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ARCHIVE - 2017年12月

2017
12/18

あの日 わたしは


昨日は沼田地区の「子供達とのスポーツ大会」だったが、朝から来客と電話に追われ、参加出来なかった。地区の班長も残り3か月となり、「赤い羽根」の700円の最後の集金を終えた。
地域を廻り、もう一つ良い事があった。町の「分収林」として町から借りた山に木を植え、助け合いの「契約会」があり、震災後に他の契約会の会員が、家財を全て流失し、会員も散り散りバラバラになって、契約の木を処分し財産を分配したと言う。我が版に会長さんが居て、震災2年後に「契約の財産の分配」をお願いしていた。話を聴くと来年には総会を持ち、会員に分配する予定という。契約が分解するのは寂しいが、震災復興の少しの足しになる。私も「終活」の一つがこれで片付く。

今日の気温は「-3.8℃」と、12月となり最低気温を記録した。
あの日も寒い日だった。「あの日 わたしは」のNHKの5分間の番組は、私に取って知り得ない南三陸町戸倉地区の小学校・中学校の津波を、戸中の菊田先生の救助活動を伝えていた。写真の奥には戸倉小、松原の堤防を乗り越える大津波の脅威が映像で残っていた。初めて見る海から堤防を乗り越え、高台の中学校の二階まで達する津波から、200名の生徒と住民の非難者の救助に、命からがら当たった先生、もう一人は猪股先生で、生徒・住民の救助の時に津波に呑みこまれ、体育館の中で発見され死亡した。体育館は学校の前と後ろからの津波が体育館で渦を巻いていたと、当時に聞いた。話しばかりでどんな様子かは知らなかった。昨日の映像には体育館を襲った津波があり、ここまで眼下の海面が上昇した。菊田先生はそこまで津波が来ていて逃げる時に、杖を付いた老人を見つけ、助けようと手を引いて逃げる時に、老人の手が自分から離れて行く、そんな瞬間を覚えていた。その後に体育館の近くで遺体となり発見された。
菊田先生はご老人を助けられなかった事と、同寮を亡くした事から、無気力感の中で全員が助かった生徒と、学校生活をスタートさせた。先生の無気力感は生徒が大津波で総てを失っても、日々を一生懸命に生きる、何気ない姿に救われたと話す。今も先生として活躍していることだろうし、あの津波の中を生きた先生の話をもっと聴きたくなった。
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