ARCHIVE - 2016年07月

2016
07/31

子供達の力


7月30日は南三陸町の志津川湾夏まつりが午後から、多くのイベントが志津川漁港を会場に開催される。そんな中で長野県上田市の野球スポーツ少年団が来町し、地元の野球少年団と交流を深めている。8時半からの開会式の後で、上田市と名足小の第一試合が始まった。好天に恵まれ体調に注意し頑張って欲しい。交流団の団長は子供達の笑顔が広がり、震災からの復興の子供たちの支援交流会と言う。夜は花火大会を鑑賞する。9時間の長旅を感じさせない、子ども達の元気な声が、潮風球場に響いていた。
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志津川湾夏まつりのトコヤッサイの参加者の笑顔と躍動感、そしてコスプレが見たくて、カメラを片手に会場へ向かった。駐車場は少なく多くの車が、止める場所を求め周辺を回遊していた。シャトルバスを使ってと告知するも、使い勝手が悪いように感じる。2時40分からのトコヤッサイながら、到着した3時30分には終わり、祈念写真の撮影に町長も加わり、参加者だけが盛り上がりを見せていた。

ここからは感じた事を書きたい。他の被災地と比べ、我が町は被災地の町で「復興途上的」アピールで、来場者に支援の購買を求めるのはもういいのではと考えが強い、復興市は南三陸町の商店主が、お客さんに被災地に来て買い物をして貰う為に企画した祭りだと私は思っている。6年目を迎え「支援感謝祭」など、これまでの支援への恩返しの祭りにした方が良い。販売品も少し高い。出店品も気仙沼と女川の物と比べても、価格・味とも個人差はあるがどうだろう。恩返しの形を姿を商品に表して欲しい。買い物すれば抽選で志津川の産品が当たるなど、感謝の企画をするべきだろう。
広場には高齢者が多く、町外からの来場もみられ、ボランティアと中学生の人たちが支えていた。町の夏祭りが浜の祭りから、町が商店主が町をアピールする為の、祭りに変わってしまった。「志津川湾夏まつり」は、湾内の荒島神社から神様を町に向かえ、大漁祈願・家内安全・商売繁盛など、常々の平穏な生活への感謝のまつりである。現在はどこの祭りも人を呼び込む為の祭りになってしまっている。
復興市のテント前では中学生が「いらっしゃい!」「買って下さい!」と、大きな声で来場者に購買を訴える。まつり委員会が中学校への協力したのだろう。以前の子供たちの祭りへの参加は、地域の活動に家族と共に祭りを盛り上げた。現在は「被災した町を支援」と子供達の活動を促し、他の被災地の祭りにはない活動を我が町はしている。
祭りには、高齢者と学生・商店関係者、行政・観光協会とボランティアの祭りで、多くの町民には不便な祭りとなっている。復興途上は行政の再建の長期計画にある。

昨日もまた帰って来る事無く、町の生まれ変わりを見る事無く、志津川の発展に貢献した人たちが亡くなられた。「政」を「復興祭」と勘違いし、町づくりを続ける人たちが、今の町には多くなった。
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2016
07/30

安定生活と安全運転


忙しい多忙な一日だった。
父を病院に送り、登米市のお得意さんに見積を伝え、途中に「愛菜館」で旬の野菜を買い求めた。運転中に電話で横山から仕事と知人に連絡をもらった。友達の家まで一緒に行ってもらい、世間話に御付き合った。
帰ってから気仙沼に、東大阪印刷支部のビアパーティーの商品を買いに向かう。出発は3時半を過ぎ、閉店時間は夕方6時でギリギリ、途中はトラックや事業車で少しの混雑、到着は1時間20分を要し、何とか閉店前に買い物を済ませた。フカヒレ商品を中心に「3万6千円」相当を買い求めた。これまでは南三陸町を中心に商品を揃え、昨年は仙台の商品とし、今年は先方の希望で気仙沼市を中心に準備した。生ものは南三陸町の「笹かま」などの生鮮品を買う事にした。大阪からの買い物支援は今も継続されている。支部長賞は3年目を迎える、「ブランド銀ザケ」の3K以上の物を、特製の三枚におろし、その大きさを誇示したままの姿を、会場のホテルに届ける。有難いものです。大感謝です。
とにかく、昨日しかなかった。本日は長野県上田市のスポーツ少年団と関係者が来町し、8時半からの野球交流に参加する。昼には登米市横山へ配達、帰って月末の集金がある。3時ごろから「夏祭りトコヤッサイ」を見に行き、カメラに躍動感ある踊りの姿を撮影する。
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気仙沼市の「海の市」では、フカヒレソフトクリームを、珍しさ体験で買い求めた。話題の沢山ある管内ながら、閉店前で来客は5人と寂しかった。
道すがら気仙沼市の復興の光景を写真に収めた。小泉川の国道の橋脚に橋が架かり、市内の海岸での水産会社の巨大な建物建設が進み、災害公営住宅の10階にも及ぶ新設があり、完成は低地部の浸水した場所に5m位の嵩上げの場所に建てられてあった。小さい河川には5m位の河川堤防とそれを超える橋脚が、同時に建設が進んでいた。津波の影響も我が町とは違うが、広大な市街地ながら南三陸町よりも復旧復興再建が早い。その割には公的施設の再建は、震災前からの予定の私立病院があり、市役所は以前のままで、中央公民館は河北新報の庁舎が、海岸部にあり津波の襲来を受けたものの、その建物を利用し活用をしていた。
何処か違う南三陸の被災自治体の復旧復興を肌で感じた。

明日の東京都知事選挙は、不本意ながら「小池氏」が当選すると予想する。次に増田氏で、次に鳥越氏になると思う。選挙の仕方と演説に大きな違いと、弱いふりをする小池氏の選挙戦略に都民が、心を動かしたと思っている。

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2016
07/29

郷土愛に満ちた母校の後輩たち


昨日は午前中、志津川高校の3年生時代の教室の隣りにいた。懐かしさでいっぱいだ。卒業し初めて教室からの眺めは、学校は今も変わらないが、志津川町内は一変してしまった。

現同窓会会長の提案で、町内の企業・事業所による「模擬面接」が初めて実施開催された。10班余りに別れ就職予定の生徒への、3人の参加者の面接官を前に生徒が面接を受けた。進路指導の先生との学校内での面接指導から、直接企業の代表による面接は、いつもと違う経験に緊張でいっぱいだろう。
4人の模擬面接では、生徒の「地元で暮らしたい」「地元で仕事をしたい」が全員だった。両親への感謝と、被災支援の感謝と、町の再建に貢献したい、など多くの言葉に「郷土愛」を感じた。

現実主義の私は、少しの甘さを感じる物の、生徒の希望の就職の情熱が伝わってきた。生徒が面接の為の答えは、企業の面接官は「つくろいか」「その場限り」の言葉かは、きっと判断される。自分の真実の気持ちをどこまで、相手に伝えられるかと、これまでの自分の努力が見られる。
志津川高校の母校の生徒は立派だった。今後、町の人口減の中で、高校の存続が危ぶまれる状況下で、同窓会会長や校長は、地元の卒業生は「何とか学校を残したい」とやっきで頑張っている。私もこれまでの活動の中で、「子供達には町で頑張って欲しい」と、志津川の良さを子供達に語ってきた。予想する10年20年の人口減に、町の政策は維持していく事が、精一杯のように感じ、将来への期待は薄く感じる。生徒の郷土愛への情熱を、どう町は環境整備をして行くのだろうか。子ども達の気持ちを本気で酌んで欲しい。
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今週末は志津川湾夏まつりがあり、来週には歌津の浜恋まつりが開催される。また、沖縄のビギンが被災地「歌津」の応援に来る。多くの支援に感謝である。

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2016
07/28

愛をもっと


南三陸病院への台湾の支援は多くの人達に伝わっていた。広島からの「愛の福袋」の活動は、国内だけでなく全国に仲間がおり、機関誌には「台湾からの南三陸町への支援活動」が紹介されていた。今回の5名の方々と福袋を届ける前に、交流記念碑を案内した。
3回目のぞみ作業所への訪問は、通所生も覚えていてくれて、笑顔で迎えてくれ「こんにちは!」とみんなが答え、作業に取り組んでいた。震災から福祉施設への全国からの再建支援があり、「紙スキ」技術・機材の開発支援で、現在は多くのデザイナーと企画者や、購買への協力など、多くの「愛」に包まれた作業所と変貌した。震災からの本格事業へと、通所生・職員の一生縣命な姿が伺えた。通所生の状況を踏まえた作業に取り組んでいた。
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防災庁舎を前に長く手を合わせる姿に、被災地への追悼の気持ちが、今でも脈々と続いていると感じた。その後で小森地区を廻り、私の役目はこの後、常宿への送迎で終わった。「さんさん商店街での食事を」と話されたか、仕事の遅れもあり嬉しい言葉に頭を下げた。
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大坂のビアパーティーの商品準備以来の連絡が入った。被災地から物を送ってもらう、「印刷支部交流事業」が今も続いている。今年で4年目を迎える。被災地からの商品購入支援は、復興への大きな支援と私は位置づけている。南三陸からの3年の買い入れから、今年は「気仙沼・南三陸支部」であり、気仙沼からの商品まとめをお願いされた。少しの多忙の中で、準備をどうするか思案中である。
今日は母校に「模擬面接」と言う、小畑同窓会長の志高への支援企画を実施する。高校生の求人倍率は高いものの、就職し離職する高校生も多い。震災前は受け皿としての求人で、事業拡大の一環として1年で4人の、I・U・Lターンの母校の生徒を受け入れた。震災後には会社の流失により、若い従業員の多くが仙台圏に、再就職先を求め町を離れた。両親は「地元で頑張って欲しい」との願いも、大震災の発生で家族の考えも無になってしまった。

従業員には私の活動で大分迷惑を掛けている。2日間のアルバイトを終え、何とか仕事も軌道に乗せる事ができた。


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2016
07/27

家族は一緒に暮らし 健康は食から


今日は広島など中国地方の女性の会の数名が、南三陸の被災者への支援に来る。3年前から町内の福祉作業所にも、続けて訪問や作業所で制作した商品の、買い物支援活動をして下さる、本当にありがたい。午前中は皆さんを南三陸町の案内をする。

以前に高齢者福祉施設の職員が、入所者を施設から落し3人を死亡させた。今度は神奈川県で、障害者福祉施設で、凄惨な事件が発生した。戦後最悪の殺人事件となった。昨日の未明の強行で、19人が死亡し26人の重軽傷者がでた。職員を結束バンドで縛り、障害者ばかりを殺害した。26歳の男性は以前施設に働いていた。施設での暴力があり、指導をしたが自分から退職したと言う。大麻を服用し警察にも捕まり、身体には刺青があり、暴力的な一面が時々見られたと言う。この時点で施設は雇用をしないと思うが、こうした施設での労働者不足がある。団体と県の係る施設で160人が入所していたと言う。大麻が抜け退院した後の強行だった。
5年前に両親が家から引っ越しし、一人暮らしの生活も身体を鍛える器具があり、窓越しの生活の荒れが伺える。近所の人は「よい子だった!」と言い、異常な発言を知人に話し、ツイッターで障害者を罵倒した。「世界平和」と言い、「重複障害者は……」と話す。この男の考えの歪みは、家族生活での成長の中で、親が子どもに一般的な社会での考え・生き方を教えてこなく、間違った社会への正義感が芽生えた。誰かが近くでその間違いを「正す」事をしなかった事も、一つの理由にある。自分の曲がった世界が超越しての強行としか言えない。何が世界平和だ。
7.27ブログ
食生活の乱れが病気へと発展する。夜ならずの暴飲暴食は将来に最悪の身体となっていく。どんなスポーツでも取り組み、趣味で身体を動かす事に務める。こんな日々の生活で日本の平均寿命までは生きられるだろう。
食は地元の食材をすすめたい。みなさん館で買ったキューリ・ホヤで「ホヤ酢」、もくもくランドでミニトマト・アスパラ・いんげんの「野菜サラダ」、色とりどりの食材は健康にも良いと言われ、間違いなくイイ。今はプランターにトマトとナスがすくすくと育っている。
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今日の朝食はキュウリとキャベツの漬物、もちろん自分で漬けた。銀鮭の塩焼きとコーンポタージュに、地元の米のご飯だ。日々食べ物に気を付け食事をとり、血糖値を一日おきに
朝6時に測る。最悪時には350を超え、今は150~110ぐらいとなった。

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2016
07/26

志高の国際生徒間交流に同席


母校「志津川高校」の評議委員として2年目を迎え、高校に対する意見を述べさせてもらっている。一期2年での引き受けで、昨日は韓国の大眞女子高等学校との交流の席に、案内を頂き出席した。
チマチョゴリに実を包み来校した女子佼生の姿が、屋体に入ると目に飛び込んできた。志高では現在「第40回全国高等学校総合文化祭の国際交流事業」の一環として、今回の韓国の高校生との交流となったと言う。
両校の学校活動報告が通訳を交え会場に伝えられ、両校の校歌が紹介された。志高生は旗を振り歓迎の意を表しいいた。
全国大会に出場する志高の「行山流水戸辺獅子踊」の発表は、太鼓の気高い音で舞台に登場する。その勇ましさ躍動する生徒の演技に、会場の雰囲気が高まった。真剣に睦める大眞高校の女性徒を前に、堂々とした演技は南三陸町に誇れる伝統文化だった。
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母校の生徒達は大震災を体験し、国内・国外の同世代との意見交換や、愛国心・母校愛を深め、グローバル社会と早期の同世代の思考・意識を学び、社会人としての視野を広める事ができている。
千年に一度の大震災の悲劇の自己体験があり、こんな厳しい環境の中で全国の支援を頂き、自分たちも全国の自然被災への支援活動を、拡大させ高校生生活で助け合う事の大切さを、発信・実践している。震災の悲劇のプラスの部分がここにあった。きっと優しくたくましく大きい人間として成長してくれるだろう。私たちの高校3年間では体験した事のない、人との交流と言う、生きて行く上で一つの大事な部分を学習している。

週末からトラブルの予兆を感じ過ごしてきたが、月曜日にその結果が出て、混乱の中で一日を過ごした。高校へ多忙の中で出かけた事も、私に取っては良き体験と、国際交流の母校の姿に触れられた。
色々あるからと体験や行動をやめる事は、無理をしてもする事で、自分の器と知識と人との出会いを作れるチャンスを逃す事となる。仕事中も長野への支援の御礼を不安の中で発送し、「ありがとう!」の言葉が返ってきた。全国からの支援と人との繋がりが6年目を迎えても続いている事を痛感させられる。

今日は仕事以外何もない! アルバイトも準備し、この難関な問題を解決する。利益を度外視してもお客様への迷惑は回避したい。いまから仕事を始める。

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2016
07/25

素晴らしい仲間の生活


仲間達がしばらくぶりで集合した。
会場はもちろん入谷地区の友人の新築家屋で、そのデッキからの風景は他に類を見ない光景が広がっていた。夢にも国道沿いの志津川市街地から、避暑地的なのどかな田舎町に、友も移り住むとは思わなかっただろう。東日本大震災で被災された方は全てが、このような以前の生活から一変しまったと言っても、決して過言ではない。
みんなもうひと踏ん張りしましょう!

引き続きお祝い会を入谷地区の「旧さとみ」で開いた。以前は常にゴルフの反省会の会場として利用していた場所で、場所を入谷に移してモダンナ店として再建された。モダンゆえか店内の階段に続く廊下が、明るい場所から来たせいか、まるっきり見えない。網膜剥離と白内障は、普通に生活ができるものの、環境が明から暗に変わると少しの不便を感じる。店から突然クラッカーがなった。一階では多くの若者達が集まり、何かのお祝い会のようだ。こんなにも若者が集まる場所が入谷地区にあった。
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仲間の話と今後の会の活動に、明るい老後が見え隠れする。仲間の時々の再会を今後も続けたい。次は町に空家の活用で改築を決めた仲間の祝い会だろうか。昨夜は嬉しさと御馳走で少し飲み過ぎた。

今日は志高で韓国からの高校生との交流会があるので、活動の姿を観に行こうと思っている。仕事に何のトラブルもなければだが? 
その他に昨日は小森地区と入谷仮設に、長野からの物資を届けた。協力してくれる自治会長・区長さんには感謝しかない。残りは新築さ入れた東地区の再建者の方に10軒ぐらい分あるので、時間を作りレジ袋に詰めて持って行きたい。

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2016
07/24

着実に行政の再建は進むが


町役場の再建が順調に進む。住宅再建はハウスメーカーの順番で、住民再建のまだ50%にも満たない。
災害公営への志津川地区の入所も始まり、役場で南方で暮らす人と、入所の準備の為か役場で3年ぶりに会い、中央区の方は「年度内には入れるだろうか」と、役場を訪れていた。住民の移動も続いているが、8月1日現在で、仮設での生活者は900人を未だに越えている。

病院の手術室や調理場が地下一階にある事を初めて知り、2階で透析の人たちとよく会うが、治療も地下にあった。手術をしたと言う人の声はまだ聴いていないが、先生の方も今年度も増員すると言う。医師の招聘も着々と進んでいるのだろう。
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全国高校球児の甲子園への夢が、歴史の変換期に入っているようだ。大阪のPL学園が一回戦で負け、野球部の伝統に終止符を打ち、大阪桐蔭も決勝前に敗戦した。龍谷高校も部員の喫煙から部室が火事となり、ベスト4になりながら、出場を辞退すると言う異常な事態となった。
母校「志津川高校」も現在ベスト4に進んだ、甲子園の常連の東北高校に5対7で惜敗した。準々決勝で登米高校に8対0で勝ち、未だに強豪ながら志高の頑張りに拍手である。生徒数の減少の中で、部員の確保など厳しい状況ながら、強豪に対し負けたものの、志津川旋風の伝統は生きていると感じる。
長野県上田市の野球少年団との交流大会が、志津川湾夏まつりの30日にある。地元からは志津川・名足のスポ少が対戦する。この子供達が全て志津川高校へは進まないが、南三陸町の志津川野球はOBに引き継がれ、強いバックアップの元、地元高校野球部の歴史・伝統を守っている。

昨日に続き、今日も長野県飯島町の宮澤さんから届いたジャガイモを配達する。総ての被災住民へとはいかないが、今まで届けてない所へ配布する。入谷の仮設に届ける予定だ。その他にも住宅再建をされた方にも届けたい。志津川地区の東工区東・西に配りたい。
また、今日は同級生の新築祝いがあり、仲間が10人も参加し、新居の見学から祝い会をする。これで6人目だろうか。被災からの再建が進む。

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2016
07/23

本吉郡を発信


震災後に生協から時々宅配の買い物をしている。今回のチラシを見ると地元の「ケーエスフーズ」のかき酢が出ていた。知人から「カネタにほや20トン納めた」と聞いたことがあった。それが加工され商品化されたのだろうか。ホヤ養殖の復興が進んだものの、今年もホヤが韓国の原発の風評で売れないと、1万7千トンを廃棄し東電に損害を補償してもらうと言う。震災後にホヤ養殖業を苦労して育てた産品、みんなで消費しよう! チラシでは従業員の高見さんも「どうぞ!」と笑顔でアピールしていた。もちろん購入依頼をした。レモンを効かせ375円で「美味しいですよ。」の紹介を、私は受け取った。
昨日は朝7時半に仕事の打ち合わせで気仙沼へ、帰りに歌津の「みなさん館」に寄った。9時だったので店頭に野菜は少なかったが、ホヤを見つけ購入した。むき身は5個350円で、買い求めたキュウリと一緒に買い、酢の物にしてお昼のおかずとした。やはりビールのお供が最高である。地元特有の食材で全国の食習慣はまだ少ない。しかし、宮城県漁協や地元の漁師はその販促に縣命だ。焼いても茹でても美味しいが、以前は韓国では鍋に入れて食べるのがブームで、三陸沿岸ではホヤの輸出が盛んにあり、漁民の外貨の収入とこれまでなっていた。歌津韮の浜の方が開拓したと聞いている。
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午後に「津山・道の駅」に行って来た。野菜は各種豊富にとり揃えられ、多くの来店者の要望に対応できる形が出来ていた。野菜は「キャベツ・むらさきアスパラ・とうもろこし・ミニトマト・いんげん・枝豆」など、1200円の購入をした。もくもくランドとあり、津山杉の屋羽細工などの木工品も、各種展示されていた。
道の駅は山々に包まれ、緑の環境と昔ながらの景観に癒される。南三陸町の町づくりの再建では商店重視の観光地、果たして南三陸町の良さが、観光客に伝えられるか疑問だ。もっと「海との触れ合いを直接」にと、海の楽しみと危険をアピールする、そんな観光環境が私たちの町には相応しい。「小さな水族館」などの整備で、近隣の海岸自治体との差別化で、高速道のストロー現象を防止する、町の魅力の将来の町づくりに生かす。このような考えを以前、観光商工課に提案したが、係長は聴く耳を持っていなかった。
開拓精神と町民の提案に耳を貸さない職員は、どうなのだろう。自分たちのやっている事が一番との、公務員のおごりなのか、行政のトップの意向なのか判らない。

この町の嫌な部分が、日増しに良い所を越えてしまった。

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2016
07/22

あかり


今日の目覚めはしばらくぶりで体調がイイ! 昨夜は小学生のスポ少で汗をかき身体を動かしたからだろう。
午後に「剣道練習所用で休みます」と連絡が入る。指導しているのは4人、これで二人が来なく残り二人で、練習相手がいないと1時間30分は持たないだろうと、道着を付け練習に行く。もう一人の5年生も欠席で、6年の「あかり」だけが来た。
私のスポ少への参加は25年前ごろだろうか、同級生の姪っ子が小学2年で入って来た時だと、鮮明に覚えている。「サッコ」は明るく元気な子だった。年上とも年下とも仲良く出来て、リーダーシップのある団員だった。探究力・負けず嫌い・後輩思い・明るい。小4から本吉郡の女子の代表で県大会に進んだ。5・6年も優勝し、中学でも1年から頭角を現してきた。中3年の時は決して強いチームとは言えなかったが、強豪「歌津中」に僅差で団体優勝し、もちろん個人でも優勝し、みんなと共に抱き合って喜んだ。これが私を剣道の指導に結びつけてくれた。楽しい想い出だ。
戸倉剣道愛好会へ指導の場を移し、震災前の年に戸倉剣道も、本吉地区少年剣道の団体優勝に結びつけた。総ては全員剣道でチームワークでもぎ取った。この大会も強豪の歌津剣道チームから勝利をもぎ取った。
おしかったのは震災2年目の志中女子チームで、メンバー7人の顔ぶれで、これなら勝てると2年生の新人戦を迎えた。震災で大きな傷を負った生徒、なんとか乗り越えて欲しかったが、他からの支援活動があり、思うように練習もできず、結果はさんざんなものだった。ここからチャンスは生かし掴まないとだめだと思った。私の中学の指導も係わりはこれで終わった。
そして今、あかりに「サッコ」の幻影を見た。まだ、4か月余りの剣道入団ながら、剣道が好きなのか、母の指導なのか一生懸命に練習に取り組んでいる。この子を何とか強くしたいとの衝動が芽生えている。小学までの残り半年の指導ながら、中学校に向け何かを伝え、将来への可能性を残したい。サッコのように! 彼女も立派な大人に「もう?」なっている

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2016
07/21

人生を楽しく暮らす方法


自宅の小さなスペースのプランターではトマト、裏の1mの空き地にナスが花を結び実を付けている。知人からは獲れたてのジャガイモがレジ袋で二つあり、無駄にしないようにと「芋の煮っ転がし」「芋サラダ」を作りたべている。その他にもタマネギとニンニクを貰い、糖尿に良いと言われるのでタマネキは、色々な料理に活用している。ニンニクはと言うと料理の香りづけで、未だにレジ袋の中にある。昨日は長野の宮澤さんから、被災した皆さんに配って下さいと、今年も100Kのジャガイモが届いた。今年はどの地区にどんな風にして、町民の届けるか思案中です。
現在は同級生や知人、昔の地区の人たちの新築再建が急ピッチで進んでいる。今回、同級生のまとめ役の仲間の家が完成し、同級・ゴルフ仲間が集まる。何処まで声を掛けたらいいのか思案したが、「こうした繋がりを大事にしよう」と、区分する事なく声掛けし、10名ぐらいがこの日曜日に一同に会し、お祝いと一席の場所を別にして持つ事となった。懐かしいしばらくぶりの再会に、色々な町の個人の話が聴けそうだ。一人の仲間の息子が今月結婚式との、吉報も漏れ聞こえてきた。震災からの辛い苦悩が皆にあり、こうした幸せも生きてればこそと思う。
被災地の農地の復旧工事の9割が終わったと言う中で、その4割が遊休農地だと言う。農家の後継問題は深刻で、この対策の見通しは厳しい。
インバウンドの外国人の流入は、上半期で「1171万人」となり、一人が落して行く額は、中国の発展が低下している中でも、爆買いが減少していても、16万前後でこれでも10%減ったと言う。2020年までに2000万人の観光客の入国の目標は、今年で達成する事となる。2040年までに4000万人の予想はまんざら希望観測でも無いようだ。東京五輪の2020年までは日本の景気も上々と言うが、被災地の復興・オリンピック特需で、建設景気は一端収束すると専門家は想定する。このころから被災地の地方の過疎化は増し、国の地方分権に期待するものの、今後の人口減少予想を見ても、我が町の発展は今後に期待は薄い。若い人間がいない事が町の疲弊へと繋がって行く、対策は講じているものの、その結果が現れていない。

仕事は暇であり、今できる事をして「暇を楽しみたい!」。今まで走り続けてきたから、これから何ができるか考えよう。
母の入院も2か月が経った。父と時々行くと、父の知人が透析をしていて、「千葉さんの御蔭で助かってます!」と言われると言う。自分のやってきた事は間違ってはいなかった。震災後の混乱での2年間の中で、自分の議員としての足跡を残せた事に、「活動して良かった」と実感する。施設は出来ても環境と維持は今後の課題として残っている。共に活動に参加してくれた方が一人亡くなられた。後世に施設を造れた事をきっと喜んでいるだろう。

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2016
07/20

地震の巣 三陸沖


都知事選の舌戦が続いている。昨日の民放での「小池と鳥越」の中傷合戦があり、鳥越の小池の「病み上がりを引っ張って来て……」の発言に、「言ってない」と弁明するも、メディア出身の鳥越、テレビ報道の資料を示され、「言ったのならごめんなさい!」と返した。鳥越のガンの3回を克服しての出場に、「全国のガン患者への差別だ!」と噛みつく。国民のガンでの死亡は現在原因の一位となり、この発言は都知事選と内容的には離れているものの、今後に大きな小池発言のマイナスとなると私は思う。最後には「これが選挙です」「政治です」と小池は言い切った。都民を守る姿勢が強権者では、高齢化に進む都政に対し、優しさの欠如と思う。政治は自民の一極での経済の強化を掲げ、知事は多くの政策は国政との関係の部分である。
鳥越の小池の都政に対し欠けている部分を露呈させた。事務方の増田に都民の反応は薄く、「劇場型」という人材を求めているようだ。これまでの3人の知事も、発言・行動には他県の知事と違い、都民ははっきり物言い、行動力のある人間が好きみたいだ。「お金に綺麗で」「嘘を言わない」などの、以前の「都知事問題」での都民の声は何処へやら、政治・選挙の上手な人を最後に選ぶようだ。正に小池の今の選挙法にあるようだ。鳥越の主張のガン検診30%から50%へ、「ガンは治る病気」と、早期発見での都民の生命を守る政策を主張する。都民の心には「強い指導者」が今も根強いようだ。
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地震・津波への意識は、行政には「ふ・う・か」しつつある事を感じる。地震の巣と言われる三陸海岸が、行政の窓口に掲示・設置されている、「原発30K圏内の現状況」と「三陸沿岸の海溝の形状」を町民に示してはいるものの、7月30日の「志津川湾夏まつり」の開催は、志津川新漁港であり、防災体制は大丈夫だろうかと心配する。議論はないままで以前の継続としている。今後に住民の多く暮らす病院・総合体育館のある「沼田地区」での開催を模索してもイイのではと考える。
志津川市街地低地部の開催もあるが、何時発生するかわからない災害、道の駅・交流拠点での開催は10mの盛り土の上、これも安全確保の観点から在りと思うが、交通手段が未だに充実が図られてはいない気がする。しかし、思い出して欲しい今大災害を、16mを超える津波を南三陸町を襲った。「職住分離」政策の推奨した構想に反する町づくりではないか。出来る限り危険のリスクを避けるべきではないか。

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2016
07/19

大震災の悲劇を観光に?


何も無い町が、日々繰り返される自然を観光にした。九州の小さな町は沿岸漁業の衰退から、子どもの頃に観続けた「海に沈む夕日」を観光の目玉とした。地元の漁師から役場職員として、観光に取り組み、その素晴らしさを追い求め、観光にと結びつけた。最高に盛り上がったのは2000年の終わりの夕日だった。「手を合わせ」「涙する」そんな光景に、ここまでやって来て良かったと感じたと言う。
南三陸町も来年の夏には「人口海水浴場」が完成し、リアスの自然を活用し観光客の誘致に向かう。「ビーチバレー大会」「海の家」など、あの賑わいが懐かしい。私も自然の「大好きな海」を、多くの来町者と家族連れの、子供たちの海に親しむ姿に嬉しさが増した。交流人口としてこんな光景が私の望む姿だ。物を買うだけが南三陸の大震災からの「恩返し」ではなく、自然の素晴らしさを全国に発信する事こそ、先人達への復興のメッセージと私は思う。
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昨日は買い物に石巻市飯野川に行った。途中、祈念公園の建築現場を通過した時の写真だ。現在は防災庁舎側の橋脚建設に着手している。観光だけの「人道橋」は被災した町民に必要だろうか、一部の観光に特化した人たちの為の、震災の箱物で木造はその維持費の負担を心配する。
飯野川では登米市の同級生とあった。還暦の祝い前に突然の欠席の連絡が入った。60年の歩みは身体に疲労が圧し掛かっていたのだろう。二度の大病は「内臓疾患」「疲労骨折」だった。長期療養を経て現場へ復帰した。「65歳まで働く」と言う。「無理せず一歩一歩進もう」と言って別れた。
出掛けると誰かに会う。顔を見つけたら声を掛けて欲しい。こないだも先輩に「かっぱ寿司」で見たよ、言われた。現在は今の生活を楽しみながら生きている。行政・政治への不満は消える事はない。

震災で殉職した職員に、県職の知人がこないだ線香を手向けにきた。「良い人だった」「貴重に人材を失ないました」と話す。町の同僚は震災での仲間の死をもっと思って欲しい。「震災復興が大変は」被災市町民も同じで、町職員として仲間の死を無駄にしない、町づくりに取り組んで欲しい。「意を継ぐ」との言葉だけの、町民・職員も少なくない。私は胸を張り被災の姿、その悲劇を伝え、この町で生き続ける。

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2016
07/18

小松先生ありがとう


7月17日の仙台での恩師の最終章「シャンソンコンサート」に、2時から開催に合わせ午前11時に向かう。お土産にと同級生の南三陸町「山清菓房」に回り、ひまわりのお菓子を買いに行く。さんさん商店街の駐車場は100台余りの車で満車に近い。ポータルではヨサコイの団体の被災者支援の演舞が、小雨の中舞っていた。
行く前に「志津川中央区」の施工不良の現場を見に行く。仲間と知人の住宅はやり直し場所でなかったのか、住宅再建が進んでいた。以前は無い「擁壁」が整備地には出現し、何がどう不良なのかは素人には理解しがたい。建設会社は信念と早期被災地の復興のために、当たり前の仕事に従事してほしい。
中央区の端からから向かいの盛り土工事を見る。土曜日なのに工事は多忙を極めている動きが伺える。しかし、震災時よりもトラックの数が減ったと周囲の人は言う。

シャンソンの歌詞は「反戦歌」が多い、小松先生の人生がここにはある。ケニア支援の「響け愛の歌」を、旧小牛田の「美里文化ホール」で2回目にシャンソンコンサートから、先生との接近があり、そのお友達とも、今別な被災地再建事業で交流を続けている。
シャンソン仲間3人と素晴らしい歌声がホールにしっとりと響く。先生がこれまで関わった人たちが、福島・秋田から宮城県内は元より、最後の有終の美に130人前後の友人・知人が集まった。志津川中時代の同僚や生まれた遠田郡の先生方も多くおられた。
先生の挨拶で「震災後は、老いを自覚し、死に備えて、一日いちにちの始末をつけて、すっきり生きたい思いが膨らみ、ボランティア活動、趣味をセーブしながら生きてまいりました。……愛と癒しの魔法と言われるchansonを、心逝くまま歌い、大きなケジメをつけたいと思います」と話す。優して強い人間ながら「生」への限界を悟った人生のコンサートを、皆さんと共に堪能した。
「バラ色の人生」から始まり、「聞かせて愛の歌を」があり、2部では定番の「愛の賛歌」「枯葉」、3部では「人生は美しい」「北の故郷」、4部で「愛ゆえに死ぬるものは幸せ」「鐘も鳴れ」と続き、最後に「カン(その時)」があり、その歌の想い入れを話す。シャンソン歌手の初めての歌に感動し、歌わせてもらう為に2年を費やし、3年前に作詞家の方が亡くなり2年前に歌手の方が亡くなられた。自分の死期が近い事と、この現実が重なり自分でフランス語に歌詞を付けて歌った。会場では目頭をぬぐわせる方も多くあり、先生との結びつきの深さを感じた。
その最後のメッセージのような歌詞には、「友の声、帰ってきたい懐かしいみんなの元へ、人はそれぞれ旅を行く、懐かしいみんなの元へ!」とあった。これまで続けて来たシャンソンコンサートの「カレテットを解散する。」と最後を締めた。歌は全14曲、小松曜子の最終コンサートに同席できた事に感謝です。
私の周りにはこんな素晴らしい方々が多い、その思いを自分なりの活動で、被災地の復興に努力していきたい。
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それにしても仙台のひとときと、6年目を向かえている復旧復興の、この現実のギャップに、二つの写真を見て愕然とした。

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2016
07/17

昔を思うと 今は寂しい事ばかり 人間は破壊動物


来年の夏のオープンに向け、志津川の袖浜海水浴場の工事が今、急ピッチで進んでいる。震災前はビーチに「海の家」が10軒くらい集まり、賑やかな頃を思い出す。
皆さんは以前のこの海岸を御存じだろうか。写真の撮影した場所は、勿論海だった。荒島までの堤防も長く、堤防から釣りができ魚も良く釣れた。海岸線は絶壁が続き、大森地区から袖浜までは、海岸線に道路が絶壁の上を走っていた。人を寄せ付けない海岸線には、ツブ・アワビや各種の海藻の宝庫だった。私の親せきは夜の磯狩りで、誤って海に転落し命を落とした。まだ、中学生の頃で、部屋の窓に強い風が打ちつけていたのを、親戚の叔母の声と同じく感じた。
自然をここまで破壊し、漁協の権限を拡大し、「私たちの海」は何処へいったのだろうと今は思っている。中学生の卒業の頃に、密漁への監視は強くなった。大量に捕獲する輩が横行する事で、「密漁防止」が海岸線の漁協・警察で強化した。この頃から私の海と親しむ事は終わりを告げた。
今後は苦闘となる老後を、海と共に生きれたら最高の人生と思う。
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昨日は猫の額の庭の草取りをした。雑草の中には植えた「ナス」が潜んでいる。一か月で雑草だらけとなった。他に「みつぱ」と「青しそ」を植えていた。二本のナスから2個を収穫し「漬物」にして昨夜食べた。自分で苗を植え、獲れたての野菜は格別な味だった。その他にミニトマトをプランターに植えた。今年はもう少し大きな種類のトマトの苗で、多くの実を付けたのに、さっぱり赤くならない。もう少し我慢して観ていきたい。

今日は二人の中学時代の先生を乗せて、仙台の恩師のコンサートに行く。11時に出掛け、帰りは夜7時になりそうだ。注意して運転し何も無いよう帰りたい。留守は父にお願いする。

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2016
07/16

志高同窓会

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母校「志津川高校同窓会」に最後と言い聞かせ参加した。いっぱい食べたし沢山飲んだ、同級生は6人が参加し、還暦同級会以来の元気な顔を見る。
同窓会には私の兄貴の仲間が、今年も沢山参加していた。現小畑会長の為に集まってくれ、当時の高校の先生が参加したためか、仙台に被災し移転してしまった近所の方も来てくれた。「無理すんなよ!」と私に声を掛けてくれた。私の兄は仙台の高校いったので、恩師を囲む同級生の皆さんは一テーブルを埋め、その顔は知っている方が多かった。
今回は総会の中で、同窓会会長が「同窓会から生徒を応援したい!」と二つの事業を提案した。1.同窓生による模擬面接の開催、2.東北大会など高成績の活動に奨励賞を贈る。などが了承された。また、仙台志津川高校同窓会が「宮城同窓会」と変更された。仙台近郊の富谷などに住む同窓生も多く、違和感から名称を変更した。
会場には想定を遥かに超える85名前後の、志津川高校同窓生が参加し、卒業生として今後も「志津川高校応援団」として、母校を支援して行こうと誓いあった。
議案は「慎重審議」の上、総会を終える事ができた。恒例の懇親会も和やかに久々の再会に、皆が笑顔の中で有意義な歓談の席となった。

昨日は臨時議会があり、UR・JVの関係者が5人、議会での問題発生の説明会があった。擁壁建設の不良の原因の元は、建設現場での責任担当の体調不良での、引継ぎに不備があったと話す。都市再生機構と飛島・大豊・三井共同建設の、日本の建設業の大企業の関わる工事としては、余りにも稚拙な問題と、その原因には「大企業のおごり」が感じられる。
震災から6年目を迎え被災者の仮設暮しも苦痛となり、町の再建のUR都市機構に全面委託政策にも問題がある。土に埋もれる被災地の整備には、見えない部分での工事不良が、今後に発見・発生しないか、住民の不安まだまだ募ってくる。

6月の3連休の方達にとっては、有効にこの休みを活用していただきたい。しかし、気の張っている常々の生活で、緩んだ時の体調には十分気を付けて欲しい。
大樹に寄り添う町民が多く、自分の主張を出せない町民が増
えている。「自分の将来は自分で切り開く」と言った、志津川・歌津の住民の精神が薄れていく事に寂しさを感じる。町の地区の代表は、誰かから指名されないと決定しない状況は、町の改革や発展には結びつかなく、志津川地区の過去の隆盛
は今後戻らない、こんな町の体制や風潮が今の町にはある。

私は終わる人間、将来に繋げる体制を今から町づくりに構築する事こそ、大切な時期と役目となっている。三陸道・道の駅構想・新しい町づくりが、本当に将来の繋げる町の変化とは感じなく、人づくりこそ大切な事と私は思う。しかし、多くの若者は町を離れ、都会の生活になじめかった若者が町にまた帰っている。

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2016
07/15

被災者の震災は終わっていない


一昨日前の「震災の車が海底で発見!」との知人の情報があったが、石巻地区での海底に沈んだ車の写真が新聞写っていた。津波震災の不明者は、引き波によるもので三陸沿岸では、未だに多くの死体が上がっていない。
昨夜は剣道の練習があった。小学生の指導なから、個々で練習への取り組みが違い、その差は歴然と結果に出て来る。「好きこそものの上手なれ」「成果は練習に比例する」など、自分の為である事を知って欲しい。今年だけと指導を続けていて、これまでの団員への「強い係わり」を、できるだけ薄い物にするよう取り組んでいる。来年には次期継続者に移行して行きたい。
今日は「志高同窓会」がある。幹事は卒業の干支で決まり、今年は私たちの「申・羊」である。震災前の前会の幹事が思い起こされる。12年前に高野会館で開催され、役場の殉職した勝倉君、東京に移住してしまった加藤君、登米市に新築を決めた渡邊君などがいた。地元で残っているのは参加した3人となってしまった。これが震災の現実で、多くの友が町を離れた。今年は70名が参加を予定すると言う。私は震災後の同窓会総会に震災の年から参加を続けている。今年で最後と決めている。登米市の渡邊も来てくれる、さすがに志高の親友だ。
明日は同級生が東京から来る。兄の新築祝いと、施設の母の様子を見に来る。南三陸町と仲間想いの彼である。人生で政治家をこころざした。国会議員の秘書として国政に参加すると言う、大きな夢を描き東京に行った。彼の人を気遣う禁欲の薄い人間こそ政治家に適任と思う。紆余曲折の中で今の人生を邁進している。60歳を迎え後の人生は子ども達に囲まれ、孫と共に幸せな人生が彼へのご褒美と、天は神は与えてくれるだろう。凄く南から愛されるイイ奴で、私とは大違いな人間だ。
明後日の日曜日は中学時代の恩師の、最後の雄姿を見届けに仙台に行く。志津川の当時の同僚だった先生方を二人載せて。仙台では名取の同級生も招待されている。どんなシャンソンのコンサートだろう。シャンソンを知り仲間もでき、大病も克服しここまで人生を続けてこれたと思う。将来を担う世界の子供たちの為に、ここまで頑張って来た。世界で起こるテロや戦争の空しさを、先生は悲しみでいっぱいだろう。
今年も広島から「愛の福袋」の支援団体が来る。会員も熊本の大震災で被災し、近くに被災地があるのに、南三陸町への支援の継続には感謝しかない。

こんな多くの人の姿を見て、私は余生を生きたい。いろんな所を見て学習や見識を広めたい。多くの人との交流は、現在の南三陸町トップの行政の復興の進め方の中では、「いやだ!」との意識が強い。残された人生を自分に正直に生きて行く。10年ぐらいと心に止めて。

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2016
07/14

4人の都知事候補の発言に


テレビを見ていたら「生前退位」「宇都宮出馬中止」と臨時ニュースがテロップで流れた。
天皇陛下は82歳となり御身体も大分弱くなったと感じる時がある。皇太子様も昨年2月に55歳となり、昭和天皇崩御に当たり現陛下が後を継いだ。その年齢に皇太子様が同じになり、陛下の気持ちは、かつて天皇継承になかった「生前退位」へとお心が動いたのだろう。宮内庁もそんな事実は無い言い。メディアにどういう形で情報が伝わったかは、朝のワイドショーでも判らないと言う。
震災時の天皇陛下の被災地への来町は、国民に大きな力を与えてくれた。そんな心優しい元で日本国民が生かされていると考える。

都知事立候補の共同記者会見の個々の行動・発言にその性格を見る。小池氏の自民党と都議会の自民党会派への恨み辛みの言葉が語られた。「自由人」「劇場型」「渡り鳥」など、報道アナウンサーの昔のイメージは消えうせ、強い政治家となってしまっていた。都民に優しい、中央のパイプ役として相応しい人間かと言うと違う。過激な強者へ向かう「ジャンヌダルク」とも違う気がする。彼女の野望が私には伝わってくる。
増田氏・鳥越氏の一騎打ちになりそうながら、どれだけの無党派の票を掴む事が当選に繋がると言う。昨日の鳥越氏の発言には、都知事としての出場が遅れ、都政の問題の理解度も低く、対策もまだ考えていないと言った感じだ。人間の国民の深い部分への必要性を訴えていた。「自然の発電・原発の段階的廃止」「癌の病気の対策と意識改革」など、人間の「生」に対する取り組みを伺え、都政の根本にこの部分が将来に対し大切と説いていた。
鳥越さんは好きなキャスターである。年齢の76歳も心配で、直腸がんの手術から、肺・肝臓への転移を克服し、現在は体を鍛え自分の身体を維持し、健康には自身があると言う。オリンピック対応や、これまでの都政の停滞で問題は山積している。後だしとなった行動は、出場の顔触れから「これではだめだ!」からの、最終出馬の結果と思う。東京都の都民は保守体制が強固というと違う。自民党が二つに別れ、野党共闘でどうなるかは微妙である。
これまでの自民系の都知事から、どの党にも属さない都知事の誕生は、新たな都政を生むかもしれない。与野党を上手くまとめられるのは、増田氏と鳥越氏と思うが、選挙はしないと判らない。

志津川は今日も梅雨空が広がり、27度でじめじめの何とも言えない状況だ。写真はベイサイドアリーナから東地区が西工区の災害復興住宅二棟を望んだ。その左側には長屋敷の復興住宅が誕生する。今年度中には町の総ての災害公営が完成する。アリーナ前のモニュメントは事ある毎に見るが、陽に輝き綺麗だ。

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2016
07/13

シェアハウスは何処?


一週間ぶりに魚屋さんに買い出しに入谷地区に行く。その用事と3件の事で午後3時過ぎに向かい、気仙沼で水揚げされたカツオと地元?のホタテの刺身を買い求めた。次に中瀬町から入谷地区に移転した知人を訪ねたがいない。次に「いりやど」へ、先月に町へのボランティアで来た、中国の英国に留学中の方が気になり、事務所に聞きに行った。「歌津のシェアハウスに移りました」と言う。名刺を渡していて「何かあったら電話下さい。」と伝えていて、最近、「公衆電話」の着信の電話が3回あり、留学生なか?何かあったかな? と心配していたが、もう「いりやど」には居なかった。今度、歌津に用事で行ったとき、シェアハウスを訪問したい。
「いりやど」は大学生などが来町し研修などをする場所として整備されたが、宿泊費が被災地にあり、地元の民宿と同じ7800円で少し高い。一軒だけのホテルに比べれば大分安い。もう一軒のビジネスホテルは6800ながら、しっかりとした晩飯がない。長期の連泊は大変だろう。
「いりやど」は現在、新館が建設中で二つを繋ぐ渡り廊下が建設中で、無くなった入谷中を彷彿させる気がした。志津川地区の民宿は二軒で、新しい宿泊手段と現在競合中といった感じだ。町の「民泊」の経営推進も、新設した民宿に少なからず影響となっている。

帰りに小森のローソンに行く。行きやすいコンビニとして重宝している。玄関のドアに初めて夏祭りのポスターを見た。7月30日12時から21時までの夏の町の祭典が開催される。

昨日、知人が「海で自動車が発見された?」と電話をくれた。袖浜海水浴場にはパトカーも来ていた。と言う。現在、来年の海水浴場の復旧の為に大型船が整備にあたって見つけたのだろうか。実情は分かっていない。

もう一つ大事件があった「熊発見」である。11日に志津川高校の登校坂で、子連れの熊2頭が発見されたと、知人のフェースブックにあった。南三陸町の危機管理室のHP?に掲載? 写真のような情報があった。志津川高校の近隣には、被災した方々の仮設住宅も多く、高齢者の入居も多く心配で、高校生も登下校で遭遇しないか心配です。
気を付けてください。まさかこんな所まで、山が開発され餌が不足の被災地、山奥から熊が餌を求めやってきた。来年もブナの実の不作で、益々、熊の出没を懸念する。

いろんな事が震災の町「南三陸町」で起こっている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:44 】

2016
07/12

災害公営入居に笑顔


「あんな大きい家に住んでいたのに」「住宅は広いから」と色々笑顔で話してくれた。80年以上も地域で暮らして、昔の出来事をしっかりと記憶していた。これからは奥さんと二人ながら、子ども達が見守ってくれると言う。
志津川地区で最初にできた公営住宅は、「すべてが抽選でした」「身体の弱くなった人は一階」「福祉枠は無かった」と、町営復興住宅に入所なるまでの経緯も教えてくれた。町立病院が目の前にあり、何かあっても安心と言う。
孤独死が昨年は全国で3千人あったと言う。この現状が団塊の世代か高齢者となり、その数が益々増加する事を予想する。

安倍自民が国民に承認されたと、今後も自分の政治を前に進めると言う。国の発展は税収を生み、高齢化社会への資金は税金で賄う。こんな政治体制で今後も進める。国民は「安保法案」「憲法改革」なんてどうでもイイ事が、今回の選挙で判った。アベノミクスが失敗でない事を再び大声で叫ぶ。
俳優、石田純一の「正義感」「野党共闘なら」は、政治への心意気だけでは無理と自覚しただろう。今回のこれまでの石田の行動は多くのファンと知人を失望されただろう。あのお粗末な行動に!
私も同じなのかも知れないと、「ふと!」そう思った。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:59 】

2016
07/11

革新と保守の結果に無力感


洗濯・選挙の一日でした。
「野党共闘」がなかったら選挙はどうなっていただろう? 
東北六県では5県で野党が勝利した。常なら保守地盤の強い所ながら、第一次産業で成り立つ地区、「TPP」の農家不安があり、与党への不信感からだろう。
地元では野党の「桜井」が結局勝利したが、震災当時の与党の財務副大臣をしていて、当時の被災の自治体支援対策として、復興復旧への「全額国庫保助」「グループ補助」などの政策を決定した。医師会・歯科医師会が推薦したものの、共闘の共産党の支援無くしては、勝てなかった選挙だろう。
南三陸町では自民の県の選挙参謀が町出身で、千票以上も熊谷氏が多かった。女川町も原発で成り立つ町、稼働問題で自民が多かったものの、石巻市を始め仙台市でも小差で勝ち、3万票の差でかった。野党の減退の理由に、共闘も逆にあったと言い、九州・中国地方では昔からの世襲が強くあった。また、タレント候補が保守にみられ、放送局出身者が野党に多いと思った。落選した候補には、これまでの選挙活動が報われないままに、返り咲きとはならなかった「田中」もいた。
おおさか維新の活躍が顕著にみられたが、野党に近く革新では無い事がふ不満だ。片山氏の二男も地元で当選した。ここにも世襲があった。右も左も地元選挙活動がままならない中で、何も出来ない子が父親と比べられる事で、切磋琢磨し押しつぶされないで頑張って欲しい。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:51 】

2016
07/10

天王山と天王前の国道45号が


現在の国道45号はう回路ではなく、将来の国道になると行政は話す。津波避難所の上の山緑地をぐるり廻り、山根の山裾を通り、志津川中央区の前を通り旧道に繋がる。
志津川小学校の通学路の新井田側からの道路があった。一人の女性の小学校通学路の改革が、現町長への要望も空しく小学校PTAの「道路整備は子供達の通学に危険」と、当時の会長も反対と廻ったと後で聴いた。この道路が出来ていたら、小学校までの避難路ができ多くの町民の「命の道路」となった気がする。新井田地区の奥地に親戚が片寄せ暮らした場所があり、20名を超える同族親戚が亡くなった。予測できない大震災では私は片付られなく、当時の「津波の町」への歴史の風化があったと行政に言いたい。
「職住分離」の津波対策を講じたと行政は思っているようで、津波対策は「何処へ」と言った感じた。旧松原公園に南三陸の自然を体験するネイチーセンターが建設される。観光客の避難路を整備し、地震と津波が同時に来る事も予想され、町の震災復興の観光客の命を守る事を第一義に考えて欲しい。
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2枚目の写真は、沼田地区・志津川東地区北工区から、市街地に下りる道路が建設される。
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3枚目は旧新井田川を埋め立て、国道45号と接続し企業誘致の土地となり、来年初めには「スーパー建設工事」がスタートする。工事関係者に聞くと、現在地盤の沈下から隆起が進んでいて、盛り土地盤の日々の低下と沈下を計測しながら、盛り土がされている。五日町のショッピングモールの起工式が始まり、10mの盛り土から2年が経過している。工事計画の想定外から更なる問題が発生しない事わ願うばかりだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:12 】

2016
07/09

花のプレゼントが届いた


突然、町内の花屋さんから二つの鉢花が届いた。送り主は「一般社団法人 JFTD 励まし花キューピット事務局」からで、未だに続く被災地の困窮状態の町の事業所に、花を愛でる事で癒しとゆとりの与えたい事の活動と思う。今日の初夏の雨に「ハイビスカス」が生き生きとし、私たちに力を与えてくれている。
「花キューピット」は関東圏の親せきへの花を送るのに、震災後も活用させてもらった。なかなか東京まで足を伸ばし行く事は難しく、献花や香典を送り見舞いに使う事が多くなった。我が家とて叔父叔母に何かあったら来てもらう事の大変さを考え、「何もいいから」と言っている。
こないだも大阪からの来町に、飛行機代は格安航空機で往復「3万円」で、通常の航空機代はその倍になると思うと、被災地への支援をお願いし交流人口の拡大は、観光客の懐を考えた時に、多くの負担に申し訳なさを思う。町に企業が誘致され働き場を創り、納税を町民から頂き、町の経済が動く事の従来の形が望ましいと思う。南三陸町の誇れる多くの産品の販路拡大に取り組む事が、真実の町の経済・町政運営と思う。
一部の企業だけが潤い、どれだけ町に恩恵をもたらすか考えれば判る。建設会社も復興が終われば、アパートに入所する町の世帯数は大きく減少し、人口とて同じ事だろうと思う。

今日は石巻に買い物に行く。今月末の「小田和正コンサート」に後輩に誘われていて、着ていく服がないからだ。少しのオシャレは若者たちが集まる場、少しは「こざっぱり」して行きたいと考える。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:08 】

2016
07/08

志津川中央区の建設がまた始まった


志津川造成地の中央区の土地整備事業に、施工不良が見つかったのは6月だった。自分の土地区画に「ヒビがある」との事から調査したら、問題がある事が判った。埋設の砂利の大きさが予定よりも大きい物が使用された事が、当初の原因だった。その後に広く整備された場所にも施工不備があり、町とUR都市機構が工事のやり直しと、住宅建設が始まっている施工主とは個別に相談と説明をしていた。6月末から7月末までにとの、総てのやり直し工事をすると話していた。
個々の家主との交渉で修復工事の終了なのか、最近になり建設工事の進んでいる事に、「安堵し」「不安も」ある。しかし、被災した住民の再建は待った無で、一日も早く「終の棲家」の完成で生活の安定を求めている。
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都知事選に「石田純一」が出馬をにおわせている。市民団体の支援があると言う。政治に関わった事の無い人間が、都知事として立つ事は良いが、当選したら? 職員の混乱が目に見えている。何を指示と都政の問題を解決していくのだろうか。政府と企業と関連団体の繋がりが無い中で、何をしようというのがまだ分からない。東尾理子は「政治にはかかわらないで!」と言う。思いと現実の違いがあるが、政治への国民の不信の代弁者は純粋な人が良いと思うが。
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(終わり)

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:04 】

2016
07/07

HP南三陸マイタウン情報の1月~6月までを公開

南三陸町「千葉印刷」、南三陸町「南三陸マイタウン情報」で検索し、今の南三陸町が垣間見れます。
昨日、会社のホームページの1月~6月までの、町の出来事を加えた「南三陸マイタウン情報」を公開しました。
震災後の23年7月から28年3月までの町の出来事を、現在、「復興第52号」まで発行すね事ができました。気仙沼市の震災復興の姿と共に掲載し、隣接する被災地復興の状況と比べ見られます。
また、町への被災地支援者の活動を紹介しています。子ども達の活動支援や支援者の受け皿支援と、交流の継続に弊社は取り組んでいます。1面に活動報告を掲載し、2面(裏面)には町の記事を載せています。新聞の内容はパソコンで開き、プリンターで出力できます。(無料です)
町民皆さんが現在進む町再建について、将来の南三陸町を本気で考える資料となれば幸いです。
市街地の再建や町づくりの進め方を写真や文字で伝え、全国へ発信しています。
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雨の中で、設計者の隈氏を迎え鍬入れを行った。中央区の施工の問題発覚で、工期が1か月延び、議会の調査委員会でUR都市機構の関係者に、説明を求めていくと言う。「南三陸マイタウン情報」の第52号では、こんな志津川地区の高台移転の状況を、今回は写真で紹介した。
こないだ伊里前市街地を見下ろせる場所に行った。伊里前の歌津大橋の北の切れ目に立った。震災後の風景と何も変わっていない風景が広がる。瓦礫が撤去され盛り土が置かれ、仮設商店街は市街地造成の為に狭い場所に移築され、志津川地区と同じ29年3月に「町開き」を予定している。

東京都知事選に立候補を表明した小池氏、アナウンサーだった事もありメディア戦略を繰り返す。小沢氏や小泉氏の側近として、政権交代などの渦中に居続けた。強引な強硬なパフォーマンスにメディアが踊らされ、国民もワイドショーに釘付けとなっている。14日の告示と31日の投票に向かう。しかし、現在は国政選挙中で参議院の選挙を10日に控えての、国を都民を混乱させる行動と私は受け止めている。
小泉氏の「自民党をぶっ壊す」「郵政解散」など、言葉の過激さで自民党は勝利した。解説者は言う。小泉氏のアドバイスが陰でしていると。安倍自民の強権的政治は私の未だに合わないが、小池氏の人の迷惑を顧みない行動は、時代の強い政党を渡り歩く、自分の事しか考えてない。まさに「自由人」と自民党都連の石原会長は言った通りだ。私は優しい力持ちが好きだ。だから自分本意の強権政治は大嫌いだ。
リップサービスは人の受け売りと人まねでしかない。「議会の解散」「前知事の第三者検証」は、都民が食いつくこれまでの都政で、枡添前知事の問題に似せて、選挙に興味を持たせる戦略に見える。政治資金規正法に抵触しない潔白な政治家の登用をお願いしたいものだ。
岩手県前知事の増田氏、鳥取県前知事だった片山氏は、以前大臣経験もあり、清潔で政治活動も堅実に、大東京を収める資質を私は持っていると思う。

日曜の選挙速報は、出口調査で自民・公明が前回の議員数を確保できる予想だ。安倍政治への国防政策の反対や、アベノミクスの政策の成果は、低所得者や小企業への救済とはなっていない中で、まだ残りの3割が未だに投票の意向を決定していない。自分の生活を守る為にも投票行動をしないと何も変らない。


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2016
07/06

国に守られる金融機関 国民に優しいサービスを


熊本震災の支援活動が全国的展開となっている。震災から2か月が経とうとしている。東日本大震災も当事者となり、震災直後の全国の活動を知る事ができなかった中で、他の災害発生での全国の応援の活動を、現在の姿から感じ取る。

こないだは宮城県の印刷組合の義援金活動があり、親戚・知人も私たちの震災の全国の支援活動の恩返しで、熊本に資金・人的支援に取り組んでいた。今回は宮城県剣道スポ少協会で、県内の少年団への募金活動を始めていた。南三陸町の志津川剣道協会・志津川剣道スポ少から、町の活動助成金から熊本に少額ながら義援金を銀行から送金した。

現在の金融機関の書類の提出の厳しさに、私のような者は何度も書き直す事が多く、被災地の義援金の送金をもっと簡素化できないものかと言いたい。会社で書いて銀行で聞き、指示通り書いたものの、また書き直しと言われた。「めんどうだ! ここまでして義援金贈らなくても!」、そんな気にさえなる。
送金の先は県庁の銀行、名前も長いしおくりカナの数も多い。銀行の送金は無料としてはいるが、送金しやすい取り組みに欠け、被災地の団体の大変さを理解して欲しい。
ふるさと納税のネットでの申請は、できるだけ簡素化する事で、自治体への納税が増えた。お返しの返納品も多彩と、多くのアイデアで贈って下さる気持ちを考えている。
銀行の強権的な姿を見る。金融危機の銀行倒産の時代があった中で、公的資金の流入があり、0金利で内部留保も増えているのに、加入者への還元など何処にもないようだ。

昨日は社会保険庁に行った。「繰り上げ支給」の申請を決意して、生活防衛に一歩進めた。満額から「29%減額」ながら、これで助かる。大震災による経営は、お得意さんが減少し経営は綱渡りで、人口減少の中で他に収入先の確保は、家庭・身体など諸々の状況から、恥ずかしながらこの対策を決めた。震災復興でこのような家庭が今後、被災地では増加する気がする。工場の再開、住宅の再建が終わっても、借金の棒引きは無く、被災地の社会情勢を見通す事は私には出来なかった。弱小企業、衰退する町には厳しい現実が待っていた。「他人には迷惑を掛けたくない」が私のポリシーとしてある。
被災地支援の活動は今も続いている。昨夜も南三陸町で仮設生活者のストレス解消と笑顔を生みたいと、神奈川県から石巻を拠点として活動をしている方と会った。自分の人生は「悔いなく、やりたい事をしたい。」と言う。同じ考えを持つ人たちが5人集まり有意義な時間を過ごせた。
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土曜日に東大阪支部からの義援金は、被災し未だに元の状況に戻っていない、同業者との「友好支部」に、迷惑を資金負担を掛けたくないとの気持ちだった。「おんぶにおんぶ!」が現実ながら、被災地の産品購入が被災地支援との考えからだ。その繋ぎ役として自分達があると思っている。気仙沼に今年は来て交流会を持つ、お土産も買う、ホテルにも泊まり、どれだけのお金を南三陸・気仙沼支部に、東大阪支部の会員の皆様が落してくれるだろう。被災地支援に感謝です。みんながこんな思い出活動をすれば、できる範囲で行動すれば、精神的な震災復興は早くなると思っている。
まだまだ物質的な震災復興は進んでいなく。多くの問題が南三陸町に山積している。

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2016
07/05

伊里前の町が分散


初めて歌津地区の高台移転の「枡沢団地」に行って見た。管の浜の阿部石油の所からつづら折りの道路を登り、30mもの海抜を誇る場所に団地があった。
今年の3月の土地引き渡しで、56世帯の被災者の住宅再建が進んでいた。歌津地区伊里前の市街地は、高台の地区の至る場所に分散となってしまった。歌津湾の入り江に位置した町並は、近所も散らばり新たな地域へと変わった。現代の社会情勢も高齢化・人口減の中で、働く場も被災地にはなく若者が町から離れて行く。戦後の復興から高度成長があり、沿岸漁業の隆盛の時代も終わり、今後に期待できる物は少ない。
コンパクトでいいから地区民が肩寄せ合える町の形成が必要なのに、志津川から比べても歌津は広範囲な散らばりとなった気がする。枡沢団地は山の上と言った感じながら、多くの住宅再建が進んでいて、全体の半分が住宅再建が始まっていた。
何処の防災集団移転も土地の整備と確保が済めば、被災者はそれを待っているかのごとく、ハウスメーカーが建設を始めていた。
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志津川中央区も造成の問題が発生した物の、昨日通ると住宅工事が始まっているのを見た。7月末までの再工事期間ながら、終了した部分から工事が進んでいた。

町の人たちの世間話に結婚事情がある。「あそこの息子もボランティアさんと結婚したよ!」との話の多さに驚く。出会いの新鮮さと被災して頑張っている姿に、女性のあこがれが生まれたのだろうか。震災前のなかなか女性相手が町で見つけられない中で、町外からの人の流入は、互いに新鮮な意識が生まれ、結婚に至っていた。

私も独身、頑張って出会いを求めようか?

以前の自宅から10歩も歩けば、海・川に浸れた伊里前地区はもうない。海の町「南三陸町」はもう消えてしまったようだ。

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2016
07/04

河川堤防の効果と火葬場

ブログ7.4
町の復興計画の河川堤防に疑問を持つ。水尻川や折立川の河川堤防は海抜4m位の高さで川の護岸工事をしている。遠隔操作の町内の水門は全てが撤去され、一気に津波は川を遡るだろう。大震災の津波の到達域を超え、津波の被害が拡大する恐れを懸念する。志津川市街地は10mの嵩上げの為に、海抜8.7mの河川堤防の建設を止む無くさせた。
観光地を守る為の津波防災になっている気がする。6日の旧商工会の位置にショッピングモールの起工式が開催され、商工出身の首長の成せる技と勘ぐる。
JR東日本の「鉄路再建中止」は、交通網の整備をJRに肩代わりさせる、何時もの人の力による町づくりが、行政のやり方だ。病院の建設費の20億以上の再建費、戸倉団地の土地の楽天からの寄付、福祉モールのアメリカ企業の寄付、図書館・生涯学習センターの建設も、世界全国からの寄付によるものだ。私の知らない町への義援金が町にはある。町民は国の震災復旧支援により、住宅再建に取り組み自己資金で、元の暮らしを築いている。それに引き替え被災自治体は他人の力に頼るしかないのだろうか。
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南三陸斎苑の前に水尻川があり、現在写真のような河川堤防の改修工事が進む。地元の「阿部藤建設」のトラックが、忙しく動きまわっていた。河川堤防建設の為に斎苑へ続く道路の嵩上げが進み、仮の道路が建設され町の中の道路は、益々複雑になっている。
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2016
07/03

交流の輪で被災地支援


大阪府の東大阪印刷工業支部との友好支部の交流が昨日あり、昨日は7月1日の仙台空港の民営化の翌日に、出迎えに空港までいった。まだ、新しい開港の二日目、オープン記念の企画もあった。今後は現在の孤に・県の運営時の、1.7倍の売り上げに向け事業展開をして行く。
民営化となりLCCなどの格安航空の誘致、国際便の増加や離着陸料の値下げなど、インバウンドや国内観光客の集客に、新しい体制で今月から取り組む。南三陸町への台湾からの観光客も、新しく航路や便の増加により、友好都市としての発展・集客が期待されている。
今回の交流活動は、友好支部への義援金の贈呈で、その他に東大阪支部への活動イベントへの、南三陸からの商品として、志津川産の銀サケ(伊達銀)をお願いに来た。また支部長の知事への銀ザケのお歳暮注文だった。
銀鮭の関西圏の販売が原発後の風評被害で伸び悩む今、こうした大阪の印刷友好支部の銀ザケ購入や、すごく大きい・美味しいとの口コミが、消費拡大に繋がっていると私は思っている。明日にも3Kクラスの銀サケを、お頭付で「刺身用」「焼き物用」に捌いてもらい、発送を明日お願いする。今回は合計6本ながら継続しての需要が、銀鮭の販路や需要の一役を担う事を期待したい。
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今後も8月のビアパーティーで気仙沼・南三陸支部支部長賞として、志津川産の銀ザケを考えている。今回は友好支部の気仙沼市の会員さんに商品をお願いする予定だ。
また、10月の福島全国印刷文化展にも東大阪から8人の会員が、福島県郡山に来る。その翌日に両支部の会員が、気仙沼市のホテルを会場に交流会を開催する。翌日のお昼には相互の交流会の常宿の「コクボ荘」さんで昼食を予定している。永谷支部長が「素晴らしい御馳走」「女将のお話」など、多くの気使いとおもてなしを楽しみにしている。

卸町の卸町会館(サイフェスタ)での、ソフテック東北には、東北六県ならず全国の関連機材展だけでなく、新たな印刷業の販路拡大に県外の会社も出店していた。多くの印刷業のセミナーにも沢山の印刷社員が参加してした。

展示会・セミナーを終え、仙台東口に行き新装となった「エスパル」を見に行く。若者でごったがえす多くの店舗には、オープンしたばかりとあり、総ての施設が埋まり、何処の店もいっぱいだった。仙台の商店の品々も新たな進化を遂げ、老舗の蒲鉾店・牛タン店・銘菓店も健在だった。
一局集中の現実を目の当たりにした。今日は志津川ショッピングモールの起工式で、町に残った町民にも、新たな商店街の起工式の再建の姿を、見て貰う事をすれば良いと思った。「町の再建を一緒に!」とのメッセージともなり、もっと公開し復興事業を催すべきと私は思っている。
昨日の三陸新報に2015年の南三陸町長の所得が公開条例により掲載されていた。広域事務組合の副組合長の報酬と合わせ、「約912万円」とあった。意外と低い事に驚いた。

またテロが発生した。ジャイカの職員がバングラデッシュで7名殺害された。死者は20人の外国人と言う。人質として拘束され、殺害され写真がネットで流されると言う、過激・非道なテロで、防止への政策が先進国が一体となっても解決が出来ない事に、空しさと人間の闇の部分を感じずにはいられない。

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2016
07/02

地元にお金を落とす しかし、会社の仕事は

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昨日は1か月ぶりで本吉町まで行き、クリーニングにワイシャツ3枚お願いした。4日ぐらいでできますと言う。25分も会社から掛かり、細浦の用事のついでに足を伸ばした。歌津地区の伊里前地区の嵩上げは進んでいるようで、実感は薄い。小泉橋の橋脚は6本も見上げるような、構造物とその高さに圧倒される。
気仙沼市本吉町も復興は進んでいるようで、6年目を迎えても被災地の現状は同じのようだ。しかし、10年間での復興は決定し4年9か月で完成を目指す。
帰ってから「さんさん商店街」で、布団のシーツと味付け海苔をかったが、来客がめっきり少なかった。週末の金曜午後3時、まだ来町者があっても不思議ない。マルセンさんにも寄り「チーズ揚げかま」「とりから揚げ」「カツオの焼き物」を買い、食卓を飾ろうと思っている。
商店街は今年の12月まで営業し、29年3月3日の「町開」を目指す。近々用地の着工式が催されると言う。年内には観光交流拠点の工事が完成し、入居する商店がその準備に入る。
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水尻川が河川堤防の建設で大きく変貌していた。菩提寺の「大雄寺」さんの紫陽花が見ごろとなっていた。杉の大木と本堂、参道の杉も何も無くなった場所に、神奈川の鎌倉からの紫陽花の植樹支援は、第一弾が今咲きほこっていた。まだもう一方はお盆頃に開花するのだろうか。初盆・回忌法要・墓参りに来る檀家の心を少しでも慰めてくれるだろう。

今日の気仙沼のニュースで、「木質バイオマス」を気仙沼の企業が、近海漁船の漁船係留場所の前で始まっていた。
ドイツのバイオマスのプラントは、7千世帯の家庭の発電をする。燃料は木材のチップや間伐材を燃やし、不完全燃焼させて出たガスでタービンを回し発電する。三陸のリアスの森の再生にも一役かい。リアスの海沿いに迫る森林の活用ができ、新たな若者も気仙沼に帰り、先祖の林業を始めると言う動きもみせている。
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南三陸町にはアミタの生ゴミの収集による、発生ガスの発電があり、農地への液肥の活用、汚泥の固め別な友好利用もしている。震災となり自治体の「バンオマス発電」「太陽光発電」など、自然に優しい発電に何処の被災地自治体は取り組んでいる。

そんな中で女川原発の再稼働へ、国は進んでいる。東北電力の総会でも「原発廃止」の意見で、総会が紛糾した。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 05:56 】


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