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ARCHIVE - 2018年01月

2018
01/06

年末年始から訃報の連鎖

昨日は私の父にとって、久々の活動の日となった。「東日本放送」の取材陣が来てくれた。取材内容は、「チリ地震津波の写真と記憶・追跡」だった。志津川町内の地図を準備し、父が持つ資料も引っ張り出し、生き生きとした父がそこにはあった。取材は元町長だった「佐藤久弥氏」の孫にあたる方だった。その実情に時代を感じた。佐藤家の血筋はしっかりと孫たちに引き継がれていた。こうした若い志津川出身の若者に、南三陸町志津川の未来を引き継いでもらいたい。私的に野望や仲間内の為に政治から脱却を願いたい。

中日ドラゴンズの先発として活躍し、その後は中日監督として、阪神の監督としてもリーグ優勝した。震災時には東北楽天イーグルスの監督して、被災地に元気を与え、リーグ優勝から「日本一」まで導いた。その後も球団の副会長として、楽天の為に活躍していると思っていた。

今日の朝6時のニュースで、「星野仙一氏死亡!」と報じられた。一昨日前の逝去で親近者での密葬を本人は希望していた。状況が少しずつ判って来た。私は知らなかったが「すい臓ガン」で、病気の治療をしていたが、昨年末の「急性膵炎」を発症して、病気が悪化し帰らぬ人となった。星野氏の名声は野球ファンの拡大と、その野球での精神は「強い者(巨人)に負けたくない」とのハングリーさを、総てのプレーと采配で発揮してきた。これが男である。チャラチャラもしなく自分の信念を貫いた人だった。

「きんどこ」の欽ちゃんの相手のお母さん役の、まや順子さんも無くなった。20代の頃に観ていたが、17年も「脳梗塞」の為に闘病生活を続け、御主人と共に病気と闘った姿を本にしたと言う。17年の闘病、私は考えられなく、この状況から脱したいと、ネガティブな発想が頭に浮かぶ。強い人たちが沢山いる。震災時に御世話になった戸倉地区の荒町関係の訃報が今も続いていた。

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今日は朝9時から「消防出初式」があった。団長の話に「23.1.7日の出初式以来の野外での式となった」とあった。私も「荒島パーク」での出初式は忘れられない。あれから3か月後に大震災が起こる事を、誰が予想しただろうか。
寒さの中で消防団員300名が勢ぞろいした。震災から少しずつ町の消防体制が整ってきた。消防団員の皆さんには感謝と御苦労さんの気持ちしかない。
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