ARCHIVE - 2016年10月

2016
10/31

ある日の一日


やっぱり人の賑わいを見るのは嬉しい。友達の「上棟式」には歌津中学校裏の団地には、既に子育て拠点と災害復興住宅、60世帯前後の土地区画があり、7割は既に建設中か、もう既に居住が始まっていた。3時頃に祝い唄も終わり、四隅に大きな餅が撒かれ、「餅まき」が始まった。3時を過ぎには近所の人達と、子供達が集まって来た。新しい地区の賑わいが始まった。近所付き合いもここからスタートする。
この日は芸能祭・産業フェア・三陸道開通式など、町に多くの行事が開催されているが、それでもこんなに多くの友人・知人・近所が集まってくれた。

以前から歌津地区の繋がりは深く、震災から5年7か月が経っても、生まれ育った町を離れる人が、南三陸町の地区の中で流出が少ないのも、歌津地区の住民の繋がりは蜜である事を示している。
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大川小学校の石巻市の賠償が裁判で判決がでた。しかし石巻市長は控訴を決めた。議会の決議が必要と「臨時議会」を昨日開いた。「これ以上家族の悲しみを無くすべき。」など、多くの議論がでて、傍聴席では遺族がその様子を見つめていた。議員の駐車場入口で「反対するよう。」に遺族は、亡くなった子供達の写真を添え、お願いし語り掛けた。
結果は石巻市議会26名の議員の内、控訴賛成が16で、反対が10の賛成多数で控訴する事に市は決めた。もう一方の県は石巻市の態度を見極めたいと知事は言う。大震災の緋劇は未だに終わらず、遺族の涙に濡れる姿があった。この姿に防災庁舎の存続問題を思い出す。

防災庁舎の解体では当初8対7で解体が決定し、その後の県有化で保存へと賛成多数で議会が「県有化」を決定した。ここでも遺族の悲しみに暮れる姿があった。南三陸町でも大震災の苦しみは今も続いている。

住宅再建が進み、登米市の南方仮設で南三陸町民の「さようなら会」が先ごろ開催され、町長と自治会長がこれまで長かった仮設暮しを話し、「悲しいような嬉しいような」と自治会長は話す。今年中には土地の引き渡しがあり、住宅建設での再建をする住民は、建設へと南方を去る気持ちへと、新たな厳しくも喜びのスタートとなる。

現在も160世帯の町民が住み、一人また一人と退去していく。今年・来年度、仮設が無くなるまでと住民の思いは不安だろう。
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2016
10/30

月末の休日の南三陸町


今日は朝7時から地区のススキなどの草刈り機で刈った物の取集と、町の雑草捨て場に運搬の活動に参加した。地区の団地の写真の法面の清掃は地区が仕事とは違う気がする。地区民が60名余りの参加で2時間掛かっても終わらず、2時間してら順次終了しても良いという事で、薬と洗濯など貴重な休日晴天の我が家の仕事に帰った。

また今日は、三陸道の開通式があり、産業フェアが町のアリーナで盛大に開催されていた。安倍総理も30回目の来町と言い、南三陸町の地区発信のイベントを視察すると言う。その後は「命の道」という、被災地の高速道路の開通式に首席する。
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こうした被災地に国会の多忙な中で訪問するという事は、年明けの「衆参同日選挙」があるからとも伺える。国会は選挙モードに入っている。安保理で核廃絶の法案に、日本が反対をした。内容は少し違うが原爆を容認したと、広島・長崎のみならず、国民は怒っていた。外務大臣は、核廃絶の反対ばかりでは、5つの保有大国との会話が出来ない為と、苦しい説明をしていた。
そんな中で戦争の体験者でもある三笠宮様が逝去された。100歳となっても戦争の参戦した当事者として、拡大防止を叫び続けた。核の三原則を日本国憲法は持ち、絶対戦争はしないと日本は誓った。そんな国が「駆けつけ警護」「核の傘」など、戦争に近づき核により保有国の守られる、日本の体制に矛盾を感じる。

アベノミクスの成果を強調し、強権的な独裁政治に感じる今の日本の状態に、私は不安を感じる。社会保障の国民年金も、これまでの25年以上から10年以上で貰える制度の改正をする。貰う事無く亡くなった人たちはどう思うだろうか。「ばらまき」と取られてもしょうがない。日本にはお金が沢山あるようだ。
国民年金は25年で月「6.5万」で、10年以上で月「1.6万」の受給となると、これまで期間が足らずに貰えなかった人の予算として、600億円が必要になる。これから10年間掛けて国民年金の受給をする人は、月掛けの分が65歳・70歳から貰えると言う。果たしてこの制度は矛盾してないだろうか。とにかくお金を集めて、年金受給に回し、多額の資金を集め運用に充てるだけの、資金集めのように感じる。

母の相続も土地の住所の町の変更で時間が掛かったが、昨日に終わりましたと請求書が届いた。志津川地区の「町裏44-3」が「本浜町70」と同じとの、町の証明は出せないとの窓口の話しに、「大丈夫、相続なります。」と、時間が掛かったがその通りとなった。いろいろすみませんでした。しかし、流失した書類の復活があったら便利と言う、書類の作成が簡単にできないものかも今でも思う。公務員も町民に寄り添う事を努力して欲しい。

今から友人の「上棟式」に行きます。

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2016
10/29

大学教授に学ぶ


福島県の全国印刷文化展の講演会で、福島出身の東京農業大学の教授で、発酵学の日本の学者の小泉教授の講演があった。多くの自治体の「町おこし」を全国で展開している。ある例を紹介してくれた事が脳裏に残る。
場所は忘れたが100軒ぐらいの農家が、ある発酵事業に小泉教授のアドバイスで展開した。そして4億円の売り上げのヒットとなり、その地区の活性化に尽力した。一軒あたり400万円は農家にとっては大きく、農業の生産品に発酵商品を考案し増収になった。
その町起こしの中で記憶しているのは、ビニールハウスの活用を終えた鉄ワクに、ある品種のカボチャを植え、ハウスの上までいっぱいにカボチャを実のらせ、太陽を浴びせ甘いカボチャを作った。カボチャを発酵させ「蜜」「粉末」などの商品を、お菓子などに広く活用し、農家の収入とした。
人間の新たな知恵による、普通の食べられず捨てられていた農作物を、今までにない物を商品化した。総ての農水産品に発酵食品があり、古くから日本の保存技術に発酵がある。とジョークを交えた楽しい講演だった。

今日は朝から隈研吾氏の国立競技場の建設説明の話題で、木材をふんだんに活用すると言う。「被災地の木材を使う」とメディアで公言した。柱に「大和張り」と言う合板製法を取り入れ、競技場に障子のようなデザインを施していた。
オリンピックでは登米市の長沼のボートコースの活用は、土地の買収や整備で時間が掛かると、開催は難しいとの検証調査会が発表した。海の森の年間維持費には2億円が必要で、管理にお金が掛かる事と結論付けた。

昨夜は地区の会議があり、6日の防災訓練の参加と、「芋煮会」の開催についてが議題だった。今回の防災訓練は沼田地区が行政協力になり、地区民が訓練に参加する。終了後に芋煮とおにぎりを準備し、ビンゴゲームをする。地区防火婦人部と班長が台所の準備をする。私は米10キロを準備する。おにぎりを140個作り、これも「炊き出しの練習」だと言う。

今月の多忙の仕事と行事満載を何とか乗り越える事ができた。絶対に無理をせず、父の生活に気使いながら、仕事と生活を両立と実践をしている。

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2016
10/28

感謝とエール


実りの秋から米の収穫を終え、農家はひと段落をしている。相次いで知人が実りのお裾分けに、「つや姫」という品種を持って来た。まだ食べてないが早くその味をみてみたい。「あきた小町」が一時期のブームだったが、日本の品種改良の力に感謝したい。

昨日の朝刊に「南三陸町にかき小屋」との記事がカラーで出ていた。知人であり次々と「SNS」を使って、オープンした民宿をアピールし、多くのボランティアの受け入れをし、沢山の人の繋がりを自分の力にしていた。「南三陸牡蠣倶楽部の副部長です。」と、銀行に行った時に挨拶された。彼もまた社長の活動に賛同し、仕事を手伝っている。観光客に牡蠣の海の収穫・生産の現場と、南三陸の美味しい牡蠣を味わって欲しいと、今回は夢の一つを叶える事ができた。
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私の周りには目標に向かい邁進する仲間と、60歳となりその歩を緩める仲間がいる。私は前者と思っているが、多くの壁が待っていて、それをクリアしながら小さな夢を叶えたいと思っている。

一昨日の従業員の帰り道、車3台の事故と遭遇したと言う。6時前後の夕間暮れの時間、交通の帰宅者と混雑となる国道45号が、その原因に上げられる。気を付けての運転は家族へのお土産であり、急いでも信号で一緒になり、多くのリスクしかなく良い所はない。

フィリピンの大統領の外交に、政治家のズルさばかりを感じる。中国では服従し、アメリカ大統領を批判し、日本の総理からは軍事支援を受ける。国益が有ればいいのか、一番初めに切られる国となるだろう。信念なき外交は国を危うくすると思う。

いろいろ考えなといけない現状・性格は、自分に疲れる。

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2016
10/27

生きた証


私が東日本大震災や震災後に亡くなられた皆さんの「生きた証」を伝える事を活動の一つにしている。誰も知らないままに、家族が静かに送り出す。これだけで良いのかといつも思う。みんなから忘れられ、語られる事無く亡くなって逝く事は、悲しく寂し過ぎる。亡くなって間の無くは噂になるものの、忘れ去られてしまう事が悲しい。少しでも長く、また再び死者を思い出す事が、個人の供養になる。私の母は多くの方に「生きた証」の生前の看護師だった頃の話しを聞いた。「嬉しい!」の一言に尽きる。

こないだ東大阪市の同業者の皆様も、大川小学校に慰霊の花を納めた。その願いが伝わったのか昨日の裁判で、23人の家族の思いが天に通じた。告訴された「県」「市」は内容を精査し、どうするか考えている。父は子供の「生きた証」が認められたと涙した。
その時の避難の対応は校庭で生徒を避難させ、45分後にこの場から橋のたもとに移動している時に津波が生徒を襲った。74名の生徒が亡くなり先生も殉職したと聞いた。4㎞の河口から津波が川を遡った。大川小学校は避難場所であったし、学校に津波の避難マニアルが無かった。教師が津波襲来の判断ができなかった。などで市は想定外と言う。しかし、今回の裁判で市の広報車が避難を呼びかけ、それを教師が聴いていた。こうした事で津波襲来を教師は予見出来たと、裁判官は判断し今回の結果となった。

74名の生徒が亡くなり23名の遺族が告訴し、勝訴し14億円の支払いとなった。残った41名の遺族はどうなるのだろうか。まだ問題は終わっていない。遺族が求めている物に「当時の真実を知りたい」がある。まだまだ裁判は終わっていない。

大川小学校と戸倉小学校の教師の避難行動を比べてしまう。30分の地震発生後の時間の中で、浦山に生徒を避難させた。津波マニアルでは3階の屋上と指示されていたが、浦山に避難した先生方の「危ないの直感」が100名前後の生徒の命を守った。我が町は地震発生地区であり過去の津波襲来の町である事が、異常な地震発生は想定した避難行動を、それ以上の行動へと向かわせた。行政の「町民の命を守る為」の防災庁舎の居残りも、町長の告訴でその真実と行動を、司法の場で議論して欲しいが家族の願いだろう。

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2016
10/26

貴方の商店を守るは限界にきている


震災直後から町民の買い物環境確保の為に活動していた「ウジエ」があった。震災前から町民の買い物の場だった「ウジエ」さんが、町民の多大の早期出店希望が、来年10月に開店を予定の工事に、年内にも入るとの声を聴く。これまでも続けてきた出店の動きが本物となる看板が、建設用地の前に立った。

一時的に旭ヶ丘団地下にも、スーパー建設の土地の借地、建設で動き翌年には「買い物の場」の整備で、商品の選択・新鮮野菜など被災地の住民の生活支援に向かっていた。しかし、震災復興の整備もあり厳しいとの事から、これまで延び延びとなっていた。6年目ながら確実に来年オープンになる。

建設案内には2区画の出店者募集もあった。大店の隣接場所での商店経営は成功すると言われている。だが、地元の商店は無理のような気がし、どういった店が出るのか楽しみだ。当初話していた通り「地元の商店の出店も考慮している。」、との話は実現しそうだ。また、地元の農水産品も置きたいとの、「被災地の農家漁民にプラスになるように」もあったが、2店の店舗の出店は、産地直売所にした方が、安定した売り上げに繋がる。商品にこだわり新鮮食品が、スーパーにも負けない集客力がある気もするが、ひとつの賭けでもある。
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ウジエさんは南三陸町の震災前の従業員は、周辺の店舗で働いてもらっていて、出店と同時に南三陸町に戻すと言っていた。60人~70人にも及ぶと言う。
人口減が確定となっている町の状況で、ウジエさんもある意味賭けでもある。しかし、会社の出店への町民の「嘆願書」は1500人以上になったが、震災後の混乱の中での嘆願書集めでは、その数の多さは町民の多大の希望が含まれていた。「約束は守る。」これが優良企業の証であり、「地域に御世話になった事への恩返し」と、以前ウジエの方に聞いた事があった。

志津川地区中央区の向かい、町の中心に位置している高台で、近くには町の複合商店街が建設中で、来年の3月には「町開き」で進んでいる。厳しい経営になる事が予想される。
三陸道が今年度中には志津川の商工団地まで達する。一年ずつ北上しインターができ、「ストロー現象」も考えられ、観光拠点としての役目が実現できるか心配だ。
日常の品々の住民への販売は、日々の生活に欠かせなくスーパーの存在は、ショッピングモールとは違う。町政の思考の「ほころび」が近い将来やってくると私は予想する。想定の甘さは、新しいもの好きと華やかさ好きが仇とならないようと思い、現政権の政策と結果を最後まで見ていきたい。

今日も忙しくなりそうだ。

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2016
10/25

怖くて海岸線のホテルの下は歩けない  私こと


気仙沼湾のフェリーの発着乗り場がある入り江には、出島の神社があり、その先に大型船が打ち上げられた「鹿折地区」があり、津波は入り江の奥へ奥へと、平坦地を一気に突き進んだ。

交流会をした店は宿泊ホテルの向かいにあり、歩いて10分とホテル社員は言う。タクシー3台に便乗し吉次の店へ行き、帰りは夜10時過ぎとなり南三陸町の同業者に載せてもらい、海岸線の仮設の道路をホテルに向かった。初めて通る臨時道路と震災の復興の工事現場でもあり、電灯も少なくホテルの灯りも見えるので、「この辺でイイよ!」と下車した。

ホテルの光の方に向かって歩き、私の目の事を忘れていた。工事現場らしいがロープが幾つも張られ、段差も区画ごとにある。その中を真っ直ぐ歩き進んだ。土の側溝らしき物にハマった。酔っ払いのせいか転び泥まみれとなった。車を下りて15分位歩きやっとの事でホテルの部屋に付いた。
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多くの漁業関係者が通行する湾岸道路も、震災から5年7か月が経過した。気仙沼市の復興の現状は、大都市の被災ゆえの工事の大変さを思う。ホテルは高台に建設され、津波被害は低地部の海近くは被災したが、多くの宿泊ホテルは津波でも残り営業を続けている。

南三陸町は被災した土地も町民から99%を買い上げ、町が都市計画を県の管理下で進め、UR都市機構に復旧工事を委託し、整備が完成後に買い取る。こんな手法を取っているようだ。

昨日に町中の新国道45号を通過した時に、志津川地区中央団地前に「アップルタウン」の看板が出ていた。町民の待ちに待ったウジエスーパーが来年の10月の開店を目指し、これから工事が始まる。

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2016
10/24

被災地支援の東大阪の印刷仲間に感謝


21日の全国の印刷文化展で、全国の印刷会社・関連業の集まりに、多くの事を学び、多くの情報収集をしてきた。
昨日は地元に帰り、父親が安堵の気持ちで迎えてくれた。一人の2日半の生活の不安を理解する。兄弟たちの兄を心配しての訪問や、食事や食べ物も運んでくれた。仙台からも兄が来て、父も多くの家族の訪れに落ち着きと元気を感じる。
私は勝手な人間で、自分本意の生活を実行している。それを親戚や家族は理解をしてくれている。震災の労苦と、会社の仕事も高校からと45年を迎えた。もういいだろう! 今まで出来なかった事を、千葉家の為に、生まれ住んだ町と、私たちと共に生きてくれた多くの皆様に、感謝しながら生きていきたい。
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東大坂支部の友好支部協定締結から3年目を迎え、大坂から7回の来町と、被災地での宿泊と商品の産品購入を続けてくれる。
昨日も、南三陸町の海産物店さんで買い物をし、庁舎と大川小への献花の供え物も購入した。毎回来町時には「未希の家」にも、仏前にお土産と焼香をさせてもらった。その後は歌津地区の民宿で食事をした。
今回は8名が仙台空港からレンターカーを借り、福島県郡山へそこから原発の状況を視察し、常磐道から宮城に入った。そして気仙沼の三陸新報社の見学や、市内の有名店での交流会は、笑いと美味しい三陸の料理に、時間の経過も忘れ楽しいひと時だった。気仙沼市の地酒の2軒の酒蔵のお酒も堪能した。福島での全国の地酒比べ、気仙沼の冷酒と普段飲まない酒に、二日間も酒に酔い二日続けの二日酔いを味わってしまった。温泉も福島のかけ流しから、気仙沼のホテルの食塩泉の温泉のはしごなど、初体験が沢山あった。「命の洗濯」とはこういう事を言うのだろうか。友との再会と新しい仲間との出会い、そして会話は自分の肥しと思っている。

話題が多すぎて追々ブログで紹介したい、今日はこれ位で閉じます。

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2016
10/23

究極の被災地支援観光と「おもてなし」


一昨日の福島から、昨日は大阪府印刷工業組合の東大阪支部様一行と、気仙沼市の予約が取れないと言われる、名店「福よし」で交流会を開催した。東大阪からの8名と気仙沼市と南三陸の宮城支部の5名が出席し、13人でこれまでの東大阪支部さんの7回にも及ぶ、被災地への観光支援活動を、3時間と言う予定を遥かにオーバーし、有意義な交流会を過ごした。CIMG0083.jpg
究極の一品は「吉次(きんき)」の焼き物だった。南三陸町で現在住み、前町の志津川町で育って初めての、大物吉次の焼き物を堪能した。これぞ水産業の街、仙沼市の新鮮魚を味わった。
強烈な炭火で「プロの職人」が目を離す事なく、真剣勝負の神髄の焼き物を食べた。「美味い!」の一言に尽きる。
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刺身の盛り合わせは、旬のカツオとサンマの刺身がメインで、ツブ・ボタンエビ・ヒラメ・タコ・ホタテ・ホッキ貝が、一枚の皿盛で大阪からの来客をうならせた。こうした地場の新鮮な海産品を、値段にこだわる事無く出していただいた。驚きの清算額なから、納得の料理だった。サンマの焼き物は頭と骨だけとなり、内臓も美味でこれぞ「気仙沼のさんまの塩焼き」だった。
貴重な二日間だった。大阪の仲間をこれから、「みきの家」「防災庁舎」を案内し、最後に石巻の大川小学校の跡地に献花をされて帰る。
本当にご苦労さんでした。

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2016
10/22

郡山の商店街に学ぶ


10月21日午後1時半の全国印刷文化展ふくしま大会に参加してきた。北は北海道から南は沖縄まで、800名の印刷事業所・関連業、そして知事・市長、国会議員・通産省の官僚が、福島市郡山市に集まった。

大坂からの友好支部の東大阪支部からも、今回は気仙沼・南三陸支部との親睦を深めたいと、8名の会員が全国大会を期に、飛行機で仙台空港から陸路で郡山入りをした。今日は気仙沼市で交流会を開く。二日続けて宿泊と祝賀会となる。
私は車で朝8時に家を出て、三陸道~南部道路~東北道と、高速を使い津山IC~郡山南ICと4時間掛けて、郡山市のホテルに着き参加をしてきた。高速の便利さを直接感じ取った。
印刷業界の現状と10年後の展望で、売り上げが全体で2割減少し、組合員も3割が減る事を予想していた。ただそれを待つのではなく、新たな可能性に向かい改革を続けないといけないと、開催県の福島県印刷工業組合の、佐久間理事長は話す。最後に「一緒に頑張って行きましょう!」と締めくくった。共に力を出し合い存続の道を切り開く事こそ大切と、印刷事業者にメッセージを送った。一人が残るではなく、共に助け合い生き残れるのだと。
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市内のホテルには、福島第一原発の「当時」と「今」の写真が、パネルで紹介されていた。追々紹介して行きたいと思う。

疲れ疲れの、問題発生の昨日と今日ながら、本当に行ってきて良かったし、多くの新たな情報に、将来への可能性を発見できた。

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2016
10/21

素直に まじめに 生きる


昨日の昼間のニュースで「ラグビー平尾死亡」の訃報に驚いた。まだ若い53歳で死亡理由は発表されていない。ラグビーにはまった事には彼の姿があった。スポーツドラマの「スクールウォーズ」のモデルとして、大坂の国学院久我山高校から同志社大学、そして神戸製鋼と、ラグビーの彼の姿に引かれていった。ラグビーの世界選手権が確か日本で開催れる事や、五郎丸など多くのプレイヤーが、世界で活躍できるまでに日本がなったのも、彼の活躍があったからだ。ラグビーの隆盛はこれからもだけど、多くの先人達の事を忘れてはいけない。

事件が日々社会に渦巻く。青森県黒石市の市長は取り消しを撤回し、中二の女性の写真を「いじめ防止のメッセージ」として展示すると言う。二転三転する発言は政治家の自分を守る「二枚舌」である。判断の間違いは素早く訂正する、今回の問題もいやな事件だった。
大坂の機動隊の沖縄でのデモ市民への暴言には驚いた。基本的な公務員としての教育がなってない。そのやりとりが市民の映像で残されている。「怖い!」の一言である。発言・行動の自由が日本にはあり、脅しの対応は更なる混乱を生む。松井大阪府知事のツイッターの「公務御苦労様」の発言は、日本維新の代表として発言として、大阪府の公務員として「擁護」はあるが、もっと沖縄の県民への配慮があっても良いと思う。現在は松井イコウル大阪維新がある。維新への支持は日に日に薄れている。自民党の国防への同じ意見に違和感を持つ。橋下代表から辞めても指示していたのに、カリスマが消えると党は錆びれていくようだ。

殺人事件も多発で、昨日の若者の強行の何が何だか分からない。見知らぬ家族への30㎝の刀? でその家の父親を30カ所も刺し殺した。その他の家族の3人の子供達にも傷を負わせた。容疑者は引きこもりを繰り返している24歳で、「定時制に」と母の願いの中での殺人事件を起こした。多くの不登校の理由があるが、「自分の想い通りにならない!」が、若者の強行へと走らせた。叱り・教える事ができない親が増えている。一緒に考える事と親として毅然として子に向かう姿勢が足りない気がする。

高齢化社会の問題は他人ごとではない。84歳の寝たきりの夫がコタツ線で絞殺された。81歳の妻が不明となっている。息子夫婦と2人の子供の6人家族、何処にでもある普通の家族である。しかし、84歳の夫は寝たきりとなり、ここから歯車が狂い始めたのだろう。妻の介護疲れと将来を悲観しての事件と私は思う。
私が、父が寝込んだら! と思うと身内・他人には迷惑は掛けたくないとの、昔気質の考えがこうした行動への走らせたのだろう。自国の国民の生活の安定も造れない政府が、世界各国への多額の支援をしている。経済援助は資金だけでなく、生活環境の整備支援をお金に換算しての援助ながら、もっと国民の生活や教育に税金を回すべきと思うがどうだろう。

8時には福島県郡山に行く、高速を100Kで飛ばして4時間と聞く、何も無ければイイが、多少心配である。仕事も残し従業員に頑張ってもらいしかない。こんな事は初めてである。
明日は南三陸町のまた悲しい真実を書く。

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2016
10/20

教育改革は優しい子に寄り添う事


青森県黒石市の中2女子の列車への飛び込み事故が、大人の利己主義の為に再び悲しみのどん底に家族を追い込んだ。
「ストレスに耐えられない。」「いじめはもうやめてください。」など、中二の女子のまだ小さい心は、追いつめられたが家族を思う心は最後まで健在だった。いじめをした生徒の名前を携帯に書き留め、学校へのいじめの対策を願い死んでいった。亡くなった生徒の想いは、教育委員会と学校側には伝わっていない気がする。いじめで亡くなった生徒より、加害生徒の今後を配慮するいつもの経緯をたどっている。
「教育指導」は先生・両親・子供の三者に、教育委員会の委員、そして県の教育事務所が、過去の対応を参考に等せずに、新しい現代の教育事情を加美した指導体制が必要ながら、教員のレベルは日に日に資格主義の、頭でっかちの計算での教育となり、「心の教育」は「死語」となり形骸化している。
亡くなった「りまさん」と家族への仕打ちは更に続いていた。彼女を撮影した写真が、地元の手踊りの写真コンテストで「市長賞」に輝き、両親は娘の輝いた可愛い笑顔に救われていた。しかし、「死んだ人の斜体は賞に添わない。」との、委員会の決定で取り消された。この報道が全国の情報として流れ、黒石市に多くの「おかしい。」「可哀そう。」指摘の電話が殺到した。父の言葉は娘の更なる悲劇に涙した。世論の大きなうねりにより取消を市長はやめた。父はこの決定に「ありがたい。」と受け入れた。なんと心の優しい父と感じた。りまさんもこうした父親の元で育てられ、優しい素直な娘になった。
列車への飛び込み自殺は、損害賠償の心配も出来る程の、頭も良く心乱れる中で繊細な子供に育っていた。
いじめは被害者も加害者も一生を駄目にしてしまう。だからこそ普段から「人への思いやり」と人の身になって考える、「家庭教育」を実践して欲しい。私もそんな教育の中で生きて来たが、時折脱線する。その度合いが小さく冶まったのも、我が家の教育があったからと私は思っている。
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伊里前商店街の起工式が昨日ありテレビで報道されていた。ここでも建築設計をした隈氏が「地元木材をふんだんに使用した商店街です。」と挨拶で話していた。女川町と変わらない商店並みは、歌津湾に向かい5mの嵩上げの上に、土盛りされたばかりの土地に建設が進む。土の落ち着きと、土の中は問題が無いのかと、これまでのURとゼネコンとその下請け業者の、整備への指導・監視は大丈夫かと心配する。
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今日は石巻に行き、帰ってから気仙沼に行く。余った時間で地区の告知文の配布をする。それから明日の福島への準備をする。目の調子も、さすがに処方したレンズは良く見える。

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2016
10/19

そう言えば


今週も多忙を極める事となる。21日には福島県郡山市に「全国印刷文化展」に参加する為に出掛ける。そこで大阪府東大阪支部の皆さんと合流し、22日に気仙沼市プラザホテルで、友好支部としての交流会を開催する。23日には南三陸町の常宿としている、歌津の民宿で一緒に昼食をとり、女将さんとの再会と話を聞く事としている。

昨日は今月2回となる「マイタウン情報」の折り込みに、津山まで出掛け、その足で登米市に相続の件で向かい、そこから登米市に新しいメガネを取りに行って来た。23日の第四日曜にも、我が社の発行の南三陸町の出来事を伝える、是非見て町の変化と気仙沼の変化と比較して貰いたい。

震災3年目から糖尿病による眼底出血が加速した。それは震災後のインスリンと薬の投与が2・3か月出来なかった事で、糖尿病が悪化したと、今考えると思う。当時は白内障とも重なり見える部分が半分、そして三分の一となりその大変な異常に初めて気づいた。一方の目の異常で、何とか片方が見えていた事で生活は出来ていた。しかし、手術後は片目の回復がままならず、一方の目も悪くなり、両目の視力は0.2ながら、生活するには厳しい状況となった。メガネを替えればという問題ではなく、眼底の回復と眼球内の落ち着きに時間がかかっていた。何とか半年前に石巻日赤の東北大の若い先生に、治療は終わりましたと言う事で、紹介状を頂いた登米市の「みうら眼科」で、メガネの処方箋を作って貰い、隣りのメガネ屋さんで新しいメガネを作ってもらった。

メガネは「近眼用」と「遠視用」の二つを作り、遠目用にはサングラスをはめる形にしてもらった。これまでは目が落ち着くまでと、「百均」の2.5倍の老眼強で対処していた。今日のブログ打ち込みは良く見えた。

来月には船舶免許の更新に行ける。自動車運転も「眼鏡使用」となる準備が出来た。船舶は「0.5」で、自動車は「0.7」と眼鏡使用ならクリアできるが、最後まで裸眼にこだわりたい。

今月からの「自己防衛」は、仕事の減少に対する準備は、住宅ローンの返済に「年金早期受給」を充てる事とした。今月の15日に初めての年金が振り込まれる。
多くの事業所が以前の町にはあり、お得意様も200件もあったが、現在は90前後と、これで生活と借金返済が成立するはずがない。仲間達と同じで一部の人間以外は、総てに生活の大変さがある。

楽しく生きる為の方法を自分で考えるしかない。体調・視力・仕事・収入・余暇など、取り巻く環境を「笑い生きられたら!」が、私の描く生活だ。取りあえず遠くの目標は、来月末の「船舶免許更新」で、これで広い海に漕ぎ出せる。

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2016
10/18

家庭に花を


家には花を置くようにしている。気持ちが落ち着くのは私だけではなく、93の高齢の父と男やもめの還暦の息子、こんな環境に女性が来てくれるよう、いろいろとやっている。嫁よりも他の人が来た時に、少しは見た目を良くしようとしているのが実情だ。

南三陸町の震災被災者が暮らす、登米市南方仮設がピックアップされている。それは五輪のボート・カヌー会場に、登米市長沼が候補として上がり、選手村に南方仮設を利用すると言う。
日曜に小池都知事が来て、長沼と仮設を視察に来た。仮設は二つを合わせ200平米の部屋とし、モデルハウスを造った。南三陸の仮設自治会長は、「私たちが暮らした仮設がオリンピックに活用される事は嬉しい」と話す。仮設は現在146世帯が暮らし、来年6月には350世帯あった仮設は全て解体されると言う。

村井知事の積極的な誘致活動は、誰の為と言えば自分の為であり、小池氏も宮城の視察は自分の為ながら、登米市民の盛り上がりは本物で、地方の小さい市がメディアでとらえられ、有名になる事は市民にとっても嬉しい。
オリンピック組織委員会の森会長の「反対」は、自分を誇示するためと東京で開く事の拘りだろう。五輪誘致を「被災地を世界に伝える」と言うメッセーバがあり、世界から注目された事が誘致に繋がっているのに、計画が本当に被災地となったら、開催されないような活動に終始し意見を述べている。

こんな所にも政治と建設関係の野合の利益が渦巻く。大震災・そしてオリンピックの建設特需が、ある意味で建設価格を高騰を招いている。

前滋賀県の知事の「もったいない!」は、国民の税金の無駄を無くすことにあり、民進党の「コンクリートから人へ」も、政策的には日本の暗い闇の部分の解決にあった。小泉氏の「自民党をぶっ壊す」「郵政民営化」など、新しい日本づくりがあったのに、また、昔の政治の野望の中に、国民を引き込んでいるようだ。

そんな世間の「我欲」「私欲」を忘れる為にも、花を愛でる時間の必要に駆られる。今日も「TPP」の国会審議があるが、国民が選んだ与党の過半数に、小さくなった野党が精一杯の反論を言う。「象にアリ」との戦いと言っても過言ではない、政治の力関係が今、国会で起こっている。前後を考えない一部議員の横暴な発言で、総理の火消は大変だろう。自分が無責任な発言をしている暇はないようだ。稲田氏の政調会長当時の「凛」とした姿が見えなくなった。

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2016
10/17

秋の風景いろいろ


友達が「いっぽんしめじ」を持って来てくれた。天然ものはやはり香り強く味もイイ。昨日は緊急地震速報のケイタク情報のアラームが鳴った。「震度4」ながら下から地鳴りと共に、普段に派生する地震とは違う。気象庁の地震の予想は大した物である。DVC00057.jpg
我が家の家庭菜園も実を付けたままで終わりが来た。トマトは寒さと太陽の恵みも弱く、赤く色づく前に終わりそうだ。ナスは多くの身を付け食卓を飾ってくれた。ハチが飛びチョウが舞う、そんな環境の中で花を付け実を結んだ。野菜の菜園の反省は、良い時期に苗を植えないと、成熟する前に実は落ちると言う事だった。最善の時期に苗を植える事は、「子供の教育」と「政治の対策」など、しない時に実行しないと結果は伴わない。家庭菜園からこんな事を学んだ。DVC00053.jpg
同級生が日本シカと交通事故、車は大破し買い替えないといけないと言う。また、知人が「災害復興住宅」への引っ越しを終えた。今度は西地区が引き渡されたみたいだ。昨日は「ずっと!」家に居たので他に情報はない。
日本シリーズの対戦相手が決まった。「広島と日ハム」で、広島は史上最高のチームと達川氏は言う。昨日のパリーグは大谷が日本最速「165K」を出し、決勝を勝ち進んだ。楽しみな対戦となった。

巨人は自滅に近い。坂本の奮起ばかりが目立った。盗塁のスペ者リストの鈴木が、準決勝の大切な所で刺された。そして、シーズン終わりに引退となった。抑えの沢村は3回を抑え引き分けでも決勝進出だったのに、打球を足に受け交代した。シーズ中もさよならホームランを打たれたり、連打で大量得点されるなど、悪い結果ばかりが私の目に留まった。抑えのピッチーのタイトルを獲ったものの優勝できるチームのクローザーではない。今年の巨人は阿部も遅れてチームに加わったものの、ホームランもチャンスに掴む事は出来なかった。意外な所で力を発揮するのがチームリーダーながら、巨人には今年はいなかった。
何だかんだ言っても「巨人は勝たないと巨人でない!」。巨人対楽天の日本シリースも期待したいが、今年のシリースは近年にないの最高試合だろう。

今日は雨、憂鬱さが増す。

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2016
10/16

親戚の結婚式


父親は大震災で殉職したが、父の教えは子供に、そして兄弟の家族愛に繋がっていた。町民の為に命を落し、息子の自分の仕事への忠誠心が、親からの学びだった気がする。新郎新婦は被災し宮城の漁民の為に、再建への支援の為に震災後の5年7か月、走り続けた。

勤務先で知り合った花嫁だった。勇気を持っての告白があり、愛を2年余り育みゴールインとなった。お相手は北海道出身ながら、父の仕事で宮城県で育った。南三陸生町まれと、北海道旭川で生まれた二人が、仙台で出会い将来の二人の人生を誓い合った。

人口が減り地元での出会いの厳しさを思う。町外からの女性は家族は、南三陸町は大津波で多くの人が死んだ事を忘れる事は無く、こうした事に将来を描くには、余りにもリスクが大きいと思っている気がする。愛の深さと挑戦意識のある女性が町に来て、ボランティアなどの出逢いから「人生のゴール」を決めている人も多いと聴く。

婚活活動は「継続が力」と、諦めず続ける事が大切で、「南三陸町の花嫁に来て下さい!」との言葉を発信続ける必要性を思う。婚活活動の経費は4月からこれまでで、15万円越えとなったが、南三陸創造の会」の男性の会員の入会があっただけだ。男女の結婚期の高齢化の中で、親戚の子供達も30歳位で結婚となり、可愛い子どもの誕生に家族は喜んでいる。
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父の兄弟たちで地元に残ったのは3人ながら、子度たちの多くは地元ではなく他の所で今暮らしていて、夫婦となり子供達との人生を送っている。地元の30歳を過ぎて結婚に至らず残っている従妹は、離婚も含めると3人がまだ独身だ。まだ少ないほうかも知れない。

2時間越えの結婚式は、仙台のホテルだったが、時間の短さを感じた。フランス料理と多くの美味しいお酒に酔った為だろう。職場の上司は新郎の雄姿を讃え、夫の死に直面しながら母の生きざまを伝えた。被災した漁民の為に新郎新婦が、宮城の漁民・漁業の為に日夜奔走した事を出席者に話し、沿岸の漁協支所からは多くの祝電が届いた。
仙台のホテルは我が町のホテルとは違い、新たな披露宴を演出してくれた。シェフ6人が牛肉の料理のパフォーマンスに会場が見入り、新郎の友だちが二人の為に弾き語りの歌を披露した。映像での二人のプロフィールや、出生から現在までや、二人の結婚までの映像は会場を沸かせた。

私は震災後は結婚式への友達たちの招待は無くなったが、子ども達は両親の手を離れ独り立ちしている。「父の友人」「母の友人」の招待は死語になっていて、両家同志の近親者での結婚披露が主体となっている。これ場被災地の結婚事情でする。婚活イベント開催者には「100万円」の町の支援金助成がある。気仙沼市の活動と我が町の「結婚問題対策」が違い、人任せの行政運営が益々多くなっている。その他の公的施設・町の財産の外部委託が進んでいる。

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2016
10/15

芸術文化を知る事は自分を高める


10月14日午後1時から志津川高校体育館に於いて、平成28年度芸術鑑賞会が開催された。講演の初めの山内校長の挨拶で、芸術の秋であり収穫の秋でもある、秋の収穫を祝う時期で、勉強するには良い季節でもある。と述べ。オぺラなどの演劇は、演技者と観客が一体となる事が大切と話す。高校生の他にも普段地域で、学校への協力者も招待されオベラが始まった。

オペラを披露してくれたのは、「こんにゃく座」の皆さんで、演題は「銀のロバ」です。団員が鳴らすベルの音でオペラが始まった。
一人の目の不自由な兵士が倒れていた。山にきのこを獲りに来た姉妹がそれ見つける。姉妹は内緒で男性の世話を始めた、兄にその秘密を話し、兄も知人に伝え、海を渡る手伝いに加わった。出演者は5名でピアノの演奏者が一人で、役を変え歌声で劇をする。
「銀のロバ」は兵士の「お守り」だった。弟が病気で倒れ土を掻き毟った時に、土の中から出て来たのが「銀のロバ」だった。兵士となりそのお守りの御蔭でここまで生きて来られたと兵士は言う。そこには兄弟の愛があり、人との出会いが新たな道へと繋がっていた。弟も一日一日を精一杯生き、安らかに眠ることができた。
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関わった若者たちは、「チャンスだから自分たちの為にやる。」「人の役にたちたい。」「世界を旅して色々な物を探したい。」など、多くの希望を持っていた。海には高い波や霧や風もあるが、何時も不安が寄せては返す、海を渡る。この意味を私は、海は社会であり、多くの困難が沢山あるが、懸命に生きて行こう。との事を差し。社会で生きる為には多くの仲間も必要と言う。オペラを通して伝えていると思った。
最後には「森の秘密は海の向こうへ。」「小さな手から色々な人の手へ。」物語は旅をすると会場に何度も語り掛けた。私が感じた「こんにゃく座」のメッセージだった。
講演後に生徒を代表し花束と感謝を伝えた。「貴重な体験ができました。」と最後を結んだ。

こんな昨日のひとときを過ごした。生徒たちは各々がいったい何を感じ取っただろうか。

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2016
10/14

自分さえ良ければと自己防衛


「熊本地震はもう既に風化している!」。こんな言葉をテレビから聞いた。阿蘇山の噴火による火山灰の降灰により、南阿蘇村は2つの自然災害に立て続けに襲われている。報道は2週間くらいは「阿蘇山噴火」の報道を続けたが、社会のめまぐるしい動きの中で、現地の実情を追いかけ、支援が続けられる事は難しくなっている。東日本大震災は5年と7か月となり、「月命日」の11日の捜索は今も続いている。最後には終わりを告げるだろう。

私が御世話になった方に、佐藤栄吾先生がいる。「退職教員互助会」の本吉地区の会長をしていた。7月の新聞に高齢者教育功労賞を受けていた。88歳となり今も移り住んだ場所で、一生懸命に生きている。受賞式には私の同級生の志郎が伝達式の写真に写っていた。南三陸町の為に自分の教師としての教員人生を捧げたのに、行政は町を出た先人の褒章に無関心なのだろうか。

写真に素晴らしい家族の姿を発見した。被災地で家族が歯を食いしばり生きる姿と感じた。生活が苦しい・大変ながら、家族が一つとなり生きている。震災で父を母を子供を祖父母などの家族を亡くした人たちの気持ちなど、私を始め震災で家族を幸運にも生かされた人間には、家族を突然の災害で一瞬にして亡くされた人達の気持ちは測り知れない。
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佐藤仁町長の再度の役場職員遺族の「告訴」は、その悔しさが決して消える事の無い現実を物語る。その悔しさがテレビの報道にも表れていた。

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2016
10/13

マイタウン情報「復興第56号」


会社が取り組んでいる被災者への町の情報を「無料」で配布する活動が、23.9月から始まり今回で「56号」を迎えた。気仙沼市との比較として気仙沼の震災復興状況と取り組みも掲載している。その記事が多くなり、月一回の発行では掲載できなく、10月は今月23日も発行する事とした。メインは10月5日に開催された、「震災復興祈念公園」の奈良大の宮城先生の説明会の内容を載せた。私は静にその経緯を見守った。是非見て欲しい。

広島の「愛の福袋」の支援団体の今年最後の被災地支援である。来月の11月16日に愛知県立芸術大学卒業の、広島のオベラ歌手の味香友子さんが来町する。「多くの皆さんにオペラを身近に感じて欲しい。」と言い、仮設の集会所で開催をする。
明日は志津川高校の「芸術鑑賞」の活動として、14日体育館でもオペラ公演がある。案内を頂いたので是非行ってみたい。韓国の高校生との芸能交流があり2回目の活動である。
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愛の福袋の活動は「被災者に支援品を配布する。」があり、11月で今年3回目となる。今回も継続する福祉施設への訪問がある。10名にも及ぶ会員の皆さんの来町は、被災地支援そのもので、宿泊・水産品購入などもあり、多くの力を町民に与えてくれる。

昨日は村井宮城県知事が、五輪のボート競技の長沼への誘致のトップセールスに動き、話題の小池都知事へのプレゼンは、全国のニュースで流れる事となった。
仙台・岩沼と震災での被災者仮設の撤去を表明した中で、登米市の「南方仮設」がまたクローズアップされた。登米市での開催にあたり、南方の仮設場所を使用した仮設を利用し、選手村としての仮設利用を提案した。110戸の建設は仮設の品質の良い物を、修復しバリアフリーにも考慮した施設と言う。小池知事との会談で、「都知事は被災地の事を良く考えてくれている。」と言い、「判りやすいプレゼン」と小池都知事は公表した。
我が町のトップセールスは岡山県に出掛けたと言う。商工会の仲間と共にイベントで南三陸町をアピールしたのだろうか? 自治体トップの活動は共に住民と寄り添うがあり、「復興祈念公園」の説明会には副町長が「町長は公務のため。」と挨拶した。多くの町民が亡くなった震災遺構の防災庁舎を残した追悼の場の建設にあたり、その畏敬の念の想いの軽さを感じる。

今日は気仙沼に行く。今月の全国印刷組合福島県こおりやま大会の準備も進み、友好支部の東大阪支部との気仙沼市での交流会の準備が進む、来週末は21~23日までは予定がいっぱいで、その活動も報告したい。原発被災地を応援する為に、4年に一回? の全国大会を福島で開催する事とした。全国の印刷文化展での小さいながらも、多くの人達に被災地「南三陸町」をアピールして来たい。

昨夜はしばらくぶりのレトルトカレー、血糖値が144と通常より20も高い。カロリーはやはり!

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2016
10/12

10月23日(日)志津川ICわくわくウォーク


初めて通過した石巻市の「日和大橋」。ここで助かった方が震災時の報道で伝えられた。こんなにも急勾配は津波対策の何物でもなく、自然防災の対策は人間の防ぐ事から、逃れる事を選択している。田代島しまおこし隊の尾形さんは言う、通過するとき「亡くなられた霊が沢山いる。」と。石巻市の門脇では幼稚園児が避難途中で被災し、この前もテレビで裁判と、家族の涙を見た。3.11東日本大震災はまだ終わっていない。
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震災から10か月後に仕事で石巻市へいった。その後も4月の桜の頃に行った時は、石巻市の名所「日和山」に登った。眼下には被災したままの門脇地区が広がっていた。造園家の涌井氏が石巻の「国立震災祈念公園」の計画委員会として、テレビの報道で流れる。自然の脅威と、自然の未知の力を知っている方が、未来への津波伝承と世界への津波被災の姿として、設計計画を進める。ぜひ生きている内に見てみたいと思いが募る。
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石巻市の津波対策の防潮堤建設は、地区に寄って違うのだろうか? 島起こしの発会式での講師の話では、開催場所となった北上川の左岸の八幡町は14mの防潮堤と話していた。9日通過した渡波までの道路脇の堤防は5mぐらいに感じた。守るべき物の価値や必要性により、防潮堤の高さがある。気仙沼市では地区住民の高台への移転となった場所にも、防潮堤を予定どおり造る計画で、今も進んでいるようだ。整備の国は住民のインフラを津波から守ると話す。
気仙沼市大谷海岸の地区は、海水浴場への来客で潤った地区であり、防潮堤の位置は生活に密接した問題として、国の計画に改正を求め、確か国道と一体とし、後退し防潮堤整備で決着したと思った。
生活を守る事と国民の税金の利用は、将来を考えれは「社会保障」「高齢者対策」に、税金を回す為に、費用対効果を考えた政策を、被災自治体も考慮すべき問題と私は思う。

被災自治体や被災者の心情への配慮は判るが、政府のゼネコと言う大企業への優遇は、雇用の拡大や年金加入があり、官僚の天下り先として、政治家と官僚の業種への依存の姿と思う。国土強度化や全国の交通網の整備は、これまでの日本の発展に比例している。政府がし易い政治政策が各種施設建設のように思うし、その金額も半端がない。

今日は何をしようか?

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2016
10/11

被災地の安く美味しい「復興グルメF1」


連休の日曜せっかくの一日、知人に誘われた「復興綱引き」と、「復興グルメ」の二つのイベントが、石巻市渡波「サンファンパーク」で開催された。南三陸町から1時間20分で到着した。
まだ、来場者は少なく会場は疎らながら、10時30分ごろからぞくぞくと大駐車場は、満杯となり11時のオープン時には。チケット売り場は50人を超える行列となった。300円で一品が購入でき、5枚を購入し箸を1人一本付けとり、投票が出来る。
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会場に入ると高校生が手作りのチラシを持ち配布していた。自分ちの被災地の特産品を考案し、F1グルメに参戦した。「福島県立小高商業高校」で、南相馬から「野馬追田楽」を出品した。高校生が街の復興の為に、被災地「南相馬市」を紹介していた。チラシには町の名所・名店をアピールし、「福島の相馬に来て下さい」と高校の仲間と元に活動していた。高校生の活動は新鮮で、自分たちで町の復興の役に立つ行動と、一生懸命な姿に感銘した。私は勿論購入した。
私は注目は「あなご唐揚げ丼」だったが? 南三陸町の私が釣った物がやっぱり美味しい。後は「タコ味噌担担麺」「伊達なホヤ結び」を食べた。一枚残ったので「さんさんタコカツバーガー」を購入した。南三陸さんさん商店街の出品ながら、悔しいが一番美味かった。
帰ってテレビの報道で「復興グルメ」の一位は「野馬追田楽」だった。あの高校生たちの喜びの笑顔が目に浮かぶ。2時にはパークを後にした。
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二つのイベントの合体があり、15団体が被災地から自慢の料理を持ち寄り、その努力の美味さ・安さを平等な価格で、公平に味を競い合う。それを更に盛り上げようと支援する地元の高校生や団体と、参加した町の応援にキャラクターたちも集まり、子供達が記念写真に収まっていた。

会場には親子連れは元より、祖父母と一緒に孫と食事をする家族が多かった。また、渡波地区のサンファン・バウテスタの老朽化による修復工事が求められ、記念館にも観客が入っていた。
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今日の朝のNHKの番組では、渡波公民館に於いて昨日は「復興コンサート」があり、津波で子供三人を無くした大工さんの想いを、支援者が歌詞にして歌を作り、この発表会が開催された。石巻市の活動で木工の遊具を造る父親の姿を幾度か見た。石巻市では被災自治体で最高の3千人を超える被災者を出している。復興はまだまだ進まず多くの津波の爪痕を眼にする。

広範囲な被災地となった自治体は、まだまだ復興は進んでいない。名取・気仙沼など復興の遅れが指摘される。それから比べてもまだ被災地の狭い我が町の復興の進捗は早い気がする。しかし、人口の減少は石巻市から比べても将来への危機感を日々思っている。

三陸道の志津川インター開通の祝いとして、三陸道の渡り初めが10月28日にあると言う。多くの人の集まりを町は期待している。

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2016
10/10

渡波のサンファンで復興綱引き


内藤さんご苦労さまでした。「祝綱引き盛況祝い」です。

半年ぐらい前だろうか。「被災地に元気を!」と私の会社に来た内藤さん。当初はいろんな事業で「被災地を応援したい。」と。気仙沼市小泉地区の「ラフターヨガ」の開催で、南三陸町から、仮設で暮らす被災者を、準備した有料マイクロで送迎し活動した。

しばらくは関東周辺で綱引きにより地域に元気を与え、「日本に世界に笑顔」と活動をしていた。勿論、NPO活動の元で、金銭的な問題もさる事ながら、自分の生活全部を、自分が描く理想社会の為に尽くしてこられた。
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開会の挨拶で本音が「ぽろり!」、全国を駆け回っての支援活動は、思い通りに行く事は難しく、挫折や落胆などの障害もあり、落ち込んでいたと話す。しかし、多くの子供達の笑顔で、彼自身も元気を与えに来て、逆に元気を子供達かも貰っている。
もう一つの元気の元に「人との繋がり!」を言う。今回も南三陸町入谷の菅原さん(県の副会長)との出会いがあった。南三陸町の綱引き協会の活動の、全国大会への出場など、綱引きで町に貢献を果たし、綱引きの振興で今回は宮城県の綱引き会長の渡辺?さんと、繋がりのキッカケを作った。渡邊さんも綱引きの啓蒙活動の為にわざわざ来てくれたと言う。
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人が集まるかと心配していたが、サンファンバウテスタパークを会場に、F1「復興クルメ」が開催され、連休で多くの家族連れで賑わった事もあり、多くの子供達と大人が集まった。
子供達の笑顔が溢れた。幼稚園児も多く綱引きが見ているだけの子供達が、友達と一緒に一つの縄を引いた。子供達の15対15では決着が付かず、駆けつけた復興応援隊の活躍で一方が勝利し、ラフターヨガの喜びのポースを内藤さんが紹介した。
大人の綱引きは「本気!」で、私も会長の後ろに加わり、共に一本綱を引いた。「みんなと一丸で!」への復興の想いが私にはあり、参加出来て本当に良かった。「子どもがいたらもっと楽しいのに」とも思った。親子参加の綱引きは、和気藹々から最後は本気モードで戦っていた。
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こんなにもの盛り上がりは、内藤氏の一人の活動が実を結んだ。本当に仲間の皆さんもご苦労さん、そして有難うございました。

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2016
10/09

三陸道は着々と


母の実家の従弟は以前に棟梁をして、私の弟の家を建ててくれた。現在はと言うと米谷地区でも家はハウスメーカーへと移り、町に残った在来工法での住宅建設は無く、昔は弟子を伯父は20人も抱え、今では従妹は建設会社で働いていると話す。
現在の三陸道は登米市「三滝堂JC」まで来ていて、今月中に南三陸町小森「志津川IC」までが開通する。国交省が調査する志津川以北の、国道45号の高速道路への通過が、区間ごとの移動率が出された。4つの区間で「60%」ながら、唐桑地区では「80%」の車両が通過し、車の通過減少で、消滅地区・限界集落へと今後の地区衰退へと繋がる。商店は無くなり、水産業の物流の運搬だけの国道と、唐桑町が人口減を加速する。
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「わかめの種が無いんです!」と深刻な現状を聞いた。三陸ブランドの柔らかい葉やメカブが、今年は危機となるかも知れない。多くの養殖業に従事する歌津地区の漁民は、、年間に1千万・2千万とその収入は大きい。今年の10号台風の宮城の水族の被害は「2億5千万円」となり、南三陸の水産業は大切な時期を迎え、多くの問題を抱えながら、各種養殖物の成長する冬季を迎える。
多くの問題の発生の中で、町は従来の成長戦略と、管理委託を加速させている。「被災者雇用」の町の現状は、被災地再生の復興交付金の被災者支援金により、政府の予算に依存している。町民は自分の力だけで我慢強く被災地を生き抜いている。生活が成り経つ環境づくりは行政の責務ながら、他人任せの人口減対策では、解決できる訳など無い。

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2016
10/08

先人たちに恥じない町政を


多くの志津川町民を津波から守った「上の山緑地公園」は、現在はセイダカアワダチソウの森と化していた。市街地の住民の避難場所として、昭和35年のチリ津波から、炎々と住民は避難練習を続けて来た。その住民の安心の場所であり、命を繋ぐ場所が過去の産物となっている。先人たちのこの場所への愛着の想いを、次ぐ人間は居なくなった。

佐藤仁町長が再度の告訴をされ、受理されたとの報道が昨日あった。防災庁舎での職員の殉職に、町の長としての行政の津波防災の規約の順守を怠ったとの内容だ。以前の告訴も最終的には不起訴処分となっている。もう、辞職・勇退してもいいだろうと私は思う。高齢化社会となる町の今後を真剣に考え、他に類の無い政策を打ち立てる構想への着手に取り組むべきと思う。若い世代への変換を!

昨日は父を午後3時の予約で南三陸病院に送って行った。5時を過ぎても帰って来なく、電話も無いので病院に行ったら、まだ診察しているようです。と受付は言う。94歳となる高齢者が、診察を終え暗い中を院外処方の薬局まで薬を貰いに行く事の、多くの危険を思う。是非午前中の診察予約をお願いしたい。5時半過ぎは患者もいなく、真っ暗な病院の玄関は、私でも不安になる。家族が付き添いは、私と二人の家族で一人ひとりが努力して、この町で生きるしかない。行政の手厚い高齢者への対応は、30%を越える高齢化率の町の運営は、余計な所に力を注いでいる暇はない。父を可哀そうと家族だから思う事は当然で、二人きりの家族だもの、その互いに思う心が日に日に増してきている。

父は要介護1で施設に週2回通っている。今年度から施設料金が1万円から「1万5千円」となった。施設への国からの支払いも、月々5万円から今年度は「9万円超」となった。「施設に行っても話ができる人が居ない」と、最近は月に一度ぐらいしか使用していないが、施設料金は手出しと国からで、一か月10万以上にもなる。施設の確保はいざと言う時の為として、私たち家庭には必要な部分でもあるが、国の社会保障の我が家も無駄な経費を使っている事に、申し訳なく感じている。
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上の山緑地に銅像があった。その背後には10mの嵩上げ上に、ショッピングモールの建物の建設が急ピッチで進んでいた。南三陸町志津川代表する先人の一人の佐藤さんは、どう思っているのだろうか。今の町起こし・復興の中心で動いている人達には、先人に恥じない町の為の行動を真摯に行って欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:18 】

2016
10/07

生きるって素晴らしい


今月の広報に同級生の母の「百寿」の祝いにあたり、行政から50万円の祝い金が贈られた。以前は100万円だったが、家庭にとっては介護や看護などそれ以上の、長生きをさせる為の努力がある事を知ってもらいたい。河口から70mで川から50Mの所の自宅から、津波を逃れ今を生きている。津波による死亡者の8割以上70歳以上の町民だった。私の父も94歳で、あと5年間は生かさせたい。町が変わった姿を見せたいからだ。昨日は父の知人が、歌津・戸倉と震災後の今の風景を見せてくれた。「変わったなー」と。

国会が始まり、衆議院が質問を終え、昨日から参議院に移った。稲田防衛大臣の国会答弁での涙があった。靖国神社への参拝を続けていたが、防衛大臣としてアフリカへの公務があり、その時期と重なった為ながら、その涙の真意は解らない。稲田氏の政調会長の時の凛とした答弁は消え、毎日のように週刊誌の指摘の政治資金や、核の保有を容認する意見への質問があった。「日本愛」が彼女の中にあり、日本を守る責任が靖国や核保有の発言に繋がっている。今日も同様の質問が稲田防衛大臣に浴びせられるだろう。

先月の台風10号の久慈市の商店街の被害で、106店の内12%にあたる一割が「廃業」をする方向で、生活再建をしている。我が町も大震災の津波による商店の減少は、5割にも及んだ。現実的には被災前から家業の後継者がいない事と、町の人口減少などの経営不振もらあったからだ。日本は今後どうなるのだろうか。
昨日来た先輩は、「私たちの事よりも将来を生きる若者たちの事を考えたい!」と、過分の豊かな生活は望まないと言っていた。同感である!
10.6ブログ

気仙沼市の本吉町内にあるお寺の境内に、「伝碑」が建立され、2011.3.11と巨大津波到達地点と記され、「潮見地蔵」と津波で死亡し不明となった、総ての地区の人たちの名前が、当然の事のように刻まれていた。
この地区には、生協と全優石の震災ブロジェントの、モニュメントが地域を見渡せる高台にも、震災から1年前後には建立された。

昨日の南三陸町復興祈念公園の死亡者・不明者の慰霊として、震災の記憶と風化防止への願いがあり、追悼の名前を刻む事の、家族の願いは公園には残さないと言う。どこか違う町の被災者への哀悼の気持ちの表現の違いを感じる。
慰霊の丘(モニュメント)は神割崎の方向に軸が向いている。また、死亡・不明者は名簿に記載し、桐の箱に入れられモニュメントの中に収められる。
歌津「津龍院」にも追悼名簿碑があり、歌津駅裏にも「鎮魂碑」が名簿碑と共にある。共に碑に死亡した人たちの名前が刻まれている。なぜ、多くの人達から慰霊碑建立の義援金を貰っているのなら、東日本大震災で亡くなった方々の名前を、慰霊碑に刻む事を町はしないのだろうか、南三陸町に住み、亡くなった家族の生きた証を碑に刻む事で、何時でも亡くなった家族に会えると言う、安堵感を得られると私は思う。

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2016
10/06

こんなの見つけました


昨日は父の「ペースメーカー」の定期検査で石巻の日赤病院へ行った。駐車場にあった仮設は取り壊され、広い駐車場になっていた。病院との中間には写真のような「像」があった。日赤病院の原点を表しているのだろう。医師の在り方と患者の診察への感謝がある。水曜は日赤眼科の手術の日、午前10時半と言うのに患者の待合室には3人しかいなかった。懐かしいが私は以前の眼科の、登米市みうら眼科に変えてもらい、一昨日前は新聞用と運転用の二つのメガネの処方箋を作ってもらった。目の安定が6か月となり、今後の為に作る事とした。

昨夕、以前の地区の住民の新築移転があり、お祝いに行ってみたがいなかった。漁民の方は日々変則な生活で頑張っているのだろう。父の94歳の同級生も、息子さんが町に帰り家を建てると聞いた、同級生が次々と亡くなって逝く現実に、少しの寂しさを口にするようになった。
高台の東地区の西工区に、以前は看護師宿舎ができ、昨日は二階建ての医師宿舎が穿設中だった。行政がここまでしないと、看護師・医師の招聘ができないのか。病院も、その職員の駐車場も広すぎで、福祉協議会・総合ケアセンターも広すぎではないだろうか。行政庁舎も40年後に人口9千人となる町に、住民サービスとしての大型の公的施設は必要だろうか。疑問ばかりが沸いてくる。
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昨日の夜は「南三陸町復興祈念公園説明会」が、設計者の奈良大学の宮城氏を迎え、2度目の建設計画が報告された。一回目の住民の希望を取り入れた内容となっていた。町民の要望に沿った形としているが、参加者は24人前後だった。今回の津波で亡くなられた方々の家族の希望を聞き、少しでも亡くなった町民の想いに叶う祈念公園となると良いと願っている。
どうしても観光主体の設計が見受けられ、今回、設置される「築山」は今回のL2の津波にも耐えられるよう、20mの高さとしたと説明する。避難で遅れた人の為の築山に造られた「頂上避難所」、今回の自然の威力の津波から何を学んだのだろう。基本的には志津川高校が記念公園からの津波避難場所として在る。地震から発生する津波防災は、「自助」での行動が一番で、命を守る事となるだろう。
どんな責任を設計責任者はとるのだろう。自然災害は未知の力「想定できなかった」ではもう済まされない。きっと同等の津波は100年の周期から短くなりきっと来る。ある国会議員も天災は、「今日来て、また明日来ても100年に一度」と言う。予測もいない災害に人は無力だからとあきらめず、人命の確保だけは最優先に考える事が、町を守る自治体トップの責任だ。私の町の先輩は言う、「避難路の整備と、う回路の確保が大切」と。先人に学ぶ事の大切さを知ってほしい。

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2016
10/05

「命の道」は「過疎への道」


昨日の報道に三陸道の開通にあたっての交通見込みがあった。気仙沼市ながら「8割」は通過するだけと想定していた。
通過する自治体は三陸道の効果により、観光客の増加を目論み、震災からの復興の体制や計画も、観光客の増加を描き町づくりを進める。石巻市の蛇田地区のショッピング街の成功は、市民の買い物の場として栄え、その購買力で市が潤っている。地元・周辺の生活者をターゲツトにより、市の震災からの復興と疲弊から改善をし、市民の数で街は繁栄をし続ける。
我が町は住民を町に留める政策を怠り、多くの生活の豊かな、三世代が揃っている家族を、引き留める活動もせず、人口減少の歯止めが効かない今の状況がある。高齢化で人口が減る中で、大型の公的施設(箱物)を復興交付金で、次々と造っている。想定の甘い自治体運営は今も続いている。

昨日は知人の船長さんから電話がきた。一か月前に着信歴があったので電話をくれた。(間違ったのは私)。船長さんは女川に入港しサンマの水揚げと言う。今年は昨年より5千万円も多い漁獲と言う。今年の最初は不漁だったが、台風の数多い発生により、サンマの回遊が変わったのか、現在は安定した水揚げとなっていると言う。
そんな中でまた、ロシアによる日本船の「拿捕」と有ったと言う。船員には南三陸町出身の方も多かったが、この船長さんの働きは、小野寺氏・桜井氏などの国会議員の繋がりがあり、ロシアへの働きかけで「3か月?」も掛かり、何とか解放されたと言う。調査船でもロシア船との船舶の問題発生でも、ロシア語と対応を知っている方の働きに感謝していると、拿捕された家族は話している。
「船の板底は地獄」というように、漁民は命がけで魚を獲る仕事としている。幸を生む海と、死と紙一重の遠洋漁業者に、感謝の気持ちで魚を食べないといけないと思う。
大隅教授のノーベル生理学賞は、キューリー夫妻の研究の姿を思い起こさせる。オートファージーの発見は、アルツハイマーやガンなどの、古くなった細胞に技術開発したアミノ酸を加え、再活性化させると言う。昨日の大隅教授は最後まで諦めず、自分の研究を続けられたのには、妻の協力なしには出来なかったと話す。そして、日本の博士号取得の学生が少なくなっている事を嘆いていた。日本の科学・生理学の衰退を危惧する。山中氏のips細胞発見、前回の細菌学での発見での受賞、今度の大隅氏の受賞があるものの、研究者が減少している現実を話していた。

日本の政治も、地方議会の改革も、姿勢・質の低下が見えてきている。全国の地方議員の大麻・拳銃・詐欺など、考えられない輩が「先生」と言われながら、ぬくぬくと生きている現実を情けなく思う。日本の侍魂はいった何処へ行ったのだろう。

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2016
10/04

テレビが見えない


週末に区長さんから役員の招集にあたり、通知文のファックスと配布依頼があった。週末土曜は母の四十九日の法要と、日曜日は気仙沼で剣道大会があり、配布ができなく昨日午後の配布となった。商工団地内からアリーナ手前まで、沼田地区の配布には1時間ぐらいかかた。
沼田地区にはアリーナの隣りに東浜団地がある。団地をぐるりと回っていると、「千葉さん」と声を掛けられた。「今、団地内のテレビが映らない」と言う。現在、建設中の庁舎が、あさひ幼稚園のところから移動した電波塔の場所の邪魔になり、電波が団地内に届かないとの事だった。
何も無くなった住民にとって、一つの楽しみがテレビ鑑賞であり、高齢者などは家にいる事も多く、テレビの無い事は「家庭の息抜き」の一つの手段でもあり、何とか早期に解決して欲しい。
国営放送は受診料金も支払っている事を考えても、テレビが見れない事は誰の問題なのだろう。以前、入谷地区の携帯電話の電波が弱い所も、電話会社でその対策をしたが、土地確保は町で、この後に議会で承認され整備したが、多くの時間を要した。また、沼田の第二仮設でもテレビ受信問題が、議会で議案に上がり、木の伐採など諸々の対策を早期に行った。
新庁舎の4階にもなる鉄骨の建物の、電波の妨害を考えずに、集団電波塔の位置を決めたとしたら、一日も早く対策を講じて貰いたい。集団電波塔には団地住民で建設費を出し、国営放送の問題など、早期の住民サービスとしての対応をして欲しい。

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2016
10/03

子供たちの育成と社会保障の資金確保


昨日の気仙沼での「秋魚杯剣道大会」の引率で出掛けた。駐車場が仮設が周囲にある事で狭く、9時からの開会式ながら駐車場の確保に、家を6時に出掛けた。夜中1時半に目覚め眠れず出発、試合に子供達と審判団に迷惑を掛けないよう、注意を凝らし志津川剣道スポーツ少年団の試合に臨んだ。
今回は3人での試合ながら、一試合目は一勝一敗の本数で敗れた。大将の我慢強い対戦に拍手した。次は岩手県千厩Bで学年は下ながら1勝2班で負けた。勝てない相手ではないが、練習の不足がたたった。勝てるチャンスを逸した。初の決勝トーナメントの出場機会だった。
「後悔ない試合とチャンスを掴みなさい」といつも言うが、常々チャンスを掴めないチームがいた。一人は6年の本吉郡の県大会出場者で、中学生と父の指導の元で力を付け、心配ない先鋒を配置した。最初に勝ってその後に弾みを付けて勝つことが考えに有ったが、結果的には半分しか機能しなかった。6年生の女子を選手にしたのは、今年の4月からの入団ながら筋の良さと、最後の学年で試合に出させたたかったがあった。自分の甘さながら、一生懸命に剣道に取り組む事への、私の気持ちがあった。しかし、試合の一週間前に体調を崩し、最終的な諸々の事を教えずに大会に臨み、結果は2敗だった。
素晴らしい素質を持っていると思っていたが、最後の仕上げの指導に至らなかった。チャンスを生かせない事は、中学生への課題としたい。
社会保険への国の目論み(対策)を、日曜討論でやっていた。日曜の楽しみの番組を録画し、昨夜の10時に最後まで見た。年金の原資の確保に対策を自民党はやっきになる姿が見えた。多くの無理はこうした形で現れていた。

現在、国会で社会保障や自衛隊派遣など法整備の、与野党の議論が展開されている。
震災後の事業再建の国の補助にあたり、社会保険は必須条件となり、ハローワークの求人票提示にも、厚生年金加入が無いとないと出来ないがある。社会保険は財政確保の為にあらゆる政治対策を考案している。気仙沼市も国民年金が30%を切った理由に、事業所の再建が加速し、その総てで厚生年金加入の方向に進められているからだ。
先般の情報で、年金加入年数は以前の「25年間」が義務づけられ、途中でやめた人は国民年金がもらえないがあった。しかし、今回は10年で受給できる法整備が進められている。これにより65万人が年金を貰え、580億円が新たに掛かる。また、国会の総理の説明に、法案決可決後に新たに厚生年金加入者が大幅に増加すると述べた。年金の運用にあたり10兆円のマイナスになった事を、これまでの運用で増加があり、差し引きすればプラスと言う。今後にこうしたやり方の失敗を予想するが、国内国外の株価の運用は絶対ではない。
昨日の日曜討論は、「103万円の壁」についてで、扶養控除の廃止を政府は言い、新たな夫婦所得合算での控除を考案している。所得が500万円以上で1千万以下の所得で、主婦の103万円までの所得が税金の対象で無税となり、夫の所得の38万円が控除される現行制度があった。配偶者控除特例でも「41万円プラス」があるが、それには条件がある。
新たな国の年金制度では、501人以上の企業は今後に、106万円以上に厚生年金の加入が義務化される。低所得者は社会保険料を払うと手取りが10万円前後となる国民が多い。これで日本国民の憲法の元の最低限の生活ができるだろうか。
最近、将来の自分の生活を考えると、不安でいっぱいになる。病気を考え早期の年金受給を受け、65歳で貰うか判らない、自分の命の長さを考えた年金対策から、今後を思えば果たして1か月「4万円」で生活できるだろうかと思う。65歳から年金受給となっても、5.3万円で果たして暮らせるかと思う。一日でも早く生活の安定は、早期年金受給あった。70歳まで働いても、その後の生活の厳しさを想定する。
世界に誇れる国民健康保険と社会保障ながら、なんと悲しい日本の社会保険制度だろう。現在は国民健康保険も年間21万円がある。何を取っても「苦しい生活が待っている」「人より少しでもイイ生活を」など、60年間生きて行きた結果がこれでは、早く苦しみから解放されたいと誰しもが思う。病気も出来ない現状が今である。


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2016
10/02

観光業と水産加工商人の町  南三陸町

56号5
中央区の施工不良に住民説明会
  遅延の費用発生に補償
 UR(独立法人都市再生機構)から工事を請け負った、JVの擁壁土台のコンクリートの幅が設計どおりになっていないなど、造成の施工問題が起った。
 6月26日の住民説明会には46世帯の住民が集まり、住民に対してJVの飛島建設本部長が納期まで安心・安全を届けると謝罪した。
 Bブロックに対しては7月までを予定し、Aブロックは再施工前後に家屋基礎や外壁については個別に対応する。
 住民からは将来についての補償、8月はお盆の月なので工事はできない、1日も早く、などの声が聞かれた。 


9月1日の現在
今日、志津川小学校から旧新井田の中央区を一望できる高台から、現在の住宅再建の現状を見に行く。土地整備のやり直しから、2か月余りの間に、新築の住宅の多さにビックリだった。
いつも思う事は「土地さえあれば!」である。志津川地区から散らばり、仮設・みなし仮設の生活から、住宅の再建・復興住宅と、多くの人との母の死での再会から、年内中には、年度内中にはと、嬉しい言葉を聞く。
震災前は3か月で家など建つ事は無かったが、今は急げば大きさにも関係があるが、2か月半で住宅完成、そして引っ越しから「新生活」へと、そのスピードは半端ない。
震災から行政の土地の整備で、1~2年で土地を整備できる場所を選択すれば、こんなにも人口の減少は無かった。

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