ARCHIVE - 2016年09月

2016
09/30

中央区の施工不良の検証と反省

56号3
写真は7月17日の光景
南三陸町の高台整備の「中央区」では、6月に土地の土盛りの整地で問題が発生し、7月に入り擁壁の工事にあたり、基礎工事の不良があり、共に7末までに工事のやり直しをすると、復興工事の町からの委託業者「UR都市機構」が、説明会で約束した。

志津川地区の防集宅地(中央区)に於いて
施工不良があり、町長が議会で陳謝
 整備施工不良があったのは、中央区Aブロックで、擁壁の背面部にヒビがあり、1ヵ所は約18m3宅地だった。Aブロックの46区画中27区画で、4宅地以外には見当たらなかった。今後17宅地全てを再施工し、6月中に完了する。
この団地は26年1月に、南三陸町震災復興共同企業体(飛島・大豊・三井共同コンサルタント)に、業務委託されたUR(都市再生機構)が発注した。そして今年3月に町がURから引き渡され施工不良が見つかった。
 原因としては、地盤と擁壁の埋戻しの土砂が、規定だと4cm~10cmだったものが、50cmのものが入っていた。大きい石の隙間に砂が落ちヒビにつながった。
 この問題に対し、14日開会した6月定例会で議員が質問し、町は買い取りの人には2年の瑕疵(かし)担保があり、ケースバイケースで対応する。町長は業者に抗議し、影響を最小限にとどめると語った。

また施工ミス発覚!

 志津川地区の中央団地は135区画で、新たに24区画の施工不良が見つかった。Aブロック1区画と、Bブロックの23区画で、基礎コンクリート(厚さ10cm)の位置が計画と違っていた。今後はこれまでの擁壁のある50区画を全て再施工することにした。
 4月引き渡しのAブロックにも施工ミスがあり、Bブロックの37区画の堀り起こし調査で再度発覚した。Bブロックの7月1日の引き渡しから、コンクリートの打ち直しにより、再施工に最大で1ヵ月かかり引き渡しが遅れる。
 町はAブロックで既に建設が始まっており、個々に対応をしていく。これから東側のCブロックで52区画の造成が始まるにあたり、検査や監視を強めていく方針を示した。
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2016
09/29

健康は食にあり


今朝の血糖値は「87」で、ここ半月は100を割る日が多くなった。食事に気を使っていて、ビールも350はもう缶を開けるのもキツイ。ある夜の食事で、きゅうりとホヤの酢の物とおくらマヨ、リンゴとイカとにんじん・じゃがいもの煮もので、ご飯は無し。料理は全て勿論自分で作った。朝はご飯と「一汁一菜」。昼はもやしの焼そばに卵。間食は少し。これでヘモグロビン数も「6.7」の正常値となった。やはり夜食は食べず酒は少々、野菜主体の食事、これが健康を維持していた。
本吉・気仙沼の国の無料の「歯科検診」の受診者が1割と言う。この健康に対する意識の低さに驚く。昨日に私も受診した。何歳になっても食事は美味しく食べ、健康の維持は歯が大切とよく聞くからだ。
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最近、就寝から寝起きまで4回も小便に行く。何か異常なのかなと思っていた。体の「むくみ」もあり、坂を歩いていて立ち止まり座り込んだ事があった。それには因果関係があった。糖尿などにより血管異常の初期的状況がある。脹脛の痛みやむくみがあった。第二の心臓とも言われ、血管の収縮があり血液の循環が悪い為と言う。現在の血糖値の安定は心臓の負担を軽減し、血液サラサラが体内の水分の排出に繋がっている。勿論、コーヒー好きの私なので、順調に水分が体内に残る事無く、腎臓の機能も安定している証拠が、夜中のトイレに繋がっている。とテレビの先生の話しと理解した。
左心室の機能低下が身体に水の溜まりを生み、「むくみ」に繋がっていた。靴下やジーンズの跡が取れにくい事があり、最近はそれも気にならなくなった。
ある夜の1時間の医療現場の専門医の先生の話に学んだ。多くの不安の払拭となり、自己での病気の対策を講じる事は、長い人生を送る為にも必要だ。
糖尿病と診断され30年を迎えた。笹原先生・徹先生の診断・治療に感謝です。自分の努力なしに病気は克服できないし、人生を全うする為、家族を守る為にも必要な事です。

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2016
09/28

咳と痰


昨夜の剣道指導から帰りテレビに釘付けなった。
今年の夏の6月頃から「咳」が続き、なかなか治まらないでいた。咳などの精通した名医と言われる人の話に納得し、生活改善を実施した。咳は肺への異物によって発生したり、気管の老化に寄る収縮などが上げられていた。私は以前に糖尿からの気管の影響があると医師に聞いたことがあった。先生の診断の中に「鼻水は出ますか?」があり、3か月前から鼻が出てしょがなかった。寝ている間に鼻から口へ気管へ肺へと流れ、咳や痰になり咳で排出されていた。
また、「鼻腔炎」の膿が鼻から気管に入ると、黄色と白の痰がでる、鼻水や黄色い痰はまさにその現象だった。その他に寝る時の枕での頭の状況もあった。気管を塞いでいた寝る時の形が、気管を塞ぎ肺に異物の流れを生んでいた。
昨日は気仙沼の用事と夜の剣道があり、疲れからか寄る10時半から、朝6時まで熟睡した。夜の咳もなく起きる事は無かった。生活のバランスの悪さが喘息(ぜんそく)のような症状を発症させていた。
鼻水も多さも体内で何かが起こっている気がする。明日は「体のむくみ」について知った事を書きたい。健康あっての楽しい生活がある。

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2016
09/27

本浜町は無くなっても漁港風景は変わらず


昨日の夕方5時に本浜地区にある旧々魚市場に行った。以前の三興石油からの道路が通行止めとなり、本浜市場へは行けなくなった。と思っていたら、「高野会館へ」と看板を運転手が見つけ、指示通りに行って見た。
かさ上げされた志津川市街地の交差点にできたコンビニから、50m走った所に右折道路が出来ていた。八幡川の港橋のたもとに出た、そこは南町で臨時の道路で本浜の市場へ通じていた。

漁民の作業場は存続していたが、以前の防潮堤は既に解体され、南町と本浜の間の陸門が残っていた。今後の震災遺構として残すのだろうか。東日本大震災の痕跡は、町が次々と破壊し震災の痕跡・記録の保存はしているのだろうか心配だ。
灯台側を南防潮堤と言い、本浜側を北防潮堤と言っていた気がする。防潮堤の岸壁には小型漁船が係留され、昔は内湾はハゼ・カレイ・オオゲなどの魚が釣れ、私の記憶には「このしろ」の大群が飛び跳ねていた。「このしろ」は寿司ネタの「こはだ」の出世魚で、ひっかけ針で遊んだ事を思い出す。外海は「あなご」が良く釣れた。防潮水門が下では「うなぎ」も釣れた。祖母が釣ったウナギを蒲焼にしてくれ、その美味さを今でも覚えている。
町が壊滅するほどの大災害でも、自然は順調に回復している。市街地の大整備は必要ない!と時々思う。次の大津波に何か必要かは、短時間で避難できる道路だろう。10mの嵩上げを気仙沼のように5mにすれば、市街地の造成は終わっている。自然の驚異に対し力での人間の対策は及ばず、国費をそんなに掛けなくても良い気がする。その決定的な物は「8.7m」の防潮堤だろう。人間の居ない場所への建設はいらない。町の職員は復興計画の国の交付金による防潮堤建設は、国道やインフラを守る為で、今やらないで今後に大きな予算は付かなく、人命が整備せずに死亡が発生したら、行政の責任問題になる。と話していた。
もう既にこれまでの行政の津波対策の失敗は露呈している。避難道の拡充への対策と、防災体制の不備を上げたい。
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この12mもある高い橋は「曙橋」です。新井田橋の河口の川幅が以前の倍以上になっただろう。「橋から釣りをする」と言う昔の環境は、志津川地区の3河川では、もう出来ない!
子ども達が川で遊ぶのは危険な町が今後誕生する。海・川は怖い物を身体で経験する事はできなく、人工の安全対策を講じた環境で、子ども達は優しく育って行く。「ゆとり教育」がどれだけ、か弱い人間を造りだしたのか、その現実の反省と検証もしないままで、金まみれの地方議会が運営されている。県議会議長も政治資金の虚偽記載でまた謝罪した。富山市議会は酷い! 自民党会派の10万円の政務調査費の増額が議会で了承されたが、一連の不正行為の発覚で、法案を廃案とした。与党の「おごり」「強権」が、政治のゆるみを拡大している。
東京都議会事選は来年、富山の7名の辞任による補欠選挙が、来月にあり、来年には市議会選挙をする、なんて無駄な事を議会の議員がしている。国民・市民の鉄槌があるだろう。選挙が楽しみだ! 国政の民主党の政治改変があった年は、町の選挙と同じ年と思っていたら、民主の野田総理の衆議院解散で、再来年に衆議院の選挙がある。ここで野党の巻き返しが無い限り、日本は「平和ボケ」に埋没する気がする。

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2016
09/26

この先に私の生家で 再び夢が広がる


町の復興推進課に、志津川市街地の低地部の換地や入口・水道の位置に付いて確認にいってきた。対応は町の職員で、URの土地の担当者が不在との事だった。29年4月には土地引き渡しと言う事で、店舗の計画と将来に向けた事業計画の構想をしていた。町・UR都市機構の送付された図面の内容の把握は、素人には難しく、土地の状況によって大分違う。私の土地は角地法面や、車の進入口も制限がある。被災した元の環境と同じ換地が基本にある。
今日の10時前にUR都市機構の担当者から連絡が来た。昨日の不在で今日の対応となった。ショッピングモールの整備は3月3日の「町開き」で既に建設が進んでいる。低地部中央にはコンビニも既に建設営業している。最近嵩上げされた土地のスーパー建設予定地は、10月のショッピングセンターの整備に、一月から着工が始まる。
その他の低地部の他の引き渡しの早い物は、29年度の上半期と言う。私は4月には工事を始めたいが予定にあるが、行政と委託されたUR都市機構は、始めから9月の末をその期間と決めている。商店の再建は時間との戦いで、「来客の確保」「店主の年齢」など、多くの問題を抱えている。5年と半年が経つのに、嵩上げ計画決定から、世紀の大工事と言われているものの、5年半の復興工事期間は長すぎる。
商店主の再建も、住民の住宅再建も、長い期間が経過する事で、町外への住民の流失と、商店の半減に繋がった。昨日に来社した方も、もっと早く土地が確保できれば、こんなに住民が町から離れる事は無かったと言う。
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週末にかけて色々な行事が町内であったようだ。ベイサイドアリーナには夏樹マリさん・キロロさんなどが来町し、音楽で被災地支援をした。入谷「ひころの里」では、震災後に南三陸町にボランティアで来た二人の結婚式があった。また、田んぼの稲穂の収穫に合わせ、コンサートが開催され、それをカメラが追っていた。市場では「タコ復興市」が開催された。気仙沼でも街角ジャズコンサートが、初めて開催されたと言う。総ては知人のフェースブツクの情報です。多くのイベントは誰の為かは良く解らない。総てが自分の為のイベントでありながら、南三陸町の発信として、支援活動と地元との交流がある。
国勢調査の結果、日本の人口が初めて減少した。「94万人」の減少で、8割の自治体が人口減少だったと言う。4年に一度の調査なので、既に日本の人口減少は今年の事ではない。震災後の被災地の人口減少は住民の個々の生活維持があり、周辺に散らばってしまった。こんな日本の人口の自然減の中で、被災した住民を「町に定住」するなど、人口を守る事をはなかった自治体の失政が、南三陸町の衰退に拍車を掛けている。今更どうにもならないが「観光交流」「ボランティア受け入れ」などは、真実の人口確保の政策ではない。
遅きに失った政策は、町の「ふるさと創生」の事業の費用確保も、国費の無駄と成り兼ねない。

町民個々が努力し、何かをし続ける事も大切ながら、交付金の適切な活用で、南三陸町を選択した町民の為となる、政治の実現に期待したい。

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2016
09/25

自分たちの地区は自分たちで?


今朝は地区の清掃が6時30分から、2班に別れ沼田行政区の一斉清掃と、地区の法面の草刈りを行った。例年だと年一回の一斉清掃ながら、区長も変わり住民だけでは出来ない、急こう配の法面の草刈りを行った。
沼田地区に移転した市街地の住民の死亡が続き、地区の繋がりも強固な物になって行っている気がする。来月と再来月には、防火週間が始まる町の活動に合わせ、地区の防火バケツを利用した、防火訓練が地区の集会所で開催され、芋煮会で親睦を深める。高齢者に向かう住民も多く、スポーツ大会も企画し、生活不活発病の防止活動もしている。これまでは私は消極的な立場ながら、26年の4月に自宅を沼田地区に新築し、地区の少しでも役に立てばと役員に名を連ねた。
今回の草刈りの地区の事業も、震災後は多くのボランティアの支援で、危険な法面の草刈りをしてもらった。前年度から支援も無くなり、町の地区の維持の草刈りは、道路の側溝から1mまでと言う。写真のような急こう配の草刈りは危険だ。町での地区の行事には「自治会保険」が、町で掛けてあると言う。事が起こる前に行政の住民へのサービスとして、町の土地のなだから行政が管理すべきと思う。
町の病院・体育館そして来年にはできる庁舎の入口の地区でもあり、行政の成すべき仕事と思っている。三陸道も商工団地入口まで来る。専門の建設会社の仕事として、予算に計上しても30万もかからないだろう。

沼田地区は商工団地から、ベイサイドアリーナ前の東浜団地までの地区であり、町中の行政区としては広範囲である。
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国会の補正予算審議が月曜から始まる。補正予算は3兆2千億円で、熊本・東日本の震災復興に1.4兆円と、観光客誘致の大型クルーズ船の入港できるよう港湾整備などに、1.4兆が充てられた。大半の資金は2.7兆が建設国債の借金だと言う。
被災者も生活の苦しい国民も、自分の資金内の生活で暮らしているのに、政府はアベノミクスでの財政出動と、金融支援などの政策がある。株価・円高になった首相政策は、大企業の内部留保となり、最大のデフレ改革にはなっていない。それなのに現与党の政権が揺るがないのは、国民の政治無関心か、野党の不甲斐なさなのか、日本国民が幸せボケしている。苦しい人達は最後まで生活は厳しく、今の震災復興景気にある人は、自分達だけ良ければとの考えの人が少なくない。

目の前の行事と、自分の時間を大切に、楽しく希望の夢に向かって日々を過ごしていく!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:15 】

2016
09/24

三陸道は町にとってプラスとなるのか


志津川地区の二つのインターが年度内に開通する。「志津川IC」「南三陸海浜IC」の二つが28年度で、歌津IC」が29年度で、「歌津北IC」が30年度を予定している。
一番に危惧しているのがストロー現象で、多くの観光客を受け入れたいとの関係団体の希望なら、三陸道の整備は町にとってマイナスかもしれない。物流の観点からは水産物の高速輸送に繋がる。
高齢化が進み車の利用が難しくなるなど、町の利用者の拡大はあるかと言えば、人口減少の中で無いだろう。70歳を過ぎると免許の更新は一気に減り、講習を受けての取得は、高齢者の事故多発があり、益々厳しくなっていきそうだ。町からの高速堂は産業道路と通勤道路の機能が拡大するばかりのように感じる。「命の道」は、誰の為の命の道かを考えたい。
緊急病院の拠点としての「石巻日赤」への、搬送が時間の短縮が町民にとっての最大の利点だろう。国策なので行政の働きではない。
写真は小森にかかる橋ながら、次の写真への盛り土には繋がっていない。来月には「志津川IC」開通と言うが、志津川の二つのICが予定どおり開通する事を願いたい。
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こんな状況下で「気仙沼線」の復路の早期の配線決定は、行政の近々の問題としてのBRTの整備として、JR東日本からの交通網の整備資金を引き出す目論みがある。
都会から高齢者が町に帰ったり、町から孫に会いに都会へ行く方法として必要不可欠な鉄道は、息子たちへの依存が大きいが、生活の多忙から送迎する事を、申し訳ないと、迷惑を掛けられないがある。そんな時に線路が今も残る戸倉以南の鉄路再建は、高齢者の願いでもある。
気仙沼線のトンネルは封鎖され、その姿に寂しさが増す。「今良ければ!」との行政トップの考えは正しいのだろうか。

今日の南三陸町は晴天で、洗濯日和の秋晴れだ。今日・明日と気仙沼・本吉中学校新人戦が開催される。三陸沿岸の学校も人口減少で、チームの編成に苦労し、学校間の合同チームでの参加も多い。自分の人生だから、選んだスポーツに悔いなく臨んで欲しい。

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2016
09/23

始めは「おはよう」の挨拶から


今月の21日から「春の交通安全週間」が始まり、沼田地区でも各班から1~2人が、街灯に「運転中携帯ダメ」「シートベルトしましょう」など、ドライバーに呼びかけた。私は初日の21日病院に入る商工団地交差点に立った。午前7時15分からの30分、一番の交通量を誇るラッシユ時で、その列の石巻方面は想像もつかない。

若い女の子たちが片言の日本語で、「おはよう」の声掛けに「おはようございます!」と返ってきた。人との交流はこの言葉から日本では始まる。3人・5人と向かいの工場に入って行った。
震災前から町の大手水産会社の人手不足があった。30年前はホテルに研修として中国人が町に来て、クラブの接待としてフッリピン人が入り、町内にも「・・・クラブ」として、社交クラブが繁盛した時代があった。
我が町は大震災で労働者の不足など、震災で有名となった「南三陸町」の、水産商品の販路の拡大により、商品の増産が続いている。中国人の労働者をトップに、今回はベトナムからの労働者だと言う。勤勉で優秀な人材だとも言われている。
労働力の居ない、水産業を好まない町の求人労働の中で、町の大きな力となっている。外国人の受け入れも日本人と同等の報酬と、政府の厚生労働省は決めている。一般の事業所は小さい会社では難しいようだ。
現在5社ぐらいが外国人労働者を利用している。地元民の働く場所が未だに少なく、「ミスマッチ」と言う行政の個人任せの地元定住者があり、行政の就職指導はなく、若い子たちは、地元の数知れた雇用先と、周辺の就職先と離れ、人口の定住は今後も厳しく、高齢化による消滅・疲弊都市とまっしぐらだ。今年もこうした町が全国で5千自治体も増えたと言う。

私も7年前の議員一年生の時に、外国就労者の支援と地元民の働く場の減少について、行政に質問した事を思い出す。

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2016
09/22

市志津川の町の産業の現実


山間の奥迫った所に小さな土地が点在し、農家が大切な土地に田植えをしている。4月~5月の仕事であり、今年も昨日、錦秋の稲穂がなびいていた。今年も多くの台風や不純な天候の中で、まずまずの生育と刈り入れの時を迎えている。今年も無事に稲の収穫となり、遊休農地の拡大にならなかった事を、高齢化の進む町の農家の皆さんの仕事により、地元のコメが食べられる事へ感謝したい。

登米市のいつもお世話になっている、おばちゃんから米が4箱届いた。被災した昔お世話になった人へと送られてきた。今日はそれの配達の仕事ができた。
志津川十日町の地区の人たちの死亡の報が、私の所に連続し伝わってきた。我が家から始まった「訃報の連鎖」は今も静かに続いていた。昔の町並を想い出し、あそこの家の人、この辺だったかな、など震災前を想い出し、懐かしい係わりに思いを馳せている。
町には帰っていないと話し仙台で暮らしていた、震災前に御世話になった人が「亡くなった」と、突然の情報に愕然とする。私の新聞の配布も、この方のアドバイスと支援があった。仙台に被災し転居し、2年半くらいは電話や手紙で情報の交換をしていた。何も判らず元気でいるものと思っていた。悲しい、ぜひ線香を手向けたいが、宗派が違うからとの声も聞いた。人の為にと自分の人生を捧げ、大学に研究の資料として現在あるとも聞く。先人に私は多くの事を学んだ。この方も住所は南三陸町には無く、人知れず天に召される事となるだろう。
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何気ない稲穂の写真ながら、奥には造船の船の型が置かれてある。一時期の町の造船の歴史がここにある。
3年前に親戚から貰った30Kの米を精米した。父と二人の米として2か月はもつだろう。心乱れる事も少なくし、二人が自然の流れの中で一生を遂げる事が、私の家庭の願いである。私のもう一つの望みは、志津川の被災した本浜の地に、なんらかの「足跡」を残す事だ。商工団地の土地も家も工場にも未練はない。

こんな事を思う時「ホッ」とする。

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2016
09/21

南三陸町の復興計画に格差拡大 変な街に


台風16号の被害がまた甚大だった。鹿児島県から本土に上陸し、太平洋岸を北上し宮崎県・四国・紀伊半島と、風雨により災害が随所で発生した。
スーパー台風と言われる程の発達は、海水温の上昇・高気圧の異常発生により、太平洋上を長時間停滞による勢力の拡大化に繋がっている。人間の力には限りがあり、災害発生でも一歩一歩復旧が、再生努力が人間の持つ強みと思っている。
テレビで見る被災の現場は「落胆」の言葉しかなく、水没した稲穂の収穫は厳しく、住宅の泥の後片付けに追われ疲労と、今後への不安を顔から伺える。
宮崎県延岡市の災害も川の氾濫によるもので、川の日々の穏やかな流れが一日1か月の降雨は、川が魔物となって地区民の生活を奪っていく。天災の発生を人間はくい止める事は難しく。命を守る事に徹しする対策が必要と、3.11を通して分かった。
南三陸町の再建に川の位置を変え土地の活用を進めている。人間の危うい思考と計画に、自然の力を軽く見ている風潮がある。人間の利権が先か、人への被害を防ぎ自然と共に生きる環境整備か、自然を先に考える環境保存の専門家を交え、町づくりを考える事が必要ながら、町の復興計画は既に動いてしまっている。
来月6日に「復興祈念公園の説明会」の2回目がアリーナで開催される。町づくり会議でも今月に会議で公園整備の画論が、これに合わせるかのように開催される。何が変わり、震災の慰霊碑をどう建立するのか、聞くだけ聞きたいと思っている。
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昨日は町の復興推進課に、志津川市街地の低地部の換地や入口・水道の位置に付いて確認にいってきた。対応は町の職員で、URの土地の担当者が不在との事だった。29年4月には土地引き渡しと言う事で、店舗の計画と将来に向けた事業計画の構想をしていた。町・UR都市機構の送付された図面の内容の把握は、素人には難しく、土地の状況によって大分違う。私の土地は角地法面や、車の進入口も制限がある。被災した元の環境と同じ換地が基本にある。
今日の10時前にUR都市機構の担当者から連絡が来た。昨日の不在で今日の対応となった。ショッピングモールの整備は3月3日の「町開き」で既に建設が進んでいる。低地部中央にはコンビニも既に建設営業している。最近嵩上げされた土地のスーパー建設予定地は、10月のショッピングセンターの整備に、一月から着工が始まる。
その他の低地部の他の引き渡しの早い物は、29年度の上半期と言う。私は4月には工事を始めたいが予定にあるが、行政と委託されたUR都市機構は、始めから9月の末をその期間と決めている。商店の再建は時間との戦いで、「来客の確保」「店主の年齢」など、多くの問題を抱えている。5年と半年が経つのに、嵩上げ計画決定から、世紀の大工事と言われているものの、5年半の復興工事期間は長すぎる。
商店主の再建も、住民の住宅再建も、長い期間が経過する事で、町外への住民の流失と、商店の半減に繋がった。昨日に来社した方も、もっと早く土地が確保できれば、こんなに住民が町から離れる事は無かったと言う。
行政トップと近い繋がりのある商店は、会社再建は既に終わり、新しい商品開発と販路拡大の確保に動いている。志津川商店街の震災1年後の再建と、5年目の基盤機構の期限が終わる時期に合わせ、低地部のショッピングモールの整備を、商工会と町が早期のオープンに向け進めている。地元の住民の買い物客、2割にも届かなく、町民の買い物環境整備ではなく、観光客の確保の為が色濃い。これまでの町民の為の商店街はもうない。これが行政の進める町の再生だ。政府もこれを容認する資金の動きが、我が町にはどうどうとまかり通っている。
朝から疲れた。

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2016
09/20

私にとっては色々あった世間の3連休が終わった

9.20ブログ
何も無くなった漁村の集落に、こんな巨大な河川整備が必要ですか。以前の津波でも何もしない水門だけの、こんな小さな川にです。これまでも自然の災害で集落の水害など無かった地区に、国民の税金の無駄遣いと感じる。現在この集落は20mの高台に、世帯数が半分になり移転となりました。残った家々も千年に一度の大津波で、到達しなかった場所です。
国の進める国策の津波対策、終われば東京五輪の競技場建設に、国の政治は移行する。被災地は忘れられるだろう。これからも住む子供たちの将来は、個々の判断ながら、近い将来は消滅自治体となるだろう。
来月は従弟筋の子供達の結婚があり、兄弟の将来設計は仙台を選択している。寂しい将来が垣間見れる。同級生の子供達が町も町に残るのはまれで、残った男性は独身が多く、町の将来には高齢化の社会が待っている。
消滅都市の我が町の将来に必要のないものは、福祉・社会保障・子供の教育向上に回すべきと思う。気仙沼地区の政府の防潮整備への意義の申し立てがあり、数件ながら自分たちの地区にあった、防潮堤の在り方に変わっている。津波で我が町の地区民の力も衰えた気がする。
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「新婚さんいらっしゃーい!」に学んだ。
40歳を過ぎてなかなか出会いが無かった彼女、愛媛と東京ながらフェースブックで知り合い、遠距離恋愛が始まった。
彼女は父を亡くし、次に弟を同じガンで亡くし、結婚式の2週間後? に母が亡くなった。共にガンだったと言う。
病気が悪化し結婚式には出られなかった母ながら、飛び入りで「どじょうすくい」で会場に、新郎新婦を驚かせたという。母は「新婚さんいらっしゃい」への出演のはがきを出していた。こんな形ながら親孝行ができた。
結婚事情の厳しい現代、結婚をしたいと思っている人たちは沢山いるはず、その出会いの橋渡しをしたいが、私がこれから南三陸町で活動をしたい一つです。
結婚したて欲しい、結婚相手を探していると考える、女性・両親・友達、是非私に情報を下さい。電話080-1801-6399 素敵な男性が南三陸町を中心に、沢山の会員におります。



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2016
09/19

秋彼岸の連休の志津川地区の賑わい


連休中日に神奈川県の従弟たちが来町し、商店街のフードコートで食事会となった。「あなご丼」「海鮮丼」など、南三陸の海の倖に舌鼓で楽しんだ。食事処は観光客でいっぱいとなり、雨にもかかわらず人気の店の前には行列ができ、ここだけは被災地の賑わいを見せていた。
昨日は「ツールド東北」が開催され、3800人が全国から参加し被災地支援をした。石巻市の専修大学から気仙沼市までの三陸沿岸を滑走した。ケネディー大使も30kを走った。雨の中で志津川荒砥の用事の途中、清水小学校跡地の盛り土の前から選手たちを撮影した。清水地区は家はもうなく、小さい部落後には巨大な河川改修工事が進んでいた。
清水駅は震災そのままで残り、ここからは50m先が海なのに、防潮堤8.7mの土盛りで海が見えない。誰もいない所に、こんな復旧工事と国費が必要なのか。生活道の国道を守る為と言うだろう。来年度には三陸道が開通し、無料期間は車の利用大減少する中で、国の被災地の防潮堤整備は何の為で、誰の為の物なのか理解に苦しむ。判り切った事ながら建設関係者の為の、国の仕事造りにしか感じない。
与党の自民・公明は建設会社からの政治献金と支援を貰い、民進党は労働組合の支援を受け、こうした支援団体の為に政治をしているかのようだ。国民全員が対象ながら、この部分の政治活動が顕著に現れている。我が町もそういう所が見られ、商店街の賑わいは、どれだけの町民にその恩恵があるか測り兼ねる。
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昨日は午後3時から「頭の体操」「認知防止対策」のゲーム大会に参加した。空家改築し入居祝いを兼ねた寄り合いで、久々のゲームに頭をフル回転させ疲れました。
今日は第2段の長野県飯島町の「御柱酒」の準備と、屋根裏の片付けと石巻に買い物に行く。連休で一人暮らしの60歳の過ぎた男性の活動は限られ、連休で家に閉じこもる事の、心的・身体的にも私は悪いと思っている。今日も雨模様ながら外へ脱出です。

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2016
09/18

今度は49日法要の準備


母が天国に旅立ち1か月が過ぎた。母の終末期は徐々ながら突然やってきて、点滴での3か月まじかの、あの日の朝だった。死に目には会えないと覚悟はしていたが、朝6時過ぎの病院からの連絡で、携帯に6時半気付き直ぐに病院に直行したが、12分に急変し連絡の看護師がベットに戻った時には息が無く、当直医の午前6時20分の死亡の確認となった。私は母のまだ温もりのある額に手をあて、「やっと天国へ行けね!」と思った。母に女性の理想を描き、絶えて人の為に尽くした、そんな頑張り屋の母に誇りを持ち続けたい。
全国花キーピット組合からの被災地の支援の花が、1か月半が経っても鮮やかな黄色の花を何個も咲き誇っている。男二人の家族になり、一輪の花が散り、色気のない家庭にならないよう、日々、家には花がある事は癒しとなり、今後も花を置く事を考えている。

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会社の健康診断に登米市の「ささはら診療内科」を選んだ、1週間前の結果が出た。「何の問題はありません」との連絡に安堵している。金曜の夕方6時過ぎの病院の写真ながら、待合室はいっぱいで、駐車場の車も満杯だった。先生は登米市での開業でも「医は仁術」を継承していた。南三陸町の住民も今も先生の診療を受けたいと、登米市まで車を走らせている。
町の病院の診察時間は未だに長く、高齢者は直接苦情を先生には言えず、「ゴモゴモ!」と待合室の椅子で会話をする。町に残って開業している病院の患者も、5時を過ぎると患者の数は一気に減る。被災地ながらの状況があり、その対策は住民が一人でも多く残る事と、医師の確保が一番の方法だろう。

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2016
09/17

志津川市街地を一望できる高台に「震災鎮魂碑」を


今日の写真は志津川地区の天王前と天王山の震災後の今を撮影した。遠くに見えるのは震災復興の町の木材生産の拠点であり、上の山・山根と言われた志津川の地区の、復興の今を見学できる場所に、半年ぶりに立ち寄った。志津川新井田地区にできる高台「中央区」までの、新路線の国道45号の天王前地区の埋め立ての10mの半分が、嵩上げされ、土の安定を時間を掛けて進め、この地に町民念願の「ウジエスーパー」が、ホームセンターなどのショッピングモールとして、来年10月の完成予定で、町との建設協定を締結した。

ある人が言う。写真の向かいの上の山緑地公園裏の、熊野神社がある小高い山を、「震災の慰霊の鎮魂の場として整備できないか」と提案していた。地主から見れば勝手な言い分ながら、志津川町の有数の地主で町を代表する政治家でもあり、震災で勿論、自宅も流失した当事者であるが、これまでの町民支援に報いる活動として、取り組んで欲しいと私も思う。
気仙沼市も慰霊の場を市街地を一望できる「陣山」と決定した。我が町は防災庁舎を中心に「復興祈念公園」の計画を進めている。新井田地区の山裾の地区の住民の一家系で、30名余りの震災での死亡を聞いた時、こうした町民の鎮魂の為にも、場所の決定は町民の心を鎮められる場所が最適と思っている。
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以前の志津川地区の中心地を商店街の復興の場所にと、防災庁舎を観光の拠点として進め、中橋を人道橋として整備をする熊研吾氏の提案は、被災地の再建には商店再生と、観光客の交流人口増加を図る事を中心にしている。そこで暮らした住民の先祖の営み維持や、思いを馳せる事などは希薄で、何処にも描かれていない気がする。

広島の「愛の福袋活動」の女性の会では、11月の16日に志津川中学校仮設で活動を開く。現在も80世帯が住み、志津川の中心にあり、多くの地区民の方々が参加出来る場所を選択した。今回は「オペラコンサート」を企画する。なかなか被災地「南三陸町志津川地区」で体験出来ないオペラ鑑賞を、仮設の皆さんに鑑賞して頂きたいと思っている。

告知を毎月第2日曜配布の「マイタウン情報」で詳細を伝えたい。

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2016
09/16

育てる事の難しさと楽しさ

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夏頃に家の農園の雑草取りをして、半分を雑草の根迄しっかりと除草し、マスと青しそ・三つ葉を植えた。野菜はまた伸びた雑草の中でナスの収穫をしてきた。さすがに初秋となり二回目の雑草を取り、農園の整備をした。

雑草の影から根元に大きなナスが土まみれとなり見つけた。手入れをしないと、収穫すべき物が3つも無駄にしてしまった。日曜日に周辺の草取りや清掃を2時間余りを掛けて終えた。なんと気持ちの良い環境が整った。少なからず雑草を取り終え、大好きな食材の「みよぅが」を植えた。
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現在もミニトマトがあり、ナスの花が今も咲き、その花にミツ蜂が何処からか集まり受粉をする。自然の力で苗は成長し、当たり前の成長の営みがそこにあった。面白くもあり楽しく喜びも得られた。
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昨夜は剣道の日で、先月末の大会後に初めて団員が揃った。風邪や「やりたくない」「親の都合など」などの、多くの気持ちが子ども達の練習の過程にはある。私もあるが「剣道が大好き」と言う気持ちが、重い身体を動かす。結果的には「行って良かった!」と自分に納得している。8時過ぎに帰り、冷蔵庫の残り物で晩御飯を取り、大好きなビールをやめ、入浴・爆睡した。久々の気持ちの良いベットからの寝起きとなった。適度の決められた時間の野菜主体の食事、運動が体調を良くしていた。
練習に新しく体験に子供たちが来た。小学1年と幼児だった。現在は来月2日の大会に向け団員に勝てるように、指導のさなかの新入部員の対応の両立は厳しい。幼児の指導となると7年間続けないといけない。小学生の指導は私一人で、今後に保証はない。「責任を持って指導します」とは決して言えないしいかない。
中途半端な指導を私はできないと、新入団員の指導は「できる限りに!」と自分に言い聞かせる。志津川地区の中学校18年と小学生25年間で現在に至る。もう良いだろう。家庭と自分の事に集中し、のんびりと生きたいがある。
糖尿病と言われてから30年が経った。いつ合併症が出もイイが現在の状況ながら、普段の生活の改善で新たな病気の発生を止めている。家庭菜園は野菜中心の生活のプラスとなり、子ども達との剣道は適度な運動へと繋がっている。自分の人生は納得のいく生き方と、自分の千葉家の役割を果たす事と肝に銘じている。

昨日は「49日・百か日」の法要の段取りと、長野の酒屋さんに12本を交流の一環として注文した。また、来月の東大阪の支部交流会の段取りもできた。一つひとつをこなしてしくしかない。
人生は楽しく面白く! をモットウに日々暮らしている。

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2016
09/15

歌津中学校裏団地の再建が進み 三陸道が10月30日共用


昨日は3.11の大震災で海岸線の国道45号が不通となり、気仙沼市本吉町までのう回路としての道路「グリーンロード」をしばらくぶりで通った。歌津地区の海岸線の道路は、震災前のままの道路が今も点在し、異常気象の高潮や爆弾低気圧の水位の上昇で、孤立する地区も出て来る事を予想する。岩手県久慈市・岩泉町の台風での水害の孤立は、想定外の自治体の災害で、1100名の孤立の救出に2週間以上も掛かったと記憶する。う回路の必要性を強く思う。

歌津地区の中学校裏の高台団地は、海岸の入り江の市街地から、高台への生活を地区民は選んだ。同様の津波発生となると再度の孤立の地区となる。安定した内陸までの被災実態を把握した、「う回路の整備」を真剣に考えないといけない気がする。
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今日の新聞に「三陸道が南三陸町へ」の見出しが躍っていた。10月30日の共用と言う。現在の現場の状況を見たら、「本当に!」と言う感じながら、報道は間違いないだろう。志津川地区の小森のJCは「志津川IC」となる。手前の「三滝堂IC」には、現在道の駅の施設が建設設計から、建設へと進んでいる。
南三陸町の農水産を一同に集めた直売所の、「志津川道の駅」の建設計画の情報は、私はまだ掴んでいない。話だけで何の計画も立っていないのだろう。商工観光の推進は住民再建以上に、力を傾注する我が町のトップ復興計画は、今後の町の衰退への助長と思っている。早く町の政策改変の体制変換を!

第一次産業の販路の拡大は町の最大の問題としてあるのに、水産業は一部の関係者の手の平の中での、所得の向上はなかなか難しい状況にある。生産者を大切にした産業形態の変革が必要ながら、その道は程遠い。だから生産者は言う「自分の代で跡継ぎはイイ!」と。この声を聴くとき、町の将来の希望の火が、どんどん小さくなっていくと感じる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:35 】

2016
09/14

平安に病んでる日本


長野県飯島町の「御柱の里の酒」を知人や友人の建築祝い・新装開業に、支援・交流の感謝の印として、買い求め町での再建者に贈っている。現在は志津川地区のラッシュ期となり、追加で注文したい。

日本で起こっている猟奇的な事件が連鎖しない事を願いたい。自分本意の考えと、世間の歪から取り残され、精神異常が事件へと発展している。姉が弟を殺害バラバラに、娘が母と祖父母を殺害など、驚くべき事件が続いている。高畑さんの息子の事件も、母の背を見て育ち、母の愛の元に道を逸れる事無く22歳の年を迎え、一つの身勝手な判断が一生を台無しにした。釈放の謝罪の、大声も目つきも何処か異様に思ったのは、私だけではない。大人になれない20歳過ぎが増加している。

昨日は仙台で県印刷組合理事会があり出席した。事業所の健康への管理を国上げて展開される。「メタボ」への対策は必須で、従業員の寿命を縮めている。不規則な業務形態に関係があり、家族・同僚の生活の不規則が起因していると言う。寝る前に飲食など、規則正しい食生活ができない事が大きいらしい。歯の衛生管理は、身体の異常に密接に関係している。日々の歯磨きの励行で、歯を守り食生活が維持できる。「歯周病菌はインスリンを破壊する」など、身体の内面に歯の衛生が密接に関係していた。
席上で母の逝去への御厚志への御礼と、東大阪の印刷組合支部との当支部交流会を、8人が気仙沼に来町し親睦を深める。などを伝えた。福島県郡山市の全日本印刷文化展の参加の後の、気仙沼・南三陸への被災地支援をする。感謝・感謝です。観光客の減少が続き、復興とは言いながら風化が進んでいる中の、東大阪からの来町だ。
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仙台の知人が朝日新聞の記事を紹介してくれた。行政の怠慢がある。「被災地の自治体だから」はもう許されない。町の住民サービスの行政の証明書発行を9月1日からコンビニ開始するはずながら、町の設置すべき委員会が2003年から不在だった。「情報公開・個人情報保護審査会」の委員が居ないままで、震災前から13年間不在だった。自治業務の怠慢を発生させた総務課や、管理能力に欠けた自治体の体質が現在の体制と言われてもしょうがない。震災での町の混乱や復興の遅延、人口の減少も町にとって大切な政策を、見誤っているのではないかと、今も町のトップの政策に感じている。
私の周辺の町民たちは、自己の力で新しい生活を切り開いている。行政をあてにしている人間は少なく、行政は当然のやるべき仕事を、スピード感を持ってあたって欲しい。小池知事の新風は都庁に、職員の意識改革の必要性を、豊洲市場の問題で都民への透明性を少しでも切り開いた。
一町長の長期政権の裏側には私たちが知り得ない、秘密の流れがある。新しい若いトップの誕生が必要な時期を迎えている。以前の流れを継承する人材の後継者は必要ない。町民の政治への関心と、投票の意識の改革が不可欠である。しかし?

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2016
09/13

終の棲家で


志津川地区の東団地西工区の災害復興公営住宅F棟に知人が引っ越し、登米市の仮設から3人が震災後5年6か月ぶりに帰って来た。無事に帰ってきてくれて良かった。

西工区の工事現場とアリーナ駐車場との高い塀が取り除かれ、間に道路が整備されていた。ここが西工区の棟への入口になっていた。反対側は今も工事中で、間違え誘導された。
公営・町営? どちらが本当なのだろう。建設した物を町が買い取ると新聞に出ていたが、公営住宅は国の災害工事で、ゼネコンなどの工事で、UR都市機構が整備した復興住宅を、町が買い取り家賃を町で徴収し、管理も買い取った後で町があたる。管理委託制度に町はすると思う。自分の町民サービスの放棄と思っているが、管理委託で町の財政支出の減少を図ると言う。この考えの危うさを感じている。

台風14号が中国大陸に向かって安心したのもつかの間、今度は15・16号が発生した。まだまだ自然の猛威は続きそうだ。
東京都の豊洲市場の整備にあたり、盛り土する部分が空洞だった。4m盛り土の上に市場を建てますと、ホームページで都民に報告した、虚偽の告知は嘘の上に嘘を塗る行政の体質がある。「ブラツクボックス」がこんな所にもあった。自民党系の都知事が当選していたら、闇の中に消えていた事案と思う。ベンゼンなどの発がん物質を軽視した工事手法は誰の為なのか、工事の盛り土から空間での完成は23億の、工事経費の削減になるとも言われる。モニタリングの為の空間と今となり説明をして、開き直る都職員の説明がある。まったく!
地方の工事の検証など何処がするのだろう。現場監督は工事現場の100mに一人が必要と言われる。広大な被災地では無理であり、多くの計画どおりの工事は無理と、工事に携わる関係者は言う。その結果が土に埋まった地下の不良が発見され、南三陸町は大騒ぎ? 一部の人だけの事のように静かだ。
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我が家の家庭菜園は1×2mの小さな土地ながら、ナス・青シソ・みつ葉があり、現在もナス花にハチが飛ぶ。咋朝、ミョーガの株を植えた。来年の収穫が楽しみだ。プランターには今もトマトが実を結び、私一人の食卓には十分だ。

小池新都知事の都民の選択は正解だった。今回の問題対しても、「責任感とスピード感・緊張感を持って当たって欲しい」と、記者会見で語った。自民会派の知事なら「闇から闇へ」だったかも知れない。地方議員の政治不正が絶えない中で、領収書の偽造で不正に政務調査費の搾取で、3人の富山市議の自民会派の議員が辞職した。長期政権の「奢り」が地方議員にもあった。長期の保守の首長と議員のなれ合いは、そこで暮らす国民の利益も薄い。

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2016
09/12

自分の思いを感謝と後世に

昨日は我が家の墓前に花を手向けに行った。


また一人、志津川地区に尽くされた先人が88歳で亡くなり、大震災の追悼と地元への感謝の想いを、町内にあるお寺に石碑を寄贈建立した。

震災で施設・建物を全て流出し、83歳で石材会社を廃業し、最後の町への奉公と石碑を建てると、生前、私に話してくれた。仕事を下さったお得意様の希望には、以前働いていた従業員や、関係の石材店さんへの口利きをしてくれたと聞く。
私は生前に、町での慰霊碑の建立が無いままに、町に来て手を合わせる場所は防災庁舎の祭壇しかなく、私も自費で「何とか慰霊碑を小さくても早く建てたい」と、松本さんにお願いしていた。
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松本石屋さんの石碑は、大雄寺さんの登り口の中腹にあり、志津川湾と荒島を望む場所に石碑はあり、物故者の為と「地震が来たら逃げる」「3.11の風化防止」など、後世に思いを託した。
現在は震災前に営業していた町内の石材店の二社が廃業し、志津川地区には墓石店はなく住民は困っている。私もお寺の御世話で叔母の法名碑の刻みを古川に頼んだ、母の法名碑を何処に頼もうか今、思案中である。
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松本孝二さんの建立者の名前が「凛」と後ろに刻まれていた。葬儀の席上で喪主は言う、皆さんがお寺で義父の石碑に手を合わせてくれれば、最高の義父の喜びと話す、孫さんは「おじいさんは私たちをいつも笑顔で迎えてくれた。おじいさん安心してください私たちがおばあさんを見ます」と弔辞で言う。孫たちの教育も祖父母はしっかり見て来た事を感じる。
お寺に行く事の多い私は、町内の松本さんが建立してくれた石碑を、気を付けて探し手を合わせたい。

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2016
09/11

被災地に若い力が寄り添って


母の母前でひ孫たちが戯れる。こんな事が亡くなる前にもっとあればと振り返る。仙台の兄の三人の孫たちには、二人ずつ6人のひ孫があり、震災後に被災地の復興と共に、志津川地区を再三訪れて両親に会いにきてくれた。
茶の間でみんなが話をして子供が遊ぶ、これが私の理想だったが、今は兄の子供達がその夢を叶えてくれた。
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昨日はテレビで石巻市に住み、ブライダル事業に取り組む若者が、他から来たボランティアの若者と、一緒に被災地の結婚のスタイルを考え、今の若者に喜んでもらえる結婚のスタイルを考え提供していた。その代表の結婚式があり、石巻の町中の何気ない風景の中で、記念写真を撮り、会場にも大漁旗をメインに飾り、石巻らしい結婚を演出した。
今度は南三陸町に来た二人の若者のボランティアが、是非わたしたちの結婚も、今活動しているここでしたいと、「ひころの里」の広場を選択した。自由な若者たちの発想は、「自分たちの結婚したい」と、結婚のスタイルにとらわれない、自由に心に残る結婚したを求めていた。
来月は父の親戚の子供の結婚式が仙台である。どこで式を挙げても二人の心が一つなり、子どもをつくり一生添い遂げ、「結婚して・出会えてよかったね!」と言える、一生が最高の結婚と思っている。
私の活動は、年齢・スタイルは関係ない、共に人生を歩める出会いの場を提供する事があり、一つでもキッカケを与えたいが願いだ。

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2016
09/10

多くの人材が町を離れた


昨日は会社の検診を登米市の先生にお願いした。以前は志津川病院に勤務していたが、私は永続勤務するものと思ってはいたが、町を追われ、登米市米山の病院にも勤務していた。その時に渡しの甲状腺ガンを発見して頂き、仙台市立病院の甲状腺の名医である高屋先生を紹介し、再発する事無く30年、現在に至っている。
私は「医は仁術」を実践しているただ一人の知る先生は、現在登米市で開業した笹原先生と思っている。志津川地区で開院して間もなく、大津波で全てを流され、その後体育館での被災者の診療にあたり、その後も町立病院の被災後の運営に貢献した。何で町民から慕われる先生を町外に出してしまったのか、医師不足といいながら「先生を地元医療の為に残って下さい」と、町長は強く働きかけなかったのか。東北大学第一外科の医師の招聘があり、上下関係の医療界、大学の意向に添っての町長の判断なのか不思議だ。今も多くの町民が先生の元に往復2時間を掛け通院していた。
現在の9月定例議会で5名の議員の質問が終わった。この後の議案に教育長の再任が可決したようだ。町長が選挙で選ばれてから、15年目を迎えている。教育長の選任は町長の役割ながら、当初は「公募」により教育長の選択は、決まっていた人事と私は思い、一つのパフォーマンスと感じていた。仙台出身の片桐氏がデッキレースで選任され、その後には田生教育長が付き、今回で3期目となる佐藤教育長は岩手出身だ。この三氏は全てが町外出身で、校長職の退職後に就任しているが、総てが町外の先生方である。自分の使い勝手がイイ先生の登用と私は思っている。
町内にも町の事を良く知っている、多くの教育長に適している、生徒の家庭・両親を知る校長を退職された方が沢山いる。自己の判断と間違った行政からの指示には、子ども達の事を考え、町を考えた決定に終始する人達だ。
素晴らしい町の人材が町外に流出している。津波により町が流出し、町民が死亡・行方不明になっている中で、今も志津川・歌津の人的財産が消えて行っている。

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2016
09/09

しばらくぶりの晴天


台風が5つも来た先月から昨夜、全国に大きな爪痕を残し、今も以前の災害途中の後片付けなのに、更なる大雨と昨日も見舞われた。熊本地震から5か月が経つがその被害への世間の関心が薄れ、この短期間で忘れ去られている気がする。東日本大震災とて同様に、時間と共に風化する。こんなにも自然災害の中で、人災が発生しているのに、人間の欲は同様に増え続けている。
岩手県の岩泉の大水害の裏には、氾濫した川の自然の流れを居住区確保の為に、川の流れを人口に変更したことも原因の一つにあると言う。自然が造りだした川の流れを、人間の計画で河川の変更は何が起こるか判らない。人間が生活しやすさを追求する事が、自然の力には勝てない、予想も出来ない事は今回の3.11の大震災で判っているのに、また同じ事を繰り返すのが人間ながら、多くの知恵を持っているのに「欲」には勝て無いようだ。我が町も新井田川の河川変更がある。本当に大丈夫?
長野県清里の隆盛が、今から40年前あった。「長野の原宿」とも言われピーク時には、年間200万人以上も観光客が来た。今はその一割にも満たない、一部に廃墟のような風景が広がっていた。人が住みそれが真実の生活ながら、観光客の潤いは一時期で、永劫までは続かない。その事からも町民の流出対策無しに、町づくりを図る町の震災後の政策は失敗と私は言い続けたい。宮城県の観光客の流入は、仙台が勿論一位で、石巻・気仙沼と続く。防災庁舎でどれだけの人が南三陸町に来るだろうか。復興半ばと言いつつも、語り部を利用する被災地の観光客は「24%」も減少している。
石巻の「国際記念公園」の整備には、世界的に自然環境を考えている涌井氏が委員会の代表を務める。自然環境を全てに生かした公園を想定している。被災した門野脇小学校をバックし、震災で残った場所を公園にそのまま残すと言う。大きな手を公園に付けなく、観光地的な要素を出来るだけ無くし、震災の慰霊・追悼と風化しないよう、記憶に留めて貰いたいとの計画で、観光客・地元民で公園の管理を図って行く。我が町とは大分違う。
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昨日も同年代の方が震災後の労苦を語ってくれた。最後には「先祖を守るのは私」と言い聞かせ、暮らすには環境の良い仙台を後にし、まだ何も無い志津川の地に来た。震災後の避難から二次避難と、町民を右から左に移動させ、5年5か月かかって、仮の宿からの生活から脱却したと言う。震災後の多くの自己の問題の中で、特別に町から助けてもらった事は無いと言う。
私の同級生が震災から高台の町整地の土地に店をオープンした。私の知る限り初めての事と思う。多くの苦しみの問題の中で、一つ目の事は生業の再生だった。国からの生活再建の資金だけで、事業再生の補助などの資金は使わずに、ここまで来た仲間、女性ながら凄い。両親の事と生活再建・事業の再建と、私と同様ながら敬服する。

今日は登米市に会社の健康診断で出掛け、帰ってから葬儀に参列する。町の為に尽くされた方を、多くの隣人・知人で送り出したい。しかし、多くの町民は再建途上であり、生活の安定はまだ得られていないようだ。これで少しは死の連鎖が収まりそうだ。
昨日の剣道指導は中止になった。ちょうど練習から帰宅にかけて雨の勢いが増した。仙台は36ミリで仙台駅前が膝まで冠水した。豪雨と言われる100ミリとなったら、市内はどうなるのだろうと思うとゾッとする。

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2016
09/08

隈研吾氏は南三陸町で更に有名に


南三陸町の震災からの商店街づくりに貢献したと言われている。女川の町の商店街と余り変わらない設計と思う。八幡神社からの人道橋は、隈氏の設計の基本となる木造設計があり、コンクリート鉄骨からの自然に優しい構造物へがある。金沢の「つつみ門」はその根底にある気がする。
国立競技場の建設もザハ氏の建設費高騰から、隈氏へのチャンスが生まれた。大震災で多くのゼネコンとの関係が生まれ、競技場の設計士と建設会社の合同入札となり、隈氏の建設が指示された。ある意味大震災での被災地との係わりが、今の隈氏の隆盛を生んだのかもしれない。
写真は登米町の道の駅に貼られてあった、隈氏紹介のチラシで、「能」を舞う場を建設したのがこの地区に?があった気がする。
今度は品川駅の山手線の新駅舎の設計もした。木造のガラス張りの明るい駅舎は、流線型で店づくりや構内の内装も、今までとは大きく変わっていた。大きく隈氏がクローズアップされたのは、南三陸町の町づくりにあり、時代の流れに乗り次々と新しい建築に、木造の木材の利用がある。
南三陸町の南三陸沿岸の内陸に育った林材は、震災から林業家の努力により「国際認証」を取得し、国際的に建設される公的構造物に使用できる事が認められた事で、町では隈氏の活躍に乗ろうと、協力を求めている。
相互の利益の追求が合致した。偶然ながら互いの持つ利点を国内・世界の、構造物に使い利用してもらえると嬉しい。しかし、全国の林業者も木造の活用の隈氏の考えに、あやかろうとして皆が狙っている。

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2016
09/07

南三陸から気仙沼本吉までの復興


敬老会が今月末に予定されているが、ここ1週間で多くの高齢者が亡くなった。また、今月には地区のゴミ拾いと草刈りの活動がある。地区の高齢化もあるものの、私の地区は町の中でも若い人達が多い。地区の隣に整備されている高台移転は、災害公営住宅は70歳以上の高齢化率と、戸建も終の棲家には60歳と越えた方や、40歳を超える子ども達との同居ながら、子ども達が少ない気がする。

多くの震災後の書類取得に、県の事務所や法務局・税務署に気仙沼に行く機会があり、何度も国道45号を北上した。
昨日は歌津地区の駅前の盛り土が削られ、道路から見れなかった駅が露わとなっていた。歌津伊里前商店街の整備にあたり、年内には整備を終了し、3月のオープンを目指しているのに大丈夫なのか、不思議な工事の進捗を思う。海岸線の地区は国道の移転整備もあり、多くの時間が掛かるはずなのに、現在の姿に予定どおり進み、7年目の3月の整備が整い、地区民は大きな期待を寄せている。
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歌津港地区が大きな変化を見せていた。大震災で残った鉄骨の解体が始まっていた。志津川からの港駅手前の鉄骨の建物も、既に解体が終わり。港駅前のスーパーも解体する為に重機が稼働していた。海岸部の住宅街が無くなり、嵩上げされ今後どうなって行くかは、私は知らない。
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気仙沼市本吉町小泉の津谷川に橋脚が高く4本もそびえ、遂に橋が一つ架かる、そこから次の橋脚までの橋の引き伸ばしが始まっていた。そびえ立つ橋脚の前後の道路は整備がまだの中で、国道45号が新しくなる。隣には気仙沼線の川沿いの高架橋は未だに解体ならないままで、周辺の生活道路の整備が加速する。

昨日からの9月議会が始まり、行政報告がありその中で、町長が謝罪したと言う。コンビニでの住民の書類の住民票などの発行を9月1日から進めていたものの、マイナンバー使用などの個人情報の前準備を怠り、発行するに至らなかった。行政の三浦総務課長は「事務方の油断が原因」とその理由を語る。今議会の初日は2人の一般質問があった。前定例議会では3人の一般質問しか無かったが、今回は半分の8人以上の質問を期待したい。
大震災の住民再建は、住民が努力し現在の状況まで至っている中で、公務員として報酬を取る立場の人間の、行政の重要な部分の怠慢は、住民サービスの低下に繋がった現実がここにある。
止む無く仙台での生活で身体を壊し、亡くなった方の死亡は、「住民票」などの住民基本台帳に無いとの理由からか、町の広報誌の死亡欄には掲載とならない。福祉施設への他地区への入所でも、住所を施設に移す為に、逝去しても町で共に暮らした町民への告知とはならない。寂しい悲しい限りだ。特例で広報誌への掲載は可能とならないのか、是非掲載なるようお願いしたい。止む無く大震災の発生の経緯を、行政には考慮して頂きたい。

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2016
09/06

南三陸町の新しい見学地に


昨日に広島から支援依頼が入った。母の逝去にあたり「弔電」を頂き、感謝です。今回はオペラ歌手の方が同行され、「愛の福袋」と「被災者の集い」と、何が出来るのかと模索しながら活動を続けていた。今回は自分たちの団体で「南三陸病院」の紹介があり、台湾支援による建設と、素晴らしい病院建設へ繋がった旨の内容が、月間発行の機関誌に掲載された。是非、新しくできた病院を見学したいとの願いがあった。今回は10名の応援隊が来町する。

昨日も民間の葬儀会社で、震災被災で仙台に暮らしていた知人の奥様が亡くなられた。突然の若い死に驚かされた。御主人は静に送りたいとその胸の内を話してくれた。想像もつかない心労や生活の中で、6年目を迎えた死だった。
町内の訃報は被災地では判りにくく、人知れず葬儀を済ませる状況がある。今日の新聞のチラシに別の「葬儀案内」が入った。河北新報三陸販売所の取り組みだ。良い事と絶賛したい。今後はこうした方法で死亡の告知が出れば、かつての町づくりにと取り組んだ人々を、関わった人たちで送り出す事ができる。

そのチラシの内容は私が御世話になった人だった。震災後に関わった総てのお寺に、東日本大震災の慰霊碑を自費で建立した。地元の石屋さんの社長さんで、私にとっても突然の訃報だった。震災の津波で会社を全て消失し、働いていた人たちで社長の意を継ぎ仕事をしていると聞いた。「ご苦労さまでした静かにお眠り下さい。」

児童虐待が昨年は「949件」と、調査を開始した平成7年以降、史上最高となった。「147件」昨年から増加した。学校での精神的な虐待がトップで、家庭内の虐待も依然発生している。
我が町に目を向けると、町では無いと言うが、町・学校での隠蔽なのか、本当に知らないのか、発生している小さないじめや虐待が、大きな事件にならない事を願いたい。
青森県で二人の中学生が、先月に「列車飛び込み」「首つり」で、相次いで亡くなり、遺書にはいじめた生徒の実名が記されていた。被害者も加害者もその家族も、これからの人生に大きな影響がでる。夜回り先生の「水谷先生」は言う、「決して死んではいけないと!」。
子ども達の成長過程の精神未熟不安から、一時期の気持ちの動揺から事件が発生している。学校も教育委員会も、事件の内容を有耶無耶にして事件は、時間と共に終わってしまう感じがする。記者会見の当事者と関係教育機関の対応はその温度差を思う。こうした対応では決して子ども達の自死は無くならない。

台風10号の北海道・岩手県の被害は今も続いている。岩手県の岩泉町は香川県と同じ大きさと言う。私のハマっていた「岩泉ヨーグルト」の生協販売は、中止と友達は言う。町のホテルで販売していたケースから、ヨーグルトが消えた。被災地の地場産品の再生は、復興の足掛かりとして国の支援を早期にして欲しい。

生きる意欲に自分の意識の低下を感じるようになった。20代30代の世の中を知らないままの、営業の勇気が無くなった。仕事をして42年もう「のんびり」と仕事をして行きたい。

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2016
09/05

南三陸町の変化と気仙沼市との比較


マイタウン情報「復興第54号」の作成が終わり、今月の第二日曜の11日に新聞折り込みをする。震災直後は2800枚の地域の配布をアルバイトを使い、自分も配り歩いたが、現在は無理と河北と三陸の新聞折り込みに変わった。楽しみに定期となったマイタウン情報を待っている、町の読者の為にも続けている。

今回は、「本浜町の七福神舞い復活!」と「長野県上田市との少年野球交流」「気仙沼・本吉剣道大会」を一面に紹介している。新たな取り組みとして「会葬御礼」の告知を載せた。婚活の事業の会員募集も前回に続けて広告を掲載した。
裏面は震災復興からの「住所移転の葉書印刷見本」を掲載した。商工団地内の会社地図も入れた。移転し2年6か月を迎えても、未だに場所を教えて下さいとの連絡がある。新たな住所・地域の生活は、町民皆様が町を把握するには、5年・10年とかかる気がする。

志津川地区の情報として、サンオーレ袖浜の復旧工事が始まり、完成は今年の11月を目指し、復興の期待に町民は胸を膨らませている。町起こし隊に町外から移住の3名を任命した。活動費に月16万円で、国の特別交付金を充てる。県漁協志津川支所戸倉出張所カキ生産部会が、波伝谷漁港で釣り人転落の救出をしたと、広域消防から感謝状が贈られた。各都道府県の「県の石」に、歌津ギョリュウ化石」が認定された。
国際認証を受けた「南三陸材」「養殖カキ」の報道があり、南三陸町の産品が海外で活用される資格を取得した事で期待がある。

気仙沼市の報道で、ふるさと納税が5200万円の黒字になった。27年度の納税は563件1億3391万円だった。ネット申し込みのシステム変更したせいで、納税者が増加した。

また、臨時号で紹介したいが、南三陸町の出生数が、昨年より17人増え、気仙沼市は57人減少した。高齢化率も発表され、南三陸町は33.2%となり県下9位、人口13717人の内に、65歳以上の高齢者人口が4552人となった。気仙沼市は35.2%で県下7位とだった。

地元の情報満載の「三陸新報6月分」の情報ながら、町の情報は明るい事が多く、気仙沼市は、今の現状の厳しさを伝えている。住民が欲しい情報が綴られている。町の広報誌も行政の町民にとってマイナス部分の掲載は少ない。今の置かれている状態のを、町民が一体となり考える情報や状況が、私たちの町「南三陸町」には無い。

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2016
09/04

きささげの木


登米市の登米(とよま)小学校の前には、地区の観光拠点がある。学校生活の一部に町の観光拠点と、明治時代の小学校跡地の観光地と、道の駅があり多くの観光客の姿を垣間見れる。その場所には「きささげの木」が、子ども達の成長と観光客の出迎えをしていた。
登米町も平成の広域合併で「登米市」に統合されながら、登米町は我が町の姿を歴史のままに、時代を越え多くの人々により現在の町風景を創り上げた。
道の駅は多くの観光客の軽油地として、周辺の観光の休憩場所としての役目を果たしている。
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我が町と比べると、一人の人間の構想が将来の町を造り、一部の商店主にその恩恵が及ぶ、観光地づくりをしている感じがする。町の農業や漁業の組合も、町での地場産品を町民にのアピールは少なく、町外への発信をしている。町民の理解や応援無に産品の良さを伝える事は、永遠に「口伝え」による町の維持へと繋がる気がし、子ども達もこうした環境を自然と理解し、町の良さを特別教えなくても、将来の後継として思えるキッカケがある。
観光に小中高の児童生徒を引っ張り出す事により、学力低下やいじめなどの発生を危惧する。普通の他の学校の教育環境と同じに、普通の大人に育つ事が良いと私は思っている。
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「子ども達は町の宝」とこれまで歴代町長は言って来た。しかし、今の子供たちへの指導方法は間違っている。被災地だからこそ子供達には普通に学業に励み、スポーツで身体を鍛え、学校の先生方の教育方法に任せ、これまで続いた学校教育を実践すべきだ。

一昨日前、中国から英国へ留学し、南三陸町のボランティアとして来町した「リンさん」が、3か月間の予定を終え「帰ります」と、来社し御礼にとお土産をくれた。何かしてやりたいと思っていたが、たいした事も出来ずに別れを迎えた。一期一会を今後も大切にし、支援や交流を来町者にはして行きたい。

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2016
09/03

ブログ発信3650回発信となった


10年前頃の政治に疑問を感じ、ブログを通して町を姿を、自分の感じる思うままにとブログを始めた。発信内容に未熟さから「炎上」も大小あったが、他人への迷惑や誤報は直ぐに対処し、誤字・脱字はご容赦頂きたく、多忙の中で短時間の毎日の発信は、無知な稚拙な部分を多く秘めた私です。しかし、言わんとしている内容は今の読者には理解されている物と思います。
ブログを初めて2年目に町会議員となり、多くの問題を町へぶつけて来た。その2年後の大震災では、自宅・工場などこれまでの人生の場の総てを失った。高齢の当時88歳となる両親を、何とか無事に苦痛なく生活させる為に、ここまで歩んできた。「何とか町民の力になりたい!」と、多くの場所へ行き、皆さんの大変を聞いて「一緒に!」と、町で暮らしましょうと促した。しかし、私の力と気持ちの伝達の弱さか、多くの知人・先人などが志津川から去り逝去していった。自分の力の無さに落胆したが、精一杯に皆さんに伝え活動してきた。
ブログ10年で震災前の写真も残す事ができた。ブログの数は7つを数え、会社で震災前に働いていた若者たちの力を借りて、滅亡した志津川市街地の写真を懐かしく見つめる事も多々あった。ブログ発信で自分だけの宝であり、見てくれる人への思い出・懐かしさを感じてくれれば、ブログをやってきて良かった事になるだろう。
いつまで続けられるか判らないが、自分の身体が壊れるまでは発信して行きたい。これまで見て読んでくれた来訪者に感謝し、60歳の還暦を過ぎ新たな人生を、歩む「大好きな志津川町」の一人の人間としての越し方を、見て読んで笑って頂ければ、私の幸せと思っている。

会社の登記を昨日に行政書士から貰って来た。震災前の多忙さと震災の混乱で、会社の2年ごとの更新を怠っていた。会社の消滅と住所移転など、会社を普通にこれからの事も考え、小さいながらも株式会社としての立場を継続させた。
その他にも母の逝去に伴い、母の少し財産を弟に贈与する事を勧めている。出生から死亡まで「腹戸籍」を取るに当たり、志津川での結婚後は南三陸町で、米谷での出生後は登米市から取った。嫁いだ時の住所とその後の住所が違っていると「誤記載」を指摘され、町の窓口に行き聞くと、土地の区画整理で名称が変わっています。と言う。「その証明書を町で発行して欲しい」と申しでると、「できません!」と言われた。以前はそれを証明する物があったが、津波で流失したのでありません。と説明を受けるが、なんで以前あったものを津波による天災を受けながら、これを政府への説明として、行政で特例での「証明書」を作ろうとしないのか不思議だ。住民への行政サービスとして当然の行政対応と思うが、こんな対応にも行政の住民へのサービス低下を感じる。審査官が「良」とすればと言う。「良」としなかったらどうするのだろう。以前にはあって震災後にはないは、6年目を迎える震災の自治体としての、色々な問題に対して行政の迅速な問題対応に欠けていると思い、行政幹部は感じないのだろうか。交付金の事業申請の町の資金確保も大切ながら、住民生活の行政の優しい対応が、被災者にとって嬉しい事を、まだ行政は知らないようだ。
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昨日は志津川高校の旭が浦際の恒例の「仮想行列」が、文化祭の先頭を切り告知の意味を込め、町を?を被災地の中を商店街まで練り歩いた。
中央区の造成再工事は今も続いていた。当初の雛壇の高台移転の構想が、その姿を現したと感じた。擁壁の整備の高さは予想どおりで、整備には多くの資金が掛かる事と思った。

昨日も広報が来たが、沢山のチラシや告知が入っている。こんなにも多くの印刷資金があるようだ。我が会社のものは一つもない。弱小事業所の淘汰される時期にまっしぐらだ。もっと被災町民が参加できる・喜ぶ情報を、復興交付金なら町民の為になる予算の使い方をして欲しい。

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2016
09/02

自分の思い考えるように生きる

7.17中央区
歌舞伎の海老蔵の妻、小林真央さんの「乳がん」の公表から3か月が経った。新ブログを始めたそのタイトルが、「なりたい自分になる」と言う。ブログに対するコメントが一日で3千件を超えたと言う。日本国民の優しさを感じる。
「乳がん」で国内でも町内にでも多くの患者がいる。真央さんは「ガンの影に隠れない」「一度きりの人生」と、ガンに負けない子供の母として、そして妻としてガンと共に生きる事を決めたようだ。

台風10号の被害が判明してきた。県内は14億を超え、水産業はまだ入っていないと言う。東松島では牡蠣の養殖だなの8割が落下し、その被害は2億5千万円と言う。岩泉町の被害は甚大で、グループホームでの9人の死亡にと止まらず、17名の安否が不明がいると言う。孤立している地区もあり、状況が把握できるにしたがって、その被害の全容が見えるまでは時間が掛かりそうだ。私のハマっている「岩泉ヨーグルト」の発症の地で、私には岩泉は近い感じを持っていた。観測史上初の岩手県の直接上陸で、こんなにも多くの被害が出たことに、宮城県だったらと思うとゾッとする。
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今日の写真は土地の整備に問題の発覚した、志津川地区の中央区で、6・7月から1か月半が経過した現在の状況を見て来た。住宅建設の速さに驚かされた。「土地さえあれば!」、町民の住宅再建の力は強い事を感じ、将来を考慮した災害公営住宅への入居も、堅実な生活を選択していた。

焼香に来てくれた人から、台湾訪問の町長の一行の実情を聞いた。東京都の知事・議員の視察経費が問題となっている今、韓国訪問に町長一行の町の経費が「2千万円」掛かったと言う。その随行者には「さんさん商店街」の役員の、山内氏・及川氏の名前があり、観光協会の宮川さんも居ると言う。その意味は解り兼ねるが、言うとおりだと一人当たり「200万円」掛かった事になる。台湾旅行に私個人でも3泊4日で、ツアーなら40万円も掛からないだろう。議会での検証の質疑の話は聞いていない。
9月定例会が始まる。決算審議が主題の定例議会ながら、6月の3人の一般質問よりも、多くの被災地の抱える問題山積の町に、行政に問い正す事があるだろう。町長の指示をする与党体制の現状は、議会の活性化や行政の監視役としての役割は、薄い物となっている事に、やっと町民が気付き始めている事を知って欲しい。
来年の町長・議員選挙が9月にある。人口が減り行政への無関心が拡大するか、町への不満が爆発するか楽しみだ。

今日も父は昨日の眼科に続き、循環器科で心臓の検査だと言う。従業員の縁類の葬儀で私一人だ。仕事も無いし将来の事でも考えよう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:32 】

2016
09/01

故人への感謝の焼香は早急に忘れずに 


被災地の葬儀と弔問は、情報不足と生活の不安から、遠く仮設での暮らしで行きたくても行けない、6年目を迎えるのに以前の生活からは程遠い。
昨日も「知りませんでした!」と数名の訪問客を迎えた。しばらく疎遠となっていた方が来てくれた。千葉家への温かい気持ちに感謝です。
母の米粒くらいの財産の贈与の処理をしている。町の税務課・窓口から必要な書類を準備していた。「出生から死亡まで」の戸籍は、志津川で暮らした分は南三陸町で、嫁ぐ前は登米市でという事で、津山出張所で取る事とした。母のルーツの深さに驚かされ、千葉家の昔の生活を垣間見られた。戦後の混乱期の結婚がそこにはあった。現在の生活が一変する過去の出来事に、自分の今も含め環境が変わっていたかもしれない事実を知り、やはり志津川で生まれ生きている事に感謝です。
津山の登米市の出張所は簡素化となり、事務職員は10名ほどで、過疎化・人口減少の末路を見た。前々の県会議員選挙で戸倉から出馬方が、「登米市との合併」を訴えた。生活環境と住民サービスを考えると、以外と震災後は一理あったかもしれない。
台風10号の被害は岩手県で、想像を絶する事態となっていた。福祉施設の入所者が川の氾濫で、突然の施設への川水・流木の流入で9名が亡くなった。一時間に70ミリをこえる雨量は今までなく、川の増水は5.1mの土手の高さとなり、1時間後には6.5mとなり、川沿いの家々や福祉施設を呑込んだ。
南三陸町の福祉施設は自然災害に関しては大丈夫のようだ。一部の岩手県の企業の介護施設の問題を聞く。「医は仁術」と常々言われるものの、自分勝手な入所者への対応は、家族の「安らかに。おだやかに。」と言う、最低限の終末期の生活を壊すものと思う。
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現在は夏草が周辺道路沿いに繁茂し、その取り除きが業者の手で進められている。町の商工団地からの嵩上げ地を通り、石巻市や登米市に行く道の混雑は、更なる大渋滞となっていた。中央区の土地の整備でダンプの出入りもあり、町の交通も解消は厳しい。しかし、行政の説明で東浜・沼田地区からの志津川中学校までの、一部高台横断道路の整備が今年度中と話していた。想定・予想の甘い被災自治体の現実は、嘘や遅延は常々ある事と諦める住民も多い。
復興祈念公園の広さが24haから6haに減少し、この部分の土地は換地ではないとの話から、今度は換地するとの事に、6年目を迎える今も復興の形の変更に、怒りを覚える人もある。

今日は選択でもしようか。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:41 】


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