ARCHIVE - 2017年08月

2017
08/04

今、大きく町の状況が変わっている


人の流れと商店事情が大きくかわった。ウジエスーパーさんのショッピングタウンの旧天王前に完成し、買い物の町民の形が変わったからだ。
スーパーが無かった時は、街中の残った商店が頑張り経営を続け、町民の大きな手助けとなり、多くの人達が車で来店し、車の無い人は1K以上の店まで歩いてくる人もあった。今後はスーパーへの巡回バスも走り、これまでスーパーの出店が無かった分、一気に町民の購買活動が拡大した。
ここ3日間、さんさん商店街の千葉のり店に「龍の子海苔」を贈答にと買いに行った。「閉店」「お昼から」「11~15時」と、商品の製造が間に合わないのか、こんな状況で、今も買えないでいる。やむなく今年は別な物を送る事にした。以前から来客でごった返す店も、その客の数が大きく減少した気がする。これからもどんな風に町が変わるのかが私は怖い。安定した町になるのは何時になるだろう。

今日は長野からのジャガイモを、災害公営住宅に持って行き、欲しい方に配る。どんな状況になるのか不安もある。知人が「まだ物資あるんだ。」と言い、いま多く出回る「ジャガイモなんて」と言われるかも知れない。アリーナ向かいの災害公営住宅の人の話では「喜びますよ。」と、力になる言葉も頂いた。

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登米市に南三陸町から移住した人たちの声を聴く。行政の対応が手厚く、税金や相談にも親切に応じてくれると言う。南三陸町よりも税金は安く、働く環境も各社あり、住みやすいと口々に話す。登米市での生活が長く、働く場もあるが仮設での生活も終わりに近づき、やむなく南三陸町に帰って来た人達も多い。反して、もはや何も無い故郷に帰っても生活ができないがある。しかし、そんな中でも多くの問題を抱えていた。以前のような地区民の繋がりが濃ければ、多くの問題があったとしても解決できる。
私の同級生も親の老いと、年齢に応じた体調異変と戦っていた。生活するのにも私と同じ普通に仕事ができていれば、何の不安も無いが、若い時と同じに何も怖くなく、一心不乱に前を向き働いていた頃が懐かしい。

印刷会社を小さいがしている者として、今年の志津川湾夏まつりのデザインは少し物足りない。祭りのはじける光景が感じられなく、暗さばかりを感じるのは私だけだろうか。行政も自分本意の職員の考えが色濃い。同業から意見や、自治体のポスターを参考に、より良いものをとの取り組みに掛けている。人から言われる事が「嫌い」な行政体質を感じる。その町歯「町民と一緒に!」と常々言っている。

まあいい! 今後も「お仲間」でやるのだろうから。お仲間の震災後の悪い噂が、町民が帰郷し聞こえてくるのは私にだけか? 誰もものを言う者がないと、町の経済は濁る事を、自治体トップは知らないままでいる。
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