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ARCHIVE - 2018年07月

2018
07/31

母校「志津川旋風」をもう一度


「志高モアイ化計画」「志高魅力化計画」など、県立志津川高校の存続の危機に対し、町挙げて「あの手この手」で支援を続けているが、震災から年々減少を続けている。震災後の生徒と先生方の活動は、被災地の高校生と言う事で、全国的に報道され、全国から世界から支援を受け、後輩たちは頑張っている。

地域住民の意識改革なくして志津川高校の存続と維持はない。私も子供が居たら「母校」への進学を勧めるが、現在の町の状況は子供が居ない事で、震災後に60~70名の出生しかない。これで町の維持と、高校の存続は難しい。高校は一学年2学級を切ったら「統合」「廃校」と言う話を聞いた。
南三陸町には70名の入学対象の高校生の数であり、気仙沼を始め将来の目標に向け、進学校を選択する。「志翔学舎」は保護者が希望する生徒の学力向上の為に、町の財源を使って講師を仙台から呼び指導をしている。確かに学力は上がっているが、それが他校と比べ、人を呼び込む事とはなっていない。
本吉響高校は今年、生徒の募集を拡大させた。気仙沼の西高が廃校となった事で、生徒の増加を図った。20名以上の生徒増? だっと思うが、志津川高校の生徒数の増加とはならなかった。本吉には園芸・料理など、他の高校にない学科を魅力としている。

昨日は役場前に「モアイ号」があった。
生徒達の震災後の「モアイ化計画」で、缶バッチなどの制作で集めた資金で、町にマイクロバスを送った。活動が実を結ぶ事で活動が評価される。しかし、町の支出する高校への資金提供は結果に結び付くかと言うと難しい。人口と子供達がいない事が問題にある。
志津川高校を寮制にして、芸術・スポーツ・特殊技能育成交にして、全国から生徒を集める事はできないものと考える。どういう方法でもイイから、志津川高校の存続を議論し、全国に発信する事は、ここまで有名になった南三陸町、あとはどんなことをするかだ。
志高旋風はいろいろな高校生が地域から集まり、指導者の元で、その個性を発揮し宮城県の頂点2交に入った。過去の姿に学ぶ事で町の再生は可能と信じている。

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29日(日曜日)、小選挙区の地元代議士の安住淳氏が、我が地区「沼田地区」に来て意見の交換交流をした。
高校野球時期とあり、志津川高校の話題になった。40数年前の「志津川旋風」が話題となり、安住氏の母校の石巻高校との、県代表の2交を決める準決勝で、志津川高校は石巻高校との対戦となり勝利した。安住氏の話に「志津川を見くびっていた!」と振り返る。主力投手を温存し二番手で、山形との最終代表に備えた事が敗因と、今も悔やむ。その時の監督の采配の甘さを指摘した。石高のエースはその後に明治大に入り主将を務めたと言う。志高の当時の小野投手の事を話し、小野の術中にはまってしまい、点が取れなかったと語る。

安住氏の母の実家が歌津地区の西光寺だと言う。自民党が分裂し「さきがけ」時代に、震災前の養老の滝で、従弟の本浜町の遠勝商店の勝彦さんの声掛けで、多くの仲間が集まった事を思い出した。35年前の事だったと思う。

南三陸町は昨年5区となった。石巻と同じ小選挙区となり、安住淳氏が自民党の候補を破り当選した。5区・6区と選挙区が大きく変わり、小野寺五典氏も選挙地域が変わっても無事に当選した。
5区は南三陸町から色麻町まで、奥羽山脈の麓の「やくらい」までで、選挙活動は突然の選挙区変更で大変だったと言う。

集まった地区民からは「国政はどうなるの」「野党が分裂しては駄目」など、安住氏への期待感を伺わせた。震災時は民主党の財務大臣で、被災した宮城県の為に尽力した。村井知事とも交流が深く、防潮堤問題では今の村井氏の強引さをはなす。長期政権の弊害を私は感じているが、同等の思いがあるようだ。

地域の住民は安住淳氏の秘書がチラシを配っているものの、参加者は4人ながら、「三人寄れば安住が来る!」のキャッチフレーズに、国民の声を聴く事の必要性を訴えていた。貴重な時間を頂いた。




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