ARCHIVE - 2016年05月

2016
05/31

新しい町づくりから町民がまた減った


町に移転の意向を早期に伝えた町民が、また、登米市に三世帯家族が移転した。町で一番守らないといけない子供達ながら、手厚い子供達を守る手立ては、「教育の補助」「クーポン券」と言う、お金だけだ。必要なくは将来への希望と活力を与えてくれる政策だと私は思う。
気仙沼市の住民再建支援を見ても、土地の借地料は一年間「1万円」たらずなのに、我が町は「月5~6千円」で、年間に7万で、10年だと70万円を必要とする。子どもの成長期間の20年間で、どれだけの投資が子どもに必要かを見れば、生活費の負担削減だけでなく、町民の自律による生活を目指せる対策をと思う。

日曜に志津川市街地の旧本浜町に今の状況を見に行く。防潮堤の8.7mが南町から本浜町まで完成していた。防潮堤の上に架かる「曙橋」も白いベールが取られ、巨大な構造物が出現していた。今は防潮水門が撤去され、子どもの時から見て来た姿はそこにはなかった。「大丈夫?」と再度の津波襲来を不安視する。
政治家が今回の消費税の「2年半の引き伸ばし」に対し、100年に一度のリーマンショックや、千年に一度の東日本大震災クラスの災害が発生すればと言った事を思い出す。世界的な中国の減退や社会不安からと、今回の総理の決断をしたと言う。地球は勿論、世界経済も生きものである。気候の大異変の中で大災害を「千年に一度」の大災害と、想定に多くの甘さを感じる。南海トラフの発生の危険度を、軽んじている発想が伺える。現在の大災害は繰り返されその間隔を縮め、発生している事を把握していないのだろうか。巨大な地震・津波を体験した被災者じゃないとその恐怖は解らず、政治の机上の論理から被災地視察はしても、理解はできていないだろう。
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観光客の流れを世界的な状況から見る。日本全国での観光客の誘致合戦があり、消滅都市と言われている自治体の、移住促進対策はもう既に数10年前から取り組んでいる。
人口が減っているからと総合計画の中で、「子育て支援」「移住対策」を進める町は、移住者から聞き取りの会議をしていて、移住者は住む場所が少ないと言い、民泊の増加を図っている。
住宅再建の計画が遅い為に、再建支援が薄い事を棚に上げ、限られた人達や事業の再建者から、税金を少し上乗せする政策で、自分たちの報酬を確保しているかの政治が自治体で進められている。
人口の流失歯止めを震災直後から行政が、住民の意見を聞き、国・県主導ではなく、町民の意向をもっと大切に、震災復興や町づくりに取り入れれば、4千人以上の死者と町民の流失はなかった。高齢化率は県内で9位となり、町民100人の内に「33人」が65歳以上となり、今後も高齢化は加速し、何処から税金を取って行くのだろう。税金の高い町に町民の定住難しく、移住者のみへの生活支援とはいかないだろう。また、町の政策の失敗の姿が見えてくる。町の管理職の先頭者への忠告や提案がなさなれないままで、このまま進む事で町の繁栄は厳しい。
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2016
05/30

6年を迎え何か違う住民の意向


昨日はブログの更新が午後4時半ごろとなった。多くの行事と志津川市街地の整備状況の遅れの空しさから、「ブログを休むか」とさえ思う気持ちが働いた。「継続は力!」との行動の信念を変えたら、震災に負けた事になるとの自分の思いから、遅くなっての更新となった。
歌津からの帰り「清水地区の高台造成地」に初めて入った。先々週の日曜も入ろうとしたがバリケードがあり断念した。6年目を迎え既に工事が進み建設途中の住宅が見られる事を想定していたが、建築材料が1区間だけにあった。造成地には電柱が立ち、土地には黒いチューブも見られた。水はどうかと言うと見た限りは判らない。
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これまでの各地区の高台整備に関しては、土地造成引き渡しが成されると、直ぐに住宅建設の行動が見られた。しかし、清水地区のこの姿に、6年もかかった造成に、被災した住民も再建に対する、強いエネルギーが無くなっていると感じる。高齢化と仮設の生活に慣れ、「どっちでもいい」との考えも芽生えたのかと予想する。約37戸?の被災者が希望となったが、以前は50世帯を超える希望が意向を示した。震災前は100戸を超える住民が住んでいたが、若者は去り、直後の希望の数から多くが、意向の変更となり、何度も行政は募集を掛けているものの、変化は聞こえて来ない。眼下に広がる以前の集落の変わりようは、希望を与えてくれるどころか虚しささえ感じる。国道は高く整備されるが、並行して進む高速道は当分無料化となり、観光客も近隣の住民も高速を通過し、地元の数百人が通るだけの地区・国道にならないか心配だ。いったい誰の為の震災復旧で、費用対効果はどうだろう、町をどれだけ潤してくれるのだろう。
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昨日は「うに開口」が志津川・歌津であり、知人がいつもの初開口のお裾分けを持って来てくれた。海水の中にうにを浮かべたタッパ、鮮度の維持を図る形でいつも頂く。昨日の市場でも復興市で販売され好評だったと、朝のラジオは伝えていた。

政局はサミットから安倍総理の強硬姿勢が倦怠した。消費税の増税を「2年半」の延期とした。以前の消費税解散で「1年半後」に消費税を上げる事を公約で大勝した自民党ながら、麻生大臣・谷垣副総裁は総理の発言に、延期なら衆議院解散で再度真意を国民に問うべきと話す。しかし、総理は同時選挙はしないと言う。最近は日本総理大臣の発言が軽い感じがしてならない。これまでの自民党の総理は意見を貫き、「失敗しても」自分の意を通してきた。自分の保身の為の方向性が何度も撤回する姿に、国民の不安は増大し、将来の不安が国内の事件を増幅している気にさえなる。
日曜討論の与党の代表二人の発言に、いらいら感が募った。政権交代の気風があるものの、今の野党の姿にも期待は薄く、「まだ自民党の方がましだ」、こんな考えを国民にも考えるだろう。

我が町の政治も、枡添都知事、宮城県議長など、全国で議員の在り得ない事件が多発していて、議員の資質の低下は、何もしなくても報酬がある事に起因している。成果性報酬となれば皆が一生懸命になるのだが、それを決めるのも議員である。

空しい日本の政界と地方議員の実態となっている。そんな中で熊本地震の自衛隊が被災地から撤退する。「自衛隊さんありがとう!」と言う声が聞こえてきそうだ。

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2016
05/29

暇な週末 行事盛りだくさん

ブログ5.29
写真は「ハスの花」の笑いヨガのポーズです。神奈川から被災地への支援の活動と言い、スタッフ6名と、志津川・歌津仮設生活者にも声を掛け、気仙沼市本吉町小泉の「公民館」を会場に、30名の参加の中で、みんなで笑いに寄る体の運動をした。「笑い」を取り入れ、声を出し身体を動かし頭を使う「ラフターヨガ」を私も体験した。
写真撮影と取材で参加したが、皆さんのラフターから笑顔が自然と生まれた。掛け声は「ホッホー・ホホホ」「ヤッター・ヤッター・ヤッター・イェイ!」「ハ・ハ・ハ!」と、スタッフの笑顔での指導で参加者も、「笑いヨガ」の世界に浸っていった。
「グ・チョキ・ハー」を使ったヨガから、互いに向かい合い特別なじゃんけんで勝った方は、手を上にして声を出し若い、負けた方はしゃがむ。体の動きと呼吸と頭の運動があり、身体の動きだけでなく頭を使う事が、被災者で未だに仮設で暮らす高齢者には、健康に良いとのヨガ活動だった。
町の高齢者は仮設や施設で大きな笑いと運動は無く、生活に密接する笑い・運動と共に集まりゲーム的なヨガは、仮設で6年目を迎える高齢者には、絶対必要な事を証明してくれた。写真のハスの花のようになる頃は、互いに皆が手を繋ぎ笑いながら体を動かす事の、生活には必要な事を証明してくれた。1時間が経ち、皆が休憩する「お茶の時間」も準備した。
偶然にも一昨日の健康番組で、自分の事を生活の為に体を動かす事が健康に大切で、高齢者がボケたり動けなくなる事を予報する為にも、簡単で大切な事であると医師が説明していた。特別な高齢者の運動ではなく、「普通の生活できる」という事は、いつでも予防対策ができるという事で、そこに笑いも取り入れ、もっと健康には必要な事と私も思う。
今日も病院に行くと、そこには笑いもなく、身体を動かす事が不自由になり、生活機能の低下が「ボケ」に繋がる身内を見る。
代表の内藤さんの行動力には頭が下がる。「被災者のみならず皆が幸せになる為の活動」と言う。多くの被災地での支援活動があり、今度は石巻のサンファンバウテスタ号の会場で、「綱引き」や「F1グランプリ」を、8月の13日に企画している。少しでもいいから、また支援のおもてなしとして手伝いたい。「来年は南三陸町です!」と今後の活動を話してくれた。
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今日は朝6時半から、地区のゴミ広いと草刈りが沼田行政区全域で開催された。今年で私も2年目を迎えた、7時半からは志津川工業団地の花壇の植栽があり、国道45号を通過する方々の気持ちを、色とりどりの花で和ませてくれる活動にも加わった。。
また、9時からは中体連の剣道大会が「歌津中学校体育館」で開催され、スポ少剣道の中学生の活動を見に行って来た。その後に清水団地と旧漁港の本浜の今を見て来た。灯台の旧南町の「カキ剥き場」のあった所も、津波で土地が流失したものの、漁港の整備が終わり、海岸に配置するテトラポットの製造現場となっていた。

向かいの新漁港の新市場の方から「復興市」の音楽が聞こえてきた。山内会長は「やっと漁港も出来た」と挨拶で述べていた。南三陸町の住民にどれだけのプラスになったかは、多くの疑問を感じる。「震災特需」のメンバーは、笑顔と旅行など、仮設で暮らす被災者には、そんな余裕は何処にもない。

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2016
05/28

広島の被爆者の思いが伝わり 大統領の慰霊の姿に涙


サミットのG7会議が薄れる、今回のオバマ大統領の広島記念講演の訪問と演説があった。私の時に「核廃絶は実現できなかった」と言う、今年の700個の核爆弾処理があるものの、世界には15775個の核爆弾がある。東西の緊張を均衡化する為にも米国の核の根絶はできなく、世界が一つになり核の恐怖を互いに確認し、世界が「核の無い世界を!」を目指さないと核撲滅はない。
広島県民の思いはもう謝罪の言葉か必要ないと、米国大統領の立場を理解した大人の発言に始終した。米軍の捕虜がいた広島であり、米国の被爆者の調査をしている森さんは、オバマ大統領の訪問に対し、「温かかった、友達のおもてなしをアメリカから貰った。」と、感謝の言葉を語った。
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被災者支援の、(笑いヨガ)ヨガ教室が気仙沼市小泉公民館である。「参加者が少ないんです、来て下さい。」と朝一で電話がきた。今から参加し、帰ってから2型糖尿病の診察で、お昼前には病院に行く。間に合うがギリギリの行動が、今日もまだ続く。被災者支援の方々への「おもてなし」の心、私も行動しないと!


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2016
05/27

国と県の再建計画


昨日の夕方に村井知事の被災地の視察がヘリコプターで実施され、南三陸町の嵩上げや高台の整備の姿が空から写し出された。そんな時の村井氏の言葉に「三陸道の整備が大分進んでいる」とあった。この言葉ばかりが脳裏に残っている。
前日の新聞に南三陸町「防災庁舎」の保存に、補修費が8200万円の方針がだされ、10月にも本格的工事が始まると言う。現在は防災庁舎前には河川堤防の盛り土が置かれ、震災前の行政の池も無くなった。河川堤防は底辺が防災庁舎の下まで来ている。八幡川の下までコンクリートの法面が川底まで整備され、自然の人工化が進む我が町。他に無い町づくりは「自然を破壊し人間の力を鼓舞する」と言った感じで、この方法で消滅した市街地の再生を図っている。
昔からの地形と自然を大切にした町づくりは、石巻の再建計画にあり、自然を大切にする有名な設計家が代表として町再建をしている。大きな市街地の変化はなく、石巻中須の再建案をチラツと見たが、自然・地形へは大きな開発をしていなかった。旧来の生活の姿を守り、大都市の再建を目指していた。
知事は気仙沼市の「フラットゲイト」の採用をしないと明言した。確実に施設と人命を守る事が大切とその理由を話す。フラットゲイトは津波の力を利用した水門ながら、高さに限界がある。気仙沼市は5m位の波が市街地を襲ったが、それぐらいの津波の一次防衛でしか無いようだ。市民は観光地としての景観にこだわった対策に、この津波防災を提案したのだろう。曲がった目をすれば、防潮堤建設への建設会社の配慮とも感じる。国費を投じて防災体制の整備は、今なら当然と国民の指示も得られる。政治家の思惑など私には知るよしもない。
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志津川地区の嵩上げの山根・新井田地区風景と、新井田川が無くなる姿に寂しさを覚えた。子供の頃には、アユ・ドジョウ・トンボが沢山いた川は、天王山側に付け替えとなり、昔の自然が元に帰るまでに、数十年かかる。昔から引き継がれた自然の風景が無くなる事を、これから、その決定が「良かったか?」は住民が、計画を推進した方に住民の意見ゃ投票で訴えるしかない。町ができ自然を破壊して、人の住む場所の確保がいかに自然との共生のない愚かな事かを。

昨夜は新たな小学生のチームの5名の顔合わせをした。がんばれ「くろしおっ子」。

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2016
05/26

昔の仕事と時間に追われる 苦しむ事を今も夢見る

震災前の「高光商店」「アベロク」「ヒロタ」さんの当時を支えてくれた仕事を思い出す。デザイン・作業・印刷と総ての工程を一人でし、新聞折り込み店まで配達していた。後、12時間・残り4時間・30分と、折込時間までに追われる姿が、夢ながら再現される。嬉しい悲鳴ながら、仕事に追われた40代前後の頃だった。経営力も乏しく一生懸命に働き、会社を守る事に自分生活や時間を全て捧げた時だった。
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最近は各種総会が続いている。印刷組合の総会から、町の体育協会・商工会が昨日あり、今日は町づくり協議会が夜にある。総会前の理事会の開催もあり、五月は多忙を極めた。剣道では郡連の総会があり、新しくスタートするスポ少の総会にも初めて参加した。町に会に参加する人が居ないのが現実で、総でも同じ人が当っている。震災から五年住民は本格再建の時期を迎え、人の事などしていられないが本音だろう。

生活は大震災から大変だったけど、政府の弱者支援の政策の希薄な中で、税金が上がり南三陸町民は大変と言う。まして高齢で無職・農家・漁業をしている町民の生活は、「厳しい!」の一言だろう。
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気仙沼市の教育長の白幡先生が70歳で後任の齋藤氏に、2期8年の任期を終え退会した。後任は以前に教育委員長だったと言う。昨年の教員委員会改革で、教育委員会の委員長を廃止し、教育長一人体制とする議案が可決し、初めての教育体制で教育環境の充実を図って行く。白幡氏は私が志津川高校時代、22歳で物理の教科の先生だった。私が卒業した後で教頭として再度志津川高校に来た。その後で気仙沼に戻り高校の校長を経て、気仙沼市の教育長として、震災後も子供達の教育や学校の統合問題に取り組んで来た。地元の地を知り尽くした地元出身の教育に精通した人材の登用を図った気仙沼市。現在の教育委員会の今の体制に、町民の一人として、行政の人材の登用に疑問がある。自分の思い通りになる人材の登用が、今の行政にある気がしてならない。

こんな事を考え、今日も夜の剣道スポ少の小学生の指導に行く。

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2016
05/25

歌津地区の再生に加速  やっと!


この時期の恒例の田束山へのツツジ狩り、自宅から25分と時間を計ってみた、到着して最初に撮った写真です。リアスの海岸が眼下に広がる素晴らしい景色とはいかなかったが、薄らと泊崎と志津川湾らしき光景を確認した。ツツジの群生はもう終わりに近かった。展望台までの道路は通過するのが不安だ。道路は狭く交差する事が無理な場所もあり、譲り合いの心が試される場所でもある。ツツジが終わってもリアス海岸の眺望と、田束湖がありダムもあるが、観光地としての整備が進んでいない。CIMG8118.jpg
帰りに歌津地区の伊里前の高台の一つ「中学校裏」に回った。友達の住宅はまだながら、ボツリボツリと住宅再建が進み、「先負」ながら上棟式へと人が集まっていた。伊里前保育所が再建され、歌津地区の子育て支援拠点がここに整備されていた。大震災の津波で被災しながら5年間も、被災した施設で保育活動を続けてきた。新しい地域のコミニティーがここで生まれる。
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今日は朝6時半に仙台の大学病院に向かう。専門医科の揃う病院を選択し紹介してもらい、定期検査ながら片道2時間15分は掛かる。しょうがないね。

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2016
05/24

南三陸町で何かが起こっている  子供たちの生活は大丈夫


母の入院申請を昨日に終えた。震災後に米山の志津川病院、南方の介護施設、荒砥の施設、岩手県前沢の施設の病院、石巻の仙石病院、そして今回の新設した「南三陸病院」での入院となった。病院からは写真のような海が見え、60年以上も暮らした志津川にとって、無くてはならない風景が広がっている。「いこいの海・あらと」からの部屋からも、体育館ごしながら志津川の海が見える。寝たきりの母には見えないが、窓を開ければ昔ながらの潮風の香りがする。
震災五年、私の4度の入院・手術、母の繰り返し体調維持の為の入院があり、会社再建・住宅の確保や多くの書類作成、よくもここまで歩んで来たと振り返る。全国からの支援の声と、家族・兄弟の支援があり、今の暮らしがある。議員活動・スポ少活動・印刷組合活動など、大変だったが苦しい事を乗り越えてきた爽快感を覚える。今日で私も60歳の大台に入った。
熊本地震の被害額が「4兆5千億円」と発表された。過去の地震災害の一番は東日本大震災の「16兆円」で、次いで阪神・淡路大震災の「9兆9千億円」だったと言う。地震大国の今後の被害も発生を予想する。また、東南海地震を予想する地域、長崎から千葉までの海溝に「歪」が拡大していると、調査結果が伝えられた。この地域の地震の連動で大津波の発生で、32万人の人命が失われる。常々、対策を家族が一つになり、いざと言う時に備え話し合う事で、私たちのような悲しい結果を少しでも軽減できる。
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先週末に南三陸町立戸倉小学校の運動会が、震災後に初めて新設となった高台の学校で開催され、子ども達とその家族の笑顔がテレビに映し出された。地域の再構へのスタートとなった。戸倉団地も震災後の整備戸数から、1~2割の減少の中で住宅再建が進んでいる。「こんな素晴らしい地区にまた戻りたい」と思わせる、地域の再生が求められる。皆が地区を守る心を持ち、家族・親戚が「生まれた地域を継承する」、こんな同じ考えで地区民がこれからを歩む事で、地域の願いが叶う。
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日本の昨年の出生率が「1.46」と前年を上回った。政治家はこれを景気が戻ったと言う。一生に子供を産む数だと言うが、町の出生率目標を「1.40」としているが、ここからも難しい数字と言う事が判る。第二子の誕生年齢が「30.7歳」だと言う。高齢化・少子化の問題はこんな事からも理解できる。婚活事業を始めようとする私には、絶対に取り組む活動と、前途は厳しいだろうが価値はある。
子どもの誕生が「63万5千人」と過去最低で、9千組? が結婚した。晩婚化は昨年と同じぐらいながら、男性は「31.1歳」で女性は「29.4歳」となった。日本の人口減の歯止めは更に厳しい。
大人になれない常識を知らない若者が、バーチャルやネット社会の思考だけが、ゆがみの中で増幅している。20歳の夢多き女性が、その夢の途中で27歳の男性に20カ所以上もナイフで刺され、現在ベットの上で戦っている。自分の思いが叶う事など無いに近いのに、たった一つの思いが達成できない事で、人のせいにし刃を向ける行動を、私は何故! と言うしかない。

60歳還暦となり日々を、一生懸命にのんびりと生きる事に務めたい。

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2016
05/23

みなさんは先祖に恥じない生活をしていますか


ひさびさの何も無い一日、先祖に現在まで暮らしと、我が家の現況を報告をしてきた。
同級生の慰霊の塔婆から、南三陸町志津川市街地の半分を望む。ここからは震災後の変化は盛り土が被災地に盛られているだけだ。ここには多くの建設企業がひしめき、ここに不正や利権の渦があると、政治通の人たちは話す。私には計り知れない事です。
母の体調が「母の日」の以降にすぐれなく、昨日は母の誕生日だった。決めていた昨日の行動ながら、我が家の墓所は土葬の時から母とお盆の墓参りを続け、かれこれ50年は続けている。私の半世紀の墓参りの半分を共に、先祖への感謝と畏敬の念を私と母は、決して忘れないで生きてきた。
菩提寺の墓地にも整理された墓地が見られ、津波など震災後の新たな暮らしで町を離れ去る事を余儀なくされた結果だろう。だが、私が合掌を来るたびに行う所は、今もしっかり家族が来ているようだ。法名碑には先人たちの歩みが刻まれ、誰もいない墓地なので、じっくりと逝去された日と名前と年齢に、遠い日の在りし姿の思い出に浸った。私は良い時代を生きて来た事を再確認した。
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何も知らないまま、両親の後を追い生きて来た事で、人間の裏側を知らない事が幸せだった気がする。年を取り世の中を知れば知るほど、生きる事に空しさを感じる。
高校下のクランドゴルフ場は、土地の圃場工事の会社の計らいで、一時期、高齢者の為に練習場として、交流や健康の為に解放していたが、2年目を迎え、復旧工事の遅れが町づくりの支障とならないように、工事が始まっていた。中瀬町地区の家々が立ち並んでいた場所も、農地としての土地の整備が広大に進み、生まれ変わっていた。気仙沼線の内陸側は、総てが被災地で人が住む事ができず、農地として生まれ変わる。大型農業が実施されるのだろうが、いったい誰がするのだろうか。ここにも将来への計画への「机上の計算」があるのではないかと思う。
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震災後の5年は何をしたのだろうか。土地の嵩上げと高台の住宅地整備なのだろうが、町民は本当にこれでイイと思っているのだろうか。歌津地区は5.5mの嵩上げで、志津川地区は10mの嵩上げなのだが、日本列島の地核異変は世紀末の様相を見せている。過去にない大規模な復旧工事は必要なのか。必ず再度津波は来る。
近年の町を襲った津波は昭和35年5月24日の、5.4mのチリ地震津波で、58年ぐらいが経つ。南米チリの地震からの津波で、23.3.11の今回の津波は海溝地震で、そう遠くない時期に再度また発生すると私は予想する。町の海岸線の8.7mの防潮堤は力を発揮するだろうが、多くの物は再度被害が発生するだろう。今回の津波から何を得たかは、自然の力の想定出来ない現実だったのに、ハードで自然とぶつかる事の人間の無力さの中で、再生できる力こそ人類の真の力だと私は思う。早期の震災復興計画で、町民の生活再建で新しい生活環境を整備する事を描かなかった。大震災の再建の在り方を、これまでの先人達の再建方法に習えば、再度の残った町民たちで図れば、町の繁栄に再び繋がった。そんな事を考えた一日だった。

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2016
05/22

志津川漁港の大きな船に将来の担い手に町の未来はありそう


震災前には小舟が係留される姿を見たが、現在は中型船が漁港にひしめく光景に将来の可能性を賭けたい。
政府の実施する「高齢者給付金3万円」が、現在進行中で進んでいる。65歳以上に政府が生活支援で3万円を配る。夏の参院選が6月22日の告示で、7月10日の投票が想定されている。与党が過半数を保持し、選挙対策として投票者である高齢者の票を取り込む目的の政策だとしか思えない。そんな中で「安保法案」「消費税10%」への、国民の考えが選挙で問われる選挙だ。
今日の「報道2001」「日曜討論」で、世界の消費税を考えても日本は低い水準と言われ、日本の税金課税にその問題がある。個人所得が低い状況を打破する為にも、企業への課税が世界よりも高いからと言う。企業への課税を減額し、企業の税金の減った分を給料に回せば、世界の国の消費税と同等となれば、現在抱える所得格差が解消されると言う。所得が増せば結婚をできる環境が整い、子どもをつくりたいとの家庭も増えてくる。何処でこの方向性を取れない障害となっているのだろう。
タックスヘブン(租税回避)が、パナマ文書により世界の報道記者たちが現在分析している。命を狙われる覚悟の上で、合法な企業の税金対策ながら、大企業が利益の確保の為に取り組んでいた。
タックスヘブンの日本企業の租税回避額は、5~8兆円とも言われている。消費税1%上げると「1兆円」の税収とも言われている。今、国が抱える問題に、「待機児童問題」や「介護士不足」があり、社会保障が年1.5兆円ずつ拡大している。租税回避の額を国庫に納めれば、保育士に6万円の給料増ができ、介護士にも5万の増額ができる。
国民の労働者の半数が平均所得400万円以上と言う。地方はどうだろうか、私は正直な所「216万円」で、源泉徴収で所得証明が出される。高齢者は厚生年金だと月約16万円、国民年金だと月約4万円だと聞く、年齢は88歳ぐらいながら、生活して行くだけで大変なのは判る。働く若者が居なくなりつつある南三陸町での財源確保は、厳しい人口年齢世代構成の変化の中で、対応できる政策は成果が出ていない。
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志津川本浜町の地域に伝わる「七福神舞い」の保存を、本浜地区の解散時に若者たちが「再建を目指したい!」と話していた。行政区の通帳残金を住民で配分し、2万数千円ながら、その一部を七福神舞いの再建に寄付したが、その再建の姿はどこにも見えてこない。大震災から数か月の事で、地区民も町での自己の再建に夢見でいた頃ながら、その夢の実現の希望も消失してしまった気がする。若者たちの力だけでは難しく、旧地区民もバラバラになり、多くの問題の中であの頃の地区の賑わいの復活は厳しい。
多くの町内の団体は、全国の支援団体の寄付を頂き復活しているが、その気持ちが一つになり、活動をしないと伝統文化の継承・復活は、地域民がまた一つにならないとできない。残った地区民も高齢となり、どこに存在するか旧地区の活動の場が見えない中で、何処で何かをする事ができないのが実情だろう。

今日は10年前に逝去した叔母の法名碑に、先々月にやっと法名を刻んだので、それを確認しにお墓参りに行って来る。晴天に恵まれたので、菩提寺「大雄寺」の墓地から、志津川湾の荒島を望んできたい。また、南三陸町歌津の田束山のツツジも満開と言う。人の少ない明日にでも見物に行ってきたい。皆さんは今日にも行って下さい。

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2016
05/21

母の愛に包まれて


写真の観音様は亡くなられた全ての町民の方の母に似ている。
全ての人達は母の胎内に宿り、父と母の二人の偶然の結び付で生まれ、世に誕生し二人の人生よりも、もっと幸せにと願いを込められ生きて来た。私は幸せでした。

近所トラブルや家族の問題で、命を奪うまでの憎悪となり、惨たらしい事件が今発生している。近所にも兄弟とも距離を取り、私は今の生活が私にとって最高と思っている。
盛岡の奇想天外な事件に驚く、二人の間にどんな問題があったのか、人生の最後としては在り得ない。弟の自宅が火災となり、同時に兄が自宅の庭で撲殺され、家の中では弟が焼死で発見された。弟が携行缶とガスボンベを車に載せ、乗りつけた兄の家の前で大炎上した。二人の年齢は私の兄弟と同じぐらいだった。いったい何が。
近隣トラブルでは一階二階でのトラブルで、拳銃により二階の住人をチェーンロックの状況で射殺し、警察に「今から自殺」すると電話を入れ、頭部を撃ち抜き自殺した。当人は以前暴力団員で、ピストルを所持しての事件だった。
もう一軒は階下の住人が、二階の音がうるさいと、ハンマーとナイフで隣人の母と娘を襲い、子どもの母親は死亡し、母は命だけは取り留めた。二階の子供の「ドンドン」とする音がうるさいと、苦情が何度も繰り返されたという。何でそんな関係で引っ越しを考えなかっただろうと思う。人は異常・病気になると怖い動物である。

こんな事件は他人への優しさを欠いているものだろう。兄弟間もあえて離れている事で問題は発生しなく、兄弟個々が兄弟に干渉せず暮らす事が、兄弟喧嘩を防止する事に繋がる。しかし、両親の高齢化の問題は兄弟が多くの場面での、話し合いが必要となる。私は両親の終末は自分が全てを取り仕切ろうと思っていて、両親の財産は私が借金と共に引き継ぐ、家督としての当然の事ながら、殺伐とした時代、遺産が事件の主題にのぼる事も多い。我が家は遺産と言う物は皆無に近く、私を含め何とか人に恥じない人生だったと言える、生活確保の資金しか残らない。こんな千葉家の最後を想定している。

兄弟の最後の相談は、仙台で暮らす兄の気仙沼の会社からの移動の時で、さんさん商店街で三人で酒を酌み交わし、これからの事を話し合った。兄弟はこれくらいの距離が丁度良い。今後は両親を送り出す役目は私にあり、兄弟は私のやり方に習ってもらう。

自分の最終末へ、今日ものんびりと暮らす。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:22 】

2016
05/20

雑草のように強く輝きたい


向かいのコンビニに野菜袋と納豆を買いに行く。10時半ごろには工事現場の方の人並も減少し、店を歩くにもレジの行列も無く、私の体調には買い物がし易い。買い物帰りに擁壁のコンクリートの間から草が、精一杯の力で生きようとしていた。厳しい環境でも自然の力が発揮されている。しかし、5年も避難所と仮設生活、終の棲家までの苦悩は、余りにも長いだろう。雑草の命は一年で、人は良い環境の中で平均寿命も世界一となるものの、狭い過酷な環境の中での長い生活は、寿命をちじめているのは間違いがないだろう。
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昨日は初めて移動となった「防災庁舎献花台」に行った。ここには震災後の町の姿を全て見る事が、この写真から伺える。
震災の津波により防災庁舎で職員・町民が亡くなった。東京レスキューOBの方々が絡まった瓦礫を取り除き、今の姿となった。
気仙沼線を諦め、「BRT(高速バス輸送システム)」が町中を走る。
防災庁舎の後ろの山は、土地造成や国道整備・三陸道などの残土が高く積まれている。しかし、ここには「復興祈念公園」となり、この山の土は全て撤去され、祈りの場が整備される。だが、未だに亡くなられた町民の「慰霊の碑」は、まだまだ先のようだ。これで良いのだろうか? 
亡くなられた名前は、歌津地区の「追悼の丘」と「津龍院」の石碑に、地区の震災死の名前が残されているだけだ。
女性参画を推進する「ジョネット」のトレーラーハウスが見える。被災地の女性の経営者としての技能を習得し、女性の活躍で町の復興の支援ができるように、ここを拠点として活動を続ける。
このトレーラーハウスは、町長が支援物資だった物を、個人的に自宅の家に置いて、メディア対応していたと言われている。こんな事もあったが、皆さんは忘れているだろうが、私はこの身勝手な震災後の行動を記憶に留めている。被災者が苦しみの中での行動だからだ。

枡添さんの「セコサ」だけが、メディアで毎日のように暴露されている。二度の離婚と三度目の結婚で、子どもさんも二人いて生活費が掛かのだろうと、元都知事の石原さんが言っていた。お金への執着の姿に都民はがっかりだろう。言う事とする事の大きなギャプを感じ、平気で正当性を話す姿に惨めささえ感じてくる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:40 】

2016
05/19

保証人問題

「保証人で困ってます」との電話が突然来た。7月・10月から町の災害公営住宅が完成入居が、志津川地区で進んでいる。
行政は住民の生活の場を確保するために、「入居申請・希望を早く出して下さい」と震災後の一年たたない頃、被災住民に話し、土地・住宅希望を取った。被災者の「早く生活の場を!」とは裏腹に、志津川地区は震災から5年目を迎えた今となり、少しずつだがその希望が叶いつつある。5年の間には「もう待てないと!」と、住民の希望も変化し、町の整備から希望申請を取りやめる人が2割以上にあった。対策の遅れは更なる人口減少と高齢化を生んでしまった。土地の整備にも変更が続いていた。
災害公営に入るのには「保証人」が必要と言う。町営住宅とは少し違い入所の規定が厳しく、「所得証明」なども保証人提出も必要と言う。私も以前、義理の叔母の保証人となったが、名前だけを貸しただけと言うものだった。施設の入所で震災死となったが、何の問題も無かった。
町の高齢化により、災害公営での今後不慮の事故など、将来の事も考えると保証人となるのは、私にも大きな決断が必要だ。親戚でもない以前我が社で働いた方の支援は、同年代で老々介護の私にもハードルは高い。その家庭の震災後の変かは、多くの問題を抱えての災害公営が「終の棲家」だと言う。子ども達は町を離れ自分の生活でいっぱいだと言う。そんな状況が被災地には多いだろう。最後の頼みの綱は行政しかない。町民を守れない町と思うが、これが現実の社会なのかも知れない。行政へは税金を払い、行政からなにも言われない環境づくりとしては、今の生活は最善の方策だった。
「法テラス」か「町の民生委員」など、相談の窓口しかないと思った。町が何ともならない住民の為に、方法を考えてやるべきだろう。今後、町の災害公営の入所者の平均年齢は75歳とも言われ、孤独死や寝たきりの生活も想像され、町の福祉の拡充による対策は急務だ。町の財政も困窮し余裕は何処にもなく、国や県頼みの町政となっている。町の仮保障人制度など新たな取り組みを講じないと、町の恥を世界にさらす事と成り兼ねない。
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また、りっぱな施設が完成しオープンを待っていた。写真は大森の旭が浦地区に整備された「志津川魚市場」です。衛生面に特化した施設は町民が自由に入れる事ができなくなった。全国・世界に水産品を販売するのに、衛生基準の高度化を図ったからだ。見学できる環境も整備すると言うが、町民の公的施設でもある。仲買の事務所の貸し出しでも「6万円?」が掛かるとも聞いた。今度は市場の裏に「宮城県漁協志津川支所」の建設も始まった。今後もまだまだ新しい施設建設が目白押しだ。

今日父は福祉施設に行き、私は夜にスポ少の練習に行く。坦々と日々を静かに過ごしている。あと沼田地区の通知の配布もあった。

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2016
05/18

県だのみと移住者たのみの町づくり


先頃、町の志津川地区の人口海水浴改修工事起工式が開催された。その場所へ昨日に行って見ると、もう砂浜には入れない状況となっていた。町の被災地再建が加速する中で、志津川地区を取って見ても「防災庁舎」や「志津川市街地」には入れなく、「魚市場」「海水浴場」と、町を代表する町民の憩いの場所が、1年6年と町の所有ながら、県が中心となり再建事業を行う。行政主体でと望む再建の仕事なのにと思う。町民の住民再建は、被災者支援の国からの上限「300万円」を受け、町独自の支援があるものの、多くが自己での努力と負担によるものだ。そんな中で住宅再建を諦める町民も少なくない。土地も高いし住宅費も1.5倍ともなっている。160517_144143.jpg
昨日の新聞に「人口減少対策」としてか、移住者3人に「地域おこし隊」という職務を委嘱した。応募による物ながら「民泊推進専門員」「農業振興推進員」「地域資源活用事業化支援員」の委嘱状が与えられた。28歳が二人と46歳で女性一人の三人が、交流人口拡大に努める。任期は1年以上から三年までとし、活動費は月額一人16万円で、国の特別交付金を活用する。三人の活動はホームページで紹介して行くと言う。誰が見るのだろうか。高齢化が進む中で、広報誌のページに掲載するのだろう。

我が町の無限の力を削ぐような、町の復興思考と人材活用の無い政策は、町民の弱体に繋がる気がする。若者は自己での事業などの起業には積極性を欠き、町外からの住人が町を動かす時代が訪れつつあり、志津川・歌津の純潔さが薄れて行く。従来の町民と共に互いに助け合う姿勢に望ましく、委嘱した自治体を見るのではなく、町の将来の形を見つめて欲しいと思う。誰しもが間違いはある、それを意見し正す人間の出現が欲しいものだ。

サンオーレ袖浜海水浴場の賑わいが戻るのも、もうそこまで来ている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:27 】

2016
05/17

高速道路は町にプラスとなるのか


三陸道は「命の道」と震災後に完成が加速し北上する。三滝堂SIが完成し、仙台方面へは入谷を廻る人が増えたと言う。戸倉を廻る人の減少は、「モクモクランド」の津山の道の駅を利用が減り、戸倉地区の人の流入の減少は、地域の再生に影響とならないかを心配する。
兵庫の高速道路の拡張による橋の落下があり、現場の作業員が数名亡くなった。写真は石巻と「上品の里」を結ぶ天皇橋?だが、現在、兵庫と同じような橋の「せり出し工法」で、大河「北上川」の国道45号拡幅道路工事をしている。
こないだ地元紙に「大島架橋」の鉄骨の橋が、中国地方の大手製鉄工場で造られた、ループ状の鉄の塊が写真に載っていた。人間の技術の力の大きさと、日本的グローバル化がここにもあった。

防災協定で「海と山を繋ぐ」、そんな事もあった。長野県飯島町と三重県鳥羽市が協定を進めていると聞く。我が町は長野県原村と防災協定を結んだと新聞に紹介されていた。原村は震災直後から南三陸町の被災者支援を続け、招待し大震災で疲れた体を癒してもらう活動を毎年続けていた。自治体の交流には人口減への対策でもある。防災協定は良い事ながら、12時間も掛かる場所がその役目を果たせるかは疑問だ。南三陸町は3.11の大震災で有名になったせいで、多くの自治体が「手をさしのべる」活動があった。
昨夜も茨城で「震度5弱」の地震が発生した、震源地は「地震の巣」と言われている。緊急地震速報は関東周辺を範囲としていたが、熊本の事もあり日本列島の地震連動を想像してしまう。震源は茨城ながら速報の直後に、私の部屋にも振動が伝わってきた。地震の波は確かにここまできた事に、その大きさを痛感する。気象庁は今後「震度4」ぐらいの余震に警戒して下さいと話す。
我が家の再建は建設会社の利益の追求があり、現在は壁のクロスに多くのヒビが発生している。地震でつぶれないかと不安がある。以前の自宅は地元の親せきの大工さんが建てた。これまで「東日本大震災」の震度7にも何も倒れる事無く、瓦も落ちなかった。熊本の活断層と地震の状況の違いはあれど、古くからの地元固有の伝統のある在来工法があり、その設計工法が大地震から人命を守った。

古き良き伝統により、志津川はこれまで繁栄を遂げて来たが、人口減少は震災もせいもあるが、「人災」との面もあると私は思っている。震災での「人の心情」を考えない防災計画が生んだ、町の悲劇として今後はクローズアップされそうだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:29 】

2016
05/16

一日も早く総ての住民が穏やかに花を愛でられる日に


今、自分の生活に必要な情報以外は忘れないが、報道や人の話で知っておきたい事は、メモして保存をしている。
その中に、熊本県益城町の町長が記者に、今後発生する災害に、自治体の首長に何をすればいいですか、の問いに。「教訓」として、1.防災公園の必要性2.建物の施設の外観だけでなく、内装の耐震も大切。3.地域や消防などの自主防災体制の構築。と話していた。災害の形は違えと自然災害で、地域の助け合いと非難行動の準備が大切だったと言っていた。熊本のある地区では100世帯の集落が、総ての住居が全壊し、1か月も経っていないのに「40世帯」が、既に地区を離れたと言う。この話には「町を離れる事は当然の住民行動」と、言っているようだが、決して住民は東日本の震災とは異なり、群発地震の現状と、いつまでも不安が消えない現状への苦渋の決断と思う。なれ親しんだ今まで住んでいた所から、誰が離れたいと思っているだろうか。

東松島市に熊本の西原村? から、震災直後に被災地支援で来たと言う。今回は震災数日後に東松島市の震災時に中心として、震災復興に携わった3人の職員が被災地に入った。大震災を体験し「防災マニュアル」を震災後に作成し、「今後の震災後の防災体制で何をしないといけないか」、をまとめた資料だった。到着すると対策本部には村長と数名の職員、被災地を回ると行政の課長クラスが被災地の、瓦礫整理や避難所の支援に直接当たっていた。東松島市の職員は同じような体験をし、行政の活動が機能していない事に、住民の力とボランティアに協力を求め、今後の対応に対策本部が機能できるようにした。
我が町からも副町長が熊本支援に迅速に動いた。先週の臨時議会で議員の質問に応え、多くの全国の自治体が熊本に入っていたと話し、支援の混乱の中で「外部から支援」が必要だと、こんな話しをしていた気がした。その後も町から前副町長が被災地に町長の命を受け行ったはずだが、その成果は聞こえてこない。

また、一週間の始まりだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:07 】

2016
05/15

二人の桃源郷


食べ過ぎたのか、血糖値の異常か、朝から体調がおかしく3時に目が覚めた。日テレニュースは熊本地震から1か月の追悼の祈りが静かに行われていた。「核のない世界実現」と広島へのオバマ大統領の訪問を歓迎した。招致へ不明朗な支出の2.2億を、コンサルタント料と、オリンピックのJOCの竹田委員長は言う。しかし、シンガポールの送金先はペーパーカンパニーだったのか、それらしき会社はなかつた。世界で起こっている問題が沢山あった。また、テニスの錦織の準決勝のジョコビッチの対戦は、接戦の末に惜敗した。3時間越えの大接戦を夢の中で見続けた。
こんな中で「二人の桃源郷」と言う話題に、是非見たいドキュメントと思った。山口県の二人の高齢夫婦が電気もガスも水道も無い山奥の土地で一生を終えた。その生活に家族の「一緒に暮らそう」との願いを拒否し、静かな山中で暮らし、それを子供達が最後まで両親思いを手助けし見守った。これまでもこの生活をテレビで私は見続けていた。
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昨日は母の暮らす「いこいの海・あらと」に、支払いと母の日のプレゼントを持って、老人福祉施設に行った。先月から町の医療支援の「3万円」の補助の終了により、入所以来2年半もその恩恵を受けた。普通の状況に戻ったという補助停止ながら、復興途上と熊本震災の中で、いつまでも私は「震災と言ってられない。」と思っている。私自身は借金しながらも再健した。皆が早く自立し普通の生活に個々が戻る必要性を強く思う。しかし、生活環境が国・行政の計画の失敗から遅れ、未だに整備されない事に国の問題と私は思う。地方の自治体を守る国の義務の早期住民再建されない実情は、立て続けて起こる自然災害の発生に、政府の対応が追い付かない現実に、3.11の被災地再建が忘れないかと心配する。
母はベットの上でプレゼントを両手で持ち、離そうとしない。そんな母に枕元で寄り添う父の姿に、我が家の生活のスタイルの「桃源郷」を感じる。限られた家族の財産を食いつなぎながら、家族三人でおだやかに暮らす事が、私と両親の願いだ。
従弟たちも両親の来し方で、一生懸命に、目の前に発生する問題に立ち向かっていた。私の知人が昨日、「商品の試食」を持って来てくれた。生きる事に頑張る姿があった。国からの補助金を活用する地元被災事業所が、今も行政と一体となり補助制度を使い、町づくりの為と言うり理由の元で取り組んでいる。それが町の税収の確保の為と判断する。被災事業所が国・県で買い上げた土地を賃貸として貸し出し、固定資産税・賃貸料で町の財源の確保をして行く事は、いったい誰の為と考えると、役場・病院職員の公務員の生活確保だけと感じる。公平・公正な税金の使い方なのかと言うと違う。住民サービスの低下と増税、町づくりの高齢化を生んだ政策に、議会は町政に厳しく問い詰める姿は見られない。もっと住民に寄り添う行政・議会の改革が、いつまでも進まない南三陸町の姿を感じる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:18 】

2016
05/14

色々な問題の成功はは生みの苦しみの元にある?


私の小学校6年の頃の「東京オリンピック」も、こんなに多くの問題が発生していただろうか。戦後の復興からの開発や発展の途上であり、皆が一生懸命に生きた時代だった。
平和な発展続ける日本は、人口減少は社会の異変と歪の中で、日本の新しい社会へのスタートに思う。日本社会は多くの人間の欲と不正が蔓延し、国立競技場の入札問題があり、エンブレムの偽造、選手の置き引き・薬物・不法ギャンブルがあり、今度はオリンピック誘致の献金疑惑、枡添都知事の政治資金の不正使用など、平和な国の中で関係者の行動が、どういう事に成るかの判断のできない、危機感の無さを思う。
今年の夏に開催のブラジルの五輪も、大統領の不信任で、3か月後に迫りながら頭首が変わろうとしている。混乱の国ではありながら、南米最大の発展途上国としてのオリンピック開催を、世界は注目している。国の混乱でも「平和の大会」と言われる五輪は、スポーツ選手の4年に一度の祭典であり、子どもの頃から「オリンピックに出たい!」と、大きな夢を描き大人になり、出場の実現の喜びに浸る場所でもある。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:42 】

2016
05/13

節目のイベントをまた一つ終え


宮城県印刷工業組合の「創立60周年記念」が、昨日、江陽グランドホテルで開催された。社長が20年前の金沢での全国印刷文化展表彰に続き、今回の60周年でも、県内の名だたる印刷会社社長に混じり、93歳の最高齢で「特別功労顕彰」の理事長賞を受賞した。社長の最後の雄姿を見たかったが、「身体が心配」「何かあったら迷惑」と、出席を取りやめた。
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創立60周年の県の印刷組合は、私と同じ還暦だと言う。昭和31年の設立は、我が家の将来は私が生まれた時に決められていた気さえする。業界も我が社も印刷業の中で、紆余曲折の波乱盤上の時代を生きてきた。しかしながら、終戦の日本の敗北から立ち上がった、オリンピックの好景気や、オイルショックなど、山あり谷ありの景気不景気が業界にあった。だが、そんな事を感じさせない先代の努力が、創業100年にもなる長い時代の経営を続けてきた。多くのお得意さんから仕事を頂いたから出来た事と、多くの関わった従業員さんがいた事にあり、感謝でしかない。
講演会は阪神大震災を体験し、シングルマザーとなりながら、会社を設立し、「年商100億円」を目指し、会社を時代にニーズにあった形で、新事業を数々展開して達成した。兵庫県三田市からの同じ体験をした、高橋泉氏「株式会社レック」の社長の講演は、社員の育成と会社は誰の為にあるかとか、冠婚葬祭業から低価格の結婚アルバム作成に、全国への出店を果たした。世界への出店もハワイ・ロサンゼルスなど5支店まで成長した。大切なのは社員への会社理念の継承だと言う。考えさせられる素晴らしい講演会で、その内容に引き込まれた。
感化されやすい私の性格は、一時期でも夢を抱かさせてもらった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:53 】

2016
05/12

次世代に何を残すかだ


昨日も南三陸町は二日続けの雨だった。地区の役員会の通知の配布を初めて行い、我が地区の散らばりと、顔を合わせた方々と笑顔で会う事ができた。
我が地区の端に位置かるのが、「あさひ幼稚園」の現在が使われていない施設があり、東地区の西工区の災害公営住宅がある。まだ建設中で10月頃に完成を目指す。
全日本サッカーの長谷部選手の1億円の寄付と、幼稚園の運営の大雄寺の山門が津波で被災し、樹齢200年前後の杉をつかった、有名建築家の設計の建物が、宙に浮いた形で数年もそのままになっている。造成地の中央に位置する為ながら、幼稚園を生かす建設計画とは、ならなかったのだろうか。
子ども達の人数維持と子育て支援を、将来の人口確保を進める町は、町の総合計画の中に唱っているのに、目先の再建だけで、本気での将来の町づくりには綻びを感じる。
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石破創生大臣の派閥パーティーが初めて開催され、「次世代に繋げる政治を!」と、挨拶で述べていた。450人で2万円のパーティー券と言うが、カレーの食事と講演会だけだった。石破氏の自分を律し日本の創世に向かう姿に、この人ならと静な政治姿勢に私は期待している。

町の次世代に何を残すのかが、南三陸町には見えない。政治の後継者も見当たらない中で、若者からも真の政治家が現れていない。居ても町に魅力を感じていないのかもしれない。多くの将来への問題を残した町の再生は、若者たちの声は聞こえてくるものの、その姿が見えないのは、カリスマ町長の影響力からくるもので、次世代への変換期を見失っている事にある。若者が今の姿に甘える事なく、自分たちがこの町の発信と、新たな町への改革を取り組む事こそが必要だ。これで若い世代も高齢者も「頑張ろう!」との気持ちになり、一緒にこの町でと言う気持ちになる。
「還暦過ぎたら口出すな」、女川の若い世代の後継者の姿に学ぼう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:49 】

2016
05/11

人間の想定できない災害が今後も発生する


今週で4週間目を迎える「熊本地震」は、テレビから少しずつ姿を消し、ニュースで現在の状況の報告と、募金活動の告知が今も続けられている。これを見ても2011.3.11の「東日本大震災」の災害の巨大さを、痛感させられるが、一生懸命に家族と共にみんな頑張ってきた。熊本の皆さんも一歩ずつ前へ進んで下さい。1500回にも及ぶ余震の発生は、現地の人しか判らない恐怖感だろう。子どもの笑顔がまた広がる事を願います。また募金しないと!
熊本の人気キャラクター「クマモン」が、震災の中で笑いを届ける活動を自粛していたが、「おかえりクマモン」として多くのファンが涙で迎えていた。人間の力の弱さを痛感させる中で、ご当地キャラの自治体の活動は、想像を遥かに超えた力を発揮している。台湾でも多くのファンがいて、募金活動も盛んで専門店も活気を見せている。癒しと安堵感を与えてくれる容姿と動きが人間の心を掴んだ。これからも熊本県民と九州の震災風化を防止し、一日も長く県民に元気を伝えて欲しい。

九州大震災は国の「大規模災害復旧法」の制度を活用し、熊本県や自治体の要望により、国道・橋・農地などのインフラ整備を国の主導で行う。被災地の復旧費の交付金を比率を上げて、被災地を支援し早急な再生を目指す。地元の事業所や従業員の生活再建・確保となれるよう、大企業と地元の企業を活用する復興事業として欲しい。

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昨夜は商工会工業部会の総会があった。参加は約210社ある会員のうちに9人が集まり、総会の開催となった。行政と密接な関係を持つ会員が大部分で、震災復興の産業・工事に深く関わる部会でもある。私は場違いの場所と思いつつ、商業再生の姿を知る上でも、情報収集がある。弱小企業や恩恵を受けられない事業所の支援に何ができるか、模索する場としては参加は必要不可欠だ。
午後は地区の役員会の通知を配布した。地区のゴミ清掃が議題にあった。25軒余りの対象の地区民宅を回った。地区の為に何ができるか、できる事を自分なりに取り組んでいきたい。利用されるのも又楽しい。
12日の県印刷工業組合の「創立60周年記念大会」への参加と、社長の「高齢功労賞」の受賞があり、理事として支部長として出席する。町での私の立場は軽い物ながら、何処かで自分を発信し発揮して行きたい。もう何も出来ない感じがするが、町外から来る方の支援だけは、できる限り続けたい。
蔭ながら咲く「なでしこ」や「クマモン」のように!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 04:45 】

2016
05/10

繁栄・開発は自然に返る


昨日は朝から大変でした。パソコンが自動で中身を整理かるのはいいが、今、マイクロソフトで進むパソコンのバージョンアップが、その後で勝手に施行された。しょうがない対応しようと取り組んだが、その形の余りの使いにくさで、東松島より急遽技師を呼び元の形にしてもらった。予定外の一週間初めの大トラブルは、5時間あまりも様々な対応で1万円も支払った。私はパソコンを毎日同じ事をしているだけで、何も判らないパソコン素人です。パソコンに精通している方を尊敬する。以前に雇用した若いパソコンに長けた人材を今はもったい無いと思っている。しょうがないネ!
写真は戸倉地区の折立川河口の「潮干狩り」の風景です。待ちかねたように多くの人が初春の風物詩に浸っていた。8日の日曜日を間に3日間は、さぞアサリも5年の月日で、震災にも負ける事無く大きく成長していただろう。子どもを連れたお母さんも長靴で来ている姿に、震災前の500円で潮干狩りに行っていた頃を思い出す。
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折立川河口に磯へ通じる防潮堤の階段と、その角が今も残っていた。その前の海には防潮堤が前に折り重なるように倒れ、そのコンクリートには自然の牡蠣が繁殖していた。河口の自動開閉システムの水門も撤去され、川が下流の荒町まで続いていた。再度の津波での川の遡上は、今回の津波到達よりも進み、残った地区も襲う事は間違いのない所だろう。自然の怖さを体験して何の策もなく、河川堤防に頼る防災体制を町は図っている。後で後悔し人命が奪われなければと思うが、3.11の八幡川を遡る姿を目の当たりにした私には、川を伝って勢いよく家々・船・海底の泥を巻き込む姿を今も思い起こし、絶対忘れる事はないだろう。二重・三重の津波防災の体制が必要と、今後も言い続けたい。更なる悲劇をまた行政は繰り返す、こんな政策で進む町の姿を嘆くしかない。国の指導の元に町の再建が進んでいる。地元の津波体験の知恵など、街づくりに講じられていない事を町民は知らない。華やかな町づくりの蔭に何が潜んでいるかをだ。
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自然の恵みに浸った日曜日、その成果は写真のとおりだ。さあ、これからワラビと竹の子の料理に挑戦だ。

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2016
05/09

300年の歴史に触れて


5月恒例の「たけのこ堀」に昨日は行く。緑の山々に抱かれた山里に脈々と続く大地と風景がここにはある。
竹林の中の勾配を歩くのに息絶え絶えと、握力も足の力も劣ろえ、70才の先輩について行くのに精一杯だった。広がる300坪の太地は宝の宝庫で、ワラビが採っても再び一日でいっぱいに育つ、大地の恵みが繰り返し育まれている。
庭には「イチイの木」が凛と鎮座し、300年を越える時代を見つめてきた。イチイの木には「ヤドリギ」が育ち、ともに激変する地区で生きながらえ、老木のくぼみには鳥が種を運んできたのか、たらの芽など3種の野草が芽吹いていた。
共に助け合い、共存して生きていく事は人間は難しい事なのだろうか。300年間も時と風景の変化を静かに見ていた老木。何も言わず人々の姿を見つめてきた。しかしながら、人が自然の木々を労り、老木を切る事なく季節の移ろいに共生の道を選んできた。
パワースポットとしての役割を感じる。
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連休の観光地紹介で、徳島県の「金毘羅宮」と釜揚げうどんの紹介があった。電車との連絡網の中で、バス路線の連携がならず、巡回バスの運行を「100円」で設定していた。観光客に優しい観光地の在り方に、大分欠ける我が町の観光客サービスの違いを思う、町の巡回バスを!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 15:11 】

2016
05/08

いつまでも仮設に住んでられない


一昨日、志津川の東地区西工区に親戚筋が新築を果たした。お祝いにいくも留守で、聞く所に寄ると皆仕事に行っていると言う。これからが大変なんだよね! 家を建ててもローンを子供達に残す事を少しでも減らす事を親は考えている。
こんな写真を撮影していると、元十日町の知人が声を掛けてくれた。「千葉さん。」、先輩ながら彼も平屋の家の建設を終え、来週に「カギの引き渡しです。」と笑顔で話す。仮設の生活も5年を終え「いつまでも仮設に住んでられない!」と、小さい平屋ながらも5か月かかり家を建てた。お母さんと震災前は二人だったが、今はどうか判らないが、65歳前後となり家を建てる勇気に「頑張って!」とエールを贈りたい。写真は災害公営集合住宅の4階が、今も建設中であった。この真ん中の写真の通りは住人のメイン道路となりそうだ。志津川地区住民は元より、戸倉・歌津からも新天地に家を建設していた。
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そんな一般の町民がいる中で、お金持ちの安定した町民や、大きな水産加工会社や事業所社長家族は、すでに登米市に住宅と工場を建て、南三陸町から撤退していた。資金もあり人の伝手もあるが、町での再建を諦めていた。志津川の被災住民がこれからと言う時に、工場の「震災特需」があり、事業再建の補助金の優遇を受けながら、震災の知名度の景気の波に乗り、今も被災者と言う名の元に営業を続けている。「ご支援ありがとうございます。」と、全国に向けて更なる支援を呼びかけていた。
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今日は春の大潮で海岸が大きく引く、昨日から3日間の「あさり開口」と防災無線は言う。震災から5年が経ち、初めてのアサリの捕獲だと思う。いっぱい取れるだろうが、私たち一般住民は海の恩恵は、自然の風景だけだろう。これも少し可笑しい。
その他に、「さくら植樹祭」のイベントが、総合体育館である。昨年は「コール潮騒」さんの支援で取材したが、今年は中学校ブラバンや踊り・コーラスの町民が参加し、有名アーティストの出演もある。
また、昨日? はさんさん商店街で、地元中学生の演奏会が開催されていた。最後の連休に来町者や地元民に向けての、商店街のイベントも目白押しだ。歌津商店街でもテントでの海産物の販売があり、歌津地区の水産物を格安に販売していた。

私は昨日、大阪の知人に「京たけのこ」のお返しに、女川の高政の蒲鉾を選択した。鉄路の復活の集会で、高政の取締役の考えと発表に共感を受けた。石巻ジャスコで弐段重ねの「蒲鉾セット」、5千円を贈った。我が町のお土産と言えば水産品としての、魚貝や海藻・乾物しかない。喜んでもらいたいと町内の産品を今はやめた。現在は宮城の産品に変わった。震災後4年間多くの支援者と交流をしているが、もっと贈って喜ばれる「名物」「産品」などの開発をして欲しい。総ての町の商品はすでに全て贈っている。お菓子なども私が納得する品物は少ない。神社の再建があっても名物が無い、町が再建されても子供達の喜ぶ食べ物が少ない。こんな町の将来の可能性は低い。町民皆が潤う町は何処にも見当たらない。若者達も「大志をいだけ!」と言いたい。新しい伝統は君たちにかかっている。町の高齢化を支えるのは将来を担う皆だ。

今日は午前に地元の「タケノコ掘り」に先輩の山に行く。ワラビもあり自然の山の色と香りに浸ってくる。

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2016
05/07

南三陸町戸倉字戸倉・波伝谷地区


戸倉神社が大震災の津波で被災し、再建「神社落成式」が先月に地区で盛大に開催されたと聞きました。昨日、津山町からの帰り神社をお参りして来た。神輿と獅子舞があったとも地区民が話すが、戸倉神社は華やかな鳥居と本殿が、煌びやかな姿を呈していた。この神社が今後数百年と、戸倉地域の守り神として歴史を残す。託された後継者と地区の子供たちが、地区に残る事は厳しいが、将来に向かうに当たり神社が、地域の発展の中心になってもらいたい。本殿から見下ろす波伝谷地区の旧戸倉漁協周辺は今も何もない、6年目を迎えるのに何も変わらない地区の姿が広がっていた。
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戸倉神社の建設にあたり「日本財団」の大きな支援があった。鳥居前の石に刻まれている。支援の形は地域民が今後神社を守っていく事にある。南三陸町の人口は今回の国勢調査で、約12300人となり、戸倉地区民は22年3月の「2433人」から昨年の5月には「1693人」と740人が減少した。それから1年が経ち自然死と出生数があるが、減少は続いている。町と地域の存続は未来を見ても、「空前の燈火」と不安だけが増してくる。町の未来は子供達に託されるが、ここまで疲弊した町を立て直す事は難しい。維持さえ難しいのに急激な人口減は、震災後の住民確保の政策なしの初動の失政にある。町全体の減少率は3割となり、戸倉地区は4割近くと減少率は高い。
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歌津地区でも15カ所の神社総ての社務所が、歌津中学校裏に完成し落成式を地区民50人が集まり祝った。こんな話題をラジオから聞こえてきた。建設資金は全て地区民に寄る物と話していた。歌津地区の伝統と歴史に支えられた地域性を思い、経済的にも志津川地区とは大分違う事を感じる。「歌津魂」の結集が今も脈々と続いている。

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2016
05/06

世界が変わろうとしているのに


三菱自動車の社長を含めた会社ぐるみの燃費データ改ざんがあり、4月の三菱車の販売台数が半分となった。以前の「リコール隠し」の事もあり、三菱の信用は今回の問題で大きな失墜となった。会社での車の販売での燃費と言う「技術革新」がままならない中で、安易なデータ改ざんを技術担当が考え、社長も容認の上で販売を続けていた。会社のトップが売上だけを考えた決定は、会社の存続までの状況となった。同業の会社への車の提供による、顧客への補償・販売店の保障など、1兆円を超える損害となった。「今さえ良ければ、乗り越えれば」の、たった一つの行動ながら、経営者としてのモラルと倫理に欠けた決断は、三菱自動車の解体までに発展している。岡山県の倉敷の三菱自動車の製造工場の1300人の給料カットと言う、働いている社員の生活までも奪ってしまう結果となりそうだ。
九州・熊本への旅行のキャンセルが52万件発生している。100音円以上の観光被害となり、震災被害は5千億円からまだ増えそうだ。震度4が昨日もまた連発し、今後の避難所の集約は、学校の生徒児童の教育環境の再開に向け必要ながら、その集約による被災者の生活の場の移動は、居住区から離れる事を不安視している。その為に集約は難しい局面にきている。まだ発生から3週間しかたっていないのに。
15歳未満の人口が「1605万人」となり35年連続減少となった。「絶対にない!」といっていた米国大統領選で、トランプ氏が最終的に残り、クリントン氏との選挙となる。米国の日本での安保政策の基地・兵士の国防費を、全額日本に求めると言う。自動車大国に防衛費の補てんは当然の事と、日米安保の根底からの改変となる。「まさか!」と言った事が起こる地球・世界になった。
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写真の山の風景の写真は懐かしい場所となった。3.11の震災から5月の今頃は川に水汲みに行っていた。何もない生活の中で、生活水の確保があったが、飲料はしなかったが、その後に放射能の拡散の報道が流れた。生きて行く為に何でもして来た時だった。この地で生き抜く事をこの時から決めていた。
津波の到達最終地点から50mも離れていない「磯の沢地区」がある。電力供給の変電所ができ、葬儀社も建設され、その上を三陸道が走る。しかし、町の再建はまだ半分も進んでない。こんな状況で年度内に行政庁舎が新設される。何処を見て町づくりをしているのか、本当に不思議な町になり下がった。

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2016
05/05

多くの御近所さんの居ない町の魅力は


私は人との繋がりは近所は勿論、同級生と知人・お得意さん・新しい人との出会いなどがある。高齢となり近所さんとの交流しかない人達も多い今の時代、仮設から災害公営集合住宅の、知らない人との交流は難しく、高齢の男性や人と交わる事の不得手な方もいる、思い切って外へ出たり、イベント・祭りに参加してはどうだろう。

昨日は大荒れの南三陸町だった。午前の天気から風は残ったが、青空が広がる午後には外出も可能となった。この日に予定していた「荒澤神社春季大祭」にお札を貰いに行く。写真の荒澤さんでの神楽を見るのも一つの楽しみだった。天候が荒れている午後を避けお昼に行くと、御神楽の踊りの音が聞こえ、遠藤宮司さんが笑顔で迎えてくれた。「雨の中大変ですね。」に「ほだがら!」と言うも、多くの氏子さんがそれを見つめていた。天気も落ち着き狭い神社周辺とあり、徒歩で歩いて荒澤神社へ向かっていた。
毎年続けている荒澤さんへの春の参拝は、欠かす事はできなく恒例の私の行事といる。今の宮司さんのお父さんから続く、春の桜の咲くころの祭りは昔から心待ちだった。袖浜から荒砥沿岸の漁師の守り神として在り、大漁・安全祈願をする神社を地域が応援している。しかし、震災の津波で袖浜地区は壊滅的な状態の中で、伝統を守っていく事の大変さばかりを感じる。「がんばろう(絆)南三陸町袖浜!」。
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午後からは友人の誘いで仙台港の「東京インテリア」に行った。私は家具類や再建の必要品を、お安い「イトリ」と「コメリ」などで揃えた。あと10年~20年もてば良いと思っての買い物だった。仙台港インターから5分ぐらいの場所にある。隣には「仙台うみの杜水族館」があり、周辺は荒天の中でも駐車場には溢れるばかりの車があった。また、「仙台住友アウトレット?」もある。我が町から比べると「正に竜宮城」のようであった。
確かに品揃えの多さは県内最高だろう。その他に古民家を活用した店舗の見本のような建物まで展示していた。私は何とか車で行って見る事ができるが、高齢者家庭はこんな事さえも見る事無く老いて行く現実に、町は何の手助けのフォローも無い。土地と住宅地を準備した。生活環境を整備しただけではたして、生きる喜びを総ての住民には与えてはいない。
これが公務員となった町民の描く、住民サービスと思っているようだ。皆とは言わないがマニアル通りの職員が多くなり、「ながい物に巻かれる」、こんな生き方と仕事に従事する人間が多くなった気がする。

子どものいない私には仕事ができる喜びがある。今日も我が社の新聞を印刷し、婚活のチラシの印刷もあり、新聞社に持ち込む予定だ。夜には剣道スポ少の練習がある。今年は3人の新団員が入団しそうだ。震災後の募集活動は思うようにいかなかったが、6年目を迎えこれまでの努力が成果として表れてくれた。
洗濯機がそろそろ止まりそうだ。

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2016
05/04

町に子供たちの笑顔を


昨日は好天の空の下で、3年以上ぶりでゴルフをした。震災後の混乱から仲間達「三一会ゴルフ倶楽部」の、震災後の状況確認を含めた集まりを、2年が経った頃再開した。しかし、その後の仲間の震災復興はままならなく、現在も仮設で生活する事を余儀なくされたている友人もいる。当時集まった20名近くの仲間の中には町を離れたり、新たな環境の中で生活を始めていた。

そんな登米市に移り住んだ仲間の「ゴルフやりたい!」の声掛けで、昨日3日ゴルフを、気の許せる4人でやる事ができた。以前のゴルフクラブを津波で流され、新品を購入し「一回で使わない」と言う状況で終わりそうになっていた。60歳となり運動不足から体が言う事を聞かないが、私の現実だった。網膜剥離の影響は小さなボールは見えなく、白内障の眩しい状態が今も続き、ゴルフができる状態には程遠いながら、仲間に助けられプライベートゴルフを楽しんだ。4時間30分もコースを歩き大変だったが、和気藹々の苦しくも笑いありのゴルフだった。8時過ぎのスタートから、午後2時には上がり登米市で飲もうが、店の開店は5時からと「2時間も待てない」と、いつものゴルフの後の酒を飲まず家路に着いた。町の観光地は来訪者でいっぱいのようだった。3連休の一日がこれで終わった。
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涌谷から登米市の途中に、「米山チーリップ園」には連休とあり、多くの家族連れでいっぱいだった。家でテレビを見ていると神割崎の「潮騒まつり」の風景初日が紹介されていた。好天に恵まれたまつりには、「毎年の連休に来ています」と話す方が居たり、南三陸の海の幸が一同に会し、売り込む漁師の威勢の良い姿に、南三陸町の若い後継漁師に可能性を見た。連休の3~5日までの三日間の行事ながら、今日は低気圧の影響で朝から、雨・風の強い状態だ。また、今日は袖浜「荒澤神社春季大祭」が開催され、本吉法印神楽の奉納は大変だろうと思っている。午後から神社に顔を出して「お札」を貰いに行く。影ながら続く伝統へのお祝いをしに行きたい。戸倉神社も鳥居の再建と、落成式大祭も先月あったと聞いた。行けなかったが「玉串料」を宮司さんに手渡した。地元の伝統に築かれた神事は、地元の氏子だけでなく全町民でその祝いを盛り上げる事で、町の将来に繋がる気がする。あした天気になったら出かけたい。
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仙台の市民広場で「県産ホヤ」の紹介イベントがあった。若い女性が「大好きです!」と笑顔で話していた。私も29日に女川町で「ホヤ串焼き」「ホヤたまご」に感激をした。生・ゆで・焼き等色々な食べ方があるが、一番は身の厚いホヤをキュウリに切り目をいれ、酢・わさび醤油で食べるのが大好きで、蒸したてのホヤの暖かい物も美味しい。大阪の知人は生のホヤは民宿で食したが「………」と言った感じだった。
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見た目なのだろうが、新鮮なホヤのあの赤色の殻に、オレンジ色の身は鮮やかさは、「食べたいと気持ちをはやらせる」。
南三陸町のリアス海岸の奇石の美しさと、美味しい海の幸は自然の最高の贈り物と思う。
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2016
05/03

復興途上なから何処かが違う


今月第二日曜日の8日、予定どおり「南三陸マイタウン情報」を発行できる。年度初めの4月はお陰様で多忙の日々を過ごした。今回は1月の気仙沼市と我が町の街づくりの政策、そして現在の状況を比べて欲しい。
志津川地区の「サンオーレ袖浜」の町の人口海水浴場が、町の要望を受け入れ県事業として、再建工事が今年中に始まり、来年度のシーズには観光客を迎える。町開きは来年3月にあり、町長・議会選挙は9月にあり、復興の加速をアピールする町の政策が目白押しだ。
だが、忘れてはいけない。合併での庁舎建設の両議会の決定を守らず。防災充実よりも観光促進を図った。その結果、多くの町民が亡くなり、復興の政策と遅れから町民が町から去った。華やかさに惑わされてはいけない。町長の任期は15年にもなる、もうイイだろう! 若い指導者に移行しても。多くの失政の元に、町の復興は国の政策であり、町長の町づくりの取り組みは、ショッピングモールと福祉モールの建設でしかない。どちらが町の維持に欠かせないか一目瞭然だろう。
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・気仙沼魚市場は7年ぶりに東北一となった。水揚げ金額は200億円を突破し、青森県八戸を抜いた。全国32港の27主要港でのランクも上昇し6位となった。
・気仙沼市は昨年1年間の人口動向を発表し、出生数が過去最低の「326人」となった。人口は66.767人で昨年より924人が減少した。世帯数は26.236世帯となり、復興事業単身者で世帯数が増加している。
・気仙沼魚市場の起工式が行われた。施設は閉鎖型荷さばき場や低音売り場を供えた「高度衛生管理型魚市場」とする。総事業費は190億円とし、早期完成を目指す。
・気仙沼市の住宅再建や独自支援の補助想定の見込みが大幅に下回っている。70億円を想定していたが、時間が経過しても意向に変化もあり、支援の上乗せや新メニューを市は検討している。
・気仙沼市の仮設入居者が昨年12月末で5千人を切った。これでピーク時から約千世帯3300人が減った。
・気仙沼市小泉のトマト栽培施設「サンフレッシュ小泉農園」は、開始から2か月が経ち、1日に1~4トンを出荷している。30人の雇用を生み、11月の実績は40トン約1千万円となった。県内最大級のトマト生産工場として「商品登録」をして出荷している。
・気仙沼市の成人式が10日開催され、対象者770人のうち670人が参加した。
・気仙沼市の国政調査によると、人口は6万4917人で2万4139世帯となり、前回比で人口は8572人(11.6%)世帯数は1318世帯(5.1%)減少した。
・JR気仙沼線の再建に関し、菅原市長は鉄路の再建は不可能でBRTでの運行へと議会に示す。
・気仙沼市図書館の再建計画が決まった。当初は現在の1.5倍の大きさの3000㎡から、コストを考え300㎡を減らした。蔵書は1.7倍として、カフェコーナーなどのスペースを拡大する。児童センターも併設される。
・気仙沼市外在住者の戻るための条件で、①収入が確保される、働く場がある。②医療や介護で不安がない。③収入が確保される。等を上げた。
・本吉町内の馬籠小・小泉中も統合へ。住民からの不安の声も上がっている。
・18・19日の沿岸低気圧で、少なくても漁船10隻が転覆や水没の被害が発生した。
・気仙沼市は来年度に事業が増加し続くものの、応援職員の250人必要の充足も厳しい。
・気仙沼市は28年度も一部地区で、固定資産税と都市計画税の減免を継続する。減収分の1億円は国が補助する。
・気仙沼市本吉町泉沢に県内最大級の太陽光発電の建設を都内企業が市有地98haに整備する。年間発電量は約5万6千MWで、約1万6千世帯の年間使用料に相当する。
・気仙沼市の三大ニュース。①松岩中出身の畠山健介選手のラグビー・ワールドカップの活躍。②生鮮カツオ水揚げ19年連続日本一。③ホヤぼーや商品券大人気、初日で完売。
・28年度の一般交付金の人口減による50億円の減額が、特例緩和で23億の半分で済むと見込まれる。
・気仙沼市「つばき会」が、JTB交流文化賞を受賞した。代表的なイベントの「出船送り」の活動が、地域発信活動として評価された。
・気仙沼市本吉町の津谷小6年生の芳賀慎之介くんが、30倍の楽天シニアの狭き門に合格した。将来はプロ野球選手を目指し、地元が元気になってもらいたいと話す。
・気仙沼市本吉町小泉の山内義夫さん(88)は、瑞宝双光章(高齢者叙勲)を受賞した。長年学校教育振興の功績が認められた。最後の3年間は新城小の校長を務め、青少年健全育成と地域の活性化、国際交流を推進した。

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2016
05/02

こども達の笑顔に触れて


女川でも「がんばれ熊本」の募金箱が置かれてあった。「ゆぽぽ」や「花屋さん」の前にひっそりとあり、心遣いを気持ち口にいれた。
熊本城は県民の宝として、その姿に悲しさを増している人も多い。そんな中で「奇跡の一本石垣」が話題となっている。残っている隅の石垣は特殊な石組になっている。建物も構造的に四隅に力が均等に掛かっているからと専門家は話している。

30日に養殖業の方から「新物こんぶ」を袋いっぱいに貰った。戸倉荒町地区の知人3軒におすそ分けをした。今日の漁師の方のフェイスブックに、「6月に行きます」「こんぶ送って下さい」など、震災後の交流の輪がそこにはあった。「いいね」は70件だった。私のFBには最高でも10人ぐらいながら、友達が少ない事もその理由かな?
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戸倉の先輩の家でコーヒータイム、庭に面した縁側から春の草花でお花見気分だった。「これ判る!」、と言う先にはローリエの木が在り花を咲かせていた。また、珍しい花だよと「じゃこう水仙」も五輪の小さな花を結んでいた。ゲッケージュ?の花でもあり、オリンピックでマラソンの優勝者の花輪として、フランス料理の香りづけても使用される。そのローリエが花を付けて、御夫婦は初めて見たと言う。地球が変わってきているのか?
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飛び石連休のこの日を大事に使いたい。世間は休みの様で、町内の復旧工事現場も休みのようだ。自治体派遣の方も「佐賀に帰ります!」と、仕事で出会った方が話していた。数少ない震災で出会った職員の一人だ。ゆっくり連休は休んで、また被災地の復旧を支援して下さい。気仙沼市は今年度の当初「290人の復興職員不足」と言っていた。
熊本の大地震を心配せずにはいられない。また、義援金・募金箱で支援を続けていきたい。

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