FC2ブログ

ARCHIVE - 2018年12月

2018
12/31

2018年最後の日


2018年12月31日の大晦日、年末の昨日330日もこんなにのんびりと迎えられる日が、2011.3.11から訪れるとは思ってもいなかった。福島の原発の周辺の自治体は未だに人が住めない所がある事、人類の文明の発展でも解決できない事が、この災害で証明された。
原発の輸出国の日本、新たな問題として多額の安全費の増額で、日本の原発企業は世界からの撤退を余儀なくされた。
人口の減少の中で外国人の働き手を増加する。フィリピンは貧困の格差拡大の国ながら、1億人の人口がある。一日の1人の生活費は貧しい人で「200円」とは驚く。しかし、人口が拡大している。日本は子どもの育成の為に多額の国費を支出する、こんな政策はフィリピンにはない。国民の生活が貧しくても人口は拡大はしている。インドも同じような事が言える。本気で人口減の日本の訳を分析すべきで、一番思う事は日本の習慣継承・家庭崩壊が原因だと思う。

こんな自分の思う事をブラグにした「南三陸町から愛と死と希望を見つめて」も、1007.9から始め、今日まで「20万7千回」のアクセス数となった。震災前の映像もブログにはある。2011.3.11を予測していたかのような、ブログのスタートがあった。
12月の下旬の撮影した太陽が、人々を公平に照らし続ける。明日の元旦も確実に太陽は貧しい人にも富める人にも公平だ。人の冨は是非とも同じように、人に公平になれば最高ながら、私も保身の心が芽生えつつある。

181230_184442.jpg
今年は「テレショッピング」に年末はハマった。初めに牛皮の財布、バックとペンケース、スクワットマシン、そして「おせち料理」でした。初めに耳の遠くなった父へのプレゼントの「補聴器」から始まったが、だが現在まで「箱入り」のままだ。震災直後は1980年代のフォークソングから、TRFのダイエットCDなど、その時は何か気のまぎれる物だった。今は少しの贅沢品で、高い物で15000円~6000円程の買い物だ。写真のおせち料理の内容は明日らでも紹介したい。

何とか今年は大きな問題も無く、一年を終えられそうだ。今日ものんびりと一日を過ごしたい。昨日は「富士山駅伝」と、「日本レコード大賞」のアイドルたちの姿に目を奪われた。こんな時代が懐かしい。私が40歳代前後は走り続けた時代、その時は「良き時代」で、問題もあったが充実した人生だったと言って置く。

スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:35 】

2018
12/30

南三陸名物


20年も前から「志津川おすばで祭り」があった気がする。震災後も復興市との絡みで続いている。
以前と変わらぬ賑わいは、新鮮て安い水産物が南三陸町にあるからで、それを支える多くの商店主や、取り巻く皆さんの御蔭と感じる。「志津川のマダコ」に関わらず、地元の蒲鉾店やカジキマグロ・たら・海産物が一同に集まった。
寒さの中を朝から来場してくれる皆さんに、温かい汁物が振る舞われ、そこには行列と大鍋の湯気の中で、美味しそうに食べる来場者の行列が出来ていた。

IMG_8881.jpg
目当ての品を開店の8時30分前から、店の前にも多くの来店者が山のように群がった。やはりタコや蒲鉾、水産品の店には人が多いが、ご飯物・焼き物など、その場で食べるのは、買い物が終わってからと、9時過ぎには買い求めた物をほおばる来場者でテーブル席はいっぱいとなっていた。

まだまだ駐車場が足りなく、入口の警備員が「満車」の看板を9時には掲げていた。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:49 】

2018
12/29

一足早いお正月


我が家「宮城県志津川」のお正月のお祝い魚「子持ちナメタカレイ」を95歳の父の為に作った。これが一番の大好物で、母のが一番美味しい、息子の手料理も喜んで食べてくれる。

昨日、入谷地区の魚屋さんから2500円で買った。6切れの子も持ちナメタカレイで格安だった。仙台の商店では同じ大きさ6切れが、4500円だった。
今日は南三陸町のイベント「おすばで祭り」が午前8時30分開かれる。昨日の来店の人は「明日混むからね」と、志津川のマダコを沢山買っていた。今日に合わせ商店では「タコ煮」で大わらわの風景が、写真で地元紙に掲載されていた。煮汁はこれまでの物を取り置き、同じ煮汁で茹でると綺麗な色が付くと話していた。

三陸道の救急車事故は異常な事だったと言う。気仙沼・本吉広域事務組合の気仙沼の職員(運転手)が、「業務上過失致死」で検挙された。1人死亡、運転手を含め6人が怪我をした。当時の事を運転手は覚えていないと言う。24歳の職員は救急車を運転し1年弱の経験者だと言う。若者たちの「記憶にない」との事件が増加しているのだろうか。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:55 】

2018
12/28

道路交通網の拡大加速


今日で我が社も翌日から6日間の連休に入る。私は何処へも出かける予定は無く、家にいる事にした。大寒波の襲来で今朝「初積雪」となった。寒々しい一日となりそうだ。

昨日は石巻市と登米市にお歳暮を届けに回った。登米市の大叔母は90歳でも元気で100歳までと私は懇願した。私の父も95歳で二人には、寝たきりとならないで在宅介護で天寿を全うして欲しい。

石巻までは40分で市内のお客さんの所までは15分もかかる。高速道は利便性の恩恵がある。帰りは登米市に回る。年末最後の仕事の為の用事をした。来年の1月の仕事は忙しくなりそうだ。今年最後の「回転寿司」に回り、ずわいカニの茶わん蒸しで、一足早いお正月料理を食した。

181227_123632.jpg
お正月の蒲鉾を届けで「余計な事はしない方が良い」と叔母叔父に指摘された。また一つ問題を抱えてしまっている。困っている人の事を考えると、お手伝いと助けてあげたいとの気持ちが、フツフツと湧いてくる。性格だものしかたがない。

181228_044350.jpg
三陸道の登米インターと三滝堂インターを午前と午後に二回通過をした。午後は1時30分頃だった。会社に戻り2時頃にパトカーのサイレンがいつもとは違って聞こえた。火事かなと思った。その後2時過ぎにラジオで三陸道の事故発生と伝えた。勿論、区間は通行止めとなった。その事故に絡んだのが救急車であり、病人に同乗した付き添いが死亡した。何故、1車線の道路で事故となったのが不思議だった。これで南三陸町まで開通した高速道で、二人目の死者となった。

年末は明日まで冷え込むとの報道で、29日の葬儀参列と南三陸町のイベントは、車の運転に気を付けたい。来町なさる方もくれぐれも気を付けて欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:33 】

2018
12/27

仕事納めに


今朝も死亡チラシがあり、南三陸町で二人の方が亡くなった。
震災以前は亡くなられた家の前には、死亡告知の看板が出され、「あの方が亡くなられた」と判るものの、今日は同じ部落の方だけど、誰かの見当もつかない。
現在町内の葬祭会館は、山形屋・農協・ひまわり・大雄寺さんの総裁会館があり、歌津泊地区の方は地区の集会所を活用していた。
28日が友引とあり、今日に葬儀・告別式が集中している。今年最後が恩人への参列は29日となる。

昨日も急遽、大上坊への入口の広畑地区の、ひまわり葬祭場に行った。父に亡くなられた方の事を聴くと、祖母方の親戚筋で、奥様が若かりしときに我が社で働いていたと言う。大森地区の大石さんと言えば、だいたいが判る方の死だった。こないだ参列した方の兄弟筋で、90歳前後の方が震災から8年目にして、バタバタと倒れている気がする。
父には長生きさせたい。大石さんとは「多機能福祉施設」で一緒だったと言う。健康を崩し、施設(老人ホーム)に入り、病院の養老病棟に入院し、その後で亡くなる形が、高齢住民の逝去の道筋となっている。

181226_092331.jpg
工場の後片付けで、従弟から貰った「キューイ」に林檎を入れ熟され、美味しい状況となった。今日にも味見をしたい。年末に入り「お歳暮」がいろいろ届いた。今年はお返しを「ホタテ貝」にした。長野の知人は「こんなにも」と大喜びだった。奈良の知人にも同じ物を送った。先輩からもホタテのお返しが届いた。

人の出逢いは偶然であり、東京から人を訪ね来社した方から、丁寧なお手紙を頂いた。私の従弟も都会に毒され、従弟間でも連絡が取れない状況がある。都会で成功し挫折すると、人に迷惑を掛けてしまい、最悪の状況で「保護士付」となった。人に迷惑を掛け生きる人間が私は許せない。逆に被害を受ける側で良かった。震災後の混乱では、憂える物と悲しい人間の格差が被災地住民の格差を生んでいる。

今日は御世話になった方に、南三陸町での製造の「マルセンの蒲鉾」をお歳暮として、石巻と登米市に回す。帰ってからは最後のゴミ投げです。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:01 】

2018
12/26

年末に向けて

アワビ18年
23日は天皇誕生日でした。この日に合わせ南三陸町歌津のハマール歌津」でアワビ祭りが開催されました。360Kのアワビが「900クラム7万円」で販売され、数時間で完売となりました。七ヶ浜から来た方は、「肉厚のアワビのシャブハャブをします」と話していた。宮城県一のアワビ水揚げの産地、漁師の心意気が感じて取れます。
23日の開催は震災後に見舞いに来てくれた、天皇陛下への感謝の意味も込められています。ヘリコプターで下りた立った伊里前小学校の下に、アワビ祭りの会場となった「ハマーレ歌津」があります。さぞかし大賑わいだったと思います。是非、高速が今年度末に「歌津北」に完成しても、遠回りしても歌津に来て下さい。歌津の住民の優しさがこの商店街にはあります。

181226_063835.jpg
今日の河北新報のチラシには4軒の町内の死亡チラシが入っていた。初めての事である。
その中に、私の活動の恩人「阿部繁夫」さんも亡くなられていた。南三陸病院への「透析施設の整備の陳情」の戸倉地区の代表として名前を連ねてくれた。震災後は戸倉西戸から、旧家に近い登米市の「横山仮設」で生活をしていた。震災から7年目に戸倉団地に家を新築し、暮らしていた。誰にも優しい事は、糖尿病でのヘルパーさんへの対し方で感じていた。大震災で奥さまと娘さんを亡くした。そんな境遇でも私には色々な話をしてくれた。以前は志津川農協の組合長で、農家の為に活躍してくれた。その時にも我が社を支援してくれた。また一人旧志津川町の重鎮が亡くなった。葬儀は29日に入谷地区の農協のやすらぎホールで営まれる。

その他に歌津の方と、志津川では権現と大森の方と、そして阿部さんの4人がチラシの掲載者でした。これでは人口減の対策なくして南三陸町の将来は、大変と痛感する。震災で止む無く町を離れた皆さんの、二世三世の方々には是非戻って頂きたいと願うばかりです。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:30 】

2018
12/25

津波これからは火山爆発にも注意


インドネシアでまた津波が発生した。火山の爆発で海底の地滑りでの津波発生だった。「地震が来たら津波」と言う概念が打ち消された。地震大国であり火山の多い国として、日本は認識されている。我が国もこんな津波の発生を想定すべきであると思う。
シンドネシアでは「スマトラ津波」が、今も記憶に新しい。こんどもジャワ・スマトラのマンダ海からの津浪だった。津波は5mでこれまで340人が亡くなり、120名が不明でけが人は1800人にもなると言う。海岸でのコンサート中の津浪襲来は驚きの光景がビデオに収まっていた。子供を探す父親、家族の安否を求める母など、何処でも津波の被害の状況は同じであった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:40 】

2018
12/24

私も天皇家を尊敬したい


昨日は天皇陛下のお誕生日で、御挨拶の言葉を5回は見ただろう。この言葉と内容に、我が国の上位がこのお方で良かった再確認した。
退位にあたり平成の時代を振り返った。2011.3.11の東日本大震災の映像が流れた。ヘリコプターで降り立った伊里前小学校から、前の歌津市街地の瓦礫の被災地から海に頭を下げた。天皇陛下は自然の猛威を「許せる」と、昨日のお姿から感じる。被災で孫と家族を亡くした千葉さんの、その悲しさに何時までも寄り添った。御付きの人が「御帰り時間です」とお声を掛けても、その場から立ち去ろうとはしなかった。と当時を語った。

181223_073045.jpg
昭和天皇の崩御を今も覚えている。「下血」が頭に残る。軍属・政治家の暴挙により、陛下が守るべき国民を死に追いやった、軍事政治指導者を止められなかった事を、玉音報送にあったと、私は感じとった。
未だに戦犯として合祀された人間と、その強権的恐慌に駆り出された国民の死を思い、「靖国神社」にはお参りを天皇家はしていない。この状況の中で、安倍総理を始め多くの自民の政治家は「榊」を供え、何に手を合わせているのだろう。私は天皇派でいたい。

181223_074207.jpg
今の政治は何処を向いているのだろう。「日米の安保安全保障条約」の中で、米国の基地を日本に駐在させ、ロシアの北方領土返還で、2島の返還も出来ないとプーチンは言う。米国軍が日本を守る為に基地がある中で、沖縄の返還は日本の国民の自由とはなっていない。ロシアも同じことを求めるのは当然だろう。米国へは今も基地の維持の為に、国民の税金が使われている。
しかし、米国が撤退したら日本の平和は、今の状況では難しいだろう。世界安定には米国の存在は大きい。平和の維持が無くなれば、日本とて「専守防衛」を唱えているが、最後には「侍魂」の中で、戦争を引き起こしかねない。
「平成は戦争が無くて良かった」と陛下は述べた。しかし世界は各地で戦争が起こっている。私も家族・日本国民が侵略の危機には、「刀」を持って戦う気持ちは、無いとは言えにない。この子供達を守る為に、政治は間違いを起こしてはいけない。

天皇陛下の御言葉に平和の大切さを思った。

181222_121400.jpg
次に家庭の平和である。土曜の仙台へはお世話になった方へのお歳暮を買いに行った。「成城石井」が仙台駅東口にあった。家庭平和の元は父の長寿であり、不安や心の落ち着きの維持で、この解決策は「食べ物」と「私の存在」だと思っている。石井で中華を主体に弁当3つと惣菜を3種、2600円で買った。あの「成城石井」だったが値段の安い事に驚きだった。

今日は仕事である。私は原稿を2種類仕上げる予定だ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:10 】

2018
12/23

一か月ぶりの仙台

181222_113446.jpg
志津川を10時に出発し仙台東口の駐車場まで1時間30分足らずで到着する。こんなにも仙台が近くなったものだ。子供の頃は仙台に父によく連れて行ってもらった。志津川の宮城バス営業所から、仙台の現在の西口まで3時間越えの旅だった。あれから50年、大きく仙台も志津川も変わった。時代の流れは良くもあり怖い。

東口の大駐車場に「ヨドバシカメラ」が移転するとの噂があったが、たち切れとなったのか、今も同じ場所に存在する。あの場所に駐車場は大変私にとっては重宝だ。今回はそのヨドバシカメラに行って見た。その規模の大きさに驚いた。クラリマス前で子供達のプレゼントを買い求めに家族連れが来店し、年末でボーナスも出てのためか電化製品の各階には、「ペイペイ」の100億円が終了した為か、ごったがえす事はなかった。外国人の姿もあり、仙台の活気が満ち溢れていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:30 】

2018
12/22

地元の同協会


昨日で今年の仕事の99%を済ませる事ができた。仲間達との会も昨日で終わった。志津川の商店街は今年の最後を締めくくる仲間・家族でいっぱいだった。町には少しずつ10mの嵩上げ地の、諸々の再建事業も始まった。仲間との情報交換ながら、我が会は他とは一味違っている。

「ワイズユース」と言う言葉を皆さんは判るだろうか。私の問に首長が答えたワードにあった。広辞苑を引いても無く、パソコンで調べてみた。
《賢明な利用の意味》で、ラムサール条約で提唱された考え方。湿地や生態系を維持しつつ、人類の利益のために湿地を持続的に利用すること。だと言う。

自分達の自然を守り抜く事と、将来への環境の保全と、後世に自然環境を残す事と理解する。それが自分達や地域に恵みをもたらす。自然を守るための個々が努力する事と理解する。

震災復興の中でラムサール条約の志津川湾の保全は厳しいと思う。認定にあたり今の海岸線保全の元に生物の生息に繋がる。自然と言う事を考えれば、人の手が加えられ過ぎた「志津川湾」、震災の津波防災の町づくりでの、防潮堤や河川堤防の整備は、自然の保全を考えれば逆行にも私は感じる。
震災復興を遂げてからの認定を目指し、認定を受けなくても地区民や行政が環境整備に、時代の流れと共にやって来た事で、今の自然が維持されてきた。津波防災と自然の維持は共存はむずかしい事とも思える。

この裏には人間の欲が見え隠れする。自分の名誉と観光開発の目論みと感じる。

181213_180515.jpg
月に一回ぐらい行く登米市の「ココス」。63歳に向かう高齢者前の私には、違和感もあるが、華やかな料理と新しい味に触れる事の喜びを感じている。
スパゲッティーは「ベロネーズ」「ボロネーズ」で悩む。20代に仙台で食べたイタリアン料理があり、良く食べたのが「ベロネーズ」でトマトベースのスパゲッテーにトンカツのフライが載った物で、仙台に行くと、弟といっしょに必ず食べていた。以前は駅前の3坪位の店で、その店が閉店し六丁の目の産業道路沿いで、同じメニューにハマった。

181213_175054.jpg
前回のココスでは「ボロネーズ」と「チーズオムライス」を注文した。実に美味い! 今月はまだ行って無いが、今年も残り10日、時間を作り行ってみたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:11 】

2018
12/21

南三陸町入谷地区にわけいりて


樹齢600年以上のイチョウの木からパワーを貰った。地域に宿り長い年月を見つめて来た。今なお太く高く地域に根差し、力強さを鼓舞しているかのようだ。

震災前に御世話になった「町観光課長」に三浦さんがいた。3.11の津波で殉職された。町の課長として自分の職務を貫いた、心優しい人だった。入谷地区に行った時に「三浦家の死亡看板」があり、知人に聞くと三浦課長の母と言う。優しい課長の現世への悔しい思いを感じる。親を送る事無く先に死ぬ事の無念さでいっぱいだろう。
東北農政局表彰を入谷の知人が受賞した。おめでとうございます。ドコモとの田んぼの水管理の実証実験で、成果となり農家の見回り作業の削減や、良質の米の育成に取り組んだ。ドミモの自動通信システムを利用しての表彰だった。
震災後に町の支援に入った。大学生やアミタ、ANAの森林の植林、NTTドコモなど、多くの企業との連携の、受け皿として地域で共に活動していた。フェイスブックで活動の状況を発信している。

DVC00177.jpg
一昨日・昨日は路上の薄い水が、寒さで朝から日中まで、道路の凍結が見られた。「スリップした」「危なかった」「小泉の橋では5件の事故」など、交通でのトラブルの報を聞いた。私も旧役場仮庁舎前の駐車場で「何か滑ってる」と感じた。止まってから駐車場内を歩くと、普通に滑る。これでは車の通行は危なく、大事故にならないで良かった。

DVC00173.jpg
昨日で今週4回目の葬儀に出席した。私の恩人・父の友・知人の父・恩人の父など、相次いで不幸が連続した。その他にも訃報を聞く。こんなにも亡くなる方があるのに、子どもが生まれたとの吉報が聞こえてはこない。他に移転した方の話は聞くが、これでは町の人口が13000人を割るのも当然だ。

ラムサール条約の議事録が届いた。読むにつれ「空しい!」と感じた。何故なのかは私にも解らない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:24 】

2018
12/20

南三陸町は福祉の町

181219_092238.jpg
昨日は志津川地区の荒砥地区に出掛けた。写真は旧荒砥小学校の前の防潮堤工事とラムサール認定の志津川湾を撮影した。
写真の奥の平磯地区の入り江は津波の被害で、海岸の家々が流失し多くが移転を余儀なくされた。現在は道路の復旧工事と、津波防潮堤の工事が進み、昔の思い出が少しずつ消えて行っている。海ギリギリを通っていた道路の高さは6m以上もあった。震災の前の年? 津波発生でビデオに撮ろうと、ここで多くの地区民と海を見つめていた。前の堤防が見る見るうちに見えなくなり、海上の漁船は海を舞った。襲来は1m弱だっただろうか。そして、今回の津波は地区民と見つめて高台の道路を越え10mもの津波が押し寄せた。これを私は大津波の前兆と感じる。

旧荒砥小学校前は津波の角度と、前の小さな半島が津波の襲来を防いだ。ここにはアワビ蓄養場が2社あったが、総てが津波により全壊となった。
震災後にこの跡地には「老人ホーム」が建設された。私の母も震災から寝たきりとなり、家庭での介護から、認知の加速でホームへお願いをした。
「いこいの海・あらと」は風光明媚な環境にあり、100年に一度の大津波も大丈夫な施設です。三階の角部屋で2年余りを過ごさせてもらった。色々な事はあったが家族にとっては感謝しかない。

181219_092050.jpg
向かいの岬にも同系列の「ハイムメアーズ」があり、施設に入所していた高齢者皆さんは、3.11の津波を眼下に見ていたが、自分達の暮らした町の姿は、襲来後に見て驚嘆したと聴く。

入谷地区には「慈恵園」があり、各地区にデイサービスセンターと、多機能福祉施設もある。現在は人工が13000人となったが、他の地区から施設の入居者もいると言う。震災後に「福祉の町」が再度、生まれつつある。
もっと高齢者と家族の住みやすい町になって欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:10 】

2018
12/19

現在の町は高齢者の住みにくい町に


昨夕5時からの本通夜に出席の為に、入谷地区にある農協の「やすらぎホール」に向かった。町はこの時間になると真っ暗で、まして山あいの集落の入谷地区、通る車も少なく街頭も所々と、高齢者の運転手は大変だろう。しかし、我が町の暮らすには車は欠かせなく、周囲のコミュニティーの再生もまだまだ時間掛かるだろう。

南三陸町戸倉地区にある「志津川電子」は、先代の社長に可愛がってもらった「恩」があり、そのお返しとしての行動をしている。昨年は現社長の祖母、そして今回の祖父と、前社長の息子さんが祖父母を送る役目を任った。前社長の死は早すぎた。豪快で大らかで信じた相手を最後まで面倒を見て、思った事を貫く方だった。そんな父の元での現社長は、会社を継続し、震災でも会社の維持と従業員の生活を守って来た。それは父の背中を見ての事だろう。先代の父親も亡くなった。素晴らしい方達の出逢いは私の財産として、家業の継続にも繋がった。健康でさえいれば、先代ともっと楽しい事ができただろう。

飲み過ぎ・食べ好き・タバコの喫煙など、寿命を縮めるリスクは、できるだけ回避した方が良い。家族の不幸を最小限にする事は、家族である事の役目と感じる。千葉賢二郎を世帯主とした家庭は、何とかここまでは他に恥じない生活だったと自負する。父も私もタバコは吸わないし、酒もほどほどで、これが二人だけの長寿の家庭を作っている。

181217_114354.jpg
年末を前に町内の道路工事は通行止め箇所が、数えるだけで10カ所を超える。町内の国道45後の汐見橋から、震災復興祈念公園と河川堤防の工事現場を、橋の中央の交互通行の先頭で止まった。チャンスと携帯で写真を撮った。待つ時間1分余り、「長―い!」。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:10 】

2018
12/18

怖いCPウイルス

入谷地区の阿部さんは行動派の先輩、入谷の地元野菜? を志津川東団地の「結の里」で、100均一で販売していた。そんな南三陸野菜を災害公営住宅に暮らす、皆さんに販売したり、町内の人達でも買える。素晴らしい活動に、さすが先輩とエールを送りたい。

朝にフェイスブックを見ていたら、「本田宗一郎の言葉24」と記事を見つけた。開いて見ていると「このページはウイルスに3つ汚染しています」と次の画面が出て、直ぐにページを閉じた。元のページに戻ったら、画面が少しずつ消えて行った。あわてて強制終了して画面を閉じた。
何とも無い事を祈って、いつものように「ブログ」を打っている。

CIMG6393.jpg
本庶さんのノーベル賞受賞は良かった。英語のスピーチもジョークを交え、スピーチをメディアは絶賛した。先生の着ていた羽織袴は「仙台平」だと言う。何の接点も無い方と思っていたら、私の母が私の為に誂えた「仙台平の羽織袴」と同じだった。今から40年前には100万円もしたと聴いている。
しかし、母が仙台の妹に作って貰った「仙台平」は津波で流されてしまった。一つの想い出の品が私の手から消えたが、母の思いは今も心にある。これを着て結婚式もしたし、私の中の一番高価な衣服となった。

昨日は津山の御世話になった先輩の逝去に焼香に行って来た。8月の死亡を登米町の友人に聞き、私の30歳代の時に、先輩の生き方や地元振興に個人で活動に学んだ。奥さんの言葉に「タバコとお酒を少し減らして欲しい」と常々話していたと言う。まだ75歳の死は、日本の男性の平均寿命からもまだ早い。
志津川に来て下さいの言葉には、昔の志津川はもう判らなく、車で行くのは心配と話していた。ぜひ、生まれ変わろうとする町で、キラキラ丼を食べさせてあげたい。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:09 】

2018
12/17

高野会館へ道路整備


昨日は戸倉に用事で出掛けた。汐見大橋を抜け水尻橋へ、途中の交差点は大雄寺へ続く道と、もう一方は高野会館までの道路ながら、途中で切れていた。
「高野会館震災遺構へ」の看板があり、下まで行って見た。旧松原公園の跡地一帯は、高速道や高台移転工事の残土置き場で、志津川地区の嵩上げや防潮堤の基礎土として利用されている。
震災から8年目の終末となり、工事の発注が最終期を迎え、志津川地区の「港橋」の解体へと、議会の圧倒与党の数で、議決され解体へと決定した。南三陸町の被災をした橋はこれで総てが解体される。八幡川の1つの橋の「デザインコンペ」があり、若い建築家の二人が町から「150万円」の賞金を頂いた。しかし、橋の再建はされる事無く、解体となる。不思議な町の予算の使い方と私は解体に反対した。
解体には2億円もの多額の予算を使う。震災遺構としての存続を求めたが、河川堤防の工事の遅れと、設計の見直しは難しいと執行部は言う。これまでも町からの議案提案に「否決」のないままで、佐藤町政はある。議員の活性化・活発な議論と、町への提案ないままで、行政の監視と刷新への姿勢に薄いと、現状況を危惧する。不思議な町になってしまった。

181216_145855.jpg
旧志津川公民館前から、港橋方向を望んだ。震災後の残った港橋は幾度となく訪れ写真を撮影した。私の記録簿には震災直後の映像が色々あり、志津川地区の姿が変わっても悔いは無い。
この場から港橋と南町・本浜町を望んだ。昔の姿は何処にも無い。これで八幡川の西側に残る「高野会館」が無くなったら、以前の町の姿を何処から想像すればと思っている。
今回、高野会館へ続く道の整備は、所有者の為では無く、町の希望の橋の解体が大きな理由だ。橋が解体されると残土の運搬ができなくなる為、片側3mもの大きな幅員での整備となった。総ての残土を大型トラツクでの運搬ではなく、旧小松原の姿の再生を考慮し、防潮堤をセットバックして建設する考えだ。
高野会館は今後も受難の歳月が続きそうだ。残土は現在の半分くらいを運搬し、残りはこの部分の防潮堤に充てると言う。

私の伯父の同級生が亡くなった。御年96歳? だろうか、能力は多才で良く知っているのは、共に趣味の絵は、70~80歳頃から開花したと記憶する。こうした若者への影響を与える人物が、現在毎日のように亡くなっている。(合掌)


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:12 】

2018
12/16

南三陸町の人口13000人を割る


12月12日に町役場で志津川小学生による「未来の南三陸町のまちづくり」発表会が開催された。会場の「マチドマ」には、子供達の発表を見つめる両親や、役場職員・報道記者でいっぱいとなった。
私は「観光」と「国際交流」について、6人の生徒の発表を聴いた。観光振興では「平成22年度の140万人を越えたい」との考えに、未来の町に希望の火が見えて来た気がする。
民泊が100軒あったものが今は40軒と、観光客の受け入れ態勢がある。観光客の受け入れに「パーティー」や「バーベキュー」などでの交流提案もあった。会話については、英語を話せる人が少なく、外国人とのコミャニケーションがとれないと話す。今後として外国人と話す機会を、趣味を通しスポーツやお茶会などをあげ、「サッカーはブラジルでポルトガル語など、外国語に接する事が必要です」と話す。国際人となり世界に羽ばたく子供達となって欲しい。

CIMG6466.jpg
剣道の教え子がこんどは、「妹に子供ができました」とラインをくれた。この子も三陸町から登米市に移転しての事だった。
登米市は生活するのに環境が良い。各種病院・買い物かど、様々な生活環境が整って、生活するのに何の心配もないと聞いた。
今日もまた死亡告知チラシが入った。寒くなり亡くなる人が多い事を実感する。これでは人口が減るのも当然の事であり、結婚環境も厳しく、町は本気で人口問題解決ではなく、交流人口の拡大と訳の分からない事を言う。この発言するのは商工・観光で町が潤う事だけの考えてと私は思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:28 】

2018
12/15

海の森、志津川湾

12342875_1648461005402166_1555820980598785722_n[1]
志津川町本浜町の北堤防が私の海の遊び場だった。カニ取り・魚釣り・クラゲ釣り等、滑って転んで海中に「ドボン」。ウミウシの体を押すと、カラフルな色を体内から発する。町の海の姿がここにはあった。

海底の「食物連鎖」が、写真のアマモの中にあった。こないだ先輩から、アイナメがいてタナゴやソイもいる、海の中の森。と教えてくれた。私のアマモの海は、アナゴの夜釣りでした。志津川湾の沖から内湾に来て、釣り終了となる。最後に水深は3m余りで、林桁の入口にアマモの群生が広がっていた。最後の釣りの投入をする。アナゴは小さい物から、大きい物までここを寝ぐらにしていた。沖と同じくらいに魚が内湾に生している。

海底の砂地に育つ「アマモ」で、タチアマモは干潮になると海面を埋め尽くす。漁師さんなら理解できるが、一般の人達はこの光景を想像もできないだろう。このアマモが「コクガン」の餌と言い、ちぎれて海を漂う物をついばむと言う。

コクガンの現状を視察に、内密に皇室が以前来町したと聞く。日本の自然生息地の維持保全に取り組んでいた。「志津川愛鳥会」があり、代表の田中先生がいた。志津川十日町に子供達を集め、町内で生きる鳥たちの事を調査し、朝の探鳥会など、自然に暮らす鳥や、ケガをした鳥を保護し、治療し自然に返すなどの活動をしていた。田中先生は生き物を大切に守る事を、子供達に教えた。もう30年前に先生が亡くなり、その継承の活動は私には見えない。
イヌワシの里としての志津川町があった。現在は志津川と横山の中間にある「翁倉山」に、多い時は4組いた物が、今は「1組」だけになったと報じられていた。自然の変化や人間の進入など、多くの問題が自然に暮らす鳥の場所を減少させている。今から50年前は、海も山も自然がいっぱいだった。

大震災の復旧工事などで、多くの良き自然はもう消えうせてしまった。人間の手が入り過ぎている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:35 】

2018
12/14

一年間の感謝のドライブ

181213_092815.jpg

昨日は気仙沼市・登米市、そして南三陸町入谷を歩いた。
全部で18カ所のお得意さんや、友達の所を廻った。津山で30年前に御世話になった知人は、今年、ガンに倒れ亡くなっていた。「何時までも元気」は生きていれば死を迎える。
津山の人で会社を退職後、地域の特産品を広めようと「石貝の水」「竹炭」など、商品化で仕事を頂いた。タバコと酒が好きで、まだ75歳ぐらいだろうか。旧津山町の町会議員も務めた。「悪い事を悪い」と、「歯に物着せぬ」活弁家だった。私の生き方は、こうした方々の影響を大きく受けている。

写真は志津川地区細浦の海岸線の防潮堤が、本格に始まっていた。震災から7年9か月になっての事です。8.7mを基準とする南三陸町の津波防潮堤整備は、震災復興予定の10年では終わらず、12~13年と全て完了まで予定している。それだけの大工事なのでしょうがないとも感じる。
この地区の住民の仏事事を担っているのが、私の父の一番下の妹の嫁いだ「徳性寺」であり、檀家を震災後も守っている。大震災の「札所」として、活動を始め、震災の慰霊をこれから続けて行く。

181213_092540.jpg
全国的な問題として、町にあるお寺も後継者不足、檀家の減少で寺の経営は大変だと言う。「墓じまい」に留まらず、「寺じまい」とも成り兼ねない。住職の高齢化の中で、全国のお寺もお墓の画期的にスタイルを取り入れている。
大震災で東北沿岸のお寺も多くが被災し、再建された寺もあるが、登米市などの内陸の寺も、新築には2億・3億など、それ以上に本堂の改築や。庫裏・檀信徒会館・鐘つき堂など寺の施設は、再建の整備の厳しさを思う。私の同級生のお墓も「墓じまい」をしたと聴き、ショックょ受けた。しかし、仲間の死から家族の事を思えば、今を暮らす近くに墓地を設けるのは当然の事と、家族の将来を考えたい。

徳性寺には「糖物慰霊碑」がある。現在は何処の焼却場にも「動物用」があると聴く。南三陸町でもその施設がある。動物は今、家族と同じと言っても過言ではない。震災後も「ペツトロス」に苦しむ人たちの話を良く聞く、「亡くなられた人の分まで生き抜きましょう。」と私は話している。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:29 】

2018
12/13

我が家はすでにクリスマス


先週の土曜に石巻のホーマックで「モミの木」を買い求めた。以前は目隠しの木製つい立があったが、台風でバラバラになった。12月になり玄関の寂しさを解消に今年は「クリスマスツリーで、来客を迎える事となる。
昨日は発積雪となり毎日のように氷点下の朝が続く、父もそうだが高齢者の多い町、谷坂のある町の形状は危険がいっぱいだ。

今日も死亡の告知チラシが入った。寒さが増し連日の町民の死亡がある。その予備軍も病院や施設に多くいると言う。バラバラになった町民があり、近所隣りの「近所付き合い」も無いままで、繋がりの希薄さから葬儀参列者も少なく感じる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:36 】

2018
12/12

記憶から風景が消えていく


戸倉折立の町並はもうない。
以前地区民が片寄せあった町が消え、震災後の姿も大きく変わろうとしている。海からの大津波を見て、地区民は山をよじ登り駆け上がった。
折立川の橋も完成し、国道45号・国道398号の再建がこれからとなる。8.7mの嵩上げは国の工事で、堤防の機能を有する国道が再建される。復興10年の残り2年4か月での完成を見込む。
折立から仙台に移住した方は、専門の病院も近くにあり安心だと言う。年老いて暮らすのには、戸倉折立では生きられないと、過去と今を振り返った。

今日も新聞に死亡葬儀告知チラシが入った。旧五日町の方で現在は静岡県で暮している。今回は父の死で、故郷の墓地に埋葬するのだろうか。本当に全国に散らばった志津川の町民があり、新たなルーツが今すすんでいる。

「結婚は義務と責任」
第4回宮城県有識者セミナー2018
 大人が一人の家庭は、●子供の貧困率が50%以上、●ひとり親・再婚・事実婚家庭では虐待発生率が約4倍(米国)●2017年、厚生労働省は親元で暮らせない子供の社会的養護を施設中心から、里親中心に転換、とし「多様な家庭」で混乱、苦しむのは子供!と語る。
 結婚カウンセラーの話に、男女の違い(男らしさ、女らしさ)を教えないことで、逆に夫婦関係が難しくなっている。男性の特性、女性の特性をお互いによく理解することで、関係が円滑になり互いに補い合う調和な関係が生まれる、と述べている。
 来年度から南三陸町では「結婚活動」の事業を本格的に推進する。町づくりには欠かせない部分で、宮城県の産業や経済にも人口の減少は大きな問題となっている。3年連続で県人口がマイナスとなり、昨年より「0.38%」の人口減少となった。その中で南三陸町は8番目(-1.76%)で、1番は七ヶ宿町の3.83%だった。増加の自治体は大衡村の1.4%増で、2番目に仙台市の0.21%だった。
 非婚化・晩婚化の進む現状は、日本の人口減少・少子高齢化社会は決して看破できないと小笠原先生は話す。
(終わり)

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:35 】

2018
12/11

非婚化、晩婚化、子育て貧困

「結婚は義務と責任」
第4回宮城県有識者セミナー2018
 南三陸町に石巻からボランティアに来ている方から案内をもらい、11月23日に矢本東市民センターで開催されたセミナー「結婚・家庭の再生が日本を救う4」に参加した。
 講師は小笠原員利氏で、NPO活動などを通して青少年を対象とした教育事業に携わっている。今回の第4弾は「家庭ビジョン」として、LGBT「人権」運動にひそむ問題点について講話を聴いた。
 現在の男女の性は、「男」「女」だけでなく同性婚合法化や、多様な性に対する教育の必要性を話していた。
 小笠原氏は、結婚は男女が基本であり、「義務と責任」は家庭をつくる事、そして子供をつくる事と語る。
 「恋愛」「結婚」は同じではない。結婚は子供の福祉と社会の安定のための制度であり。●貞操・相互援助(義務)、●長期的安定した夫婦・親子関係をつくる(目的)、●相続・税の優遇がある。反して「恋愛・同棲」は個人の私的な結びつきである。●結ばれるも別れるも自由、干渉されない・特別な行政上の保護・優遇もない。

181209_161251.jpg

●日本の為に子供は三人を。
の私の願いに
◎生活できないよー。
への返信は
*****
そうなんだよなー1 家も欲しいし、少しの贅沢も欲しいからね。関東圏域は生活費も養育費も高く、小さい時から教育も必要だしね。俺の兄も弟も3人で、仙台の甥・姪も2人ずつです。やっぱり共稼ぎ、いまの状況は厳しいかもね。いろいろ二人で相談して決めて欲しい。毎日「ハグ」しいまか。
*****  

181210_182021.jpg

昨夜は我が菜園で収穫した2種のレタスと春菊、コーンを入れサラダにし、食べる前に粉チーズをかけ食しました。
後は「アワビツブ」と、イカと大根・ジャガイモ・人参の煮込みを作り食卓に一品加えました。

今朝は私の部屋は「2度」で、寒い! 宮城の丸森は「-6.6」で、気仙沼は「-2.4」と日々激寒の朝となっています。議会も今日で終わり、今夜は反省会です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:59 】

2018
12/10

南三陸町志津川・戸倉散策


日曜の午前中。伸ばし伸ばしにしていた剣道の教え子の所に、結婚祝いと新築祝いに行く。戸倉西戸地区に牛舎を建設し、津波浸水域でない高台に、両親と自分で自宅を新築した。大きな借金を抱えながら、家業とも言える「酪農」を再建継続していた。
大震災で戸倉西戸地区は折立川の河川沿いで、全てが津波で流失し、震災前の場所に牛舎を再建した。12頭を超えるホルスタインと、その子牛が居て、来月にもう一頭生まれると言う。父と二人三脚で、朝五時から昼休みをして午後4時から再度仕事を始めると言う。
一人いる知人の酪農家から仕事の大変さを聴いていた。教え子は祖父・父親の酪農を継ぎ、マイナスからの跡取りとして仕事を続けている。奥さんは今の仕事を続けている。互いに相手を思い、助け合い生き、子供をもうけ、家族をつくり町の未来を担って欲しい。

写真は鮭の捕獲場所から八幡川の今を望んだ、以前の姿は何処にもなく、子供達が気軽に川に親しめる場所は、巨大な河川堤防で覆われていた。捕獲の柵は以前の場所と同じ所にあった。
この地区は以前の「助作地区」で被災した土地の換地場所として整備されていた。換地の土地は「農地」であっても、「宅地」としての換地され、固定資産税の高い土地として住民に与えられた。今後農地に「転用」する時にも、登記に大きなお金が掛かる。国民から税を取る為に制度が作られているようだ。

CIMG6410.jpg
戸倉地区の慰霊の場は「旧戸倉中学校跡地」と予定されている。戸倉西戸地区には、西戸契約や戸倉地区の団体が、戸倉西戸で震災の犠牲者を追悼する場所を整備した。しばらくぶりで訪れると「東屋」が整備されていた。
戸倉折立の嵩上げする45後の再建も、一歩ずつ進んでいた。本当に大工事と感じる。この分は国の事業で進められている。「国土強靭化政策」により、大震災の被災地は巨大な防潮堤や、生活道路が海岸線に連なる。

昨日のサッカー天皇杯決勝はベガルタが、0対1で浦和に残念ながら敗れた。友達の「篤美」も天国でベガルタを応援していただろう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:51 】

2018
12/09

モミの木


一昨日は戸倉地区で漁民の方が亡くなった。冷え込みも日一日と寒くなり、海の仕事の大変さを思う。
本吉では知人の同級生が交通で亡くなった。兄弟二人暮らしで、兄の死だったと言う。肩寄せ合う兄弟の今後の事を心配に思う。
周辺でまた救急出動があった。一命は取り留めたものの、また問題が発生していた。
師走に入りゆとりを持った生活をして頂きたい。一人での行動での事故は命取りである。

昨日は石巻でクリスマスのモミの木を買ってきた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:33 】

2018
12/08

ラムサール登録の経済効果と問題点


震災復興完了の10年目まで残り「2年4か月」となった。国際認証のASC・FSCの国債認証は民間の努力で取得したと言う町長。ラムサール条約への登録も、関係団体の活動で登録となったとも言う。町は何もしない訳も無く、町としての国際的な認証は大きく町長の力が掛っているのは言うまでもない。

「エコタウン」を目指すと言う南三陸町、そのバックに在るのは「アミタ」と私は思っている。二つに国債認証の認定にもかかわり、ゴミの分別「巡りスション」も、アミタの運営する「生ごみ再利用」があり、不要になった下水道の施設を無償で貸し、拠点として生ゴミからの資源の再生を行っている。生ごみの回収率は25%くらいで、住民のゴミ出し作業は大変な事情から、生ごみ分別は回収率が上がらないと推測する。
本当に家庭・事業ごみを焼却しない、ゴミの処理ができるのだろうか。これができるなら気仙沼市が焼却場の再建で、場所の選定に住民の反対の中で、再建までは時間が要するようだ。町の構想が可能となるなら、国上げてゴミ対策に取り組んでいる。

ゴミの処理に町は3億円の財源を使っている。震災復興・仮設移転からのゴミが増えている事も要因と言う。私も思っていた事に、町に焼却場がないために、気仙沼市へのごみ運搬、焼却後の灰などを山形までの運送している事が、ゴミ処分の大きな財源の支出に繋がっていると感じていた。

町提出の議案の「討論」を2件した。
・4番は議案139号に反対の立場で討論します。
志津川地区の嵩上げが終わり、土地区画整理事業があり、震災後の混乱の中で、UR都市機構が委託事業として、土地魔換地を進めてきました。
土地の換地事業の説明の内容が、当初の説明ら一転し地権者の希望地目とはならず、町民は悩み苦しんでいます。震災からの復興に尽力され、町民としての納税の義務も励行されている住民に、適切な対応を求めるものであります。
震災危険区域設定条例の議案に、一人の住民でも納得できない状況下では賛成はできません。子子孫孫まで禍根を残さない納得できる適切対応を求め反対します。
・4番は議案144号に反対の立場で討論します。
現在、志津川地区の八幡川西岸にある「港橋」は、旧松原公園跡地の復興残土があり、その搬入に利用されています。また、高野会館に通じる道でもあります。
町の中に震災後に残るただ一つの被災橋でもあります。拙速に運搬事業が終わるから「解体」で良いんのでしょうか。
会館所有者からは震災からの原形復旧が求められている中で、周辺の観光バスの安全な通路を確保もあり、それがまだ実現となっていないままでの、解体に反対します。そして、南三陸町にただ一つ残った「被災橋」の保存も視野に入れ、この議案144号に反対します。

私は住民の声を町議会で訴えている。なかなか私の意見に同感する同僚はいないようだ。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:11 】

2018
12/07

町づくりの議論が続く役場三階


戸倉出身の茨城の知人が海の異変を心配していた。
「タコが豊漁だったり、他の水産物が減少したり」と、
アワビは志津川で10万個、歌津で20万個を放流しても、総ての水産物が減少しています。タコは判らないが、今年は少なく高騰しています。(返信)

昨日はゴミの問題と、町民の滞納状況や災害公営住宅の管理などがあり、2人の一般質問で議会は終了した。残りはあと一人となった。これで予定通り来週の11日火曜日で、12月議会は終了となる。

町の生活で大きな変化の情報がある。農協スタンドが志津川十日町に、31年4月1日にセルフでオープンする。入谷の方がガソリンの農協の質について話していた。知らない事がいっぱいある。

タウン誌77号9月の出来事 (3)
◆22日南三陸町の名物「南三陸キラキラ秋旨丼」(秋バージョン)が、今月1日から始まった。10月31日まで町内と気仙沼市本吉町の飲食店などで提供している。
◆秋の交通安全の初日、南三陸町戸倉の国道45号沿いで戸倉小学校の児童たちが、手作りの繭細工をドライバーに配って交通安全を呼び掛けた。
◆家庭ごみの有料化を検討している南三陸町は住民対象の説明会を始めた。町は有料化の開始を1年後の2019年10月を見込んでいることを明らかにした。
◆南三陸町の8月末の人口は1万3056人で、前月比で25人減少した。8月の出生は5人、死亡は11人、転出30人、転入16人だった。
◆25日秋サケの刺し網が解禁され、志津川漁港には午前10時ころから小型船が入港した。多くの船が昨年の初日を上回る量を積んで帰港した。
◆南三陸町志津川地区の敬老会が27日、南三陸ホテル観洋で開かれた。町は数え77歳以上の高齢者を対象に志津川、歌津、戸倉・入谷の3地区に分けて敬老会を開催している。
◆南三陸町はごみの減量化を目的に、指定ごみ袋に手数料を上乗せすることでごみの抑制、資源化を狙う。
(終わり)

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:05 】

2018
12/06

みんなの幸せ天まで届け


南三陸町「道の駅構想」が、入谷地区の議員から質問がされた。
町長は各種町内の団体の会議で、意見を貰い協議会が進め決定していると言う、伝承館を中心に、三滝堂のような農産販売や六時産業化で、南三陸町に新しい商品の開発など、町長は全てに関し同意としなかった。農産品・水産品の無い「南三陸道の駅」となるようです。現在は商店街の一か所に野菜が置いてあるだけです。これで「地元の野菜を買いに行くぞ!」との気持ちにはなり得ない、そんな道の駅構想だ。その裏には、商店街出店の水産業者が、直接、漁師の水産品直売では、価格に差が起こるから、こんな考えの元にある気がする。商店街に「南三陸産の直売所」は置かない、こんな町長の策略と私は思う。
議員は地域の農業従事者は、自分の力で販路拡大や、朝から晩まで仕事に追われている。農協が協議会に参加で、町の構想に賛成と言うが、農民の意見も聴いて欲しいと議員は懇願する。しかし、町長は農家の総ての人の意見を聞くのも、取り入れる事は不可能と言う。広い視野を持たない、志津川商人判定を貫いている。
ますます町民は町から離れ、町長が交流人口と言う人たちを呼び込み、自分に協力し理解を示す人たちの町となって行く。誰も騒がない、議会も半数以上が佐藤町長に同調する姿勢が垣間見られる。議会活性化特別委員会は議会の改革からと私は思う。

タウン誌77号9月の出来事 
◆南三陸町議会は2017年度決算審査特別委員会を行ない、衛生費では町は町指定ごみ袋の値上げを検討していることを明らかにした。
◆婚活イベント「南三陸さんさんキラキラツアー」が17日行なわれた。おおさき婚活支援センターが主催したもの。
◆来場者数が100万人を突破した南三陸町の南三陸さんさん商店街で、15日~17日まで感謝イベントが開かれた。餅まき、感謝セールなどが開催された。
◆南三陸ホテル観洋で14日、語り部ガイド研修会が開かれた。南三陸町では初めて開かれ、地元・県内・青森などから観光ガイドや語り部約40人が参加した。
◆18日、石巻港に寄港した大型客船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客が南三陸町を訪れた。
◆南三陸町議会9月定例会は19日閉会した。「高野会館」の保存に関する請願は不採択とすることが決定した。
◆大正大学地域創生学部の実習が19日から南三陸町内で始まった。学生28人が住民と触れあいながら産業やコミュニティーなど各分野の課題研究に取り組む。
(つづく)

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:19 】

2018
12/05

歌津の素晴らしさを伝えよう


旧歌津町の姉妹都市の「イタリア・ベザーノ町」が昨日の一般質問でありました。人口は2600人の町で、震災後に町は「電話会談」を申込みましたが、対応をしてくれなく、町長は交流は難しく、姉妹都市も解消へとの話でした。1万ユーロ(140万円)の義援金が送られたとの話には、このような義援金は無いとの答えから一変、「95万5000円」の振り込みがあったと訂正しました。
先人が努力して結んで繋がりの取り組みを、継続しようとの気持ちが、一回の会談申し込みの拒否で断念した。震災後の交流の拡大から、ベザーノとの交流継続は無理と町長は話す。
昨日の議会一般質問から。

************
情報ありがとうございます。
言いたい人には言わせて下さい。
「国連女性連合の」支援団体は被災した南三陸町に寄り添い、仮設生活者へ物資支援を7年間続けてきました。その受け皿で、町民の人からも指摘されましたが、「関係ない!」
と伝えました。
「海洋平和」は、南三陸の海の素晴らしさを伝える為と、猫の島「田代島」の支援は、なぜ沢山の人が集まるのか、宮城の消失しそうな漁村の支援であります。
私は独自化も知れませんが、信念を持ち南三陸町の為に、生あるうちは尽くして行きたいと考えています。
これからも宜しく。
************

ツイッターの友達からダイレクトメールの忠告への返信です。
統一教会……との話は町民からも電話でも指摘され、丁寧にお答えしました。
海洋平和の田代島島起こし隊の参加は、アフリカ支援の恩師の友達からのお誘いでした。
私は何の恥じる事はない事と胸を張り言えます。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:25 】

2018
12/04

私の原点

「活版印刷」「活字」「組版」「手封筒印刷」、そしてハイデルベルグ(世界初の印刷機があった。築地活字と言う会社を、テレビで懐かしく見入ってしまった。

181202_183153.jpg

181202_183153.jpg

181202_183208.jpg

私が17歳の時から、私の家業の印刷屋として働き始めた。叔父が脳梗塞で倒れ、両親が深夜まで働く姿を見て、その傍らで保育所の頃からだった。多忙を極めた手作業の仕事は、テーブル2つを並べ、家族が8人で紙を折る光景を思い出す。機械化、印刷改革と、アナログからデジタルの時代となった。
震災前までは、活字も組台、手稼働印刷機などはあったものの、あの大津波で総てが思い出と共に消えうせてしまった。

町の環境対策課の「ゴミ袋値上げ説明会」が10月頃から始まった。9月には値上げの予兆の記事が地元紙面に数回掲載された。

マイタウン誌77号 9月-1
◆9月4日から南三陸町議会定例会が開会する。
◆志津川高校の生徒が2日に開かれる旭ヶ浦祭の一般公開をPRしに、さんさん商店街を訪れた。人気アニメやジブリ映画のキャラクターに扮して、模擬店の出店情報などを宣伝し、来場を呼び掛けた。
◆南三陸町志津川の化粧品店「おしゃれ空間Lips」を経営する佐藤由紀さんが、東京で開かれたNCCコスメティック甲子園で7位に入賞した。メークアップの技術、顧客への提案力を競う大会。
◆南三陸町ナイター野球リーグが平成の森しおかぜ球場で、5日夜から開幕。今シーズンは7チームが参戦し11月上旬まで平日の夜に総当たり戦の試合を繰り広げる。
◆南三陸町で大正大学の学生による「東京の学生がみた南三陸展」が、町役場交流スペース「マチドマ」で開かれた。
◆南三陸町議会9月定例会は、8議案を原案通り可決しました。組織再編に関する条例改正案では、議員から反対討論があり、採択の結果賛成多数で可決し、10月から危機管理課を総務課に統合することが決まった。
◆6日に発生した北海道地震を受け、7日南三陸町は役場などに募金箱を設置した。
◆南三陸町議会は9月定例会で、28日議案を原案通り可決。志津川地区の土地区画整理事業について、完了が当初の2018年度末から20年度末に2年づれ込むことを明らかにした。
◆JA南三陸は2018年度産米の概算金を決めた。1等米30k当たりの金額は「ひとめぼれ」が6350円、「ササニシキ」が6400円と、ともに3年連続で上昇した。
◆南三陸町はふるさと納税返礼品の内容も含め、見直しを図ることにしている。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:59 】

2018
12/03

未来につなげよう志津川湾の歴史を

IMG_8719.jpg

昨日は晴天の中で、歌津地区の泊崎半島の突端まで出掛けた。
志津川湾は、北の尾崎神社のある泊地区、ここから太平洋の水平線を見つめた。南の端は戸倉地区の名勝「神割崎」となる。この一番の入り江が志津川地区で、3.11の大津波は増幅し20mに近い波となり、町を呑込んだ。

ラムサール条約登録の環境・意味を調べ、こんな事を町に聞きたい。

・磯焼けの原因の1つに、ウニの食害があるが漁協から聞くと、ウニの集まっている所「数カ所」に廃棄物のワカメの茎を、海上保安庁の許可を得て海に処分しているが、その効果は。
 ・水産業は獲る漁業から作る漁業・養殖へと大きく変わっている、その比率は5割に近づいていると聴きます。
 ・我が町の水産業も、サケの放流、銀ザケ・ASCのカキがあり、三陸ワカメは全国に誇れるものながら、温暖化による種の不足や葉の落下などの問題点が発生しています。
 しかし、着実に対策を講じサケの稚魚の確保・回帰率のアップを目指し、銀ザケも「伊達銀」のブランド化は品質の向上、価格のアップに繋がっています。アワビの稚貝は、県の蓄養場の整備で、歌津地区は昨年の1万個から20万個の放流を今年すると言います。

・国際認証のカキのASCも、南三陸町だけにとどまらず、石巻でもASCを取得し、南三陸町・石巻市の二つの地区で宮城の7割の生活とも聞きます。
 新たな南三陸町のカキASCのアピールが町には求められています。
 ・水産物の販路は拡大はもとより、他との水産物の差別化は大切な取り組みです。
 ・志津川湾のタコが採れたり採れなかったり、サケの回帰の通路も変化している中で、水族の習性や異変を調査・研究で察知し、他に負けない水産物の管理生産が必要だと思います。
 ・仲買の町外からの参入も南三陸魚市場では、価格の上昇となり歌津漁協でもタコの集荷を始め、大量に仲買への流通に取り組んでいるとも聞きます。
 ・水産業の発展には、挑戦と改革で将来につながり、担い手・労働力も外国の雇用・後継者も視野に入れる事も考えなければならない状況とも感じます(また、しれが人口の拡大へつながる)。

IMG_8600.jpg

・南三陸町の第一次産業の中心は水産業です。商店街・水産加工場は海の恵みで潤い、そして、全国・世界への水産品の販売や、来町者への南三陸の海産物の提供があります。
 町はリムサール条約の締結を機に、今まで以上の水産業の販売促進と、生産体制の維持・確保の政策を拡大すべきと思います。町長の考えをお聞かせ下さい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:26 】

2018
12/02

「おめ、何人まごできた?」


昨日は6時から高校のクラス会を、43年後初めて開催した。
卒業してから初めての再開の仲間もあり、高校時代にタイムスリップし、想い出話に華を咲かせた。
8名の参加ながら、以外と「孫はまだ!」が7人もいた。そんな中で登米市に移住した親友は2人の孫と、今月また「孫が生まれる」と、他の仲間達は驚く。
他の仲間は子供達がまだで、高校生だったり、婚期を迎えている子供もいた。私達同級生の子供達も「晩婚化」「結婚願望無」「子供待望無」など、今の若者たちの思考がここにも見えた。


昨日は石巻に配達で出掛けた。途中の産婦人科さんは、震災で被災しながら同じ場所で再会し、多くの赤ちゃんを取り上げている。何故なら患者さんが、土曜と言うのに入れ替わり立ち代わり訪れていた。
前にも他の病院があったが、浸水域なのか解体され、更地が広がっていた。

私の教え子も石巻日赤で、登米市(南三陸町戸倉出身)に移住し、東京から「故郷出産」で可愛い男の子を産んだ。同級生の子も東京から「故郷出産」ながら、古川で準備に入っている。やはり両親は登米市に移住していた。

この子らの故郷は南三陸町志津川であるが、南三陸町の病院には「婦人科」は無く。安全安心しての出産場所はでき無く、これで人口の拡大・維持はできるはずも無い。南三陸町で暮らす両親が、子供達への結婚観や、「ふるさとを守る意識の伝承」を、生まれた時から教育する事が欠けている。これが2040年に町の人口が「6千人に減少」の回避はできないと感じる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:09 】


TOP