ARCHIVE - 2017年06月

2017
06/30

私は絶対にあの日を忘れない


家のリビングにはピンクのゆりが咲き、亡くなった叔父が家にまた来てくれている。震災後に倉庫は暑いだろうと、叔父は窓に保温保冷のビニールシートと、暖簾を日除けにガラス張ってくれた。こないだまでは、母を見舞いにそして葬儀、以後の焼香に事在るごとに来てくれていた。自分の健康よりも父の体調を心配してくれる、その優しさには頭が下がる。
92歳の私の父と、72歳の一番下の弟の関係ながら、二人の母は違い、その確執を長年見て来た。月日と年を重ね二人の垣根は少しずつ取り払われていった。互いに健康を気遣う二人の心をひしひしと私は感じていた。できる事ならもう少し父の元気を叔父に分けて上げたい。

土地の引き渡しから2か月が経つ、2m×5mのユニットで震災前の土地で、営業所を静かにスタートさせたい。写真の自宅の会社の玄関に車が突っ込んでいたる、この場所の向かいに土地を換地された。
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あれから6年3か月、換地から2か月で土地の近くには電柱が立つものの、電気・電線が来ていない。水道の引き込み線は見えるが、ここまで水が来ているかは判らない。夏に向かい小さなユニットは暑く、来てくれた本浜地区の高齢者が休むには、「熱中症」が心配だ。電気は「遅くても5月までには!」とUR都市機構は言っていたがまだで、昨日の5時頃に電話したが、どうなのかは6時まで待ったが連絡は来なかった。ユニットにはエアコンと流しが設置されている。すぐに使える状況ながら宝の持ち腐れである。とにかく色々な形での「集える場所」ができた。8年越しの公約を全うした。

私の土地の向かいには友達の「歯科医院」の本設の建物が建設中で1か月余りで建物が出来たが、内装・設備の設置もあり、オープンは9月を予定している。私たちは現在、60歳・61歳と「後何年仕事が出来るのだろう」とよく二人で話をする。「私達には時間が無い!」がある。仮や仮設のままで終わりたくはないと、後どれだけ仕事が続けられ、南三陸町志津川にどれだけ貢献できるか、これからも頑張ってこの町で生きて行きたいが。
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2017
06/29

創造の復興は重き言葉


「豊田真由子! 豊田真由子!」を宜しく。と言う、7年前の選挙で安倍総理が連呼する姿が、テレビで何度も放送される。豊田真由子は安倍チルドレンとして7年目の議員で、何故こんなにも傲慢な人間になったのか。議員は一般人より偉い的な勘違いが、彼女をそうさせたのだろう。自民の一強独裁がそうさせているのか? 彼女に大きな疑問ばかりを思う、「文春」の第2の秘書の告発に、彼女の異常な多重人格性を感じ、国会の発言の優しい口調を見ると、その違いに笑ってしまう。

現在も都議会選挙が告示から早くも、今度の日曜の投票で残り2日しか運動期間はない。都民の現在の国・地方の議員の不祥事問題の数々から何を学び、どんな選挙行動をと、結果が出て来るかが楽しみだ。

以前の町の選挙でも自治会長・区長や、町からの委任を受けた人たちが、選挙に加担する事が聞こえてくる。警察は「選挙違反にあたります!」と言うが、注意で終わっては、選挙違反は無くならない。町から地区の仕事を受けても中立が基本にあるが、我が町は少し違っている。佐藤町長は議会で2回も議員の質問に応え、記者会見で2回も質馬を語り、新聞報道に4回掲載され、報道機関の南三陸町の町長選挙には、全国から多くの注目を浴びている。もうと維持者は選挙モードとなっている。

千葉はどうするのとよく聞かれる。「出ないかもしれないし、出るかもしれない。」と、聞かれたら周囲には話している。こんな震災後の再建が未だに終わっていない町民がいる中で、もっと町の真実の復興を考えないといけない。村井知事も4期目の立候補を発表し、その会見で「創造的な復興を!」と話していた。佐藤町長の目標と同じだった。政治家はみんな同じ事を言っているだけと感じる。

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2017
06/28

テレビの影響



こないだテレビで「ハンバーグ特集」をしていたのを見て、無性にハンバーグが食べたくなった。ハンバーグ専門店と言えば、石巻市にある「ドンキホーテ」が浮かんだ。思い切って行って見た。
家族連れや若者たちの中にも、チラヘラ高齢者の姿があった。店内は子供達の声が渦巻く、場違いな所に来た? 一瞬思ったがチーズハンバーグの200gは満足できる品だった。

最近南三陸町の市街地にラーメンチェーン店の「幸楽苑」の出店が決まり、和食の「まるまつ」も来るとの話が舞い上がっていた。ドンキホーテに多くの客が来たように、ショッピンセンター「アップルタウン」にも、ラーメン店が出来ると町民の流れが生まれ、地元の店舗に少なからず影響となるのは必至だろう。復興からの店舗の開店の中で、町づくりの「歪」がポツリポツリと発生している。

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優しい叔父の突然の悲報だった。法名には「洸」の字があった。方丈様は海に反射する光を指すのだと言う。機関長として遠洋漁業で40年近くマグロを追う船で働いていた。叔父は周囲の人たちに、あの眩しい海に輝く光のように「温かい」「静かな」、そんな人だとお通夜の席で参列した人達に話し掛けた。
92歳の両親に自分の辛い体調を押して、病院に、亡くなった母の仏壇にも、1か月前ごろにも来てくれ、「姉ちゃん」「賢二郎さん」と、幾度も顔を出してくれた。私が幼い頃は叔父と両親が話す事は少なく、互いに年を取り共に労わる姿を見て来た。若い頃の荒々しい叔父は、本当に優しい人だった。

沖縄県の元知事大田さんが92歳で亡くなった。沖縄戦の50年を記念して「平和の礎(いしじ)」を造った。記念日には多くの家族が72年の月日を飛び越え、亡くなった家族に言葉を掛け涙する姿に、今回の大震災が重なる。

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2017
06/27

26日の光と影


世界の2割のシェアを持つエアバックの「タカタ」が1兆7千億の負債で民事再生法を提出した。過去最高の負債額と言う。エアバックの異常破裂が多くの死者を出し、全米での7千万台のリコールで経営が悪化した。関連の自動車会社も1兆3千億の肩代わりも戻って来なく、関連企業の連鎖倒産が懸念され、国は低金利で借りられる制度を活用して欲しいと言う。タカタの取引銀行は資金不足への融資約300億円を一時的にした。専門家の話だと現社長は米国の議会の、リコールの指摘にも出席しなかった。こんな経営トップの初期対応が、更なる問題を悪化させた。二代目社長の記者会見の不器用さと、世界一位のシャアだった事の傲慢さが態度に現れている。前社長の子供の甘えと開拓精神と危機管理の不足が、多くの日本企業の連鎖倒産や、自動車産業の衰退とならない事を願うばかりだ。自動車産業の日本魂を発揮して欲しい。

将棋の藤井四段が前人未到の29連勝を達成した。持ち時間5時間ずつの対戦で、午前10時からの午後9時を回っても勝敗は決しなかった。お昼ごろには加藤一二三九段は互角と言い、その後に藤井が優勢と伝えた。NHKの9時のニュースは最終盤戦を、藤井四段の師匠が解説をしていた。相手の接戦からの攻撃に向かったものを、防ぎきり勝利となったと解説は話す。午後九時時点の将棋盤を見た時に藤井の優勢を勝敗前に私も確信した。決したのは夜9時半ごろの時間だった。まだまだ入れると先輩騎士話している。

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2017
06/26

素晴らしいお膳に舌鼓


長野県の震度5強の地震があり、深さ10m前後の余震が現在発生している。南三陸町に支援を続けている「飯島町」の皆さんの事が気になり、昨日電話をしたが留守で、夜8時過ぎに電話が鳴った。震源の木曽町は中央アルプスの西側で、飯島町は北と南アルプスの間で「震度3」で、大丈夫ですと言っていた。余震に十分注意して下さいと伝えた。

友人の家族の死で、同級会と御礼の席を、さんさん商店街の「しお彩」でもった。震災から6年を迎えての商店街内での再建は、震災後の被災地の食事事情を考慮した、惣菜の車上販売は仮設生活の中で、大変な事で多くの被災者の食事を支援した。
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そんな被災後の下積みは料理も一段の変化を生んでいた気がする。手と心を尽くした料理は、すべてに「おもてなし」の心が入っていた。商店街内の飲食店は、観光客の対応に追われ、なかなか来店が叶わないが実情に思う。私も他の飲食店を含め4店舗で予約が取れなかった。今後少しは予約が取れる状況になったら、友達と行ってみようと思う。

昨日も何もいない一日だった。仙台から兄貴が来て2時間滞在し帰った。「俺だってテレビみるだけだ」「夫婦の会話は無いに同じ」と言う。同じ屋根の下で暮していても30年も経つとそんなもんだと納得した。昨日はNHKの「明日へ」で、復興市の事を話題に番組をしていた。志津川小学校に避難した高橋さんを兄もテレビで見ていたと言う。「同級生だ!」と話す。避難所の上山緑地に避難したものの、同じ高さに津波は到達したと言う。経緯度計には「16m」と設置場所に明記されていたと話す。そこから山を越え志津川小学校の避難所に着いた。体育館には千人の住民が避難していて、電気も水も無く寒い夜だったと語る。次の日が小学校の卒業式で、紅白の幕を取り外し寒さをしのいだと当時を振り替える。録画していたのでゆっくりと後で見たい。

今日は家で仕事と給料日にあたり、家から出ない引きこもり状態となる。

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2017
06/25

慰霊の場が南三陸町にあっていいのでは?


昨日も南三陸町には旅行・行楽シーズンとあり、バスで来町者を迎え防災庁舎の焼香の場まで行かず、語り部の方が団体に津波の状況を伝えていた。震災から復興へと震災の爪痕も無い町の中で、説得力に欠け、粗末な献花・焼香の場は余りにも寂しい。
戸倉経由で今の大川小学校跡地に向かった。南三陸町の戸倉地区の名勝の「神割崎」に一年ぶりで出掛けた。昼過ぎながらレストランらも、キャンプ場から出てくる車もあった。神割崎にはマイクロバスや自家用車で、入口の駐車場はいっぱいとなっていた。この後で志津川市街地の防災庁舎へも回る事と思う。

大川小学校跡地には新しい「慰霊碑」が建立されていた。慰霊・追悼の場へは100人近い人たちが、学校・遊び場・焼香台そして慰霊碑塔に手を合わせていた。団体さんは皆で祈りの言葉を送っていた。

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戸倉地区の高台を見上げると各箇所に団地ができ、仮設は解体され家も土地も再建が進んでいた。しかし、石巻市十三地区は高台の住宅再建は進む中で、道路整備と防潮堤そして国道嵩上げで、道路整備の為のう回路など、交通の混乱を招く状況が今となって起こっていた。
新たな観光開発で来町者集客の事業展開を進めている。外国人客の仙台から奥松島(東松島地区)から平泉までの観光バス輸送がピンチだ。年間300便以上の運行ながら、乗客が300人足らず徒いう。国の交付金も終わり、運営は岩手のバス会社が今後あたると言う。
自治体が思うように外国人や日本人の被災地観光事業は、厳しい今後に向かっていくと思う。人との交流は来町者のリピーターとして、一番必要な部分で、一人でも多くの町民が残る事で、観光客の減少数を抑え、将来の町にプラスとなる事業と私は思っている。購買を観光客に求める今のスタイルは、きっといつかは終末期を迎える。「防災教育」も他の所で大災害が発生すれば、見学場所も変化すると私は思う。南三陸町で「これを買いたい!」と思える物を、多く商品化する事で観光支援のお客様の維持へ繋がる。

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石巻市立大川小学校の周辺には、こんなにも綺麗な町並があった。谷地中地区の住民の多くも亡くなり、慰霊碑には子供達の名前と共に、地区民の名前が全て刻まれた慰霊碑として建立されていた。

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2017
06/24

残された時間を大切に生きる


大震災から6年3か月余りが経った。
小林真央さんが亡くなり、豊田議員の議員人生もこれで……、テレビでは政府広報でテレビに、北朝鮮からの核弾頭の日本落下への、国民の対応喚起が示された。都議会選挙も始まり、都民ファーストの代表の小池都知事が、豊洲問題の解決策で、築地を「食のテイマパーク」としての再建、豊洲移転を発表した。双方に良い方法を取り、選挙対応と思う人気取りの政治を続ける。

「魔の2回生議員」と民進党の蓮舫議員は言い、党の指示獲得を目指す。安倍総理が民主党の政権から奪回で、「安倍チルドレン」が100人以上誕生した。前回の選挙でも19人が落選したものの、現在も安倍一強の政治は続いている。突然の選挙で身辺調査もいないままで、党の公認を受け当選した2回生議員が、不倫・インサイダー・軽率な行動で役職を辞任したり、離党したりして今もなお議員に残り、議員報酬を貰っている。国民の代表として選んだ政治家、「情けない」「恥ずかしい」と言い、選挙への無関心は党民が多い政党の有意さばかりとなって行く。今こそ「無党派」の力を爆発させる時が来た。来年は衆院選挙がくる、国民の投票行動で国政はどちらに転んでも、良い結果を生む。それは改変・戒めと言った形で議員を育てる。

私は以前の被災した土地を再生に奔走している。資金も底を尽きつつある中で、やれる事からやろうと小屋の建築確認申請が昨日通ったと連絡が来た。とにかく少し前に進む事ができそうだ。「終活」は決して自虐的発言ではなく、今を大切に生きたいとの思う心が、こんな「有言実行」の精神で色々な発言をしている。「心筋梗塞」「脳梗塞」が何時襲ってくるとも限らない。
77歳の男性が病気の悪化で亡くなった。妻はそれを病院に通報しなかったまま、自分は自殺した。警察は殺人容疑で亡くなった妻を起訴したと言う。寝たきりの主人が不憫で妻が殺害し自分も自殺する。こんな事件が次々に発生している日本社会は、経済大国から貧困高齢者大国と突き進む。政治も憲法も法律も何処かおかしい。

真央さんの「皆さんが笑顔となりますように!」は、亡くなる前のブログの一節です。私も同じで、自分の時間を大切に生きたい、そして多くの人の為になる事をできれば嬉しい。人の揚げ足をとり、告げ口をする人が我が町には時々ある。その矛先は誰の為か皆さんにも解って欲しいものだ。

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2017
06/23

平穏と言えるだろうか

一昨日の豪雨と強風、一転して昨日と今日の好天で気温も高く、梅雨入りと梅雨明けが一緒にきたような南三陸町の今日この頃です。

私も父も朝4時には活動を始め、家に居ても一日2・3回、顔を見るだけの生活で、夜6時・9時前には二人とも就寝という中で、二人の確認は台所とリビングのカーテンの開ける事で、「父は今日も元気」と私は確認している。調子の良い時は朝6時頃に事務所の前の、自宅の駐車場を歩く父の姿で、その日の調子と元気のバロメーターとなっている。二人とも最近は調子がイイようだ。

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写真の場所を皆さんはお判りだろうか? 登米市登米町にある「法務局」です。南三陸町は基本的には気仙沼の法務局に入る。しかし、現在は登米市までは30分、気仙沼までは55分と要する時間が大きく違う。
私も登米市派で、事業再建補助金申請から始まり、住宅登記・会社の移転・登記、被災者雇用補助金申請、住宅の建設・土地の相続関係・新たな営業所新設と、多くの資料の申請に法務局の資料が必要となった。「り災証明」を持参すれば経費は免除になる。忘れた時は600円・800円と、必要資料に料金は違った。もうこれで法務局に行く事は終わりと思う。

町の人口が1万3380人と減少が続き、5月は先月から6人が増えた。先月は高校生の進学・就職で大きく人口が転出した。新聞掲載では13人の外国労働者の転入があり、先月は出生9人で死亡は16人で、自然減は7人にあたる。社会増減は15人増の46人で、公営住宅や新築再建で登米市からの移転があった。
そんな中でフェイスブックの友達は、「すみません私も減少の一人です。」と、返信コメントをくれた。6年間登米市に暮らし、生活の為に登米市で生活基盤ができ、今更戻れないがその理由だろう。

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2017
06/22

のどかな南三陸町を散歩して


南三陸町の町裏を歩くと「農家の畑」とは思えない少し大きめの農地を見る。今が成長盛りの野菜たちが元気に成長している。この畑には総ての野菜があると言っても過言ではない。「シソの葉」「ブロッコリー」、「ジャガイモ」「ネギ」「ナス」、「ニラ」「枝豆」「さやいんげん」「キュウリ」……など、揚げた野菜以上に種類があった。野菜は旬を迎えると一斉に収穫の次期を迎える。素人とは思えない野菜作りに驚いた。

町の形態は谷あり山ありの町並となった。高齢者は生活するのに住み難いと口々に話す。買い物もスーパーまでは遠く、車を使わないと郵便局などへの用事も、東団地の役場向かいに郵便局が新築と聴く。高台には生協やジャスコの車や、トラックでの販売車が来て助かると言う。国道以外は起伏のある道が続き、こないだ3Kは歩いた。志津川低地部が整備されたら、誰も居ない住まない土地なので、朝はジョギング・散歩やツーリングで、身体の為の運動ができそうだ。家に引きこもる事や、人が集まれる場所ができる。
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まだ、春の花々が咲き、初夏の花と入り交り、華やかさの中に南三陸町はある。しかし、トラックが通行する平日の混雑と、トラックの通行に恐怖を感じる事もある。これからが市街地の道路整備や建設の加速が、急ピッチで進む。
昨夜の雨風の余波が今もガラスを揺さぶる。南三陸町は天候には強い町と言えるが、津波には弱い入り江の漁村でもある。

将棋の加藤一二三氏が「負ければ引退」と言っていた、将棋戦で敗れ引退を決意した。藤井四段は遂に「28連勝」と連勝記録に並んだ。次は新記録29連勝の竜王戦になる。加藤九段・藤井四段も人柄も良く優しい人間で、こんな人が多く将来の国を背負う事を私は望んでいる。

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2017
06/21

安倍さん佐藤さん羽生田さん 国民は見ています


籠池氏の冷静な態度と「国策調査」との発言に、真摯に忠実に対応する姿があり、容疑は6千万・5千万の国費の不正受給の、大坂特捜部の家宅捜査があった。安倍総理の支持率の急落があり、急遽の記者会見の直ぐ後に、臨時ニュースのテロップが「森友学園」に捜索を伝えた。籠池氏の家にテレビ局が入っていての出来事だった。

「楽天イーグルス平成の森球場」と、旧歌津町で決められた「しおかぜ球場」の名称が姿を消した。歌津総合支所も志津川の本所のミニチアの様にも見える。「こんなに広いものは必要ない。」とある人が言う。合併の両議会の決定どおり、二つの町の中央部に本庁舎を造れば余計な経費は使わずに済む。歌津平成の森には住宅地はなく、本庁も東地区の部分にはあるものの、分散した高台団地からの高齢者の用事は大変な気がする。高台と各地域を結ぶ「巡回バス」「料金」など、対策と改善の必要性は急務だ。何処の被災自治体よりも南三陸町は、行政の庁舎建設に踏み切った。まだ住宅再建の途上だったり、ハウスメーカーの順番、そして生活の方向性がまだ定まっていない住民も多く、総ての住民が安心しての生活環境が整う、あと2年を待てなかったのだろうか。来月7月の完成が真近となった。私の気持ちは、津波対応の軽視による人命の損失、震災後の町づくり対策の人口減少を招いた。こんな事からも現町長には新しい本庁舎には入る権利が無いと思う。合併時の新庁舎建設を進めていれば、南三陸町は津波から多くの人々を救えた。庁舎建設審議会? の設置は、町長の意向が強かったと、委員のメンバーからも影響力はあったと思う。

萩生田氏の内閣府次官は、官僚の省庁のトップなのだろうが。新たな記録は萩生田氏の発言として文科省から出てきた。「私は知らない」と言い切る。作成したのは文科省の課長補佐らしいが、こんな物を作成し自分には何のメリットもなく、自分にとって将来に影響が及ぼす事を、あえて紹介する必要はない。これも間違いなく「安倍総理の意向を忖度している。」し、新たな萩生田氏のブログには、安倍総理と加計氏、そして自分がバーベキューをする姿の写真を紹介していた。こんな多くの係わりからも、忖度が有ったと勘ぐる人間はいる。「李下に冠を正さず」のことわざを政治家・官僚は肝に命じるべきと思う。

過去の政治家の中にも、自分の名声に溺れ墜落している。世論の力がその影にはある事を忘れてはいけない。

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2017
06/20

今年の流行語は「忖度」

世論調査が出た。調査団体ごとに結果は違えど、自民の支持率は全てで下がった。最大野党の数字はという民進党は0.3? 共産党の方が高いと言う異例の数字がでた。専門家は民進党と共産の共闘に、野党一党の指示が伸びない理由と言う。「とにかく選挙に勝つための共闘」と言う、その考えに国民は異論を持っているだろう。
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国の政治と同等に見えてしまう、南三陸町の政治がある。町民の選択した議員による、「議員内閣政治」は、、選ばれ人と選んだ人の責任の重さの中にある。親戚・縁者・知人の多い、町長・議員しかなれない今の町の内情がある。若者は勿論、政治には興味を示さず成り手も居ない。無競争の中での11月の町長・議員選挙を前に、立候補者の名前が出ていない

3月の町の定例議会では、与党の佐藤氏が町長の11月選挙の考えをただし、6月ではいつもの菅原氏が、町長への今後の町政への考えを聞いた。共に町長派のトップと私は感じている。「もたれ合い」「なれ合い」で、町民を見ずに議会対策に終始するトップの姿勢を、誰も意義や反発を言わず語らずの町になってしまった。町長は「途中で投げ出す事は出来ない。」「震災復興まで後4年、復興への歩みを辞める事は出来ない。」がその理由だ。議会の大切な時間をこんな事に使う議会の体制にも問題がある気がする。
下種な話だが、町長の報酬は一年で約1500万円、15年で約2億円となる。一期ごとに2千万を手にすると、1億近い退職金がでる。自分への報酬で何か町の為に使っているだろうか。これまでの町長は財産家も多く、色々な形で町への奉仕をしている。
町会議員も長期の5~6期の議員が我が町には多い。一年間で約300万円は20年だと6千万となる。高いか安いかは議員の活動の在り方にも寄る。

仙台市長選・都議選と、国民の東京の一票が試される時が来た。東京都は全国からの国民が集まり、縁故による選挙が無く、ここは党派の国民投票が顕著に現れると言われ、この結果が私は楽しみだ。仙台市も県内から多くの人が集まる100万人都市、この与野党の対決も楽しみである。選挙は見る側が楽でイイ!

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2017
06/19

東北楽天と一体に


内野の席はさすがに近かった。球場は内野は満席で、芝生席も6割方の入場となった。10時10分の開場で、12時からの試合開始。後輩は9時過ぎには入場し選手と「ハイタッチ」を楽しみにしていた。地元の野球少年も沢山いて賑わい生のプロ野球を感じていた。現在の楽天はパリーグの一位でもあり、一軍は昨日も試合で勝利をおさめた。
球場には送りのバスがしきりに出入りを繰り返していた。私は乗合バスではなく、近くまで車を利用し1.5kの道のりを歩いた。20分掛かり球場に到着。後輩が良い席を陣取っていてくれた。先輩も入場していて、「去年より多いな!」と、天候にも恵まれ家族8人で、日曜のひとときを満喫していた。多くの知人も地区から来場し、世間話しと野球を楽しんでいた。私は撮影に忙しく帰ってから仲間の奥さんが「私も行ってましたよ!」とフェイスブツクで教えてくれた。

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南三陸町の歌津地区にある「しおかぜ球場」は、イースタンリーグの「楽天-日ハム」戦を機に、甲子園球場の土とコポスタジアムの芝の改修工事で、今日は球場のこけら落としとなった。そして「楽天イーグルス平成の森球場」と改名された。試合は6回まで「0対3」で日ハムがリードした所で帰路に付いた。後で友達から結果を報告します。
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改名された東北楽天イーグルス平成の森球場には、球場が建設されてから最高の2556人の観客が集まった。町民や楽天ファンが球場に集まり、歌津地区への観戦者も「ハマーレ歌津」を訪れてくれたと思う。二軍の楽天選手は帰りに志津川の「さんさん商店街」で買い物と、ファンとの交流会も行った。

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今朝は全米ゴルフを4時からテレビ観戦した。14位からの松山選手はバーディーを重ね、18ホールで8バーディー2ボギーの12アンダーで、残りの2選手を待った。トップが16アンダーで18ホールに3オンした時に、松山選手の優勝はないと、テレビ観戦を終えた。お昼の結果で2位となっていた。精神面の充実がプレーに表れていたと言う、青木・丸山氏。プレーの一回目の忠告を上がりの4ホール目? で受け、動揺かティーショットが初めて現れ、フェアウエイをはずした。厳しい距離のパットもクリアし、残りの選手の上がりを待った。結果的に2位対となっていた。ゴルフの世界順位もこの試合で、4位から2位となった。

スポーツの力は凄い! 若者たちの活躍が色んな所であり、南三陸町の若者も世界で活躍できる人材を育てないといけない。球場や教育環境の整備を進めている町ではあるが、「切磋琢磨」する事で種目に強い選手が生まれる。今の町の状況を考えた時、地元での素質の開花は厳しく、町を出る事で国内や世界で活躍できる選手が生まれる。環境だけでは子供達の強化とはならない気がする。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:13 】

2017
06/18

日々の反省と修正で悔いない人生に


昨夜は同級生仲間と後輩の新築祝いで盛り上がった。後輩の奥様や子供達にも迷惑を掛けたようです。心優しい家族と新築の家は、我が家には無い輝きと、未来への希望が見えた気がする。

何も無くなった志津川市街地が一歩ずつ、復興への再建への歩みを続けている。我が社も先が見えてはいるが悔いなく、「我が人生」を送って行く。出来る限り周囲には迷惑を掛けないよう努力はしたい。
しかし、何かをする事は親戚・知人への迷惑は、今後の恩返しでご容赦頂きたい。仲間とは互いに迷惑を掛けあう人と、私は提議付けている。そんな限られた人たちも一人減り、二人減りと少なくっている。今の仲間と楽しく、遊んでもらっている。

今日は別なは後輩から誘いを受け、歌津地区での楽天のイースタンリーグの試合を、歌津地区の「しおかぜ球場」に観に行く。今年は天候にも恵まれ、楽天の調子も最高で周辺から、楽天ファンがどっと押し寄せるだろう。

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南三陸町の歌津地区にある「しおかぜ球場」は、イースタンリーグの「楽天-日ハム」戦を機に、甲子園球場の土とコポスタジアムの芝の改修工事で、今日の球場のこけら落としをした。そして「楽天イーグルス平成の森球場」と改名された。試合は6回まで「0対3」で日ハムがリードした所で帰路に付いた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:33 】

2017
06/17

今日は何をしようか?

ロンドンの高層ビル火災の恐怖を思った。都会での生活もマンションの生活の経験の無い私でも、この火災の恐怖は想像を絶する。時々行っていた仲間とのゴルフ遠征で北海道や沖縄のホテルの個室は、ビールを飲んでいないと、田舎者の私は怖さを感じていたのは事実です。公的建物のであり、スプリンクラーや可燃材・耐震性と、突然の人災での「火災」の恐怖は、個々で守っていても生活共同体の建物は、日々多くの不安が纏わりつく。自分の建物で自由に使える我が家は一番「ほっ!」とする。あの火の燃える速さは何故と検証が、今後の同等のビル火災の対策に繋がる。

国会が終わった。民主主義の日本で「選挙で勝った物の勝ち!」を象徴するような、今回の国会の与野党の議論の噛み合いのなさに、これで日本は公平公正を持って、国民の血税が使われているのかと不安と疑問が心に渦巻く。私は終わる人間、これからの若者達が生きる時代の日本は本当に大丈夫だろうか。正義感を持ち国民の為に政治家を目指す若者が、政治に毒されていく姿を見た気がする。
義家副文部科学大臣の様々な発言に、手を叩いたり、がっかりしたりと、政治の中では捉え方と言い訳でどうにでも出来る事を知った。確かに言っている事は一理があるが、国民が「なるほど」と納得しないと駄目である。仙台の「いじめ自殺」で教員委員会と市長に厳しい教育改革を促した。反面、文科省の官僚の内部告発に対し、「守秘義務違反」と政治の不正疑惑に対し、もみ消すがごとく「内部告発」をバッサリと切った。党主を守る行動に切り替えた。これが生徒を守る事から、国のトップを守る事へと変わった。

国会の安倍総理の答弁の威圧を見なくて良くなった。答弁で少しのヤジでも発言を止め、この声の先をにらむ。そして同じことを長々と答え、大臣・官僚も時間の消化で、同じ事と余計な説明に終始し、議論が煮詰まりにくい国会の劇場は、本当に国民の事を思っているのかと感じた。質問者の時間の削減対策で、総理の疑惑への追及を妨げた。自由党の森ゆうこ氏の質問が強く印象に残る国会だった。従業員には事務所での「国会放送」を聴く事に、嫌な顔を見ずにすむ。

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昨夜は「ホヤ酢」と「一番搾り仙台ビール」で、時代劇と巨人の試合の勝利に、のんびりと週末のひとときを過ごした。今日は朝5時から全米ゴルフ選手権の松山のバーディーラッシュの前半に酔った。八時前、テレビの現状が気になる。

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2017
06/16

南三陸の恵に包まれて

今朝は6時に起床した。外のトタン屋根を叩く豪雨に驚き、地鳴りのような轟音の雷の中でブログを打っている。

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昨晩は写真の磯の恵みの「カラツブ」「マルツブ」「亀の手?」でビールから始め、次に「4年物のホヤ」と、魚屋さんから買った「旬のカツオ」で、幸せな時間を一人で過ごした。
「気持ちイイー」は入浴で、浴槽は首まで仰向きになり、「こんな時があの日から来る事を実感した!」。これが色々な事が日々あるが、幸せと言うものだろう。

昨日は知人が4年の初物の殻ホヤを10個持って来てくれた。4年物は大きく見た目は黒いが身は厚く、食べごたえと新鮮さでビールも進んだ。でも一杯に止めて置いた。「お陰様で!」と新築を終えた事を報告に来客、家にあった「長野の銘酒」をおめでとうと手渡した。
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友達の新築祝いも後二人となった。明日は新築祝いで、私にとっては2度目の訪問となる。11人に案内した物の行事が用事か友達には多く、結局4人で訪問する事となった。楽天のイースタンの試合が日曜にあり、その前日の交流会で2人が欠席し、家の諸々の事情で5人が突然欠席となり、4人が「祝い金」を持っていってと来社した。電話が鳴った、「会社事務所の前ですが?」 と来客。歩いて5歩の目の前の工場にいても、こんな形でお客さんから電話が時々ある。かんしゃ、感謝です。

「亀の手」は貝の一種で、「これ食べられるの?」と私は思っていた。各種の南三陸の旬の自然の恵みに感謝し、暮らしている。この素晴らしさを全国の皆さんや、支援の方に伝え、南三陸町はこんなにも復興しましたと、今後も発信していく。

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2017
06/15

南三陸のアワビ

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「南三陸町の贈り物(パート2)」は私が南三陸町を発信しているブログの一つです。三陸沿岸のアワビは中国への「干しアワビ」として輸出もしていると聞きます。贈り物ブログは南三陸町の旬の食材や、観光スポットと自然美を自分の視線で発信しています。「南三陸のアワビ」には普段は1件気位のアクセスなのに、一気に7件と皆さんの関心は強いようだ。

南三陸町には2社のアワビ生産会社があり、震災で2社の蓄養場は被災した。しかし、南三陸町のアワビの需要は高く、関東の首都圏やホテル・民宿で、来客を喜ばせ贅沢品となっている。震災後早期の復興を成し遂げ、南三陸の「エゾアワビ」を全国に発送している。大きい物2個で1万円以上はする。沿岸の観光地では100g千円以上で、子どもの手のひらの大きさでも1800円位はしていた。晩秋の頃に収穫の「開口」を迎え、今は養殖物が多いと思う。養殖アワビでも南三陸町の物は違う。良くホテルの「アワビ踊り食」は、養殖アワビながら大量生産のアワビで、大量仕入れで千円以下の物と聴く。11月頃の旬になったら南三陸町のアワビを贅沢しに御来町下さい。

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こないだ友達が「アワビご飯」を持って来てくれた。冷凍庫がいっぱいなので整理だという。気仙沼大島産のアワビで、それをご飯とは地元でも贅沢品だろう。電子レンジで温ためて地元の海苔で巻いて食べた。大御馳走である。

今朝の朝ごはんも貰いものの「ウニ」で、炊き立てのご飯に載せ、醤油を掛け食べると、私にとっては最高の御馳走だ。これからが本番のウニ漁、また、何処からか贅沢なお裾分けを楽しみにしている。

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2017
06/14

生活空間に花を


年よりの男二人の生活は余りにも寂し過ぎる。だから私は出来る限り花を飾る。家庭菜園に今は賑やかに色々な花を咲かせている。キュウリも初めて事ながら、花もまだ1か月余りなのに黄色い花を付けた。採れたてのキュウリをマヨネーズで食べたい。今から48年前のばあちゃんが居た頃、我が家の塀にはキュウリのツタが伸び、多くのキュウリがあり、摘んでは食べていた。あのブツブツのままでボリボリ、良き時代の志津川町本浜がここにあった。
夜8時過ぎに水道の出が悪く何故と思いっていると、洗濯機の回る音がし、父に尋ねると「下着変えたから洗濯している。」と言う。3枚で寄る洗濯ながら、決して認知症ではなく、しっかりしているからの行動と私は思っている。

昨日は仙台へ県の印刷組合理事会に出席した。大会社の社長さん達の中で、多くの情報は我が社の経営には薄くしか関わりないように感じる。来月に「ソフテック東北」が卸町の「サンフェスタ」で開催される。その開催にあたり役割分担が発表された。当日の来月の7日は9時には仙台に付くように行き、オープニングに参加し、会場巡回とセミナーを聴いてくる。8日は「ダイバースティー推進」の本田理事の是非と言うセミナーに、従業員を連れてセミナーを体験する。

仙台から帰って、震災前のブログの写真の整理をした。懐かしい震災前の写真がここにはあった。「懐かしい!」、市街地の風景は何も無くなった。古き良き時代を胸に、今後も新しい町で震災前の志津川町と歌津町を伝えていきたい。

昨日から始まった町議会、一般質問の今野議員の質問が、私の町の疑問に思う事と同じだった。「道の駅の設置場所」「町づくり協議会の在り方」に、トップの視点・力点が大きく加担し、商工会関係者(お友達)が主体となり町づくりに関わっている。それが「町民一丸」と言えるだろうか。だから多くの町民が町を離れている事に繋がっているのが、まだ分かっていないトップが、町の復興の先頭を続けている。人口は20年後には7千人を割り、町が消えて行く懸念ばかりが募る。私は終わる人間、最後まで町を見つめて行きたい。子供達が幸せに暮らせる町になる事を祈って!

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2017
06/13

言論の自由

昨日の昼のラジオで南三陸町の話題を伝えていた。
震災で南三陸町の海水浴場は、歌津地区が3年前に一部の復旧オープンを済ませた。そして今回は志津川地区の「サンオール海水浴場」の再開告知をしていた。
オープンは7月15日の土曜日で、期間は8月20日までと報じていたる。海水浴場は1mの地盤沈下し、海水浴場の整備は宮城県の震災復旧工事として、半年前に始まった気がする。震災前には期間中に4万人がシーズン中に訪れていた。
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15年目の現職の任期が切れる10月、ここ一年間で商店街の整備、398号の橋梁完成、復旧の町の土地区画整備・復興住宅の完成を3月末に終え、歌津支所も今月に完成し共用を開始した。そして、7月に南三陸町本庁舎が完成する。町長選挙を見据えた政策・事業と、選挙の指示拡大の行動としか私には取れない。また、高校への町長の出前町長室や、今回は教育支援活動にも積極的に動いているのも、18歳の高校生の票取りなのか? 他の自治体のトップの行動にはそんな話は聞いたことがない。もっとやる事がある気がする。人口の拡大への行動は、子育て支援への給付金支援があるが、これで町に人が戻っては来なく、財源にも限界があり、町の政策で結果が出なくても、謝罪も反省もないままで、メディアに出ては自分の政策で、町がこんなにも復興したと言わんばかりの態度を感じる。
同業者ながら行政から、個人自業者に積極的な支援も、事業の再建の力添えもない。自宅は流された町長の会社ながら、工場は大きな被災は高台で逃れた。まあいい!
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≪国政調査との乖離≫2
何処にそんな財源のゆとりがあるのだろう。政府の被災自治体の人口の把握もままならない中を良い事に、被災した住民の動向を、確実な数を掴めない状況下で、7年目を迎え今でも正確な数を把握できないのは、誰が考えてもおかしい。真面目に生きる住民と、被災地の自治体である事を理由に、「しょうがない!」
「確認できない!」など、そんな体制の町に将来をまかせられるだろうか。長期政権の「おごり」「ゆるみ」が、危機感の欠如を生んでいるように思う。

仙台市の人口は推計よりも28321人が多い。被災した海岸線の住民が宮城県の仙台市の大都市に流れている。この数を比較すると、人口の乖離分が仙台市に流れている事は、この表からも解る。震災で町の商工中心の観光立町の構想を描く首長の思惑通りで、町の再建が進められているが、これで本当に南三陸町が生き残れるだろうか? 町民・職員・商工会も真剣に議論し考えないと、いけない時期はもうとっくに過ぎている。

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2017
06/12

政治が何でも許される被災地「南三陸町」

日曜だけは家に努力して居ようと思う。しかし、パソコンに向かう事しかすることが無い。洗濯して、布団干して、料理をして、テレビを見るだけだ。友達が終盤を迎えるイチゴ栽培の地元の農家の、摘み放題に行き「お裾分け」を持って来てくれた。父と二人で美味しく食べた。こんな一日だった。

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≪国政調査との乖離≫1
11日付の河北新報を見て驚いている。私自身は町の人口の行政の数に異論を唱え続けていた。町では、議会では何の異論もないままで、2015年の国勢調査の数に対し、今回の人口シンポジュームでの発表の結果に対し「想定外」と専門家は話す。
人口減少が続く南三陸町の人口把握は特段変である。2015の町の推計で15436人が、2015年の国勢調査では12370人と、3066人の乖離がある。その差は「19.86%」ながら、気仙沼市を見ると65804人の人口で、国勢調査の差は「816人」で1.24%の誤差である。人口の過剰な国への報告は、町民一人当たりの国からの交付金の詐取とはならないだろうか。
混乱や想定外などの中で町民は、耐えながらつつましく町で生活しているのに、行政は将来の人口の減少の中でも、大きな庁舎建設を図り、県の被災自治体でトップに庁舎再建を7月には果たす。町の広報の4月末の人口の「13174人」など、到底信じる事は私にはできない。

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≪南三陸町から婚活活動≫
華原朋美さんのコンサートが登米祝祭劇場で、9月2日開催される。小室ファミリーとしてブレイクした時期にファンになった。
「アイム・プラウド」が大好きでリ、ピートして何度も聴いていた。そんな時に作詞家であり先生の小室哲也に恋焦がれてしまった。しかし、その愛は報われる事無く、彼は別な人と結婚してしまった。

その心の痛みから抜けられず精神的な負担となり、病気になりここ5年位でステージに戻ってきた。と記憶する。
今もだろうが、自分の愛する人への気持ちは変わらないと、彼女からは感じる。今後彼女のステージを観る事はだろうから、今回彼女の頑張りとけな気な痛手からの復活の、雄姿を見る事は難いだろうから、今回は思い切って見に行く事を決めた。

一生懸命に彼女を見つけようとする気持ちはきっと報われるが、自分を毎日磨き成長する事が大切です。結婚! 結婚と! 何の努力も無しに幸せは掴めない。

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2017
06/11

登米市を満喫


昨日は午後4時から登米市の看板屋に支払いに行って来た。その帰り本店が登米市の「ウジエスーパー」により、買い物を満喫した。
南三陸町内にはコンビニしかなく、自分が求める物の買い物は、空振りになる事もしばしあり不便さばかり感じる。ついでに寄りチラシにあったトウモロコシを4本買い求めた。町には売ってなく値段も一本「98円」と格安だった。父が大好きで昨夜煮て6時に起きたらもう食べ終わっていた。地元の産直ではまだ早く決して売ってなく、他店でも露地物もまだで、ここまで安くはない。多く店舗を展開し「薄利多売」の成せる技手ある。
その他にカット野菜のキャベツ・もやしと、おやつのお菓子を数点買い求めた。友達の奥さんに出逢った。偶然の再会で、震災後に今は登米市で生活している。スーパーで人に会うほど恥ずかし事はないと私は思っている。
後は「百均」でミニラーメンと飴とパスタとスープスペゲッティーのレトルトなど、8点を買い「864円」と格安に買えた。こないだ町内の人の集まる場所で「百均が在ったらいいね!」と、こんな声を聴いた。しかし、7月にオープンする「アップルタウン」には百均は無いようだ。しばらくぶりに南部屋敷で「カツ丼」わ食べた。今朝は血糖が「168」あり、昨夜の食事のせいだろう。昨日は糖尿の薬と採血をしたがヘモグロビンa1cは「6.8」と、長期の血糖状況はこの数字が基本にあり、先生からは良好ですねと褒められた。

一昨日前に、姉妹支部の東大阪支部の29年度総会にあたり、異動の山口県のホテルに姉妹支部と言う事で「祝詞」を送った。今月2日にFAXでのお願いながら気付かず、2日前に連絡が来て知った、取り急ぎ「なんだりかんだり」を書き送った。

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祝詞
東北の地も山野の山ツツジが真っ赤に山を染め、海も豊かな恵みが市場を埋め尽くし、あの大震災の復興期から発展期へと、「復興10年」までの新たな段階を迎えました。
この度は大阪印刷工業組合東大阪支部の「平成29年度総会」にあたり、宮城県印刷組合気仙沼・南三陸支部の会員一同、謹んでお祝いの言葉を送ります。
全国の印刷会社の数や売り上げ金額が減少する中で、宮城県印刷組合は全国で数少ない会員数の維持と増員の組合です。藤井理事長の活発な活動と改革を、県理事会と会員が一丸となり邁進しております。御支部に置かれましても、永谷支部長を中心に積極的な支部活動は、3年前の被災地の印刷同業者との「友好支部締結」に取り組み、幾度となく訪問され同業者の支援が、私の家業継続の力へと繋がっていきます。
総ての企業の継続は今後も厳しいものとなって行きます。経済同友会の研究所の分析で、サービス業の戦略について話しておりましたが、厳しい社会経済の中で印刷業もサービス業に入ります。毎年新らたな戦略で業界の活性化や改革に取り組んでいますが、その内容を見たら相変わらず同等の戦略が、揚げられていると話していました。誰でも考える事柄ばかりで厳しいサービス業の競争の中では埋没してしまうと、厳しい言葉が綴られていました。

今日は布団干しと洗濯をしたいが、現在、南三陸町には強風が吹き荒れている。

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2017
06/10

志津川剣道の隆盛期に

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私が宮城県の剣道指導者として尊敬する萱場敬蔵先生が96歳で逝去された。宮城県剣道連盟名誉会長で、剣道界の最高位「範士9段」で、1976年の世界剣道大会で審判員となり、77年には全国の8段以上の大会で日本一となった。全日本剣道連盟の常任理事ゃ審判員を歴任した。宮城県の剣道の指導に尽力し、宮城県警の剣道師範を24年間務めた。
萱場先生との出会いは、志津川町で開催された「剣道東北南北大会?」で審判長を務めた。審判長として来町し終了後に、私が先生を仙台の自宅までお届けした。自宅にも招かれ強いだけでなく、上下に隔たりを持たない、人への優しさがそこにはあった。
当時の志津川剣道連盟の隆盛期がここにあり、父も5段で大会の準備委員として、県下・東北でも有数の大会を、志津川連盟が町に招致し、旧志津川小学校の体育館には多くの町民が集まり観戦した。南北に別れた選手団が志津川町内を、プラカードを持って練り歩いた写真で、今もその光景と剣道連盟の活躍を知っている。国会議員との会員の繋がりや、県連事務所としての「菅野武道具店」は、父との仙台へ行くときは何時も寄っていた。志津川と剣道連盟の密な繋がりが大きな剣道大会を町に呼ぶ込む事となった。父の偉大さはこんな所にもある。50歳を過ぎ同級生3人と仙台で「5段錬士」の称号を獲得もあり、私は足元にも寄らない、志津川の剣道の時代だった。。

≪九死に一生≫2
何とか国道まで辿り着き、磯の沢に救急車がありその中に入り暖が取れた。取りあえずベイサイドアリーナまで行き、知人が声を掛けてくれた。志津川小学校まで連れて行ってくれた。次の日は自衛隊の救援隊が、数少ない残った道から、避難場所へ優先して救助にあたり、その通行規制の中で小学校の笹原先生の被災者の救済場所まで辿り着いた。学校の保健室の医療品だけでの治療で、彼は頭の傷と太腿の傷の手当は、傷口をガムテープで塞ぐだけの治療だったと言う。怪我人が床に並べられ、小声が聞こえたと言う「彼は駄目だな!」との話しだった。「トリアージ」なのだろうか? 怪我の程度で治療順位を決める非常時の医療体制が、混乱の場で行われていたのだと思う。

こんな当時の現状の中で人は必死に命を繋いでいた。「てんでんこ」と津波の現場での避難行動は、津波が来たらとにかく自分の命を守り、皆が後で再会することを願い、大地震の後は津波が来ると、直ぐに海から離れ高台に逃げる事をして欲しい。津波が来なくても何も無かったこと事を、命が繋がったと喜ぶことで良い。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:34 】

2017
06/09

ふるさとの仲間の助け合い


昨日は同級生の仲間の家族の葬儀があり受付を手伝った。志津川地区の小学校から高校までの地元の同級生が、事あるごとに寄り合い手伝いをする。親戚も少なくなり地域の分散で地域の助け合いが崩れ、友達の力はどれくらい仲間にとっては役に立っている。昨年の夏の暑い時の私の母の葬儀も、火葬から最後の法事まで友達たちが同席してくれたのを思い出す。


≪九死に一生≫1
志津川消防署で津波の襲来を受け、戸倉地区の中学校の志津川湾向かいまで流され、救出された消防士が奇跡で命を取り留めた。
昨日は勝るとも劣らない「九死に一生」の話を聴く事ができた。40歳前後の彼は志津川地区の十日町で津波に流され、現在の志津川地区の中央団地の高台横断道路脇まで流された。津波と瓦礫に揉まれながら天王前から新井田地区まで命を繋いだ。国道45号の道路を一気に遡上し、磯の沢地区で津波は止まった。もう一方の流れは新井田地区の山沿いの入り江まで波は進んだ。JR気仙沼線の線路の土盛りを越え津波は収まった。今度は強い引き波で一気に海の方へ体は引き込まれて行ったものの、線路の鉄製の枠に捕まり助かったと言う。新井田地区には津波の渦が巻き発生し、渦に呑込まれ引き込まれた時に、瓦礫により頭や太ももに深い傷を負い、背骨は折れ俺身体じゅうが傷だらけとなった。線路の盛り土の所からはなかなか降りられなかった。何故なら体中の怪我と、線路の盛り土は津波で両脇が削られ、急で下りられなかった、津波の流れの伏流水?(水の渦の落下が土を削る)の為だと思われる。新井田の津波到達地点では、腕が無い人、首が無い人など数体があったと話す。そんな中を歩いて国道へ向かう時、津波の終わった後で雪が降り、急激な寒さは足への凍傷となり、瓦礫の中の釘を踏んでも痛みを感じなく、皆がいる所へと必死に歩いた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:52 】

2017
06/08

大津波から助かった南三陸町志津川の団地


こないだ志津川中央団地の、災害復興住宅のD棟から御前下地区を撮影した。大震災時にはここ場所はただの山だった。そこを造成し職住分離の志津川市街地の団地として中央団地ができた。初めは「新井田遺跡」が発見され、調査に1年間が費やされた。土地の区画整備でも工事不良から1か月が余分にかかった。今となってはこの事を説明して伝える人は数少ない。「喉元過ぎれば……」であり、住民は安住の地を得て安堵している事と思う。

D棟の4階から津波で被害の少なかった「旭が丘団地」を望んだ写真には、発生後に私が立っていた場所が見える。擁壁の上が団地で擁壁の下には家々が建っていた。写真を見て解るように一軒だけが残り、団地の下は瓦礫で一面が覆われた。団地に向かう二つの道路は家々が津波で流され、ギシギシと折り重なり上へ上へと押し流され止まった。
擁壁の左角の家が私の叔父の家で、そこから志津川市街地に津波が押し寄せ、眼下の八幡川を遡上し、現在の志津川インター入口を越え、津波は収まった。ナウシカの「オーム」が都市を襲い静まる様子と同化して私には見える。人間の自然破壊による発展を自然が警鐘を鳴らす、自然の戒めのようにも感じる。
7年目を迎えても浸水域は大きく変わっていない。あの大震災の猛威から人々はまた、海岸近くに戻っていた。昔から引き継がれる人々の行動がここにある。これが大津波で町が消えても、多くの人が亡くなっても、「また海に戻る」と言う同じことが繰り返されていると、多くの研究者は言っている。

今日は友達の家族の葬儀で一日会社には居ない。亡くなられた人への畏敬の念を、これからも行動で示して生きたい。同級生が8人も火葬から法要に参加する。震災後にこんな席が多くなり、友達・仲間が互いに助け合い両親の死別の供養に同席している。そして悲しみを共にする。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:33 】

2017
06/07

人の命の儚さ


震災後の一次避難にあたり、私は町長に言った「町民はこの町で死んでも良いと思っている。一日も早く町に戻れるようになるのか!」と訴えた。しかし、7年目を迎えやっと故郷へ、終の棲家にたどり着けた。
町に戻るとの気持ちも長い年月の中で、望みを叶えられず全国の仮の宿で亡くなった人も多く、南三陸町志津川で死ねた人たちは本望と思う。

昨日はそんなこんなで出掛け、帰りが9時になった。おしたく(晩御飯)の準備の途中だったので、9時から料理を作った。叔母から貰った「そらまめ」は、玉ねぎと共にかき揚げにした。残っていた竹の子は悪くなり掛けていたので、鶏肉と煮込んだ。忙しく動いているのに「なぜ?」と思うだろうが、料理し食べる事で心が落ち着く。昨夜は爆睡だった。

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日曜討論の自民党の政務調査会長代理? の北朝鮮からのミサイル防御は難しく、発射する前に相手国の発射前のミサイルを破壊する。こんな提案をしていた。加計学園の獣医学科の腱設は、「たまたま総理の知人が加計さんだった。」と言い始めている。たるみ・おごりばかりを感じる今の、与党一局独裁政治に国民の安定はあるだろうが、格差が広がる政治家の横行がまかり通る社会で
内閣府の官僚が加計学園の理事に就任し、内閣府の担当官は「総理の意向」「総理は言えない」など、強権政権の総理の考えが、全てまかり通っている。菅官房長官の発言も、個人攻撃となり調査はしないと、信頼できていた菅さんも総理の思惑を守るような発言に変わった。「黒を白とは言えない」「公平校正が歪められている」と文科省の元トップは言う。前川氏の天下りの責任を取り辞職しながらも、8千万円の退職金をもらっていた事にもビックリだ。前川氏の家系から言えば、大財閥の家系で何も怖いものもないたらの、内部告発だったと思う。生活困窮女性の調査と言うクラブ通い、おかしいと思うが彼には疾しさは無いと思う。接客した女性も親身になり私の事を聴いてくれたと話す。「孤児で施設に引き取られ今を何とか生きている。」と話す彼女の話にも嘘は無い。嘘で固められた政治に将来は本当にあるのだろうか。
総ての問題は総理の「かかわっていたら総理・議員を辞める!」、この言葉が今の混乱の根底にある。嘘に嘘を上塗りする姿が、今の国会には垣間見れる。

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2017
06/06

定点写真は叶わなかった


震災後から桜の名所の「東山公園」から、志津川市街地の移り変わりを撮影しているが、昨日は時間が有ったので、平成24・25年の東山からの写真を探した。残念ながらその写真は見つからず、「ここは何処?」と言うような写真を見つけた、良く見れば判るが、今はこの光景は何処にもない。

大久保地区の入口で、向こうに見えるのが「松原団地」で、手前は水尻川の河口の入口の瓦礫を、バスで来町し瓦礫撤去に来たボランティアが活動している。記録は24年の5月ごろにあたる。国内からの多くの再建支援の活動を伝える場所が無いと、ここまで復興してきた証は、誰が伝えて行くのだろうか。町民は以前の町を忘れてしまいかねない。見るのが嫌だとか、辛いとかはあるが、この現実から目をそらす事は「正に風化」に繋がる。私の従業員も多くの悲しみが震災にはあるが、「写真の選択に辛かったらやめていいよ!」と言ったが、千枚以上の震災写真を見てどう思ったのだろう。

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昨日は「地方創生は海洋創生」の講演会に石巻グランドホテルまで行った。50分で到着と高速道の利便性は高い。でも車あっての世帯へのメリットである。
講演は「海花復興の会」の佐藤社長の話で、「人間は限りなく海に近づく!」と言う。震災の津波でもこれまで、「津波をおそれ陸に移っても、年月が経つと海岸近くにまた戻る」とこんな話を私の町の現実として聞いた事がある。
その他にも大槌町の話は、町は巨大な防潮堤を造り町を守ろうとした。ここに住民の津波に対する過信となり多くの住民が亡くなった。町には「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島があり、ここには防潮堤はなく、地震発生でこれまでになく潮が引いた。「大きな津波が来るぞ」、と島民は皆が一斉に島の高台に逃げ、誰一人亡くなった人が居なく、総ての人が助かった。
昔から言っている話は「海を制するものは世界を制する。」こんな言葉にも由来していると話す。

東日本大震災では「72時間の命の壁」があり、陸路での救援活動は難しい状況に有った。そんな中で海からのアメリカの船での「ともだち作戦」により、米国の救援活動で多くの人達が助かった。

港町に暮らす私たちは海の力を忘れては居ないだろうか。海からの多くの恵みで町は潤い多くの人々と経済がこれまで発展してきた。交流人口拡大で町の再建を図ろうとする町の政策の誤りは無いだろか。また「リーダーのあやまち」を繰り返し、それを許してはいけない。

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2017
06/05

食事を考えて


震災から別な場所での生活を強いられ、持病の薬も半年間使わない生活は、身体は最悪な状況となっていた。傷が化膿し止む無く、志津川小学校の臨時の診療所で、主治医の先生と会い、現在の病気の悪化を知らされ、その影響がキズの病んだと言われた。

その頃から今の家の前でプランターにミニトマトを植え、野菜の育成に興味を持ち、作った事は食べる喜びを知った。ここから食生活に野菜を取る事に務めた。薬を摂取しながら、血糖値の正常を維持している。

ある時の晩御飯のサラダです。色とりどりの自己流サラダです。パプリカ(赤・黄)・サラダほうれん草・クレソンにゴマドレ!  健康を第一にサラダは欠かせません。

昨日は「閉じこもり」で家から一歩もでなかった。精神的に悪い姿がここにはある。今日は石巻のグランドホテルに「地方創生は海洋創生」の講演会に行ってみる。主催の団体の事務局職員が、我が社に時々やって来ては、「赤玉たまご」を持って来てくれる。その積極性に応えるべく、わざわざ出かける事とした。仕事が暇に事で行けるのが真実だ。

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2017
06/04

新しい地区には人が


高台移転の町並に、昔の賑わいは無かった。

昨日の土曜は石巻市に事務所の備品を買いに行く。「ニトリ」「ホーマック」などを見て歩き、色々と物色し買うのは「箱」の準備が終えてからと決めた。「コメリ」は町にあるものの、求めたい物は無く、事務商品ながら昔の山町さんや丸大さんなどの、なじみのお店は無くなった。カタログでの買い物もできなくなった。

夕ご飯は「大阪餃子」の石巻のチェーン店に入り、チャーハン・餃子・エビチリセットを食べた。意外と満足できる味で、1170円とリーズナブルだった。石巻に移転した方も多く、こんな生活のし易い場所への震災後の移転は、子どもを持つ家族なら当然の事と思い始めた。生まれた町でしか生きられない人々が残り高齢化となる。今後は高齢者が亡くなり子供達が減少する、厳しい過疎化を迎える。行政の人口減対策の効果が出ると、20年後には9千人で、最悪の場合は6千人と、町の震災復興の対策の失敗が現実となる。日本中が人口減になっているからは、行政の「言い訳」と聴こえ、震災後に言われた「想定外」と、責任転嫁の政治家の言い訳が思い出される。

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我が家の菜園の種イモが順調に成長し花を結んだ。そろそろ蜂が来て受粉作業が始まる。ミニトマトも花が咲き、今年は摘果して量より質を求めたい。きゅうりの苗はツルを伸ばし支え木を伝い上へと成長している。ナスもこれから大きくなっていくのだろうが、土地に栄養分が少ないのか成長が遅い。その他にも「みつぱ」は全てを摘んでも、次々と葉を付ける自然の成長力に驚く。

また一鉢我が家のリビングに花を添えた。昨日はホームセンターで青色の「紫陽花」に気持ちを奪われ買ってしまった。我が家は野菜・花木・草花で今、花盛りとなっている。父と二人の生活は華やかさに欠け、老老世帯の暗さばかりが際立つ。私はそれを払拭すべく、かっこうだけでも明るい雰囲気を造りだそうと努力している。
今日は静に家に篭もる。

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2017
06/03

戸倉の町


国道45号から半年ぶりで戸倉の折立川の橋を渡り、国道398号の高台に続く道路を登り「戸倉団地」に、知人の家を探して出掛けた。南三陸町の完成した団地内で人の家を探すのは至難の技である事を常に思っている。総てが新築でみんな形は変われど同じに見えるのは私だけではないだろう。結局探しあてる事は出来なかった。
戸倉地区は平成22年3月の震災前に人口は2433人あり、大震災で23年3月には2296人までの死者を出し減少した。そして昨年末の28年12月には1573人と、860人が減少し減少率は35%にもなった。今年になり三陸道の商工団地までの開通により、戸倉地区の交通量は以前の半分にまでなった。

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戸倉小学校の跡地の折立の川向には、巨大な盛り土の山となり、その山の高さは南三陸町で随一と言うほどだった。以前に聞いた事があるが、街中の土盛りは志津川中学校の「松原公園」の野球やグランドの復旧工事や、河川堤防・祈念公園の盛り土にすると話していた。震災復興途上で残り4年余りとなり、町づくりは最終局面を迎え、その町の変化は急激となっていくだろう。
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昨夜の後輩の新築祝いは大盛り上がりだった。20年も続く気仙沼の先生と3人+1人の男同志の祝宴に、奥様2人+子供達2人の、近況を語り合う席は時間の過ぎるのを忘れさせてくれた。帯状疱疹も癒えビール・焼酎で、今朝は心地よい二日酔いで目覚めた。
最近の不安も迷いも吹き飛ばす仲間との酒の宴は、必要な場と私は思う。60歳を過ぎ途上にある仲間の、生活と家族を守る姿に一喜一憂する時間だった。この仲間とは何でも言い合える。そこには政治もなく、現在の社会問題も互いの意見をぶつかりあえる。
そして今、昨夜の失礼をメールで謝罪する。年代の近いが互いを尊重し礼儀は尽くさないと、ここまで他人が長く付き合う事はできない。私は人生に悔いなく楽しく生きている現実を過ごしています。仲間の存在は私の生きる活力になっている。

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2017
06/02

「ゆるみ」「たるみ」、たくさんの職員の統率は


復興には被災自治体に復興再生経費以上の交付金が流れている。住民はと言うとすずめの涙ほどの支援金で、自己の財産を切り崩し、つつましく生活を町で送っているのに!

町の災害公営住宅の家賃に不備が見つかった。家賃の請求が生活者に送られていない事の調査中に発覚した。全世帯に請求ミスがあったと言う。あまりにもずさん過ぎる行政の体質に「気のゆるみ」がトップにあるとしか思えない。専門の職員を5人配置すると言う。この報酬は町民の税金で支払われる。
「想定外」から震災復興は始まった。「亡くなった職員の為にも町の再建に頑張りたい」と町長は話した。多くの町民が亡くなった事に対し、謝罪も反省もないままで、震災復興の遅れと無駄遣い的な国民の税金を使っているように感じる。
前定例議会の中で16年目となる町長への立候補を表明している。我が町の町民は寛大な気持ちの持ち主が多く、多くの震災後の問題発生にも、後ろ向きともとれる町の再建に対しても、現職を否定する住民は少ない。長期政権に対抗馬の名前は今回は出てこない。

坂本・安倍の巨人のクリンナップに意地など微塵も感じない、昨夜の三振劇だった。楽天・則本に7試合連続10三振を達成させた。野茂の記録を数十年ぶりに書き換えた。楽天の逆転勝利は則本の記録に華を添えた。18日にイースタンリーグが、南三陸町の歌津の「しおかぜ球場」で、球場整備のこけら落しの試合があり、友達に誘われ私も行く。「選手とスイタッチできます!」と彼は言うが、私は恥ずかしくてできない。今年は楽天優勝だろう。そして巨人の優勝は無くなった気がする。大きな巨人の問題に発生しそうだ。長嶋巨人のあの気力をまた見たくなった。

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広島県福山市の皆さんが被災者への支援に町に来て、私にと写真の鮮やかなバックをくれた。私の身うちにはプレゼントする人も無く、戸倉の恩師の友達に上げようと思う。「町に早く帰りたい」というお母さん、戸倉地区の人口減は大きく、一日も早く帰って欲しいが、色々な問題があるようだ。総ての町民には多かれ少なかれ、問題・心配を抱え生活をしている。

今日は地区の班の配布物を雨ながら配る。そして後輩の新築にあたり、気仙沼の友達と含め一回目の新築祝いをする。仕事は? 無いけど「まあいい!」と今を楽しく生きています。

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2017
06/01

なんだりかんだり


「地方創生は海洋創生」と私が加盟している東京の団体の活動に、石巻・田代島しまおこしプロジェクトがあり、メンバーが講演会のチラシを持って来た。暇なので出掛けようと思っている。

一昨日から野球の交流戦が始まり、コボスタジアムで「楽天vs巨人」の試合があり、大差で楽天が勝利をおさめている。仲間に言わせると巨人ファンで無いと言い、楽天の快勝を楽しんでいる事と思う。私は何時まで経っても「巨人ファン」なから、2日間の不甲斐ない試合に、朝のスポーツニュースも見たくない。
次世代の選手育成が無く、金に物を言わせトレードで良い選手を獲っている。その選手も期待外れとなり、長野・村田などの良い選手を控えに回し、プレーにリズムを失っているようだ。新しい選手の獲得も楽天から出た外人選手に4番を任せる今の巨人軍は、ジャイアンツではない。でも辞められない巨人ファン! 総てのチームに素晴らしい選手があり、別な角度で今後も野球を見続けたい。

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昨日は田尻畑地区に行った。水尻川に架かる新水尻橋も橋脚も完成し、被災地側に盛り土で新しい国道45号線が、ここまで高くなっていた。その工事の速さに驚いた。最近は戸倉地区を廻らず仙台方面に行っているせいで、町の整備を見ていないせいだろう。
以前の45号から見上げる盛り土、そして橋の橋脚の上に橋が架かると、地上12mにもなりそうだ。しかし、今回の津波は入り江の志津川地区を襲い、その高さは16mと、数十年後・数百年後にまた市並み襲来となった場合、生まれ変わる志津川地区が瓦礫となる可能性を秘めている。志津川地区はそんな自然災害の影響を受ける街と、覚悟しながら今後もこの町で住民は生き続ける。

気仙沼に2回も行ったが、県の対応が余りにも不親切だ。電話で相談した時は「ホームページを見て下さい」、まだ制度を把握しない窓口が、不器用に何も知らないで県民に対応する。もっと親切に対応してくれたら、怒りも治まる事はなかった。今度は行くのを代理人に任せようと思う。2回目の上司の対応と、判りやすい説明に「県の職員はこうでないと!」と感じた。若い職員も見習って欲しい。帰り際に、上司に彼は「すみません。」だった。県民に「未熟ですみません」では無いのか。

私はそんなにうるさい人間ではない。理不尽な強い力には、強く出る善人です。もう一回県の振興事務所に行って見たいとも思う。震災後の県職員の丁寧・新設な対応が嘘のようだった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:34 】


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