ARCHIVE - 2017年04月

2017
04/30

こんなゆったりとした生活にあこがれて


昨日は自分たちの世代の年「昭和の日」で、元号が「平成」と変わり、また現天皇陛下が退き、新元号に変わる。父は大正・昭和・平成から4つの年号を生きる事となるだろう。昭和が長いせいで、早期の現元号が終わる。
政治も社長も長期の君臨は、余り良い成果を生まない。我が家も諸々の事情で、94歳になる社長が今も健在で、私が生まれる前から社長職となり、70年はその地位にある。その為か世代交代に失敗したかもしれない。しかし、子供達は自分の考えで自己の道に進み、皆が悔いはないようだ。私も後10年、自分らしく生きて行く。現状は「楽しくあっても、決して苦しい事はない!」

昨日の生活からも解るだろう。朝は6時起床で、ほんやり時間を過ごし、「愛と死と希望を見つめて」のブログを30分掛け、今の生活と現社会への想いを綴った。冷蔵庫の残り物と手作りの料理で朝食をとり、「辛坊の情報番組」を見て、9時半から行動を開始した。
「今日は家の事をしょう!」と決めていた。先ずは家庭菜園の雑草取り、プランターの昨年の片付けをした。今からの「野菜苗」の準備をした。それと共に冬物の洗濯機を回した。次に台所の流しの排水溝の掃除で、コメリで手袋・ブラシを買い、台所のゴミ入れを洗い、三角コーナーと排水のゴミ受け等、総てを綺麗に掃除した。私が排水溝の掃除したのは新築3年目を終え初めてのことだった。次に洗濯物を干し、お風呂掃除だ。母が亡くなった時に、仙台の兄が父の為に浴室を綺麗に洗い、それ以来の掃除だった。浴槽掃除は私が最後の入浴の後に浴槽を掃除するぐらいで、隅ずみまで掃除するのは、新築後に私は初めてのことだった。午前中に全てを片付け、午後の来客に備えた。

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昼過ぎに土地換地の場所の確認で「石材店」が来た。200㎡余りの土地は震災の継承として、語り継ぐための場所を小さいが整備する。町民があの頃を語らず、町には当時の事を伝える場所も無く、6年間がただ過ぎゆくばかりだった。
午後3時過ぎに友人が石巻に行くと言う。「ニトリ」で父親の介護ベットの下見をしてきた。良い物で14万円ながら、今後の二人の生活を考えると、通るべき道と互いに理解はしている。その後は友人が薦める「はなまるうどん」を食べる。全国展開しているうどん店は、メガネを所時しなくシステムも解らず、一人でわざわざ行って食べる勇気も選択もない。しかし、美味いしし納得の繁盛ぶりだった。
もう一軒は石巻の道の駅「上品の郷」で、野菜を仕入れて来た。わさび菜・ほうれん草・サニーレタス・パプリカと、干しイモを買い千円足らずの買い物だった。キャンピングカーが何台も停車し、来場者が入れ替わり立ち代わり入り、国道沿いの立地の効果がでていた。三陸道の近くにあるが、石巻圏域で住民が多い事が「道の駅」の発展につながっていた。

日曜のテレビ三昧も、「日曜討論」「そこまで言って委員会」が無く、日曜の楽しい視聴の楽しみが減った。午後は何をしようか思案に苦しむ。こんな何気ない事に苦しむ幸せの中に今ある。震災時の時間の経過を感じる暇もなく、一日一日を家族三人で一生懸命に生きた事が、今考えても「よくここまで!」と振り返る。生かされた6年目を終え、今後の残された生活を志津川町の為に生きたいと思っている。

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2017
04/29

黒潮に乗って


昨日は入谷地区にある「及川魚店」に、晩御飯のおかずが切れ買い物に行く。「初鰹入りました」の張り紙に買わない手はない。やはり三陸沿岸を北上した「かつお」は、獲れたてなので鮮度が違う。戻りかつおの油ののりは無いが、今からの旬の自慢の産品を頂いた。

父親は12時からの診察予約で、110時半前には「南三陸病院」に送って行った。午後4時を過ぎてもなかなか帰って来ない。心配だったが午後4時半に帰り、「具合が悪い」と直ぐに布団で横になっていた。昼前に昼食もとらず病院にいった為もあるが、この日も「5時間」と長すぎる。診察時間の短縮への改善は、8時間から5時間と、さほど変わらないと家族は話す。我が家からは「3分程」で病院はまだイイが、入谷・戸倉・歌津地区から来る高齢者の大変と、一人暮らしの高齢者の事を考えると、医療環境の町ランキングでもあれば、恥ずかしい我が町の医療体制だ。また、今月は3回の診察だった。なぜなの? と勘ぐれば収益拡大策と感じるのは私だけだろうか。私は町の病院はまだ一回も係っていない。
病院の仕事は以前受注していたが、隣町の東京の印刷会社の参入は、「価格破壊」の道を突き進む。安ければイイ的な考えが、病院経営の厳しさを表しているようだ。こうした行政の対応が、人が町から離れる状況へと繋がっている。「自分の住んで来た町を守ろう!」との気持ちがこんな所からも薄れてくる。

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2017
04/28

志津川地区の商店街の夜風景


昨夜は5時半過ぎにさんさん商店街に晩飯を食べに行った。さぞかし飲食店は大混雑を覚悟して行ったが、意外な商店街を見た。
この時間で営業していたのは、飲食店が2軒で一軒は予約のお客さんのみで、もう一店のすし屋さん「弁慶」が営業をしていた。他では鮮魚のマルセンさんと、お菓子屋さん2軒、のり店さん・コンビニと2~3軒が開いていた。そんな状況に車がポツリポツリと駐車場にはいって来た。

「フードコート」も明かりだけが光々と付いていた。これが平日の姿と聴く。これからは「ビアガーデン」も開設して欲しいし、食べ物の店も、もっと開いていると来場者にはありがたい。しかし、昼間の混雑から夜くらいは休みたいが、店主の想いなのかも知れない。また、ゴールデンウィークに備えたいとの気持ちなのだろう。

お菓子屋のオーイングさんは、若いお客さんがあり、コーヒーも提供していた。その他にも佐武さんでもコーヒーが飲めるようで、遅く来場したお客にはありがたい。

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晩飯は豪華に先輩の店の寿司弁慶」で食べた。10貫3千円の豪華食事とした。やっぱり回転寿司とは違い、しばらくぶりの本物は美味しい! 店も意外と広く団体客も受け入れると言う。16人の宴会会場はありがたい。連休の「三一会ゴルフ倶楽部」のコンペの反省会は、ここにお願いしたいが空いているか、まだ未定だ。他の店は予定の日は「無理です。」と言われた。以前のような人が宴会で集まれる市街地は、6年目を迎える今も志津川地区には無いと感じた。

明日からゴールデンウィークだが、予定は仲間とのゴルフしかない。なにもしない事は身体に悪い事は解るので、家庭菜園の草取りで、春の野菜の苗を植える準備をしたい。それと少し町を徒歩で歩いてみようと思う。体のために……。


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2017
04/27

先人の言葉が現実に


「道路は内陸の高台の山へ」、こんな言葉を言い続けた人が居た。しかし、今はもういなく、町の復興は「三陸道」の開通で大きく変わろうとしている。津波の脅威から逃れる道がここにあると言う。
歌津への津波襲来をビデオに収め、後世に繋げようとしている人が撮影した場所へ行って来た。「歌津バイパス」「歌津大橋」は流失し、今後は死語となるだろう。それが写真の風景です。なかなか見られない被災後の伊里前の町並が、「何も無くなった」と誰しもが感じるだろう。
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歌津の商店街は観光客よりも地域に暮らす人達と、共にある店を目指していた。伊里前市街地に老舗としてある「マルエー」さんの御主人が、オープンにあたり話していた。震災後は地元を中心に、他から来た人も集まる場所を創りたい!と言う。80万人の人が前身の歌津「伊里前福幸商店街」に来て、これまで80万人を迎え、その内の22万人の方が「マルエーに来てくれた」、地域の皆さんの生活衣料を中心に、欲しい物があると「高級財布」など、お客様の要望に応え営業を続け新たな出発となった。
高台へ住居を移したお得意さんは、生活の場所が変わり、昔のように世間話しをする人が居なくなったと言う。レジの前に椅子を置き「語らえる場所」とした。以前と変わらぬ商店の経営が、地区の生まれ変わりにつながる事を祈りたい。
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オープンから5日目に今日でなる。「お客さまは来てくれているだろうか。」、南三陸町に来たら志津川地区、そして歌津地区の商店街巡りをお願いしたい。三陸道は志津川の商店街を通過せず、国道45号を北へ進み、立地的には歌津に寄りやすくなったが、歌津商店街には飲食店が一軒できたが、それだけでは「ハマーレ歌津」で、総ての食事処として来客を受け入れるのは難しいが、道路沿いには意外と多くの浸食店が点在している。

古き良き伝統を守り、若者たちの活気溢れる、歌津地区を探訪していただきたい。「田束湖」「山つつじ」など、新緑の風に吹かれて来てほしい。 

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2017
04/26

南三陸町志津川字清水地区の大震災


何でこんな人を総理大臣は選ぶのか、人事はやはり総理の「おごり」「ゆるみ」が現れているのか。何で?
18400人が今回の大震災で太平洋岸の、多くの県で人が亡くなっている。そんな事も思はず25兆円が復興資金で再建が進んでいると言う。その講演の中での「首都圏だったら甚大な被害が出ていて、東北で良かった。」、こんな発言が復興大臣「今村氏」は後さき考えなく発する。「口先だけの心の無い言葉」と被災地の人は怒る。夕方のテレビ報道の男性アナは、この言葉に「怒りを爆発させ、身体を震わす。」、隣りの女性アナは平然と話しを聴いていた。「被災地の人ではないのかな/」と、その姿に感じた。大臣の更迭は当然で、安定政権には「気持ちの奢り」があり、それがふつふつと沸いているのだろう。巨大与党の自民の一年生議員ならず、他の中堅議員にもそのような姿が見え隠れする。

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写真は志津川地区の清水浜で、入り江の町は全てが消えた。写真は地域の「久須志人神社」でお社だけが残った。この高台の法面には多くの地区民が重なるように倒れていたと聴く。この地区だけで「40人」の人が亡くなった。復興大臣は「被災者に寄り添う」といつも言う。口先だけの大臣はもういらない。今度は福島出身の大臣と決まった。そして今、誰も居ない入り江の地域は、大型復旧工事が進行していた。

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2017
04/25

南三陸町の袖浜地区では今年も伝統を守った


南三陸町志津川の袖浜地区に「荒澤神社」があり、春季大祭が4月24日10時から開催され、法印神楽が奉納されました。躍動的な神楽の舞に見とれました。その後で舞台から神社まで神様の踊りは続き、神社の中を覗き込む姿を初めて見ました。
震災後も大祭を中止する事無く、開催続けたと思います。地域の平安」「海上安全」「大漁祈願」「家内安全」など、地域のみならず南三陸町の復興を地域から願う、郷土の祭りです。
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震災時は高台の神社まで大津波は襲来し、社務所までの被害は無かったと聴くが、神楽の舞台は被害を受けた。しかし、毎年連休前後の桜の散る頃、お祭りが開かれる。
袖浜から平磯地区まで、海岸線の住民は「ぼたもち」「草餅」を作り、神社のお祭りを志津川地区の親戚・縁者にも振る舞い共に祝った。
写真の昇りの旗と鳥居の下に沢がある。そこには漁船が打ち上げられ、高台の神社や鳥居は当地方の津波到達地区から上に建設すると人に聞く。意外とこんなにも大きな津波なのに、多くの神社の玄関の鳥居が地区地区で残っている。
社務所では宮司が来訪者に「お札」と「お守り」を準備し、総代たちにはお膳とお酒で、昨年も何もなく無事に過ごせたことを祝い、今年の平安を祈った。
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私は震災の2011年は中止だったろうか? 毎年「荒澤神社」の祭りには行く事をこの時期に励行している。
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2017
04/24

悲喜こもごもの日曜

4.24ブログ
どんなドラマが起こるのか楽しみな一日だった。登米市長選挙は「約66%」の投票率で新人の津山町の熊谷氏(新)が現職を破り、初当選した。布施氏との差は「146票」と投票率の低下も影響した。前回も津山か町ら「無競争阻止」と、今回も元県議の熊谷氏の地元の願いが叶った選挙結果で、私は複雑な心境となった。布施氏は南三陸町志津川との関係も深く、初めての立候補には友達の頼みもあり、少しの応援もしていたからだ。「庁舎建設」が争点だったと言う、10歳も若い布施氏が、10歳年上の新人の選択を登米市民は選んだ。
登米市議選は新人の二人が落選し、議員数26人が決定した。2千票・千票を越える獲得数は45000票が分散したものの、470票が最下位の票だった。我が町なら当選可能票数ながら、やはり選挙は大変だ。

石巻市長は現職亀山氏が再選され、圧勝の投票数で3人の新人を破った。栗原市は新人二人の激戦で「42票差」で新しい市長が誕生した。選挙は一票でも多く獲った方が勝つ。もう少し頑張れば活動しておけばと、反省が選挙事務所にはあるだろう。東松島市では新人三人の戦いで、一人が圧勝した。各敗戦の事務所の事を考えると「無念」の一言だろう。

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昨日は歌津商店街の「ハマーレ歌津」の賑わいを写真に収めようと、大混雑を覚悟して出掛けた。国道沿いの商店街は交通渋滞も無く、スムーズに流れてはいるものの、8店舗の前には多くの人の山が出来ていた。
市街地は赤土が覆い、河川の堤防も建設はまだまだだ。最後まで残っていた酒屋さんも移転をしていた。

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来客は町外の人達も報道の効果で来場しているようだが、津波で高台に移転した地区民や仮設から下りてくる住民も多い気がした。「笑顔」「笑い声」など、地区民の利便性を考慮した本設で来場者の拡大はあるだろう。しかし、三陸道の延伸はマイナスとならないか心配だ。
来月の歌津地区の「田束山つつじ祭り」「しろうお祭り」と、本格的な春を告げるイベントが歌津地区では目白押しだ。

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2017
04/23

宮城「涌谷神社」の桜見物


宮城県に61年暮らし初めて「涌谷城」と「桜まつり」を見て来た。30年ぶりだろうか、初めての結婚は涌谷の人だった。ここにもきっと来ていると、懐かしい若きロマンが湧き上がってくる。良い物です結婚は、しかし、別れは多くのエネルギーが喪失しました。そんな人生に悔いはありません。
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神社の高台の城跡からは、涌谷の市街地が広がっていた。露店や売店があり、周辺の地区からは多くの人々が「まつり」と「さくら」を愛でに集まっていた。子ども連れの家族が多く、観光客らしき人は少ないように感じた。地区民に支えられての町がここにあり、延々と続いていた。
古くから伝わる伝統や習慣に、平安な暮らしへの感謝の姿を感じる。地域の人が集まり平安を喜び合う、こんな祭りの姿が現在の我が町には無い。一日中人と話す事ない高齢者や、一歩も家を出ない災害公営住宅の住民もいると言う。地区の祭りへの理解も薄れ、人と人との繋がりも消えつつある。町の皆さんにも昔の良き時代を思い起こし、一日も早く以前の人々が支え合い生きて来た南三陸町に戻らないと、本当に以前のような旧志津川町は亡くなる。それを破壊したのは現職町長と私は思っている。
行政の震災復興計画を多くの人達に会った時に問う。「遅い」「もつと早い宅地の整備をしていたら」など、大震災で低地部の流失があったとしても、日本の力・知恵を結集する事をすれば、2年間あれば広い被災地全体も、被災地の人口移動はここまで至らない。
気仙沼市の災害公営住宅の整備事業費の総額を、入居世帯で単純に割ると「2900万円」かかったと言う。この数字には正直びっくりした。仮設住宅の整備には、基本的には一軒を「500万円」で建てるがあり、国民の生活の再建にどこまで政府が国費を使ったのか。誰の為に使ったのか。と真実がしりたい。国の成長率の拡大と、安倍政権の「三本の矢」の成功の為のように感じる。経済は止まる事は許されないが、国民ではなく政府の政策だのみを強く感じる。弱い日本国民の精神の弱体化を感じる。

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涌谷神社に願いを込め「家庭のもう少しの間の平安」を折りお願いした。志津川の東山公園の西宮神社には「工藤先生安らかにお眠り下さい。これまで色々と有難うございます。」と手を合わせた。先人への感謝を常に持ちたい。

これから歌津の商店街の「町開き」の写真を撮りに行く。友人の引越し前のお祝いと、同級生の家にも寄ろうと思う。

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2017
04/22

この地に生きて


昨日は気仙沼で、突然逝去された友達の奥様のお母さんの話しを聴く。怪我から大病が見つかり余命を告知され、その告知どおりの5か月余りの死だった。昨年の後輩もそうだったが、医師の診断の緻密さに驚く。私の母は違っていた。肺炎・硬膜下血腫そして点滴により命を繋ぎ、死の淵から何度も生き返った。家族も悔いなく母を看る事でき、孫たちとも話は出来なかったが、子供達の脳裏に一生残った事と思う。

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南三陸町歌津地区の「伊里前商店街」の震災前の光景は、一生私の脳裏から消えないだろう。歌津大橋のバイパスが出来てからも、地域の住民で賑わって、メインの道路を人々が埋め尽くす姿があった。地域の結束が旧歌津町の地区にはあるようだ。今回の明日に控えた歌津伊里前商店街「ハマーレ歌津」は、住宅街は高台に移転したが、バイパスが津波で流失して事で、三陸道が歌津北に開通する2018年までは、国道沿いの商店街は賑わいを見せる事と思う。願いは何時までも店主が「高く羽ばたける事」が理想むながら、時代の流れは非情だ。

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登米市の選挙が明日の投票日を迎える。首長は一騎打ちながら、議員は26人に28人が立候補した。首長は現職の若かき市長が優勢との声を聴くが、前回・前々回と旧津山町の候補が、無競争を阻止するために立候補をする。「津山町」の過疎化の中で「我が町を誇示」するかのような、地元からの出馬に私と同じ気質を感じる。登米市には1900人以上の南三陸町の町民が移住している。今回は選挙の支援はしなかった。何故なら自分の事で精一杯だからだ。

目の前の大きな障害を、一つひとつクリアし、思い通りいかない事は、自分自身に心で整理をしている。来月の25日は広島県の福山市から友達が来る。被災者への支援がその目的だ。どこまで町民への支援の受け皿が出来るか判らないが、出来る事は続けて行きたい。

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2017
04/21

信用貸しなど人への投資は銀行にはないようだ


金策が続いている。自分一人の借り入れは、収入・年齢・財産などの事情により、支払不能・貸し倒れなど、銀行に負債として発生しないような、厳しいルールの元に審査をする。また、借りる側の事も考えたルールなのだろうが、一人の融資など銀行への利益を考えれば、今の貸し手有利の被災地事情で、「借りたい人はいくらでもいる!」との感じだろう。以前の係った店長・職員の対応には救われたが、同じ震災後ながら借り手の現状は厳しい。

地元の2銀行での中の一つの対応に関しては、早く今の借金を返し、関わりを断ちたいとの気持ちが高まった。もう一つは地元意識も高く、その対応に感謝したい。
こうしたことからも高齢で安定した職の無い方の、住宅再建や生活確保は被災者にとって大変な事を昨日確認しました。

人造の新井田川の整備事業が進み、その上にはスーパーの建設がここまで進んでいた。その奥が志津川地区の中央団地で、そんなに海抜が高いとは感じないから不思議だ。東山公園と数十年も百年以上も続く、桜がしっかりと町の変化を見ています。満開の桜に恥じない町づくりをお願いしたいものだ。

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ハマーレ歌津のオープン告知が、新聞・テレビで連日放送されています。待ちに待った歌津商店街が4月23日の日曜日にオープンします。町民の皆様、町外の皆様の支援で地区の復興に繋がり、地区住民の支えとなります。私は混んでいる場所が苦手なので、平日にでも行って見ます。

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2017
04/20

国立競技場の木材使用へ全国の自治体の活動


秋田県でも自分の県の杉を、国立競技所の建設に私用してもらえるよう努力をしていた。県と自治体が協力して「森林認証」の取得に取り組んでいる。
南三陸町も「南三陸産材の国際認証」の取得を終え、町づくりや商店街の再建に世界的に有名な隈研吾氏が取り組み、町長は隈氏と大成建設?の競技場の入札落札により、建設に「南三陸産材」の利用を働きかけている。国際認証は南三陸町で事業の展開をしている「アミタ」が関わり、震災後の世界への森林認証で早期の取得で、我が町の林材をとアピールしている。

山に覆われた町の南三陸町は、三陸道の建設で山林の多くが伐採され、林材の活用が進んでいた。震災後の航空会社の入谷地区の山に、植林や山の整備をボランティアと一緒に進め、若き町の林業家が故郷の林業の利用活用をと、地元の仲間と活動を深めている。

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秋田県は新しい基準をクリアしようと、木材工場の資格取得や、森林の環境保全には国際的な基準もあり、県全体で「秋田杉」の、国立競技場の建設使用で世界への進出へと計画する。来年2月から屋根工事が国立競技場で始まると言う。県を上げて売り込みをしている。

「南三陸産材」も隈氏の係わりがあるからと、安心してはいられない。こないだ知人の住宅建設にあたり、震災後の秋田との繋がりから、「秋田杉を沢山送ってもらいました。」との話しを聞いた。良い物を育て生産する事が、競技場への産材使用へと繋がる。

こうした事からも早めの準備が必要だ。気仙沼公立病院の年間の維持・改修に「70億円」も係ると言い、市の建設の災害公営住宅の管理費用に「2億円」が係り、管理費は国の交付金と基金を充てる。病院には財政改革が求められる。我が町はと言うと町民には何も見えてこない。

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2017
04/19

悔いなく生きるために


広大な赤土の大地が広がっている。大津波で破壊された町並の上に、10mの土が嵩上げされた。手前のアスファルトの向こうに、我が社の以前の跡地があった。昨日も「金策」に奔走した。「なんでここまでやるんだ。」と父は言う、自分の人生を悔いなく終える為」と言うと、父は黙って何も言わなくなった。

現在の私の最大の理解者は父であり、若い時代の父を支えて会社の経営に、自分も人生を捧げてくれた。互いの理解がある。「人に負けたくない!」との千葉家の家風と血がそうさせていると思う。父祖は多くの人から愛され、多くの人の世話をやき、自分の事よりも他人を大切にし、その気性で若くして亡くなった。父は90歳を過ぎ、祖父は50歳まで生きた、私はその間で良いと感じ、75歳までは誰かの為に精一杯生きようと思う。

先輩が昨日来た。「人の為にやったって、人は何とも思わないよ!」と、今の私の活動に「釘を刺す」、まあ、イイ。自分の人生だから悔いなく生きる。

昨日は沼田地区の「商工団地の会」の総会があった。震災後に商工団地内に市街地の住民の多くが、商工団地内に住宅再建をした。70世帯を超える。沼田地区は125世帯があり、25軒は増えている気がする。

今日も金策に奔走し事業計画を制作する。考えていると夢が広がる。目標を持ち何かをしようとすると、時間を忘れてしまう。

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2017
04/18

震災から7年目志津川地区の変貌をどうぞ、しかし。


南三陸農協へ行く。震災後に福祉の里にJR南三陸の本店が建設され、三陸沿岸の農業の本店が南三陸町志津川に設置された。しかし、国の進める「農業改革」は、南三陸農協が支所となる方向へ進んでいる。
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私の学んだ「志津川中学校」の登校坂が今もそのままに健在で、当時の桜もそのままに満開となっていた。今から30年前に助作の高台に中学校が、新築移転された。当時の首長の適切な判断に敬服する。この場所に中学校が移転し、震災の一時期の町民の避難所として大活躍した事は言うまでもない。12歳から学んだ3年間、現在も志中魂は健在で、この厳しい被災地の「志津川」で暮らしている。現在まで5千人も減少した。たった6年でだ。自然災害と人災が人口減の理由と思っている。人が居なくなった街の、多くの巨大な箱物が建設されている。
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先月末に入谷からの398号の八幡橋が建設され、志津川の新たな名所なった。以前と比べても巨大な橋は、海抜12mにもなるだろうか。多くの維持費が今後必要となるだろう。農地の圃場も進み、誰がここで農業を続けていくのだろうか。「復興祈念公園」には人が集うと言うが、決して誰も住まない無人の土地となる。この中学の学舎から数千人の生徒が卒業し、町の風景を胸に全国に散らばった。年と共に故郷の思い出は大津波により、跡形もなくなった。
私には今後どんな町の打風景が、胸に刻まれるだろうか。新しく生まれ変わった町ではないのは確かだ。色とりどりの町並、町を走る電車、人々の笑い声、年老いての安住の地など、今は「一人町の中で死を迎える」、そんな寂しいくもあり楽な人生の終末を迎える心境だ。

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2017
04/17

建設的な議論を


防災システム研究所の山村武彦氏が、南三陸町に来町した2か月前に、私のブログを通し我が社に来社した。その時の話で「大震災の町の過失より、今後の復興と防災の意識改革を議論すべき」と言う、「将来に向けた建設的な話し合いが必要」と言っていた。最後まで私とは考え方に隔たりを感じた。
震災前の町の中には、各場所に到達した津波の波高の看板があった。山村氏はこの看板の津波の結果に、住民の津波意識が常に頭にあり、これ以上の津波襲来は、この場所には無いとの想いが、日々脳裏に刻まれ、避難行動に繋がっている。「到達地点の波高」の掲示板は意味がないと語っていた。
山村氏の最近の著書に「人は皆『自分だけは死なない』と思っている」に、「災害はいつかやってくる。でもまさか今日だったとは!」と、自然災害の発生と対策を何時でも心掛ける事が大切と、私は感じた。
なるほど! 防災研究の40年以上の積み重ねが、被災地の現状を聴きとった上での言葉と指摘があった。全世界・国内と被災地を調査して歩いている。「津波防災の町」と、首長は言うが津波への知識がなさすぎると感じている。観光と津波防災を一つに、町の発展を考えていた震災前の町政に問題があった。

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昨日は志津川市街地の我が社の換地場所を見て来た。さんさん商店街へは300mの場所で、BRTのバス停も隣だった。車を止めて新しく生まれ変わる町を、何時でも駐車場を考える事無く、ゆっくり町の変化と市街地の移り変わりを観察できる。
この場所を何に利用するか考えている。60坪と猫の額のような土地、この場所で60年間生きて来た「証」を残すが、今、思う事でそれが何かはまだ霧の中である。

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2017
04/16

春うらら

4.16ブログ
昨日は朝7時15分~7時45分まで街頭に立ち、交通安全の啓蒙活動で沼田地区の方達と情報交換をした。今日も午前8時から30分まで、班の持ち回りで沼田地区のふれあいセンターの清掃活動を行った。今週も18日の夜7時から、沼田地区「商工団地の会」の総会が開催される。地区配布も昨日に担当の12軒への班長の仕事をこなした。これで先ずは一段落といったところだろう。

南三陸町のスポーツ少年団の結団式が開催された。南三陸町の児童生徒250人が参加し、加盟団体は14団体だと言う。志津川剣道から戸倉剣道と指導の場を変え、20年の剣道始動に終止符を昨年10月に打った。これまで小学校・中学校と剣道をする子供達の少しでも役になればと続け、志津川中の団体・個人の優勝も叶えられ、戸倉剣道の悲願の優勝も、震災の前の年に達成した。私に取っては退団には少しの不満もあるが、満足できるスポ少との係わりだった。その子ども達と親たちから今でも「先生」と言われ、この教え子の為にも色々な所で頑張って行きたい。私の剣道精神は今も変わらず、「継続は力なり」と、多くの節目で自分に言い聞かせている。

ベトナム出身の9歳の女児が無残な姿で発見され、先週に犯人が捕まった。保護者会の会長だった。街頭に立ち通学の見守りをしていて、まさかと言う声が多い。ある親は「この人で無い方が良かった」と、PTAからの犯人の逮捕に動揺を隠せないようだ。二人の子供の親でもある容疑者、マンションのオーナーとして何不自由ない生活をしていた。小さな子どもへの性的興味が、事件への原因と言う。「ロリータ」と言われる人間が、なぜ保護者会会長となったのかというと、なり手が無く立候補だったようだ。地域の繋がりの希薄さ招いた、現代社会を象徴している。「まさかあの人が」は、多くの事件で今は見られる。

富山市議会の選挙が今日投票?だと言う。12人が「政務調査費虚偽申告」で辞任し、補選後も2人の議員が同様の容疑で辞職し、38議席の議員定数に58人が立候補した。不正申告の議員も再度立候補している。市民の投票行動は、身内・仲間・繋がりでのこれまでの投票行動から、議員に適した人を選ぶ住民判断が問われる選挙と言える。全国の目を考えて欲しい。

天気に恵まれたが風の強い日となった。ベランダから布団が落下したと、父は大騒ぎだ。明日から天気が崩れると言う。この今日のチャンスを逃したくない。東山公園からの志津川市街地の「定点カメラ撮影」は、今日しかない。

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2017
04/15

南三陸町議会議員の行動とは何か?


昨日の登米市から帰りに、三滝堂ICの三陸道出口の2K前で渋滞に捕まった。こんな所でと15分はそのままでいたが、一行に渋滞はそのままで、トラックはUターンし、対向車線に入り戻って行った。先頭の方から人が渋滞の訳を車両に伝えて歩いて来た。誰かと思いきや見たことのある顔で、後藤議員だつた。町の議員さんがここまでの行動をと驚いた。機転の効く行動で、渋滞が始まり15分時点での、行動は誰もが真似を出来ない事と感心した。
私の車の後は3台で米谷ICに規制が掛かっていた。渋滞の理由は、私の車から300m先で、大型トラックが車両故障で車線をふさぎ、動きが取れない為と言う。警察の車両がサイレンを鳴らし、渋滞が始まり20分過ぎに現場に来た。三陸道で初めての渋滞に遭遇した。
私もUターンし登米ICまで引き返し、再度、高速に乗り米谷ICまで下り、そこから三滝堂ICに乗り帰路に付いた。途中、高速を見上げると対向車線も渋滞となっていた。三滝堂から乗り帰りの対向車線には、勢い良く走る車を目にする。「少し行くと渋滞が始まるのに。」と、大変だろうなと心配した。

時々、登米市に用事で行くがこの日も用事で片道30分が倍の1時間以上も掛かってしまった。この前は家に保管されていた叔母の衣類を買取に持って行き、6点で「5円」だった。何かこのままゴミとして出すのは「もったいない!」と、初めての買取店、5円とは驚きしかなく、ガソリン代にもならない。

国内や地方の人口減少の中で、青森の八戸のある地区の人口が、1000人だったのが、10年間で3000人の3倍になったと言う。「ニュータウン」だろうと思うが、テレビの報道ながら、興味があり見入った。若い世代が災害の対策を考え場所と、子育て支援環境が整った場所と選択したと言う。こうした事からも被災地だから人が住まないではない。働く場と生活環境の整備で人の流出を防ぎ、出生の増加と移住人口の拡大を目指せば、人口減少の歯止めが成り立つ。町の政策の重点にすべき所がここからも解る。役場職員が町外に生活の場を求めるなど、論外の公務員の行動だろう。
一人の子育ての女性が、最近発生の国内の自然災害の被害現状からも、海から遠い、近くに川が無い、地盤も地震帯などもなく、被害の無い場所を選んでいた。

今、午前9時55分に入谷地区のほうき畑で林野火災発生と、防災無線が鳴った。

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2017
04/14

熊本地震から1年


登米市では16日に市議・市長選挙の告示となる。既に半年前に「……さんお願いします。」と、支援をお願いされた。私は自分の町の事で精一杯だ。

東日本震災で東北地方を襲った大津波に対し、全国・世界から多くの支援を頂き、の気持ちが「恩返し」の気持ちが強くなった。。これまで国内の大災害でも、被災地への寄付などした事がない私でも、少しでもと直接熊本県庁へ、印刷組合を通した義援金、こないだも東京で集まった、「愛の福袋」の熊本のテーブルの皆さんにも、少しながら募金にプラスした。国民一丸となり被災地への支援は、東日本の災害からその気持ちが増したと思っている。

町民一丸となっては、町の職員の意識は薄いようだ。町を諦め町外に家を建て脱出する職員、被災者への心ない言葉、職員の地元事業所への支援意識低下など、余りにも「ふるさと愛」が無い行動・言葉に落胆する。若い職員も町民への感謝の気持ちが薄い。自分の力で公務員となったと鼻高々と、「町民の為にやって上げている」との勘違いしている輩も多い、公僕としてその精神を全うしているのは、5割の職員もいない気がする。そんな人間には公務員たる資格を疑問視する。
亘理町の職員の不正があり、町を離れる職員は「辞めてもらう!」との、町長の強固な発言は、町の危機感の現れと首長として当然の事だろう。

保守的な国々の行動・政策が世界に満ち溢れ、そんな中で自国の利益を守る当然の事と思う。グローバルやマンネリとの理由は、あてはまる物ばかりではない。先ずは自分を守り、そして外に目を向ける事が筋のように感じる。

長期政権のひずみが国会にも見え隠れし、我が町でもそんな姿が垣間見れてきた。次の町を担う後継者も見えない中で、南三陸町はどうなり、これまでの多くの支援への恩返しはできるのだろうか。そんな魅力の少ない町に誰が来てくれると言うのか。「ああ、夕張……。」

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2017
04/13

神仏にすがる被災地を見た


我が家の菩提寺「南三陸町志津川・大雄寺」の大般若会が昨日開催された。震災から7年目となり、祈念の意味合いもあり多くの檀家が参加した。私も大般若会へは震災の年の2年目から、お寺を訪れ手を合わせている。

震災前には歌津地区の舘浜の「津龍院」の先代住職さんから、大般若のお使い上の印刷を頼まれ、「大般若会」を知った。先代も震災で本堂が全壊し、多くの苦悩の中で亡くなられた。町の民生委員や国際交流協会の役員として、震災後も活発に活動され、役場の仮の会議場前で、「頑張れよ!」と、手を握られたその肌の温もりを今も覚えている。

また事件が発生した。この町の行政は何処かおかしい。何を考え目的とし、現状に於いて何を成すべきか、適切な町政となっていない。住民も震災から既に復興したと勘違いし、あとはソフトの面だと言う。まだ住民の再建の苦しみはこれから始まる。ローン返済・新たなコミニティー作り・生活環境の不安定など、取り組む生活再生の途上である。

自治体派遣の職員の皆さんも、住民への対応はいろいろながら適切だと感じる。私も目先だけの会釈ながら、心の合っていない職員は、それだけの付き合いかも知れない。課長職員は多忙と勘違いをしている方も多いようだ。町の仕事が無くなる時も近いかもしれない。何十年も続いて来た、町行政と地元の事業所の関係が崩れて行っている。500以上あった事業所が、現在は200弱、これで地元の事業所が共に支え合ってきた会社が、生きられるだろうか。子ども達を対象とした仕事が成り立つのだろうか。被災地の町の生業が消えうせようとしている中、行政の成すべき役割は大きい。

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2017
04/12

鳥の鳴き声が聞こえる朝


平静29年度「宮城県立志津川高校」の入学式に学校評議員として出席した。いつもと変わらない光景が広がる中で、生徒数の減少は今後の大きな問題になりそうだ。在校生の校歌斉唱の紹介は胸に響いた。
町民の町外移転の政策が震災の混乱で出来なかったのか、それともそれ以上に大切な問題が商店の再生と、病院施設と住民の居住地の整備だったのか。私は町民の生活を守る事もさるものながら、将来の町の安定には「住民確保」が無くてはならないものと感じ、最近になり強く思うようになった。町に働く若者が居なく事業所が求人・確保に追われているからだ。
生徒数の減少は若い世代の町外への流出によるもので、高齢者だけが残り、将来への財政確保の部分と、高齢者の環境整備の支出の増加が考えられる。南三陸町は今後どうなって行くのだろう。

ピーチ航空が今秋から台湾便を週4便開通する。外国人の宮城県への入込は18万人で、その内の6万人が台湾からで、中国の2万人を上回っている。仙台空港の民営化による改革・発展が続いていた。

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2017
04/11

頑張ったね


先々週に糖尿の薬が切れ、主治医の佐藤徹内科診療所に行った。「頑張りましたね!」と一言。月に一回の診察でする事は、「採血」で、この日はヘモクラロビン数が「6.8」と、0.2も減少していた。そのことに驚いていた。ただ、血圧の下が「101」と高かった。機械でなく先生が直接測定しても、同等の数字が出て、気を付けないと大変だと感じる。父よりも私の方がガタがきていた。

ある晩の食事で、「ほうれん草ともやし」の和え物と、野菜多めのシチューを作った。ビールは350を一本、今は仙台工場生産の「一番搾り」にハマっている。これまではスーパードライだったが、最近は地元生産の一番搾りを飲み続けている。日に三食をとり、ビールは日に一本ながら時々抜いている。こんな生活が血糖値の低下となっていた。
60歳を過ぎ「生活習慣病」に一番気を配っている。今後は少しの運動で痩せる事を目標にしたい。高齢になればなるほど、この病気は体調に現れてくる。目・耳・体内・脳など、少しずつ体をむしばんで行く。治療は私の状況だと、体調管理で今を維持していくしかない。病気と共に生きるしかない。

今日も朝4時に起き「日テレニュース」で、「浅田真央引退、ネットで発表」とあった。しかし、映像の使用許可時間まで、まだ早いと「文字放送」。同じ画面が5分以上も流れた。その後も1時間の内に3度も同じ映像に、頭に来てチャンネルを回した。「ないでしょう!、なが過ぎ。」。

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「神の子」ガルシアがマスターズで初勝利した。18番ホールまで同スコア、最後のホールで相手がバーディーに付け、その内側にガルシアが付ける。相手がはずし普通はガルシアが入れ、勝利のスタンディングオベーションとなるはずながら、はずし決定戦に。最終的に勝った物の、ガルシアは「神の子」ではなかった。

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2017
04/10

震度5以上の地震が起こったらすぐに逃げろ!

2011-04-24 13.54.11
昨夜から今朝にかけて地震が幾度も発生している。地層の歪が小さい形で地震を起こしている。震度は1~2位だろうか。これがあるから大きな地震にはなっていない。

昨夜の夢は津波から逃げる夢だった。「津波が来る」と高くなった防波堤から見ていたら、誰かが「津波が来たぞ!」と叫んだ。高い堤防から降りると、一目散に避難場所となっている上の山まで走った。自宅の裏にある漁協の前あたりから、タクシーの車庫を左を曲がり、その時には市場に一波が来ていて、追われるようにアベロクさんの手前を右に、そしてまた左に息つぐ暇もないままに、走り続けたそこから真っすぐが避難場所だった。何とか到着した事まで覚えていた。

自宅からの避難時までは小中の通学路、毎日の道だった。10m嵩上げされた以前の町並は決して忘れなく、私の脳裏に刻まれている。私の周囲には今も以前の商店街を想い起こさせる物が沢山ある。

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昨日、友達が防潮堤見学の様子を写メして送ってくれた。我が町は防潮堤の建設現場など見学案内は無い。政府の国土交通省の仕事と、行政の住民への町の津波防災堤防など、国任せのようだ。町民に津波の事は、町民の死亡の事は「タブー」とでも言っているようだ。私は「亡くなった人の事を想い出し、その人の事を語り、共に涙を流す事が供養。」とよく話す。

大地震が来たら直ぐに逃げる。何もいらない「生きてるだけで丸儲け!」だ。

米国での「マスターズゴルフ」を午前1時から見ていた。ぶっちぎりで「初優勝ガルシア」と4時半まで思って見ていた。起きたら2ホール続けてボギーで、2位まで落ちていた。11ホールめの状況だった。今からまたゴルフを見ます。

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2017
04/09

色々な情報発信にメディア不信にも


仙台タウン情報「ステラ」を読む機会があり、そこに知人の紹介のホームページ作成会社の代表が写っていた。「美里が○○な理由」と題されたページだった。以外だったのは彼がサックスを手に、「いつか音楽を仕事に」との夢を持っていた。若い世代が個々に夢と希望を持ち、それが元気の○○の理由と見た。
若者が町を元気にするエネルギーながら、若い人が町に残れない南三陸町には訳がある。若者が希望する・求めも職場・条件が無い事が最大の理由だろう。これを解決するには行政の取り組みであり、出来ないままで時間ばかりが経っている事が、町の弱体化となっている。ウジエスーパー出店も従業員の確保に、個別にダイレクトメールで募集をしていた。今の町の人口構成では、誘致企業も出展には二の足となっているかも知れない。
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今日の河北新報に南三陸町に、新しい町づくりグループ「南三陸創風会2030」が発足したとあった。中心は行政の職員と、生ごみの活用の「アミタ」さんの参画だった。第一次産業の振興や多様化を目指す。一番に地域内エネルギー自給率100%とあった。集まった一回目の参加者は23人で、歌津地区の泊崎荘での開催だった。
疑って係る自分の性格から、9月の首長選挙に向けた、歌津地区の仲間を増やそうといる目論みに見えてくる。やっている事は正しいが、掲げた目標達成には、やはり人がいないとどうにもならない。人の移住が必要で、20代の若者が残り、30代の夫婦の定住と、3世代家族の60代の家庭の移住が、今の行政の最大の必要な活動と思っている。アミタさんは生ごみのリサイクルの事業や、国際認証の審査機関として、大きく行政の町の復興に寄与している。しかし、それだけで町の過疎化のストップとはならない。
行政がもっと町民と将来の為に、町民に人口減の諸問題について、町民に頭を下げ理解を求め、正に町民と共に新南三陸町の再建に動くしかない。いつも同じ人達が活動するだけでは町は変わらない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:30 】

2017
04/08

まるでハウジングギャラリー


知人の用事で志津川東団地西工区にいった。知人は留守ながら駐車場には昼間にも関わらず車が多く、高齢者世帯が多い事を示している。
個人の住宅再建は「113戸」ながら、その半分は完成し残りが急ピッチで建設中で、その姿は「ハウジングギャラリー」そのもののような光景が広がっていた。震災後に仙台・石巻のギャラリーに見に行ったが、対象家庭は2世帯住宅で、3千万前後のモデルハウスが多かった。自分の建設費を考えても手が届かなく、東団地は一般的な建物で、中央区と比べてもその違いを私は感じた。
東団地には志津川市街地の人達が多く、「やっと土地整備が終わり住宅建設ができた。」と話す被災者が多い。5年末から6年かかりやっと「防災集団移転」が実現した。

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人口減少を食い止める為の条件を、島根県立大学の教授は、気仙沼市の合併10周年記念講演で話していた。
一番に出生率「2.07」への向上。2に10代後半から20代前半の流出の削減。3に20前半男女、30代前半の子連れ夫婦、60代前半夫婦を毎年それぞれ80組定住させる。があった。気仙沼の人口約66000人の場合だ。実現しないと20年後に小中学生が半減し、30年後には人口が半減する。と言う。
南三陸町は現在の人口は国政調査の27年約12300人、22年の震災直前の19800人より6600人が減少した。出生率は27年には85人が誕生し「0.6」となる。町の人口減少は危機的な状況にある。
町の対策は「子育て支援の補助金」「医療費・給食費」「入学祝い品」の補助を創設。定住促進を進めているものの、人口減少の歯止めとはなっていない。
(続きは「南三陸町の皆さんと共に」のブログへ)

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:35 】

2017
04/07

自然と人に癒されて体調は良好


雑草と言うには申し訳ない、可愛い紫の花が、我が家の猫の額の農園に咲いている。皆さんは何の花か判るだろうか。「はこべ」である。昔はにわとりのエサとして、子どもの頃に飼っていたにわとりに採って来た事を想い出す。
昨日は天気も良く、今日から当分は雨模様となり、ジャガイモの種イモを植えた。夏ごろが楽しみである。芽が出て・青葉が茂り・花が咲き・実を結ぶ、正に人間の成長と同じだ。
身の周りの健康や問題が小さくなるように、常々気を配り健康診断を欠かさず、主治医を持ち血圧や生活習慣病など、身に起こる事の予防が、楽しく暮らす最大の自己の取り組みだろう。時には故郷の風景に目を向け、南三陸町なら町の変化と復興を楽しみに生きる事も、長生きできる方法と思う。一人に引きこもらず、時には散歩し近所の人と笑顔で会釈をする事で、なんとなく生きている幸せ感を得られる。

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高齢者に優しい環境は、発見して「ほつ。」とする。三滝堂の駐車場やトイレの小さい部分でも、行政の気配りを感じる。高齢化社会に向かう地方都市にとって、欠かせない行政サービスである。昨日は10分で自宅から三滝堂に付いた。今度昼食は「道の駅」でとろうと思った。さんさん商店街も、登米市の街ナビによると、飲食店が午後9時・410時までと知った。今までのようにたまには飲みに行こうと考えている。
気仙沼市の人口が1万人減り、50億の交付金が減少すると言う。我が町も五年前の住んでいた2015年までに、3249人が町外へ移転し、登米市への「1909人」を筆頭に仙台などに移転している。先月の臨時議会で提出された資料には、約5000人が減少している。この数字だと「25億の交付金減」と言う事になる。この事による住民サービスの低下とならないかが心配だ。

町の現状や政治の事など考えない事が、自分の心の癒しなるのに、性格からか日々新聞・テレビの情報に一喜一憂している自分が居る。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:52 】

2017
04/06

三陸道は最高! だけど?


南三陸産材の木のぬくもりのフードコート、南三陸町の「志津川さんさん商店街」にいらっしぁーい! 県道398号の八幡大橋も完成しました。志津川ICから真っ直ぐです。
飲食店は食事時になると行列ができますが、ここでも食べられ、南三陸の潮風に吹かれながら、南三陸の海の幸に舌鼓は最高ですよ。

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父親の石巻日赤病院での循環器の診察の帰り、三陸道の「三滝堂IC」の見学と昼食を取った。病院までの時間は35分と、驚くほど近くなった。高速入口まで400mはあり得ない、便利な場所に震災移転した「我が家」だ。

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南三陸町は三陸道の開通でどんなにか来訪客が来るだろう。利府町の「春日」のサービスエリアから1時間、「SA」の休憩は出来なかったが、4月1日の「三滝堂IC」で、大分便利になった。今日は「かき揚げ蕎麦」を初めて食べた。

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2017
04/05

ウソの連鎖は「闇」と「悪」の温床

2011-05-05 15.11.24
今朝の世界と国内のニュースは偽りの政治の姿ばかり。
今村復興大臣の記者会見の姿は、政治家の奢りと圧倒多数の与野党の構図から、緊張感と発言の重さのない発信である。福島の原発問題に、記者が「国の責任は」との議論の中で、興奮した大臣の姿に「何でこんな人が復興大臣に任命されたの」と不信感だけが沸き起こる。記者は「避難者を困らせているのはあなただ」と言うと、大臣は怒りのままで退席、その8時間後に「感情的になったと謝罪」、任命責任に発展する発言と気付かないのか、今村さん等レベルの低い国会議員が多くなった気がする。
森友問題は籠池氏の次々と補助金の不正受給が発覚している。雇用する保育士の二つの施設の重複雇用で、6名の保育士を5年間で「7千万円」の補助を嘘の報告で受給していた。これまで総ての資金の確保に、どれだけの不正報告が行われていたかは、皆さんがお分かりの通りだ。
東京の「豊洲問題」は、都議会の百条委員会の証人質問で、浜渦前副知事の発言と、側近の前川氏との発言のくい違いで、どちらかが嘘をついている。凛とした双方の発言は「真実」と感じるが、真実は一つしかない。

菅官房長官の「公務です。」が頭から離れない。総理婦人付の谷さんの財務省とのやり取りに、野党の「誰の為のやり取りか」との質問に、身内の官僚の責任にし、安倍総理の関与を回避する、真実を隠す言葉は「あまりの非情な言葉」に、菅さんの姿勢にがっかりした。元財務官僚は退職し労務関係の職に付き、「谷さんの行為は公務であり責任は総理婦人にある」。と明言する。この元官僚のフェイスブックの発信に「谷さんは悪くありません。」と、返信のメッセージが入っていた。昭恵夫人の優しい気持ちがある。それまでも安倍総理・婦人の関与を自民党ぐるみで隠そうとする。その最大の意味合いは「関わっていたとしたら総理も議員も辞める。」との発言に起因している。

シリアで政権軍が毒ガス兵器を使ったと世界に報道が走った。反政権軍への毒ガス攻撃で100人が死亡し、400人が今も苦しんでいる。子どもの被害が多く、横になり痙攣する姿は「毒ガス」によるもので、国連で毒ガス兵器の使用は全面的廃止となっている中で、人間は何で非常な事を繰り返すのだろう。
米国のトランプ大統領は、この問題をオバマ前大統領の危うさの結果だ。と発言する。核廃絶や戦争の終結など、世界平和に向かう中での、トランプの世界の混乱を生むような多くの発言・行動・政策にこそ、世界の危うさを感じる。

今村復興大臣、当時の事を忘れてはいないだろうか。世界最大の自然災害の姿を、福島の住民の先の見えない生活を、情けない政治家が多すぎる。復興大臣は何度変わったの、本気で政府は大震災の早期復興を考えていないかのように見えてしょうがない。世界のあらゆる問題に対処しているのは判るが、もっと優秀な復興大臣を機用をして欲しいものだ。

今日は父を「石巻日赤」の循環器の診察に連れて行く。

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2017
04/04

知らない社会に出て「見識」を高め町の復興貢献を

img925愛の福袋 東京
小さい世界「志津川」で生きた私は、仲間と比べても世間と言う物を知らないで、一生を終えようとしていた。大震災は多くの人との出会いと、自分の発揮していない力が蘇り、6年間でここまで来た。
高校生の言葉の中で、「一端は町を離れるが、町の復興を支えたい。」があり、大震災で父を無くした娘は「南三陸町のツアーを企画したい。」と、町の再建に何かをしないといけないと、自分の夢に向かって歩み始めた。

私の先輩が昨日来て、登米市で働きながら志津川の災害公営住宅で暮らすと言う。震災後の登米市の生活で「自分の居場所」を見つけたようだ。仮設から災害公営住宅に入った方は、「自分も家族の為に何かをしたい」と電話をくれた。震災後に会社の仕事を回したものの、今は自分の経営も厳しい状況で、仕事を回す余裕もない。
町の事業所の減少と、農水産業の高齢化と担い手不足で、町の商業と産業はどうなって行くのだろう。町も高齢者の仕事斡旋や婚活など、取り組まないといけない状況となっている。「町民を守る行政と変わる時代」になっている、そんな被災地南三陸町だ。

商工会のさんさん商店街の来客調査があり、宮城県が一番多く、次に東京と埼玉だった。メディアによる情報発信が、被災地支援として来町し商店街を訪れていた。町民の商店街の利用は「4.1%」と、町の商店街としての利用は少ない、来場者も仙台市からが「34.1%」と、ダントツに多い。
三陸道が「志津川IC」の開通が10月の末にあり、この効果は大きく人の流れを生んだ。「南三陸海岸IC」は気仙沼への利便性が高まり、ストロー現象となった。

南三陸町志津川さんさん商店街は、開業から21日の入込延べ数は「16万7千人」だと言う。以前の商店街は5年間で200万人が訪れ、平均すると年40万人となる。既に以前の35%の来場者までになっていた。ある飲食店は一日に150人の来客、あるお菓子屋さんは500人の来客を迎えたと言う。毎週のイベント開催が現状を継続する為の条件でもある。

世界平和女性連合の東京での第25回総会に招かれた時の写真です。全国の女性の皆さんの優しい対し方に、学び癒された時間でした。こんな姿を「我が町にも創りたい」と参加して感じた。誰へだてなく公平・平等に生きる権利が私たちにある。不公平な姿を垣間見た時「この町嫌だな!」と感じる時は悲しい。「この町から去ろう!」と頭をよぎる時が多くなった。

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2017
04/03

6班「千葉です」よろしく。


2011.3011の震災から3日目に、沼田地区の倉庫で生きる事を家族三人で決め、あれから6年と半月を迎えた。125坪の被災後に我が家の土地として残ったこの土地を、「最後の住家」と決めた。多くの出来事を15坪の一部屋で、母の在宅介護を経験し、1015年には家も建て、工場も仮工場から暮らしていた倉庫に移し、ここで人生の終わりまで暮らす事を決めた。

志津川沼田地区に移転し6年目を迎え、初めての班長が回ってきた。13人の班ながら志津川地区の人達が集まり、商工団地に偶然にも震災から移り住む。私の以前の本浜町の人達が3人居て、総ての人達の顔を知っている。近所付き合いに不安は一つもない。
一区画とは言わないが、広い商工団地内に点在して家が建つ。皆さんが自己の土地を所有し数軒は借地で事業している方もいる。生活的には少しの安定の方達が多い気がする。1~3年すると数軒が移転し新築を予定すると言う。

4月に入り1日には地区の婦人防火クラブの総会が開催された。我が家は男所帯で防火クラブは良いようだ。その他に「交通安全運動」で街頭に今月立つ。班長の初めの仕事は「地区費の集金」で、1・2日で13軒の集金を終えた。

こんな平成29年度のスタートだった。

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2017
04/02

登米市「三滝堂未知の駅」は地区民総参加だった


登米市の「三陸道」の三滝堂ICに「道の駅」が昨日オープンした。高速道ができ地区の過疎化が進み、商店や買い物の場が無い事への、今回の道の駅の整備は地区民の念願でもある。
地元の野菜や農産品が主流ながら、南三陸町からも水産乾物・練り物蒲鉾や、入谷地区の農産品なども陳列棚に並んでいるようだ。どんなものなのかを見学に行ったが、食堂とコンビニが併設され、高速通行者の利便性を考慮した施設と感じた。「もっと農産物を!」と思うが、この地区だけの納入では厳しいのだろう。「南方」「米山」の産直から比べても劣る感じは否めない。
そんな中で「ずんだソフト」は魅力があった。県内何処でもある物ながら、何も無い登米市東部の農地部の「枝豆(ズンダ)」は魅力を感じる。普通に美味しいが、三滝堂に来た思い出として「まだ寒い!」が、県北の厳しい環境に浸った。
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そんな4月1日の「三滝堂道の駅」のオープンに合わせたかのような、南並三陸町のさんさん商店街の道の駅指定へ、「南三陸町道の駅整備推進協議会」の三浦会長が、町長に基本構想(素案)をまとめ提出し、早期の実現を求めた。
さんさん商店街と駐車場の2.2haと、その隣接する北部分の1haと、復興祈念公園を南三陸志津川地区の「道の駅」とする構想を町は描いていると言う。
以前農家・漁師の方から聞いた事は、「漁業・農業の生産した新鮮な物を並べ、食べて貰う直売の道の駅が必要だ。」と言う。何で商店主主体の町の産業に特化した町の整備なのか。それを町民の選挙としての「民主主義」の元で実施される選挙で首長が選ばれ、既に4期目の立候補を表明している現職。もっと町民全体の意向をくみ取ってくれる、若き新しい、何の「しがらみのない」人材が町のリーダーとして、誕生する事を以前から思っている。
「道の駅」についてもパブリクコメント(住民意見)を実施したいと言う。防災庁舎の解体のパブリックコメントでも20%に満たない住民意見を「民意と決め」、自分勝手な解釈の元で政策を実施してきた。45%の意見率は最低必要だろうし、町民も利益を受ける人の意見に流されない、自分の意見を町にぶつけて欲しいものだ。
南三陸町をアピールするなら、「海の見える高台で、新鮮な水産物の[道の駅]です」。他の商店主の商店街の商店として町をアピールすればいい。水産物の購買は町の商店主が担っているようだが、水産物の鮮度を大切にし、美味しい食べ方の判る漁協と漁民に、その役目を担ってもらう方が、南三陸町の漁業は発展するだろう。「もっと水産品を高く仲買が買って上げる事」が町の発展に繋がり、漁業の後継者の出現も可能になるかも知れなく、漁業の衰退を防ぐ為にも、現政権の継続には疑問が多い。

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2017
04/01

市街地の今後の道路事情

この二つの写真を結ぶ写真の先には、さんさん商店街があり、坂道の先には南三陸病院がある。東山公園の向かって左側にある写真の風景は、今後は南三陸病院と国道45号が結ばれ、商店街の脇を通り、八幡川の橋を渡り被災した高野会館の前から、石巻方面への志津川市街地の横断となる。

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大森地区の高台は市街地が10m嵩上げされた事で、元の津波避難場所だった高台の場所まで、今後の津波対策でかさ上げされ、風景が一変した。

志津川東地区は南三陸町の拠点となり、町役場と病院、そして多くの災害公営住宅と戸建、志津川地区の町民の高台移転の中枢となった。志津川地区も海岸部と、町内が3地区に分割された地区の形成となり、人口が減少する今後を思うと、「コンパクトシティー」からは程遠い。住民生活は高齢者社会となり、活動拠点が起伏のある町の道路事情を思うと、過ごしにくい町の形となるようだ。

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そんな町の中で子供達は限られた場所で遊んでいた。昔に帰るかのような「だるまさんがころんだ」の遊びに興じる姿に、子供達の力強さを感じた。

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