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ARCHIVE - 2018年02月

2018
02/28

初めての確定申告


昔は旧志津川町に「税務署」「裁判所」など、国や県の出先機関があった。震災前の25年前頃から少しずつ気仙沼に移転し、震災後は「福祉事務所」「県土木事務所」など、多くの機関が全て南三陸町志津川から気仙沼に移され、建築申請・納税証明書・生活保護など、何をするのも我が町では、直接的に申請は出せない環境の中にある。

3月15日までの確定申告となり、知人のすすめで直接「気仙沼税務署」に行った。確か行くのは2回目だった。震災後に国税の滞納無しの「納税証明書」を貰いに行った。
昨日は12時に自宅を出て1時間係って到着した。3つの駐車場はいっぱいで一か所だけ空いていた。税務署は同様の考えの人が、30人はいただろうか、足の踏み場もないくらいの大混雑だった。職員の適正な対応に1時間で申告は無事済んだ。最後はネットでパソコンに打ち込む事を臨時職員があたり、事務的な迅速な処理で、申告は約8分ぐらいだった。
マイナンバーと同様に、申告にあたっても「番号」と「暗証記号」を持つ事となった。還付金も「数万円」と何か儲かった気がする。申告をほっておいたら、こんな事は無かった。とにかく日本国民としての「納税」の義務を果たせた。用事は3時間半掛ったが、年度末の用事を済ませ安堵している。

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気仙沼税務署は「気仙沼駅」の向かいで、隣りには「災害公営住宅」が建設されていた。住宅は高層ビルで一階には商店が営業していた。高齢者や障害者などの生活弱者の為にも、このような復興住宅が必要也に、志津川町づくり協議会・南三陸町議会の議員提案等を飲まない、町の建設にはこうした計画をする考えはないようだ。生活弱弱者は買い物弱者であり、車の無い、足が痛い、などの町民の実情を考えていなく、また、その対策も救済直結でないと私は感じる。

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こども達が納税に関心を持ってもらえるよう、納税婦人部の会が「絵はがきコンクール」の作品が事務所内に掲示され、自分の前には志津川・入谷小の児童の作品があり、50点の中に入っていた。子供達には、スポーツ・勉強・遊びにと、学校では楽しく頑張って生活をして欲しい。が私の考えです。将来の気仙沼市・南三陸町を担う元気な大人になって欲しい。

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2018
02/27

春なのに……


日に日に朝も早く、寒暖の差はあるものの、春に向かい一歩ずつ世間が明るさを増している中、私のあの時の情熱は失せている気がする。

昨日は父の従弟が「退院しました」と会社に来てくれた。大病も医学の進歩の凄まじさで、普通に生活の出来るまでに回復した。奥さんは「もう駄目だった」とあの時を思い出して話す。
私の従弟も、しばらくぶりで自宅に顔を出してくれた。登米市の名物の「うどん」と麺つゆ・きゅうりを持参し、食事の支援? なのだろう。従弟たちももう50・60歳台となり、昔ながらの付き合いを大切にしている。
午後には同級生の「畳店」も、私の「カーテンを大至急付けて!」の注文に、早速寸法を取りに来てくれた。今は登米市で仕事を続けている。町に帰りたいとの希望を今も持っている。

午前中の気仙沼市に、国道は年度末とあり、道路舗装が進められ、隣街ながら3回の交互通行で15分は余計に時間が掛かった。また、工事の大型トラックが多く歌津地区などは、高速ができ途中までは早いが、その後はノロノロで、のんびりと世間を見ながらの用事となった。
午後は「新人議員講習会」が事務局と出納室長により開催された。3月予算と議事の進行について説明を受けた。2時間の充実した話しだった。予算書も懐かしく見たが、4年前よりは予算書を理解できるようになった。一般交付金は31億、特別交付金は約3億、震災復興特別交付金は45.6億円だった。人口が29%減少する中で、人口当たりの交付金は、特例で減額は抑えられ交付されている。あと3年で復興交付金も終わる。

帰ってから本業の印刷をし、納品をした。これが私の昨日の行動です。

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志津川地区には隈研吾氏から寄贈された、宝船と三陸の海の幸が描かれた看板が、モアイの移設場所の隣りに設置された。日曜の午後3時頃の商店街は、駐車場に車はあるものの、商店街の通りを歩く人の影は無かった。観光交流は間違いなく減少している。この日は「牡蠣まつり復興市」の恒例イベントが開催されていたが、主催者のフェイスブックの光景も寂しく感じるのは私だけだろう。

身体に気を付けて頑張って欲しい。南三陸町の為に!?

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2018
02/26

まだまだ復興途上の南三陸町志津川市街地


25日26日と南三陸町のホテル観洋で、「第3回全国被災地語り部シンポジュームIN東北」が開催されている。私の知人も多くが参加し、震災をどのように継承するか、町づくりをどのように進めるか等、被災地の多くの問題点を、全国から来町する「仲間」と話し合った。

南三陸町の震災遺構は「防災庁舎」「高野会館」などの、現在残された津波の遺産を、どのように選択・整備していくか、400名余りの参加者と、掘り下げた議論をしていた。何が震災で消滅した町に必要か、町民全体で議論できればと私は思う。

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一方的な町の構想が目に付くが、有名な建設家や設計などの専門家の構想を、町長初め一部の町民の構想が、進められている気がする。復興の10年が終わり、10年20年と経過する時に、町の決定が間違いない物だったか判り、賞賛と町の疲弊と政策の失敗を、誰も責任をとらない町となる。

復旧工事の残土が一時的に撤去され、防災庁舎が多くの人の目に付くようになった。国道45号を石巻から来ないと、この姿は見えない。三陸道で下り志津川の商店街からは、防災庁舎の上しか今は見えない。

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貴方は「防災庁舎」派、それとも「高野会館」派、両方を残すべきと思うのか。真剣に考えてみませんか。

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2018
02/25

血糖値が下がらない


最近、月一回の「さんさん商店街」の、食事処はしもとに行き食事をするのが、私の一つの贅沢です。

はしもとさんの独自商品「たこしゅうまい」にはまっているが実情です。店では蒸篭に3個入りでメニューにあり、行けば必ず注文をし、舌鼓をしている。こないだはお土産の冷凍焼売を買い、家でもビールのつまみで楽しんでいる。1箱に4個入り2パックが入り、1600円?だったか、その価値には納得で間違いが無い。けっこうボリュームもあり2個でもお腹がいっぱいになる。是非一度ご賞味頂きたい。

今日は南三陸ホテル観洋で、語り部シンポジュームが明日まで開催される。自社保有の400人余りが大津波から助かった場所「高野会館」のツアーもある。ここも被災地の語り部周回の場所として、今日の午前10時からバスがホテルを出発する。

昨日の河北新報の記事に「高野会館の保存要望書」の回答が町長から合った。「震災遺構として保存はしない。」と断言している。町の復興、観光立町に向かう町が「ひとつ」になれない現実がそこにある。
我が町の佐藤仁町長は「本当に町民の為の町の復興に取り組んでいるのか?」と疑問ばかりを思い感じる。観光地にとって宿泊施設と、南三陸の食材の魅力発信、雇用の場としても会社ながら、その考えと交流は「水と油」で、一つとなる事を、今後も佐藤仁町長の元ではないようだ。大きな観光面での問題が発生して、その姿勢の失敗に気付くときには、町の観光・教育環境も疲弊し、取り返しのつかない状態に陥り、震災復興での良い意味での魅力が低下して行く。

今、自分が何をすべきかを問わずにはいられない。

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2018
02/24

今は穏やかな日々の南三陸町


昨夜は地区の全体役員会があった。区長は町の「行政区会議」で、沼田地区の周辺の道路整備状況を伝えた。
国道45号の志津川の大久保地区からさんさん商店街の、メイン道路が3月末に開通すると話す。「本当に今この状況でできるの?」と私は思うが、見えない部分もあり出来るのだろう。
東団地北工区からの「高台横断道路」や、東団地の災害公営団地のE・F棟の下から、浸水した低地部へ向かう道路も完成するらしい。震災から7年目で旧志津川市街地の交通網が概ね完了するようだ。
新しくBRTの「志津川中央団地駅」ができ、町民の買い物がしやすくなると言う。新たな志津川の商店街の中心は中央区となり、志津川地区民の生活居住地は、東団地と旭ヶ丘団地周辺となりそうだ。

企業の誘致も町には希望者が手を上げているのだろうが、まだその全容は伝えられていない。人口減少ばかりを言う私は「建設的」な町づくりに、必要のない人間なのかと時々思う。

気候も温暖で異常気象も私は少ないと町と、我が町を思う。こんな素晴らしい環境が整いつつある南三陸町志津川に、歌津を「終の棲家」に是非御出で頂きたい。

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2018
02/23

町民はみんな知っている


昨夕に南三陸病院から携帯に着信があった。何かと電話を入れると、事務室? ナースステーション? 担当看護師? に電話が引き継がれた。父の担当の看護師(男性)からだったらしい。「聴きたいことがある。」との事だった。今日の午後には病院に行ってみたい。

昨日は友人の家に行った。娘さんが大学に入学が決まったと言う。彼女の「優しい笑顔」を見られたことで、昨日は一日楽しく仕事ができた。そのままで素直な女性になって欲しい。頑張っている若い女性が居る中で、勘違いしている大人が南三陸町には多い気がする。早く今すぐ改めて行かないと、恥ずかしい町になりそうだ。自分もしっかりしないと。

高校の卒業式が3月1日に迫って来た。10年以上も続いていた来賓としての出席は、今年は無いようだ。昨年は「志津川高校評議員」として、招待を受けたが今年はないの? その方が良いけど。

今年は低気圧被害も無く、ワカメの生育・生産と順調みたいだ。価格も良く、漁も海も穏やかな海上のもと、数量もメカブ・茎・葉とも多い。今年は「タコの豊漁」や、カキも高値で推移、ワカメの良好だと、漁民の笑顔が多く見られそうだ。

今日は議会の「運営委員会」がある。初めての委員で、会議の進捗を学び見ている今の状況だ。

昨日の冬季オリンピックの「パシュート」の報道には、私も再度大きな感動を貰った。メダル獲得がこれまで最高の「11個」になった。残りで見たい種目は「スケート女子」「カーリング女子」で、日本の女子は強くなった。


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2018
02/22

苦しみの果てに喜びが

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台湾「紅十字」より支援を受け、素晴らしい「南三陸病院」が建設され、多くの町民が御世話になっている。
現在、私と父は南三陸町志津川を「終の棲家」と決め、家族は「終活」に取り組んでいる。その父も私の中での入院の予備訓練の為に入院中である。足のむくみが「痛い」と一週間の予定で休ませている。毎日の「痛い・辛い」「食事」など、私の出来る事にも限界を感じての事だった。

病院でイイ事があった。「先生わたし判りますか。」と、女性の看護師が声を掛けて来た。中学時代の剣道の教え子だった。13年前後は経過したたろうか。現在は故郷の病院で働き、将来は地元で家庭を持ち、子どもを育てて行くだろう。兄弟は兄が二人の三人兄弟で、三人とも志中剣道部の出身で、地元に就職し頑張っている。両親と子供達が共に生まれ育った町で暮らしていた。これが普通などだが、仕事も無い、商店も無かった、生活環境も整ってない町に、家族全員が暮らし続けている。「志津川中剣道魂」は生きていた。

日本のパシュートチームが昨晩の決勝で「金」を獲った。一体となり乱れない三人の滑りは、オランダの個々のメダルリストのチームに、チームプレーで勝利した。前夜から朝まで10回以上はレースを見た気がする。何度見ても飽きないから不思議だ。おめでとう!

朝ニュースで知ったのが、俳優「大杉蓮」の急死だった。大好きな俳優の一人で、サッカーや楽器など多趣味で健康を維持していた。しかし、突然の死の原因は「急性心不全」だった。何が原因しているかは、朝のワイドショーが伝えてくれるだろう。「くるナイ!」の番組で、美味しく料理を食べる、オチャメな叔父さんで人気ともなっていた。食べ物・食べ過ぎ? それは無いと思うが、家族も父の死を、余りにも突然で受入れられないと言う。「66歳」とまだ若い素晴らしい俳優が、大好きなテレビの顔が、また一人亡くなった。

「車の代行」を始めると言う方を、会社に紹介してくれた同級生がいる。今日は父の散髪に行ってくれると言う。体も格好も綺麗になって退院して欲しい。そんな中で町の病院にリイハビリの病室が満員と、登米私立病院に父を入院させた人の話を聞く。現在、病院の「インフルエンザ流行」で、その対応に「大変!」と言う。本当に父は志津川に入院できて良かった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:27 】

2018
02/21

仙台出張


昨日は印刷組合の支部長会議が、仙台市扇町の県印刷会館で12時より開催された。気仙沼・南三陸支部長として出席した。理事改選期で候補者の議事であり、当支部からは私が退任し、気仙沼の竹渕さんにそのバトンを渡す。若い世代が今後の地域の印刷業を背負う時代と思っている。「生き馬の目を抜く」ような、めまぐるしい業態の変化に付いて行く為にも、若い内にその荒波を経験した方が良いと私は思っている。

我が社から「南三陸海岸IC」から「仙台東IC」まで1時間と、仙台まではここまで近くなった。1時間15分で県の会館までは、「あっ」と言う間である。

今回は議会への「陳情書」の提出の藤井理事長の印を貰いに行った。陳情提出者を県の印刷組合にお願いした。内容は印刷業に限らず、町内の仕事は行政発注の仕事に、町内の事業所が大きく依存をしている。そんな中で町内の出来る業務を町外に出している事への町への提言でもある。建設などは地元の会社は、大手ゼネコンと「共同体」として、町は復興工事に参加しているが、小さな事業所には仕事も少なく、何とか町が仕事を作り与える事が望ましい。
多くの事業所が廃業をして、町内の事業所は半分になり、復興事業に関連する事業所が町には今はあるが、震災復興が終わると、関連事業所が撤退する。新たな事業を始める町民が出てくるように、環境が整うまで町が仕事(業務)を創りだす事も必要と思う。

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震災前に町の業務を減らす為に「管理委託制度」を町は積極的に推し進めた。「町内外の団体・企業が町の業務を代行する」、こうした現状が今後も続きそうだ。「自分の事は自分で!」という行政の基本が今は無く、地元の人間も若者が少なく、新しい事業を町内で始める人は少ない。これが高齢化の実情です。町で積極的に震災後の事業の発展に、事業・業務の発注を公平公正にする事は、何処の自治体でも取り組んでいる。そんな提案を陳情にまとめた。

昨日は志津川の八幡川から、126万匹のサケの稚魚が放流された。このうちに返ってくるのは何匹だろうか? 一千万匹の放流で昨年は川に返って来たのは、千匹にも満たなかったようだ。志津川湾の定置網には掛かっているものの、鮭の回帰率は減少している。4年後に返ってくる事を想定し、今後も続けないと将来に繋がらないと言う。今年は稚魚の確保がままならず「800万匹」に留まると言う。稚魚も北上川・小泉川から確保した。志津川でも川・海で捕獲した鮭の孵化事業を進め、南咋陸町に回帰するサケを増やす努力をしている。

今日は父の「入院書類」を提出する。入院する事に慣れさせる為も、今回の入院には意味がある。1週間~10日間を予定している。足のむくみが取れるまでと考える。三食付で看護師さんとも話せる。父の望む環境が病院にはある。病院の収入の増加にも貢献できそうだ。

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2018
02/20

激動の一日

羽生の日本中を沸かせ、日本が一つになった冬季オリンピック、金メダル以上に日本に勇気と幸せと喜びを与えてくれた。
将棋の藤井6段の最年少の優勝に、子供達の努力は報われ、夢に向かって「挑戦」の意義を実行した。
小平の金は確実視されていたが、その中で彼女のどん底からの復活は、多くのアスリートに勇気を与えてくれた。3連覇を逃した韓国の選手に「寄り添う姿」にスポーツマン・オリンピックの精神を感じ取った。

そんな中で昨日の事は千葉家の一つの岐路となると私は思っている。日曜日の父の弱音を聴き、父を楽に、思うようにさせたいと、昨日午前中に叔母たちのアドバイスを受け、南三陸病院に入院を父も承諾し、私も一人の暮らしを、今から慣れ体験する事とした。病院の看護師やせき先生のお蔭を持ち、無事に問題なく個室に入院した。足の「むくみ」が引くまでと思っている。三度の食事と先生・看護師の付きっきりの対応で、震災からの多くの苦労を乗り越えた父を、少しは労えるだろう。

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気仙沼市本吉町小泉地区の、津谷川・11mもの河川堤防・その上を走る「小泉大橋」。小泉橋の上で工事中の通行止めの間に、小泉川の写真を撮った。この川の鮭から採卵・孵化した鮭の稚魚を、南三陸町は放流していると言う。故郷の川に戻る鮭、間違って小泉川にいってはいないだろうか。震災後から八幡川の鮭の遡上の減少は続いている。

午後からは県議会の被災地の調査があり、その後で議会活性化の委員会があった。その後で本吉まで用事で出掛けた。帰っての一つの電話で、一日多忙の中で順調に行っていたのに、大きな問題が発覚した。あり得ないと「従業員にあたる」。これは私の最終責任で、気の緩みでしかないが、これは私の正義感を揺さぶる事件と成りかねない。関係機関に頭を下げ謝罪し、自分の恥じはど返しの行動を余儀なくされた。その日の事は問題(クレーム)は早期に解決が身上で、私の中では解決したが、今後にその影響がでるかもしれない。「あと少し、もう少し。」と家業を続けないといけない中で、千葉家の家を守る家督としての役目が全うできなくなる。

この問題が尾を引かない事を祈るばかりだ。

羽生・藤井・小平の偉業にあやかるかのごとき、安倍総理の「祝福の電話」は、パフォーマンスとして私には見えない。それを民放のNHKを初めとするメディアは伝える。強い者に尾を振る人達が、この国には多いようだ。私のフェイスブックの友達は、反現政府の人達が多く、類は友を呼ぶと言った感じだ。


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2018
02/19

現地調査


震災前に志津川保呂毛地区の「霊峰保呂羽山」に行った。あれから10年は断つだろう。「正鵠の森」が保呂羽山の玄関にあった。
その場所まで、現在はどうなっているかを見に行った。貴重な冬の雪の中の南三陸町志津川保呂毛の公園である。建立は「宮城県本間知事」の時代だった。県の事業で造られたのだろうか。
こんな誰も通る事のない雪山で事故ったら、と思いつつ細い林道を4Kも分け入った。仲間に話したら「馬鹿じゃない!」と言われそうだ。

水尻川の河川堤防の建設が進み、保呂毛地区に行く「保呂毛橋」が完成し取り付け道路のS字仮道で対応している。橋を渡ると30mもない場所が、3mの道幅となり車の通行に危険を感じる。また、左側を流れる小川も津波被災のままで、震災復旧が進んでいない。ガードレールは所々にあるものの、地区民の通行は危険がいっぱいである。
震災前までは保呂毛線の道路いっぱいに家が建ち、津波の襲来した地域の家々は流失し、基礎だけが残った。そんな土地を浸水地域として町は買い上げ、道路の拡幅や道路整備にあたれないのかと、地区民は思っている。町は買い上げた土地を石材店に貸し出している。石材店が見つけた土地で、ここを借りたいと町へ要望し、一年の計画で貸し出した。
なんでこの土地を貸し与え、地域民の為に道路の拡幅へと、町は活用しないのか不思議だ。

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町は「観光立町」への政策を第一に上げ、「山・里・海」と自然の大切さを全国に訴え、観光客の拡大を言う。「正鵠の森」として保呂毛地区の、保呂羽山の登り口にはトイレ・休憩所・公園が整備されている。しかし、震災前も今も保呂毛地区の観光地の開発活用は考えてないようだ。今ある公園を有効利用は町として当然の事と私は思っている。海の水産物の恵み、山の恵みと自然風景、そして里の人の温かさ等、素晴らしい南三陸町の財産をすべて有効に使う事で、観光立町となると私は考える。

歴史・遺跡をもっと大切に保存すべきと私は考える。志津川新井田地区で発見された「新井田遺跡」も、町は調査をして、一部保存もしないで、その上に高台移転の団地を整備した。

私の子供の頃「旭館」は、多くの遺跡出土し志津川地区の文化遺産と、保呂羽山周辺は歴史遺産の墓所として、開発なくそのままで、「保呂羽神社」も山頂に鎮座している。小学の高学年は「保呂羽山遠足」が実施されていた。山を歩き秋の恵みを肌で感じた。アケビ・栗・キノコなどの恵みと、季節ごとの花に魅了され育った。ふるさと学習の探検をして南三陸町の良さを感じて欲しい。心豊かな子供づくりを当時の公民館は実施していた。

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2018
02/18

死にそうだ!


朝、ブログを書き込んでいると、父が事務所にやった来た。
「おかしい」「グわい悪い」「死にそうだ」と、言う。
脈拍が毎日測定している「60」より、「72」と高いと話す。

今日はちょうど「佐藤徹内科」が日曜当番と言う事で、病院に連れて行った。何でも相談しやすい先生で、診察では「今直ぐにどうこうという事はありませんね。」と優しく話してくれた。ありがとうござます。

明日から入院させたいと私が言う。と、「ベットがあれば入院できます。」とアドバイスも頂いた。叔母にもアドバイスを頂き、明日は病院に相談に行く事とした。

今朝は、地区の「集会所清掃」の当番に、私が班長をする地区で4人が集まってくれた。12人の内で私を含め5人が集まり、8時から30分活動をした。

その後の「我が家に発生した事件」だった。老々介護はそこまで来ている。朝のNHKで母と息子の生活を紹介していた。親を看る息子は、認知症の母を介護する為に、職を変え、現在は夜間の個人タクシーをしている。合間に「短歌」を趣味とし、短歌の新人賞に輝いた。老々介護の生活を歌に詠み、母との生活やお客さんの会話など、介護の中での言や、都会の風景を詠んでいるという。
そんな中で「母の笑顔に救われ、幸せを感じる」と言う。道路に咲く花に綺麗と言う母に、興味を示した花を買おうと二人で花屋に行く。「何がイイ?」と母に聞くと、「お前の好きな物でいいよ。」と言う。何気ない親子の会話がそこあった。

認知になり、鏡に映る自分に頭を下げ、手を振る母、トイレは何処にあるの、トイレから帰れないなど、親子の生活は大変と見る側には感じるが、息子さんは「そんな母の日々の変わる姿に救われる」と話す。
夜間の個人タクシー勤務は、母をトイレに行かせ、それから寝付かせ仕事に行く毎日という。仕事が出来る時間が減っているのは、母の状況が日に日に大変になっていることを意味する。決して愚痴る事ない姿に私も学ぶべき事が沢山あった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:31 】

2018
02/17

佐川国税庁長官、羽生に学べ


フィギャーの「ショート」が昨日スタートした。
多くの不安と期待の国民の気持ちをよそに、羽生は凄かった。負傷後にベールに包まれた彼の再起の、中継に、国民は目と気を奪われた。
今日の「フリー」は気持ちよく滑って欲しい。それがきっと大きな結果に(結ぶ)繋がるはずです。
宇野選手の羽生の影に隠れた、精神力の演技も凄かった。がんばれ日本!

缶コーヒーをマグカップに一割入れ、そこに牛乳を一本入れ、レンジで「チン」してモーニングコーヒーを頂く、朝の目覚めの一杯で、私の一日の始まりの「ルーティーン」です。

昨日は月一回の徹先生に薬と血糖値の検査に行った。ヘモグロビンは「7.5」で血糖値は「195」だった。血糖は朝食を食べた数値で、ヘモグロビンが半年前より「1」上がった。
食事を聞かれ間食を指摘された。「落花生大好き!」の私、シーズン(旬)の終わりを前に毎日楽しんでいる。先生は言う「カロリー高いんだから。」「燃やすとボツと燃えるでしょう。」と、カロリーが高い事を説明してくれた。
「これから努力する。」は生活習慣病の予備軍に見られる特徴です。「今から直ぐに取り組む!」を実行して下さい。

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「憲法改正」への安倍総理の意欲は決して消えそうもない。三分の二の圧倒与党は、改正議案の投票となれば国会は通るだろう。その後の「国民投票」は何とも言えない。しかし、580億円の経費が国民投票で掛る。被災地の生活困窮者や生活保護者の増加があるのに、何て幸せボケしている国政と私は感じる。北朝鮮の核・ミサイル攻撃を過剰に煽る言葉と行動をとる総理、日本の総理に相応しい人材かというと違う気がする。強者を嫌う弱い人間だから「ギャアギャア」言っているのと自分でも解っているが、何か言わないと居られない。

羽生君のような人間がいて、佐川国税長官のように政府に媚びる官僚がいる。これでバランスがとれているかも知れない。

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2018
02/16

南三陸町入谷地区の美味しい牛肉


友達が友人の牛肉生産者の育てた、美味しい「自慢の獣肉」を売りに来てくれた。ヒレ肉を三枚で、なんと「3500円」とあり得ない、国産牛の値段でした。昨日の晩御飯は勿論、ヒレステーキでした。

南三陸町の特産品に「仙台牛」があります。
震災の混乱で酪農を厳しい生産環境の中で頑張っています。放射能の「セシュ―ム」の飛散により、牛の飼料が汚染され牛の飼育にご苦労されたと聞きます。現在を汚染された稲わらは「トン袋」に詰められ保管しています。敷地に厳重に保管された汚染部の管理にも、100近い数に大変と聴きます。
宮城県の汚染藁は「焼却」の方針で県は進んでいますが、農家は焼却により更なる放射能の飛散を懸念し、「風評被害」の再燃に恐怖を抱いて行います。以前にも書きましたが、南三陸町の方針は「大盤平」への埋設と、酪農家の方々には報告したと、先輩の酪農家は話していました。
牛の排泄物の再利用にも苦慮しています。震災での田畑の圃場は、国県の震災復興事業として多額の資金が使われています。そんな中で、酪農家の排泄物の処理は堆肥として田畑に撒かれています。こないだの住民懇談会で、我が町の実態は「他の地区から堆肥を持ってくる・」と言う話に、「何で?」と疑問が起こるのは当然です。JA南三陸の事業かも知れませんが、行政が酪農家の言を考えれば、農協に働き掛けるのは当然と私は思います。

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良質の岩塩と粗挽きコショウを肉にすりこみ、少しの油で両面を焼き、仕上げはバターと醤油で「焦がしバター」に仕上げました。頭で描く仕上がりとは多少違いましたが、肉が良いので美味しく頂きました。

南三陸町は水産品ばかりではなく、仙台牛の故郷でもあります。南三陸町の皆さんにも高級牛「仙台牛」を、たまには地元の皆様にもご賞味いただきたい。大好きな番組の「グルナイごちバトル」でも、一皿「9千円」前後の牛肉料理がでます。そのイメージの仙台牛のフィレ肉、豪華食材に舌鼓をした。道の駅ができたら週一回でも、「特価販売」があると住民も、町の特産品を味わえるのだが、今のままでの商店街の「南三陸道の駅」には、最後まで反対をしていきたい。

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2018
02/15

なんだり、かんだり。「3」


昨日の議会広報委員会の視察は、埼玉県の小川町で、町村の「議会広報コンクール」で全国の5位となった。

朝8時に町を出発し利府駅へ、利府~仙台駅そこから新幹線で「大宮」まで行き、川越線で川越へ、その後は東武東上線で目的地「小川町」まで、午後1時30分着、5時間半の列車を乗り継いでの到着だった。
田舎の志津川しか知らない、電車の利用もままならない私に取っては、不安と緊張の大変な旅だった。

小川町は30500人の人口で、13000世帯の町で人口減少が続いている。議会議員数は「16人」で、人口は倍なのに議員は我が町の12500人と同じだった。やはり議員数は今の時代多すぎる。

ここには南三陸町歌津出身の親を持つ、若き議員が活躍していた。南三陸町三浦議長の同級生と言う。ら本は広くて狭いる。

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帰り途中の川越線の列車の中では、8割の乗客がスマホを手に、色々な事をしているようだった。老いも若きも皆がスマートフォン依存の状態に驚かされた。それは列車の中も待合室も同じだった。

昨日の帰りは午後8時で、「無事に家に帰れた!」と安堵し、事務局員にご苦労さんを告げた。今日は朝6時出発の仙台の予定です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 05:11 】

2018
02/14

なんだり、かんだり。「2」


一昨日の晩御飯前の「晩酌」のつまみは、南三陸で水揚げされた「めがぶ」です。翌日の血糖値は「110」と最適の数字が出た。生活習慣病には「南三陸産ワカメ」が効くみたいです。天然のサプリメントなのかも知れない。

昨日も「死亡の告知」のチラシが入った。志津川の細浦地区の大森さんで、昔、若かりし頃に私の酔っ払いの悪ふざけで、パンチを一発貰った方だった。私より4歳位は上だろうか。震災後も「銀サケ養殖」を何も無くなってから再度スタートさせた。こんな水産業への貪欲な取り組みと、活力と迫力に学ぶべき事が多い。御冥福を祈ります。

私の同級生が新たな人生のスタートを切る。素晴らしい。還暦を過ぎても生き生きと、決して年を感じさせない行動がある。今も仕事と親孝行に一生縣命な姿に、私もとの気持ちが増す。

昨日は仕事に朝から晩まで忙しかった。初めは「大変だ、どうしよう!」と、悩んでいたが、やれば出来ると感じた。何でも「やる前に諦めたら駄目!」。機械のトラブルも重なったものの、学習力と挑戦が解決に導いてくれた。

今日は「議会広報委員会」で、埼玉県の小川町に調査で出掛ける。日帰りのハードスケジュールながら、何とか仕事と段取りを付け、今朝を迎えた。「たまにはブログ休んだら!」の忠告も、自分の取り組みを貫いた。どんなプラスになるのかと言うと、「自分の生きている実感」を、自分自身で創っている。


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2018
02/13

南三陸町「高校生議会」


志津川高校生議会が12日の午後1時30分から開催された。
町の執行部が通常の議会のように全員が揃っての「高校生議会」となった。
議会の議員も全員が出勤し高校生の提案を聴いた。
教育・産業経済・福祉グループに別れ、提案に対して町長が答弁した。
ここから未来の議員や町長の誕生する事を願いたい。

議長も高校生がグループに別れ登壇した。最初議長の小山さんは、私の戸倉剣道スポ少の教え子で、こんなにも大きく立派に成長していた。大学へも合格し、校長は「優秀な生徒です。」と笑顔で答えてくれた。

少数精鋭! の志高生。生徒数の減少は現実的な問題で、「教育グループ」は調査の上で貴重なデータを提示した。病院が無い事での人口減少率よりも、高校が町に無い事での人口減の方が、高い比率となっていると言う。町長もこのデータには驚いていたようだ。

傍聴者はメディアが多く、一般の方は少ないようだった。町の議員は全員が集まり、生徒の議会姿を議員控室のテレビで見ていた。傍聴人は30名ぐらいだろうか、メディアは7社ぐらいだったように感じた。町庁舎の玄関には「パブリックビューイング」の席も設けられていた。町執行部の9割が参加した。

私はうざった考えだが、メディア戦略が根底にある気がする。この活動は学校と町が主体となり、議会への働きかけは最後だったと聴く。学業を高めるための「志翔学舎」の設置にふるさと納税の1200万円が使われ、町長の「出前町長室」としての活動も、10月の選挙前の行動だった。ここまで「教育」「選挙権を得た高校生」の選挙活動をするか? と見ている。学校側と行政トップの考えが実現した。誰一人こんな疑った考えはないだろう。町のアピールとしては成功だっただろう。

町民と議会の懇談会でだされた町民の声に、入谷の道路整備、巡回バス、通学路の整備など、多額の資金が必要ながら、1200万円があったら「生活困窮者」を何人も救えるし、子供達の通学環境も少しは良くなる気がする。将来への投資としての活用もあるだろうが、その効果は数年後に現れ、こうした施策の失敗・成功は、政策決定の当事者が居なくなってわかる。その責任は「誰も取らない。」。そんな矛盾もあり、間違いなく町の疲弊は加速する気がする。

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2018
02/12

あっ! 歌津ギョリュウが空を飛ぶ!


昨日は「住民と議会の懇談会」が会場4カ所で開催されました。私は2班の記録係で、入谷・歌津地区を担当しました。

入谷地区は「地区の道路整備」と「稲わら焼却・埋設」「農地の整備・活用」などがあがった。
地区悲願の「入谷横断一号線整備」が上がった。震災時の「う回路」として活用された道路ながら、津波被害を受けているのに、一行に進んでいない。以前議員だった方が現職だった時から、道路整備を訴えていたものの、あれから9年が経ち、大震災も起こったのに、今だに整備されない。12月の議会の時に5年間で整備を進めると町は言う。
原発の稲わら処理の実態を聴く。故人で数十個以上も震災時に刈り取られた物が、セシュ―ム混入もあり、県の処理方法に焼却の飛散もあり、更なる風評被害を懸念する。
登米までの町民バスが無くなると言う。買い物や高校生の通学バスでもあり、廃線は困るとの意見が出た。議長が来て「朝夕一本ずつだが運行する」と言う。
気仙沼線の復活とはならないのか。BRTは時間が掛かり過ぎる。BRTの高速運行はならないのかと、外国の事例を上げ改善を求めた方もいた。

子供達の通学路の整備がされなく、学校周辺には「歩道」の無い。鏡石地区の宿泊地「いりやど」に来る観光バスの運行に道路が狭いと言う。橋の整備後でもあり難しいと言う。しかし、住民は「橋の近辺の整備」を上げ、安定通行を求めた。入谷地区は8人の方が参加した。

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2018
02/11

自分らしく堂々と


夜中3時から「日テレニュース」を見た。冬季オリンピック・北の外交・殺人事件など、次々と出き事が流れた。

そんな中で「同性愛」の事をドキュメントしていた。日本人の13人に一人がLGPTだと言う。7.6%の数字は信じがたい値だった。32歳と28歳の彼らは、生まれてこれまでずっと苦しんでいた。そんな時にLGPTのサイトを見て、多くの人達が苦しんでいたことを知る。自分の気持ちを理解してくれる人との出会いが、互いの考えを尊重し、堂々と生きようと「結婚」を決意した。
日本では同姓の結婚は認められず、自分たちの思いを形にしたいと、結婚リングを作ろうと考えた。これも一般的には「ジュエリーショップ」は、男女の指輪が通常で、それを聞いたジュエリーデザイナーが二人の望みを叶える事に協力した。結婚式場も同じながら、二人にフェディングドレスを着せてくれた。「自分らしく堂々と!」の二人の夢を叶えた。

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その後は「君の名は。」の録画ビデオを再度見た。3時半から2時間の上映は、新たな発見ができた。2011.3.11の東日本大震災から、6年11か月が経過する。映画はフィクションながら、その予兆があったものの、誰もがこんなにも大きな津波が襲来する事を予想出来なかった。「君の名は。」でも彗星の落下で500人が亡くなった。しかし、二人は現世で出会う事ができた。「なみだポロポ」である。朝から今生きている事の幸せを噛みしめた。

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南三陸町志津川字清水の漁村の町並の上には、BRTの高架鉄橋と河川堤防により、地域集落の想い出の欠片も無くなった。震災の土地のままで2mの嵩上げで、街が再建できたら、地区民は今までのように生活ができていたかもしれない。震災復興事業で泣いている家族も少なくない。

この春、同性愛の彼女たちは結婚する。自分たちの夢に向かい素直にいきいきと幸せになって欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:29 】

2018
02/10

社会からの卒業


数えの62歳となり、体調は若い頃とは大分衰えて来た。
父親は94歳で、昨日は病院へ「足のむくみが痛い。」と、先生への定期診察で出掛けた。先生には「時間が経過すれば治ります。」言われたと言う。3年間も足のむくみの姿を見ていると、若い先生の診察の言葉は信じられない。父は「運動しないといけない。」と、頑張って歩いたら「足が痛み動けなくなった。」と話す。こんな老々介護がそこまで来ている。

冷蔵庫の管理は勿論わたしの役目です。一昨日、恐々と野菜庫の奥を見た、上からの山芋・袋の漬物は見た目は良い物と思っていたが、取り出すと水がでてカビが、これは一年半前の母の葬儀の為に、叔母たちが買っていた置いた物が、そのままで冷蔵庫に眠っていた。食材は無駄にはできないと思いつつ、震災後からの交流の貰いものを、冷蔵庫に詰め込み、そのままにしている物も、2年前後の瓶詰が点々としている。これも処分しないと。

昨夜の食事は「独自のお好み焼き」。震災前にあった田中前さんの「スペシャルお好み焼き」の味が今も忘れられない。店主の「京都風」は、独特の味付けにはまっていた。震災後の「さんさん商店街」への出店は、厳しい環境の中で、町の復興に一助となりたいと、お好み焼きと海鮮丼の販売は、私にとっては被災後に一つの喜びだった事を思い出す。もう「田中前のお好み焼き」は食べられないだろう。それならと一月に一度は「自作のお好み焼き」を楽しんでいる。昨夜の晩御飯は、ホタテ・肉・エビとキャベツで作った。ソースはブルドック中濃と辛子マヨネーズにした。最高の味に酔いました。

明日は「義会と住民の懇談会」があり、私の属する二班は、入谷と歌津地区を担当する。多くの地区民皆さんの参加を期待したい。住民の声に応えられるかは微妙だが、積極的な意見・声があれば良いと思っている。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:50 】

2018
02/09

この子らの為に議会は何をすべきか


昨日は「南三陸町議会民生教育委員会」の調査として、「教育振興」について南三陸町の教育委員会と生涯学習課から聞き取りを行った。内容は「いじめ」「不登校」など、現状を聴き取った。

私が当初は町の偏った行政について正したいと議員となり、その後は震災復興の進捗と町づくりの在り方と問題点、そして今は「職員改革・モラル」について調べている。
しかしながら、これからの町づくりを考えた時、子供達の良好な環境づくりと、子供達が孤立しない皆が笑顔で学業と、友達作り・スポーツの楽しさを知り、健全な精神と肉体を宿す事が必要と思っている。義務教員から高校・大学への、自分づくりを、大人が環境を整備しないといけないと思っている。

私がこれまで経験した子供達の、スポーツ指導で得たこれまでの、さまざまな問題を、町の教育部署に提示する事で、多くの問題点を浮き彫りにし、これまでの町の教育の欠けている部分が露呈し、改善する事が望ましく、それで将来の町づくりに新な担い手の誕生を、育成し期待したいと思っている。その役目は町の教員機関にあると思っている。

先月末に志津川地区の子育て支援施設「志津川保育所」が落成し、約60名の子供達がお祝いの歌を披露(写真)した。そして昨日は南三陸町「給食センター」の視察を行った。衛生面の設備を完璧にした調理場に驚く。エアーシャワーや、食材管理で、出来る限り衛生面に配慮した完璧すぎるくらいの、センター内の構造に「食中毒」の対応は完璧と感じた。しかし、いかなる事が起きるとも限らずね、常々日々の自己管理と気が緩む事のないセンターの運営をお願いしたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:58 】

2018
02/08

道の駅の本質と意味


「南三陸の道の駅」は「志津川・荒島道の駅」がイイ!

南三陸の水産物の「小さな水族館」を設置し、水産物主体の道の駅がピッタリくる。タコは水槽に生かし、小さなものは子供達が手で触れられる。アワビ・ウニは開口で獲る光景を再現し、こうして剥いて食べる。勿論、食事処は南三陸町で水揚げされた食材を、漁師の奥さんたちが作る。

震災で流失した南三陸町歌津の「魚竜館」に隣接した食堂が理想だろう。浜値で水産物の販売は勿論で、歌津の「みなさん館」の鮮魚は、新鮮で格安、これが道の駅の本質と思っている。

亘理の漁協隣接の直売所がある。漁協が組合員と一緒に運営する「直売所」として、観光客や地区民に親しまれています。お土産品も充実し、地場野菜も豊富にありました。私の目当ては亘理の「ホッキ貝」「イチゴ」でした。新たな物として「ハナモモ」を見つけ買い求めました。昨年のことです。

来店した人たちが地元の食材を見て歩く事も楽しみの一つで、食べ方も教えてくれる、そんな漁師の奥さんたちが売り子に適している。

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こんな道の駅には「海の生物本」を置く、こども図書館などはどうだろう。施設で見た魚を本で調べられる。ぜひ、こんな道の駅構想を町には求めたい。

私の同級生の山志津川高校校長が台湾からの生徒の受け入れで奮闘している。
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南三陸町を訪れたのは日本の高校にあたる「国立台南第一高級中学」の生徒およそ70人です。
生徒たちはまず、台湾から20億円を超える義援金などで再建された南三陸病院を訪れ、記念碑の前で「台湾がんばれ。日本がんばれ」とかけ声を上げながら記念写真を撮りました。
このあと、今は閉校して公民館になっている旧戸倉中学校の校舎を訪れ、東日本大震災の発生直後の時刻で止まっている時計を見たり、語り部の女性が、「海と山の両方から津波が押し寄せて校庭で合流したため被害が大きくなった」と説明すると生徒たちは真剣な表情で聞いていました。
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徘徊のご老人の「捜索願い」をラジオが呼び掛けていた。「76歳」と言う、まだ若いと思っていても、認知や痴呆は私もそこまで来ていると認識している。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:30 】

2018
02/07

心配! ショック!


昨日は「南三陸町臨時会」が開催され、午前10時開会から午後6時30までかかり、多くの現在の問題点を審議した。

「東日本特別委員会」で、中央区のアパート建設問題についての、行政からの報告があった。町長は一区画「4500万円」の経費が掛かり、現在約100区画が空いている。総額で45億であり、固定資産の税収減と、空き地の維持費に多額の資金が必要と言い、議員各位にもこの問題を解決に提案等を頂きたいと話す。
多くの時間を要し、「南三陸町で暮らしたい」との想いで、土地を希望した方が、時間の経過で「災害公営住宅」を選択したなど、この問題の根源は深い。町の事業所の従業員不足は、12社の水産事業所のアンケートでも「2社」がアパート宿舎希望と出した。「町の復興に資する」という土地利用に、国がアパートの建設も被災用地としての区画の利用許可をだした。
水産特区としての町の水産加工業者への支援のもとで、事業所・工場の整備に数10億の国費が使われ、それとは別に「8分の7」の補助金が認められ、水産業の再建復興に町が支援をしている。現在は100名前後の外国人労働者が町で働いている。余裕のある事業所は町長の問題解決に、手を揚げ、町は生活にし易い土地を「借地」として提供する。互いに良いように見えて、これにも多くの補助金が出されている。どうしても疑いたくなる。

朝ニュースで台湾で「M6.0」の地震があり、現在2人の死亡と100名以上の怪我人が出ていると告げる。ホテルの倒壊や建物が傾いたりしていた。
現在、町には台湾からの就学旅行生が70人程度来町している。昨日も町長は1時間遅れで会議を退席し、歓迎会に出席すると言う。今後ももう一校が来町すると語る。生徒達の家族に何も無ければと思っている。

昨日の議会の審議は、一般職・特別職・議員の報酬のアップが義論された。公務員の人事院勧告による引き上げだった。地方公務員が大企業の賃金と同等の賃金が、地方との格差をなくすにある。都会と地方には生活格差があり、地元企業の給料に当てはめる事も必要ながら、仕事内容は違えど、賃金差は二倍以上と、町民と地方公務員との格差は拡大するばかりだ。
一般職の報酬アップは、議員一致で採択された。特別職は議案に反対があり「7対8」ながら、議案は可決された。議員報酬に関しては反対討論に4議員が立ち、全会一致で否決された、「己を律し」「自ら襟を正す」意味でも当然である。自分たちの報酬のアップを可決したら、税収ミス・賃料未請求の問題など、行政のチェック機関としての議会の役割を果たせなかった責任を取った。町長・福町長もこの問題で数か月の報酬カットの制裁を受けている。

長い長い一日だった。

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2018
02/06

亡くなった祖父の思い出を孫は忘れない


昨日で3日連続の我が菩提寺「大雄寺」に、父の友達と私の同級生の父の葬儀に参列した。これまでの故人の係わりの人達から見ても、震災後の人達の繋がりの希薄さは、地域のコミニティーの再建の厳しさと、元に戻るには多くの時間を要する。

「太陽のようなじいちゃん」「川柳の好きなじいちゃん」「人を喜ばせるのが好きなじいちゃん」「いつも新しい事に挑戦するじいちゃん」「優しい笑顔のじいちゃん」「山できのこを獲りに行った事は忘れない」など、孫たちの祖父との思い出は決して忘れる事はなく、一生の心の支えと、父祖母の孫たちへの影響力を感じた。

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ここ2か月で10回の焼香へ行った。「ぎりすび」は私たちの町で、冠婚葬祭や新築・孫祝い・入学・卒業祝いなど、親戚・近所のお祝いが多く、繋がりと顔出しがその行動にあり、人との繋がりを大切にした「地域づくり」がここにあった。

震災で地区民がばらばらとなり、不幸事などは町の中の掲示と、人づての情報しか、震災後は知る術がない。私の行動は、志津川の町を築きあげた先人への感謝の気持ちです。98歳・94歳・87歳の地域を、町を基礎づくりに関わった人たちの死は本当に悲しい。

父の友達と、同級生の両親の逝去には、歩けるうちは是非出席したいと思っている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:00 】

2018
02/05

迷路のような志津川道路


志津川地区の保呂毛行政区に、道路の問題で出掛けた。

水尻橋から大雄寺の方へ行く、道路の左側には「水尻孵化場」、南三陸斎苑」があり、次が門前橋(保呂毛橋)で、橋の整備で道路との段差から、S字型に橋への接続道路がある。震災後は写真の奥まで津波が押し寄せ、右側の家々は流失し、道路のガードレールはぐにゃぐにゃと折れ曲がった。現在は少しの整備はされたものの、震災道路復旧とはなっていない。

写真の左側に「石材店」の墓石展示の場所がある。以前から気にはなっていたが、テレビでも「南三陸店」と宣伝が報じられている。
見て判断できる通り、店舗の場所が「町道保呂毛線」の道幅が、新設した橋からの道路は、この部分で狭まり、店舗を抜けるとまた広くなっている。危険がいっぱいの町道がそこにあった。なんでここに墓石展示場がと思っていた。
先週の大雪は通行にも危険だったと言う。積雪で脇を流れる小川との境には、ガードレールの設置していない所が大半で、小川に落下する車も少なくないと言う。曲がりくねった国道の整備は大変だろうが、町民の生活道路の安全安心の確保は、行政の早期に整備する義務としてある。
この日は目的地の途中のカーブに、道路の段差もありハンドルも取られた。これが夜道だったとしたら思うと、「怖い」と実感した。

明日は臨時議会がある。「建設課」「管財課」「保険福祉課」などの課長から説明を受け、地区の区長に伝えたい。

今日も三日続けての大雄寺での葬儀告別式に出席する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:17 】

2018
02/04

見た目も、味も最高。ごちそうさまでした。


町を離れた時の食事は楽しみの一つである。

東京駅から京都駅の向かう新幹線の車中の昼食は「幕の内弁当」だった。選りすぐりの食材が沢山盛られ、食材総てが綺麗で、また美味しく、その量も多からず少なからずで丁度良い。
志津川の暮らしでも買い物に行く時は外食も時々しているが、毎日の日々は私の手料理が多い。今は鍋の中に「タラ鍋」の二日目が残っている。

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「篠山の玉手箱」のような、役場庁舎となりの食事処とお土産店での食事だった。丹波の黒豆ご飯、丹波牛の佃煮、地場の産品で彩られた弁当だった。価格は千円ちょっとのものだった。また、亀岡市の庁舎内にある、職員食堂は「650円前後」の定食ばかりだった。市民も食事ができたとも思う。
お土産には丹波栗・黒豆などの土産品も60点以上はあった。それと別に地酒が各種並んでいた。各種多様な土産があり、観光客は自由な選択もできる。価格的にもリーズナブルで、買いやすい環境の中にあった。

観光客の皆さんは「被災地支援」の大きな志の元に、南三陸町にくる。その為「に三陸の海産品は高くても消費する」との温かい心がそこにある。地場産品といっても、農産品は見栄えと綺麗な物、調理しやすいものと、店主のこだわりがそこにはある。だから「豪華海鮮丼」を注文する、しかし、そんな町民は少ない。なぜなら高すぎるからだと思う。
昨日の新聞に南三陸新名物「さんこめし」なるものが紹介されていた。「たこ・あなご・はらこ」の三つの食材を使った、まぜご飯のようだ。地場の水産品をご飯と合わせた物で、これこそは「地場産品づくし」と感じる。今年は鮭漁が不漁で、北海道でも昨年より三分の一の減少となり、イクラは昨年の6倍? との話も聴く。是非にとも価格は抑え3月末までながら、皆さんが手軽く食べられる価格としてもらいたい。

今から葬儀に行く、今日も「死亡チラシ」が入った。同級生の父だった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:27 】

2018
02/03

やるべき事がいっぱい


「マイタウン情報発行」「議会の一般質問」「婚活事業チラシ」「仕事」など、多忙過ぎる状況の中で、来週は6日に臨時会、8日には特別委員会・全体会議が予定されている。昨夜は知人が「町に話してくれ。」と、電話があった。震災復旧の道路整備に困っていると言う。自分が出来る事は挑戦し、志津川地区の為に全力を尽くしたい。

昨日は父の川柳仲間の御主人が、98歳で亡くなった。何とか住宅再建も果たし、これから落ち着いた生活が始められると思った矢先の逝去だった。今日の朝、また父の同級生の逝去が新聞の「死亡チラシ」で伝えられていた。本浜地区の方で震災後は息子さんには多くのご苦労があったと聞く。父はこの同級生を気にかけていたが、南三陸病院に入院し、「長くは無い」と私の同級生の父も話していた。
町内に再度「死亡の連鎖」にならなければ良いと思っている。先月の広報でも一か月の死亡は60歳後半から90代まで、25名の名前があり、出生は1~2人となり、自然減といわれる人口は、年間で約250人が減少する事となる。10年で2500人、12500人との国勢調査での南三陸町の人口が、一万人を切るまではそう遠くはない。

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昨日は気仙沼市本吉町に行く。お得意さんが一件と、クリーニングと買い物をついでにした。途中に「本吉響高校」を高台に観る。
1日には公立の「一次試験」があり終わった。母校の「志津川高校」は、受験者の減少による生徒の確保に、同級生の校長はできる限りの活動を続けている。2月の12日には「高校生議会」が開催される。行政と学校が主催と言う。議会が主催にならない事が不思議だ。
今年、響高校は、気仙沼西高の廃校にあたり、160人から20名を加え、募集定員を「180人」とした。西高の受け皿としての役目を担っている。母校は陸の孤島となりつつある。瓦礫の街灯の少ない被災地の中を、生徒は通学する。親たちはその事に多くの不安を持っているのに、学力の向上の前に、被災地の通学路の環境整備を上げたいが、復興事業の途上で、それは無理らしい。バス停からの学校までの巡回バスも満員だと乗れなく歩きという。クラブ活動もあり登下校も個々に時間は違う。学校維持の為にやっている事が、私は違う気がする。

今日は行政区の班内の配布物を配る。3月末までとなった班長の役目も後2か月で終了する。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:44 】

2018
02/02

観光の街「京都」の駅周辺


新幹線が通る「京都府」の駅に初めて降り立つ。9階から11階ある駅ビルを歩く、夜9時過ぎても構内は多くの人達で、ごった返していた。意外とこの時間は外国観光客の姿はなかった。商店・飲食店・お土産店があり、満員とはいかないが活気に満ちていた。平日の月曜日の現状だった。インバウンドで外国からの観光客の増加により、ホテルが足りなく多くの場所で、宿泊施設の建設・整備が進んでいた。南三陸町には地元を感じる宿泊地は、現在少ないと思っている。「民泊推進」を町と観光協会は展開しているが、これでいくらの観光客を受け入れる事ができるだろうか。
歩いても、歩いても最上階には辿り着かなく、夜景は「あれが大文字山」と言うが、何も見えず期待に欠けた。エスカレーターが長く続く京都駅、ここを始点に観光客の観光が始まる事を予想された。
駅から歩いて200mのビジネスホテルに宿泊、その前の交差点で待っていると、一人の70代の男性が急に倒れる。同僚が全員一斉に駆け寄った、起こそうとしてもなかなか立てなく、ようやく手を貸して歩く事ができた。通りの店に駆け込み助けを求め、無事に事なきを終えた。何の事はなく「歩きスマホ」だった。危険がいっぱいの小京都の大都会、あり得る出来事が目の前で起こった。

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駅ビルは正に迷路と私にとってはなっていた。弱視の自分の目で歩き続ける事の不安もあり、早々に退散した。しかし、出口に辿りつけなく20分は出るまで掛かった。途中の長いイルミの階段は、見る者たちを魅了した。勿論、私は階段は使わずエスカレーターとした。
観光地には働く人と、人を引き付ける物が必要だ。何時までも町の消滅の震災の影を曳き摺った、観光客の誘致では、町の良き静けさと活気は、住民には戻って来ない。「観光立町」での観光客の交流人口の増加で、住民の減少のカバーはできなく、6人の観光客で、町民一人の効果があると言う。それは専門家がはじき出した数字で、一人に対し100人の交流人口がないと、町の経済効果とはならないと言われている。

我が町は回り道なき「住民復興」が不可欠ながら、無駄が多いと思っている。町を運営する行政や、それを審査・監視する議会にも、その役割を果たしているかというと、他の自治体の議会を見ても「?」を感じる。

議会の活性化への先進地視察は、議会広報・民協委員会でも今後実施される。3月の初めには3月決算議会がある。私の一般質問は、震災復興の検証・町長の職員改革を問うだ。ワクワクする。

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2018
02/01

南三陸町にも「水産品の道の駅」を


京丹後町には四つの道の駅があると言う、題して「味夢の里」。京丹波市の東?にある丹後町は、「黒豆」「栗」の産地として全国的にも有名だ。
黒豆の商品だけでも50種以上はあるだろうか。栗製品や日本海にも近く、多くの海産品が並び、勿論、地産の農産品もあり、観光客だけでにく地元の住民の方達にも楽しい場所と、位置付けている。温泉・フードコートもあり、広大な駐車場が小高い土地を利用し、京丹後の「味夢の里」として、観光拠点として整備されていた。大型バスと乗用車のスペースは、道の駅の5倍の大きさに感じた。

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昨日の議会活性化委員会の調査は、兵庫県篠山市議会で、議会でのタブレットの活用で、議会での書類のペーパレス化による、職員の多忙化作業の効率化を図る活動に取り組み、4年目を迎えている。70歳を超える方も居て、50・60歳の議会が半数以上の構成の中で、SNSを使った議会形式に、初めてタブレットを使う方も多いが、2回の講習会で操作をマスターしたと言う。
議会構成も我が町と同様の年齢で、タブレットを駆使しての議会活動を進めている。通常「5ギが」の容量を「12ギガ」にまで増量し、7年間の議会資料を搭載できる。小さいパソコン文字もタブレット拡大で、使用に困惑は無いと言う。
約6万2千人の人口で議員数は「18人」、南三陸町の12500人に「16人」はいかがなものかと感じる。前年に議会改革の「義員削減」の議論は現状維持の「16人」を議決した。10月の議員選挙は「無競争」となり、町民の選択の権利は発生しなかった。4年後に私は「12人」へと4人の減員を考えているが、これで町の問題が解決するかと言うと、町民の声を聴く人間が少なくなる、こんな弊害も危惧する。

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篠山市は毎年「500人」が自然減となっている。南三陸町も毎年「約260人前後」が減少している。2040年には6千人~8千人まで人口減が進む。「町難」の危機がそこまで来ている。私もその時は83歳で、もうこの世にはいないだろう。少しでも町の危機を抑え、衰退を防げる活動をしていきたい。
産業は第一次産業の人口は「2600人・12%」、第二次は「5600人・26%」、第三次は「12200人・56%」と、工業とサービス業で市の経済をまかなっている。我が町は第一次が減少しているが、この部分が町の基幹産業として、サービス業へと繋がっている。

視察で得る物は人口減少と高齢化は、待ったなしの町の取り組むべき政策である。議員が与党・野党の垣根を乗り越え、町の将来の為に本気であたる義務は当然ながら、行政・議会改革は、職員・議員の意識改革が必要だ。


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