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ARCHIVE - 2018年03月

2018
03/18

町の慰霊碑建立と犠牲者追悼を


石巻市十三浜の慰霊塔に手を合わせて来た。
地区内で「約240名」の犠牲者を出し、海岸線の家々は全てが流失した。今は大きな防潮堤と道路が整備されている。
人が集まる所として「交流センター」が建てられ、震災の伝承と地区の産品が販売されていた。ホヤ串とツブ串を買い求め、昨夜の「酒のつまみ」とする。
この地区にあった「石巻市立吉浜小学校」の慰霊碑には、一人の先生と、7名の生徒の墓碑銘があった。その傍らには生徒の家族の死も刻まれていた。
学校に寄せられた「義援金」で碑が建てられた。将来に学校の存在と亡くなれた人々を、ここで住んでいた事を忘れないように、慰霊碑が整備され「祈りの鐘(こころ)」が設置されていた。

それなのに震災から7年目が経過したのに、我が町には今だに慰霊の場は無い。

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どこの慰霊碑にも亡くなられた人たちの名前が刻まれている。野蒜駅の東松島の慰霊塔には「1100名」を超える人たちの名前があった。我が町では死亡・行方不明で800人を超える。亡くなられた人たちを、どうやって忍び確認すれば良いのだろうか。
十三浜はプレートを慰霊碑に植え込み、東松島市は名前のチップを慰霊碑に並べ、名前設置に重いドア開閉ができる。悪戯や盗難防止の対策まで講じていた。南三陸町は20mの築山に、モニュメントを設置し、その中に死亡・不明の方の名前を記載した名簿を収納する。これでは高齢者など足の弱い人が自由に行く事はできない。「震災祈念公園」を設計する。奈良大の宮城教授に、町では「名前は刻まない慰霊の場」と、注文を付けたのだと私は思っている。

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今日は10時から沼田地区の「総会」と、2時から知人の葬儀に行って来た。前日まで元気だったと言う。人の命ははかない物ながら、大災害の死は何も身体管理の不備でもなく、突然の自然の猛威、これに対し町が最大の対策を講じ、総ての町民の命を守る義務が町にはあった。それを甘く考え、チリ津波の教訓を将来に生かせなかった。今の首長は、商工・観光など自分の思惑を主体に、津波への対策が希薄だった気がする。
防災訓練に、中学校の生徒や、自衛隊の利用など、行政区への非難パフォーマンスなど、怪我人の搬送など、地震による避難訓練があった。津波は違っていた。その脅威を目にした時、これまでの非難訓練が、本当に意味ある物かを、私は振り返ると「?」「疑問」が、あの3.11から頭の中を巡っている。

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