ARCHIVE - 2017年12月

2017
12/31

f母の愛は海よりも深い


南三陸町志津川の十日町にあつた田中医院の元婦長さん、佐々木フキさんが88歳の天寿を全うし27日に逝去され30日の告別式があった。喪主の知人としてご法事の席にも同席した。

参列の「御礼の言葉」では、母が亡くなって母の偉大さ・優しさを知ったと涙ぐんだ。「母の愛は海よりも深い!」との言葉が今でも心に残る。喪主の最後の言葉は、葬儀参列での喪主の言葉の中で、その素晴らしい表現が、「文学的」と称賛する。初めて一個上ながら、同級生として高校2年生からの御付き合いは、事あるごとに「友達。」とみんなに紹介してくれた。

「田中前のおばちゃん」として、高校の息子の同級生として、息子のように接してくれた。怒った事を聴いり見た事が無い、優しい・笑顔ばかりのお母さんだった。嫁に感謝し、孫には愛情をそそいだ。孫娘の弔辞(送る言葉)では、「家族は私が見守ります。」と、葬儀の席で話し、同級生はその言葉に涙をにじませた。
田中前の店主の「京風お好み焼き」も美味しかったが、母親の心こもった「お好み焼き」も勝るとも劣らない、母の味だった。もう食べられないと思うと、寂しさが募ってくる。

大晦日の今日は、やっと正月の料理の準備に、登米町の「ウジエ」に走った。南三陸店はあるが、駐車場が満杯で、そこでゆっくり買い物は、60過ぎの男性の買い物は恥ずかし過ぎる。大したことのないプライドばかりで、これまで生きて来た私は、プライドを取ったら、ただの御爺さんでしかない。

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明日の元旦は「志津川本浜の千葉印刷営業所」で、震災慰霊塔のライトアップをしたい。カレンダーなど色々な物を置いて来てくれた人と話をしたい。29年7月11日に建立し、半年を迎えるが「行ってきたよ!」と、言ってくれる人の声を少ないが聴く。一人ででも亡くなられた人たちの追悼をしていきたい。
ライトアップは200人の震災で不明となった方への、「ここが貴方の生まれた町ですよ!」と意味を込める。

もう残すところ7時間余りとなった。私と父の志津川の復興を見届ける思いは今後も続く。多くの事業所のお得意の消失が加速している。年老いての血液疾患で石巻日赤に、知人の社長も運ばれたと聞く。行政に物言う人達が、一人また一人と倒れている。

来年も町づくりの公平・公正な政治に向け、行政を追求して行く。
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2017
12/30

古き良き愛しき街並みは消えた


年末に入り南三陸町志津川地区を回遊した。
三陸道の歌津インターができてから、清水地区の国道45号を通過する事は無くなり、この日は荒砥浜から清水に抜けた。以前から清水の地区を横断する構造物が何なのか、どれ程大きいのかと気になっていた。
何故人が住まない所に、JR東日本と町長が選択した、巨額の資金による「BRTバス運行」は、人影は少なく利用率を考えると、これで利益が出るのか言うと厳しい。交通弱者と言う車を持たない、町への足が無い人達への対策ながら、別な方法があるのではと思う。
清水浜のBRTの巨大な鉄橋は、津波対策と観光? の為とも言えるような気がする。人が乗らない、高速道路の整備と、過疎化が進む浜の漁村、ますます疲弊となる中で、この構造物の「費用対効果」は、想像も付かないほど低いだろう。これもた「町民の為」と言う。

遂に中央団地の地区民が一丸となり、行政の「政」と言う行政運営に反旗を揚げた。中央区への「一般公募」への土地利用の順番9番目の、震災・水産業の復興に資するアパート建設がある。いくら土地が町に整備した100区画余り残っても、地区民の同意なしに建設はできない。結果的に「建設中止!」となった。
既に住民の再建が進む東団地西地区でも、地域民が知らない内に、10月からの一般公募となり、直ぐにアパート建設が進んでいた。「町民が眠っている内に!」という、行政とお仲間の住民無視の強行が進んでいた。今後、この地区での多くの反発行動の支援をして行きたい。議会の多くの町の再建での「特別委員会設置」があり、その中でまずは指摘して行きたい。

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2017
12/29

2017年も残り3日


今日の空は雲の周りに朝日が輝き、青空と雲と朝日に目を奪われ、携帯のシャッターを切った。

会社の忘年会は一昨日に行った。

最近オープンした同級生の店「食事処 松原」にお祝いと食事
メニューから定番の「味噌ラーメン」と「焼酎お湯割り」を注文
昼間なら本浜町の旧志津川市場と灯台が見え
向かいの戸倉地区の半島が一望できる

メニューには「タコ唐揚げ」「海鮮ピザ」があり勿論注文した
南三陸町はタコの名産地 
海鮮ビザには志津川産のタコが、他の地ではあり得ないくらいのっていた
志津川市街地のあった海沿いにあり
隣りには私の同級生の歯科医が開業した。

今日は田中前さんのお通夜があり、式に参列する。ブログ・FBの発信に、沢山の人が驚きの電話をくれた。登米市に止む無く安住の地をと決めた友人、常連の私の仲間も突然の訃報に、年末の時期ながら「焼香に行きます」と、連絡をくれた。

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2017
12/28

6年9か月で志津川に帰ってきました


「帰りたい」と言い続けたお母さん
やっと「志津川」に帰れましたね。
葬儀の参列で田中前のお母さんを見送りましょう。
付き合いのあったお友達にも連絡下さい。

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2017
12/28

志津川で多くの知人に送ってもらいたい


昨夜、震災前に多くの町民から親しまれた店
十日町の「田中前」の佐々木章生さんの
母 佐々木ふきさんが逝去された
現在、暮らす登米市から
母の施設に大雪の中を仙台へ向かった
昨日からの大寒波で高速道は大渋滞と電話が来る
其の後、携帯が繋がらなく状況がわからないままだ

葬儀は南三陸町の志津川「山形屋・葬祭会館」で開催する
まだ決定していないが「29日の通夜」「30日の葬儀」となるようだ
「母の想い出多き志津川で送り出したい。」と
息子の章生さんはいう
私の父の川柳仲間、多くの知人に見送って頂きたい
昨夜の仙台へ また志津川まで
大変だろうが先輩、最後の親孝行です

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2017
12/27

おいでよ南三陸町


昨日の朝のNHKのニュースで、「おいでよ宮城」のツイッターの方が取材されていた。ケヤッキーのイラストに「あいでよ宮城」は、県の公式ツイッターだと思っていた。
主はまだ30歳前後のすし屋の板前さん、宮城県名取市出身で、閖上の津波の被災後を思い話す。さばを三枚に捌きながら取材に答えていた。仕事の合間にツイッターで「つぶやく」、その言葉が話題となっている。
仕事の合間に1時間おきに? に、東京の暮らしから宮城の生活を思いだし、言葉で想いを綴っている。ツイッターで見たら読んで欲しい。

トランプ米国大統領の過激な「つぶやき」で世界に衝撃的な発信を今も続けている。今日のニュースでは高等裁判所の裁判官のツイッターが問題になっている。首を絞められ殺害された娘の母親が、理不尽な加害者に配慮しない言葉に、抗議を裁判所に提出した。この裁判官は以前にも縄で縛る裸の身体をツイートし、厳重注意をされていた。今度は「首を絞める事での性欲と」、裁判官としてはあり得ない発言をしていた。世の中の事件は更なる異常な人間行動が、事件の極悪な殺人へと進化続けている。SNS等のバーチャルな情報が、現実の事と人間の脳への異常化への反応をしている。

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昨日は登米市に住む知人たちに「南三陸町の蒲鉾」のお歳暮を回した。その他にも志津川産カキのお歳暮は、大変喜ばれた。今年はカキも品薄で高いと言う。登米市の登米町から迫町へ、米川町から米谷町に2時間半で用事を済ませた。今気付いたが「米」が付く町の地名が多く、コメの産地だからだと感じた。
遠い叔母様への少しのお歳暮で、数倍ものお返しを頂いた。以前に叔母様の店で働いていた従業員さんにも「持っていってけろ!」と渡された。かれこれ20年も経つ被災した方々への気遣いに頭が下がる。

年末を前に南三陸のお歳暮の発送に、地元の人達は水産品を送る。私は福岡・長野・県内と、タコ・カキ・銀ザケ・味海苔などを送り、大変喜ばれた。
「さかなのみうら」さんが当初に、震災からの再建を果たした、大久保地区の貸店舗が漏電火災から数年経つが、1か週間前に解体が終わった。志津川地区のさんさん商店街の脇にある店も、商店街の移転となっても、現在の位置で今も盛況となっている。何故だと考えると、南三陸の海の品が全て揃い、価格もリーズナブルと、町民・観光客のファンも多いからだろう。

今日は年末前の正月魚の「ナメタカレイ」を、もう一軒の推薦の魚屋「入谷の及川水産」さんに買いに行く。魚好きの父親に最後の豪華煮魚だ。こないだは「2700円」だったが、今は高値? で「3000円以下」なら買ってきたい。

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2017
12/26

復興は遅延していない「ウソばかり」


復興は大変!」との全国の国民、メディア・報道に後押しされ、それに甘えての南三陸町の再建は、人口減を生み、先導者の「想定の甘さ」が、南三陸町の合併から続いている。工事の遅延で4億も余計に掛る「祈念公園整備」、ムダ使いも甚だしい。こんな無駄な金があるのなら、生活弱者の対応に支援に金を回すべきと考える。

「人を呼び込む為」と言う、震災復興祈念公園の整備は、800名の町で亡くなられた人の鎮魂の為では無かった。こんな町のトップの考えで良いのかと、今後も4年間、町長の一強独裁「南三陸町政」を追求していきたい。今度は「中央団地アパート問題の忖度」を調査中である。

12月25日の昨日、三陸道が午後4時45分頃に、通行のトラックの故障で通行止めとなった。帰宅時を前に大変と思っていたら、5時10分の25分後には解除された。

南三陸産のアワビの販売は好調のようだ、大谷の道の駅では「アワビ祭り」で、250Kのアワビ販売には行列ができ、早々に売れ切れとなった。今年は9000円と千円の高値となった。南三陸町歌津地区の「あわび特売会」は、300Kと昨年よりも100K少ないと言う。価格は同じキロ9000円ながら、市価よりも3割安いと言う。歌津でも多くの人が訪れ、早々と無くなったと言う。大人気のアワビは「正月料理」に欠かせない一品となる。
生活保護者への支給額が「67%」と減額される。日本の新生児は「100万人を割る」など、日本の将来に不安の種が沢山伝えられた。

今年の500人以上の社員を有する企業の、冬のボーナスが平均「88万円」だと言う。地方事業所や中小企業の実態と厳しさから見てどうだろう。

地元で働く住宅再建の住民の厳しい状況を考えると、厳しい生活環境の中で、健康無くしては借金(ローン)を払い続けるのは難しい。私も働く事ができなくなったら、土地と住宅を処分すれは何とかなる気がする。そうならないように健康だけは維持する気遣いを忘れない。

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2017
12/25

クリスマスは南三陸のカキフライで


のんびりとした電話の無い日曜の一日でした。3年続けた仙台の喧騒に浸り、志津川を忘れる事ができた。勿論、運転手付きです。

昨日も父が食に対し貪欲になった気がする。「冷蔵庫の物は全て私が食べていいもの!」と私の事など考える余裕はないようだ、それでイイんだけど。。「認知症」「ボケ」の前兆で、現在のままなら、まだ大丈夫と感じてはいるが、私も決して体調万全とは言えない中で、「老々介護」の現実も訴えていきたい。当事者でないと解決できない現状も、他とは違い、常々どうしたら介護準備を段階的に考え進めていけるが、見聞きし考えている部分大丈夫ながら、私が最初に何とかなったらと、心配の種は絶えず消えない。

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仙台育英の野球部員・剣道部員の、飲酒・タバコ問題で、スポーツ学校の信頼が失われている中で、仙台育英高校が、全国駅伝で男女とも躍動した。高校マラソンの放映を忘れていて、男子の途中からチイチイ料理をしながら見ていた。朝のニュースで女子が優勝、男子も3位に入った。外国人選手の活躍もあるが、一人以外の日本の高校生の頑張りなしには、上位に入る事は難しい。私的には全員が国産である事を望むが、今回の結果で育英高校の名声が復活した。全国から人を呼び込める宮城のスポーツ高校として活躍を期待したい。

日曜とて仕事もした。そしてテレビを見ながら、カキフライの下ごしらえをする。昼からは趣味の料理をし、とりあえず残っていた「ナメタカレイの煮もの」を食べようとタッパを開けると、一尾あった魚が無い「俺の分まで食うな!」と怒った。父は「何もないから!」言う。まったく。

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残った汁で大根・人参、ちくわ・油揚げを入れ煮込む、これがまた魚の出汁が出ていて美味い。
二品目はメインの「カキフライ」で、小麦粉・卵・パンコの順で下ごしらえをした。粉などが飛ぶので新聞紙を引いて作業をする。半年の残った油を利用して揚げ、今回は魚焼きの網を油取りに使った。出来は上出来で、揚げたてを父にも食べさせた。手間はかかるが南三陸産のカキは絶品だった。台所に揚げたカキフライを置き、集まりから返ってくると、又減っていた。「父親に!」。こんな事を言う私が一番「卑しい」のかも知れない。

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クリスマスは「フライドチキン」ではなく、カキフライ」がおすすめです。今年はケーキを辞めにしました。今日の血糖値「133」、正常に戻った。

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2017
12/24

仙台光のペイジェント点灯


昨日は午後2時半から、今年のお歳暮を買いに仙台一番町の「三越」へ行った。クリスマス前の連休とあり、定禅寺通りは「仙台イルミ」を観に多くの人達でごった返していた。
午後5時半のイルミ点灯には、歩行者天国となった道路に、市民・県民が大混雑の中で点灯を待っていた。私は点灯30分前に到着し、市民広場の屋台に寄り、とりあえず行列の少ない、生ビールと肉まんで空腹を癒した。昨夜の栄養の取り過ぎで、今日は朝・昼を最低限の食事としたため空腹を埋めた。
人ごみの中を歩くのは私の現在の目の状況では危険だ。ビールを人に混雑の中ぶつかり服に飲ませた。人ごみを多くの人達が平然と歩く事に、仙台の多くの市のイベントの中で、混雑の場は慣れているのだろうか。三越のトイレにも行列で、行列しての物を求める事を避けている私には、私の居る場所ではないと再認識する。静かな我が町の自然に中は最高の居場所だ。

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午後5時30分の5分前から、最高の撮影場所に陣取り、点灯の瞬間をまった。多くの木に電球があり、その電球が一斉に点く瞬間の民衆の感激を共に味わった。パレードではサンタクロースに身を包んだ家族・仲間が行列を組み、ブラスバンドの行進は、被災地「宮城」を忘れさせられる。こうした華やかな場所に、生でこの場で多くの人と感動を共に味わって欲しい。南三陸町の高齢者を始め、被災した方々に生きている事の意味を知ってもらいたい。多くの亡くなられた家族の分まで、残った家族の皆様には、人生を楽しんで頂きたい。こんな気持ちを新たにする。

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最近は町内で不幸が続いている。志津川で、入谷でも、歌津・戸倉でも次々と死亡葬儀告知の看板を見つける。内容をしっかり見る機会も少なく、数日してから「大森の……が。」と、先人の訃報を聞く。被災地にあり、自宅での葬儀も難しく、町内にある会場が全て埋まる事も珍しくない。磯の沢・大上坊・入谷・田尻畑に、祭壇を飾れる場所が町内に4つあるが、会場の確保も家族にとっては悩ましい。

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出店ではイタリアンシェフが作る「セリうどん」が絶品で、飛ぶように売れ行列が出来ていた。仙台の鍋の流行として「セリ鍋」が、今、美味しいと噂で聞く。600円とリーズナブルで最高に美味しかった。
家族で、夫婦で、出掛けませんか。ひと時の気休めや癒しは、長生きの原点として心身ともに生きている実感と、生きている事で感動を味わう事に繋がります。思い切って出かけてみましょう。

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2017
12/23

仲間との会は勉強になる


2か月ぶりで「南三陸町さんさん商店街」に行った。
この日は友達をさせてもらっている先生の、被災地の医療に貢献している医師への功労賞が、全国医師会?から贈られた事への一部の友達の「あめでとう会」だった。南三陸町からは歌津地区の鎌田先生と、志津川地区からは佐藤先生が受賞した。私の糖尿病の主治医をしてもらっている。昨日も喉の弱い私は、4・5日前から咳が続き、咳止めの処方を貰い、同級生の小坂薬局で薬をもらった。
多くの友達に支えられ健康と会社を維持している。感謝である。

帰り道に志津川の低地部にできた、入谷地区にあった「蕎麦のすがわら」さんは、夜9時を過ぎても光々と店内に人が居て輝いていた。12月のオープンにこぎつけ、祝いの来客で賑わっているようだ。その隣の同級生の店も、今月開店の来客で賑わっていると仲間が言う。志津川の商店街からのお客さんも。新しい店への広い流れを生んでいるのだろう。

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午後6時半からの商店街の「はしもと」での会は、コース料理で「先付」「刺身」「鱈の白子」「鍋」「肉料理」「タコ焼売」「かき揚げ」「サケのお茶づけ」まで、豪華な山海の料理を堪能した。美味しい料理に「芋のお湯割り」も薄めの5杯と、食べ過ぎ飲み過ぎながら、気持ち良い目覚めだった。しかし、血糖値は久々の高い値の「235」だった。朝はリンゴ一個とコーヒーのブラックで我慢したい。

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帰りは大森地区を廻り、沼田の同じ地区に暮らす4人の帰宅となった。勿論、運転手はお酒を飲んでいない。「飲めない」運転手がいるから安心だ。紹介した低地部の新店で新年会をするか?」との話になった。酒も話も好きな仲間達だ。しかし、私たちの様に町会に「お金を落す人達」は貴重と思っている。町づくりは地域の協力なしには成しえない、一人一人がそんな「志」を持ち、一人でも多くの人が行動を起こす事が必要だ。私は「仲間と共に今後もこの町で!」との気持ちを新たにした。

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2017
12/22

一日の最後は


昨夜は6時から晩御飯の準備をする。
一昨日、友達がカキを持って来てくれ、二日間も冷蔵庫に眠っている。早く食べないと鮮度が気になる。
先ずは「カキの酢の物」から始める。カキの汚れやカキ殻が残ってないか、塩をかけて洗いから始める。洗っても、洗っても泡が消えない、5度は洗っただろうか。大きい身を取りだし「カキ酢」を準備、タレは酢と醤油で隠しに「わさび」を入れる。これが私の定番のカキ酢の食べ方です。
「カキ鍋風」は、醤油・カツオだし・酒を入れ、沸騰してからシメジと牡蠣を入れ、それに白菜を入れ、「豆腐?」が冷蔵庫に無く、隣りのコンビニに走る。豆腐・糸コン・ネキを入れ、味を調え出来上がりです。

晩御飯は、この二品に「芋焼酎のお湯割り」とした。

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(FBの友達の問の答え)
6年9か月経過して、復興計画の遅れが、少しずつ住民への負担としわ寄せがあります。行政は予定どおり行かなかった部分を、何とかしようと取り組んでいますが、被災住民の住宅再建に住民への配慮が欠けています。慰霊の公園も1年半完成が延び、4億もの予算が増加します。震災死の慰霊塔が建立されていない自治体、南三陸町だけです。

昨日は登米市の在る場所の写真撮影に行きました。広大な水田に一人立ち、三陸道の後の山には「栗駒山?」の雪、南三陸町は冬至となっても、本格的な冬はまだで積雪も無く、今日は6度と温かささえ感じます。
昨日の歌津地区のアワビ開口も、好天と凪ぎに漁師さんも頑張って漁をしたようです。三陸の海は荒海で、外洋に近い歌津地区のアワビ開口は前回中止になりました。
「船底の下は地獄!」と言います。魚介類が高いのは、その代償です。

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2017
12/21

志津川地区東団地北工区にて


志津川の沼田地区の集会所「ふれあいセンター」の防災物置の移動に立ち会った。志津川地区の高台団地の、東~中央~西団地までを結ぶ道路整備ために、東浜団地の坂から、真っ直ぐに北工区の脇を通り、新井田前の国道45号に繋がる。東団地の住民がスーパーに行くには大分楽になる。これまでは東地区の災害公営住宅から歩くと35分もかかると言う。それが半分の時間になる。町の交通網の整備は日々「う回路」としての整備から、「本設」へと町の道路としての骨の部分が見えてきた。
建設会社の真摯な対応に、町の職員とは違う気くばりに驚く。工事の進む指示はまだ若い社員が安全に気を配り、てきぱきと大型クレーンの作業者との合図で、あっと言う間に倉庫の移転が終わった。作業員の安全第一に進め、「必要ない物は持って行きますから。」と最初から最後までの地元民への気遣いを忘れない。

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移動の時間があったので、東団地西工区を探索した。「中央区のアパート問題」があり、既に東には施主の町の事業所の名前があった。外壁の工事中で旧ピッチで進んでいた。「早く、早く!」と、地区民の知らないうちに建設を急いでいるようだ。
西地区の親戚は、アパート建設にあたり、近所の住民だけに町から電話があったという。「もう屋根も上がっているのに今頃なに!」と電話を切ったと言う。行政の高台移転の建設のルールを町民が知らないうちに変えられ、「広報・町づくりニュースで伝えた」と言う。誰がそこまで監視する被災住民に、自己の建設に余裕があるだろうか。団地の人達にアパート建設が出来る建設内容を伝える事もせず、町と一部の事業所の中だけの、互いの利益の元に、町民生活を無視して町政が行われている。3月の議会の質問はこの内容を追求したい。

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昨日の「中央団地問題」の説明には、町長・企画課長・復興推進課長が、地区民80名を超える出席者に説明をした。多くの質問であっと言う間に2時間が経過した。冒頭に「地区民皆さんへの説明が遅れた事」を謝罪した。一区画5800万円で100区画の「50億」の土地を塩漬けして置く事はできない、と言う町長。町民生活の心情よりも「金」か。こんな事が町の復興を遅らせ、判断の誤りで多くの町民が津波の被害にあり、人口減少などの町の疲弊に繋がっている。

今後は「地区民の説明・納得してもらうまでは工事を中止する」「事業所と今後について協議をする」などを、参加者の前で報告した。この中央区の地区民の行動は、町民の怒りが爆発した。元気な若者達が沢山いた。まだまだ南三陸町は捨てたものではない。

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2017
12/20

町民が一丸となり行政監視を


南三陸町は自然と人の共存共栄の町。アワビの開口と、島にはカモメが、海上にはカモが悠々と泳ぐ。来年には志津川湾の自然環境が「ラムサール」の認定になる予定です。

三陸沿岸は広範囲にアワビが居ないと言う。フェイスブックの岩手の友達は、今回で4回目の「アワビ開口」で、アワビが居なかったと言う。これからホテルの温泉に行くと話していました。
漁師は目が良くないと務まらないと言う。冬のアワビ開口は午前6時30分の開口で、現在の日の出時間と同じだ。2時間開口で昔は20~40Kも獲る人もあったと言う。「女性が上手」だとも聞いた。夫婦でのアワビ漁は、夫が「カイ」を漕ぎ妻が漁する。こんな夫婦船があった。
家族で漁業を守って来たが、子供達は寒い・大変・辛い等、後継者の成り手が無いのが現状です。海を守り、魚貝類を食卓に届ける。この継承が無くなったら三陸の漁業も衰退の道を辿る。

福井県あわら市の市長のあり得ない市長室での行為に、首長の勘違いと、何でもできるとの傲慢な行動がある。議会が町民が、一人の市民の告発をメディアが報道し、市長の辞任へと追いやり、今日の朝のニュースで、やっと辞任を発表した。抱き着く・キスをする・足の指をなめる等、あり得ない市長の行動が市長室であり、にわかには信じがたい事実を市長も認めた。

南三陸町でも高台移転の団地で、地区民の不安を拡大する行政の、勝手な言い分の規制緩和や、秘密裏に広報に静かに掲載し、震災から住宅再建での忙しい心情の中で、地域住民に説明なしの暴挙が行われようとしている。
今日の夜6時30分から3回目の地区民への説明会が行われる。報道の新聞社やテレビ局の取材を全国に発信して欲しい。震災から再建の南三陸町の住民は、行政の復興の名のもとに、自分勝手な政治手法で、町民を不安にさらしている。この事実を、全国の人達に正否を判断して欲しい。ちなみに私は行政の独断・説明不足の事業展開と思っている。

あわら市長と同じ事が、我が町でもあったと私は思っているが、震災と言う情勢で闇に葬られた事を。いろんな事には証拠が無いと、泣き寝入りの町民がいる。

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2017
12/19

歪の解放

現在、南三陸町では震度1~3の小さな地震が、毎日のように発生している。地震の震源の歪みが少しずつの発散だと、地震が小さくて済むが、歪の巨大化は大震災や大津波へと繋がる。今も「震度1」で昨夜は「震度3」と、少々の地震には心動じない。

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「漁師カレンダー」を気仙沼の漁業を応援する女性達が、「つばき会」として震災後に気仙沼での漁業を続けている、漁師の姿を12か月のカレンダーにまとめ、全国へと気仙沼の海の素晴らしさを伝えている。

震災前から近海・遠洋など、サンマ・かつお・まぐろ漁に向かう、船の出船を大漁旗で見送る。昔からのからの風景ながら、以前は家族が総出で父親や主人を送ったが、現在は外国人の乗組員も増え、以前のような風景は消えうせた。命を掛けた漁師の出船を、漁中の品々の積みこみの商店の女性、ホテルの女将などが「つばき会」を立ち上げ、10人前後の仲間と共に出船の見送り活動を、震災前から続けていた。

そして、今回の大震災でミ乗組員の減少や、担い手不足など、気仙沼市の漁業は厳しい状態の中にある。漁業・漁師を目指す市外からの担い手育成の活動している。震災後から漁師の素晴らしさを写真で、カレンダーに載せ、気仙沼市の漁師の勇ましさを紹介した。
震災後に漁業の被災地支援で訪れた女性は、このプロジェクトに参加し、ベテラン漁師との交流が生まれ、漁師の姿・風景をカレンターに載せた。出来上がったカレンダーを示し、添えられた彼女が書いたメッセージを読みあげ、漁師は涙した。
メッセージには「魚の刺身をこれまでは残していた私です。震災の時に漁師さんは、大切な船を守る為に命がけで沖に船を走らせた。命がけで船を守り、命がけで漁をする漁師さんの魚を、粗末にはできないと、その話を聴き知った私は、その後は刺身を残さず食べている。」と言う。
彼女はそれから気仙沼に移住し、漁師さんの姿をカメラで写真に撮り続けている。メッセージを読んで上げた後、70歳前後のお父さんは、涙が止まらなかった。漁師は「こんなの弱いんだよな、ながせんなよ、カメラ撮るな!」と目の涙をぬぐった。漁師は強さと優しさを併せ持つ、素敵な職業です。
カレンダーを被災地支援としてではなく、「商品として欲しい、素晴らしいと。」買ってくれた若者は言う。

そんな活動が南三陸町にもあるが、町では観光・商売と、ボランティアによる漁業の支援ばかりだ。心温まるこんな活動が、私の暮らした港町にはあったが、今は金儲けとしてしか感じられない。寂しい!

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2017
12/18

あの日 わたしは


昨日は沼田地区の「子供達とのスポーツ大会」だったが、朝から来客と電話に追われ、参加出来なかった。地区の班長も残り3か月となり、「赤い羽根」の700円の最後の集金を終えた。
地域を廻り、もう一つ良い事があった。町の「分収林」として町から借りた山に木を植え、助け合いの「契約会」があり、震災後に他の契約会の会員が、家財を全て流失し、会員も散り散りバラバラになって、契約の木を処分し財産を分配したと言う。我が版に会長さんが居て、震災2年後に「契約の財産の分配」をお願いしていた。話を聴くと来年には総会を持ち、会員に分配する予定という。契約が分解するのは寂しいが、震災復興の少しの足しになる。私も「終活」の一つがこれで片付く。

今日の気温は「-3.8℃」と、12月となり最低気温を記録した。
あの日も寒い日だった。「あの日 わたしは」のNHKの5分間の番組は、私に取って知り得ない南三陸町戸倉地区の小学校・中学校の津波を、戸中の菊田先生の救助活動を伝えていた。写真の奥には戸倉小、松原の堤防を乗り越える大津波の脅威が映像で残っていた。初めて見る海から堤防を乗り越え、高台の中学校の二階まで達する津波から、200名の生徒と住民の非難者の救助に、命からがら当たった先生、もう一人は猪股先生で、生徒・住民の救助の時に津波に呑みこまれ、体育館の中で発見され死亡した。体育館は学校の前と後ろからの津波が体育館で渦を巻いていたと、当時に聞いた。話しばかりでどんな様子かは知らなかった。昨日の映像には体育館を襲った津波があり、ここまで眼下の海面が上昇した。菊田先生はそこまで津波が来ていて逃げる時に、杖を付いた老人を見つけ、助けようと手を引いて逃げる時に、老人の手が自分から離れて行く、そんな瞬間を覚えていた。その後に体育館の近くで遺体となり発見された。
菊田先生はご老人を助けられなかった事と、同寮を亡くした事から、無気力感の中で全員が助かった生徒と、学校生活をスタートさせた。先生の無気力感は生徒が大津波で総てを失っても、日々を一生懸命に生きる、何気ない姿に救われたと話す。今も先生として活躍していることだろうし、あの津波の中を生きた先生の話をもっと聴きたくなった。

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2017
12/17

町づくりは国づくり


昨夜は南三陸町の先輩議員の三浦清人さんの、宮城県地方自治表彰を祝う会がホテルで開催され、国会議員の秘書が代議士の「お祝いのメツセージ」を、集まった80人を超える皆さんに伝えた。南三陸町議会の歌津地区から初の三浦議長就任と合わせ、二重の喜びを共に味わった。

余興では友人である千葉茂喜さんが、コメディアンの「田吾作」さんを準備し、祝賀会を盛り上げて、会場の笑いを呼び込み、若い演歌歌手の歌声は、会場の手拍子を生み賑やかな会となった。
こうした祝賀会には、飲んで食べてカラオケといった会が多いが、こうした余興の時間は祝いの会を盛り上げてくれる。コロディアンの出演には、勿論、繋がりと出演料が存在する。千葉さんは、議員活動の支援と町を良くすると言う、町民としての互いの役目がここにある気がする。

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テレビを見て議員報酬についての説明があった。全国の自治体で議員の成り手が居ない事と、議員の数々の不祥事でレベルの低下が囁かれている。国会議員は年間2500万円以上の所得があり、政令都市や40万人都市等、人口の多さで議員の報酬や処遇も大きく違う。
この報道の説明に、私たちのような地方は平均して「21万」と言う。23万~19万円ぐらい? と思うが、南三陸町の議員報酬は23万円で、所得税が引かれ手取りが19万円位だった。そして、地方議員は所得が低い事で、「兼職」が認められていると言う。それ以上の市議会議員などは「兼職」は禁止となっていた。知らなかった。専業議員でないと議員としての役割を果たせなく、職無しを考慮した報酬なのだと思う。確かに手取りで「19万余り」では、結婚し子供を持って家庭を維持できない。当然の制度だと思う。こんな状況下で「議員報酬を上げる」は当然の成り行きだと思っている。我が町での専業議員は、私の感じる所、「5人前後」と思う。年金を受給している議員も多い現実は、議員の高齢化がある。
国民年金加入者も多く、今国会で「議員年金の復活」が国会を通りそうだ。復活の理由は、今の状況では「議員の成り手がいない」「議員の将来の生活の支援」など、を上げていた。議員年金は、報酬から自分の掛け金を半分と、行政(会社)が半分を負担する。議会となると特別公務員で、年金の半分は税金(町民の税)から支出する。前回の年金廃止で、議員を辞めた時点で掛け金が返って来た。それは行政の年金負担の半分も一緒に返って来た気がする。国会の決定は議員への新たな特別手当の為と感じる。地方議員については、報酬を上げないと議員の成り手はいなく、我が町は人口が12500人で、千人に一人の議員で良いと思い「10~12人」が今の町を考えると妥当だと思っている。

今日も志津川地区の防災集団移転の問題で、中央区の住民が会社に来る。その為に地域の「スポーツ大会」は欠席した。年末で来客があり、議会広報の原稿制作など、家に閉じこもりパソコンに向かっている。



【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:57 】

2017
12/16

どんどん南三陸町が嫌いになっている


15日の朝刊に「南三陸町の高台移転(中央区)に、新たな建設規定に住民への説明不足!」と報道されていた。佐藤仁行政の住民無視の強行・独断政治が続いている。そこには今年の流行語の「忖度」はなかったのか。
選挙での「5020票」の町民の支持を声高に町長は言う。政治への関心の無さが露呈した結果だ。対抗馬は町外から来たボランティアで、当然の結果と皆が言う。ちなみに対抗馬は「1908票」だった。前期の歌津出身の対抗馬なら、ここまで大差が付いたかと言うと違っていた気がする。佐藤仁町長の対抗馬として立候補する立場となれば、その心的ストレスと影響は測り知れない。
「地域住民の納得を得て。」との12月定例議会での一般質問の議員への説明もあり、自分だけの思い通りにはならない事を知って欲しい。私は佐藤町長の監視強化勢力として、仁町政の復興事業を監視と言う立場で、南三陸町の疲弊を加速させない為にも、町民の声を伝え追及して行きたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:31 】

2017
12/15

多忙な日々の生活から


昨日は自分の車で初めて歌津ICを通行した。所要時間「5分」で、以外と車が多く、その分45号の寄木までの通行の車が減った事になる。一部の人達は「国道を通っても同じ!」と言う。それは歌津の入口付近でのICの通勤時の混雑を上げていた。今回の4Kの区間は、トンネルが一つと三陸の海の光景は一か所も見え無く、三陸道の歌津区間は、広大な太平洋は望めない高速道路区かとも言える。なので、皆さんには高速を降りて、志津川から歌津の広大な太平洋を観ながらのドライブとして頂きたい。昨日は高速と国道の車通過調査に、二人の関係者があたっていたる
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寒くなって来ると海の魚が美味しい。今週は「子持ちカレイの煮つけ」をした。本当は「なめたカレイ」を買おうと思ったが、まだ、年末の前の当地方の祝い魚なので、安いと思っていたら「4千円」と値札が付いていた。仙台や東京だとこの倍の値段で販売されている。子持ちなめたカレイの煮つけは、卵と皮と縁側の部分が私は好きで、しゃぶるようにして食べる。「子孫繁栄」の意味が込められている。全国には多くの美味しい魚がある中で、南三陸の正月を代表する「ナメタカレイ」を是非食べて欲しい。父も好きなので、まだ安い今週末にも料理して食べさせたい。
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民宿のこのお膳の量に皆さんは驚くだろう。その他にも「あんこ餅」「たこ飯」「どんこ汁」「鍋物」が、写真のお膳他に付いた。これは歌津地区の民宿のお膳ながら、他の民宿では思考を凝らした「三陸膳」が、来町者を楽しませてくれます。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:17 】

2017
12/14

多様な人に触れ


中央区の2区画でのアパート建設の議会での「補正予算」の討論に、今野議員が質問で行政の当初の入居の要綱の変更を問いただした。関連や別角度からの質問は、さすがとしか言いようがない。私が落選してから議会を若手が大きく変えていた。
4名の議員が地区民からのこの問題を聴いているものの、「高台移転(防集)」「町づくり」などの議論で、私なども質問をするつもりながら、今回の議会中はできなかった。昨日で議会も終わり、この問題がどうなるか心配だ。地区民の動きがカギながら、町は町民の不安を取り除く方向は描いていないようだ。すでに東地区は集合住宅(アパート)が、区画を確保して建設へと進み、従業員が外国人か否かがその問題の根底にもある。

夜9時を過ぎると家は真っ暗なので、事務所の玄関を小さな二つのイルミで飾った。自分の帰りを待つののは94歳の父と、真っ暗な寝室だけである。少しの酒に昨夜は6時間熟睡した。

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地元の冬の名物魚に「どんこ(エゾアイナメ)」がある。焼いても・煮ても美味しいが、「どんこ汁」が定番として在る。魚の身も白身で淡白な味で、内臓の肝が絶品だ。大きな丼に頭つきのドンコを、丸々一匹、丼には肝から油がにじみ出て、この汁の味のイイ事、今年初めての「どんこ汁」は最高だった。
南三陸町に来たら「どんこ汁が食べられる!」かと言うと、飲食店ではあまりだしていなく、魚屋さんには新鮮などんこは売っているが、すぐには食べられない。確実に味わえるのは、町内の民宿で、「どんこ汁食べたいんですが!」と言えば、大丈夫食べられると思う。
見た目のグロテクスな姿からは想像もできないくらい、絶品の三陸の味です。民宿によっては「ドンコのたたき」の生刺身もあります。

昨日の雪も解け、南三陸町の車の運転は大丈夫のようです。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:17 】

2017
12/13

あれがない、ない、ないない!


昨日の朝5時ごろから雪が降り始めた、南三陸町商工団地。
3時前に目覚め午前4時に起床、5時に工場にエアコンとストーブのスイッチを入れ、印刷機を温め6時には機械を回した。
9時15分からの「議会運営委員会」と、引き続き開催の本日の議会進行を局長より聴き、明日で12月定例会が終わる。
今回の議会は「一般質問」と、図書館と公民館の障害学習センターの、議案提出への「討論」での意見を述べた。人口減少と少子化の中で、11億を超える施設の整備は、人口に対する費用対効果、今後の維持費を考えると、規模を縮小すべきとの考えからだ。11対3で執行部の提案どおりとなったが、将来の子供達へのツケは最小限にすべきと思っている。

昨日は志津川地区の中央団地の「用途変更」による、「アパート建設」に対する地区民の知人が、「どうなっているの?」と電話をくれた。新築して終の棲家に安堵しての「寝耳に水」の問題に、現状を知りたいと言う。今日には地区民が隣の災害公営団地の集会所に寄り、住民会議がもたれる。

支援してくれた人達に「恩返しの贈り物」を年の背のこの時期、「カキ」「タコ」「ツブ」「銀ザケ塩引き」「味付け海苔」「ムールガイむき身」など、色々ある中で、長野県飯島町と原村・福岡県に送った。「タコ美味しくいただいてます!」と言う。これで南三陸町の産品の発信となればと!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:11 】

2017
12/12

身の丈に合った町づくりを


22億円? の病院は「命を守る為」と言う。身体と心を守る病院であって欲しい。「南三陸病院」と「ケアセンター」の建物の巨大さは、多くの設備を備えている。これを活用しない手は無い。

「みなさん通り」は、病院と南三陸町の保険福祉課の間にある通路で、二つの施設を町民と来町者の多くが集まり、休息したり交流したりする場として、もっと活用を町民と町にはお願いしたい。BRTの停留所が病院前あり、時々多くの人達がみなさん通りのバスの交通情報版の前に立っている。掲示板からはそろそろ到着の放送が流れていた。

今年度の病院の赤字は現在まで、1億円を超えるものの、経営赤字の金額が減少していた。多くの先生を招聘すれば、町民が町の病院に戻ってこれば、安定経営になれる気もする。

昨日の議会で驚く現実を聴く。農業従事者が震災前の800人から、400人まで減少していた。農業推進員が新設され、4人が登録される。勿論、報酬もあり活動実績での報酬もある。しかし、その実績達成は厳しいと町は言う。農地の圃場も進み、震災前の95%くらいは整備は進んだと言う。しかし、農家の減少は集落農業への大規模用地で機械化での、新しい農業への変換も求められるが、若手の営農家は少なく、この問題は町の農漁業・商店・事業所にも同様の問題としてある。根底は若者の労働者の流出にある。

中瀬町のビニールハウスの整備は、7千万円の町の事業で、11件の農家に貸し出していると言う。ホウレン草の栽培をしていて、10年後には払い下げになる。町の事業の拡大はどんな事を意味するだろう。箱物の公的施設整備は、夕張の破たんを思い起こさせる。町の「誇れる設備」は、町の数々の危機を救えるだろうか。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 05:55 】

2017
12/11

地域に、子供たちに寄り添う!


中央区のアパート問題は根深い。地元の事業所が「開発会社」を活用し、自社が係っていないような工作までしていると地域民が言う。水産会社の従業員宿舎ばかりでなく、もう一つの事業所も東地区にアパ―ト建設と聞いた。

地域民は正に「森友・加計問題」と揶揄する。お友達政治の南三陸町でも加速が始まりだ。地域民の不安をよそに工事は進むと言う。地域住民への説明や了解も得ずして、防災集団移転の被災住民の救済から、町の復興と労働問題への対策は皆が理解する。「早いだろう!、早いだろう。」が、住民の意見の一つにもある。これは私も行政に対し、「やる事が他にあるだろう」と疑問として訴えた。

今日で4日目の定例会、親友の母が亡くなった。ネギの配布から災害公営住宅の実情も見え隠れ、歌津インターの完成で、志津川から清水・細浦・寄木への国道45号の車が大分減った。こんな現実を前に、三陸道は「逆ストロー現象」と言う佐藤町長、復興計画を正当化する発言にしか思えない。岩泉町長の町の震災再建でのストレスでの記者へのセクハラ、こんな事は我が町にもあった気がするが、大震災の発生時期の1~2年は、大した問題にもならず、時間を経過した。震災と言う大きな影に隠れ、やりたい放題の独断実行町政の始まりである。
中央区の問題で自分の首を絞めないように頑張って欲しい。町長さん!

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それから見ると防衛大臣の小野寺氏は凄い! 真っ先に歌津の「かき汁」を振る舞う婦人部への労いからで、「南三陸町歌津インター開通式」の祝賀行事の行動だ。多くの防衛問題の中で、真摯に丁寧に国政にあたっていた。




【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:14 】

2017
12/10

命の道


昨日午前11時30分から「歌津IC」の開通式が開催された。国土交通大臣・高橋政務官、村井知事の代役の副知事の挨拶があり、次に防衛大臣・小野寺五典代議士と、南三陸町が衆議院の地区で編入となった5区の、安住淳代議士、そして衆議院議員井上義久氏の、この三人はテレビでも度々顔を見ていたので、一般人の気持ちが抜けない私がいて、こうした国上げての式典は、「こんな状況とだった」と、SNSで伝える事も今の職務と思っている。

一般質問での私の発言は余り町民には伝わっていなく、昨日ある人にこんな事を問いただした。「新庁舎建設の建設しないを了解したのですか?」と、返って来た言葉が「嘘ばかり!」だった。合併の両議会の「新庁舎建設」の決定は、町民の無作為のアンケートにより、8割が「建設しなくても良い」で、2割が「建設すべき」の町民の意向と町長は断言した。本当なのだろうか、私が政治に興味が無かった事の出来事だった。証拠が無い中で次々と、首長の権限で町民の願いが踏みにじられている気がする。これは「独裁町政」のこれからの助長にしか過ぎない。

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南三陸海岸ICを午後4時30分に通過した。入口はこんな状態で、高齢者の増加が事故に至る危険は増大していると思っている。三陸道を「逆ストロー現象」と言い、商店街には半年で60万人が来てくれたと、声高に商店街の復興を言う。昨日の登米市から帰り海岸JCを下りた時、歌津地区に気仙沼市に向かう車は、私の後続車の全て(6台)が北へ向かった。佐藤町長の言葉には「今を造ろう」、言い訳としか私には取れない。

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2017
12/09

大変で ありがたい


昨日は銀行で記帳したら「義捐金」が3件入っていた。
・災害義援金 14000円
・南三陸町義援金 4000円
・宮城県義援金 1000円
三つの義援金があり、25年10月から始まった「住宅ローン支払い」が91000円ある。新築する前の前渡し金の為に1500万円借りた。
工事が始まり1年余りの時間を掛け、建設者とトラブルの中で、「終の棲家」の完成を見た。まだ4年間しか経っていなく、これからが大変だ。
災害貸付金の350万円の支払いが、今年の12月から始まると言う。約500億円があり、想定外の生活の変化があり、350万の返金に困難を極める世帯が、今後多くあると思う。
私はローンを組む時に銀行の指導で、災害貸付金の350万円はローン契約時に返した。これが有った事で支払いの大変さが、今考えると「早く返しておいて良かった。」と思う。
テレビでも、支払う資金が無いと、被災した御夫婦の年金生活者が困っていた。月々20数万の中から、6年間の利子が無いとは言え、現在の生活から350万円をどうして払おうかと悩んでいた。
昨日のニュースで生活保護費も減額され、2万円以上が減らされると言う。社会保障の充実と言いながら、政府のやる事は大企業の保護と、その大きな収益を国の財源にしているようだ。「森を見て木を見ず」と言った感じだ。

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長野県飯島町の宮澤さんの、長野の野菜の支援が今年で終了しそうだ。災害公営住宅の住民の「自立の促し」の為もあるらしいし、物資が何時までもある訳でも無く、貰った、貰わないとの住民の混乱を無くするとの意味もあると言う。
千葉印刷としての受け皿支援の終わりの一つとなるかもしれない。来年には広島の団体から震災後に生まれた子供達の支援も、行政と相談しながら進めて行きたい。
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南三陸町の被災町民は、もっと甘え続けてもイイと思うし、住民のクレームには直接答えて行きたい。「町民の声」を聴き、行政に届け改善できるものは、改善して行くよう活動を今後も続けて行く。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:39 】

2017
12/08

12月定例会3問目


千葉伸孝 ≪12月定例会の質問≫ 12月6日開催
③  災害公営住宅の5年間の家賃の軽減策は、激甚災害の制度活用の元で、10年の「復興計画」の途上にあり、千年に一度の大災害の復興期間を考えても、10年間の延長を県と国へ働き掛ける事を、町民の代表である町長は、陳情活動などを実施したのか。「国の制度なので変えられない」と、県知事の発言もあるが、町長も同じ考えか。
③-1 住宅建設に当たっては私も「固定資産税」の軽減策により、5年間の軽減の途上にありまます。町内の災害公営住宅の家賃は、5年間の雑損控除の終了により、家賃の値上げが災害公営住宅にあり、住民には町から、「入居前に連絡・周知を受けている」と聴きました。現在、仙台市の災害公営住宅の入居者が、5年後の値上げを聴いていないと、「値上げをしないで」と要望書を提出しています。
 災害公営住宅に入居の南三陸町の住民は、高齢者や年金生活者など生活弱者も多いと言われる中で、入居料金の減額や軽減策を講じる事で、町民は町で暮らす事を選択します。
 入居者の子供達の生活場所への両親の引き取りへと進む事で、更なる人口の減少とならないか。また、その対策は。
③-2 気仙沼市では大震災の被災者に向けた、最大5年間の「雑損控除」が終了し、災害公営住宅家賃が気仙沼市試算では、平均的ケースで倍となるといいます。(家賃月1万3600円が3万300円となると言う)。我が町では雑損控除が無くなると料金はどう変わるのか。
③-3 災害公営住宅生活者の入居料の最低は、家族の法定月収から割り出されますが、5年間の猶予を終えた時の、高額所得者の「収入超過」の入居料の高騰で、町を離れる見込みをどう考えているのか。町はどう対処して行くのか。
気仙沼市の南郷住宅の65㎡タイプで、政令月収が約15万円~18万円で、初年度で「6万2700円」の割引率は(5分の1)、5年目以降は「14万8500円」となり、割引が無くなります。所得の超過があったら、住宅再建の道を選ぶ人と、アパートに移る二つの選択肢による、町民の流失が再度加速する事が懸念されます。
そんな今後の住宅状況での、災害公営住宅の空き室問題の、入居者の対策は。
 
再度、議員となり第一回目の質問は、佐藤仁町長と議会の在り方を問いたいが、4年間の普通の町民となり思いました。町の復興の姿への違和感は、私だけではないと思います。
 被災した土地利用や公的施設の建設の再生もありますが、町民生活の安定確保に努め、人口流失対策を町の最大の目標に掲げ、行政運営と議会の議員の意見に耳を傾ける事を、佐藤仁町長に要望し、私の質問を終わります。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 05:53 】

2017
12/07

壇上にて2問目



千葉伸孝 ≪12月定例会の質問≫ 12月6日開催

②  一次避難から二次避難、そして仮設への被災住民の住まいの確保への町の計画の中で、志津川地区での町長の「一日も早く!」の説明は、仮設の建設、高台への「終の棲家」の移転の6年8か月の経過は、町長の計画とおりだったのか。「遅い!」との町民の指摘に、その最大の理由と、遅延となった事での町民の損失をどう考えているのか。

②-1 今から4年前に議会議員選挙で落選した私ですが、その期間に土地の整備と災害公営住宅の建設、事業所の再建・スーパー建設営業と、目まぐるしい南三陸町の再建が進みました。
 今も続く「終の棲家」の建設中、これからとの町民も多く、人件費・建設費の高騰など、町民は今も再建に苦しんでいます。
 これまでの隣町への生活必需品の買い出しの経費支出は、現在の生活費の減少を生み、今後の生活苦に繋がります。生活弱者への支援についてどう考えているのか。

②-2 町民バスの運賃の町民負担は、車のない町民にとっては大きな負担となっています。他の町などは一律「100円運行」との町の住民支援の中で、今後の町民バスの運行と運賃値下げの考えは。

②-3 町の人口減少の理由の一つに、復興計画の土地整備と、災害公営住宅の整備の遅れが起因していると私は思います。
 登米市の南方や柳津・横山への仮設の、町長が決めた場所選定の決定がね人口減少を加速させたのではないでしょうか。
 29年5月末現在で、戸倉地区の39%947人の減少があり、志津川地区の35%2907人の減少があり、町全体で4435人の減少を生んだ最大の原因は、仮設の建設を登米市におこなった事と、早期の土地整備と復興住宅の遅れがあった為と思います。その責任の所在は何処だと考えていますか。

二問目の問は、いかにして被災町民の住宅建設予定者の建設への導きと、これまで以上に行政が積極的に、建設予定者の話を聴き、不安の取り除きと再建の方法を、行政が町民と一緒に考える事が、「一日も早く」と町への帰還を約束した町長の責任と思います。これ以上の自然死での減少以外の、町の政策による原因での人口減とならない、町長の政策・対策をお願いします。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:48 】

2017
12/06

南三陸町議会6日から12月定例会「傍聴に来て下さい」


千葉伸孝 ≪12月定例会の質問≫ 12月6日開催

質問相手は 佐藤仁町長
質問事項は 南三陸町の合併・震災復興の検証による新しい町造りを問う
①  旧志津川町と旧歌津町の両議会の決定である「新庁舎建設」を、なぜ新町の初代町長として実現させなかったのか。

再質問
① -1 合併時の遠藤福町長の議会の2年以内の「着工」は、町の判断では「検討」との意味と佐藤町長も同じ考えか。
最終的な決定は町長にあり、なぜ両議会の決定を履行しなかったのか。出来なかったのか。
① -2 双方の議会議員が議論を重ねた、多くの時間を掛けた苦渋の決断を、南三陸町の初代の町長とし、両町の中央の津波の到達しない場所に、建設しなかった決定をした。
議会の決定を順守していれば、役場職員の43名を含む、町民約800名の尊い命を、一人でも多く救えたのではないと私は思います。
これは佐藤町長の「議会決定の軽視」の判断ではないでしょうか。 
① -3 町長は合併後に、町民の「庁舎建設検討委員会」が設置され、建設費やアンケートから「基盤整備を優先すべき」との結論に至ったと言います。
 大震災から多くの町民を救えた、議会の決定を「無効」にした責任は町長にあると思うがどうでしょう。
① -4 南三陸町は大震災前から「津波防災の町」を、国内・全国に発信してきました。そんな町として「想定外の津波」との言葉は、町のトップの発言としては、先を見通す知識に欠けていただけだと思います。
 この大震災から一人でも多くの町民を救う決定が、両議会によってなされ、大震災の被害を最小限にするチャンスが、ここにあったと思うのですがどう考えますか。

一問目の「結び」に
行政・議会の中にも、新庁舎建設の問題に「またか」とおっしゃる方も居ますが、大震災はまだまだ終わっていません。
震災から復旧・復興・発展期の10年間の町の再生の中で、人口減少や土地整備の遅延、行政のミスや、町民への不安・不信感があってはならず、もう行政・町長には政治判断の失敗は許されないと私は思っています。

私を「町長への非難ばかり」と言う人がありますが、私は佐藤仁町長の経営能力と発展的な思考を認め、町に戻って来てから新しい風を生み、同業として大きな刺激を受け、旧志津川町で家業を続けて来ました。
「佐藤町長だからこの大震災を乗り越えられた」と多くの人達が話しておられます。これからは行政のミスや、政治判断や政策決定の失敗は、町の灯疲弊を助長すると私は思います。

議会の決定を重じ、亡くなられた職員や800名を超える町民の死に報いるためにも、真摯に前町民の為にも、今後の震災復興わ締めくくって欲しいとの願いを込めています。佐藤仁町長、よろしくお願いします。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:20 】

2017
12/05

多くの規制とルールの中で


南三陸町の中央団地で、また住民が困っていた。
「終の棲家」として中央区団地を選択し、住宅も建設し静かに、ここで暮らそうとしている矢先の、「寝耳に水」の事件が発生した。
同じ本浜地区の人達が、これからを中央区と、7名前後の方が住んでいる。昨年の土地の整備でも整地工事の不備で、工事のやり直しがあり、数か月完成が遅れたのもこの場所だった。

住宅再建の高台の団地には、地区により「規制」や「ルール」があった。志津川まちづくり協議会での、町とUR都市機構の職員との多くの議論の中で、事業所の「グループ事業補助金制度」の、自宅と事務所の100坪の建設でも、自宅と事務所を一定程度を離しての建設の規制が、その後、一体しての建設と「緩和」され、多くの事業所が建設となった。
最初に建設した人は、そのルールの下で、苦肉の決断で建てた人もいる中で、急いでルールを守って立てた人は「損を見る」結果となっている。
一定期間は当初の規制を守るべきと私は思う。震災から10年の期間は、最低でもルールを町は変えてはいけないと思う。
問題は、地元の会社がアパートを数軒建設すると言う。土地が売れない「空き地の活用」だと思うが。住民との相談なしに、町が勝手に制度を変える事は、独断的な行政の態度がある。真摯に丁寧に住民の理解を求め、合意の元で住みよい安心な町づくりが、大震災からの住宅再建の基本にある。今日にも建設課に真実を聴いて見る。

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昨日のブログに書いた「今度は中央団地ABC棟のネギ配布」は、他の住民からの苦情があったと、団体から指摘があり、別な形での配布を模索する事となりました。お詫びして訂正します。

人の善意が伝わりにくい町になったと感じる。自分は自分のやり方を実施するが、出来る限り住民への迷惑は避けたいがある。

写真は「志津川地区高台横断道路」で、志津川中学校大橋の工事・旭ヶ丘団地の方向と、中央団地から下る道路と中央区D棟を望む。今年度中には完成すれば良いと思っている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:33 】

2017
12/04

長野県飯島町の宮澤さんありがとう


今年のネギ配布は大成功だった。
夏のジャガイモから災害公営住宅への、長野県飯島町からの宮澤さんの野菜の支援配布を開始した。
こんなにも配布に集まってくれる事への意味は、「南三陸町の高齢者の皆さんは大変。」「若者たちは仕事でいない。」と感じ、「息子好きなんです。」との言葉に家族で頑張っている事を思った。
昨日は「西団地西」の災害公営住宅の住民の皆さんが、配布前にも関わらず集まっていた。無くなっても良いからと10分前に配布を始めると、ぞくぞくと配布を見て人が集まってくれた。ここでも「隣の人の分もイイですか。」と、近所さんの物を持って行く人が多かった。周辺の住宅からも集まって来た。とにかく生活の区別なく来てくれた人、全員に配った。6本前後とネギの大きさで袋に入れ渡していくと、「ありがとう」「りっぱなネギどうも」と皆さんが、宮澤さんの支援に感謝を言っていた。

帰りは志津川地区の東団地から西団地への、「高台横断道路」の志津川中学校の大橋を見て来た。中央区の公営住画から続く道路は、もうすぐに完成を迎える。

まだ残っているので中央団地の「災害公営住宅」の、A・B・C棟に来週の日曜日に配ろうと思っています。「ネギ助かります。」の言葉があり、6本とするとスーパーでは300円ぐらいだろうか、いろいろな考えが物資にはあるが、喜んでくれる事が一番と宮澤さんは言う。私も宮澤さんも皆さんの笑顔が好きでの活動です。

6日は一般質問で、その前日の5日は御世話になった人の葬儀に参列する。忙しい中でも行動の努力をしたい。今月はさすがに第二日曜の「マイタウン情報」の配布は休みにし、次週の配布を目標としている。お許し下さい。

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2017
12/03

訃報・金華山沖・中央区・葱配布


朝、ブログを書いていたら携帯音、知人が「戸倉の齋藤さんの死亡看板出てます。」と連絡が入った。戸倉漁協・戸倉神社で私が若い頃からお世話になった、齋藤仲さんが逝去された。印刷業の営業など何もまだ判らない私に、優しく接してくれ「怒りの顔」など見たことも無い方だった。御冥福をお祈りいたします。5日の10時から神事にも出席する。高校の恩師で志津川地区の八幡神社の工藤先生に続き、震災後に私の神社との歴史の一部が終わった。

その後で直ぐに金花山沖の洋上から電話が来た。政治に関し指導を頂いている方からだった。「ブログ見てますよ!」と嬉しい言葉を聴く。内容は歌津地区にある泊崎の「御崎神社」の掃除をして欲しい。との事だった。松の枯れ葉が参道を覆いつくし、トイレは汚いと言う。今後の年末年始の神社への礼拝の時期を迎え、こんな姿では恥ずかしいという。これから町は「観光立町」をめざし、国内のみならず外国からの観光客も迎える中で、観光地の整備は行政の急務である。私は常々、歌津地区と志津川地区との格差が、益々拡大しつつあると思っていて、こんな所にも感じている。

同級生の母は強かった。それは昭和初期の生まれ、苦しい生活と戦争を乗り越えて来た生きざまに、その強さの秘密を知った。家族の為に全力で、直面する壁にも力の限り行き抜く母の役目、家庭を守る意地のような物を感じた。大正と昭和初期を生きた戦争を知っている人間は違っていた。豊かになればなるほど、人間はぐうたらになり、何かあると他人のせいにする。そんな今の時代が「人口減少」の最大の原因と思う。「日本を愛し他人の為に生きる」、こんな人の優しさが今日本国を創って来たのに。

昨日のネギの配布は30名余りの人達が集まってくれた。「隣の人にもイイですか」、車を引いて歩く人を気使い、「今日は仕事で居ないので、貰って行っていいですか。」と災害公営住宅の団地内の繋がりは、まだ一年も経っていないのに、少しづつコミニティーの形成がそこにはあった。「しばらくだごた。」「千葉さんだいっちゃ」など、家にいただけでは聞けない声を聴く事ができた。「長野県飯島町の宮澤さんの御蔭です。」、ありがとうございました。
今日は11時から西団地A・B棟に行きます。

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