ARCHIVE - 2016年12月

2016
12/31

でべそ島と荒島と観光整備

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12月28日に天気予報の「腫れ時々曇り」を信頼し、朝の晴天を確認し袖浜サンオーレ海岸に行き、日の出を撮りましたが、水平線の雲の上からの太陽の陽光が輝く写真となりました。お正月はサンオーレに「初日の出」を多くの町民が訪れる事を想定し、初日の元朝参りは諦めます。天気はまずまずとの予想です。

来年の夏のオープンを目指し、復旧工事が急ピッチで進んでいた。以前の海水浴場整備には、大々的な工事が有ったかと言うと、自然にあまり手を加えないでの整備だった気がする。
今回の工事はガット船が海を掘り、海岸も海も埋めたり掘ったりと、自然環境に優しい工事とはなっていないようだ。「でべそ島」の魚貝類の宝庫を知る私としては、悲しさでいっぱいだ。生態系の自然再生の力を解ってはいるが、長い年月が必要だし、海岸がこんなにも島の距離が無くなり、土砂が堆積し総ての生物への影響は絶対にある。
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自然の保護と観光の推進は逆行するが、その上での「南三陸復興記念公園」の南三陸町の自然を守って欲しいと思う。河川堤防と護岸工事の整備で鮭の遡上は10分のⅠ以下となり、「キラキラいくら丼」は今後も続けられるのかと心配する。地元の「いくら」を使わずして、「キラキラ丼」は成立しない。被災地の復興支援に偽りはあってはならない。

そんな事を考えながら2016年の「大晦日」を迎えている。

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2016
12/30

昔話に花が咲く


母の兄の妻が92歳で永眠した。母の古里の登米市米谷のとうよう寺で葬儀が行われた。素晴らしく綺麗な真新しい本堂内に驚かされた。叔母の弟は登米市で成功をし、菩提寺への寄付金が「1千万」をしたと聞いたことがある。このお寺の名字は「こすい」と言い、中学生時代にこすい先生の家がここだと聞いたことがあり、法要で92歳の町の重鎮に聞いたがそんな人は居ないと言う。しかし、住職のお母さんも教師だったと聞き、以前の話は確かだったと確信する。また、志津川の浅野家は私の親せき筋ですと聞き、古き良き時代の志津川町を思い出した。
義理の姉は早くしてご主人が脳梗塞で倒れ、長い間、自宅で在宅介護していて大切に自分で介護していた。当時は老人介護施設も無く、家で介護するしか方法が無かった。叔母は小柄で叔父は普通より遥かに体の大きい人だった事を思い出す。私の母は良く兄弟の家に回っていた。会社の外回りで登米市に兄弟が居て訪れた。私も運転手として共に母の兄弟でお茶を御馳走になり長居した事を思い出す。

席の隣りになった方は地区の御世話役で、良く叔母の家に来た私の母を覚えていた。「志津川で石母田医院の看護婦さんで綺麗な人だった。」と話してくれた。母の葬儀の時も昔人にこんな話しを聴いた。小柄なぽっちゃりの母の容姿から想像も付かない。「母は頑張り屋!」が私の自慢である。

法事で喪主の三人兄弟は一人だけとなり二男は言う。「今日のお膳には母の好きな「ウニ」「カニ」を付けました。」と。米谷病院に老人介護施設があり、そこで療養していた。何も食べない母は、「ウニをゼリー状にしたものだけは、進んで食べていた。」と話す。私も出来る事をしたかったが食べる物に好き嫌いは無く、全て食べている姿に安堵した事を思い出す。終末期は点滴だった。

子供達の役目は今後で、千葉家・末永家・沼田家で続くが、多くの困難がその前に広がっている。

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2016
12/29

寛容な 和解の心


昨夜は「結婚詐欺師」の弁護士の対応に目を奪われた。
弁護士が被害者と共に詐欺師と対峙する。結婚詐欺師は婚活サイトから結婚したいと言う女性に近寄っていた。巧みな言葉・接し方に疲れ切った女性の固い心を、別な世界へと引きずっていった。
二つの事件での共通は、詐欺師は妻がいてパチンコ依存、二股三股で女性と付き合う。妻は知らない世界がここにあった。女性から貸したお金を返してと詰め寄ると、「借りているので金策をしている。」等、嘘に嘘を重ね弁護士に理解を求めている。口から出まかせの言葉、気持ちの無い謝罪の様子に、こっちまで頭にきた。「こんな男に女性は引かれる。」、真面目な無骨な付き合いべたな独身男性が、母子家庭で苦労している女性の手助けになると私は思い、その仲介を武骨な私は続けていきたい。
「南三陸創造の会」は相手を紹介する会ながら、いろいろな会員募集でも3人しか電話が来なかった。これからは「どういう形であれ二人でいる事の必要性を発信」していく活動を続けていきたい。

安倍総理と米国大統領の慰霊の会見で、同盟関係は不可欠で、そこには和解の心」が常にあり、互いに「寛容の気持ち」で、会話して行き同盟を深くこれからも築くと話した。

昨夜は下からじわじわと地震を感じた、身震いかと思っていたら、やはり地震だった。茨城で「震度6弱」「M6.3」「内陸地震」だった。津波の心配はないと直ぐに発表になる。広大な観測地の震度が画面に映しだされた。日本はやっぱり地震大国で、こんなにも観測点を持っていた。日本が異常な状態となっている気が募ってくる。

今日は登米市米谷で葬儀がある。10時の参列なので8時半には出掛ける。家に帰るのは午後3時になる。
火葬も葬儀にも仕事を一日の行動に入れ、何とか年末を乗り切ろうと努力する。当然の事ながら大変だ!

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2016
12/28

いろいろな事が人生は起こるし 創りだせる


安倍総理がハワイの「アリゾナ記念館」に慰霊の訪問となった。オバマ大統領の原爆を落として米国のリーターが、謝罪ではなく慰霊の献花をした。それの恩返しの意味合いがあり、オバマ訪問時に互いの足跡をリーダーとして残し、歴史に自分の名を刻む思惑を強く感じる。戦後60年を迎え、国民の戦争に対する意識が低下していての事だろう。
祈念館には戦死した水兵の名前が「1177」刻まれている。真珠湾攻撃はこれ以上の死者をだした。祈念館は海上にあり船で行く、その下には戦艦アリゾナが今も眠っていて、兵士も一緒に船と共に引き上げられず居る。国の為に命を落とした兵士への国民の追悼として、船員総ての名前が刻まれ、その前に二つの花輪が置かれ、両トップが慰霊の意を表す。
我が町も東日本大震災で亡くなられた町民の名を刻んだ方が良い。家族が慰霊するにも誰に何処にするのか? ここに家族の名前があるだけでその思いは通じる気がし、何度も亡くなった家族に会いに行くと思う。町長さんその願いは叶わないのだろうか。アリゾナ記念館に学んで欲しいものだ。

昨日は「母の義理の姉が亡くなった。」そんな連絡がきた。もう不幸は無いだろうと、本吉町に礼服をクリーニングに出していたのを取りに行った。昨日は年末の用事を大急ぎで15件片付けた。今日の迫町での火葬と、29日の母の古里「米谷」で葬儀・法要の日程だ。年末この2日は大変だ。

震災前に母が継承してきた、「マルセン蒲鉾店」の正月蒲鉾をお歳暮に用意した。25個もで親戚・お得意さんに回す。今年は8月16日に母が逝去し、兄弟・親戚に御世話になったお返しと気を張った。そのお返しは「干し柿」だ。父の大好物でさっそく食べさせ、残りは仙台の孫たちに「吊るし柿」のままで昨日送った。

今日は南へ、西へ車を走らせる。

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2016
12/27

私の昨夜の晩御飯


各地の震災ドキュメントを夜中やっていた。
湯布院の現在は観光客の7割が戻っていると言う。湯布院の過去の地震が50年前? にあった。2万5000人が当時は住んでいた。その地震は現在の震度5ぐらいだったが、直下型の地震で町は大被害をうけた。その時から観光中心の都市に変換・整備を続け今があり、温泉と農業の町を「観光の町」一つへ大きく変貌したと言う。しかし、現在は振興が1万人と言う。これが南三陸町にあてはまるかというと違う。
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昨日で今年のだいたいの仕事を終えた。今年のお正月の予定は入れず、喪に服す事とした。
昨日も冷蔵庫にある物を晩御飯の料理に、ビールの友とした。多く我が家を訪れてくれる友人からの「牛タン」を貰い、4枚をキャベツの大盛に載せバランスを取った。従業員から今年の新ワカメを貰ったので、走りのまだ柔いワカメを食べない手はなく、ちくわと鰹節にめんつゆを掛けお浸しにした。ひと丼をぺろりと食べつくした。御馳走は「アワビの粕漬け」で大きく切り刺身でいただいた。刺身には味の素を少しと醤油で食べるのが千葉家流である。一人食べる晩御飯もまたイイ、父は夕方4時に食べ6時半には就寝となる。
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今夜も両足が痒くて眠って2時間で目が覚めた。ここ3か月は原因の判らない痒みに襲われている。糖尿病からくる痒みと自己診断している。冬場の「乾皮」のせいもある。眠りはしっかり取りたい! これが私の今の願いです。

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2016
12/26

自分の背の長けにあった生活


還暦を過ぎ自分の寿命を70歳と予想する。生活習慣病と共に40年間生き抜いて来た事もある。これまでの身体の異変を克服し、贅沢病と言われる病気を持った宿命でもある。条件としては「父を送りだしてから。」で、それまでは何が何でも生き抜いてやる。
少しの贅沢は現在の南三陸町に無い事を体験するがある。石巻ジャスコがプチ贅沢だ。今年は「マイカルシネマ」には「君の名は」を見に行った。「イタリアン料理」は一階の美味しい店に今年は5回行った。今年はまった物に「たまごかけご飯」があり、一階の「蔵王の卵」にハマっている。「銀だこ」も楽しみの一つで今年は4回食べた。みんな食べる物ながら健康な証拠かもしれない。
三陸道が小森まで開通し、米谷から登米町の高速から見える「夕陽」が綺麗と、太陽の眩しさが何時も最高と思っている。一回として同じ風景は無く、一瞬一瞬すべてに個性がある風景に感動する。

震災からの工場・事業所の再建に、仮設店舗の仮設を、気仙沼市は無料で譲渡すると言う。解体経費の削減策と言う。我が社の隣りでも社長に聞くと、解体した知人の倉庫の材料を貰い、さすが建築関係なので組み立てが始まっていた。
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後輩の友達と将来について話し、みんな自分の生活設計を苦しい中で組み立てていた。震災後ながら再建してから今後を、質素に暮らせる形を模索している。残す家族は居ないので、親戚・兄弟に迷惑を掛けないように幕を閉じたいと思っている。しかし、所得が年金しかなくなった時を考える。預貯金と月4万の年金で一人となった時の生活が待っている。それまでは出来る事を思いっきりやりたい。
後10年、だいたいの計画は立てている。「人の為に!」が最大の目的に在る。一人で出来る事は小さいが、人が考え付かない事をしたい。

社会保障は現在、年金資金が年間50兆円掛かっていると言う。現在の積立は150兆あり、若者の積み立て金を利用した「運転操業」と言う。こんな国の年金政策は枯渇すると専門家は言う。私は若い頃は「両親の年金を納めている。」と、そういう考えだったが、今は自分の為に貰う立場となった。平均寿命まで生きると、私の60歳は納めたお金の4倍は貰えると言う。しかし、今の30代は掛け金の2倍に満たないと言う。どう考えれば納付に納得できるか、それが得られないと年金を納める人は益々減ると思う。

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2016
12/25

こんな近代的な河川修復を町民は望んでいただろうか?


国県の被災地の震災復興の元で、海・川を知らないゼネコンの利益主導の再建があり、南三陸町の海岸線や河川が、以前の風景を忘れさせるかのような、近代的な河川・護岸と生まれ変わろうとしている。
以前のように川には鮭が遡上し、ハゼ・藻くずガニ・ウナギ・あさり等が生息した、そんな志津川地区の川は壊滅してしまった。以前の河川は戻ってくるのだろうか、何年かかるのだろうか。めだか・たにし・ドジョウが住みつき、ホタルの舞う戸倉地区の小川は再生できるのだろう。その壊滅状態は大津波と同じに私は感じる。
ネイチャーセンターや自然活用センターなどの、南三陸町の水辺の環境の紹介は、人工的な物で決して自然が造りだしたものではないと私は思っている。ここまでも人間が自然に手を付けて良いものだろうか。自然が造りだした地形は、オゾン層のフロンガス・二酸化炭素での破壊で、自然界に多くの自然災害を生んだ事を忘れてはいけない。被災住民の震災復興の計画ではなく、国の力を鼓舞する意味での震災地復興のように見える。
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今日の河北新報の記事は、漁民のこれまでの復興の計画が、河川堤防の整備により土砂が海に流れ込み、自然環境の激変による影響を真剣に考え始め、海岸・河川の復興計画は正しかったのか? と疑問を投げかけている。

震災で被災者の劣悪な環境の中で、震災復興の形を論ずるには厳しい環境が、国県の主導で自治体への「復興交付金」の元で、町の再建策を国に丸投げした事と、自治体がもっと再建に町の町民の考えを、取り入れる環境を造らなかった事にある。自治体で集めた有識者の震災復興の形は、その個々の利益を反映した「町づくり会議」と私は感じていた。町の暮らしは環境とこれまでの暮らしの在り方を考慮に入れ、復興を考えるべきと思い意見を述べて来た。しかし、こんなにも大規模な河川堤防や海岸整備を想定はしなかった。

もう昔のままの河川の姿に添った、河川整備は無理で、観光客が「素晴らしい」と近代的な激変を遂げた形だけの、志津川の復興に歓喜するだろうる。「それは違う」と私は言い続けたい。

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2016
12/24

静かな年末年始に向けて


震災で亡くなった叔母の形見を処分した。8月に亡くなった母の物も父が片付けを始めた。それと並行して自分たちの使わなくなった物も、少しずつ整理を始めている。何時二人に何が起こっても良いようにだ。
「行きがけの駄賃で」でみなさん通りのクリスマスツリーを写真に撮影した。誰が設置し誰がお金を出したのか気になる。それにしても華やかなクリスマス飾りだった。それに引き替え我が社のイルミ飾りは質素である。でも小さくても夜を明るく照らしてくれる。みなさん通りは病院とケアセンターの中間に位置している。
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一昨日からお風呂に「ゆず」わ浮かべ入浴している。食べる術を知らないのでこうした。7個の内の4個を入れた。肌に良いのだろうか? その香りを楽しむだけなのか? でも暖かい温もりを感じた。こんな心の余裕を持てる私は、巨大な津波から身一つで逃げ、ここまで辿り着いた満足感でいっぱいだ。これから南三陸町で「大好き志津川!」で、何かをして一人でも多くの人達に、自分を記憶に留めて置いてもらえる事をしたい。これが「自分の志津川町で生きて来た証」と、自分で造るのは厳しいが、「こんな人が居たんだ」と50年後に、話に上るなんて事を夢見る。
今日はしばらく行ってない場所の変化を撮影して来たい。上山公園・東山公園・小学校仮設など、新しいさんさん商店街を高台から撮影する。天気も最高だ。
私の中では「皆さんがさんさんと輝け、笑顔溢れる場所。」と、さんさんの意味を自分なりに思っている。昨日から明日まで感謝の売り出しが開催される。皆さんの笑顔が溢れているだろう。

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2016
12/23

寄り添い生きるためにこうした防潮堤は…


朝5時半に目覚め何気なくテレビで猫の世界をやっていた。フェイスブックでも猫の紹介を良く見る。特別に犬も猫もすきとは言えない私ながら、猫の子供はやっぱり可愛い。ある県の「あいの島」の野生の猫の行動を紹介していた。メス猫が子を生み育てる危険な世界があった。子どもを生み雄猫を近づけない習性があった。何故なら交尾をしない「はくれ猫」は生まれた子を殺し、メスにまた発情させ自分の子孫を残す行動があると言う。自然の中で子供を育てるのは危険がいっぱいだ。そんな猫の世界には「共同保育」という習性があると言う。動物ながら生きる術を持っている。親の兄弟同士で自分が生んだ子を守る。厳しい社会では兄弟家族が家系を繋ぐために、自然とこうした行動を取っている。

新潟県糸魚川市で大火災が発生した。中華料理店から発生した火災は、日本海の海岸の南風により、水不足もあり消火体制がままならず、10時間も掛かり延焼が落ち着いた。木造の古い商店街で「建ぺい率」の低さにより大火災となった。江戸時代から続く酒蔵・料亭が焼失した。市の歴史的財産が一瞬にして消滅した。
私たちの地域だと、父は2度の「志津川大火」を経験し、我が家も2度も消失し現在まで生き抜いてきたと良く話をする。隣町の「横山大火」もあり、防災体制が充実しない時代の悲劇があった。私は火が怖いと言う意識が高い。60歳を過ぎ物忘れも多く、火災に対する対策は火事とならない生活をしている。最後の就寝は私なので、電気等は「指さし確認」を励行している。これが安心感に繋がり、「火は大丈夫だろうか?」との不安を取り除いている。こないだ「火災報知器」が鳴った。理由は電気オーブで貰った煮干しイワシを焼いていて、その煙がダフトを回していても煙が蔓延したからだった。火災になる前の対策は個々の家庭の義務である。
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安倍内閣の閣議決定で来年度予算が決定した。97兆と毎年予算額が増加していると言う。国防費が伸びても社会保障は平行線という。制度の改正で国民負担を上げる中で、雇用や保育・教育などで緩和策を取っている。民主党時代に国債の発行に対し反対をしながら、今回の予算の3分の1が国債からと言うのはおかしい話だ。数の論理で政策はいくらでも通ると言う、自民のこんな「おごり」と傲慢さに私の目には映る。大島議長の「議論を尽くしたのか?」と、議会に注文を付けた。こうした人材が自民にいる事でバランスが取れている。我が町にはもうこうした重鎮は居なくなった。

昨日は本吉まで出掛けた。クリーニングに礼服を出した。もう不幸の係わりは無いだろう。今年も数十回お寺に通った。多くの御世話になった町民の葬儀には参列している。知らない内に葬儀を済ませている方も少なくない。途中、清水浜の建設中の防潮堤を撮影してきた。その背後には現在は国道しかなく、総ての建物は高台で津波到達の場所にはもう家は無い。
多くの支援の艶歌歌手の皆さんが町に来てくれる。そこで聴く声に「何で慰霊碑を町は建てないのか?」と言う。こんな話を最近聞いた。そう思っている事は私だけではない事に「ホッ」としている。こうした動きが町を変えてくれそうだ。

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2016
12/22

年末の生産に大打撃

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美味しい志津川の牡蠣の生産が、年末の繁忙期に「ノロウイルス」の影響がでた。20日~25日まで牡蠣の出荷停止だと言う。ボイル牡蠣対応の牡蠣は店頭にある気はするが、年末の価格高騰が予想される時期の出荷停止は、漁民にとっては厳しい年の瀬となっている。

志津川の漁業を考えた時、鮭の漁獲や放流の親鮭の確保が大変で、アワビの漁獲も上がらず、開口も今年は終わりとの噂も聞く、その上に牡蠣の貝毒の発生は想定外だろう。宮城沿岸の牡蠣施設で10カ所にノロウイルスの発生は、全体の半分以上ともなる。かき酢・かきフライ・かき鍋など、カキ料理大好き人間には残念でたまらない。
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昨日は突然の訃報を知る事となった。母と同部屋だった契約の仲間の方が一緒に入院していた。親を看病していた息子さんが亡くなり、葬儀も既に済ませたとの事だった。奥さんが懸命に姑さんの看護にあたっていて、旦那さんも傍らで看ていたのに、人の命の非情さは「年の順番どおり」とはいかないようだ。私がまだ小さい頃に旧本浜に魚市場があり、その時に「セリ人」をしていた。時代は震災により大きく変わっていた。
その子供さんも剣道を中学時代に教えた事を思い出す。親の会でお母さんとも面識があり、女子剣道の一角に入っていた。一生懸命さが目立ち頑張り屋の生徒だった。彼女も今は勿論就職をし頑張っていると、一緒の病室で話したのが4か月前の事だった。

今年も一時期の町民の死亡の連鎖があり、こんな悲しさが生まれていただろう。息子夫婦が祖父母の生き方に学び、その姿を子供達が親の労苦を見て次に繋ぐ、これが現実と私も沢山の家族を送り出し知った。決して一人で生きて来たのではない事を、若者には気付いて欲しい。その事を振り替えれば多くの異常な若者たちの事件が、一件でも減少すると私は信じている。
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先月に「南三陸町の牡蠣」と題して、仙台放送の「オーばんです!」でカキ料理のコーナーを見た。茹で方は軽くが牡蠣の美味しさを増す方法と料理をしていた。味噌和え・クリーム和えと美味しそうな料理を紹介していた。もう少し南三陸町志津川の牡蠣を待っていて下さい。
志津川さんさん商店街の閉店にあたり、感謝祭が23~25まで開催される。全店がこれまでの御来店に感謝と、今後の方向性を紹介していた。悲喜こもごもの現実がここにはあった。少しずつ全国に紹介を発信していきたい。

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2016
12/21

皆さんから支えられ


冬至となり今夜の入浴は初めての「ゆず風呂」にしようと思う。先輩の奥さんが「ゆず」を持ってきてくれた。ゆずは料理の香りやゆず釜に入ったイクラしか見たことがない。今夜の入浴が楽しみだ。
「冬至かぼちゃ」は聴いた事があるが、お得意さんの奥さんから「かぼちゃコロッケ」をいただいた。冬至には風邪を引かないようにカボチャでも食べて! と昨日貰った。
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お正月まで残す所10日となった。一昨日前、誰かが玄関に「豆餅」「草餅」を置いて行った。だいたい誰かは判るが、ここ数年持って来てくれる。母が施設・父と私の男所帯を案じて届けてくれる、感謝・かんしゃ! である。
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数日前は「餅つき機」を試したとして、あん餅・ぼたもちを作って持って来てくれた知人がいた。
貰いもので年を越せそうだが、今度は正月品をお返しにと考えている。半月前に27・28日に配達をお願いしていたが、日曜の18日に持ってはきた。「申し訳ないです」と持ち帰ってもらった。生ものなので迷惑を掛けてしまった。震災後初めて地元の蒲鉾詰め合わせ15個と、板蒲鉾の小分け10個など、今年お世話になった皆さんに配ろうと思っている。
今日ものんびり年の瀬の仕事を堅実にこなして行く。

昨日は母校「志津川高校」のモアイ化計画の集大成の、町への流失した「いしゃりくん」と言う、町民の利用するバスの代用車の、引き渡し式が母校であった。モアイの缶バッチは福岡で1万個も、地元ライオンズクラブの奥様達により販売された。生徒の考案の収益活動が全国の支援を受け「モアイバス」として復活した。

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2016
12/20

南三陸町の総て


毎朝「コーヒー牛乳」のホットを飲んで、胃の循環が良くなると思い恒例としている。缶コーヒーは震災時の物資であり、勿論「賞味期限」は過ぎているが、別に体調の異変はない。無駄にしない事にこだわり、口に入れて違和感がなければ飲み・食べている。震災時の何も無い生活でね「食べ物を無駄にしない」その考えは益々強くなった。

現在の防災庁舎は県の管理下となり、保存の補修工事で瓦礫と化した鉄骨が目隠しされている。後ろに河川堤防の土盛りが見え、またその向こうに再建中の商店街の建物が見える。隈研吾氏の町づくりの計画ながら、私には今の姿に何の特別性も感じない。金沢の「つつみ門」が代表的な設計物であるが、今の所その欠片も見えない。今は防災庁舎の補修があり、ここを中心に「復興祈念公園」の整備が進むと、隈氏の南三陸町の有名設計士の片鱗が見えてくる。それは「人道橋」であり、町の交流拠点となる「ショッピングモール」からの橋でもある。来年の3月に完成する商店街ながら少し遅れているようだが、祈念公園も30年度内の完成に向け進んでいる。市街地復興は、今は何も見えなく、祈念公園の完成を見ずに亡くなる町民も少なくない。
来年の選挙に向け現町長の5期目の準備も始まっているようだ。
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こないだ知人に会いに「災害復興住宅」に行った。4階建ての建物の2階に住み階段を利用した。下りる時に最後の段に違和感を持つ、もう一度下って見た。やっぱり変なので良く見ると、階段を終わる時にの階下に少しの傾斜が付いていた。「カラ足」となり少し前に倒れ掛かった。高齢者は大丈夫なのかと感じた。

今日は従弟の来年の入居のあたり、「印鑑証明」「住民票」「所得証明」を役場に取りに行く。

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2016
12/19

あんな震災を生んだ海は雄大に広がる


昨日の天気を大いに活用した。一週間以上の洗濯物は、肌着が12枚とパンツが10枚も物干しに並び、二階のベランダには2か月以上ぶりに、布団を天日に干した。夜8時を過ぎ強い睡魔に襲われ、入浴もせずベットに着いたら、すぐに夢の中へ、夜中1時半には目覚めた。しばらくぶりで乾皮症?なのか、強いかゆみと、足の革質のささくれができ痛みもあった。
そんな夜中の番組では、福島の原発事故の野生化した、動物や家で飼われていた犬・猫の保護活動をしている男性を追っていた。また、多くの家は動物に荒らされ戻れない中で、調査の稲を造り、それがイノシシとブタが野生で交配され、群れが稲穂を根こそぎ食べてしまった。大震災はこんな二次被害を生んでいた。年末を控え、震災の今」のドキュメントを伝えていた。
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今年の「のど自慢」の総集編もやっていた。子供や孫が祖父母の為にと手を取り出演している姿を羨ましく思った。兄弟で歌で家族の絆を見た。中学生の娘が未熟児で生まれ、脳性まひの一つ上の車いすの兄を、オリンピックの聖火ランナーとして走らせたいと、歌を唱っていた。合格の鐘でこの話をして、車いすの兄が喜び手を振る姿に涙した。突然ながら「なぜだろう、こんなにも泣けるのは?」、我が家にも色々な愛はあるが、また別の羨ましさがビビッと走ってしまった。NHKののど自慢は「家族の絆」がある。出演者が少ないのか中学生までが出演でき年齢が下がっていた。

今日もマイペースで楽しく仕事をします。

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2016
12/18

現在の趣味は社会観察と節約料理


ロシアのプーチン大統領の日本訪問は、安倍総理の並々ならぬ北方領土返還に思いがあり、自分の時代に解決したいとのメディアで発言する。報道で見る限り、プーチンが2時間30分も遅れても、その理由も問わず、謝罪もないプーチンの姿に、北方領土の返還などロシアは考えにはいない。日本から経済支援を取り付ける為に訪日だった。日本は旧島民の2島への帰還を簡素化するなどはなったが、島民の思いとはかけ離れている。知人の奥さんは、「4島の内に2島には軍備が建設され、返還は厳しく、日米安保の中ではロシアは日本の要望に等、絶対に応じられないと言う。」、当然の事と政治の互いの国の利益がある。DVC00040.jpg
1万人にも及ぶ漁船の領海侵入の拿捕があり、これまで一人の漁民が犠牲になっている。北方領土の漁獲が望めないなら、獲りに行く事から、戻って来る鮭の回帰に期待がかかる。
今年の親サケの確保が思うにように行っていない。本吉の津谷川の稚魚の確保が昨年よりも厳しいと言う。震災後の放流があり、震災復旧の河川工事で赤土の海への流出や、今年の雨量の少ない事も影響している。子供地の稚魚の放流をメディアは報じ、育てる事の大切さと食の循環を知って貰いたいがある。
南三陸町でも震災後の稚魚の確保に奔走した。震災から1年2年と経過する中で、稚魚の孵化場は整備した物の、親鮭の川への遡上は2割にも満たないと言う。海の捕獲を一時停止したり、海の鮭から採卵し生育したりと、これまでの川での稚魚確保の育成回帰の数とは程遠い。
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同級生が上棟式を明日に控え、津山の仮設への物資の支援に「ありがとう。」と、父と共にお土産を持って来てくれた。6年目を迎え7年目にやっと家が建設となると言う。その間に母と弟が亡くなったと言う。震災後の生活環境の激変が影響している。仏壇を買い求め自宅で手を合わせたいと話す。

私の趣味は剣道があり、身体の為と子供達の育成の為に、震災後も続けてきた。今年で剣道指導の人生に終止符を打ち、新しい世代に繋げないままでの引退は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。中学生の指導者に託す事とした。今後は仕事と家庭を一生懸命にやっていきたい。
将来に繋がる事として、高齢男世帯での家事がある。料理は好きで野菜を育てる事も興味があり、周囲からの野菜などの貰いものも多く、無駄にしないようベジタリアンとなり、料理を作る。
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一昨日、冷蔵庫の食材が溜まりに溜まったので整理をした。聖護院大根は漬物にし、大根は煮込んでおでんの「具」に入れた。塩引き鮭が硬くなっていたので焼いた。卵も10日を過ぎ悪くなりそうなので「ゆで卵」にした。里芋も貰ったので、友達が持って来た「イカ」と共に煮込んだ。とにかく食材は消費期限が切れても無駄にしたくない。この前も初体験の「エビチリ」もしたけど美味かった。トンカツ・天ぷらにも挑戦しているが、まずまずの出来だった。そして、楽しく美味しく頂いている。
今も貰った「縮みほうれん草」などの野菜、かぼちゃ・大根・白菜がある。悪くならないように新聞紙に包み保管しておく処理をする。料理に関する事は周囲の女性達に聴いて、している事でもある。
先週に復興支援の仲間が焼香に「遅くなってすみません。」と来てくれた。お土産は「高級卵」でたまご掛けご飯にはまり、3個目をお昼に食べたい。食べる事に幸せを感じて来た事は、年老いて来た事の証明かもしれない。
これから自分に何が出来るのかを考えながら、南三陸町志津川で暮らしていく準備段階に入った気がする。

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2016
12/17

今の政権の方向選択は正解なのか


都政の自民党体制が大きく変わろうとしている。私は大いに期待をする。
小池の選挙戦略は都民を引きつけ、パフォーマンスで始まりながら、単独財源の元で巨大な財政を与党自民党各派は、これまで自分のやりたいような議会運営で予算を、財源の余裕から無駄にばらまいていた状況を、小池都知事は開かれた都政を実現しようとしている。
今回、自公政権は長年続いていた体制を、公明党は解消を宣言した。公明党はしたたかでもある気がする。しかし、そんな風には見えない小池の政治がある。都議会のドンである内田氏の傲慢さばかりが目立つ現都政に、政権改変の流れが生まれつつある。これは都民にはプラスとなり、新しい東京都が誕生する予兆と私は取った。自公の都議会の過半数が崩れ、下村都自民党会長の発言も違反区議の決定も、政治体制の奢りを感じる。
小池知事の「希望の塾」の開催は、小池新党の結成で間違いはなく、来年夏の都議会選挙は大波乱が起こる気がする。小池の「七人の侍」の離党勧告が決定され、小池の後の補選で当選した若狭氏?の今後の対応も気になる。都議会の12月議会は「小池いじめ」の何物でもなく、大人げない質問やヤジに、小池の株が益々上がった。小池の都知事としての機転の利いた答弁は、都民の共感を生み更なる支持を得ている。政治姿勢の奢りは何も生まなく、これまでの悪しき政治から脱却しようとしていると期待したい。これまでの石原・猪瀬・枡添の自民とのズブズブ政権を、何も知らず見ていた自分が情けない。
民主政権下で東日本大震災が発生し、安倍政権は更なる支持を高めようと、被災地への過剰なまでの再建交付金を充てた。将来の国の国民生活の環境の確保には、無駄な経費の支出は出来ないが、ゼネコンや公務員の天下りの元に、ここにも悪しき相互利益を追求する環境がある。国民は税金を払うだけで、政治の裏の裏など知るよしもなく、私もその一人なのは言うまでもない。
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昨日はマジックが起こった。技術革新の器機の発展と、便利なグッズが次々と出ている。お客様の宛名を書いた年賀はがきの印刷で、プリンターを通した印刷で、宛名が消えてしまった。昨日は新たな取り組みの為にプリンターの別活用に取り組んでいた。そんな時のお客様の宛名が消えた大事件だった。原因は直ぐに解った。今流行の「消せるボールペン」のせいだった。書きやすいとそのペンを使用したとお客さんは言う。圧力を掛けたピリンター出力により文字が消えた。「もう一度書くからそのままで印刷してください。」との事で、一つの問題を解決した。
新しい登米市のお客さんから、メールで仕事データが届き、東京から被災地事業所の支援の仕事もメールで来ている。仕事は震災前の半分ながら、充実した仕事と生活に安堵感で一杯だ。怪我や病気そして事故の無いよう、日々気を付けて生活をしている。
今日は「148」の血糖値で、朝ご飯は卵かけご飯と、漬物を食べる。食生活も質素が一番である。こんな生活をしている国民もいるのです。もっと貧困の生活苦にあえいでいる人もいる事を忘れないで。

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2016
12/16

一時の安らぎ


午後2時に家を出て2時間で県庁第二駐車場に到着。
勾当台公園から市民広場を抜け、一番町の三越でまずはトイレに。仙台イルミは午後5時に点灯なので、イルミの仕掛けがあり、あの華やかさの欠片も無いが、これがどう変わるかが楽しみだ。
目的の印刷組合の理事会から引き続き「忘年会」の会場へ、7人のテーブルながら先輩理事の方々の、普段の生活にその会社・家庭・仲間関係の良さの話に聞き入った。父親80歳との親子ゴルフ、子供達や孫との食事会そしてカラオケ大会と、南三陸町には無い生活を羨ましく思った。
正に私は「井の中の蛙」その物だった。志津川に暮らし南三陸町で生き、100年に一度の震災大津波を体験し、その中で生き生きと暮らしている。この生活に満足しているが、県の理事の皆さんの視野の広さは学ぶべき事が多いが、彼らには無い今の自分の生活がある。「負けない!」。

定禅寺通りに戻りイルミの輝きに浸った。

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2016
12/15

20・30代の事件には本人の挫折の対処法が異常だ


写真は志津川袖浜から見える風景を撮影した。
来年には中央に「サイオーレそではま」の人口海水浴場が整備される。手前の漁港は「袖浜漁港」で、ここでこの前「船舶火災」が発生した。左の場所には「袖浜牡蠣剥き場」があったが、再建はされないままで、ここにも盛り土がされている。奥には唯一のホテルがある。
南三陸町には多くの旅館があり、「旅館組合」として10軒余りが片寄せ合っていた。志津川市街地の旅館は全てが被災し、総てが再建とはならず廃業した。以前から跡継ぎも無く、大ホテルが町にでき客足が無くなったこともあり、経営の不振が最大の原因だろう。
現在の宿泊は、志津川地区は9割がホテルに泊まり、その他は民宿と農漁家民宿となっているが、専業は1軒で他は兼業になる。そんな宿泊現状で観光地としての町づくりは、観光客への「おもてなし」は満足いける物と言えば、その思いは半分で、あとは自然と人柄の良さが客を今後も引き継げる理由だろう。
話しは主題から逸れたが、私が中学生の頃は袖浜の海水浴場で、荒島では多くの季節の恵みと遊びがあった。荒島から袖浜までの海岸線は、断崖絶壁で海岸線を抜ける事ができなかった。人を立ち入れない事で自然が守られていた。勿論、アワビ・ウニなど海藻も豊富で大きく育っていた。危険な場所ながら、ここが私は好きで良く遊びに行った。「海は怖い!」と言う事を、肌で体験し無理をすれば危険な事を知った。

「ツンツン男」「突き飛ばし男」など信じられない事件が発生している。二人は警察が逮捕され気持ちの高まりは収まった。
俳優の成宮はテレビの「相棒」の水谷豊の相手役として、大好きな俳優の一人だった。フライデーの記事から、「周囲に迷惑がかかる。」とスッパリ俳優をやめた。覚せい剤疑惑は「やってない無い」なら、無実と潔白を示せばいい。しかし、次号の記事でそれを実証するかの掲載があった。6年生の時に母を亡くし弟と二人暮らしで、弟に弁当を作って上げた生活苦を乗り越えたのに、有名俳優となり多くの金が彼を変えたのかも知れない。年末を向かう時に、ノンスタイルの一人の当て逃げが発覚した。車にぶつかり警察を呼び事故処理して貰えば、大問題とはならなかった。逃げた事で「過失致死罪」にまで車を当てた事が事件となる。「大した事ない。」「運転手が下りてこない。」自分勝手な考えが、多くの人達に迷惑を掛け、自分の将来にも大きなキズとなり、順風満帆な生活が終わった。笑いはこうして事件から「笑えない!」とファンはなるだろう。

人間には過ちはある、どう対処しその怪我を最小限にするかが、悧巧な人間だろう。「繕い」・「隠す」事ではない。

JR北海道の鉄路の継続は厳しいと言う。将来的には3分の2が「BRT」変更していくと言う。大震災での我が町の鉄路復旧は、町の鉄路再建は財源がない、JR東北の鉄路の復旧には多額の財源がかかる。これが再建に至らない理由ながら、最大の理由は利用客が無い事で、北海道の現状と同じだ。日本人の開発・発展が終わり、地方の低迷がその最大の原因だろうる

今日は仙台の会議が午後5時からで、終わってから町に出て「イルミ」を見てくる。明日は是非とも仙台の華やかさを伝えたい。被災地「南三陸町」を少しは忘れさせてくれるだろう。

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2016
12/14

誰の為の復旧大工事


志津川黒崎から戸倉折立の中間に「黒崎パーキング」があり、折立地区の入口のカーブは爆弾低気圧で、国道の冠水が年に幾度も海水で覆われる。石も打ちあげられ危険が、その度に発生した。
ホテル観洋の向かいの高台には、震災前に何度かテニスコートがあり遊びに行った。また、ヘリポートもあった。震災後にこの高台に新たな町をと提案した。しかし、この土地の利用は無く、今も手つかずのままにある。眼下にホテルがある事からなのだろうか。ホテル側の要望で開発がされないのだろうか。行政の開発には消極的だが、素晴らしい環境がここにもある。
私は町づくりを多くの場所を子供の頃から現在まで、多くの環境を見て歩き、「ここを町の為に、町民の為に利用できないか?」と町に提案してきた。早期の再建と新しい町づくりには、新しい発想が必要で、それを精査し再建に繋げるのが町の役目である。将来に可能性を託す為にも今から「種まき」も必要だ。
そこには多くの人間の目論みが見え隠れし、その土地の利用に多くの悪しき問題があった。その一つが「戸倉団地」である。
以前にゴルフ場の跡地があり、開発は漁業を守る為に企業が撤退した。その後に焼却場の建設があり、賄賂が渡ったと噂が立ち建設とはならなかった。今度は震災後に「産業廃棄物」の埋設が見つかり、高台整備の事業が県の事業であり、その発掘や処理に、町からの働きかけもあり、県が産業廃棄物の処理に1億近い予算を出した。この場所の問題は一つの企業が関わり、その会社と深く行政が関わったと私は思っている。
こうした町の悪しき慣習の元に、町の「政」が展開している。どこにでもある事なのだろうか。正義感だけでは政治は行えないのか。

ここ10年間は戸倉地区の町の議会議長が選出されている。11年前の歌津と志津川の合併となり、歌津地区の議員が議長となる事はこれまでなかった。合併は誰の為なのだろうか。是非、歌津の議員による議会議長の運営を見てみたい。国の思惑に混乱する地方自治体がここにある。

今日は意外と暖かい、朝6時雨がシトシトと降っている。これから機械を動かす仕事をするのに丁度いい。明日は仙台なので今日の内に、年末に向けた仕事を片付けたい。血糖値は「106」、ヘモグロビン数「6.7」で、糖尿は落ち着いている。

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2016
12/13

自然を知らない人間の成せる業


大震災でこれまで自然の造り上げた自然が一端破壊され、今度は復旧復興により更なる自然の姿に、人口物が建設され新たな自然破壊へと、南三陸町の市街地は成っている。
自然の回復は他安い物ではなく、広大な海の再生は人口物の容易く入れない事で、自然の回復は早い。河川の河口から1kmの復旧工事は、現在も続き復興計画期間の10年の残り4年となった。自然が元に帰るには数10年はかかる気がする。子供達が触れ合う川岸や海岸線の楽しさを知らないうちに、今の子供達は大人になっている。三陸沿岸に住み、海の怖さ・素晴らしさを知らない子供達は、ふるさとへの愛着は持てるだろうか。正に鮭が孵化し遊帰する環境は、子どもが生まれ社会で活躍し故郷へ帰ってくる事に、良く似ている。

ここにも水鳥がいた。荒廃した河口で悠々と泳いでいた。「鳥インフルエンザ」が騒がれている中で、この姿に自然との同化を感じる。何も考えなく自然を見つめられる日は何時来るのだろう。
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昨日、石巻の同級生から電話が来た。「おめ結婚しねえのか。」「イイ人いるから会わねが。」、こんな内容だった。中学が終わると直ぐに遠洋漁業船に乗った。60歳に成っても今後も乗船を続けると言う。現在の年収は「700万円」と言う。「凄い!」、子どもはと聞くと、現在大学生で後4年だと言う。埼玉医科大の4年生で、医師ではなく「新しい薬を造りたい。」と話していた言う。子どもはかあちゃん任せだからと笑う。
私には10年後の将来はもうないと、明るく前向きに生きて生きたいと話し、「お前は家族と子供にも恵まれ幸せだ」と話した。そんな彼も津波で一階まで津波が来て「全壊だった。」と言う。家も改築し石巻で暮らしいる。何も無かった場所ながら、嵩上げもしないままで、周辺には住宅が沢山建築されたと話す。
被災地の再建の形は様々であるが、「おらほの市長は何もしてくれない」と言う。石巻市は17万が住んでいたが、死亡・不明が1万人となり、震災後に町を離れた人が1万人で、「現在は15万人になです」と、石巻から来たボランティアの人の話を思い出した。

昨日は午後3時半に入谷方面へ用事でいった。志津川から入谷の仮設で暮らす人は、町の高台移転から入谷での生活再建を決めていた。入谷地区内の一つの信号があるが、停車する車はなく、高速道路の弊害を実感する。ここでの今後の商売の大変さを思う。直ぐに帰るつもりが帰りは5時30となり、真っ暗な道路を急いで帰った。「気を付けてね!」とみんなが言ってくれた。孫の子供達の可愛い顔を見て救われる。

朝6時に印刷工場のエアコンを入れ、現在は7度で、17度とならないと機械は順調に動かない。今7時にストーブのスイッチを入れた。830分から仕事ができればベストだ。

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2016
12/12

歌津上沢より友がお米を持ってきた


身体が言う事を聞かなくなっていた。運動不足がここにあり、生活習慣病の最中にあり、少しずつ体が衰弱していた。
ご飯炊きと掃除とゴミ投げが父の仕事で、こないだはゴミ置き場までの300歩の途中で、「また歩けなくなった」と言う。しばらくはその場で座っていた。94歳となり身体中の異変が出ていた。

こないだ突然に「米食べて!」と先輩が来社した。近所の方が亡くなったので、今日は休みましたと話す。93歳と父と同じ年、天寿を全うされた方の焼香に行く。最近も「逝去の連鎖」が南三陸町で続いている。

同級生の兄が60歳半ばで突然亡くなっていた。「私は大丈夫!」と言う過信があった。ひどくなるまで我慢する。こんな同じ世代の自分の健康の考え方がある。地域での先導者として震災後も活動していた。震災前は消防署員として町の防災を担っていた。
家族は「最後まで医療を尽くして上げたい!」が想いながら、それができない南三陸町の現状が有る。私の後輩も「余命半年」と診断され6か月後に亡くなった。地元で最高の医療を望む家族は当然で、我が町の中核医療が「石巻日赤病院」であり、紹介状を訴えたが直ぐには叶わなかった。
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私も佐藤徹内科で糖尿病の目を診て貰い、登米市の三浦眼科に、そこから網膜剥離の診断で石巻日赤に紹介状を書いてもらった。日赤で2回の手術を受け、かんばしくなく東北大学の先生が手術をして、設備の整っている仙台の病院へと言われ、東北大で眼下の名医に手術をして頂き、今の状態になり何とか普通の生活が出来ている。
自分の身体は、自分の思うような医療を受けたい。この強い考えの元で医師を選択する。登米市の笹原先生からは、甲状腺のガンを見て貰い仙台市立病院の県内の甲状腺科のトップの高谷先生を紹介された。素晴らしい先生たちの御蔭で、多くの身体の異常を克服できた。
ある先輩に昔、「医師は自分で選びなさい、納得いかなかったら先生を替えなさい。だって自分の身体なんだから。」と言われ、それを今も実践している。
その考えの元で母も自分の思うように、老人ホームで納得できる介護を受け、父と二人で最後まで看取る事ができた。死んでしまってはどうにもならないから、自分の周囲の意見と指導により、家族の為に最後まで尽くして上げたいがあるのに、そうならない家族の悲しみは辛い。原因が判った時は「余命1か月」だったと、人のうわさで聞いた。家族には限界がある。

今日も色々だ。

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2016
12/11

怒涛の師走

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昨日は義理の叔父の「藍綬褒章祝賀会」があり、カメラマンとして参加した。保護司として40年間の功績が実を結んだ。
刑を終えた方の更生の為に長年貢献した。叔父の保護活動は独自の活動だったと、式の挨拶の中で話す。当然の事として「手を上げる事は許されない立場」で、叔父は時には手を上げて更生への道を、理解してくれない相手を指導した。泣いて謝り頑張ろうとする相手を見て、「この人は厚生できる」と判断した。と話す。社会への復帰は大変な事であり、寄り添う保護司も辛い中で、責任を持って厚生への道を切り開く事に本気であたっていた。
「町の為に税金を払える人間になります」や、「町の震災復興でトラックの運転手をしている」など、間違いなく更生への道を進んでくれ、保護司の役目が叶えられたと、その瞬間の時の話をしてくれた。素晴らしい活動の叔父に脱帽する。

午後3時の祝賀会から、6時の同級生の移転祝い忘年会に参加した。メンバーは三一会ゴルフ倶楽部を中心にする会だった。久々に10人が震災前の倶楽部の活動の昔話しに華を咲かせた。
御馳走は家主があたり、以前に居酒屋をやっていて、どんな御馳走が? と期待をしたが、以前のままの外注だった。しかし、「特製牡蠣鍋」はさすが料理人の味だった。
友達が色々な酒を持ち寄り、「ワイン」「ビール」「日本酒」と、久々のチャンポンだったが、翌朝は気持ち良く目覚めたが、午後から吐き気に襲われた。その理由は今日午前9時半からの「地区スポーツ大会」の開催で、軽いゲームを行ったから? と今思う。今朝に我が家は初積雪の景色だった。
小学校の地区PTAが主体となった会で、地域から3歳くらい~中学生までが、ビニールバレーや卓球を地区の子供達が、町の指導員の元で楽しく運動をした。幼児から小中生が共にスポーツを通しての、顔見知りになる事で「いじめ」「引きこもり」などの、防止へと繋がる。大人も「ペタンク」などの新しいスポーツを楽しんだ。沼田地区ならず新しい東地区の子供達や、隣りの行政区から子供達が集まった。子ども達は30名を超えていた。
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最後はみんなで楽しい反省会となり、大人子供達が15人を超え集まった。ふれあいセンター長の主催で、情報の交換や子供達を知る事ができた。

今日はホテルで「クリスマス絵」があり300名が集まると言う。センター長初め沼田地域から多くの人が参加する。震災後に支援で入った「OGN支援」の企画で震災から今年で5年目を迎えると言う。被災者と支援団体の繋がりが、こうした「絆」となり今も続いていた。
沼田地区は震災でも津波の影響がない高台にあり、ここを拠点として周辺の被災地への支援をした。私も震災後に倉庫で暮らし、何も無い生活での外国からの物資をいただいた事を思い出す。

怒涛の24時間だった。年なのか疲れが抜けない。

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2016
12/10

多くの変化は行動と耳を澄まさないと

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志津川平磯地区に出向いた時の変わりように驚いた。志津川湾の海岸線の道路の紹介を、戸倉地区をしたばかりで、今度は向かいの平磯地区を写真で伝えたい。
袖浜・平磯地区は津波で小さな集落が大きな被害を受け、被災した住民の全てが移転したと言っても過言ではない。この辺で10m位の津波で被災しない場所だけが残り、その他は近くの高台に移転して今も生活しているが、人口は随分減少した。
道路と一体として堤防機能を備えた場所や、防潮堤の背後に道路が整備される。多くの地理の関係で国土交通省が、工事区分を決定している。クネクネと曲がる海岸道路は震災復旧工事により、できる限り走りやすい道路へと変わっていた。昔を知る私には、家の合った場所や海岸線が、誰の反対も無く整備される状態が今あるからと出来ると思う。
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津波前の同じ地区の先輩が住宅再建で困っていた。また、志津川中央区の事でだった。土地の整備の不良により、あんなにも住民を困らせ今があるのに、「何かあったら対応します。」との町とURの言葉の元に住宅再建をしていた。浄化層の埋設にあたり土地から硬岩が出たと、業者は工事が出来ないでいた。町に問い合わせると「軟岩です。」と言われ、その対応に困惑していた。今後どうなるかが心配だ。私が以前の立場なら直ぐに行政に掛け合う事ができたが、今は普通の人になっている。悲しく情けない。

高速道路の弊害が発生している。本吉町が判りやすい状態だろう。国道のバイパスができ、町の商店街はシャッター通りなり人影はなくなった。志津川インターができ、懸念されていた現実が起こっていた。入谷地区の398道路の通過車両が消え、戸倉地区でも車が減少し、コンビニ店が困っていて、今後どうするか考えているとの話しを聴いた。
現在はコンビニだけかも知れないが、我が町を考えると、国内の観光客や海外からの流入を構想しているが、構想通り行くとは限らない。過去から学べば確実性に欠ける気がする。日本の景気と世界の流れの中で、現状のままで景気が続くとは思われない。

ショッピングモールの三浦会長は言う、「前途は多難ながら一歩ずつ前に進むしかない」と。堅実性を求める人は町を去り、地元でないと商売がならない人たちは、この地にしがみ付き新たな可能性を模索し、前に進むしかない。私も同じである。「子供に自分のような苦労をさせたくない。」と親は考え、町の現状はここまで疲弊してしまった。可能性がある限り頑張るしかない。

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2016
12/09

遠くに行きたい


志津川ICが10月30日完成し、1か月半を迎えたが、入谷地区の車の交通が激減した。震災後に入谷地区に建設されたコンビニも経営的には大変だろう。地区民の利便性もコンビニ閉店となると、若い世帯や子供達も不便を感じる。
昨日も仕事で登米市に行った。好天に恵まれドライブ日和ながら、志津川小森地区からの高速は、山を切り開いて造ったもので、多額の建設資金と自然破壊がある。今年初めての山には積雪を見つけた。気になったのは森林が無駄になっている気がしてならない。また立ち枯れが目立ち「酸性雨?」なのなかーとも感じた。
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石巻までの高速だと「5分短縮」があり、大きなメリットは私は余り感じていない。登米市までは「10分短縮」となり、車利用者は多くの商品選択と余暇を過ごせそうだ。
高齢者を抱える家庭は、石巻市・登米市などの圏域は生活がし易いと強く感じる。交通の短縮は両親をふるさとに置いても、いざと言う時には直ぐに帰れる高速のメリツトがある。

鳥インインフルが宮城を除き東北で流行している。そんな中で登米市の高速の両岸の水田には、多くの野鳥が飛来していた。これ以上の流行でクリスマスに向かい、鶏肉が高騰しない事を願いたい。
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今日も忙しい一日となりそうで、週末も多忙を極める。決して仕事での忙しさではない事を言っておきたい。町は一部で疲弊を続けている。誰が復興と発展に向かっているのだろう。

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2016
12/08

寒い冬が被災地を包む


一昨日は眠れず3時30分に目覚め、無理に眠ろうとせずに自然に任せた。5時には布団を出てパソコンに向かった。7時に外に出ると西向きの車のフロントガラスは、しっかりと凍りつき車を移動させ東向きにしたら、朝日に自然とガラスの凍りつきは消えた。初冬の寒さの中で太陽の暖かさを実感した。
9時の日赤病院の診察予約で8時には家を出た。横山・津山で用事をしながらも1時間足らずで病院に着いた。診察は45分で終わり病院を出られた。自由に車で移動できる事の生活の楽さを感じる。
ヨーカドーへは「クリアファイル」を50枚購入する事が目的だった。玄関のシクラメンが綺麗に咲き、その美しい花を「携帯」でパチリ、すると係員が来て「撮影は了解を得て下さい。」と言われた。私も「何も知らないおじさんの行動をとってしまった。」、すみません。スーパーはやっぱり安い! 産直で一個100円のサツマイモが3回りも大きい物が「98円」で売られていた。そして、土曜に買ったサツマイモが半分腐っていた。地方の直売所も商品管理をしないと、お客さんの信用を無くしてしまうと感じた。我が社とて商品の管理への厳しさが大切と思った。「被災者だから」はもう通用しない時期にきている。
ヨーカドーの「宝くじ売り場」に目が止まる。震災後に「復興宝くじ」が発売され、1万円買い求めた。外れても役に立つならと購入した。勿論はずれである。宝くじの当たる事など信じていない自分であり、その後は買っては居ない。将来の不安もあり浪費をできる限り排除している。
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今朝、スマトラで「M6.5」の地震が発生し、これまで90人の死者が出て今後増えると言う。パキスタンで航空事故があり全員死亡した。日本と同じでインドネシアの地震での津波が今も脳裏にある。自然災害の巣のような島国で条件が良く似ている。
今朝の記事で「情報まとめサイト」があった。ネット上の情報をまとめ公開する。無料で情報が手に入る。ネットの危うさがここにある。ブログ・ツイッターなどから確認も取らず、情報を取ったり、手を加え発信する無料サービスだと言う。
こんな問題が発生していた。病院の医院長のブログから「やけどした時の対処は濡れタオルを巻く」とあった。名前を出された先生の所へ患者が行き発覚した。対処法の間違いはライターが書き加えた部分だったのか。腕のやけどは巻いたタオルが癒着し大怪我と発展していた。「DeNA」の事業で全てを非公開にし謝罪をした。まだ若い事業社長の新事業だった。別会社でも同事業があり、自粛の方向へとネットへの警鐘となった。
昨日の党首討論の自民の安倍と民進の蓮舫があり、厳しい質問にも冷静な総理の対応に、これも「数の論理」があると思った。多くの野党の議案が安定多数の政権の中で、次々と可決されている。我が町とよく似ている。12月定例会が始まり、昨日の新聞には後藤氏と及川氏の質問が掲載されていた。しかし、議会に対する町民の関心は薄い。

とにかく日々の事件・出来事を見つめ、自分の肥しとしたい。してはいけない事、災害時の対処と、攻撃からの防衛など、今後の生き方に応用したい。

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2016
12/07

前世から学べと「君の名は」言う

自分自身の事は以前よりは考えるのはやめた。現在の社会保障で今後の給料が下がった時には、厚生年金で年間16万円、国民年金で4万円支給額が下がると言う。物価が上がってもと言うがら、高齢者の年金生活者は大変だろう。介護保険料も病院の窓口支払いも引き上げが検討されている。子ども達も親との生活を諦め、生活できる都市部へと移転している。60歳を超え大変な時代を私たち世代は生きる、「なるようになる。」ケセラセラだ。
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戸倉小学校のあった場所に行って見た。あの時から土が盛られ削られを繰り返し、現在は写真のような風景が広がる。子度たちを避難誘導した教師の「直感と機転」で、大川小学校のような悲劇を回避できた。当時の先生たちを讃えてはどうだろう。学校防災について講演して貰ったら良いと思う。
大きな仕事をした学校裏の高台と神社も、何事も無かったように今もその場所にある。自然の前世からの繰り返し今もある。こんな軌跡を生んだ場所への保存や石碑など、行政にも地域にも自分の生活が今は主体と、こうした将来へ繋ぐ活動は、南三陸町は今は皆無に近い。「君の名は」の映画は、こうした過去の出来事を後世に繋ぐ事や、出来事を記憶や奉納として、言い伝えを守っている。
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気仙沼市の津波遺構の「向洋高校」は今も津波の被災のままで保存されている。私は心配なのは町の津波被災記録は残しているか。「震災をそのままに!」の構造物は残しているのかなど、行政が震災の風化防止や将来に繋げるなどの、「津波で消滅と言われた町」をどう保存していくかが、我が町には無い気がする。震災復興交付金は新しい町づくりだけに費やされ、自分の想定外の「負の遺産」を全て消し去ろうとしているかのようだ。

町民の方が町の事業を指摘してきた。社会福祉協議会への寄付金の全世帯の募金だ。現在は「1500円」だと言う。他の自治体では「500円」「1000円」などと言う。任意の募金ながら「出さない!」ことは、他の人たちが皆出しているからと、「私は出しません!」と言えない風潮があると言う。高齢者の年金生活者の増加する町にあり、「社協」への補助金を町は増額すれは問題は無い。町の税金の財源の使い方に意義を言う人も少なくない。しかし、面と向かい指摘する人は数人だろう。
こないだも志津川IC開通式での記念写真があり、新聞を見たらテープガットの姿は、全員がしっかりポーズを取っていた。それなのに地元の代議士が頭を下げた広報の表紙は、どうなの・おかしいと思わないの、と町に指摘するのは私だけだったと言う。行政への問題の指摘は、町からの会社の圧力に成り兼ねない。それを恐れる事はもうない。そんな町民の意識が「行政への意見」が無い事は、町の改革が進まない理由だろう。

行政の提案の「報酬アップ」は、職員ならず議員も同じで、この議案は議会の賛否で接戦なから承認されている。町民が苦しんでいる中で、震災復興計画が終わるまで、何で今年の増額なのか不思議だ。町民が困っているのに自分の利益は自分が造りだす。こんな形がここ10年続いている。もう一つ、職員採用にあたり、町の試験を落ちた人が、気仙沼での職員となったり、仙台の消防の職員になったりしている。適正な町の職員の試験採用なのかも疑問に思ってきた。

町で起こっている事を人から聞き、何とかそれを行政にぶつけていきたい。

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2016
12/06

100年に一度の津波防災


こないだ「昭和の南海地震」での四国高知を襲った津波が22mで、甚大な被害が発生した。とテレビで放送していた。そして現在「3.11」から、日本国民の津波防災への意識が高まっている。
南三陸町を襲った津波も最大「23m」となり、沿岸の市街地や集落は地域によって津波の高さは違えど、総てが流失してしまった。大波は明治・大正・昭和と葯100年に一度の割合で発生し、震源地の場所と襲来した場所により、津波の大きさも全部変わり、津波防災の難しさがある。
町内を走る国道は2本あり、だいたいが「8.7m」の高さの再建を目指している。戸倉地区の津波防災の姿が町の浜を守る形で、防潮堤と国道が一体となり津波襲来への対策が講じられている。国道と防潮堤を一帯がする事で復興資金の削減になる。しかし、町内には津波の達しない道路はそのままで、その前に防潮堤の8.7mを建設する場所がある。こうした建設現場を見ると、政府の「国民の血税」の無駄遣いと感じている。
写真は戸倉地区で波伝谷から水戸辺に向かう道路で、波伝谷地区は全ての家々が流失し、戸倉団地とまやま団地に別れて住民が高台移転をした。漁民も多く「仕事場が近くに欲しい」などにより、住宅再建場所を考えている。
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対岸に見えるのは志津川市街地で、市街地はもう無い! 以前あった
5m程のチリ津波の対応した防潮堤が小さく見える。これから想像しても今回の道路と防潮堤を併用した復旧が、望ましい。多くの3.11で被災した海岸線に整備されれば、大きな震災復旧費が削られると私は思う。

多くの先人の営みが土の下に消えた。自然の驚異に追われ人間は内陸へと追いやられる。しかし、津波の脅威も忘れ、また、人間は海岸へと生活の場所を移動する。これがこれまで繰り返された、人間の営みの根底にある。
南三陸町の「職住分離」は、この流れから大きな変換となった。もう、低地には戻れない。高台に「終の棲家」を建設したからだ。将来、未来には「これで良かった!」と思う日が必ず来る。鋭い痛み、苦しく悲しい、こんな経験が大きな変換へと向かわせた。

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2016
12/05

日曜日の有効活用

今朝7時10分ごろ、志津川袖浜漁港で船舶火災発生と防災無線が伝える。年末に向けこの寒さは多くの三陸の恵みを育む。震災から国の事業の「がんばる漁業」での国県管理の水産業の支援の中で、今年より震災前の自己での生産による漁業が始まったばかりだった。多くの問題が発生する中で、厳しい漁業が始まり今日の火災が発生した。今、「鎮火」の放送があった。

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8月16日の母の逝去から多忙の日々が続いていた。戸倉団地の進捗が気になってしょうがなかった。昨日やっと戸倉折立地区の折立橋を渡り、戸倉地区の復興拠点に行った。好天の中で戸倉団地では、散歩をしたり、グランドゴルフで身体を動かすなど、普通の生活が始まっていた。
住宅建設の速度は想像を絶するほどで、日曜なのに現場には大工さんが仕事をしていた。「年内に」「年度内に」など被災住民の早期再建希望に、多くのハウスメーカーが努力していた。
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何も無い日曜日は知人の生活状況を聴きに行った。津山から移転し災害公営に入居した元従業員は、仮設入居が徐々に減少する心細さから、体調を崩しかれていた。入所した災害公営復興住宅は南向きで日当たりもよく、ベランダが広くて洗濯物が良く乾くと言っていた。この日は子供達の芸能祭がアリーナであったが、行くのが大変と言う。しかし、「人の集まる所へは出ると気持ちも落ち着くから。」と助言をした。
悪友もやっと新築が終わり、引っ越しや収納品の配置に大わらわだと言う。ここまで来たのだから一歩ずつやった方が良いからと伝えた。その内に「新築祝い」の酒を持って行こうと思う。町の住民の再建新築にあたり、現在は上棟式などの改まった事は、再建住民はしていないようだ。
浜の集落に住宅建築を進めている同級生は、年度内の完成を目指していた。自分の生活の方向性が見えてきて、他の同級生の移転・再建の情報を聴きたいと、昨夜電話をくれた。彼も「バツ一」で高齢の親を抱え将来を心配していた。「なるようにしかならないから!」と、今後への生活を前向きに考えていた。
叔父の藍綬褒章の祝いが12月110日にある。その功績と活動に頭が下がる。間違った事にははっきり違うと言い、困っている人の為に各地を飛び回り、宮城県曹洞宗宗務所の副所長として全国を廻っている。お寺の後継者の問題も、自分の事よりも他の寺の事に気を配っているようだ。もう70歳を迎えようとしている。以前は町職員として税務課・福祉課・公民館などを務め、保護司となった。公務員を定年前に退職し寺院と卓球協会などのスポーツの役員、PTA活動で地域に貢献した。

経歴と役の多さに驚いている。尊敬できる叔父の一人です。

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2016
12/04

気配り心配りが足りない町


一昨日、石巻のお客さんに配達をし、晩御飯を食べている時に携帯が鳴った。
「あの町広報の写真なんなのや!」と叱りの電話だった。志津川インター開通のテープカットの記念写真で、地元選出の小野寺代議士が頭を下げた時の写真が掲載され、その写真の顔を下にした写真を使うとは何なのか! だった。小野寺さんは温厚で決してこれぐらいでは騒がない事を知っている皆さんがいる。小野寺さんに助けられ、三陸沿岸漁業への政治活動をしているのに、配慮に足りない行政の広報に怒るのだろう。
こないだもロシアに拿捕された南三陸町民の乗船した船の、解放への活動は岸田外務大臣や小野寺五典代議士、桜井充代議士の、ロシアへの交渉で短期間のうちに解放が叶った。こうした活動への感謝の気持ちがあるのに、行政職員として開通に出席された事への感謝と、三陸沿岸の漁業を守ってきた小野寺氏の事を知らないのか、適切な判断の出来ない体質を、将来の不安へと繋がると私は感じる。
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その怒りは収まらず、行政にも町議員にも抗議の電話をしたと言う。私もその真意を聴きたいと思っている。小野寺氏事務所への謝罪を担当課の企画課長も、町長も直ぐにするべきと思う。寛大な政治家で決して怒る姿をテレビでも見たことがない。地元の漁民の信頼も固く、震災復興でも地元の先頭に立ち活躍している。
被災町民への寄り添いや気遣いは言葉ばかりが先行している。商工・観光の復興が優先と言い、住民の生活の安定と心の平安は、高齢化への健康不安、収入源の生活苦など、これを取り除く町独自の政策が必要だ。それは資金だけではなく、寄り添う活動をどうするかにある。人との交流の場を造り、話を聴く体制の構築に心の安定が繋がる。経済効果を目論む考えには、成功と失敗が交差する。

日本維新の会のあの隆盛は何処にも感じられない。現代表の松田氏は昨日の発言に「バカ民進党!」と叫ぶ。野党となった弱小民進党をここまでけなし、党独自と言いながら与党に添った政策は、国民は指示しないだろう。橋下なき維新は今後衰退を予想する。発信力を持つトップが見当たらない。
政治は面白いと思ったが、変革なき政治はつまらない。

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2016
12/03

町の水産業を守ろう


高齢化や跡継ぎ問題など南三陸町の水産業従事者の数が減少している。商店が営業出来る根本に、生鮮魚介類の確保がある中での、この現実に対策を講じないと、将来への町経済への影響を懸念する。
林業は「三陸産材」のブランド化に成功し、住宅建設ラッシュによる、需要の拡大があるので林業の安定を感じている。しかし、大震災や東京五輪の需要の拡大の好景気が何処まで続き、町への経済・税収の安定を生むかと言うと、10年と言うキーワードが大きく関係する。人口が1万人を切り、日本の好景気が終わる頃となと、その時に町経済はどうなっているかだ。

昨日は南三陸町志津川の「牡蠣処理場」に、長野のネギと広島「愛の福袋」を届けに行った。11時ごろなら仕事も落ち着いているだろうと思ったが、作業は既に終わっていたので、関係者の方に渡してきた。今日は南三陸牡蠣の消費者の方々が「炊き出し」に来てくれると言う。震災を通し「生産者と消費者」の繋がりが蜜になっていた。
しかし、世間の話で生産者の高齢化があり。「頑張る漁業」の終了により、漁業の場から引退された方が多数いると聞いた。今後の町の漁業の縮小は衰退へと繋がらないか心配だ。これまでは当然のごとく家督が漁業を継ぐ時代から、子供達の生き方を尊重する時代の変換期が、20年以前から始まり、私の同級生も牡蠣生産者の中心だった、父の仕事から離れ、両親も「私で終わり」と言う話に寂しさを覚えた事を思い出す。間違いなくこうした状況が今後も続き、志津川の伝統水産業の衰退を予感する。
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「辛い」「苦しい」「寒い」など、多くの厳しい環境に子供を携わらせるのは、親として進められないがある。また、苦労する割には収入に恵まれないなど、牡蠣水産業がある。「牡蠣剥きの自動化」が出来ない現実の中で、昔ながらの手作業での生産がある。

その生産者の一人の知人の母が亡くなり、今日の葬儀だと言う。大雄寺に参列したいと思っている。
町の行く末に不安ばかりが町民に圧し掛かり、希望も夢も復興へ向かう中で厳しい未来が待っている。年を取っても静かに心配する事無くこの町「南三陸町」で生き続ける事の難しさは、日本全体の問題でもある。

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2016
12/02

長野県飯島町の「宮澤さんありがとう


「ありがとう。」「イイ香りだね。」と、嬉しい言葉をたくさんもらった。これは私の活動に対する御礼だろうか。
昨日は、長野県の飯島町マジック南三陸町支援で来町された宮澤さんの、今回で10回目となる長野のネギの物資配布での声だった。初夏のジャガイモと、晩秋のネギを5年間送り、仮設など被災者の皆さんへと送り、それを受け皿となった私が配っている。
今回は志津川地区の東地区の東の「災害公営住宅」の皆さんに配る事とした。しかし、チャイムを押しても留守宅が多く困っていた。集会所で何か開催されているのではと行って見た。関係者が「コンサートを開催しています。」と言う。終了は4時15分で10分待っていた。終わってから多くの方が出てきて、「ネギいりませんか。」「物資です。」と言うと、「物資なんてあるのですか」と言われた。「長野の太いネギですよ。」と皆さんに渡した。
その時の言葉が「有難う!」だった。多くを新聞紙に包み5~6本を30個以上持って行った気がする。集会所からは次々と出てくる。車に何度も戻り取りに行くと、皆さんは待っていていれた。皆さんから感謝の声に喜びでいっぱいだった。
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集会所ではコンサートが開催され、朝日新聞の支援によるものだったと言う。まだまだこんな支援活動は被災地に必要と思う。地域コミニティーがまだまだ始まらない中で、何かを通して人が寄り合う事が、新しい地域に新しい繋がりを生む。戸建・集合住宅など東の東地区で111世帯の住民が住んでいる。

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