ARCHIVE - 2017年11月

2017
11/30

人を想うりっぱな人間とは誰?


人知れず、また志津川地区の人が亡くなられていた。
用事で大雄寺さんに行くと、山形屋の社長が忙しく働いていた。「誰が亡くなったの?」と聞くと。「本浜町の千葉さんの2軒となり」と言う。会館で「鈴木……」さんと見てもきずかなかった。午後からも志津川十日町の「佐藤……」さんだと言っていた。篤実の伯母さんだと解った。東団地に母の為と息子さんが、平屋でいち早く住宅を建て、二人で暮らしていた。また、94歳になる父の同級生(友)が「今、死を待つばかりです。」と親戚の方が教えてくれた。こんなにも多くの人が人知れず亡くなって逝く。この状態を私は悲し過ぎると思う。大震災がなければ、地域の人達の焼香の列が自宅にはでき、亡くなった方を忍び、こんな姿で地域の繋がりが出来ていた。今はもうない。志津川地区の住人の事を知らないのは自分ばかりだときずいた。

日馬富士の暴行問題は、横綱の引退で幕を閉じる事となった。日馬富士の記者会見を見て、単純な私は「惜しい相撲人をなくした!」と思った。後輩の態度と行動への指導が行き過ぎた。と反省・謝罪をしていた。日本が好きで相撲が私を造ってくれたと言う。親方と相撲協会、ファンには感謝・感謝と最後を締めた。しかし、まだ警察の取り調べと「書類送検」となる方向にある。
理事長は「断腸の想い」と言う。昨日の協会が決定を待たずしての引退は、退職金と報奨金の支給の対象となり、師匠の番付会議への支障となる事を避けたとも言われる。貴乃花親方の「語らず!」は、この問題の本当の適切な対応だったか、これまでの行動に相撲協会を考えた時、真面目さ、弟子思いなど、自分の信念に基づいた判断だと思う。全体を考えれば「事を荒立てない」の方向が、色々な人達が救われた気がする。昨日の諸々をみれば、「早く事件の解明」で多くの人が苦しまずに済んだかも知れない。貴の岩がこの結果で、以前のような相撲がとれるかが心配だ。

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今年も長野県飯島町の宮澤さんから「ネギ」が届き、今週末の2日は東団地のI・J棟に配布、3日は西団地のA・B棟に配布します。欲しい方は御集り下さい。二つに分けての配布となりますが、無くなり次第、終了となります。物資配布支援「千葉総合印刷株式会社」。

今回で13回目となる長野の宮澤さんからの農産品の支援、今年から災害公営住宅への配布は、前回の初夏のジャガイモを東団地A・BとE・Fに配布したので、今回は次の団地のI・Jとした。次に西団地とし、残ったら中央区に配布を考えている。



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2017
11/29

この海と漁師の皆さんの御蔭でアワビが食べられる

2011-04-15 10.48.10
今日は朝4時前に目覚めた。驚きのニュースが二つ。「北朝鮮が午前3時18分に大陸弾道ミサイル発射、日本海の排他的経済水域に着弾」「日馬富士引退へ」など、相撲界の混乱で日馬富士が心を決めた。
国会中のミサイル発射は、日本への威圧だと思う。「国難」と安倍総理は言って選挙をしたが、国民の民意がこんなにも大勝した結果とは比例しない。野党は「森友・加計問題」の追及の手を緩めない。与野党の政治の方向性には大きくは変わらない中での、国会での与野党の攻防と感じる。

歌津地区の人に2.3日前に聞くと、「私の地区はまだアワビ開口はならない。」と言う。今日の戸倉地区のツイッターには「明日アワビ開口」を発信していた。戸倉地区は今日の開口のようで、二回目? 志津川地区においてはアワビ開口が一回あった気がする。
今年はアワビを食べるタコの豊漁で、アワビが少ないとも伝えられている。大震災で多くの海藻が流失し、アワビも流され餌の海藻も流失した中で、震災直後の風景写真です。大自然の驚異に対し漁師の皆さんは、黙々と漁業の再スタートの準備に追われていた。たくましい姿に圧倒された事を思い出す。

震災復興の一枚には、この写真が多くの中の一枚として上げたい。どうなるか判らない町民の疲弊した姿の中で、もすでに漁業の再建が行われていた。町も震災の調査が進んでいない状況での事だった。

南三陸町は漁業の町での再建が一番望ましいと私は思っている。

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2017
11/28

いろいろな人が「おめでとう」と


昨日は田尻畑の方へ、本浜営業所を廻り、役場・議会の用事を済ませ帰宅する。営業所の慰霊塔の両脇の電柱はこんな感じです。隣では電話工事が進んでいました。
町中を走ると色々な様変わりの光景に、写メを撮りたくなる。しかし、路上停車は大型トラックや交通の邪魔になるので、発信の為とは言っても交通妨害は避けています。また、葬祭場の前を通ると、また死亡の看板が出ていた。友達は言う、「死亡の看板を見ないと、誰が亡くなったか判らない」と、人知れず共に生きた志津川地区の住民が、天国へと召されている。こんな現実で人との繋がりが密になる事は難しい気がする。

最近は救急車やパトカー、そして消防車の出動のサイレンを会社で聴く事が多い。今日の知人のフェイスブックを見てビックリ! 、「ゆきとり大森」さんでボヤとなったと、遠藤さんが自分の火の管理を悔いていた。
毎日の生活の中で「慣れ」が生んだ気の緩みだった。私も今年の仕事での「大失敗」を反省と検証をして、再発の防止に努めているものの、時折の多忙の生活で気が緩む。昨日も「ミス回避」を従業員と再確認した。
私の仕事の多さがミスを生んでいるのは理解しているが、今出来る事をしたいが、私の生きる意味を持つ。

昨日も広島の南三陸町への支援団体の方が電話をくれた。来年は大震災から7年目を迎え、2011年3月11日以降に生まれた子供達に、年齢・男女に合わせたプレゼントを贈りたいとの考案に、「良い考えですね」と答えた物の、至難な事だとよくよく考えると思う。

日馬富士の暴行問題は、貴乃花親方の態度や白鳳の万歳三唱の行動に違和感を持つ。理事長はその立場で最善の発言と行動をしているが、場所中ということもあり、今日から警察と協会が本格的にこの問題に取り組む。

「清濁併せ呑む」も知らないのか。友の激励と受け止めました。

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2017
11/27

まだ震災は終わっていない 検証を

2011-05-07 16.05.25
震災後に買った「タブレット」で震災の悲劇を撮影しようと、多くの写真を撮った中の一枚の写真です。
写真は佐藤町長が震災前に整備した「新魚市場」と「大森長英住宅」が大津波で破壊された光景がある。この場所は10mの嵩上げと、水産加工会社の大型団地が整備された。27億の整備費を町の水産業の確保の為に、佐藤町長が進めた事業です。
海も山も自然が大好きな私は、志津川地区の旧旧市場の「セリ」を早朝の日課として、目の前の海で獲れる魚を見て、そして触れて志津川の海に包まれてきた。そして、あの震災で志津川新魚市場は倒壊流失し、新たな市場は衛生面に配慮され、気軽に行ける市場で無くなった。寂しい限りです。

震災後の市場前に若い漁民と、市場の若い職員が志津川に「番屋」を建設し、その質素な隙間風の吹く建物で、震災からの海の復興を話し合った。私も一度行ったことを今も覚えている。番屋の外からながら不安の中に、一筋の光を見た気がした。
現在は町から若者達が去り、海の継続を図る為に、50代の漁師が町外からの魚業者志望の支援と御世話役に一役かっていた。気仙沼市でも遠洋・沿岸漁業の後継者不足で、漁業希望者の受入れ指導と、後継者確保活動をしている。志津川漁協青年部の部長経験者が、漁業希望者の指導にあたり、今だと「わかめ種はさみ」「カキの処理」など、寒さの中で多忙の日々と聴く。
若い漁業者の獲得は将来の漁業の南三陸町町の救世主である。町民とも触れ合える場があったら、応援もできるのだが、一般の町民との交流を提案したい。

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大震災は終わっていなく、合併から12年も経過し、震災の混乱の中で「行政の対応に関する検証」がされていないように私は思っている。4年前の選挙の落選から、4年の一町民となり震災復興の行政の取りは見に、疑問と不安が山積している。高齢者数の拡大と対策、人口の減少対策、市街地の整備の進捗など、現実の復興とは程遠い。

今回の12月定例会の一般質問では、合併の議会の決定である「新庁舎を両町の中央に」の実現をしなかった、佐藤新町長の責任を問う。災害公営住宅の家賃の軽減策の延長、震災からの住民の住まいの確保の遅れによる人口減の責任などを、町長に問いたい。何で今と言う方もいますが、行政のこれまでの政策による佐藤町長の町政運営の失敗は、もうあってはいけない事への、「佐藤町政の検証」が必要との思いがある。

今日、一般質問の通告書を議会に提出する。



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2017
11/26

走った! 走った。


土曜日の週末は仕事と用事で、気仙沼から仙台と富谷、そして自宅へと車で過ごした時間が多かった。そんな一日だった。

アメリカの感謝祭の翌日は「ブラツクフライデー」と言うらしく、買い物促進のイベントが、富谷のジャスコでも、店頭を黒の枠で囲み来客者を迎えていた。前日は日本の最終金曜日「プレミアムフライデー」だった。しかし、南三陸町にはそんな活気は無く、寒々とした町があった。
ジャスコの向かいの富谷の地区には、南三陸町から被災後に私の同級生が知る限り4人移転し、その他にも3名の知人が、再出発の地を富谷に移し、仙台のベットタウンとして5万人を超え、「富谷市」として新しい街へと生まれ変わった。
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友達が生産した御米を今年も60K購入した。遊休農地の拡大が収まらない中で、農業をやめた農家の土地を引き取り、本格的な米生産を続けている友人は、コメの販路の拡大無には米農家の継続は難しいと言う。「減反政策」の終わりを告げる来年度からの、中途半端な米づくりは継続が厳しい時代を迎える。
後継も無いままで自分一人で、自分に身体に鞭打ち頑張っている。そう長く生産を続ける事の難しさを言う。こうした農家が居なくなれば、農家の高齢化の中で、南三陸町の米作りは衰退し、これが今後の国の農業の終わりへと繋がり兼ねない。身体に気を配り80歳まで頑張って欲しいが、人の為に第一次産業の支援の活動を自費でしている。
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昨日の仙台は、私の兄の子や孫に南三陸町の友達の精魂込めて作った米を食べさせたいがある。また、兄の好きな南三陸の「刺身」と、「志津川産のマダコ」を孫たちに食べさせたいと、2600円の尾頭付きのタコを持って行った。小学生・高校生の孫と、まだ幼児の父のひ孫の喜ぶ・驚きの笑顔を見たいがあり、貴方達のおじいちゃんの生まれた町の名物を食べさせたいが、私の願いでもある。

いま洗濯を終え、ブログの続きを書いている。議員としての初の定例会の質問内容は、ブログ「南三陸町の皆さんと共に!」に掲載しようと思っている。

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2017
11/25

長野県手飯島のネギ&血糖値高い


今日の血糖値「244」は何かと朝から考えた。
昨日の食事はいつもの食事の後の「とうふとひじきのさつま揚げ」が余計だったのか、昼食の議会の昼食弁当が余計だったのか、晩御飯のビールのお供のコロッケか、締めにかき揚げが残っていたので、麺を探し「そうめん」を二束、丼一杯を取り分け、2割を食べた所で後は残した。勿論そうめんの2束がこんなにも多くなることを学び、ゆでた9割は今も残っている。また、ビールのお供がもう一つ、「落下豆」を25個。やっぱり食べ過ぎた。体重は72と目標の数字に留まっている。
朝は柿とヨーグルトにしよう。

一昨日の夕方、長野県飯島町の宮澤さんから、今年もネギが送られてきた。御礼の電話を入れると、「皆さん仮設は出たのですか。」「今回のネギでジャガイモと合わせると13回目となる。」と話していた。震災2年目から年にジャガイモ・ネギと交互に二回を支援物資として送ってくれた。
震災後の混乱が私にもあり、支援者の受け入れから案内、そして今回のような物資の配布など、ひとりでこなしてきた。一人だけではないが、周囲の人たちに手伝ってもらう事の難しさがあった。お願いしたのは「仮設の自治会長」さんへがおもだった。
今回も前回に引き続き町内の仮設の皆さんに配布する。前回の東団地のA.B棟から、C.Dに配り、次となるとE.F棟となるだろう。時期は来週の日曜日で3日前にはチラシを「災害公営住宅」にポスティングする。

来週の27日月曜日は一般質問の申請日締切で、「震災の検証」から「災害公営住宅の家賃」について等を、町長に質問したい。県知事と同じ答弁とは思うが、被災住民の声を届けたい。

今日は仙台の兄貴の所へ、南三陸町の新米を持って行く。友達に頼んでいた米が昨日やっと届いた。色々な問題で多忙との事で昨日になった。今日の天気は「雪」とならず外れて良かった。子供や孫たちの笑顔が脳裏に浮かぶ。この時期恒例の行動です。

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2017
11/24

笑われても自分なりに


イイ写真を撮ろうとして撮影してはいるが、何気なくシャッターを切った時に、良い写真が撮れる。風景写真は南三陸町で、昔ながらの自然の風景が残っている。新しい物は建設中の橋脚から橋の姿は、復興への更なる一歩と感じる。

南三陸町歌津へまた「三陸道」が北へ進む。南三陸町海岸インターから歌津インターまでの区間1.5Kが、12月9日に共用開始となる。我が社から歌津のインターの皿貝まで、国道だと車で10分前後ながら、高速だと2分足らずで着く事となる。歌津北インターまでは、まだ時間が掛かりそうだが、南三陸海岸ICが共用となり、1年足らずで歌津のICまで繋がった。私は61歳と6か月、何時まで車の運転ができるかと言うと、70歳位までと「認知症」「私力の低下」などを考えると、身体との相談がカギとなる。
岩手県海岸線の高速道路も年々進む、気仙沼地区も区画ごとに完成へ進み、歌津北から大谷までの整備に時間が今後かかるとも聞く。南三陸沿岸の海が時折開ける「三陸道」を、宮城から岩手と総覇できるまで、何とか生きていたいものだ。

一昨日も先輩と飲み、昨日も同級生と飲む事となった。何でも言い合える友達は必要ながら、最後の議論は疲れた。同級生の席は「町政を語るまい!」と決めていたが、ついつい話に乗ってしまう。出来る限り会への参加を控える事を肝に命じたい。自分が60歳を過ぎ考え・生き方が変わる訳もない。
町民の投票なしでの「無競争当選」は、町民の支持の確認に欠け、当落は日々の行動への町民の判断で示される。次期選挙を言うのはまだ早いが、議員数は人口の千人に一人りの12人で、4人減が妥当だろう。

長野県飯島町から今年も「りっぱなネギ」が届いた。27日は一般質問通告締切、月末で仕事も多忙で、来週の日曜日に災害公営住宅の、前回撒いた住宅の次の住宅にチラシを撒き、住民に集まって頂き配布支援をする。人からの忠告には耳を貸し、自分の判断でこれまで通り生き方を貫きたい。離れる物を今は拒まない、最近の自分の心境となっている。

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2017
11/23

二人の人生の先輩からの御教授


昨日の夜は10歳も上の先輩二人との宴席となった。30年来の友人として御付き合いで、時には厳しい言葉を掛け叱咤激励をしてくれる。私の知らない部分に多くの知識も持ち、人生の先輩として指導してくれる。
同級生の友達とは馬鹿な事を言う宴席で、気が抜ける場として有意義な会ながら、その場所で政治を語っても、誰も関心が無い気がする。この場での「町政トップの政治批判」は何の意味も無い。仲間も多くのしがらみの中で暮しているようだ。

「勤労感謝の日」の今日、午前9時から南三陸町の防災無線が鳴る。「原子力防災訓練」だと言う。9時と同時に、気仙沼市・登米市・南三陸町のエリアメールが一斉に携帯に届いた。
南三陸町の30K圏内は、戸倉地区全域と、志津川地区の林・大久保が入り、「一時移転避難」して下さいと指示が出された。避難場所はアリーナ隣りの旧志津川本庁の駐車場と言う。聞き漏らしたかも知れないが、戸倉地区の訓練の避難場所としては、遠くはないだろうか。その他の地区は「屋内待機」との支持だった。
普段の訓練がいざという時には欠かせないが、どれだけの町民が訓練に参加しただろう。現在は町で進めた「職住分離」の生活で、地震発生時の津波対策は、一町民として「安心安全」を確保された事になる。こんなにも地震での津波発生の恐怖から脱する事が今は出来ている。ただ原発事故はまた別物と認識している。

昨日の県の印刷組合での理事会の閉会の挨拶で、及川副理事長は、大坂のギフト会社の「千趣会」が、印刷によるギフト商品の販売を、7割をインターネットでの変えたと言う。そうしたら売り上げが大きく減少した、との実例を上げ、「ペーパレス」による時代の流れの中で、印刷業としての紙への実用性が実証されたと言う。何でもかんでも「ネット化」に向かう中で、昨夜の先輩達も「心が無い」「無機質な人とのやり取り」と、コンピューターによる弊害を話していた。一方的なネット上のやり取りで、現実に多くのこれまでにない犯罪が起こっている。過剰なまでのネット利用は私はいらない。南三陸町の私の数々のネット配信で、南三陸町の発信で興味を抱き、町に一人でも多くの人が訪れてくれればよく、私の発信で金銭的な被害は無い。

「るろうに剣心」の作者が、幼児ポルノDVD所持で逮捕された。「こどもが好きだから」と言うが、50歳前後の作家? なぜは今の現代社会で、もう通用しない。私も昔は良く見たテレビで、ヒロインの可愛らしさは作者のこうした、思考にあるのかとも思う。人には幼児への愛情が今も必要ながら、なぜ、ねじ曲がった行動に走ったのだろうか。


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2017
11/22

昨日こんな事がありました


昨日はいろいろな事に驚きと悲しみ、喜びの悲喜こもごもの一日でした。

朝のチラシにお得意のお茶屋さんが、閉店のお知らせとの告知があった。トラック運転手から腰を痛め、お茶屋さんを始め20年は経過しただろうか。震災後も葬儀の献茶の販売で、地区民・町民の依頼を、急ぎの注文にも嫌な顔をせず応じてくれた。長い間お世話になりました。御苦労様!

一つ上の先輩が退院したと会社に来た。6か月の入退院は生き方と考えを変えたと言う。気仙沼市立病院での手術・入院、同じ年の身体の老いのメンテをしないと、大病に発達する。普段からの健康診断の受診なしに、長生きは出来ないようだ。

昔のゴルフ仲間の後輩女性の、沈黙からの出発の話に喜んだ。震災後に町に来たボランティアの方と、新たな特産品としての野菜の栽培を本格的に始めていた。私の所にも以前「試食品」のデザートを持って来てくれた。その自分の夢への挑戦の始まりだった。マルシェも始めたと言う。頑張れ「夢子!」。

「助けて下さいね。」、震災から家庭の為に働き続けた女性が、経営の不振にあえいでいた。家賃に追われていると言う。震災後は震災復興で多くの工事関係者と、仕事をする環境がまたあった。しかし、工事関係者は町を去り、多くの顧客が消え、市街地の整備で移転を余儀なくされた。「何でも相談して下さい。」と、出来る限り応援して行こうと決めた。

写真の我が社の「大震災慰霊塔」の後に電柱が建った。コンセプトの「慰霊塔から荒島を望む慰霊の場」が成り立たなくなった。TTKに相談すると、快く移築に応えてくれた。電話線の設置整備の電柱で、電話会社が電柱設置をしていると言う。こないだ「土地等利用承諾書」が届いた。土地の賃貸代が掲載されていた。少しでも助かる。

本浜営業所の「自動販売機」も3か月目を迎える。工事関係者の行き来する志津川市街地、商工団地内の会社前の自販機は、売り上げも無く、自販機会社を変え2台目の設置・撤去となった。営業所はまだ設置は続けられそうだ。

まだまだあったが、これ位にしておこう。今日は仙台に県印刷組合支部長会議に行く。11時45分の食事に間に合うようだと、志津川を10時半に出発すれば大丈夫だ。仙台も近くなったものだ。

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2017
11/21

もらい物で大ごちそう


テレビをチラ見しながら食事の準備、タコの豊漁を商店主が紹介していた、これまでのタコの水揚げは、3年前の2015年が「35トン」で、昨年が「75トン」だった。漁期は9月~2月? だと見たが、今年はまだ中盤にさしかかった時点で、「175トン」と異常な水揚げ状況となっている。
昔の状況を知る術を持たないが、私が中学生の頃には、「タコ開口」があり、親戚の「ぜんこちゅん」の船に父とタコ釣りに行った。その頃とてタコがいっぱい釣れた訳でなく、最後に私の仕掛けが何かに引っ掛かった。ぜんこちゃんは仕掛けの糸を掴み、勢いよく糸を手繰った。「釣れてるぞ!」と船べりまで来て、タコの姿が見え始めた所で、「するり」とタコは海底に消えて行った。また、友達とのアナゴ釣りでも、夜中に「重い」と船頭がアナゴの釣り糸を手繰る。「タコかもしれないぞ!」と、引く手に力が入る。これもまた船べりまで来て、するりと闇夜の海底を泳いで行った。タコ釣りの体験はまだあるが、一度としてタコを釣った事はない。しかし、そのみんなで行くタコ釣りの、楽しさが記憶に残っている。子供の頃の思い出が多い。

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昨日は二人の友達が野菜を各種類届けてきてくれた。我が家は二人暮らしながら、私が料理を作り、父が少し料理を食べる程度だ。
大根・白菜・みずな・春菊・あぶら菜? など、新鮮なうちに食べないと、美味しさが半減する。「大根とイカの煮込み」「春菊とわさび菜のお浸し」、「油菜とさば缶の煮物」は自分が料理し、「大根の酢漬け」「サケと野菜の天ぷら」は貰いもので、ビールも頂き物です。
冬に向かうこの時期に、こんなにも多くの野菜が、南三陸町で獲れる事に驚いている。今が旬の自然の物を食べる事は、健康にも繋がると私は思っている。少しのアルコールがあれば、至福の食卓で、それを自分が全て演出をする。
「よぐやるな!」と友達は言う。「好きこそものの上手なれ」を地で行っている我が人生、これもまた私の一部分です。

今月は後輩達との「忘年会」も企画する。50過ぎた独身4人での忘年会、行き着く所は「色気」となりそうだ。

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2017
11/20

震災から何も変わらない漁村の風景


私の叔母と義理の叔父が暮らしているのが、「南三陸町細浦」です。
震災の年には漁港の被害状況調査で訪れたことを思い出す。湾の左右に漁港があり「防潮堤」「船揚場」が津波で破壊され、一時的な利用工事には入っていた気はするが、昨日の光景は遠くからは何変わっていないようだ。
宮城県の気仙沼から三陸海岸の防潮堤工事は、10%も進んでいなく、震災から10年での津波防災対策としての防潮堤の整備の完成は無理で、15年が経っても全て完成とはいかない気がする。写真は午後4時近くの物でボケているが、手前の家の二階まで津波は襲来した。

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この海を見渡す高台の墓地に私の叔父が眠っている。海と共に72年の一生を終え、土に帰ったのは海の傍となった。
石には「和」の文字が刻まれ、「千葉大和」の「和」を取った。海の男として50年は続けたのだろうか。荒々しい海の男としての一面を持ち、その反面、子供達は勿論、人には誰にでも優しく、頼まれれば断る事ない、気持ちの人だと言う事を、ここ15年で私は知ったかも知れない。

人の世界では「和の大切さ!」を知っているものの、多くの野心や野望の中で、時にあたり「和」を乱すのが人間ながら、それを堅持する人間こそが、人の繋がりを守れる。「怒った時は5分間落ち着き考える」とある人が言っていた。怒った時に何も考えないで、言葉と行動に表す事で、人との和(輪)が崩壊に至る事が多い。

今日は「和」を心に置き行動したいと思う。

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2017
11/19

みんなの笑顔を見ているだけで幸せ


同級会は太白区の「蘭亭」を会場に、午後6時から11時までの会ながら、ビンゴや独自のゲームで盛り上がった。我が「三一会」の幹事諸君の頑張りがあり、それを多くの同級生が支援する。そんな我が会のやり方で、移動同級会は町外の仲間が商品を出し、最初から最後までその演出は、同級会の女性達に大いに「うけた」ように私は感じる。
二次会のカラオケ・ゲームは全員が参加し、昔の若者達に返って行く感じに、私は静かにみんなの笑顔を見ていた。

今日の朝9時の解散時には、仙台の初雪は蘭亭の窓越しの風景で、帰ってからテレビで「仙台の初雪」とニュースは報じた。

私の部屋は偶然にも志津川中学校の剣道部の四人の相部屋となった。同級生が集まると「病気の話」「クスリの話」と、還暦の私たちも同じだった。また5年後10年後に会えたらと、仲間に健康の対処法と、何もしないと「こうなるよ」と助言の席となった。同級会から部屋での会話で、今後の生き方が「良き年の越し方」となるよう、今後の再開を願い「三一会(さいかい)」とのネイミングに会名がなった。同級会の名前の由来にある。

仙台太白区の蘭亭の近所に「スーパーさいち」があり、そこの「おはぎ」を仙台の仲間は、全員へのお土産とした。グッド・アイデア!

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2017
11/18

意地と強がりで


冬はもうそこまで来ている。私に取っての11月は特別な月だった。年末年始の喪中葉書や年賀状の印刷は、15~20年前は印刷会社の働き頭だった。現在は家庭の印刷内化や多くのスーパーや郵便局で年賀の印刷を提供している。時代には勝てなく、今でも「千葉印刷の年賀状で!」と言ってくれる、お客様を大切にして行きたい。

「岩泉ヨーグルト」が昨年の台風の岩手から初上陸で、岩手県の岩泉町は人的・物的大災害となった。被災した工場の従業員は、会社の事もさる事ながら、町内の被災した住民の後片付けなど、町の再建にいち早く取り組んだ。その後1年以上も掛けて工場を再建し、最大の主力商品「岩泉ヨーグルト」の販売にこぎ着けた。生協から一本買い求め食べ、何も変わらない味に大満足だ。こんな商品が南三陸町にも欲しい。しかし、町には三陸ワカメや、今年豊漁の「志津川の真タコ」もある。全国の皆さんに喜ばれる、販売価格や流通体制が必要と私は思っている。

国内に発生する異常気象の自治体の体制は「大丈夫」なのか。こないだの南三陸町の台風の豪雨は、町内4カ所の降水が通算100ミリを超えた物の、一時間降水量は最大で折立地区の6.5ミリだったと言う。これでも至る所で雨水に寄る冠水があり、町内の交通網がダウンした。現在、多くの地区で100ミリを超える時、同様の降雨が南三陸町を襲ったらどうなるだろう。市街地の状況は、高台の造成地はと、私は大きな不安がよぎる。町は政府と県との連携で対応して行くと言う。そのうちに大きな災害が起こりそうな、現在の町の姿を懸念する。

今日・明日と「移動同級会」で家を空ける。昨日は父の二日間の食事を買ってきた。寿司と天ぷら・焼き芋で、好物ばかりを準備した。

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2017
11/17

落葉


昨日は仙台の東北大学病院に行った。朝6時に出発し多賀城ICまで高速を使い、仙台中心までは1時間と、市内は当たり前に時間が掛かった。

私は佐藤徹内科さんの先生が主治医として、私の生活習慣病の治療にあたり、眼底出血では登米市の「みうら眼科」への紹介、眼科から「石巻日赤病院」で治療をし、目の重篤状況に大学より派遣の先生に、設備の揃っている「東北大学病院」を紹介され、失明の危機から車が運転できるまでに回復した。

私の「セカンドオピニオン」は、大学病院と石巻日赤と決め、いざという時は診察券で直接、病院は県内最高の医療を受けようと思っている。緊急時の救急搬送の南三陸病院はしょうがないとしても、転院をできれば希望したいし、直接に高速を使い石巻日赤に搬送をお願いしたい。総てのカルテは日赤にある事もその理由にある。毎月3千万円の赤字負担は私の税金の一部が使われているから、この判断でも良いと私は思っている。多くの時間を病院で無駄には出来ない。

大学病院前は落葉樹は今年の終わりを告げながら、黄色・赤・茶の葉が寒そうな地面を覆っていた。

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2017
11/16

御下賜(ごかし)


14日の初の臨時会での、町長行政報告の中で、天皇陛下から「御下賜金(ごかしきん)」でハナミズキが志津川沼田の本庁舎前に植樹された。

御下賜金は、天皇陛下の誕生日に際し、社会福祉事業の御奨励のため、事業運営が優良な民間福祉施設や団体に対して、天皇陛下より金員が「ごかし金」されるものと言う。緑化推進・森林資源の利活用・木材有効活用などがあり、本庁舎前に新築記念としてハナミズキを植樹した。

ぜひ、町民皆さんにも陛下の御心に触れて欲しいと思います。本庁舎玄関の「マチドマ」には現在、町民憲章の子供達の絵コンクールの作品が展示されている。大賞は大きく拡大され、その絵の発想に驚かされる。

こうした町の動きの中で、町民の苦悩や行政運営への疑問が沸きだしている。

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2017
11/15

初心に


人の心の闇と欲に翻弄された、打ちのめされた日だった昨日、「初心」に戻る事を肝に命じたい。

「嘘の怖さ」を沢山知っている事で、相手を前には適当な態度と行動を取れない不器用な自分で、今更どうにもなる訳が無く、人の悪口には自分が関わる事で、その傷が大きくなる事を思う。

家のリビングの椅子に腰かけ眠ると総てを忘れさせ、リビング色とりどりの花が心を癒しと綺麗に醸成してくれている。

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2017
11/14

海の幸にも異変 議会は新たな局面に


昨日も南三陸町のブランド「志津川のマダコ」の豊漁? というか「異変」と伝えていた。昨年の10倍とも言われるタコの水揚げを、喜ぶか、「何かある。」と大きな問題の予兆と考えるかは、大震災発生の中心の南三陸町に住む私としては、慎重に考えるべきだと思っている。

仲買・魚屋さんなどは豊漁で安価に買える状況と、私などの素人は感じるが、漁民に言わせると「高く買ってもらえている。」と話す。豊漁が消費者にとっては嬉しい事ながら、冷凍技術の高度化より、水揚げの上がり下がりもあり、常に消費者への安定価格での供給は、魚屋にとっても役目の一つしてある。しかし、今年は被災地支援の恩返しの意味を込め、格安に買い物に来た人達には奉仕して頂きたい。

昨日の朝6時から8時までの「あわび開口」はと言うと、昔のような沢山獲れた時代からは程遠い。志津川地区の開口ながら、町民の口には、なかなか入る事はない。高くて買えないが実情ながら、「別に!」と言う感じの人も多い。

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昨日の南三陸町議会での議長選挙があった。私の新たな議員としての役目として、志津川・歌津の合併以来、志津川戸倉地区の議員が議長として、合併前から20年も続いている。志津川地区はと言うと私の記憶では、「佐藤一男氏」「畠山吉郎氏」「佐々木ようし氏」など、40年30年前の議長の名前を思い出す。
接戦となった議長選は6対6の同数で、くじ引きと言う原始的な方法で、歌津出身の「三浦清人氏」となった。私が議会の一員となり「議会改革」のスタートが、ここから始まる。人が代われは議会も変わる。良い意味で南三陸町の、志津川・歌津の二つの地区は公平に発展をしていく気がする。新人が3人と現職1人がその言動力になったのは間違いが無い。
国政は政治改変により、民主党となり、大震災の発生で政治の混乱が生まれた。今回の南三陸町の議長が歌津地区の選出議員になった事で、これまでの行政と議会の関係は新鮮な物となる気がする。三浦議長は「志津川も歌津もない、議員が一体となり、新しい町づくりに取り組みたい。」と話していた。
議会の委員会構成も決定し、議員のあて職も昨日に全てが決定した。今日から臨時議会の教育委員・固定資産委員などの、町長選任の議会での承諾が議論される。各種工事の発注の承認の採択がされる。三浦議長・山内昇一福議長の二人が正副議長となり、常々一般質問の当事者が姿を消す事になりそうだ。「一般質問の減少」は議会にとってマイナスとなる事は間違いはない。

町民の皆さんには、議会広報や議会傍聴で、南三陸町議会がどう変わったかを注視してほしい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:12 】

2017
11/13

志津川地区高台横断道路


5日の防災訓練を撮影したカメラが返ってきた。石巻グランドホテルの講演会から、仙台の知人に渡り、こないだ手元に帰ってきた。

写真は東団地の北工区の住宅再建風景です。当初は50軒以上の住宅建設から、住民の土地希望が減少し、20軒ぐらいが再建場所に選び、遅い造成完了ながら大部分の完成を目にする。

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沼田地区の集会所の片付け清掃の時に、集会所から周辺を見渡し、区長さんの話だとこの土地は「高台横断道路」に取られ、後ろ側の土地に配分されると言う。集会所から北工区と西工区の間を、道路が通る事となり、沼田東浜団地の急坂を真っ直ぐ進むと、新設される横断道路へと繋がる。費用対効果はどうだろう。
東団地西工区からも、製材所の脇を国道45号に抜ける道路も整備が進んでいる。山あり谷ありの道路は高齢者にとって、生活しにくい町づくりとなっている気がする。

今日は初議会であり、「臨時議会」が10時から開かれる。工事の専決決議や、教育委員などの任命の質疑があり、疑問はどんどん質問していきたいと思います。議長選もあり誰になるのかが問題です。取りあえず自分の信念を通します。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:26 】

2017
11/12

住宅再建は南三陸町で追い込みの風景に


大久保地区から水尻川を通り、志津川市街地まで道路整備が続いている。今年度末と言われているものの、完成までは来年度になる現在の状況が見て取れる。

この地区も水尻川河口から、入り江へと津波が一気に国道を遡り、同級生の妹さんと背負い母を助けようとした二人が津波で亡くなられた。この場所の復興の姿に津波の脅威からの脱出を感じる。津波到達地点の土地には、住居としての住宅建設許可は下りない中で、何とか土地を確保しようとする住民の頑張りも、多くの道路再建・町づくり計画の規制の中で、思うとおりにいかない南三陸町がある。

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松笠屋敷の「ばっかり茶屋」の新蕎麦まつり

お昼は「ひころの里」のばっかり茶屋に、入谷地区で獲れた今年の蕎麦の実で作る、新蕎麦を味わってきた。
昨日の強風の一日とは違い、好天の爽やかな秋空の広がる中で、親子での出掛けた入谷ひころの里は、父の松笠屋敷の古き想い出が父の脳裏に蘇り、親子の良き会話ができた。
次のイベントは一月の「のうはだて」です。「御家族おそろいで御出で下さい」は代表の伝言です。

多くの出逢いの場となった。戸倉地区の同級生も父と二人で来て、私は初対面の挨拶ができ、そして「互いに父親を紹介しあった」。次に歌津地区の震災前まで御世話になった御夫婦とも5年ぶりの再会が出来た。「和尚さんに御世話になりました」と、感謝の言葉を頂いた。帰りにはばっかり茶屋の代表の山内さんと、そのお父さんの話で父が笑顔で、楽しい昔話しに浸っていた。
松笠屋敷の玄関では、被災後に南三陸町で「パン工房」を立ち上げた方が、パンを販売していた。父との記念写真には、最近にない笑顔で写真に収まる父が居た。
到着しての会場までの坂や、幾つもの階段に、「ふーふー」言いながらの足取りも、新蕎麦を食べたせいか、帰りは軽やかな足取りで帰路に父はつく。父の仕事役割の買い物は、途中の薬王道でトイレ掃除の洗剤を買い、その途中で「プラごみ」を指定場所に一緒に寄った。こんな一日は私が理想とする父との時間です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:39 】

2017
11/11

おい! おい!


同級生の歯科医院が10月に開業し、その隣にも12月に同級生の店舗が開店に向け、建設が進んでいた。その前から八幡川に向かうと、400名の高齢者が津波の難を逃れ助かった「高野会館」がある。
昨日は「サケ捕獲」の柵を探しに行った。八幡川の中央を走る「国道45号線」が、海抜10m以上の橋が建設されている。写真の手前の河口から一本目の橋は、今も津波の傷跡がそのままながら、橋の役割を今も果たしていた。良く写真を見ると橋の下に以前の橋の形が今もある。川の水位からは幾らも無く、地盤沈下の様子が垣間見られる。ここにはサケ捕獲柵はなかった。今年の三陸沿岸のサケ漁も今の所「不漁」と言うが、少しでもその姿を見たいとここに来た。河口の護岸整備も進み、鮭の回遊は人目には「もう帰れるョ」と言った感じだが、自然はもっとシビアに結果に現われる。

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三陸沿岸でマダコが豊漁との報道が地元紙に今日掲載されていた。出だしの水ダコも好調で、地元のブランド「志津川のマダコ」も昨年の10倍の水揚げと言う。今年はタコが安くなるかも知れない。
アワビを主食とするタコの異常発生は、温暖化による北上との事や、アワビの減少など、多くの自然の異常に心配の声も上がっている。

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「お父さん」と現場の若者に言われた。私は人目には既にそんな風に見えているようだ。私はまだまだと思っているが、現実はおじいちゃんとなっていた。
昨日に何気なく低地部の市街地の営業所に寄った。慰霊塔に行くと、塔の真後ろに電柱が立っていた。「慰霊塔から荒島を望む」が営業所の慰霊塔建設のコンセプトとしてあるのに、「おい!・おい!」だった。現場の関係者に声を掛け「何とかならないの?」と聴くと、現場の上司の石巻に連絡を入れると、電柱の立て直しへと状況が進んだ。隣の敷地だと問題が多く、自分の土地を使い少しの手狭になるが、慰霊塔から海を望む事への要望を叶える事ができた。
これまでなら何も言わず我慢する事が常ながら、自分の主張を言い達成できるように行動する、そんな「お父さん」になっていた。この年になり、もう我慢して生きる事は捨てた。やりたいように、言いたいことは言う、そんな自分の人生を貫く事をしたい。常識や人のアドバイスの元にである。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:08 】

2017
11/10

早く言わないと行動しないと忘れてしまう


昨日は風の強い南三陸町でした。志津川地区の「災害公営住宅」への、マイタウン誌のポスティングは500枚にもなりなす。「マイタウン見てるよ!」と後輩が声を掛けてきてくれる。災害公営住宅が最初完成して3年目を迎え、今年の初旬までにすべての住宅が完成した。今度は5年間の震災特別控除による、現在の家賃が6年目には倍まで高騰するし、法定収入超過の方は、被災後の生活の場確保から、またの試練が待っている。何とかならないものだろうか。
私の現在の所得による「住宅家賃」を計算してみた。一人当たり38万円の控除があり、二人だと76万が控除され、残った所得を12か月で割ると、「政令月収」が計算できる。この額から気仙沼市の公営南郷住宅の、部屋の大きさに合わせた家賃を割り出すと、控除期間は一番小さい55㎡タイプで「2万4千円」となり、入居6年目から倍だと言うと「5万円」となる。被災地に於いて、こうした家賃が成り立ち適用される事は、第二の町民の人口流出に繋がりかねない。
気仙沼市の今川悟市議のホームページの積算法から学んだ。私は土地もあり預貯金の蓄えがまだあるが、年金生活者の事を考えれば、軽減策は講じて行くだろうが大変だ。年金にたいして100万円以下は政令月収には関係ないと言う。

志津川市街地の10mの嵩上げ地は、遮る物は何も無く、我が社の換地地はど真ん中にあり、「のぼり」を支える重石まで昨日も倒れていた。昨日はやつと近くの土地に電柱を立て始まっていた。

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夕方、飯野川の「百均」に行く。午後6時ながら、店内は若者や子供連れの家族が多くいた。私は10枚入りのクリアファイル10袋、100枚を1080円で購入した。来週末の同級会の「還暦アルバム」を作成し、集まった同級生にプレゼントしたいと思っている。我が町にも「百均」があったらと常々思っている。

来週は怒涛の一週間となりそうだ。
昨日の新聞に「高校の倍率」が掲載されていた。母校は普通科「0.51」でビジネス科「0.28」だった。中高連携型を採用する志津川高校は、普通科で64人を予定しているが志願者は48人、ビジネス科は29人に対し4人とあった。定員が普通科「80人」ビジネス科「40人」で、連携選抜者を引くと、受験は決して生易しいものではない気がする。高校生の人生の階段への一歩、自分で精一杯の努力で希望の高校に合格して欲しい。将来自分が何をするかだと思う。そう言う自分も「まず高校へ」の考えで、今に至っている。どうするかは自分次第です。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:17 】

2017
11/09

日々同じルーティーンで


今日も朝4時に目覚め、6時に起床しコーヒーカップに微糖の缶コーヒーを少し入れ、それに牛乳を入れレンジで温め、パソコンの前の椅子に座り、各種SNSの確認から始まる。メール・婚活・贈り物・フェイス・HPカウンター・皆共に・ツイッター・愛と死ブログと確認をする。この習慣は毎日何かが無い以外は、日々必ず行っている。

「南三陸町を取り巻く風景から」
・気仙沼市の唐桑・小泉で初冬の風物詩の「アワビ開口」となった。例年と変わらない水揚げのようだが、キロ当たり8千円は、南三陸町産業フェアでの歌津産のアワビの売値だった。
・気仙沼市の職員不足は県内最高で、土木職を中心に合計で45人が足りない。
・気仙沼魚市場の沿岸サケ漁が苦戦している。刺し網は不漁の昨年並みと言うが、行きつけの魚屋さんには大きな秋サケが並んでいた。
・南三陸町「町民憲章アートコンクール」が本庁舎のロビーに展示されている。
・気仙沼市のリアス・アート絵画コンクールで、南三陸町の小学2年生の千葉萌々夏さんが「大賞」を受賞した。お得意さんの孫さんであり、お得意さんの娘さんの受賞に、おめでとうを伝えた。
・南三陸町の小中学校7校の「学校音楽コンクール」が開催され、日ごろの練習の成果を元気に発表した。

珍しく昨日の「三陸新報」には、南三陸町に関係する記事が多く掲載されていた。

今日もいつもと同じ生活パターンで、6時半の晩御飯と、8時の入浴、8時半にはベットに、9時前には夢の中。こんな生活の繰り返しです。健康の秘訣は3食の食事と程よいお酒と、野菜多めの食卓が基本です。全て自分の選択・行動で今を生きています。食卓には写真のようにいつも花が咲いている。震災前には無い父とのこんな生活を互いに満喫し、今後も生活を続けていければ良いと思っている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:22 】

2017
11/08

高齢者にとって必要な場所


昨日は特別職公務員としての初登庁の日となった。新議会議員による「初顔合わせ」と「新人講習会」があり、一日中かかった。
新庁舎の北側から沼田地区の東浜団地を望み、その向かい側に「新郵便局」の建設が進んでいる。新年度からの開業と伝えているが、東浜の団地の端にあたる場所は、住民にとって使いやすい場所かというと、志津川地区を考えても、広く住宅が広がった生活場所からの、高齢者の行動範囲からは、「遠い!」と感じるだろう。戸倉・歌津郵便局も津波で郵便局が被災し、新しい郵便局の以前の各地区の場所と比べても、「使い勝手の悪い設置場所」と言える。国道沿い、志津川・歌津の中心市街地が適切と思うがどうだろう。
南三陸本庁舎の隣りへの設置は、空き地利用での行政の目論みを感じる。本庁舎に多く足を運んでもらいたいのだろうが、本庁舎への用事は町民には少ない。町の中心地から離れた「本庁舎」「病院」「郵便局」は、町づくりの配置計画の失敗ではないだろうか。この日も庁舎の玄関のフロアーでは、イベントが開催されていた。人は疎らだった気がする。

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5日の南三陸町産業フェアは、特設会場には28店舗が出店し、県外の姉妹都市の庄内町や全国の被災地支援の店舗が並び、その数は全部で26店舗と、震災後から6年半を迎え、その店舗数が減ったように感じる。アリーナでは18店舗が、商品紹介や試食コーナーで、来場者をもてなした。
町外からの親子連れも多く、水産業の町としての魅力を欠かすことのないよう、商工会・観光協会・南三陸町の取り組みを願う。出店に関しては我が社にも依頼の案内はくるものの、産業店舗を出す業種ではない事を理解して欲しい。
9時~14時の開催時間で、食への来客の要望も多い。子供達の遊び場としてのアリーナの玄関では、「むすびまる」が元気に子供達に愛想をふりまいていた。多くの子供達の笑顔が、来場者数の賑わいのバロメーターと私は思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:30 】

2017
11/07

目の前の問題(壁)を一つずつ


60歳を過ぎたら忘れ物が酷くなった。これには「持病の糖尿病」は関係ないようだが、40・50代の皆さん生活習慣病を「大丈夫!」と言わず、今直ぐ受診をして下さい。
昨日の「カメラ紛失」は、行動を再確認し、講演会場に忘れた? と確信、知人に電話を入れると「預かってました。」と言われ一安心。何故かと言うと写真データに、5日の地区防災訓練の風景が入っているからです。報告書資料に写真添付の庶務の役目があった。今は何の問題も無く日々を生かされています。
我が社の「マイタウン誌」も昨日第69号の編集印刷を終え、新聞店と志津川町内の「震災復興住宅」に配布を予定している。今月は先月の選挙結果の掲載、9月の議会の議員の一般質問内容、志津川本浜町の三人の画家たち、5日の産業フェアで一面を埋めた。裏面は「7月の出来事」、我が社の喪中・年賀チラシ告知とした。配布は12日の第二日曜とし、志津川の低地部の「本浜営業所」の設置ポストにも今月から入れて置く、興味のある人は自由に持って行って欲しく、震災慰霊塔にも手を合わせて頂きたい。

生協のチラシが「岩泉ヨーグルト」の販売開始を告げる。2個も注文し来週には賞味できる。台風被害から一年越しに、こりヨウグルトを食べられる。全国からの支援と地域の復旧活動を通津なから、工場の再建を進めていた。
18・19日と同級会を予定している。都合により来られない仲間が多いが、ゴルフ仲間とのへたなプレーを楽しみ、夜は秋保のホテルで楽しい一夜を過ごす。楽しい席での「大酒」は、嬉しさの爆発だが、何時もこれで失敗する。これだけは肝に命じて置く。

自殺者が年間「2万2千人」と言い、その内の10代20代が、ガンなどの病気による死よりも多い。人口減少の問題に取り組みながら、この事を真剣に議論し対策を講じないと日本は疲弊して行く。若者たちの力にこの国は係っている。何でも優しい若者への支援だけでなく、強い精神力・郷土愛の精神の強化を私は言いたい。「なにクソ、負けるもんか!」と、生きて行く事に情熱を傾け、家族・友だちの為に、そして自分の為に頑張る事が必要だ。一人一人がそんな気持ちを忘れる事無く、皆さんで頑張って欲しい。私たちも応援します。最近の若者の事件はそのしわ寄せが、最悪の状態で現れていると私は感じる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:23 】

2017
11/06

カメラがない?


5日の「南三陸町防災訓練」が7時から町内各地区で開催された。沼田地区では9時の避難での「「避難者確認」から始まった。120世帯で「74人」が参加した。
9時半には地区の訓練が終わり、防火婦人部・班長さんは11時からの「芋煮会」のセンター行事の準備を始めた。男子は集会場の物置の移動と整理をする。10時には震災死の皆さんへのサイレンに「黙祷」を、作業を中断し地区民が行った。女性も40名が集会場の掃除や不要の物を片付けた。11時からの「芋煮会は、大広間に入れ切れない地区民が一同に集まり、新米のおにぎりと芋煮を味わった。その後で恒例の「ビンゴ大会」となり、壇上に地区民の寄贈品や地区の商品が沢山並び、大賑わいの中で地区の交流会が盛大に開催された。

途中退席し石巻へ、「地方創生は海洋創生」の講演会に出席した。海花復興の会の参加は、特別な物で震災後の南三陸町の被災状況や、海の怖さと大切さ・豊かさを自分なりに、集まった皆さんに伝え「南三陸町」をアピールしてきた。会場には前参議院議員の「熊谷大代議士」が出席され、選挙時にわざわざ私の事務所に来てくれた御礼をした。誰も居ない留守の事務所に、丁寧に名刺に一筆を添えた事への感謝を伝えた。

夜には「勉強会」を仲間と行い、白熱した情報交換は2時間を越えた。

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昨日は東松島市の「震災復興祈念式典」が開催され、津波到達の位置までの慰霊碑と、1100名の震災死の皆さんの名前が刻まれた石碑も建立された。家族は「ここに来れば亡くなった家族に会える。」と言い、慰霊碑の意味を痛感した。

朝から夜中の9時近くまで多忙な一日だった。「カメラは?」と朝から気がかりの問題が発生した。地区の避難訓練の様子を撮影した写真もあり、全て探したが見つからない。石巻の会場かな? 結果が出ないと頭の整理もつかない。買い物したハンカチ紛失も何とか解決したのに、あんなに大切にカバンに入れたと思ったのに。あーー

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2017
11/05

人生こんなもの


南三陸町の「産業フェウ」の賑わいに入りて、「こんなものでしょう。」多くの産業団体が参加し一年の活動の締めくくりの会とした。そんな感じがする。以前の賑わいは少しずつ減少している気がする。被災地全国支援の風化?
海産・農産に食へ群がる人間の本性を見た気がする。そこには子供達の賑わいの笑顔があった。入口の姉妹都市の「山形県庄内町」の焼肉に来店者は行列となり、海と山の食材を一堂に、フェアを盛り上げた。
11時のイベントに「小牛田農林高校」の吹奏楽と肥育牛の紹介は、会場が興奮の渦に一体となった。高校生の生き生きとした活動は、美里町の未来に繋がると実感した。
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町長・福町長と実行委員長は、おそろいのハッピで来客への対応を欠かせない。町長の知名度は「さすが!」で、一緒にカメラのレンズに記念として撮られていた。
12時からの「模擬上棟式」には、餅まきがあるので会場に集まった来客が一か所に、餅まきで賑わったものの、餅・お菓子の数は、その人数には足りなかった。建前の「隅もち」は仮上棟となった建物の、四隅にまかれる。人が集まらない一角で、小さな女の子が4つの一個を胸に抱えた姿に、レンズを向けると、恥ずかしそうに母の後に隠れた。そんな謙虚な人間が私は好きだ。

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今月の中旬となった「仙台同級会」の最終準備会を商店街で開いた。さんさん商店街は午後6時ともなると、閑散とし季節が冬に向かう中で、来町者の減少を懸念する。一年ぶりで旧商店街の行列店での食事だった。友達の店は近くの換地地に現在、店を建築中で年内には完成する。商店の賑わいは分散し、市街地の回遊が今後の町の活性化に繋がる。市街地だけでも観光巡回バスを、来客の多い週末に街中に走らせる事を提案し、シャアカーの導入も面白い。

今日は「南三陸町防災訓練」が7時半から10時まで開催される。私は沼田地区の防災訓練に参加する。その後は地区の芋煮会を「防火婦人部」が担当し、集会所に地区民が集まる、昨日は気仙沼市で7千人が訓練に参加したと言う。

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2017
11/04

誰かが暴走を止めないと何も変わらない 愛は偉大なり

20代の猟奇的な事件が連続している。人の優しさを巧みに装い自分の満足を満たしていた。自分の本性をむき出しに人道としてあり得ない他者への暴力。自分の思い通りに行かないと、その刃を憎しみの相手への変貌。人生は思い通りに行かないのが「世の常」、誰かが正しい道を説いてやることが必要のようです。しかし、その優しさにまた「刃」を向ける、人間の正直で素直な気持ちが希薄となっている。義務教育と家庭の崩壊が生んだ、負の部分の最悪の状態で、次々と世間にあからさまとなり始めている。


アメリカの野球の「ワールトシリーズ」で、アスレチックスが優勝した。ダルビッシュが先発し4失点で敗れた。広島の前田が昨日は中継ぎで熱投し3勝3敗に持ち込んだ後の、最終決戦だった。
アストロズの遊撃手が優勝決定後に、観戦に来ていた彼女へプロポーズのサプライズ。「僕は世界で一番幸せな男!」と、テロップで流れた。準備していた結婚指輪と熱いキスが、全世界に流された。
さすがに大好きな野球の頂点となり、大好きな彼女と結婚する。人生でこんなにも幸せが一瞬にして訪れる事は無いだろう。好きな事に人一倍努力し、多くの男性に負けないくらい一人の女性を愛してきた。これまでの一歩一歩の積み重ねの努力が報われた。
一人の女性、一人の男性と結婚する事は、多くの努力と誠意と忍耐による。何もしないままでは幸せは掴めません。
共に頑張りましょう。

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昨日も葬儀に参列した。
「叱ってくれるおやじが死んだ!」、他人から怒られる事が少なくなった57歳は、自分のすることに間違いが無いと言動や行動をとる。そんな時におやじさんとあった。享年82歳だった。
志津川に帰りたいと登米市の仮設から、ポロリとこぼしていた。気丈な奥様は私にとって厳しいご主人をたしなめ、美味しい漬物を「そっと」だしてくれた。そんな優しい人たちに恵まれ私は幸せだった。
葬儀で喪主と弔辞の言葉から、仮設を留守にしていた訳を知った。今年の春には志津川地区に住宅再建をし、6月に体調を崩し入院していたと言う。息子さんにお母さんはと聴くと「グループホームに入っています」と教えてくれた。
夫婦が互いに助け合い、震災から仮設での厳しい生活でも、ふたりだから6年の年月を過ごせた。御主人がベットに着くと、奥様の気丈な気持ちも頼れる人が居なくなり、その元気さが薄れて行ったのだろうと思う。
二人の趣味の「グランドゴルフ」での活動は、多くの仲間と共に生きる張り合いになっていた。夫婦ペアの大会では優勝もした、オシドリ夫婦だったと仲間はいう。似合いの二人だからここまで来られた。もっと話がしたかった。

葬儀で頂いた花は、志津川市街地の「慰霊塔」備えて来た。亡くなられた人への哀悼の誠を塔に捧げた。昨日から連日で慰霊碑の前は色とりどりの花で飾られている。一週間で3回の参列は先人と恩人と知人の死に、私は南三陸町志津川で何をしなくてはいけないのか、心新たにして考えさせられた。子や孫たちの為に。

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2017
11/03

町民の声 色々

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昨日は戸倉荒町の葬儀に参列し、知人の方が「荒町で最近7人の方が亡くなりました」と話していた。献花の花を貰い、営業所の慰霊塔に供えた。一か月で4回の葬儀に参列し、知人の町民の方々の連続の死に直面している。

震災でマイナスからのスタートで、南三陸町の住民が住宅再建・公営住宅入居となり、少しの落ち着きで震災直後の問題を吐露し始めている。
ボランティア・派遣職員も色々な人間がおり、被災地で何をしに来ているのかも違った。本当に被災者を支援・助ける人たちが大部分ながら、自分の居場所が無い・恋愛を求め等、いろんな人達がいた。
私が受け入れた皆さんは共に行動し、その姿を自分が確認しているので、多くの支援に町への復旧・復興の一躍を担ってくれた。そんな中で、一部の団体やNPO法人など、自治体からの復興交付金目当ての人間も少なくは無かった。多くの支援団体を個人が、自治体が精査し受入れをしないと、多くの問題が発生し震災復興とその問題点が露わとなった。漁業の復興を手伝ったと言うが、私の知る水産業の再建には誰も何もしてくれなかったと言い、仮設での問題や嘘の情報を流され困ったと言う。そして何もしない高圧的な行政の、被災者への対応があり、今も土地問題で行政の民意を聞き入れない復興の姿があると言う。

今日も葬儀への参列を予定している。先人達への感謝の焼香をする。

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2017
11/02

10月の一人多忙を終えて


一部の親戚にしか話さなかった、私の今回の南三陸町議員選挙は、無競争と私の思い通りの方向とは違った。現職町長への町政の検証の問いに、町民の意見を聞くと言う事が、投票なしに結果を知る前に終わった。10月の会社は年末前と選挙で、多忙を極め父親や従業員には無言の迷惑を掛けてしまった。
昨日は登米市に「回転寿司」に行き、格安の息継ぎとなった。勿論、父への土産も買った。そういえば先月父が「10月27日は俺の誕生日だよな!」と言われた。その誕生日祝いに丁度良い「大好きな鮨」となってくれるだろう。

4日の土曜日は「南三陸町産業フェア」がベイサイドアリーナで開催される。オープニング餅まきから始まり、リンゴ皮むき大会・小牛田農林吹奏楽もある中で、12時からの林業部の「上棟式」で二度目の餅まきもする。南三陸町の農業・漁業・林業の町の総ての産業が、一同に会して沢山のイベントを準備し、来町者に一年の収穫への感謝を伝える。普段は人ごみの苦手な私も、キャップを深くかぶり、カメラ持参で皆さんの笑顔を沢山撮ってきたい。

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昨夜、戸倉地区の同級生の御姉さまが電話をくれた。「ばがにしてっこだ!」と一喝。今日、我が家にも来た町の広報誌に議員の新メンバーの顔ぶれで、私の議員への出馬と当選を知り、ポスター掲示板への空白への意見だった。
私は志津川地区を中心の選挙を今回しようとしていた。戸倉地区・入谷地区には現職が地元で、自分の生まれ住んだ志津川地区には、今回、地元出身者は後藤議員だけで、地元の志津川地区の震災対策・再建への疑問を、住民に訴えようと考えていた。告示の午後5時に、「無競争!」となりポスター掲示をやめた。
選挙期間中に選挙カーで一人廻りながら、ポスターを貼ろうと計画していた。
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金・土に仙台・石巻の震災後に出逢った2人のボランティアさんに、ウグイスをしてもらう予定だった。今回の決断と行動は、私の支持者への軽率な考えだったと謝罪したい。その分、地区を越え多くの人達の声を、町に届けて行こうと思っている。

震災後の第二の会社のスタートとなった「戸倉地区荒町」、私の知人の叔母であり、同級生の弟の義理の母の逝去にあたり、今日の葬儀に参列する。私の人生で広くお世話になった皆さんの恩返しの行動は、今後も続く。明日も葬儀に参列予定だ。

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2017
11/01

被災地「南三陸町」はどうなって行くのだろうかなー


咋朝から朝食は「ワンフレート」にした。手作りの「レーズン入り芋サラダ」と「キャベツとキューリの漬物」に、炊き立てご飯に「のりたまふりかけ」、一杯のお茶で大満足の朝食となり、これからはこんな朝食を続けていきたい。

人の導き、偶然の遭遇とは凄い物と再確認した。
南方の「南三陸町仮設」に同級生のお母さんが入居し、一人で「難病指定」の元で暮らしていた。私も地元の物を持って行くと、それ以上の心温かい物を頂いて来た。そのお母さんも東京へ行ってしまった。
その隣に「浅井のお父さん」が暮らしていた。南方に行くと必ず寄っていて、「南三陸町の情報が欲しい。」と、我が社の情報誌と私が高台移転の情報を伝えていた。「早く帰りたい」と志津川地区の西団地東工区の場所で、また暮らしたいと常々言っていた。一昨年前に行った時は留守で、それ以降も部屋を覗いていたが、誰も居ない事が続いていた。昨日は葬儀屋に用事でいくと、次の葬儀の名前があったのが「浅井……」だった。中で集まっていた人に聞くと、山清菓房で働いていた浅井さんです。体調を崩し入退院を繰り返していたのですが。とその訃報を聞く事となった。何もできなくてすみません。何かを持って行った時、「息子の獲ったスジコ食べるなら持って行け!」と、豪快な浅井さんに触れ、奥様も「美味しい漬物やっから!」と、心優しく接してくれた。私は志津川で暮らし、浅井さんの南方の狭い仮設での暮らしと、大きな生活の差の中でも、元気で頑張っていたのに悲しい。「志津川に帰り住宅は建てたのだろうか/」と心配する。葬儀日程はまだ判らないが、必ずお別れの席に出席したい。

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今リビングには今年で三回目となる「シャコバサボテン」がピンクの花を咲かせている。静かに永眠して下さい、奥様の今後に幸多かれと祈ります。

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