ARCHIVE - 2017年02月

2017
02/28

春なのに


仙台駅前の「さくら野」が倒産した。以前はビブレその前はエンドーチェーンだったと言えば、私たち世代にはなじみはある。31億円の負債で120名の店員が解雇だと言う。卸の会社は「今日納める品もあるのに。」と、取引会社への連絡は無く、突然の事故破産を申請した。原因は時代の流れの「コンビニ」「通販の普及」などを上げ、時代の改革をしてこなかった事が、最大の原因と専門家は言う。

我が家の部屋の「桃の花」も蕾から明るいピンクの花が開いた。亘理町に行った時に、3月3日の「桃の節句」なので販売していた物を買い求めた。昨日の新聞には入谷地区の鈴木さんが、今年も桃の花の栽培で、綺麗にピンクの花が咲いているのが紹介されていた。震災から災害公営・戸建と、被災町民の生活再建が終末期に来ていて、少しは「花を愛でる。」と言う気持ちになって来ているだろう。

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今年は雪が例年より少ない。しかし、今朝の気温は「-6℃」と言い、寒さ応える朝となった。自宅の倉庫の脇に、一度も使う事の無かった「雪かき」がそのままであった。春、3月4月と言えど、この時期も大雪となる事は珍しくない。まだまだ気を引き締めて「風邪」や「転倒」に気を付けて生活して行きたい。

次々と順風とはいかない会社情勢の厳しさを痛感する。「さくら野百貨店」は適正な時期に改革をしてこなかった事で、会社の倒産となったが、弱小の我が社とて同等の道を歩んでいると実感する。行政も商工会も「廃業は自己責任」と、事業所が減る事に町の危機感は無いようだ。
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2017
02/27

一日も早く南三陸町に山海品産直「ふれあい市場」を


6年目を迎え、商店街の震災被災地の再建が進み、スーパーの建設も夏には完成予定です。
地元に次に必要なのは「農水産品直売所」です。
地元の旬の新鮮野菜・水産品を住民が食べられる事は、震災復興を食で実感できます。
「復興市」「商店街」は観光客相手ながら、直売所は町民の台所の入口です。
他の「津山」「大谷」「登米」「南方」「米山」「石巻」……を見ても、今回見て来た「荒浜の鳥の海ふれあい市場」は少し違っていた。「楽しい」「新鮮」「格安」「多種多様」、高速からも近く、地元でそのまま暮らし続ける住民を守るかのように、亘理の鳥の海の漁協隣で営業をしていた。私の町でも水産量を比べても決して引けを取らないのに、何でその影が薄いのかと思う。商人が運営するのではなく、漁民と漁民を守る漁業組合の直営が必要だ。戸倉地区にはあるものの、志津川の漁協・魚市場の隣にだ。そうすれば価格は下がるだろう! きっとお客さんも集まり喜んでくれるし、漁民との触れ合いを私は求めている。

志津川地区の「さんさん商店街」で買い物をして、次に農水産品直営所「ふれあい市場」に行く、こんな流れを震災で消滅した市街地に、新たな人の流れが創っては! 

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2017
02/26

被災地「亘理荒浜」探訪

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東日本大震災で全てを無くし、その年の7月には町内の戸倉地区で仮の事務所を建て仮再建し、3年前に工場・自宅を志津川商工団地内に再建した。
南三陸町内の事業所は450前後あった物が、震災後に200余りとなり、震災から5年が経ち、震災特需の新しい事業所が50ぐらい誕生した。そして、6年目を迎える今、震災時の厳しい経営にどんどん近づいている気がする。新しい印刷業の「カラー化」の中で、昔ながらの事業設備再建が、会社の再建では限界の再建と思い、今に至っている。

暇を良い事に一昨日にビデオで見た、亘理町に現在の状況を自分の目で確認しに行って来た。三陸道を利用して「津山IC」から乗り、亘理荒浜まで1時間50分で到着した。津波到達地区に「災害復興住宅」が3棟建設されていた。

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散策に行った理由に亘理町はどうな形で住民が再建し、行政や組合・商店などが生活再生に、どう取り組んでいるのかを見に行った。
亘理と言ったら「ホッキ弁当」が頭に上る。亘理ICから町内に入ると平坦な農地と住宅街が続く、荒浜地区に向かう道路脇の電柱に「津波到達表示」があった。海岸から2Kはあるだろうか、1m前後だった気がする。荒浜海岸には以前のままに家が建っていたが、住宅再建が全てでない気がする。津波は何mだったかネットで調べたが見つけられなかった。死者は「306人」と町のHPには掲載され、発見された遺体は257人と言う。
荒浜海岸に宮城県漁協南支所があり、隣接し「きずなポートわたり」があった。漁業・農業の産品が一同に会する産直で、「亘理のいちご」が販売され、加工品も多数販売されていた。ホッキ貝・カレイ・若布など海産品が沢山販売されていた。地元の加工品は各種に及び、農漁業が一体となり漁協の「鳥の海ふれあい市場」として、観光客や地元の住民の買い物の場として活用され、賑わっていた。
その隣には「荒浜賑わい回廊商店」があった。土曜日というのに6店舗には人影がなかった。ふれあい市場には地元の住民の皆さんが半数わ数え、私たちのような観光客が混じるといった感じだった。地元民がいかない「市場」「商店街」でなくては、町の発展とはならないと私は常々思っている。
もう一つの賑わいの場所は「亘理温泉・鳥の海」だった。太平洋に面しながら内湾が「鳥の海」で、海からは50mも離れてない所に、4階建ての温泉施設があった。「津波被害?」は判らないが、多くのお客さんが土曜日に訪れていた。

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「亘理の復興は一番遅い。」と来社した人は言っていた。津波の波高は3m前後とこの状況から判断する。漁港周辺には何もなかったように、住宅が建ち並び、基礎だけの空き地も点在していた。海岸から近くに「荒浜中学校」があり再建されたのか、高床式の校舎だった。少し内陸の「荒浜小学校」は以前のままであった。

我が町の津波は16mで最高の入り江で24mにも達する。平地の多い亘理町は市街地と農地を内陸へと津波が遡上したせいで、津波が増幅する事なく勢いが収まる所まで進んだ。人命も建物被害も最小限だったと思う。自治体の持つ地形と住民の集中形体で、その被害に大きな被害の差となったと検証する。

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未だに仮設に住んでいるのは高齢者が多く、津波の怖さが脳裏から消えないのだろう。震災4年目の三棟の災害公営の半分の入居は、その原因による物と思う。漁業に生活の糧を求める住民は、これまでの場所に残った。津波の大小の差が住民の生活環境に関連している。代々続く漁業を守る為にこれまでの地で生活を続ける選択をした。以前の報道に「亘理のいちご農家が北海道へ移住」があった。しかし、「亘理のいちご」は健在だった。

荒浜の名物「ホッキ弁当」はまた後にしたい。







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2017
02/25

震災4年目を迎えた防災庁舎の3.11


私はプレミアムシングルナイトでした。食事は血糖値が高いので外食で「サラリ」と世間で騒いでいる、「プレミアム」な時間を30分堪能した。
26年の5月に新築移転を果たし、その時から3.11の記録番組は、知り得る限りビデオに録画している。震災4年後の東北放送の、「震災から4年」を見た。1時間半の2年前にタイムスリップした。震災復興は住民の意見も聞かないままに、早期の原形復旧を基本として多額の国費が投じられ、この時点で9兆を超えた。住宅再建に1兆円、商店の再建にも1兆円など、7割が防潮堤・河川工事・農地の再生など、大型工事で建設関係に使われていた。

災害での大川地区の住民の考えは複雑なものだった。多くの子供たちが津波に呑まれ、その捜索や発見が想像以上に難航し、被災者家族は子供達の遺体の発見に、農地の再建による整備で、海の底に沈んだ土地の捜索が出来ると、住民の後継の居ない農地の再建を承諾したと言う。
漁港の整備も震災以後の土地の状況も考えなく、漁港の嵩上げをしたものの、40㎝・70㎝と地区のごとの土地の隆起で、水揚げ場が高くなり水揚げに不便な状況となっていた。漁民は「ありがたいが……」と複雑な胸の内を話す。
仙台の沿岸部の災害公営住宅再建は3年で建設されたものの、100戸ある住宅には39戸しか入居が無いと言う。一つの棟は誰も入居がない。何億も使った被災者の住宅再建は、仮設から出たいとの当初の気持ちから、「入居希望」をだしたものの、津波到達場所の住宅建設に、「津波が怖い!」と話す。津波が2m余り1.5Kの場所に押し寄せた土地への、住宅建設がその原因だった。既に入居を済ませた住民は、「仮設住宅から出られて嬉しく、朝には朝日が部屋に差し込む光景が綺麗だ」と言う。この女性は5人の加家族を津波で失っているのに、この言葉に心打たれた。

南三陸町の防災庁舎には3年前、多くの人達が防災庁舎を訪れ手を合わせていた。町の職員それ以外の町民や人々「43人」が防災庁舎で亡くなっている。佐藤仁町長は、ここに集まるよう指示し、ここに役場庁舎をそのままにした。いったい何度手を合わせて行っているだろうか。

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2017
02/24

生活困窮世帯となる事を想定して


昨夕は2回目の「シイタケ収穫」をした。生協のシイタケ栽培キッドを使って、今年は大好きなシイタケを育ててみた。一回目は榾木全体に実り、2回目の育成に水分を含ませ、温かい場所に置いていたら1か月半で、再び10個の収穫となり、直ぐに食卓の二品として料理した。
入谷地区の魚屋さんで南三陸名産の「三陸かき」を500円で購入した。殻付かきは一個250円もするが、大小むき身で15個ぐらいは入っていた。今夜は大好きな「かきフライ」にした。小麦粉・卵・パン粉をまぶし、フライパンで油を少なめにして揚げるが、台所が油まみれになるのが大変だ。シイタケも一緒にフライにして食べた、新鮮獲りたては美味しいに決まっている。
もう一品は少し悪くなりつつある「もやし」とシイタケ・チクワと一緒に煮込んだ。もやし100円・シメジ100円と炒めた。節約料理でカロリーもこの料理は低いだろう。

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昨晩の料理がビールと共に並ぶ、キャベツの千切りも100円で買った。キャベツを半分買う事も考えられるが、売っている千切りのように行かず、趣味の男料理なので無理である。昨日は来客でお昼抜きなので更に美味しい。

最近のニュースは「トランプ」と「ジョンナム」の事件ばかりが、ワイドショーの話題となっている。トランプ米国大統領は当選以来、自分本意の「大統領令」を連発し、世界の平和均衡の揺るがす問題として、各国がその対応に苦慮している。マレーシでの暗殺事件は、北朝鮮の暗殺説が事件の根幹にあると世界は見ている。腹違いの兄を国の元首が闇の内に「粛清」の名の元に、同じ国の人間を次ぎ次ぎ抹殺している。兄は「家族を殺さないで!」と懇願するも、兄は二人の他国の人間により殺害され、その薬物が「朝日新聞」掲載され、暗殺説が真実となりつつある。何も見る物がないので、内容も良く知る事となっている。

私立の「森友学園」の不明朗な土地所得問題が急浮上してきた。安倍総理婦人が名誉職として学園に名を連ね、広告塔として寄付金を小学校建設にあたり集めていた。総理は国会答弁で、「妻がもし土地問題・土地取得に関わっていたら、私も総理大臣を辞めなければいけない。」と言う。今日午前に予算審議があり、この事が衆議院予算委員会で審議される。安倍総理のアキレス腱となる気もする。これが安泰政治の「気持ちの緩み」となり、発生した気がする。緊張感の無い政治はこうした事件に発展する。国民・町民もしっかりと政治に目を配らないと、間違った道に進む事を肝に銘じて欲しい。

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2017
02/23

南三陸町の変化を「千葉総合印刷株式会社」のHPで

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南三陸町の28年下半期の町の動きを「千葉総合印刷株式会社」としてホームページで追加発信しています。震災復興の高台移転が28年末には総ての整備が終了します。災害復興公営住宅も29年3月末までの入居と、7月までの仮設からの退去を目指し進んでいます。南三陸町の出来事を是非ご覧下さい。「千葉総合印刷株式会社」で検索すると簡単に見れます。

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いだいまHP会社から更新されました
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広島からの「愛の福袋活動」、南三陸町本浜地区の「七福神舞」の復活、震災後に生まれた子供達の元気を「あさひ幼稚園」から、志津川高校の仮設の「お別れ会」など、震災からの復興の姿を写真・言葉で伝えています。「千葉総合印刷株式会社」で検索して、ホームページにお出掛け下さい。

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2017
02/23

厳粛に荒砥地区の七回忌法要


南三陸町の志津川地区の志津川湾の沿岸の、半島突端に位置する地区が荒砥です。漁村の地域で漁業に従事する住民の多い場所で、防潮堤はあるものの海岸ギリギリまで、住宅地が迫り建築されていた。現在はワカメの収穫時期で、嵩上げされた水産物揚げ場で、寒さの中をワカメのボイル作業で大わらわだった。
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地域の住民の菩提寺「全慶寺」が浜の高台にある。本堂と集会所があり、写真で見える集会所の一階部分まで押し寄せた。見上げる場所まで大震災の津波は押し寄せた。細長く隣りの地区の清水地区に向かう道路沿いに家が建ち、津波は遡り次から次と地域の住宅を呑込んで行った。
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2月22日の10時より荒砥の「全慶寺」の集会所で、東日本大震災の「荒砥地区」の七回忌法要が、鳥取・島根浄土真宗本願寺派の皆さんにより営まれた。地区の20名弱の住民が参加し、15名の僧侶の皆さんによる御念仏が催された。代表の方の挨拶では「23年のあの日から地域とのご縁があり、震災から6年目を迎えた」と、遠く島根と鳥取の方々が、被災地に寄り添ってくれた。
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2017
02/22

旧志津川町の住民の反骨精神が薄れている


28年12月の町の動きを一気に読み進む。町が着実に復興に向かい進んでいるものの、何か以前の町民の勢いが欠け、何も語らない中で行政の思うままに、事が進んでいるように感じるのは私だけみたいだ。
人口の地形の変更にも、自然変化にも地域民の「静かに生きる」、「見守る」「耐え忍ぶ」、こんな状態が続いている。町民が町政に対し語り合う事はない。町の作った場での要望や願いを聴くものの、町民の願望は叶えられる事は少なく、行政に近い町民の意向が町の進める方向性と一致している。こんな不思議に幾度となく見て来た。

『南三陸町の庁舎建設現場見学会開催に県内外の自治体職員170人が参加した。環境保全に配慮した地元材を使った。森林管理協議会(FSC)の認証取得のPRをした。南三陸町本庁舎は地上3階建てで、南三陸産材スギ材とコンクリート造りで延べ床面積は3773㎡。建設費は約20億円で、歌津総合支所は7億6100万円。29年8月中旬に完成し、9月上旬に併用を開始する。)

◆志津川湾水系の川サケ漁が不振で、八幡川・水戸辺川のサケは11月29日現在では604匹で昨年の6割にとどまっている。放流1千万匹を目標に対し、360万粒で移入を加えても4千万粒と4割となっている。その状況から「海産親魚」の捕獲をする。沿岸業者の協力の網上げを11月19日~23日に行ったが、23日の河川の捕獲は72匹と網上げ前の2倍ながら、例年の4分の1と減少している。
◆第16次復興交付金が南三陸町では前回9倍に当たる約14億円が申告どおり配分される。被災地復興の土地区画事業に約8億円。津波復興拠点事業として、志津川中央区への公共用地整備で、生涯学習センターや学校給食センターの建設地の整備などに約6億円をあてる。
◆12月1日より南三陸町の気仙沼薬剤師会を事業主体とする、薬局窓口の「まちかど相談」がスタートする。健康や介護、医療分野を含め一体的に受けつける。
◆南三陸町の「郷土芸能発表会」があり、入谷打囃子・行山流水戸辺鹿子躍など5団体、約90人が出演し、日頃の練習の成果を披露した。

『南三陸商工会の青年部が福島県郡山市で開催の主張発表全国大会で「最優秀賞」に輝いた。未利用食材を活用した商品化や、ものづくりに対する部員が連携するという「ものづくりリレー事業」の提案が高く評価された。青年部(山内大輔部長)は、三陸沿岸代表として6月の県大会、8月の東北大会をもとに優勝し、全国大会に出場した。同部会の水産会社役員の及川善弥さん(35)が発表した。』

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28年12月も色々な町の出来事と、気仙沼市の出来事でとの大きな違いは、住民の議論があり、何度も会議を重ね決定しているのと、形ばかりの行政と住民の集まりと、震災時の頃と比べても質問・意見が少ないと感じる。

『気仙沼市神山の吉田酒店の店主吉田喜市さん(82)が、「ヨシダビル」を平屋で再建し、南気仙沼に飲食店を中心にした集中商店施設を整備する。敷地は3700㎡で、飲食店26店をテナントとして建てるほか、事務所・コンビニも併設し、14台の駐車場も確保する。来年3月からテナントを募集する。吉田さんは被災前は南気仙沼駅前にあり、「クリスタル・ビレッジ・ヨシダ」として地区民に親しまれていた。

◇気仙沼市新浜町で店舗の再建をした「すがとよ酒店」の店主菅原文子さん(67)が、犠牲者の霊を慰めるとともに地区の復興を願う「地蔵堂」を店舗前に建立した。鎮魂と早期復興を願い、16日に開眼供養をおこなった。
◇気仙沼魚市場暦年水揚金額2年連続200億円に8日を残し、あと8億円ほどとなった。
◇気仙沼鹿折加工組合は農林中央金庫の支援を受け、輸出へのノウハウを身につけ海外進出へ。まずはシンガポールを拠点に組合員で力を合せ海外展開できる事を目標にする。
◇気仙沼市議会は熊谷(雅)氏の視察での遅刻・飲酒疑惑で倫理審査会設置の動きをみせている。同議員は2014年の飲酒運転疑惑で辞職勧告を10月に受けている。
◇気仙沼市の「市政懇談会」が全日程を終了し、市民からは市道の整備の遅れに不満が語られ、市への防災リーダーの育成要望などが出された。

『気仙沼市内のローソン田谷店と店員が、架空請求による「特殊詐欺被害」を未然に防ぎ、気仙沼署から感謝状が贈られた。市内の60代男性が電子マネー2万5千円を5枚購入(12万5千円)の申し出を不審に思い、店長と相談し男性に詐欺であると説明した。この判断で被害を未然に防いだ。』

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2017
02/21

徒然草


老後をどうするか考えると不安が募る。まさかこんな事を考える時期がこんなにも早くなるとは思ってもいなかった。一番の原因は子孫を残さなかった事につきる。20代30代の皆さんには将来の為に、パートナーを見つける事、二人の楽しい老後に向け、結婚と子づくりを真剣に考えて欲しい。
災害公営住宅に暮らす高齢者の町民の皆さんも、子ども達は都会で暮らしている事を聴く。こうした状況のなか町で質素に生活しているのだろうと思う。
月6万の年金生活の中で、どうして会社や自宅を維持していくか、そんな不安が襲ってくる時がある。大震災が発生し生活が、町の姿と経済が一変させた。何も無ければ5年10年・45年と、まあ安泰な生活が出来ていた。震災から5年が経ち、また新たな局面にきている気がする。みんな大変だ。

役場の玄関にポスターを見つけた。志津川地区の商店街の「まち開き」を3月3日に控え、その宣伝のポスターが公表され、各所への掲示が始まっていた。1800枚のポスター制作で、JR東日本の各駅舎への掲示をすると言う。

南三陸町は交通網の変化と、町の形成が大きく変わり、経済やこれまでの地区の習慣も大きく変わり、行政主導の町の経済が進んでいる。抵抗勢力など何処にもなく、強靭な企業が幾つも町内に誕生している。そうした中で静かに生業の終止符を打たざる事業所が多くある。

借金をせずに手持ちのお金を残し、将来の生活の為に蓄える、こうした対策しか知恵のない私はできない。日々どうしたらよいのかと思案する。

最近は暇なのでこんな事を考える事が多くなった。町中には「明と暗」が二つに別れ、明るい夢に向かう人達が多い事を願いたい。

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2017
02/20

補助や建築制限の内容変更

29.2.20ブログ
先週の土曜は東松島の「市民センター」の完成祝いのイベントが開催され、地元のオペラ歌手の方と「花が咲く」を合唱し、講演会が開催されていた。こんなニュースを昨日見た。野蒜駅から東名駅までが高台移転場所にあり、整備内容は400区画1200人が、被災した低地部からの移転だ。

グループ補助事業は、当初は住宅と一体は認められず、工場と自宅をある程度距離を空け建設が規定にあった。しかし、今は住宅兼用でも良いとの話を聞いた。その以外にも設備と工場を別に建設費を割れても大丈夫と、大きく緩和されている。南三陸町でも始まる低地部の嵩上げ地の商店・工場整備もこれでやり易くなる。

29.2.20{2)ブログ
住宅建設の「県産材」「南三陸産材」の補助金も、県が25万で町が30万円の補助が受けられる。しかし、ハウスメーカーが大量に仕入れる材料と比べれば割高で、その分地元の木材の消費拡大と、仕入れ高の負担分が補助となる。町の木材への愛着と、「どうせなら自分の住む街の材料で」と、地域の活性化の住宅建設支援と考える事だろう。
東松島市の災害公営住宅の木造での長屋式の構造物の、木材の骨組みを見ると温かさを感じる。野蒜地区での地域の学校も木造で、斬新な校舎があったが、南三陸町の戸倉地区の小学校も、木材を校舎にふんだんに取り入れている。町では集合は災害公営は鉄筋コンクリートで、9割以上も我が町にはある。野蒜地区のここまで木材を全てに利用した住宅が、震災からの再建に利用される事は、眠っている木材の活用の加速へと繋がる。

「命てんでんこ」の言葉を津波災害には声を大にして言いたい。波江の街への帰還もニュースで伝えるが、福島の原発被害は津波大災害の二重の労苦があり、「原発さえなければ!」と死んでいった酪農家の無念を思い出す。しかし、政府の原発の推進が止まる事はないようだ。




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2017
02/19

コンパクト都市構想の東松島市


浦戸の半島の定置に点在した町は、平成の合併で「東松島市」が誕生したと記憶する。28年に撮影した写真があった。高台への都市計画により、低地部の市街地は津波により全てが何も無くなった。野蒜駅は裏松島の拠点としてあったが、駅前通りの市街地は跡形も無く荒れ地となった。地域にあったお寺もこんな低地にあり数十年も町の生業の中に築かれてきた。震災により町の在り方と場所が、石巻線を中心に新しい場所での再生を住民は選択した。

旧の野蒜駅は「津波伝承館」として存続させ、以前の場所から海抜20m以上にもなる土地に、新駅と共に市街地の全てを移転した。新野蒜駅前には「市民センター」が隣接整備され、震災から毎年の3月の航空写真が掲示されていた。その変化を市民が見れる事で、町の再建の姿を感じる事ができている。高台には「宮野森小学校」が木造建築の粋を極め建ち、災害公営住宅も長屋敷で木材の在来工法での建設を採用していた。市民センターの全て公的施設が木材の柔らかさの元に建設されていた。1K余りの高台の土地は、住宅街が整備が進んでいた。ぐるりと周り見たが市役所が見当たらない。気になった一つがここにあった。病院らしきものも見つからず、南三陸町との違いを探った。

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東松島市は野蒜駅の再建と、それを中心とした町づくりがあった。宮城県内では初めてのベルトコンベアーによる高台整備をした。その他にもメガソーラーなど、自主的な自立り町づくりで、将来に繋げる街づくり構想で話題に上った。高台には「商店街」がまだ建設されていないと言う。高台には仙石線の2つの駅が整備され、仙台圏の繋がりを蜜にし町の再建を進める。市の悩みには若者達が仙台圏への流失がある。この日も午後2時過ぎというのに、10名以上の高校生が電車を使い仙台に向かっていた。病院や学校・観光も電車や高速で、交流が拡大され、仙台圏のベットタウンとしての市の可能性を探っているのだろう。

高齢者社会となる我が町は、子ども達は仕事場としての都市部へ流れ、家族の関係も高齢者の利便性を考えた場合、鉄路の戸倉駅の再建は、容易に出来そうだが、町の方向性の思考には現行政にはないようだ。

東松島の街づくりから学ぶ事は大きかった一日だった。

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2017
02/18

町の子供達を守れなかった南三陸町「復興計画」


「三世代世帯を町に定着を!」と、震災後に言い続けてきた。総ての町民を公平に震災からの生活確保と生活支援は当然ながら、祖父母が居て父母が子供達と暮らす、三世代への定住支援は必要だった。

西南海地震大津波の奥尻島では、震災後に島民を島内に留めようと、首長は被災者の住宅再建に1500万円?の住宅再建費を支援した。現在の町づくりの経費は4千億と言われている。町の世帯数は当時6千世帯余りで、町独自の再建費支援を2千万円を全世帯でも1200億円でしかない。高齢者世帯には我慢してもらい。子供達を抱える3世代家族への支援を、住宅再建と学校の早期再生を震災対策に組み入れれば、こんなにも小中学生はここまで減少しなかっただろう。

奥尻の首長はその後、建設業者との贈収賄で逮捕されたが、この政策で住民の町からの移転を防いだ。今回の世紀の大惨事の再建は、人間の知能の範囲では、多くの震災対策もその成果を発揮できなかった。奇想天外な政策を打ち建てても良かった気がする。それは首長の器の広さだろう。

今年度の小学一年生は震災の年に生まれた子供だろうか? 我が出身の志津川小学校の入学児童数の「20人」には本当に驚く。私たちの時には4クラスあり200名余りは居た。それが20人で全校でも204名は、私たち世代はショックだろうし、町の将来を心配せずにはいられない。
震災6年目を迎え、自然の死亡者が170名前後となり、出生は30名前後の町の情勢は、消滅都市へ間違いなく進む。町の交流人口の拡大政策は、町の経済発展で町の将来を守る対策とはなっていない。I・U・Lターンでどれだけの人口の維持へ繋がるだろうか。震災直後の住民への他の地区への移転防止対策を講じなかった事は、最大に汚点となり町の疲弊を加速している。

今日は何処にいこうか?

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2017
02/17

幼児と住民が一緒に


羨ましい身近な人達の「子供と孫の成長話し」に一つの人生の失敗を感じた一日だった。写真は志津川東地区西工区と「あさひ幼稚園」です。住宅は3か月前は何も無かったのに、こんなにも町が出来ていた。
息子からの電話に母は長話し、孫の成長に震災の時間を計算していた。また、先輩の奥様の墓前に手を合わせ、子供達が皆成長し、孫の可愛さを感じながら、私より4歳も上なのに、今も海に生きていた。お墓も建て立派な仏壇に妻の遺影、亡くなった妻と今も一緒に生きていた。子どもや孫たちがいるから頑張れると思った。意外と私の周辺には子供と孫の話をする仲間がいなくなった。

昨日はパートさんを試験採用し、在宅でパソコンの仕事をしてもらっている。夜は町の志津川地区の住宅地と商業地の、土地用途の変更の説明会があり、参加した。約50分で終わり「質疑応答」はなかった。会場を出るとテレビ局に引きとめられた。何を聴きに? と質問され、「一日も早く引き渡され事務所を建てたいんです。」と話した。「範囲が広く内容を理解できない。」が実情だった。

今日はどんな事で一日を終えようか。父と同じく「終活」に励んでいる。

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2017
02/16

商店街と三陸道


東北大学病院の仙台からの帰りは、利府のジャスコでお昼を食べる。
病院までは高速で利府・塩竈で下り、ここから病院までが1時間以上も掛かる。合計時間は高速でも2時間30分は必要だ。車がある事で病院まで行けるが、BRTだと高齢者は大変だし、お金と複雑な交通手段を要する。
いつも入る店は利府ジャスコの「中華店」で、格安にセツトメニューがあり、1000円足らずで食べられる。11時半となると利府の、仙台圏のベツトタウンとして、住民が買い物がてらに昼食をとる。高速のは入り口には土地整備があり、まだまだ利府の人口は増えそうだ。人が居る事で店ができ、人が集まれば人口に対する交付金も多くなり、自治体の環境整備も進む。

志津川インターが昨年10月の30日に開通し、志津川地区の住民の車社会は変わったかと言うと、仙台圏までは以前の津山ICと比べても5分と変わらない。開通してからは17軒の交通事故が三滝堂間で発生している。国道398号は3割交通が減少した。道路沿いの店も3割は客足が減った。国道45号は1割~3割が減少していた。商店街が町の中心にでき、人の流れがどうなるかはまだ見えてこない。しかし、出店する商店主の期待は図り知れない。

来月の20日には南三陸海岸インターが完成する。我が社からは乗らない訳にはいかない。東地区の住宅再建も加速し、復興住宅の入居も進み、移転した町民の笑顔に触れた。

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2017
02/15

眠れない 変な夢から


北朝鮮の長男「正男」がマレーシアで死んだ。

嫌な事が起こった昨日の一日の終わりだ。ブログで書くと大きな反響となるので、したためるのは辞めて置く。
午前中に地区の役員会の資料を配布し、数人の地区の人達と話す事ができた。東地区西工区の今は大わらわだ。境界の道路拡張と歩道ができ、通行止めガードが昨日には撤去され、東浜団地の住民もひと時の窮屈から脱出できそうだ。
午後からは母校「志津川高校」の評議委員会で、後輩たちの被災地の異常な環境での、生徒達の活躍を聴く事ができた。

ジョンウンが亡くなった。

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2017
02/14

南三陸町の町散歩(2)


南三陸町の志津川地区と歌津地区の観光拠点の、「さんさん商店街」と「ハマーレ歌津」の、「町開」に向け志津川が3月3日と、歌津が4月末ごろを目指して工事が加速している。志津川が23店舗と歌津地区が8店舗の出店と聴いているが、被災地支援や観光客の受け入れを考えると、町には一同に会した「ショッピング施設」は必要だろう。

町には住宅再建が進み、商店街から離脱して「自分の住まいで経営をしたい」との考えが商店主にある。しかし、バラバラに散ったお得意さんが来てくれるかと言うと、経営の安定には時間が掛かり、町が落ち着きを見せるまでは、再建から3~5年以上が必要な気がする。
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「町づくり協議会」の一員として、議論に関わって来たが、会員が提案した事は現実には出来ない事が多かった。それは理想と現実の違いだろうが、町計画に無い生活に密着した提案が難しい事ながら、そこには多くの町民ファーストの考えがある気がする。町民の代表者の選択には、行政を指示する会員が先頭に立ち、行政の提案を100%取り入れた物となっていた。議論が意味の無い事と感じるようになっていた。まだまだこうした事が今も繰り替えされている。

大震災から6年を前に、亡くなられた遺族の方の「七回忌法要」が執り行われている。私の親戚も早々昨年末には済ませている。本浜町の同級生の兄が来社し、奥様を亡くされた話に、残された子供達の頑張る姿を聴いた。しかし、子ども達は安定した生活を求め、登米市に既に住居を構えていた。私の知る建設業の方も、浜の近くにあった会社と自宅は全て流失し、翌年には登米市での会社と自宅を再建していた。事業所や住民の流出は町から沢山の仕事を奪っていた。仕事も行政に依存する姿はそこから来ている。

事業所の町からの移転は、税収や雇用の場を無くしてしまっている。雇用のミスマッチと言うが、仕事が水産業の厳しい作業しかなく、地元の若者は自分の求める仕事を探しに町を離れる。従業員不足は外国の就労者の受け入れへと、町の事業者の支援と事業への補助へと増加している。これでは若者達が残る事の無い「消滅都市」へとまっしぐらだ。

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2017
02/13

親水はできない新井田川になっていた


大震災でも壊れなかった「曙橋」、何度も新井田川の風景を残そうと、橋のたともから自動開閉式水門や、家族の死を受け入れなかった建物と、懐かしい昔の川に親しんだ生活を想い起こしていた。

私の考える親水の「水に親しむ」は、海を通して自然の生き物に触れ、その生き物は安全か危険な物なのかを肌で、実践して体への被害で「痛い」「怖い」「大変」など、自然の生き物は自分が生存して行く為に、身を守る事で加害者に害をあたえている。こんな事を海の生物から学んだ。クラゲ・エラコ・ウニがあり、アナゴなどの獰猛な魚には、生きる為に噛みつかれ血を流し学んだ。
「危ない事はさせない。」「危険な所には行かせない。」など、幼少時の今の自然からの学習は、真の怖さから避けている。南三陸町の水産の町ながら、海に親しむ最大の「海水浴」など、海が怖い・波が怖いと言い、親たちもプールでのスイミングで、水泳記録会でのプールでの成績ばかりに重きを置いている。「我は海の子……」と言った、過去の海の子供達は居なくなり、自然活用センターなど、見て触れてと言いつつ、本当の海の怖さを知らない日本の子供達が増加し、水産業の後継者など育つのは南三陸町には無いようだ。これで町の発展の基礎を造った産業は、衰退の一途だろう。
日曜日に石巻の若者の牡蠣団体が、自慢の牡蠣の水産業の復興と、生産の振興や販売の販路開拓に、若者達20名が「フッシャマンズ……?」と、後継が海で生きる事を選択した。海の水産業の厳しさを軽んじる、我が町の行政と商人は、漁民の生活向上には真剣に付き合っていない気がしてならない。
10mの市街地の商店と、新しい商店街にも水産業に関わる人達を、商店主道ではなく若い水産業の担い手が、南三陸町の水産業の素晴らしさを発信して欲しい。歌津地区はこうした活動が顕著に表しているように感じる。
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田老町の防潮堤は「9m」だったが、万里の津波防潮堤は、町を襲った津波は堤防を越え、すり鉢の町を覆い尽くした。我が町は10mの嵩上げの元で、河川堤防は「8.7m」で町の川に整備し、海抜8.7mの内陸地点まで連ねる。津波の脅威を知らない国交省の「机上の理論」の元に、津波防災体制を築いている。10年後50年後に同等の津波で、多額の国費を使った町づくりの欠点が露呈する。

多くの考えられる防災の不備を補う為にも、「避難道」を幾重にも整備する必要性を感じる。「奥尻島」「串本町」などがあり、100年以上? も津波を経験していない串本町でさえ、多くの避難道と防災体制は高台の消防本部を建設し、住宅の移転も高台へと予算を計上していた。砂州で町は繋がっているものの、海岸を二つに分けてある「砂州」は、津波で流失してしまう予想を町は立てて、津波防災対策に既に取り組んでいる。
こうした全国の取り組みを議会が調査しても、その津波対策を構築する行政に、自然災害を理解する、町民の暮らしを守る根本的な事に欠けている、国県と行政の津波防災には多くの「穴」を感じている。
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南三陸町の新しい町づくりに「凄い復興」と驚くのではなく、東日本大震災の津波の恐ろしさは「凄い」と、感じさせる町の在り方に転換すべきと私は思っている。何時までも人の欲による「町づくり」では、本当の南三陸町の志津川地区と歌津地区を自然の素晴らしさを味わう事はできない。

昨日は南三陸町を歩き、昔の町の素晴らしさを再確認し、またいっぱい良き町を想い起こす事ができた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:42 】

2017
02/12

平穏な日々に感謝


昨夜も6時半過ぎにお客さんからの携帯が鳴る。登録されていない番号からで、折り返し返信した。先週の土曜日にお願いした「法名碑」の、母の物を刻む注文から、一週間目にして完了しましたとの事だった。2万8千円は安い。古川からの2度の墓地までの用事で済ませたとの事だった。昨年8月15日の逝去から半年でここまでを終えた。南三陸町に石材店が無くなり、2年目となる。先祖への畏敬の念も年々薄れ行く住民が多くなっている。そこまで手が回らないが実情のような気がする。

昨日も志津川市街地の土地換地にあたり、震災前の我が社の場所に再建が可能となり、「本浜町跡地」「千葉印刷発祥の地」など、小さくても良いからと石屋に見積をお願いしている。これまで生きて来た場所への思いが強い。生を成し55年間暮らしてきた場所を、私はこのまま埋もれさせることの寂しさが、日々募っている。

一つひとつ自分の役目を全うしている。

少しでも華やかにと、自宅兼事務所の入り口に昨年も3年目となるイルミを飾った。毎年クリスマスの数日前に設置した物を、一昨日前にやっと片付ける事できた。会社の前は日中に数える事ができる通行人で、我が社へのお客さんも少なく、自分なりに華やかさを求めた。
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この時期は町の子供達の、「読書感想文コンクールの作品集」の仕事があったが、今年からは「第1回南三陸町図書館を使った調べる学習コンクール」に変わり、依頼の見積の複雑さとページ数から、弱小事業所の我が社は、外注となり頑張った物の、見積競争は厳しいと判断している。子供達の図書を通し学習の応用が求められ、図書館に展示されている発表には、子供達が自分の興味を深く掘り下げる研究発表の作品に、時代は変わった事を実感した。我が社は城洋新聞からの継続で、志津川町南町に図書館があつた頃からで、30年以上にも感想文作成があり、図書館員の多くの前任者と関わりを思い出す。その事業も新たな物がスタートする。

大震災の検証は終わっていなく、多くの研究者が今後日本を襲う防災体制に付き、研究をしている。「海樹での「アラメ」の役割を、漁業の町の町民皆が知り、その素晴らしい環境が志津川町と歌津町を造ったという事を、再確認すべきだ。我が町の今後の政治・経済戦略は、観光に特化しつつあるが、自然の海があり、海に関わる町民が居て町が発展した事を忘れてはいけない。人口減少は町にどんな影響となるのかを、町民皆が議論する場が必要だ。
志津川湾のアラメの揺り籠で育つ小魚は、大きな魚を呼び込み、高価な物を育て、アラメの役割を終えても、綺麗な環境で、またアラメが子孫を残す。この自然の何気ない営みで、人が生かされている事を人間は忘れかけている。人工・養殖は人の欲が先行し、自然の摂理を歪め環境の悪化となる事が心配だ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:58 】

2017
02/11

昨日の南三陸町


町役場の建設も順調に進み、仮の役場庁舎から今年中? にも引っ越しとなるのだろうか。病院は52億を掛けて、町の保険福祉課と病院が併設され、社会福祉協議会が二階にあり、高齢者や若い世代の子育ての、学習室・会議室もあり頻繁に活用されている。22億の台湾赤十字からの被災地支援があり、病院の上には「緑十字」の看板が上がっている。
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昨日は父を病院の月一の循環器の専門医の診察で送って来た。外はマイナスの寒さで、「足が雪で滑る」と慎重に病院に入っていった。玄関にはテレビクルーと外国の人が数人と、10名を超える人たちが玄関にいた。語り部? 震災で観光客の受け入れ充実に関係機関が取り組んでいるのか。
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病院の待ち合い室のソフアーを囲み取材が始まっていた。同級生がいたので「何なの?」と聞いた。「うちの父が取材受けているの。」と言い、携帯で撮影していた。私も一枚撮らせてもらった。公共の場での患者の写真は、撮影はタブーながら、テレビ取材だったので一枚いただいた。

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2017
02/10

三陸道と商店街の発展


「命の道」として早期の開通を進めている政府の目的は、誰の為なのかと言うと。建設業者とそれを多く利用する地域民となるが、トラックと工事関係者の走行が多いだけと私は感じる。こないだのテレビ報道でも、まだ1か月先の開通を宣伝する。
ほんとうに命の道かと言うと、「観光受入れ」「町外への利便性」と陸の孤島への道としての高速道路に感じる。水産物の物流としての道もあるだろうが、高速を使わなくても南三陸町からは、震災復興の車の渋滞が無くなれば、5分と違わない。国内の道路整備は東日本大震災の「ビックデータ」から、物流の日本全土の非常時に道路の必要性を確認したからなのだろう。
高齢者の事故が多発している中で、地方の過疎地になりつつある高齢化の町では、車無くしては生活が成りたたないがある。

新しい町には傾斜が多く、高齢者が歩いて買い物をする事は出来ない。自転車となるとまた大変である。狭い地形に包まれた南三陸町は、平坦な地域が市街地として発展したものの、3.11の大震災で「職住分離」の町の再建計画は、綺麗な整備された町ながら、高齢者が住むには厳しい町となりつつある。志津川地区を取って見れば、大きく3地区に区切った町づくりには、地域にあった商店が3地区には少なく、無いに等しい事で、高齢者の買い物の場として7月末にはスーパーが出来るが、行くまでの交通手段に今から頭を痛めている。
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市街地の土地の引き渡しは3月から本格化となり、来年とになるものもあるが、今年中には8割は引き渡されるが、人が住む事の出来ない工場・商店の再建にはまだまだ時間が掛かりそうだ。私の換地の引き渡しも、当初の上四半期の9月から、4月5月には引き渡し予定と、想定外の嬉しい報告が、町の復興土地整備課からあった。元気な内になんでもやっておきたいが、借金がまた膨らむ。登米市の方に「借金は財産だから」と言われたが、将来に何が起こるかも知れない人生、私の「最後の賭け」と言い聞かせた小さな事業へと、これからの大きな期待に向け邁進していきたい。

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2017
02/09

新生活へ新商店街へ


親戚の叔母が「お返し」と言って、南三陸町で名物となった千葉のり店の「たつの子のり」を持って来てくれた。父が風邪ぎみと言う事で、うつると大変と早々に帰ると話す。90歳になる御夫婦で、風邪をうつされると大変との理由からで、息子に迷惑は掛けられないとの対策だろう。現在住宅建設が志津川西団地東工区で進み、先月の上棟式から20日しか経っていないのに、隣りの二軒が早くも屋根や足場が完成していた。叔母は仮設から町の巡回バスを利用し我が家に来て、後2時間も経たないと帰りのバスが無いと、建設現場へ私が車で送って行った。大工さんの家系で身内が仕事の合間を見て、建設にあたり5月ごろまではと進める。そこには孫が祖父母のためと頑張っていた。

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解体中の志津川の商店街に行くと、テレビ局のカメラマンが仮設の入居者の、新しく移転する商店の、仮の仮店舗の状況を撮影していた。こないだの同級生の集まりの席でその店の事を聞いた。「千葉のり店」「文具のフレンズ」「化粧品店」の三軒があった。12月末での閉店から、新商店街のオープンを待っていられないと、営業を続けている。

今日の三陸新報に伊里前商店街の名称が「ハマーレ歌津」と決定したとあった。商店街は4月の開店に向け、工事が急ピッチで進んでいた。日曜日にでも進捗状況を写真に収めたい。

今日で5日目仕事が無い。震災からの復建の歩みの中で、「身体を休めて!」と言っているのだろうか。私はサメ、動いていないと死んじゃう!

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2017
02/08

南三陸海岸のブランド若布に舌鼓


歌津地区の友達の奥さんが地元の新ワカメのお裾分けをしてくれた。生ワカメなので夕飯前に一仕事で処理をした。大のレジ袋にいっぱいのワカメ、大鍋で沸騰したお湯に若布を潜らすと、綺麗なミドリ色に変わった。新ワカメなので「さっと」湯通ししだけでお浸しにして、麺つゆを掛ければ美味しく頂ける。友達は「ワカメのしゃぶしゃぶ」が美味しいと言う。

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この晩は、新ワカメと地元のちじみホウレン草と竹輪を麺つゆで和えた。若布の食べ方は私は限られ、この食べ方方が最高に美味い。若布の茎の部分は甘辛く煮込んだ、今の茎は柔くて美味しい。貰いもので2品を作り、ホウレン草100円と竹輪100円しか経費は掛かっていない。節約の食卓ながら外出すれば、気張って1500円ぐらいの物を食べる。今最高の贅沢かもしれない。昨夜もビール350mlを飲んでしまった。

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時々、甘い物が欲しくなる。インゲン豆を最近は月一回鍋で作る。一袋400円ぐらいで買い求め、一晩水に浸してから1時間ぐらいで、砂糖を大スプーン大盛り6杯と塩を少々、煮立ったらこまめに「アク」を取り、煮あがったら一晩置くと、味が染みで丁度美味しく食べられる。土曜日に古川の墓石センターからの帰り、米山の「道の駅」で白インゲン豆を1袋300円で2袋買い求めた。出来立ては仏壇の母に供え、父に食べさせた。趣味は身を助けると言う事ですかね。

毎日、トランプの話題でいっぱいだ。アメリカの事など何一つ関心も無かったが、移民国家であり、今も人口が増加を続け発展を続けている。「アメリカンファースト!」を実践し、大統領令を連発し続けている。今年も貿易赤字が進み、対国に一位に中国と2位に日本がある。ドイツの2位を日本が追い抜き、貿易赤字の相手国への無茶な要望を突きつけている。トランプ大統領はドイツからの両親が移民として「アメリカンドリーム」を叶えた。多くの移民は夢に向かいアメリカを目指す。イスラム圏の7か国の入国を禁止し、世界中に混乱を与えている。現在はワシントンの州法で違法と言い、大統領令は一時休止となっている。
フェイスブック・アップルなどの、SNSのネット開発力の先人を切っているものの、自動車産業の日本会社の進出が、米国の貿易赤字の温床となっている。日本企業の米国での雇用は100万人となり、今後更に経済支援により投資・雇用を拡大すると安倍総理は言う。フロリダの大統領の経営するゴルブでのゴルフ外交をする。良好な関係となるようにとの日米関係は、両方とも思うようにはいかないだろう。

南三陸町ドリームはあるのだろうか。南三陸町ギンザケのブランド化で、宮城はその販路の拡大を目指す。これだけで町民の生活環境の良くなるのかと言うと、何も変わらないと私は思っている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:51 】

2017
02/07

貴方が町の為に何ができるんだ!


昨年の「「おれおれ詐欺」の総額が400億を超え、発覚しない物で200億と言う。嘘みたいな事実が報告された。県内でも「6億被害?」こんな数字に、こんなにも警察での啓蒙の告知が成されているのに、まだまだ減らないのは、高齢者世帯と認知症など社会的な問題にある。詐欺に加担している人間は、若い世代で生活苦や学校教育現場の問題も関係している気がする。
「楽して金を儲けよう」「自分さえ良ければイイ」など、日本の中枢の人間の心の貧しさがある。良い例が「文部科学省の天下り」だろう。「天下り防止法」は官僚の元に組み立てられ、国会で法案化されているが、初めから「抜け道」を作られている、国の機構の実態がある。

福島県の双葉町で地域医療に最後まで取り組んだ、高齢の医師が亡くなった。大震災の原発事故で町民が町を去り、高齢の病人に最後まで寄り添う医療に従事した。私の知る先生もこの先生の生き方に感銘を受け、自分の引き際を考えていた。高野医院の高野医院長は90歳近い身体で、夜昼なく医療に身を捧げ、地域医療に最後まで務め上げた。個人開業医の病院医師は、24時間休む暇はないと言う。父なき後を理事長の娘は、ネットで「医師急募」と医師を探した。高野先生に感銘を受けた医師が、ボランティアで支援はしてくれるものの、一時的な物で双葉町の医療は厳しく、原発被害と高齢化・働き手など、過疎化は今後も進んで行く。
高野先生の「血のかよった医療」を継続してくれる人はいない。我が町だと震災前の初代本田・田中先生の名を上げたい。大津波で町は消え、何も無くなった町は、誰がまた造って行くのかは、町に残った町民がやるしかない。誰かの為に奉仕の気持ちで努力する事が必要だ。


双葉町福島原発の30K圏内ながら、放射能の飛散は他の地域より少なかった。宮城の女川原発は昨年の時点では今年4月の稼働予定だった。しかし、原発の被害の修復や津波対策に1年半を要する事から、2年後をめどに稼働すると、村井県知事は今後の予定を発表した。原発稼働は政府の重点目標と、国内の電力会社での安定した発電力と安価な事も重なり、自民党系の支配する日本では、国策として推進する姿勢は変わらないようだ。

私も「町県民税免除世帯」になっていた。日本の月額の給与平均が「31万円」で、パートでも「10万円弱」と言う。そんな中で自分にできる事は限られ、遅かれ早かれ10年後以降は、3割減額された国民年金受給で生活するしかない。生活保護世帯には……と思ってはいるが、どうなるかは見えてこない。兄弟に頼るつもりはもうとうないが、シャアハウスで共に生きる仲間なんか、面白い。石巻の「田代島起こし隊」の参加も、近い将来への可能性を秘めている。

この町で「最後まで暮らしたい」の気持ちは人一倍強いつもりだが、自分の失敗の姿は見たくなく、町の衰退も見たくない。2040年には人口が「8700人」の予想は、町の人口減少対策が講じた事での人口だ。出生率向上・人口移動小での数字で、現状のままで人口動向だと「8100人」となる予想だ。どっちにしても町の発展はないとの結果が待っている。23年後は84歳となり男性の日本の平均寿命近くとなる。きっとそこまでは生きられないから、今「やれる」「やりたい」ことを町の為に私はしたい。

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2017
02/06

健康に気を付け 身体を大切に

先週土曜日に仲間内の「後厄同級会」を11名で開催した。2か月ふりの南三陸町の仲間との再会だった。事務局からの連絡では「仙台同級会を企画」と話もあった。久々の酒の席に「焼酎」の麦と芋が10本以上も注文された気がする。私はビール派で生3杯と、御付き合いで芋焼酎を一杯、結果は朝の目覚めから一転、トイレに駆け込んだ。深酒は危険です。リョーちゃん大丈夫かなー? 帰りは立つのがやっとで、一人暮らしの家に帰った。しばらくぶりの開会で、楽しくはしゃぎ嬉しかったのだろうが、俺たちは若くないので身体に気を付けましょう。お酒の飲み過ぎは危ない。

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また、土曜日は石巻からプレゼントが届いた。震災前からマフラーなど、自分で作ってくれた手編みなどを頂いた同級生の母からだ。プレゼントのクッションの包みには感謝の言葉が書かれてあった。その他にもネックフォーマーが2枚、父と私のぶんだろう「温かい!」。
お二人の震災の津波から避難の時、指定避難場所の上の山緑地公園の坂を、御夫婦で登っていた時に後ろから大津波が来たと言う。その物凄さに多くの避難していた人が驚き、命からがら指定の場所に付きながら、その波は更に上へ上へと押し寄せたと言う。もう駄目かと心で思ったとの話に、再び町を呑込む大津波の猛威を思い出した。

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子供たちの死は家族にとって一緒忘れられないだろう。子どもの霊が道に迷わず成仏できるように皆が願うだろうが、我が子は「仏様」になったとは、きっと思いたくないだろう。いつも家族の傍に居てくれる事と思う。
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2017
02/05

母の逝去から半年


母を無事に天国へ送り出す事ができたのも、親戚縁者・友人知人・兄弟の力があってのことと感謝しております。94歳まで生きられた幸せに、きっと母も喜んでいると思います。
大震災で突然の家族の死は、被災者となり毎日が戦いと苦悩の日々だったと思います。未だにまだ見つからない家族が沢山います。私は震災で何とか命を繋ぐ事ができ、両親3人で5年半を送りました。震災被災者は町の8割にもなりますが、津波での命を失った800名余りの皆さんを思うと、何かしないといけないとの想いが、あれからずっと続いています。
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年が明け「春彼岸」がもう少しで来ます。納骨は勿論済ませましたが、墓地の法名碑への刻みがまだで。百カ日を過ぎた頃から気になっていました。昨日は思い切って内陸の墓石センターを目指し出掛けた。石屋との商談も無事に終わり、供養膳に舌つづみをした。
古川の市街地は何一つ知らず、「カーナビ」の指示どおりに1時間半で到着した。一昨日前の降雪から一転、好天に恵まれ明るい内に帰る事を目標とした。法名一行2万8千円ながらやるべき事をする。私の家督としての役目は、兄弟の子供達へとその役目を引き継いでもらう事が、生きている事の最大の希望として在る。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:01 】

2017
02/04

南三陸町慰霊碑巡礼


歌津地区での七回忌の法要が開催された日に、三つの場所に亡くなられた方達を刻んだ慰霊碑に手を合わせて来た。

最初は歌津舘浜の「津龍院」さまの、震災後に建立された物で、菩提寺の檀家の津波死亡者の名前を刻んだ慰霊碑です。気仙沼の在住の方もあり、その人数に驚かされた。慰霊碑の前に立ちあの日の事を思い出す。どす黒い津波が全ての物を巻き込み、海から陸地へと走った。建物・船があり人間などは一たまりも無かったが、その命の儚さで多くの家庭が、地獄のどん底に突き落とされた。
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次は伊里前地区の高台「鎮魂の森」に建立された、歌津地区の総ての犠牲者を刻んだ「慰霊碑」は、高台から市街地と歌津の青い海を見下ろす場所にあった。「あつみ」がいて剣道大好きな「ありさ」さん、大きな夢を持っていた「つばさ」さんも居る。そして、歌津地区の基礎を築いた高齢の方と、町の職員が多く犠牲になり、ここに来れば皆さんに会える気持ちになるから不思議だ。

歌津地区から唯一志津川地区で亡くなれた方の名を刻んでいる、志津川細浦地区の「徳性寺」の慰霊碑にも手を合わせて来た。この慰霊碑は昨年亡くなられた、松本石屋の社長さんが、「東日本大震災の記憶を後世に残そうと、碑の建立を町内各所の寺院に自費で建立した。社長の意思が将来に、「津波でこんなにも沢山の町民が死亡したと言う現実を風化しないよう語り継ぐ慰霊碑」となる。

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私の年上の友達の母も「慈恵園」で、この震災で亡くなっていた。車イスで避難はしたものの、施設から津波で車イスごと流されたと言う。復興住宅には小さなテーブルに遺影と位牌が置かれ、手を合わさせてもらった。人知れが震災の町では亡くなっている方や、震災で死亡した友や知人も知らないままで、多くの町民が今の現実を必死に生きている。

震災復興と住民再建だけて良いのか? 多くの町民の死を形に表し、名を残す活動を私は今後していきたい。2歳3歳の幼児のままで亡くなった、子供達が余りにも可哀そうだ。


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2017
02/03

復興拠点連絡道路


一昨日の仕事終わりの午後4時過ぎに、31日に一部開通した志津川地区「復興拠点連絡道路」の整備状況を写真に収めた。
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商工団地の我が社から登米市市役所までの時間を計測した。磯の沢のマツダ自動車の前を通り、気仙沼線の鉄橋下を通過し、残った数軒の新井田地区の民家前を通り、志津川中央区の団地入口と、新井田の中間が連絡道路の入り口にあたる。現在はT字路ながら将来的には東団地からの道路が整備され、交差点となり信号機も設置されるだろう。
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高台横断道路から中央団地のセンター道路となる入口も整備が終わり、現在進む住宅建設の業者の道路として容易に現場に行けるようになっていた。中間の道路は広く通行も便利と感じる。この道路が中学校の登校坂と繋がっている事を知った。
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志津川中学校の入口まで繋がる横断道路は、解体されつつある「さんさん商店街」と、観光協会の「ポータルセンター」が見える。ここから国道398号を通り三陸道の「志津川IC」に出る。ここまでの時間も志津川市街地の整備地中央を通るのとでは5分以上も違う。今後進む国道398号の八幡川に架かる橋と道路の整備が加速する。市街地に整備の商店街ショッピングモールの3月3日「街開き」へと、南三陸町の観光復興へ町は進む。ちなみにこの日は40分で登米市の中心部まで到着した。5分から10分は早いだろうか。3月20日には「南三陸海岸IC」が完成予定なので、我が社からはまた5分の時間短縮となる。
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昨日は石巻に震災後に住宅再建し移転した恩人から電話があった。今年度で南三陸町からの「広報誌」の配布が行政からの無料送付が終わり、次年度からは、個人で行政へのフートーに140円の切手を貼った物を届け、毎月の広報誌などの配布物を送ってもらう事になった。との事で、高齢なので町へ行く事もままならず、私への依頼があった。こうした志津川地区の止む無く町を離れた方達の願いを、できる限り支援していきたいと思っている。
まだまだ東日本大震災の被災者の苦悩は見えない所で起こっていた。生まれ住んだ南三陸町志津川を思う心と懐かしさを、心から消し去る事など出来ない人は多い。

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2017
02/02

志津川東団地西工区の今



商工団地から南三陸病院に行く事はあっても、アリーナ(総合体育館)の向かいの、志津川東団地西工区へ行く事は無い。年末以来1か月以上も再建の状況を見る事が無い中で、親戚筋とホテルでの祝賀会で会った折り、「3月には家が完成します。」との話を聴き、行って見ると多くの住宅が基礎工事から住宅建設と進んでいた。西工区の半分が昨年10月前後に土地が住民に引き渡さればかりなのに、工事の速さに驚く。

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昨日は中央区の裏の一部完成した「横断道路」を利用し、登米市に一週間分の買い物に行った。これまでの「セブン」からの以前の道路より、5分ぐらいの短縮になった気がする。ここにきて志津川市街地の整備が一気に進んでいた。

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2017
02/01

歌津地区で七回忌法要


昨日は午後2時より南三陸町歌津「鎮魂の森」で東日本大震災の七回忌法要が営まれた。主催したのは歌津地区でボランティア活動を続ける、「歌津支援プロジェクト」で、京都の知恩寺から浄土真宗の僧侶4人が、現地で読経をあげ犠牲者の冥福を祈った。

会場の鎮魂の森には慰霊碑を囲み100名を超える家族と関係者が集まった。代表の挨拶では「最後になるかも知れません。」と、集まった皆さんに向け語りかけた。読経の後で一人ひとりが白い菊を献花し、全員が焼香をした。その行列は長い列となり、津波で亡くなった家族に想いを馳せていた。

眼下の伊里前市街地は、かさ上げと道路・河川堤防の整備が進んでいる。今年4月には「伊里前福幸商店街」の町開きを予定している。賑やかだった歌津地区の再生はまだまだ時間が掛かりそうだ。伊里前川に架かる「うたちゃん橋」の解体も決まり、古き良き旧歌津町伊里前地区のが消え、新しく伊里前地区が観光地として生まれ変わる。

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朝6時半に町の「防災無線」が鳴った。定時放送ではなく何事かと耳を傾けた。「熊の出没情報」だと言う。昨夜8時50分頃に寺浜地区内の国道398号を、体長2mの熊を見かけたとの情報だった。朝の子供達の通学は「送迎バス」ながら、停留所までは子供達は徒歩で行く。また、漁師さんも水揚げ仕事など、十分に配慮し行動して欲しい。

2月1日を迎え年末年始から、仕事の少しの落ち着きとなった。起床から就寝まで決まった食事時間と、仕事・家事と平凡な生活の中で、「被災地の今」の情報を集め発信ている。生活は平凡が一番の幸せと再確認する。

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