ARCHIVE - 2016年11月

2016
11/30

町の整備が進む中で町民の死亡者が多くなった。


志津川地区の水尻川を上流に向かう道路向かいに、南三陸斎苑がある。震災時にも被災し架かった橋を渡り火葬場に何度行っただろう。現在は仮橋の建設が進んでいて、強固な河川堤防の整備と共に復旧工事が進んでいる。「原形復旧」は被災者が工場再建での原則にあるものの、行政と地元大企業は別のようだ。
毎日のように高齢者と予備軍が亡くなっている。終わったと思った死亡の連鎖が今も続いている。親戚でも他の地で暮らす、子や孫の出生の声は聞こえる物の、地元での身近な出生は皆無である。石巻の産婦人科さん話を聞くと、「被災前に戻った」とも聴こえてきている。南三陸町は独身者の数は益々増えて行く。行政がタッチしないと又、政策・対策の遅れは町が消滅都市に近づくように感じる。

防潮堤と被災地の嵩上げは、津波襲来の程度により、津波のメカニズムを考慮し場所によって違う。気仙沼市は市場の背後地に5m1.数キロを湾内に整備をすることが県より説明された。景観を考えた観光地の実情がある。南三陸町は入り江であるが為の、津波増幅の観点から通常は8.7mから、市街地は10mとなった。歌津地区は5mの嵩上げで商店街を整備する。道路は8.7mの整備で進んでいるものと思っている。

日本に異変が発生している。「鳥インフルエンザ」のH5型で、広範囲で飼育している鶏・カモが死に、業者は飼育の鳥を全部の処分が始まっている。野鳥の死も至る所で発生し、対策に国は頭を痛めているだろう。毎日のように「五輪会場問題」と「韓国大統領問題」が報道であり、アスカの覚せい剤や広がりつつある大麻の汚染を伝える。
社会保険制度が新たな局面を迎える中で、報道は皆無に近く、国民が知らないままで制度が決定されそうだ。社会経済の状況を踏まえないままで、年金が減らされる。

南三陸町の9月の死亡出生は、誕生が2人で18人が死亡した。人口の減少阻止は子育て環境の整備と行政は、あの手この手で今頃対策にあたっている。3世代の同居が当たり前にあった、町の家族構成はとっくに崩壊し、震災後に残った3世代家庭も安定生活を求め、町からいち早く他所に移転した。町のくい止め政策もしない中で、今頃には遅い。震災復興はハードの面だけに留まり、将来への対策を講じなかったツケが今、人口減少を加速させている。英知の結集の役場職員は、多くの幹部職員の殉職で、自分が主体と言うトップの考えに影響され、全国で発生している職員・教員の不祥事の発生をも今後は繋がりかねない。公務員の本質と意識の改善が必要だ。
職員も一部の派遣職員も、来町者への「会釈」の少ない環境は、指導者の意識の欠如にある。今日も何人が対面した時、会釈をしてくれるだろうか。
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2016
11/29

人の住まない市街地づくりが6年目と近づく


志津川中学校仮設に行った時に撮影した現風景です。向かいの高層団地は志津川西区の「災害公営住宅」で、既に入居が始まっている。こことて空き室が、住民の希望数で整備されながら、総てが埋まっている訳でも無い気がする。その隣は前々町長時代に整備された「旭が丘団地」で200世帯の人が入れ替わりながらも、志津川地区の住民が暮らしている。私は今回の災害で初めに逃げた場所がここで、私の同級生も新しく「終の棲家」として、また一人と加わった。
以前の市街地は祈念公園が整備され、農地として圃場が進んでいる。その他にも人の住めない商店街が誕生する。駅も無くなり賑わいの場所は、人の住めない以前の市街地となる。立派な巨大な河川堤防は町のライフラインを守ると言う。高齢化の中で町から離れられない、どこらも行けない町民の数だけが今後増していく。新たな生活スタイルは、生活・買い物弱者の救済を考慮した、行政の対策が必要となる。現在は、健康確保を進め医療費と介護費の増加を抑制するために、町の政策が実行されている。町職員の増加へと繋がっている感じだ。
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震災後に知人が住んでいた中学校仮設の1号棟には、今は誰も住んでいない。50数カ所の仮設は現在集約が進み、6月にはだいたいの住民は新しい住家へ移転する。諸々の事情で移転出来ない被災者の為に、その後一年間の猶予を町は設定している。

ASKA、信じていたのに、自ら110番したと言う。盗撮・盗聴・死への願望など、覚せい剤の影響なのか? 誰かに頼りたいが「警視庁」だったのか。あまりにも悲し過ぎる。一人では生きられない現実がここにあった。

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2016
11/28

何もない日曜日だったのに


人との出会いを大切に、その話に耳を傾け自分の見識と視野を広げようとしている。昨日も友達が南三陸町で活動する方を紹介してくれた。その方は入谷地区でボランティアを続け、町内には未婚者が多い事を「何とかならないか?」と考えていた。
是非、紹介されたので町の結婚状況を伝え、活動の輪を広げたいと思っている。色んな出会いで人との繋がりとなり、町の未婚問題も一歩進むかも知れない。
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午後に友達の家に行き、獲りたての大根を頂いて来た。家にあった20日も経つ大根を整理しようと思ったら、固くなり食には厳しい状況だった。それを期に冷蔵庫の古い物を思い切って処分した。
そんな後で貰った大根を「ふろふき大根」にした。米を入れ大根を炊き、冷蔵庫の隅にあった味噌を出し、酒・砂糖・味醂・しょうがを入れ、「味噌だれ」を作った。砂糖を入れ味見をし、継ぎ足しの砂糖の量に驚いたが、美味しく大根をいただいた。
一週間ごとに台所の排水口と三角コーナーを掃除している。義姉が「これを使ったら」と、カバーを買ってきてくれた。父は炊飯器を洗う時残ったご飯をそのまま流し、一週間もするとカバーに溢れ、排水溝が流れず流しに水が溜まる。一週間の締めの日曜に「掃除の日」としている。
町の上下水道は津波で壊滅的な状況となり、今は家庭排水は各の家々で「浄化槽」を設置している。現在は「ラムサール条約」の認定に向け、自然環境の保全があり、鮭の遡上する町に向け、綺麗な河川になるよう行政は、家庭への指導を強化している。
以前は「川が臭い」「ゴミが浮いている」など、川への汚染が続き町民の川への考えが低かった。山のミネラルが川から海に流れ込み、牡蠣・プランクトンなどで魚貝の成長を促し、食物連鎖で豊潤な海となり、町の基幹産業を維持している。全町民がそんな意識で生活をする事で、町はこれからも自然に恵まれ、これからも生き続けられる。
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地区のスポーツ大会の案内を作成し、大坂の東大阪支部との友好締結により、大坂に依頼された原稿を仕上げメールで送った。行政の依頼の賞状制作は町に書家がいない事に困った。多くの人が町を去り、高齢化で静かに余生を暮らす人が多くなった。コミニティー再生の先頭に立つ人も少なく、同じ人が多くの活動に参加し、偏った人用が町では続き、多様な意見の無いトップの指導のままに進む、改革の無い町になり下がった。

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2016
11/27

ウソ―!」

私よりも10歳は若い、今後の漁業を担う盛年が亡くなっていた。震災で被災し両親を亡くし、家族で多くの困難を回避しながら頑張っていた。そして今、多くの悲しみの中で新しい生活へと、何とか前に進む姿に涙した。
「スソー」は、私があの大津波が町を呑込んだ光景を見た時と同じ言葉で、その衝撃を表すのにこれしかなった。なんでこんなにも不幸が重なるのだろうか。神様は何を家族に与えるのだろう。残された家族をこれからは暖かく守ってくれ! 「お願いだから。」
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昨日は午後2時からの「第2種船舶免許更新」に気仙沼の市場三階に行った。屋上からの気仙沼湾は天候に恵まれ、向かいの大島と碧い海が広がっていた。漁船が船体を休め、向かいの造船所では大きな新造船が造られていた。震災の3.11から何日か、この湾は火の海と化した。2000人を超える市民が亡くなり、あれから5年9か月を迎えようとしているが、被災地気仙沼市は広大な市街地が被災し、一歩ずつ復興へ進んでいるのだろうが、その道はまだまだ遠い先だ。そんな中で命の道と言われる「三陸道」だけが、順調以上のスピートで北へと建設が進んでいた。
震災を利用した政府のゼネコクへの仕事のばらまきのように見える。高齢化が進み生活困窮者の救済と、地方の都市を守るには何をするべきかを、本質で考えた政策を講じて欲しい。三陸道はどれだけ消滅都市・過疎地を守ってくれるだろうか。観光立国というが、日本の地方都市の維持をしていけるだろうか疑問だ。世界の日本の景気は今後どこまで進むと言うのか。
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我が町の河川の工事を見ると、河川堤防の必要性は判るものの、川を大きくせき止めたり、長期に渡る工期が鮭の遡上に大きな問題を発生させている気がする。八幡川・水戸辺川・水尻川は、町の川サケ漁の中心であり、孵化目的の採取では欠かせない。鮭は自分の川へ戻る習性があり、鮭の遡上が少ないのは復興工事に寄る問題がある。清水浜・折立などの河川堤防の巨大工事も必要はない。気仙沼市の大川は以前の護岸のままで復興工事をしている。
気仙沼市は小泉川・大川の鮭遡上の復興工事には、鮭遡上は妨害する物はなく、震災後の放流も順調で、今年も捕獲・採卵は順調と言う。我が町は震災時に放流したが、近隣の鮭ふ化場からの稚魚を調達し、放流を行った経緯がある。その影響は無かったのか?
現在は鮭の確保は目標の2割にも満たないと言う。刺し網や定置網の網揚げを希望している。漁民の生活もあり無理には出来ないだろう。工事方法の気仙沼の違いは、海の状況と鮭の遡上のメカニズムを知らない、商人の考えがあり、もっと漁民と懇談を重ねた復興工事を行うべきと思う。
鮭の遡上をしない鮭の採卵・放流による回帰率を調べ、来年からどうすべきかを漁民と商人で将来に向けた議論を、今から始まった方が良い、結果の出る対策をだ。。鮭の確保に寄る全国的に有名になった「キラキラ丼」の、継続を確実な物にしていく為にも、利益よりも自然の維持に力を注ぐべきと思う。被災地「南三陸町」の復興計画には多くの失敗を感じる。


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2016
11/26

昨日の行動と出来事


移転した自宅前に26年4月に「白オリーブ」の木を植えた。何の世話もしないで昨日見たら、赤い実を付けていた。花木の自然の力と厳しい中でも実を付け、将来の為に生き続ける姿に感激する。何事にも感動し涙もろくなったのは、年を取った証だろうか。
長野県飯島町の宮澤さんの気持ちを込め作ってくれた、被災地支援のネギを昨日から配布を始めた。「こんなにも!」「立派だね!」と皆さんが喜んでくれる。配布しただけなのにその笑顔を見れる事が嬉しい。今年の冬は寒く、既にインフルエンザも流行っている。そんな時は「鍋に野菜のネギ!」、身体の中からホッコリします。
私の未熟さを剣道の恩師に学ぶ。中学校から学校に来て指導をしてくれた。小山教士七段は、私よりも10歳年上で今も現役で中学校で指導をしている。その他にも書道教室をしていて、多くの子供達を書道の有段者として生んでいる。また、長年民生委員として町への奉公もしている。私は諸々の事情から20年前後続けていた、剣道の指導を引退する事を先月に決めた。小山先生の足元にも寄らない未熟さを実感する。小山先生は今も仮設で暮らし、自分の人生を謳歌し真っ直ぐに生きる姿に、学ぶべき事がまだまだありそうだ。
忙しい一日となった昨日は、多くの私と会社を信頼してくれる方々と触れ合った。「ネギ配布」はそんな機会を作ってくれた。
そんな時に奴が来た。中学時代のライバル意識は、60歳を過ぎても健在だった。互いに今も一戦で何とか活動している。今の子供達に聞きたい「ライバルはいるか?」と、自分を磨く上で互いに競い合う事は社会に出ての肥しとなる。「そして互いに助け合う事」が、日々の中で生きづいている気がする。また寄って下さいネ!
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大衡村の前跡部村長のパワハラ・モラハラがあり、震災後にこの不祥事がスキャンダルとして大々的に報道された。一人の職員が悩み苦しみ「本人の告発」で明るみとなった。先ごろその後の報道があり、彼女の村長から受けたパワハラで、精神的な被害が「公務災害」に認定された。こうした事は、全国の自治体で沢山あり氷山の一角だろう。大企業「電通」の過剰労務に苦しみ、22歳の女性がその苦しみの末に、自らその命を絶った。上司の命令に反発できない社風があったのだろうか? あの広告業界の「電通」の、優良企業ゆえの「奢り」がある気がする。また、千葉県の自治体では、長期自治体の長としていたトップが、職員の数百万円の公金横領に、特段の便宜で今も職員として勤務を指示した。あり得ない長期のトップ君臨の職員へのなれ合い体質の現れと、世間の報道は伝えた。
宮城県議会議長の選挙があり、前自民系の会長が、会派を離脱し選挙に立候補し、野党の議員と接戦で再度自民系の議長が再選された。25票対22票で野党の候補を抑えた。今回の選挙には、気仙沼・本吉選出の新人県議も立候補し9票を取り、この立候補により接戦となった。こうした新人議員の行動を私は絶賛したい。
長期政権の政治はなれ合いと緩みが生まれる。自分の為の政治へと突き進む、これを戒める事ができるのは、一票を投じる国民でしかない。

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2016
11/25

主食は野菜と心掛け


40年前は自宅にシイタケの菌を木に植え、その成長を見ながら収穫し食卓に上がった。そんな思い出を今も持ち、生協の注文にそんな商品があり、10日前に開封し説明どおりに育てていた。現在は写真のように木の全体にシイタケが成長した。4日前に収穫し「シイタケ焼き」と「汁のも」にして食べた。身は薄い物の採りたてはさすがに美味かった。
プランターには今も収穫とならなかった中玉トマト、今頃になって赤く色づき、食べたらまあ美味しかった。無駄にしたくないとの思いが強く、残り5個で赤くなったら食べようと思う。

今年も長野県飯島町から宮澤さんの「ネギ」が届いた。仮設からの退去が進み、どう配布しようか考え、「ツイッター」「フェイスブック」に投稿したら、一件「食べてみたい!」とメールが入った。今日にも持って行こうと思っている。
仮設の半分以上は40%以下となり集約が進み、まだ移転先の住宅が完成しなかったり、何処になるか決まっていない人もいるが、残っている仮設には何回も配布している。そんな事もあり災害公営住宅の集合住宅を、一軒ずつまわろうと考えている。一人での配布は時間を作らないとできず、この週末の日曜日を予定している。「愛の福袋」も少し残っているので、欲しいと言う方に届けたい。
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昨夜は沼田地区の「スポーツ大会」打ち合せが7時から集会場であった。子供達を地区で暮らす住民が見守る、そんな親睦会であり、地域の子供達の団結と交流がある気がする。この環境は私が以前暮らした本浜地区でも有った。低学年を高学年が待ち一緒に登校し、子どもの足で30分は歩いての通学だった。現在は、街中は被災地で工事中とあり、「通学バス」で子供達は通学する。そして問題点は「体力不足」があり、被災地の子供達の運動能力の低下が課題となっている。
そんな中で志津川地区では、高台移転団地となった東地区から中央区を通り、西地区まで「高台横断道路」が28年度内に完成をする。そうなると対象地区の通学バスを廃止して、子供達がこれまで同様に、集団登校で日々体力をつける事となるだろう。
18歳以下から小学生までは、「ゆとり生活」の中で、競争心と闘争心に欠け、社会に出ての環境になじめない子も多いと聴く。
将来の町づくりの担い手は、精神的にも体力的にも強くないと、これからの社会の競争には勝てなく、生活のゆとりや普通の生活も自分で造れない。こんな状況打開の為にも、早期の震災復興がないといけない。

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2016
11/24

過去と未来に夢を馳せて


23日勤感謝の日の祝日、友達が「二本松菊人形祭り」のチケットをゲットし、誘いを頂いた。
南三陸町を9時に発ち二本松へ、高速を常磐道まで行き過ぎ、引き替えし南部道路から東北道を通り二本松ICで下り、下りてから7分足らずの場所に城跡の会場はあった。最終日とあり周辺の地から、多くの来場者が集まっていた。
指定公園の中に設営された飲食場・物産販売店は、合わせて7店舗の質素なものながら、みんなが片寄せ笑顔で来場者を迎えていた。多くの種類の名物生菓子があり、どれもこれも地元産の手作りの産品が並んでいた。総ての建物は解体すると言う。この時期だけの観光客の誘致の1か月間ながら、二本松の紹介には最高のイベントと思った。
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私が二本松の菊人形祭りに以前来たのは、契約仲間の旅行だった。かれこれ30年前になるが、今回と見たとおりの展示会だった気がする。「城ブーム」の中で、石垣・白壁・木造の姿は、入口の門に見る事ができた。
今年は古き伝統建築の二条城、清水寺など、京都の旅でも古き物の良さを肌で感じて来た。今年も後1か月チョット、多くの旅をした平成28年だった。
激動の28年度は全国での震災が多発し、台風・低気圧など異常気象の一年と言える。今日の朝も福島沖のM6.1の地震が発生し、エリアメールは津波情報に注意して下さいと言う。「備えに越したことはない!」が、「異常に反応」する事もない。被災自治体の一昨日前の津波発生で、気仙沼市は大きな混乱になったと報道は伝える。
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宮城県議会はどうなっているのか? 2代続けて議長が政務調査費の流用で辞任した。6か月の今回の議長の事件発覚は、「3000円」の使途を「4500円」と1.5倍にし、白紙の領収書に「妻が勘違いして書いた。」と、子どもみたいな説明をしている。前回議長も個人のパソコン代金などを政務調査費で払った。「領収書は見つからなかった。」と弁明していた。こうした県議の資質としては最低な人材が、地区から選ばれた県会議員となり、地区民の一票はいったい誰の為なのだろうか。子供達の将来や高齢者の安全安心な生活の構築にと、その役目は重大である。県民として実に恥ずかしい限りだ。

政治家は素晴らしい人間が多い中で、金目当ての政治家、名誉・我欲の質の低い政治家も少なくはない。

54年ぶりに東京に11月に雪が降った。地球の異変、人間の精神異常などが起こっている。時々自然に目を向け、心の癒しが必要な状態に人間は今あるような気がする。

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2016
11/23

南三陸町の津波防災先進地の津波対応はこれでいいのか?


午前5時59分発生の今回の地震による津波発生は、最大1.4mの津波となり仙台港に襲来した。
津波警報の発令は、福島に直ぐ3mの津波を想定し、隣県には1mの津波注意報となったが、仙台湾に1.4mの津波により、注意が警報と切り替わった。南三陸町は80㎝の津波が観測された。東松島では5隻の転覆と流出、県漁協は20隻の船舶被害を伝える、1m前後の津波でも想像も付かない津波の力が働いた。
3.11のM9.0と震度4が3分も続く地震で、その対策の不備を「想定外!」と片付けた町長がいた。今回のM7.3で1分以下の震度4の地震で、町内への車の流入を全て遮断した。横山峠・志津川ICの通行止め、歌津地区に於いても通行止めとしただろう。気仙沼からの従業員の出社が出来たと言う事は、地震から1時間半過ぎの対策だった。
津波の入り江の増幅があっても、町内は10mの嵩上げとなり、震災当時の国道もあるが、「通行止めは必要か?」というと、逆の意味で想定が甘い。町経済の混乱が町の判断で増大した。
あの大きな津波での判断ミスの発生を、こんな形で津波の本質を判断できいまま、更なる町の再生への判断間違いを想定しているのは、私だけだろう。
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福島県の原発には30分後に1mの津波襲来となったが、この報道は2時間も後の事だった気がする。東電の隠蔽体質は今も健在だ。福島第一原発は津波対策として22mの防潮堤を建設しているが、地震対策は原発には講じようがなく、福島の廃炉は判るが、宮城の原発の再稼働は町も県も容認するようだ。
多賀城の川の津波の逆流をテレビで見た。この川の周辺の避難は出来たのだろうか? 海岸線だけの避難ではいけない事を南三陸町も、石巻市も3.11の大きな人命の被害が出た事を忘れてはいけない。我が町の津波防災で、河川の海抜8.7mの河川堤防は「大丈夫なのか?」と聞いたが、国の防災対策では安全と言う。津波の特性は研究者と、政府のゼネコンの仕事確保と、矛盾する津波対応を懸念する。
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川の津波遡上は川幅が狭くなる程に増幅する事は、私でも理解できる。3.11では内陸4Kまでの津波は達している。内陸の集落や建設許可となった「危険区域外」の指定は万全かと言うと、3.11の威力の半減の津波で実証されるだろう。

南三陸町の今回の津波防災は、3.11の津波の対応の失敗を取り消す為の、自己の維持と言い訳にしか見えない。避難指示でも避難所開設に、避難した町民は20名に満たない。多くが高台への自己防衛で既に生活の場を替えている。町民は行政よりも津波避難に対しては、意識が高い。
町内の流入の通行止めは、会社への物販の納期が間にあわなかった。そんな事業所も沢山あるだろう。総てが南三陸町と同じ対策を取らない理由に、経済の混乱がある。今後も発生する地震や津波の想定は、町民個々の判断が正しい気がする。
「がんばれ、南三陸町!」

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2016
11/22

午前6時頃から津波注意報


今朝は3時半に起き夢うつつでテレビわ見ていた、そのとき「エリメール」がけたたましく鳴った。その30秒後だろうか、グラグラと地震が起こり、二階のベットでも、私的にはそんなにも大きい揺れでは無かった。テレビの放送局でも揺れを感じ、福島県で「震度5弱」で、岩手から茨城までが「震度4」のいつもの地震の感じだった。
6時2分のメールから1分以内に地震発生、その後すぐに「津波警報」が福島沿岸に、ただちに3mの津波予想が出され、早い物で宮城に6時20分に1mの津波注意報が発令された。
石巻の基準値「鮎川」は6時20分の到達ながら、「7時30分になっても津波の確認はない」とラジオは伝える。正式に午前6時3分にM7.3の揺れと今回の地震の状況が発表される。震源は福島沖で震源の深さはまだ発表されていないが、これまでの津波は「深さ25m前後」で発生しているので、揺れの大きさと震源の深さが津波発生の基準と私は分析する。
今の南三陸町では牡蠣出荷の繁忙期、海岸線の牡蠣剥き場があるので、早朝5時前からの仕事中で、現場の混乱が予想される。宮城では1mながら湾の入り江は津波の増幅がある。その事を漁民は知っているが、「大丈夫!」との過信も常々あるものの、感覚で「来る、来ない?」を判断する。3.11の津波から襲来の可能性がある時は「逃げる」。そんな状況と今はなっている。
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南三陸町の湾内の作業場は、水揚げがある為に潮の干満はあるものの、海抜1~2mの場所で仕事をしている。勿論、海上での作業もあり、1mの津波でも「いかだ」の被害や、小型船舶の転覆もあると言う。何もなかったら「良かった!」の幸せでイイ。
6時30分に福島県いわき沖で津波の第1波を観測したと、気象庁は伝える。町の「BRT」「町民バス」は、現在、運転を見合わせている。各地で朝の通勤に混乱が発生しているだろう。
会社・自宅とも震災後は海抜20m以上の場所に移転を終え、地震・津波警報が発生しても非難の必要はない。以前は海抜2mの場所で、津波警報となれば早く避難行動をとった。しかし、私の部屋は3階で「多少の津波なら心配ない!」こんな心持でいた。3.11の大津波は16mで内陸5㎞まで達し、津波の怖さを56歳でまざまざと知る事となった。
「大きい地震で逃げる、津波警報では急いで逃げる、町の警報には素直に逃げる。命が助かれば丸儲け!」と考える。命あっての物だねと人の命の大切さを感じる。
今回の地震では陸地では引き波と60㎝の津波を観測した。
今朝の地震・津波の状況を今日はブログで、刻々と伝わる情報を伝えました。地震発生から丁度1時間が経った。我が町には地震・津波の被害はまだ伝わって来ない。

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2016
11/21

多くの人に支えられ


日々の充実は多くの人との出会いと、御付き合いの継続在っての事と感謝している。
生を成してから付き合った仲間から、これまでの出逢いの人生の岐路の話を聞き、ここまで私も歩み多くの瞬間に接し、自分なりの人生経験から助言できればと話の深層に入って行く。私よりも考え悩んでいる事に直面すると、言葉も出てこない。こんな仲間が居る事に生きる別な意味でも喜びを感じている。

私の趣味は「料理」。色々な食材を周囲の人たちから頂き、それを無駄にする事無く自分の口にあった物を作る。最近はまっているのは「穴子丼」で、タレはつぎ足し深みが出てきて、たれも分量を量り、隠し技に大きなアナゴでも、骨を柔らかくするために「梅干し」を加えている。父の大好物となり、タッパに入れて置くといつの間にか食べられている。
また、こないだは先輩から業務スーパーの「エビ」を貰い、エビチリの素ながら美味しく作れた。「ほうれん草ともやしの和え物」、いりやから沢山貰ったサツマイモを吹かしたり、コンビニやスーパーの「惣菜」は金額が張るので買わないようにしている。今日のお昼は「特製もやし大入り焼きそば」を作ろうと思う。こんな食事の繰り返しなから、朝の空腹血統値は「84」で、二日前は「110」と安定値を維持している。目の調子もイイ感じがする。

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昨日は三一会ゴルフのメンバーと今年最後のコンペを開いた。言い出しっぺの強硬な参加指示に、メンバーの皆が快く参加してくれた。さすがに網膜剥離の光の眩しさ対策と、両目の視力差、還暦を迎えゴルフの上達もなく益々下手になっている。前日に東和ゴルフ練習場に行き、見ていた社長さんが指導をしてくれた。治らないスライスボールに、スイング軌道の指示とクラブの握り方を修正しコンペに臨んだ。
この点に気を付けプレーは、前半は61で、この目でも処方したサングラスメガネで、大分球を追えメンバーに迷惑掛けずにすんだ。午後はお昼に大好きなビールを2杯、和牛丼を食べ午後のプレーに臨んだ。いつもながら飲んだ後の2ホールは乱れた。以後は安定を見せボールのスライスは解消されつつあり、安定したティーショットに仲間も驚きだった。偶然なのだろうがロング「5」をチップインながらバーディーも取れた。大たたきもあるがパーも二つで楽しかった。打数も数えずに結果発表では「53」で、合計で114に終わった。
多くのゴルフプレーへの努力が最後に身を結んだ。東京からわざわざ参加された先輩に報告したい。色々とプレーお世話になりました。今回の先輩の定位置も、私の御迷惑の為とお詫び申しあげます。御身体に留意され又遊んでください。

現在は室内で新たな野菜の生育中です。どんな料理に化けるかお楽しみに。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:48 】

2016
11/20

小さな秋を見つけに南三陸町入谷へ


初めての「十割そば」は最高だった。
南三陸町入谷「松笠屋敷」のばっかり茶屋で、そばイベントがあり新そば打ち立てを食べに行った。
入谷の首藤さんは先輩であるが、友達の友達として御付き合いをしている。一昨日、突然の「そば食いに来い!」と電話がきた。用事も無かったので入谷地区の紅葉を見に行きながら、食事をしてきた。
厨房は来客に大わらわで、お昼と重なり次々と来客の対応をしていた。十割蕎麦と茶碗蒸し・天ぷら・デザートまで、地元の生産品満載で、満足のいく蕎麦御前だった。そばつゆも甘すぎず丁度良く、「蕎麦湯」がまた最後に良かった。
志津川の「そば打ち」の原点は、戸倉の小学校前の電気会社が震災前にあった。その社長さんに教えられたと言う人が多い。現在は新潟に住んでいる。首藤さんはわざわざ南三陸町に、社長だった「中津渡さん?」を呼び、自宅に宿泊させ十割蕎麦打ち方の指導を受けて、今回のイベントに臨んだと言う。十割蕎麦を打つのは難しく大変だと話す。
手打ちの打ち立て蕎麦は歯ごたえがあり、蕎麦切の技も本職なみで、素晴らしく綺麗なできだと感動した。庭の落ち着きもさるものながら、古き豪農のたたずまいと歴史の伝承に触れてきた。
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今日までの蕎麦イベントで、子ども達を連れて家族で行って見てはどうだろう。
蕎麦打ちは志津川町で、その指導を受けた人から人へ受け継がれ、そうした想いを馳せて食べると又格別な物だ。亡くなった一つ下の後輩も弟子だったと聴いていた。伝統として脈々と残り続けるだろう。中津渡さんも年を取っただろう。

午後1時からの本浜地区の方の葬儀では、「じいじぃありがとう!」の孫の弔辞に、参列した人たち皆が涙した。会葬御礼では喪主が、何も言わない無口な父だった、「ああしろ、ここしろ!」と言われなかった。現在は漁師として父と同じ仕事をしている。父ともっと話したかった。と涙なからに父との思い出に、多くの涙が本堂を包んだ。

俺はしあわせだ! 父と今は二人暮らしながら、震災後に母を送り出し、何時でもいっぱい話ができる。いろいろな形で「今、しあわせ。」でいる事を瞬間を感じている。そして、これから何ができるか考え、実行をしている。「一生勉強」「社会勉強」は父から教わった。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:55 】

2016
11/19

笑いの輪が広がる


15日に分散して各県から来町し長旅の疲れを、震災後に被災し広島の奥様の実家に疎開し、旦那様の民宿再開の支媛を続けている、常宿「明神崎荘」に宿泊し、16日の一日がかりの活動の英気を蓄える為、南三陸町の海の幸に舌つづみを打った。

今回の最大の活動には、被災地「南三陸町」の皆さんに、本物のオペラの歌声を伝えようとの活動だった。味香さんは広島でも3.11の被災地の支媛コンサートを、「愛の福袋」の活動に賛同され続けていた。一人でも被災地の皆さんに歌で励ましたいとの気持ちが、今回の会場とした志中集会所でも伝わってきた。会場には25名を超える皆さんが集まり、山下代表の挨拶に始まり、参加された5名が紹介され、味香さんのオペラコンサートが始まった。
最初に本格的な歌の「乾杯の歌(サルートス)」が披露された。会場の皆さんに歌の最後に「サルートス」と叫んで下さい、のお願いに、仮設の皆さんが一緒に叫んでくれた。その後に皆で「もみじ」を歌った。味香さんは世界の平和の為、戦争下の女性も支援していた。昨年10月にキプロスへ行ったとの話は、イスラエルとシリアの戦争で、多くの女性の苦しい環境にあり、それを支援する為に海外まで、活動がある事を紹介した。中東のサバクをジープで走った話の後に、「月の砂漠」を皆さんのキイに合わせ合唱した。次に悪い事をした人の改心をした歌として「アメージング・グレース」は、オペラの力を感じさせる曲に、観客の驚きの声が聴かれた。
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その後に「愛の福袋」の配布があり、色とりどりシヨールを全員にプレゼントし、志中にも3回の福袋をこれまでも配布したが、また新しい冬に向かう必需品などを中に入れた袋を配った。その他にも「ランチョンマット」や「レインコート」も数少ないが希望者に配り、ジャンケンで勝った方にはバックをプレゼントし、会場が二番目に盛り上がった。
佐々木自治会長と味香さんの掛け合いの会話にも、会場が多くの笑いで包まれた。「これで終わりです」の言葉に、佐々木さんの掛け声で「アンコール」の拍手がまき起こった。突然の要望に何も準備してなく、何がイイですかの問に、「上を向いて歩こう」の歌を選曲した。この会にピッタリの歌で、集まった皆さんも良く知っていて、全員で合唱をした。私はこの場所に同席できた喜びと、「この支援の姿を町の皆さんに伝えないと」と言う衝動が沸いて来た。

広島を中心とした「愛の福袋3.11被災地支援活動」に感謝を申し述べたい。今回で南三陸町には5回目となり、震災から5年8か月となり、「愛の福袋」の活動は一端終わりと言う。全国で発生する地震災害への支援も続けている事と、会員も熊本での震災被害を受け、新たな支援活動も考えての事だろう。今後も支援は別な形で続けたいと話す。

防災庁舎前での団体への「語り部」は5回目となり、戸倉小中・志中などを説明し、今は津波対策を伝えている。防災庁舎の関心は間違いなく薄れ、今後の町づくりと町の将来を心配する声が多くなってきた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:16 】

2016
11/18

震災後の誕生の園児に町の未来を託して


16日11時からは今月1日に開園した「あさひ幼稚園」を訪問させていただいた。幼稚園では学芸会の練習や、施設の開始にあたり訪問客などその対応に追われる日々と、園の先生は話し、そんな中で「愛の福袋」の活動を受け入れてくれた。
大きな建物だなと遠くから見ては居られるものの、中の施設も全てが木造で電気もモダンな雰囲気を醸しだし、総ての木造は優しさ温かささえ感じる。この立派な木材は園長先生のお寺の、山門にあった樹齢300年前後の杉が被災にあい、その木を利用し幼稚園建設にあてたと言う事は、町民皆が知るところにあり、その私も園の所在する「東浜団地」の沼田地区の住民となった。
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「愛の福袋」の支援活動は園児皆さんに、山口県の美味しい「みかん」と「サツマイモ」と、富山県の「チューリップ」を届けた。また、園児のみんなには、みかんのドレッシング・さつまいもなどの入った、袋をプレゼントとして一人ひとりに、会員のみなさんが配り、子供達の喜びの声が部屋に広がった。「さつまいも大好き!」とプレゼントした事に喜び、子供達に合い話をし、元気な笑顔を見られた事や、震災後に生まれた子供達に会えた事が嬉しいと、訪れた7人の「愛の福袋」の支援者は話す。
また、昨年訪れた「戸倉小学校」にも、同等のみかんとサツマイモが贈られた。校長先生も快く受けてくれましたと、支援の輪が広がっている。
同行されたオペラ歌手の味香友子さんの、ピアノの弾く音色の中で、プレゼントを子供達はもらい、サプライズで「365日の紙飛行機」を歌うと、園児もいっしょに先生に合わせ合唱した。忙しい園の生活の中で突然の機会を得られた事に、先生方に感謝を致します。
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あさひ幼稚園は志津川地区の高台移転の、東地区の中心にあり、南三陸町の最大の町づくりがなされ、役場・病院など町の中枢の拠点である。再建し今後生活する町民と、現在の沼田・東浜団地の、地区民の人口も最大となり、子育てに適した場所にある。東地区は災害公営の集合住宅4棟が建ち、戸建の建物・長屋式の住宅がある。高齢者は「子供達の元気が力になる」と震災被災者は言う。

こんな最適な環境で、町民が見守る地域で、元気に素直に子供達が成長し、新しい南三陸町の町づくりの担い手になって欲しいと、子ども達への期待は大である。

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2016
11/17

南三陸町の「のぞみ作業所」の皆さんこんにちわ


南三陸町への「愛の福袋」の被災者支援活動が、11月16日の一日掛けて行動は、町内の3カ所に「愛の福袋」と「オベラ」を届けに来てくれた。
今回は広島県をはじめとした山口県・石川県・静岡県、そして被災地の支援で知り合った石巻の阿部さん御夫婦も、活動に同行しての活動となった。初めに恒例となった「のぞみ作業所」の作業活動の見学からで、通所生の皆さんも3度目となる訪問に、顔なじみになり笑顔で迎えてくれた。10時の作業スタートで、まだ準備中の作業所でも、突然の来所にも関わらずテキパキと作業の場所に付いた。
畠山施設長さんから、のぞみ作業所の資料のフートーが渡され、フートーには通所生の描いた絵が散りばめられていた。朝の多忙の中で畠山さんに説明を受け、作業風景を見学した。
のぞみの皆さんへの「愛の福袋」の配布には、一人ひとりにメンバーが声を掛け寄り添い手渡した。指導員の方々にも福袋が渡されると、恐縮した笑顔で喜んでいただいた。石巻の阿部さんも手作りの品を皆に持って来てくれて、「私も被災者です。共に頑張りましょう。」のセツセージが込められていた。
今回はプロのオペラ歌手である味香友子さんも、広島から同行され被災地にオペラの歌声を届けてくれた。
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作業所での絵葉書のデザインを見て、「ペチカ」を披露してくれた。「雪の降る夜は楽しいペチカ……」と、澄み渡る声が作業所に響渡った。通所生のみんなも初めての体験か、初めは驚きの顔を見せていた。二曲目はオペラの代表曲の「蝶々夫人」で、私もその声に「こんな近くで生の歌、素晴らしい」一言に尽きた。三曲目に何を歌いましょうか? の味香さんは「ふるさと」を選び、みんなで合唱した。みんなは味香さんの声に反応し、声を上げたり手を伸ばしたりする。その男性の手をそっと握ってくれた味香さん、「何かを感じてくれたんですね。」と、微笑み話してくれた。鋭い感性を持っていると私は通所生に感じた。

私はその姿を味香さんに話した。涙もろい私はその光景を想い出し、目頭が熱くなってしまった。素晴らしい場に立ち会えた事に感謝したい。多くの皆さんが被災地の事を想っているものの、被災地支援も少しずつ薄れて来ている事は間違いなく、こうした皆さんの出逢いわ大切にしたいと思っている。
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明日は元気な「あさひ幼稚園」の子供達の笑顔を伝えたい。震災後に生まれた園児に触れた事に、私は大感激だった。この子らの為にも大人が頑張らないで、誰ががんばれるだろう。
南三陸町の皆さんと一緒に!

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2016
11/16

又、先人が亡くなった


「志津川本浜町」、私の愛する故郷地区です。津波で跡形も無くボロボロになり、今は何の形跡もなく10mの赤土の下になってしまった。ここで共に生きて来た二つ上の先輩が逝去した。愉快な楽しい人で、私は羨ましく遠くから見つめていた。19日の葬儀と言う。参列し最後のお別れをしたいと思っている。
仲間と自分たちの将来の事を話し合った。自分たちは一人残り持家での「孤独死」や、「家の事をどうするか」など、を考えると嫌な今後が待っている。それに引き替え、子どもがいて孫もいる家庭が羨ましい。
リビングには以前亡くなった先人の花が咲き誇っている。葬儀で頂いた花は仏壇には飾れないので、ここに置き花にリビングが包まれている。今年に咲きその後外に置いていた「シャコバサボテン」が、また花をたわわに咲いてくれた。ピンクの蕾に癒されている。

今日は一日、最後となる広島を中心とした「愛の福袋」活動の皆さんを随行する。のぞみ作業所から、新設された「あさひ幼稚園」に行き、午後から「志中集会所」でオペラを聴いてもらう。多くの人に聴いて欲しいが、なかなか思うように人が集まらないのが現実だ。もう被災地支援も終わりに来ているようだ。その後は「防災庁舎」の慰霊・献花に行き、現在の状況を「語り部」する。資料を持つが地震が来た時の心得を伝えたい。広島はまだ津波の心配はないが、富山、山口の方も来る。2県からは「みかん」「さつまいも」そして「チューリップの球根」を持って来てくれる。昨年支援した戸倉小学校にも「みかん」と「さつまいも」を送ったと聞いた。
温かい多くの「愛の福袋」を有難うございます。
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南三陸町本庁舎建設がここまで出来ました。デカい!、10年後には人口1万人になる予想なのに、大きすぎない?

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2016
11/15

町の将来を懸念する町民が登米市には多い


「町には商店が少くない」「働く場がない」「高速は過疎化を加速する」など、本気で町の将来を心配する町民が沢山ある。昨日も「町での商店再建は諦めまいた?」とこんな話となった。

68年ぶりに地球に月が接近する「スーパームーン」、大きさは1.3倍に見え、明るさも同等だと言う。また18年後に見られる。だが、それまで私は生きているだろうか。会社は存続しているだろうか?
その時は希望は燃え尽きている事だろう。

「徘徊運転」と言う言葉がクローズアップされている。小学生の通学の列に87歳の軽トラックが突っ込んだ。一人が亡くなり6人が怪我をした。「何処を走ってきたか覚えてない!」と言い、男性は検査入院となり、日本に於いての高齢化の社会問題が、交通事情にも弊害が現れていた。徘徊は震災前の近所のおばあさんが、「こんなに遠くまで」と歩いていた事があり、家族に連絡を入れた事を思い出す。今から20年前には既に「徘徊」は問題となっていた。
今回は「動く凶器」と言われる、暴走すると大事故に繋がる自動車に乗っての徘徊で、毎日のように「ブレーキとアクセルの踏みま違い!」と報道は、高齢者の事故を伝える。認知症との関係もあり、若年化への二つの問題がある。医師は「病気ではないと言う」が、しかし、この問題は病気として取り扱う時期にきている。
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大衡村の村長の長期体制が、モラハラ・セクハラ・パワハラの要因となっていた。ワンマン強権体制が、職員に威圧的権限の行使へと繋がっていた。被害を受けた職員の「公務災害認定」となり、補助が下りた。退職金と公務被害金を得ても、その傷が癒える事は決してない。こんな村長に投票で認め、選挙が無く無投票で選んだ、村民にもその責任の一端はあると思う。「転ばぬ先の杖」を、我が町も考えないといけない時期にきている。福岡市の地盤沈下の対策に取り組む、若き市長40代に期待と希望が見える。
来年9月の町長選・町議選の準備を関係者は、会合と言う飲み会で活動を始めている。そんな事は後回しに、被災者や高齢者の被災地の生活の再建に、もっと気を配る人が必要と思う。我が町は大きく違うようだ。町民の意識改革が必要ながら、こないだの「日本よ永遠なれ」の上映会には、10人が来場しただけで、社会の動きや文化など、意識の向上や町の将来を見据えた学習に、余り興味が町民は無いようだ。歌手の来町は毎回「満員御礼」となり、町民の復興と言うが、高齢者への癒しの提供とはなっているが、町の再建への支援として、もう終了しても良いと私は思う。

明日は一日広島からの支援団体に同行する。今年でひとまず来町は終了とすると言う。活動を維持してくれる方を探している。復興が残り4年余りとなり、計画終了の事を考え、生活をどうするかを自己で考え、切り開く準備をしないといけない。

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2016
11/14

起床午前3時30分


フランスの一年前の11月の13日、同時多発テロで130名の尊い人命が失われた。フランス政府はカフェで亡くなられた人たちの名前を、店の前に名前を刻み大統領が慰霊した。
高齢者の事故が後を絶たない。土曜日は病院の前で80代の女性が、30代の社会で活躍する二人の若い男女を跳ね、二人が死亡した。昨日も2件の死亡事故は80歳代の事故でも二人が死んだ。県内でも高齢者事故があったと報道では話す。「ブレーキとアクセルの踏み間違い!」が、大事故で尊い人命が奪われている。高齢者の運転は生活に欠かせない事もあり、事故防止への動きも難しい面がある。ある80代の女性は病院の看病での疲れから、運転ミスへと繋がったとの話も聴く。昨日は私も急いでいて、郵便局に投函する為に駐車場に止めた、そのつもりがギアが入ったままで動きだし、あわててブレーキを踏んだ。これがアクセルなら建物と衝突し、両方とも大破していたかも知れない。日本の高齢化は、数々の問題の発生も、政府の適切な対策の構築にかかっている。70歳以上免許書更新に、運転講習や認知症の確認など、老いの障害は年齢差と突然発症する事もあり、難しい問題だ。
ニュージーランドでM7.8の地震が発生した。1.5mの津波が発生し2人が亡くなった。午前0時で震源は海底の23Kだったと言う。3.11大震災でも震源は海底24Kで、震源の深さが津波の発生の、可能性に繋がっている。注視し地震発生時の震源の深さが関係する事を知っていて欲しい。以前にもニュージーランドでの地震で、日本の留学生がビルの倒壊で20名以上が亡くなっている。100年に一度など大震災を軽んじてはいけない。何時でも対応できる体制は個人個人が講じる必要性を思う。
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「ウルトラスーパームーン」が今日だと言う。東北北部・北海道で何とか見られると言う。今朝3時半に起床し、買ったカメラを試してみた。メカに不得手な自分で、小さい字の説明書も読まずに、カメラをいじくり使って、今朝の「月」を撮影した。自分が満足できる撮影までに当分の間かかりそうだ。

今日、北海道の彼女が異常気象の為に、予定から5日間も遅れ帰って行く。同級生ながら時々故郷に帰ってくる。10日間の滞在で2日だけ御付き合いをした。ボケ防止と体力低下防止にと、最近ゴルフとマージャン教室に通っていると言う。自分の老いは自分で予防し、老化を少しでも遅らせる事が大切だ。それを実践する彼女に敬服する。

いつでも故郷に帰って来てほしい。私たち仲間が大歓迎します。今日も一日頑張りましょう。

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2016
11/13

総ての宗教は「愛」

昨日の土曜日は気になっていた事を解決し、南三陸町の町民の支援と、その団体への父の支援があり、上映会の活動に参加した。

26年4月に移転し、浴槽のパイプ掃除もせずにこれまで来て、パイプからの汚れが気になり、洗浄剤を購入し初めての清掃をした。今日のお風呂はきっと綺麗で入れると思っている。
貯まっていた洗濯物は大がかりで、9時に干した物の晴天であるのに厚めの物は乾かない事を知った。

また、室内での写真撮影の手振れで、写真が良く撮れていない事が気になり、2年前から少し良い物をと考えてはいたが、会社と生活の大変さから延び延びとなっていた。今回は大枚をはたいてキャノンの「EOS」を買った。震災前から使っていた物と同じで、カメラに関しては震災前と同じになった。良い写真を新聞やブログ・フェイス・ツイッターなどに掲載していきたい。

石巻の帰り昨日の月は雲もなく、近年になく綺麗に感じた。今日のニュースで数10年の一度の「スーパームーン」だと言っていた。何気なく感じた月の状況に、偶然に偶然が重なり、その天体ショーに巡り合えた。こうした何気ない事を幸せと感じる自分がここにいた。

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昨日はキリスト者手島郁郎の祈りという、「日本よ永遠なれ」のドキュメント上映会に行った。父が活動の拠点として我が家を提供したのが、茨城県水戸市や仙台からのこの人達だった。
私は無宗教者だと思っている。多くの宗教があるが、どれに入信している訳でもなかった。どちらかと言えば我が家は仏教の「曹洞宗」である。私は家族の幸せ、世界の平和、人類愛を何時も思っている。私もまだ心の緩み未熟さから、我が道という「邪心」「我欲」が時々身を持ち上げてくる。そんな時に色々な事や、多くの皆さんの声や活動により、人として進むべき道に修正されている。
手島郁郎の活動を私なりに考えた。キリスト伝道者として、大和魂の素晴らしさを伝え、戦争の悲惨な状況下で多くの人達の苦しみを聞いた。その集まった人たちの共感の声が、叫びや合掌・手をかざす等、共に助け合いの心を持ちましょうと説いた。日本に古くから信仰されている神社・仏閣での、伝道会には宗派を超えた、人類愛の輪が広がっていった。しかし、それは彼の信じるキリスト教が基本となっていた。
キリストが誕生したイスラエルへの、アラブ・シリアの戦線布告に、戦争の反対を日本での反戦活動に、多くの日本国民がデモに参加した。ナスチのユダヤ人の弾圧に対し、ヒトラーの政治を批判し、暗殺されそうにもなりながら、自分の信じた事を最後まで貫いた。それは苦しみ助けを求めている人への、心の救済であり実現しなくても少しでも心を癒す事に邁進した。

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現在多くの問題が世界で起こっているが、人間はいったい何処に突き進んで行くのかと私は思っている。一番大切なのは「相手を思う事」「相手を気遣う事」であり、それは相互愛であると思う。政治家の独裁的な政治の、国民を守る為と言われているが、何処かで国民が無くなってしまっている。
手島の生き方は最後まで信じる事を貫いた。こんな生き方を私もしたい。成果は望めなくても、町民の為との「精神」に恥じる事は決してない。

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2016
11/12

今度はラムサール条約の指定へ


10日の午後2時30分から、志高のグランド仮設の方々との「お別れ会」があり、その震災復興の節目の席に参加させてもらった。
この後は4時からの町で設定した、「ラムサール条約」の指定の説明会が、新しく出来た細浦・西田地区の高台の集会所で開催され、その説明を聞きに行った。
県内だと登米市長沼などの湿地が既に保存指定されている。南三陸町の志津川湾は、温かい場所で生息する「マコンブ」と、寒い場所で育つ「アラメ」が共生する場所として珍しく、「アマモ」の群生が見られる。また、絶滅危惧種の「コクガン」の飛来する場所でもある。コクガンは5千羽が確認されている中で、100羽が志津川湾に飛来し、湾に生息する「アマモ」や「アオサ」などを食べに来るのだと言う。こうした生存する湿地や6mの海底域の環境を維持する為に、「ラムサール条約指定」を受けるのだと言う。
メリットとして環境保護の事業支援があるのかと思っていたら。環境の良さが認められると、生産物の価値が上がり、貴重な環境への観光客の流入による水産品の、購買拡大に繋がるのだと言う。やっぱり環境か。復興した市街地には「自然活用(ビジッター)センター」が建設され、こうした南三陸町の自然を紹介して行くのだと言う。
震災前から指定に向けて調査中だったと言う。その途上で大津波の大災害が発生した。東京大・東北大などの調査団が震災後に、湾の被害調査に入っていた。NHKのドキュメントで志津川湾の調査風景を見ていたが、町の職員も立ち会っていた。
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私の関心は「アマモ」であり、海岸線に何処でも生息し、私のアナゴの釣り場として、アマモ群生地がアナゴの漁場でもあった。砂地は津波で多くが流されたと報告であったが、湾内の数カ所で藻場が残っていた。津波の襲来の方向性に大きな違いがあった。大森漁港・水戸辺漁港などの入り江の藻場は消滅していた。5年8か月が経ち、自然が回復していると話す。昔のようなカニ・エビ・タナゴ・ゴカイなどの生息していた。藻場が復活しアナゴ・ソイ・メバルなどの魚がまた生息する、自然の環境の豊富な南三陸町の復活は、もうそこまで来ている。私の余生を自然に浸りながら、畑づくりや魚釣りが最大の望みだ。

今朝の7時43分に震度4の地震が発生した。最近も地震が多発している。今日の震度4はいつもと違う家の揺れを感じた。震度5~6の地震の発生を私は予想する。

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2016
11/11

お別れ会


南三陸町にたった一つの高等学校「志津川高校」があり、昨年創立90年?を迎えた。大震災により生徒数の激減により、中高一貫高ながらその歯止めが効かない。そんな中で地元出身の山内校長が、志高の生徒数減少への取り組みを活発にしている。先ごろは行政と中学校の先生と高校とでの対策会議が初めて持たれた。今年が最後となる山内校長は残された時間を必死に、母校の為に尽くされている。

高校の取り巻く環境は厳しいながら、震災時の生徒の被災者の救助活動が語り継がれている。眼下の老人ホームが津波に襲われ、津波から逃れる為に、80段前後の高台の高校まで、被災者の救出に必死で救援活動をした。訓練が全国で現在展開されている中で、そうした想定も訓練も無く、母校「志津川高校」の後輩たちは町民を守り助ける活動を、実践し成果が全国で語られている。

そして昨日は「志津川高校仮設住宅住民とのお別れ会」が開催された。現在、志津川高校のグランドには町の被災者の「仮設住宅」がある。震災後は51世帯160名が暮らしていると、及川副自治会長が謝辞で語った。今は45世帯が暮らしている。住宅再建と災害公営住宅の建設も終盤となり、今年度内にはグランドの仮設は解体となる予定だ。
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生徒の代表の挨拶では、野球部の練習で仮設の敷地内にボールが飛び込んでも、笑顔で迎えてくれる住民の皆さんの事は忘れない。と語り。仮設生活の住民は「高校生の文化祭・運動会の活動に元気を頂いた。」と、高校仮設の生活を思い出していた。高齢者が多く車イスの方を温かく世話する生徒の姿が、校長の指導の地域民への感謝と敬愛に繋がっている。

私も震災から多くの活動の節目に参加できる事は、復興が着実に進み住民再建が進んでいる証である。震災から丁度5年8か月が経ち、志津川市街地には今も嵩上げの赤土が広がっている。何とか志津川高校の継続は町民の熱意と行動にあり、卒業生も我が子を自分の母校に、町で暮らす皆さんには是非地元に子供を通わせて欲しい。また、学校側も学業やスポーツ活動のレベルを上げ、宮城に「志津川高校あり」を発信して欲しい。少数精鋭も一理あるが、住民も生徒も多くないと活気が生まれない。みんなで町づくりに参加しましょう。個々の意見が町の質を高め、発言は町の疲弊を救ってくれるかも知れない。

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2016
11/10

日々何かがある暮らし

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昨日は仙台で紅葉を見て来た。道すがらであるが、さすが杜の都であり、ビルと木々のバランスが絶好の季節だ。ふるさと志津川の新米を甥っ子・姪っ子とその孫たちに持っていた。届くのが遅れた志津川ブランドの銀ザケの塩引きと、今が旬の海産品を今日にも送る予定だ。

「議会と住民の懇談会」で、病院の受付・診察・処方箋など、一連の病院の終わりまで8時間は掛かり過ぎた。こんな意見が女性達から出た。両親を入谷から病院への送り迎えは女性の仕事としてあり、「何でこんなに時間がかかるの?」を皆が言う。朝一で8時間はまる一日と言う事になる。高齢者は「待つのが辛い!」と言う。議会の懇談会で入谷地区民が指摘した。私もしつもそう思う。
病院の開院から大分時間が掛かっているが、医師不足が最大の原因ではあるが、病院の変更は町民が出来る最大の抵抗であり、益々家族の負担となっている。対策を講じているのに、町の取り組みが見られない。患者は近隣の病院に変更しているとの話も聴く。町民ファースを考えて欲しい。

トランプが予想を覆し大統領に当選した。物議を醸した発言は選挙戦略との解説者もでた。クリントンの金銭的な流用や財団への世界からの資金の支援の私物化、私的メールに国のアドレスを使うなど、政治の個人利用が長期の政権に存在し、私服を肥やしていたとの国民の反発は根強い。究極の選択であり国民の判断が有った中で、無党派の動きが州での僅差の投票行動を制した。全投票数ではヒラリーが多かったと言う。米国だけでなく仙台の病院でもテレビに釘付けとなっていた。

病院の待ち時間問題は、私の父の時でもあったが、「療養病棟」の存在に母は助けられた。そうは言っても「病院改革」は避けて通れない。恒久的な存続が必要となっている中で、毎年発生の3億の負債をどうするか。また、看護師宿舎・医師宿舎も町の財源で賄う事は、町の安定財源があってこそだが、復興交付金も終了した後は、町の独自財源で維持しないといけない。国の借金が1千兆円ある中で、社会保障など国の財源も底を突くとき、どう町の運営をどうするかだ。
社会情勢の知識の希薄な若者断ちは、施設の大きさと他に無い施設設備をと言う。維持費・財源と将来の町を考慮した町づくりが、私は望ましく、求められていると思う。

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2016
11/10

日々何かがある私の暮らし

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:41 】

2016
11/09

町民の願いを聞いて


昨夜は「議会と町民の懇談会」に行って来た。今月4日から3回の懇談会は、用事の為に最終日の8日9時の入谷公民館に出掛けた。14名の地区民がおり、震災後に入谷地区に自宅を建てた志津川地区の方もいた。顔見知りの方が声を掛けてくる、「さっぱり来ねんだもの!」と。
全員の皆さんが活発に議会に意見を述べた。初めに「議会議員1人につき住民人数何人なのか」で、約12500の報道は登米市で今も暮らす人数が入っていない。住民基本台帳の国勢調査によるもの。法令では1~2万人で上限は議員数「22人」までと、法令で決まっていると言う。議会全体の意見しか述べられなく、個人的意見は発表できないと、後藤清喜委員長は話す。次に「震災後に議員報酬を上げるべきでない。」との質問には、賛否両論があったが賛成多数で決定したと説明した。「人口を増やす考えは。」にはボランティアで来た人に、町の良さを知ってもらい来て欲しい。「議員定数は第三者が入り決定すべき。」と個々の意見を聞きたいと質問したが、議会の懇談会と個々の発言はしなかった。「議員数も定数もどうでもいい、議員の質を上げて!」と、若い女性の厳しい意見には、議会からの返答は無かった。「議会に魅力を感じない!」と、議員にとっては厳しい声を聴いた。
明日にこの後の質問と、議会の対応を伝えたい。入谷地区の今回の懇談会では、入谷地区を走る道路整備を皆さんが、個々の考えを発表し、入谷小学校の仮設の撤去が12月には始まると、議会から伝えられた。

今から仙台の大学病院の9時の予約に出掛ける。

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2016
11/08

南三陸の海からの贈り物


海の3m以上の深さに、この姿を見つけられる事は、漁業者の経験しかない。アワビには海藻が殻に着き海の中の海藻や、岩に同化して生息している。
昨日は知人がアワビを二個、父と私の分として、今年の初物をお裾分けしてくれた。夜に早速、アワビの刺身と腑を頂いた。新鮮さに勝る美味しさはない。
こないだ気仙沼市の店でアワビを見たら、100g1200円だった。頂いたアワビは250gで3000円となる。高級品を御馳走様でした。年内に「開口」は5回予定されていると言う。12月の「アワビ開口」には2K予約をした。今年の市場の水揚げ値段は、1K6千円ぐらいと言う。今年の浜値の安さに漁師さんも驚いていた。20年前でも1K4500円ぐらいと記憶する。高給アワビの価格は漁師から、仲買に行き市場を通すと、これを考えると浜値の3倍にはなる気がする。
2個のアワビの入った袋には昆布が入っていた。生命力の強さは袋の中でコンブを食べている動きに象徴された。アワビの腑は目にイイと、身は私たちが食べて、目の不自由な叔母には腑を甘辛く煮た物を我が家では食べさせていた。
寒い冬は夏の産卵を終え、食欲旺盛のアワビが美味しくなる時期であり、年末年始の御使い物として、おせちの材料に重宝されている。捕獲する漁師さんの為にも、もう少し浜値を高くし買って欲しい。贅沢品であり今年はこれでアワビを食べるのは終わりだろう。
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≪ある日の政ブログから≫
鳥取県での確認していない断層での地震は、3日間で200回の余震が続いている。全国で発生している震度4以上地震の発生が頻発している。近い将来に確実に大地震と大津波は来る。甘い想定は町も人も無くしてしまう。

町外に移転した知人が電話をくれた。「また南三陸町の人が私の町に来ました。」との内容だった。町づくりによる町からの移築の支持があり、地元再建ではなく違う町での再建をしたと言う。震災での津波は家の一階を襲い、改修工事をして5年半住んだ家の、立ち退き指示だと言う。大きな家で車も数台なので三世帯家族の家庭だろう。

人口減少は各自治体で「自然減」への対策に取り組む中で、我が町は町から人が出る事に、積極的に「町に住民を残す対策」が薄い。それでいて町の公的施設の建設は拡大し続けられている。栗原市の本庁舎を見たがその大きさに驚いた。三本木町とて庁舎と子育て施設の、拠点は確かに凄い。将来への発展が見込める所だから良いのかもしれない。国道4号と東北道路があり、他にも東北本線と新幹線など人や物流の道が発展しているがある。
人口減少への危機感の無さを町民として心配する。交流人口の拡大は今の町を本当に確保できるのだろうか。なぜ震災後もこの町で住む町民を町が守らないのか不思議だ。
南三陸町の観光人口・観光施設は、気仙沼市から比べても、気仙沼の規模はその比ではない。しかし、市民の見方は「南三陸町は大分復興したが、気仙沼は遅い!」と言う。我が町と違う広大な被災地があり、小さな我が町でも町民は遅いと話す。

何で町は町民の確保にもっと努力しないのか。安定税収は町民が居て成り立つ事は間違いがない。企業誘致もままならない町の政策・対策で、町の経済は今後担保されているのだろうか。水産業も規模の違いがあるのに、他の人を市場の入れないのは、水産業の活性化はなく漁民の収入も増加とはならない。誰の為の復興の方向性かを、町民はしっかり考えないと、住民サービスの低下となる事を、町民は余りにも知らなさ過ぎる。


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2016
11/07

震災復興の間で被害の無い地区も変わっていた


志津川地区の水尻川の変化を、これまで長く見つめてきた。水尻橋の架け替えの橋脚、スタンドの位置の道路の設置の立ち退き問題、葬祭場と志津川地区のお寺などの被災地の道路、そして鮭遡上の捕獲網の作業風景があった。カメラでそんな復興の姿を追い続けてきた。しかし、こんなにも強固な護岸はいったい誰の為なのかと、大きな疑問を持ちながら見守っている。
中瀬町から保呂毛地区への仮橋の建設が進み、水尻川の河川堤防の整備で、護岸も強固なものにして建築されていた。保呂毛地区に行く道路は津波でガードレールも、津波来襲の爪痕が今もそのままで残り、グニャグニャに曲がったままで、道路の局部的に津波の浸食が見られ、道路が細くなっていた。
隣接する田んぼの圃場復興は5年半になっても、田んぼが復興し田植えとはなっていなく、友達も高齢者家庭となり田植えはできなくなったと言い、今後は委託での稲作になるだろうと言う。
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水産業の復興も漁船の造船も一段落し、がんばる漁業の国の支援も終わり、漁業の復興の激多忙を終え、仕事が減ったと話す。だがとっくに現状は仕事の収束となっている。
我が町の住民の生活安定は益々厳しくなっている。東浜地区の災害復興住宅の、高齢者の買い物事情は、来年10月にスーパーが出来て、スーパーに巡回バスが停車すると言う。しかし、初乗りで200円の乗車料は大きい。距離は短いが、東地区団地から行く事を考えても、往復は車のガソリン代よりも高くなる。災害公営の入所者の平均年齢が70歳を超える中、高齢化率の上昇は、若者達が町を離れ、核家族化となり両親が子どもに世話を掛けたくないとの思いが、高齢者の孤立化を生んで行く。

今週は、今日は平成の森に議員と住民の懇談会に行き、明日は北海道から里帰りした同級生の接待をし、9日は仙台の病院と兄の家に寄って、志津川地区で生産された新米を、子どもや孫たちに持って行く予定だ。仕事はない。のんびり生きていきたい。

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2016
11/06

「君の名は」

28.11.622ブログ
今年のヒットした物として一位は「ポケモンGo」だった。堂々の2位は「君の名は」となった。昔の映画で橋の上での男女の再会を想い浮かべる。アニメ映画なのは知っていたが、「崖の上のポニョ」のジブクの興行収益を追い抜くとの話もあり、見ないといけないと震災前と合わせると、15年以上にもなる石巻のマイカル映画館に行った。

アニメの「君の名は」は、若い世代の出逢いと家庭環境の異変(母が亡くなり父が子どもを看ない)があり、自然の脅威「彗星の地上落下」など、特殊な自然災害を想定した映画だった。災害から自分を守る事と、避難防災の中で若者たちが活動するが、町民は子供の声に無関心で、信じなく避難をしないがあったる。危険だから避難し、何も無かったら被害も人災も発生しない、命の無事を皆で喜び合う。こんな男女の出逢いの中に、大震災の避難行動の必要性を訴えていた。全国で現在発生する自然災害を、アニメとドラナチックな人が入れ替わり、現在と過去を彷徨い、「その時の悲劇」を解決に結び付かせた。その二人が現世で巡り合い、名を聴く事も無く「君の名は」で終わる、夢とロマンの作品だった。

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【訓練】土砂災害警戒情報
【訓練】こちらは南三陸町です。
2016/11/06 07:45に南三陸町に土砂災害警戒情報が発表されました。
土砂災害の危険性が非常に高まっています。
土砂災害警戒区域などにお住まいの方は「避難」又は「屋内のより安全な場所へ退避」してください。
※これは南三陸町総合防災訓練における訓練配信です。
(南三陸町危機管理課)


午前は8時15分にアリーナで、沼田行政区の町の防災訓練の参加が始まった。アリーナに避難し避難者名簿の記入があり、65名余りが参加した。防災訓練の町からの行政区要請で、怪我人として重症・軽傷・その他で、各3名ずつが医療の訓練で、消防署の怪我人救助に参加した。
10時までの訓練があり、町会の各地で開催された。9時30府には広域消防の指導を受けながら、震度5の地震の対応訓練で、椅子に座っている人は落下物から頭を守り、立っている人はしゃがんで収まるのを待った。

会場入りした時には「防災ヘリ」が町の駐車場に飛来し、庁舎前の駐車場では消防放水訓練が行われ、アリーナ脇では防火婦人部の炊き出し訓練が行われていた。
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引き続き部落の行事に参加した。防火婦人部と班長の皆さんで芋煮会の準備をして、11時から地区民が集会所に集まった。子ども達と家族で65名が芋煮を食べての交流会となった。その後のビンゴ大会が一番盛り上がった。予算での商品と多くの品が地区民から寄贈され、1時間を越えての老若男女に子供達も加わり、ビンゴの一回戦でも商品が余り、2回も楽しいビンゴゲームで楽しんだ。

こんな私の2時までの動きだった。4時には仕事で友達の家に行く。今夜も爆睡だろう。

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2016
11/05

町の復興は日進月歩


半年ぶりで志津川西地区に行って見た。災害公営住宅への転居も始まり、硬岩が高台の造成地に見つかり、西地区東工区の工事の半分が遅れていた。親戚筋の従弟も年内の土地引き渡しの話に、もっとかかるのではと思っていたのが、昨日に造成整地はすっかり整備を終え、引き渡しを待つばかりの状態だった。従妹も年内に工事が始まればと、早期の住宅再建で両親を新築した家へと、早期移転を願うだけだ。
東工区の高台から眼下の廻館前の復興を見た。中学校下は橋脚が建設中で、志津川地区の高台横断道路の建築が進んでいる。震災時の私が見た風景とは、復興で町が一変した事に、嬉しいようで故郷の風景が消えて行く姿に、気持ちの戸惑いも感じられる。
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昨日も登米市南方へ友達と会いにいった。残っていた方が集まっていて、「千葉さんしばらくぶりだごだ。」と声を掛けてくれた。町の移転先は来年の1月と3月と聞いた。南方仮設は1期と2期で、整備仮設は350戸で、現在は150世帯を切ったとの話も聴いた。
先月は2020年の東京五輪のボート競技場に、長沼ホート場が候補となり、村井県知事が選手村の構想で、仮設の有効活動の案で、南方空家の仮設を利用したモデルハウスの建設をし、小池東京都都知事の視察で、南三陸町の仮設生活者が、「歓迎」の横断幕で出迎えた。その時の状況を聴くと、付添の東京都・宮城県の職員と、多くのメディアで住民が小池都知事は見られなかったと話していた。話題の人も五輪・築地市場・都連の問題の多忙の中で、昨日に100日目となった。日本で一番忙しい人である。

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2016
11/04

ぼくの町は水族館


今月の日曜日にベイサイドアリーナで、南三陸町の子供達の「おらほの町自慢」と題された絵画展が展示されていた。子供達の想像する新しい町の姿が沢山あった。
行政の職員雇用の不思議が話題となった。町の所得の安定している事業所・家庭の子供達が、高学歴の経歴が町の最善の就職に繋がっていた。また、首長の周辺の人が今年になり、公務員となったことを「公平だったのか?」と疑問視していた。この中身の深い所は「南三陸町の政に思う」のブログで書きたい。

子供達の夢を消えさせないでと常に思っている。「大人が、町が笑われないように!」と。写真の絵画は「ぼくらの町は水族館」、つい目を題名と絵に奪われた。高速道が町に繋がり、いつも見ている海と、そこで暮らす魚たちを、題材にした。素晴らしい発想は子供達故の心の純粋な姿を表す。大人の世界の悪に俗化され、悪い事を悪いと言えなかったり、悪い事と知っていながら徒党を組み、人を困らせ自分たちだけの喜びに向かわせ、ネジ曲がった性格へと変貌する。どこかでこれを切らないと、そのまま大人となり相互愛の欠如した国になってしまう。「自分だけ良ければ!」との独りよがりの人間が増加するばかりだ。
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大震災で南三陸町には石材店が全て廃業し、時計店も3軒あった店が、今はもうない。昨日は時計のバンドが壊れ登米市で入った。入った店が佐沼高校の向かいで、偶然にもメガネ・トケイ千葉だった。親切に夕方なのに対応してくれた。創業80年で厳しい経営ながら頑張っていた。私と同じ三代目で共感する思いを語り合った。これで又、登米市の事業所との関係が生まれた。地元に根差した店が私は好きで、小さくても頑張っている店を応援したい。

南三陸町の係わりは数限りで、震災後に2回目となる「三一会ゴルフ倶楽部」のコンペを今月20日に企画している。
仲間の全てが震災からの復興に向かい、地元で活躍している。こんな仲間の中にもやむを得ず町を離れても、仲間の会にわざわざ参加してくれる。こんな仲間達と今後も生きて行きたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:10 】

2016
11/03

まち一日が


昨日も同級生から訃報の連絡が入った。
南三陸町の前副町長の遠藤健治氏のお母さんの逝去だった。健治氏の弟が私の同級生で、事あるごとに連絡を取り合っていた。私の母と同じ施設に入っていた。転んで大腿骨を骨折して入所したと聴く。
95歳で天寿を全うし、志津川地区の大森で地域の仲間達と交流を続け、大森町の隆盛の基礎を旦那さんと一緒に歩んできた。今日の火葬と明日午後6時のお通夜で、5日午前11時の葬儀が袖浜の「金秀時」で執り行われる。参列できる同級生は是非参加して欲しい。
泰治ご愁傷様さまでした。息子としての孝行を全うしたね。

昨日の新聞には義理の叔父の文化勲章「秋の叙勲」の発表があった。藍綬褒章で宮城県に二人だと言う、全国では約300名が受賞した。保護司として「更生保護」に尽力した。父の後に続き、自分も保護司として40数年の活動と話す。刑を終え社会に出ても、働く場と生活する場の確保に活動した。仙台に30年?前に出所した人たちの宿泊施設を建設にも尽力した。現在は建物の老朽化で改築の経費が約500万円必要と言う。現在はその資金集めに奔走していた。我が社も支援したいと考えている。今日もご法事ですと挨拶を程々に仕事に帰って行った。
また、平成学園「あさひ幼稚園」が4回の移転を繰り返し、新園舎で園児が幼稚園独自の幼児教育を11月1日から始めた。震災前に志津川駅の近くに有った前園舎は津波で、園舎も資料も全てが流失し、園長の幼児教育の熱意を継続させた。震災後には全国から多くの支援が有った。サッカー日本のキャプテンの長谷部選手の、再建資金の1億円は皆が知る所であり、建設された新園舎も有名建築家の設計と言う。東地区の西工区が新しい場所で、東浜団地の隣りで、病院・役場の町の拠点として、高台造成地の一番大きい団地内でもある。

色々な問題の発生で、少し静かに今日は暮らしたい。

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2016
11/02

君は一人じゃないヨ!


安倍総理の突然の我が町への来町は、間違いなく年明け選挙への行動だろう。指示率も下がりぎみで、TPPの農家の反論の中で、安保の今後と原発の稼働などがあり、憲法改正や自身の総裁任期の延長と、自分の時代に政治をこんな事をした、そんな証と歴史を造る「我欲」がここにはある。過半数の上の3分の2の確保があり、何が何でも最終的には全ての法案が、自動的に通る態勢が「おごり」となり、間違った方向に進まなければと思う。こんな想定を予測する。
前略安倍総理、我が町の高齢者は政治に無関心で、「安倍さんが来るんだって!」の声にも、反応は薄い。政治活動ながら5千人の産業祭の「餅まき」に5千人が集まったとの報道も、大部分が餅と商品目当てですから。参院選で自民が負けての、政治支持者の掘り起しの為の終末の多忙な行動は、自分たちの「保身」と感じるのは私だけだろう。

知らない所で南三陸町の子供達は苦しんでいる。止む無く両親の決定で、友達と別れ離れになり、新たな環境で頑張っている。「頑張らなくても良いんだよ。」、普通に勉学・スポーツに取り組めば、きっと成果は付いてくる。決して「一人じゃない!」から、必ず君の見方がいるよ。
自分も幼い頃はコンプレックスと戦い、対人でも苦しみ、一人が多かった気がする。でも自然と友が一年に一人、また一人と生まれ、今は多くの知人と自分なりの付き合いをしている。
ことばを送りたい、「風の日は風の中を、雨の日は雨の中を!」だ、相田おさむの書にあり、一冊の雑誌の1ページにあった。この切れ端を自分のバイブルとして大切に持っていた。何かあった時に見返し読んだ。心が「スー」と落ち着いてくる。津波でそれは流されたが、自分の心に色々な形として残り続けている。

我が町の子供達も、大震災で家族と他の地への移転があり、家族一緒だから頑張れるがある。それでも家族は諸々の問題の中で、子どもの教育環境の確保の為に努力をしていた。現代社会は「学歴社会」となり、大学卒業じゃないと大企業への就職は難しく、都会での生活を夢見て上京しても、この時点で一歩も二歩も差が付いている。色々な事が成長する中で起こり、それを克服する事で成長できる。小中高と幼児期から大人の階段は、決して楽ではないが、努力し苦しみ進む事で、社会で生活できる精神が宿る。
君たちは生きている。家族もいる。仲間を作り共に育ち、一緒に町で日本で、家族の為に頑張って欲しいし。きっと君ならやれるヨ。多くの町民が津波で大切な命を無くし、したい事もできなくなってしまった。その分も頑張らないと!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:14 】


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