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ARCHIVE - 2019年02月

2019
02/28

津波警報で何度避難しただろうか


南三陸町志津川字本浜町の避難指定場所に、東日本大震災の津波本標柱が立ちました。志津川上の山緑地は12m位だろうか。津波は16.5mでこの標柱は津波到達を示している。記憶の継承だと言う。10m嵩上げの生業の場所から、何処へ逃げればいいのか。

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私が4歳の時にチリ地震津波が発生した。5mの津浪で海辺の小さな漁村が被害を受けた。昭和35年5月24日に事だった。この津波で防潮堤が町を守る為に建設され、高さは津波と同等の5m位だった。堤防に鉄で階段も造られ、子供の頃良く防潮堤に登り遊んだ。
私の記憶には津波の襲来の風景は無い。津波後は地震発生ごとに地区民・家族で必ず逃げた事を思い出す。大震災の前年にも大がかりな非難が「上の山緑地避難所」で実施された。この時は自衛隊・中学生・町民が、炊き出し・救助訓練を大々的に行った。偶然かも知れないが次の年の23年3月11日に東日本大地震の津浪が発生した。

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「忘れた頃に津波はやって来た!」。10mの嵩上げで避難場所と同じ高さ位まで、市街地に土が盛られた。人はまた津波の脅威を忘れつつある。震災復興の工事で建設会社は潤い、町民は町の計画どおり高台の住居に移転し、静かに町のやりたいような都市計画の中で暮している。

この地域の高台にも住民は住んでいる。「何処に逃げればいいのだろう?」、津波の備蓄品も生活用品もない。津波対策の遅れを感じる。

今後も同様な本標柱が津波到達場所に設置される。

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