ARCHIVE - 2017年07月

2017
07/31

この町で共に生きる


週末の志津川夏祭りは雨の中となった。しかし、多くのイベントは雨の中で震災後の市場で開催され、盛り上がっている事がメディアやフェイスブックで知る事ができた。ご苦労様でした。
昨日のブログのように花火は、10m嵩上げた換地の土地から、震災前の様に花火を見る事ができた。私の知る祭りは地区地区を山車が回り、花火は目の前の市場前、遠出しなくても祭りを楽しむ事ができた。今年は本浜町の自分の土地に車を置き、ユニツトから一人ビールも飲まず、夜空の花火を楽しむ事ができた。
市場会場までの道路は規制となり、志津川商店街の駐車場から徒歩で行く人、シャトルバスもあったと言うが見かけなかった。一時間の花火は会場まで1K歩く事は私には辛い。関係者は特別の駐車場もあり、もっと近くに駐車場を整備して欲しいものだ。

29日は知人のカークリーンの感謝祭のイベントがあり、プリペードが半額なので、最新型の洗車機でワックスも8年ぶりで掛け、その発停力に感動した。雨が降っている中でだ。3分と掛からずの洗車は大分楽だ。これからはここで洗車機を使おう。志津川市街地に一軒だの「カークリーン桑原」と、町内に3軒?あるコインランドリーの一つ「ラクドリーム南三陸中央店」を併設する。今日も自宅で洗濯をしたが、コインランドリーは勝手が高齢の私には手に負えない。南三陸町で再建する知人の店には、協力と支援を続けたい。大切な事業所を町に確保する為だ。

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昨日は叔父の「五七日」で亡くなって35日目にあたる。八月の「四九日」はお盆の月に入り、昨日の法要となった。「四九日と百か日法要」を済ませると、初盆となると聞いた。何も知らない私は地元の習慣を自分が経験して取得する。
叔父が眠る「千葉家」のお墓は、海の見える志津川細浦の徳性痔の高台の墓地にある。船員として機関長として40年前後を過ごした。孫にも恵まれ、43年の人生を全うした物の、もう少し孫たちと大好きな事をさせたかったし、奥様の退職を前にいろんな所への旅行なども、もっとしたかっただろうに。

人生は計算ができなく、何時一生の終わりを迎えるかも判らない。「今を大切に」「したい事はする」など、自分に正直に生きたい。自分を支えてくれる周囲の人達と!
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2017
07/30

志津川湾夏祭り


志津川湾夏まつりは、「荒島神社大祭」として毎年7月24日に開催されていたが、現在は多くの来客を迎える為に、7月の最終週の土日に開催されるようになった。八幡神社の大先生・工藤先生の気持ちはどんなだろう? 
私の子供の頃は本浜行政区を中心に、山車の「七福神舞い」「荒島神輿海上渡御」など、花火会場でその中心を飾った。現在は「メッセージ花火」として、観客の想いを告げる町民参加型の花火大会と変貌し、荒島神社大祭は八幡神社の宵祭りで迎え、神様は静かに帰られる、そんな祭りとなった。
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7月11日に千葉印印刷本浜営業所の事務所から、初めての志津川湾花火大会を見た。まだ電気も水も無い中で静かに花火を見て、大震災前の昔の本浜の、古き良き時代の風景を忍んだ。
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2017
07/29

また震災後直後の話に驚く


こないだチラシの折り込みに石巻の新聞店に行き、その前の広大な豆畑に「枝豆がもう少し食べられる!」、こんな事を思った。
石巻市は昨年260万人の観光客があり、今年は300万人をめざし、多くのイベントが企画されている。「綱引きで世界平和」と言う知人の内藤さんも、石巻のイベント企画をフェイスブックで発信していた。

今日の天気は「曇り時々雨」という天気になった。太平洋上の迷走する台風からの余波で、「3m」の波が宮城には出ていた。気温も「27℃」と海水浴は……」と少し寒いかも知れない。
南三陸町の夏祭りのトコヤッサイも花火大会も、厳しい天気となった。今日の予定には「サンオーレそではま」の海水浴場の賑わいを撮影する予定だったのに、残念でならない。町は震災前と同じ程度の4万人の入込数わ期待している。

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震災後は志津川地区の高台の「旭が丘」に避難し、先月亡くなった叔父と大津波襲来の全てを見ていた。その叔父も今はいない。当時「日テレ」のスタッフが津波の取材で叔父の家に行き、当時の事を話して欲しいとの依頼に、叔父が私を勧めてくれた。放送も見なかったし、その後は南三陸町の被災地の状況を自転車で、戸倉地区の荒町から、一次避難場所となった横山から登米町へと行き、北は歌津泊浜まで行って被災と避難状況を確認し、アリーナの震災対策本部に伝えた。日テレのCDはその後届いたものの、いまだに見てはいない。

昨日は志津川地区の避難場所から二次避難し、志津川東地区の災害公営住宅に最後の住家と決めた方と会った。避難場所や仮設・災害住宅に入居するまでの、苦難の状況と行政の混乱での? 行政の理不尽な対応と、行政と町長に近い人間の「心ない暴言・行動」を聴く事できた。津波被災と混乱の中でも対場の弱い「弱者いじめ」を受けたと言う。被災者の為に、自分も被災者ながら何かをしてあげたいとの行動を、全否定するかのような「ぬしゃなにしてんのや!」だ、普段口にすることもはばかる言葉を、現在町民のトップとして活動している町民の発言に驚いた。弱者や何も言わない町民への暴言に驚く。その言葉を私に向けて欲しかった。私は五月蠅い人間であり……。

私の震災後は、避難場所に行くのは情報の確認と、「今なにが必要か」「今後どうすれば良いのか」など、志津川地区の町内の避難場所となった、志津川小・中学校・高校・入谷小を廻り、その他にも歌津中体育館や泊集会所などにも足を運んだ。町民はその時に津波の恐怖に、泣き出したり震えたりした光景があった。そんな中で町を代表するリーダーの行動は、少しの落ち着きとなった今だから話せる。

町民の4千人が地区から消え、志津川しか帰える場所が無いと、帰って来た60代70代の今後の生活は大変さしかない。行政が今後は支援・補助する体制が必要だ。私には「ばらまき」に見える、多くの支援は町長の自己保身の政策とか見えない。

10月の選挙は未だに「対抗馬」もなく、16年目の佐藤独裁政治が続く。国政と同じで、批判する受け皿がないのが実情だ。震災前に暮らしていた町民の中には、町長の政治姿勢を嫌い町から離れた人たちも少なくない。高台の災害公営住宅にも、入居者のいない部屋には電気が付いていない。

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2017
07/28

南三陸町の夏祭り! あなたはどちら派


今日の夜中3時半の「日テレニュース」は、日本政治の混乱ばかりだった。
稲田防衛大臣が遂に辞任となる。これまでの安倍総理の肝いり・秘蔵っ子として、閣僚への大抜擢の中で、その資質の無さを露呈する問題が次から次と起こった。総理を稲田が支援し守り、稲田も総理の強権政治を推進した。日本の平和主義の国民気質の中で、少しの無理を押し通そうとして、自分のおごりに自滅の道を二人で、知らず知らずの内に進んでいた。

野党第一党の民進党の蓮舫代表の突然の辞任劇は、都議選に敗れその責任を野田幹事長が取る形で閉幕しようとしていた。民進党の執行部の蓮舫の人事に反発する議員を、抑える事ができずやめたと言う。代表が一年もたたずに辞める事の党の不安定さは、国民の指示回復など出来ないだろう。国民は安定を求めていて、不正を嫌い、政治腐敗を良く思っていない。今、安倍さんが「解散」をすれば、喜ぶのは共産・公明しかない気がする。

次のニュースは参議院議員の今井エリコ議員の、略奪不倫だ。35歳で聴覚障害の子を持つシングルマザーとして、自民党から出馬した。十代の時の沖縄から来た「スピード」という女性達が、旋風を起こしたそのひとりだった。これも男が悪い! 神戸市議会の市議会議員が居て、5年も別居を続けている妻と協議離婚中だと言う。それが理由とはならないだろう。「一線を越えてない!」と互いにいう。何と政治の世界の言葉とは思えない言葉が飛び交う。一人で子育ての議員の大変さが参院の票を集めた。相手は今後の選挙は無理で、今井議員も「障害の子供があるのに」と、指示した人たちの同様の支援は難しい。参院6年間は議員としていられる。問題を起こした議員の多くも、議員としていられる。年間で4200万円の議員報酬は支払われる。「直ぐに辞めてもらいたい」と思う議員がいっぱいいるが、こんなに美味しい議員職は辞められないのが現実だろう。我が町の議会選挙も「無競争なら出る」はそんな意味を持っている。そんな安易な形で議員の職に就き、強い者(与党)の中で4年を過ごし、年400万円余りの報酬を手にする。それでいいのかと自答しながら、町の議会を見つめている。

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大坂府特捜部に事情聴取で「森友問題」の籠池氏が出頭した。幼稚園の水増し・不正雇用があり、木造建築での補助金も、新設学園の建設中止で、共に6千万円前後の国費・大阪府の補助を受けた。土地に関しては財務省の埋設物処理費用を差し引いた金額で、10億円の国の土地を1億6千万で払い避けた。この問題は建設報告先に応じ、自分の手出しが少なくなるように3つの建設費を出した。籠池氏の国の制度を悪用し、総理を利用しての学園建設は夢の泡となった。それでいて佐川理財局長は財務省長官となり、国会での答弁の総理を守る為の、虚偽の発言の罪は消える事無く、総理の嘘を守った事で「栄転」となった。一般人には理解できない、事件ばかりが報道となった。

その他に中国人観光客が、函館で行方不明になっている事が伝えられた。

南三陸町は明日から「夏祭り」となり、翌週には歌津地区で「夏祭り」が開催される。人ごみは嫌いなので遠くから祭りを眺めたい。


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2017
07/27

健康は食生活と家庭生活から


今日の朝はしばらくふせりで「寒い朝」となった。日本列島の南部の太平洋側の海水温度が7℃も高いと、こないだ聞いた。そして現在、台風が2つ発生している。九州南部と太平洋の東部に大きい台風があり、こんな所での台風発生は、迷走の気配で心配だ。
今週末は南三陸町の「志津川湾夏まつり」です。長期予報を見ると「曇りのち雨」の2日間の予報だった。15日の「袖浜海水浴場」のオープンから、週末は晴天とはなっていない。海岸を埋め尽くす海水浴客で埋め尽くされる光景を撮りたく期待ばかりで、毎週空振りとなっている。
異常気象が全国で発生している。こんな事が今まで経験したことがない。局部的豪雨や雹・突風など、多くの被害が全国で発生している。国会のような政府の姿に日本の危うさを日々感じている。

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健康ですが、家庭菜園と節約生活が良い結果に繋がっているようだ。
ある晩の食事です。この日も「ビール」でご飯は無し、つまみは「ナスの煮びたし」「漬物」と晩に作った「レースン入りポテトサラダ」です。勿論私の手作りです。レーズン大好きの私は、友達が持って来てくれた「ドライフルーツ」を活用した。自分ながら絶品の味だった。何日ぶんかいっぱい作り、4日間の食卓に上がった。
ある晩の食卓には、もう一品は自宅の菜園の「ピーマン」のサラダで、ミニトマトとキューリも下に隠れている。小さいピーマンを6個使った。ゴマジレッシングで、美味しいとは言いにくいが健康食材には間違いが無い。

昨日は便が出ないと悩み続け10日?かな。お腹の調子が悪く昨夜ついに思いが叶った。吻づまりか75Kと体が重かった。昨夜の事もあり朝は73.2まで減少していた。奇数日は血糖値の自分での検査日、「152」とまずまずだった。

今日も忙しい! 一つずつ仕事と用事をこなしていく。今月は250万も支払った、そんなに多くの預貯金を今後を考えれば必要ない。今できる事を坦々と進めている。

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2017
07/26

大地の心の贈り物


今年も長野県の飯島町の「大地の恵み」が南三陸町に届いた。宮澤さん御夫婦が長野で出会った現在の友人の土地を借りて、農業をしている。地で行った「天国の楽園」がここにあった。
震災後に飯島町の議員さんが町に来て、被災地の調査を歌津の「泊崎荘」で会い、南三陸町の現状を伝えた。その中の一人の竹澤さんとの出会いがあり、あれからこれまで被災地「南三陸町」の支援を、仲間と続けている。招待の「飯島町御柱祭り」は、私は一生忘れる事はないだろう。
今回も写真のようなジャガイモが10袋届いた。どのように町民の方に配ろうか悩んでいる。高齢者が多く住む志津川地区の「災害公営住宅」を対象に、どんな方法でお届けするか思案する。新鮮な獲れたてのジャガイモを一日も早く、美味しいうちに食べて貰いたい。もう少し待って頂きたい。
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我が家のキュウリがこんなに成長し、一本また一本と収穫期となり、料理の一皿となっている。成長する姿も、花を付け実が成長し、まるで子供を育てる事と似ている。手入れをしないと、水も与えないといけないし、成長する為の支え木を作ってやらないといけない。何かあったらその対応に配慮しないと、枯れて一生が終わってしまう。
植える人と野菜の関係は、丹精込めて手を掛ければ美味しい野菜ができる、とよく農家の人が言う。両親が子どもへの教育があって、素直な良い子になっていく事と同じと思う。

自分にも子供がいたら、どんな子供となっていただろう? まだ若い30代前後の独身の皆さん、今の総てを無くしても、家庭を築く価値がある事を私は言いたい。子供からは多くの喜びを貰える。この世に子供と言う「宝」は、親の育て方ひとつで、幸せにも不幸にもなる事は、現代の多くのニュースを見ても解るだろう。

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2017
07/25

井の中の蛙では


土曜日に用事で気仙沼まで行った折、大谷地区の幼稚園に園児と祖父母と家族が、共に遊ぶ広場を開催していた。全国の園への侵入者の問題もあるが、子供達の元気が町民の元気に繋がる。志津川地区の東工区に「あさひ幼稚園」があり、今後は中央区に「志津川保育所」が整備される。津波が到達した場所で、保育所移転がある中で、志津川保育所だけが未だに以前の場所で保育を続けている。津波はまた何時に襲来するかも判らない中で、保育所移設は早期にあるべきと思う。子供が町を離れた世帯も多く、子供達が遊び跳ねる姿に、生きる力を貰えると私も信じている。

昨日の国会閉会中の質疑では、「言った、言わない。」「加計氏は友達だが便宜は図っていない」など、国民が納得いく答弁だったか言うと難しい。和泉総理秘書官の「言ってない、そんな事を言ったら記憶にある。」と言い、それに対し前川氏は「和泉総理秘書官から加計学園の事を言われた。」と繰り返し答える。誰が本当の事を言っているのか、自分の立場が危うくなる人達は真実を言わないが、何も失うものが無い人間が、政府に対し嘘を言うかと言うと考えられない。「規則をねじ曲げた」との言い分は、「天下り斡旋」をした相手の話しも、国民を裏切ったと言う事では、政治家も官僚も「国民の公僕」と言う事を忘れ、自分の利益を求めてだけの話だ。平民には関係ないが、悪政の審判は国民が下すしかない。「国民もいつまで俺は関係ないから」と言えるだろうか。

郡氏が仙台市長となった。宮城県地元出身の奥山氏から郡氏へのバトンタッチは同じ女性の知事として、学校のいじめ対策にも本気で対処してくれそうだ。男社会の政治には「おごり」が見え隠れし、市議会は自民が多数を占め、議会対策とは言わず、真摯に市政に取り組むと言い、きっと市民は新知事を認めてくれ指示をしてくれるだろう。
村井知事は自民党として、菅原氏を応援し敗れた。間違いなく国政のゴタゴタが地方選挙に影響を及ぼした。10月の知事選とて、民進党の安住氏が立候補すれば、宮城の保守王国は崩れそうな気がする。政治の腐敗は「政務調査費」と言う不透明な使途から始まった気がする。野党の先頭の民進党の復活は、思い切った選挙行動が今の国政を変えられると思う。思い切った野党の戦術に取り組み、「自民にお灸を据える!」、こんな事から政治腐敗の根絶に与党も野党は取り組むべきと私は思う。
郡氏はアナウンサー出身で、県民にも愛着がある。南三陸町の歌津地区の「払川ダム」の落成式典が始まる前に、一人会場の前列にいた彼女を私は見ていた。民進党の衆院惨敗の中で、静かに式典を待つ姿を、政治家は何時も表で自分を示すだけでなく、やるべき時に国民の為に動くが、政治家の本質にある。今日は参院の質疑だが、今日も一人の総理を守る為に、議員・官僚が嘘で固めた説明に終始する姿は、トランプ氏の米国のゴタゴタに何処か似ている。

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町には家具屋さんも、気兼ねなく入れる喫茶店も、イタリアンもない。人生を私は後10年と捉えている。震災から7年目、私の人生も後9年足らずとなった。色々な事を体験したい、美味しいものも食べたいと、残り少ない人生を悔いなく生きたい。だが、自分が選択した住宅の整備でローンが後10年、震災後の機械の整備のローンが5年、父の介護を全うするなど、目の前をクリアしつつ自分の好きな事をしたい。石巻で「ビックリドンキー」のハンバークは、一生涯で初めての体験で、また、石巻で美味しいイタリアンの店を見つけた。
日々多忙ながら、時間を割き色々と人生を楽しんでいる、しかし、我が家にまた事件が発生している。

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2017
07/24

氏神様に報告


昨日は葬儀に参列した。雨が降る中、故人の多くの同級生や知人、志津川魚市場の仲買仲間など、突然の友の死に広く散らばった場所から、大森地区民・本浜・町内など、私の2歳から5歳上の人達が集まり多くいた。

故人には父の代からお世話になっていた、御得意様の社長の急死たった。志津川の地区民の多くの菩提寺で葬儀は行われ、志津川市街地の我が社の慰霊塔にも手を合わせて来た。前社長は父と同級生で94歳だったが、剣道は共に五段教士で、もう一人の同級生と仙台に資格取得にいった仲間だった。震災後に奥様を送り出し、自分もそして息子さんも亡くなった。孫さんは東京で父の許しで我が道を進んだ。町内の同世代の娘・息子も同等の針路を選び、人口減少の理由がここにあり、新たな世界で8代目を継ぐ事となる。息子さんは父に「感謝」「ありがとう」と喪主は言葉を送った。

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仙台知事選で郡和子さんが自民党(与党)の推薦の候補を破った。国政の安倍総理や稲田氏・山本氏、内閣府の和泉田・萩生田氏等の不透明な政治に、地方から「ノー!」を突きつけた。最近の政府のゴタゴタに危機感の無い、総理・官房と大臣の行動と発言に国民の不信感が爆発した。保守国の東北にも既に政治への否定行動が始まっている。野党に受け皿の無いだけで、今の自民党への抗議の声が聞こえてくる。総理の「衆院解散」を政治アナリストの人達は、その確率を6割と語り始めた。

町の政治も次のリーダー不在で、野心を持つ政治家の誕生しない町には、発展と言う言葉は小さいと言う。

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志津川市街地低地部の土地の換地が4月の27日に引き渡され、建築確認申請に1か月半かかり、今度は電気が整備されていない事を、行政に注文を付けた。復興推進課はその東北電力の電柱埋設に、何の知識も無く、情報を私が教えると言う、被災地嵩上げ地の再生の行政の対応に驚く。
家と事業所の総てを津波で流出した、地元の事業所の大変さがあるのに、総てを建設会社に委託発注する事のできない、弱小の事業所の現実を解っていない。事業主は被災地の状況で後継者もいなく、6年目が過ぎ7年目となる今、まったなしの寿命の事を理解していない、行政の被災地再建の状況を、「再建を進めるあなたがやって下さい!」と思わせる対応がある。

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2017
07/23

延命とはゼネコンを守る事


現在の南三陸町には数千億の復興資金で町の津波防災の試験再建が続いている。人が住まない場所の大型工事は、町の生活とライフラインの確保整備ながら、本当に必要なのかと思う。
震災前までは町の予算は約50億で、見たことの無い予算の使い方で、行政は金銭マヒとなっている気がする。1億・2億の財源を大切に使い、財源の節約などは今の行政にはない。
東京オリンピックが2020年に開催されるが、それまでゼネコンは震災復旧工事を、後2年で片付け東京の工事に全力であたるだろう。月200時間を超える建設会社の残業で20代の若者が自殺した。オリンピックの国立競技場の工事をしていた。被災地の工事も佳境で、木造工事の時間と構造にその原因がある。町の「震災祈念公園」のメインの橋「人道橋」も木造で造られる。その工事も遅れている。橋つくり職人が居ない、経費の高騰が上げられている。隈研吾氏の復興の計画は「理想と現実の狭間」で、復興が遅れていると言っても過言ではない。有名建築家の起用は町のイメージ戦略である。町の再建はそんなにも特別で無くて良い。
これが現在の首長の目立ちたがりの性格が起因する。町民に一日も早い安心できる生活環境を整備する事が町長の役目である。復興が終わるまでどれだけの町民が亡くなっていくのか、私はそこに悲しさと寂しさを感じる。

写真はどこだか判るだろうか。戸倉地区折立の仮設の折立橋から、震災前は多くの家々が肩を並べるように住民が暮らして地域である。河川堤防と国道の嵩上げで、地区は土の下に埋もれ、以前の住民の営みは消え、住民も昔の近所もバラバラとなり、決して再生する事は難しい。特色のある地域を生かす町づくりはできなかったのだろうか。国と県のゼネコンの仕事の海保がここにある。国民人口の数%が働いてる事も事実としてある。
公共工事の減少で建設会社の氷河期の震災前の状態から、震災による再建工事が「2兆・3兆と豆腐でもあるまいし」と、ある政治家が言っていた事を想い出す。オリンピックを前にして後2年、復興特需とオリンピック景気に、建設会社は多忙を極め、入札は言い値に近い価格で、国民の血税が使われていく。地方の私がこんな事を言ってもと思うが、地方から声を上げて! とよく言われる。届く事はないからと言っていては、地方はいつまでも離れ島となり、「消滅都市」が拡大して行く。みんなで「生きた証」を残して行こう。
今日は仙台市長選、私は郡氏に一票を入れたい。「票はないが!」何故なら民進党の復活は政府の緊張感を生み、国政に活性化が生まれる。巨大な与党に野党の再生は国民の為でもある。「鳩山は忘れて」「管も」「野田さんの優しさ」など、総てを忘れ少し強い野党の必要性を感じ、国民行動で達成しよう。

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2017
07/22

支配からの脱出


昨日は母校の「志津川高校同窓会」の総会があった。その席上で私の義理の叔父が20年以上続けていた役員を辞めた。私も今年で第二回目の志津川高校を卒業する。仙台支部の支部長も変わったと言う。政治の勢力が町の教育環境まで、自分の力を鼓舞するように、町の人間構造が変化してきている。

以前の志津川町は色々な人間の考えがバランス良く配慮され、その住民の個々のパワーが町の発展へと繋がって来ていた。現在は一つの大きな力の方向性のままで、町づくりが行われ、その間には「ばらまき」としての資金提供がある。その資金は町民の為に使わないといけないが、仲井同志・相互のもたれ合いで、住民への国の交付金や町民・国民の血税がここに使われている。これは理不尽な独裁町づくりと私は感じている。

形を変えた資金提供感が強い、町の財源の活用と見えてくる。被災地の子育て支援支給や、今回の高校の学習支援は何故かと考えた時、大震災後の人口減少があり、町が対策を講じない事に責任を感じる。その時にもっと大胆な町の再生対策が取られない結果が今にある。自分で傷を作り自分で治療するかの様で、その自分の力の無さを国税・町税で補てんする、責任の取れない首長がそこにいる。

私が卒業後に母校の高校との係わりは、10年前頃の加藤校長時代からだ。中高一貫校が始まるころで、一貫教育の不備を友達と当時の校長と議論した。その前の阿部清一校長も工づ川出身で、町とは一線を隠し距離を置き、地元の高校教育を実践していた。震災で厳しい状況とは違えと、高校教育の原点を踏まえた教育指導者がここにいた。生徒の減少への対策を町と共に対策を講じる為に、現山内校長は同級生ながら、地元の厳しい時の最後の場所が母校の校長として、全精力を傾けこの危機を乗り切ろうと、あらゆる活動をしている。しかし、活動資金には限界があり、その助けの手を行政に求め、「南三陸町の発信」と言う考えの、町長と校長の考えの一致から現在がある。
教育現場には佐藤町長の、商工会・ライオンズクラブなどから、PTA会長職やPTA会員まで、その仲間を増やしつつある。仙台商業高校卒業の町長を、志津川高校の最高顧問として迎える現状に、志津川の人材の不足と「志交魂」が薄れて行く現実を感じる。

更なる長期政権の根回しがここにある。佐藤町政の政治に反発する町民は町を離れ、だれも町政に意義を言う者などいなくなった。私のエネルギーも残りわずか、最後まで「反骨魂」で大好きな志津川町で生きていきたい。

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2017
07/21

ショック三陸道で死亡事故 そして政治はウソばかり

朝6時の東北放送のニュースで「三陸道死亡事故」と報じていた。耳を傾けると南三陸町の行場さんと言う。「唖然!」。蛇行し走行した乗用車が、トラツクと正面衝突だと言う。知っている方なら、震災で6年4か月、水産事業の継続に自分の身体一つで頑張っていた。悲しい出来事がまた起こってしまった。

震災後の先輩や同級生、そして志津川の歴史を造って来た先人が、一人また一人と亡くなっていく。私の心は逝去に悲しみしかない。復興に多くの時間を費やす事で、再建途上で多くの人が次々に町を離れ、町の基礎を築いた人たちが人知れず天国へ旅立っている。自分が今生きている事の「証」を私は残し、町の復興に意見を言い、自分の主張を続け町民に語り掛けている。多くの公的施設が「原形復旧」と言う震災の、復興交付金で町が蘇っている。しかし、原形復旧以上の公的施設の建設が加速している。2040年には人口は少なく見て「6000人」となる町に、人口と見あった町づくりには程遠い町の再建が、首長の想いのままに続けられている。先の見通せない若者は、華やかな町づくりを拍手喝采で歓迎する。負の遺産が将来に自分たちの生活を苦しめるとも知らずに!

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7.21サラダ

我が家の菜園は成長と実を結び、その果実を食し楽しんでいる。最近はキュウリ一本とミニトマト20個の収穫で、自分なりの色とりどり「サラダ」を作った。ゴマジレッシングで獲りたての食材は、間違いなく美味しかった。

剣道の教え子の親から頂いた野菜の数々は、ジャガイモと幅広いんげんを煮て食べた。趣味の料理が成長を続けている。昨夜は庭の青シソを使い「なすの煮浸し」を今年初めて作った。簡単で美味しい仲間にも教えてあげたい料理の一つだ。最近は魚焼き器を購入した。ガス台のコンロを使うと汚れるので、すぐに洗える物を準備した。私は志津川産の「銀ザケ」の塩引きが好きでお茶漬けにして食べる。以前までは卵焼き器に油を敷き焼いていた。油ギトギトで身体に悪いと思い、魚焼き器で魚の油を落して焼くと美味しく食べられた。

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また、焼香に行く事になる。現在も三陸道の三滝堂と南三陸インターの下りは、「通行止め」となっているとラジオは伝える。

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2017
07/20

町民待望のウジエスーパー本日オープン


震災直後から旧志津川駅前にあった「ウジエスーパー」さんは、これまでお世話になったお客様の為に、早期出店を目指し旭ヶ丘団地の下に、ウジエ建設予定地の看板を立てた。それは旧さんさん商店街が建設される前だった。
議会で私は被災後も町で生きる町民の要望は、「一日も早くスーパーを!」だと、町長に質問した。町長は仮設の建設をお願いしたい。福町長は今後の復興計画がある。など、早期の住民の買い物の場の創世には消極的だった。町民グループは2500枚の嘆願書を、ウジエ本社に提出し、ウジエさんも町に積極的なスーパー再建を働き掛けていたが、町は震災復興が先と、町民の生活確保の要望には応えてくれなかった。
今日のオープンでの期待の大きい事を町は知る事となる。町民の20%しか行っていない志津川商店街は、観光客オンリーの商店となるだろう。町から多くの支援を受けながら、町民の一部の人達の為の場所だった事が露呈する。町のメディア戦略はテレビは勿論だが、新聞関係は良い所だけを紹介し、町の負の部分を決して掲載はしていないように感じる。

これから志津川で出店を考えている人たちの多くが、個人の自己努力で店の再建を低地部で進める。これが真実の志津川商店街で、昔の人達の出会いがここで生まれる。

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今日9時からのオープンには、チラシを見て多くの町民が集まっていた。駐車場の交通整理や出迎えの従業員が、笑顔で来店者を迎えていた。
以前の店舗よりも広い売り場は、ゆったりと買い物ができる環境が有った。震災から6年3か月が経ち、他の地区の住民と同じような「買い物の場」「商品の選択」「生鮮食材が町で買える」など、少しは南三陸町の生活が楽になりそうだ。
志津川中央区団地から道路を挟み向かいながら、交通の安全を考え信号も、新しく設置された。車の無い「交通弱者」の事も考慮し、今後、スーパーでは送迎のバスを運行するとの話も聞く。地元民に優しい、被災者の困っている事を聴き改善しながら、スーパー運営を進める。ウジエスーパーを中心とする、「アップルタウン」が今日誕生した。
今後も「幸楽苑」が隣接する場所にオープンする。また、「富揃い産直市」として南三陸町の地元の方も出品している。自然農園の手作りスイーツ、歌津石泉のふれあい味噌工房、地元で人気の花屋さん「西城菊花園」さん等が、店内のスペースで販売をする。

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今日のオープン祈念チラシには、まぐろ・精肉が半額など、オープン記念価格で皆さんに奉仕しての2日間です。また、ウジエ発行の「コジカカード」の新会員募集で、入会時には色々な特典が用意されている。その他に「シニアサービス会員募集中!」があり、55歳以上のお客様に御買い物総額から「5%割引!」もある。そして、ウジエ南三陸店では、簡単・スピーディーなスピードセルフレジを導入している。

被災地南三陸町の皆さん為にも、ウジエスーパーは新たな進化を遂げていた。多くの町民が「待ってました!」と、その期待度はこれまでの震災復興でも、企業誘致企業として、町民と共に発展して欲しい。

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2017
07/19

季節の食材届く

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朝に今は無い戸倉剣道スポ少の教え子の両親から、今が盛りのトウモロコシ・キャベツ・ジャガイモがどっさりと届いた。教え子も大学を卒業し、資格取得を終え、大崎市の企業に就職が決まった。頑張り屋だった彼女は、もう小3から大人へと変貌していた。指導され・叱られ・説教されながら、自分の考えも貫き成長を続けた。友達となったお母さんには、「早く結婚して、あとは孫だね。」と、子どもへの期待を、我が子のように私は思っている。
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「みちのくあじさいえん」の探索は、しばらくぶりでいっぱい歩いた。友達の携帯の「万歩計」は6千歩を越えていた。少し急な山の坂道は、息絶え絶えで歩を進めた。山野の群生する各種の紫陽花は、多くの時間を掛け育てここまで大きな観光の場となった。山小屋の喫茶店の女性従業員は、「今日は大型バス3台で、紫陽花園は賑やかでした。」と言う。観光客の車が100台ぐらいの駐車場で、園の規模は大きい物の、駐車場は狭いながら、知る人ぞ知る一関の名所です。各種類の紫陽花を山を歩きながら愛でる、毎日を追われ生きる人間には必要な環境だろう。
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南三陸町からは一時間半ぐらいは掛かり、ちょっとしたドライブとして最高だった。入場料は800円、コーヒーとケーキセットは700円、1時間半の鑑賞は今年の夏に残る記憶だろう。

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2017
07/18

ついに「愛と死と希望を見つめて」ブログが4001回目を迎えた

11年前に会社経営が私一人に委ねられ、若い従業員を、一人また一人と雇用しその数はピーク時に6人となり、社員の入れ替えがある中で、退職もあり試験採用で適正外と言っても、募集すれば多くの若者が入って来た時代だった。
2007年9月7日の一回目のブログが残っている。

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2007年9月7日「初めてのブログ発信」
午前4時に目が覚めました。台風9号が宮城の地にも入ってきて南三陸も暴風雨の範囲の中にあります。
町には人の影はなく、横なぐりの雨で向かいの草花も大変そう。我が家も雨漏りで洗面器・タオルで急場をしのいでいます
天変地異には、人間の力は小さすぎます。過ぎ去って行くのを静かに待ちましょう。

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2007年9月16日「さよなら母校」
統合合併にあたり閉校のなる小学校の最後の運動会にでかけてみました。子供たちとPTA、部落民あげての大運動会に30℃をこえる太陽も応援しているかのような秋晴れの中、こども達の汗と笑顔がはじけ飛んでいました!
 私(会社)のホームページも今日で500件のアクセスを達成しました!一年での達成、きって少ないんでしょうね?ヤフー。グーグル・楽天での検索サイトに登録なしでのこのアクセス数は結構いい数字じゃないかと自負しております。
 9月中でのこの天気に部屋で会社で扇風機をまわしている状況です。午前には農家産直に出掛け、枝豆・ゴウヤ・栗・インゲンを800円、普通スーパーで勝ったら倍はとられる位の料金の買い物ができました。産直では形の悪い(大根・なす)野菜を良かったら持っていってと!凄いサービス!是非こんど出掛けてみて下さい。ガソリン代ぐらい入れても得ですよ「お母さん」。

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社長から40歳の時に経営を任せられ、共働経営の弟が突然会社を辞め、パソコンを学んだ女性従業員がその窮地を救ってくれた。そして、また一人優秀な人材が入社し当時は若者が未知溢れ、ホームページや数々のブログを始め、私が力を入れたのが「愛と死と希望を見つめて!」です。多くの仲間や興味を持ってくれた人達が、2007年9月7日からこれまで、「187666アクセス」を頂いた。


そんな日々が続く中で、2011.3011の「東日本大震災」が発生した。
この3月11日の何気ない朝のブログ更新の後で、あんな悲惨な未曾有の大災害が発生した。812名の死亡・不明者をだした。これまでの自然の動きが大震災の予兆としてあった。

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2011年3月11日「津波襲来」 このブログ発信の後に大津波が町を襲った!
昨日の三陸沖地震の被害調査は未だと言う行政、半面、デジタル化となった無線関係の不備・故障が歌津地区であった。漁民からの有事の際の高額を掛けた行政の取り組みの事故に、地区出身の議員からは、税金の間違いない活用をと発言で、「新設置された不具合の器具は返すべき」と強い口調で、担当者に注文を付けた。国からの補助はあるものの多額の町民の「血税」を活用しての、行政の仕事!「防災の町」をアピールしている事を思うと、地震・津波対策への取り組みに欠ける。また、「新町舎」の耐震にも不安を感ずる議員も多いが、行政の「取り組む・努力する」との言葉に終始する町長の発言に、議員との活発なやり取りがあり、議場は緊迫の様相となった。議会議員の意識は確実に「改革!」への動きに向かう。「悪しき古き町政業態からの脱出」となる事と、3月に14人の退職者と4人の新職員による新体制での行政の刷新に、意識の改革に、町民全体を考える体制で臨んで欲しい。
 
 昨日の「津波襲来なし!」との漁民以外の町民の意識が強い。テレビでのワカメ養殖施設や牡蠣いかだの影響があり、知人は「海に行くのが怖い」という。漁師の多忙の次期、一日の間をあけ今から施設を見に行くと話していた。
 行政の津波の襲来状況説明に、65㎝の潮位上昇があったと報告された。大船渡の60㎝の一波目のテンビ情報があり、国の潮位観測点はこの辺は「鮎川」と言う。歌津地区の議員からの消防団の情報だと、131㎝の報告を受けたと言う。同僚の漁師をしている方より、「それは潮位の上下値」と説明を受けていた。そうだろう130㎝の津波なら、被害発生や目視でも津波を容易判断できる。「我が町」では第4波が最大の物だっと言う。テレビの「1波よりその後の波が大きくなる」との、情報は間違いがなく、引き波・寄せ波の相乗効果がここにあるのだろう。

 昨年の2月の津波・猛暑・爆弾低気圧の、「我が町」への度重なる自然気象災害は、漁民に大きな減収と施設修理の、更なる負担・苦悩があり、こうした状況に「漁師離れ」を懸念する。昨日の農林水産業費に議論が集中した。この部分に精通する議員の厚い追求に、「簡略に!」との委員長の言葉に、それぐらい厳しい現状況なんだ!と。議場での活発なやり取りは、今までに無い情景に危機感と共に「このままでは?」との気持ちの表れで、活発議論が随所に見える議会となってきた気がする。だいたい「1年半」がたった。

 「コント55号」の坂上二郎さんが脳梗塞で76歳で亡くなった。子どもの頃の「笑い」はここから始まった。欽ちゃんの悲しみは一言ずつの思い出の言葉から感じた。土肥民主党議員が総ての役職を辞したが、議員は続けるという。政治倫理審査会議長の立場で、「竹島の領土」への軽視の発言、未熟な民主の党員の行動ばかりが目に付く。4期前後の議員の16年間の政治活動で何を学び身に付けたのだろう? 学習から実践の時期はとうに過ぎている。

 千葉の消防団員の放火があった。一月末から「100件発生」している。数件の自供をしていて「家庭の疲れやストレスからやった!」と言う。ストレスの発散・解消・対処ができないと、身体・意識に異常を発生する。皆さんは大丈夫ですか?

 
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2011年4月2日「町消滅」
3月11日2時46分震度4の三分間の地震が発生!南三陸町を26分後に16メートルの津波が、志津川市街地を飲み込んだ!町の川添に津波がなだらかな平地を奥へ奥へと進んだ、海の涙が大きな壁となり、綺麗な町並みをドミノ倒しのように、煙を立てながら、避難した高台へと向かって来る!海から1キロを越える三階建ての県庁舎を突き当たり、二つに別れた津波が高台下の新築の建物を一軒一軒、ハリバリと目の前で倒され、別の津波の流れが交わり勢いを増して町並みに襲い繋かった!そして静寂な中に瓦礫と津波が志津川地区に留まり夜を迎えた。静寂な星空の一夜が明け、眼下の風景が写真です。
この現実を伝える時間には手段と方法に二週間以上を要しました。この現実を全国に伝え被災した人口で町の復興を願い頑張りたい!神奈川の従兄弟に発信の替わりをしてもらった。


大混乱の町民と被災地の生活の中で、ブログを欠く事は、私の当時の環境では考えが及ばなかった。22日間の無発信の中で、少しの落ち着きの中で、横浜の従弟にメールを送り私のブログへの書き込みをお願いした。
以前のような生活へ戻りつつある中で、今日の4001回目のブログが発信できる。南三陸町で暮らす一人として、ブログの通り死を迎えるまで発信を続けたい。





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2017
07/18

6千歩の山歩き


岩手県一関市の紫陽花園の「テマリタマ紫陽花」の群生に感動、連休の最後の半日を満喫しました。入場券800円で1時間半はもうけもの!
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2017
07/17

千葉農園収穫祭


この連休の好天を利用して、我が家のじゃがいも畑の収穫をした。農家の人たちは涼しい朝に畑仕事をするが、私は気の向いた時で11時には日差しが強く、汗だくになりながら、小さなダンボールに3割ほどとなり、8つの種イモに多くの実がなっていた。その他に青シソも伸びていたので、ついでに収穫した。
父の大好きなふかしジャガイモを、丁度来ていた叔母夫婦にも味わってもらい、「美味しい!」の言葉が連発、心を込めて獲りたてのジャガイモは、皮も薄く美味しく食べる事ができた。農家さんは季節の野菜を旬で頂ける事は羨ましいと、再確認した。
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青シソは「なすの煮浸し」の薬味として使う。母の逝去からそろそろ1年目の「8月16日」がくる。親戚・叔母たちがその時に作ってくれた、一品がそれで、作り方を教えてもらい自分でも試し作ったが実に美味かったので、今年もナスを買ってきたので作ろうと思う。しかし、味の秘訣の「しょうが」が無く、今日にも買って行き料理をしたい。車で3分の所にスーパーなどのショッピングセンターが出来るが、知っている人たちの人ごみは嫌いなので、夜とかしかいけない。町外に出た時に色々と店内を回って見る事も大好きで、料理の知識の習得にも余念はない。

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昨日の朝は「キャベツとミニトマトの青シソデレッシング」で、特別美味しい訳ではないが、身体の為と家庭菜園の収穫野菜として利用している。
震災後も倉庫の自宅の入口のプランターに、ミニトマトを植えたら、たわわに実った事を想い出す。生物の自然の生命力に驚かされた。土と水と太陽さえあれば、自分の子孫を残す為に、一生懸命に生きている。それと比べると人間は生きる、未来に命を繋げる努力が欠けている。
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一日と言えないほどの次々と育つトマトに食べる事が追い付かないのが実情だ。冷蔵庫も住宅移転後に食材は悪くならないように、冷凍後に込め混んでいた。今日は父と車でごみ袋5個を出しに行くので、冷蔵庫の整理をした。父はゴミ出しの場所まで、身体の為と15分掛けて一周の運動としている。健康第一に100歳まで生きて欲しい。その前にこちらが参りそうだ。

今日は紫陽花を観にドライブでもしようと思っている。

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2017
07/16

南三陸の青い空と白い砂浜そして紺碧の海


人がいなくなった感が強い町の風景となった。賑わうのは商店街の駐車場の車があり、ここの8割以上が観光客である。そして相対する「薬王堂」と「ダイユーエイト」が開店したアップルタウン。来週の20日にウジエスーパーがオープンすると、ここには町民の車で埋め尽くされるだろう。志津川低地部の再生はあるものの、電気が来ている場所の再建だけが進んでいる。9月には換地の土地の多く引き渡される。

「海開き」の宣言と共に、海水浴を待ちかねた若者が、10時のオープンを前にビーチに浮き輪を持ち集まった。昨日は晴天にも恵まれ1000人の人達が、7年ぶりの袖浜海岸での海水浴を楽しんだ。
駐車場はいっぱいだったのは報道と町・観光協会の関係者が主だった。海の家は4軒が決められた建物で営業を始めていた。まだ本番には早く、学校の夏休みと共に多くの来場者を期待したい。

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昨夜は栃木県から従弟が叔父の焼香に来てくれ、私の母の墓前にも線香を手向けてくれた。南三陸町の宿泊事情を考慮し、登米市のビジネスホテルを予約し宿泊した。私も地元の飲食店の確保が難しい現実の中で、登米市の飲食店で3時間半も昔話しと、今の両親の介護と家族の事が生活の重点となっていた。従妹たちも60歳を前に親の老いと格闘していた。
来月には横浜から叔母家族が先月に続き、13日のお盆に5人で来てくれる。「ホテルじゃないと!」と、町で唯一のホテルのお盆料金を聴きビックリした。一人2万2千円~2万5千円と言う。我が家は家族二人の生活の為に設計し、親戚が来ても泊まる場所が無い。知人の民宿もお盆期間は、夏休みもあり予約は順調だと言う。

今から千葉印刷本浜営業所に行く。昨日は暑いユニットの中で、同級生が耐熱のブラインド設置に汗を流してくれた。電気がこれば「冷蔵庫」「エアコン」「換気」など、少しは過ごしやすいだろうが、電気は9月過ぎと言う中で、これで固定資産税が発生したら怒りしかない。

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2017
07/15

志津川町民の底力 志津川旋風を思い起こせ!


私は昭和31年生まれで61歳と2か月になる。私たちの一つ下の32年生まれが「志津川旋風」を巻き起こし、甲子園出場のあと一歩まで進み、主力投手の怪我や選手が満身相異で試合に臨んだ、確か宮城から2交と山形との出場決定戦で敗れた。その時の私の二つ下の井上投手が控えとして、小野投手に変わり投げ続けた。井上君の息子さんは、公務員から弁護士を目指していたが、3.11の大津波で役場職員としてその夢は水の泡と消えた。この事を知っている町民は数少なく、こうして思い起こす人など、井上投手しかないだろう。
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今年の宮城県予選が昨日開会式を迎えた。ニュースで志津川高校野球部の熊谷主将は、「感動・勇気・希望を与えるフレーをしたい」と、青空の元で選手宣誓をした。少数精鋭の生徒育成の為に、同級生の山内校長は3年目を迎え、母校の発展再生の一助となるよう活躍を続けている。気仙沼高校も一クラスの減少が決まり、志津川高校も3クラス120名の募集ながら、今年は70名の入学に留まった。志津川高校を卒業した生徒の子供達が、母校の存続にもっと力を注いで欲しいと、希望するばかりです。

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現在は夏のせいか一気に「71.5K」まで体重が、通常時から「2.5K」も減った。ある朝の食事はご飯一膳と漬物とお茶、おかずは叔母の「味噌雲丹」と、千葉のり店の「龍の子のり」だった。油ものを少なく野菜を食べる事で、体重が減っている。生活習慣病の「糖尿病」と長く付き合うために、自分で食事を考え自分自身で作って食べている。今日は血糖値「109」と安定し、病院のヘモグロビンA1C検査は「6.8」と、先生にお褒めを頂いた。

今日は「南三陸町袖浜海水浴場」の海開きの神事が9時半にあり、10時にはオープンする。3連休という方もあるだろうが、今日は午後に傘マーク、明日は曇り、17日の「海の日」は傘マークが予報で出ていた。毎日うだるような暑さ、南三陸町の海に遊びに来て下さい。

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2017
07/14

南三陸町あれこれ


昨日の朝7時頃だろうか? 警察のサイレンと救急サイレン二つが、志津川商工団地から国道45号を突き走る。事故だろうか。
そんな中でラジオから「国道45号事故の為に交互通行」と言う。夕方のニュースで戸倉字町(荒町)の丸正建設会社前の光景が映った。志津川から戸倉字町に入るカーブ直後での事故だった。被災地の現状を浮き彫りにする、BRTの自動車輸送システムのJR東日本のバスに、震災復旧の2台の大型トラックの絡む事故のようだった。国道は三陸道の開通により通行量が半分以下とも言われている。高速が無い時だったら、大渋滞は必至だっただろう。そういった意味からは三陸道は有効だった。
BRTにトラックが追突し、対向車線の対向トラックと正面衝突だった。現場検証と事故処理で回復に結構時間が掛かったようだ。けが人は最初のトラックの運転手が両足の骨折? BRTには乗客が一人しかおらず、大事には至らなかったようだ。震災から7年を迎え未だにトラックが町中に多くが走行する。結構な速度のトラックもあり恐怖感がないと言えば嘘になる。BRTには人は一人しか乗ってなく。被災地の以前のような賑わいはもう無理だろう。

ウジエスーパーを中心とした「アップルタウン」は、薬王堂が7日にオープンし、先ごろにダイユー「エイト」/が開店し、国道45号からの来客の車の量に驚く。来週の20日にはいよいよ「ウジエ」がオープンする。志津川中央団地向かいで、新しく団地とスーパーの前に信号ができた。夕方の買い物客の集中時の渋滞間違いはない。スーパー開店のオープン混雑は良い意味で、想定以上の駐車場の混雑を思う。
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今月末の志津川湾夏まつりの「トコヤッサイ参加者募集」のポスターが役場の玄関にあった。15日には志津川地区唯一の海水浴場がオープンする。
入谷から中瀬町に行くのに、旭ヶ丘団地を越え向かった。途中の山間地に「西地区西工区」があり、復興住宅と住宅建設で一つの住宅団地を形成していた。不便ではないのか? 津波の心配は絶対の無い場所! こんな感想を持った。地元の人間しか知らないう回路、途中に私の菩提寺「大雄寺」さんは、現在、紫陽花が花盛りを迎え、色とりどりの紫陽花が咲き、お盆前には見ごろとなる。神奈川県鎌倉の支援団体の手作りの、紫陽花の丘と群生地が誕生している。震災後に数年に分け株上をし、今年はみごとな花を咲かせている。

合併時の歌津・志津川の両議会で決定した、両町の中央に行政庁舎の建設をしない事で、失う事の無い町民の死があり、その過去の判断失敗の元に、現町長は新設となった本庁舎の新設を迎え、7月中の移転入居となる。これが我が町で起こっている、今日このごろです。

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2017
07/13

本浜町営業所内部紹介


7月11日の「真入れ法要」により、千葉印刷本浜町営業所が開所した。平常は週末の土日の午前10時から午後3時までの営業ながら、土地への出入りと慰霊塔への焼香・合掌は自由で、営業所内部も広い窓から展示物を見る事ができる。現在のメインは、志津川地区の震災前と航空写真と、震災時の津波の脅威の写真で、自ら被災した自宅の二階部分から周辺の風景を撮影し、方角に合わせて掲示している。志津川市街地の整備と位置、土地が被災前の何処にあたるか等、今後の市街地への開発・出店などの説明を、私自身が開所中に営業所から場所を示し、自分なりの「語り部」をしていこうと思っている。頑張って予定通り開所したいが、二足のわらじなので勘弁していただきたい。
写真には長野県の飯島町マジック倶楽部の、被災地活動支援の姿や、恩返しの形の物を掲示した。友達の袖浜の民宿「明神崎荘」の佐々木昌則さんからの、大きい胡蝶蘭がお祝いの節目に届いた。観光の民宿案内もして行こうと思っている。旬の味を紹介し食べてもらう場所しても考える。多くの夢をここから発信していく。
南三陸町志津川を知るには、「海を見ながら産地の物を食べる!」が最大の醍醐味だろう。歩いて5分足らずで10mの嵩上げ大地から、直ぐに海を見渡せるが、営業所の周辺は道路も電気も整備中で、今後9月ごろに土地の引き渡しの計画と言う。もう少し待って欲しいが、冷たいものは準備して置きたい。電気が無いので「自動販売機設置」もままならない。
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メインの掲示物に「海の瓦礫の覆われた防災庁舎写真」があり、綺麗に着飾った防災庁舎ではなく、津波被害を受けたそのままの巨大写真を掲示している。350円で「南三陸町に行ってきました!」のファイルも、震災の風化防止に販売する。
偶然ながら戸倉臨時営業所に張って、震災復興の精神を鼓舞した、震災半年後に河北新報が発行した、「南三陸町職員紹介」の新聞記事が、どこに行ったか不明となっていた物が、真入れ開所の2・3日前に出てきた。33人の職員の死が「想定外」として片付けられる事の理不尽な行政トップに、いまでも不信感を私は抱いている。遠藤未希・勝倉正高・熊谷良雄・小野篤実などの顔が今も浮かんでくる。昔の同僚だった仲間の死を無駄にしない生き方を今でも探し続けている。

そんな気持ちの増幅場所でもある伝承館「出逢の館」として、最後まで色々な発信を続けて行きたい。個人の活動は限られているが、町民一人ひとりが「語り継ぐ」こんな気持ちが芽生えれば、まだまだ以前のような町の精神は継続されていきそうだ。私の活動がある中で、成功者への反発ととられているが、是非むかしの地区を語り思いだしていきたいものです。

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2017
07/12

九州北部の豪雨災害


「線状降水帯」の今年の気圧配置は異常となっている。アメリカの温暖化防止のパリ協定の離脱は、世界に今後も天災の拡大を予想し、想定以上の気圧の異常で大陸に大きな被害となるが、アメリカのCO2排出の規制しない事で、自国だけへの異常気象発生なら良いが、全世界への影響は必至である。日本の四季を生む南北に細長い国は、現在もこれからも異常気象での災害への備えを、常日頃から考えないといけない。

福岡県・大分県の被害は、これまで25名の死者と25名の譜不明となっていた。テレビの映像はまるで東日本大震災の津波のようにも感じる。濁流が川から氾濫し町中を流れ、山からの雨水の合流は想像を絶する「山津波」となり民家を襲った。山からの木材は凶器と化し、家に突き刺さり橋や鉄橋を呑込んだ。
この震災の復旧は大震災を体験し、震災からの復旧・復興を考えると、もとの生活まで戻るまでには多くの時間を要するだろう。
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同等の線状降水帯はこれまでもこれからも発生をし続けるだろう。大災害となった以前の広島県福山市の山津波を思い出す。愛の福袋支援で南三陸町を訪れた能崎さんも被災者だった。まだ復旧は終わっていない広島県福山市の現状を聴く。
九州は現在も自衛隊の捜索活動が続いている中で、避難場所の生活や住まいの確保で「災害仮設住宅」の建設など、大震災経験の自治体のデータが役に立つ。火山灰の風化に寄る「真砂土」で形成される、山の土は今後も降水による災害発生を、山村防災センターの所長は警告を鳴らす。

先週の末から印刷組合の展示会や、会社の本浜営業所の整備や、チラシの緊急な依頼の段取りなどで、多忙を極め、仕事の納品や受注も重なり、時間に余裕なく無事にすべき事をこなしてきた。今日は少しの余裕の中にある。

「大震災慰霊塔」は誰でもいつでも手を合わせる事ができる。先日の真入れには7人が参加した。今日の営業所は閉店しているが、週末には私も手を合わせに行く。本浜町の震災の物故者の中に「佐々木久義」さんがいる。画家である佐々木さんの作品「合掌岩」の絵を複製ながら営業所に展示した。その他にも平磯・袖浜から荒島を望む絵もある。興味のある方と、震災で亡くなった久義さんの話でもしたいと思っている。近くのコンビニでは九州地方の災害の「募金箱」が設置されていた。

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2017
07/11

南三陸町に襲来した大津波の方向に


平成29年7月11日は祈念すべき日になった。大震災で千葉家の全てを流出し、仮事務所を戸倉荒町に設置し、荒町の山間の牛舎に印刷機械を整備し、知人の御蔭で再スタートを町内できた。その後に志津川地区の商工団地に住宅の建設をして、小さな工場も移築した。ここまでは私の人生の予兆でしかなく、「以前の場所に何かをしたい!」があり、今日の午前10時から、千葉印刷跡地として、慰霊塔を立て津波で亡くなった住民と、志津川市街地への追悼の気持ちを込め、慰霊塔への真入れの法要を行う。ここを志津川での「千葉印刷営業所」として、震災後の復興への歩みの発信の場としたい。
こんで震災からの再建の最終章を迎えた。

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南三陸町志津川の細浦地区の「徳性寺」、辻大和尚様の千葉印刷の真入れ法要に引き付き、23.3.11の東日本大震災で亡くなった「812名(不明者込)」の御霊への慰霊法要と、本浜地区の震災死となった「9名」の方々への、慰霊供養会を同時に執り行った。
我が社の土地への会社の慰霊・感謝の意味の「慰霊塔」ながら、大津波と言う理不尽な自然災害で命を失った方への、供養の気持ちがある。また、先月亡くなった私の叔父も、この地で生まれ育った、想い出多き土地での供養会は、相通じる物と私は思い、このような形での建立式の、慰霊祭・建立式を開催した。多くの地区民も同様の気持ちがあのながら、営む事の意味とその難しさを感じる。取りあえず私はこれで一段落する。

30℃を遥かに超えるこの日、和尚様は重たい衣を着用し、汗だくになりながらの法要だった。93歳を迎えた父も、熱中症に注意しながら、「慰霊塔建立式」に参加し、私の希望に応じてくれた。きっとこの場所に来ることは二度とない気がする。
父への最後の孝行と思っているが、私の独り善がりなのかも知れない。友人の千葉印刷営業者の設置に「祝いの胡蝶蘭」は、感謝感激で、一人でも支えてくれる人が居る限り、私は復興の足を進めたい。

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2017
07/10

元の土地で会社復活(営業所)


この場所は「宮城県本吉郡南三陸町志津川字本浜町14番地 32街区2画地…(併記)」で、以前の土地は「本浜町70番地」で、会社の土地の向かいの「及川魚屋」さんの土地の上となる。
震災後に土地の買い上げへと市街地の被災地は、都市計画の為に「買い上げ」「換地」のどちらかを、住民の選択を余儀なくされた。私も総てを失い再建の資金があるわけでもなく、買い上げの為の手続きをしようとしたが、祖母からの土地の相続問題で、父が祖母の死亡後に相続への手続きをしていなく、560万円の土地の買い上げ価格ではあるが、相続の為の資金が「200万円」以上掛ります。と行政書士に言われた。15人以上の存続権者があり、相続は難しい状況だった。震災後の諸々の状況下で半年悩み諦める事にした。
しかし、結果的には祖父から引き継いだ土地を残す事ができた。祖母の死亡後の相続を父がしなかった事も、多くの相続障害があった事も、「この土地を守りなさい!」との、先祖からの伝言だった気がする。10m嵩上げとなったその土地に立つと気持ちが落ち着く気がするから不思議だ。
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電気も無い、水も無い、電話も無い。そんな現在の状況ながら、何の不自由を感じないから不思議だ。その場所は「震災の発信」「私の活動」「産品紹介」「観光案内」等など、多くの役割を果たしていく場所としたい。8年前の「人が集える場所を!」と言い続け、小さいながらもそんな場所ができた。一番は先祖へのこれまで生きて来れた事への感謝である。

志津川湾夏まつりには、この場所から「夏の花火」を見ながら、昔のように花火をビール片手に楽しめる。60歳を過ぎても、これからも楽しい人生がここにはある気がする。何も無いけどお立ち寄りください。営業は土曜日の10時から15時、日曜も同じ時間に営業をします。自分の都合で開け締めしますが、のんびり開店してしきます。何かあれば会社へ電話を下さい。

ここに来れば昔の志津川に会えます。

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2017
07/09

ダイバーシティー(多様性)


二日続けての仙台の印刷セミナーに参加してきた。
内容は「ダイバーシティ経営で業態変革! 縮小する印刷市場から。ペット市場へ新ビジネス参入」だった。やはり女性の社長で、会社の破たん整理におち入り30数億の負債を背負い再建に歩を進めた。昨日と同様ながら経理の担当だった女性に再建が委ねられた。これまでの会社の体形は一般印刷と、仕事がないと価格を下げたり、既存の仕事を何とかと続けてきて、見えない部分で負債が嵩んで行った。
2000年1月に和議申請で民事再生法を提出した。金融機関20億、一般業務10億、税金滞納2億の負債からの出発だった。10年の完済の経営改善で、多様化で独自ブランドの製品開発に取り組んだ。各部署の社員から提案や市場サンプンの制作など、何を今市場は求め、自社で何ができるか残った社員で考えた。
社員の雇用を第一に「ディスプレー事業からメーカー」へと、業界環境の激変から新規事業の取り組みを進めた。その頃は「リーマンショック」の中で、世界的な不況の波でも、自分から解雇する事無く、新人社員を数名雇用し、それが今の戦力となっていた。その頃に「ペットブーム」始まろうとしていた。ダンボールの印刷技術から、ペットの衣類の収納室をダンボールで作り、それが市場でブームとなり売上を回復して行った。また「地域貢献」の活動としてスパーナー工房(江東区ブランド)にも参加し、新たな事業や仕事へと拡大して行った。こうした会社の持っている力をフルに活用し、社員全体で事業改革へ、皆が営業マンとして活動した。
会社のダイバーシティマネンジメントは、商業印刷・ペット商品の開発販売・ネットショップの3本の柱で経営を経続する事ができている。驚いた事は2億の税の滞納での率が「4.5%」と年900万円にもなった。やっぱりここでも税の滞納に最初の舵を切り、総てを完済するその底力があった。常々厳しい環境での仕事をクリアする事で、改革・開拓精神が養われ、将来への会社力を付ける事が大切と私は思った。
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この日は終了後に「社会見学」として仙台駅東口に行った。エルパルもこれまでの仙台駅の観光客の増加に甘える事無く、新たな東口の商店の開発拡大へと歩みを進めていた。東北楽天ブームに仙台駅でも取り組み、楽天テナント・ファンの電車利用やシャトルバスの設置など、この日も楽天の試合に東口は大混雑していた。行列も蛇行しながらも次々と、球場へ向かう人たちが試合開始寸前まで行列は続いた。商店街も多種多様な店舗へと増幅していた。こうした日々続く開発増幅で将来が担保された。既存を守る事だけでは何の発展も望めない。
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この日の楽天の試合もでも選手は応えてくれた。ファンがいて、チームが会社が成り立つ。「人が居なくて町が成り立つか?」 と言うと事に被災地復興の原点があると私は思っている。

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2017
07/08

何もそんなに頑張らなくたって


昨日も多忙を極めた「分刻み」の行動だった。
宮城県印刷組合の理事として役目を果たす為、仙台市扇町の展示会場「サンフェスタ」での、オープニングセレモニー開催の9時半に間に合うよう、7時30分に家を出た。勿論、朝のブログ発信と朝食を抜く事は決してなく、6時前にはパソコンの前に座った。我が家から2分で高速に乗り、1時間5分で仙台東で下車し会場までは10分余りで到着した。
やる事は、会場の巡回とセミナーの講習だった。セミナーは日本電鍍工業の伊藤社長の、「突然の事業継承って大変ですね。3年で赤字から黒字企業にした私の奮戦記。~経営危機乗り越え前社員の夢をかなえる100年企業へ~。」と言う題名の講演会だった。まだ40歳前後の女性社長、父の突然の死により、経営の不振から10数億円の負債を抱え「企業再生機構」に入った。銀行への手形の返済と従業員の給料支給、企業の再生に奔走した娘の話だった。父からは会社の事は何も言われず、自由に大学へ、そしてアナウンサー?として活動していた。その後に友だちの多くいたアメリカで仕事を始めた時、突然の父の訃報と会社の倒産の危機があった。何も知らずに工場・自宅の財産処理との報に、自分の私物だけを取りに日本へ帰った。
金属メッキ会社で、200名の社員を抱えた大企業だった。このままで会社を閉じるのは簡単だが、社員とその後ろの家族を守る為、再建に取り組んだ。会社の厳しさを知った社員は次々に辞め、残った53人からのスタートだった。前社長に御世話になった社員が残り、「会社の事を何も知らない小娘に何ができるのか!」と、周辺の声が聞こえる中で、借金の返済をどうするかから始まった。メインバンクは勿論話にも乗ってくれず、多くの銀行に決算書・資金繰り計画を持ち総て廻った。しかし、10数億の借金に何も知らない娘の再建を、銀行もリスクを負ってまで応援する銀行は無かった。前社長の手形の乱発が重くのしかかってきたと言う。処分する物を全て処分し資金を捻出したが、返済には遠かった。会社を続ける為には、借金返済・社員の給料・原材料の仕入れ等、これは絶対に止められず、方法として借金の金利を払い元金を残し、仕入れも現金で決済し、社員の給料だけは滞る事無く支給した。更に資金の苦しさを増した時、会社の税金と更生年金の支払いを止めた。半年後に国税庁と社会保険庁から督促と回収に来たと言う。そんな時にある席上で、「なんの仕事をしているの」と、高齢の叔父さんが声を掛けてくれたと言う。今の実情を話すと「頑張りなさい」と言葉をくれた。次の日に大手の銀行の方から電話が来たと言う。その後で金利分の融資を受けられたと話す。その叔父さんの銀行からだった。会社はメッキ加工から多種多様な仕事へと移った。その事業には医療・健康などの、メッキ会社にはハードルの高い分野への進出を図った、今では2割がメッキ加工で8割い異業種で経営していると言う。…… 長いのでこの辺で次に移ります。

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町に帰り仕事の写真撮りと、アリーナで開催の「もっと知りたい認知症」の町の講演会を聴きに行った。帰って原稿を書き、事務処理をしていると同級生が来て、ここに週間の出来事を二人で一時間か語りあった。今日も仙台に行く。

悔いなく生きる事は、心の中の物を全て吐き出す。自分の心にストレスとなる物を残さない事が、老老介護の不安を取り除いている。自分の夢に向かい走り続ける事で、余計な事を考えないで済み、いつも晴々と明るい気持ちが沸き起こる。これが私の生き方です。

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2017
07/07

若い頃に結婚したかった

登米市の放火殺人事件があった。母と子供二人の焼死は全国ネットで放送され、その悲しい出来事に悲しさに包まれた。そのあとで夫の逮捕となり、真相が少しずつ判ってきた。
家庭にはDV(家庭内暴力)があり、31歳の妻は警察に相談していた。9人家族の世帯で両親などは、嫁?を守る為の行動をとっていれば、こんな悲惨な事件は発生しなかった気がする。
酒を飲むと叩く・蹴る、子供達の前でよくできたものだと、私には理解に苦しむ。布団に火をつけたら酒を飲んでいても、大人ならこの後でどうなるのは理解できるだろう。「自暴自棄」になったは、そこまで行く前に、家族・周辺そして警察も、思い切った対策を取って欲しかった。しかし、亡くなってからは後の祭りである。40歳夫の大人になれない大人がここにもいた。

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レイチェルとペコリンに学ぶ。
写真の彼女は「ぺこりん」で、現在売れっ子のモデルの「レィチェル」の奥さんです。彼が21歳で彼女は22歳の若々しいカップルです。
レイチェルは沖縄から東京にあこがれてやってきた。最初はショップの店員として仕事をし、モデルとしてスカウトされテレビに出て、その頃に彼女と会いました。恐妻の奥さんの元で二人の生活は楽しいそうです。
第一印象でビビッときて大好きになった。ペコりんは自分の想いを直ぐに伝える事で夢が叶った。
出逢いのチャンスを逃す事無く、自分の理想を語り思うだけなく、相手の良い所を探す事で、自分が幸せになれるよう、努力した結果として家族の幸福を得られる。
若ければ若いほど成立の可能性は高く、30歳40歳と年を重ねるごとに、二人の出逢いと結婚は難しくなる。明日しか生きられないなら、何をすべきかを考えて!

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戸倉地区にこんなにも神々しい「観音様」を見つけた。手を合わせ、お顔を見ているだけで救くわれる気がする。大川小学校には観音様が2体あった。
震災後に私が議員だった頃、全優石と生協の「被災地支援活動」の、「南三陸町」被災自治体への其の後を聴いた。私が思っていたとおり、町では「復興祈念公園」にその義援金を活用すると言う。震災の年の支援は、8年目にして利用される事となる。気仙沼の本吉町小泉にも、二つの団体のモニュメントが、海と地区を見渡す丘に建立されているのに、我が町は全てが遅く、その為に多くの町民と将来を担う子供達が消えた。この責任は誰が取るのだろう。津波は天災ながら、町の疲弊は「人災」と私は強く言いたい。ニヤニヤするなよ!

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2017
07/06

九州の皆さん命を守る行動を

九州地方に「大雨特別警報」が発令された。「命の危険があり身を守る行動を!」と、気象庁は発表した。オゾン層の破壊の「CO2削減」を本気でやらないと、世界は異常気象となるのに、米国の経済発展の保守的政策で、O2の最大排出国はパリ協定からの離脱で、規制をかけない経済政策に踏み切った。この決断は長い目で見れば地球の短命へと繋がる。トランプのひ孫のまた孫の時代に汚点として残る事になる。可哀そうな現実を気付いて欲しいものだ。
夜中じゅうの豪雨による川の光景は岩手県岩泉町を思い起こさせる。老人ホームに濁流が押し寄せ、多くの高齢者が亡くなった。まだまだ続く通常1か月の降雨の1.5倍が一気に2日間余りも続く、これまで人間が体験した事のない状況があり、対策も想定を超えたものを想定しないといけない。
我が町の震災からの復興計画も、10mの嵩上げのやり方と、高台の造成に想定以上の降雨に対しての対策は講じてあるのかと思うと疑問だ。新井田川の今の形状と、大型河川堤防の非常時の状況を想定しているのか。異常気象の発生での被害は必ず起こる。20年後の現在の半分になった町を、政府は再々再生に予算を振り分けてくれるだろうか。

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被災した志津川市街地の中央部に、電気店のオープンに続き、「カークリン桑原」と「ランドノーム南三陸中央店」がオープンする。志津川の東地区西工区にも、先ごろ「コインリンドリー」が開店した。
カバラさんは旧店舗の場所で震災後もいち早く、「カークリン」「コインランドリー」再開し、多くの町民の生活支援に貢献してきた。前店舗の閉店と同時に中央店の開店をする。そのスピード感は、町の被災地の再建のスピードとは、天と地ほどの差を感じる。
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カバラさんのように未曾有の大震災でも決して屈せず、新たな道を切り開く「スピリット精神」を若い世代にも、引き継いで欲しいが、そんな強固な開拓精神は、競争意識に欠ける少子化の、今の町の教育環境からは生まれない気がする。50代60代70代がもう少し頑張らないと、我が町は消滅都市に真っ逆さまだ。「今さえ良ければ」との考えは、将来の町の復興には繋がらない。

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2017
07/05

国税庁財務長官? 佐川が!


友達の孫の大好きな「イクラ」を年末に貰い、冷凍庫で眠っていたものを、昨日「いくら丼」にして食べた。やはり南三陸町のキラキラいくら丼は絶品の味だった。
震災前に町内の飲食店組合が、南三陸町の名物をとして「キラキラ丼」が生まれした。その中心役の店と店主も震災で亡くなられました。
現在はキラキラ丼も変化し、「春告げ丼」「ウニ丼」「海鮮丼」と、美味しい各店の努力が皆様への感謝の印です。
しかし、この原点は「いくら丼」の一粒一粒の輝きが、名称の元となっています。南三陸町の海と川の繋がりが、鮭の遡上を生み、いくらの豊漁とともに格安に美味しいイクラを、どんぶりに掛けた物が写真のような「丼」となりました。
震災後の鮭の遡上の減少でイリラも高騰し、材料が確保できない中で、少し高値となっていますが、南三陸町のいくら丼は、店店の独自の味付けで美味さも違います。秋が待ちどうしい「南三陸町のいくら丼」です。
 ごめんね!

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被災地低地部の再建は、先祖代々の土地への感謝があり、総てを流失し土地の国の整備から6年半の月日が経ち、工場・住宅再建で自己資金も底をついた中で、生まれた土地への愛着は私にはあり大きい。祖父から100年にも続く印刷業は「業態改革」の元で、新たな事業展開へと、これから他業種への参入を図っていく。それは「被災地の風化防止」と「被災地産品発信・販売」「被災者支援」を目的として、印刷業の継続をしていく。

「謝罪する。」「反省!」と言葉だけの安倍政権の党首の発言に、少しは悔い改める政治姿勢を期待したが、やっぱり駄目だった。

森友学園問題での安倍総理と婦人を守る、なんども同じ説明に世論の不満が爆発している中で、国税庁財務長官への佐川理財局長からの栄転は、自民党の立場を野党からの執拗な質問から回避した、その行動と成果に対する与党の対価だろう。内閣府副官房長萩生田氏は、官僚の人事の決定権者であり、加計学園問題の当事者でもあり、更なる政治の闇の部分が露呈した。

今度は麻生財務大臣(副総理)のゴロフ場会員権の購入問題が発覚した。財務大臣の投資的な会員権の購入は禁止されている立場にある。国会の発言でも麻生氏の厳格な性格の人が、こんなに誰しもが「駄目だろう!」と感じる行動は、自民の一強の緩みとしか思えない。
政治には利権が渦巻き、そこには不透明な金の流れがあった。政治資金規正法ではパーティー券の20万円以下は報告の義務が無いと言う。この制度を作ったのは政治家で、どこかに抜け道を作り選挙資金の確保がある。

ああ、やだ! やだ!

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2017
07/04

土地への感謝と 安全運転で


旭が丘の叔父の「初七日」での焼香に行った。その折にあんなにも賑わった「元さんさん商店街」の跡地は、新しい店舗が建設を始め、BRT停留所の解体が始まり、「兵たちの夢の跡」と言った状態になっていた。モアイ像も観光客が来る姿もないままで、チリ国からの震災復興の支援が、宣伝だけの企業の効果を得られただけと、ならない新たな整備が求められる。

低地部の市街地整備は土地の引き渡しが4月27日にあり、URの関係者の説明だと「5月には電気が来ます」が、6月が終わってもまだ来てない。復興推進課の職員が今後の進捗で報告をくれた。「水は来ています」、それは解っている。なぜ電気も無い4月27日に渡したの問いに、「千葉さんが早く土地の引き渡しを」と言ったので、環境が整わない状況で土地だけ引き渡した。と話していた。電気・電話・水道が無くて、事業所再開として何ができるだろう。被災者の気持ちが伝わっていない事にいらだつ。

低地部の土地に居た時パトカーのサイレンに目をやると、「前の車止まりなさい!」と警察が呼び掛けていた。前を行く車は「さんさん商店街」の駐車場まで走行していく。シートベルトだろうか? 工事の人は「罰金は無いけど2点減点は痛い。」と話していた。南三陸町の様々に変化する道路、わき見や田舎の考えは運転には危険だ。

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藤井4段の将棋連勝の30が、遂に敗れた。ここまで来られた、頑張った藤井の将棋を国民は絶賛している。一回ここで終わる事で藤井四段は、更なる成長のキッカケとして私は見たい。

台風接近があり、世界で異常気象と日本の気圧の形成も異変となり、「自分で自分の身を守る!」は、大震災ばかりではなく、異変の情報収集や危険への感性を磨く事で、命を繋げる事ができる。防災庁舎に上がった事は自己判断と町長は言い続けるだろう。それは今の自分の地位を守るだけの言葉でしかない。もっと同僚職員の家庭と人生に気を配るべきと私は思う。自分の保身は会社の維持でもある。それが永久に続く訳でも無い。そんな中で町長の資産が発表された。2016年に新たに取得した土地や建物は無く、公開対象の預貯金は無かった。給与収入は960万円だった。



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2017
07/03

一強体制からのおごりが自民の崩壊の予兆が都議選に


毎週の日曜が叔父の当たり日になり、昨日は叔父が大好きだった登米町の、冬の焼き芋を売っていた「むかで青果」さんに行き、スイカを買って祭壇に上げた。葬儀の献花のピンクのゆりがリビングで満開になった。

東京都千代田区の一人区は内田氏(都議会のドン)と言われた選挙区で、都民ファーストの推薦に漏れた候補の出場だったが、小池都知事の秘書も立候補し当選した。都民の皆さんと都政の為に努力します。と言い、対抗馬となった自民の25歳の女性は、国政のゴタゴタを敗戦の理由にある。と語る。この候補の他人のせいにする選挙精神を、小池氏は面接で感じ都民からの候補者にふさわしくないとしたのだろう。人のせいにする考えは、自民の若手と同じ軽率な発言と行動と同じだろう。

秋葉原の安倍総理の演説のヤジがあった。「安倍辞めろ!」のコールだった。東京都は4年に人口の半分が入れ替わると言われる、日本の首都で無党派の多い所で、今回は8ポイントも投票率が上がった。この全てが小池氏の代表の党に流れていた。国政にも目を向け、次期衆院選への都民ファーストは、党名を変え「小池新党」として国政にも進出するのは間違いが無い。5候補の確保となれば党として国政で認められる。大きな失敗が無い限り達成できるだろう。「小池が総理を目指す!」は真実味を帯びている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:24 】


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