ARCHIVE - 2017年03月

2017
03/31

昨夜は一人カキフライ


今から48年前の我が家は「10人家族」でした。祖母と叔母たちと父母と兄弟3人の賑やかな家だった。秋には地元の牡蠣でフライを10人分作る。家族総がかりで小麦粉付け・卵付け・パン粉まぶしで一段落、それから母が一人で10人前を揚げる。一人5個として50個、そんなものできかなく、100個以上も揚げ食べ盛りの子供達を満たした。そこには賑やかな団らんがあった。昨夜は20個余り、地元の魚屋さんで「500円志津川産かき」を買い、7個を美味しく食べ、父の分もある。朝食べなかったら自分が全部食べる。
あの頃は志津川小学校は、生徒数900名はいだろうか。しかし今年は「201名」と、ここまで人口減となった。これで町の未来が描けるだろうか。合併して人口が2万人弱となり、昨年の国政調査では1200弱まで減少した。70歳以上の高齢者ばかりが暮らす町となった。大きな顔をして「商店街の復興だ」「町の再建だ」なんて言える行政が不思議だ。

今朝の血糖値は「147」で、写真のビール(仙台一番搾り)・カキフライ・いか刺し・つぼみ菜の前菜の後、ご飯とマグロの焼き物の晩御飯。最後の二つが無ければ「120台」で収まったのに、昨夜は月末頑張ったご褒美にしておこう。

62号11月記事南三陸1
『10月30日三陸道の志津川インターチェンジ(IC)が供用を開始した。開通の式典には安倍首相をはじめ、今村復興大臣が出席した。南三陸町佐藤町長や登米市の布施市長など、関係者400人が出席した。同区内の事業費は約150億円。志津川ICの開通で仙台市までは99分で結ばれ6分ほど短縮される。』

◆南三陸町の産業フェアが開催され、カキやホタテ、養殖銀ザケの刺身の無料試食(200食)に2万5千人が来場した。来町された安倍首相も恒例の「餅まき」に参加した。


『南三陸町は志津川高校の生徒減少にあたり、復興の地元の担い手育成確保に、志津川高校の魅力アップへ懇談会を設置した。2010年度の413人に比べ、2016年度は258人まで減少し、40%も落ち込んだ。県内外から生徒を募集するために、中高連携を小学校まで伸ばし、英語教育・ふるさと教育・防災教育に町をあげて取り組むなどが提案された。』

◆「南三陸町議会と住民懇談会」が4日~7日、町内外を会場に開催された。初日の4日には志津川中学校仮設に住民8人が集まり、3つに分班された議員団が住民の意見を聴いた。住民からは多くの意見が出され、来年の議会選挙にあたり人口減少の観点から定数問題があり、議員として仕事をしてくれるなら現状のままでも良いとの声もあった。
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2017
03/30

離島の3000人と心一つに気仙沼市の発展を


62号11月記事気仙沼1
◇気仙沼市は住民主体で18年3月まで「気仙沼市新総合計画」の策定を目指し着手する。
◇気仙沼・大船渡線の「JR東日本のBRT」が、定時運行の実績が評価され、2016年度グッドデザイン金賞の経済産業大臣賞に選ばれた。
◇全国学力テストの結果がまとまり、気仙沼市の小6・中3の成績が一部を除き全国平均以下となった。大震災による学習環境が影響していると見られる。
◇気仙沼市の市制施行10周年の記念講演があり、島根県立大学の藤山教授は「人口対策はこの10年が勝負」と語った。
◇気仙沼市本吉町のモーランドで模型飛行機づくりなど、空を飛ぶことに興味を持ってもらおうと、「親子で空を飛ぼう科学体験」と題したイベントが開催され、パラグライダー体験も行われた。

『気仙沼市で持続可能な開発のための教育(ESD)とその地域拠点(RCE)についての「気仙沼ESD / RCE円卓会議2016」が開催された。実践者が事例を発表し討論を行い、連携や教育を考えた。』

『気仙沼市の市税収納率が15年ぶりに90%台の高水準となった。税額も震災前の94%(62億6千万円)となり、昨年より3億1500万円増加した。
要因として、被災した事業所の再建で雇用が進み、個人所得が増えた事と滞納整理が功を奏した。』

◇気仙沼市はセシウム8千ベクレル以下の廃棄物処理を県の方針を受け入れ、自前の焼却へと対応を検討していく。

*****************
気仙沼の新しい町づくりは、住民参画の市民の意見を聞き、行政も市民の意見に耳を傾けていた。我が町は限られた人間が、いろいろな町づくりに参加している。それは人口が少なく、町づくりを行政任せに町民はしている。これでは本当の「住民の為の町」とはなっていないと、私は気仙沼市から強く学ぶ。
被災した他の自治体から、復興の係わりを住民も学ぶ事が必要と思う。町づくりが首長のやり易い人用は、混乱もなく予算の支出ができる。町民が数々の問題を抱えながら暮らしている時、自分の思うように事が起こったに楽だろう。
町全体を考える新南三陸町は、町の存続と大きく関わってくる。戸倉地区は登米市に、歌津地区は気仙沼に、こんな話も巷で囁かれている。「一丸」と言ってはいるが、町民はバラバラとなっている。

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2017
03/29

友達が「寂しい」とメール

2017031913120000 (1)
被災地の地方の町から多くの学校が消えて行く。
馬籠小・小泉中・戸倉中……
最大の理由は大震災ながら、故郷に愛着がなくなったのか、
「ずっーと」居たいけど、生活の為なのだろうか。
「大好き! 志津川!」の私は
傷つき、人が居なくなっても、ここに居続けたいが……
見方を変えれば自然災害と人災のダブルパンチによるものと私は思う。

「てるみクラブ」の破たんは酷過ぎる。151億の負債と言うが、そんなもんでは済まないだろう。現在も数千人が海外で、この会社のチケツト・宿半券などを使い、旅行をしているが、「自分で支払って下さい。」は、身勝手な言い分だ。
社長はここまで自転車操業で、以前勤めていた社員は「何時かはそうなるだろう。」と既に退職している。罪の上塗りと「奇行」は、現在の社員数の80人に対し、新規内定を「50人」に出し、人への迷惑など何も考えていない。社長としてのお客様と社員に対する、心遣いがないようだ。こんな会社は大きくも成れないし、人も付いてこないと言う。格安だけの仕事は、こんな会社に負債と言う重しとなり帰ってくる。

こんな人間が多くなった日本を感じる。

今朝は私が大好きだった「恵美子ちゃん」が夢に出た。綺麗で優しい知的な美人の叔母だった。なぜ枕元に立ったのか? 夢では二人の棺を皆で送り出していた。
津波で亡くなった家と再会でき、無くなった家族たちとも会えた。イイ夢だったのだろう。

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2017
03/28

大震災を体験した子供たちの人生

2011-06-19 05.12.33
3.11から6年目を迎え祈念番組で、戸倉地区の折立にあった「戸倉小学校」の6年生が高校を旅立ち、新たな目標に向かい南三陸町から、次の世界に進んだ。大震災の時に当時の先生方の機転で、浦山の「五十鈴神社」に避難し、何度も打ち寄せる津波から神社内に低学年を入れ、自分たちは野宿し、卒業式で歌うはずの歌を皆で合唱し、あの寒い恐怖の時を過ごした。人生でこんなにも厳しい苦しい時間を過ごした子供達は他には居ない、この子供たちがどんな人間になるのか楽しみで、きっと自然災害の脅威を多くの人達に伝えて行くだろう。
それに引き替え石巻市の「大川小学校」の悲劇を、思わずにはいられない。亡くなられた生徒と先生たちは、周囲には当時津波体験者は少なかったのだろう。先生も50歳以下だろうか、海岸に住み津波を両親・祖父母から聴いていたのだろうか。子ども達はそれ以上に知らなかっただろうが、一人の男の子が「裏山へ!」と叫んだが、避難した場所は学校の向かいの橋の所だった。津波は北上川を逆流し、生徒と先生を襲った。家族は「想い出したくない」と被災した学校の解体と言い、子どもが最後まで生きた学校を「子供の居た証」と、震災遺構と決定した学校で、語り部として「津波の悲劇を伝える。」活動を続けて行くと父は話す。
我が町では津波の悲劇を忘れよう、語るまいとの人が多くなった。正にこれが「風化」なのに。私は震災後に疎遠だった町民の皆さんとの再会に、「あの時はどうしていたの?」と必ず聞く。体験談から学ぶことが多いからだ。

人口減少を町の震災復興における5番目の問題と言う。私は町民を守る事は「町を維持する事」と思っていた。ここまで人口が減り、町の復興は失敗したと思っている。人が居なくなった街をどれだけ綺麗に創り上げても、人が居なくてはしょうがない。

フェイスブックの友達に柳津虚空蔵尊の奥様がいる。奥さんは「寺コン」を企画し参加された方が結婚したとの二人の写真が紹介され、それを祝う多くの仲間が笑顔で出席していた。
年齢制限もあり私の会にも一人の方が会員として登録している。3月末で「会員募集」も一年を迎えた。これからは会員や独身者の相手探しに、自分の周囲から始めたい。29年度は私にとっての正念場、一組を目標に成婚にこぎ着けるよう頑張りたい。会員は現在「6名」の男子がいる。未婚の女性を探すぞ! よろしく。

町も本気で人口の増加を考えるなら、職員皆で結婚活動をしなくてはいけない。「町の一大事」として、町民全員が皆仲人。

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2017
03/27

被災地巡礼と夢の跡


昨日は20日の春彼岸のお返しに町内を歩いた。
土曜日に石巻へお返しの品を探しに行くものの、望む物が無くその足で登米市に向かった。何と近い事、町の復興にとっては大きなリスクとなると、高速道の完成を思った。町内の3Kの高速の整備は、町民は便利ながら、国の「費用対効果」としての政策を思うと、与党の被災地南三陸町への事業は、人気取りの事業としてしか見られない。日本の財政が厳しく、生活弱者への支援が安定していない中で、南三陸町の住民は今も大変な状況にある事も多く、その一部を被災者の「生活安定」に回して欲しい。借金まみれ生活があと15年前後、住宅ローンの返済で厳しい生活を続けて行かざる負えないからだ。便利が町の為になるか等、多くの視点から町の復興を考えていって欲しいものだ。

「被災地巡礼地」の一つを見て来た。今後の東北の被災地に人を呼び込む為と、東日本大震災の自然の驚異を忘れないよう、太平洋沿岸に慰霊の場所の設置を寺院や関係者で整備している。「風化」しないように、「復興」の姿を見て貰い、「多くの支援」に感謝の気持ちを表す為の、慰霊地の整備をする。私も何かと「生きて来た証」を残したいと思っている。

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「夢の跡」となった志津川保呂毛地区の土地を見て来た。行者にんにくの石巻の先駆者の指導により、数千株の行者にんにくの苗を、仲間と写真の土地に植えた。販路と商品開発は石巻の内海さんにお願いしていた。しかし、3.11の大震災で海から1K以上の、志津川の山の奥地まで津波は達した。仲間の全てが被災しこの土地もそのままとなり、夢と希望が「水の泡」となってしまった。当時の仲間の年齢の平均は60歳になるだろうか、しかし、みんなで力を合わせ町起こし活動を続けていた。酒の肴の「つま」としてのハマボウフもここに植えた。夢をいっぱい膨らませた「町づくり事業活動」だった。

過去の記憶と、未来への希望を踏みしめ、私は志津川の地で生きて行く、

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2017
03/26

眠らない眩し過ぎる「華の都」


22日に東京に行く前に「最終回相棒」のテレビを録画した。昨日も3時間の相棒をベットで見ていて30分も経たずに眠ってしまった。3回見たのに未だ6割に達していない。

60歳を過ぎテレビの楽しみは、時代劇と相棒・国会中継、あとは昔のラブドラマとジブリくらいだろうか。だから入浴しベツトで横になり、9時には眠り、夜中(午前3時)の「日テレ」「おは4」を見てしまう。

相棒の番組に幾度となく映る映像に「警察庁」があり、夕陽をバックにあわてて携帯で撮影した。皇居周りは夜8時と言うのにいうのに、多くのマラソンランナーが、次々とその後を追いかける。タクシー運転手さんが「一周10Kなんですよ。」と教えてくれた。警察のエリート軍団が、「日々移り変わる事件に、英知を集め戦っている。」、そんな事を想いながらその前を通った。

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「眠らない街」を象徴する写真だろう。帰路に付いた午後8時過ぎ、高層ビルの半分以上が部屋に明かりが付いている。多くの大手企業戦士がこの時間でも働いている。「過労死」「サービス残業」などの労働形態の中で、政府は「働き方改革」の法整備に取り組んでいる。「週40時間」はフルタイム労働の基本にあり、国が企業と認め「厚生年金」の必須条件の対象となる。月間「160時間」で今回の改正で月100時間の残業を認めている。公務員の「サービス残業」がある事を、こないだ初めて聞いた。企業も公務員もそんなにも仕事を抱えているのか? 自営業は自分の時間を造る為に、効率的な働き方、体調の維持を中心に働いている。多くの収入が欲しい、お客さんに応える為に、こんな考えを持つ経営者は別である。印刷企画業界「電通」での、娘の過労死を通し企業経営の今の危うさを危惧していた。「また、若い人材が命を落とさないか。」と話していたのが、印象的だった。

私は都会生活に向いて無いから、田舎で暮らしている。都会で暮らす事に恐怖さえ感じる。私のような考えを持つ人も多いのだろが、ある時間都会生活に慣れた人間は、私とは逆の考えとなるのだろう。しかし、華の都は凄い社会だった。私は「井の中の蛙」を実感し、東京に進んで行く事は無いだろう。そんな私が羽田からオーストラリア旅行など、若さ故の行動と今となり思う。

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2017
03/25

新たな歩みで


昨夜7時から沼田地区の班長の「新旧交代引き継ぎ式」が集会所にあった。関係する方々25名が集まり引継ぎの後は親睦会を行った。

夕方4時頃に緊急の来客があり、その段取りの為に登米市に行った。南三陸海岸インターができ、30分と登米市まで時間が大きく短縮となった高速道の整備は、町の自動車の流れが大きく変わった気がする。間違いなくう回路としての「ストロー現象」が発生していた。震災復興の「命の道路」は、町の疲弊の加速とならないか不安が募る。

三滝堂インターの「道の駅」が4月1日にオープンする。場所的にも農産品の産直が主体で、コンビニも入ると聴く。登米市の隅に位置する米谷地区は、地区の疲弊が加速している。震災後に「雇用促進住宅」の市の災害住宅への、南三陸町民の緊急入所は、震災6年が経ち住人は住宅再建を済ませ、空き室が多くなり以前の住宅の空家問題へと登米市はなっているだろう。

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以前の「さんさん商店街」は仮設商店が撤去され、震災で残った基礎の撤去が進んでいた。震災後の混乱となった商店街再生に、大きな役割を果たし、震災復興の象徴として全国的に有名となり、沢山の被災地支援の来客で賑わった。この場所に御世話になり復興の一時期を過ごせた。土地への感謝と多くの皆さんへの感謝を、新しく完成した「街の中の商店街」で、これまでの恩返しと、またの賑わいを取り戻せることを願いたい。

初めての地区の6班の班長となり、その仕事は13名の班の区費の集金と、町広報の配布と地区行事の参加がある。とにかく家庭・会社の事で多忙を極めている中で、新たな用件の発生に、父の元気・健康の継続は欠かせない。最初の行事の「春の交通安全」が6日から始まり、地区街角での安全運転の呼びかけがあり、班への告知と順番の段取りを今日にも片付けたい。

初彼岸の来客や東京への出張など、怒涛の一週間だった。当分ゆっくりと休める事はなさそうだ。

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2017
03/24

政治がこんなにも近く

2.24ブログ
世界平和女連合(WFWP)の総会には、松波議員・馬場議員(維新の会)が、知っている議員にいたが、多くの国会議員は知らない名前が多かった。金井克子さん・和泉雅子さんも登壇し、楽しい話に会場が沸いた。
昨日は「森友学園土地問題」の国会での証人喚問が開催された。籠池氏の国の補助金目的の、国会議員・官僚やまさかの安倍総理や婦人を利用した工作の数々には驚きしかなかった。一昨日正門前を通った国会で、その問題について各党の議員が質問した光景が、昨日のテレビで放映されていた。
その前には「石原前都知事」の豊洲移転問題の「百条委員会」があった。石原も脳梗塞で「漢字もひらがなも忘れてしまった」と衝撃の発言から始まった。副知事の答弁は「凄い!」。決してぶれる事も無く知事の為に、都政運営をしていた。
籠池氏も前石原知事も、取り巻く官僚の言葉だけの、自分たちの立場を守る為の答弁に終始した。佐川理財局長・都政の歴代の長など、何が真実なのか見えてこない。別の意味で籠池氏の自分を守る為の発言が真実に見えてくるから不思議だ。国会は自分の親分を守ろうとする議員の質問の厳しさ、与党の失政を突くかのような野党の、柔らかな質問との差を感じる。国会の証人喚問ながら、与党の質問を「失礼な発言」と籠池氏は話すが、そんなにも怒りを表面に出していない姿に、余裕さえ感じた。

今日も9時から官僚らへの証人喚問がある。安倍総理の妻である奥様にも、真相究明の手が伸びれば、総理が話す「関わっていたのなら総理をやめる。」が真実へと歩んでいるようだ。

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2017
03/23

世界平和女性連合


昨日は東京で開催の世界平和女性連合の「第25回全国役員会懇親会」にご招待を受け、これまでの南三陸町の支援に対する御礼を伝えに参加してきた。
東京は国会に被災地の復興への予算の早期交付の陳情で出掛け、当時の復興大臣に「砂防会館」で会った。その近くが開催地となった都市センターホテルがある。皇居や国会など議員会館もあり、県出身の国会議員にも陳情に行ったことを想い出した。懇親会には全国から役員200名と、代議士・支援の著名な方々が100名、議員会館も近いとあって、国会議員の方が次々と会場を訪れていた。

世界各国の大使の皆さんも、これまでの母国への支援の感謝の為に、来賓として出席されていた。来賓者の紹介の各国大使の国は、アフガニスタン・コカタリカ・ハイチ・ジャマイカ等、25カ国の名前があがった。初めのアフガンは戦争・戦闘の記憶が新しく、女性・子供の地位が低く、戦争により悲惨が状況がテレビなどで伝えられていた。私のテーブルの隣りの広島の山下さんは、志津川に支援の「世界平和女性連合」の会員の方を、全国の支部から約20名の皆さんを、震災の翌年に石巻・南三陸町・陸前高田まで、マイクロバスの運転手として来町された。
山下さんは昨年地中海の「キプロス」に20名余りの会員と、現地の女性の支援、子供達の教育支援に訪れた。キプロスも北朝鮮と韓国のように、一つの国が分断となった国家だと言う。少しの落ち着きの中で、女性の人権や子供達の教育環境の充実と、支援の物資と話を聴く事で「皆さんと一緒です!」とのメッセージを伝えている。

懇親会の主催者あいさつでは、英語が主体で次ぎ次ぎと英語でのお祝いの言葉が続いた。世界での活動の報告がされ、国内に留まらない海外の積極的な支援に驚いた。私は「井の中の蛙」だった。

心に残った言葉に、「貧困撲滅に日本の女性が世界で活躍している。」「私たちには愛があります。真の愛があります。」、この言葉は人と人を繋ぐ原点であると私は思います。それに「打算」「私欲」がありません。真実の支援は見返りを求めない事にある。素晴らしい再開と活動に乾杯した。

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2017
03/22

南三陸町と震災による地方の疲弊と発展



南三陸町の志津川地区の中央区の災害公営住宅が、20日最後に入居の町民に引き渡された。カギ渡しを受ける人はいつも同じ人。職員の震災で課長クラスが突然の殉職で、その部下や町関係施設の職員が、町職員として今の町の中枢となり行政運営にあたっている。多くの経験の元に各課のりーダーとしての資質が育成されるが、その順番も踏まずに多くの部下を持つ。町づくりの中心となる人材の不足を感じる。長期の政権に新鮮さも消えうせ、惰性による町政が続けられている。

昨日雨の中を「南三陸海岸IC」から初めての三陸道を通過した。3Kの道のり「あっ」と言う間の時間だった。便利も良いが町の「ストロー現象」での町のマイナスは、三陸道開通でプラスとはなるのだろうか。人は「ポジティブに生きないと」と言われた。果たして町には観光客は来るのだろうか、便利になり過ぎて子供達は主都圏域で暮らし、盆・正月しか来ない、こんな町に既になってしまった。こないだも叔父の仙台で暮らす供が「孫」と一緒に家に来た。いざと言う時に子供達と一緒に居られない事は寂し過ぎる。

震災から2・3年後に、町の石屋さんが、志津川町内のお寺さん全てに震災の慰霊碑を建立し、私の元気な内にと寄贈した。この社長さんの行動に私は感銘を受け、私も同等の事をしたいと思っている。春彼岸に墓参りに行ったら、今度は水酌み場に屋根が建設されていた。誰かが雨の日の為にと贈ったのだろう。こんな人々が町の為にと自分の気持ちと表している。潤沢な資金が無い人こそ、慈愛・共働の気持ちを持ち、先祖への感謝を決して忘れない。

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今日は自宅を9時に発ち、12時44分の新幹線で東京に行く。午後3時30分の集まりに参加してくる。帰りは東京を午後8時16分発でたち、21時47分に仙台に着く。東口のヨドバシカメラの駐車場から、2時間で自宅に帰る予定だ。東京はこんなにも近くなっていた。お土産は「春日」で「萩の月」を10個買い求める。

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2017
03/21

母と語り合いに


20日の中日にお墓に一人で行く。無口な母と供え物を食べながら、眼下の他のお墓を見ながら語り合った。午後2時頃ながら、他の多くの墓前には大部分に花が供えられていた。私だけとなってからは「お盆」にお墓を訪れるくらいで、ほとんど行かないが今年は例外である。

隣りの墓地には、母と子供達、そしておばあさんが来ていた。三世代揃ってお他参りが私には理想だった。私の墓は大雄寺の墓地の一番上ながら、ここまで7歳前後の子と、60歳代の御祖母さんが一緒に来る。こうした家族の風習が子に孫に引き継がれ、家族が形成され地域が出来て行く。この形が全て消えているのが今の我が町に垣間見える。40歳過ぎでも結婚していなく、子どもが居ない等もある。当たり前の事ができない現代社会となった。
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一昨日前に、富山から「愛の福袋」の被災者支援が来た。被災した高齢者を対象に私がお手伝いをし配布している。東災害公営住宅を中心に回り、初めての方にと飛び込みで届けた。85歳を過ぎた私の同級生の母親も、一時期仙台の親戚に御世話になっていたが、病院近くの震災復興住宅に入居した。一人暮らしながら元気、しかし、「知らない人ばかり……」と言う。「故郷で頑張りましょう」と伝えた。大津波から避難できたのは「共助」があった。それは日ごろからの近所付き合いの賜物と私は感じた。「おばちゃん乗っていばい!」と車でアリーナに逃げた。しっかりしたおばあさんで、亡くなられた旦那様の忠告を受け、避難袋を準備していた。アリーナでも食料品などを皆さんに配ったと言う。先輩から多くの事を、実践から学んだ。その後は「入谷公営住宅」「入谷仮設」にも配達した。

富山からの支援品は残り7個となり、明後日の東京から帰ってから配ろうと思う。昨日は長野から宮澤さんが電話をくれた。テレビでの南三陸町の最後のカギ渡しの報道から、「今年はどうしましょう。」だった。「まだ、高齢者の生活は大変です。」と伝え、今年もジャガイモを送って下さいと甘えた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:52 】

2017
03/20

初彼岸


母は昨年8月16日に新設となった「南三陸病院」で息を引き取り、その肌の温もりを今も私の手には残っている。あれから7か月が経ち、仏壇に手を合わせる事など、これまで無かった私ながら、母の好きな物を買ってきては仏壇に供え手を合わせている。母の仏事事は勿論私が全てをし、親戚・兄弟の自宅への彼岸の供え物と焼香の対応は、父が行う暗黙の家庭のルールができた。父の甥・姪も孫を連れてきてくれた。
今回は戸倉剣道の親の会の母親二人が来てくれた。剣道の教え子たちも他の地域で就職し町を離れていた。母親たちに話すのは、「子供達の結婚も親が関わらないと」と話す、次の段階への成長だった。志津川剣道スポ少の教え子たちは、近隣で繋がりを持っていた子は25歳前後となり、結婚し子供も誕生しているが、現在は町には居ない。こんな震災に関係なく、子ども達は自分の生活の為に町を去り、親は「子供達の人生は子度たちの物」と、同居は考えていないようだ。婚活支援活動は次の段階となり、来月には二人の出逢いを創出したい。我が故郷の為に先ずは私も挑戦を続けていきたい。

お昼ごろには大雄寺に「塔婆」と、食いしん坊の母の為に甘い物を持って行く。カラスに食べられるよりは、母の分も千葉家の墓地で、一緒にお菓子を食べようと思っている。昨日は叔母が来て、「花いっぱい飾ってあったよ!」と言う、「だから花はいらないんじゃない」と教えてくれた。無駄な出費は避けたいと、いれからの厳しい生活に備えたい。

昨日は「富山県」から愛の福袋が14個届いた。午後から何個か届けに行こうと思う。同級生の母親や叔母さん等、まだ「愛の福袋」を届けていない皆さんに届けたい。22日の「全国福袋の活動」の団体の総会が東京である。最後の務めとしてこれまでの支援への感謝を伝えたい。熊本地震・広島大水害など、被災地は東北だけでない事を忘れてはいけない。

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2017
03/19

真実は何なのか 世界の闘争の流れ

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震災6年目を迎えた今週は、南三陸町内に関係する報道が躍った。南三陸警察署の署員の「違法ドラツク」の送付で逮捕され、地方の警察官も遂にここまで来たのかと、思わせる事件が起こった。石巻出身の署員ながら、違法薬物がそこまで迫って来ていた。
こないだ町民が大麻・コカインの、子ども達への違法性・危険性を周知する活動で、町から推薦? され全国表彰を受け、その指導として協力していたのが警察署ながら、こんな事件が起こってしまった。町民やそのこども達は何処を信じて行動すればよいのだろうか。

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夜に知人が町民の方から「町長が起訴」との連絡が、私の携帯の留守電に入った。結局は誤報だったが、それを望む町民もいるとの事なのだろうか。私自身も防災庁舎での43人の職員・町民の死には、自治体トップとしての判断と資質に欠ける物と、大震災の悲劇の解明と、道半ばにして人生の途中での理不尽な死に警鐘を打ち続けている。
これまでの職員遺族の「告訴」は、これまでも「不起訴」による「告訴の取り下げ」との警察の判断が出され、今回も同等の結果となった。

こないだある番組で自治体トップの、選挙違反・収賄などの訴えが「35件」あったが、当選した首長トップが起訴されたのは1件だけと言う。「志布志事件」があるが、後に立証されたのが警察の犯人に仕立て上げたのが、大問題となった。そこから事情聴取の「可視化」の必要性が議論されるまでになった。警察が当選した首長の起訴はそれぐらい、大きな事案なのだろう。
私も一回だけ「取調室」に通された事があるが、緊張と嫌なものである。チラシの過剰広告での件だった気がする。悪意もその事情も理解しないままで、「今後気を付けるようにとの注意」だったように記憶する。仕事でも30年前の刑事課・交通課にしても、地域のひとの為にある的、友好的な感じが私には強い。前の前の警察署には武道場があり、柔剣道の場として町民に貸し出されていた。震災後も警察署員が中学校の武道の指導にあたってくれていた。しかし、問題多発の地方の被災自治体での問題多発があり、署員は多忙を極めている。

3月議会で佐藤町長は南三陸町の4期目の出場を発表した。志津川町長1期を含め現在まで15年間の首長を続けている。震災からの復興を進め道半ばで辞める訳にはいかないと話す。三陸道の延伸・商店街の完成・住民の生活の場完成など、これまでの政府の政策を、自分の成果と勘違いをしている。国の被災地の復興の為の交付金による物で、その予算の使い方を議会と共に決定しただけと私は思う。住民は町を離れ、子ども達は減少し、商店街の盛況も何時まで続くのかと、町民は冷ややかな目で見つめている。

長期政権は「なれ合い」「強権主義」を生み、モラハラ・セクハラ・パワハラの温床となり、町の今後を考えれば、これからの若い世代が町づくりをして行くべきと私は思う。どうにもならない町になった時では遅すぎる。首長の後継や教育も図らないままで、町は進んでいる。将来への負担を若者達は理解していないだろう。華やかさばかり、復興と言う名の元に、佐藤町長のカリスマ性に踊らされている。彼が起こした結果を「風化」させる事無く、政治の検証も大震災の多くの悲劇の原因も追究しないと、町の負の部分で、町は再度消えてしまう、危機感を共有する事が大切だと私は思う。


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2017
03/18

日々色々な事をこなして


昨日は気仙沼と登米市に仕事と病院に出掛け、夜は6時半から南三陸町の体育協会の理事会があった。

気仙沼の帰りに丁度志津川商工団地の入口の交差点で渋滞にあい、今月20日の開通の南三陸海岸ICの入口で、現状の写真を撮影した。車がしっかりと停止し30秒の時間の5秒で撮影した。運転には支障がないので違反とはならないだろう。

急ぎの校正と印刷を早々に済ませ、志津川ICから登米市の「皮膚科」に行く。主治医の登米市での開業の笹原先生のアドバイスで、同じ地区にある「上杉皮膚科」に行った。病院は混雑し終わるまで1時間30分掛かった。先生の診察の結果は「うっ滞性皮膚炎」との診断だった。原因は「糖尿病」からくる血液の流れが悪くなることからと言う。怖し糖尿病!(生活集会病)。
今日の朝には「難聴」に付いて専門医が解説していた。高い音「周波数の高い」との事だろうが、テレビの音声が聞こえない。中度の難聴と自己判断する。専門医の話では中耳の部分の血液の循環が悪いと、渦巻き状の音を感じる部分の機能が失われるせいで、耳が聞こえにくくなると言う。原因の第一に「糖尿病」を上げていた。怖し糖尿病の合併症!

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2017
03/17

新年度に向けて


我が町の3月中の行政配布物を紹介します。

新年度を迎えるにあたり、ゴミの収集日の告知チラシが入り、住民に生ごみ分別の協力を訴えている。私の地区の沼田には「外国人労働者」が、会社の所有のアパートに住み込み仕事をしている。ゴミの集積所での分別に問題があり、来年度からカラー写真による分別を示し、外国人の皆さんにも判りやすいよう、カラーでチラシを集積所に貼ったり、雇用の企業さんにも協力を訴えている。

行政の包括支援活動の一環で、保険福祉課では「認知症・安心ガイド」の印刷物を全戸に配布した。南三陸町の65歳以上の高齢化率は「33.2%」となり、3人に一人が高齢者と言う計算にかる。平成28年3月のデータで、一年が経つ今年には、もっと高齢化率が上昇していると思う。大変な町の状況になって行く。若者達も安定した仕事場を求め町外への足は留まる事はないが、「南三陸町の復興に貢献したい!」との志を持つ高校生も沢山いる。

気仙沼・本吉広域事務組合があり、消防・リアス美術館と運営にあたっている。その他にも気仙沼市と本吉郡の共同イベントの開催を支援している。本吉郡は唐桑町・本吉町・津山町が、近隣の市と合併し現在は「南三陸町」しかない。名称を「気仙沼・南三陸広域事務組合」と変更する時期に来ている気もする。
その表紙を飾るのは南三陸町の水産業を生業とする、漁民の朝の寒さの厳しい中での海作業風景と、太平洋の水平線から登る朝日を写真に収めた作品だった。「気仙沼・南三陸フォトコンテスト」の最優秀賞に、南三陸町の遠藤さんの「日の出と共に」が輝いた。ときどき袖浜のサンオーレ海水浴場で遠藤さんと一緒になった。私の撮影は素人なので、「陽が出たらパチリ」ながら、彼は陽が登る大分前からシャッターチャンスを待っていた。この志津川湾での昔から変わらない人々の営みを捉えていた。漁船が4隻と大きく太陽を写す技術は、私は持ち合わせていなく、素晴らしい写真で真似はできそうもない。

その他に「第14回復興グルメin南三陸」のチラシが入っていた。また、観光協会の「みなみな通信」が入っていた。「公衛連だより」「駐在所だより清水」と「輝き通信」「町の広報」、「みなみさんりく復興まちづくりニュース」が、行政から配布物として町民に配られている。あと、志津川さんさん商店街の道路通行案内図があった。

私は何をすれば?

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2017
03/16

私の愛した俳優さんがガンに倒れる

3.16ブログ
日本人の死亡の理由はガンが原因一位だったと思う。友達も一人が昨年ガンで帰らぬ人となったが、私の同級生には交通事故が多い気がする。

渡瀬恒彦の胆のうがんの72歳の死は、私にとってはショックだった。72歳と言う事は私と丁度10歳離れている事となる。私も現在は父の介護と、住宅再建の借金と、会社再建の借金が、まだ1600万円ある。その借金は残り11年で、私の万が一の死亡で返済できなくなれば、連帯保証人に回る。こんな迷惑を人には掛けたくないから、私の所有する財産を全て処分すれば、少しはまだ残ると予測する。人の死はいくら予防しても、脳梗塞・心筋梗塞・末期がんなど、突然くる物と私は思っている。「悔いのない人生を送る!」は、私の最大の生への目標でもある。

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東地区のとある庭先に梅の木が咲いていた。そのひっそりと誇ることなく咲く姿を綺麗と思える自分は、大震災を体験したからなのかも知れない。人の命の儚さがあるなら、精一杯自分の為より以上に、他の人の為に生きたいと思う。

とにかく皆大変で、どんな目標を描き、生きて行くその目標が描けたら、生きる事は苦しむだけじゃない事を、人は知るだろう。渡瀬さんは言う。「誰かの為に生きる理由が持てると頑張れる。」と、それが自分の大義明文とある、と話す。

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2017
03/15

春なのに  稲田大臣(弁護士)


「おごり」が嘘をつかせ、自分本意の傲慢さが自然と現れてしまっている。自然界の素晴らしさ豊かさの恵みは偉大ながら、国会を見ていると、現在の政権は数の論理で、「傲慢さ」「おごり」による、国民不在の野党なんか眼中にない、そんな姿を総理の答弁から感じ、若手大臣からも今の自民党ならと勘違いをしている。野党に成り下がった苦しさと反省は無いと感じる。与野党が対等の立場で議論する事が日本の為になるのに! 籠池氏の国会での喚問となったら、多くの安倍総理・自民党・各省庁の闇の部分が発覚されそうだ。誰かの指示で「メディアに出るな」の中で、これ以上黙っていられないと、籠池との発言は政治との官僚との癒着の構図が発覚となりそうだ。別な意味で籠池氏は、まだ可愛いとさえ思ってきた。
今日は籠池氏が外国人特派員協会で記者会見が2時半から開催される。稲田氏の「失礼な事をされた」との発言真相が話されるかが、メディアの注目となっている。安倍総理の秘蔵っ子としての、政調会長から防衛大臣への急速な登用は、安倍孫理の今後の自分の政権維持、権力の続行の為の後継が、今回の「森友問題」「国会での虚偽発言」「防衛大臣としての資質」など、稲田氏の衆院選挙での再選も厳しいだろう。長期政権のなれあいと、政治安定での気の緩みがある。長期政権は安定と錯覚されるが、政治の停滞でもある気がする。

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宮城のリアスの丘にも春が来ている。友達が里山からフキノトウ「バッケ」を採ってきてくれた。昨夜は天ぷらにして食べた。春の香りと苦みいっぱいの旬を味わった。
また、この地区の「ちじみホウレン草」が有名で、寒いこの時期からハウス・路地物で出回っている。これも頂きもので、茹で上げ「和え物」で竹輪とベイコン入れ、昨晩は春てんこ盛りの食卓となった。

94歳の父に、ついつい声を荒げる自分がいた。昨夜は「携帯電話が壊れた」「お風呂の水がでない」と、会社の事務所に駆け込んできた。耳が遠いせいで声が高くなる事と、94歳の父に全てを普通にしてもらうのは無茶な事を忘れていた。冷静に考えれば理解・納得できるが、多くの問題を抱える一人の身、大変ながら、被災地の高齢世帯はもっと大変なのを、自分も忘れてしまっている。「風化は怖いものだ!」。

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2017
03/14

手を合わせずにはいられない


6年前のあの日も非番なのに、津波からの住民避難の交通整理をしていて、津波に襲われ現在の農協下から、志津川ICのある小森地区の、瓦礫が運ばれたその中から発見されたと言う。
妻の悲しみ、家族のこの怒りのやりどころ、子供達の「とうさん」への想いは、決して無くなる事はない。現在の仮設の消防署の隣りに慰霊碑があり、この前を歩いて通る時に、手を合わせずにはいられない。町民を守り、町民の為に死んでいった、消防署員・団員の殉職には感謝しかない。保宏さんありがとうございます。今後志津川中央区の下に、消防署が本設されると言う。

昨夜は父の同級生である方が無くなった。奥様に聞くと体調を崩し5日目で亡くなったと言う。「元気だったのに!」と、父も知人に聴いていて、さすがに今日はショックのようだった。日曜には詩吟の友達が来て、南三陸町は高齢者が元気な町でもある。

私も以前に「里親制度」を子供ができなかったらしたいと思っていた。しかし、同じように志を持っていた方が、今、苦悩の中に居た。年金生活の中で65歳を過ぎ子供の養育費を捻出できないで苦しんでいた。高校そして大学と養育費の負担に自分達の生活が苦しいと言う。育ての親の事情で、子どもの為に代わりに育てると、「美談」ながら、その現実は厳しいようだ。
私も、もし40歳で結婚し50歳で子供ができず里親となり、2歳前後の子を引き取ったら、大学卒業まで20年、70歳になったら日本の生活への国民年金では、夫婦健在でも月13万円、老後の施設入居や病気での出費を考えると、理想と現実に厳しさに苦しんでいただろう。

生きる事は楽しいが、苦しい事を知る。

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先週に南三陸町戸倉地区の「気仙沼線」の津波で残った鉄路の作業風景を見た。「鉄路の復活」との住民が活動する中で、全線開通に「700億」掛かる事で、行政もJR東日本も、再建は既に眼中にはない。

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2017
03/13

食べられれば


あの「森友学園」の理事長の助成金・補助金を貰う為の工作の深層は、「何も悪い事はしていない」「コンサルのミスなど」と、制度を知った上での言い訳ばかりを感じる。学校設立の申請を取り下げた。政治家への支援は無い、安倍総理・婦人にも何の世話にもなっていない。自民党の証人喚問に「何の法に触れない人間を呼べない」と、自民党の参院理事は言う。そんな自民党と安倍総理は、次の衆院選への選挙対策へと舵を切った。そんな中で、山口県の市長選で40歳の元安倍総理の秘書が新人で当選した。現職も自民理政治家が押す首長は落選した。自民党同志の選挙戦、総理のおひざ元でも政治家だけが、行政をやっていると言った、日本の政治はおかしくなっている。アフリカからの自衛隊も5月に撤退を決めた。今日にも国会審議がある。

復興庁の政務次官の岩泉町での震災視察の、あり得ない行動があった。被災地に赴き水害の現場で靴が濡れるからと、随行の職員に「おぶさり」、問題になった務台議員、今度は講演会で「長靴屋が儲かった」と笑い話を講演で話した。被災地の国民の苦しみを、自分の落ち度を笑話しにする国会議員、菅官房長官も怒りを隠せない。でも自民党は安泰のようだ。務台政務次官は更迭された。シッポ切なりだろうか。以前にも復興大臣の次々に変わる日本は、本気で復興にあたり向かっているのだろうか。

病気でもない、まだ食べ物を買うお金はある、知人が食べ物を持って来てくれる。そんな環境にあり、食べられる事に幸せを感じている。
春になり季節の旬が芽生えてきた。「新ワカメ」の葉や茎・メカブなど、お裾分けに舌つづみを打っている。メカブは生産者の美味しい食べ方を教えられ、家庭で作る味噌汁に、ザク切りにしたメカブを加えるだけで、おかずが一品できた。若布の葉は「お浸し」「煮物」として、昨日貰った茎は、砂糖・酒・唐辛子で煮込んだ。沢山いただいたので3軒に配り、総てを新鮮な内に処分した。

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「龍の子のり」は我が家の常備品で、ごはんと御汁とのりで美味しい朝食となる。今日は正月の雑煮の「おひきな」、大根・人参・ごぼうを千切りにしたもので、正月の余った物を冷蔵庫から父親が出した。無駄にしては駄目と、昨夜は干しシイタケと竹輪・とうふを入れ、御雑煮を造った餅も冷凍庫にあるので、今夜の一品にプラスしたい。

昨日は町内に死亡の看板を二つ見つけた。父の同級生(94歳)かも知れないと、友達に聞くと予想どおりだった。明日のお通夜、時間を見て行こうと思っている。85歳前後の奥様は元気で車を回し、私は元気を事在るごとに頂いていた。

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2017
03/12

震災の発生した3.11の六年目翌日の日曜日


南三陸町追悼式典が今も続いています。6年目「七回忌」の節目の年で、遺族・来賓の方など千人以上が参列した。私も節目の年と同級生・仲間・知人など、町民の皆さんと共に哀悼の誠を捧げてきました。
今年はこれまでになく多くの遺族が出席しました。村井知事・小泉代議士など、多くの方々が追悼式典に駆け付け、献花に臨んでいた。

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今日の10時からの沼田行政区の29年度総会がセンターで開催され、60名の出席と30名の委任状の元、世帯数125世帯の定数に達し無事に総会が開催された。地区の庶務として司会も無事に終えた。高齢者が多い地区なから活発な議論となった。私の班にも一人が移転し、3人が転入してきた。来年度から初めての班長となり、庶務と二足のわらじとなる。
香奈川から支援の野菜が、二つの農協の団体から届き、総会終了後地区民に配られた。

また、一歩一歩と目の前のしなくてはいけない役目を片付けて行っている。今月は22日に南三陸町への支援を受けた、世界女性連合の総会に招待で、東京に行ってくる。支援と受け皿の活動の一つの区切りと心に決めている。

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2017
03/11

私の「2011.3.11」

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6年前の3月11日も今日のような小春日和の日だった。10時からの議会の出席に志津川本浜町から南町の「みなみちゃん通り」を通り、山内金物店から木造の中橋を通り、南三陸役場の二階に階段を上がった。2時46分の地震発生で議会は散会となり、同じ道を家に帰った。町中は地震の後片づけをしている方が2.3人、そこには地震では動じない町並と、町民の姿があった。30~45分後に到達した大津波で一瞬にして町は瓦礫の山となった。津波が町を呑込む午後3時30分頃から、高台からその光景を見つめる事しかできなかった。その夕方から雪が深々と積もり始めた。午前の天気とはまさに「天国と地獄」の風景を私は体験した。町民の誰がこの姿を想像しただろうか。
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町から明かりが消え、満点の星が町を照らした。そんな真夜中、多くの町民が家の下敷きとなり、津波に押しつぶされ、津波の引き波で海底奥深志まで流されて消え、今は海の貝や魚と海の生物に変わったしまった。
真夜中にカーナビのワンセグやラジオで東日本大震災の猛威に目をやり、「1万人以上の町民が死んだ。」と、眼下の光景から感じた。明治・大正・昭和と大津波を経験している津波の町、津波防災には町上げて取り組んできた。しかし、今回の16m以上の津波には、5.4mの防潮堤も何の役にも立たなかった。海から1~2k離れた場所での死亡者が多かったことには、「まさかここまでは!」と人々の油断が、尊い人命を失う事となった。
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山からの煙は天王前にあった自動車会社の車から出火し、山にも燃え移り避難場所となった「ベイサイドアリーナ」まで、その火の手が迫っていた。志津川地区は川の両側の、土地に町が発展していった。その総てが津波で消滅した。
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避難場所指定だった廻館館前の「福祉の里」の悲劇を高台から見ていたが、何もすることはできなく、デイサービスセンターの前で逃げ惑う人達に、「津波がきてるぞ!」「早く逃げろ!」と叫ぶのが精いっぱいだった。御前下地区には、消防署・県福祉事務所もあり、町の消防関係者の多くが殉職している。

また、2011.3.11の雪のあの寒かった夜が来る。

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2017
03/10

身体の癒しが「仇」に


還暦を迎え1年が経とうとしている。年齢の特別な区切り以降は、身体・仕事・環境が大きく変わり、日々こころの休まる事は無い。思考・判断・気持ちの転換など、衰えを強く感じるようになった。

20歳頃は「何でビールが美味いの?」と思っていた。その後「アサヒスーパードライ」の生産が始まり、その美味しさにハマりこの年まで来た。知人から昨年末にビールを頂いた。「一番搾り」「仙台ビール」だ。一日一本弱をペースに、欠かさずの飲んでいるビール、先週は生協から「仙台ビール」を一箱購入をした。

2週間前に目の前の多くの不安から、隣り町の居酒屋に飲みに行った。生ビールを2杯のみ次の日から喉かおかしい。扁桃腺の弱い私は常備薬を予防にと直ぐに飲んだ。案の定それから2週間咳が止まらない。眠っていても起きるくらいのせき込みに、薬も無くなり佐藤先生に糖尿の薬と一緒に処方してもらった。ここ2.3日咳は収まって来た。現在は「花粉症」らしく、鼻とくしゃみが時々始まった。乾皮症も今も時々出てきて、身体の正常な部分は無く、その癒しは家で飲む仙台ビールになってしまった。
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毎日のようにオープンとなった「さんさん商店街」の話題が、新聞・テレビで見ない時は無い。明日の6年目を迎える「追悼式典」がある。この日に合わせるかのような、町の観光戦略と見ている。毎日のテナントとして入った皆さんの多忙を考えると、大変だろうと他人事ながら心配し思う。

町や近隣の気仙沼市でも、県内の被災地での復興が進んでいると言うが、色々な問題が発生している。土地の沈下から隆起、高齢化や災害公営住宅の空き部屋問題など、行政は浮かれている時間はない。本当に被災者・高齢者に寄り添う、そんな優しい町になって欲しい。

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2017
03/09

何も変わらない市街地被災地浸水区域


今日のNHKの朝のニュースで、宮城県・南三陸町の人口減少を報じていた。県内人口も被災自治体の加速する人口減が、仙台・岩沼・名取などの増加地区の数に追いついていない。260万人前後の県人口は、前年度より2万人減少した。県の被災自治体もダントツは女川町ながら、南三陸町は「31%」の減少率で、前年よりも2%の減少が増加した。

国の借金が「1055兆円」と膨らみ、1千兆円の借金の壁を超える事への国の危機感が無い。しかし、年金運用は四半期で米国大統領が変わってから、円高・株高の恩恵により「10.5兆円」が利益として出たと言う。株価は常に変動する物で、世界経済の動向で大きく変わる。米国の軍事費の倍増や、国の多くの不安の中で今後どう株価・為替が変わる可能性がある。

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国会の衆参の予算審議で、佐川理財局長の答弁のぐらつかない、制度に則った土地の処理手続きの一貫した説明には、説得感さえ抱いてしまう。野党の各会派の質問も厳しい中で、航空管理の課長も、質問に顔色を変えての答弁がある。官僚のなる人達の知能・精神を、国・国民の本当の利益の為に使って欲しいものだ。補助金や助成金の制度を利用した、学校建設が見えているのに、国には何の問題もないと言う。
森友学園の建設額を国には21億と伝え、木材をふんだんに利用する事で「5千万円」近くの補助金が、学校の完成前に交付されている。大阪府には7億円と報告し、その差は3倍となっていた。なぜ少ない金額を大阪府教育委員会にと言うと、学校経営が成り立つ為の建設費があった。収支を報告するのに収入と建設費の整合性を証明の意図がそこにはあった。
補助金目当ての町づくりも、震災後の町の財政を考えれば、公的施設の維持費など、病院・役場などの大型公共施設の維持費の財源は大丈夫だろうかと思う。管理委託制度を活用しても、管理会社への管理費の一部を町から出費している。多くの将来へのツケ回しがここにある。このままだと、「町は破綻する」かもしれない。

10mの市街地の嵩上げ場所の再建は、志津川商店街の完成と、夏に完成予定のスーパーの建設が進められ、市街地中央にコンビニがあるだけだ。写真の風景からも6年目を迎えようとしている今も、赤土の市街地が広がる。次年度には市街地の土地換地の土地が、本格的に地権者に引き渡される予定だ。

以前のように色とりどりの町並の再生は時間だけが、空しく経って行く感じだ。安倍内閣の国政の順調感の意識は、南三陸町の行政の意識と同化して見える。強者が強固体制を維持し、弱者は弱者のままで静かに淘汰を待つ。生活格差ばかり拡大する中央政治と、地方の衰退が進むばかりだ。


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2017
03/08

私が愛した町


2009年にブログを始めた。そして3.11を迎え、南三陸町志津川の写真をデータを沢山撮り貯めていたものの、今は2年弱のブログに残る写真しかなく、脳裏の記憶にしかその風景は無い。津波はアルバムの総てを消し去り、父親は震災以後に「アルバムは、写真は。」と、これまでの生きた記録を求めた。あんにもあった昔の両親の記録も無くなった。母が亡くなり父も94歳となり、強く生きている父は偉大だ。
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3月12日配布の「南三陸マイタウン情報」の第61号が完成した。先月号から志津川東地区の災害公営住宅にも配達をしている。町の出来事をご覧下さい。
会社のホームページの追加情報にもご覧頂き、町の復興の良し悪し、明と暗がある事を忘れてはいけない。南三陸町千葉印刷から…

昨日は志津川地区の「さんさん商店街」に、「ナイナイ」「ゆず」「中村雅俊」が来たと言う。この来店は町への応援なのだろうが、災害公営住宅にいる人たちは、これからが大変で、「笑い」「歌」などが欲しいはずです。町全体が笑いに包まれる日は何時になるだろうか。
被災地の復興住宅の4割が65歳以上で、その3割が一人暮らしだそうです。私もその一人に近い内になるでしょう。

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2017
03/07

気になった行列


さんさん商店街が羨ましい事業所も沢山ある。もろもろの事情で止む無く孤独に耐え生活の為に、商店経営を続けている。フードコートの大盛況を見ると、良かったのだろうと確認するが。

さんさん商店街が解体され新商店街に変わるまでも、「お客さんの為に」と営業を続けていたのが「千葉のり店」です。私の知人も「千葉のり、何処で商売しているの」と電話が来て、「みうら魚の隣りです」と教えて上げた。
29.3.3は記憶に残る日として南三陸町に、「23.3.11」と共に町民の心に刻まれるだろう。新商店街となっても「千葉のり店」の来場者は変わらず、新たな行列となり、その商品の良さ美味しさに、大きな宣伝無にも人を引きつけ、南三陸町の商店街の本設は、新たなスタートとして行政の期待は大きい。
そんな中に「RYO(リョウ)」がある。震災前に「ペンション・オーイング」としての経営の元で、お菓子工房として人気が出始め頃の大震災だった。ペンションも被災したが再建したと聴く、そんな中でさんさん商店街への工房の出店は、本設となり新しいファンを突きつけていた。
商店の中央通りの裏に店があるが、行列の多さに驚きシャッターを切った。看板は個性的で「焼き立てお菓子の店・オーイング菓子工房・RYOリョウ」と掲示されていた。子供達の新たな事業しての菓子工房が、震災から新たな飛躍となっていた。
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次の世代が、町を地域を築いていく事が自然の流れながら、現在町の子供達が減少をし続けいる。志津川小の入学生は20名で、歌津伊里前小が30名と、志津川地区の5383人と歌津地区4503人の人口からも、志津川地区の町から流失した子供達の数が多い事が判る。両地区とも被災野状況は変わらないが、行政の復興計画への不信感・反発から町を捨てたと私は思っている。現在の私も住みにくい町を感じる。弱い者は淘汰され、強い者だけを守る町の姿勢に問題がある。
そんな中で与党の一般質問で、町長の9月選挙の有無を正した。前回も与党の菅原氏が同様の事を問うた事を思い出した。町が被災し復興ド途上の中での、政治工作と私は感じる。町長は防災庁舎での事を「……。」とまた話していた。

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2017
03/06

さんさん商店街


昨日の日曜は志津川の被災地の嵩上げの上にできた「志津川商店街」を見に行った。今月3日の予定どおりのオープン、連日大勢の来客での華やかな船出となっていた。

私が震災後に注目していた店に「しお彩」さんがある。震災前は良く食事や集まりの場として利用していた。店舗借りて市南三陸の新鮮食材で、街中に行列ができる店であった。新鮮な南三陸の食材で、斬新な一品料理に来客が途切れない店として、町民に重宝されていた。震災で柱と壁だけになった店舗に、赤字で「がんばろう南三陸。南三陸うまいものあり。しお彩。」と書いてあった。
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貸店舗での営業者には「中小基盤機構事業」による、国の仮店舗営業は出来なかったと聴く。「さんさん商店街」への出店が出来ないままで、自動車による移動販売を5年間以上も続け、今回の「新さんさん商店街」の出店となった。
私の知人も店主の意気込みを感じ、「開店したら家族で行きたい。」「震災でお世話になった方と行こうと思う。」と店主への「ガンバレ!」とのエールを送っていた。

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昨日もBRTの商店街の隣りに移転した停留所からは、「大阪から来ました。」と来場していた。志津川の商店街周辺は、整備もまだ終わらない中で、周辺は大渋滞となっていた。「地の利」を生かし混まない道路を選択して行くも、渋滞で駐車場に入るまで45分は掛かった。地元の私でも10時40分に家を出て、通常なら5分の場所に、新商店街まで1時間と、行政の渋滞への対策は急務である。

震災復興で新たな商店街に、行列ができる商店の復活は、私も大変喜ばしい物と思う。今後も町と町民の復興と共に、商店街の新しい賑わいで、町の生活が安定し、住民の生活が「安定・安心」と向かう事を願っています。

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2017
03/05

復興って忘れる事

2011-04-24 11.05.51
ここには志津川天王前の入口で、震災前に南三陸署の職員宿舎があり、その宿舎の三階には津波で流された車が、「ちょこん」とアンバランスに載っている。3.11は職員の転勤時期で、引っ越しが行われていたと言う。
奥に見える黄色の建物は、町にあったパチンコ店の色鮮やかな壁で、漁民が船から上がってギャンブルを楽しむそんな町だった。町の復興の中でパチンコ店の出店の話が初めて聞こえてきた。2万人の人口から現在は13000人足らずの国勢調査の結果が出ている。企業の出店は多くのリスクを抱えている。これまではスーパーだけが再建されるだけだ。
2011-04-29 13.04.18
志津川地区のデイサービスと老人ホームのあった場所が、町の津波避難場所であった。近隣の人達が逃げ込んだが、多くの人達がここで亡くなった。
震災から1か月後にここを訪れた時の写真は、以前の綺麗な町並のひとかけらも無い、津波で破壊された荒廃した土地が広がるだけだった。

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2017
03/04

還暦の体調と判断の低下が私を襲った


こんなにも不運が「もったいない症」から発生した。
2日の日の事だった。議会の特別委員会で「定数問題」の臨時会議があり、3年半ぶりに議場に傍聴にいった。体調も良く議論の姿とその裏側を垣間見る事ができた。
議員定数は議員一人ずつの意見と、「削減」「現状維持」が語られた。削減が4で現状維持が10人で、今年9月の議会選挙では定数16人の選挙となる。与野党の構図も現状維持となり、現政権の思惑通りとなった。特別委員会の山内委員長として、星議長はアドバイザーとして臨み、その採決には加わらなかった。

午前中は普通に働き、お昼にバレンタインのバームクーヘンと、後輩から貰った10円饅頭を食べた。賞味期限はとっくに過ぎた物ながら、「食べ物は無駄にしない。」こんな精神が仇になったのだろうか。午後1時半に知人から電話が来て、話し中に何とも言えない体調が襲った。少しベッドに横になり、体調が元に戻る為にと休んだ。目を開け周囲を見ると、「目がまわった!」、初めての体験で、その後に激しい嘔吐が襲った。また休み二階から階下に降りるときに又「嘔吐」でトイレに駆け込んだ。その後はリビングのソファーで休んだ。ベッドに寝ていた時に行政からの仕事打ち合せもあり、3時ごろに車に乗せられ用事を済ませた。まだ気分は最悪だった。5時までソファーで休み、食べないといけないと、軽いそばを造り食べ、ベッドに入った。その夜は11時間眠ったが、翌朝になって気分は冴えない状態だった。

不運はその前から続いていた。地区の役員会が先週の夜7時からあり、二つの団体が集会所に集まり駐車場はいっぱいとなった。早く私たちの方は終わり、狭い所から車を目視でバックで出していた時、「ガツン!」と、軽自動車にぶつかってしまった。偶然もと近所の方ので、修理で「5.7万円」の見積を貰い自動車工場に回してもらった。2・3日後に自分の車も「ぶつけたのか!」と父が教えてくれた。どうしても相手の車とのぶつかった整合性が無い中で、昨日に修理が終わり5万円の請求書を貰った。

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現在も発生している、世界・全国で起こっている自然災害の現場の悲惨さに比べたら、私の事など何のたわいもない事と思う。
色々な事が起こった。今月1日からの高校卒業から防災アドバイザーの訪問、仕事の重なりがあり、さんざんな3月初めとなった。来週からは元に戻さないと、更なるトラブルが発生しそうだ。これから冷蔵庫を整理する。

今日は気仙沼に用事で行き、帰って仕事が詰まっているので、明日は大切に使いたい。

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2017
03/03

色とりどりの屋根の街並みが一瞬にして廃墟に


この写真は志津川市街地への嵩上げの商店街整備への、説明の為に高台に設置された以前の町の写真展示から掲載しました。この三陸リアス海岸の入り江の小さな漁村に、色とりどりの屋根が綺麗に輝いていた。私が生まれ生きて来た「大好き!志津川!」がこれだった。
2011.3.11の午後2時46分の地震から、30分後に大津波が町を呑込んだ。一瞬といってもその時間は長く、目の前の惨劇を住民は高台から見ていた。津波は5波・6波と夜まで、闇の中でその気配だけが町を漂った。
一気に内陸に押し寄せた津波は1時間ぐらいだろうか。その時、津波でめちゃめちゃになった家の瓦礫から、「助けて!―」と微かな声が聞こえ、高台に居た人々が10人ぐらい救出にあたった。私も着のみ着のままの背広で加わった。その後に消防署の職員と共に、二人の御夫婦を助け出した。雪が深々と降り積もる寒い中での活動だった。その後も二人、また一人と助け出されていった。寒さも疲れも時間も忘れて、目の前の人としてやるべき事に追われた。
2011-04-24 11.10.19
あれから1か月半の光景がこの写真です。桜の名所の「東山公園」、そこは「津波避難所」でもある。右奥の煙は瓦礫の焼却が松原公園で行われていた。

多くの写真データで今後も東日本大震災の津波の脅威を伝えて行きたい。震災時は携帯のカメラでの状況写真は、データが小さい物の、決して津波の悲劇を伝えるには十分だろう。

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今日は志津川地区の嵩上げされた市街地の商店街の「町開き」が開催される。

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2017
03/02

津波防災に本気で取り組んだか

2011-04-24 14.00.37
人間は津波の時に適切な行動をとれたのか? と言うと精神的に異常な状況と、日ごろの暮らしで積み重ねた経験が、避難行動の根底にあると言う。

「公助」「共助」「自助」と避難時の地域の在り方が、自主防災の説明の時にあるが、最終的には「命てんでんこ!」に行き尽く。私は無理であり最後まで高齢の両親を守る為に自分の命は「二の次」と、津波到達時間を考え行動しただろう。今回の30分は私に取っては余裕だったが、持っている身体・心で感じ取れた予感を信じたい。

本浜地区の「曙橋」の上から震災時の光景が残っている。こんなにも川の護岸が陸地に近かった事を今見ると感じる。「津波対策は?」と言うと、写真の強固な個人の津波対策の家も、今回の100年に一度の大津波では一たまりも無かった。

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3月1日は地元の志津川高校の卒業式だった。小学6年生で津波の年に卒業した子供達が、高校の学び舎を巣立った。七回忌となる今年の卒業生は「83名」と過去最低だろう。少数精鋭の母校の後輩たちは、震災で復興途上のふるさと「南三陸町」への思いはこれまでの卒業生よりも強いだろう。卒業生の答辞で、「人と人との繋がりを大切にしていきたい」「それぞれの道で希望の架け橋となる事を誓う!」と、震災から大きな物を得た、志高の卒業生には町の再生のリーダーとして、一人でも多くが大人の道を歩んで欲しい。

今日は議会改革委員会の「定数検討」の臨時会を開催する。行ってみたいと思っている。明日は与野党の意見をまとめたい。「保身」がどう表れるかをだ。

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