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ARCHIVE - 2018年08月

2018
08/01

鎮魂と再生


今日は34度の予想の南三陸町です。我が家の工場は午前9時前に、既に「33度越え」で、家庭菜園の収穫も汗だくとなりました。畑の草取りは朝7時となると、熱中症となるくらいの暑さです。

昨日は仕事で登米市迫町へ、帰りは登米町に回り、知る人も居ない「ウジエ登米店」で、のんびりと商品を物色した。父の専用冷蔵庫が「空」となり、食品補充を1800円ほど買い求めた。登米町も大きな変化となっていた。農協スタンド裏の登米コープが閉店していた。その向かいも農協の共販所として、大きな敷地が整備されていた。
ウジエの登米店の向かいの「法務局」も、大震災後は幾度となく書類を求めに行った。補助金申請・土地の登記・会社の書類受け取りなど、気仙沼より登米町の法務局が近いと言う事で利用した。その後も住宅建設・会社移転登記があり、土地の相続では相続権者が多く、150万円の経費と、15人からの承諾書の取得が困難と諦めた。完璧主義を貫く性格で、こり部分だけが心残りながら、頭の中から消した。
写真は登米町のアパートの入居者募集の物件の前で車が止まった。今後は工事関係者や派遣職員の撤退など、アパート需要は大きく低下すると予測する。南三陸町では、高台の土地は余り、災害住宅は「3LDK」が残っているが、空は少なくなったと町は言う。「過超所得」の住民は、入居の軽減策も終了し、高額入居料で頭を痛めている。政令月収で月31万3千円の住民は、強制退去と町は言う。核家族化を助長する国の制度設定が立ちはだかる。被災地の状況を考えない制度設計であり、地方には合わないと感じる。

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私も遂に爺さんとなった。
結婚の時、子どもがお腹に入った時、そして出産で無事に新しい命が誕生した時、彼女はそのつど報告をしてくれた。私は子供が居ないが、我が娘と思っている。子供が居なくても祖父となれると思った。「退院したら必ず行くからね」と彼女は言う。写メで誕生した子供の顔を送ってきた。

彼女も南三陸町の生まれながら、東京で家庭を持ち、子どもを宿し、これからは東京人なり生き続けるだろう。私は志津川と思っているが、このままの佐藤町政が継続するなら、この町を去っても良いと思っている。「孫の所に行くか?」。



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