初めには「新生ワカメ」が漁師さんの手で刈られ、近い人達に新物を振る舞う。そのお裾分けを2回頂いた。これで又南三陸のワカメに今ハマっている。多くの皆さんに食べて頂きたい。

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大震災で多くの支援団体が町を訪れ、その皆さんが南三陸町のワカメを、毎年のように注文してくれる。広島・大阪・長野と私の知人も喜んでくれる。獲りたての地元で食べるワカメはさすがに美味しい。

ぜひ地元に来て食べて頂きたい。


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2020
01/30

トイレが近く

高速のインターもサービスエリアも国会議員や県会議員の政治力にかかっていると良く聞く。南三陸町志津川も恩恵か町には二つのインターがある。大震災での壊滅的な町となった事も、国の被災地支援がある気がする。
しかし、歌津・戸倉も三陸道への登り口は、少しの不便を感じる。


三陸道の登米市と気仙沼間
米谷の「三滝堂」と大谷「休憩場」の
二つがある
その間40分前後ながら
トイレが無いと「無性に……」ナウ
南三陸の海を高速を下りずに見たい
(写真は矢本のトイレ休憩所)

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被災地都市復興特別措置法に対し、自治体の違法が事業所より訴訟をが、仙台地裁に起こした。
法律の詳しい事は私には把握できないが、祈念公園内の当社所有の土地に対し、昨年2月に県土地収用委員会に異議の申請をした。事業所は「町の事業が違法であるのに、それを看過した」と訴えている。
件の答弁書では「違法でない」と主張している。

被災者の今後の復興に向けての足かせがあり、防災庁舎の県管理の元で、観光振興の場としての必要性を、県も町の側となり住民・事業所に聴く耳は持たないと言っているようだ。
私は「強きを挫き、弱きを助ける」と言う、信念の元に行動している。首長の進める事への3.11発災時から異論を持っている。その最悪の政策の結果が、5千人と言うこれまでの人口減少にあると考える。
震災後に何が起こるかを想定の中に入れない、復興の首長独自の考えのままに、今の現実がある。人がいなくなると、税収も企業誘致も、最悪は将来に繋がる子供達が居なくなる。

私のように終わる事業所と人間は良いのだが、町の存続の原因をそのままにして「復興の終了」という結果には、納得しないのは私だけではない。今もなお、その現実に気づかず、修正・反省の無いままの政治の進行は、誰がいったい責任を取るのか。


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2020
01/29

仙台の講演会 眠い


今日の工場の温度は何と「12度」、1月の29日、こんな気温はやはり異常気象です。地元の水産業・農業が心配です。

昨日は朝4時起き、7時半まで仕事し、出発の9時40分までまた仕事でした。こんな体調での仙台の講演会は「睡魔」に襲われ、1時間30分の中の15分間はきつかった。宮城県を代表する「宮城大学」の学長の講演はさすが、従弟も入学し現在は小学校の教員をしている。


今日は仙台で宮城大学の
理事長兼学長を迎え講座に参加した
東京出身で宮城で成長し
仙台一高から北海道大学に進み
31年生まれで56年に科学技術庁に入庁した
「産学官」の連携や
お年寄りが充実した生活を送る
など沢山の学識の中で多くを学んだ


昨年の秋サケは大不況で、採卵場は町に二つあるが、一か所の飼育で収まっている。大震災で本格的な稚魚の放流があり、4~5年のサケの帰還とあり期待していたが、5年のサケが水揚げの半分を占め、海水も異変が続いている。そんな中で南三陸町の蒲鉾店さんが頑張っていた。ツイッターで紹介すると昨日は38の「いいね」があった。鱈の確保は大丈夫だろうか。

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南三陸町志津川のマルセン蒲鉾店の
真だらのフライの入った
ハンバーグは美味しいに決まっている
震災前からたらフライは大好物
(日曜日限定の販売です)


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:40 】

2020
01/28

政治不信拡大


昨日から国会の委員会審議が、与野党の議論で始まった。
自民党の女性議員は、野党は「同じ事たけを繰り返し質問する」言い、台風震災の補正予算が大事と言う。地元の小野寺氏も質問で立ち、前防衛大臣であり「中東への自衛隊派遣」「自衛隊の立場の確保」についての質問を、安倍総理に向けた。自分の党員からの質問に、活弁で答えていた。

野党の江田・大串・今井議員の質問には、のらりくらりに見え、何時もの記者会見の発言と態度とは大違いだ。観ていて見苦しいとも感じたのは私だけではない。嘘を嘘で重ね、記録文書を隠しに隠す。こんな日本の政治は世界から笑われている。

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「拉致問題」「北方領土」「社会保障」など、解決するとの記者会見の言葉は何処に行ったのだろう。これが日本の総理大臣だと言う事をも国民は理解していても、アベノミクスによる、大企業の内部留保は増大する一途だ。

「三本の矢」は総理の最大の政策ながら、大企業ばかりへの優遇は、庶民のぼやきとなっている。日本銀行総裁の大規模な資金の放出、金融緩和など、国債発行は国民の借金であり、国民の税金が使われる。
デフレ脱却の改善の為と言い、「人のまわしで相撲をとる」、こんな政治がある。「円高」「株高」は世間への資金投資で実現する。当たり前の構図である。「労働失業率」改善は、大企業の資金的余裕から実現している。
自治体へのパート雇用も、厚生年金の加入を義務づけ、自治体へは交付金が国から配分され、事業所はここまでの厚生年金は厳しく、経営にマイナスだという。地方公務員への税金の投入、個人事業所からは、年金財源不足から資金を巻き上げる。これが政治の裏の姿と感じる。自分達は守り、弱い者に負担を被せる。こんな日本は嫌になる。

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賢く生きないと損をそる。日本の一般庶民は本当に真面目で、これを利用するかのごとく、昨日の国会の議論は何の意味もない。問題を自分が作り、その尻拭いで大臣・官僚そして与党が全員で守っていた。まったく恥ずかしい。


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2020
01/27

ただ歩くだけなら「ゴミ拾い」


志津川市街地の以前の我が家の土地
周辺の土地は家も立たず
レジ袋が点々と落ちていた
2.5Kのウォーキングで「ごみ広い」
小さい方のゴミ袋がいっぱいになった
今後も何も無い日は一人で
こうした活動を続けて行くと誓う

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昨日の日曜は志津川市街地の営業所へ行く。予定していた「一日一善」を実施した。さんさん商店街は別にした、志津川本浜の整備された道路は、一人が歩く姿は無かった。しいて言えば志津川市街地の「見晴台」に4か月ぶりで立った。晴天の中で志津川湾・商店街・高野会館・汐見橋・中橋・志津川高校を望んだ。
眺めの中で湾を望むと「松原食堂」「はがそば」の両店舗にも多くの車が止まっていた。最近できた北側の新店舗にも、来場の車が駐車する。商店街は来場者も別の商店での食事を取る人達も多くなってきた気がする。
仮設の志津川商店街から、何店かの店主も新たな場所で再建を果たし、来客も増えている気がする。「アップルタウン」の幸楽苑のラーメン店も、営業不振が閉店の理由と言う。

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大坂女子マラソンは大阪出身の「松田瑞生」が2時間21分代で、ケニアなどのアフリカ選手を置き去りにする姿は、私自身も爽快気分を味わった。しかし、まだオリンピックの「一つの枠」は決定ではない。涙と笑いと元気な勝利だった。

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大相撲は幕尻17枚目の徳勝龍が、千秋楽で大関の高景勝も下し14勝1敗で、初優勝し涙と笑いのインタビューで、「私みたいなものが優勝していいんでしょうか」と、ネガティブな性格を皆に披露した。33歳の遅咲きの優勝だった。

頑張り夢を叶えたスポーツ選手の「なみだ(涙)」には、私自身ももらい泣きだった。


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2020
01/26

子供たちを教え そして子供達から学ぶ事


しばらくぶりのFBのメールに応えた一文です。

とりあえず「あめでとう」。
妻の夢を叶えたいとの俊幸の考えは解る。
健康あっての二人の生活です。夫婦で無理している気がする。夢を一つは叶えられたが、今の仕事を活用しての6次産業の夢を、二人で追うのも良いと思うけど。
まずは奥様の身体と子供の成長を一番で考えて欲しい。落ち着いたら可愛い子供見せてください。大震災の「生きていれば何とかなる」、こんな事を思いだしました。二人で苦労を分け合い、喜びを分け合い、頑張って下さい。

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今週の葬儀への参列で、孫の弔辞に祖母の姿・言葉が、孫・ひ孫に引き継がれている事を確信した。

祖母から二つの事を学んだと言う。「愛」と「老い」だった。私は母からは「忍耐」と「愛」かな。孫には優しい祖母だった事が弔辞の随所に出ていた。何時も孫たちを見ていた、孫の為に尽くしてくれた。
90歳となり、大震災での生活環境の異変と、老いの忍び寄りにより、余生への不安が増し「町に帰りたい」と言っていた。災害公営住宅で地区の人達といっしょになれたのもつかの間、体調を崩して「老人ホーム」に入居したと喪主は、参列への御礼の言葉の中で述べていた。
日に日に弱って行く「優しい祖母」を見つめ、悲しかったと言う。最後は祖父といっしょに、私達家族を見守って下さいと話した。涙をこらえ一生懸命に墓前で話す姿は「立派」でした。

葬儀の告別式で頂いた花は、在りし日のお母様の凛とし、元気な姿に紫の花が同化して蘇ってくる。私は元気な時まで、これまで会社や私への支援・係わりの方々へ参列し慰霊の気持ちを、今後も続けていきたいと思っている。



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2020
01/25

国会中継で目覚めた

趣味の園芸にリビングにサボテンを増やした
献花の花が花瓶いっぱいに咲き
男やもめの食事を明るくしてくれる



女性国会議員の二人のメディア対応のお粗末と、夫婦の在り方と、国会議員としての人口問題への取り組みに、真剣みの無い発言と行動に驚きを隠せない。

国会への入る時の、メディアの質問をかわすかのような、携帯での会話を装う姿はカッコ悪すぎる。夫婦別姓の議論の国民民主党の玉木代表の質問に、「結婚しなければいい」とのヤジ、男性ならまだしも女性国会議員、国民の問題を国政に伝える立場の人間、ありえない。
河井あんり議員、総理と官房長官の後ろ盾で、当選した。政権のわがままさがでている。なんでも自分の思いの通り政治をしていると言った感じだ。

ヤジの出もとの人間は、以前にも世間を騒がせた。同性愛者、同一性性障害などの人々を、「生産性がない」とLGBTカップルに、週刊誌で発言した。いろいろな人間がいても良い「国会議員」ながら、世間の道理を最低限尊重して欲しい。
政党助成金を河井夫妻は二人で選挙資金として「1億5千万円」を支給され、同選挙区の自民の議員には「1千500万円」だった。同じ党での会派の闘争ながら、総理が有意だろう。これを許す「自民党」って何なんだろうと思う。政治は怖い。ここには「金」が見えてくる。

最近の大臣の不祥事の4人があり、国会を3か月欠席した。理由は「睡眠障害」「適応障害」と言う。その間、月収100万円越え、期末手当300万円越え、の仕事もせずに報酬を受け取っている。普通の会社は出ないのに、国会議員特権の中で、悠々と生き抜いている。誰も「鈴」を付ける人はいないようだ。

私は汚い政治が嫌いだ。国民の為の政治を応援したい。


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2020
01/24

急いで生活していると楽しい

昨日は予定どおり気仙沼へ8時10分に出掛け、30分で目的地に到着、高速は上りでも「50K規制」で、ゆったりとした車の流れだった。
気仙沼を9時10分に出発、携帯を会社に忘れ、戻ってから仙台へ。到着は10時40分、高速の恩恵は凄すぎる。11時15分の会議に引き続き、11時45分の昼食、12時から2回目の会議、別に発言する機会も無く、業界の年明けの行事への協力を呼びかけた。重鎮は「若い人達に頑張ってもらわないといけない。」と苦言を話した。
帰りに登米インターで下り、品物の受け渡しをする。会社へは14時30分に帰って来た。高速の力恐るべき。


「今日も入っている!」
河北新聞販売店で出している
善意の「死亡広告」が連日のように
90代の人達が多い
暖冬でも高齢者の死亡は関係がない
子や孫に何を教えたのか
何が伝わったのか知りたい

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令和2年となり
今年初めての「洗濯」
気仙沼地方は気温「9度」と
3月初めの気温となり
薄物の肌着などは乾きました
ありがたい天の恵みです



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:51 】

2020
01/23

だったら結婚しなければいい


人口減少と結婚しない人が多いとの相互に繋がりがある問題だ。昨日の「国会」での野党の質問中に「だったら結婚しなければイイ」とのヤジは、自民党の女性議員からあがった。国難とも言える問題は、二つの性を持つ人達や、障害、家庭環境などのある中で、与党の女性から声を、たまたま私も聴いていて、「なんてことを言うのか!」と怒りを感じた。
今、男女のキッカケを創ろうとしている私には、こんな人間がいるから、日本は急激な人口減少の中にある。総理も問題解決に「子育て環境の整備」を消費増税であてる事を明言している。「結婚したい!」と思う人の多い中で、田舎には対象となる男女の数が少なく、結婚したいと声を上げる二人を合わせる活動をしている。しかし、年齢や相互の仕事環境の状況で、昼間に合わせないと、本当の相手が見えない事情があり、今、そんな環境の中でマッチングを図っている。だからこそ暴言の女性国会議員の声に憤る。

昨夜は8時半に就寝、夜1時半に目が覚め、眠れず昨日録画しておいた「相棒」を昼4時と夜9時の二本を見た。今日も又、国会中継があると思うので録画したい。今日は8時半に気仙沼で打ち合せ、11時15分に仙台で理事会があり、仙台にはギリギリ間に合うか? と言った時間帯になる。気を付けて運転して行きたい。


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2020
01/22

マイペースな私


南三陸町には大きな本屋さんが無い
日曜に登米市のイオンへ
ウインドーズ10の説明本を買い
青山にも廻った 余計な出費だった

南三陸町には昨年一年間で「約140万人」が来たと言う。町の「さんさん商店街」の仮設時代も多い時で「約80万人」にもなった。大震災の悲劇の町として全国的に有名となり、多くのボランティアと支援者が来町した。震災から8年10か月を迎え、新たな来町者の獲得に町は動いている。

3年前頃か? 町の海水浴場の整備で、多い時には「約6万人」を越えた。昨年末には、祈念公園の一部開園となり、築山の建設で祈りの場が整備され、寒い閑散期の来町者は築山に上る姿は、私には見えてこない。そして来年の秋ごろには、道の駅の整備と伝承館の建設が終わり、震災復興祈念公園が整備の完成を迎える。それで来町者(交流人口)が拡大するだろうか。被災地の各自治体でも記念公園が整備され、石巻市は電車と高速道での来町者は、「国立祈念公園」として、庭園など国際的な造園家、ワクイ氏が? が監修に関わっている。日和山からの眼下の完成した公園を一度は見てみたい。

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山形県天童市の観光客も減少を続けている。多い時には「約80万人」があったが、現在は「約35万人」と、観光関係者が話していた。取り組みに「屋台街」の整備と、その中に石の将棋盤を造ったと言う。あの手この手で昔の賑わいを創ろうとホテル関係者の努力があった。台湾からの観光客が多く来ていると話す。南三陸町も「防災教育」での学生の交流があり、多い時で台湾からは「約300人余り」となっている。今年は高校生の台湾行き交流が実施される。忘れて行けないのは「南三陸病院」の建設への22億円の義援金が、台湾紅十字からの支援は一生記憶に残しておきたい。




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2020
01/21

令和2年それなりに順調


今年に入り志津川の商店街の閑散期を支援している。平日の夜の来客は「さっぱり」と言う。暖冬とは言え大寒の昨今は冷える南三陸町です。

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日曜の「寒たら復興市」、鱈の一本買が有名で盛り上がっていると言う。「タラ鍋」も振る舞われ、湯気の大鍋が来場者を喜ばせた。イベントの開催の継続は、町が復興した事を皆様に伝えるための手段である。

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昨夜は初めての飲食店は「初鍋」でした。鳥のダシのスープに「鳥つくね」は良い出汁が出て温かかった。毛かに・白身・餅・野菜たっぷりで、大正解の食事会だった・閉めは平うどんで食が進んだ。若い親方が商店街をもり上げていた。時代は若さへと変わって行っている。

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志津川市街地の我が営業所から、長距離バスの志津川駅が見え、バスに駆け込む乗客の姿があった。来年の秋には「道の駅」が整備され、広い待合室ができる事と思う。隈研吾氏のデザインの商店街から、今度は震災を伝承する場所が隣接される。「大震災の苦難からの復興再建」を伝える場所としたいと言う。

昨日は一人で家の片付けをした。ビールの空き缶が日増しに増えて整理した。大根も日数が経ち、悪くなる前に大根を煮て、その中に「タコの頭」「シュウリ貝」を入れ煮物にした。ブロッコリーも茹で上げ冷蔵庫へ。正月明けに冷蔵庫整理の料理でタッパも増え、自分で食べて整理をしている。食料は最後まで食べるが私の信念としてある。今の生活は何も無駄にはできない。

そんな週初めの一日となった。父への認知の進む対策として、朝に声を掛け「今日は何曜日」と聞く。昨日はまた昔の知人の母が亡くなった事を知る。
今日は歯医者に入歯が出来ているのでお昼に行く。あと大量の配達と、校正もある。従業員が急な所用で今週も「綱渡り」の生活が始まっていた。とにかく一つずつ片付けて行く。


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2020
01/20

南三陸町の道の駅構想



南三陸町の道の駅構想の全貌が示された
隈研吾氏の構想図
「かっこいい!」
商店街の整備の姿は物足りない気がしていた
世界的建築家となった隈氏
形は船と言うが私には飛行機
フランスの「コンコルド」に見える

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隈氏の設計概要説明会には、80名の町民が集まり熱心に耳を傾けていた。
商店街と「伝承館」「BRTバス志津川駅」、「震災復興祈念公園」を整備し、観光客の回遊性を固めると言う。
歌津・戸倉・入谷地区の人の流れは、整備後に確保できるかと言うと、整備についての提案が町から出されないままで、賛否は私としては微妙だ。

町は隈氏の知名度と木材を使った施設整備が、町の描く復興と、新たな産業の発展を考えている。住民生活は大きな町の維持管理経費の支出の中で、高齢者の生活環境の低下に繋がらないか心配だ。

南三陸町の住民の8割が、年収0~200万円以下の状況で、町の商店主は努力し復興に寄与しているが、町民生活は益々苦しく大変な状況になる。あと少しで私もその仲間入りです。

もっと生活弱者が住みよい町の創出をお願いしたい。



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2020
01/19

千葉家の過去と現代


戦争に行った私の伯父
25年後に仕事中に倒れ
脳梗塞で効き手が使えなくなり
左手で絵画の創作に励んだ
そんな叔父は震災の2年目に亡くなった
素晴らしい絵を100点以上も残してくれた
千葉家の財産として

今日は「道の駅」「伝承館」の説明会が、アリーナを会場に隈研吾氏が立つ。どんな計画なのか、町の再建の公平性を是非考えて欲しい。自己の保身、一部の業者利益など、一方でこうした町づくりが進められている。「震災復興」と言えば、何でも思いのままになる甘えの体質と、政府も「被災地の為」と言えば国民の支持が得られるなど、将来の国民の生活を第一に考えるべきと私は思う。

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震災復興祈念公園の「名簿碑の箱」を慰霊の丘に設置した。18日の河北新報に墓碑銘を触り亡くなった子を忍ぶ母の姿があった。25年も経つ「阪神淡路大震災」は、当時者・県民・国民に忘れられる事の無い慰霊碑を設置し、「緑地公園」に整備した。いつでも公園に行けば亡くなった家族に会えると言う、場所を整備している。
町の慰霊者への慰霊・追悼は、小さい箱の中で家族は震災死した家族を直接手だけでも触れられる環境を造った。議会の決定ながら、町民の代表として、首長の考えに右習いの議会決定に、違和感を私は感じている。

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石巻の震災の仮設からすべての住民が移ったと言う。移った後の生活はどうだろう。多くの問題を抱え、ローン・家族の病気など、不安を多く抱え、まだまだ行政の支援と見守りが必要だ。震災での家族・住居関係の激変の中で、個人で解決できない問題もある。総てを助ける事が出来ないまでも、住民の生活の確保と、経済産業への町の関わりは、是非公平にして欲しい。




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2020
01/18

ホロワーのパワー

同級生の妹さんが行政書士をしていて、現在多くの問題に耳を傾けている。「母子家庭の配偶者からの養育費」の問題は深刻で、行政や国も新たな支援へと動き始めている事を知った。今回は南三陸町への台湾からの義援金により、支援を知らない人がいるとFBしていた。


台湾赤十字から22億の寄付金により
建設された「南三陸病院」
こないだとなりの災害公営住宅に住んでいる
高齢者の皆さんが周辺のゴミ拾いをしていた
町に病院ができて何かあった時の
安心感が「町の病院」にある

私はツイッターで被災し南三陸病院のとなりにできた、福祉枠の対象者の災害復興住宅の皆さんが、病院周辺の清掃活動を寒い中でしていた。フォロワーが58人と、「いいる」をくれた。現在は「620人」のフォロワーがいて、ツイートすると直ぐに反応がある。その発信の力に、私自身がビックリしている。

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ご結婚おめでとうございます
今朝のNHKのニュースで
震災の時に母のお腹の中にいた彼女
母は震災後に彼女を25歳まで
頑張って育ててきた
そして素晴らしい彼と出会い結婚した
阪神淡路追悼式に初めて参加したと言う
生きて結婚で人生も考え方も変わるんですね

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:38 】

2020
01/17

悲しくもあり 楽しい生きている実感


三陸道から内陸に向かう「北部道路」の橋脚が建設中だった。そのとなりに登米市の葬祭会館があった。

仕事も充実し、私生活も落ち着いている。今日の父は調子が良いようだが、口癖は朝から「疲れる」だ。今日は病院の予約は午前11時、帰りは午後4時過ぎかな?

正午からの登米市の葬儀は、懐かしい従弟たちがいた。30年ぶりだろうか、嫁に行き旦那の両親を送り出し、今は年上の旦那の世話をしていると言う。私より4つ下ながら、苦労が白髪に現れたいていた。苦労を苦労と思わない「笑顔」があった。この日の葬儀の亡くなった叔母の教育の賜物である。
叔母は「家族葬」と孫が言いながら、多くの人達が集まっていた。日本赤十字への支援をしていて、弔辞が日赤として村井知事からもきていた。私の知らない赤十字への支援や、一般席から聞こえてくるのは故人を忍ぶ声ばかりが聞こえてきた。子供や孫たちに厳しい人間としての生き方を教え、祖母を亡くした孫たちは口々に当時の教えを今感じとっていた。優しいばかりが家族の愛ではなく、大人になって人として生きる礼儀を身に付けさせていた。
登米市米谷出身の母の教えに似ていた。厳しさと優しさを使い分けする、子供達への教育がそこにあった。
孫の弔辞に「おじいちゃんの元で静かに安心して見守って下さい。」の言葉に皆が涙していた。祭壇の前での沈黙は、大きな存在に気付き、もっと話がしたかったと言う。私が実践したい「ピンピンころり」を貫いた人生に拍手さえ送りたくなる。ありがとうございました。
震災後に両親の介護のなかで、両親より5歳年下の義理の伯母に出逢えたこと、多くの言葉をいただいた事、導いてくれた伯母に感謝です。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:56 】

2020
01/16

介護申請を


今日の道路は放射冷却で、昨夜の雨が霜柱の状況となり、「ザクザク」と踏みしめると、その音が心地よい。10分の冷気の中のウォーキングは、寒さよりも気持ち良さが勝っている。水産業を生業とする方は、寒さに関係なく6時ごろから今日の準備を進めていた。
道路を走る車はさすがに徐行で、安全第一に走行していた。南三陸町の住民の朝は早い。

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昨日は夜八時にテレビを楽しんでいると、父の部屋からガサガサと音がする。何かと思い見て見ると、「今、病院に行く準備をしている」と言う。この日の朝から「ゴミなげに行く」「今日は病院の日」など、ここ一週間で「認知」が進んでいる。
今日から6時ごろには、父の部屋に行きカレンターに、「今日は何日!」と書き込む事にした。耳も遠いせいで、色々と注意事項や私の行動日程を伝えても、理解していない。多機能施設のケアマネージャーと今日は相談してみる。

午後1時からの登米市の義理の叔母の葬儀に参列する。自分の事より家庭より、他人への世話やきな叔母、「生まれてくる時はみな裸」と、人はみな同じだと言う。財を成しても生活が厳しくても、人間はみな同じと説く。私が今、一番尊敬する人だった。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:19 】

2020
01/15

人とのつながり

こないだの日曜日は南三陸町成人式でした。20名が欠席となりましたが華やかな式典に、二十歳の夢と希望へのエネルギーを感じる。二十歳の挨拶者は登米市で行政職員として働いていた。落ち着いている地区を、自分の将来の働き場所として選んだ。住居は? 住んでいる町はと気になる。中学生の在籍での状況が、地元の成人式への参加となるようだ。
震災のさなかでの当時の6年生が成人となる。多くの混乱や子供達を守る為に、止む無く町を離れ、二十歳を迎えた参加者も少なくない気がする。私は親も家族も助け合い、志津川で生きぬいて欲しかった。この混乱を乗り越えた子供達ほど、強い精神と社会に出ても、周囲に負けない忍耐力が備わっていると思う。町はそんな子供達を支援して行く義務がある。私もだが。


12日の日曜に仙台の知人が南三陸町を訪れた。目的はと言うと、大好きな水産物を買う事は元より、受験生を持つ親の願いがそこにあった。
河北インターで高速を下り、北上の「釣り石神社」の合格祈願、そこから海岸線を回り南三陸町に入った。色々な情報を友達には伝えていた。魚屋さんはここが安く、お昼はここが新しくできた。など来町へのアドバイスをしている。志津川では勿論「オクトパスくん」は欠かせない。商店街でも手を合わせ合格を願った事だろう。
今度は一泊で来たら共に飲みましょうと約束する。こんな交流が沢山の来町者に繋がる。今年の復興祈念公園の完成にも、長野県の支援の方は、是非行って見たいと話してくれた。

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高校・大学受験の合格願いを
絵馬に託し 神に祈る
皆さんに良い春が来ることを
祈ります


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:20 】

2020
01/14

悲しい 寂しい 私の巨星逝く


優しく強い親戚以上の伯母の急逝
愛する尊敬する一つの星が夜空で消えた
昨夜は母も悲しむように枕元に来てくれた
あまりにも突然で まだ実感はない
全てを無くした私の心の支えとなり
両親との3人を遠くから見守ってくれた
「生まれてくる時はみんな裸」が口癖だった 
感謝そして合掌

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新婚さんいらっしゃいの二人「写真」は、幸せいっぱいの笑顔で登場した。結婚までの期間には色々な問題があり、それを乗り越えてのゴールイン。そうした恋愛の下積みで愛が成就していき、深い絆が生まれる。しかし、長い結婚生活の中での「離婚」はそれぞれの状況の中で、解決できない事もある。別れをこわがらないで結婚を一度はしてほしい。

お正月にNHKの「ドュメント72時間」を、面白そうだったので他の物と5時間ながら録画をしていた。昨日は仙台の男女の出会いの場を、あるお店の営業があった。
店では女性は無料で、男性が料金を払い、店を運営している。仙台でのイルミ真っ盛りの「クリスマス」の日の店内を、来店者の了解の元で、結婚を求める男女のやりとりを紹介した。20~30代のグループの女性があり、それに対し友達同士・一人の男性もいた。
男性は積極的な面白い話題、真剣に取り組む姿に女性は興味を示していた。容姿・所得・思考など、諸々の角度で互いに観察し、そこで意見が合えば、また別の場所で男女の話がある。

年齢を重ねた一人の女性は「寂しい」「将来の不安」を口にしていた。

南三陸町も出会いの場の第二段のキッカケとして婚活会社に委託料を払い、婚活を進める。以前は仙台市内の店で、場所を確保し、地元の食材を料理し、婚活をすると言う。地元の男性と、町外以外の女性が対象だと言う。あくまでも人口の拡大への町の政策としての「婚活事業」である。これで本当に男女が結ばれるかと言うと、厳しいと私はこれまでの経験から思う。やればイイではない、結婚できない訳をもっと分析が必要と思う。



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2020
01/13

町外で暮らす地元の子たちは


「子孫繁栄」を祈願してきました
日本の人口が今後2千万人も減る
日本人一人ひとりが考えないと
遠い未来には
「日本沈没」になりかねない
成人の皆さんにも大切な事
考え行動を願う

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南三陸町成人式が開催され
成人の今後の抱負に
「復興から発展に貢献していきたい」
「保育士として町に戻り仕事をしたい」
大人びた新成人達は
大震災の時に小学の高学年だった

令和になって初めての「南三陸町成人式」が昨日開催され、新成人式者数は「153人」だった。式出席者も多くの参加があり、しばらくぶりの同級生の再会に、胸躍らせ集まった事と思う。小中高と共に学業・スポーツを共に頑張った仲間、多くの想い出が再会で蘇ってくる事だろう。式の後は4つの中学校ごとの会が予定されていると言う。

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背広と着物に包まれた新成人は大人びて見え、中学生への剣道の指導した子供達も、少数ながら成人式を迎えた。まだまだ幼かった14・15歳の子供達が大人になり、町から旅立ったり、学業を身に着け地元に戻ってくる子がある。来賓ながら式の正面からの映像は無いものの、着物姿の女性の色とりどりの帯から、両親ならずともその成長を祝福したい。

今年は両親も文化交流ホールの上段の2列に陣取り、子供達の晴れ姿を見守った。今年も友人の娘が成人となった。アリーナロビーでの新成人への目は、おじいちゃん的な視線となっていただろう。
この新成人は地元「南三陸町」の出身かもしれないが、町から既に離れ大人として社会に出ている人間も多い。専門学校・大学から地元に戻っての就職はというと、決して順風な町の環境ではない。やはり企業誘致が町の経済が再構にある。町の再びの住民の賑わいと方法だと思う。県内で人口の上昇と、ゆとりある自治体は、こうした状況の自治体である事は紛れもない。





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2020
01/12

町づくりの原点

宮城県岩沼市に「竹駒神社」はあり、昨年は来町者が150万人を記録したと聴きました。幸せや願いを叶えに多くの人が集まるのです。長い歴史の中で育まれた経済環境がここにあります。「門前町構想」と言う町づくりの話を聞いた事があります。神社仏閣が人を呼び込む、こんな形で町が再建出来たらいいなと考えます。「商売重視」の町の進行は継続が大変と感じます。


初! 「竹駒稲荷神社」です
南三陸町から2時間足らず
父の健康と千葉家の平安
南三陸町の人口改善!
南三陸町は
宮城県内一の人口減少率になりました

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初! 「竹駒稲荷神社」です
南三陸町から2時間足らず
父の健康と千葉家の平安
南三陸町の人口改善!
南三陸町は
宮城県内一の人口減少率になりました

今日は南三陸町の「成人式」がアリーナで開催される。私の関わる友達の子供達も成人となる。大人になる皆さんが町で生活できる環境の整備を、首長にお願いしたい。


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2020
01/11

三陸道の開通で本吉が近く


昨日は気仙沼市本吉に行く。理由は「クリーニング」を取りにだ。
時代の大きな生活環境の進化により、生活・交通・スマホなど新しく、激変した震災からの10年を強く感じる。
町も大きく変わった。昔の志津川はどこにも無く、高台に残った学校環境も、学校生活の安全を考え、夜警などを配置し部外者の流入は厳しい。
クリーニング店は震災前は町に3店あり、町内の店は全部が被災し、再検を諦めた。その為に私は15分と言う高速の便利さで、クリーニングは本吉と決めた。店は本吉地区の中心にあるが、目の前の田んぼまで津波が来た。本吉の町の中心へなど津波の到達は誰もが考えなく、小泉の川から一揆に町まで津波は川を駆け上がった。この自然の驚異に改めて驚かされる。

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石巻や気仙沼の高速道からは、大震災を経験した自治体は、自然エネルギーの転換への姿が見られる。石巻は北上川沿いの山の峰に「風力発電」の鉄塔の風車が見え、田束山の向かって右の小泉の山には、巨大過ぎる「太陽光バネル」が輝いている。
自然エネルギーへの町の取り組みは見えてこない。町が実践してエネルギーの確保は、生ごみからのガスでの発電がある。家庭電力への転用はまだまだ先のようだ。「波発電」もあると思うが、提案しても取り組む事よりも、観光振興に町長の意識は高い。町民全体が潤う町づくりを考えて欲しいと熱望する


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2020
01/10

車の運転ができてこそ

令和2年5月に64歳の誕生日、ここまで生きられた。
震災時で総ての財産、生活基盤の会社、町の経済の崩壊と、取り巻く環境の急変の中で、前を見て進むしかなかった。
そんな中で「白内障」「網膜剥離」などの、自分の身体で一番目に必要な眼科の病気は、「この世の終わり」とさえ感じた。東北大の眼科の先生に救われ今がある。
近頃、「白内障」の高齢者が多く、簡単にレンズの取り換えの手術ができるようになった。戸倉の同級生が震災前に仙台で手術をした事を今も覚えている。あれから10年を越え、63歳となり他の仲間も手術をしている。目が前より見えるようになったと声を聴く。
今年は「免許書き換え」で、石巻の試験場に行く。震災時のズタズタになった市街地、その中を残った車で会社再建に奔走した。その時に「携帯違反」でゴールド免許を喪失した。あれから5年を迎えようとしていて、再度「コールド免許」が貰えそうだ。

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震災から8年10か月
残り期間9年の住宅ローン
まだまだ道は長いが
落ち着いた場所で少しの贅沢ができる今
これも車の運転が出来ての事です

車があっての生活の再生と、今の自分の生活がある。時には美味しい物を食べに登米市まで行け、必要な物も近隣市に行き格安(百均)に物を買える。
志津川に居ては食べたい時に、欲しい物が必要な時にスーパー街や、町の商店街はあるものの、少しの価格の違いながら車を利用し出掛ける。なかなか地元と言う気にはなれない。自分が御世話になっている店を利用はするが、ついつい車を走らせてしまう。
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あと何年車に依存し自分のしたい生活を維持できるか不安が、日増しに募っている。こんな特典も出掛ける事である。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:22 】

2020
01/09

津波で失った我が家の風習復活へ


従弟が持って来てくれた
おきひな(大根・ごぼう・人参)で
我が家の雑煮は母から受け継いだものです
蒲鉾はマルセン蒲鉾で
以前は向かいの及川魚店から
アナゴの干した物を入れダシを取った
何時まで我が家の味が引き継げるか
私の肩に掛っている
仕上げには宮城のセリ これがまた美味しい

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正月の「悪魔払い」の習慣が
我が家は大震災で途絶えた
子供の仕事として総ての部屋を
御幣束を持って「悪魔払い」と唱え
年越しの日の私の役目だった
何かのキッカケで一つの家庭の習慣が
終る事を寂しく思う
終ったら幣束を道路の角に立てて置く

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私は830名の被災死に対し
手を合わせるしか無く
神社・お寺でも合掌してしまう
志津川市街地の営業所内にも
小さな慰霊の場を造った




【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:26 】

2020
01/08

ヒートショック


今日は雨の朝を迎えている。昨日は今年一番の寒い朝となり、日に日に放射冷却が強まり「-5度」まで気温が低下している。

我が家は父の部屋から玄関を通り、脱衣場から浴槽へ通じる。父の身体もだが、私の体が父を守り長生きさせる為には必要と認識している。部屋の通過点の玄関はさすがに寒く、ヒートシックのリスクがここにある。
急激な室内での温度差による「心筋梗塞」は、決して他人事ではなく、私自身も過剰なまでに対策を講じている。リビングから玄関・脱衣場は、入浴前にはドアを全部明け、突然死の対策を取っている。「決して侮るなかれ!」、寒い冬の室内事故では、全国でも多くの人が亡くなっている事は紛れもない事実です。私は大丈夫と言わず、対策は簡単に講じる事ができる。

今朝の日テレニュースは驚きの事件はかりだった。ゴーン妻に逮捕状。ゴーン氏今日10時に記者会見。日本政府が関与、実名を挙げると言う。米国とイランの戦争に発展か、国連危機感。東京五輪の開会式の演出を請け負った、電通の責任者がセクハラで会社を退社。塾講師が10代生徒に犬の首輪で監禁・逮捕。IRでの収賄で日本維新の下地議員が100万円の受領を発表し、日本維新を脱会した。日本維新の松井代表は「辞職は当然」と、党員の不祥事をバッサリと切った。自民党は党員を守ってばかりで、今日のフェイスブックでも、サウジなど中東への総理の訪問を、「何の意味があるのか?」と、一部の国民の不信だけが募っている。日本を取り巻く状況の厳しさを国民も議論し、オリンピックにうかれてばかりはいられない。

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南三陸町の歌津地区の南三陸新ワカメの
「お裾分け」
すぐに「酢の物」でいただいた
髪にも良く カロリーも少なく
最高の健康食品です
全国への贈り物としても
多くの友達に喜んでもらった

12月に小さな種を縄に結び、柔らかい美味しい地元のワカメが、取れ始めている。新物はさすがに柔らかく、新鮮そのものです。
朝には海で育っていたばかりの物を、南三陸町に御出でになれば、「若布のシャブシャブ」が食べられ美味しい。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:16 】

2020
01/07

街の変化


志津川地区に完成した「ウジエスーパー」を中心としたアップルタウンの一角に、全国展開するラーメン「幸楽苑」があった。まだ一年前後の有名チェーン店ながら、去年の暮れに突然、写真のような状況になった。
台風19号の被害で福島?の工場が被災したとニュースであり、チェーナ店への材料の供給が大変だったとの報道の中での事だった。私の仲間も務めたが以前やめている。チェーン店のマニアルは厳しいと言う。町にラーメンのチェーン店の出店は、町民も楽しんでいたのに残念だ。
「幸楽苑」が全国で51店舗を閉店したとのニュースが今朝あった。台風被害もあるが、営業の不振の店舗1割を閉店したと言う。南三陸町は人口の減少と、三陸道のストロー化など、道路沿いのスーパーや店なども苦戦していると聴く。
ツイターの気仙沼の仲間も、「仙台からの帰りは、高速開通前までは途中に寄り道をしたが、時間も短縮され、道の駅にも、南三陸町にも寄る事はなくなつた」と言う。出店の益々の厳しさが街に忍び寄っている。

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長野県飯島町の「ふるさと便」
漬物・御餅・五平餅・ブルーベーリージャムなど
震災の2011年の8月頃に
南三陸町の支援と震災状況説明で
私のブログからの御付き合いが始まった
南三陸町へは「マジックショウ」で町民に笑顔を届け
長野のジャガイモ・ネギ・米・味噌を届けてくれた
私が仮設や災害公営住宅の被災した皆さんに届けた
温かい故郷の気持ちいっぱいを
ありがとうございます
勿論 志津川からは「真タコ」です




【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:30 】

2020
01/06

例話2年 今年も私らしく生きる

我が社の仕事始めです。6時起床で月曜出しの班員10世帯余りの集積所の、ゴミ置き場は正月のゴミでいっぱいだった。こんなにも家庭ごみの多さに驚く。指定ごみ袋で40個はあっただろうか。我が家が4個として、だいたい一世帯当たり4個ぐらいは出している計算になる。
町はゴミの処理料金の増額を減少させようと、「ゴミ減少対策」を講じているが、なかなかその結果が出ていない。重さによる処理料金だが、重さの2割前後は「生ゴミ」で、分別収集に取り組んでいるが、その回収量が約20%から増えないのが現状としてある。

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志津川市街地の我が社の元の土地まで試しに歩いた。正月3日の事で約3.5Kの道のり、高台からの勾配の道路があり、往復で7K、2日目に足の痛みはこの為だろう。
土地の一角の震災慰霊塔にみかんとお茶を供え、正月とあり、少し長く合掌をした。完成した20mの「祈りの丘」まで行かなくても、ここで亡くなられた方達への慰霊ができる。頭で何を念じるかと言うと、別に何も浮かばなかった。
まさたか・くまがい・けいいちの、町の職員として殉職した、仲間の事だけが学生時代そのままに思い起こさせる。

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昨年11月12・13日の台風被害による
入谷1号線がたらば川の洪水で
熊田橋から秋目川への道路が通行止めとなった
先輩議員に聴くと12月26日の午後には
う回路整備で通行が可能となったと話す
復旧までは1年から半年との町の説明から
う回路の整備で通れるようになった
道路の復旧はやはり説明どおりかかるようだ


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2020
01/05

志津川の家並みはもうない


正月3日に9千歩を歩いた。距離にして「6300m」を1時間であり、自分の気持ちは爽快ながら、身体的には静かなダメージが昨日から出始めた。
まだまだ元気・丈夫は自分の勘違いでしかなかった。しかし、散歩は心肺機能の維持と、体内の活性化など、健康の為と信じ今年もウォーキングは、日課とまではいかないが、努力目標としたい。
「350キロカロリー」の身体を動かしての消費は、普段は運動も別にしていないので、自分には必要と思っている。

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子供の通学路としての「横断道路」の通学路は、東団地の高台からは「2K」の距離で、朝の下り登りで、帰りも道路は下り登りと、小学校の低学年の通学は楽な道路ではない気がする。自分の足で歩いて解る。

高台横断道路は、志津川地区の「東団地」と「中央団地」から「西団地」へと続く整備です。途中には志津川の小中学校がある。

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今年初の新婚さんいらっしゃい!
フェースブックで知り合ったと言う
互いに26歳の同い年の出逢い
「友だち希望」に間違って彼女がオーケーをしてしまったと言う。
フェースブックの中の共通の友達もいて
一緒に合う事から交際が始まった。
色々ありながらも互いに理解を確認しあい合った
殺陣師の父を持つ彼女も同じ道を選んでいた
彼も仕別の事をしながら共に殺陣師として伝統文化を継承する

南三陸町の婚活事業は都会とは出会いの環境は違い逆強の中で
努力と挑戦無くして皆さんの幸せも
南三陸町の未来はない



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2020
01/04

志津川生活環境調査


2020年のオリンピックイヤーの
宮城県南三陸町志津川湾からの日の出です
お正月料理作りが忙しく
正月3日の私の初日の出です

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現在の自宅(志津川沼田)から
低地部の「ウジエスーパー」まで
徒歩で歩いてみた
「25分」「3000m」もかかる
自動車免許返納で買い物は無理


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:13 】

2020
01/03

今年こそ


ハワイでの結婚式の二人の幸せな笑顔と、御家族の縁に感激しました。両親に頑張って一日も早い孫を。(正月3日のテレビから)
私の教え子は二人目が今、女の子を宿している。もう一人も子宝に恵まれたと風の噂に聞いた。「おめでとう」。

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南三陸町も独身者の婚活に本気で町は取り組み始めた。
今年度は10人の申し込みで、5人が婚活事業に参加し、来年度も5人の方が既に婚活参加の枠に入りました。
一人当たり25万円なから、結婚の成約となると、追加して、事業への枠ができます。挑戦してはいかがでしょうか。
成約まで7か月がこの婚活会社の平均と言います。何もしないで今後も一人で生きて行くなら挑戦してみましょう。

結婚しても「子宝に恵まれない」、こんなカップルが意外と多い事に驚いている。ある夫婦は男性40代で女性が30代ながら、数年経っても子供ができなく、「体外受精」に挑戦し、数回の挑戦で、身ごもったと言う結果に、ハイタッチして喜ぶ姿に、私もやっぱり子供が欲しかったと感じた。

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榊に囲まれた袖浜「荒澤神社」へ
2020年の初詣にいった
願いは「普通の生活」でした
震災から家族がいて皆で暮らせる事が
最高の幸せと感じるようになった
震災から9年目まじか
大震災を皆が忘れ始まっている気もする
「忘れたいのかな?」


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:59 】

2020
01/02

楽しい正月料理作り


我が社の年賀状
写真は「南三陸町の祈りの丘」
今年は全園開園です
まだまだ人出は少ないですが
築山からの合掌を

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年越し前に友達が「クルミ餅の種」を持って来た
それに砂糖・醤油・酒を加え
温めのお茶で割り
正月2日の朝とした
仏壇の母と 元気な父に食べさせた
穏やかな正月で大学駅伝を楽しんでいる
友達の心使いありがたいです

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長野県の友達二人が正月用品を送ってくれた。お正月の長野県の餅など、また、「飯島町のネキ」と「味噌」もあり、今月のイベントでの開催の皆さんへのプレゼントとしたい。
「第2回志津川広報プラザ」の企画は、1月18日を予定している。どなにでも御出で下さいって欲しい。今回も「千葉賢一絵画展」と「ネギのおすそ分け」を考えている。前回は6人の来場者だったが。今年も一人でも多くの人と、大震災の話や、町民の人達の震災後の話ができたら幸いです。

南三陸町志津川字本浜町200-2が、震災後に換地された我が社の土地です。「震災慰霊碑」を建立し、昨年はもう一つのユニットを置き、千葉印刷としての「震災風化活動」をしたいと思います。よろしく!




【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:04 】


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