ARCHIVE - 2018年03月

2018
03/04

志津川地区の7年目の風景


「防災の町づくり」か「減災の町づくり」かの議論がある。
南三陸町は防災の町づくりで震災復興へ向かっている。女川町は再建した市街地の商店街には「防潮堤はなく、「女川駅」「商店街」は以前の大地とは多少の高さの変化しかなく、海から登る「神々しい旭」は昔そのままと言った感じだ。

大震災から1か月経った頃の、自宅の残骸の上から被災野風景を撮影した。時々パソコンの写真で懐かしさを思い起こす。この場所で私は「55年間」も生活してきた。その場所に「慰霊塔」を建立し、家族が暮らしてきた証の痕跡を残し、自分はここに暮らしていた事を伝えたい。何か震災前の生活が蘇ってくる。

2011-04-24 13.52.50
こんな事をするのは私だけかもしれない。平成15年6月から、マイタウン情報わ発行し、100号を発行するまでになった。「大好き! 南三陸町!」から、「大好き南三陸町」と私は住んでいた街の発信をし続け、それが震災前の南三陸町志津川の姿を残す「町の歩みの遺構」となった。誰も関心は無いようだが、私は震災前の町の姿を一生心に持ち続け、これからも生きて行こうと思っている。何もしなくなった時に、ゆっくりと私の作った情報誌で、過去を振り返って見るつもりだ。「私は震災には負けない!」とここまで来た。

今年の「3.11」には、東大阪印刷支部の支部長さん一行が、追悼式典に参加を希望している。また、広島からの支援の女性の会の代表が来てくれる。私のかかわりのある方々は、被災地への慰霊の気持ちを強く思っている。
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