ARCHIVE - 2017年08月

2017
08/31

私は佐藤町政反対勢力です


10月22日の選挙状況が地元紙に記事として載っていた。
若い世代の出馬を期待しているものの、定員割れの可能性と言う。
平均64歳の現職の年齢、生まれ変わる「南三陸町」はこれからの人が議会で意見を述べ、自分たちの住む町を創造して欲しい。高齢者率も36%にも及ぶ、賑わいの町は住民参加の町形成で。将来の可能性の減退と、決まっている首長と議員の政治からの脱却を期待する。今後も前の政治のままで進む事となりそうだ。

9月28日の立候補説明会、10月6日に予備審査、10月17日告示で10月22日の投票です。無投票何てあり得ないです。
若者よ「大志をいだけ!」だ。年収が400万円の専業議員になりましょう。あなたならやれます。現与党維持の町長が担ぎ出す議員はもういらない。町民皆さんの政治・議会改革こそ、日本に南三陸町に必要です。

防災庁舎慰霊祭
歌津と志津川の議会で決定した「両町中央に本庁舎建設」の議会決定を、行使していれば町職員「43人」と町民の800人もの住民の犠牲者の多くが、命を落とす事はなかった。それを町民の「庁舎建設審議委員会」設置で、建設の有無を町民に任せ、自分の仕事を拒否した町長の決断力のなさが、今の町を造り、住民の再建も済まないうちに早々と本庁舎を建設した。歌津総合支所を再建し、ムダ・無駄の政治を続けている。過去の失政を思い出せ、人口減少の問題へも何もしない建設的な政策が無いままに、町の負の部分が拡大している。

防災庁舎県有化へ! もう一度議論を!
津波の遺構の存続が、年末年始にメディアで「南三陸町防災対策庁舎」の解体か保存かが、県の立ち上げた津波遺構審議委員会で、議論されていると報道された。南三陸町長は、「復興への障害」「保存維持経費」「遺族・町民の心情」などの観点から、解体をすると報道などで発言している。しかし、現在解体は県の管轄となり、県費での庁舎解体の元にある。遺構としての保存の国からの交付金により、後世に残すべきとの世論の声もあるが、町長が「解体」と決定している事もあり、早期復興へと市街地整備を進めてほしい。
 昨年11月初旬には「東日本大震災犠牲者 南三陸町防災庁舎慰霊祭」が南三陸町役場跡地でおこなわれ、多くの町民も、遂に防災庁舎が解体されると確信した慰霊祭の開催だった。
 大震災で亡くなられた町民・職員や、偶然来町され被災された家族そして関係者など、350人を超える方々が、防災庁舎慰霊の祭壇に真白な菊を献花した。町職員も大部分が参列し起立したままで慰霊祭に臨んだ。
 町長は「観測史上最大の震災が起った。この日を境に生活が一変した。」「住民の避難誘導に43名の尊い職員、町民の方々が亡くなられた。」「身をとした活動で町民の命を守った。」「今日までの誇りが生きて、未来への誇りとなるよう、皆さんと頑張っていきましょう」と語った。
 杖をつき献花する高齢者の方、家族や母親に手を引かれた子供さんの姿に、多くの方々・報道陣も涙ぐんでいた。多くの南三陸町で亡くなられた遺族の一つの区切りとなった慰霊祭だった。
 平成26年を迎えこの問題は今後も長引きそうだ。

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2017
08/30

国道45号の完成と効果は


一昨日は議員時代の先輩が「どうすんのや?」と家庭を訪れた。昨日は電話で新聞報道機関が「元職の方に出馬の意向を聴いています!」と電話をくれた。多くの不安の中で「出るかもしれないし、出ないかもしれない?」が今の私の現状だ。無競争との声も聞くが、町長・議員選挙も「無競争」はあってはならないと思う。

志津川地区の低地部の見晴らした台にしばらくぶりで上がった。八幡川の橋が架かり始めていた。知人は「今年中!」に完成すると言う。この状況だと無理だろう。水尻川にも橋の工事現場を見て来たが、町内の盛り土の嵩上げは進んでいるようだが、接続部の工事がまだ掛かりそうだ。
水尻川の河口にしばらくぶりで行った。戸倉地区の荒町に仮営業所開設で3年間お世話になった時に、3年間も戸倉へ通ったるその道すがら、河口からの荒島と朝日の融合の自然美に目を奪われ、毎日の通勤の楽しみとなっていた。15分から20分の道路、復興の姿は変わり映えもなく。時間ばかりが空しく過ぎて行った。

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友だちの奥さんが、「今年は最後の娘の文化祭、一緒に行きませんか!」と誘われた。気仙沼高校への3年間の通学は大変だったと聞く。今週末は志津川高校の文化祭です。そこで志高の通学事情を話していた。高校前までBRTの停留所から巡回バスが開通した。しかし、その巡回バスはいっぱいで、乗れない生徒は学校まで歩くと言う。「朝夕の通学時の何も無い被災した市街地を歩かせるのは心配だ。」とも話していた。何処の学校に進学するか悩んでいた。安全な通で学交に通わせたいが希望にある。気仙沼市の「本吉響高校が人気なんですよ!」とも話す。南三陸町の中学校は「中高一貫教育」をしているが、どれだけその効果があるのか疑問だ。町内の多くの中学生は「佐沼高校・気仙沼高校に行ってますよ。」とも言う。何が学校に必要なのか、もう一回議論すべきながら、なれ合いの事実を把握していない会議では、現状維持が精いっぱいで、生徒増加は難しい気がする。大胆な改革が必要ながら、ばらまきの体質は生徒数増加とは繋がらないと私は思う。こうした町民の意見に耳を傾けないと、何の解決にも繋がらない。

高校生の地元企業へのハローワーク気仙沼の、管内高校生の地元就職は110人で、就職率は100%となっている。教育環境の整備と就職環境の企業誘致は行政の役目である。町づくりの問題が多難の中で、合併時の議会の約束を破棄し、まだ震災から60年目での本庁舎建設は、首長の威厳を保つ為であり、時期尚早の政策と私は政治の失政を、今後もSNSで発信していきたい。

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2017
08/29

地下に! そんなものあるわけない。


「火星13号発射?」。6時5分頃「Jアラート」「Mネット」が一斉に鳴り、町の防災無線が気高く鳴った。まったく何考えでんだか! 駄々っ子の悪ふざけとしか思えない。中国・ロシアの政治的思惑の中で、米国と日本が矢面になり、韓国の新大統領は北朝鮮との「融和策」と言いながら、米国との合同軍事訓練を強行している。世界が一つ等ならないようだ。私も私なりに悪に立ち向かおうと思う。

今日の朝のニュースに、中国人講師の北海道旅行は、「自殺」だったと判った。失踪として大々的に伝えたニュースだったが、残っていたカバンからは家族あてに遺書らしき物が出ていた。「死ぬことをお許し下さい。」だった。人騒がせな外国人と悲しい。40過ぎの男性が「元、交際相手」を殺害し、自分も自殺した。ただ20代の女性との恋愛ながら、二人の交際は片方の一方的な思い込み? ではないか。今付き合っている彼の「彼女が居なくなった。」で、この事件が発覚した。異性交際・恋愛だけが人生ではないのに、日本の将来は女性の未婚解消に係っているのに、多種多様な恋愛の姿があり、政府の対策では何も解決はしないようだ。日本国民が共に国の危機感を共有し、自分の生活を考えないといけない。「金儲け社会」「金持ちとの格差」がその根底にありそうだ。

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橋本神戸市議が、嘘を嘘で解決しようとした結果、議員辞職を今日にも提出する。今井参議院議員との新幹線での恋人繋ぎ爆睡を激写され、「一線を越えていない。」と互いの説明の中で、収束に向かうはずと橋本議員は思っていただろう。橋本の説明は、妻との別居状態との嘘で始まり、今井との交際も事実としてあった。週刊誌の第二段の報道は「政務活動調査費」の不正授受へと、政治資金規正法違反の犯罪へと変わった。
政治家の「生活費」と揶揄される「政務活動調査費」の不正に印刷会社が関わっていた。デザイン会社と印刷会社での業務体形は、印刷業界では当然の形態としてある。デザインは技術と技能の部分で、印刷は高額な設備を整備しないと業務が成り立たない。もう一つと言えば「製本会社」の部分もある。印刷業界は機械設備の大変さから、分業へと業態改変が進んでいる。
議員として多くの会社社長との交流があり、議員活動で地元の事業所支援として、印刷などの仕事をしてもらうがある。橋本は頼んでいない物を頼んでいた事とし、A社とB社を使い分け、頼んでいないものを頼んだ事として、領収書を貰っていた。領収書の偽造と言う嘘がここにあり、メディア対策としての「問答」をメールでA社社長に送った、A社の顧問弁護士の指導により、「もう嘘はつけない」と、橋本に弁護士がその旨を伝えた。B社の社長は「架空印刷ではない」と今も言い続けている。デザイン会社の原稿を印刷会社で刷るという業務なのに、片方はしていない、片方は「印刷した」は無理があり、これも嘘と理解できる。
これが政務活動調査費の不正授受の新相だろう。気仙沼市の政活費は月1万円で、4割が県外への視察費となっていた。年12万の調査費はネットで公開され、透明性を担保している。

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2017
08/28

なつかしい場所に心馳せて


仮設の集約があり、仮設集会所の解体に向け、地元の行政区への集会所備品の払い下げがあり、私の行政区は「海洋自然の家仮設」の備品の引き取りに、地区民の皆さんと向かった。この仮設には長野県からの「ネギ」も物資として届けた事もあった。私の同級生のお姉さん家族へも、大きな家から仮設での生活を余儀なくされ、何もしてあげられなかった事を悔やむ。

海洋自然の家は震災時に、避難所として活用され二次避難にあたり、その説明会に私も行った。遠藤前副町長が戸倉地区の皆さんに、涙ながら町の願いを伝えた。この戸倉地区もだが、津波被害と多くの被災者を前に、感極まったのだろう。人間的な性格の持ち主、この人が町長だったらと強く思い、どんな町に変わっていたのか思った。しかし、副町長を引き受けた時点で、合併と震災復興の政策の失敗はトップ二人の責任は大きい。

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8月のお盆月もあと4日、「30日お盆」を残すだけとなった。「お盆膳」を片付け我が家のお盆は昨日で終わった。昨日の仏前には「ずんだ餅」と「花」を供え飾り、最後の挨拶を母と先祖にした。
「お盆膳」は私の初めての体験で、お膳も生協から買い、備える食べ物は従業員に教えて貰った。母のやっていた事も思い出し、「ままごと」のような感じで、初体験を楽しんでいたのかも知れない。カボチャ・ナスいり・きゅうりの酢の物・シソ巻・蕎麦など、14日から16日の御帰りまでと、20日お盆まで仏壇に供えた。なんとか普通の家庭のようにする事ができた。

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戸倉の帰りに志津川市街地の「本浜営業所」に寄った。小さな小屋のユニットの屋根から、周辺を写真に撮る事が目的だった。ここからでも目線は13mで、津波は16mでまだ3mも高い波が、志津川地区を呑込んだ。ここからでも津波の脅威はやはり伝えられなく、津波の脅威を伝える事は言葉と、防災庁舎の姿でしかないのかと感じる。残念ながら「東日本大震災」は間違いなく風化している。
こないだ父が病院で、役場で殉職した子供の事を、「殺された!」と父に話していたと言う。家族を亡くした人たちは絶対忘れる事はなく、深い恨みを持ち続けていた。これからの行政のトップの行動と態度で、少しはこの苦しみが癒されると思うが、もう遅いかもしれない。

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2017
08/27

なんか空しい気持ち 年だね


先週の金曜日の「夏雲」はやっぱりイイ!
連続降水記録も今日できれそうながら30数日の記録は、83年ぶりの事と言う。温室効果ガスの二酸化炭素の排出を軽んずる「トランプ」、取り組む事無く自国の経済発展を優先した。
自然の異変は人間が環境破壊を続ける事で、地球の寿命と人命の危機を理解していない、そんな世界の大国のトップが何人もいる。白人主義の米国の暴動は「人と人が争う」正に戦争であり、国際支援の先には「戦争」「戦闘」の嵐が多発している。テロは人類の憎しみが、生活の安定社会への「嫉妬」のようにも感じる。「……は偉大なり!」と聖戦士は死んでいく。その先には何があるのだろうか。家族の幸せなどどこにもない。

昨日は登米町に「しゃぶしゃぶ肉」を買いに行った。スーパーの半額の肉屋さん。コンビニで二倍以上の肉を買う事の、ばかばかしさを感じた。肉屋さんで「志津川で花火!」と問われた。夏まつりも花火大会も終わりましたよ。と話したが。何か、志津川で祭りがサンオーレであり、花火でも上げたのかなとも思った。何をしているのか解らない町の行事、一部の人達で盛り上がり、佐藤町長支援者が町の為に? に活動しているように見えてしょうがない。町の基礎を造った高齢となった町民を災害公営住宅に追いやり、何が町づくりだ。愚痴ってもしょうがないね。

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今日もテレビは北朝鮮のミサイル発射を連日伝える。もうトランプもジョンウン、中国・テロも沢山である。人は争いを好む人間で、それに「欲」が加わると何でもする。
人間はどこまで突き進むのだろう。ジョンウンの行動を無視する事で、挑発は収束へとはならないか。国民に心配を与え、安倍総理の自己宣伝の格好のチャンスだとも思い、加計問題の収束を図っている国政の動きを感じる。

今日は戸倉の仮設集会所の片付けに地区の人達と行く。

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2017
08/26

私のブログから

10月22日の投票に向け、選挙の事前運動が始まっている。
「お金を受け取る」「お金による投票指示を得る」など、贈収賄は選挙違反で罰せられます。素晴らしい活動の議員・候補者は当選します。
警察の「選挙違反対策本部」も間もなく、開設されます。新しい町づくりは汚い選挙違反行為からは、良き住みよい町の再建は出来ない。

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志津川市街地の嵩上げ地の本浜町・南町がこんなにも建設が進んだ。
蒲鉾工場・蕎麦屋・飲食店が今年には完成し、
知人の歯医者も10月には仮設営業から本設開業へと移る。
志津川商店街も復興へと進み、現在の人の流れが大きく変化する。

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7月の初めにラジオで「華原朋美」のコンサートが、登米市の水の郷ホールで開催される。この放送を聴き、登米市まで行き、予約状況を見ると「あとわずか!」、こんな事で、チケットを2枚取った。
小室哲也が発掘した華原の透き通った声を見出し、「アイム・プラウド」は大ヒットとなり、あの時代は小室の歌にはまった。安室奈美恵・グローブ・浜田などに楽曲を提供した。
歌の先生だった小室に華原は、恋心を抱き彼の為にと歌い、それが愛へと変わっていった。しかし、小室哲也はグローブのボーカルの「けいこ」と結婚した。彼女は「くも膜下出血」で生死の淵を彷徨った。だが旦那の精神的な介護で声が出るまでに回復し、こないだ倒れてから初めて、彼女は声を歌を歌う事ができ、その声には透き通る彼女の声が復活した。
そんな華原の気持ちはどうだろう? けいこを愛した彼、彼の愛した彼女の復活の時、9月2日にコンサートを私が聴く事は、人生のめぐり合わせを感じる。生きているって辛くもあり、不思議な運命が付きまとい、素晴らしいとさえ感じる。華原4朋美も傷つき、何年もかかりここまでになった。多くのファンと周囲の人たちの愛情で、元気に歌を歌える。2日が楽しみだ。
相手の事をこんなにも思わないと、彼女なんてできなく、彼女も真剣に向き合わないと「愛なんて生まれない。」。

●南三陸町の政(まつりごと)に思う
●千葉のぶたかフェイスブック
●南三陸町から結婚したーい! より

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2017
08/25

仙台東北大学病院にて


昨日は友達の送迎で大学病院に行く。朝6時半の出発ながら以前だと、病院入口は混雑だった、最大で1時間掛かった事を思い出す。
病院裏に最近駐車場が新設され、入口駐車場の混雑は大きく緩和された。受け付けてから1時間で診察を終え病院を後にした。どこかの病院状況とは大分違う。
震災後に病院を必要な住民はいち早く、病院の在る都市に移転した。いざ生活して解るように、通院時間と病院の皆さんの優しさが良く解る。買い物も何でもあるし価格も安い。震災から6年掛けて買い問題を解決した南三陸町に、住民が残らなく移転していく事もここからもわかる。現在の人口をテレビは「12500人」と伝えている。18500人居た町がここまで減少した。誰に責任があるのかと言うと、何度も言わなくても解るだろう。

大学病院へは姪っ子の見舞いもしてきた。私が入院した3年前とは大きく違い、病室前の「名前掲示」が変わり、看護師さんに聞くと、ネーム板の絵柄をタッチすると、病室の患者の場所が判るようになっていた。個人情報の保護など、患者に優しい東北一の病院はやはり違う。看護師は歩行訓練への同行・声掛けの態度は、患者の心を開いていた。朝の患者の体調のチェックも、看護師二人での患者対応に笑顔の姿を見た。こうした対応で病気も早く回復する気がする。

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昨夜は三日前に知人より頂いた、大島の「マツタケ」をお吸い物にした。石づきを消り表面のゴミを掃除し、大きめにカットし、味の素と醤油を薄めに、絹ごし豆腐でマツタケの香りを楽しめる料理をした。また、東北大のパン屋さんで買った「メンチカツ」を食卓に添えた。
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お昼も中華を食べ、パン屋でアイスコーヒーと調理パンも食べた。奇数日の血糖値の測定は「164」としばらくぶりの高さだった。一昨日前は「108」と安定した血糖値だったが、一日の食事でこんなにも違う。
昨日の午前の好天と、午後の高速を通る時の豪雨には危険がいっぱいだ。この時期になり交通量が増えた気がする。陸奥の田舎の道を侮ってはいけない。

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2017
08/24

聖なる志津川の八幡側


志津川地区の八幡川が以前とは大きく変わった。県主導の河川工事ながら、津波防災の為の整備を続けている。
こないだ町民の方と話をした。「こんなに高い堤防は本当に必要なのか?」「津波が来たら細い狭い川を一揆に遡上し、被害が拡大しないか?」と、私と同じ考えを持っていた。「自動開閉の水門は必要」「今は水門まで消防団員が行かなくてもいい」など、現在の津波防災計画整備を真っ向から、反対する意見を聞いた。ここで暮らす多くの町民の声を聴いた方が良い。
全て国・県まかせの町の再建は、いったい誰の為の町づくりなのか。八幡川の「灯篭流し」「かがり火祭り」「ハゼ釣り」など、長く続いていた、志津川の良き伝統行事が消えうせ、人を呼び込む為の祭りに変わった。聖なる川への感謝・畏敬の念は何処にいったのだろう。それを言い続けてきた工藤宮司と大先生はもういない。
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サケの回帰が危機を迎えようとしている。その判断をしたのは町づくり町民会議の決定答申に河川の整備容認があり、町長が決定権者で行政・議会がこれを決めた。鮭の遡上を第一に考えた川造りを考慮に入れ、人が住まない市街地、自然の摂理を軽んじる計画に思えてきた。ここにも「お仲間政治」が実施されている。
将来に繋がる町づくりなど、若者が暮らせる子供達が豊かに育む環境など、何処にもなくなっている。

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2017
08/23

昨夜の雷雨と雷鳴から今朝の青空


自宅と工場の間から、しばらくぶりの青空を写メで撮った。稲の生育はこれからでも少しの回復を期待している。

そんな時に、昨日地元の河北新聞店発行の「死亡広告」が折込に入った。私が小学校時代の二年生の時の、担任だった及川先生が逝去された。震災前は地域の花壇の植栽での姿を撮影した事を想い出す。当時でも80歳ぐらいだったが、大変元気で活動的な生活を、教員退職後に送っていた。
23日午後5時の通夜で、明日の午前11時に大雄寺での葬儀だった。明日は仙台の大学病院に行くので、今日の午後にも焼香に行きたい。二人暮らしの娘さんは震災後の今年になり自宅を新築し、南三陸病院での療養病棟に入院していた。家族がこれから住む家の完成を聴き、安心して天国に召されたと思う。先生いろいろありがとう、もう少し私は生きます。

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昨日の雨のあい間に、戸倉地区の西戸に建立された「慰霊碑」に手を合わせてきた。知っている名前が多く刻まれていた。元議長の須藤さんや婦人防火クラブ部長の三浦さん、親戚の礼子さんと姑さん、同級生の両親と18歳の孫さん、もう一人18歳のまだ若い女性も名前にあった。
その奥には剣道の教え子の牛舎も多くの牛が顔を見せてくれた。この地区には80世帯があったが、奥地に団地が整備され「8戸」だけが、肩寄せあい再建が終了していた。近くにいた人に声を掛けたら「寂しい!」と漏らしていた。
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2017
08/22

米の減収で米が無い


懐かしい人が会社に立ち寄った。父を病院へ連れて来て時間があるので「休みに来た」と言う。何を言っても許せる仲で、他の友人たちとは違う面を持った友達だ。

毎年彼から米を買い、兄弟と甥姪っ子たちに、祖母の暮らした志津川の米を送り食べて貰っている。「今年も米お願いしたい。」との注文に、今年はこの天気で米は半分しか獲れないと言う。大変な今年の米事情が宮城の各地域にあると言う。農業の作物の不作には「共済保険」を掛けてあれば、その分いくらかは保険が出ると言う。彼はこれまで共済を受けたことが少なく、掛け捨てながら50万以上もこれまで掛けて来た。いざという時に保険は役に立つとも話していた。私も農協の建物共催のお蔭で、震災からいち早く立ち直れた一人である。

≪今日の日テレニュース≫
3時半に目覚めテレビを見た。興味のあるニュースがずらりと並んでいた。
・財務省の佐川理財局長の「財務省長官?」への栄転に、世論の声を聴けと、東大教授らが1万人の署名簿を麻生財務大臣に提出した。この就任は世論の声に反しているとの就任反対だった。
・籠池夫妻が9200万円の大阪府の補助金不正受給の詐欺で再逮捕された。
・山梨市長の贈収賄で学校長と元収入役の住職が逮捕された。職員採用に80万円を渡し便宜を図った。市長には6千万もの借金がある。
・民進党の代表選挙で、前原氏は共産党との共闘に反対、消費税は増税に、原発は段階的に削減などを揚げ、枝野氏は共闘容認、消費税は今を維持し、原発は即廃止すべき。など民進党の考えのバラバラを露呈した。
・松山千春さんが千歳出発の飛行機が遅れている中で、飛行機の乗客に「青空と大地の中で」を歌い、機内の混乱をおさめた。

など多くの事件があった。

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2017
08/21

61年半で初めて味わう青空の無い夏


2017年! 30日連続の雨、そんな中でも「最後の海」を楽しむ、若いカップル?が海の砂浜に歓声を上げていた。

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今年の南三陸町の多くのイベントは雨に祟られた夏期間となった。
海を楽しみながら商店街での買い物や食事を企画していた、子供達の夏休み、子ども旅行も多くが断念した寂しい夏休みとなった。
子供達はプールでの水泳が主体となり、南三陸町の子供達も海水浴場の整備に6年を要し、小学校入学の一年生も六年生になった。子供の頃に家族で海に親しみ、三陸の海の素晴らしさを、親が教えてくれた。こんな事からも海の怖さ・楽しさを小さい頃から学び、海は侮ると危険がいっぱいである。私とて3回は海で死にかけた事を想い出す。

サンオーレそではま海水浴場も、雨続きで最終日の20日を迎えた期間の半分でも夏の日差しが輝いたら、震災前の4万人は超えていた。南三陸町の震災後の知名度と震災支援の皆さんが町を訪れていた事と思う。私も友達が、「南三陸町の民宿を紹介してくれ!」との願いは、志津川地区には2軒の民宿しか無く、再度断念するとの結果になった。町では「民泊」を推進しているが、町に来る人達は南三陸町の海の幸と、海で釣りや泳ぎたいなど願いも、まだまだ叶わない復興・再建途上のようだ。宿泊客の環境の整備はまだまだ進んでいない。唯一ある南三陸町のホテルもお盆料金の高さに、「しょうがなく」「隣の町で」でなど、震災後の観光促進事業の町の思惑とはなっていない。

昨日、石巻市雄勝町のNPO法人が、被災地への若き企業家を迎え、説明やセミナーを開催していた。この法人は人口減少で廃校となった学校を、若い企業家に利用してもらう「町起こし事業」を展開していた。
私の町は補助金や支援金などの、町の支援をあてにした企業家も少なくないが、見返りを求めた被災地支援で無い方が、町での素晴らしい魅力を利用し、地域の皆さんと共に、昔の港町の集落の再生に共働して、自分の人生の為に、被災地の可能性に賭けて貰いたい。

あの町の集客には、「毎週イベント開催」と言う。我が町もこの部分が必要ながら、観光客あいての活動から、やっと地域民への活動が必要な事を、志津川の商店街もやっときづいて来た。

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2017
08/20

新風はどこへやら


選挙に長けているというか、それしかないか、新しい人材と町政に魅力を感じないか、野望を持っている人を、現職が「つぶしている!」か、色々な理由が考えられる。
常に町政がし易いように、議会体制対策に熱心な首長は、無競争の町長選を造りだし、与党(町長派)対策も、もっと強力な数の力を作り出そうとしていた。
2期前には戸倉地区の小学校プールのアスベスト問題で、町長に圧力をかけた方は、地盤から対抗馬として、以前の選挙参謀を見方に付け、行政職員を立候補させ、思い通りに当選し、現在も町長の町政が堅実に進む体制を作った。
野党や中間の議員は、諸々の状況の中で議員を前期に辞め、新しい体制でその数は増し、町の提案は全てが原案通り可決と言う。町長が進めたいように町政が実施され、何の生みの苦しみも無く、15年目から16年目の5期と町長の任期は続く事となりそうだ。
邪魔ものはあらゆる仲間を利用し、工作を講じて蹴落とす政治家としての、国政と同じ方法で町政を進めている。後継者や今後の町づくりも、「お前が将来の首長と!」と甘い言葉で、ゆさぶりと誘惑をしていると議員は言う。

議員も無競争と言うが、巷では町にある団体を職員の反発で退職した人間を、議会に入れる事の工作が裏で進めている気がする。そんな政治の議会までぎゅうじる政治姿勢は、議会の「行政の審査期間」「町民代表を利用」などを歪める、民主主義への冒涜である。
議員定数問題も与党と言う議員は、総てが現状維持ながら、野党の議員も「立場保身」への行動は現状維持とした。16人の内の議長・副議長を除く14人の採決では、10対4で「現状維持」と採択された。一番若い議員と最高齢の議員、元職員の唯一の女性と、前回の選挙で公約に定数削減を訴えた前回の議長で、この採決でも町長派の力の維持の為に「現状維持」になった。何年まで佐藤町政が続くのか。

こんな南三陸町の政治の姿です。地元新聞は、町長・議員とも選挙は、2か月前の時点で「無競争の公算」と分析していた。町民の生活・環境再建よりも、政権の維持が一番と言った形を、そのお仲間も全力で「佐藤町長指示」で、同等に政治工作に加担している。何故ならそこには「甘い蜜」があるからだろう。

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2017
08/19

宮城は28日連続雨


海水浴場の風景は、7月6日日曜日の写真です。
今年から7年ぶりの7月15日の志津川のサンオーレの海開き、早くその賑わいを伝えようと待ち望んでいましたが、やはり雨模様で撮影を諦め、いつまでも待てないと、8月6日に以前の賑わいが少し戻りました。しかし、昼ごろ1時間すると、カメラのバッテリー切れ、何とか収めた写真です。

あれからも天気の好天は、週間天気だと来週の24日金曜日に晴れマークとなりました。今日で29日間連続雨となりました。年間4万人の予想も、先週で1.5万人で、私が行った時が「3300人」と最高の人出でした。今月20日の明日日曜で海水浴も終わり、長い眠りに入ります。

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2017
08/18

震災から7年半


志津川中学校からの津波の光景が映し出され、町が家が濁流と共に陸の奥へ、その後、海底奥底まで町を思い出を引きずり込んだ。この姿を誰が今語っているだろうか。もう人々の災害を語る事の風化は始まり、昔の志津川など語る人も無くなった。津波で家族を亡くした人だけが、静かに仏壇に手を合わせる事だけだろう。

一次避難から二次避難、そして仮設生活が半年後から南三陸町で始まった。志津川中には約90戸の仮設が建設され、多くの支援者が住民を訪ね、志津川地区では一番多くの支援があったとも言われる。
私の受け皿の長野県飯島町の野菜の物資は4回、慰問は1回。広島の「愛の福袋活動」は、高齢者や知人も多く暮らした、仮設に福袋を持ち支援者を案内した。最後の昨年には同行したオペラ歌手の方と、仮設の人達が共に童謡などを歌った。多くの物資で住民の笑顔を作った事を今も忘れない。
あれからこないだ中学校へ行くと、学校と仮設の網の垣根はボロボロとなり、住人の多くが公営住宅や新築の家に引っ越し、現在は約15世帯が残るだけとなった。9月10月にはまた残った方々が、引っ越していくし言う。仮設は今年の天気で湿気によるカビ発生が、これまでにない状況と住民は話していた。

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写真は田尻畑地区の菊のビニールハウスが整備されていた。地元のブランド菊「黄金郷」を生育の再建ハウスが整っていた。

震災の翌日にここを通った。家々は流失しハウスは津波で折れ曲がり、アスファルトは津波でめくれ、遺体が散乱していた。総てが一か所に固まって被災していた。あれから花のハウスが、震災後の1年目には数億の再建補助金で、菊の栽培が始まった。

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2017
08/17

今回が最後かも

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13日に叔母が神奈川から墓参りに2泊3日で来た。突然、体調を崩した従弟が来るのをやめ、新幹線で仙台駅まで来て、東口からはホテルのシャトルバスでの来町となった。初めての体験のホテルのバスは2時間以上も掛かり、80歳を前の叔母にはキツイと言う。「電車があれば楽なのに!」と愚痴る。
5人での帰郷の予定は突然の2人のキャンセルとなり、お盆料金のセンセル料を考えると申し訳ない限りだ。町内の墓から従弟4軒の送迎は本家として当然の役目と、初盆来客を横目に動く事となった。
知人のフェイスブツクで知った「天皇皇后陛下御泊りの記念碑」。玄関までの叔母を送った折に写メをやっと撮る事ができた。お盆の忙しいホテルの誘導員の中で、撮った二枚の写真がこれである。
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「南三陸 ホテル観洋」に新しい名勝発見
2011.3.11発生の東日本大震災に、天皇皇后両陛下が南三陸町に2回来町された。
宿泊したホテルに記念碑が建立されていた。

日本の象徴として末永く南三陸町を見つめて欲しい。

「天皇皇后両陛下
  行幸啓記念碑
   平成26年7月22日
     南三陸 ホテル観洋」

たくさんの元気をありがとうございます。

確か二度の来町が震災後にあり、二つの記念碑が町にはある。しかし、町民は生活する事でいっぱいで、町内のお寺にある記念碑は、墓参りに行った故人の家族が手を合わせるだけだろう。

2011.3.11の「東日本大震災」の慰霊碑の巡礼で、津波の悲惨さと慰霊での来町者への語り部の活動は、今後、実施して欲しい活動と思っている。南三陸町の町民は生きる事に精いっぱいと、一部の人達は儲ける為と、町は財政を確保する為に一生懸命だ。

議員年金の復活が国会に提出されると言う。厚生年金と同じ制度を利用すると、公務員と同じ労私の折半で、また国民の税金が投入される。10年以上の掛け金で最大約170万円が支払われると言う。本当に国会議員は自分の保身的な法案を通し、国民への社会保障は年々減額されている。10年以上の年金掛け金で支給がされる事へ進む。新国民年金も10年掛けると、貰える制度への変更となる。月々16000円の掛け金で、最低月16000円の支給となるようだが、その支払い年齢が65歳から70歳とか、厳しい生活が垣間見られる。日本の社会保障・医療負担増加など、国民の生活は生活弱者の「生活保護世帯増加」と生活格差の拡大が加速する。40代の働かないで家にいる子供達の事件発生は、こんな所にも起因すると思う。

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2017
08/16

高速道路整備は都会に近く 過疎化は拡大へ


お盆期間中も登米市津山町から南三陸海岸インターまでに、一部区間の通行止めが一回だけラジオ放送を聴く。
お盆前には逆行で初めての死者がでて、私が大型トラツクの故障で通行規制に捕まり、まだ三度の通行止めだけだ。
交通ルール無用の、インター出口での、インター出口での出口から入口への危険通行を目撃している。私一人で2件の違法交通の横行は、もっと数が多いと思う。南三陸町の通常の交通量が少ないからとの思い込みだろうが、事故への遭遇は必ず相手への影響がある。「車が少ないから!」は、地方での高速走行を理解していない。
逆行の事故が高齢化による、高齢者の運転ミスかは断言できないが、必ずと言ってよいほど「死亡事故」に繋がっている。私の父は免許が無いから大丈夫ながら、高齢世帯では車がないと、我が町での生活は不便だ。お盆に知っている方は90歳を過ぎても、一回で免許の取得を受けた。反面、危険行為から両親の免許取得の停止を子供は決断した。それを知る人は「おとなしくなったよ。」と、以前の元気が無くなったと言う。高台に散らばった南三陸町の生活は、高齢者には近所付き合いの低下と、それによる引きこもりが「認知症」の増加とならないかが心配だ。

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こないだスピード違反者を「覆面パトカー」の、検挙が目の前で起こった。「随分飛ばしているな!」と二人で話していると、続けざまに高速車が、行ったと思ったら赤色灯があがった、「前の車止まりなさい。」と指示が飛んだ。スピード違反の検挙だった。
区間は河北インターと河南インターの中間だった。石巻以楠の高速道の違反車両の検挙は目にするが、今回の場所は初めての事だった。これまでの一部のドライバーの、ルール無視の違法な交通に、高速隊が本腰を上げたのだろうか。

お盆も今日で16日、御霊の御帰りがこの辺ではあたる。我が家の初盆もだいたい終わり、通常の生活へと世間も戻る。我が社は行政が休まないように、行政からの仕事で何とか経営を続けている。地元業者の各業種事業所が激減した町の経済は、震災復興が終わる残り4年ながら既に仕事が無いと、多くの事業所が言う。行政は町の総ての事業所を守る、政策の実行・実施で、町の存続を図って欲しい。

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2017
08/15

今年のナスは不作


日曜日にミニトマトが次々と赤く色づき、「収穫時期ですよ!」と作物が話す。ジャガイモの収穫が終わり、掘りたての皮の柔らかいジャガイモは最高に美味しかった。次は「ナス収穫」の予定だったが、日照か、土が合わないか、苗が悪かったのか全滅だった。たった2本だけど! 
写真の通り青シソの生命力に、その威力に羨ましさを感じる。伸びすぎて育った物を抜き取るも、落ちた多くの種から次々と芽が出てくる。今年はピーマンを2本植えたら、面白いように育成が良く、葉っぱをよけると成熟した実が顔をだす。サラダや煮物などに重宝している。
竹かごを100均で買い、収穫の楽しみに浸っている。食べるまでが家庭菜園の目的で、ミニトマトは赤くなった物を摘み取りながら食べる。その甘さと言ったら最高だ。成熟した物の見極めで食卓を飾る事ができている。

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在る晩の私の食卓だ。貰ったキュウリといっぱいのトマトを、ごまドレッシングと「辛子マヨネーズ」で食べる。意外とお腹いっぱいになる。ビールを飲む時は食卓に「ライス」はない。今年の体重は最低時で「71.2k」で、通常体重は「74K」前後で今朝は「73.3K」、毎日二回は体重計に乗り、体重増加を健康のバロメーターとしている。体調はすこぶるイイ!



安倍総理の度々のテレビでの記者会見や、世間への挨拶は自民の支持率アップと、自分アピールの政治活動でしかない。「親切」「丁寧」「説明する」、こんなフレーズを国民は誰も信じていない。それでも「親切・丁寧に!」と話す。彼こそがメディア政治戦略である。もうあきあきだ!
以前の民主党政治を「景気回復がなったか!」と常々、国会で総理は野党を非難する。東日本大震災での対応のまずさは否めない。現在進めるアベノミクスの三本の矢は、日銀の過剰なまでの金融機関への投入と、大震災での設備整備資金の増加と、厚生年金の強制加入があり、被災地の復興に建設関係の需要で「求人率」の2倍となっている要因は、震災復興と自然災害の頻発する状が、総理の言う景気のアップを生んでいる。年金の投資への繰り入れで「約30兆」の増収となっていると胸を張り豪語する。株高・為替相場は水物であり、高収入と源減は相互関係で、上がれば下がる。為替機関のやり取りで大きく財源高が変動する。だぶついた資金の投入が好景気を作り、そのしわ寄せが必ず国民に返ってくる。

昨日も「おらほの政治は、国政と似ている!」と話す人が来た。私も同感ながら、厳しい批判は国政と同じ「一強政権」の為で、議会の体制も「与党が8割を占め」、正に国政と同じだ、大企業やお金持ちが潤い、生活弱者・高齢者の救済にお金が回っていない。国政も社会保障や医療費の拡大など、高齢者への対策は、将来に多くの不安を描かされる。

今年10月22日の県知事選、南三陸町の町長・議会選挙も、無競争との世間の噂が広がる。「無競争なら出る。」。誰の為の町民の代表なのだろう。若い議員に将来を託す動きもあると言う。「だまされるな!」、大きな勢力に利用されるなと言いたい。若い町のリーダーも、現職の生きの掛かった人間が多く、その「根回し力」を全町民の為の政治に発揮して欲しいものだ。あり得ない政治が、被災地に起こっている。国民の血税の適正利用を、国の監査で調べる事も必要な時期に来ている。弁護士も警察も、腫物には触らない気がする。日本はこのままだと本当に腐ってしまう。


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2017
08/14

千葉家の初盆


昨年の8月16日に亡くなった母の初盆を迎えた。
今日の朝5時前にお墓に母を迎えに行った。今朝は雨の「おしょご」となり、私は駐車場の車3台目で、前の人を追うように墓地の下から、上から5番目の我が家の墓地まで、雨で濡れ滑る赤土の坂を登った。「今日は滑ります。」、これから行く皆さんはくれぐれもお気を付け下さい。今年は雨模様なので自宅のお墓だけに、献花と供え物などを供えて来た。
友だち・親戚・知人など、7軒と同級生の角塔婆に手を合わせ、墓地全体が見える所から、地区民弁体へ合掌をしてきた。

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初盆の為の仏壇は世間一般の事をしないといけないと、自分なりに皆さんからお聞きし飾って見た。「仏膳」は昨日に自分なりに作った。「ナスの煮物」「カボチャ煮」「漬物」、御汁」変わりの蕎麦とご飯だ。昨夜は仏壇に供える「ダンゴ」と蕎麦を茹でて、我が家恒例のお盆初日の朝ごはん代わりの「そば」を準備した。また、母が生前にしていたお盆の顔出し、今日の墓参りの供え物を昨晩に準備し今日に備えた。お墓への供え物に「米」「なす」「お茶」「ダンゴ」を混ぜた物を、母から学び同じようにしている。
お盆事は私と父となった今でも、震災前と同じようにしている。これが何時まで続けられるか判らないが、私の身体が動けるうちは続けていきたい。お盆の前日・今日と来客迎える為の準備と対応は、つつがなく今のところ出来ている。

神奈川から叔母が来て午後から足がわりをする。社会は休みでもなく仕事も2件しないといけない。とにかく忙しくても落ち度のないように今日を過ごすつもりだ。
朝3時から「全米オープンゴルフ」の松山の優勝を見届ける為に起きて、そのまま墓参りにいった。帰るとトップに躍り出ていたが、終盤崩れ5位に終わったが、楽しみはこれからにとっておこう。

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2017
08/13

私の家族


2014年8月に仮の家を商工団地内に建設した。そして今年の2017年7月11日に生まれ住んだ志津川町本浜町の向かいの土地に、小さな家を建設し、土地とこれまで暮らした、亡くなった家族に慰霊塔を建立し、私の千葉家の役目の最後を果たした。

私の愛した叔父叔母が8人居た。横浜の陽子さん、いそ子さん、藤沢の恵美子さん、バスの運転士だった洋一さん、父の兄の賢一さん、今年亡くなった船乗りの大和さん、そして祖租母のみつゑさん、だ。私が物心ついた時は、私の家族5人と曾祖母、祖母の子供達が4人の、10人家族が小さな家に重なるように住んでいた。現在も何とか生きていると言う、遠くの叔母たちは2人しかいなくなった。今日は平塚の叔母が子どもと孫を連れ、今年亡くなった大和叔父と、私の母に線香を手向けに来る。叔母も今回が最後の里帰りと私は感じている。

本浜の場所へは行くのか解らないが、私は胸を張り「ここの向かいに私達が暮らした家がありました。」と言いたい。叔父叔母の親しみと想い出多き、「生家はここだった。」と、従弟たちや甥姪たちにも伝えたいと私は思っている。

今日は13日で菩提寺に「初盆塔婆」を貰いに行く。その後は「ダンゴ」と盆中の「仏前料理」を準備する。昨日前に初盆の全てを準備し、明日は午前4時30分には「墓参り」に行く。人が多い時に墓地を歩くのは嫌で、誰も居ないうちに済ませるのが、ここ10年のお盆の恒例となった。

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2017
08/12

お導き


私達の世代も震災から新たな生活に入ろうとしていた。後継・新天地の事業・先祖への感謝・亡くなった家族への慰霊など、11日(山の日)のこの日、志津川商店街は多くの観光客の列が国道を埋めていた。

本浜営業所の初イベントで街の状況を少し知る。
初めに来てくれた人は、私が一週間前に震災後に尋ねた、震災で命を無くした同級生の父親だった。余りにも不思議な巡り合いだった。初めは「何処のお父さん?」と思いながら世間ばなし、「うちの娘は千葉さんの同級生、お父さんとも病院で会います。」、こんな会話から「……さん」と聞いた。家には何時もいるとは限らないが居ますと話す。「今度、還暦の同級会の資料持って行きます。」と伝え、焼香もできたらさせて下さいと話した。
次は知っている方が二人、「入谷の鈴木さんの花下さい。」だった。一昨日、三陸新報に記事と社説に載っていた、鈴木さんのブランド菊「黄金郷」の献花の盆菊の生産を紹介していた。聴く所によると、「仙台の親戚に送ってあげます。」だった。30個しかない盆花が10個も売れた。

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カブト虫プケゼント企画は空振りに終わった。しかし、私自身が自然と触れ合い、今も昔のままに虫たちが生命力を、生きて行こうする姿を示してくれた。
スイカは3個が売れたが友だち達に感謝だ。
長野県飯島町の宮澤さんのジャガイモ配布は、私の町でもジャガイモの収穫時期、「あるから!」との声も聞かれた。父も言う、「災害公営住宅生活者は車も無く、嵩上げの市街地まで来る事は不可能だろう」と。残りの3袋300個は、まだ行っていない災害公営住宅に配布をしたい。

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こんな昨日の私の人との出会いと、情報収集だった。震災の復興と商店再生が町にあり、少しの生活の落ち着きから、また大きな異変が町に起こっていた。

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2017
08/11

南三陸町の町づくりは若者たちにもう託そう


昨日の朝、南三陸町出身の佐藤さんが故郷に「笑顔を!」と、NHKの番組に取り上げられていた。中学時代の全校での「トコヤッサイ」の夏祭り参加で、悩みを抱えていた時に、トコヤツサイに参加し「笑顔」を取り戻せたと言う。4年前からのトコヤッサイ復活に、貢献した事が紹介されていた。今年は雨の為に7チームの参加となったが、皆さんの笑顔を作る事ができたと話していた。

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2017
08/10

遊び心でこの町に生きる


震災を通して、多くの知人・友人の協力があり、震災後にここまで辿り着いた。何か夢を目標をも持たないと私は生きて行けない人間です。幼いころの想いでも、古き良き自然とのふれあいがあり、それも後世に伝えたいが、以前の状況とは海は大きく変わった。ハマユリ大橋の登り坂が以前の海岸で、ここからサンオーレの離れ島まで泳いで向かうのは、私に取っては決死の覚悟だった。勿論、別な物は持っても「浮き輪」はない!

イベントでは「長野のジャガイモ」と、山形尾花沢の「スイカ」・入谷の「ブランド菊」や、登米市米川の「カブトムシ」など、お盆と夏を楽しむ為にいろいろ集めてみた。
私が建立した旧地区の慰霊塔には、私が南三陸の海岸で見つけた貝や石を積んでみた。200名の不明者がまだいる中で、その人達への慰霊の気持ちを手向けた。
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戸倉地区の西戸にも7月末に「慰霊碑」が建立された。津波の教訓として津波で犠牲になった「49人」の名前が刻まれた。須藤家・佐藤家・阿部家・西條家など、私が御世話になった人達だけで10人の人達を思い出す。その他にも知人の友達などの事も聴く。多くの人の死を決っして忘れる事は無、それを背負いこれからも町民と家族は生きて行く。

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今後一週間も曇りと雨マークが予報を飾る。今日は26℃と気温は低いが少し蒸し暑い。海水浴場の今月6日の賑わいから、台風の影響もあり安全第一ながら、お盆期間中は帰省の住民家族も多く、子供達の海水浴での笑顔を見たい。
少しの雨でもどうせ濡れるなら、傘をさしても7年ぶりの南三陸志津川の海に、子供達には触れて貰いたい。海の楽しさと怖さを併せ持つ、自然の素晴らしさを感じて貰いたい。

明日の1対のカブト虫3籠の争奪戦に、是非こども達には集まってもらいたい。

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2017
08/09

台風接近の中で


とにかく時間がない! 14日の墓参りの準備と、初盆の法要が13日午後4時にあり、その準備に登米市に雨風の中、買い物に行った。誰が代わりにやってくれる事も無く自分で準備している。仏壇にあげる「お膳」を生協から買い求め、だんご粉と果物などを買い、初盆のお返しを準備した。想定は8名の親族だけの細やかな焼香を受ける。そういえば「盆灯篭」も小さい部屋の小さな仏壇に比例し、小さな灯篭を一対昨日買ってきた。世間と同じ事をするように、男二人の生活ながら努力している。

台風の被害は聞こえてきていない。南三陸の海水浴場の「サンオーレ袖浜」は、昨日は白波を立て遊泳はできなく、誰一人いない海岸となっていた。しかし、7月15日前までは毎日が、静かな海岸で私には違和感はない。
残す所10日間の遊泳期間、週間予報では雲だけの予報で、今年はこんな夏と予報官は言う。子供達が志津川の海で、笑顔で海と親しむ光景が大好きだ。
日曜日に歌津の泊地区で、気仙沼市本吉から遊びに来ていた10人の家族の中の、3歳の男児が水死した。海は自然であり、何も判らない子供には危険いっぱいの海で、単独行動の危険がいっぱいです。家族一人ひとりが気を目を配り、楽しい夏休みとなるよう注意して欲しい。

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今日の朝も掃除をしていたらカブト虫が一匹、牛乳の入れ物を開けたら、また一匹でてきた。朝から昨日買ってきた虫かごに、オス・メスと分けて土と草を入れ飼育籠が完成した。子ども時代を思い起こさせる行動に、昔の幼い頃に帰る自分がいた。
11日に志津川市街地の我が社の営業所で、長野から支援のジャガイモの配布をする。それと共に入谷の「盆用献花(菊)」と、登米市のむかで青果の山形スイカを販売する。子供達には一対のカブト虫をカゴ付でプレゼントゲームをする(3カゴ限り)。色々な企画をするが、いつも空回りながら、何かしているとその前の準備は楽しい時間である。

志津川東団地の東街区の災害公営住宅だけで、10袋の内の6袋を既に配布した。限られた数のジャガイモで、400個ぐらいはあるだろうか? 一人10個として40人ぐらいには配布できる。現品限りです。
志津川市街地の以前の暮らした場所が判らない状態で、当社の営業所に来れば、そこからだいたいの場所を図り知る事ができる。そんな震災前の事を語り合いたいものです。


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2017
08/08

眠れず朝仕事

夕方にゴミ袋の中で「ゴソゴソ」、ねずみ? まさか! こんな会話が社内であった。
昨日登米市の米川の従弟にお願いしていた「カブトムシ」が届いた。今年は激減していると言う。何に使うのかと言うと、会社の本浜町営業所でイベントをしようと考え、その一つに「子供達にカブト虫プレゼント」を企画していた。そのカブト虫が脱走し、朝起きると廊下にも出現した。手で捕まえるのも怖い?手拭いで捕まえるも「小さなメス」なのに、力が強い事に驚いた。朝からゴミ袋から一匹を探し、大きなダンボールに虫かご2つと、脱出した2匹を庭の草と共に入れた。今日は大きい虫かごと小さい物を4つ買う。オス4とメス5と言うがまだ確認はしていない。

昨日は津山の新聞店に「マイタウン情報66号」を持って行く。その時に柳津産のキューリを一袋頂いてきた。帰りに3軒に配り、我が家だけでは食べきれず、皆さんに喜ばれたから嬉しい。

秋田県知事や山梨市長の災害対応の責任感のなさや不正が発覚した。知事は災害が近づく中で、宮城で県職員とゴルフをしていた。趣味を否定する訳ではなく、災害発生中に県内に居ない、対策本部立ち上げたが本人が不在など、あり得ない県政に、その精神を疑う。秋田の御殿様の子孫で、県政を担う人材として世襲的な、人材がその有名さばかりで「政(まつりごと)」を行っている。地方も政治力の低下を感じる。
山梨市長の職員採用に「文書改ざん」で逮捕。妻の数億の詐欺事件?の家宅捜査で証拠を発見した。70歳となる市長、長期政権による「ゆるみ」「おごり」があった気がする。国政の江崎沖縄・北方領土大臣の、「官僚の文章を間違いなく朗読する」との発言は彼のリップサービスながら、新閣僚として「言ったら問題になる。」こんな事を、メディアがいる前で話す危機感の無さがある。二階派出身で、73歳の初入閣「こんな時に」と、本人もその立場はいらないが本音だろう。

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石巻市の北上川河口に「げんき市場」が完成し、こないだ行って来た。野菜の安い事と新鮮な海の幸や、石巻のお土産品の多さがここにはあった。トウモロコシが3本150円や枝豆が200円と、他より100円近く安かった。ロケーションは食事処「元気市場」の店内から、石巻の「マンガ館」と東北一の北上川が望める。震災でも聖なる川を「いじる」事無く、昔のままで街づくりをしている石巻の計画に賛同する。以前の町が判らなくなるまで、町の姿をいじる事は本当に必要かと言うと違う。町を自分の描く形にとの「野望」が、我が町の町長からは伺える。町の特産品を格安に提供するは、被災地への支援への恩返しで、観光支援客のみなさんから、また余計にお金わ使わせるは、感謝の気持ちとしての心が無い感じがする。
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今日・明日に台風5号が東北地方を通過する。台風の目が消え範囲が散らばっても、自然の猛威はどんな形で街を襲うかは図り知れない。用心に用心を重ね準備をして欲しい。

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2017
08/07

志津川の海を味わう

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震災前の「サンオーレそではま」の風景が、8月6日に志津川海水浴場に同じように広がっていた。この写真だと私が以前に撮影した、光景と何一つ変わっていない。
震災前はシーズンに4万人(35日間)の来場者を迎えていた。一日平均で「約1140人」となるが、夏休みに入り初めてのまずまずの天気と気温に恵まれ、ドッと南三陸の海を求め人が集まった。さんさん商店街にも、夏祭りの「ハマーレ歌津」にもフェイスブックで、多くの賑わいを知る事ができた。
サンオーレは3千人・5千人? もの、海水浴・日光浴・釣り、それを見つめる高齢の人たちなど、様々な風景がここにあった。色とりどりのテント・パラソルが海岸を埋め、子供を連れた家族が大半で、その家族の触れ合いに安心感を思う。
現在、日本の全国で地震が多発している。「避難経路」は大丈夫だろうか? 子どもの避難はできるのだろうかと疑問視する。1mの津波でも大災害になる事は、今回の津波で知っているはずなのに、観光を優先すると「避難行動」が疎かになる。津波から学び実行に移す事ができない町と再確認する。30分で人々と車の避難行動は難しい。少しでも遅れる事で尊い人命が失われる。それが子どもとなると大きな損失となる。人の命は測れないけど、こんなにも多くの子供達がいる海水浴場、遊び感覚で「避難練習会」をしても、話題性と賑わいは決して減少とはならないだろう。
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2011.3.11の大震災の爪痕は、サンオーレの至る所で見つける。守り神の宿る島「荒島)の大鳥居は根元から折れ、今も震災の面影を残している。震災で海に引き込まれた家々そして漁具が今も浜に打ち上げられていた。
未だに200人の人が不明者となり海を漂う。こんな事を言うと海水浴場に人が来なくなる。しかし、震災は決して消える事は無く、手を合わせ「海水浴安全を!」を常々願い、海に親しむ気持ちが必要と思う。
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大震災の重荷を背負い、今ここに住民は生き続けている。あの素晴らしい志津川地区・歌津地区の風景と、賑わいを取り戻そうと頑張っている。

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2017
08/06

家族と


南三陸町は今日もくもり空、サンオーレそではまの海水浴場オープンから、晴れたのは2・3日で週末はこれまで毎回、海水浴とはいかない天気が続いている。既に開設期間の半分は経過してしまった。元気に海で楽しみ親しむ光景わ撮影したいが、その機会に恵まれない29年の夏です。

こないだ、震災らお世話になっている登米市米川に、今年も御礼の「銀ザケの塩引き」を持って行った。従妹に「カブトムシが欲しい。」とお願いしていた。しかし、今年はカブトムシが少ないと言う。自然が少しずつ変化しているせいだろうか。昔遊びを知らない子供達に、カブトムシを営業所でプレゼントしようとの企画からだった。
三陸道の三滝堂ICから5分の場所に、「三滝堂キャンプ場」がある。蝉しぐれが山間のせせらぎに響き、多くの家族連れが夏休みを楽しんでいた。のんびりした家族の時間を過ごす、家族形成と子供の成長には欠かせない事と思っている。子供達が共に遊び「危険」「遊び開拓」など、大きくなる事の生活の術を学ぶことができる。

私も家族欲しい、子ども欲しい、今となっては無理である。

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10時から志津川の嵩上げの土地に行き、出会いの場を提供した。本浜町千葉印刷営業所を活用し町の役に立てばと最後の奉公をした。
多くの車が海水浴場の方向に走り行き、気温もうなぎ上りようにユニットは暑くなってきた。その足で海岸を廻り自宅へ帰った。サンオーレ海水浴場は多くの家族連れが列を作り海に向かっていた。砂浜は色とりどりのテントが張られ、子どもと一緒に夏を多くの人達が味わっていた。
さんさん商店街は新たな出入り口ができ、車の出入りの渋滞の改善が図られているものの、国道45号・398号の道路からの入口は渋滞となっていた。商店への右折車が8台も並び、駐車場の中も5台が動きを取れずいた。

今日は「ハマーレ歌津」の夏祭りが開催され、気仙沼の港祭りも開催され、三陸沿岸の夏祭りの最終を迎えている。歌津に行く事も考えていたが、今日はやめにした。家で仕事をする事とする。
我が家の初盆や、父の兄弟・友人での初盆もあり、互いの初盆でもあり省略する事とした。今週は仕事の多忙と、お盆の準備もあり、一日一日を大切に過ごして行きたい。

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2017
08/05

長野県飯島町の宮沢さんありがとう!


「人が集まってくれるかな?」の不安は、9月入居の「南三陸町役場」のとなりの志津川東区「災害公営住宅」は、ジャガイモ配布の午後1時半を前に、会場としたA・B棟の間の駐車場には、既に10名が待っていて、3袋のじゃがいもは全て1時半にはなくなり、会社に戻り3袋を再度持って来た。2時には6袋が全て無くなった。
災害公営住宅の皆さんにも喜んでもらい、父も本浜・大森など昔の志津川の人達との会話を楽しんでいた。本当に支援の受け皿で、自分も幸せな気持ちにさせて頂いた。

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この団地の災害公営には現在、志津川地区に住んでいた方が自治会長をし、両棟には副自治会長さんが顔を見せてくれた。知っている方で「ジャガイモを送ってくれた方を教えて下さい。」と言われ、住所を自宅から持って来た。
昔から知っている方には「太ったネ。」と私の腹をなでてくれ、震災後初めての方も多かった。この団地にいる私の同級生の両親にも会えると思っていたが、その顔を見る事はなかった。意外とここは高齢者の方が多く、それを子供が見ているみたいだった。50名以上が集まってくれた。

住宅の向かいには南三陸病院があり、また隣には9月に開設する南三陸町本庁舎がある。「病院が近くで安心しています。」「友達も沢山出来ました。」「支援物資があるの…。」や、「長野県の宮澤さんに宜しく伝えて下さい。」など、被災し少しの生活の安定から、相手への感謝を忘れてはいなかった。
当初は一人10個ぐらいかな? と思っていたが、「皆さんの何個でもいいの?」の問に、「いくらでも良いですよ。」答えた。残しても仕方がなく、皆さんに喜んで、いただけるならとの気持ちがあった。袋いっぱいにジャガイモを詰め、ありがとうございますと深々とお玉を下げて帰った。
「手から手へ!」とこんな形は初めてに近い。宮澤さんの長野産ジャガイモは今年で5回目になるが、こんなにも家を無くし、大きい家にゆったりと過ごしていた人たちが、「災害公営」への入居は辛いだろうに、そんな感じは微塵も感じられなかった。
竹澤さんありがとうございました。昨夜電話があり、受ける事ができなかったが、タコを送った事への御礼だろう。宮澤さんへ住民の喜ぶ姿を伝えて上げます。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:20 】

2017
08/04

今、大きく町の状況が変わっている


人の流れと商店事情が大きくかわった。ウジエスーパーさんのショッピングタウンの旧天王前に完成し、買い物の町民の形が変わったからだ。
スーパーが無かった時は、街中の残った商店が頑張り経営を続け、町民の大きな手助けとなり、多くの人達が車で来店し、車の無い人は1K以上の店まで歩いてくる人もあった。今後はスーパーへの巡回バスも走り、これまでスーパーの出店が無かった分、一気に町民の購買活動が拡大した。
ここ3日間、さんさん商店街の千葉のり店に「龍の子海苔」を贈答にと買いに行った。「閉店」「お昼から」「11~15時」と、商品の製造が間に合わないのか、こんな状況で、今も買えないでいる。やむなく今年は別な物を送る事にした。以前から来客でごった返す店も、その客の数が大きく減少した気がする。これからもどんな風に町が変わるのかが私は怖い。安定した町になるのは何時になるだろう。

今日は長野からのジャガイモを、災害公営住宅に持って行き、欲しい方に配る。どんな状況になるのか不安もある。知人が「まだ物資あるんだ。」と言い、いま多く出回る「ジャガイモなんて」と言われるかも知れない。アリーナ向かいの災害公営住宅の人の話では「喜びますよ。」と、力になる言葉も頂いた。

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登米市に南三陸町から移住した人たちの声を聴く。行政の対応が手厚く、税金や相談にも親切に応じてくれると言う。南三陸町よりも税金は安く、働く環境も各社あり、住みやすいと口々に話す。登米市での生活が長く、働く場もあるが仮設での生活も終わりに近づき、やむなく南三陸町に帰って来た人達も多い。反して、もはや何も無い故郷に帰っても生活ができないがある。しかし、そんな中でも多くの問題を抱えていた。以前のような地区民の繋がりが濃ければ、多くの問題があったとしても解決できる。
私の同級生も親の老いと、年齢に応じた体調異変と戦っていた。生活するのにも私と同じ普通に仕事ができていれば、何の不安も無いが、若い時と同じに何も怖くなく、一心不乱に前を向き働いていた頃が懐かしい。

印刷会社を小さいがしている者として、今年の志津川湾夏まつりのデザインは少し物足りない。祭りのはじける光景が感じられなく、暗さばかりを感じるのは私だけだろうか。行政も自分本意の職員の考えが色濃い。同業から意見や、自治体のポスターを参考に、より良いものをとの取り組みに掛けている。人から言われる事が「嫌い」な行政体質を感じる。その町歯「町民と一緒に!」と常々言っている。

まあいい! 今後も「お仲間」でやるのだろうから。お仲間の震災後の悪い噂が、町民が帰郷し聞こえてくるのは私にだけか? 誰もものを言う者がないと、町の経済は濁る事を、自治体トップは知らないままでいる。

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2017
08/03

南三陸町志津川の自然を満喫できる環境を


昨日、突然友人が「民宿ない?」と電話が入った。知人の民宿に電話するも、9月中旬の週末ながら「満杯!」だと言われた。たまたまなのだろうか。ホテルの宿泊はお盆時期だと宿泊費も高いが、民宿は安価で泊まれる利点がある。また、釣りもしたい・魚も捌いてもらえるなど、多くの得点が志津川袖浜の民宿は可能だ。震災前は10軒以上の民宿があったが、震災後は2軒だけとなり、南三陸の志津川地区で宿泊したい来町者の受け入れ体制は整っていない。交流を深める為と「民泊」と、入谷地区の「いりやど」や、二つのビジネスホテルもあるが、「南三陸の海を満喫したい!」との来町者の要望に応える、町の観光客を迎える環境はまだ整っていないようだ。

石巻「川開き祭り」の前夜祭の、7月31日に灯篭流しが静かに開催された。また、石巻市の「いしのまき元気市場」では、「川施餓鬼供養祭」の会場として当日の規制を図っていた。何でも来客への商魂が強い我が町の商人がいる。被災死亡者へ慰霊と、消えてしまった街への追悼を、静かに手を合わせる事も大切な気がする。

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志津川高校をもっと元気にと集う
 平成29年度 同窓会総会
 7月21日金曜日午後6時から南三陸プラザに於いて、平成29年度宮城県志津川高等学校「同窓会総会」が開催され、懐かしい面々に新しい会員も加わり、40人を超える総会となった。
 来賓には最知副町長を始め、千葉教行顧問・沼倉前善子顧問、また、町議会議員の後藤清喜議員・山内昇一議員がお祝いの席に駆け付けた。
 小畑会長の挨拶では、志津川高校は93年の伝統校があり1万2千人の卒業生を送り出している。同窓会は『志津川高校の応援団である』と述べた。山内校長は、「皆さんのおかげで学校は活気を帯びている。懇親会には90名以上の参加がありスピーディーな総会に」と話し、大いに志津川高校を語り合おうと話した。
 祝辞では、最知副町長が「志津川高校が元気でないと町に元気がないよね。」との声も聞こえてくると話し、町と学校で「志津川高校魂力化懇談会」も開設したと、述べた。
 総会では魅力化推進事業として、志津川高等学校学習支援センター「志翔学舎(ししょうがくしゃ)」の開校にあたり1200万円が町から基金へ繰り込まれたと、報告があった。
 また、志津川高校の戸倉出身の卒業生が震災により父の経営する「ケンズ」が休業となり、仙台市泉区に「三陸食堂ケンズ」として、南三陸の食材にこだわり漁師直送の鮮魚を提供する店としてオープンした。店主は、「南三陸町の活性化につなげたい。」と話していた。そんなチラシも配られた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:09 】

2017
08/02

どうなるの南三陸町


志津川さんさん商店街には町民の20%が行っていた。昨日はウジエと商店街の双方を通過してが、その姿に町が今後どうなるかと思った。被災地支援がこれまでと同様に続く事は無く、各店舗も南三陸町で生活していくのは、厳しい事は自社の経営状況からも理解できる。誰が震災復興で利益となったかというと、住宅建設関係で町内の事業所も、既にその好景気から収束へと向かっている。

また一軒商売を辞めると言う。震災後に努力し6年目を何とか迎えたが、今の町の購買の変化についていけないと言う。スーパーの出店の脅威と思う。石巻のジャスコ周辺の発展で、市街地のアーケード街が「シャッター通り」となった。駅を中心としての街づくりに、市は私立病院や産直市場を造り、人の流れで市街地の発展に努力して居る。
南三陸町はスーパーの出店対策として何をするのだろう。それが「道の駅」なのだろうが、さんさん商店街と同じ場所なら、共倒れとなり町の人の流動化はうまれない気がする。物が店内で売れないと、物が痛み、商品の低下となり益々売れない、そんな悪循環が商店再生の足かせとなる。何に町は力を入れたらいいか政策もバラバラだ。
子育て支援、給食費の無償化、高校の学習支援、公務員の報酬アップ、交流の拡大、ラムサール条約への登録など、町民にとってどんなプラスなるか。高齢者の生活向上には繋がらず、災害公営住宅生活者は、年金と預貯金を削り、将来は生活保護へと考えている人もいる。これを見ても「消滅都市」へまっ逆さまのような気がする。商工・観光や、自分の支持者の学校や公務員への、喜ぶ政策ばかりで、それを知らない人々が多く、その政策に利用されている事を知らないでいる。「自分の身は自分で守る。」、もうこの町に住む人たちはギリギリの所まできている。

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昨日は「血糖値130」でまずまずだった。栃木の従弟が「みんみん餃子」を送って来た。ある晩御飯の食事は、「餃子・ビール・ナスの煮びたし」だった。量は多い気がするが、全て貰いものである。昨夜はキュウリが実った夢を見た。
婚活の自分の活動が遂に身を結ぶまでに至った。「第一号のキッカケ作りが完了した!」、あとは二人に委ねる。震災前から続けた「婚活事業」は、自己資金で復活させ、震災後の昨年3月に活動を始め、1年3か月で成果がでた。「継続は力なり」が現実のものとなりつつある。素晴らしい二人と巡り合いに繋がり、付き合いが上手くいき、結婚・子供誕生が最終到達地点と思っている。家庭の大切さを大震災で知ったのに、南三陸町の男女は臆病になってないだろうか。勇気を出し自分の幸せは自分で作り、家族も本気であたらないと、子供達は30・40歳と婚期からどんどん離れていっている、その危機感を強く持って欲しい。俺の様な寂しい生活とならないように!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:23 】


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