ARCHIVE - 2016年08月

2016
08/31

津波さえなければ南三陸町は安心して住める街


二酸化炭素の放出によるオゾン層の破壊が、世界の異常気象を発生させている。海水温の2度の上昇は気圧配置に変化をもたらして、これまでにない大気の異変を生んだ。
台風の東北直撃は統計を取って初めてであり、大船渡に上陸し日本海へ抜けた。未だに岩手県の孤立や北海道の冠水など、今後も多くの被害が報告されるだろう。
海水温の2度上昇の結果日本近海で台風が一度に3個も発生し、太平洋高気圧とチベット高気圧の張り出しにより、その二つの高気圧の影響と、寒冷渦の発生により台風10号は南下し迷走し、勢力を拡大させた。北海道の2個の台風上陸も異例の経路と言う。気象の専門家はこうした台風の発生は今後も起こりうると、今後への災害発生の対策をと警告する。
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気仙沼・登米の災害のエリアメールが3度鳴る。警報解除は夜9時過ぎで、私は静に就寝中で警報音は聴こえなかった。
南三陸町も13996人に避難準備の警報が町からあったが、風も雨も高台の商工団地の小さな自宅兼工場には、何の影響も無かった。
しかし不思議だ。南三陸町の現在をNHKが伝える時の人口は、震災前が17400人と言い、現在は12400人と言う、この乖離は一体どこからきているのか疑問だ。もう住んでいない町民数を上乗せし、さも町民が今もこんなに住んでいると、周囲へのカモフラージュに、「災害テレビ情報」を使ってアピールしているのか? 真実を伝えない今の行政の体制を感じる。

母の逝去から、多くの町民が死亡・危篤の報が聞こえ、「7人引き」と言う、地域に広まる不幸の連鎖があるのだろうか。昨日の午後3時からの葬儀はさぞ大変だっただろう。あの方もあの人も大丈夫だろうか? 別の地区でも私の知り得ない人の看板が立っていた。今度は我が社の従業員の縁類の人が亡くなったと、3日間の休むと言う。

昨日予定していた津山の用足しと、登米町への相続の用事で行政書士の所に行く。葬儀の残務はまだまだ残っている。
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2016
08/30

被災地の高齢者に何が必要か

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被災者支援で南三陸町で頑張っている団体「ワーカースコープ」の懇談会にポータルセンターに行った。一人暮らしの地域民との交流があり、その方からの会の紹介だった。
被災者の支援が欲しい部分の話に、行政の活動の不備の部分をカバーしていた。既存の交通機関の移動サービスが使いづらい方の対応をしていると言う。既存の制度の狭間を埋める活動と感じた。
現在の住民の交通機関としては、BRTと巡回バスしかなく、町内総ての地区を廻る事は難しく、車を運転出来ない高齢者もいる。高齢化率は26年3月で31%、37年には40%に達する。高齢者の活動は閉じこもりとなり、年金・生活保護家庭が増加すると、高額な家から家と言うタクシー利用とはいかない。既存の半額での福祉タクシー的に支援は、K100円と言うが既存の手段の半分ながら、石巻の病院となると、この計算だと4千円で、往復で8千円の交通費は年金生活の高齢者家庭には大変だろう。
高齢者にとって病院の通院は命と直結する。町の病院は専門家の不足と、医療の高度化や医師の妓術もあり、仙台・石巻圏への入院となっているのが現実で、高齢化家族の生活の看護はできないのが現状だろう。
写真は、牡鹿半島のたすけあい会「寄らいん牡鹿」の、サービス利用で会員制となっている。1.助け合いサービス2.ふれあいサービスがある。車の送迎となると、付き添い外出支援があり、病院や買い物などは、1時間700円で1Kあたり50円のガソリン代が掛かると言う。高齢者支援は優しく寄り添うがあり、業者に委託するだけでなく、地区民がその活動に参加し密接な関係の中で支援する事が求められる。被災者・高齢者に必要なサービスで行政の支援は当然すべきと思う。既存の運行会社との関係を維持しながら、良案を模索し住民目線で、町の住民サービスの改善を図るべきだろう。

台風10号が直接に宮城県上陸が現実的となる。初めて経験する県民の防災への厳しい行動が求められる。進路は南三陸町の上空が中心となっている。何が起こるか判らない自然災害の対応は、公助・共助はあてにならなく、自分の身は自分で守る「自助」があるが、高齢者家庭では無理で、益して被災地住民となると又別である。仮設暮しの環境は行政が守り抜く、これが役目ながら大きな災害では、隅づみまでの監視となると難しい。常々の防災意識の向上が、個人や行政に必要だろう。

今日の行動は午前中となるだろう。あとは「かたつむり」のように殻に閉じこもろうと思っている。

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2016
08/29

素晴らしい試合に拍手と涙


勝手も、負けても、これからの良い経験として貰いたいと、気仙沼・本吉剣道スポ少会長は話す。
小学校は南気仙沼剣道が圧倒的な強さで団体優勝した。中学生は唐桑剣道がA・Bチームともベスト4に入り、決勝では歌津の道合剣道との熱戦を制し、唐桑Aチームが接戦の末に優勝した。道合剣道は4人での団体への出場ながら、個々の選手の強さがきわだった。剣道少年人口の減少が、当地方にも表れている。
団体戦は5人のチームでの総合力と個々の強さで勝敗が決する。選手同士は元より、互いの頑張りを讃え合い、共に強くなる事で最終目標へ向かう。親の会や指導者の団結も大きな選手の力となっている。写真は2対2ながら取得本数の4対3で唐桑が勝利した。一人ひとりの戦いの結果で勝利を掴んだチーム戦だった。
個人戦は志津川剣道スポ少の三浦選手が、小学生高学年2位に入った。優勝は南少県の吉田選手だった。小学生は男女一緒の個人戦ながら、女子が勝利した。低学年は鹿折剣道の小野寺選手が優勝した。中学女子は鹿折剣道の阿部選手で、男子は唐桑剣道の山本選手がメンの一本化地で勝利した。
総ての試合を観戦して、気仙沼地方のレベルは県内でも上位に名前が入り、最後の勝ち負けは個人の普段の練習の成果の現れと思う。地域の剣道指導者の人数と質もその中にはある気がする。指導者も長く少年剣道の経験者が多い所が、着実に上位に入っている。
志津川剣道も強い時には、遠藤先生の指導の元で、後輩たちが6人以上も集まり、高校からも先生や教え子が共に稽古に励んだ。伝統を歌津地区は続けている。道合・雄飛は二つの地区で互いに練磨し、その二つが中学校で一つになり、さらにその強さをまし、県大会で女子の優勝と、男子の上位入賞を果たしている。
被災地から南三陸の剣道の伝統を、人口が生徒が減少をしても維持しているのは、地域の連携と意地の賜物と私は思っている。
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剣道には練習環境もあり、地域の大会の拠点となっている歌津中学校の体育館が、震災の前に当時の町長により整備された。本吉郡剣道協会の寒稽古・合同稽古などで、地方のレベルアップに貢献している。

夕方は来客があり、父は疲れたと床についていた。母の逝去への焼香に6時30分過ぎの事だった。ここに来て町民の危篤や逝去の報に接する。高齢でここまで頑張って来ての逝去だ。また、仙台の生活を始めた落ち着きとなった、まだ若い死の報にも触れた。志津川で何とか早く「終の棲家」の建設はできなかったのか、再びの不報に何とか行政はできなかったのかと痛感する。生まれた地で死ぬことは、一生をこの地でとの思う町民は大半だろう。年を重ねれば重ねる程その思いは強く、千年の一度の大災害は、町民のささやかな願いをも奪った。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:17 】

2016
08/28

寂しいが  新しい世代に


昨日の夕方5時10分に、本浜町に郷土芸能として継承されてきた「七福神舞い」が震災から復活した。
「三陸海の盆」は、震災の慰霊・追悼の被災地の願いを芸能に託し、被災地を北から南下してきた。南三陸町の開催では地元の、行山流水戸辺獅子踊・大森黒潮太鼓の演技に続き、本浜町の七福神舞いの復活の演技を待った。スマホの購入は演技を映像として残す為だった。スマホとカメラを構え、復活の舞を見つめた。不思議と感激も感動も無かった。本浜町の地区民が再生の一歩として「七福神舞い」があると思っていたからだ。コミュニティーの再建の手段として考えていたからだ。寂しい限りだ!
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復活できたのは、南三陸町の志津川地区の5つの神社の青年部が結成され、震災で無くなった地区の郷土芸能の復活にあたった。完成度は高く綺麗なものだった。
紹介では保存会の会長佐藤良治氏、荒島神社宮司工藤佑允氏、本浜町の町の教育長だった阿部清敬先生が、地区の伝統芸能の中心で活動し、地区民が一丸となり子から老人までが参加し、七福神舞いを創り上げた。しかし、震災後に三氏は逝去し、芸能の継承の再生は厳しいものとなった。保存会は津波の前の年に休会となり、次の年の3月11日にあの東日本大震災に見舞われた。
何と皮肉な結果だろう。七福神舞いを神社に奉納しなかったから、自然が怒った大震災だったのか。偶然にして余りにも厳し過ぎる天地の仕打ちと思った。

地区の解散時に本浜町の若者達に祭りの再建を託し、地区民みんなで資金を寄付した。今回は地区民に七福神の復活の発表を伝える案内を30数軒送り、3軒が返って来たと言う。

三陸の盆では、「復興市」「かがり火松野」「花火」が夜祭として開催された。多くの観客が志津川地区の伝統郷土芸能を満喫しただろう。何とか若者達への労いの「華」を渡したかった。

本浜の祭りから、町の祭りに新しい地元の芸能として、将来に繋げて欲しい。一つの本浜町が終わった。

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2016
08/27

自然への感謝から商売だけの祭りに


旧志津川町本浜町の伝統文化の「七福神舞い」が復活する。
大槌町から始まった「三陸海の盆」が志津川に来た。大阪の河内音頭の菊すい丸さんの司会により開催されると言う。天候はいま一ながら、多くの町民の皆さんに復活の姿を観て欲しい。

少年による考えられない事件が起こった。「こうしたら死ぬ」「親が困る」「刑務所に入り自分の今が無くなる」など、その代償の大きさを判らないまま、集団心理の中でゲームのように行動を取っている。そんなふうに私は感じる。
少年がカッターナイフで仲間の喉を切る。こんな事件が起こり社会に衝撃を与え、親たちも考えさせられたのに、まだ子供達の行動を抑制する行動を取らず、不良グループ化や少年犯罪を我が子から起こさない教育をしないでいた。子どもの将来、家族の生活も一変しただろう。私は子供だけでなく、親の子育て期の教育の欠如に問題があると思っている。

大好きな女優の息子が「強姦傷害事件」を起こした。NHKの連ドラや多くのドラマ・バラエティーでひっぱりだこだった。事件で一変した我が人生の終わりの姿がここにあった。ちやほやされ自分の力との「勘違い」と「おごり」による、何をしても大丈夫との勘感覚が、在り得ない行動に向かっていた。母の謝罪をどう感じるだろう? 女優「高畑」の姿も垣間見てしまう、謝罪の姿と勘ぐる自分もいるが、22歳の青年の起こした事件、そこまで親が責任を取る必要をと思う。大きくなっても子供はこどもであり、どんな事があっても私はこの子の母と言う。子離れしない母と、親離れしない子のように思った。普通の人間なら一事件で済むが、タレントとして民衆から愛され、そこからお金を貰う人間として、自分の置かれている立場は、一般人にはないリスクを持っている。「おちゃられていても」、みんなを笑わせるが好きでも、社会人としてやってはいけない事を理解できてない生活があった。母は心配な事をこうした行動から感じ、一緒に死ぬ気で仕事に責任を取ると、これまで指導してきたが、一瞬多忙ゆえの空間の中で事件を起こしてしまった。この気の緩みが人生を変える大事件に発生してしまった。

剣道の指導の前後の黙想後に、子ども達に「他人に迷惑をかけない」「剣道はチームワークが大切」「言われた事は守る」「練習は身になる」など、うるさいくらいに話し掛ける。子どもを叱れない親の分まで叱り、厳し過ぎるくらいの指導を徹底している。そして、最後はその子の良い部分を褒める。辛い事が将来に自分の身を助けてくれると信じている。

来月に早期年金支給の入金? となる。近い将来は借金を「0」にしたいがあり、あとに何も残すまいと決めている。政府の年金の活用でまたマイナスとなった。4~6か月で5兆3千億円余りだと言う。国内株・外国株・為替などで、年金運用で失敗した。本当に国民の年金は大丈夫だろうかと心配する。震災後の被災企業の再建の補助金は、社会保険・厚生年金の加入必須としている。町内の事業所も多くが頭を痛めていると聞く。我が社は終わる事業所、あと10年・15年だろうか? 最後まで静かに生きていきたい。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:38 】

2016
08/26

志津川地区民の終の棲家に


南三陸町での最大級の高台移転の場所は、東地区の西工区だろう。東浜団地との塀が取り除かれ、広大な整備地が一望となった。
沼田行政区の役員会の知らせを、昨日は回して歩いた。焼香の来客がポツリポツリとあるものの、自分の役割として全うしたいと考えている。「忙しい所、ご苦労さんです。」と、地区民の人たちから温かい言葉を貰った。
ちょうど知っている人が希望の土地を見に来ていた。「ここです。」と教えてくれた。その隣には「あさひ幼稚園」の園舎がそびえ立つ。全国でもこんなに大きい幼稚園園舎は無い思い、名所となる事は間違いがない。現在はお寺の駐車場の一角に小さな園舎を設け、幼児教育を行っている。サッカーの長谷部選手や有名建築家の支援を受けて、こんなにも素晴らしい環境で、将来を担う子供達がスクスクと育つ。多くの地区民も再建を終えると、こんなにも素晴らしい環境で、新たな生活を始める事となる。
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嫌な噂を聞く。高齢化が進み福祉充実の町を目指す我が町の、医療体制に不安な声を聞いた。介護施設の環境も入所者家族が願う環境とはなっていないと言う。多くの問題を行政は聞き入れる体質にはないと言う。慢性化している医師不足にその原因がありそうだ。
私の知る先生方には、過去の公立の先生で柿崎先生や、その後継者となった中村先生がいた。慕うように若い先生も町の病院に集まった。少し傲慢さもあったと聞いたが、地方の地域医療を守ってきた。当時の中村先生はゴルフ好きで、病院のコンペにも知人たちからの誘いで参加させてもらい、多くの先生や職員とのスポーツを通した交流があった。笹原先生もその一人ながら、今は隣町で個人開業医として活躍している。
医師の招聘は行政の最大の問題であり、新病院が建設されても東北大の若い先生たちが、入れ替わり立ち代わり患者の診察をしている。隣町の「本吉病院」には、地方医療の問題解決支援に、全国の中堅医師が集まっている。行政が選んだ医師と職員が信頼の元に、病と闘う町民の医療に立ち向かう。町内の個人企業の大介護施設も医師の選択が、入所者の老後の生活を守る。先生とスタッフの信頼なくして、医療の充実など何処にもない。

多くの問題を秘めた行政の機関の一つが、職員の勇気によって、体制が新しくなると聞いた。気にはなっていたが、町民の為に身を呈した行動を讃えたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:53 】

2016
08/25

志津川町本浜町の伝統芸能の終わり


「デッデッデゴスコ・デッテゴデー!」の祭囃子が、7月の24日に町中を練り歩いた。50年前の私が小学校5年頃の話で、部落総がかりで山車の飾りを作り、太鼓の練習があり、「七福神舞い」が夏祭りに華を添えた。その前から続く本浜町の伝統文化だった。多くの地区の先人達が創り上げたもので、多くの先人達は亡くなり地区を後にした。
弟が七福神舞いの山車に乗り、海上渡御の座敷船で、荒島沖の志津川湾からメイン会場の旧市場に入る。漁民のかがり火船団がその後を飾る。先頭は荒島神社の神輿船が走り、船上では神社の舞が厳かに模様され、花火大会の中盤を飾った。私は10年ぐらい神輿を荒島から担ぎ手として、24日の夜は動いた。昼間は七福神の山車の周囲に寄り添い町中を歩いた。
これが私の「志津川湾夏まつり」で24日の当日は元より、一か月余りを地区の集会所に寄り、ジュースを貰い小学生の練習と作業に参加し、楽しかった事を今も覚えている。七福神は本浜地区の先人達が創り上げた伝統芸能で、その子孫が継がずに他の神社の青年会5団体で復活となるようだ。震災で部落が無くなりしょうがないはあるが、余りにも寂し過ぎる。コミュニティーの震災からの再建は、こんな所から始まると私は考えていた。荒島神社の工藤佑允宮司が亡くなり、この時点で私の荒島神社の輝かしい伝統は終わった気がする。見世物・人寄せパンダの伝統芸能は真実とは違い、神々への人々の感謝の祭事と夏祭りを捉え、地域の団結と意気込みの表し方が「七福神舞い」と、ずっと思っていた。

私の恩人が南三陸町の伝統文化の再建に取り組んでいた。その方に私の七福神舞いの震災時の地区の経緯をメールした。

志津川本浜地区の「七福神舞い」は湾に浮かぶ「荒島神社」から、神様をお迎えする祭りでした。東山公園にある「西宮神社」を奉る神社に、「恵比寿講」と言う集まりがあり、本浜地区民と周辺の漁師・仲買が名前を連ねていました。志津川湾夏まつりの神事の中心となり、祭を運営し仕切っていました。二つの神社は志高時代の恩師、工藤先生の八幡神社宮司が務めています。先生は最近亡くなり私も少し神社と疎遠となっています。
本浜行政区は震災の年に解散となりましたが、これまで続けてきた若者達が、「引き継ぎたい」との想いに契約会の資金の一部を分配し、お祭りの再建は熱い気持ちに託されましたが、時間と共に風化し、厳しく状況と思います。地区民もバラバラとなり、今後の住宅再建に1年が掛かり、高台移転が完了しても、長年かけて作り上げた「七福神舞い」の復活再建は、総ての祭りの備品も流失してしまい厳しいと思います。
地区解散時に期待されていた、歌津中学校の阿部校長と息子さんへの期待もありましたが、仙台に移転したと聞きます。契約も高齢化と地区のリーダーだった佐藤良治さんも被災後に亡くなり、地区民の士気を高める事は困難と思われます。地域をまとめ上げる人材が無く、生活の大変さから残った地区民には無理です。
以前あった形を記憶の中で復元するか、新たな団体でこれまでと違う物を創造していくか方法は無いと思う。本浜地区民での復活は、多くの時間を要するし、強い再構意識が高まらないと無理と感じます。

七福神舞いの再建はなった物の、本浜地区の終わりを感じ、今は七福神舞いの新たなスタートに、エールを送りたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:10 】

2016
08/24

人の声と話


木造で庁舎建ててもいいのに!

本浜町の「七福神舞い」の復活、できれば旧本浜地区民で…!

私は大変なんです!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 05:54 】

2016
08/23

突然の来訪者


昨日に初七日を終えこれまでの生活環境に復帰させた。

夕方に多忙を極めた一日の中で、「こんにちは!」と林さんが再び会社を訪れてくれた。3か月前に南三陸町にボランティア活動に来た。3か月の期間で宿泊地を最終的には、歌津地区でシェアハウスをしている家に世話になっていると言う。開設したのは歌津の以前は先生をしていた人と聞いた。3か月の長期のボランティア滞在は、経費的にも厳しく支援を申し出たが、自分で探したのかここで今を暮らしている。今月31日の帰国と言い、後、10日間有意義な体験ができると良いと思っている。
南三陸町で出会ったフィリピン出身の方に会いたいと、その家に案内した。一緒に「復興市」に参加したと言う。林さんはバイクを調達し歌津から来た。一回しか来てないのに良く我が社が分かった。何も出来なかったお詫びにお菓子と缶コーヒーを持たせた。
彼女が3か月前に帰ってから、公衆電話から3回も携帯に電話があり、気付かずに出られず心配していた。彼女ではなく「ホッと」した。
南三陸町への支援者には出助けの、お世話したいが私にはある。これからも小さい活動ながら続けていきたい。また英国への留学中の中国人の林さん、こうした世界を見据えた若き活動を、南三陸町の若者達にも進んで挑戦して欲しい。

中学校時代の剣道の教え子のフェースブックの写真に、新たな家族の誕生の写真があった。小さな新生児の手の中に、父親の指を握っている写真は、私に取って感動しかない。私はできなかった家庭と新しい家族の誕生がそこにはあった。
独身者や結婚しない・子供の居ない若者が多いと言う。何も努力なしには相手も「我が子」も出来なく、将来一生を共にする相手もない。こんな寂しい一生は私にはないと思っている。結婚の形は違えど、男女二人が寄り添い、喜び楽しみを分かち合う一生が、私は普通の人の道と思う。
また母親が子ども4人を殺した。育児の悩みなのか41歳の母親の強行である。小学校から幼児までの可愛い子供達には罪は無いのに! 人口減少の中で子育ての問題に本気で取り組む事が急務と思う。一年間で子供たちの理不尽な死は、自殺も含め多くあるようだ。

今日から志津川剣道スポ少年団の指導に行く。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:49 】

2016
08/22

会葬御礼


母は大正12年5月生まれで、同い年の父との志津川での出会いがありました。母は松原にあった石母田医院の看護師として、東京から仲間と共に先生の後を追いやってきました。
「お母さん綺麗な人だったよ!」と、両親を知る人から聞く事が、自分としては誇らしい事だったと今も覚えています。
大震災の津波で、800人余りの町民が亡くなり、200名を超える人が未だに不明となっています。そんな当時を振り返ると、総ての物を失っても、3人で生き残った幸せを感じながら、5年5か月の月日を過ごして、生きている実感を日々思います。被災者となり、あれからの倉庫の5年余りが、一番に家族らしい生活だったと感じています。
震災の前の年の母の88歳の米寿を、自宅で町長さんから直接に祝いの言葉を頂いた事を、父は良く話します。
晩年は幾度かの脳梗塞から命を繋ぎ、認知症が加速し町の高齢化社会と老々介護世帯として、小さな倉庫で肩寄せ合って暮らした時が、今となっては家族の良さを改めて知りました。
母が人と争った記憶は私にはなく、我慢・忍耐の昔人を貫いた人生だったと思います。子ども達には厳しく、私は良く「言う事を聞かない」とお尻をつねられていた記憶が、今も脳裏に浮かんできます。

登米市米谷から隣町の志津川に来て、私たち三人の息子を育て上げ、孫たちも立派に社会人なりました。息子たちは母の大好きな子供に恵まれ、孫やひ孫が笑顔で遊ぶ姿を静かに見つめ、子ども達の優しさに包まれた、93年の幸せな人生だったと私は思っています。この母親の子で良かった。

地域の皆様、福祉施設で最後まで介護に取り組んでくれた皆さま、同級生の仲間たちや、総ての母を愛して下さった皆さん、本当にありがとうございました。

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2016
08/21

涙雨


8月14日の母との墓参りも、小学生の低学年から始まったと記憶する。一緒に歩いた墓地までの坂道は、昔と変わらない、写真のこんな風景が広がっていた。実際は志津川町の市街地の町並はもうない。そして、母も居なくなった。
昨日は戦没者慰霊祭だったと言う。我が家の葬儀費は150万円も超えた。今更ながらこんなに経費がかかるのかと、高齢者世帯の今後の葬儀の在り方を考えてしまう。
母は生をなし学校を終え、看護師と言う職で、人々の一人でも多くの不安を取り除いていた。千葉家に嫁ぎ千葉家の頭首の為に、20代後半からこれまで、志津川の地で一生を過ごし、天国へ旅立った。
元議会だった頃の仲間も告別式まで来たが、歌津の地区の代表の議員皆さんが大部分だった。これまでの多くの人への焼香は、先人達への感謝ながら、その気持ちは何だったのかと感じる。町が一丸・一つになってという言葉は、我が町にとって飾りであり死語になりつつある。これで益々、自分の心に火が付いてしまった。

オリンピツクの開催国のブラジルの国技「サッカー」の決勝が、7万8千人の観客の中で、前半を終了しネイマールのフリーキックによる得点が、前半の観戦時までには1対0で、ドイツをリードしている。前回の五輪での1対7の敗戦の屈辱を返すがごとく、国上げての応援と選手の動きを感じた。しすし、ドイツのこれまでの実績からも、まだまだ結果はこれからと波乱ありそうで、後半を今から観戦をしたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:39 】

2016
08/20

輪廻転生


母を送る会を昨日終え、その葬儀料・支払・片付けなどの残務で、一日が終わった。
6人の孫と、4人のひ孫に送られ、また、孫の結婚報告もあり、新たな家族の誕生の紹介となった。
姪っ子・甥っ子も参加し、高齢の親せきに、新しい若い親戚が加わった。

仲間との供養会は、葬儀終了後の4時過ぎに始まり、初めて新築した我が家に寄り合い、法事に参加してくれた5人で、昔は話しで私の気持ちを癒してくれた。彼らの気持ちはありがたいが、9時過ぎまでの会に、私の何度ものあくびに、「もうかえっか!」の声に、「帰って下さい」とお願いした。
今回の私の試みに、母の死亡の葬儀案内と、父の「母を忍んで」と、志津川で生き続けた「証」として、私の「南三陸マイタウン情報」に、新聞に告知・記事のチラシを1550枚配布した。
結果はどうあれ、「イイ試みだね!」と周囲の好評を得た。

町の人口の高齢化は、葬儀の「家族葬儀」「密葬」など、経費を掛けずに家族を送り出す方向へと進んでいる。

葬儀は地域の絆も希薄になり、町の繋がりの意識も、震災だけでなく寂しい状況と感じた。

同級生の仲間の協力に感謝である。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 17:52 】

2016
08/19

母のルーツ


多くの人から母の若い頃の話を聞く。

東京大空襲を受け大好きな志津川町に来た
石母田医院の婦長として働いていた
場所は震災前の図書館の前の佐千代組・丸一商店の場所にあった
二階建ての木造で35年のチリ津波で倒壊した
医院長夫婦の被災にあたり子供さんが
東京からヘリを使って救助にきた

私は耳鼻科にかかり耳の治療をしました
周辺の人たちの多くが利用し志津川病院より繁盛していた
看護婦さんは登米市の米谷・浅水などの人達だった

志津川の戦後からの復興途上の時代だった。
今日は母、千葉宮子の葬儀を大雄寺で行う。孫が6人とひ孫が5人、甥っ子・姪っ子などの赤ちゃん・幼児・10代・20代を含めると、大人より多くの次の時代を担う、千葉家筋の子供達が、その地を引く。

部屋の隅から、子ども達を笑顔で見つめる母の姿が、私には見える。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:03 】

2016
08/18

多くの仲間の両親を送り 今度は自分の番になった


母を看とり、昨日は火葬をし、母は骨になり、今は移築した家にいる。家族三人がしばらくぶりで、一つの屋根の下で眠った。今日から葬儀会館に移り弔問を受ける。多くのこれまでお世話になった方々に見送ってもらいたいが、母への感謝と「もうガンバル必要はないから」「静かに亡くなった兄弟や両親の元へ」と、今朝、仏前で手を合わせた。

私の母の為に同級生が手伝いと弔問に、焼香・火葬に立ち会ってくれた。葬儀会館の祭壇には私たちの仲間の会の三一会からの「献花」が輝いている。
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テレビのオリンピックは、一昨日前の朝から見ていない。ニュースの福原愛のチームリーダーが、団体三位に入り、「苦しい、辛いオリンピック」と、今回で4回目となる五輪を振り返った。その重圧の中の接戦で敗れた試合があり、仲間の頑張りに助けられ、石川・伊藤にアドバイスをし、自分の試合に全力であたった。あの集中した試合の顔から、解放され涙が留めも無く流れた。彼女のここまでの歴史と結果に、感謝と喜びを、母の死の中で味あわせて貰った。福原の涙は人一番頑張った上での、涙で何と美しく、そして輝いていた。

私は冷たい人間なのかもしれない。一度も今回はまだ涙が出てこない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 05:34 】

2016
08/17

忍耐と優しい母


可憐で、頑張り屋の花のごとく生きた母

私は喧嘩している、怒った母の記憶がない
あえて言うなら、父との口喧嘩ぐらいかも知れない
震災で認知が加速し、言う事を聞かない母に、辛さをぶっつけた
その後、施設で3年余りを過ごし、認知は影を潜め、おだやかな姿に帰った

母は我慢強い人で、大きな怪我の痛みも、それを「一人でなんとかする」、それが仇になり病をこじらせた事もあった
躾は厳しく、よくお尻をつねられた
営業の母は、人を騙したり嘘をつく事をしなかった、根気強くお客さんと接し、その努力の姿に、多くの人から愛され、父を千葉家を守り助けた
人に憎まれたり、蔭口を言う人を私は知らない
そんな母が亡くなった

母の姿を自分も「ずーっ!」と追いつ付けていたのかも知れない
施設に入り何もできなくなった母、一緒に居ない家庭は穴が空いたようだった、家族三人がいつも繋がっていた
美人な登米市米谷からの花嫁は、お棺の中で当時の美しさに戻った気がする
かあちゃん、ありがとう。

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【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:46 】

2016
08/16

母が死にました

28.8.16ブログ
今朝6時20分に母が天寿を全うし天国へ召されました。享年94歳となり千葉印刷の嫁として、志津川の発展の一助を担い68年の、志津川での人生を終えました。これまでの多くの皆さんからのご支援とご愛顧に恵まれ、素晴らしい素敵な一生を遂げる事ができました。

本当にありがとうございました。

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2016
08/15

独裁者の必要性


昨日は録画のビデオで勉強した。
「独裁者は腐敗する」
こんな言葉に納得させられる。
民主主義は各々の利益追求にあり、
選挙は人気投票であり、メディアの真実を見失った報道に影響されている。
「ハイパーポピリズム」
自分の事だけを求めると言う考えが、格差を拡大させた。
「独裁者は必要!」
徳川家康は徳川260年間を維持できた。
「開発独裁者」
インフラや教育が必要な場合、決定を統率してくれる人材は必要だ。

米国は議会が国の最高機関であり、第二に大統領と国の条例で規定されている。
独裁者の支配は国民にとって不利益と、これまでの歴史から学んでいた。だから独裁政治は政治腐敗を生み、国民にとって不利益と過去の歴史から学んび、民主主義政治の実践へと米国議会はある。
一生勉強! と言う教えを守っている。

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今朝もテニス男子の錦織のプレーに眠気眼が吹っ飛んだ。1セットを取り、2セットは5対2から、スペインのナダルの逆襲が始まった。強烈なサーブで崩され、ここから6対7のタイブレークの末に2セット目を失った。この後のトイレの休憩に錦織の時間オーバーに、ナダルのイライラが増し、心のコントロールが出来なかったのか、3セット目は6対3で錦織が勝ち3位となった。
96年ぶりのメダル獲得は、96年前の初めて五輪のメダル以来? だちと言う。テニスファンの熱も最高潮の瞬間だったろう。あの休憩の長引かせは戦略だったのか、とも思うが、1勝9敗の相手への精神的なプレッシャーを与え、勝利を目前とした中で、気持ちの建て替えがスポーツには必要なことを、今年の五輪の選手の戦いの中で、大切なのが自分の心のコントロールだと知った。難しい精神修養がスポーツには必要だった。

スポ少の子供たちの指導にも、こうした心の指導と育成が必要で、どんな指導が有効なのかと考えてしまう。

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2016
08/14

母との墓参りから 自分一人になって


昨夕、バタバタと明日の墓参りの準備を始めた。ダンコ粉こねから始まり、9個のダンゴを三角に積み仏壇に一対を上げ、あとは今朝の墓参りの供え物とした。母から受け付いた墓参の儀式の供え物の作りは、見よう見まねで、母が墓参りを出来なくなって20年近くが経つ。以後は私一人で毎年「千葉家」の墓参を欠かさず続けている。

今年はまた格別の想いがある。1月末の「還暦同級会」で志中の物故者の塔婆を大雄寺さんの墓地の入口に建立した。また、先月は志中剣道部の共に連覇の伝統を守った、同級生の急逝があった。
写真の我が家の墓所は上から5段目ぐらいにあり、眼下に多くの墓地が見えるが、これでも全体の2割にも及ばない。上から叔父の墓から、先月亡くなった同級生に合掌し、また、同級生「健秀」と親戚2軒を廻った。最後に同級生の塔婆に今年は花を手向け、お菓子と線香をあげた。もう一人の同級生の渡邊富男くんの、墓地の場所をお母さんに聞き、見つける事は出来なかったが、駐車場の前と聞き、その方向に手を合わせた。気付いただろうが私の同級生は、以外と多くが既に亡くなっている。仲間の分まで生きたいと心に誓う。
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静かな「お盆」である。津波で被災し全てが消えた本浜町から、商工団地内の工場兼自宅は、人通りをなく来客も無い。今日も仕事をしようと思っている。震災前なら仲間達と飲み会をしていたが、町は今も異常状態にある。昔の営みは皆無で高齢者は静に亡くなって逝く。こんな南三陸町の志津川がある。寂しさがこれから日々増してくるだろう。

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2016
08/13

お盆入り 男一人で大忙し


昨日は登米市のウジエと百足青果に買い物に行く。お墓に供物をするハスの葉(200円)の皿と、仏壇にらくがん(280円)、これで終わりながら、ダンゴ粉は昨年の残りを活用し、お菓子(100円)とあとは家に有る物で間に合わせる。
一番の登米町に行ったのは、震災後にできなかった会社の登記をするためで、住所変更・役員改選など、会社の整理をやっと6年目を迎え、達成できる。93歳となった父をそのまま社長で、3人の株式会社の新たな船出となる。
お昼は少し早めながら登米町の「道の駅」で、お気に入りの五目ラーメンを食べた。食糧ではトウモロコシ・インゲン・ナスを買い求めた。叔母が「寿司を食べたい」と言っていたので、3個を父の分と合わせて買い、天ぷらの盛り合わせはお盆の朝の蕎麦に具に買い求めた。叔母には是非本物のすし屋のカウンターで食べさせたい。花は入谷地区の鈴木さんの黄金郷のブランド菊を、今年も準備した。今日はダンゴを作り仏壇に供え、お墓に持って行くダンコを作る。
スーパーで同級生から声を掛けられた。「のぶたか君」と、マスク姿でマスクをはずし「私です!」と。私を見かけたら知っている総ての人には、ぜひ声を掛けて欲しいとお願いする。郵便局でも「しばらくぶりです」との声掛けに、あとで考えたら後輩だった。

今日も定時の朝3時半起きだ。柔道は7日間観戦できた。日本選手は男子は7階級で全てメダルを獲り、女子も5階級でメダルを獲り、過去最高のメダル数となった。
男子100K超級は原沢選手が日本の柔道を最後まで貫き、真の柔道を世界に知らしめた。ブラジルの柔道会場からは「ブーイング」嵐だった。世界一と言われるフランスの「テディー・リネール選手」の戦いは、ポイントで勝つ戦いに徹し、組み合わない柔道で優勢勝ちで勝利した物の、「不完全燃焼」の柔道最後の決勝銭の試合だった。リネール選手は204㎝160Kで、史上最強の柔道家と言われるが、日本柔道の武士道ではない。原沢選手が世界の柔道最強の柔道精神を貫いた、一本にこだわった柔道家でした。胸を張り日本に帰り、その雄姿を誇って欲しい。

昨日は土地だけの広がりの清水地区の高台に2か月余りぶりで、団地までの急な曲がりの坂を登った。あれから半分以上の整地された土地に家が建っていた。このスピードに驚かされ、多くのハウスメーカーだからこそ出来る技だろう。南三陸町全域で住宅再建が最終盤を迎えている。
中央区の災害公営住宅は間違いなく今年度内に完成するものの、右半分の土地整備地の不備による遅延あるが、右半分の整備の状況が気になる。一日も早く終の棲家への安心生活確保となって欲しい。「生きている内に!」の被災町民の願いを叶える事に、町は徹し尽くして欲しい。
母は昨日も病院のベットで静かに寝息をたてていた。千葉家の今は平穏の中にあり、多くの皆さんの支援があっての事と感謝します。

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2016
08/12

自分の生き方を貫こうと誓う


「阿部清敬先生御苦労様」
昨日は仙台で逝去された近所の清敬先生の葬儀に参列させてもらった。大雄寺の駐車場は車で満杯となり、止める場所が無いぐらいの参列者が、被災住民の再建が終わらない中で集まった。校長会の本吉支部長として、志津川教育長として、本吉郡の多くの学校の教師として、そして校長として、教員の指導に当たって来られた。宮城県教育事務所指導主事として、これからの学校と先生の指導にも尽くされた。初代の志津川海洋青年の家の所長だった事も初めて知った。
戦争にも出征し、本吉町の津谷小学校に宮城師範を卒業し初任地として、戦争の混乱が続く中で、当時の5年生を受け持った。当時の教え子には元本吉町長の千葉仁徳氏がおり、弔辞で先生との繋がりと教えを語った。
先生は生活の苦しい貧しい生徒に心を寄せてくれた。争いごとが嫌いで、1.聞く耳を持ち誠実に2.相手を思いやる聞く耳を持つ事3.笑顔で相手に接する事。この三つ等を先生に教わったと語った。相手の気持ちに寄り添う事を自分も大切にして、75年間を過ごしてきたと言う。
両親が居ない千葉さんを阿部先生は、ずっと我が子同様に接し、家族も「本吉の孫来たよ!」と、誰隔たりのなく人に接してくれたと、幼い頃の話しをしてくれた。
元本吉千葉町長は、3期12年間で本吉町の、誰しもが安心して暮らせる「本吉町福祉の町づくり」に取り組んだ。5年生から学び長い人生の中で、先生の考え生き方を学び、それを自分の政治生命にも傾注してきた。恩師の多くの教えを大切に、我が人生に投影してきたのだと感じた。
阿部先生は家族の子供達・孫・ひ孫に看取られながら逝去された清敬先生、長い間ご御苦労様でした。同級生である父を大切に、先生の分まで長生きさせ、生まれ変わった町を見せて上げたいと思います。

昨日は同級生の母親がわざわざ石巻から私に会いに来てくれた。会う成り「ありがとう!」と按手をしてくれた。これが私の挨拶ですと話す。御年86歳まだまだ元気で安心した。
30代だろうか不慮の事故で親友は帰らぬ人となった。彼の生きざまは「一生懸命」と言う言葉がよく似合う。欲もなく良く笑って仲間で、高校卒業後も交流を深めていたが、突然の彼の死に震えが来たのを今も思い出す。我が志高3年4組は感情の強い人間が多かった。学生時代の交通事故で一人を無くし、また一人と歌津の同級生を亡くし、仏壇に線香を手向けた時の親の悲しい顔を今も忘れない。営業戦士だった先生の子供も事故死で、先月は剣道で中学校、共に母校の栄光の部の伝統守った同志が急逝した。

多くの仲間と地元で町の為に尽くされた人たちの為にも、長く生き町の姿をふるさとを離れた皆さんに伝えたい。

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2016
08/11

多くのプレッシャーを乗り越えての4年間


女子70K「田知本選手」が優勝! 技ありから抑え込みで一本勝ちした。姉の想いを妹が苦しみながら、世界の頂点に立った。姉に金メダルをかけて二人で涙の記念写真となった。自分は「柔道をやめたい」との気持ちまで追いつめられ、これまでの練習の歩みは、経験した人間でしか判らなく、その喜びの大きさもひとしおである。
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男子90キロの「マシュー選手」が、このクラスで初めて金を獲った。米国の父と日本の母の間に生まれ、子どもの頃から柔道を続け、高校では体が小さいと言われながら、東海大学4年となり、多くの指導者と井上監督の元で、自分の技を磨いた。二位の選手の顔を上げられずのメダル授与があり、金への想いか、恥ずかしいのか、誇れる準優勝に拍手を送りたい。小外刈りで有効をとり、そのままで相手の攻めを防いでの勝利は、勝ちにこだわった試合であった。「柔道日本!」の復活を感じた。先輩の姿を追い、山下五輪副団長の柔道姿勢に学び、齋藤選コーチの突然の死を乗り越え、柔道復活がある事を私は忘れない。

毎日の早起きが吹っ飛ぶ今朝の試合だった。勝ちもあれば負ける事もあるスポーツ、自分に悔いなく試合ができれば本望だろう。卓球の愛ちゃんが準決勝0対4で敗れた。世界一位の相手のプレーを絶賛し、「悔いない試合」と語る姿に、まだまだ成長を続ける姿と感じた。
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「虫になっちゃった!」
一昨日の朝6時の定時の一日おきの血糖値数値は、驚きの99で体調も最高だ。夕方に主治医の所で診察、血糖値は107で「ヘルグロビンA1C6.9」と、最高で13.5から20年掛かって、ここまで血糖値を下げる事ができた。「クスリの量を減らしましょう」と先生は言う。もう少し様子を見てからにした。けど、「血圧が高いですね」と指導を受け、やはり塩分の取り過ぎ? あとは遺伝と思っている。
家庭菜園は自分で作る楽しみと、野菜の成長を楽しみ美味しいと感じるようになった。食卓にはトマト・キャベツ・玉ねぎ・インゲン・なす等、日々3食に2食は必ず野菜を添える。決して3食以外の大食はしない。お酒も週にビール350を3本ぐらいとしている。これまでの不摂生な生活の継続が、「失明」になりそうだった現実から学んだ、生活習慣病の怖さがあった。「人生が終わった!」 と感じたのも事実で、人は苦境に置かれないと本気で病気とは対峙しない動物だ。
「山の日」の今日は、旧本浜町の父の同級生で会社の恩人の葬儀に行く。仙台で逝去された。悲しい悔しい! 本人がふるさと志津川でと、一番思っていただろう。この日を有効に暮らしたい。

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2016
08/10

ここが何処か皆さんには判りますか


気仙沼市民が市の政策に意見する活動があり、行政の政策に政策変更などの、復興事業の市民目線の、町づくり活動・協議会がある。
行政の意のままでの政策の復興計画への、無関心さが我が町にはみられ、強権政治の横行や、仲間のなれ合い政治とお仲間意識が、住民の生活苦へと繋がっている気がする。町の人口減や過疎化・高齢化が進む。

友好印刷支部となった東大阪支部の皆さんありがとう。南三陸支部長賞の志津川の銀ザケ2本を、今年も特別賞として送りました。3K以上の大物です。志津川漁協の銀ザケ販促に支援です。


大阪府印刷工業組合東大阪支部
永谷支部長 様

ビンゴゲーム必勝祈願

猛暑となった今年の夏、生ビールを前に早く飲みたい気持ちでいっぱいと思います。
今年度も永谷支部長様をはじめ、御支部会員様の活動の一環として、7月の宮城県の機材展にご来場下さり、気仙沼・南三陸支部への心温まる義援金を、わざわざご持参贈呈いただき、ありがとうございます。
ビアパーティーの「ビンゴ大会」の商品は、気仙沼市の特産品のフカヒレをはじめ、三陸産の笹かまぼこや若布などを、各種準備させていただきました。
気持ちよく美味しい冷たいビールで、数字を見逃す事なく、金賞・銀賞・銅賞を獲得できますようお祈りしています。
また、10月の福島県郡山市での、全国印刷文化展に、支部会員様の多くのご参加を期待し、引き続き開催予定の気仙沼市の「支部交流会」で、お会いする事を楽しみにしています。

宮城県印刷工業組合 気仙沼・南三陸支部
支部長 千 葉 伸 孝


宮城県議会の議長が政治資金の使い道を親族(妻)の会社に支出していた。前議会議長の同様の政治資金の問題で辞任したばかりなのに、身体調査をしないままで、再度自民系から人用は、不正の温床にあると実証したようだ。
気仙沼市大谷地区の海岸線の保全の住民の復興計画が、国の政策を変えた。当初計画から10メートルのセットバックで、国道と防潮堤を併用しての建設で決定した。「大谷海岸」は住民の生命線である。60名の地区民の活動が国の考えを打ち破った。

我が町は「政をおかしいと言えない町になつた」「震災復興に頑張っているから」なと、と優しく。個人は何の大きな支援も無いままで、それにも支援が受けられないまま、自分の生活を守ろうとしている

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2016
08/09

大野すごいぞ金メダル


寝不足の3日目を迎えて、不完全燃焼は本音ながら、勝ってあたりまえと言われる「日本柔道」の選手たちは、観戦者の判らないプレッシューに押しつぶされていた。そんな中で、73K級男子の大野しょうへい選手が、決勝で小内刈りで気持ちのイイ「一本勝」で勝利しながら、ガッツポーズも笑みも無くクールに、自分の重責を全うした。金メダルおめでとう! 「柔道の強さと美しさを皆さんに伝えたい」と、自分のこれまでの頑張りを決して言わない。1年半負けなしは人一倍の精神力と、柔道を極めたと言っても過言ではない。欲もおごりも無い自分の柔道を信じ、その影には多くの指導者があり、感謝がある。「凄いぞ大野!」、柔道好きの私には嬉しい朝となった。女子三位の「松本選手」にも胸を張って日本に帰って来て欲しい。3日間の男女三階級の負け試合を毎日見届け、今朝は決勝まで観戦できた。

昨夜8時半、叔母から電話がきた。父の同級生がまた一人亡くなった。たぶん避難先の仙台でだろう。本人の志津川への貢献は偉大で、それを威張る訳でもなく、震災前まで静かにふるさとで88歳まで生き、2年ぐいは頑張り地元で暮らしていたが、奥様が亡くなり、3年後に追いかけるように天国へ召された。
多くの町民が終の棲家に着く前のこの現実を、復興計画の元の志津川地区の再建の長期化に、関わった人間達の「罪」を感じて欲しい。

「天皇陛下の退位」に関するお気持ちが11分間、昨日伝えられた。天皇に即位しこれまで「全身全霊」を掛けて来た陛下、テレビでは大震災で南三陸町歌津体育館に来られた時の映像が、繰り返し放映された。公務に対し真摯に取り組み、決して役目を自ら放棄する事はしなかった。日本の象徴としての役目に当たって来られた。自分の82歳を迎える年齢と、日本の国益に隙間が無いよう、個人的な会見として「退位」と言う方向性を、明言を避けたが皇室や政府への、検討課題として語ったように思った。200年前にもあった天皇の退位があり、交流のあるベルギー皇室では、既に「生前退位」による国王継承が行われている。
今の6時45分に体操団体も金に輝いた。予選の内村の鉄棒落下や白井のラインオーバーなどのミスの中で、金を獲った。「オリンピックには魔物が……」と言われ、メダル確実と言われた卓球女子の石川が初戦で敗れ、福原は一度も勝った事のない相手に勝利した。
まだまだ眠れない日が続きそうだ。今夜の剣道指導も熱が入りそうだ。

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2016
08/08

家庭菜園の収穫は面白く楽しい


今はインゲンが路地で収穫する時期、大好きな食材の一つです。私の食卓には野菜サラダは欠かせなく、写真のように皿に盛って食事をしている。トマトは勿論自家製と、インゲンは貰いもので、唯一買ったものはアスパラです。最近はキャベツも玉で買い、千切りにしタッパに水切りした物を入れ食べている。意外と長持ちするが、今の時期は料理した物が悪くならないように気づかっている。
多忙の中で昨日の日曜は、倉庫の影にあるナスを見に行くと、大きく成り過ぎ枝が土に着きそうになっていた。料理は野菜にジャガイモ・玉ねぎは貰いものと、生協のシメジとバラ肉を3枚、少し日にちの経つ糸コンを入れ、片栗粉を入れとろみをつけた。30分で仕上げする。やさいの具沢山の「ゴッタ煮」と皆は言うが、私の最高の料理の一つだ。一人になっても料理の楽しさと、食事のできるうちは元気でいられそうだ。
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一昨日前に叔父の家に車で行き、3.11の夜いた場所に立った。津波襲来で低地の市街地は全て流され、「シーン」となった当時を思い出す。「これからどうしよう」とは考えも及ばなかった。
あの時から比べたら、今は天国のような生活だ。それは幸運にも家族が不幸に会わず生きられたからだ。しかし、周辺の知人・友人・町民の800人余りの死と、200人を超える不明者が未だにいる。それが風化している現実は存在し、不幸に目をそらしての事と思うが、忘れる事無く、皆で死者を語り合う事が大切な供養と私は思う。

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2016
08/07

あなたの生き様は決して別れないから


昨日は朝6時に登米市の米川と米谷へ、母の妹の暮らした町と、母の実家の従弟の所へ、南三陸ブランド「伊達銀」の塩引き鮭を持ってった。商工団地の行場丸万商店特製で、仙台の兄貴は頭の部分が美味いと言う。銀ザケ養殖発祥の地、志津川の味です。

原爆投下の日であり、テレビで原爆投下の真実に、「日本人と米国人の50万人の死を防いだ」と、当時の投下の決定権者は、最大の殺戮兵器の正当性を伝えた。当時の米国民は原爆投下の決定を絶賛したと言う。亡くなられた広島の子供・女性の戦争の弱者への有無も言わせぬ決定は、日本の「比核三原則」の憲法制定となった。
安倍再々内閣の防衛大臣の初入閣は、右翼姿勢の発言をしていた稲田新大臣だと言う。中国は強権体制の始まりと話す。政調会長の「ぶれない」これまでの発言に、凄い女性が自民党にいると感じさせたが、以前の発言に「核保有賛成」を上げていた。初めて知った真実に驚嘆した。安倍総理は「核保有は絶対しない」と公言し、稲田大臣の以前の言葉をフォローした発言だった。。次世代の総理候補と言われる女性の出現は、安倍の政治路線の継続は、平和憲法の元の日本、言葉と裏腹の政治政策に将来への国民生活に不安が募る。小池都知事の劇場型は野望が垣間見られる。元小渕総理の娘も次期総理候補と言われながら、政治資金問題で大臣を失脚した。多くの女性の立場の拡大は良いが、政治姿勢と就任しての活動を見て欲しい。「可愛い花にはトゲがある」。女性は優しくもあり怖い物でもある。

震災で自分の命も顧みる事無く、町民の避難誘導に尽力した、親戚の兄貴の「七回忌」が昨日あった。絶対にその精神と、町民の為に何かをすることを忘れない、そんな町民の一人として今後も生きますと誓った。
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オリンピックの昨日の開会式の前に、サッカーでは日本が対戦相手の、参加の危機を迎えたナイジェリアに、5対4で敗れた。準備万全の日本のゆとりが「おごり」を生んではいなかったか、検証し次の試合に臨んで欲しい。
柔道の解説者は参加総ての選手に、「金を取れる」と言っていた。何か違和感を感じていた。選手を鼓舞するする発言ながら、初日は男女1階級の結果で、共に胴メダル獲得となった。悔しいけれど、プレッシャーの中で良く頑張ってくれた。
眠れない日々が続きそうだ。

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2016
08/06

人間は2度3度とミスをする 政のミス一回にして


今日は原爆が広島に投下された日で、突然多くの市民が、「戦争を長期化させないため」と、米国は自分たちの造った「原子爆弾の実験」をする為に使った。何で広島にとの想いの中で、たまたま上空が晴れていたとの、その現実には驚きしかない。
昨日はロシアの投下地「ひろしま」の、原爆状況が71年目に初めて公開された。正にコンクリートのビルしか残らず、津波の襲来のごとき風景と感じた。いや違う「放射能被害」は、71年経っても未だに苦しむ人たちがいる。そして米国を始めロシア・中国などで、今も原子爆弾を所有している。ある国は原爆を武器に隣国への驚異を与えている。人間の悍ましい影の部分は今も脈々と生き息づいている。
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テレビでは南三陸町に全国の子供達「220人」が来町し、少年防火隊を組織している生徒達だと言う。水で作るアルフアー米とレトルトのカレーで食事をしていた。災害時の防災教育を悲劇の町「南三陸町」に来て学ぶ。夜は体育館でのダンボールで仕切りを作り、宿泊体験までしていた。裕福な時代に生きた子供達で、遠くから「陸の孤島の町」まで来ることは、ある意味で生活の豊かな家庭と言える。
多くの人が亡くなった「東日本大震災」を利用した「観光立町」の構築に違和感しかない。被災地の悲しみは「語り部」が伝え、防災意識の向上になればとの活動ながら、来町者の宿泊と被災地の消費は一部の人間の「震災特需」でしかない。被災者に寄り添いたいが、国民が描く被災地への想いと感じる。生活が大変と生活弱者に政府がお金を配る時、6年目となるのに何時まで復旧が続けられているのか。早期の時間をけない、経費を削減しての復興の在り方を求められないのか。一時避難先や仮設・みなし仮設で、故郷に帰る事無く亡くなられた人たちの悲しみ・寂しさを思う。
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河川堤防の八幡川の中間部の光景で、向かいの土盛りの大山は、一時的な土置き場で、その後ろの山の上には災害公営住宅が見える。昨日も志津川の西地区での抽選会が役場であった。「抽選会?」、未だにそんな事を町はしている事を知った。その他にも造成し余った土地を被災しない方への提供する募集も始まった。町の政策の失敗を、これまでに類をみない大震災だからと、「何でもあり!」の被災地の政策がとられている。こんなやり易い政治は無い、予算は大部分が政府のから出て、全国・世界からの義援・支援金が贈られる。自己の采配が出来ない人間でも、優秀な自治体派遣支援があり、多くの大臣級が町を訪れ、町の支援をしてくれる。そう言った面では適任者が今、復興の先導者として活躍している。自分の描く商工・観光で潤う町を創造するためにだ。多くの町民の将来を二の次にしてだ。

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2016
08/05

被災地の嵩上げ復興再建工事大丈夫?


「嵩上げ」と言う言葉が、津波被災地の市街地の嵩上げに伴い、誰しもが知る事となった。「何メートル」と言う町と住民の互いの状況が、これからの生活に関係する為、津波からの防衛や住宅再建場所が、どれくらいなのかが被災者の関心の一つにある。
当初の町の計画は市街地5mで、道路・堤防が志津川の場合、防潮堤と国道の8.7mの嵩上げ整備の計画、市街地に雨水が溜まり排出のポンプの整備をするなど、震災復興に未熟な面を露呈した。それから8.7mの防潮堤防と10mの市街地整備へと進んで今がある。

かさ上げは建設業者が被災した土地の基礎コンクリートを除去しないと出来ない中で、広大な土地の整備は多くの時間が必要になった。そんな中で大手ゼネコンの下請け孫請けが整備にあたった。その上には行政「発注者」と、UR都市機構「委託業者」があり、最終的な工事の不備は、受注した大手ゼネコンから、工事を請け負った下請け会社に責任がありながら、二つの最終的な責任は免れない。

志津川地区の嵩上げ工事は60%ぐらいだろうか。終盤を迎え埋設する土地の崖などのコンクリート擁壁を除去せずに、今後問題がないからと知らぬ間に土を被せようとしていた業者が、地主から指摘され撤去した事を聞く。こないだ町の河川堤防ある部分の基礎に大きな石が埋められた、大丈夫だろうかと連絡があった。高台移転の場所のずさんな工事も聞こえてきた。整備地に岩盤がありその上に、ただ山からの土を持って来て埋めた。その土にごろごろとして石があり、時間と雨風により土地整備地にヒビが入り、地権者が「おかしい」と調べてもらって発覚した。また、土地の法面の工事で、擁壁の埋設に基礎部分の砂利の敷設にあたり、水平や決められた基準の工事を「どうせ埋めてしまうのだから」と、信じられない建設会社があり、コンクリートの盛り方も平均に敷く事を違反していたと言う。
こんな広大な被災地の整備に小さなミスはあっても、人が一生暮らす場所に絶対不備があっては許せない。土地が渡され早期の住宅再建の為に基礎工事を済ませ、住宅の棟上げも済ませた施主は、今後問題が発生する可能性がある法面の工事のやり直しを指示し、土地部分の今後に問題が発生した場合は、互いに誓約書を交わし異常が発生した場合は、全面的に工事責任者が対応する。それは行政と委託会社(UR都市機構)となる。再建したら終わりでは決してない。
災害公営住宅も住んで初めて不備が発覚する。行政は問題を表面に表す事はしないだろうが、生活者は諸々の問題は生活に直結する。歌津升沢の公営住宅は「カビの発生」があり、行政が謝罪し慰謝料と改修工事をした。

これまで行政が経験した事のない、震災の大工事であり、工事の不備は隠す事無く公開し、修復工事のやり直しでも決して町民は、法律などの大きな問題にしないだろう。時間が予定以上にかかってもだ。優しい人間が多い町だから。

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2016
08/04

華やかさの陰で


被災し仙台に生活の場を移した、私の恩人が亡くなっていた。小さい頃から私を見つめ、多くの生きる教えを話してくれ、良き相談相手だった。子ども達も私と同じ年代で、我が子のように色々な事を教えてくれた。もう遺骨も生まれ住んだ志津川には、帰って来ない。「初仏」は、子ども達の手で他所に埋葬されたのだろう。震災により二度三度と続く、人生の悲劇は誰が作ってしまったのだろうか? 御夫婦ともども亡くなった悲劇に絶句してしまった。

母の入院も2か月半となった。昔の人で心臓も弱いといわれながら強いようだ。同室に志津川の人が、入れ替わり入院してくる。昨日は「契約仲間」であり、中学校で剣道を教えたおばあさんが入院していた。「転んで硬膜下血腫になった」とお嫁さんは言う。私の母と同じ怪我ながら、早期の診察・治療で大分症状が違う。家族があり看護の姿に、母であり祖母である終末期を皆で看守る。家系の存続はそれを可能し、将来に夢を繋ぐ。

安倍改造内閣が参院選を終え発表された。被災地の国民は言う「地元の状況を知る大臣を」「長期的な大臣の就任を」など、人事には政治的な派閥・大臣ポストなど、安倍政治の長期化を目指す目論みを感じる。長期政権は、改革・発展にはマイナスで、権力誇示と保身を強く感じる。「アベノミクス」を正当化する為に、更なる財政支出は23兆円となり、国民の弱者への生活救済分は、3兆円にしかならないとも言われる。未来への投資はリニアモーター化への、高額投資がある。今苦しんでいる国民の為、「社会保障」「貧困格差」「生活保護者拡大」など、多くの問題を置き去りにし、自分の名声を残す事に始終している。
低所得者に生活支援として「1万5千円」の支出を決定した。年金運用は国外・国内の株式投資の比率を2倍以上にし、リスクを持った運用で、これまでには20数億の増額となったものの、今回は選挙前に隠し「5兆3億円」の損失を発表した。これまでの国債や預金での安定運用からの、強硬な株式の運用は、厳しい社会保障費の確保の為で、無理をしての株式運用は、株は水物、人の予想を越え大きく変動する。政治の黄色信号に誰も気づいていないようだ。関心がないと地方人は思う。

気仙沼市大谷地区の海岸線の保全の住民の復興計画が、国の政策を変えた。当初計画から10メートルのセットバックで、国道と防潮堤を併用しての建設で決定した。「大谷海岸」は住民の生命線である。60名の地区民の活動が国の考えを打ち破った。これまでだと「国道建設」「堤防建設」があり、二重の無駄を無くした震災復興がある事を示した。国のゼネコンなどの大手建設業者への、強固な支援が国の政策とてある事を、覆した事に繋がる。復興の進め方は「UR都市機構」への丸投げがあり、基本として建設族の天下りとしての団体で、国の機関と同様で、政治資金が政党に多く流れている。与野党の均衡は日本の政治の改革に必要で、安定政権には国民生活の維持から「なれあい」の体制は、過剰な政治政策を生み、無駄な税金(血税)の損失となりかねない。
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現在、南三陸町入谷地区は実りの季節を迎えている。モモ・リンゴ・ウリなど、新しい農産品への挑戦が続く。しかし、今は入谷の観光地化が加速している。果たして将来への地域の歴史・伝統の継承は大丈夫だろうかと懸念する。

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2016
08/03

日々の成長に喜び


部屋には常に体重計を置いて、1日に2度3度と体重を図っている。食欲が減退すると、排便が良いと「72K」を維持し、その逆だと最高で「76K」近くになる。昨日は2週間ぶりで剣道の防具を付け指導した。1時間身体を動かし小学生と練習は、行く前には「74.5K」が、練習後は「73.5K」と1Kも汗を流した事になる。
現在子供達は「水疱瘡」が流行っているようで、一人の団員が掛かり、学校でなのか兄弟の二人がうつったようだ?。昨夜は母親から「休みます」とのメールが入った。1対1(マンツーマン)での指導は、残った一人の団員には良い練習になっただろう。

プランターのトマトの収穫を始められるようになった。今までのミニトマトから小玉に変え、甘さもちょうどイイ。過去の3年間はいっぱい実ったものの、それを食べるのに大変だった。今年は数えられる位の数に、私が食べるのには適数かも知れない。手を掛け育てる事は、子ども達と同じで一生懸命に手を掛けると、果実も枯れる事無く、キラキラ輝く実を結び大きくなる。

今日は大阪に10万円程度の、南三陸町と気仙沼市の産品を発送する。

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2016
08/02

これが志津川の夏


青い空と碧い海、そして島々と緑の自然、これが私の中の志津川だった。海の水しぶきと魚の飛び跳ね、青リンゴとトオモロコシ、そしてメガネは海底探索必需品だった。
今の子供達は海は怖い、親は海は危険と、プールでの水遊びに慣れる子供達が多くなった。自然の怖わさ知らないままで大人になり、漁師や船乗りが居なくなる、後継問題へと繋がってしまった。これが町の抱える大問題して将来への不安となっている。
時間が在り過ぎる生活は、良いのか悪いのか、日々追われる生活を私は望んでいる。しかし、千代の富士の突然の訃報は、ガンによるものながら、最後まで戦った一個上の彼の偉大さが、死ぬ間際まで継続されていた。決っして「あっけなくはなく」、家族の支えがあり、多くの国民の落胆の声が聞こえてくる。彼を知り私も相撲のファンとなり、そこには日本人力士が大きな外国人を投げ飛ばす「国技」を守っていた。今の相撲界はそんなことからもだらしがない。
こんな所にも子供達の小さい頃からの教育が在りそうだ。北の海・輪島も厳しい生活の中から誕生した大横綱だった。

大坂への商品購買支援は、昨日「三陸のワカメも欲しい!」と追加注文があった。今年は品薄でワカメは高く、同級生の所に無理を言って頼んだ。何とか明日には全てを発送したい。今回は気仙沼市の商品を中心にしたが、多くの加工商品がある事に驚いた。我が町には「贈答品」としての、スマートな加工品がなく、その違いを強く感じる事となった。

今夜は剣道指導に武道館に行く。今月末の本吉・気仙沼地区の剣道交流大会に参加を予定している。後、数か月の活動と思っているのだが……

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:25 】


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