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ARCHIVE - 2017年10月

2017
10/20

6.南三陸町の住民の減少の歯止め策を怠った


●佐藤仁町政の合併・復興の町づくりの検証
6.南三陸町の住民の減少の歯止め策を怠った
(若者の多くが町を離れ子供達が減少し高齢化の加速を生んだ)
人口の流失のくい止める為には、震災直後からの行政の対策が必要だったと思う。一次避難から二次避難、そして仮設の建設・入居があった。この仮設の整備で町外の登米市の津山・南方への住民の仮設建設での移動が、住民減少の最大の理由で、流失の増加に繋がっても居る。初動の政策の失敗を語らずにはいられない。
私は仮設建設での活動に、被害の少なかった入谷地区を選択した。そして、入谷地区の議員さんに相談すると、「行政(佐藤町長)と」と消極的な返事が返ってきた。志津川地区の7割が津波で消滅した中で、一日も早く普通の生活をしてもらう考えを示した。「被災者支援金100万円」と「り災加算金の200万円」の300万円で、長屋式の共同生活を提案し、私の近しい人たちの30世帯を超える賛同を得たが、その基本として入谷地区の議員の協力なしには、この構想は実現はなく、中の町の広い水田利用の、被災者の住宅再建ができなかった。300万円で40世帯が寄り添えば、1億2千万の資金で、一年足らずで長屋が完成した。震災から6年が経ち、やっと住宅の本設や公営住宅の入居となった。この時間の5年が住民の町外への移転を加速させた。
また、戸倉地区の住民の町外への流出は、震災前の「2433人」から「1490人」と、減少数は943人にもなる。減少率は38.8%と、南三陸町全体の「24.9%」を14ポイントを越え、地区別の減少率の志津川「35%」よりも多い。なぜ、こんな現象を生んだのかと言うと、行政の力の入れ方と、浜の人たちは仕事がし易い、住んでいた場所を希望した事によると考える。戸倉団地の土地確保にも、瓦礫の埋設物の発見があり土地の調査で、造成が遅れた事もその一つに上げられる。
私は戸倉地区でも津波の到達が無かった「荒町」を選択した。友人の土地とプレハブ協会加入の名古屋の会社と共同で、設計・県への書類をまとめ、地主と私の二人で「仮設建設の許可」を、宮城県土木部住宅課の班長さんとの話ができた。「町の許可が得られれば建設は可能です。」と言われ、その足で仮設の町長室を訪問した。町長は建設課長を呼び行政との議論で、町長が言ったことは「10億の事業だぞ。」と口にした。当時仮設一個当たりの建設費は「500万円」で、200世帯で10億円が掛る。それよりも一日も早く仮設の建設だろうと私は思った。町長の反対で戸倉地区の荒町への200個の仮設建設は水の泡と消えた。
戸倉地区の多くが登米市への仮設生活となった。総てが揃っている「登米市南方の生活は、「終の棲家はここが良い」と被災住民の心が動いた。時間との戦いなのに人の手柄を私の発想を聞き入れない、自分本意の被災者支援の意地を通し、震災前の「17815人」から、多くの人口「4435人」が減少した。子供を持った「三世帯家族」が多く、5人暮らし家庭だと「900世帯前後」の住民が町外に出た。
4435人の人口流失はそれだけでは済まない。子供達の減少は将来の町づくりにも影響する。若い世代が少なく高齢化の増加は、労働人口・30歳女性の減少は「過疎化」の要因でもある。若い世代の町づくりの崩壊でもある。
人口減は国から一人当たりの交付金の減少となり、住民サービスの低下を生みだす。気仙沼市は1万人が人口減となり、50億円の交付金が減った。震災特例で25億の交付金」が交付された。南三陸町を見れば、4400人の減で22億円となり、一人当たりの国の交付金が減る事となる。これも被災地特例が活用されるが、特例はいつまでも続く訳は無く、将来に減少が続くのは見えてくる。

佐藤町長の公約に、交流人口の拡大と、移住定住人口の拡大・子育て支援の拡大などで、町の人口増加が出来るかは難しい。私はこれまで南三陸町で暮していた人が、町外に移転している中で、その子や孫たちが返って来られる環境の整備を上げたい。I・L・Uターンの南三陸町の、志津川・歌津地区で昔暮らしていた人達が、家族で帰えれるように、町長・議員・行政職員が取り組み、町民も親戚・縁者に働きかける、こんな町一体で人口拡大に特組む事が大切と思う。将来9千人・6千人とも言われる人口減に、みんなで取り組む、こんな意識の拡大が必要だ。
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