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ARCHIVE - 2019年03月

2019
03/10

義務教育からの卒業


卒業生「86名」が、共に支え合い学んだ学舎からの卒業。
南三陸町志津川中学校の卒業は、最終番号の「12093」に、長い歴史の重さを感じる。


過去へは戻る事は無いが、過去の状態に戻す方策には、30年50年後に向け努力する姿勢が必要だと思う。
私の時代は50年前で卒業生「240人」居ましたが、私たちの時代後、生徒数は減少の一途です。決して震災だけでの激減では無い気がする。教室は大分古い木造校舎で、40名を越え部屋はいっぱいで、床はもちろん木製で、牛乳を溢すと間から職員室に落ちた。私の下が当時怖かった「赤川教頭先生」でみっちり絞られた事を思い出す。
住民の結婚感や子供の誕生への両親の啓発が薄かったと思う。自分勝手な言い分で、家系の存続への意識の低下があった。
「三高」など異性に自分以上の物を求めた結果が、日本国民の将来へ繋げる事が欠如してたと思う。また、社会情勢の変化もあるが、戦争の悲惨な時代でも高度成長の中でも人口は拡大し続けた結果もある。

******明るい情報*****
農林水産大臣賞は、資源管理・資源増殖部門で宮城県のJFみやぎ志津川支所戸
倉出張所カキ部会が受賞。東日本大震災後の再出発に際しイカダの数を3分の1に減らしつつ生産量を2倍にするカキ養殖を実現。分配の踏襲制をいったん白紙にして後継者の有無などで加算するポイント制を導入した。 
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震災時に私が避難した高台「旭が丘団地」から眼下を望んだ。
総てが跡形もなく津波で流され、残ったのは三階建ての「県福祉事務所」だけが残った。私の大先輩も入谷地区に避難する前に、助作の高橋校長宅に回り安否を確認してからだったので、津波襲来の速度の速さで、ビル三階へと導かれ助かる事ができた。
向かいの山からの火災は、新井田・天王前地区の、自動車会社付近から出火し、町民避難のアリーナへの延焼も心配された。ここでは津波で巻き込まれた人たちが、火災で焼死となったとも聴く。知れば知る程、大震災の悲劇ばかりがあるが、決してそれに目を背ける事無く、2011.3.11の東日本大震災を、その津波の脅威を忘れてはいけない。

今後、震災から撮り貯めた写真を後悔したいと思っている

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