ARCHIVE - 2018年06月

2018
06/30

町の福祉対策と疲弊する町の事件


志津川地区の「デイサービスセンター」が高台にオープンし、社協の高齢者交流施設「結の里」の活動が始まった。高齢者が格安でドリンクが飲めて、語らいの場所として高齢者の集まり場を提供する。
来月の4日の10時より「七夕コンサート」が開催される。私も父を連れて行こうと思っている。家での高齢者の引きこもりは、認知症を進行させる。どんな人達が集まっているかを観にいきたい。
長野県からの支援活動を、今回は社協さんの理解を得て、社協の施設「結の里」での開催と、災害公営の集会所も社協の支援員が常駐(平日)している。そんな歌津地区でも一回の公演を準備している。見に行きたい人達は、どなたでも入場ができる。
飯島マジックショーは、震災後に戸倉・歌津・南方・志津川で開催した。仮設での公演をした。入居していた方々は、自宅新築や災害公営住宅に、大部分が再生活移転を終えている。

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反面、こんな光景を目にした。現代社会の日本の問題が、「ヒシヒシ」と地方へも波及している。時代の流れとは言え何とかならないものだろうか。
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2018
06/29

日本のサッカーファンの願いが通じた


帰りは夜8時でベットに横になりテレビを見ていた。目を覚ますと翌日の午後1時で試合は丁度終わっていました。試合後のテレビの盛り上がりの異様な光景で、負けたことはボーとしていても直感で判りました。

リーグ戦の3試合の総ての選手の行動が、対戦相手の戦い方がリーグ戦での2位通過を決めた。西野監督采配と、大迫・本田・香川……総ての選手の戦い方が結果を呼び込んだ。コロンビア・セネガル・ポーランド(世界8位)の強豪を前に、最終的には「フェアプレーポイント」の2点差で、運命の決勝トーナメント進出をもたらした。
コロンビアの香川がもたらしたハンドのPKから始まり、川島のキャッチングミスがあり、本田の同点ゴール、長谷部の顔面流血など、選手一人ひとりのピッチ上での活躍があった。ポーランドの最終戦は川島の「神対応」で、何度もピンチを救った。0対1で敗れたものの、サポータと日本国民の願いが天に届いた。

サッカーは改めて面白い事を感じた。他のチームも母国の期待に思うように成らず苦悩し、前大会優勝のドイツの姿は世界も驚き、イタリア・アルゼンチンのまさかのリーグ戦敗退など、試合は何が起こるか判らない事を再確認した。

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昨日の議会では南三陸町の、又の不祥事発生の報告が当局からあった。メディアは不正交付金の町の授受で、5千万の不正授受は、全体で7千万を超えると言う。町民の税金が行政の不手際の穴埋めをする。それで人事院の期末手当増額議案を議会に提出し、職員と町長などの特別職は採択された。議員に関しては不採択として本当に良かったと思う。
こんな報道がテレビや新聞で伝えられ、佐藤仁町長の謝罪の姿が朝の画面から流れた。昨年から重なる行政の不祥事は、指揮官の「気の緩み」が、職員にも伝わっている気がする。

我が家の菜園に「青い細長いトマト」を見つけた。

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2018
06/28

漁業の活気は町の復興


昨日に三陸沿岸のホタテ貝毒が、規定値を下回ったと、加工用の貝柱の出荷が解禁となり、浜には活気が溢れていた。

4月からの「まひ性貝毒」の数値が高く、自主規制をしていたホタテが、水揚げが始まるとの報道が、女川の浜から伝えられた。しかし、これまで基本は「肝付きヒモ付」で、海から引き上げられ貝のままの出荷ながら、まだ、加工場での数々の手間がかかる。
昨年の4月から現在までで、売り上げは4億7500万円ながら、今年は800万円と漁民は頭が痛いだろう。これから貝毒の低下で、いつものような浜の活気が、被災地の復興と水産品の美味しさを、全国にアピールできる。
魚店から地元のホタテが消え、ホタテの刺身も無くなった。これからは大好きな「南三陸ホタテ」が食べられそうだ。

昨日のラジオ放送で、第21次復興交付金の配布額が決まった。宮城・岩手・福島と新潟県に「約40億円」の交付が決まった。13の自治体への配分額は、女川町に小中一体校の建設費として12億7千万円で、その他には石巻市の店舗付の災害公営住宅建設費に3200万円、福島のサケ孵化場の整備に4800万円が配分される。南三陸町はと耳を澄ますと、大きな配分額ではないのか出てこなかった。

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我が家の菜園に続く道には、今、小さな名も知らない花が、道を彩っている。そこを抜けんと「猫の額」の畑がある。6種類の野菜が生き生きと成長している。これが又、私の一つの生活の喜びとなっている。

色々あるけど、今を私は楽しんでいる。昨日も国税・町税を15万円、銀行から払った。安い物を買い、時には食事で贅沢をする。こんな生活を「住宅ローン」が終わる72歳まで続けようと思っている。後10年が長いか、短いかは、私が健康で在り続ける事と関係する。

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2018
06/27

被災者へり絵葉書は心温まる


震災直後に神奈川県のお得意さんから、「仲間同士で作った絵手紙」と4通の手紙が突然届いた。「嬉しかった!」、頑張るぞとここまで走ってきた。今も新築となったリビングに4つの絵手紙を貼り見ている。
9日の広島の「愛の福袋」の支援団体の橋本さんから、仙台空港からと絵葉書、ここまでもの心使いが嬉しいです。(横ですみません)、美味しいサクランボ御馳走さまです。女性の優しさに飢えている私は、この気持ちを受け取る事でエネルギーとして、これからも「この町で生きます。」、また、お逢いしましょう。
その他にも母の富谷市の妹は、心を込めた励まし・見舞いの折り紙を送ってくれた。介護ベットに伏す、認知の進む母も当初は「嬉しい」と喜んでいたが、認知が進み寝たきりになっても、母の枕元には叔母の色とりどりの折り紙色紙を置いた。母の三回忌を来月の16日を前に、「御主人の体調が?」と電話をくれた。「無理しなくても」と言うと、「お寺には必ず行きます。」と言う。母もきっと喜んでくれるだろう。この法事は私の最終章と位置づけている。先祖代々の供養もして、千葉家を盛り上げた祖父母の事など、私の気持ちを伝える会としたい。自己満足かもしれないが、親戚には御付き合いいただく事をお許し願いたい。

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我が家の菜園の収穫ジャガイモです。一株掘りましたが、こり一株は畑の土づくのでも昨年の物が残っていた忘れ物で、こんなにも実を結んでくれました。見捨てられた芋の一個が、「私は頑張っていますよ!」とでも言うように、立派に多くの実を結んだ。直径1㎝の物もあり、総てを「塩ジャガ」にして食べた。父も「おらいのイモが!」と、美味しいと食べてくれた。
ミニトマトも今は青い実ながら、あと10日ぐらいで収穫できそうだ。なすも小さな実と花を付け、ハチが受粉に来て実を結ぶ。ピーマンは今やっと花を付けた。昨年植えた「しょうが」も大きく葉が成長している。夏には花芽を摘んでヤクミにする。
その他にも、青シソ・パセリ・みつぱも成長している。身体に良さそうな野菜がいっぱいだ。日曜に玉ねぎを8個買ってきたら、また8個もらい物をした。昨日は「マイタケ・玉ねぎの味噌汁」と、「春の筍と鶏肉・タマネキの煮もの」を食べた。ここ3日間の血糖値「180代」と高い、今日は偶数日ながら測定すると、「118」、マイタケ・タマネキ効果だろうか?

今日も仕事が無い、昨日は税理士が申告内容の確認に来た。5月の決算で年々売り上げが落ちている。被災地の事業所の減少と、組合組織の印刷業務も今はない。これからの町の若者たちの現状を考えると、我が町には生きて行く環境が無くなっていると思うし、過疎の町へと突き進む。そんな中で公務員多くないか?

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2018
06/26

あなたは高野会館、防災庁舎


高野会館で多くの高齢者が大震災の津波から命を救った。防災庁舎より遥かに高く、南三陸町の震災復興の状況が一目で判る。観光客への大津波の伝承の場としては、ここしかないと私は思う。高野会館の観光バスの流入の為に、橋と道路の整備は急務と感じました。町はそれは考えていないと言う。観光客を守れなくて、誰を町は守ると言うのだろうか。

貴方は将来への伝えるべき遺構として、多くの町民を守った「高野会館」と、43名の人か亡くなった「防災庁舎」で、どちらを伝えるべき震災遺構と思いますか。私は両方とも残す事はできないかと考え始めました。当初は亡くなられた家族に寄り添い、「防災庁舎解体」と主張していました。

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亡くなった被災者を「慰霊碑」に刻まない南三陸町はおかしな町です。何を震災遺構として残すのかも議論せず、防災庁舎を観光客を呼び込む道具にしか私には感じません。しかし、まだ震災遺構が決定はしていません。20年間の「県の所有期間」の間に考えて欲しいと県知事は言う。
亡くなった方への畏敬の念を決して忘れないように。鷹野会館は南三陸町への津波の脅威を伝えの場所であり、南三陸町の素晴らしい風景を伝えられる、見せる事のできる場所と再確認した。闇夜に押し寄せる何回もの津波に、暗闇で怯える、高齢の町民を救った「奇跡の場所」です。

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2018
06/25

海の男の叔父の為に



作日は父の一番下の弟の一周忌法要がありました。
海を見見下ろす高台の墓地に眠っています。早い物で丁度一年を迎えます。65歳ごろまで漁船に乗り、これからのんびりしようとしていた矢先の大震災でした。親戚や従弟が被災し、子供達の成長もあり、怒涛の8年でした。
子供達を結婚させ、これから夫婦二人の楽しい人生を送るはずだった。父の10歳も分けて与え、これまでの船員としての身体を休めて上げたかった。まだ早い72歳の死だった。

叔父は海の見える丘で、私と父は何処に眠ればいいのだろう。「海へ散骨」? 私達は何処でも良いと思っています。「遺書」。
命が終わるまでには、人には最低限の迷惑と、総てを片付けておこうと思っています。叔父の年まで9年、あまり時間が無いようだす。

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2018
06/24

私は今を生きる


沖縄の日に少女の言葉に涙し、力強い中学生の発言・文章力に感動した。子供達には格差がある気がしていた中で、中学生の発信力は、知事よりも、総理よりも遥かに大きな発信力となっていた。「生きる」に込められた、当時への重い、終戦から現在までの人々の軌跡、そして自分の生まれた沖縄への愛情は、何処か私のふるさとに対する感じ方や、考え方に似ていた。これからの若者に日本の将来がかかっている。今の政治、利益主導の社員を考えない経営者、人への迷惑も感じない人間には、なってもらいたくない。人の痛みを、自分の痛みとして受け止められる大人に、必ず彼女はなるだろう。

我が家の菜園は凄い! ジャガイモは畑いっぱいに成長し、ナスは天高く「ピン」と伸び、ピーマンはもう少し、みょうがは花が咲くのもまじかだ。ミツパは花を咲かせ種ができていた。昨年豊作だった「青シソ」は、どこからともなく芽生えていた。驚きの小さな自然の大地と化していた。
「ナスの煮びたし」の材料、ナス・青シソ・しょうがの花芽の材料がそろった。7月の中ごろには千葉印刷産の材料で料理を作れる。昨日のナスのトゲが痛い。

今日は父の一番下の弟の「一周忌法要」がある。生家のあった営業所の夏草を刈ってもらった後の根に、今から朝に除草剤を撒く。そして、慰霊塔に手を合わせ、先祖に今を伝えたい。「まだ私も頑張っています」と、家督の役目を全うしている事を認めてもらう為に。

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2018
06/23

志津川市街地の再建

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FB(フェイスブック)は楽しいようで、怖い!
こないだ外国人の方から「友達リクエスト」があった。出身地が「ドバイ」とあり、ラムサール認定を進める我が町のプラスになるかと、確認をした。その後に沢山のメールとボイスメツセージが届いた。彼は自分の事業に私を引き込む事、名前の利用を目論んでいるようだった。怖い! 協力はできないと伝えたら、連絡は無くなった。

単純な私は震災後にも多くの出逢いから、人との繋がりとなり、町の復興の為に、自分の為にと接触し失敗となり、詐欺に近い事を経験している。仮営業所に飛び込みの営業、ネットでのメールからの繋がりなど、お金に関わる事は、慎重にしないと心掛ける。現在63歳、オレオレ詐欺への対策も常に心に置く。多くの電話やメールには甘い罠も多い。

南三陸町で計画の「伝承館建設とさんさん商店街の道の駅としての共用」があり、昨日はその予定地を写真で、FBに公開した。この事に多くのメッセヘジと意見を頂いた。南三陸町の「道の駅」の建設や役割の必要性を、フェイスブック上で、私が思う現状を伝えた。子の輪は又ひとり、又別な意見と、総てに私の意見を返した。9月の決算定例議会では、一般質問を町の「道の駅構想」を正したい。現在は調査・計画策定費として450万円を補正で計上し、建設へのプロポーザルの審査員への謝金に、6.3万円の補正予算は議会を通過している。

今後も「伝承館」「道の駅構想」の一体化への建設費や場所選などがあり、議論し内容を精査して行きたい。

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2018
06/22

私の健康食


3日前に糖尿の主治医に「ヘルグロビン数」高いですね。」と指摘された。毎月欠かさず病院に行く、糖尿の血糖値安定には薬を飲み、インスリンを打ち続ける事しかない。震災を乗り越え「食べたいものは食いたい。」が、体調よりも欲望に負ける自分が居る。
「ヘモグロビン数が上がったら、今の治療を変えます。」と先生と約束をした。検査数値の7.8を見て「高いですね!」と言われた。何のことは無い「0.1」下がっていた。インスリンを含めた「薬への依存」を私は回避したい。昨年の今頃は「6.5」と正常値まで下がったが、一年でまた元に返った。
「食事療法」が理想ながら、時には「Wハンバーグ」「カツ丼」「うな丼」など、冷たいビールと共に食べたい。日常は野菜主体の食事を心がけている。それが写真の「ポテトサラダ」で、ジャガイモ・人参・キューリ・コーン、そして私の好きなレーズンを入れ、辛子マヨネーズで和える。これが又美味い。

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一昨日、登米市に移住した方が突然、会社を訪れた。震災前の地図・友だちの本、南方仮設の入居者表・諸々の資料など、コピーした物に表紙を付け一冊に綴じて欲しいとの事だった。私のように震災前の記録を大切に保存したいがあるのだろう。料金はと言うので、「いいがら!」と言うと、買ってきた登米市の「愛菜館」の野菜を4種類置いていった。嬉しいお土産を貰った。

その中の「なめこ」を早速、キノコ汁にした。私の作ったサラダと「大根の酢漬け」とご飯、そしていっぱいのお茶、咋日の朝食だった。これで健康にならない訳がない。
昨日は健康の為と、低地部の換地した営業所に行き、整備された道路、そして大森と本浜を繋ぐ「曙橋」から、上流・下流の風景を撮影した。移動には自転車を4年ぶりに物置から出し運転した。ペダルが重くて体力が落ちたと落胆した。タイヤのエアーを入谷地区の先輩知人の所に行った。何の事はない、ペダルの重さはタイヤのパンクのせいだった。

暇な日はのんびりと志津川町を散策する。津波で市街地は大きく変わったけれど、町の残った人々の心までは震災で変わる事が無かった。「町の道の駅構想反対!」。







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2018
06/21

西南海トラフ地震の予兆と肝に命じて


昨日、大坂の友人からレターパックが届く、今回の大阪の直下型大地震の状況を伝える新聞だった。少女の壁の圧死は、宮城県沖地震の検証を、他人事と考えた自治体の責任でもある。当初は3名の死が、室内での食器棚や本棚などの倒壊で2人が亡くなっていた事が判った。
30年も前に宮城県は、「宮城県沖地震」で住宅の塀の建設に条例で、鉄骨を入れる事を義務付けた。その他にも各種棚への固定器具も、県民は当然のごとく設置した。その過去の地震に学んだ事で、南三陸町も3.11のM9の地震でも、家屋の大きな倒壊や、人命が奪われる事はなかった。耐震基準の見直しなど、地震や津波の発生から学んだ、多くの検証が大震災に生かされていた。
しかし、千年に一度の大津波には人間の知恵も及ばなかった。学んだ事は「命の大切さ」そして「避難道の確保」で、普段から地震・津波の発生・対策を家族で話す事で、多くの命が救われると、人間は学習した。

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南三陸町の第一次産業の皆さん、そして住民の皆さん、「道の駅」の在り方を考えてみませんか。
今、町で進める「南三陸町道の駅」はさんさん商店街の隣りへの、伝承館の設置で、他の道の駅のように、地域の新鮮な農水産品の販売は? 小さな農家・漁民の生産品の出品なしの、既存の商店街での「道の駅構想」を町は商店街店主と作ろうとしている。伝承館はその役目を果たし、道の駅は農水産業の生産品を販売する場所とすべきと、私は多くの道の駅を見て回り、考えています。

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≪道の駅構想と伝承館の計画について》
・基本計画のプロポーザル(公募)を住民の公開の場で
・道の駅のパブリックコメント(住民意見)を多くの住民意見が集まるように
・1000㎡の道の駅スペースに「400㎡」の伝承館の在り方
・石巻の防災センターを見て町の震災風化防止の施設として妥当か
・兵庫県の「防災センター」から学ぶ物は
・農家・漁業者を「南三陸道の駅」の運営の加えるべき
・復興祈念公園内の「防災庁舎」を見られる伝承館に
・プロポーザルは町外からの関係者との利害が無い登用を
・震災伝承館基本設計委託料の「450万円」の妥当性
・商店街の道路の濃く雑の解消策は
・伝承館に町を呑込んだ「16m」の津波を理解できる施設内容に
・さんさん商店街は民間の経営で行政が介入し過ぎでは

などを考慮した南三陸町の「道の駅」を建設すべきと考えます。

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2018
06/20

心地よい寝不足 そして勝利 ドキドキのアディショナル5分


南米の雄「コスタリカ」とのワールドカップ戦、南米からの初勝利。
ゴール前でのコーナーキックからの、大迫の決勝ヘディングゴール(写真)で何とか勝った。5分のアディショナルタイムは、コスタリカの最後の猛攻に、耐えに耐えた時間だった。「篤実、日本勝ったよ!」
開始ホイッスルからわずかで、香川と乾の連携から、相手のゴールエリア内での「ハンドの反則」、無意識の内なのか腕にボールが当たった。一発退場でフリーキックは香川がワールドカップで、初ゴールをした。
形はどうあれ先取点、そして相手選手の退場で、10対9での優位での試合の様相。しかし、決して優位とは言えない戦いで、前半の1対1から、後半に1点を取り、最後のアディショナル5分間はドキドキの心地よい観戦をした。

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南三陸ホテル観洋でサッカーワールドカップの、「パブリックビューイング」での応援会が作日午後9時からありました。みんなで応援したいと思う方は、ぜひ参加下さい。と知人がすすめてくれました。
南三陸町でも町内で「パブリックビューイング」を設置して、町民が一丸となり日本チームを応援する等、文化交流ホールの活用をした方が良い。サッカー少年団やスポーツ大好きな青年、高齢者も一緒になり、共に心一つにして何かをする事は、復興への団結力ともなると思われる。

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決勝点をたたき出した大迫選手の、サッカーへの情熱は、高校時代の活躍でも、全国の高校選手から「ハンパねえ!」と言われる程ながら、日本国内の「Jリーグ」だけでは、自分の力の成長はないと、世界の強豪国であるドイツでの、リーグ戦に挑戦した。
世界屈指のドイツチームも、まさかの一回戦は敗れている。今回の世界大会のサッカーの対戦は、予想だにしない結果が沢山出ている。日本のコロンビの対戦勝利も、以外との国民の意見も多い。チームが最後まで諦める事無く、「守って攻めた」、一人一人の活躍その結果が勝利に結びついた。挑戦の気持ちを忘れる事無く、チームプレーと、その中での個人プレーを発揮して欲しい。

残念ながら昨夜の「決勝点シーン」は見る事ができなかった。でも日本のサッカーファンと共に喜びを共有した。午後11時に試合は終わっても、興奮してか2時間近くは眠れなかった。今度は20日のセネガル戦を、皆さんで応援しましょう。多くのサポーターの力が必要と、長友選手はサイヤ人の金髪ヘアーで話していた。




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2018
06/19

大阪で震度6弱の直下型地震


昨日の午前7時58分の「大阪直下型地震」の発生は、テレビでの地震予測速報と同時に発生した。直後のテレビの放映の光景では、ビルの倒壊や高速道の落下、そして火災や家の崩壊は見られなかった。火の後に色々な被害が報道された。

大坂の友達に大震災直後の連絡は、東日本大震災の経験から、携帯電話よりメールが繋がったとの経験で、メールを入れると少しして携帯で連絡が来た。車で走行中でしたが、地震による町の変化はありません。大丈夫です。との事だった。「必ず余震がありますので、用心して下さい。」と告げた。
大坂の皆さんからの支援を受けた私の友だちも、「携帯が繋がらない」と、大坂の支援の方を心配し、私に電話をくれた。

大震災前の20年以上も前に、「宮城県沖地震」があった。我が社は印刷の器機が倒れたり移動したりして、2~3か月は仕事にならなかった事を記憶する。大阪の同業者の友人なので、私自身は大きな心配の中にあった。15~20秒の直下型地震だった事が、機械の被害に繋がらなかったと分析する。
宮城沖の地震では仙台の「卸商団地」に大きな被害がでた。ビルの倒壊や地盤の沈下など、埋め立て地の商業地故の被害だった。
人命では塀の圧死9人で28人の人命が失われた。大阪の地震でも9歳の女の子が学校の施設の塀で圧死した。その他にも交通安全の見守り支援の80歳の男性も同様に亡くなった。宮城県では震災後に、塀には震度6~7に耐えれるような、塀の建築規制が引かれた。これが宮城県沖から学んだ検証にある。

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最近では熊本地震でも28歳?の男性が壁の下敷きになった。大阪の地震が東日本大震災の半分の2分間の地震なら、もっと多くの被害がでた事と思う。真剣に自然災害に取り組む地方自治体の施政が、国民の多くの命を守る事に繋がる。

南三陸町への派遣職員の支援は、兵庫県が12自治体、大坂府が1自治体と、町長は今後なにかあったら支援をしていきたいと、議会の最終日の昨日に語った。職員派遣支援を受けた所ばかりではなく、総ての県に対し大きい意味の支援は、南三陸町の恩返しと感謝の気持ちであり、伝えないといけない。

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2018
06/18

古き良き街並みが消えていく。原因は便利さ


本吉町・米川町などの町並も人口減少による「シャッター通り」と化している。バイパス」と言う名の、人間にとっての都合・便利さが、その原因の一つと感じている。戸倉地区・入谷地区も「高速」と言う、文明により、人の流れが経済の生業の変えてしまうかもしれない。私のような「古き考え」の人間は、シャッターを何時までも閉じたままの、生き方しかできないのかもしれない。(ちなみに写真は、母の生家の米谷です、今も凛として、消えそうな町で頑張っている。次は甥の孫たちに託して……)

「巨人・大鵬・たまご焼き」の巨人は何処へいったのだろう。昨日は私の好きなテレビ番組がないので、巨人戦を試合の7.5割は見ていた。内海が先発で頑張り、沢村が中継ぎで、8回・9回と外人選手に託した。最後のマジソンのピッチングはあり得ない。1対2のサヨナラ負け、見たくない結果だった。提案だが巨人軍、「総てを国産選手で頑張って欲しい!」と私は考える。これで試合に負けても国民は納得してくれるだろう。さして私も最後まで応援するヨ。

「日朝会談」は行われたが、「キツネとタヌキ」、今後の行動は日本にとってどうなって行くだろう。トランプ?ジョンウン? はもう見たくない。
嫌な物に目を伏せる自分の性格ながら、「南三陸町志津川」は違う。いやな奴とも戦わないと、自分が生きて来た綺麗な静かな町は、強権で欲得だけの町になってしまう。誰かが声を上げないと何も変わらない。

世間では若者たちの事件が満載だ。並行してやるべき事が沢山あると思うけど、政治家の皆さん。逮捕者の多くは、40・30・20代でも「無職」なのは、政治のせいもあると思いませんか。

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2018
06/17

何の為に生きるのか


人の為に生きて行く! こんな事を常々言っていたが、最終的には自分の為だったのではないか! と思える節がある事を感じ始めた。

今日は米谷の母の実家に、母の三回忌の案内を持って行く。足を伸ばし「みずかぶり」の奇祭の米川へも、母の妹の嫁ぎ先の従弟にも案内を届けてくる。帰ってからは歌津の恩人の先生に線香を手向けに行く。御世話になった親近者の供養の焼香は、できる限り、続けて行きたいと思っている。今日も戸倉荒町の方が亡くなられて「葬儀開催の報」のチラシが入って来た。
昨日は「菩提寺・大雄寺」に、正式に法要のお願いをしてきた。先祖への感謝はこれで、私のする事は終わりと思っている。父と私の事は何もしなくても良いとも考えている。

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私と故人が手掛けた「自分史」が、葬儀会場に展示されていた。自分の生き方の証と、素晴らしい直筆の「書」の写真が、子や孫に伝えられていく。これまでの川柳や短歌・絵画などの、自費出版の作品のお手伝いをした。皆が亡くなられてしまったが、100歳を過ぎたまだまだ元気な父の友人の「川柳集」は、2冊も発行している。しかし、父は自分の作品を作ろうとはしない。何故かと考えると、そんな事に「お金を使いたくない」との考えのようだ。子や孫には自分の生きた姿は、今の姿だけで十分との考えと感じる。寂しいが私には何もできない。

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沼田地区の私の家の後には「仮設郵便局」があったが、同じ地区の役場の近くに郵便局が新築され、以前は15日になると自宅周辺は混雑した。年金受給の振り込みがあり、引き落とす車の渋滞があったが、今は人通りも少なくなり、まして車の通行は8割も減った気がする。それでなくても自宅前を通る人も無く、外で陽を浴びる父は「誰も通らない」と、寂しそうに話す。
「田畑も来ないし、須藤からも電話が無い」と、仲間の状況を心配している。95歳の父を心配するのは親戚だけで、「他の人は年を取り、自分の事で精一杯」と、父に伝える。寂しそうに自分部屋に入った。

私は父に何もしてやれない。自分の為に生きたいと思っている。今日はウジエに買い物に連れて行こう。

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2018
06/16

兵達の夢の跡

昨朝に連絡があり、1時間後に同級生から電話も来た。やはり同級生の父の死にあたり「御霊前に」と、死を痛む心遣いをとの事だった。誰もが知らない間に、先人たちの死が被災地で起こっている。

佐藤栄吾先生(91)は震災時に十日町で奥さんと、息子さん夫婦と孫たちと幸せな生活をしていた。それが「3.11」の大津波で、命からがら避難場所に逃げたと言う。その後は隣町の石巻市で8年目の生活は、孫たちとの生活もやっと落ち着いた頃、と思っていた時の「訃報」だった。今日の葬儀には出席をする。これまで多くの支援と指導を私は頂いた。学校では同級生の父で、強弁は受けていないが、先生夫婦には両親のように家庭に向かい入れてくれた。ありがとう、そして感謝、ご苦労様でした。
昨日はもう一人の恩人の先生の、一報が聞こえてきた。歌津の山内亮先生(90)の死だった。歌津地区の西光寺の門前に自宅があったが、津波で流失し最愛の奥様も亡くなられたと聴く。息子さん学区は違うが同級生である。震災後に戸倉小学校の校長の時に、同級生のよしみで「広島の団体の子供達の支援を受け入れ」でお世話になったのがこの間の事だった。亮先生は地元の老人介護施設に入所していた。書道や短歌を趣味にして、自費出版で相談を受けた。仕事面だけではなく、奥様の優しさにも触れ、色々な話をした事を思い出す。明日には線香をあげに行きたい。御疲れ様でした、そしてご苦労さまです。

教えは受けなかったものの、二人の恩人の先生が相次いで亡くなった。正義感を持ち、悪政を嫌い、子供達には優しい先生たちの死は、町の大きな人材の損失だ。多くの話を将来の町を造って行く若者や子供達に、話をしてもらいと今は思う。(合掌)

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2018
06/15

志津川まちづくり協議会は行政の応援団

大震災の悲劇からの再生の為に、行政が知地区住民に「まちづくり協議会」の設置をすすめた。当初は「高台移転部会」には、自分の家の再建への議論に地区民の多くが参加した。しかし、「土地を広く」「早期に」になど、UR年再生機構と行政が「町の再建計画」を伝え、会員は自分達の意見を出し合い議論をしたものの、結果的には行政の思惑どおり進む結果に、最大時には400名が会員として登録したが、最近は議論に参加する会員は決まった人間だけとなった。年々の総会への参加は20~30の時もあり、昨日は事務局が4人と協議会は16人ぐらいだった。会員は約25人で、傍聴者? 役場・報道・関係者が、後ろで総会を見つめた。

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今年度の計画の案で質問した。その他で手を上げようかと思っていたが、自分のイライラ感が爆発した。
中央団地のアパート建設への、団地住民との行政の説明に高橋氏と及川会長が質問に立ったが行政の対応は、計画で聴く内容ではないが、まちづくり事業の行政との在り方を所在位置を問いただした。協議会で決めたことが知らない間に、町協に報告も無く変更されていた。何のために協議だったのかと思う。現在報道で議論されている「高野会館震災遺構問題」も今年度の事業の中で議論すべき。まちづくり協議会で示した「ネイチャーセンター」の建設や河川堤防の、会員から出た、海の震災遺構や、八幡川の親水性を求めたのに、現実的には実現されず、戸倉地区への建設となった。
志津川まちづくり協議会は、行政の町民からの意見提出により、町の復興に地区民も賛同したとの「既成事実」を提供しただけと思う。本部役員も町長の応援隊と思われる、商工会・観光協会・町の団体職員・町の権力者の後押し等、そんな役員の顔ぶれに、真剣なまちづくりを議論するには、ばかばかしいが私の思いだ。意見の言える総会で、執行部を正すしかなく、「今言わないと何も解決しない」と思う。巨大な町の権力は、町を駄目している事を「私が消されても」言い続けたい。
今回は役員改選があり、会長・副会長など、理事・監事が4人辞める。「30代40代が新しい町づくりの提案者として、会の理事を形成して欲しい。」と話した。60代前後が退任するが、町長の権力維持の協議会は変わらないようだ。戸倉・歌津のまちづくり協議会は既に解散していると言う。

自分がやり易いような、議会の体制と職員の人用など、これでは町の再生への「改革・革新」等できるはずがない。

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昨日は「グループ補助金」の書類が届いた。県の事業ながら、真剣に県下の事業所の再建にあたっているのかと言うと、あの大混乱の中で、地域の商工会の「縛り」と権力が影響しているのは事実だ。早期の事業所再建には「グルプの参加」など、多くの時間が必要で、総てを失った事業所の得意先の確保は、震災後は待ったなしの状況だった。地域の生業の再生はスピード感が必要ながら、そのスピードは被災者と国県とは大きな開きを感じる。

総会の質問には5人が立った。2割の人が町協の在り方を問い、事業へのお願いもあった。若い世代が活発に議論しあい、他の被災地ようにより良い復興への声を上げて欲しい。

朝7時前に「訃報」が届いた。志津川地区の「佐藤栄吾先生」が亡くなったと言う。また、私の尊敬する志津川の先生が亡くなった。

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2018
06/14

戸倉地区の活性化と町づくりの見直しを「2」

 東日本大震災で職員多数が犠牲になった岩手県大槌(おおつち)町の旧庁舎内部が13日、報道陣に公開された。7年たった今も内壁や床、天井には津波の直撃を受けた生々しい傷痕があり、波にのまれ、止まったままの時計も残されていた。
 当時、庁舎前で災害対策本部の準備をしていた職員20人と庁舎内にいた8人の計28人が津波に襲われ、亡くなった。庁舎内から屋上に逃れて助かった人も23人いた。屋上に上るハシゴは今も残っていた。
 町は旧庁舎の解体を決め、来週にも本格的な工事を始める予定だが、亡くなった職員の遺族らが11日、「検証が終わっていない」と解体差し止めの仮処分を申し立てている。(本田雅和)

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4問目の結び…
●戸倉地区は震災前の2433人から、30年3月末現在では1428人と、1005人の人口が減少しました。3月以前の10か月間でも62人前後の人口が減り、自然減とは言いますが、その歯止めと人口増加への取り組みが急務です。どんな政策を考えますか。このままだと10年後には、1000人を切るまでになります。
●これ以上の戸倉地区の大きな減少はないと思いますが、高齢化による自然減少はさけて通れません。一区画の造成整備に5400万円も掛かる事を考えれば、できない事はない対策だと思います。
震災後7年間の急激な人口減少の戸倉地区を、移住者への税制軽減や、生活支援金の補助など、政策を講じて戸倉地区から移住拡大に取り組んで頂きたいと思います。
●震災で止む無く町外へ流出した地区住民にも、uターンの働きかけも人口減の防止に繋がると思います。戸倉地区の姿が、これからの南三陸町ではないでしょうか。ぜひ、大胆な取り組みをお願いします。

5問目の結び…
●三陸道の志津川ICと南三陸海岸ICの開通により、戸倉地区を通過する、区間の45号線の車の量は7割も減少したと聞きます。
町外のからの戸倉地区への観光客を引き付ける対策をどう考えていますか。
●役場職員や観光協会・商工会の会員、そして町民の皆様にも積極的にSNSの情報発信を促す活動も必要と思います。
スマホの普及拡大で30~50代が親子での旅行・キャンプ時の情報源となっています。(町挙げての観光振興は戸倉地区の活性化となると思います)
●南三陸町は一方は海のため、南・北・西側からの来町者を迎えています。国道45号線を遠回りしてでも、南三陸町へ行きたくなる環境整備と情報発信を。経費を掛けずに出来る方法を考えるべきと思います。その他にも海からの戸倉地区への流入を図って欲しいと思います。

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全体の結びとして…
南三陸町にある志津川・歌津・入谷・戸倉の中でも、将来に向け厳しい地域経済を考えた場合、戸倉地区の再生・活性化は、他の地区の再生の在り方にも繋がります。
 残った荒町地区も、人口減少の自然減の中で、二つの事業所が頑張り、雇用の場としての住民の生活を維持しています。残った地区でも子供達は町を離れ、他の地区で働いている事の事実です。町の職員として戸倉地区から、採用数は群を抜いている事は、町の地区の存続を考えての判断と思います。
戸倉地区は水産業を生業としています。水産業を観光に繋げる事こそ、戸倉地区の存続・発展の基礎となると思います。
南三陸町の4地区の復興・地域づくりを、公平平等に、個々の特色・特性を生かした、行政の取り組みを求め、私の質問を終わります。

(終わり)



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2018
06/13

私の戸倉地区の活性化の考えと厳しい現実


歴史的な「米朝会談」の開催された日に、南三陸町議会の6月定例会が初日を迎え、その一般質問の一番手として壇上に立った。
戸倉地区の急激な人口減と、戸倉団地の空き区画の問題があり、そんな中で陸前戸倉駅の再建の可能性と、自然環境活用センターの在り方を、佐藤仁町長に問い正した。
私の南三陸町志津川と戸倉に対する思いを語った。

一問目の結び…
●他の自治体では「復興は鉄路から」と、東松島・三陸沿岸や、福島でもその声を聴きます。
●高齢者の観光客の誘致には、鉄路は欠かせないと思います。昔ながらの、バスで多くの観光客の受け入れは厳しいと、観光で町起こしする方々は話しています。日本が高齢化社会となり、地元民なども「鉄路の復活を」との声を、今だに聞きます。町長には夢の鉄道の再建に残された復興10年の完遂の中に、将来への夢の鉄路再建の希望を、組み入れていただきたいと思います。

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二問目の結び…
●船による海中探索や、規模の小さな水族館、海の生き物を直接触れるなどの環境づくりを考えてみては、と町に提案します。
小さな子供たちを連れた若い夫婦が南三陸町を見に来てくれて、南三陸町戸倉地区の良さを感じて、移住へとつながれば最高と思います。提案いたしますがどうでしょう。
●ネイチャーセンターの整備に、場所の選定などの変更があるなら、
私の提案として、以前の予定場所の旧松原公園に、八幡川西側の防潮堤の整備を縮小し、土地の最低限の嵩上げをして整備をする。そして、国道45号を、堤防と道路の併用でとして、ネンチャーセンターの新築を提案します。港橋の架け替えと、高野会館の外交の整備で多くの観光客の、津波被災のジオパークとして、南三陸の海に直接触れ、津波の風化と伝承としての役目が果たせると思います。

3問目の結び…
●戸倉地区にある「南三陸・海のビジターセンター」は、国土交通省が管理をしています。「三陸復興国定公園」を全国に発信する、南三陸町を拠点としてあります。今年に開設した「石巻・川のビジターセンター」と一緒に、同じ職員が6名勤務しています。
●職員の方が話していた事に、「海のビジサターセンターなのに、施設から海が見えないのは寂しい」と話していました。また、「防潮堤の在り方を考え議論すべきでは」などの、町議会への注文も頂きました。海の良さを消してしまう事は、移住者の南三陸町への気持ちとしてマイナスとも話していました。
●南三陸町の他の地区にはない、国土交通省の施設ですので、情報発信や施設利用の予算は全て国から直結と思います。目標を年間1万人から10倍まで、町の施設との相乗効果で戸倉地区の活性化につながると思います。

(つづく)

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2018
06/12

ひっそりと 華やかに


子供を親が守らないで誰が守るのか。
「じぶんからきょうよりか あしたはもっとできるようになるから」
この結愛ちゃんのフレーズに、私は心が震えた。
義理の父は我が子を愛し、連れ子に対し「鬼畜」のような牙を剥いた。
母は自分が捨てられないように、腹を痛めた子を見捨てた。
日本の母性愛や、侍的な仲間を守る意識よりも、自分の事しか考えない、そんな人間が毎日のように、テレビで沢山映されている。

幼児・児童の保護施設と警察が、もっと厳しく監視力を与え、子どもへのDVを防がないと、まだまだ子供達の悲劇は続くような気がする。

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広島からの「愛の福袋活動」の皆さんは、交流会の翌日は陸前高田に行き、夜は気仙沼のサッカー少年と指導者との交流会を開催した。子供達への支援をこれからは力を入れたいと、代表の山下さんは話す。

昨日は南三陸町の子供達に、ベガルタ仙台の「佐藤寿人」選手を初めとする、仲間が来庁しサッカー指導を行った。テレビでは子供達の笑顔が広がっていた。

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天皇陛下と皇后様が、福島の慰霊でフラガールを労った。被災地へのフラガールの「皆さんに元気を」と、歌津地区へも来町し、素晴らしい輝かしい「フラダンス」を披露した。震災の3年後ころだろうか。
陛下の被災地への慰問は今回が最後になると言う。両陛下もと体の不調を押しても、国民への労わりし慈愛を続けている。ありがとうと「日の丸の旗」を大きく振りたい。

米朝会談がシンガポールで開催される歴史的な事が今日起こる。こんな日に、再び町議員に当選し、3回目の一般質問をする。南三陸町戸倉地区の今後の事を町長と議論する。10年後に1000人以下まで減少となる予測がされ、震災前には2500人が、大震災でここまで減少すると、誰が予想しただろうか。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:50 】

2018
06/11

「移住者大募集」南三陸町


一昨日、出掛ける時に車のナビで「天国の楽園」を放送していた。大好きな番組で時々「人生の越し方」をこれを見て、夢に浸っている。この日の移住者が選んだ場所は「飯島町」で、私も一回、感謝を伝えに御邪魔した事を思い出す。東西の日本アルプスに囲まれた、素晴らしい風景に長距離運転も忘れさせる場所だった。都心からも近く中央道・関東横断道路を使い、2時間余りの場所と思う。

先月から長野県飯島町の「マジッククラブ」の代表の宮澤さんが、今年の7月に南三陸町に行きたいとの報告を受けた。
宮澤さんも長野県飯島町への移住者で、町で知り合った竹澤さんに畑を借り、畑で作ったジャガイモやネギを被災地「南三陸町」へ送ってくれた。この支援を7年間も続けた。「ありがとう、そして感謝です。」
今回から社協さんのお力を借りて、2カ所で開催する。歌津伊里前災害公営住宅の集会所(歌津中学校裏)で、7月16日(海の日)の午後5時から開催する。長野から朝発ち到着次第開催とする。
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3年前は戸倉中仮設の集会所での開催は、午後3時開催を1時間以上も遅れ開催した。戸倉仮設の皆さんは苦情も言わず待っていてくれた。そんな事もあったのでこの時間とした。一人でも良いから講演をして交流をと宮澤さんは言う。

7月17日の2日目の公演は、志津川地区東団地の西工区の災害公営住宅の隣りにある、社会福祉協議会の施設「結の里」で午前10時30分から開催する。
「結の里」の周辺の災害復興住宅のA・B棟でのジャガイモやネギの配布は、大盛況だったことを思い出す。一回目の車に積んだ総てが無くなり、再度自宅に戻り配布し喜んでもらった。翌日はC・D・F棟では、総てが無くなり、お詫びを申し上げた。
長野県飯島町の宮澤さんからの野菜の支援は、被災した皆さんの再建の意識を削ぐと指摘され、私の取り組んだ昨年までの、我が社の受け皿の物資支援の配布は一端終わりとした。

今日は朝から降ったり止んだりのお天気で、父も気分が冴えないと言う。「梅雨入り」は今日からと、こんな日々が続く事となる。季節はいつもどおりの移り変わりが、自然を相手にする生活には絶対だ。今年は「暑い夏」を期待したい。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:28 】

2018
06/10

町の支援者と沼地宅の街づくりの取り組み


「南三陸町での家族が元の暮らしに戻るまで」と、広島出身の奥さんの頑張る姿に、何とかお手伝いをと「女性連合」の会員が活動をしてきた。
今回の活動の内容は被災地の現状と、これからの被災地の後継者育成について、教育関係者の皆さんとの交流会だった。「物資の支援から、心の支援を!」や、「南三陸町の子供達の活動が多く実を結んでいる」、「全国・世界からの支援で何とか子供達の活動をしているが、被災地の活動には資金面の支援が必要」など、現実的に何をしていけるのか、何が必要なのかを現場の意見の交流会を開催した。2時間の予定は1時間近くの超過となった。
来町された広島・山口・島根の皆さんの、被災地で感じた事や思いを、残す事無く発表する会となった。地元の教育関係者は、スポーツ少年指導や教員など、今回は4名の出席を得て13人の会となった。震災後の自分の置かれた状況での、被災した町と子供達の係わりを話した。あの日から「生き方考え方が変わった」が、参加されて4人にはあった。
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こうした皆さんの話からも、震災復興の取り組む形を再認識した。私の身にも「震災風化」「町の再構築」の難しさを新たにした。しかし、人は可能性を秘めた動物、まして新しい命の可能性も秘め、前向きに努力を無くしてはいけない。
昨日は今年2月に女性連合の皆さんから頂いた、「広島からの千羽鶴」に庭のバラを供え、慰霊塔の清掃をし線香をあげた。
今日は「月命日」で、来町した皆さんも気仙沼鹿折フットボールの子供達と交流をする。

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今日は朝6時半から地区の清掃活動があった。「商工団地の会」「東浜団地の会」に別れての活動で、商工団地の会の清掃には、40名以上の参加を見た。総会員数は125世帯あり、みんなで地域を綺麗にと団結力がある。
7時半頃からは、商工団の入口の花壇の植栽活動をした。町庁舎・病院・アリーナまでの玄関口で、気持ち良く町に御出でになって下さる皆さんに、「綺麗な花の町」と喜んでいただく為の、沼田地区総出の活動です。
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私のゴミ拾いは、入口からの直線道路には、ゴミと言う物は無かったが、植え込みの中などのビニールや、今回はタバコの吸い殻が多かった。室内での喫煙は厳しい中での野外でのタバコのポイ捨てなのだろうか。「タバコの吸い殻ポケット」は携行をお願いしたいものです。

今日は議会の資料整理と、仲間数名との情報交換会を予定している。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:08 】

2018
06/09

南三陸町の志津川を離れ故郷の素晴らしさを知る


南三陸町を出発する前に、黒崎パーキングから大好きな志津川湾の、朝日を5時に撮影した。

高知旅行は印刷組合「友好支部」の東大阪支部の人達との旅行だった。
考えられない田舎者の零細企業の私が、仙台~高知へ飛行機で行くなど、夢のまた夢の旅たった。招待での交流の締めくくりの意味を持っていて、6年間の支援に対しての感謝でもある。永谷支部長は下見と交流で、南三陸町へは気仙沼も含め9回も来ていると言う。常宿は「歌津コクボ荘」として、気仙沼へも支援の輪と、被災地の現状をと岩手にも足を伸ばした。
東大阪支部の皆さんにとっては「西南海トラフ大震災」での津波被害の発生襲来の確率は低い物の、日本国民の悲劇に寄り添う行動が、同業の被災地の支部を支援するにある。
私の会社は震災後に3人で経営しているが、印刷組合に入っている事で、全国の印刷組合から見舞金100万円、その後にも追加で見舞金を頂いた。機械設備で4千万もの設備が全て海の藻くずに消えた。こんな環境から7年3か月は、激動の我が人生だった。下を向き泣く暇も無かった。両親二人に他の人よりは少しでも震災で惨めな生活をさせないよう、両親の生活環境は、親が思うようにさせた。これも、千葉家の35年の津波から子供を守り、苦しむ事無く育ててくれた親への恩返しと思っている。来週から父は社協の高齢者の、いきいき生活の場所に行く。また少し我が家の生活の変化へと進む。一人部屋に居る事で、何もしない生活は百歳まで生かしたいとの願いに、「一人寂しく部屋にいる事ではない」と行動に移した。

高知市の駅前に巨大な観光案内所があった。坂本竜馬のキャラクターが来場者を迎えてくれた。飛行機の時間まで1時間の自由行動となった。高知の市町村の魅力が紹介され、高知は歴史と自然美が観光の中心と感じた。案内所は職員が着物で案内をし、その対応も優しさが満ち溢れていた。
私もその接客についつい「竜馬くん」と、ツーショットのピースサインで、祈念写真を撮る事ができた。普通なら絶対しない行動は、楽しい旅行のうきうき歓の成せる事だろう。

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今日は「広島の愛の福袋」で南三陸町の被災者に寄り添った団体が、交流会を明神崎荘で開催する。山口・広島から9名の皆さんが来町する。町からは私と同級生の志津川高校前校長と、町内の先生に参加してもらい、南三陸町の子供達の状況と、これからどんな支援が必要かを聴く、そんな交流会を開催する。震災後に生まれた一年生が今年から入学した。団体は町内の一年生全員にプレゼントを贈った。
被災者への寄り添いから、今度は遠くからながら、子供達を見守る活動へと全国からの支援は続けられそうだ。
昨日は来月の長野県飯島町のマジックでの交流会の、段取りを付けた。今回は歌津中裏の伊里前団地の集会所と、志津川地区の社協の施設「結の里」の二カ所で公演会を開催する。宮澤会長を中心に、7名の方が来町する。受け入れは支援は6年目になる。

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2018
06/08

最近、話題の「高知県黒潮町」


6月2日の高知観光では色々な場所を訪れ、多くの知識と現場を見て来た。

そんな中で南海トラフ地震による、東海・紀州・四国等の被災地の被害想定は、道路・鉄路・建物などの被害は、総額「1410兆円」と国は試算した。こんな話が今日のテレビ・ラジオで伝えられた。

6月6日には宮城の地元紙に、「黒潮町」の小学生が650mの坂を、避難場所としている公園まで走る姿が掲載されていた。東南海トラフ地震で最大級の津波が、高知県黒潮町に「34m」の津波襲来への訓練だと言う。

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黒潮町を偶然に「桂浜」「坂本竜馬像」の観光途中で、ガイドさんの話があった。「黒潮町には東南海トラフ地震による津波は、34mの襲来がある。作年に国内最高の避難ビル「22m」が建設され、周辺地域の約200名の人が救われる。20m以上の避難ビル建設はできないと言われる中で、昨年「6億2千万円」で整備された。」と説明された。

気仙沼・南三陸支部の友好支部である、東大阪支部の印刷同業者との観光旅行ながら、多くの見識を得る事ができた。楽しむ、見るだけから、私はメモを取る事で忙しかった。多くの情報がガイドさんの口から発せられた。

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2018
06/07

高知市の土曜日の午後4時の風景


高知市の40分の自由行動で、ガイドさんが「是非行って見て!」と話した場所は、市の真ん中にある入口1間半の商店街だった。
鮮魚店が何軒もあり、揚物・果物・カレー・衣料店など、2坪から10坪が立ち並ぶ場所だった。中央や通路には長椅子と机が置かれ、商店で買い求めた刺身・ツマミも買い求め、ビール・焼酎サワーで料理と会話を楽しんでいた。

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やはり高知と言えば「カツオのワラ焼き」で、目の前で焼いて直ぐに刺身にする。にんにくやネギ・玉ねぎを載せ、塩を振り刺身を叩くやり方で、出来立てが次々に来客に売られていった。決して水氷で冷やす事をしない。
価格的には一人前750円前後で、ご飯を加えても千円はしない。ビールを500円で一杯は究極・至福の場所だった。BSの「吉田類放浪記」と言った感じだ。好きな物を買い、私は一人寂しくだったが、仲間とガヤガヤ、カップルで語り合い、週末のひとときが、薄暗い商店街の中にあった。私の大好きな環境が広がり、こんな場所が我が町にも一軒ぐらい欲しいと感じた。

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「さわち料理」はホテルの食事で出された。地元と刺身の盛り合わせ、サバの棒鮨、そして主役のカツオの姿盛りだった。これがあの有名な、一生に一度食べたいと思っていた「さわち盛り」を楽しんだ。こんな高知の夜を満喫した。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:03 】

2018
06/06

高知市を視察(個人的)


高知市の観光は「高知一のガイド」と言われる中越さが案内してくれた。高知の多くの土佐藩士や歴史・文化・土地など、名物・物産のいわれなど、総てに精通し、さすがと言わせる名調子だった。
観光バスは高校生時代依頼かもしれない。名古屋でも「名古屋城」を見られなかったし、武道を志した私には、戦国時代や明治時代の人物の生きざまには関心は大きいが、歴史となると多くの人物や地名が出てきて、ついて行けないのが実状です。
限られた時間の中で、ガイドさんの説明よりも、写真に収める事で、その時代と土地を感る。時間があれば高知城まで行く事ができるが、この日は無理ながら、遠くからそびえ立つ高知城に浸った。

朝5時前に自宅を出て、国道45号を通り「河北インター」から高速へ。この日の行く時は津山から桃生インターが朝6時まで通行止めで、30分早く自宅を出た。朝早く国道は通行車もなく、いくらも時間は違わなかった気がする。
一時間半前には仙台空港に着き、午前7時45分の大阪行きの飛行機で、1時間20分で到着した。そこから10時の高知行きで向かい、50分ぐらいで四国へ到着した。地図で見ると「遠い四国」は、飛行機だと、乗り継ぎ時間を別にすると、2時間少しで宮城からの距離だった。

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高知城の下に「板垣退助立像」があり、遠い歴史を感じる。名前は判るが歴史でどんな事をしたかと言うと、私では説明が付かない。日本国にとって、その礎の一部にいた人物なのは解る。学生時代にもっと勉強し、あれから時間が経過し、その記憶も薄れ忘れきている。こう少し時間ができたら、歴史人物書でもゆっくりと読みたい。子供達には勉強が一番で、次に仲間づくりと、スポーツで身体作りが大切と言いたい。

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2018
06/05

夢のような四万十川を体感


バスガイドのお姉さんの高知紹介で多くの事を知る。
日本一の清流は「四万十川」であると思っていたが、高知県の「仁淀川」だと言う。
四万十川の良さは「人の手が加わっていない事」と思っている、四国の大河で大雨時には大洪水が発生する。決して川に護岸工事などの手を加えず、大洪水の時は四万十川には、44本もの「沈下橋」があり、決して自然に逆らう事はしない。

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川の恵みは昔のままに、屋形船の昼食には総ての川の幸が、料理として船上での調理で出された。ウナギ・手長エビ・アユ・川のり・ゴリなど、総てが四万十川で普通に獲れて、人口(養殖)で育てた物は無い。
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一本の沈下橋の下には、橋からウナギ取りの「筒」が見える。川の澄んでいる事で望めるのだろう。日曜日ながら来客は少ないが、自然の清流と川風の心地よさは、屋形船での船上とあり気持ち良さと、料理にビールもすすんだ。
「ゴリがまだ来てない!」」など招待なので言えない。21名の東大阪の皆さんの賑やかな「酒の席」、一人で四国の清流の大河を満喫した。

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沈下橋を若いカップルが楽しそうに渡る。羨ましい「新婚旅行」だろうか。

我が町の姿は人間の命を守ると言うが、自然の景観の破壊と、川に住む生物の環境破壊、川を遡上するサケや、産卵・孵化にも大きな影響となっている。自然の営みを「交流人口拡大」と言う町の方針には、少数の人達が異論を唱えるしかない。これも将来の子供達への「ツケ」として、良き故郷が消えて行っている気がする。

多くの事を沢山学んだ。私の町への主張は決して暴言ではないと確認した。自然の成すがままを受け入れ、共に生きる海山の生物を守る。移住するなら四万十市も候補地として上げたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:31 】

2018
06/04

四国遍路88箇所参ら

高知空港から初日は、高知城と高知名物のカツオのわらやきを、高知市内で堪能した。
多くの店が屋内に集まり、刺身を初め中華、惣菜など、高知の食材が一同に集まり、それをおかずにビールを飲み、市民と観光客が昼間から会話を楽しむ姿がここにあった。
私はカツオ刺身とウニの軍艦を頂き、ビールで一杯、やっ張り三陸のウニが最高に美味しい事を確認した。

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高知に行ってきました。本場の「よさこい」を堪能してきました。
高知から南三陸町まで、飛行機と高速を使って、我が家まで4時間でした。
乗り継ぎは大忙しだけど、こんなに日本が近いと感じた事はない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 04:05 】

2018
06/03

いざ四万十川ヘ

視察二日目、黒潮町で避難タワー22メールを見ます。
友好支部の東大阪支部の移動総会に、被災つたう地の現状を伝える爲に、高知件までむてた。今日の帰りの飛行機がなく、もう一晩高知に泊まる事となった。
でも明日のお昼には宮城県南三陸町にかえれる。
日本は狭い!!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:58 】

2018
06/02

緊張感に欠ける会議だった


昨日の委員会では、災害公営住宅の家賃軽減や、被災者医療費の一部負担金の免除の継続と復活を陳情が審議された。宮城県知事と後期高齢者広域連合長への陳情書の内容精査と、採択するかが議論された。
町の財源支出と税収の減に関わる問題で、慎重審議が委員により成された。私は生活困窮者が多かれ少なかれ町民にはいる事で、ピンポイントでの救済策が必要と思う。町・県・国に町議会から要望書を提出しても、陳情が町から県に行ったとしても、再度審議が県議会で議論され、県の支出と財源を考慮し、国への交付金を求める事になるだろう。

もう一件は「高野会館の保存」だ。震災復興祈念公園の縮小により、会館は区域外になり「道線」の確保ができないとの危機感から、現在所有するホテルが請願書をだした。参考人として「南三陸ホテル観洋」の幅社長が出席し、遺構としての価値と観光客の安全性確保を語った。請願者は「ホテルの維持費の要望ではなく、施設までの安全な道路整備」をと請願で求めた。
私は多くの町民が助かった場所であり、高野会館は貴重な震災遺構であり、「反対する理由はない。」と会議で語った。行政のトップのホテルへの理解は、幹部職員も欠如していると言う。「町が一丸となって!」は、まやかしの発言で、行政の事しか考えてないと私は感じる。

被災地の町や国での理不尽な事が起こり「寂しい日本の夕日」に見えた。こんな我が町が透けて見えてくる。これまで町を支えた高齢者や、どんな理由があるのか生活困窮者を助ける、「優しい町」への創生は、今の体制では難しく、町民にも余裕がないのが実態だろう。

今日はどんな一日になるだろうか? ワクワクする。

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2018
06/01

出逢いは偶然でなく「必然!」


週末、大好きな志津川を離れる。7年間支援してくれた大阪印刷組合の「東大阪支部」の皆さんと会う。南三陸町を知って貰おうと、午前9時に観光協会に行き、多くの資料を貰って来た。その後で町内の「南三陸ホテル観洋」へも、知人から観光パンフを頂いた。朝は「語り部バス」「見送り」と玄関は大忙しだった。待つ事5分。偶然の偶然を体験した。

「のぶたか君」と呼びかける声に、周りを探すと、中学時代に恩師だった「小松先生」が私を見つけてくれた。喜寿同級会が昨夜ホテルであったと言う。志津川市街地を同級生と「語り部バス」で廻ったと話す。朝10時前は帰えるお客様で、フロント・玄関はゴッタ返していた。同級生の幹事として引率し、昔と変わらない先生の笑顔は、「こうでありたい!」と私は思うが、私にはまねができない。今回は私から手を握り、先生これからも元気でと分かれた。仙台での小松先生の最後の「シャンソンコンクール」以来で、2年が経とうとしていた咋朝の出来事だった。

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家を出る時間、観光協会で待つ時間、ホテルの方が来るまで待つ時間。総ては先生が見つけてくれる「再開の瞬間」と合致した。必然と言わないでこんな事は実現には至らないだろう。「お元気で!」と手を握れた最後の時だろう。また直ぐに教え子の同級会で南三陸ホテル観洋に来ると言う。77歳まだまだ元気を振りまいて笑顔を伝えて欲しい。

毎日三食の食事を取る事を健康と、病気の悪化防止の生活習慣としている。しかし、「快便」とはなっていないが、別に気にしては居ない。千葉家は「糞ズマリ」の家系のようだ。
こないだ「便が出ない」と父の救急車騒ぎがあった。叔母も便が出なくて苦しいと病院に居った。私は今日で6日便が出ていない。三食の食事は8分目と、食べた物はエネルギーとして消費されるから、何の問題も無いと考えている。出ない事のイライラがストレスとなり、「出ない出ない」と悩み不安が、また快便とはならないのが原因だと思う。皆さんも気になったら病院へ行って下さい。

人との再会は自分からと、相手が近づいて来てくれる事はない。恋愛も自分の生活範囲では「出逢い」は難しく、多くの人と会う環境を、自分から求め行動しないと、助け合う友(彼女)には出会えない。今回の出来事からも実感した。

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