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ARCHIVE - 2018年05月

2018
05/31

周りからは変な奴


人の目線にオドオドしていたのは、50歳位までだろうか。我が人生、悔いなし堂々と! を今後も貫きたい。震災から学んだのかもしれない。

昨日は議会事務局に「一般質問の通告書」を届けた。今回は「戸倉地区の活性化について」で、この地区の震災前からの1005人の人口減は異常しか思えない。何がこうさせたのかを町長と議論をしたい。震災後の復興対策に何か足りなく、人口の増加をする為に、対策は何をして、どう町が取り組むかを問いたい。交流人は地域の活性化とはならないと言いたい。

午後から今夜の食卓の足りない物を入谷地区に買いに行く。酒屋さんで350缶を6本、魚屋さんでカツオの刺身・ホヤ貝・カレイの焼き物などを買ってきた。田植えも終わり紫の花が道端に咲いていた。地域が一つになり、町から移住してきた人達と共に入谷地区はある。高速が開通し水境峠を通過する車は減少したが、地域で支えあう環境がここにある。

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昨日のお昼は「特製ナポリタン」を作り趣味を楽しんだ。
材料は3分で茹であがるバスタ半束25円と、栗原の山の駅で詰め放題だったパプリカ、200円に7個を詰め一個30円、メインは100円のナポリタンの元、ハムは125円のコンビニの物と、合計280円で豪華特製スパゲティーは最高に美味かった。料理時間15分。

石巻日々新聞に平成から始まった「アイトピア」の商店街が27年目の今月末で解散となるとの記事を見る。高齢化や廃業があっての事と言う。石巻市街地の商店街の、買い物客の減少が最大の問題で、郊外への大型量販店の出店が原因と思う。若い世代は家族で食事を楽しみながら、ショッピングのできる場所を選択し、昔から続く町会との繋がりを考えない時代を迎えた。
アイトピア通りの商店街は当初60会員、総会では49店と減少したが、まだ頑張れる気もする。商店の目的は、コミニュティーと支え合うで、「アイ」はそこから取ったのだろう。

現在、被災地への観光客の流入があり、25年後には7千人を割る南三陸町がある。町民が築き上げる商店街ではないと、町は益々の低迷を続けるだろう。私の力ではどうにもならない。「早くのんびり生きたい」と思っていたが、厳しいようだ。

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2018
05/30

「砂浜」も「干潟」も消えた南三陸町の防潮堤整備計画


昨日は戸倉地区の現在の姿を見に行った。

波伝谷地区は戸倉地区の漁港の拠点としてあり、水戸辺川の河川堤防は、いったい何を守るのだろうか? 巨大な橋と堤防は何も無くなった地区に整備されていた。南三陸の海はかさ上げされた「国道398号」があり、その前の海岸沿いに防潮堤を整備する。
気仙沼市の大谷地区は国県の防潮堤計画に意義を申し立て、住民の計画反対は「大谷海岸を守る」との思いから、防潮堤整備を中止し、国道が防潮堤の役目をする「共用」の形を取った。市内の入り江の防潮堤整備も、土地の隆起もあり20㎝が計画より高く整備工事となった。住民の反対と菅原知事も市民の意見を尊重し知事に意義を申し立てた。村井知事は「工事を進めながら、市民に理解を!」と言い続けている。長期政治の「おごり」が、県民の声を無視した行動へと突き進む。

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31年に整備される南三陸町の「自然活用センター・ネイチャーセンター」は、震災で残った旧戸倉中学校跡地(現在戸倉公民館)に整備される。町の震災の後地として、多くの観光客が訪れていると言う。しかし、ここまでの道路は積まれた残土の山の間を通り抜け、何処が何処なのか解らない道が続いていた。南三陸の津波で消えた町を紹介するには、その切迫した危機感を味わえない、現在の被災地の状況があった。
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現在は「戸倉民族資料館」として、二階の3教室を利用し、漁具や被災品と戸倉中の生徒の生活の一部を展示するだけの場所だった。観光バスが朝夕4台前後訪れ、観光客は高台からの戸倉の入り江の、津波襲来の状況を説明するには格好の場所となっていた。戸倉の折立から家々は消え、折立向かいの干潟は残っているが、人口の干潟となっている。ゴロゴロとした石と隙間の砂浜には、沢山のアサリと生物が生息し、海の食物連鎖がここで繰り返し、素晴らしい磯を形成していた。

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町で暮らす人たちからは聴かない声を聴いた。勿論、町外から南三陸町にいる人たちの声は、「何で海の見えない施設なの」「議会でなぜ防潮堤の在り方を議論しないの?」だった。
千年に一度の今回の津波「L2」は10年後に来ても、不思議ではなく、人命を守るためには「沢山の避難路整備」が津波の町には望ましいと思う。多くの津波防災の為に、人の暮らしの場所が消え、延々続いて来た海岸の形成に人間の手が、余りにも入り過ぎた気がする。

津波は地震から5分~15分そして30分の時間が、早くても到達までの余裕があり、その時間を利用すれば、暮らしの姿は消えても人命は助かり、人間の可能性を持ってすれば、暮らしの再生は容易と感じる。どこに震災復興計画の本意があるのか、住宅再建も終わり、町民も考える「検証」をする時期に来ている。

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2018
05/29

ビールが切れた


今月に入り、商工会」「観光協会」の総会があった。

商工会では須藤会長が10以上の職を退任し、さんさん商店街で活躍中のマルニの山内社長が就任した。佐藤町長の意向を繋ぐ体制が今後も維持されると感じた。総会の日は出張で参加できなかったが、一人の人間が長く役職に就く事は、会の改革の低迷となり、新たな意識の改変で、生まれ変わる南三陸町の未来に繋ぐ、事業所の拡大が最大の目標だろう。震災復興の終わる残り2年半後に、大きく町の商業体制は変わるだろう。

観光協会の総会が昨日開催された。40名余りの会員が出席し、136人の総会員数がある中で、半数以上が委任状の提出だった。会長の下に若い事務局のスタッフが総会の報告にあたる。6名の説明者の中で一人だけが、南三陸町の出身で、残りが移住・ボランティアの、町外からの人材と感じる。
若いスタッフでの観光振興と推進に、新たな町の観光の体制を少し喜ばしく思った。多くの役員は旧体以前の名前があった。
私は小さい事業所で、会費は5千円ながら、「もう会員でいる意味がない!」と、昨日の総会で感じた。会員としてのメリットが我が社には無いからだ。多くの予算が町から観光協会の管理委託制度の等の方に支出している。協会で働く人件費も町から出ているとの議会の報告に驚くが、その分も現代の新しい南三陸町発信には、若い思考と英知が欠かせない。これを思えばスタッフの説明からは、多くの可能性を感じる。

会員からは志津川市街地の今の道路状況は、観光客の利便性に欠ける。との意見が出た。観光客が困らない環境の整備を早急に。との要望と願いが出された。市街地の再生の途上、もう少し待って欲しいとの町の計画ながら、観光客はそんな事は関係なく、一度来て町に観光の不備を感じたら、リピータとしての希望は薄れる。復興途上で住民も観光客も、もう少し我慢するしかないだろう。しかし、町には対策を講じる義務がある。

昨日は無気力感に陥った。町の為に支援者受け皿で係っているが、何をすべきが失いかけている。高齢者の環境改善ながら、社協の活動の充実があり、減税・免税が何処に必要なのかを考え、高齢化対策に老々介護の環境から意見を述べたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:05 】

2018
05/28

悠々とそして生き生きと


仙台の印刷組合理事がお客さんを連れて来町した。一昨日前から連絡が入っていたが、昨日もあり「ごめん」と内容を聴く。
大坂からのお客さんがあり、「南三陸町に友だちを連れて行きたい。」と言う。さんさん商店街で待ち合わせた。和泉市の市議会議員のマスクマン「スペル・デルフィン」と分かりビックリ! 夕方5時頃のことだった。「語り部をお願いしたい。」の願いは無理で、さすがに数人に声掛けしたが駄目で、私が商店街から45号の橋から、南三陸町の復興の状況を説明した。
商店街の佐良スタジオさんの店の脇の震災後の風景で、当時の状況を説明した。写真と一緒の説明はわかり易いようで、津波の志津川地区を襲った流を話した。その悲劇と九死に一生の住民の状況を伝えた。脇田氏は防災庁舎の当時の状況には、興味を示し、この住民と町職員の悲劇の姿を聴き、自分の市の防災意識の向上に取り組みたいと話す。多忙な一日ながら有意義に一時だった。
脇田氏(スペル・デルフィン)は、震災後にみちのくプロレス団体の元に、仙台に被災地支援で初めに来た。閖上の仮設団地に慰問し、その時に友達の県理事の平野氏と知り合いになり、それからの御付き合いで、今も定期的に仙台に復興状況を確認に来ていると言う。個人的に政治活動は「被災者に寄り添い、元気を与えたい!」との気持ちだと語る。被災地でもこうした人達への受け皿として、支援に応える事が必要と私は思っている。防災庁舎に手を合わせる場所としては、今はここしかないと橋の上からとした。

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昨日は会社の3台のエアコンの清掃を、親戚の電気店に頼み、午前の10時から午後6時まで掛け、私が家を空けている中を丁寧に、工場の8年稼働の物と新築した5年間の、震災後に活躍してくれたエアコンをやつと綺麗にできた。
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お昼ごろには「ホヤ祭り」の賑わいをカメラに収めようと会場に行く。時間を確認しなかったので、1時半の終わり時間に何とか間に合った。目当ては「ホヤ詰め放題」で、こん時間でも行列は続いていた。大盛況だったらしくバンジョウ(籠)には、15個余りが残るだけだった。私も買い求めるつもりだったが諦めた。これからが本番で身も厚く美味しい南三陸町のホヤを、多くの人に味わってもらいたい。

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7月の先祖のご法事の案内の配布をしながら、街中を歩いた。志津川高校下には、今年も「田んぼアート」の田植えを終えた風景を撮影した。歌津地区は国道45号の本設工事のためにう回路が完成し、どんな状況か撮影してきた。歌津伊里前市街地の復興はまだまだと感じる。南三陸町の志津川地区と歌津地区の、復興格差は歴然としていた。

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2018
05/27

栗駒山と耕栄


昨日は初めて栗駒山を目指した。ナビを頼りに初めてのドライブ、山・谷・山を走行し、2時間30分で、残り30分まで来たが、人との予定が6時30分にあり、後ろ髪を引かれながら栗駒山を後にした。ジオパークの「世界谷地」まで「1.2K」、行こうと登山道を300m進み、下って来る人の登山姿に「杖」と「鈴」、「水芭蕉」の見ごろながら、熊が怖くて引き返した。
栗駒山の残雪と山の新緑にひたれた。多少満足。

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栗駒山は秋田・岩手・宮城の3県にまたがる山と初めて知る。1626mの栗駒山は四季折々の自然の光景が観光の目玉である。
宮城内陸地震があり、栗駒山の周辺の地震による激変があり、川がせき止められ旅館が水没し、多くの人が行方不明になった。がけ崩れによる堰止湖となった「栗原耕栄」地区の姿を今も覚えている。今回はその地区の復興の姿を見る事が第一の目的だった。山の中腹には土砂崩れ防止の工事の姿があり、道路のひび割れも「世界谷地」の駐車場にその痕跡があった。
地震当時に栗駒山に行っていた御夫婦の話を聞いた。まさか「こんなにも大規模な地震を目の当たりにするなんて!」が第一声だった。連日流れた不明者の救出は、谷あいの川のほとりの旅館は、多くの土砂の中に埋まり、何か月も発見に至らず、捜索の難航を伝えていた。自然の災害の中で人間の力は弱く、少しずつの活動の継続で、解決の糸口を求めていた。その旅館も数年かけ復活し、いわなの養殖も再開され、人間の強さは「諦めない行動」にある。

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山の駅「くりこま」にも寄った。道の駅ではなく、スーパー的な買い物場所として、地域住民の買い物の場となっていた。栗駒山に来た観光客の「お土産買い物」「休憩場所」として、重宝されていた。勿論、地元の山菜や農産物が並んでいた。私が気になったのは「パプリカ詰め放題」だった。一個で160円が一袋「200円の詰め放題」、パプリカ大好きの私も挑戦し、7個をゲットした。一個30円と地元の特産品を買い求めた。産地の良さは「安くて」「新鮮」が魅力として楽しみでもある。

この日の目的の一つに「みやぎ北部道路」が、どのようなルートになっているのかを知る事もあった。「くりこま高原駅」までの短時間の道路を見つける事だった。内陸の道路は農道などが入り組み、判りにくいのが初めての人には、交通の悩みでもある。

今度は「東京まで新幹線の使い方」を学びたい。63歳を過ぎ今まで経験できない体験と、南三陸町志津川しか知らない私は、家業に身を粉にして働いた45年間のご褒美を、自分であげたいと思っている。まだ行ったことのない所は沢山ある。

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2018
05/26

何かが起こる日常

「長野県内での震度5強の地震、強い地震でしたね、余震に気をつけて下さい。」

信州のFBの発信に上記のようなメッセージを送った。多くの心配と準備はしないより、した方が良い。これを大震災の発生の経験から学んだ。

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昨年の秋に「蕾」付けた花が、9か月も経って花が咲いた。「咲き枯れ」と思い諦めていた。葉っぱには穴が空き、茎は緑から茶色に変わり、「もうダメだろう!?」と諦めかけていた。
事務所の前の日当たりの少ない場所から、先週の初めに道路の朝日の当たる場所に移し、5日もしなかった。「花咲いているヨ」と従業員が言う。嘘だろうと行くと、総ての蕾が赤い花芽を力強く出していた。
最初から諦めてはいけない事を学んだ。昨日も「駄目元で活動」は、良い返事を貰えた。7月の支援団体の受け入れは、私用と重なり、どうするか思案している。これもまた努力し解決するしかない。

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24日の仙台から帰りの車中から見た「積乱雲」の物凄さに、こんな雲は最近見たことが無かった。しかし、その夏雲に等しい自然の勢いに見とれていた。
自宅に帰っての午後4時頃、突然の「雹(ひょう)」の音に驚かされた。2~5mの大きさで菜園の葉っぱの影響を思った。農家のビニールハウスも大丈夫だろうかと心配したが、報道では被害のニュースはなかった。日中の30度近い気温から、一揆に雪霰(雹)は驚きの一語に尽きる。

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異常気象が世界で起こっている。地震は日本全土で発生し、夏まだ早いのに高温の状態が続いている。それと反対に局部的な豪雨で氾濫も起こった。三陸沿岸ではホタテ貝の「まひ性貝毒」で出荷停止となり、今後が見えない。

明日は南三陸町で「ほや祭り」が開催される。韓国へのほや出荷の輸入禁止により、南三陸町歌津の養殖ほや業者の悲鳴が聞こえてくる。そんな中で「ほや」の販路拡大に、県民や全国の消費者が理解を示している。
多くの皆さんに「三陸のほや」を味わってもらいたいと、出店者は言う。

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2018
05/25

1960年5月24日は私の4歳誕生日


4歳の誕生日と言っても、特別にお祝いされる訳でもなかった時代、うつろな記憶を辿っても、写真のような光景は見てない。

志津川地区を襲った5m前後の津波は、南米チリ国からハワイを通過し、三陸沿岸の志津川町に到達した。海岸の特別な引きに人々は海に向かったとも聞く。41名の町民が亡くなった。
自宅の本浜町から十日町を急ぎ、城洋新聞社の脇を通り、避難所の坂道を歩き「上山緑地公園」に逃げた。当時の記憶に母は自転車で、私を後ろの荷台に乗せ、弟を背負い兄を連れ避難した。
あれから51年後に津波が町を消し去った。日本の海溝の断層によるものとは違う。断層の津波は78年前の「昭和三陸津波(岩手県沖)」で、町民(歌津)87人が亡くなった。
過去の津波から見ても、10mの市街地の嵩上げ、8.7mの防潮堤・河川堤防は必要なのかと、過去の津波の歴史からも感じる。繰り返される三陸地方の津波から、ここまでの時間を掛け、町を大きく変える必要があったのだろうか? ひと時の津波の脅威から、振り返ると「職住分離」の町づくりの計画は、国の考える「ゼネコン」「UR都市機構」の仕事を造った、事だっただけと疑いたくなる。

山からの恵みが海に注ぎ、その河口で町民が暮らす、これまでの町の営みを変えず、再建を図った方が良かったのではと、今は決定を私は後悔している。人間は自然には勝てず、自然の流れの中に身を委ね、無くなったらまた再建すれば良い。津波の避難路を最大限に確保して、そんな考えに今はある。人口はこんにも減る事は無く、町つくりは一から残った町民で頑張った方が良かった気がする。今言ってもしょうが無いではなく、大津波からの「再建の認証」は、南三陸町の姿に、津波発生を予想する多くの自治体に学んで欲しい。

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ついこの間は、南三陸病院の近辺にクマ目撃があり、今日の新聞では気仙沼の大島にクマが海を泳ぎ渡っていた。その後に島内でクマが堪忍された。自然界の動物の生育地に人間が立ち入った事からだろう。宮崎監督の「平成のポンポコ…」の映画での、こんな警告を思い起こす。


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2018
05/24

図書館先進地「岐阜県ハートピア安八」


南三陸町に「生涯学習センター」が平成30年度中に完成する。それを前に図書施設の全国でも有名な、岐阜県安八町の「ハートピア安八」を、民生特別委員会で調査に行った。

広々とした図書館と緑に包まれた施設は、規模と言い環境と言い、余りの大きさと施設内容に驚かされた。施設には子供達と親を集める事に着目し、プラネタリュームや天文台を整備する。図書施設は蔵書も去るものながら、DVDも貯蔵し、テレビ室・パソコン室など、多くの本に興味をもってもらい、何度も若者が子どもと一緒に訪れる環境が整っていた。
図書館内はその配列を、専門家への管理委託制度に任せずに、これまで図書施設に係って来た方が、これまでにない図書館の在り方にこだわり整備したと言う。

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約15000人の町ながら、岐阜県の隣あう市からの入館者も受け入れ、町民と同等の数を受け入れて来た。隣の役場の駐車場を含めた、大きな駐車場は無料で、気兼ねなく何度も来館できるようにした。貸し出しも一回10冊までとし、幼児などの子どもの見る絵本も充実していた。

クロウバーの芝生では子供が遊び、大きな木も点在し子供達が木登りをする姿に、生き生きとした図書施設と感じる。一角には自然の水の沸き泉もあり、町民が酌みに来る方で賑わっていた。
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玄関には町民の「足型」「手形」のタイルが周囲を取り巻き、町民で造った「私達の図書館」と言った感じだ。ここまでの設備は我が町では、敷地面積と予算などはなく、他にない案を、狭い公民館と図書館に英知を尽くしての整備が必要だと感じた。
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昨日から長野県飯島町のマジック倶楽部の皆さんが、今年、復興支援に再度来て、笑顔と交流の輪を広げる。今回は災害公営住宅の集会所を2カ所、2日間をかけて回る。受け入れは「社協」にお願いをするつもりだ。民宿は歌津を利用したい。
受け皿して友達をお願いするつもりだ。6名の方を迎え、こちらから2人の8人の交流会を企画している。私の仲間は以前に飯島町からの招待に参加し、その感謝の気持ちを表す。

今日は仙台に出張です。視察の疲れからか眠れず、こんな時間にブログを書いている。6月2・3は大阪・四国へ、9日は広島・山口の皆さんと当町で、これからの町の子供達の事を考える。6月1日は特別委員会と、12日からは6月定例議会が始まる。身体に留意し充実した日々を過ごせるように頑張りたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 02:29 】

2018
05/23

大好きな志津川の帰路

名古屋市街地から一時間かけ、セントケア飛行場に向かっています。タブレットの文字打ち込みにもなれたところでした。
昨日は岐阜県可児市のいじめ問題の調査でした。徳川家資料館は時間がなくキャンセルとした事が心残りです。
6月の一般質問は、戸倉の活性化対策について町に問います。帰って質問を煮詰め増す。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:58 】

2018
05/22

岐阜県初めて来ました

生涯学習センターの建設にあたり、議会の視察です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:20 】

2018
05/21

少数精鋭の子供達「志津川小学校大運動会」


母校「志津川小学校」の大運動会に参加した。
一日順延となったものの、夜中にまた強い雨が降った。開催時の8時50分は、まだグランド整備にPTA・教員の皆さんがあたっていた。一時間遅れの開催は雲一つない快晴の中で、多くの来場者を迎え、子供達の元気な声・姿に、多くの声援が青空に広がった。

齋藤校長先生に児童が元気よく、健闘の誓いを述べた。紅白対抗の運動会は、名前は変われど3年・4年の「徒競走」から始まった。
スタート前に出走の児童の名前を一人ひとり紹介し、広いグランドで「うちの子供」「うちの孫」の出番が判るようになっている。

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紅白の玉入れは1・2年が一緒で、それに両親も加わり、児童・家族が一緒に参加の運動会だった。1年・2年の学年別、1・2年一緒に、そして大人も加わり共働の競技だった。ダンスの音楽で踊り、止まると玉入れ、そんな楽しいルールだった。50個・60個と籠いっぱいの紅白の玉の数に、会場のボルテージは最高に上がった。玉入れは「白の勝ち」となった。

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「来年は一年生」の種目には来賓の出番となった。私たちに向かい来年小学校入学を予定する、こども達が一生縣命に私の元に走る。元気と笑顔は町の未来への希望と感じた。5レースで5人ずつが走り、5回も私の所に元気に走ってきた。「ここだよ!」「もう少し!」の声に素直なこども達、私もしばらくぶりの運動会を体感した。

今日は行政視察で、その準備に途中で退席した。
「協力・全力・きずなを深める・運動会」のスローガンどおりのたのしい運動会だった。

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2018
05/20

週末土曜の一時

FBの友だちの「かぐや姫も物語」の写真に、震災の混乱時に戻された気がした。支援で頂いたDVDを何度も繰り返し見た。そんな事を一瞬想い出しました。(コメント返信)
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震災後に南三陸町での上映会を観ました。人間の隠れた醜さと優しさ、そして自然の草花・虫たちの生活に、何か人間が失っていた物を見つけた、そんな作品「かぐや姫物語」に生きる力をもらいました。
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午前中は仕事と友達が来て、「仕事が3か月ない!」と嘆いていた。夏に向け2枚の網戸を注文した。そして、彼からは「安くして!」と名刺の注文を貰った。最近は、新聞や告知チラシに歌津地区の方々の不幸が伝えられている。出生が聞こえて来ないこんな町の状況は、間違いなく人口減少へ向かっている。

新年度の登米市のおば様に、私にも町への支援を頂いた。その恩返しに昨日は午後から、三浦魚店の「志津川の真ダコ」と、ユウシン堂の「饅頭」「どら焼き」「豆大福」を買い持って行った。定義山からの「お守り」も届けた。
7月16日に母の三回忌を始め、叔母・祖母・祖父の千葉家の父と関わる私との関係の、総ての法要をする。登米市のおば様には震災時の、支援・言葉が私の心の支えともなり、法要の席に招待をした。母の生家は登米市東和町で、その母の妹の義姉でもあるおば様。現代人には無い人の繋がりとその縁を大切にしている。

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買い物は仕事場のサンダル2足と、父の部屋の冷蔵庫の下見、会社の備品をダイソーで買った。サンダルは500円前後と、冷蔵庫が最低価格の物、あとは100均の品で、最低の物で今後の事を考えれば充分だ。掲示板の見積に看板店に寄り、見積の依頼をしてきた。
帰りは蕎麦屋さんの「親子丼小鉢」と「そば」で晩御飯とした。
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昨日予定の志津川小学校の運動会は雨天で中止となり、今日は朝から青空が広がり、子供達の歓声が志津川町内に広がるだろう。

留守の間に後輩が来てお菓子を置いて行き、親友が「楽天観戦」の誘いをくれたが、来月の12日から議会が開始される。明日からは岐阜県への視察があり、資料のまとめが途中だ。帰ってから仕事がいっぱいある。怪我しないように運動会観戦をしてくる。カメラで子供達の元気を撮ってきたい。

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2018
05/19

南三陸町の病院前にもツツジの大株


また一人、南三陸町に移住をする。以前に町から離れ、今後いっしょに町で暮らす事となる。人口対策は急務で、町民一人ひとりが問題に取り組む意識を持って欲しい。

入居には多くの障害があるのも事実です。困難を自分で解決し、自分が生まれ育ち、津波で町並が消えた物の、これからは一人一人が新しい町の礎を築く、そんな意識を持って行きたいものです。

災害公営住宅の入居は「住宅供給公社」に、6月から総てを委託して申込みを受けると言う。建設課の住宅入居の担当職員の説明は解りやすく、丁寧親切で、その旨を知人に伝えた。入居までは説明だと7月末頃となりそうだ。

建設課が担当部所で、旧仮設庁舎内にある。ここには「震災復興推進課」もあり、町づくりの再建の中枢でもある。新庁舎は住民サービスの対応部所と感じる。

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2018
05/18

杜の都「仙台」 新緑に浸って


宮城印刷組合の30年総会が、仙台の「勝山館(しょうざんかん)」で開催され、突然の成り行きで私が「感謝状」を頂く事となった。
震災後の宮城県を始めてとする被災地で、8年間の組合の理事・支部長として在籍した事が評価された。一年に10回の本部の理事会へも、会社再建・住宅再建、そして発生後の2年間半は町の議員としても、志津川町づくり協議会委員も参加し、こんな私でも「何かができるなら」と、精一杯働かせて頂いた。

総会から懇親会の間が1時間もあり、知人の少ない、一人が大好きな私は、隣の公園で緑に浸っていた。公園では子供達が遊び、お父さんと自転車の練習、グローブでキャッチボール、お母さんが子どもとサッカーなど、地域の子供達と親が新緑の公園で楽しく遊んでいた。我が町は何時になったら、こんな風景が見られるだろうか。仙台のど真ん中にはその姿があった。

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タクシーの運転手さんは、仙台の事を話していた。勝山館の隣には「勝山ボール」と言うボーリング場があった。しかし、マンション建設計画が進み、その後に採算が取れないと「白紙」になり、今は広大な空き地が仙台の中心にある。今後はこの場所に「イオンモール」が建設されると言う。
運転手さんは「仙台は不景気です。」と二人の方が言う。平日でも人がいるのにタクシーに乗る人が無いと話す。確かにタクシーの列が何処でも見かけられ、走行するタクシーも少ないと感じた。
周辺を散歩中「落しませんでした?」と、若いサラリーマンが声を掛けてくれた。ネームプレートで良く見ていてくれたと驚いた。小さな親切の励行がここにあった。

運転手さんは日本の政治と将来の生活不安を話していた。消費税が27%のヨーロッパの国があり、生活保護・医療保険・税金等を全て、消費税で賄い、高所得者には高い税金が掛けられているが、国民は皆この制度に満足している。日本には不均等と格差があるが、「国は本気で国民の生活環境改善には取り組まない。」と強い口調で語ってくれた。

公園の庭の木には鳥が止まり、そしてさえずっていた。

同年代の「西城秀樹」が亡くなった。脳梗塞で生死の淵から生還し、大変なリハビリに耐え、頑張っていた。46歳で結婚し3人の子供にも恵まれ、家族5人の生活だったと言う。家族と一緒に居た時に気を失い、そのまま帰らぬ人となった。今朝には「星由里子」さんも亡くなった。自分たちの時代のヒイロー・ヒロインが天国に旅立って行く。寂しい、私も今を思いっきり生きよう。

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2018
05/17

戸倉寺浜の津波防災


15日に臨時議会の「東日本大震災対策特別委員会」があり、戸倉寺浜地区に整備される津波防災システム「フラップゲート」の、建設整備会社の説明と試験稼働を行った。
寺浜漁港のある地区は、戸倉半島の先端に位置し、小さな入り江には集落が点在し、海岸の家々のほとんどが流失し、漁港も大きな被害を受けた。漁港は震災復旧も終わり、昔よりも作業のし易いように整備された。
この地区のおける津波防災システムとして、漁港は入り江にあり、防潮堤の役目をするのは入り江の崖のように感じる。ち2カ所の地区からの海岸への出入りがあり、一か所の通路に「フラップゲート」を整備した。車の通行がある道路に、幅4mと高さ1mの津波防御壁の施設、海抜7mの場所に1mの防水壁となる。普段は海の作業の通行道路を、津波襲来時には、津波の水の力で、防潮壁が起立する。
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今回の大震災で津波監視の消防団員2名が、津波の犠牲になり、その検証の元で、無人での津波の被害の減災を、この設備でカバーする事になる。
津波は100年に一度と言う「L1」の規模に対する、津波防災システムで、漁港の背後地の広がる農地と家々を津波から守る。
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宮城県の自治体で初めての津波防災のシステム「フラップゲート」の稼働試験が15日に南三陸町戸倉地区で開催された。
南三陸町では防潮堤の建設場所19カ所の内、13カ所に24基が整備される。工事や規模の大小もあるが一基当たり1億数千万円もする。開発会社は山梨県の会社で、西日本の各地に30カ所も既に整備建設がされている。太陽年数は50年で、定期検査やパッキンの交換など、維持費も今後係る事となる。

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三陸沿岸の漁港を守り、地域の水産業の再建には、津波防災対策は絶対不可欠であり、「命を守る対策」は被災自地位の対応として欠かせない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:34 】

2018
05/16

仙台で午後からの印刷組合総会でサプライズ


昨日の午前は戸倉地区の寺浜で、県内初の津波防災の「フラップゲート」の視察があの稼働実験説明会があった。7m×1mの津波の力を利用した、自立直立の防災システムです。南三陸町には今後発生の予想する、「津波防災の粋」が全て揃っています。全国で発生する自然災害の供えの行政の対応設備が建設されています。是非、一度は南三陸町の最新の機能をご覧頂きたい。まだ、総てとは言わないが、他の街よりは類を越えています。鎮魂の施設は一歩も二歩も不備ですが。

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午後は仙台での総会に出席した。理事として最後のお勤めと参加させて頂いた。議長と委員長、そして議会には少し迷惑を掛けてしまった。謝罪したします。
先月の20日に参加を伝え、会費も納付という事もあり、先週の招集の対応ができなかった。県の印刷組合からの議会への「陳情書」の提出の感謝を、直接伝えたいとの行動でした。「行政の仕事を地元事業所へ」との陳情内容です。しかし朝、先輩から厳しいお言葉も頂き、委員の一人だと言う事を今後は肝に命じたい。議会招集は突然が多く、これまでも理事会の出席を3回もキャンセルしていた。しかし、今回で理事職の勇退もあり、勿論今後は議会への取り組み中心となる。もっと頑張りたい残りの3年半となった。

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2018
05/15

登米市に南三陸町民の調査 悲しい事件も


登米市に移転し住宅再建した住民宅を訪れた。
志津川地区と戸倉地区の縁類で、2世帯は新たな環境で、地域との交流を深め家族で元気に暮らしていた。南三陸町の海の幸を少しばかり持参した。

余りにも悲しい南三陸町の移住者の、登米市での悲劇的な話を聞く。我が町になどこんな話は届く訳も無く、心配と何とか元気にと、思わずには居られない。
戸倉地区の方で高齢の老夫婦が行方不明になっていると言う。奥さんの認知症の悪化と、御主人の「老い」に苦しみの中で生活をしていた。登米市では不明者として捜索をしているが、今だに見つかっていない。既に2か月余りが経つと言う。私の親戚は「御主人が妻を不憫でいっしょに連れて行ったのだろう」と言う。登米市の消防署の近くに住み、隣には迫川が流れている。
大震災で止む無く町での再建を諦め、早くに登米市で生活再建した中での事件だった。震災の二次三次災害と言える。近所に昔からのご近所さんが居たらそんな事は発生しなかった。生活はできても地域の繋がりや、行政の監視の目が確実だったかと言うと、何とも言えない。人生の最後としても、自分の両親は幸せだと感じる。
また、登米市で暮らす南三陸町民の周囲でも、色々な問題も発生していると聞く。縁類は「南三陸町の広報を見たい!」と言う。広報の死亡欄が気になるようだ。暮らす地域の集まる場所にも、時々南三陸広報が置いてはあると言うが、早々に無くなると言う。登米市の広報を初めとする、行政の配布物の私の調査でもある。こんど町の広報を持って行きたい。

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昨日は我が社の工場のとなりから、工事の音が聞こえてきた。自宅の下には志津川郵便局が震災後に仮設で建設された。今年の4月ごろから、町の新庁舎の隣に移転した。土地の借地は更地にして返すのが基本としてある。
郵便局が移転した後は、人の流れや車の数が激減した。震災からの復旧・復興そして「発展期」と、町の変化に住民の生活混乱は益々大きくなっている。志津川市街地の「う回路」は住民にとっても迷路となり、町外から来る来町者の交通の問題は急務ながら、町の生活基盤整備はまだほど遠い。高台からの連絡道路の整備は勾配があり、住民生活は自動車なくしては厳しい。高齢者率も40%に近づき、その高齢者の買い物の交通支援は急務と感じる。

登米市での移住者の生活・買い物や、病院など環境が整備されている。我が町の「揺り籠から墓場まで」の町の住民サービスの、今後の低下と経費の拡大を懸念している。写真は登米市の「斎場」です。

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2018
05/14

色々な問題発生


昨日は南三陸町の歌津地区の「しろうおまつり」と田束山のツツジが満開となり、多くの乗用車が歌津に高速から向かっていた。普段より交通量が多い気がする。天気はイマイチながら、春の賑わいの中に南三陸町はあるようだ。

そんな中で、90世帯が被災後に暮らした「志津川中学校仮設」のお別れ会が昨日あったと、友達がフェイスブックで紹介さしていた。多くの人との出会いがあり、そして別れがあった。最後の仮設の集会所で、知人と祈念写真に収まっていた。絶対に忘れることのない大震災後の生活、時々は58カ所?の南三陸町の仮設でいっしょに暮した住民の、仮設生活を語り合う会を開催し、震災の風化と人との繋がりを維持する事が、町の将来にはプラスとなる気がする。

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午後から志津川の袖浜地区にある「荒澤神社」の春の例大祭があり、お祝いに行って来た。行くと宮司さんと氏子の姿は少なく、奥様に聞くと「今、老人ホーム「メアーズ」に行っています」と言う。境内の神社に家族の平安を願い、賽銭と「二礼二拍手一礼」をした。神社を見ると最近は同等の行動を、必ずとっている自分に気に付く。

家に帰ると父が「救急車を呼ぶ」と言いだした。血圧が170で便が出ないと言う。食欲はあるし体調はと言う、「何か気分が悪い」と言うばかりだった。そして、また大騒ぎ! 「明日に病院に行きましょう」と言うと静かになった。
以前、聞いた事を思い出す。「救急車を呼ぶ前に看護師が対応してくれる」だった。。消防署に電話で聴き、その後に病院に電話すると、適切な優しい支持を受け「何かあったら来て下さい」と、家族にとっては嬉しい対応で、父に話すと安心したようだった。94歳となると心細いのだろうが、今の状況は変われるはずも無く、二人で事件発生を解決して行くしかない。

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昨日は夜の勉強会だった。スポーツは男女のゴルフだろう。激戦の優勝争いで、男子はプレーオフの末に谷口選手が、最高齢記録で日本のメジャーを制した。勝負強い鈴木愛選手は、18番の最終ホールでバーディーを取り、激戦を制した。2位となった選手は、ドタンバに崩れる事が多く、なかなか勝てない状況が続いていると言う。勝利の鉄則は「ここぞと言う時に力を発する」、こんな常日頃の心の強さを身に付ける事で、強い選手なれる。これを自分の物にすると、有名選手になれる気がする。努力に勝る才能はない。

今日は登米市にトラブル解消に行く。そんな暇はないのに!?

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2018
05/13

商店主経営の道の駅は私にはない


やっぱり「農家」「漁業家」の方々が経営する道の駅がイイ!

昨日は午後3時半過ぎに、米山の「道の駅・米山」に行った。毎年恒例となった「チューリップ祭り」を、4年続け心に癒しを貰っている。ゴールデンウィークが見ごろだったらしく、チューリップ畑は花が枯れ、「もっと咲いていたい!」と頑張っていた。私のように終わる頃に訪れる人の影を見つけた。

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ドライブの途中の楽しみは各地にある「道の駅」、各地区地区の名産品に会える。米山は「もっこりニラ」で、年中収穫できるようだ。春の山菜も終わり、各種野菜はスーパーより新鮮で安い。
今はもらい物の野菜・山菜で冷蔵庫はいっぱいだ。食べる物をバランスの良いように、冷蔵庫に詰め込み、いつでも父が食べたい時に、不自由ないように買い入れている。「食べるのねえな!」との声を聴きたくないからだ。
一人寂しいから「人との話」に飢えている。こないだも「朝日新聞」への電話、弁当のキャンセルなど、他人への迷惑を掛けるのはやめにして欲しい。

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登米市の目覚ましい「量販店進出」がある。電気店・ホームセンター・飲食店など、登米市に暮らせば何の物の不自由はない。昨日は夕方から、衣類の整理タンスを5千円の予算で買いに行く。
登米のイオンの隣にケーズ電気、その隣にコメリがあると聴き向かった。「スーパーコメリ」と言う。販売品の種類の多さに1時間は見て回った。アイリスオオヤマブランドの整理タンスが気に行ったが、「7800円」と予算オーバーながら、良い物は間違いないと奮発した。
最後に店の奥の「ペットコーナー」へ、犬と猫の目に「私をどうぞ!」と、求められ後ろ髪を咲かれる想いだった。ウサギ・トリ・モルモットなどを見たが、個室に動物の匂いが合体し、20分が限界だった。やっぱり「魚類」が私にはあっている。

周に一回の南三陸町からの脱出で、自分の見聞を広げている。

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2018
05/12

歌津字名足地区に入りて


長野県飯島町からマジック倶楽部の方々が今年「来町したい」との要望に応えたく、名足地区の「コクボ荘」さんを訪ねた。

最初に名足漁協の支所長さんに、剣道の会費を届けに回った。この場所は名足小学校の隣りながら、大津波の被害は少なかった。地区は目の前の太平洋の外洋部分に位置した港町です。外洋に面しているために、海が荒れると直接に大波が打ち付ける。海は淀む事無く綺麗な海として、私は力強い海、綺麗な本当の海であり大好きです。海産物にも恵まれ、ワカメ・アワビ・ウニの宝庫でもある。しかし、アワビは年々減っていると寂しい現実もある。

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写真は名足地区の中心で、商店や警察の駐在所があり、知人の家も含め「浜の町並」がここにはあった。だが、大震災の津波は総てを呑込み、浸水域として住宅の再建はできなくなった。
三陸大津波でも被災したはず、当時は同じ場所で地区民は再建を進めた。その為か人口の減少も無く、地区の繁栄も続けた。
自然との闘いは数十年に一度あるが、今回の町の「職住分離」の政策で、多くの時間を要した事が、人口減少の一因としてある事は間違いが無い。強い者に(自然)に立ち向かう事の、最後に判る空しさも感じるが、「人間は考える動物」、その時々の最善策を講じて行くべきだ。その判断のミスは町の存続へと繋がる。

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2018
05/11

政治不信! 権力の乱用続く

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我が家の菜園のジャガイモ畑がこんなにも青々と花びらを付けた。その下にあった「郵便局」も昨日から解体の音が周辺に響いて来た。日々変わる志津川町の景観、今後も父と見つめて行きたい。
現在進む商工団地内の工場の移動・解体・廃業の波は加速している。我が社の土地も今、売り出せば土地がある程度で希望者がいるが、後10年すると地価は一挙に下落すると私は見ている。何の価値も無くなる日を、静かに待つしかないとも思っている。子供がいない事で、自分なりの判断で事業の終末を考えている。

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村井知事の上告の「専決処分」とし、県議会に掛けない政治判断があった。
村井知事の議会での発言の「やむを得なかった」が被災者関係者に反感を買う事となった。教員の判断・避難行動が議論されている中で、「やむを得なかった」は知事の上告者の発言としては気配りが欠如している。後で訂正し謝罪はしたものの、長期の政治の立場による「おごり」が、この発言には繋がっていないだろうか。私は知事の考えを言うべきで、石巻の判断にならうは、知事として「大川小問題」の全国的な関心がある中で、その上告判断の理由なく同じでは、県民の理解など得られない。再度、決定理由を述べるべきと思う。
長期政権の維持の弊害と私は感じる。中立の立場で校正公平な政治判断が、首長には求められている。安倍政治の続行の弊害がこんな所にも見え隠れする。県議会でも議論すべきだったと思う。これが県議員の投票判断にも県民の参考となったはすだが。

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2018
05/10

悲しい事件と政治の判断

鬼畜のような事件に、日本人の一部に、いったい何が起こっているのか。
新潟の小学生の殺人事件、その対象は可愛いピカピカの一年生だった。地理に詳しく通学状況も把握しての行動らしい。「黒いサングラスの不審な男」との、同級生の目撃談が公表された。事前に起こっている不審な子供達の周辺で起こった事案あり、もっと教育委員会とPTAと学校が取り組んでおけばとの、後悔を私は感じる。声を掛ける、警察への通報などで、もっと真剣に取り組む必要があった。
首を絞め殺害した後に、線路の上に女児を放置する等、事件内容の異常性がある。日本人の一部が異常な行動に、その良し悪しが判断できない性質に変わってしまっている。

東京メトロ男性(27)と会社員(33)の二人が、女性との出会いの形の犯罪性の理解に欠ける行動が事件となった。
「ナンパ・セミナー」での、手段の一つに二人組の女性・酒を飲ませる等の講演があった。30歳前後の男性の異性との出会いに未熟な姿が如実になった。
恋愛を一つ間違えば「強姦罪」に繋がり、「合意の元で」と、酒を飲ませ酩酊状態にしての強姦は、男性の欲望から来るもので、そこには「愛情」などない。犯罪から逃れようと「合意の元」など、何で酒を飲ませ酩酊にさせ言える事だろうか。セミナー主催側の3千円で借りられる「ハウス」で強硬に及んだ。主催者側は「恋愛には酒の力も必要」と言い、講演と理解の乖離があった。

「日本の侍思想」は何処に行ったのだろう。

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大川小学校の73人の死の仙台高裁の、市と県への約14億の賠償命令に、「上告」との市議会判断となった。4人議員が市の上告の提案に、以前の判断を覆し「16対12」で市の議会で上告判断となった。
全議員の賛否の理由が述べられた。「今後の自然災害に対する自治体のガイドラインとして、司法判断として最高裁で判断すべき」「遺族の裁判の継続の苦しさ」など独自の持論が述べられた。反対側は亡くなった子供達と家族の辛さを、もう終わりにとの強い思いがあっただろう。

南三陸町の「防災庁舎保存問題」を思い出す。一度は「解体」から、再度の町の保存提案に「保存」との、4年前の新議員構成での議会判断が覆せるなら、昨年の議会の改選での新議員での、再再度の「保存の賛否」を問える事となる。議会の決定はそんなにも軽い物かと、議会の決定の意義を考えさせられる。

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父の活動の一つに「キリスト教の布教」の受け皿がある。茨城の水戸市や宮城の仙台・白石などの方々が月一回、南三陸町に来てくれる。私はあまりタッチしていないが、讃美歌を母の為に歌ってくれたり、仏壇に花を上げてくれる。父も来客の受け入れは大変だろうが、「無理しない方がイイよ」の忠告も聞かず、続けている。宗教への「人への慈愛の気持ち」は、宗派など関係無い事を実感する。父は今、食欲だけが過剰になっていて、それが少し心配ながら、食べる事は健康の維持と注視している。また、「食事は喜び!」とも言える。

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2018
05/09

日々生活に変化を


昨年、花屋さんから頂いた「花」が今年も鮮やかに咲いた。手毬の花は事務所の前に移動し来客を迎えている。

震災からの住宅再建で、名古屋の建設会社との出会いから、住宅建設をお願いしたが、過剰な請負で建設の不備が県内の被災地で発生し、会社の破たんとなった。建設保障の10年は何処へやら、昨日は住宅の不良部分の手直しの見積を、友達の建設会社が来たので相談した。

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石巻市田代島の大泊港の正面の高台に「鹿島神社」があった。急な手石段の上に本堂があり、せっかくなのでお参りした。103段の石段は手すりがないと登るのには危険を感じた。雨も降り石段は危険で、案の定、一回大きく滑り難を逃れた。高台の神社から大泊港が一望でき、島の隆盛時に思いを馳せた。昔は島の周辺に「定置網」が何か所も設置され、沢山まぐろが獲れたと言う。現在、漁師は少なく、生活するのには不便と、向かいの石巻市に多くが移り住み、人口は猫たちの数よりも少ない。

どうしても、私の伯母と登米市に移り住んだ知り合いに、歌津伊里前の「しろうお」を食べさせたいと、魚屋に聴きに行く。「昨日はあったけど今日はないです」と言われ、4パックを予約した。1パック300g「1200円」ながら、時価になるとの事だった。でも故郷の「旬」を味あわせたく、こうした想いの衝動となった。入荷したら電話をもらえる。

帰りに観光協会のお土産施設に回った。多くの活動が町中である事を知った。東団地の「北工区」のジオラマには90世帯の、整備計画の姿があった。住民の大きな移動があり、着工したのは20区画余りだった。こんな所が町の計画の想定外で、人口減少は整備の遅れに起因すると私は思っている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:32 】

2018
05/08

直ぐに対応、ありがとう。


硬い物を控え、残っている左の歯で食べた、連休の後半4日間、普通に食べられる事に感謝し、朝は何を食べようか。

昨日は友人の歯医者の診察台に御昼前に座った。うがいの「コップ」はパンダ親子柄で、「欲しい」と看護師さんにねだり、新品を「持っていって」と頂いて来た。仮設の歯科診療所時代は、熊本地震があり「くまもん柄」で、その時も頂いて来た。あれからだから診察は2年ぶりかもしれない。「歯石で汚れていますね。」と奥様、一生動けるうちは御世話になります。
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治療が終わり現在の病院から、これまで住んで親しんできた「本浜漁港」を見た。10mの嵩上げの土地からは今は灯台は見えない。海を見ながら育った我が故郷はもうない。彼の仕事場も「大森」から「南町」と、震災前は予想もしない現在地で、生活の糧を続けている。

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市場の前にあったプレハブの商店が閉店した。震災前から大森地区にあった「大森屋」さん、震災前から震災後も、復旧復興や観光客の皆さんなど、地域の皆さんの買い物処として営業を続けていた。
連休に荒島パークから大森地区、そして本浜地区を廻り、連休の商店街を見て回った。以前よりは駐車場も狭くなり、45号の開通で新たな渋滞状況が生まれていた。

「焼き鳥おおもり」さんに寄った。フェイスブックやツイッターで「南三陸町の今」を発信続けている。今は「海岸食堂大森」とSNSで紹介していた。互いの近況を話し、震災復興の工事も減少し、「お客さんが少なくなった」と話す。現在の場所も年内中?と聴き、新たな方向での店の経営は厳しいと言う。
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町の衰退と人々の生活の低迷感がヒシヒシと伝わって来た。常連さんも多く、この場所に飲食店が無くなったら困る人達も多いと感じる。
町はこうした頑張っている人たちに手を差し伸べる事を忘れてはいないか? 昨日も東京から同級生が来て、会社に寄ってくれた。町を離れた人達への「心遣いがない!」と話す。町に居て行政の行動に日々目を凝らし、意見する人が居なくなった気がする。

昨日は歌津地区に「シロウオ」を買いに行った。サンオーレ歌津では売っていなかった。連日のテレビと新聞報道を見ていると、歌津の商店街に行けば買えると皆は思っている。しかし、商店街には置いて無く、時々「シロウオはありますか!」と私のような来客もあると言う。「おまつりには来て下さい!」と告げられた。

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2018
05/07

南三陸町へいらっしやい!

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昨日も私の友だちが南三陸町に「タコ」を買いに来た。
宮城県印刷工業組合で同じ理事の同僚が、南三陸町に毎年のゴールデンウィークに家族孝行のドライブに来ている。

私のお薦めの鮮魚店を紹介し、「タコ」と「クロソイ」など、何点も海の幸を買い求めて帰った。
こうした一人一人の来客を大切にして欲しい。
昨日も「さんさん商店街」の飲食店には、長い行列ができていて、食事を諦め午後1時前には帰路に着いた。

南三陸ホテル観洋さんの「キラキラうに丼」を紹介すればと、電話を切って後悔した。これからは「うに丼」ながら、南三陸の「ムラサキウニ」の開口は、7月だったように記憶するが、三陸海岸の別の漁港では水揚げもある。

私は2千円以上の「ウニ丼」は、高くてお腹をこわすかも知れないので、食べる事を諦めている。皆さんはどうぞ!

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彼は48歳、彼女は37歳の初婚だった。

京都へのバス旅行で通路を挟んだ両脇の椅子に座った。みかんチューハイを1缶飲み、次も別のジュース酎ハイを飲んだ。今度は何の酎ハイかと気になっていたが、2杯で辞めた。そんな彼を見ていた。
彼女の一目ぼれでもなく、彼も隣の官女の事は覚えてはいなかったと言う。彼女の勇気と、彼の積極的な行動が実を結んだ。
彼は調理場の厨房で働き、県の食堂で彼を見つけた。声を掛けたが、彼は「解らなかった。」、彼女はメールと電話を交換しましょうと、言うと「彼の携帯を持つ手が震えていた」のを見ていた。そこで「今度、居酒屋で飲みましょう」と彼が誘った。
居酒屋では「船盛り刺身」の注文に感激し、次は洋風居酒屋で「ビーフシチュー」の注文に、また喜んだ。そのあとは彼女が長期出張と言う事で会えなかった。イライラが募って行く彼、それは「3泊4日」の旅だった。そのくらい彼女に会いたかった。
47歳で初めての彼女、彼女も36歳を過ぎ働いていた。「イケメンで、目がクリっと」が彼女の理想だった。
「結婚し幸せと言う二人」。彼は朝ごはんを作って欲しいと注文を話す。彼女は朝「パン」で、彼は「味噌汁」「卵焼き」「漬物」などを上げる。妻は「ジュース」「コーヒー」は出します。と言う。

「それぐらい我慢して」と司会の三枝は言う。それに対し「結婚しただけでも幸せ!」と彼は話す。48歳で結婚出来ての生活に大満足の二人だった。

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朝から変な物を写真アップしてすみません。
長生できる身体の一つに「歯」があります。私の仲間たちの一部も「歯槽膿漏」に悩まされ、大好きな物も食べられないと言っています。また、もっと高齢になると虫歯の菌が体内に入り、死に至るとの話も、知人の歯科医に聞きました。
今日は午前11時40分に、「急患」で志津川歯科クリニックにお世話になります。私は連休後半の2日の夜に入歯が取れて、4日間も歯が欠けないようにしていました。数少ないが来客が「草餅」「あん餅」などを持って来て、片方の入歯も取れないようにと、自分の歯を労わり食事をしています。

朝ご飯は「うどん半玉」にします。血糖値「122」と今日の数字は良好でした。

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2018
05/06

ふるさとの海山の幸に恵まれて


「食は健康の源」と言う言葉は、私と父の現在の姿からも解る。父の食欲は認知のせいではないと思うが、95歳の年齢のわりには食欲旺盛だ。「食欲が無い!」と言われるよりは、父の健康を確認する食は材料でもある。

先週は夏ホヤを何度も美味しいと言いう。この連休も南三陸町では、「ホヤ詰めほうだい」「ホヤまつり」の盛況を耳にする。韓国のホヤ輸入禁止で、養殖の過剰で廃棄の政策も、今年から補助金が出ないと言う。こんなにも多くの人達の「ホヤの購買」に、もっと多くの国民に食べて貰い、三陸ホヤの美味しさを知って頂きたい。仙台の「勾当台公園」での宮城魚協?の「ホヤイベント」にも多くの県民が集まった。

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私のホヤ料理のレシピに「ホヤ酢」がある。
少し大きめに切った生ホヤと、キュウリのジャパラ切を、醤油・酢・わさびのたれに浸し、浸みこんだ「ホヤ酢」が、ビールのお供に最高だ。キューリが食感を高めてくれる。

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昨日は恒例の春の先輩の山の恵みの収穫に行った。
ワラビは所有地いっぱいに芽吹き、山には「竹の子」が至る所でモッコリと生えていた。「背負子」に詰められるだけ竹の子を収穫し、ワラビもこれまでにない量を取る事ができた。
竹の子を25本は、従業員に、仙台の兄の所に送り、叔母にもお裾分けした。ワラビも30本束にして18束を4つに分けた。
山の疲れから椅子で1時間眠ってしまい。8時過ぎに竹の子とワラビの処理をした。米をあく抜きにいれ、20分から35分煮て冷水で冷ます。沸騰した鍋からトングで出す時に、手に思いっきりかかり「少しのやけど」、冷水を掛け今日は何ともなかった。

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「竹の子とシュウリ貝の煮もの」に挑戦した。
煮た竹の子の根の太い部分を適度に切り、貝は大きい物なので3つに切った。味付けは、醤油・酒・味醂に、塩と砂糖で15分位煮込み出来上がりだ。採れたての筍は柔く、シュウリ貝の海の香りも浸みて、朝食はお茶と煮物にした。

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昨日は「タラの芽の天ぷら」を従業員が持ってきてくれた。
山菜の王様と言い、山のタラの木には、先を争うように芽が出ると地区民が取る。人の山には入らないよう「暗黙のルール」もあり、私たちの口には容易に入るものでもなく、、1パックで300円~500円で道の駅などで販売しているが、買ってまで食べようとは思わない私です。

今日は連休で初の「一人のんびりの一日」です。連休も5日の内の4日は仕事で、ただいる事に「もったいない!」との62歳の昔人です。ジーとしている事がもったいなく、ただいると眠むってしまいがちの私生活、動いていると逆に安心する。
4日の石巻の田代島の散策の3時間の歩行が、昨日の山歩きも加わり、新たな足の痛みとなった。「まだ大丈夫」との自分の過信が今の状態をつくりだしている。これは糖尿病の為といっても良い。明日は2日に歯のかぶせが取れたので、歯医者に行く。

週明けからまた忙しくなる。

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2018
05/05

離島「田代島」へ


「海洋・海華復興の会」の発足から8年目を迎えた。
「大震災の復興は宮城の海から」、「松島での世界海洋博覧会を」と、大きな夢の目標に向かい活動をしている。
現在進めているのが「田代島・島起こし」で、大学教授の先生方や、大企業の社長さん達も参加し「島起こし隊」を結成した。石巻市にも協力を呼び掛け、県会議員・市議会議員にも理解を得て、被災地「石巻市・田代島」の、過疎の島の再開発を夢見る。

昨日は石巻の「網地島ライン」の観光船で、雨の中を田代島「仁斗田港」に向かった。海の波の高い中を多くの観光客が乗り込んだ。その他にも特別便もありながら、総ての船は満員状態だった。
テレビでも放送され、国内に留まらない外国からの来客もある「猫の島」が、こんなにも人を引き付ける魅力を理解できなかった。私の見た猫の数と、島民の数は感じたままでは「猫」が多かった。雨なので島民も猫も午前中は見当たらなかった。
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観光船は9時出発で、定期便に特別便とも200名~250人が乗り込み、島への人口は6倍前後となると言う。行きは波浪で55分、午後は天気に恵まれ45分の船旅、たまにはイイものだった。

猫の魅力は島を歩き感じた。目的地は「大泊」で港が震災復旧中で、車で15分の「仁斗田港」が唯一の受け入れ港だった。帰りは「猫神社」を見ての帰路だったが、一つ道を間違えた。出船は2時12分で、港から30分と言う神社まで、また坂道を歩いた。既に1時間は歩いて足も居たいが、ここまで来て乗り過ぎして後の便でもと良いとの考えで、神社までの坂を、猫たちをカメラに収めながら進んだ。20分歩いた所でさすがに足のマメがつぶれ参った。その時、可愛い猫の鳴き声、草むらから一匹の猫が出て来た。「ホッとさせ癒された。」瞬間だった。「これなんだ」と実感した。

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こんなにも多くの家族連れ、多くのカップル、外国人観光客が田代島を訪れる理由はこれだと感じた。SNSの力がこんなにも大きいと感じた。人は癒しを求め働き生活をしている。
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田代島町起こし隊の拠点は大泊の「古民家猫カフェ」で、カレーセットと自然の森のコーヒーで「おもてなし」してくれる。一緒に行った隊員の伊藤さんと菅原さんは止まり込み、連休の来客の御世話をする。常駐の登米市の高橋さんと、固い握手をして別れた。ボランティア支援のタケチくん、その両親が東京から来ていた。「若い頃には旅をさせろ!」との親の愛情と感じた。

また「田代島・猫カフェ」に癒されに行きたい。

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2018
05/04

町難にみんなで努力しよう


2040年後の人口の推移にショック。22年後の人口増加の政策無い時の南三陸町の人口は「6960人」と、町の広報誌に掲載していた。

人口対策を4講じても2040年には「7964人」だと言う。震災後に町の人口減の人口動向を町民に説明していた。あれから数年経つが、現在の数字は減少対策で、少しは成果が出ている数字かが解らない。目標値を2年・5年で検証して行かないと、無駄な効果のない対策と言えず、行政の決めた人口対策経費が、無駄と成らないようにしたい。
今回の広報誌は町民へも人口減少に対し、協力と啓蒙をしている。町民一人一人が町の存続に取り組まないと、町は人の居ない「限界集落」と50年後はなるかもしれない。「子が孫の故郷がなくなる」「とうさん・おじいさんの暮らしていた街がなくなる」、こんな危機感を共有し、町の災難に今から取り組んでいきたい?

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事務所の玄関には昨年のツツジが多くの花芽を付けてくれた。何もしなければそのまま枯れて、プランターたけが残る。
時々、水を与え、寒かったら家に入れ、晴れた時は外で太陽をあてる。心を気を尽くす事で「花」は芽を出し、花を咲かせる。
子供達の教育も同じで、両親の背中を見て、両親のしぐさを真似て、大きくなるにつれ同じ事をする。

その悪い例が、大韓航空の「ナッツ姫」「水かけ姫」で、母の常々の態度を見て、同様の行動や言動をする。良く解る事件だ。大財閥も、大政治家も、おごりや、「私は違う」と言う勘違いを、自然としてしまっている。

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2018
05/03

南三陸町の防潮堤


志津川地区の荒砥から袖浜へ向かう途中に平磯側を望んだ。3.11の大津波は川沿いの道路を乗り越え、民家を襲った。12m以上あった高台の家々までもが被災し、「浸水地域」に指定され、その土地には家が建てられなくなった。何とか津波から逃れた家は、海岸線にポツリポツリと寂しく点在する。被災地域の為に高台への土地整備で、地区民は移転し住宅再建した物の、多くがこの地区を去り新たな生活の場を、町内・町外へと寂しく移っていった。

県の地方の教育事務所が、志津川地区から気仙沼に移った。震災で県庁舎が被災し、これまで長年町に所在した機関で、今年?から「気仙沼教育事務所」と改名され、南三陸町・志津川の名前が消えた。我が社も仕事の恩恵を受けた、県税事務所・教育事務所・農業指導所・福祉事務所の全てが町から消えた。県の発注事業所は登録制となり、ネット入札への県の機関が事務業務の省力化へと変わった。以前のアムログ時代は終わり、県職員との「ふれあい」があり、温かい繋がりがそこにはあった事を、今は懐かしく時代の流れと痛感する。

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後3年間の震災復旧復興から発展期の10年間が終了する。しかし、被災地の現状は「防潮堤整備」は、まだ「30%」も完成には至っていないと言う。
昨日は「防潮堤をなおしています」との、工事説明看板を見つけた。こんな場所が被災地に少ないが「工事不良」「工事ミス」もある。気仙沼市では防潮堤の高さが20㎝も高く整備してしまった「ミス」があった。地盤の隆起があり、隆起した高さを防潮堤から引かなく、この整備で行くのかが気仙沼市では地区民と協議を重ねている。県工事で地区住民との議論がなされている。
総てがそうかと言うと、工事不良を公表しないままで、やり直しの補修工事が被災地にはある。建設会社のミスで会社が持つのかが、有耶無耶になっている気がする。再度予算化されての防潮堤整備は、人のすることでもあり、しょうがないでは済ませないが、復旧工事の遅延と工事費の増加は「国民の血税」の無駄遣いでもある。
防潮堤整備は10では終わらず、1年・2年と工期の延長と予測するが。町は「工期の期間に完成の努力をする」と説明をする。

写真は平磯地区から整備中の防潮堤を望んだ。千年に一度の「L2」の大津波が来たら、整備中の防潮堤は一たまりも無いだろう。平磯・深田地区に居た「酒屋さん」や私の親戚筋も今はもう居ない。2011年の大津波は町の継続の岐路の自然災害となるだろう。
5月号の町の広報誌には、「2040年の町の人口は6960人」とのショッキングな数字の記事があった。

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2018
05/02

南三陸町の彩と恵


連休の中日に倉庫のゴミを「クリーンセンター」に持って行く。事業ごみで指定ゴミ袋を8個とダンボール、家庭ゴミを3個と缶とトレイなど、車の荷台にいっぱいに積んだ。私のように連休さなか、偶然にも知人が居て「ここに来てパンクを気付いた」と、ジャフを待っていた。

帰りにセンター内の「八重さくら」と「山ツツジ」の、濃いピンクとオレンジに目を奪われ写真を撮った。素晴らしい! 日々の仕事場の喧騒の中で、山の彩に癒された。連休中のゴミ捨てのご褒美だったのか。この辺では「ゴミ捨て」を「ゴミ投げ」と言う。ふと懐かしい響の言葉を頭で描く。

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震災後の漁民の先頭に立ち、漁港の復興整備や、震災復興の計画への参加など、町の復興に貢献された、県漁協志津川支所審議委員の、佐々木組合長の死亡告知が新聞に掲載されていた。最近何回か葬儀の告別式で出逢い会話を交わしたが、そんなにも早く亡くなるとは思わなかった。病院ではしばらくぶりで知人に会い、組合長の見舞いにきましたと聴き。ホルモン大森屋では、「こないだ佐々木さんと家族が来ましたよ」と話を聞いた。人の命の儚さに触れた一瞬だった。70歳を越えてのまだ早い死だった。合掌。

昨夜は6時から契約の総会があり、98年間続いたと言う「庚申会」の今後を相談した。町から土地(山)を借り、木を植え仲間で間伐や枝払いをして、将来何かあったら販売し会の運営に使い、定期的に親睦会を開催する。不幸があったときは葬儀の強烈等お手伝いを仲間でした。高齢化と山の木の維持など、現状を考えると存続は無理と、今年中に解散すると言う事になった。

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8過ぎに帰り「竹の子」を煮た。こないだ「大郷道の駅」で買った、「こごみ」の下処理をし、朝の食卓へとした。
咋朝植えた「ビーマンの赤ちゃん」、初夏には沢山の実を付けるのを楽しみにしている。昨年の収穫は大豊作だった。
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今から入谷地区の大先輩が持って来てくれた、筍とワラビの煮ものをする。昨日は電話で戸倉の友人が、「竹の子掘りに来たら!」と連絡が来た。今年はワラビが豊作で、取っても、取っても出てくると、悲鳴を上げていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:00 】


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