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ARCHIVE - 2018年01月

2018
01/31

南三陸町を知らない人がいた

集団の生活「飲み会」が嫌いになる。ウソの姿の会話をしている自分にだ。
昨夜は兵庫県の福知山ながら、先輩のやっていた「京風お好み焼き」を食べたいがあった、それは達成したものの、ご主人は宮城の野蒜に来たのに「南三陸町」を知らなかった。まだまだ知名度がない。
今日はタブレット活用議会の先進地「篠山市」を訪問する。車中から福知山の庁舎などを見るが、その巨大さに驚く。六万人位の自治体がだ。
今日は大好きな志津川に帰る。写真はその時に紹介したい。
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2018
01/30

議会先進地

京都府亀岡市に昨日の8時に志津川をたち栗駒高原駅を10時近くの新幹線で出発し、昼過ぎには東京駅に着く、半年ぶりの東京だった。しばらくぶりのタブレットでの打ち込みは疲れました。今日は京都府から兵庫県、明後日には志津川に帰ります。報告ばかりのブログですみません。京都駅には午後の3時前には到着、日本は狭い。

議会先進地、亀岡市議会の改革の取り組みに、私を初め町の一部に議会の未熟さを知らされした視察、調査立った。

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2018
01/29

私は自分の事は自分でしたい


南三陸町でこんな風景を目にした。焼却場のブイオキシン問題で、我が町は焼却場が稼働できなく、気仙沼市の焼却場へ、焼却料金を払い、運搬費を払い、今の一般ごみを処理している。なんでも人任せ行政の推進は、現町政の「管理移築制度」の乱用で、公的施設の意地をしている。「自分の町の事は自分の対応すべき」と私は思っている。

「第二の人生」と口では簡単に言えるが、当人の環境変化・心のストレスなど、周囲の支援が欠かせない。

昨日はそんな方の為に使っていた「ストーブ」を、倉庫から持って行った。「火だけは気を付けて下さい」と念を押し伝えた。一人生活の悲しさ苦しさは当人しか判らない。南三陸町内にも500人を超える方が現在「独居」で生活していると言う。世帯数が約4500世帯の中の1割越が、その数にあたる。
認知症・病気による介護必要者は、年金生活では施設への入居できず、行政や社協などの高齢者支援は、「生活保護の指導」を、その選択肢の一つと位置付けている。

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今国会で「生活保護の支給額の値下げ」を審議する。国の財源不足と人口減少の改善、子育て支援に予算を必要とするなど、社会保障の充実は後回しにする。消費税の来年からの10%の2%を、社会保障に回す当初の構想は、半分も消費税の増加分からは出されない。プライマリーバランスの事は先送りで、借金の増加は「三本の矢」の税収増加で対処すると言う。
いつまでも安定税収や企業の順調が維持される事は無く、日銀からの過剰なまでの資金の乱用で「過剰金融状況」となっている。良い時があれば、落ちる時が必ず来る。

視察で今日から出掛ける。こんな朝から私の力の及ばない、国の事を言ってもしょうがないのは判るが、言わずには言われない。

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2018
01/28

ザ・志津川


待ちわびた多忙過ぎる一日。

またトラブルの対処を迅速に処理した。1日忙しくなる

大坂から印刷物が届く、一日で陸の孤島「南三陸町」へ。高速道路は都市との繋がりを近く短くした。長野も一日で、御付き合いしている、福岡の友人への荷物は、やはり2日間掛る。

昨日も寒く雪が解けないままで、遂には凍結。我が家へ「助っ人」が来てくれた。一輪車とスコップ二本を持ち、除雪作業をしてくれた。「なんて人って優しいんだろう!」。周囲の優しさは遠慮なく父は受けて欲しい。何度も寒さの中に出て行く父、「気にしないで!」と知人は言う、父にも優しい言葉を投げかける。

そんな中で感謝を伝えた。申し訳ないが「今日は仕事が多忙」。ガリガリと雪を割る音が工場に響く。

明日から3日間家を空ける。明日午前に立ち、明後日午後に帰る。会社は動いている。身内にも父をお願いした。

会社は普通に営業している。留守中の昼の弁当も3日分注文した。

さあ仕事します! 時間「午前6時」。生きているって感じ。

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2018
01/27

静かな歌津商店街「ハマーレ」


昨日も寒い冬道を本吉町まで行く。国道は除雪も進み、普通に歩ける状況までなったが、雪かきの積んだ場所は、ふんわりした雪は凍って石のように固く、車がぶつかると「ゴツン!」と鈍い音を上げる。私は「車は走ればよい」とボディーのギスは気にならず、多くの擦過痕が各所に伺える。

「ハマーレ歌津」は明日、大きなイベントを企画していた気がする。先週は志津川で「鱈まつり」があり、多くの客が集まったようだ。
昨日の3時は歌津商店街は閑散としていた。大雪のせいもあるが、この寒さでは仕事の車は国道を走っても、商店は住民の姿も無く、まして観光客の影は、長屋敷の商店街には見えなかった。
商店街の端にハマーレ交流館「かもめ館」の写真を撮る。震災後に流失した郵便局の代わりに、「郵便車」がその前で地区の郵便業務の役割を果たしていた。寄ったのは選挙以来かもしれない。隣町の歌津は震災前は用事で、月に何度も訪れていたが、震災後で以前の商店はなく寂しさだけを思う。
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観光交流拠点「かもめ館」の完成により、ホタテ・ホヤなどの歌津の特産品の、剥き方の体験施設ができた。女川にも3年前に行った時、すでに同様の施設はあり、小さな地元商品の販売所の隣りにその施設はあった。テレビなどで紹介はされているものの、観光シーズン以外は来客の姿は見えない。人々の思惑や考えとはなかなかいかない。

商店街のあった伊里前と、昔の町並は一変した。高台の伊里前小学校まで津波は来たが、モダンな小学校は以前と何も変わりなく「凛」としていて、町の移り変わりを見つめ続けている。震災から7年目を迎えようとしているが、南三陸町の志津川・歌津地区の復興は進むものの、特別な震災再建ではなく、観光に特化した町・地域づくりと私は感じる。

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また、トラブルだ! 早期処理・検証・対策を講じてはいが、本庁舎建設の時から、仕事をしても「マイナス」の結果となっている。今更よけいな経験はいらない。「人に迷惑はかけまい」と自分なりの行動は、多くの人に少なからず異論をもたれているようだ。

昨夜は7時から地区の役員会があり、総会の対応・新井田地区との関係・役員改選の話し合いがもたれた。2年間の「なにもしない庶務」も任期を終え、班長も残り3か月で終わる。色々とあった地区活動・スポーツ活動から、やっと抜けられた。これからは「小さな町民の声を行政に届け」、町の為に活動して行く。

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2018
01/26

気仙沼市まで


絶対に行かなければいけない用事で、大雪の残りが多いのに、今朝もまた雪が降った。大寒波の大雪から4日目、忙しい大変な時期には何かがある。

8時半に出発し、我が社からは3分もあれば「南三陸海岸インター」に乗れる。今日は北へ向かう。高速道も除雪はされているものの、道路の両方に除雪の雪があるぐらいながら、凍結していないかと心配しなから走った。雪道の大嫌いな私は安全運転に徹する。すると私の50Kの走行へ、後続車がどんどん近づいてくる。「迷惑をかけまい」と少しスピードを上げた。
歌津の皿貝で下り通行はなんとかスムーズに流れてくれたが、気仙沼市小泉に入り津谷川の橋を渡ると、スピードが落ちて、遂に止まった。ここから渋滞が始まり、本吉のセブンの信号までトロトロ、「気仙沼までどれだけかかるのだろう?」と心配が膨らむ。しかし、信号を過ぎてから普通に走りだった。

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次に大谷「海洋館」の500m手前からまだ車がノロノロ、海洋館の信号を過ぎても渋滞は一行に改善しなかった。信号を過ぎ200mも走っただろうか。渋滞が5分前後止まった。ここまで1時間越えで、いったい到着は何時になるかと思案したのち、建設事務所現場の駐車場でUターン、海岸線には今も黒い瓦礫袋が連なっていた。ここから雪の多いかも知れない「大谷裏街道」を迂回を決めた。
心配をよそに道路は思った以上に雪は無く、普段よりは「20K減」の走行で、最後まで行く事ができた。カーブの下り坂はさすがに「SBS」が活躍し、車の走行は滑るが不安は無かった。

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現地には雪道を想定しての予定どおり「1時間20分」で到着した。なんとかここまでこられたので、この後は何時間係っても仕事には支障はない。帰り道に再度「海洋館」前の信号に差し掛かると、今も大渋滞が続いていた。判断が遅れにぶれば「何時間係っただろうか?」と考えると、大変だった。こんな一日だった。

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昨日も知人が「雪かきに来てくれた」ありがたい!

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2018
01/25

南三陸町は三日連続の降雪


4日前の大雪警報の前の日に、雪かき道具2本2500円を、ホームセンターで買い求めた。
今日も自宅の駐車場を見ると、昨日の除雪の上に、また積雪となっていた。最初の20mの雪の日は午後から暖かくなり、少しずつ溶けていたのに、向かいの道路と山積みの雪をそのままにして、失敗した。道路がシャーベツトの時と、高く積んだ雪も、この日に処理すれば良かった。駐車場も一人の方に貸しているが、我が家の事情を考え、大雪の次の日に、わざわざ旦那様? が雪かきに来ていたようだ、「感謝」。

白根山の突然の予想だにしない場所からの水蒸気噴火で、自衛隊の方が一人亡くなり、数名の方が重体重症となった。ロープウェイのゴンドラは噴石で破壊され、山小屋にも大きな穴が空いた。山頂には80人が取り残され、自衛隊のヘリが救助にあたった。
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今回は山岳訓練の自衛隊が、噴石の直撃を受け、スキー客も同様の状況の中にあった。台湾の観光で来た家族連れは、「怖い」「帰ろう」と子供達が恐怖におののいた。黒い噴煙からの噴石は、子どもの頭ぐらいの大きさの物もあり、大地に降り注いだ。銀板には噴石で雪煙が上がり、森林の雪が舞いあがり、幾つもの噴石がゲレンデに広がる。自然は突然に人間に牙をむく。

昨日は7時ごろに「地震予知警報」がテレビで流れた。青森と北海道の間の太平洋上が震源地で、最高が「震度4」だった。「津波の心配はない」と3分後くらいには流れた。

・昨日のニュースで山元町では、災害公営住宅の6年目からの値上げの、法律の制度に対して、一年間の延長を60世帯に限りと実施する。被災地で初めての救援対策となった。私の12月議会の家賃の支援対策は、低所得者への救済であり、町は5年間の低廉化をしてきたので、6年目からは予定どおり上げるが、町長の答弁だった。質問の私にも勉強が足りなく、行政は真剣に被災者の現状を理解していなく、対策も他の自治体に習う、そんな傾向が見えてくる。

・国民の1200万人の年収が200万円以下と言う。株価が大きく上昇している中で、大企業の「内部留保」の拡大が加速する。安倍総理の傲慢さは、「佐川理財局長」の栄転に対して、通常の昇進と言う。色々な意見があるだろうが、官僚の政府を守る国会での答弁を見ていたら、国民を馬鹿にしている。国民は馬鹿のままでいいのか。
憲法改正の政府の提案への「国民選挙」で、必ず負ける事を私は断言する。そのおごりが仇で安倍政権の終わりが始まる。

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2018
01/24

雪・また雪。「腹へった」


昨日の雪は20mの重い雪だった。7時から自宅の駐車場の車の通り道の確保に40分汗を流した。今朝は5m位の雪が夜中に降ったようだ。除雪し昨日には大分溶けて、気仙沼に今日行く用事があり、午後2時に出発できればと思っている。昨日の10時から議会の委員会があり、町の駐車場は積雪がそのままで、役場の入口を職員が雪かきをしていた。町民の表玄関はすでに除雪していた事と願う。町の役場の三階から志津川沼田地区の「東浜団地」を望んだ。役場・病院の町のメイン道路は全て除雪とはいかないようだった。

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昨日のfbの情報を聴きに行く。現場の家への大きな衝突の被害は無いようだが、車の被害はあったと情報を聴く。この方も「何か事故あったようだ!」とは言うものの、家からは見てないし当時の状況は判らないと言う。事故の現状を知らないままでいる気がするが、当事者としては泣くにも泣けない現実があり、「私の車では?」と思った人は出てきて欲しいと話す。警察にも通報したようだが、「原因の証拠がない」との当事者の記実に、当事者の気持ちになって欲しいと思った。

南三陸町のタコが4倍もの大量に水揚げされた、自然界の異常を喜ぶ人が多い中で、今回の大雪、そして草津白根山の爆発は、地球的な規模の地核異変と私は感じる。昨日はその他にアラスカの下で「M8.2」の地震も発生している。
気仙沼魚市場のサバ・ブリが1.5倍の水揚げは、あってもおかしくないが、ハンマーヘッドシャークの稚魚が釣れたと言う珍事もあった。今日の朝もベットで地震を感じた。

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南三陸町の若布の養殖が順調に生育し、新ワカメが水揚げされている。知人が持って来てくれ、「旬の味」を楽しんでいる。新ワカメの茎を茹で、しょうがとめんつゆで和えた物は、今の私のお薦めダイエット食である。今日は妙にお腹がすいている。

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2018
01/23

思いやりの雪の日運転


雪が猛吹雪となった昨夕、こんな事が起こっていた。
朝のfbをチェックしていたら、fb友だちがシェアした書き込みに、商工団地内でこんな事故が発生していた。心当たりの方が名のりでてきて欲しいと、南三陸町の町民の一人として思った。

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この場所は役場や病院から帰る人達で、この時間は大渋滞となります。昨日の雪の日の夕方は危険がいっぱいです。幾つもの枝分かれした細い道路から、先を急ぐように車が本線ら入ります。心当たりの方が出てくる事を願います。

また、多くの人から情報をお願いしたいと思います。

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2018
01/22

なんだり、かんだり。


今年初めて歌津地区を訪ねた。気仙沼への通過は幾度かあるが、歌津へと言うと今はお得意さんも減少し、行く機会が激減している。次々とお客さんを廻っていた時が懐かしい。
南三陸町の歌津地区の震災再建工事は複雑である。伊里前川には今日行くと、「BRT」「国道」の二つの橋の建設が進んでいた。BRTの鉄橋は以前のトンネルを利用するのか? 国道の橋脚建設なのか? 
90兆を超える国の予算の多くは、建設費と農地の土木工事に使われると言い、他の国ではあり得ない予算の使われ方を、日本はしていると言う。

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今年も新たな気持ちで「南三陸町で結婚したーい!」の婚活・恋活をしようとしたが、出鼻をくじかれた。私の時間での活動で、お許し頂きたい。
たまたま心の余裕と仕事から解放され、婚活で人と会おうとした。
自分だけの都合では、結婚を希望する人との顔合わせは難しいようだ。
今日はしばらくぶりで志津川の低地部「出逢いの館」に行く。婚活を希望の方との「会員登録」と「写真撮影」は、この場所でする。

今日の新婚さんは、39歳の男性と19歳の女性だった。どこかのイベント会場で前後となり、彼女の一目ぼれだと言う。おじさんに見える彼は、真面目ながら、彼女が元地元アイドルと知り、付き合いを始めた。
結婚してからは奥さんの「一人占め」し、家で二人のコンサートと応援隊として、二人だけのイベントごっこわしていると言う。夫婦にはいろんな形がある。

裏番組では若い女性が「オムライスに挑戦」をしていた。14人中で出来たのは8人と言う。女性は料理ができなくても結婚できる。

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妻ケイコさんの事と、妻が病に倒れそれを支える夫、双方の相手への思いやりと、凡人・普通の人達には理解できない「愛」がある気がする。
小室哲哉が不倫の発覚で、芸能界の引退を宣言した。奥さんはくも膜下出血の後遺症で、知能は小学4年生と言う。彼女の現在の知能では、彼の今回の事件の理解は難しく、世間の奥さんの状況を考えての、今回の事件の深さは、色々な考えと意見がある。

こないだ信じて一緒になった彼女の事が話題になった。しかし、私は彼女を追わなかった。別れて「ほつ!」としたのも事実してあった。30年も経つ話だが、私はあの時に何もしてあげられなかった事を忘れない。子供がいたら、仕事がなかったら、と思うが強い後悔の念はない。過去の人生は私の「宝」「戒め」で、終末期の自分の肥しでもある。

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2018
01/21

病院嫌いは「ピンピンコロリ」です。


昨日の土曜日に「ラムサール認定」の講演会とイベントが町であった。
基調講演会が午後1時40分と言う事で、日曜と勘違いし予定を組んでいた。今日の友達のフェイスで見ると、ゴンゾウ博士と写真と記事が掲載されていた。「サナカ君」も来町し多くの観客で盛会だったとあった。私はサカナ君には興味はないが、町の海の自然環境には大いに気になっていた。自分が遊び親しみ生活してきた海の恵みと怖さを知っているからだ。この志津川湾の海をこれからどうやって活用して行くかに興味があった。ただ一つ「大切に守って!」が願いだ。

今日は志津川で「寒鱈まつり」が開催される。

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昨日は義理の兄の突然の逝去の焼香に仙台に行って来た。まだ若い70歳の死は私にとっても現実として考えている。奥様に聞くと病院嫌いで、体調がおかしいと病院に行き約1か月後の他界だった。男子の平均寿命の「80歳越」なのに、突然の父の死に、家族は実感として薄い家長の死はまだ一週間、これから家族にとって重くのしかかってくる。
私も後7年で70歳となる。60歳まで生きれば良いから、70歳までは生きないと、震災での借金とローンを考える。生命保険は満期となり死亡時に「500万円」しか給付はない。94歳になる父が受取人になり、代表取締役も未だに父が付いているなど、二人っきりの家族で、最後を迎える時は周囲への迷惑・心配を掛けないように、総てを片付けて千葉家を閉じたい。と決めている。その為にも財産の処分や、死に方「越し方・就活」を今から考えている。

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仙台東口にできた食事場所。「ダイニングキッチン」で昼食を取りました。チキンのチーズ掛け、野菜類は全て宮城県の生産品です。
酒も県内の生産品・お米を使っています。和食を中心に中華の「天津」もあり、長い行列が出来てました。地酒の充実は、総ての店で取り組んでいました。我が町も変わらないと!

南三陸町の農産物の発信は、「南三陸町志津川道の駅」が欠かせません。決して「さんさん商店街」では絶対駄目です。しがらみのない新しい「駅長」を迎え、雇用の場と水産品の生産者の産品を陳列し、南三陸町の水産品を全国の観光客にアピールする事で、町の現在の「お仲間」の仲買・商店の再生が、新しい経済の発展につながのます。思い切った町の経済の再編が必要なのに、町民が自分から意見を述べないと、町は再建しても昔のままです。こんな町は私は大嫌いです。

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2018
01/20

佐藤強行政治続く


昨夜は中央団地問題のアパート建設の「中止」の説明会があった。
40名の地区民が参加し説明がなされ、新聞報道でも伝えられている事を、説明の機会を設け、行政の説明責任と丁寧をアピールした。

その数日前にも東団地のアパート建設の説明会も開催され、15名が参加したと言う。しかし、この団地には執行権者の町長と仲間が、不思議な事に一か所に区画に集まった。質問した地区民の方は、集まった仲間の視線が「怖かった」「圧力と感じた」などと話した。と人づてに聞いた。東団地のアパートは、もう既に建設は8割かた完成している。
東団地のアパートは、年末には、施主「カネキ」、設計者「山本」と建設看板が立っていた。カネキ社長は都市計画委員でもあり、山本は町の多くの公的施設の建設に係っていて、共に町長の友人でもある。
「李下に冠を正さず」と、周囲から疑いを掛けられる、「行政のトップとしての行動はしない」とまで以前は言っていた。舌の根も乾かぬうちに、自分のしたいように「復興と言う名の元に」、被災地「南三陸町再建」を旗印に、事業の一部を、蔭でやりたいように事業の展開をしている。こんな疑いを抱いてしまう。

町民は皆が「空き地の解放」は理解はしているが、「100坪規制」「事業所の併設へのルール」など、土地整備には一定の基準を設けていたのに、ルールをここまで解放していいのかと、当時の「志津川町づくり協議会」「会員」は、当時を思いだし語る。

私は議会でこの問題を議論したいと、3月の定例会で考えている。現在は資料を集めている。

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2018
01/19

街を観察


3.11の大震災時に南三陸町の現状を伝えようと、登米市で「タブレット」を購入した。震災の混乱の中で、ここまで辿るのに2か月を要した。タブレットも4か月後は「ノートパソコン」に変わり、「消えた町・南三陸町」の姿を発信し続け6年10か月が経った。
2年前に「スマホ」に変えたが使えてないのが実情だ。今から家を空ける事も多く、タブレットを復活させようと登米市のドコモショップへ、「以前の物を復活させるよりも、今はセール中です。」と、新品の一回り大きい物を買いかえる事となった。特別期間は500円で使えると言う。少しでも経費削減としての決断だった。
携帯は私の「ガラ系」と、スマホ・タブレットの3台となり、親子携帯で父にも「ラクラクホン」を持たせている。月々2万前後の携帯の使用料となる。

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新機の購入の登録に2時間係ったものの、2時間で新しい携帯が持てる事に時代を感じる。終わったのは夜7時を過ぎ、ココスで晩御飯とした。
ドコモも親子ずれ・カップル・若者・壮年夫婦が店に、人々が入れ替わり入店する。我が町には無い光景が見られた。ココスでは、会社帰りの友達どうし、若い女性二人の食事会、カップル・子供ずれ家族など、店内は賑やかな笑い声が広がり、赤ん坊の泣き声が店に響き、心地よささえ感じた。その他にも住宅建設の打ち合わせのような話が、隣りの席から聞こえ活気に溢れていた。
我が町での月1~2度の食事をするが、若いカップルや若い仲間達の姿はない。商店の地区の仲間の宴会とは遭遇するものの、若者達はこんな光景からも「少ない!」と寂しさが増す。

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月1~2度の町外での食事は、石巻市・登米市が多い。この日は我が町では食べる事の無い「プレミアムハンバーグ」を注文した。マッシュポテトの上にハンバーグがのり、ソースは「トリフソース」のようだった。
店には華やかさがあり、食事もワクワクする料理に、戻った町の寂しさが身に染みる。まして父との二人の生活で、8時に帰れば父は就寝中で、寒いリビングで「ブラツクコーヒー」と、風呂を追い炊きし入浴、暗い寝室にはエアコンがあるものの、悲しい侘しい暗い夜の生活を続けている。

南三陸町の皆さんも時には気分転換が必要と思います。

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2018
01/18

町の復興はこれで先人に恥じないか


昨日は忙しい綱渡りの日だった。
議会は「活性化委員会」「全員会議」「広報委員会」と、一日に3つの特別委員会が開催された。
また、宮城県印刷組合の支部会が、気仙沼市大谷の「海洋館」で開催され、支部からの理事改選が議題として議論された。震災後に支部長・理事として、仙台の会議などに参加してきたが、理事の若返りを常々考えていた。そして今回、62歳の私から40代の支部会員に委譲を果たした。会議は11月から決定していた、支部長の私が招集権者なので、突然の3つの会議を昼前後に抜け、双方の出席を可能とした。23日の理事会も広報委員の会議で、理事会出席を断った。

会場となった大谷地区は、地区民の考えは大谷海岸を生かす復興を模索していた。国からの被災地の再建の道路・防潮堤工事の計画は、永遠と続いている「大谷地区」「大谷海岸」を無視した復興計画が立てられた。震災から6年10か月間の、復興整備がやっと決着した。
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防潮堤と道路整備を別々に整備する国の案から、海岸性の景観を崩す事無く、現状を維持した整備へと、地区住民の考えが叶った結果となった。
「9.8m」の堤防と国道の兼用整備での決着だった。印刷支部の気仙沼の方は、「砂浜が戻ってきている」と言っていた。自然の壊滅的な破壊は、自然がまた造り上げてくれていた。観光立国を描く国の政策が、町民の考えが適用となり国策の環境整備へと繋がった。

我が町の町民は「中央区問題」は地区民の異議の申し出により、町が決定をくつ替えしたが、その他の復興事業は全てが、行政主導(政府計画)で進んでいる。八幡川の橋の整備、鉄路の廃止、道の駅・祈念公園整備など、多くが町長の構想どおりに進んでいる。この方向性で町民の損失は無いと思うが、先人や震災死された方々の想いはと考えると、静かな強い者に巻かれる町民が多くなった。それが元気の無い「南三陸町」に繋がらないかと懸念する。

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2018
01/17

SNSの志津川湾風景に癒されて


花にも水を。生活弱者に支援を!

朝は「フェイスブック」「ツイッター」の確認から始まる。
南三陸町志津川の小野さんの志津川湾の朝の風景写真が、ツイッターで毎日のように公開されている。たぶん漁師をしているのだろうが、その写真の撮影とバランス、瞬間をとらえている。私が育ち日々見てきた、楽しい美しい豊潤の海を思い出す。震災後に故郷に帰り絵を子供達に教える活動をしていた方と思う。若い世代が新たな生活のスタートをさせ、ここで自分の歴史・家族を創って欲しい。

大森食堂の遠藤さんのSNSに投稿している、多くの海を題材にした絵にも、その才能の多彩化に驚いている。フェイスブックを見ると、自分が歩んだ道と、自分が暮らした港町と思い出の場所を探索する等、自分の生き方に素直に向き合っている。サックスを吹いたり、帽子を制作・販売したりと、多くの被災地で暮らす人々に笑顔を作っているようだ。

多くの人達が苦しみ中で生きている。自分に何ができるか? 自分は袋小路に入り込んでいるみたいだ。中央区のアパート問題で町が団地民への説明会をする。これにもフェイス友が「志津川地区町づくり協議会」の発足当時の会長・福会長の説明会に於いての、「町のこの動き何だったのか?」を、当時の町づくりの決め事が、何処でどう変わったかを正す役目があり聴く責任を言っていた。私も同感である。同じ疑問を志津川地区の協議会に、委員の行政からの代行人と、一部の人達をそうとらえていた。私は委員となり2年で委員を辞めた。総会には400名の会員がいながら、終末時には30人前後の総会参加者で、何を協議するのかとの疑問もあった。町民も同じことを思ったのだろう。

既にアパート建設は取り消され、町は地区民に何を「説明会」で言うのか聴いてみたい。更なる空き地改善問題についてのお願いなのかも知れない。震災復興の10年間は行政に問題の封印を提案する。その時点で行政は空き地問題を、もう一度議論すべきと思う。この問題のツケは佐藤町政の終わりの序章と感じる。

昨日も色々な事があり過ぎた。民生常任委員会の調査があった。「介護保険料」「高齢化」「老人ホーム施設」など、日本の抱える少子化・高齢化の問題を、町と比較しながら勉強させてもらった。介護施設から「在宅介護」へ、健康予報の必要性で、病気を悪化させ施設利用があり、「介護保険料高騰」の理由がここにある。震災後の町民の生活で認知や病気が悪化し、施設の利用が拡大し、7年目を迎え入居者が落ち着いてきたと言う。以前は町でも施設入所が200人待ちだったが、現在は70人になり病気の程度・介護度によって、待たずに入れる状況に今はあると言う。
老々介護にある私が取り組むべき問題ここにありそうだ。

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2018
01/16

42歳男性の孤独死


石巻の孤独死をNHKの朝のニュースで伝えていた。
孤独死に至るまでには多くの問題がある。しかし、被災地ではその苦しい生活の中でも、たくましく生き続けている人が沢山いる。

石巻市の42歳の男性は、大震災で総ての家族を失った。被災した建物の土台に立ち何を考えているのだろう。「自分一人が残った罪悪感」に押しつぶされそうな生活の中で、優しさと責任感があるが故の性格が、死を呼び寄せたのだろうか。
震災後は「震災復興」と言う名もとで、家族を亡くした事を仕事で忘れる事ができた。震災から6年10か月が経ち、瓦礫の撤去や再建の仕事があったが、今は復興工事が激減していた。これまで自分がしてきた仕事もなく、新たな仕事を探し、慣れない仕事への「履歴書」があった。「一生懸命に頑張ります。」と。
震災後に出逢ったNPO法人の支援者による、働き場所の確保で、ここまで生きてこられた。生活上手ばかりではない。無口でおとなしい静かな人は、被災し多くの苦しみを抱えた、厳しい環境だっただろう。仮設生活は生活する場の確保だけで、生きて行くに自分の努力は欠かす事はできない。
「頑張る必要性」「家族の分まで生きる」など、42歳の男性の苦悩は、その立場に成らないと解らない。周囲に寄り添う友だちや知人がいれば、彼はこんなにも早く死ぬことは無く、これから楽しい生活が送れたかも知れない。

阪神淡路大震災から23年が経った。それでも昨年の孤独死は「64人」となった。災害公営住宅の高齢化が進み、一人暮らしの被災者が多くなったからなのか。これまで「1027人」の孤独死があったとも言う。
我が町も高齢化が進み、これから災害住宅の行政・社協の活動で、孤独死がどうなっていくかは、その政策・対策に係っている。

フェイスブックで「衰退してる町は 大抵 公務員がふんぞり返り系」との書き込みに同感である。

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2018
01/15

受験生の笑顔が沢山ありますように


血糖値の高い状態が3か月も続いた。生活は何も変わらなく、年末年始で動かず食べ過ぎかな?
今日は「129」で久々に120代の血糖値となった。先週末の病院でのヘモグロビンA1Cは「74」で、早く「60代」の元に戻さないと駄目だ。糖尿病の合併症に繋がらないよう、自己努力なしに健康は維持できない。
「家族の健康祈願」。友だち・親戚たちも健康に留意して頂きたい。寒くなり高齢者の死亡が町では連続している気もする。

13日から大学の「大学センター試験」が始まった。

昨年は印刷組合の理事の仲間が、我が娘の「高校合格祈願」に、南三陸町を訪れ「タコチン(多幸鎮)」を買い求め、見事に志望校に合格した。

我が子が無事に希望する高校への入学ができるよう願う。当然のことながら結果が良い方向へとの、願いと安心へと繋がる。

志津川地区の「さんさん商店街」に、この間「タコ鎮」を見つけた。合格祈願に買い物や食事をしながら、週末のドライブで御出で下さい。

私は「多幸鎮」に町民の幸せを願う。

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2018
01/14

人間の生命力と医学の進歩に感謝


年末に恩人たちが相次いで倒れた。「血液障害」によるもので、気にかけながら2か月・3週間と時が経った。

仙北の中核病院としての役目を担う「石巻日赤」に入院していた二人、どんな状況かと心配し、「面会申請書」に項目を記入、受付に提出し許可証を頂き病室へ行く。
社長と呼んでいる為、正確な名前が判らず困った。「何階なのか?」も知らず病院に来たものの、知人に電話で聴き、だいたいで提出する。面会の注意書きに目を通して「チェック」を入れ、4階へのエレベーターに乗る。
日赤病院に一つ注文をしたい。網膜剥離で視力の低下から、面会申請書の書く場所は、私に取っては暗すぎる。一か所くらい証明が明るいと助かる。また、「老眼鏡」も置いておくだけで多くの人達が重宝する。

日赤は4年ぶりだろうか。糖尿からの網膜剥離で2回の入院をしているので、だいたいの病院の状況は判っているので、院内の部屋を探すのは容易かった。
親戚の叔父は入院から2か月と2週が経つ、4人部屋で「最悪の状況」を考えていたので、ベットを間違えた。「きっと顔もかわっているだろう。」との、勝手な予測からだ。聞き覚えの声が聞こえた。大分痩せたが以前と同じ姿の叔父がいた。医療の進歩は凄いと実感した。看護師の接客も以前と同じ、親切で丁寧だった。
多く人からの情報から、「くも膜下出血」ので、機能・意識・記憶の障害がこれまでにはあった。年末に聞く話に、石巻日赤病院には「脳外科」の名医がいると言う事だった。家族も早期の異変発見と迅速な治療で、現在は何の障害も無く、現在普通に生活している。

もう一人の方も、救急で南三陸病院から石巻日赤への搬送で、大事には至らなく3週間目の今は、「わざわざ申し訳ない。」と、私を気遣う事のできるまで回復していた。この病院なら、こうした町の救急体制なら、町民の命を少しでも多く町民を守れると思った。南三陸海岸ICから、100K前後の走行で「35分」で、日赤まで到着する。この事からも「命の道」としての三陸道も大きな意味を持ってくる。
これ以上町から、「佐藤町長に意見を言える人」が、居なくなることは大きな町づくりの弊害となる。「良かった。」これが私の実感です!」

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昨年出店の「ウジエスーパー」が、全国的なコンクールで「弁当」「オードブル」が優秀な成績で選ばれた。これを記念し一か月間、この二つを販売するとの事で、石巻の帰りに登米店に寄り、たぶんこの商品だろうと買いも求め、父の晩御飯とした。
突然の病気発生は防げるかも知れないが、ガンだけは別物の病気と私は思っている、親戚の方がまたしても「ガンに倒れた!」。まだ若い死に人生の儚さは突然やって来る。こうした事を受入れられるように、年と共になってきた。年を取り多くの死に直面し、手を合わせ静かに送り出すと言う事を学んだ。


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2018
01/13

震災の検証から見えるもの


昨日の河北新報に大川小学校の悲劇の検証記事が載っていた。「裏山に避難。食い違う証言」と、その凄惨な状況が目に浮かぶようだ。学校で起こった事には「誰が悪い」とかは無い、経験した事の無い学校の先生・児童が、一生懸命に生きた逃げた証があった。その現実は余りにも悲し過ぎる結果が待っていた。家族の心をどうして癒していくか。無くなった児童・先生の死を無駄にしない、市長と教員長の亡くなられた者への、慰霊・追悼・伝承をどうしていくかに在りそうだ。

児童が108人の内で「70人」が亡くなり、「4名不明」となった。先生も11人の内で「10名」が殉職した。助かった一人の教師(男性・56歳)を追った。6年10か月が経っても、大震災を納得するには沢山の時間と、家族に寄り添う人々が必要だ。その怒りや悲しみが一日も早く薄れ、普通の時間と生活で流れる事を祈りたい。

被災地の何処でもある「土地の活用問題」は、大規模な被災現場と、新たな復興計画の限られた場所の土地整備に時間が掛かる事で、多くの問題が発生し、震災後の再建の意欲が失われてしまった事にある。
被災者は将来の会社・住宅再建を夢み描いたが、人口の減少と高齢化が、先祖代々の土地への想いがあった中で、国の震災計画の不備と、被災者のその再建の厳しい現実が、日に日に増し土地の整備ができても、「ここでの再出発は難しい!」との結論が、国と行政の計画を予定通り進まない事へと繋がった。

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私は「早期の住宅再建」を一番に挙げたが、我が町を取り上げれば、市街地の嵩上げに6年も要し、住宅再建の土地整備にも、小さい地区の高台移転は早かったものの、中心市街地の高台土地整備に、震災後4年から5年もかかった事で、人口流失と土地の空き地問題へとなった。町長派計画通りと言う。貴方の国の政策に添い過ぎの政策が、失敗だったと認めない事も、南三陸町の将来への懸念だけが残る。
早期に土地の整備ができる場所の選択と、被災者の心を町の留める政策が欠如していた事に、今の被災地の問題がある。行政は町の財源の確保を早期に進めるばかりに、会社や産業の推進を図り、被災地の住民生活を後回しといた。その結果として「労働者不足」「高齢者の増加」となり、その対策に追われる結果、住みにくい町へと変わり、消滅都市の一因となってしまった。復興する為には住民の帰還を追求する事が第一目標なのに、「観光で町再建」などと、本来の町づくりから悦脱した構想へと、我が町は進んでいるような気がする。

私は後10年はこの町で頑張り、会社を継承してくれる若い町民が現れれば、会社を託し、その後押しに務めたい。これまでもこうした同系でない、会社の存続がこれまでもあった。これを解決するには、多くの若者の存在と、「この町で生きるために何でもする。」、こんな強う若い野望を持つ人間の誕生を願っている。

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2018
01/12

中央団地は文教区なのに


私のフェースブックには「友だちリクエスト」の外国人の方が最近多く、今日も一人の方からリクエストが来て、「確認」をクリックした。地元で生活する私の先輩の奥様で、来日し結婚して30年近くなり、地元に生活する外国人の方の支援もしていて友達が多いせいだと思う。朝のFBの確認で多くの情報を得ている中で、親戚筋の社長さんは四国をめざし、岩手県広田町から大型船で、太平洋を南下している。低気圧の為もあり、運行は大変と発信があった。多くの人達が水産業の下支えとなり、漁民も三陸の水産物の生産に、命がけで生産をしている。「大切に水産物を食べないと!」と、こんな事からも思う。

志津川小学校は高台に移転したのは、今から30年以上にもなるだろうか。当時の町長の決断は教育施設の高台に移転を進め、市街地には大きな土地が無く、現在の高台へ小中高の学校移転を決断した。当時でも十億前後は掛かっただろうか。この建設があり志津川地区人は震災の危機を、被害を最小限にできた気がする。
震災から高台への住宅建設も進み、バスによる登校から「集団通学」へと生徒・児童の通学風景も変わって来た。
中央団地の住宅の下部に、児童が通学の為の集合場所があるようだ。「町の「文教地区」と中央団地を位置付けているのに、昨年度末の宅地の整備が完了後に、区画の残りの多く中で、一般公募を開始した。「早いだろう!」。建設から4年待って復興10年となり、あと4年は一般公募の「アパート」建設への土地利用の緩和は、町民の住宅再建の基準となる「100坪の中で、残った土地利用を周知と声掛けで進めるべきと思う。

今後は中央団の一番下には「消防署」「警察署」が建設予定という。今後大きく変わる。今年の4月には「志津川保育所」が落成となり、給食センター・生涯学習センターも年度内に完成を迎える。これだけの施設が完成する中央区は、正に志津川地区の中核となる。こうした町の役場などの施設の二分化は、町民の生活にどれだけのブラス・マイナスの要因となるのだろうか。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:35 】

2018
01/11

今年、さんさんで初食事会


年明け余りの多忙に癒しの時間を作った。
志津川地区の「さんさん商店街」の私のお薦めの、割烹店とも言えるお店「はしもと」で、以前の旧商店街から商店街の顔としてあった。町外からの支援者が来町した時には、南三陸の水産品を食べてもらいたいと、この店を紹介している。

2千円の刺身の盛り合わせは、その品数と盛り方から装飾まで、総てが絶品と私は見て感じた。変わらない「おもてなし」に喝采を送りたい。
まぐろを始め、ヒラメ・ホタテ・サーモン・さば・メカジキ・エビ・タラの白子・いくらなど、満足のいく刺身の盛り合わせだ。残念ながら南三陸町の水産品はと言うと、私の感じる限り数品だろう。今年は「マダラの不漁」で白子は高値とも聞く、その他にも秋サケ・ホタテ・カキなども少ない中で、総てをこの店で味わう事ができた。
「はしもと特製」の「タコ焼売」も昨年の忘年会で食べて美味しかったので、この日も3個が蒸篭に入り「300円」と格安で美味しかった。

私の推薦するお店です。ぜひ立ち寄って欲しい、親方も控えめの優しい笑顔の出迎えがまたイイ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:18 】

2018
01/10

まだ若い もうすぐ70歳


コボスタの玄関に置かれた献花台、多くの野球ファンならず、被災地で元気を頂いたと言う方々が、遺影の前で悲しみを新たにしていた。
南三陸町からも楽天イーグルス応援団の、悲しみ寂しさを伝えるメッセージが、テレビ・ラジオで伝えられている。あの人もこの人もと、涙ぐみ話す言葉は、これまでの「楽天監督星野」の、厳しいその眼光の中に、沢山の優しい思いがキラリと見えてきた気がする。
闘将と言われる意味は、自分の野球だけでない、共に野球をする仲間と本気の勝負にも、勝ちにこだわる仲間がいた。決して妥協も甘えも自分の野球・人生にはない、そんな生き方を貫いたのが星野監督だろう。正々堂々と正面から勝負する姿に、勝ち負けよりも「正義感」さえ伝わる。
スポーツは違うけど勝負へのこだわりは、私も一生持ち続けたい。今も「毎日が勝負!」と、日々研鑽を忘れないで生きていきたい。

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元旦の浜辺の賑わいは、震災からの復興の現れのように見える。
朝、嵩上げ地から、思い切って向かった荒島には、多くの町民が日の出を待つ。
雲の上から現れた1月1日の朝日を全身に浴び、平成30年の始まりに心新たにする。
一つの大きな希望が叶い、精一杯活動はしているものの、何か目標が薄れている。65歳・70歳・75歳と今後を生きる上で、「何を目標とすべきか!」がぼやけて来た。仕事も私生活も特別な不安も無くなり、本当なら「孫」でも抱いて、おじいちゃんをしている年齢ながら、家族としての千葉家の継承ができない、今の自分の姿が納得できないでいるのかも知れない。

まずは行動をまた起こそう。

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2018
01/09

地震・雷・火事・おやじ


今日のニュースでは、アメリカの「トランプタワー」から出火だと言う。
最近は火事が多い、我が町では昨年の製材店の火災があった。消火栓が無い場所で、放水の水の確保が大変な中で、隣家への延焼は無かったし、浦山への延焼も最小限に防いだ。

火災は個人個人が「放火意識の向上」を私は上げたい。「指先確認」「コンセント清掃」など、わが身から我が家からの失火を、防ぐ事を基本と考えている。94歳に成る父は、志津川地区の大火を3回も体験している。当時は防災環境や消防団体制も初期の部分で、建物の耐火性も重視しない事が、大火の多発に繋がっていた。

町民皆で高齢者家庭から、独居老人・認知症などの世帯を地域が声を掛け、「火災から」住民を守る事が、現在の町と町民には求められている。「火災は総てを持って行く!}」、地震津波も怖いが「火災」もです。一人一人が防火意識を高めて生活しましょう。

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出生率の現在の数字では、これまでのような日本は創造できないと言う。若者たちの人口減少や晩婚化などが進む中で、これからは一人の女性が4人以上、子どもを出生しないと日本の人口と未来も厳しいものとなって行くと言う。
日本人として、日本を守る為にも、本気で努力し相手への願望の理想を、たった一つにして女性は結婚を考え、男は死にもの狂いで女性を求め、一生を掛け女性を愛する。こんな形で「特別な理由を除いて離婚はできない。」など、相手に被害や苦しみを与える場合は、勿論除いてだ。離婚は「結婚しても直ぐに再婚できる。」「女性はいくらでもいる。」など、夢見る男女も多く、現実的には決してそんなに容易いものではない。

《今日から始めよう!》
今年最初の新婚さんいらっしゃいは、19歳の彼と17歳の彼女の夫婦からだった。既に男の子供も居ると言う。16歳の時の子供となる。
出会いは元彼の友達で、前の彼との話し合いの席に一緒だったのが、今の彼だった。彼女が恋愛で悩んでいた時に、彼女とのラインに「変顔」で力付け用とした。この時に彼女も「変顔」で返し、付き合いが始まった。
初めての御泊りで、彼女がお腹をこわしトイレへ、なかなか出てこない彼女のトイレへ、ドアを開け「遅い!」と開けたままで言った。その日にイイ仲になり、その日の子供が今の子と言う。
今年こそ色々なキッカケを作り、二人へのパートナーを見つけて欲しい。日々の生活のどこかにチャンスが必ず潜んでいる。

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2018
01/08

静かな「正月七草」の日に


二十歳を迎える前の仲間の死、その分まで一生懸命に生きて欲しい。
戸倉地区の中学校も生徒の減少から、志津川地区の中学校と統合となり、
新たな仲間達と義務教育から、高校と進む前に不慮の死となった。
小学6年生の死に仲間は、どんな気持ちを持ちで、この日を迎えた。
遺影を掲げての成人式に、母は同級生の行動に涙ながらに感謝の言葉を、
息子と共に二十歳の祝いをするはずだったと、声を詰まらせる。
仲間は二十歳を迎える事無く、天国に行った友だちの為にも、南三陸町の復興への気持ちを新たにする。

私たちの同級生も、バイクの事故、漁船の遭難、などで、二十歳前に数名の仲間が亡くなった。その時、私は何をしていただろうか。
大震災でも数名の仲間を失った。

そして今、61歳となり大震災から復興途上にある。

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昨夜は「カレー」を作る。それには意味があり、腐りかけの肉、目が出始めた「人参」「ジャガイモ」、開けて一か月経つ「コーン」の整理の為です。その他にも「エリンギ」「玉ねぎ」も昨年購入したものだった。カレールーだけは一昨日前に買い求めた。

貰いものの「一番搾り」のビールと、ホタテは一枚「300円」と高く、貝柱は2枚を剥いて刺身にした。一枚と内臓はカレーの具に入れ、豪華カレーは一か月ぶりで、美味しくできた。カレールーの量と溶け方で失敗続きの料理ながら、美味しく仕上がった。お昼は残った「カレーライス」にしたい。

世の中の出来事には、相変わらず「北朝鮮問題」「トランプのツイッター」など、韓国・中国の動向ばかりが報道のトップに流れる。
一つ驚きのニュースは、政治解説者が「たけしのテレビタックル」で持論を重ね、自分の意見が正しいとばかりの発言を、イライラしながら聞いた。今日の報道で、「43歳」のそいつが、10代の妻への暴行で逮捕された。足を掛け転ばし手を上げたと言う。何もかにもがおかしい政治解説者の行動と夫婦関係、言葉巧の求婚で結婚したと、テレビの姿から思った。ずば抜けた政治分析で、今の政治を切る姿は好感を持てるが、若い妻への暴行と、自分の意見を見直す事無く持論の展開は、かつてこんな政治解説者を私は知らない。自民党からの選挙に立候補し落選した前歴を持つ。政治家になったら「頭でっかちの自民党議員」「強権政治の拡大」の増加とならなくてよかった。

もう一つは、相撲界の「暴行事件」も4日の、相撲審議会での貴乃花の理事解雇と降格が決定し、落ち着きを見せ、今週の日曜から「初場所」が始まる前に、立行司の現在のトップ「式守伊之助」が、セクハラ問題を起こした。考えがたい行司の行動は、飲み会の帰っての部屋の前で、10代の行司にキスをして、胸を触ったと言う。酒の席での酒乱の癖を持つ先輩行司の酒での乱行は、昔ならおふざけての行動で済まされる。日馬富士問題が無ければ、理事会でも「何も無かった」と流される事案ながら、今この時期はあり得ない。

まだまだある。「西宮市市長」の発言も異常な政治家が誕生し、市長としての責任・言葉の使い方に気を配らない、今度は若き45歳の暴言となってしまった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:20 】

2018
01/07

今日は成人式 変わった仲間と恋活を


大坂の観光プンナーが企画した「歌垣風呂」は、大坂の銭湯を利用して、顔も合わせないで、「短歌」と「声」で相手を選ぶ婚活企画だった。
お題は「耳たぶ」と「お尻」で、色々な歌が詠まれたが、心の感性が文字として声で読まれる。多くの秀作の中で、グルテンの硬さに水を入れ過ぎ、柔らかくなってしまった事を歌にした、風変りと言う彼がいた。
10人ずつの男女が、風呂から出て相手の番号を書いた。一組だけ成立したのは、グルテンで歌を詠んだ彼と、その歌に引かれた女性が組み合わせとなった。
銭湯からは二人が並んで帰る姿で終わった。まさに南こうせつの「神田川」の世界であった。

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1時30分からの「南三陸町成人式」には、これからの町を背負って欲しい新成人が一同に集まった。
志津川地区は「69名」、戸倉「19名」、入谷「19名」、歌津「45名」の総計152名が交流ホールに、背広と華やかな着物をまとい、喜びの仲間との再会を楽しんでいた。
三浦清人南三陸町新議長は祝辞で、「一日一年が皆さんにとって、かけがえのない一日だった。強くたくましく、しなやかに生きて行く事と思います。」とお祝いの言葉を送った。

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成人の抱負では、戸倉の久保田さんが「多くの人達と出会い、多くの刺激を受けた。うまく行かない時は多くの支えを貰った。」「看護学校を卒業したら、南三陸病院で働きたい。」「これからは私たちが支えて行きたい。」「今日の日を迎える事ができなかった仲間の為にも、頑張りたい。」と語った。

「南三陸町の復興の為に、南三陸町の為になる事をしたい。」と新成人は心を一つにした。

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2018
01/06

年末年始から訃報の連鎖

昨日は私の父にとって、久々の活動の日となった。「東日本放送」の取材陣が来てくれた。取材内容は、「チリ地震津波の写真と記憶・追跡」だった。志津川町内の地図を準備し、父が持つ資料も引っ張り出し、生き生きとした父がそこにはあった。取材は元町長だった「佐藤久弥氏」の孫にあたる方だった。その実情に時代を感じた。佐藤家の血筋はしっかりと孫たちに引き継がれていた。こうした若い志津川出身の若者に、南三陸町志津川の未来を引き継いでもらいたい。私的に野望や仲間内の為に政治から脱却を願いたい。

中日ドラゴンズの先発として活躍し、その後は中日監督として、阪神の監督としてもリーグ優勝した。震災時には東北楽天イーグルスの監督して、被災地に元気を与え、リーグ優勝から「日本一」まで導いた。その後も球団の副会長として、楽天の為に活躍していると思っていた。

今日の朝6時のニュースで、「星野仙一氏死亡!」と報じられた。一昨日前の逝去で親近者での密葬を本人は希望していた。状況が少しずつ判って来た。私は知らなかったが「すい臓ガン」で、病気の治療をしていたが、昨年末の「急性膵炎」を発症して、病気が悪化し帰らぬ人となった。星野氏の名声は野球ファンの拡大と、その野球での精神は「強い者(巨人)に負けたくない」とのハングリーさを、総てのプレーと采配で発揮してきた。これが男である。チャラチャラもしなく自分の信念を貫いた人だった。

「きんどこ」の欽ちゃんの相手のお母さん役の、まや順子さんも無くなった。20代の頃に観ていたが、17年も「脳梗塞」の為に闘病生活を続け、御主人と共に病気と闘った姿を本にしたと言う。17年の闘病、私は考えられなく、この状況から脱したいと、ネガティブな発想が頭に浮かぶ。強い人たちが沢山いる。震災時に御世話になった戸倉地区の荒町関係の訃報が今も続いていた。

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今日は朝9時から「消防出初式」があった。団長の話に「23.1.7日の出初式以来の野外での式となった」とあった。私も「荒島パーク」での出初式は忘れられない。あれから3か月後に大震災が起こる事を、誰が予想しただろうか。
寒さの中で消防団員300名が勢ぞろいした。震災から少しずつ町の消防体制が整ってきた。消防団員の皆さんには感謝と御苦労さんの気持ちしかない。

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2018
01/05

今年も俺硫で

新春懇談会が開催され、町政と関係のある方々が集った。小野寺防衛大臣・安住淳氏など、県議3氏が中央テーブルに陣取った。
町長は「ハードからソフトへ」「エコタウンへ」と話す。議長は「持続可能な町づくり」「町民の声を町政に」と語った。小野寺大臣は「タコの豊漁が全国的に有名になった」「凄い宝を持った地域」と南三陸町を称賛した。安住代議士は「三回も連続して選挙区が変わった事は無い」「石巻市は6千人が震災でなくなり3万3千人が減少し、一揆に22万都市まで減った市は無い」と選挙区の現状を話した。畠山県議は「南三陸産材の国際認証は、建設から産材までの形は全国に無い。」と語り、境県議は「町民の皆さんが一丸となり復興してきた」。守屋氏は「世界の学者が北上産地で、世界の化学の粋が集まる」、こんなプロジュクトに関わり、外国人を東北に呼び込むという。県会議員に初当選し、積極的な活動を集まった町議に語り廻った。

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小野寺五典さんはテーブルを廻り世間話をするように、選挙区からは判れた南三陸町の人達に話し掛けていた。国会議員の在るべき姿がここにある。決して選挙の為では無い。この後は入谷地区の新年会に参加すると言う。
南三陸町にあった新聞社「城洋新聞」の前社長と、大学時代の同級生であり友達だったと聴く。「娘さんが入谷公民館で臨時職員として働いている」と伝え、声を掛けて元気づけて下さいとお願いした。私も週末には自宅を訪問したいと考えている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:37 】

2018
01/04

自分に負けるな!

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私の登米市の叔母の姉は、損得を考えなく人の為に尽くす人で、私も血は繋がっていないが、そんな思いを併せ持つが、人間としてまだまだ未熟な人間で、このままで人生が終わるかもしれない。少しでも人から喜ばれる事をしたいと、今年も頑張りたい。
昨年は突然のある意味で恩人の、天寿の全うの席に立ち会い、思いを新たにした。私の周りには自分の為よりも、町民の為、家族の為に生きた人間が多い。そんな人達から多くの事を学んだ。

私のデスクから見える昨日の光景がこれです。日々「ブログ」を書くときには事務所の玄関ごしに外の風景が見える。今は立派な花が置いてあり、この真っ赤な花に癒されている。「おばちゃん、ありがとう。」。今年も元気で百歳まで長生きして下さい。

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昨日の三陸道はお昼には雪道と吹雪で怖かった。
海岸ICから志津川IC、三滝堂JCそして米谷と、順調な交通状況だったのに、登米ICから雪が激しくなり、渋滞が少しずつ発生して行った。トンネルの前では車がついに止まった。トロトロと一応に車は動くものの、高速状況とはならなかった。トンネルを通過しても、また、大渋滞となり停車した。津山ICからは少しずつ改善され、この日は石巻日赤で下りたが、通常40分は「20分オーバー」の1時間で、雪道ながらヨーカドーに到着した。

賑やかな店内では買い物を、家族連れが楽しみ、「サイゼリア」のファミレスは、行列ができ大混雑だった。これで私の正月も終わりです。冬季の雪道はゆっくり安全運転で、何も無い事が一番のお土産です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:26 】

2018
01/03

2018年元日 ベストショット「夜明け前」


「正月朝生テレビ」をチラ見、ウーマンラッシュアワーの村本氏がこの夜も、多くの質問を筑紫氏やコメンテーターにぶつけていた。
政治家や専門家の発言は、一般人には判りにくいと言う。当然だろう、多くの視聴者は政治に明け暮れていて、それが収入になる訳でも無いからだ。多くの一般の人は生活に一生縣命であり、その政治の決定に従うしかない。
そんな村本氏の何度も問いかける姿に、大坂府知事の松井氏がまた何か言ったらしい。あの方の言葉には何処か欠落している感情がある。「日本維新の会は終わったかも?」。橋下の声と姿に多くの人が共感を覚えた。彼は余り急ぎ過ぎたかもしれない。
元日の夜に村本氏の質問の姿に、違和感だけを感じた私は凡人で、その姿に日本人の多くの国民を見た、フェースブックの知人は繊細な知識を持っていた。

「日の出」を待つ多くの志津川地区の皆さんの姿に、希望を持ち、前を見つめる、その光景は自然と一体化し、心に安堵を生んでくれた。

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元旦には正月料理を作った。写真の雑煮は「おひぎな」は従弟が持って来てくれ、蒲鉾・餅・セリ等は買ってきた。「御餅」は入谷の友達が草餅を持って来てくれ、家にあった「あずき」で餅とした。
「雑煮」は干しシイタケを水で戻し、戻し汁も入れた。出し汁に色々なものを加えたので、くどい雑煮となったが、父は喜んで食べてくれた。正月3日目、餅は8切れしかまだ減っていない。仏壇にも供え、神棚には「あん餅」を上げた。これが私のこれからの正月の基本なる。
昨年8月に叔父が無くなったので「正月」はやめにした。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:43 】

2018
01/02

大震災から共に歩む


2010年に新車として買い、翌年の3.11の大震災からも両親と共に助かり、6年9か月を瓦礫の中を走り続けた。私の身体の様にキズだらけの車体、昨日は身体のすみずみまでを、確認し洗って上げた。よくぞ瓦礫の町をここまで走り続けてくれた。
あれから車が有った事でどれくらい助けられたか。既に「18万キロ」も走った。愛車と共にあるような「我が人生」、最後まで共にと思っている。新車も考えたが、買えるような生活の状況ではない。

「忘れない2011.3.11、がんばろう❤ 絆❤ 南三陸町」の看板を掲げ、今も町内・県内と滑走している。

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朝からお正月を一人、親と二人で「まったり」している。
テレビ三昧で、今年はテレビから「漫才」「コント」が消えた。8時からの箱根マラソンは、チャンネルを替え替え色々な番組を見た。結果、箱根は東洋大学が往路を飾り、二位の青山の山登りは1分30秒も縮めた。明日の復路が楽しみだった。山登りは法政の選手が10人前後を抜き、様々な選手が区間の中で活躍していた。長距離選手の憧れの大学の箱根マラソンへの思いがあった。
昨日・今日と「フェースブック」での友達との役取りをする。毎日「15件」前後に「コメント」と「いいね」を送った。繋がっている!

朝は8時に「草餅あんこ」と「雑煮」の昨日の残りを二人で食べた。昼前に千葉家の先祖の話を一時間、父に聴いて。祖母・曾祖父の話は初めて知り、その「ルーツ」を、父が元気な内にと聞く事ができた。親戚筋の時代の変遷には、志津川町内には私の血の繋がりが多いとの事が解った。

昼は父に大晦日の「年越しそば」の残りを作り、年越しの残り物の「天ぷら」や「蒲鉾」「卵とじ」として、準備し「美味しい・うまい。」と食べてくれた。色々と変化させた「めんつゆ」は、最近にない味に仕上がった。

誰も来ない年末年始の3日間が終わろうとしている。私の「原稿書き」も手が付かない状況だ。明日こそは頑張りたい。「父と将棋をする」が正月の目標にある。

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