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ARCHIVE - 2019年04月

2019
04/30

楽しかった「平成時代」 そして「一からのスタート」


私の生きた「平成」はこんな色でした。
30代の青春、そして大好きな海の色です。
明日からの「令和」は第二の青春
知らない場所を多く歩いてみたい
生きた「証」を問う旅を。

祖母は明治生まれて三つの元号を生き、父は大正生まれで四つの「大正・昭和・平成・令和」を、今も生きていて96歳となった。私も日本人の男性平均寿命の85歳まではいきられないが、祖母と同じ3つの元号を生きる事となった。

9連休の狭間の中で、三陸道は初日の土曜に、歌津インターから小泉海岸インター間で午後6時から、事故による通行止めとなった。南三陸町から気仙沼間では、本吉から気仙沼間の事故が多発している。
昨日も三陸沿岸の高速道の開通と、「気仙沼大島架橋」の完成で、高速は三陸沿岸でも毎日のように渋滞が発生している。田舎の高速と侮らず、運転には周囲の風景に気をとれらないよう、運転手は安全重視でお願いしたい。

今日の南三陸町は「雨」、そして「寒い」。
今年のカセンダー通り、今日は「黒日」で仕事をする。



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2019
04/29

土に触れ 一日一善


我が家の家庭菜園を増設しました。
昨日は「ニラ収穫」と「雑草取り」、今月に植えた「種イモ」の芽はまだかと、素人の感性そのままに。楽しい時間を昨日は過ごしました。2時間の作業で腰が痛い。今日は7千歩でした。
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震災前にギョウジャニンニクを千本植える為の菜園を作った事がある。やったことの無い作業で二日間も体の痛みが取れず、腰痛はたら一週間以上も症状が残り、大変だった事を思い出す。

最近の生活には室内運動と、ウォーキングを続けているせいか、咋日の作業での疲れもなく、午前5時15分から1時間15分の、ウジエスーパーまでの徒歩での時間の経過を測定した。そこから知人のいる東団地F棟まで、そして自宅までと風景を撮影しながら散歩した。
合計7千歩で、自分の車がなかったらと想定し、時間を計測した。自宅からスーパーまで「2700歩」「20分余り」、知人の住宅から木材会社の坂は、同じな距離と解った。しかし、災害公営住宅かの登り坂は、高齢者では厳しいと判断する。
9連休の2日までは充実した時間をすごしている。


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2019
04/28

南三陸の散歩道


連休初日の私のウォーキングにこの場所を選んだ。
車の止める所がなく復興の風景として、撮影する場所的には最高のルートと言える。先行で一部の「震災復興祈念公園」が、開園となるらしいが、どこ場所からの撮影風景を見ても、見当たらない。
赤茶けた工事現場だけが広がっていた。

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さんさん商店街の隣りのオリーブさんの前に車を止め、汐見橋から大久保入口までの往復3Kを歩いた。午前5時50分にこのコースをスタートした。歩いている人が3人と走っている人が1人で、この時間でも多くの町民の方が、嵩上げされた国道45号を健康の為のコースとして利用していた。
八幡川の「港橋」は道路が解体され、橋脚だけが残っていた。中橋再建(人道橋)はまだその姿は見えなく、防災庁舎周辺の工事も完成が見えない。周辺の花木の整備公園も赤土のままで、目玉の「築山」の20mの工事も天辺に、何かが見えるが全貌は9年目を迎えるのに、どうなっているのだろう。
高野会館周辺の整備は、30万人が被災後に訪れているというのに、町は高野会館の周囲のバス道路のライフラインも、整備する気持ちはないようだ。被災した跡への「土置き場」を何時まで続けるつもりなのか。何か事故があったら所有事業所のせいにするのか。

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今日に訃報が届いた。ホテル観洋の会長さんが逝去したと言う。政治の争いに巻き込まれ、将来の姿が決定する前に、見通しを付ける前に天国へ召された。
死にゆく者への畏敬の念は、津波のように流された。首長の考えだけが空しく続く。
登米市の市長選も熊谷氏との対抗馬が今のところないと言う。前任の布施氏も出場をやめたと言う。選挙にならない事は市民の選択の権利がなくなる事となる。空しく寂しい。我が町もあと2年半後の町長と議員選挙がある。今の所は対抗馬の影は無く。議員も現在の状況では立候補するとの声は聞こえてこない。また「無競争!」なのか。

震災復興の遅れと人口減少など、寂しく空しい「政(まつりごと)」が、これからも続きそうだ。




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2019
04/27

野山に 町に 花を愛でに


南三陸町の平成最後の桜になりました。
今年は何時もよりたわわに、大きな花が咲いた気がする。
令和は八重桜になりますかね。

昨夜は44年ぶりで故郷「志津川」に帰り、復興に貢献と恩返し?の為に、任期付き職員ながら帰って来た。「飲もうぜ!」が我々「三一会ゴルフ倶楽部」の仲間の合言葉だ。
その仲間にも色々な事が起こっているらしく、3人・4人の欠席に「しょうがないよ!」と、仲間の生活と健康に配慮した。
同級生の店「松原食堂」を会場に、美味しい御馳走が並んだ。ゴロフ会の先輩も来てくれ、様々な諸々の会話で宴席は盛り上がり、想定時間の2時間越えで帰宅は9時半と長い飲み会となった。
私もしばらくぶりの飲み過ぎで夜中は具合が悪く、一年ぶりの「二日酔い」を覚悟した。7時間の睡眠明けは、すこぶる気持ちの良い寝起きだった。記憶の中では生ビール二杯と酎ハイを4杯で、会では2本のビンが空になった。

生きている事の喜びと、仲間と共にある生活に感謝したい。

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悲惨な交通事故の夫が取材に答えた。
出逢いは偶然で、親戚筋の用件で沖縄に行った時に出逢った。東京都との長距離の交際は、彼女の優しさに触れ、是非一緒になりたいと彼女に告げた。生活して3年目の事だった。娘を溺愛し、妻が居て私が居ると、彼女との出会いで人生が一変したと言う。腎臓?の病気を抱えた私に、多くの幸せと喜びを与えてくれたたと言う。
今回の写真の公開は、高齢者の事故を防ぐ為にも写真の公開に踏み切った。高齢者の事故の頻発は、こうした多くの不幸を生んでいる事を、全国の皆さんに伝える啓蒙となればとの思いだ。
悲劇の中でご主人は多くの葛藤があり、最愛の二人を亡くした理不尽な死のどん底の中で、35分間の記者会見は二人の死を無駄にしないとの思いからだ。凄いご主人と私には真似などできない。生きる気力も失いそうな中で、涙が出そうになった。

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2019
04/26

10連休前日


「糖尿病」「胃潰瘍」の身体に優しい朝食。
今日も1.5K歩き走った、ある意味病気である。
「継続は力なり」の諺は、病気が成せる技かも。

連休の4月30日から5月2日は2019年のカレンダーでは黒字があり、この間の1日は天皇の即位となり「祝日」の為に3連休となる。週間天気予報で日にちが真っ赤に染まっていた事で、日曜と祝日の間は休みになる事に気付いた。10連休の実感が沸き、今日は銀行に忘れないで行く事に決めた。また、今日は眼科に行き、メガネの処方箋を貰いに行く。机に資料を置き、皆さんが文章を読める事が羨ましい。少しでも近づけるようにメガネを変える。

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昨日は、南三陸町の震災復旧事業での施設「生涯学習センター」の落成式が10時から開催された。公民館は震災前の三分の一、図書館は2倍の大きさの複合施設として、生まれ変わった。大人から子供達まで集える場所として、コミュニティー再生の役割を担い、利用される事を願う。
図書館内は迷路のように「遊び心」がいっぱいの設計となり、外からの太陽の光を取り込み、南三陸町の木材をふんだんに活用で、この日に落成されたセンターの建物が「国際認証の取得した」と言う。町の本庁舎も同様に認証手地区している。
多くの子供達や幼児を連れた親子が、楽しみながら本を読み、知識の泉溢れる場所となって欲しい。こんど「本好き」の父を半日預ける事を考えている。

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2019
04/25

先人に学べ!


(発見)南三陸町の志津川商工団地に設置したモニュメントに刻まれた言葉に、「躍進」「協調」と真ん中に「心」の球体がある。35年前の町長勝倉三九郎氏が建立したものです。このした石碑の言葉に先人に学ぶ事は多い。

勝倉町長の前が「佐藤久弥氏」、その前が「田中完義氏」と、志津川・南三陸町の前の町長がいるが、判っているのはここまでです。しかし、久弥氏までは話をした事がある。威厳と優しさを持ち合わせた存在だった。自分の資産も町の為に使った人だとも聴く。町の長は町民全員の為に、身を切って何かをしたかにあると思う。身を肥やす政治はあっていけない。

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町の水産業を高台の団地に整備した事で、震災後の水産施設だけでなく、工業・建設施設も被害を一部が逃れる事ができ、震災後も被災地の復興に貢献できた。

阿部公三氏は勝倉氏の後に町長となり、総合体育館(ベイサイドアリーナ)を建築整備した。震災後の被災町民の避難場所として、物資の集積場として、災害対策本部としての役目を果たした。この地区が高台になかったら、志津川・南三陸町の再生ができたかは疑問だ。

先人の第六感で将来を見据えた政策がここに垣間見える。

今日は町の「生涯学習センター」の開館式典がある。これで町の箱物の震災復旧は最後となる。午後からは「議員定数」の議会活性化委員会が開催されます。傍聴もできるはずです、多くの町民の皆さんも同席され、議員が個々の考えをご覧になって頂きたい。皆さんの将来の町づくりに関わる事です。

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2019
04/24

身も心も綺麗な町に


桜と共に町の移り変わりは、志津川市街地の異常な速さで、大規模な復旧事業が進められた事からも判る。

3.11の3月に瓦礫となった志津川市街地の変化を撮り続けている。9年目となる市街地の光景は土地区画整理事業で、綺麗に整地されたものの、眼下の土地は台盤が広がる。来年もこの場に私は立ちます。

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連休を前に小さな工場を片付けた。
車に載せた事業ゴミは半分が資源ゴミであり、生ごみも分別すれば、また1割は減少するような気がする。これまではダンボールを除き、全てを「ゴミ」として持ち込んでいた。
再生紙は国内では製造を縮小・中止している。その為に価格が上昇し、今後は利用の減り市場から消える事も予想する。国内の製紙メーカーはコストがかかるリサイクル紙の製造からの撤退をしている。製造価格に比べ販売コストが安いが原因のようだ。
大半は中国への紙再生紙の輸出があり、運搬費の経費も増加し、再生紙の紙質も悪く、コピー用紙として利用は敬遠されている。

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南三陸町のゴミ分別のクリーンセンターの桜は、満開から葉桜となっていた。桜プロジェクトの3千本の桜の植樹を、クリーンセンターに植えてある。多くの町民が愛でる事は少ない。桜の下で集まりをしている地区は、入谷地区だけと知る。

町民の皆さんが集える場所は、住民の生活に余裕と、コミュニティーの形成無くして実現は難しい。

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2019
04/23

大好き志津川の海


朝5時に志津川地区の「袖浜漁港」からの日の出の風景です。
太陽はこの時期はこんなにも北から顔を出していた。
今は午前4時30分頃が水平線にあるようだ。
今度また旭の撮影に挑戦したい。

人口減少といいながら交通事故の多発で、これからの若い世代が犠牲になっている。妻と娘を一度に亡くした夫は、「悲墜」のどん底にいた。87歳の高齢者の運転する車が6人を跳ねた。認知症の運転免許更新の検査を受けていたとの話もある。高齢者の年齢制限も今後の自動車運転の制度の見直しも必要だが、地方の町では車が無いと高齢者は、生活はできない事情もある。バス運行でも67歳の運転手が、低速の20Kながら横断歩道に突っ込み、20歳23歳の男女がバスに巻き込まれ亡くなった。今朝もトラック運転手が、右折するバイクと接触し、普通自動車にぶつかり園児の送迎バスに、正面衝突し2人が亡くなった。幸いとして子供達は怪我で済んだと言う。原因は走行時にトラック運転手に体調異常があった為と言う。
今週末からゴールデンウィーク、交通運転に留意され元気に笑顔で帰宅する事が、最高のお土産です。三陸道も気仙沼地域で事故が多発しています。田舎の高速道と侮る事なかれ。

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志津川湾の海の養殖施設の混雑が伺える。だが、ここまで水産業が再建された。総ての施設が津波で流失し、9年目となるが4年後あたりから、ワカメ・カキ・銀ザケ・ホヤなど、水産業は震災前に近づいている。
しかし、海の状況はと言うと、秋サケの不良・ワカメ生育の異変・タコの水揚げ乱高下している。何かがおかしい。一生漁民が付き合う海、何が変わっているのかを調査が必要と私は思う。とにかく獲ればイイでは、将来の後継者への不安が募ると感じる。

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45年前とはすっかり変わった「袖浜」。海水浴場は整備された漁港に変わり、震災後は新たに8.7mの防潮堤が整備された。防潮堤の内部の船上げ場で、ワカメの芯抜きに朝5時前から仕事が始まっていた。漁業に携わる漁師さんの仕事は、私のサーびス業とは違い、過酷な環境で働いている。その成果を漁価を持って支えるしかないと思っている。

今日は南三陸町の気温は16度で、朝は冷え込み「霜注意報」が昨日は出ていたようだ。日本列島も気象がおかしく、大分県では4月22日と言うのに「30度越え」と言う。何事も普通で良い。



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2019
04/22

開店おめでとう!

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「おかえりなさい!」旧五日町の商工会の隣りの細道にあった「三浦魚店」さんが、志津川地区の上山緑地の下に、8年ぶりに店をオープンさせた。開店祝いとしての買い物は、「ほやの大」「すじこ」「アワビつぶ」を買い、3500円は安い! 登米市からの通い大変でしょうが、頑張って下さい。

個人が志津川市街地で商売をするのには、厳しい場所に開店したと私は思う。周辺には人も住んではいなく、嵩上げした志津川市街地ながら、「この場所にも住宅が無いと買い物には来ないですね。」と店主は言う。町の政策の「職住分離」の弊害がこんな所に現れる。
高台に住む事で「地震発生、津波!」との心配は無くなったものの、高台への土地の整備に時間がかかり、多くの町民が町を離れた。また、土地の買い上げ制度による「都市計画」も、町の再生と存続を考えると、人口減少と言う最悪の状況を生んでしまった。町政を担う次世代の首長は、町の存続への人口拡大の対策は難しく、いかに住民が満足できる生活環境を創生・構築するかにある。私のような後先短い人間が、何時までも町政に携わる事は、若い世代の未来の町づくりには、多くの思考の改革も必要のようだ。

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三浦魚店から買った「すじこ」で手巻き寿司をした。手巻きが進むのは、最近はまった食材の「すじこ」がある。父の好物らしく買い物に行くた度に買い求めている。一筋を拝借し食べると美味しい。昨晩は手巻きを7本も作って食べたが、血圧も考え時々にしたいと思う。

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また、知人から頂いた「あさり」は、普通に「お吸い物」はつまらないので、「アサリの酒蒸し」に替えた、ネキが無かったので「三滝堂IC」まで買い物に行く。7分で到着したが、店内は来客でいっぱいで、レジには毎回の行列ができていた。車は次々と入れ替わり、来場者は三陸道が気仙沼市までも開通し、益々来客が各種の野菜・お土産・食事にと多くなっているようだ。ドックランもあり犬連れの来客もある。ソフトクリームも次々と売れ、子度たちの笑顔が広がっていた。岩手のナンバーもみられ、交通網の発展は登米市米谷地区にも高速効果が見られる。4年前までは考えられない光景が広がっていた。

帰ってから料理に取り掛かり、「アサリ酒蒸し」「筋子の手巻き」は絶品だった。これにアイスビールがあったら最高なのに。昨日も父をドライブに連れ出した。気分転換だと喜んでくれた。
                                     

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2019
04/21

私のルーツ


宮城県志津川高校の登校坂の桜並木も満開となりました。これを見て在学当時を思い出す卒業生は懐かしいとお思いでしょう。大きな看板が坂に建てられ、「志高ここに聳え立つ」と言った感じだ。全国からの入学できる学校の教科・学習体制と町の環境が、少子高齢化の中で生き残りのカギと思う。

右側に急な石段が見える。私たちの時代は無かったが、通常の登校坂を登ると遠回りで、こんな階段ができた。数えると約100段余り。私にはきつく少し休みながら登る。ここからの志津川市街地の光景に、震災当時に町並が消えて行く姿を動画で見る。這い上がって命を繋いだ方の光景が、脳裏に浮かんでくる。そんな現実があった事を知る入学生は少ないだろう。それで良いと思う。後輩達よ! 自分の進みたい「希望」「夢」に向かい進んで欲しい。後悔の無い人生となる事が、両親・家族の願いです。

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2019
04/20

素晴らしい旧志津川町の自然


今朝の「朝散歩」は志津川高校と、志津川地区の中心交差点の商店街前、そして今度開店した「三浦魚店」の写真を取り、その後で袖浜地区の「荒澤神社」に寄った。

慶長14年に伊達藩が仙台城下に橋を架ける為に、領内に良質の杉を求めた。
樹齢400年の「太郎坊の杉」は、南三陸町袖浜の「荒澤神社」にあります。巨木の歴史ある杉からパワーを頂きに、宮城県南三陸町に来町下さい。

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志津川中学校の跡地の桜は、1週間前は「蕾」ながら、今日には満開から花びらが散っていた。中学校跡地の敷地には南三陸農協があり、建設会社の工事現場事務所が半分ずつとなっていた。農協と建設会社へは借地として、料金が町に入っているのだろう。建設事務所と農協は敷地賃貸料が現在は町に支払われている。多くの町内の建設会社の事務所があり、町へは多くの料金が支払われ、今後の町の財政調整基金として積み立てている。現在の税収は震災前より増えているのは、住宅再建と町の土地売買で得ている利益大きい。

桜のつぼみが満開となるように、中学生も大きく知識の花を咲かせ、故郷へ帰ってきて欲しいと願う。

大船渡ICから1時間15分で、南三陸町の商店街に到着したと、FBで着きましたと書き込みに驚く。友達は気仙沼地区の高速道での事故多発に嘆いていた。北からの来町は、便利になる事の「逆ストロー現象」と言えるかも知れない。来週末からはスペシャルゴールデンウィーク、必ず多くの皆さんが南三陸町に来る。忘れず「ハマーレ歌津」へも、少しの遠回りながら、訪れて欲しい。




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2019
04/19

何も無かったような光景が


南三陸町志津川の「東山公園」の全体の光景に、懐かしさからか多くのツイッターで「いいね」頂きました。ありがとうございます。
昨日は晴天で絶好の撮影日和、公園では4人のおばあさん達が賑やかに井戸端笑い。震災を忘れさせる光景だった。また一人ひとりと山に登って来た。廿日恵比寿の祭りは今日です。

この後で父を連れ出し登米市に行った。父の友達の亡くなられた川内印刷の前社長がいる。現在は迫町に登米から移転し工場を大分前に新設した。父は「初めて見たなー」と言う。前川内社長は「骨董好き」で、多くの刀があったと昔話しに会話が弾む。30年前に川内で働いていた女性の方の話は、父の妹の主人がこの女性の弟にあたる。80過ぎの二人ながら、「お姉は元気でいる」と従業員の方が教えてくれた。父の人脈と交流の広範囲な事に脱帽した。
三陸道から北部道路を通り登米市まで20分ちょっと、「近いなー」と驚きを隠せないでいた。車での移動もなれたが、耳が遠いせいで話しがかみ合わない。何時まで親孝行が続けられるか、時間ができたら、また二人のドライブをしていきたい。

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今日は石巻日赤で「要検査」で診察を受ける。消化器内科で午前9時の受け付けながら、前回も2時間半は掛かった。日赤には多くの各課の先生がいて、消化器内科は3人の医師が対応してくれる。
みやぎ検診プラザで胃に「要検査」と言われ、紹介状を「石巻日赤へ」とお願いし、今回で2回目の診察となる。まだ死んでいられない!「父を送り」「自分もまだ遊んでいない(余生を)」からです。63歳まで働き続け、高校から働き積めの生活だった。楽しかったし苦しくもあった。

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昨夜は軽い食事と朝食抜きで今は腹がへった。今は食べる物がすべて美味しいし、ビールも美味い。こないだはアスパラのばら肉巻を作った。初めてながら上手にできた。アスパラは買ってから5日目になり、シワシワながら「すき焼きのタレ」で味付けしただけながら、我ながら満足した。
今日の体重は「73K」と空腹時血糖値「115」で、体調は絶好調だ。今日の朝は雨で、これでウォーキングができたら最高の一日となるのに。

石巻の用事もその他に一件あり、今日は午後7時から「商工団地の会総会」があり、同じ時間にマチドマで南三陸町の歴史についての講演がある。行けるかどうかは微妙だ。時間に追われる日々が続いている。満足!



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2019
04/18

今や病気の「朝散歩」


今日は新しいコースを約2K、22分で歩いたり速足したりで、程よい汗をかいた。いざと言う時に何から逃れ走れるように。
コースの周辺は桜も満開となり、春の草花も色とりどりの花びらを楽しめました。(南三陸町志津川・商工団地内)

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志津川の桜の名所であり、津波非難場所に指定されている「東山公園」から、今年も桜の咲く頃に、震災の年から「定点カメラ」として、志津川市街地の移り変わりを撮影している。
瓦礫で志津川市街地が覆われた年、それから少しずつ嵩上げが進み、整備された台盤に我が社の元の場所隣りに「土地換地」がされ、店・スーパーなどが建設されていった。
昨年と東山からの光景で違うのは、昔の十日町の中心部に農協のスタンドができ、新井田川の河川堤防の工事を終わった。本浜地区には水産加工場・倉庫が建設された。日々変わる市街地ながら、その速度は鈍化には変わりない。新井田地区に公民館に併設された図書館の「生涯学習センター」ができ、4月25日に開所式があり午後から開館される。

多くの施設・建物が出来ても、町の賑わいまでとはなっていない。

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2019
04/17

再建への祈り


咋朝午前3から、つけたテレビ画面から寺院が真っ赤に燃える映像が、ずっと流れる姿が目に焼きついている。フランスの「ノートルダム大聖堂」から火の手が上がった。現地の午前2時出火との報道が、瞬く間に世界に発信された。カトリックの神聖なる場所は、「世界文化遺産」として、年間1300万人が訪れる。昨年に生徒と訪れたと言う「白百合女子大」のシスターは、東日本大震災の時に3000人の復興への祈りを頂いた。私も早期の再建を祈るばかりと言う。フランス大統領は現地に赴き、世界に再建の支援を呼びかけた。90mの塔が燃え落ちる時の市民の悲鳴が聞こえてくる。先人が創り上げた大聖堂には、ステンドグラスを始め多くの歴史的価値の品々が沢山あるが、消失してしまったものはもう元にはもどらない。

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三陸の「モクズガニ(クリガニ)」を小ぶりだが三匹、小さいがメスガニを昨夜はビールと共に食した。もらい物ながら、生なるものは大切に綺麗に食するのが、食べる者の義務です。

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2019
04/16

運動と食べられる喜び


昨夜の食卓は、「京都・山城の筍」「ふきのとう」の天ぷらと、「春かつおのタタキ」にアサヒスーパードライ。天ぷらが程よい色に、一人で作った料理は、やっぱり美味い。ビールも2週間ぶりで、胃薬飲んでいるせいか調子イイ。

大坂の知人が本場の京都の山城竹の子を送ってくれた。友達に叔母にと「お裾分け」して、一本をいただいた。「煮物」「汁物」「天ぷら」など、食卓に載せている。三陸の野山で芽生えた「ふきのとう」は、すでに蕾から花へと、日一日と温かさが増し成長が早い、今日は20度越えという。山は一気に燃え始める。

土曜日に父の食材を買いに気仙沼へ、惣菜コーナーをうろうろと不審人物のように、スーパー内を歩く。父は私が選んだものは文句も言わず食べる。この日は6千円分と4日分を買ったつもりだ。父の分は5千円と私の分が2千円で、その中に「かつおの切り身」を忍ばせ、昨夜は「かつおタタキ」をした。意外と油が載っていて美味しかった。勿論、米は食べるのをやめた。

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朝のウォーキングコースは初めてのコースを歩いた。志津川の商工団地内の「桜の小道」と言った場所で、自宅から2Kのコースで帰れる、25分掛けて今が2分咲きの桜を愛でながら、ゆっくりと歩く。少しの坂道は程よい汗が「ジヲット」と感じられた。
「一日一善」と常々考えているが、今日は小道の風で折れた桜の木々を取り除いた。朝は誰も歩いている様子はないが、ぜひ歩いて欲しい場所と感じる。

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桜を愛でながら、色々な今を見る事ができる。大きな建物が建設中で、沼田仮設に於いてあった机と椅子がここに設置されていた。

昨日は栗原市の議員さんと、印刷会社の知人が南三陸町の議会の事を聴きに来た。場所は志津川市街地に置いたユニットで1時間半、私の拙い情報に耳を傾けてくれた。栗原市は築舘・若柳・高清水など10町が「平成の合併」で誕生した。国の交付金が「合併特例債」で、多額の資金が配分された。印刷業はと言うと10個あった「町広報」がこれで栗原市ひとつになった。大きな仕事の減少となった。印刷会社の厳しさで廃業に至った現実もあった。地方の事業所の厳しさは時代の流れと共に、益々厳しさを増す。後継者のいない私などは楽に廃業ができるが、町の衰退へと繋がりはしないだろうか。父もこれまで25名の人を雇い、私も18年で入れ替わりながらも10名の従業員に支えられ今がある。こんな所からも小さな雇用の場の喪失となっている。

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2019
04/15

母校よ永遠に


南三陸町民と卒業生に愛され、在学中の想い出を求め登校坂を上る、その先には「桜の回廊」と志津川高校の校門が、開校当時のままに鎮座している。私は上の山緑地にあった旧志津川高校から、移転し2~3年目の入業生だと思う。真新しい高校に希望を胸に登校した。48年前の事だった。

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現在は、学校の下まで町のバスが走り、一部の高校生は農協の脇を通り、急な階段を毎日上り通学かる姿を見る。昨日はここを通り母校の「今の桜」を撮影にいった。まだ桜は「つぼみ」のままで、今週末には「桜吹雪」となりそうだ。年に一回に母校の今の姿も撮影する。すると守警さんが出て来た。「事前に許可取って下さい」と言う。毎年同様の事を震災後も、震災前からも続け「志津川高校の回廊」を全国の卒業生に発信している。難しい時代になったものだ。

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3.11を先月に9年目を迎えた。高校を襲った姿は知人が撮影し、写真の桜の下まで来て、津波から逃げる町民の姿がそこにはあった。志津川高校の生徒減少で存続の危機にあるなかで、町民から愛される地元高校となるかめにも、もっと地区民に寛容な姿勢が求められる。守警さんからの「忠告」は真摯に受け止めるが、私の知人も「今週行きたい」と話している。勿論、当人も子供達も「母校」である。何とかならないものか。志高の「モアイ化計画が泣く」、こんな気もしてならない。

週末が桜回廊の見頃です。

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母校は遠くになりにけり
志津川高校の登校坂「旭桜坂」の碑です。前校長の山内松吾氏の言葉が刻まれていた。「……永遠に」と。

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2019
04/14

あの時から今に合掌


登米市津山町の「柳津駅」の線路がまだ残っていた。岩手の「三陸リアス線」は震災からの復興のシンボルと言う。気仙沼線の南三陸町戸倉駅を再建し、ただ一つ残った南三陸町の鉄路の玄関口として、再建すれば今後の戸倉地区の再生に繋がると私は考えます。被災地再生の70億は安い物。

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高野会館の震災当時の様子を、当時、社協の職員だった佐々木さんが証言した。
昨夜はテレビで見る物がなく、8年前の3.11のテレビ録画を見た。高野会館では社協の「芸能大会」が開催され、その時は300名を超える方々がいたが、大地震で家に帰った人もいて、その中の何人は亡くなったと聴く。
会館の屋上には職員と社員の誘導で300名が避難し助かった。当時のヘリの映像が流れた。高野会館の屋上の奥が志津川病院で、入院患者が窓から津波の引き波で流れる姿が映っていた。話でしか聴かなかった現実がここにはあった。佐々木さんは言う。ベットで流されていく人達に、手を差し伸べる人達の姿がここにはあった、と。こんな地獄のような光景が被災地で起こっていた。

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佐々木さんには4人の子供達と母と妻がいる。会館から志津川小学校にいるだろうという家族の元へその後に帰った。長女が「とうさん」と抱き着いて涙を流し、喜んだ事を今も思い出すと涙が出ると言う。娘は現在、大学でソフトボールを頑張っていると言う。「大地震が起こったらすぐ逃げる」「3.11を忘れるな」は震災から得た教訓である。私は父から言い続けてもらっていた。


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2019
04/13

新教育長の愛へのこだわり


南三陸町志津川のそば処「京極」の天ざるを、少し贅沢に1200円の晩御飯とした。震災前の南町にあった店は、震災後に商店街に入り、震災支援のお客様をもてなした。現在は中央団地で新しい店舗で営業をしている。先代からの京極を知る私には、その進化の過程も楽しんでいる。今後も京極さんを愛する皆さんの為にも頑張って欲しい。今日あたりどうですか。

南三陸町の新齋藤教育長さんと話す機会が、他の議員よりも接する機会が多分私が多いだろう。母校の志津川小学校の校長時代も話す機会もあった。これまでの校長先生の皆さんとも、議員になる前から校長室で、子供達の教育について話しをした。新教育長さんは、「郷土愛」「子供達の友情」「支援への感謝」を、事ある席でのあいさつに語る。「友情」は互いの信頼と相手を思う愛がそこにはあると私も思っている。
昨日は前教育長さんの退職、これまでの町の教育への取り組みに、議会民教委員会で「感謝会」を開催した。素晴らしい人生観と、南三陸町教育長時代の労苦と、対場への一人悩み考え、この職を何とか全うしきた、それは周囲の皆さんの支援と議論して行く事で、自分が磨かれたと話す。素晴らしい教育長さんと共に、大震災の教育環境の再建に尽くして来れた事は、私の本望である。
スポ少での活動や子供達との交流を通し、今もその子供達の成長の節目で蔭ながら支援をしていき、これからも係って行きたい。

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民教委員会は住民の病院環境の整備と、病院経営の実態と今後の在り方についても調査している。5月には健全な経営に取り組む、先進病院の調査で町外の病院の実態を調査する。メンバーは5人で、互いに気心が理解しあえる委員へとなってきた。その影には委員長の行動と言葉がある。町の病院には、まだまだ問題が山積していると感じる。


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2019
04/12

スポ少結団式の今年への意気込み


南三陸町のスポーツの大好きな小中学生がアリーナに集まった。新教育長の挨拶の激励、御両親へのご理解をお願いした。素晴らしい子供達のスポ少への取り組みの言葉は、地域の人達に感謝と仲間と頑張り、両親への協力も語り、今年の勝利への意気込みが、こちらまで伝わって来た。(結団式より)

桜田五輪大臣が辞職した。驚くべき発言が続いていた。読み間違えもあるのだろうが、「れんぽう」「1500円」などがあった。サイバーセキリティー担当大臣も兼務の質問に、「USBメモリー」の話がでた、「触らない」「使わない」など、役目とどう言った物かの答えが、この言葉だった。情報管理体制での「ハッカー」「サイバーメール」「ウイルスPC連鎖」など、その防御には多くの知識が伴う。
水泳の池江さんの白血病の発症での「がっかりだ!」発言は、期待していた選手の離脱への正直な言葉だが、ここで言っては駄目だろう。安倍孫理の国土交通副大臣の辞任があったばかりでの、立て続けの大臣辞職の影響は避けたいの、自民党の考えがある中で、あり得ない。最後は「復興以上に議員を応援したい」の発言はアウト!だろう。復興五輪の合言葉の中で、この言葉の先には何が起こるかを考えない、リップサービスはあり得ない。
桜田代議士の政治生命は終わった。岩手県選出の「応援したい」と言われた、「高橋氏」は比例の出馬ながら、この反発の影響はないのだろうか。公明党党首の「怒りを禁じえない」の発言までも言わせた。

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一昨日前の南三陸町戸倉地区のギン鮭の初水揚げがあった。今年も何事もなく成長し南三陸町に大きな利益の循環になって欲しいと願う。
女川町はギン鮭水揚げが1位で、この販路拡大は「ブランド力」にかかっている。
昨日はテレビの千なんの銀鮭の丼が紹介されていた。「銀鮭いくら丼」だった。銀鮭はサブで主役は、銀鮭には無い「イクラ」で、無理にマッチングした丼のように私は感じた。

南三陸産の「ブランド伊達銀」は、刺身でも焼いても最高に美味しい。



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2019
04/11

火事! 雪! 色々な事が起こる南三陸町


志津川高校の新入生への歓迎の「高歌斉唱」が恒例となった。「東の空に……」懐かしい。今年の志高への後輩数は「72人」で、学業にスポーツと友達つくりに励んで欲しい。頑張れ志高の精鋭たち!

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朝6時に起きてビックリ。雪が降るとは言っていたが、となりの工場群の屋根には季節外れの雪。タイヤを普通に取り換えた方も多く、シャベット状の道路の雪、運転には十分気を付けて頂きたい。そんな多難な「南三陸町」。

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2019
04/10

町に新しい風を


時代の流れながら少子高齢化で、今年は母校「志津川中学校」に75名の新入学生となった。正に「平成最後の入学式」だった。
後輩にはやめと希望に向かい「風」を起こして欲しい。私たちの50年前の半分です。

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在校生の「歓迎のあいさつ」は、勉強や部活で困ったら私たちが支えて上げます。と言い。「誓いの言葉」では、たくさんの事を学び将来の事を考えたい。楽しみにしているのは部活と話す。
母校は「女性達の進出」を感じる。二人とも女性徒が立ち、素晴らしい挨拶に感動した。

「ひきこもり」は以前なら20代30代と考え、国は調査していた。政府は今回、40代50代を調べてみたら、「61万人」が両親の元で家から出られないでいた。「人との話ができない」「どうして生きれば判らない」んど、信じられない言葉が返って来た。
昔は親が忙しくて子供にかまってやれない時代から、今は親が少しの楽さがあり、子供の好き勝手にさせて、可哀そうだからと、何もしない事を良しとした。そんな考えが現代の「ねじれた生活」へと繋がった。自立できない子供と、過保護な大人が、そこにいる気がする。

一部の若者は、楽して金を掴むといった考えの元で、オレオレ詐欺の「受け子」や、タイでの海外に渡航して日本への「かけ子」の、犯罪に加担した事件となった。

昨日は玄関の雨除けの屋根が出来て来た。午前は家を空けるが、96歳の父と大工さんが留守番をする。


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2019
04/09

この子供達に町の未来は託される



母校「志津川小学校」の入学式、私も56年前にこの場所に居た。南三陸町の少子高齢化の中で、今年の入学生は、全町で71人、母校へは23人が入学した。過去の昔は「約160名」の仲間と共に、桜の下をくぐり木像の体育館前での入学式、記念写真をその前で撮った。広田さんは元気かなー。

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小学校に入学し初めての「お仕事」の、記念品の授与式は、どれ程のドキドキだっただろうか。おめでとう! そしてご苦労さん。

昨日から自宅と工場の「渡り廊下」の工事に入った。雪や雨の降る時は3m余りの間ながら、何度も繰り返す出入りは、濡れる事も多く紙を使う印刷業では、あり得ない環境だった。1週間で終わる工事ながら、また新たな出費となる。

父の従弟筋の伯父が入院から退院となり、病院で「介護認定4」となった。町にはリハビリ施設として病院はあるものの、リハビリはできないと言う。
介護施設の友達に「リハビリ施設は近場にある?」と聴くと、南三陸町では「歌津つつじ苑」と「ハイムメアーズ」にあるが、現在は受け入れは難しいと言う。気仙沼の小泉の「はまなす」の老健施設なら、ショートでのリハビリは出来ると言う。通所でも可能と言う、良い話を聞いた。この話を是非とも早く伝えたい。

今日は母校「志津川高校」の入学式です。

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2019
04/08

松原公園の今


南三陸町汐見町の海岸にあった「松原公園」は、内陸の助作地区に5m嵩上げした場所に整備された。野球場・陸上トラック・公園が今年中に完成する。その奥では赤土の農地が整備され、トラクターが土作りに稼働していた。山側にはトンネル跡も。

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遠くからでは判らない光景がある。隣接する土地は「換地」で農地として地権者に渡されていた。換地の土地は全てが「宅地」との町の発言は、いったい何だったのか。また新松原公園には、既に石碑が建てられ、公園には遊具が整備されていたが、その土地はコンクリートで固められていた。
以前あった「助作上水道」が今も窪地の中にあり、黒のトン袋が重ねられ異常な光景に私には映った。このままなのかは是非とも町に聴きたい。このままなら、運動場として、公演として危険と思うが安全対策は、どうするのかをだ。

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農地として広大な土地が赤土で広がる。キャベツの他に、その他の野菜も育てられているようだ。立木が植えられ、ブドウ・ブルーベリーかと推測する。緑で覆われ、公演には多くの家族連れでの賑わいが生まれる事を願うばかりだ。土地の耕作にトラクターが赤土の上を走る。

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2019
04/07

風の日は風のか中を


南三陸町からの脱出に成功。宮城県白石市の「白石城さくら祭り」に初めて出掛けた。我が家から1時間45分でした。自由に歩ける内に知らない所を見て置きたい。「うめん」の町としても有名。東北道路に直結の城下町で、企業誘致も沢山ありました。

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白石市の東北本線の駅前に「長寿庵」があり、老舗の佇まいを醸し出している店を見つけた。時間は午後1時半過ぎ、店内は一段落ついていたようで、注文は写真のセット物とした。春のふきのとうの天ぷらは、独特の苦みが私は好きです。白石の名産品「うーめん」があり、なめこと大根おろしが、白石の長く続く伝統食材を引き立てていた。さすがに腹もいっぱいとなり南三陸町への帰路に付く。
帰りに「村田道の駅」と「おおさと道の駅」を回りたい。

テレビで「リューアル」の大郷道の駅は、外観は変わらないようだが、店内の陳列や商品の開発を含め展示物が拡大していた。食堂の新設もあり、地元野菜の展示も拡大とかり、一般的な道の駅に比べても充実していた。駐車場が足りない気もするが、石巻の「上品の道の駅」よりも店内も野菜の品数も、商品も3倍以上の品揃えで、来場者の求める物が全てあると言っても過言ではなかった。他の道の駅は町の消費拡大の為に、日々進化していると私は思う。しかし、我が町の道の駅構想は、いまの志津川商店街そのままと言う。あり得ない構想だ。弱小農家を守る態勢は南三陸町には無い。

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今日も朝から町民の方が、志津川の商店街の「南三陸マルシェ」には、品台に野菜が無いと懸念していた。これで、この場所を「道の駅に!」と言う町の構想は何処か可笑しい。
農業の第六次産業化を議会の議員も声を大にしていても、取り組むつもりはもうとう無く、あくまでも商店街の今のむ形を存続を決定している。
時代に遅れる町の計画と構想は、いったい誰の為かというと、商店街のこのままの存続をするとの考えに、地元トップはまっしぐらだ。
南三陸の住民の疲弊は加速し、一部の人達の為に復興交付金を充てている事に、町民は気付かないといけない。水面下では佐藤町政の存続の後継者も決定し、その方向へ進んでいるようだ。全責任は住民の選択による物と思う。

涌谷町の財政危機のなかで、一つの問題が副町長を辞職させ、その後の問題もあり町長が自殺した。一部の人間の町政への疑問が、こんなにも大きい町の変化をもたらした。「アリの一穴岩をも通す」、こんに事が起こった。

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2019
04/06

「KODOMOラムサール」南三陸町で開催(2)

1道9県から小学生32人が集まった
平成の森で2月11日発表会

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 2月11日午10時から平成の森アリーナを会場に「KODOMOラムサールin南三陸町」が開催され、町民・登録地区・関係団体で会場に設けられたイスは満席となった。
 今回の南三陸町での「KODOMOラムサール」は北海道から熊本までの9湿地で37回目となり、小学校4年生から6年生の32名が参加した。南三陸町からは志小6名、名足小2名、伊里前小1名の9名が参加し、他の地区の仲間と共に「南三陸町の宝」を探し交流を深めた。
 町長の歓迎のあいさつでは、「ずいぶん寒そうな顔をしていた」と開催からの3日間の気温の低さの中での活動をたたえた。そんな中でのカキ・ホタテ・ワカメのしゃぶしゃぶは美味しかったでしょうと、語った。「震災を体験して自然の力というのはすごいなと感じた。」「この機会を利用して今後に伝えるためにも、仲間を創っていただきたい」と子供たちにお願いした。
 会議に入り、コーディネーターの中村先生が子供たちの考え・意見を引き出していく。2006年に4人の子供が国際会議に参加したことも伝えた。
NGOラムサールセンターでは、「子供が主役」と語られた。
 子供たちが見た「南三陸町の宝探し」では、自然に関わる事が大切、山と海の循環が大切、復興を祈る心が大切など、多くの意見が出された。多くの住民の皆さまとの交流で、優しさと強い力を感じたと述べた。

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 ラムサール湿地認定となっている9地区に、南三陸町を含めた子供たちから、自分たちの湿地の良さと環境を報告した。その後で「南三陸町の宝」として議論を交わした。
 志津川湾は分水嶺があり、海と山のつながりが生活を支えている。ASC・FSCを2つ持つ事を宝にしてほしい。海と森の関わりが「生き物のため、人のため、南三陸町のため」。ラムサール・ウタツ魚竜は世界に誇れるもの。自然にたずさわる人々「人が宝」であり、人を入れたい。
 子供たちの多様性の考えが発表された。「意見を言い合う事で多数決できめるものではない。」と中村先生は話す。
 ポスター作成では、1つの宝として「キリコ」を入れた方が言いという。それは復興をして来た証だからで、南三陸町と言えば「キリコ」と伝えてほしい、と言う。
 最後に「宝の贈呈」と「終了証書」が授与された。

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2019
04/05

愛の福袋、新小学一年生へ広島から届く


志津川商工団地内の桜の小道を、コースを変え初ウォーキング、防災無線を撮影すると、その5分後にサイレン、9時13分「歌津寄木で建物火災」、偶然って凄い。大火にならない事を願います。

昨日の国会は飯田副国土交通大臣の「総理・財務大臣への忖度問題」で、又も国会が混乱した。何故、総理は辞任させないのか、自分の身を守るためなら、大臣の失言・行動は日本のトップは何もしないと、世界に公表しているようだ。
宮城県涌谷町には震災で多くの南三陸町民が移住した。「イイ所ですよ!」と皆が言う。そんな町で何が起こっているのだろうか。8月の町長選挙を前に、昨日対抗馬が名乗りを上げていた。また、町政への指摘のビラが私にも届いた。今朝の報道で「涌谷町長自殺が?」との一報が入った。町民の生活を守る町長が、町を混乱させる奇怪な行動は何なのか。問題があるなら、潔く辞職をすればいい。
自分の身の処し方を知らない政治家が多くなったものだ。何にしがみ付いているのだろうか。誰かを守るため、自分を守るためにしか見えてこない。

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2011年から被災地支援をしている、世界女性連合・広島第一連合の愛の福袋活動は、石巻・気仙沼・高田・南三陸町など仮設への支援があり、南三陸町では音楽会や障害施設、幼稚園・新設の戸倉小学校への訪問支援など、袖浜の「明神崎荘」を拠点として、千葉印刷が受け皿して活動支援をしてきた。
昨年から震災後に生まれ小学校への入学の児童に、入学祝いの「愛の福袋」を送る活動をしている。今年度は新教育長の齋藤明氏に、教育長室にて広島からの福袋を直接教育長に届けた。
偶然にも昨年、南三陸町の教育環境と子供達への支援在り方について、山内前志津川高校校長さん、志津川小学校前校長の齋藤明先生を迎え、交流会を開催した。その時の齋藤先生が今回、南三陸町教育長となり、町の教育を主導する立場となり、南三陸町の子供達を守って行く。偶然は凄い。

今日は議会広報の委員会が一日ある。


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2019
04/04

「KODOMOラムサール」南三陸町で開催(1)


 2月8日南三陸プラザを会場に「志津川湾ラムサール条約湿地登録」の祝賀会が開催され、南三陸町・近隣市長・環境省・安住衆議員議員・県会議員を始めラムサールの国内関係団体・町内協力者など80名余りが集まった。また今回同時期にラムサール認定を受けた、東京都「葛西海浜公園」からも3名の関係者が出席した。
 概要説明では水産課の阿部拓三研究員が、志津川湾の湿地の特殊な環境を伝えた。町長の挨拶では、候補地として漁業に影響が無いかを調査した。決まった矢先に大震災が起った。環境省で2年余りの活動があり、復興のシンボルとしてラムサール条約に至った。活動として「教育交流」「環境保全」「ワイズコース」の3つを柱に、県内の他2つの登録地の市長さんと連携していきたいと語った。

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2月9日の2日目の日程は、「南三陸の宝」を探す自然体験を歌津地区の館浜漁港に於いて、歌津漁協の協力を受け、岩場に群生するフノリやヒジキなどの海藻を採取し、志津川湾の海の幸に触れた。
 2月10日は、ラムサール認定登録を受けた、志津川湾の恵の体験に戸倉地区のワカメ養殖の現況を見に、漁師の漁船に乗船し、豊かに実った海から引き上げた養殖ワカメに驚きの声をあげていた。
 戸倉地区では養殖施設を、震災後に3分の1に縮小し、養殖カキの生産でASCの国際認証を取得し、自然環境に配慮した漁場への変換に成功した。

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2019
04/03

梅と雪…桜と雪も

4月の3日なのに外は薄氷が張っていた。今日も1.6K歩く、肌を刺す寒さが刺激的で、やめられません。
昨日もトラブル続き、心も体も疲れ気味です。以前なら350のアサヒスーパードライを2缶、つまみは南三陸町の刺身で、次の日にストレスを引きずらないようにしていたが、そのコントロールができない。

嫌な事があった時は、同等の喜びがあり、バランスを私は取って来たが、問題や対応が後手になる事で、頭もスッキリしない日々が続いている。「なるようにしかならない」との座右の銘も、心の解決にはなっていない。

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胃のための休缶日。(お酒控えた方がいいですよ)

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野菜を食べないといけないと、4年ふりで「ポトフ」を作った。何故かと言うとキャベツが一個半あるからだ。中身は写真のとおり、野菜中心のスープでした。コンソメと塩コショーで、野菜から甘みが出て絶妙の味だった。今は煮込んだものがあるが、味は落ちていた。ベーコンを入れたらもっと美味しいはずです。

昨日は登米市を3回往復した。
志津川インターから三滝堂インター間に、一か所の上りの追い越し車線がある。私は時間に制約されない限りは、80Kで常に走行し、追い越しされて当然と思っている。昨日は雪がちらつく中で、赤のスポーツタイプの車が、追い越しを掛けた前の車を追い越し、車線に戻る矢印、危険エリア白車線を突っ走って行った。危険極まりない走行に、こちらが危険を強く感じた。この区間は上り下りが一か所の追い越し車線があり、雪降りの中、タイヤを普通替えた車が、時速40K前後の走行となり、イライラしてのスピート加速と思う。このスピードは私の走行スピートと比べても「120K」は遥かに超え、大型トラックをギリギリで追い越し車線に入った。

昨日も18歳の男女2名ずつの乗車した、軽ワゴンが走行不能となり横倒し、そこにトラックが突っ込み3人の若者が亡くなった。まさに車は運転しても走行しても「凶器」となる事を実証していた。





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2019
04/02

5月1日から令和


テレビでの女性書家の「令和」に感動。午前11時41分に発表され、すぐさま書に入った。墨も垂れない事にも、令(良き)和(平和の世界)に合掌。

千葉賢二郎・96歳はあと1か月で、4つの元号の中を生きぬいた雄姿として、今後も尊敬の念でいっぱいです。
大正12年に生を成し、昭和の戦争を体験し、平成の厳しい時代を生き、令和の時代を5月から迎える。まだまだ元気な私の父、100歳まであと4年、その時には父の生きざまを、ゆっくりと聴いてみたい。今は「うっとおしい」けど。

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日曜の畑の草取りの時に、ニラを昨年一株植えていた事を思い出す。1月に植えた「春菊」「レタス」は一回収穫して、寒さの中で土に返った。ニラは強い野菜、植えた時はひ弱な苗が、こんなにも太々しく成長してくれた。
一か月したら「お汁の具」にでもしようか。料理のレシピを考える。楽しーい!

派遣職員の方々は優しい住民対応と感じる。45歳前後の公務員のベテランはさすがだ。しかし、若い職員は地元なじめないでいる気がする。
以前「ツイッター」で被災地に来た派遣職員の方がつぶやいていた。その「つぶやき」に目を疑った。神戸の派遣の方は、今も南三陸町への支援・応援をしている。昨年は我が社を訪れてくれた。地方公務員と大都市の職員とは、少しの差がある気もする。

「今がチャンス!」。都市の派遣の人達との交流で、多くの経験があり、相手の良さを吸収して欲しい。私の職場にも同級生が「再任用」で来た。よろしく!

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2019
04/01

また雪!


一昨日は南三陸町には午後3時頃が大雪となった。週末の移動時期で帰宅や帰省での車は混雑していた。そんな中での3月末突然の雪に、高速道機能も混雑状態、トンネル内や出口は突然に減速となり、多くの注意が必要な運転となった。
まだ3月、今の南三陸町の初春を侮ってはいけない。3月は勿論、4月にも1~2回はどか雪を覚悟しないといけない。気温の乱高下があっても、私は4月までは冬タイヤを替えるつもりはない。
三陸道の高速道路延伸は時間の計算ができるが、雪では一揆に想定も計算が変わる。石巻からの帰りは減速の最大は「40K」までとなった。それでも追い越し車線では区間終わりの道路指示でも、ギリギリまで追い越しを掛ける車を見る。「危ねー!」、私は流れに乗り、通常は50分余りながら、何もなく帰宅は最大のお土産だ。1時間余りで帰る事ができた。

「結婚したーい!」と思っている方、ご一報ください。春です「恋の季節」がもうそこまで来ています。

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私特製のカレーライスはごろごろ野菜とホタテ・海鮮の入った物です。カレーの下にはトンカツ・キャベツ線きりと目玉卵の大盛です。
少し食べ過ぎ感のある晩御飯でした。

元号が菅官房長官から紹介され、総理の挨拶はいらないと思っている。メディアに数多く出て、自分の言葉の発信は選挙運動で、何事も選挙と数の確保が優先で、生活弱者・弱小事業所は二の次と私には見える。

4月から色々な物が上がる。国民年金の掛け金が「70円」上がり、1万6410円だった物が「1万6480円」となる、引き替えに国民年金が「0.1%」引き上げられる。町民生活と直結している年金、満額6.5万で生活が出るだろうか。国民に最低限の生活がこれで保障されているのだろうか。子育て世代への支援と、老人施設の職員と保育所施設の数と保育士の確保に、多額の税金を回す予算と言える。防衛費の増額は、米国大統領への安全保障の担保と私には思える。戦争放棄の国に軍備が必要だろうか。

こんな私が考えても何も変わらない事を思うと悲しい。野党が与党と対等に戦える国会運営を望みたい。鳩山や管以外の体制で。

カレーの話があり、こんな事も考えている。

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