ARCHIVE - 2017年01月

2017
01/31

やってる事がバラバラな南三陸町


一昨日前にテレビで写真の光景が映し出されていた。一部の町民には、大津波で400名前後が奇跡的に助かった「高野会館」を、震災遺構としてどうするのか関心を持っている。
気仙沼市では海岸近くにあった「向洋高校」が一部保存から、全部を保存する事とし、高校の教室に車がそのままで残っている。町民が約33人亡くなった場所と、九死に一生となった「高野会館」の、どちらを残すべきかと言うと、私は悲しみの多い防災庁舎よりも、多くの高齢者が助かった会館を保存した方が良く、高齢者の生きた証を、残った町民が「語り部」となり、私は生かされたとの想いを伝える事こそ、南三陸町の震災教訓として、長く語り続けられると思う。29日には「ホテル観洋」で語り部シンポジュームを、全国から300人が集まり開催したと言う。

昨年10月にはこんな事がありました。

『2015年の国勢調査で南三陸町は人口減少率が全国3番目!
 国勢調査による人口は1万2370人となり2010年の調査より5059人減少(29%)。全国1位は福島原発被害の樽葉町の87.3%、2位は女川町の37%だった。』

『県北一円を中心に29店舗を運営するウジエスーパーとアサヒビールが「町の復興に役立てて」と50万円の支援金を南三陸町に贈った。』

◇宮城県全体の観光客は6065万人で、前年より5.6%(320万人)増加した。気仙沼圏域の気仙沼市・南三陸町は215万人で、前年を7.5%(15万人)上回った。県内全体の3.6%にとどまる。

『南三陸町の歌津伊里前の「福幸商店街」の起工式が、19日に開催された。地域の再生の願いを込め、29年4月に8店舗でオープンする。設計者の隈研吾さんなど関係者80人が集まった。面積は4125㎡で、建設費は約2億円で、このうち1億4千万円に国の補助金があてられる。』

多くの町民は町の変化を知らないでいる。
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2017
01/30

大きくなった子供を見て見たい


阪神淡路大震災から22年が経ち、復興したものの復興住宅の高齢化や、家族の悲しさ寂しさがあり、その母に寄り添う一人の高校生のジキュメントを見た。

母は22年経ち年を重ねた40歳を過ぎた子供に会いたい、見てみたいと涙する。震災後に建設された亡くなられた人たちの名前が刻まれた、地下の「慰霊場」に入りその名前に触れ、「会いたい・会いたい!」と、あの時に何でと、22年前の震災は終わっていなかった。

22年間の息子にここで会える事が生きる、そんな支えとなっているように感じた。我が町はモニュメントに「死亡名簿」を納める事で、祈念公園が建設される。震災の追悼・風化防止で、家族を亡くした人たちに寄り添う事にはなっていない。知る限り亡くなった家族の名前を刻んで欲しいと、望む家族も私が知る限り少なくない
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仮設での6年余りの生活があり、現在やっと住宅の建設がある中で、災害公営住宅に入る高齢者に「認知症」の方が増えている。私の知る家庭でも5人はいるだろうか。私の母をもで知らない人達を入れれば、震災での住民の救済対策に問題は無かったのか? と政府に問いかけたい。

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2017
01/29

理想の家庭


自分の家庭と考えた時、家庭を作れなかった自分の人生への反省と、今後どう自分を納得させていけば良いのだろうと考える。人は世間の流れと言うかも知れないが、「挑戦」する歩を止めたら、生きる事の価値を見いだせない。自分の持っている力で全力投球すれば、結果はどうあれそれでいい。周囲との交流を蜜にする事で、これまで大事に至らず暮らせてきたのだから。

昨日は叔父の「秋の叙勲」の、私は2回目の祝賀会に参加した。住職さんの家庭なので兄弟・親戚のお寺さんも多い。今回の祝賀会は寺の檀家さんによるもので、地区から15人以上も集まってくれた。「檀家あってのお寺」を実証する。子ども達も孫と共に全員参加で、連れ合いの両親も来てくれる等、家と家庭の姿を伯父叔母の諸々の活動の成果から感じとっている。美味しい御馳走とビールをいっぱい飲んだ、良い酒だったのか目覚めは最近にない心地イイものだった。

一昨日前の夜の体調はそれと比べても最悪だった。お腹は痛いし頭もスッキリしなく、ゲリと吐き気は「ノロウイルス」「インフルエンザ」などの、体調の原因を自分で探った。昨日の昼から忙しさが、その体調を吹き飛ばしてくれたのだろうか。祝賀での多くの皆さんとの再会と話に、知らないうちに体調が戻った気がする。
夜7時には帰り「みかん」と「お茶」と入浴で爆睡した。寝る前にトイレに行った時、階段を2段踏み外し、腕をすりむき肩に痛みを覚えたが、朝は何ともなかった。諸々な事件が大事に至らなかったが、こんな時に自分を戒める事が大切と思う。今朝の血糖値は「92」と正常となっていた。

父の部屋の時計の針が止まった。電池交換の仕事がまた増えた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:10 】

2017
01/28

仮設退去から新たな生活へ


今週はいろいろな動きを感じる週なった。「転居しました」「引っ越し中です」「津波で7回忌を迎えました」「会社の街復帰は厳しい」など、多くの来社があり祝ったり相談に乗ったりと、賑やかな日々となった。

仕事が忙しい中で、観光協会の「意見交流会」があり、予定をしていたものの、13時と午後3時を勘違いして、無駄足となった。駐車場にコカコーラの営業車、志津川市街地の低地部での新事業再建の「自販機設置」の相談をした。夜7時からは沼田地区の役員会があり、3月の総会に向けての会議だった。地区内のアパート事情も住宅再建と共に大きく変化を見せ、外国人就労者の多く住む我が地区では、いろいろな問題も発生していた。寒い夜に出掛けるのは辛く、集会所には80歳を過ぎる方も参加され、20名余りが集まり自分たちの地区の為に真剣な議論が交わされた。
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志津川地区内は昨年の夏ごろ、西地区が初めに「災害復興住宅」の入居が始まり、東地区が年明けから順次入居へと進んでいた。知人の方も5人来社し、2階と3階だったりと、当人たちは知らないままで入居していた。
写真は中央区の復興住宅で28年度末までには完成し、申請後の3か月以内には入居しないといけない。できるだけ長く仮設に居たいと言う方や、仕事の関係もあり新たな生活形成を考えていた。特別な理由があり入居延長があるものの、だいたいその辺までの仮設となるだろう。
沼田地区の隣りの東地区西工区の住宅建設が急速し、3月末までには仮設・アパート生活者は、新築の家への引っ越しで忙しくなりそうだ。

今日はホテル観洋で叔父の兄弟・知人のお祝い会がある。「酒はノンアルで!」と思っている。昨日のニユースでは、大震災で400人前後が助かった「高野会館」の瓦礫の建物に、持ち主が津波到達位置14mと看板を掲げた。個人で震災遺構に? ホテル観洋の持ち物で、町が関わり保存するのか、町が保存へと向かうのかが見えてこない。復興祈念公園・国道45号の設置整備など、高野会館を取り巻く環境は、町の復興と企業の思惑が交差しているようだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:37 】

2017
01/27

宮城の新しい観光地づくり


3・11の大震災発生からまだ数か月の頃、アフリカ支援で出会った人たちが、被災地の為に何ができるか考え、被災地の復興と水産業のソリュージョンに立ちあがった。「海洋博覧会」の松島周辺での開催、漁業の新たなスタイル構想、その後で石巻・田代島島起こし隊による、観光地としての島の活性化に取り組んでいる。「ねこの島・石巻田代島」は、外国観光客には知る人ぞ知る「猫の島」として、既に有名である。
「海華復興の会」は、猫島・田代島に古民家カフェをオープンし、島起こし隊活動を始動した。初めに資金の確保の為に、全国を3カ所に分け、分担しての支援金を募った。1月から立ち上げたホームページで「ネット募金」により、2週間で62万円が集まった。2.5か月で250万円を目標としている。復興の会には会員が現在全国・世界にあり、多くの支援者と共に日本の復興事業を展開している。国・県の支援を受けると多くの制限が掛かり、事業がしにくいと言う事で、全国の活動に関心がある人達を対象に募金を募集をしている。
残り47日となり金額が集まらない時は、支援者に返金するリスクを抱えながら、会員が一生懸命に訴えている。私も少しではあるが被災地の復興の一助となるのならと、会員登録5千円と年間会費3万の個人会員の、島おこし隊の会員として、情報発信を続けている。
会の会長は県会議員さんで、代表は米国で船舶・レストランの事業で成功した、福島出身の方で、ふるさとの被災地の悲しみを知っての活動だ。
政府は観光事業の拡大で、観光地の発掘を考えている。「癒しやくつろぎの場」としての被災地の観光地を発掘している。中国人の観光客は国の低迷の中でも、観光客の動きは多く、台湾・タイ・ベトナム・インドネシアなどの観光客の拡大が続いている。政府は「クルージング」でも観光客の流入が多くなっている今、海洋での観光客流入を視野に入れている。
島民が家を残し陸地で生活をしている中で、空家利用に島おこし隊は活動の場を、島を訪れる観光客の交流の場のカフェを手始めに、空家での民パックなど、猫との少しの安らぎを求めようとする、現代の人の癒しの場の発掘に取り組んでいる。
関心のある方は「猫島・田代島に古民家カフェをOPEN! しまおこし隊始動!!にアクセスしてみてください。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:00 】

2017
01/26

大震災でも昔のままの姿を留めて


我が社が私がここまで成長した一つに、北へ2地区隣りの「気仙沼市本吉町」がある。会社は志津川町にありながら、両親は地元での仕事は3割にも満たなく、大きな仕事は本吉町の議会事務局・総務課などから頂いた。母はせっせとバスで子供を背負いながら営業で歩いた。持ち帰った仕事を父は会社に居て、朝から夜まで働き、家族や子供達も仕事を手伝った。
昨日はしばらくぶりで本吉町へ行った。町の中央を流れる「津谷川」が、当時のままの姿を留めている。気仙沼市小泉地区の「小泉川」が、本吉町津谷地区まで繋がっていて、大震災の津波は5Kも離れた本吉町内まで達した。「まさか!」
と地区民は思っていただろう。川の両岸の水田にも1m前後の津波が押し寄せ、川の蛇行の急カーブで津波は周辺に広がった。本吉にあった同業の印刷会社が被災し、死者も出て廃業に追い込まれた。農地は昔のままで今も、農業を続けている。
ここには震災復旧は響高校の眼下の橋からは、何一つ無く町並も変わっていない。震災後にバイパスの整備は、町内の狭い道路を避け、バイパスから継続されたバイパスは町中を避け、大きく車の流れは変わり、シャッター通りは益々車が通過しない「シャッター街」となっている。市街地を歩くと空き地が目立つが、橋から見た町の光景は変わってはいない。
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南三陸町は志津川・歌津共に津波の襲来で町歯消えた。その復興計画がここまで町の総てを消し去って良い物かと私は思う。「新しい市街地造りは誰の為?」と疑問を、決定した人に問いたい。「一つでも昔の光景や伝統を残しているのか」と。これから生まれてくる町の子供達は、志津川・歌津の昔の良き風景を知らず、「両親の生きて来た町はどんな街?」と聴くだろう。町はそれに答える「術」を持っているのだろうか。未来に向かうだけでなく、良き町の姿を残す義務を忘れている。
歌津地区の旧町の全国への発信の一つに「うたちゃん」があり、アザラシが町の伊里前川に迷い、川の土手で休んでいた。私の友が見つけた事を思い出す。その記念の命名の「うたちゃん橋」が解体される。昨日はまだ残っていた。

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2017
01/25

記録に残す活動


今年になり町の復興が次々に進められ、地形・店舗・住まいなど新たな姿に変わっている。山野が土地として生まれ変わり、仮設の店舗や中小基盤機構の建設する仮の工場、住宅再建は1~3週間で大きく様相が変わっている。復興の姿を撮り続けいる私には、日曜なども家でのんびりしては居られない。地元誌・県内誌に目を気配り、出来事の進捗を記録・目を配り確認している。

昨日は新しい「さんさん商店街」のカギ渡しがあり、各店舗の内装・設備の工事に取り掛る。以前の商店街の店舗が23店と、新しい出店が5店の28店で、3月3日に商店街の「まちひらき」に向けスタートした。
今後は写真のモアイ像の移転設置と、BRT停留所もどうなるのだろうと思う。志津川高校の生徒数減少の中で、今年から普通科のクラスを1つ減らす事となった。震災後の通学手段としての気仙沼線から、バス輸送による通学となり、停留所の場所で生徒達を悩ませた経緯を思い出す。大人の会社の都合ばかりを通す、町の問題決定には町民が何も言わないままだ。「行政に訴えても震災だから。」と何でも震災のせいにすれば! との大人の思惑を感じる。
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モアイ像は決してチリ国・イーチター島を出る事はなく、高校生の活動に心動かされた大統領が初めて国外に出したと聞く。神聖なモアイは「未来の生きる」との意味からも、生徒も町もこれからも輝く将来に向かっていく。との町民の気持ちを表している。モアイ像の目は特別な制作で、神聖な透き通った目で、人のいやしい部分が出ないよう、目配りをして欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:12 】

2017
01/24

ネットで世界に繋がっている感覚を味わえる

29.1.24ブログ
年明けてから震災後の交流の輪がまた一つ広がった。突然の東大阪の友からのFAXがあった。「この方判りますか?」だった。私の父の友人の息子さんで、シンガポールで働いている事を知るだけで、話もした事が無く、顔も一度も見たことが無い方です。と答える。私のブログで「今ふるさとはどうなっているか。」「どんな支援の方がきているのか?」など、私の発信の愛好者でもある事以外は何も知らない。
昨年は私のブログから長野の友達とも繋がり、今年は大阪の友とも繋がった。ふるさとへの多くの支援に対して、外地のお土産を送ってくれたと言う。何の見返りもなく、住所・電話も無いままに、私に「どんな方ですか?」と、その度に知る限りの事を伝える。私は被災地「南三陸町への支援の輪」をこんな事から感じ取る。

フェイスブックでもなかなか会えない、今は無き行政区の先輩とも繋がっている。互いの父親が同級生で、94歳の同級生もあいついで逝去され、まだ同級生が残っている事に喜びを感じている。
ツイッターでは全国の「つぶやき」を、リツィートし情報を交換している。自分の事・会社・自治体など、自分の活動や自治体の様々な取り組みを全国へ発信している。見る限り岩手・宮城が主ながら、何処かで繋がっているとの思いが募る。
会社のホームページを今編集中だ。昨年の7月~12月までの半年の、南三陸町の3か月遅れの4月から9月の町の歩み、町の復興や人の活動、そして私の係った被災地支援活動を伝えている。今月中には「南三陸マイタウン情報」を、ネットを通して配信し、その情報誌をパソコンからプリントアウトして見られる。毎月の第二日曜の発行も来月で「第60号」を迎える。震災の年の7月からの情報発信も、後何か月・何年できるのかと思っている。HRへは「南三陸町千葉印刷」で検索すると、容易く入れる。

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志津川市街地の巨大な町づくり事業で、今月も大きな道路変更が、「仮」から「本設」に近い復旧となる。被災市街地の中央を抜け海岸に通じる道路が、1月の31日に仮開通する。志津川の3つの高台を結ぶ連絡道路も、慢性化している交通渋滞への緩和策として、新井田地区から中央区・小学校の裏を通り、中学校の前から国道398号へと、一時的に一部ながら開通する。子ども達の今後は通学路として活用される。少しは被災地の子供達の体力低下も改善されそうだ。

いつものブログでの挨拶ながら、朝起き、一番に写真のパソコンと向き合っている。「ボケ防止」「文書力」「早起き励行」など、多くの要素が私のブログ発信にはあり、自分の為に頑張っている。それが一人でも多くの人の為になっているなら本望です。もう10年にもなり、別な意味で「病気」なのかもしれない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:23 】

2017
01/23

学習できない大人 そして商店街ご苦労様


中学校校長の売春で退職者が気仙沼市で出した。この程女性校長が着任し、学校が落ち着きを見せて欲しい。
未成年者への大人の恥ずかしい行動で、10年前頃にタレントが職を失い、友達が復帰に向かい行動を始めた矢先、漫才師の片方が「当て逃げ」で逮捕され謹慎中だ。こんな様々なこれまでの事件発生のさなか、宮城出身のタレントが又不祥事を起こし「無期限謹慎処分」を受けた。
ファン・タレント・芸能人が相手でも、「22歳との年齢を偽っても」、もっと私生活に慎重で在るべきだろう。スキャンダルでの失敗を繰り返し、今度は未成年者との交際は、リスクがあり取り返しが付かない。言い訳には自分への保身が伺える。本当に愛していたのなら、16歳で女性は結婚できる。しかし、二人ともセックスを求めての付き合いなら「アウト」だろう。34歳にもなって言葉の繕いはみっともなく、神主の家の出身で、将来に神主として考えているのなら、あり得ない行動だろう。宮城の出身で、被災地宮城の人間としての行動に情けない。このまま永久謹慎で良い気もする。数々のこれまでの奇行や思考もあり、学習出来ない大人である。

土曜日にさんさん商店街を見て来た。年末までの感謝祭を終え、初売りにも一部の店は営業していたが、行った時は既に総ての仮設の店舗は解体へと進められていた。100万人の被災地支援の方の買い物の場、南三陸の味に舌鼓を打った「キラキラ丼」は、全国の皆さんに愛された。感謝です。


志津川本浜町の「お取り持ちさん」が亡くなった。多くの志津川町内の仲人役を務めた。96歳の大往生だった。
こうした町の為に尽力した方のお蔭げで、町の隆盛へと繋がった事には間違いがない。戸倉地区にも入谷地区にも、結婚の仲介で「二人の縁結び」として、町の人口の増加へと発展させた。平成の市町村合併時には、人口の減少と国の財政難で、その対策がとられた。
こうした町への貢献者への葬儀の場への、「弔電」だけの弔意の町からの言葉は、いつも同じ文面である。町民の公平性はこんな時にはいらない気がする。年末は登米市の義理の叔母の葬儀、一昨年の母の実家の叔母の逝去にあたり、市長の弔辞の代読の職員や、地区の区長が市からの弔電を代読するなど、町民へのこれまでの市で生きていた事への感謝の言葉があった。町民への弔意は被災地であっても何も関係ないだろう。町民の「町へ貢献したって、何も無い。」との、町の為に何かをすることへの意味がないとの、考えに至り兼ねない。

町への貢献表彰は首長との関係者に集中し、町民が描く貢献者への選択肢は薄い。町に何かしたって何の恩恵も無い。と私は思えてきた。文化協会・体協・教育委員会・社会福祉協議会・民生委員・消防団などからの表彰者は、町トップとの深い関係の中で、町のからの表彰者を選択している。反発する町民への表彰など皆無で、トップの言う事を聞く人・ならう人が、その表彰に名を連ねている。
父は94歳ながら、長い間体育協会の理事・会長を務め、詩吟・川柳でも世界・全国から人を町へ呼び寄せる事に貢献した。印刷組合でも県の総会を町のホテルでの開催に尽力をしている。体協・文協なども会長などの推薦で「功労賞」などの、町からの表彰を受けている。「そんな物いらない!」と父は言う。私には出来ない事を町への貢献をしてきた。
多くの町への現町長以前の貢献者への、町から感謝の意は、町長とのしがらみなど、余り無いと私は思う。公正・公平に少し掛ける町政が現在行われているように感じる。登米市の市長に学ぶ点が多分にある気がする。

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2017
01/22

志津川高校裏の志津川西工区の住宅再建急ピッチ

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昨日は従弟の「上棟式」があり、建設現場に行く。志津川地区の高台造成は最後が中央区Bブロックで昨年末となり、最終前の整備が西工区だった。硬岩の出土から整備予定を遥かに過ぎ、土地引き渡しが10月頃だっただろうか。年末に状況を見に行くと早々に基礎工事が終わっていた。しかし、山を切り開いた土地には、道を隔てて杉林がそびえる。伐採を現在要請している。電線のすぐ隣に細々とした杉が生い茂る。
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あれから年が明けた21日、まずまずの天気の中で内輪での細やかな上棟式を行った。この地区でも住宅再建がまだ一か月なのに、建設中が4軒で、地鎮祭が2軒開かれていた。土地さえ整備されれば! との被災住民の建設への意欲は大きい。
長野県飯島町との交流があり、2年前から飯島町の酒屋さんから取り寄せた、「御柱の町からの祝い酒」として、知人・同級生など住宅再建の皆さんに贈っている。総ての人へとはいかないが、これまで20本ぐらいを届けた。まだ建設となっていない人へも時期を見て届けたい。
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決して地元の酒屋さんを忘れている訳ではなく、普通の贈答には地元のお店から購入している。志津川地区・入谷地区に一軒ずつ酒屋さんはあり、大坂との交流に震災後は、地元の商品を数多く送り、何とか公平に買い求める事を心がけている。

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2017
01/21

南三陸町の聖地と 生なる八幡川


トランプ大統領の誕生でアメリカは「米国第一主義」を訴え、保護主義へと突き進む。成果がグローバル経済の中、各国が発展している現状で、自国の中間層の経済復興を重点にした政策は、どのようになって行くのだろう。
自分の町の町民を生かせないで、交流人口とボランティア人口の拡大で、どれだけの南三陸町の発展と、経済の活性化となるかと言うと、「絵に描いた餅」とならなければ良いがと思う。新たな町づくりの失敗は、10年の失われた南三陸町」に成り兼ねなく、誰の責任かを検証しないと、これからも益々町の疲弊が加速する。

◇国交省が2030年の国道45号の交通量を、三陸道開通により最大で8割減少すると予測した。歌津~本吉間で1日あたり現状では1万3千台に対し、それが1800台に激減・減少率は86%に上った。三陸沿岸の観光業で復興を目指している中で、自治体の誘客対策が今後求められる。

『南三陸町の志津川湾の藻場の「ラムサール条約」登録を、2018年に向け住民理解へ説明会を開くなど準備を進めている。環境省は「重要な湿地」と言い、あとは自治体や住民の理解が大切と話す。』

◇南三陸町の予防セミナーが、南三陸病院の医師矢尾板信裕さんが「チャレンジ!生活習慣病予防」をテーマに講演した。被災地での生活習慣病が増えているのは、「不摂生や体質遺伝によるもので、両親が生活習慣病だと50%の確率である」と話す。

◇南三陸町の「震災復興祈念公園」の設計案がほぼまとまり、町役場での住民説明会で提示された。昨年12月に説明会で出された意見を盛り込んだ。2018年度末の完成を目指し、設計方針を固める。

『県北一円を中心に29店舗を運営するウジエスーパーとアサヒビールが「町の復興に役立てて」と50万円の支援金を南三陸町に贈った。』

◇宮城県全体の観光客は6065万人で、前年より5.6%(320万人)増加した。気仙沼圏域の気仙沼市・南三陸町は215万人で、前年を7.5%(15万人)上回った。県内全体の3.6%にとどまる。

私の叔父は四国のように被災地に「慰霊碑の巡礼」を構想中だ。町にどれだけの貢献となるかはこれからだが、津波で亡くなった太平洋沿岸の、福島・宮城・岩手の人達への、40数カ所の慰霊碑を巡る旅で、被災地の風化防止の対策を一町民として取り組んでいる。

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震災復興の途上にある志津川地区の八幡川、生き物の宿し、鮭の遡上など自然の摂理を成り立たせてきた。河川堤防の巨大工事は、震災から10年目ごろの完成へと、町内の復旧工事は進む。川の生物の自然の営みはど返しに、人間の生活の確保ばかりを考えた町づくりで、「良いのだろうか?」と、自然に生かされてきた自分は思い、寂しさを復興現場を日々見て感じている。

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ふるさと「志津川町」を昔生きて来た人達も、帰郷時に同様の感慨を持つだろう。近代的に変わった故郷に、町を離れていた人たちは、昔の「良き志津川」を感じる人は居ないだろう。

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2017
01/20

なんだり かんだり


災害公営の建設が再終末にきている気仙沼圏域は、気仙沼市で200戸の住宅の空きがあると言う。気仙沼では戸建の建設を削減する対策をとった。余計な建設費の削減を図ったと思う。南三陸町も約10戸の入居予定の無い部屋に関して、定住者の受け入れなど町外の人や、被災しない人も今後の対象に、要件を緩和して行くだろう。

◆『2015年の国勢調査で南三陸町は人口減少率が全国3番目!
 国勢調査による人口は1万2370人となり2010年の調査より5059人減少(29%)。全国1位は福島原発被害の樽葉町の87.3%、2位は女川町の37%だった。』

商店街の新設にあたり、入居料が高いとの商店主の話を聴く。3月3日の「町開き」に向け会議が持たれる映像で、集まった人が少ない事に驚いた。多くの町民と観光客の誘致は、町の考える想定どうりになるかは疑問だ。入居者に優しい賃料の方法は無いのか。

◆気仙沼駅前の複合施設(公営住宅194戸)の商業スペースの募集にあたり、賃料を半分以下にして11月から再募集をする。募集は日用品や食料品を扱う業種に限定する。建設費の償還期間を長くする事で低賃金にする。

町内には志津川商店街と歌津商店街が3月・4月のオープンに向け建設が急ピッチで進む。17日のアップルタウンの建設が始まる。町民が求めるものは日常生活の「買い物の場」で、二つの地区の中心にスーパーが開店する。その影響は測り知れない。

◆『県北一円を中心に29店舗を運営するウジエスーパーとアサヒビールが「町の復興に役立てて」と50万円の支援金を南三陸町に贈った。』

町の財政状況が良く見えてこない。町広報は華やかなイベントばかりを掲載し、町長の広い政治活動や、町の復興の進捗を広く伝えている。三陸道の弊害や人口減での交付金の減額は、町の基金の減少に繋がり、住民サービスの低下に至る。町の巡回バスの料金が最大で「400円」となり、他の市では「100円」と、南三陸町の財源難を町民の支出に依存する。「ふるさと納税」の全国の支援も、観光・商工事業に転化してはいないか。その税収拡大への取り組みはどうなのか。

◆『気仙沼市は人口減で交付税減額が回避できない事で、自主財源確保を強化し、新年度予算で経常費5%削減を指示した。一般財源の不足を補う財政調整基金が15年度末で162億円ある。人口減少による普通交付税の段階的な消滅により、19年度末には32億円になり、復興関連を除いた普通分の「貯金」は54億円から1900万円まで減少する。』

◆『気仙沼市は、気仙沼まちづくり応援寄付金(ふるさと納税)の業務委託をJTB西日本に決めた。それにより返礼品が3倍以上となり宿泊クーポンも加わり、ポイント制も取り入れる。本年度の目標を1億8千万円とした(15年度は1億3400万円だった。)』

◆気仙沼市の水道事業は、昨年度末で事業収益の約5倍にあたる73億円の企業債(借金)を抱える。人口減少で水需要が落ち込めば、料金の値上げにも跳ね返りかねない。市は経営改善を進める方針だ。

◆気仙沼市立病院の昨年度の事業会計決算では、約4億円の純損失を計上し、一般会計から基準外繰り入れも3億円近くとなる。今年4月の新築となる病院への経営改善策は急務となっている。

町の真実の報道を発信すべきだと思う。現在の真の人口同行、もっと町の財政を厳しく適切に判断し、町民減の影響や病院の医師招聘・経営の改善に取り組む。職員の人員削減に取り組み支出の軽減を図る町政に取り組むべきたろう。

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2017
01/19

素晴らしい環境の沼田行政区


昨日は月末開催の沼田行政区の会議の案内を、地区内一円に配布して廻った。2か月半ぶりだろうか、地区内の大きな変化に触れながら車でぐるりと1時間余り。
沼田地区は南三陸病院があり、個人病院も内科・歯科、そして薬局は3軒もあり、総合体育館もある。また、今年の3月末に三陸道の南三陸町海岸ICも開通併用予定だ。地区内なら3分でインター入口まで行ける。こんな環境は他の地区には無い。その他にも一昨日前に地鎮祭をしたショッピンタウンにも、地区から3本の道路が整備され、5分の場所に建設となる。何でも生活必需品が揃う「買い物の場」が7月末に完成する。
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行政区内でも新たに住宅の建設が数軒始まっていた。震災後の混乱から建設への準備が出来たのだろう。やっぱり有名メーカーが建設に携わっていた。
地区内には「東浜団地」があり、志津川地区の防災集団移転の「東地区西工区・北工区」と隣接し、新しい地区は天王山にあたり、現在その境の道路の拡張と歩道整備が進められ、東浜の地区は複雑な通行止めに、役員宅への配布物が大変だった。昨年末の東地区西工区は土地の引き渡しと同時に、住宅再建が進み1か月を過ぎ多くの住宅が建設に入っていた。
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日曜日に従弟が来月には西工区の災害公営に移ります、と言う。私の知人も震災で家族を亡くした物の、再建を果たし家族の七回忌の準備を進めていた。悲しい事苦しい事を乗り越え、一歩ずつながら家族の想い出を胸に新たな暮らしをスタートしてした。

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2017
01/18

いよいよ地鎮祭


南三陸町志津川地区に、「アップルタウン」のウジエスーパーの地鎮祭が今日17日に開催された。志津川中央区の高台の団地の前に、市街地が被災し住民の土地が「換地」され、町で整備した場所に再建される。商品の選択があり、生鮮商品の安価での「買い物の場」が、6年5か月もかかり、やっと整備される。遅すぎと私は思っている。

昨日の夕方のニュースでも7月の下旬のオープンを伝える。地元を中心に60人の雇用も生み、大型スーパーが南三陸町に完成する。地鎮祭には30人の関係者で無事の工事の進捗を祈念した。
昨日はお客さんが来て、市街地の土地の活用に役場に「土地を探している会社ありますか。」と聴きに行ったと言う、それに対し一件も無いと言われたと話す。これで町民から買い取った土地の利活用は大丈夫なのかと思う。ウジエさんは震災直後から、南三陸町の出店を希望し取り組んできた。理由は会社の営業維持拡大もあるだろうが、お世話になった南三陸町志津川の皆さんへの恩返しの気持ちが強い。今回の初めての志津川被災市街地の嵩上げした土地に、企業の進出だと思う。行政には何とか企業の誘致に頑張って頂きたい。若者の働く場の確保の町の取り組みは、将来の町づくりの根幹であり、町が今後成り立って行く為にも、乗り越えないといけない障害である。人口の減少の歯止めの一番の政策として、全国の被災地支援を考える企業にお願いしたい。町に潜在する資源の発掘・拡大は、町にある事業所の活動だけでは、もう限界があり行政も広い視野で水産業を初めとする、事業所の改革に競争意識を持たせる事が必要と思う。漁民から水産品を少しでも高値で買ってもらう為にもだ。

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5年ごとの国政調査の人口で、2015年の南三陸町の人口減少が日本全国の自治体で「3位」となった。町の人口は5年で「1万2370人」となり減少率は「29%」と、5059人の人口が減った。全国1位は福島第一原発被害の樽葉町の87.3%で、2位は女川の37%だった。
町の普通交付金の人口に対する収入は大きく落ち込む事となる。震災復興による多くの公的施設の落成式、高速道路の進捗や整備、高台整備・商店街整備、地域コミニティーの再構築など、行政の華々しい活動ばかりが目につく。今後の町の行く末を思うと、夕張の公共事業の箱物の乱立整備で、632億円の負債で破たんした事を思い出す。財政的に厳しい事は震災前からあったが、復興交付金の政府からの事業申請での町づくりの財源確保ばかりが見える。公的施設の「原形復旧」の元に復興が進み、全国から世界からの多くの義援金を元に、地方らしい復旧に町は、形以上の施設の復旧が続いている。

被災した住民ならず総ての町民の、住民サービスの拡大・支援が行政の役目ながら、自分たちの為の事を一生縣命にやっているように見えてしょうがない。

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2017
01/17

スーパー・商店の再建に


3日ぶりの入浴は気持ちがいいものだった。ここ3・4日の冷気の発達により、統一入試の周末は全国で雪や凍結による事故が多発した。我が家も給湯器異常で「警報290」が点灯し、お湯の給湯ができなく、その後に流しの水もストップし、不便な生活を余儀なくされた。洗面台とトイレは水が出るのに? だった。水道業者に電話するも日曜日、「今日は休みです。」との返事だった。凍結防止のソケットが接続されてないですか。と聞き、家の裏に回るとコンセントは接続されず、指示どうりすると水は出るようになったが、やはり給湯器は「警報」が消えなかった。震災時の水道ストップした時を思えば、なんて事は無い、あの4か月前後の生活苦には及ばないだろう。
朝一で水道屋さん来て、何件か同様の電話があり朝から修理に回っていると言う。4日前からの気温の低下は土日が最高で、日曜日は「-7度」と従妹は話す。昨日の町の防災無線で「凍結防止をしましょう。」と呼びかけていた。
寒い時には温かい物をと、土曜日に歌津地区の駅裏にオープンした「ラーメン田中」に行った。家族連れや工事現場社員の方でいっぱいだった。取りあえずビール! 頼んだのは「あんかけもやしラーメン」で、身体の芯まで温まった。田中さんはオープンして1年ぐらいだろうか? 歌津地区民や作業現場の方々に重宝されている。志津川のさんさん商店街と旧歌津駅裏までは、商工団地の我が家からは同じ位の時間で行ける。気軽に入店でき、周囲に気を使う事無く、ゆっくり食事ができる。どうしても志津川商店街は、人の目が気になってしょうがない。
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今日はウジエスーパーの新店舗の起工式がある。志津川地区のスーパーとして町民から親しまれたスーパーも、3.11の第震災で全てを流失したが、店員の来客への避難誘導や従業員避難対応で、来客や従業員には死者はでなかったと聴く。
震災後は今の志津川商店街の隣りへの再建計画も、町の復興計画が決定していない事で、店舗の建設は頓挫した。入谷地区にも出店要望があったものの、費用対効果の観点から出店はしなかった。スーパーはこれまでの志津川地区での経営で、多くの利益に恵まれ、その恩返しは「早期出店」と取り組んで来た。出来る事からとバスによる「車上スーパー」を南三陸町内に走らせた。採算は別にした、以前のお客様への被災者支援があった。数千万円の赤字だろうか、顧客の確保と支援を続けてきた。今年の夏にはオープンを予定していると言う。

立地場所も志津川地区中央団地前にあり、南三陸町の丁度ど真ん中に建設される。志津川の3つの高台団地を結ぶ「高台横断道路」が28年度に整備予定なので、車でも簡単に来られる。また、車の無い方も巡回バスも停車しやすい場所で、スーパー内に「停留所」も設置されるだろう。志津川東団地からも新しい道路が整備され、住民の生活は「買い物の場」の確保が、震災の6年5か月で完成する。商品選択ができ生鮮食品が安価で買える町になる。住民の今の最大の願いがもう少しで叶う。

阪神淡路大震災から22年目を今日迎える。仮設の生活者は阪神では5年だったが、東日本では8年10年とその期間も長い。死者は「6434人」で、兵庫県では被災を体験していない人が「56%」にものぼる。阪神大震災の発生が夜で、東日本大震災が真夜中だとしたら「ゾッと!」する。

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2017
01/16

定点カメラ

2011-04-24 11.10.19
志津川市街地を見渡すには最高のポイントが十日町の東山公園で、桜の満開を見に行きながら毎年、この場所からの復興の進捗をカメラニ収めている。公園への登り口も行くたびにその場所を変え、2度3度と間違えながら定点の場所に行く。桜の志津川の名所の高台も、こんなにも低くなり訪れる町民も今はほとんど居ない。IMG_1128.jpg
十日町と天王前の地区を結ぶ橋は「東橋」が盛り土の間に見える。5年10か月でまだ家も無い復興の現実は、何が原因なのかを考えた時、余りにも巨大な町の再建構想に問題があったのでないかと思えてくる。高台造成地からの採り土を市街地に持って来て、10m以上にまで積み上げた物を再度必要な土地に運ぶ、こんな二重の運搬の無駄をしている。こんなにも時間が掛かるなら、今回の津波の16mに対応できない中途半端な盛り土なら、防潮堤は10mで市街地整備は5mで早期の市街地整備で良かった気もする。津波に対する人命救済の第一に避難道の確保を重要視すれば良いと私は考える。復興祈念公園も5mを基準にした嵩上げで、それを河川堤防が囲む、そんな町づくりで防災庁舎の遺構がそびえる。そんな南三陸町志津川地区もイイ気がする。
個々の考えなからどちらにしても意義が出るだろう。人口の減少だけが寂しい、町の復興計画の最悪の結果としてある。世紀最大の災害ながら先を読む見通しの甘さが、政府の復興政策にあり、地方を守るべき政策とはなっていない。日本の経済を考えた上の震災復興ながら、よこしまな思惑がどこかに見え隠れする。

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2017
01/15

ウジエスーパー建設に始動


南三陸町に大型スーパーとドラック・ホームセンターの複合施設が今年の夏から秋のオープンに向け、建設事務所が建った。志津川地区の高台中央区前の場所に建設となる。

26年4月に再建をして初めて水道が凍った。凍結防止のコンセントが抜けてあった。ここからしても今までの寒さは、凍結まで至らなかった事を示す。
ガス・水道の設置をお願いした業者に電話したが、今日は休みと言う事で、無理を言わず明日という事にした。住宅再建は町外のハウスメーカーが8割を超え、こうした迅速なトラブル発生への対処は難しい。私は全体工事は県外ながら、主要な水道・ガス・内装・外壁などは知人の会社を活用したので、いざと言う時は対処してくれる。

2011.3.11の大震災から、2か月後志津川市街地です。あの災害から早期の復興を誓ったはずなのに、5年10か月でこの光景にしか変わらない。同様の津波発生で志津川市街地はまた海に沈んでしまう。そんな不安で再建事業は進んでいる。何かを忘れてはいないだろうか。昔の住民の生活環境を感じられない町になった気がする。29年新年に当時を振り返り考え思った。

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2017
01/14

激動の世界情勢で日本は南三陸町は


人口頭脳への進化が進む、自動運転・制作ロボット・インバウンド(外国客流入)など、これまでの生活環境からの激変がある。高齢化問題の対応策として、交通事故の4割を超える65歳以上の事故を回避させる政策が、自動車の自動認識システムの開発があった。労働者不足の中で自動制作ロボットは、国民の労働の場を奪う結果となり、労働の格差は外国人労働者の確保で地方水産業を支えている。これまで第一次産業が自治体の生産基盤だったものが、中国の成長による爆買を生み、その外貨の確保の伸びが観光事業への拡大へと進んだ。身の丈に合った確実な安定した経済から、より多くの収益を稼ぐ事を目的に、地方はその方向を変えて行く。地元依存から県外・国外への変化は時代の流れと見るしかなく、挑戦しないでいると淘汰される。弱い人々が生きて行くには厳しい時代となった。若者たちの環境の変化を、国は支援してくれるかと言うと、もっと強い人間になる事を求めている。この暗雲が地方に忍び寄っている。
ちなみに写真は一昨日前の登米市の雲で、北から「-50度」の寒気で日本を包み込む事となった。朝の寒い日々が3日目を迎え、後2日はこんな寒い朝を迎える。高齢者ならず寒さ対策を講じ生活して欲しい。
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「冬のソナタ」の25話が昨日最終回となった。再放送ながら震災前はビデオに全てを録画した。諸々のこれまで愛した画像・音楽の思い出の記録の全てを失って、今、愛し方のドラマ仕立ての映像を20年過ぎて、見れ「愛する」「恋する」事への、若かりし頃の思い出に浸った。
韓国の「慰安婦像」「大統領の弾劾」など、韓国の風土で国民が一喜一憂する光景や事件が繰り替えされる。国民性は旅行で行ったが総てが、政治にこんなにも異常に反応する訳でも無い気がする。100万人が集まったデモは異様な光景として私には映った。
問題の拡大は「冬のソナタ」でも、自分にとって有利な方向へ巧みな嘘の積み重ねで周囲を巻き込み、人間の愛の複雑さがあるが、決して国民性だけとは言えず、「恋愛は病」と言うように、自分の幸せを願う余り、納得できる安心な方向に事を運ぼうとする事で、複雑な人間関係があり、それは当然愛する人への気持ちがそうさせる。
「慰安婦問題」「大統領操作」も、数人の言葉の誘導が拡散した事で、憎しみの増大が国民の結集に繋がった。金に心を奪われた「心貧しき人」が、自分の周囲の事だけを考え、権力を利用し自分達さえ良ければの考えが、国のトップの不運な家系への国民支援があり、それを利用した巧みな介入のような気がする。

「冬のソナタ」の最後のシーンを見たさに最終回まで見る事になった。ユジンが彼と別れる決断に、自分の設計した建物を捨てる覚悟で、カンジュンサンが受け取る。彼は交通事故で「硬膜下血腫」となり視力を失うが、彼女の設計の家を失明する前に図面にした。ふと見た家のデザインの本に彼女の構想そっくりの建物を見つけた。彼女は彼の建物と確信し訪ねて行く。誰も居ない家に入りユジンは海を見ていると、失明したチュンサンが壁伝いに部屋に入る、人の気配に「誰?」の言葉に涙が溢れた。「ユジン」と直感した、ユジンは「チュンサン」と言葉を返す。
愛はこんなにドラマチックに成功する事は無いが、互いに愛を貫いたが、最後は相手を想い自分が引く、こんな謙虚な姿に私も憧れる。

私のお正月はこれで終わった。「アトピー性皮膚炎」とまた戦いの日々が続く。

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2017
01/13

安倍総理の野望


自分の在任中に外交と憲法改正・自衛隊の強化など、安定保守党政権下でやらなくてもいい。パールハーバー慰霊、北方領土問題、天皇陛下の退位での元号の変更など、これまでの先人の政治政策のスピードで良い気がする。
前天皇の崩御で「昭和」が終わり、今の天皇の生前退位は特別なものとして、「平成」は現天皇陛下が亡くなってからの元号変更で良い。元号が変わる事は、その時代に天皇陛下が生きていて、国民の心の支えでいた事を示し、平成天皇の生きた証とすべきと私は思う。
もっと大部分を占める国民生活に目をやり、10%に満たない、大企業の世界進出に政府がそこまで支援をしなくても、大企業は多くの知恵を持っている。
フィリピンに経済支援「1兆円」を支出する。資金提供ではなくインフラなどの整備に日本企業の参入なのだろうが、もっと自国の高齢化や少子化に目を向け、「自分の時代に社会保障の礎」「国民生活の安定」を構築したとの政治に取り組み、国民ファースト精神を発揮して欲しい。独裁政権は必ず綻びを見せ滅びる。

志津川西工区の残っていた最後の土地整備が終わり、現在は希望者へと土地の引き渡し手続きが進んでいるのだろう。震災から5年10か月は私にとっては長いと思っているが、宮城・岩手そして福島の被災者の現状を考えれば、早いのかとも感じる。しかし、現実として5年を過ぎ、ある地区では40区画の整備のうちで、土地が整備されるも18区画との引き渡しの手続きが出来ていない。被災者の意向も5年を迎えると今の生活状況や、将来への生活環境も変わり、資金の確保と家族の暮らしも予想どおりとはいかないようだ。
昨年10月の記事に、入谷と名足の災害公営住宅の空き室を、町外の定住者への入居も認めると町は決定した。残った3DLK・4DLKがあり、対象者は3人~5人と家賃も高いと言う。こうした対象の被災者が町には居ないか。住宅再建にシフトしかだろう。人口減少対策と記事は結んでいた。
志津川中央区の裏には、志津川地区の3つの高台を結ぶ「高台横断道路」が整備される。その現場を見る事ができた。今年度中の整備として急ピッチで工事が進んでいた。東地区の北工区から、旧新井田の国道45号へ下り、中央区の小学校の裏を通り、中学校下へと繋がり国道398号から、西地区と旭ヶ丘に抜ける。
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現在の志津川市街地の渋滞は、道路が一本で復旧工事のトラックの稼働があり、東地区の役場職員と工事現場への関係者の通勤による、車の渋滞が慢性化している。あと3か月でこの市街地の渋滞は、少しは改善されるだろう。

気仙沼市で三陸道が完成したのちの、国道から高速への車の流れは、「8割減」となると言う。市では町への誘導に今から取り組んでいる。我が町は商店街の整備と三陸道の開通に沸き、その弊害を改善する対策は聞こえてこない。

震災から一時避難・二次避難、仮設への入居があり、最終の公営住宅・自宅再建となるが、仮設での死亡者が1700人を数えると言う。「一日も早く安住の地!」は当時の被災地の自治体は声高にイイ、住民は我慢する。弱い住民の最低限の願いだ。国県・行政の対策は、100年に一度の災害の住民の生活確保への道は険しい。全国の建設会社の一極集中による再建は難しい問題なのだろう。日本に震災後に発生した、自然災害を考えると当然の対策だったのだろう。

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2017
01/12

三陸道登米市三滝堂IC


今朝、我が社のメールを見たら、岩手県の方達がツイッターに反応してくれ、リツイートが6件もあった。「我が家から2分で南三陸海岸IC」にだった。仙北以北の三陸道の開通に、岩手県民は大きな期待をしているようながら、南三陸町歌津から気仙沼大谷間の開通見通しがまだ立っていないと言う。北と続いて三陸道のメノツトが最大限に発揮できるが、実現まではもう少し掛かりそうだ。

昨日は登米市で開業した「笹原診療内科医院」に診察してもらい、「上杉皮膚科」を紹介され、土曜日に行こうと思っている。しかし、まだ45分も時間が掛かるが、南三陸町からも数名の人たちが来ていた。主治医として笹原先生の人望と診察に安堵を貰っている。町の病院の診察時間はどうなっているのだろうか。登米市でも町病院よりは時間が掛からない気するが、高齢者は通院手段がなく、家族が車で同行するしかない。

登米市三滝堂ICの今の写真です。
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登米市米谷の従弟が三滝堂JCの「道の駅」の建設に携わっている。第三セクターの運営と言うが、三陸道の隣接地への店舗としては、大きな不便を感じるが、地域の農家の商品販売への施設として大きな期待を担っている。
登米市米谷の「雇用側人住宅」は、大震災後に多くの南三陸町民の一時的な生活の場から、5年間の生活を余儀なくされ、高台造成の希望地の整備の遅れから、「待てない!」との町民の怒りが登米市への生活の場へと、生活確保の究極の選択となった。地元での再建も5年を過ぎての住宅建設となった。今もまだ米谷の住宅に住んでいる人もいると聞く。町の再建計画の住宅場所の確保にあたり、行政と町民の考えに大きな隔たりがあったと感じる。
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去年、東大阪印刷組合の仲間が来た折り、ふるさと納税の事を聞いた。現在は返礼品を南三陸町で使える「商品券」と町の産品が選択できる。町で使える商品券でのふるさと納税返礼品を、どう思いますかと聞いたことがある。「絶対に町の商品券はない!」と一刀両断だった。全国から南三陸への来町の経費を考えると無理で、納税返礼品の本質は、納税をして地方の名産品を食べられるが原点にある。それなのに震災復興支援を利用しての一部の人の為の、納税支援の形は全国の人からの理解は薄い。
気仙沼市のふるさと納税が1億3500万円を超え過去最高となっている。昨年は11月までは8千万だったが、国の税制改正や返礼品を、水産物の60種から4倍の240種にし、クレジット決済や納税の管理を委託し、新しい方法に変えた事で一挙に納税が増加したと分析する。平均額のアップやリピーターの増加をその一つに上げた。
町は地元の商店の活性化に大きな力を注ぐ余り、多くの町への支援者を減少させている気がしてならない。

福岡県飯塚市の市長と副市長が勤務時間中の賭け麻雀が発覚し、その記者説明で「賭けないで麻雀をする人は居ない」との、個人の考え発言が市民の反発で、市制に支障が出ている事を理由に、二人とも昨日に辞職した。市民の行動と意見が呆れた政治体制や思考に「ノー!」を突きつけた。別な意味でこんな事は我が町にはない。

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2017
01/11

災害の復旧は地域民の支援で


2年前からハマっていた「岩泉ヨーグルト」があり、岩泉町の「岩泉乳業」の現在がメディアで報道され、その状況を知った。
昨年8月の岩手県への台風初上陸で、グループホーム入所者が9人亡くなり、川の氾濫で流域は一変した。ヨーグルト工場は川からの2mの激流により、工場の機械設備が全て使い物とならなくなった。従業員と一緒に再建に向かい活動している中で、地域の住民が応援隊を組織し会社の支援にあたった。社長は町の為にも地域の為にも再建する事に、大きな力となったと話す。
岩泉町の冬場は「ストーブのマキ」が欠かせなく、高齢者の家に従業員総出でマキ割りをして届ける活動を、冬に向け行っていた。何気ない事ながら寒い地方では欠かせない仕事だ。
岩泉乳業は売上10億円で、集まっていた従業員は30名前後だろうか? 何も無い岩手の山里で「新しいヨーグルト」が地域経済の一躍を背負っていた。今年の8月には再建され、以前のように全国に「岩泉ヨーグルト」を届けられると言う。楽しみであり、テレビを見て「見舞金」を送りたいとの気持ちとなった。

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昨夜の食卓は「マグロのすき焼き風」をした。知人から貰ったマクロのブロックが冷蔵庫に眠っていた。長野のネギと親戚から大きい「しいたけ」の貰いものを利用した。マグロは食べやすい大きさにして、片栗粉をまぶし、さっと油で揚げ、シイタケもネギも大降りにカットし炒め、すき焼きの元を入れ最後にマグロを入れ仕上げた。所用時間は20分ながら楽しく、タレは市販品なので美味しくできた。一日の最後は趣味となりつつある料理で、楽しい時間を過ごす事ができている。就寝は8時に入浴、9時にはフトンに入る。規則正しい生活があり、今日で3日目のビールを抜いた。しかし、身体の痒みが取れなく、今日は登米市の笹原先生の所に相談に行く。アレルギー? そんな軟な身体じゃないのに、3か月目はキツイ。

昨日の河北新報に、南三陸町の「南方仮設」で火災が発生した。南方仮設の知人が来社して教えてくれた。ロウソクから出火の記事に、仮設生活者はどんな生活をしているのか、その生活環境に違和感をもった。高齢者にはまだ早い生活者にいったい何が起こっているのだろうか?

私は震災で全てを失ったが、「ナニクソ」と言う、気力だけは今も何とか維持出来ているようだ。


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2017
01/10

住み慣れた地域に根差す


年の明ける前に「戸倉団地」から津の宮方面まで行った。途中に水戸辺地区があり、戸倉地区入り江の集落で、津波はこれまでになく増幅し高台の国道まで達したので、水戸辺集落は一たまりも無かった。現在はここまで新しい道路と営みの場所が完成していた。
戸倉団地からの道路と旧398道路の交差点の場所に、高台移転を果たした住宅が2・3軒ある。その住宅の昇り口に写真のような「津波到達位置」の看板は、東日本の津波の脅威を物語っている。
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北からの道路は戸倉団地からの道路で、何も無い山から下って来る。
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南へ続く道路は震災前の道路で、地区からの海が近い事を示している。集落に住まないと仕事ができなく、海が見えないと日々の仕事に支障となる。「地域に生きる」、そんな人たちが多い地区とも言える。


昨年末見た「星守る犬」の映画には縁がある。何気なくテレビを見た時、福島出身の西田敏行さんが主役で、家庭の高齢化による崩壊を描き、主人公が可愛がっていた犬に、最後まで死後も見守られ、人知れず死んでいった。そんな映画だ。年が明け又その映画がテレビで放送されている機会に恵まれた。両方ともかいつまみながら見た。
二回目も以前の放映も全てを見た訳でも無く、家族からの別れの後で多くの人達との接点があり、貧しい子供とは万引きしようとする子へ、パンを買い与え共に時間を過ごしている内に、目覚めると手持ちのお金を全て取られて子供は姿を消した。決して子供が悪いのではなく環境がいけないと考えた。コンビニの店主は保障で借金の方に店を奪われ、子どもとふたり新たな道へ進んだ。こんどはリサイクル店の店主との出会いは、無一文となった事で大切にしていた本を、無理を言い買い取ってもらっていた。「シロ」と言う名の犬と家族になっていた。シロは生死をさまよう病気となり、何とか一命を取り留めた。この家族のような繋がりを動物は理解し最後まで飼い主に寄り添った。助けて貰った恩返しとは違う気がする。
日本が抱える高齢化や家族の繋がりをリアルに描いた映画だった。核家族が進む中で子供達に自分たちの老後を頼めない現状の中で、自分の老後をどう生きるか、死をどう迎えるかを考えさせる映画だった。被災地「南三陸町」でも高齢化と住民が生活しやすい場所への住宅・生活再建が進み、独居老人の問題や生活環境の確保で苦しむ住民の末路が、「星守る犬」の映画は描いている。主人公に取って「誰にも迷惑を掛けない死にざま」と「最後まで守ってくれた愛された犬」の繋がり・絆がそこにあった。

私もそんな末路を迎えられたら幸せなのだが、父親よりも先に命が亡くなる事も、常に視野に入れ今を生きている。

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2017
01/09

南三陸町は創生期なの?


先週の土曜日に天気予報を確認し、「晴天」を見て午前6時30分にサンオーレ袖浜のはまゆり大橋から、志津川湾の洋上を見ると、やっぱり水平線上には厚い雲があった。私にとっての2017年の「初日」をデータとして心に留めた。湾を往来する漁船の姿を見つけ、漁師は既に仕事を始めていた。若布収穫があり、カキやカゴ漁、刺し網など色々な漁に漁民は寒い中でも仕事をする。この寒さが美味しい魚介類を育て各地に発送される。
歌津地区の青年部が、うに養殖と言う新たな漁業に取り組んでいる、こんな新年の新聞報道があった。収入の拡大だけでなく、「磯焼け」と言う漁業環境への対策と販売拡大の活動している。町にとって「キラキラ丼」の販売盛況は、地元産のうにの確保が重要だ。若者たちの活動は将来に繋げようとしているのに、行政は町の復興を理由に、自分たちの活動しやすい設備の整備と、委託事業を積極的に図っている。職員の削減や施設運営の経費削減など、楽な行政の仕事を目指している。町の600万以上の高所得の半数が、公務員だと私は思っている。公務員の採用にも「ブラックボックス」となっていると、町民はつぶやく。ちなみに私の所得は213万で、扶養控除があり、低所得で町県民税の2期分のカップが、とうとう来なかった。
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年明けに突然の韓国人の方が来た。印刷物の相談ながら、定住し1年と言う。震災の時に南三陸町に来て、本腰で漁業支援や高齢者支援をしたいと言う。奥さんと3人の子供と共に志津川のアパートで袖浜地区の「志津川の民宿の発症の地」も大きく変わった。建物があるようだが、民宿の場所は漁業の作業小屋に変わり、民宿は以前の2割? 現在は2軒がこの地区で民宿を営業しているだけだ。

暮らしている。こうした移転定住者を行政は活用すべきと私は感じた。水産観光課に行って「何ができるか。」「生活支援はないか?」など、相談しては? と話した。何かあったら私も支援を受け、その代償を支払いたいと思う。「インバウンド」を被災地も描き観光に力を入れる。台湾からの観光客は県内の気仙沼圏域に1割と言う。我が町も台湾との相互乗り入れ観光をしている。私も生きてる内に一度は台湾観光をしてみたい。
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国道398号の新しい橋が出来た。河川堤防の法面もコンクリートでの整備が進む。震災前から「震災対策」を行政が取り組まない事が不思議で、被災地への「復興交付金」で国から多額の資金が来て巨大整備が実施されている。河川堤防の8.7mの整備は、思いも寄らぬ災害地域の拡大を懸念する。志津川地区の3河川は大津波で到達地点を把握する事となったが、地形が変わった事で被害がなかった場所への襲来がある。岩泉町の台風災害も、これまで被害が無かった場所に、洪水が押し寄せ福祉施設の高齢生活者が死亡した。「ここまで津波は来ない!」、こんな概念は災害には通用しない。

何もしないで2連休を過ごしたが、「愛の福袋」活動の代表から、東京でのパーティーの案内の言葉を貰った。長野県飯島町の竹澤さんから町の物産が届いた。私からは「真ダコ」「アワビつぶ」を送ろうと思う。大阪の印刷支部「東大阪」からは新年会の「祝詞」の依頼も来た。支援者の繋がりが昨日から今年も始まった。

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2017
01/08

自宅から2分で高速道


正月の3日に南三陸海岸ICの工事現場を見て来た。国道45号の交差点まで1分、そこから1分で三陸道の入口までと、「命の道」と言われる高速道は北へと延びている。岩手県も大船戸までは完成し、そこから南が現在工事中となっている。そんな整備が進む中で本吉区間が何時できるのかが、まだ決まっていない。迅速な高速道の整備は、地方都市の繁栄に繋がるかと言うと、それだけではなく通過するだけの町になり兼ねなく、魅力ある街への整備が急務だ。特色ある町づくりは行政の英知で創り上げる事が必要で、町を知る人が名所を開拓・整備するべきだろう。
町は隈研吾氏や奈良大の教授など、有名な建築家の描いた町づくりを進めているが、昔ながらの町の魅力が造れるだろうか。近代的な構造物は都会には勝てなく、今後、町民が創り上げる「街」と私は期待している。祖父母・両親が暮らしていた街を、子供達に伝える事で本当の新しい街が造られると思っている。
高速度への国道からの入口と出口は、志津川商工団地の交差点から1分と掛からない。水産物の物流は間違いなく早いが、人が出る事も容易くなり、決して人口増加への街づくりの整備事業ではない。
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2017年も8日目となった。一番目の出来事に、今年の千葉県産の落花生は美味しく、食べ始めた二袋目で歯が折れた。餅を食べて虫歯が大きくなった。次の日に知人の歯医者で治療をして、16日には入歯が入る。10月ごろから体の足全体が痒くなり、眠れない日も多々あり、安眠とならなく昼間眠くてたまらない。オロナインで対応するも痒みが止まらなかった。ある人に「オリーブオイルか効きますよ。」と教えられ早速試した。少しは痒みが取れたが「慰め」ぐらいとしかなっていない。アレルギーなのか? 食べ物をチェックしている。早く痒みが取れ広がらない内に対処したい。

色々な情報をSNSで吸収している。町の人口が昨年12月に約12000人だと言う。町の広報では13571人と10月末の数字がある。本当の数字を町民に伝え「町の危機」を町民と共有すべきと思う。ツイッターでは、「なみこの海パック」があり、いいね!アクセスが「3500回」となっていた。「戸倉牡蠣の生食用の出荷始まる!」だった。その大きさは手のひらサイズで殻に収まった牡蠣だった。友達に言わせると貝から取り出す前は、そんなサイズも沢山あると言う。ツイッターのフォロワーの多さに驚く。知人のフェイスブックでは、戸倉団地に居酒屋が建設中とあった。戸倉地区に住民の「憩いの場」となるだろう。後は町内の仮設住宅の解体が急ピッチだ。仮設商店街も大部分が年末までと、仮設店舗の解体の始まりには驚いた。解体の中で商店の営業は寂し過ぎる。南三陸町のポータルセンター脇のグッズ売り場は今も観光客を迎えている。3月の商店街移転まで店を閉められない。何故なら観光客の足が止まる事の危機感があるからだろう。
2017年を迎え商店もバラバラとなり、住宅・店舗の再建へと新しく個々に歩み始まった。

私も70歳までの自分の活動期間と決め、2017年は大切な年となり、年明けから又最後の事業を進める。「町長がやらないなら自分で!」で始める。と残った自分の活動期間の9年で生きた証を刻みたい。先ずは自分がやりたい事の実現への場所の確保に今月から挑戦する。予定どうりの道は険しいが、自分の生きたいように「人に迷惑を掛けない」を基本に行動したい。険しければ険しい程やりがいはあり、達成した時の感動に自分で浸りたい。南三陸町の「大好きな志津川」の為にだ。

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2017
01/07

南三陸町「志津川高校」のモアイ化計画


 情報ビジネス科の「課題研究」の授業で選択した8人のマーケティングが、平成22年に立ち上げたことが始まりだった。
 まずは南三陸町のいいところを調査し、「モアイの町・南三陸町」を全国へ発信していこうと動き出した。南三陸町のモアイの歴史は「1960年(昭和35年)に発足したチリ地震津波で大きな被害を受け、復興を遂げた両国の友好のしるしとして、1990年(平成2年)にチリ共和国大使が来町し、友好のメッセージ」として贈られた事から始まった。
「南三陸モアイ化計画」の取り組みは、一人の生徒の「モアイを活用して町おこし」の提案が採用された。まずはモアイキャラクター制作からで、モアイ商品の開発、平成22年11月14日の大漁市へ参加し宣伝をした。その他にモアイカレンダーの配布で活動を伝え、町民向けのプレゼンテーションの実施をした。
缶バッジ
 平成23年3月11日に大震災が発生し、続ける事は難しいものとなった。そんな時町民の方々から「こんな時だからこそ継続して頑張ってください。」との言葉で再スタートした。初めに県外から応援に来てくれた警察官に対し「モアイ復興プレート」を贈呈した。その後もモアイ像の発見や、チリ共和国からのメッセージ、そしてチリ共和国ピニュラ大統領の来校となった。
 南三陸町には震災前に「いしゃりくん」という町民バスが運行していたが、津波で被災した。町民バスの復活を目指し、平成24年2月25日からオリジナルの缶バッチとストラップの販売を始めた。
 「みなさんモアイサポーターズの発足は、24年9月で仮設商店街の店主の皆さんを中心にした有志によりスタートした。
 1回目の収益金450万円を25年11月に、2回目は200万円を27年6月にと、寄付金の総額が650万円となり町民バス購入の目途がたった。バスのデザインも3年1組の佐藤莉紗さんのデザインが採用された。
 全国の多くの方々の寄付金やご支援の元、800万円により「モアイバス」が志津川高校からの寄贈となった。
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郷土の高校「志津川高校」の応援を町民一丸となりして行きましょう!

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2017
01/06

仕事始め

我が家の菩提寺「大雄寺」さんにご年始の挨拶に行った。旧本浜町の御向かいさんと「こんな所で。」と挨拶ができた。今年には志津川地区東工区に家を建てる予定と聞く。フェイスでも「また、志津川の住民になります。」と地元の先輩も建築が終わり、引っ越しで忙しくなりそうと報告してくれた。今年は嬉しい事が沢山ありそうです。

お正月のしめ飾りは勿論飾らず、知人たちとの寄り合いも無い、静かな正月を過ごした。何気なくテレビを見ていたら、懐かしい画面が現れた。15年前になるだろうか? 韓国の「冬のソナタ」だった。3日から第四話の再放送にハマってしまった。ユジンの周囲の影響を受け、愛に揺れ動く姿が、綺麗な韓国の冬景色の中で繰り広げられる。多くの友達や家族が相手を想う余りの、考えの行き違いで悲しみの連鎖が12話となり、その真実が少しずつ現れてきている。サンヒョクは恋愛下手な男性を表し、チュンサンの優しさに引かれるユジン。恋愛ベタなサイヒョクが自分に良く似ている。顔と容姿は別としてだが。

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今月の正月ボケの中で、今年も第一週の日曜日に「マイタウン情報」を配布できる。町民の方から「楽しみにしていますよ。」「本当の事書いてあるから見てます。」など、継続の力を感じている。こうした言葉に支えられ続けられているのが事実です。第59号となり、遅くない近い将来は終了を迎えるだろう。

昨夜は細やかな祝宴の席で、少しのお酒と御馳走を食べ、心落ち着く時間を過ごした。静かに! 穏やかに! 生きたい。

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2017
01/05

絵に書いた餅?


新しい南三陸町の姿を描いた志津川地区の構想図です。
みんなでつくる町は美し過ぎる感を持った。商店街の前に設置された看板と事務所だった。志津川の商店街の隆盛は震災の1~2年で、5年目を迎える頃には来町者(支援者)は10分の1となった。その姿を何時までも追う事は、ここを永住の場と決めた「町民にとって、どうだろう?」と考える自分が居る。
多くの町民の中には私を支えてくれた方々があり、先輩たちと後輩も多いが、年末に登米市に住む事を決めた友達の、突然の決定の裏には家族の健康を考えた上での決定だった。

28年度末で5年目を迎えた、中小基盤機構の制度による「仮設商店街」はさんさん商店街として、多くの来町者や地元住民・穿設関係者の、食事と買い物の場として重宝された。オープン時には想定以上の訪問者の中で、店主も何回か変わってここまで栄えてきた。店舗は35店前後から、今年の3月3日に嵩上げの場所に、ニューオープンする。28店と予想の店舗から大分減少している。町民外の入居者も意外と多いと聴く。

昨日は広島から「また南三陸町へ…」との嬉しい話しを聴き、長野からは海外で活躍の南三陸町出身の方から、今年も年賀とお菓子が届きました。と連絡が来た。また、別な繋がりが生まれていた。「南三陸町のタコ美味しいですね。」と年末のお歳暮に感激してくれた。だけど「志津川の真ダコ」だからですよね、と話すと、やっぱり真ダコ美味しいですよね! と返ってきた。

私の小さな支援が町の為になっていた事の確認ができた。
町づくりの観光客への仮設商店街の前の告知板と事務所は昨年末に閉鎖となった。看板だけが残るだけとなった。

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2017
01/04

志津川中央区の雛壇


震災から2年半後に「志津川地区まちづくり会議」で、志津川地区の高台移転地区の在り方について話し合った事を思い出す。当初は真剣に議論を重ねてはいたが、どうしても行政や整備を委託されたUR都市機構の計画に順ずる結果となった気がする。
中央区の中央をメイン道路が整備され、その両脇には商店街が並ぶ、こんな計画への議論は電圧や土地の広さなど、住民の公正や公平が原点にあり、生活者の商店への意向環境を求めには、厳しい高台整備となった。この形成はどこにあるのか、今後の家が建ち生活が始まってそれが初めて見えてくる。志津川字南町の「そば処・京極」も中央区で、新しい商売を始めると、さんさん商店街のチラシに掲載紹介していた。
予定通りの雛壇でも住宅街の整備は、新井田遺跡の調査後の土地の整地があり、大工事となり志津川地区で最後の整備が、向かって右側に昨年末完成となった。今の所何も問題は内容だが、ここを選んだ住民が生活して初めて、生活しにくいマイナスの部分が出てくるだろう。しかし、住民は生活の工夫により生活するしかない。

今日から仕事始めである。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:40 】

2017
01/03

この志津川の風景は戻らない


志津川中学校は大震災で志津川地区民が大勢避難し、津波襲来を目の当たりした場所です。あれから5年10か月余り、元旦の日に現在の光景を撮影しに行くと、以前の風景写真が撮影現地に、フェンスの柵に掲示してあった。何度も訪れている場所ながら、その以前の風景に感動する。いくら世界的に有名な建築家でも、この素晴らしい風景の復元はできなく、人口の構造物で町民・来町者の南三陸町志津川地区の、良き時代の風景は蘇る事はない。人の再生再建こそが以前の町を造りだせる。これからの子供達にこれを託す事しか出来ないが、今の係る大人の造る町計画では、絶対無理だろう。そこには「我欲」が働いているからだ。IMG_1438.jpg
5年10か月を迎えても震災から、その復興途中であっても何も変わってはいない。本当の再生が終了するまで、どれだけの町民が亡くなってしまうだろう。多くの生き残った町民の為にも、一日も早く復興・再建の町を見せて上げて欲しい。復興計画の決定は関わった、自分だけの視野で復興計画が進められている気が強い。何も言わない高齢者や子ども達をイイ事に、復興内容が認められているとの勘違いの中で、5年10か月が経ってしまった。
今日も午前に父親と二人の家族会議で、将来の事を話し合う事となった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:25 】

2017
01/02

志津川市街地の高台から


私の新年の行事に志津川の高台団地と市街地の探訪があり、その変化と進捗の確認に動いている。一番は故郷の変化を伝える事と、自分の目で変化を脳裏に刻みたいがある。
何時まで生きられるか判らないし、している事に何の意味があるのかと、今朝考えさせられた。待っている「年金生活」に、どう対処して行けるかとの思いで複雑な気持ちになった。

最初に中央区に行く。残っていた造成地も作年末までに完成し、今後地権者に引き渡され住宅建設に進む。中央区特有の雛壇の土地形態は、道路に何か丸い物を落したら、下まで転げ落ちる土地形を心配する住民もある。だがここまで集合住宅・戸建の建設が進み、年度内の総ての完成に向かい整備が行われていた。

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次に志津川小学校の仮設前から志津川地区の復興観光拠点を望んだ。「さんさん商店街」の新しい施設の整備も年を越してしまった。3月3日の「まち開き」に間に合うだろうか。悲劇の防災庁舎の鉄骨は観光客を集める遺構となり、志津川町を救う物して、町は整備を進める。何も無くなった志津川の市街地がここにある。6年目を迎えようとしているのに何もできていない。町民の営みの息使いは感じられない。無機質の町が広がっているように感じる。

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三カ所目は志津川中学校の高台から、震災で有名になった2017年元旦の風景を撮影した。「やっぱり生活環は無い」、赤土とコンクリートの景色だけが目に飛び込んでくる。小高い場所の津波が襲来した場所にも家があるが、決して住宅ではなく、商店地・店舗としての位置づけの元に家が建っている。防災庁舎周辺は「復興記念公園」として再生される。後は巨大な農地として復活するが、耕作者は居るのだろうかう。巨大な農地は組合会社組織の運営としてしか、活用する手段は無い気がする。

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最後に志津川高校裏の西工区に行く。親戚が住宅建設を両親の為にと進めていた。入口の20軒余りの土地は全てに家が建ち、やはり土地の整備・引き渡しは公平・公正とはいかないようだ。土地引き渡しと同時に住宅建設へと進める地権者も多いが、町内総ての土地に付いて、この6年間の月日は、建設への意向を大きく変える事となった人も多い。個々の生活内容と家庭環境からその方向性を決定する。正に究極の選択が繰り広げられている。

年度内の災害公営住宅と戸建の、入居を済ませるよう行政は計画する。是非それが叶う事を願うばかりだ。私の親戚・知人の多くも震災6年目の住宅の確保となる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:27 】


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