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ARCHIVE - 2017年10月

2017
10/22

町は何も変わらないのか

10.22ブログ
享年94歳の友達の母が亡くなった。震災時は町社協の高野会館での「町の芸能祭」を見に行って被災した。一晩を会館で過ごし命を繋いだと言う、それ以後体調を崩し6年10か月を過ごした。友だちは施設への見舞いを欠かさず、母が大好きで常々欠かさず見舞いに行っていた。昨日の葬儀での落胆の姿は見て解った。「優しいばあちゃん」と孫たちは、言葉を贈った。祖父母の存在は子供達の性格の根底にはあり、祖母から母へ、母から孫へと「……家」の伝統を引き継いでいく。
今は別な場所で暮しているが、志津川町時代は「本浜町」の4軒となりに住んでいた。その故郷「志津川町本浜町」は消えうせ、10m地底に眠る。「大震災慰霊塔」を私は本浜14番地に建立した。葬儀の帰りに供花の花束を貰い、慰霊塔に供えた。もうすぐ父も土に帰ります。私のふるさとは志津川市街地の入慰霊塔は、その目印として今後も存在し続け、生きている限りは見守り、この地で暮して行きたい。
私の父と同級生で「天命を全う」と言える。多くの参列者は皆が年を取り、世代の交代が起こっているのに、町の活気が薄れ、世代交代の中で町は疲弊を続けているように感じる。

町外の人間の首長を私は求めてはいない。長く町に根差し生きて来た、「地の利」と「悪しき慣習」など、良きも悪きも知っている町民が、町長に就く事が望ましい。
町政の私物化を実践しての15年間の町政、またの継続はあってはならない。これまでの悪しき政治の実態を、議会で私は問い戦う。仲間も周囲も「余り敵対視しないで」「ながい物には巻かれろ」「上手にやれ」など、行ってはくれるが、私は「不器用で」「バカ正直」な人間で、今更この生き方や考えを曲げる事はできなく、政治から離れれば、もう町政を語らないと肝に命じ、今回の選挙に臨んだ。

昨夜は4年間の議員としての不安が一気に現れ、眠れず夜を過ごした。身体的な不安、高齢の父を抱えての家庭生活、会社や住宅ローンなど、多くの不安が頭の中を駆け巡った。

佐藤仁町長の能力は私が一番知っている気がする。経営手腕・社交能力・発想力・容姿など、私は全てで足元にも寄らない。しかし、志津川が大好きで、静かに暮らせばそれでイイが、佐藤町長は違い、その「野望」「我欲」はまだまだ健在である。大震災で多くの利権・金との繋がりがあり、益々その欲望が増した。彼も大震災でおかしくなった人間だろう。その才能を町の為に、町民の為、震災復興に早期達成に尽力して欲しい。だが、「我欲」は生まれ持った物、決っして身を改めるには、この町の現実を、将来の姿を思い思考の変換が必要だ。65歳になった人間には難しい決断となるだろう。
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