ARCHIVE - 2016年02月

2016
02/29

賑わいの南三陸町  私は穏やかな街でいい

CIMG6310.jpg

多忙な終末が終わった。
昨日は町自体が大きなイベントが目白押しだった。石川さゆりさんのコンサートがアリーナで開催され、叔母も楽しみに出かけた。10周年のイベントの一環なのだろうか。ベイサイドでの「福興市」も開催されコンサートに来た方々も、ついでに出店に寄る、相乗効果となった。
8時30分にボランティアの方を民宿から、受け入れ水産会社に案内をした。それは韮の浜でワカメの芯抜きとメカブの処理だった。4人の広島からの皆さんは「初めての作業楽しかった」と話していた。社長さんの奥様が夕方、「忙しい時に助かりました」と御礼の電話をくれて、「お土産に『メカブ』を持っていって貰いました」と言っていた。心と心が繋がったと感じた。
高台移転の自治会長さんが、急ぎと言い会社を訪れた。地区の区割りとか今後大きな取り組みに、住民は大変だね。と互いの意見が一致した。

午後2時からは「JR大船渡線・気仙沼線の鉄路での復旧を早期に実現する南三陸町の集い」が、南三陸プラザに200名が集まり、発足がされた。気仙沼線の再建開通に向けての一歩となった。
旧気仙沼線の開通を訴え80年の年月は、当時関わった先達たちの労苦と希望が実った。そして今回、町のトップが高速バスシステムでの全線の再建策を、JR東日本の案を了解した。これまでの歴史を考えない、自己本位に町の再建に、JRからの資金・環境整備費を引き出す、一期間の町の再建の為の政治決定は、いったい誰の為なのか。その蔭で苦労する学生や高齢者などの町民がいる。出来ないと希望を捨てる町の決定は、鉄路再建に努力なしに楽な道を選んだ。トップとしての気質に添わない行動ばかりを思う。
集まった人たちの顔触れに、諸々の利益の思惑も伺え、本当の真実の方向性は何なのかをもう一度考えて欲しい。高校生の通学は家族と両親の苦労に対する、「感謝の涙」「将来の後輩」を思う優しさを思った。自分の学力の向上の為の「朝課外授業」に参加したいが、BRTだと間に合わなく母親に迷惑をかけると、「送って」と言い出す事もできない心の内を話す。子ども達の学力の向上への教育環境の整備の配慮が行政決定の中には無い。
気仙沼の方は、南三陸町での鉄路の復旧の諦めは、気仙沼線の延伸とならなく、自分一人の判断は三陸沿岸への鉄路の廃線を意味する。南三陸町の鉄路再建の集会には行政職員が一人もいないと激怒する。気仙沼の集会には遅れて来たものの、職員も出席したと言う。町の職員も町トップの言いなりで、町の将来を真剣に考える人はいないのだろうか。しかしながら、我が町にはトップの意に反すると職員への制裁「左遷・昇進」の、パワハラも見られ、職員はそれにならうしかない。旧志津川町の自由に発言のできる環境は何処に行ったのだろう。

CIMG6333.jpg

夜6時からの「音楽の夕べ」は心休まるひと時だった。広島で活躍するシンガーソングライターの「森本ケンタ」さんと、国内に2個しかないクラヴィオーラの演奏者「折重由美子」さんの、ミニコンサートに酔った。震災後に「足長おにいさんブロジェクト」を続け、小中学校や福祉施設・イベント会場で、被災地の人たちに寄り添った。全国を回り募金活動もしていて、継続する事の大切さを「阪神大震災」で体験し、5年間の活動はこれからもと力強く話してくれた。

また一つ活動を終えた。
スポンサーサイト

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:52 】

2016
02/28

気仙沼は今の危機感に積極的に取り組んでいた


昨日は気仙沼市の開催の「婚活セミナー」に友達と行って来た。会場は本吉の公民館で、会場には40名の独身者や家族が集まり熱心に、佐藤律子講師の話に聞き入り、質問なども多く30分もオーバーした講演会だった。
仙台初のレストランウエディング事業や、結婚情報誌、婚活出会いパーティーなどを企画し、これまで1千組の出逢いを実現し、結婚まで人と人を結びつけてきた。キイワードは「45歳」と言う。30歳前後は結婚の希望は意外とかなうが、45歳は男女とも結婚実現の境にあると言う。「相手への希望を一つにしなさい」「死ぬ気で婚活しなさい」と語り、男性は「清潔感と身なりが必要」で、女性は「かわいく・綺麗になる事に務めなさい」と話す。
講演の始まりは「どの時代に生きて来た」を知る事と言う。その世代で結婚観や家庭の状況が、結婚に対する考え方が違い、それを分かっていないと独身者も家族も結婚のゴールは出来ないと言う。私も考えていたが、両親の生活にその理想を描き、子どもの結婚観が違うと言う。両親が仲良く子供の為に楽しく生活していると、子ども達も早く両親のような結婚と子供が欲しくなると言う。逆に苦労ばかりで楽しい家庭でなかった家庭を見て、父のように母のように成りたくないと、結婚への強い意識や願望が無いと、婚活しての異性に対する求める物も、過剰になると結婚はなかなか出来ないと言う。
相手を求める前に自分を知り、自分の意識を変え磨く、普段の生活も自分で生きる道を築き、親は自分の老後や跡継ぎにこだわらない。ここが45歳を過ぎる男女に結婚の道が開けると言う。
こんな自分にも足らない事などを知った。今年から婚活事業を始めたいと思うが、多くの婚活事情を知り「目から鱗」だった。
昨夜は広島の支援者から招待され、民宿で交流を深めた。今日はアリーナに石川さゆりが来ると言うる。町内の宿泊は全ていっぱいで、ビジネスホテルでの宿泊だと聞く。「ようこそ石川さゆりさん」、私も行って見たい演歌歌手の一人だ。今日は「鉄路復活の集会」に行って来る。夜は「感謝のコンサート」で、町民・支援者と交流をする。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:12 】

2016
02/27

歌津地区の伝統と繁栄・歴史を守れ


歌津地区の繁栄の再建が見られない事が、現在と過去の違いから見る事ができる。旧歌津町の合併は果たして地区民にとってプラスだったのだろうか。
こないだ旧唐桑町の実態が地区民の声にあった。「住民サービスが気仙沼に移行され不便に」「総合所も人員が半分に」など、自治体の合併集約の弊害が、合併10年と震災の影響もあり、合併で中心となる地区への集約により、小さな集落への町のサービス・環境整備が、「二の次」の状態へとなっていた。
歌津地区の商店街や公的施設の分散ととなり、住民の生活は不便が増しそうだ。こうした行政の決定に、地元から選出された議員の抵抗は、数の論理と政治的戦略で改善とはなっていない。「歌津大橋」の画期的な開発と、「高台の学校建設」の教育環境整備など、町の環境整備は駆け込みのように、裕福が旧歌津は地区の整備を合併前に行った。そして今、南三陸町の政策・町再建整備に対して、歌津住民の不満が爆発しそうな状態にあると私は思っている。
二つの町を纏める事ができない人間に、被災後の大変な厳しい環境で、住民からの疑問・希望の解決は出来ない気がする。
CIMG6282.jpg

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:00 】

2016
02/26

メカブのしゃぶしゃぶ


何の問題も無く、自宅から工場に30秒で行ける環境を造れ、家から一歩も出ない日もある。日々、人の繋がりの中で仕事を貰い、行政の仕事からの依存の脱却を図りたい。少しずつの行政の仕事内容に、自社の排除の傾向を感じている。町には本気で地元の弱小事業所の救済や維持への取り組みは無く、「頑張る事業所を支援する」、行政の考え方に「貴方も弱小自治体ですから」と思うし、国の交付金なしには生きられない地方都市に成り下がってしまっている。

明日から町への支援団体のお手伝いをする。土曜日は交流会と、本吉で婚活セミナーに友達と参加してくる。日曜には歌津の水産会社に、団体をワカメ加工のボランティアとして案内する。午後2時からは「鉄道復活の集会」に参加したい。6時から団体の最大目的のコンサートの準備を手伝う。そして、15人の招待で歌と演奏で交流会をする。時間が埋まり充実感を貰っている。何も無い生活のダラダラの生活は、かえって疲れてしまい「時間の無駄」と、だらしない生活と感じていた。

一昨日前のフェイスブックに歌津の高橋さんが、テレビ出演で「三陸のワカメ」の良さを、人気絶頂のマツコさんの番組で全国に発信してくると言う。歌津地区の水産業の振興と若者たちの交流を、フェイスブックでその活躍を見て、イベント参加に「興味あり」とクリックしたが、60歳になる初老は見て応援するだけに留めて置きたい。こんな若者たちが水産業で町民と、子ども達と一緒に暮らしていますと、SNSと活動で全国へ南三陸町歌津を発信する事を、継続する事が必要と思う。こうした人たちが町の政治に参画する事で、新しい若者達と子供たちの町が造れる。昔の「しからみ」のお友達だけの町からの脱却無に、年よりは退き次世代への繋ぎ役となるべきと思う。そうなれば私も町への批判も減少する。
160225_143656.jpg
昨日は支援受け入れの会社に、本吉の「菓房いさみや」の「銘菓・大島まんじゅう」を持って行った。そのお返しが「獲れたてメカブ」で、奥さんが「しゃぶしゃぶにして食べさい!」」と、大きなレジ袋にいっぱいにくれた。買ったら2千円はするだろう。大きくザク切にしてお湯に潜し、醤油をかけ食べたら絶品だった。獲れたての地元でしか食べられない食し方だろう。今年初めての海の幸に出会った。

父親の食事に頭を痛めている。「何を食べているのか?」解らないが、「焼き魚」は台所に買って置くと、自然と無くなっている。週末の多忙から焼魚を準備して置きたい。焼きたての魚は昼間「さかなのみうら」しか無い。南三陸町は海の町・魚の宝庫ながら、小さな魚屋」さんは廃業し、現在の店の数えて5店しかなく、その中で自選で言えば2店舗しかない。不便な街になった。昔は10歩も歩けば魚屋さんがあったのに!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:47 】

2016
02/25

国も町もどうでもいい!


今朝は「寒い!」。しかし、夜明けが着実に早くなっている。6時でこんなにも明るく夜明けの空と雲が綺麗で、2軒前の会社の明かりが、私の部屋からは2つの光が漏れ、早朝から仕事の準備に入っていた。
朝の空腹血糖値は158で私としては少し高い、体調はと言うと脹脛の血行が悪いのか「かゆい!」、キズになったものの少しは落ち着いてきた。乾皮症と今の時期の傾向もあると、安易な考えがあり、その内に主治医に聴いてみたい。
仲間達にも「ガン!」の魔の手が近づいていた。一人は良性だったが胃の全摘をし、現在、治療中でベットの上に居る奴もいる。医療の進化を信じ「治る病気!」とガンもなって来ている。生きたいなら早期発見と、病院と名医を探す事で良い方に向かう。みんな頑張れ!
160224_090547.jpg
昨日は仙台の東北大学病院に行った。9時に入口の道路5台前に並んだ。しかし、なかなか病院内に入れず、30分掛かり構内の駐車場には45分も要した。私の次の車はまだまだ時間がかかりそうだった。予約時間に間に合わない人は車を諦め、直接玄関まで歩いて向かっていた。私は「ラッキー!」だ。後10秒遅れたら10分も時間が必要だったかも知れない。
今日も「時間に追われる!」、こんな夢で起きた。厳しい環境に置かれると人は、持っている力以上の物を発揮できるが、ユルユルな生活では潜在的に持っている、自分の力を引き出せないように思う。30~40代はこんな環境で自分を鍛えていたのかもしれない。現在は、余裕での仕事と「早め早め」の仕上げを目指している。こんな厳しい状況から社会に出る高校生は、大変だろう! ここを乗り越えないと自分の将来が、ある程度決まってしまう事を判って欲しい。「ガンバレ気張れ志高生!」。
4月から町の「巡回バス」が有料となる。南三陸町を志津川・歌津・戸倉・入谷の4地区に分け、初乗りを「200円」として、1区ごとに「100円」プラスとなる。少し乗っても200円、最大で500円ながら住民の出費は少なくない。登米市からは掛からないと言う。当然ながらこんな事で、何時までも登米市に被災住民を町外に置くつもりなのか。早く町外の仮設の集約を進める事で、「真実」の町の人口が決定する。「みなし仮設」も県管理ながら近い将来は廃止になる。まずは29年3月末までに住民の生活環境整備が終わる予定で、28年以降の集約の中で、「南方仮設」が集約でも残し使っていく事に疑問だ。住宅の再建に建設会社の多忙により、後回しはとなると3年前後となると、まだまだ先になるのは分かるが、トップの「早く住民帰還」の発言は何処へいったのだろう。
今後進む「生涯学習センター」「住民の交通手段」など、町は「管理委託制度」を活用する。町の町民の施設が交通が、一企業で運営され、そこに優遇の利権が町の関係者に発生する気が私はする。

昔のような普通にみんなが努力して、「自分達でつくる町」とはならないのだろうか。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:08 】

2016
02/24

5年で人の人生がこんなにも変わるなんて


誰しもが5年でこんなにも生活が一変した事はないだろう。南三陸町での被災から静岡~登米市仮設、ここから移り慣れ親しんだ南三陸の町へ帰る事を夢見て、多く障害で仙台での「終の棲家」を決めた。
こないだ河北新報に畠山御夫婦の顔を見つけた。「色々お世話様でした。無理せず頑張って下さい」の私のメールに、「元気でやっていきます」の返信が帰って来た。南方仮設から仙台に出発の日に、仮設の人達の作ったアーチで送られた時に涙が出たと言う。私もその光景を思い浮かべても、感激の思いが伝わってくる。二人の仙台の仮設住宅の部屋での姿は、何処となく寂しさを感じる。家には南三陸町の絵が津波でも流されず、部屋を飾っていた。南三陸町が思い出の町となりつつある。
終の棲家として松原の5階?の町営住宅と決め、毎日の志津川湾から登る朝日を見て暮らしたいとの、細やかな希望が大震災で粉々に打ち砕かれた。南三陸町に帰る事への希望も多くの問題で、仙台で暮らす事も余儀なくされた。いったい誰が悪いのか、誰が救いの手を差し伸べてやらなくてはいけなかったのか。だが、最後の決断は苦渋での仙台の暮らしだった。静岡での暮らしは「南海トラフ地震」を心配しての一次避難だったと言う。震災後の多くの不安の中で、仮設のグランドゴルフと、奥様との二人の生活があった。
私も南方仮設を幾度か訪問した時、町への帰還を夢見、高台移転の再建の経緯と進捗を熱心に見つめていた。4年を過ぎて心の糸が切れてしまったのだろうか。仙台に暮らしていても知り合った人との「絆」「繋がり」は決して消えず、高齢となり故郷と人達の姿が懐かしい事だろう。
仮設生活の畠山さんに被災後「故郷の病院に透析施設建設」の要望書の志津川地区の代表者をお願いした。快く応えてもらい町長に要望にと町まで来てくれた。完成した南三陸病院には、りっぱに「透析施設」が設置され、地元で暮らす透析患者を救い助けてくれた、畠山さんの活動の証が残りました。ありがとうございます。
出会いは突然で、15年はなるだろうか、我が社に年賀状の注文にきて、話が弾んだ事を今も覚えている。相手を思い考える会話に自然と引き込まれた。議会でも先輩同僚に、海洋実習の先生でお世話になった事を聞く。仮設の役場事務所にも何度も足を運び、偶然に幾度かこの混乱の時も会う事ができた。奥様は父の知人の妹?さんで、天王山に昔暮らし、昔話しでも盛り上がった事が懐かしい。故郷に帰った折には、また話をしたいと思う。震災を共に生き抜いた仲間として。
DVC00013.jpg
こないだ志津川地区中央区の高台造成の進捗を、総てが見渡せる場所にいた。三段階に分けて土地が引き渡されると言う。当初希望していた人たちが40人も減少している。その中には4人の同級生がいた。また、今回の一段階目の土地提供に幸運にも当選した仲間もいる。これまで頑張ったご褒美と私は思う。正面の大山も崩され整地される。まだ時間が掛かりそうで29年の3月と言うが、区割りを含め造成変更など、工事がまた延びそうな気がする。
松方弘樹さんが「脳腫瘍」だと告白し、手術の為長期休養に入ると言い、舞台やショーを出演中止にした。73歳の熟年は、これまでの人生を少し休みなさいとの警告と思える。
日本の女性の7割が「250万円未満」の所得と言う。都会での生活はさぞ大変だろう。老後は「南三陸町で!」はどうだろう。ちなみに私は「200万円前後」で、これまでの蓄えを切り崩し今を生きている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:22 】

2016
02/23

人間の英知と無知

2.232ブログ
毎日の同じ行動を取らないと「イライラ」する。定時に起き同じ時間で同じ事をする。生活や機械・付き合いも正常に機能しないと、一歩も前へ進めない性格は昔と同じである。今、FC2のブログにアドレス変更の指示が出て前に進めない。長年のアドレス変更したくない! 思い入れがある。

昨日は農協志津川支所に行き、預金を解約しローン支払いに回した。少し余裕がなくなってきた。名古屋の建設会社倒産で、弁護士から破産手続きの状況確認の通知が来ている。被災地に新たな経営立て直しへの期待があったのだろう。県内でも数軒が被害を受けているのに、復興庁・警察・行政・弁護士も、この苦しみを理解できず、「出来ない」とか「お金はもどらない」と言う。建物の保障問題もあり心配ながら、私の自宅は諸々の問題がありながら、完成し生活しているので良いが、建設途中の人達の被害者には、その問題の大変さを思う。信頼できる建設会社とて、順調経営に見えて現実は厳しく、資金繰り・経営に失敗したら、同等の問題へと発展しかねない。金額が高くても世間に通じる「ハウスメーカー」が安全のように今は感じる。聞いたことの無い知らない会社に飛びつくのは、これまでも住宅の再建での多くの問題が発生している。安易にお金を渡さない、金に回収・要求にこだわる会社は何か問題がある。

「三枝さん貴方も」。家庭の危機の中にあるとメデアに告白。芸能界の不倫による問題が、社会問題となり伝染を始めている。これでは「新婚さんいらっしゃい!」の長寿番組もやってられないだろう。笑いに生き落語に自分の生涯を賭けながら、このエネルギーは多くの男女の恋愛の上に生まれていたのか? この代償は順風満帆な人生を転落まで及ぼす。
結婚も恋愛も出来ない人間が多くなり、日本の人口減少に波及している。人間が発展・思考と可能性を持つ動物と言うが、また、成功を破壊するのも落下させるのも、人間と言う動物だと言う事を証明している。

ブログの問題解決! 発信!

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:19 】

2016
02/22

河川移動は自然への反逆


自然に手を人間が加える事で、全国で色々な事が起こっているように、大丈夫ではない問題が発生している。有明海の水門閉鎖、沖縄の埋め立て、全国での地盤の造成など、自然の営みと動植物の環境が破壊されている事は間違いのない現実だ。人間のおごりがここにもある。昨日は鹿の駆除で猟友会が出動していた。動物の住む場所の山を崩し過ぎた為に、生活圏を追われた動物が人の住み始めようとする場所へ入ってくる。それは人間の方だろう。人口が減少しているのに、土地の開発は大震災の為なのだろうが、自然からの警告を無視し、更なる人間の自然破壊となっているような気がする。住んでいた所の最小限の破壊ではいけないのだろうか。

昨日は思っていた事を実行出来た。志津川市街地の整備事業は工事現場への「危険防止」と言う事で、人の出入りを禁じ歩道はあるものの、その場所は遠く、何故なら市街地全体が再建整備場所だからだ。新井田の最終津波到達場所に車を止め、ぐるりと「う回路」を廻り撮影したい場所まで行って来た。昨日の強風は工事関係者の帽子も山の頂上から下まで飛ばしていた。トヨタの志津川自動車工業のあった場所まで行き、撮影した。会社前の国道45号はこんな状態だった。道路を掘り起し、ここが新井田川となる。誰もここまで現場の写真を撮りに行く物好きはないだろう。町の変化の記録を写真で保存が出来た。一昨日前は清水浜の変化を撮り、小森インター工事現場など、町の至る所で復旧工事が進んでいる。私一人が工事場所の情景を撮影するのは限界があるが、幸いにも仕事で市街地の端まで出掛け、その1か月前と町の状況が変わっている事に驚かされる。今度は新井田遺跡の半分の残った現風景を紹介したい。車で通過しながら見るのと、現場を直接訪れ見るのでは小さな事の再発見がある。道路下を新井田川の排水の太い管が2本も通っていた。大雨での排水機能が追い付かなかったら、間違いなく大洪水となり国道は通行止めとなる。異常気象への対策など何処にもない気がする。
CIMG6229.jpg
昨日は父が床屋へ行きたいと言う。同級生の市街地の残土の山の間で頑張っている「アート」へ送って行った。店にいた人は「TBS」のテレビの関係者で、父は名刺を見せにくれた。「おらいさよっかもしれねえ!」と、人恋しい心情が伝わってくる。また、入谷の大工さんにも行った。2ぶりで目的地をめざし行ったが、通過地の被災後住んでいた場所は、すでに更地となり近くの山を造成した場所に自宅再建を終えていた。「木の香り漂う家づくり」をコンセプトに、被災者の再建支援を前面に出し、仕事に励んでいた。歌津人ながら現在「入谷地区」に生活地を移した。

辛坊治郎の「そこまで言って委員会」は勉強になる。民主のふがいなさを「バッサリ」と切って捨てた。民主党の看板にこだわってなんかいられないと、出演メンバーは言う。与党の巨大化に、総ての野党が一丸とならないと次期選挙では勝てない。民主の看板を外す事にこだわり、また惨敗したら国政は与党の思いのままで、日本の政治は「数の論理」で、自民の思いのままに進む。互いに危機感を持った緊張感の中で、政治をおこなう事こそ国民の民意が真実の物に繋がる気がする。独裁主義は不公平を加速させる。

是非、こんな事を町民の皆さんと一緒に考えたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:51 】

2016
02/21

清水浜の歴史が消え新しい集落形成に


志津川地区清水浜を見ると小さい集落ながら、町の復興の姿を見る事ができる。地区内を流れる川には「河川堤防」の工事が進み、気仙沼線の高架橋が解体され、高台の造成が地区防災集団移転では一番遅い。これを大きくした状況が志津川市街地だろう。町の再建は復興期間の10年から1年2年と徐々に遅れを想定する。その結果で住宅地元再建を諦め、町外への人口の流出は進み、45年後の「人口5千人」に向かっていく。

町への注文の発信者は何時も同じ。多くの人が現在の町づくりの意見を持っていても、それを汲み上げない行政・政権の強権的な姿が見られる。
昨日は「さんさん商店街」が始まり4周年と言い、今年で終了すると、記念のイベントで盛り上がる光景がテレビで映し出されていた。ここまで被災地の住民の買い物の場を確保してくれた事を、町民が皆でお祝いをするのが当然ながら、多くの町民は生活の恩恵は受けなったと、その盛り上がりには欠けている。
その反発の姿が、町が決定した「BRT」の整備への方向性で、今回、「鉄路復旧求める集会」が28日に午後2時から南三陸プラザである。発起人は歌津の小野寺氏で100名以上の賛同者がいる。近隣の推進団体とも連携して鉄路復旧を進めたいと言う。
CIMG6006.jpg

町には若い政治を志す人間がいなく、地域から現町政権の支援の元に人を輩出する形が続いている。権力の維持に事業所・組合団体が同調している。これまでの町制の形に無い状況は、大震災により若者は離れ、カリスマ的な象徴となった人間を、全国・世界とボランティア団体の、町の歴史と人物像を知らない、支持者行動と復興特需の事業所が、自分を守る為の選挙支援が我が町には存在する。
金曜日の民主党の前野田総理と現安部総理の政治のやり取りは面白かった。私は、現首相の国会答弁の戦略を厳しく突き、野田さんの勝ちに見えた。答弁の時間を質問内容に費やし議論の時間を少なくする、姑息な答弁に私もイライラしていた。ヤジが終わり静かになるまでは自分の発言をしない。納得する発言なら「ヤジも飛ばない」と思うし、また、そこで質問時間の減少を図っている。国会議員削減も「0増5減」から「10減」と、安倍総理とり約束を取り付けた。議論に「名目賃金」と「実質賃金」の議論があったが、国民の納得は実質賃金であり、物価高を組みいれた「名目賃金」は架空の手に渡らない賃金、これを正当化するのはおかしい。党主間の取決めの約束を守らないは、現政権は国民から支持を受けるのは難しい。消費税の8%の導入を実行し、国会議員の削減をしないのは、選挙で大勝した現政権の奢りとしか取られない。明日からまた国会論争があるが、安倍総理の答弁は変わる事はない。この「おごり」と「強権的」な態度が、今年の参議院選挙と、まさかの衆参同時選挙に影響となるのは間違いがない。
「国会議員の育児休暇」発言の京都選出の36歳の自民議員の「議員辞職」は、やり直しの補欠選挙に自民党の候補を出せない状況となっている。彼の行なった出産5日前の「不倫事件」は女性の指示を受ける事は難しいがその理由だろう。与野党の議論は登壇すれば良いのではなく、その中身が大切と思う。共産党の厳しい勉強と学習をした質問は、国民の指示が少しずつ伸びている事に繋がっている。

昨夜は同級生が御礼の電話をくれた。奥様に代わり「今度は是非行きたい」との言葉が嬉しかった。御世辞ではなく「奥さんがいるから」の言葉に、「男の人の統率力」が一番との話になった。
来週の日曜日に「婚活セミナー」に友達と参加してくる。独身者と家族が結婚について意見を交換する集まりと言う。町が婚活事業に消極的な考えに、自分が私費で活動を今年から始めようと決めている。「ひも付き補助金」は、別な意味で自分を縛る事となる。20年度の町づくり事業「婚活」に補助金をもらい参加したが、満額の補助とはならず、自己資金の支出が補助を遥かに超えた。最終的な診査だろうが、震災で全ての資料と、生活環境を失っているのに、補助は75%だったように思う。町政を指示する町民には満額以上の待遇の中で、反発する人間への影響は、間違いがなく減額として表れる。
私は最低限の町への町民としての権利主張と、町への協力は最低限としたい。自我の行動・考えを町政策の失敗の反逆に繁栄させたい。「是々非々」を貫きたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:07 】

2016
02/20

気仙沼・本吉の再生までの軌跡を追い続け


父親が定時8時半の多機能福祉施設の迎えの車に乗り込む、行く前は色々文句を言いながら、嬉しそうに施設での話をする。
「最近人が変わる!」と言う。介護職員の数が少ないと全国的な問題があり、南三陸町にも5つの老人介護施設があり、その中で病院職員の引き抜きなどを含め、介護士の獲得にやっきとなっていると聞く。
都会の若い介護職員(23)の入所者の4階からの転落殺人は、「手が掛かる」「ストレス」など、未熟の社会意識の中での事件のようだ。入所者への虐待の光景がテレビで何度も映し出される姿に目を覆いたくなる。施設に務める事の大変さを理解できるが、若い介護労働者の全てが介護士に向いてない訳ではない。急激な需要の伸びに施設の「職員教育」と「心のケア」を専門家は指摘する。また、別な事件でお金の取り立て役(23?)が、依頼した女性を撲殺して川に捨てた。他人への犯人工作など幼さの中に緻密な考えだけは一人前だった。
先日、母の施設に行った。施設の介護者の優しい接し方に感謝しかなかった。認知も落ち着き2年を迎え、ベツトと食事が日々の生活であり、手の掛からない母で安心している。静かに人生の終末まで生きて欲しいし、施設に最後までお願いしたい。

昨日は自分の「後援会の解散」の書類が受理された。私に協力してくれた3人に感謝をこの場でしたい。5人の名前が必要で親戚からの協力は得られず、従弟と友達2人の了解で後援会を立ち上げた。活動は無く「政治資金の収支報告書」は22年から6年間続けた。お金の授受は無く書類には全て「0円」である。後援会は看板設置の為の設立だった。
気仙沼の県合庁で報告書の最後の提出を終え、仮設の事務所の玄関で三陸沿岸の海産物の販売が行われていた。海産物詰め合わせが「2500円前後」で、地元の売り子と県の職員がハッピに身を包み販売に追われていた。私は新鮮な今が旬の「カワメ」は南三陸町の漁民から買う事にしている。申し訳なく写真を撮らせてもらった。

今日の午前はこれから清水浜に若布注文と、仲間の上棟式のお祝いに出掛ける。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:28 】

2016
02/19

広範囲で町が変か! これが復興?


志津川地区の川に架かる橋の名前が最近出てこない。復旧復興が先に必要な状況ながら、多くの志津川の橋の名前が忘れられていくのは寂しい。これまで町の生活を支えた「町の橋」を、今後も過去の物と片付けて良いのだろうか。
写真の八幡川に架かる橋は「八幡橋」で、この橋もあと一年で撤去される。国道398号が旧五日町の町の中央交差点まで繋がり、その後に無くなる。写真正面の橋のたもとに現在「人道橋」の建設の橋脚建設があり、鉄骨が何本も打ち込まれている。台湾の大地震での柱の鉄骨の少なさと比べ、その数に驚かされる。
後は小森に建設中の三陸道のインター工事の準備で、以前のう回路からまた高速道の真下に「う回路」が建設中だ。年度内の開通は諸々の状況の中で、一年延びる事となった。
海岸線の大森地区と本浜町を結ぶ道路が無い。現在は防潮堤の高さで以前あった「曙橋」の、震災復旧で再建が進んでいる。本浜の旧市場から「水門」を探すが撤去され、その後ろに白い幕で覆われた物体が、橋の建設の囲いだと言う事を知人から聞いた。8.7mの堤防と10mまでの土地の嵩上げにより、橋の再建も大規模な物となっていた。
志津川地区の十日町から新井田までの、旧国道45号の現在のアスファルトが撤去され、川となる溝を掘り始めている。皆さんにブログで伝えたいが、ここまで行くためには工事の休みな日と、車を止めて歩いて行かないと写真は撮れない。この現光景は絶対に残すべき姿であり、「今度の日曜に」と既に4週間が過ぎた。
本格的な志津川地区の再建が加速しているのは当然で、後残り20日で5年目を終えようとしている。一人でその姿を伝えようとすると限界がある。

今日は「後援会事務所解散」の手続きに気仙沼に行く、看板設置の為だけに講演会を立ち上げたが、政治資金なるのもは集めても居なく、企業支援も個人資金援助も貰ってはいない。毎年の収支報告を続けて来たが昨年末は、年末年始の入院となり、会の存続の意味が無くなった。一つの区切りを付ける事とした。

私の歴史の一つがまた一つ幕を閉じる事となる。

今月は「婚活事業セミナー」に参加しようと思っている。独身者が増え出生率も低下する被災地の状況に、小さい自分にできる活動を見つけたい。町では結婚への事業の展開は考えてないと言う。しかし、近隣の市ではその活動を進め、専門家の講演も開催していた。将来に繋がる「種まき」とも言える活動が、疲弊へ加速続ける町には無い。出来ない! のだろうか。
 

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:52 】

2016
02/18

昨日は仕事ができない? ない!

震災から会社再建があり、営業再会から4年半を迎え機械が悲鳴を上げていた。
数千万円の小さな機械設備ながら、その再建まで道程で多くの機関の支援と、身を守る行動が会社を守り再建を可能にした。努力なしに、将来の危機を乗り越える準備が必要だと、これまでの震災からの脱出全てに、その行動が生かされて来た。多くの無駄な支出もあるものの、そこから真実の起動修正をはかり、これからも前へ少しでも長く進んで行きたい。

昨日は100万円の事務機器の修理が20万掛かると言われ、格安で同等の新機械の搬入があった。このままで今後の修理を重ねた経費を考慮し、資金繰りが大変な中で、今後の更なる出費防衛策を図った。
営業は仙南の山元町の出身で、震災復興は遅れ人口の減少も拡大と言う。名産のイチゴの復活も見られるが、北海道で新たな生産体制造りで移住した町民もいる。被災地の再建は何処も大変と話してくれた。福島の印刷会社の社長も、経営不振から廃業し、設備の処置に数千万円の設備も、搬出・処分に全てが消え、パソコン・プリンターで趣味範囲での、仕事を一人で続けていると言う。自分の末路を聞かされたようだ。
160218_054222.jpg
昨日は来客が多く、お昼には仙台と石巻から二人の同年くらいの女性が、新しい世界への挑戦の話で盛り上がった。アメリカの造船会社の社長の「海と共に生きる」の活動に、職員として国内を飛び回っていた。新たな進出では石巻の田代島に、自然観光地の創造に活動の準備に入っていた。田代島を知っているだろうか。牡鹿半島の外洋側にある小さな島で、住民よりもネコの多い島で、テレビでも取り上げられ、外国の観光客が多い事でも有名だ。二人の話によると石巻副市長の許可を得て、大学の先生が「海華復興の会」の現地調査で動いていると言う。孤島の観光開発にあたっていた。今年中に田代島に行く事を二人と約束をした。
お土産に「蔵王地養卵」を持ってきた。トオモロコシとよもぎ・海藻・広葉樹の木酢液を食べさせ、昔の庭先で育てたにわとりを再現した。サルモネラ菌検査はもちろん、生産の環境面でもこだわっていた。甘みとコクがあり臭みも無いと言う。朝ご飯は「たまご掛けご飯」としたい。
160218_054028.jpg
町からの印刷物の入札があった。A3のカラー両面印刷で、原稿受注から5日で、デザイン・印刷・折り・地区分けまで、以前の半分の期間でも納品は、被災した印刷会社には受注は難しい。こんな仕事が現在は多く、地元の事業者の実態を把握していないか、「貴方の会社受注は想定していない」とでも言っている気がしてならない。まあイイ! 誰の考えか分かっている。

町への我が家の魅力と愛着は日増しに薄れている。一番困るのは貴方ですから。後2年!
今日も機械の修理に仙台から来客がある。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:01 】

2016
02/17

前略 須藤様

人との繋がりがまた人へと、その輪は次々と繋がって行く。共に復興の意を同じく方々が自然と結びつく不思議に浸っている。
私のブログを遠くシンガポールで見て、南三陸町の実情と支援の交流を知り、大阪・長野の方への御礼の手紙を送っていた人がいる。今回の長野の「御柱祭り」に、4年間も支援を頂いた長野の竹澤さんが、「須藤さんも来てくれませんか」と気持ちをもらった。偶然お父さんが昨日、我が家へ親父を訪ねてきた。息子さんは何処にいますか? と聞くと、「4月には帰ってきます。こないだはイタリアから電話来ました」と話していた。身近な所に世界を駆けまわって頑張っている事を聞かされた。3月は故郷へは来れないと話してくれた。
是非、私も会って話をしたい一人だ。

今日は仙台の機械屋さん2社が来る。お客さんも仙台から二人と、材料屋が集金に来る。みんなお金が発生するお客だ。仕事も暇だけどマイペースでいい!

昨日は東京のこないだ同級会で会った仲間が、私の体調を気にし「大丈夫か?」と電話をくれた。同部屋で寝不足でじーと朝日を見ていた私を心配してくれていた。彼も大学から政治秘書となり活動していたが、自分の夢を断念した。現在の若い国会議員・秘書の事件・問題が多発し、国民の為でなく自分の事、金目的な人材を嘆かずにはいられない。人を思い故郷を忘れない、こんな政治家が国政に関わって欲しかった。「俺は大丈夫だよ!」と言うと、現在の病院周辺の変化に驚きを隠せないでいた。遠くから故郷を見守っている同級生が沢山いたことに感激だった。
DVC00136.jpg
現在はお昼の「手作り焼きそば」にはまっている。一食当たり「150円」で、モヤシと卵と余り物のハムを入れる、これが早くて安くて美味い。
DVC00137.jpg
一昨日、母の入所している施設の人から電話がきた。「すみません」「気をつけます」との謝罪の連絡だった。昨日に施設への会計に行った時、直ぐに看護師が駆け寄ってきた。「すみません」の言葉に、私が恐縮してしまい「お世話かけます」の言葉しかない。聞く所に寄ると、食事の時に車イスとテーブルの間に手が挟まり、手の皮下出血が出来ていた。何てことはない! 昔から怪我の絶えない母には蚊が刺されたくらいだろう。

果たして今日はどんな事が起こるだろう。最近、会社・家庭や身の周りの整理がやっとできるようになった。震災後の色々な資料が出てきて、多くの人達の支援があり、その心の優しさに浸った。いつか一般に紹介できるように、震災資料として大切に保存している。会社を戸倉荒町から沼田の商工団地に移して、引っ越しで河北新報の役場職員の殉職者の見開き2Pの新聞が見つからなくなった。当時の職員の顔を全て知っていて、忘れる事などできないものの、その形ある物を手元に置きたい。現在の職員は関わりのある部署しか知らない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:31 】

2016
02/16

周辺の変化に学ぶ


昨日は気仙沼まで仕事で出かけた。道路は小泉地区からトラックが増え、市内周辺は復興工事の車が列となり、渋滞が発生してはいるものの、ある時期を過ぎると通常通り走る事ができた。
写真は気仙沼市立病院の建設風景で、骨組の外観が姿を現してきた。お昼とあり35年来の行きつけのラーメン店で、大きなチャーシュー入りの「旭川味噌ラーメン」と、大人気の「ギョーザ」を食べた。昼時とあり20人でいっぱいとなる店には7割の客で満員に近かった。昔からのお得意さんも多く、店員との会話も聞こえてくる。周辺には震災後に数軒のラーメン店があるが、駐車場の車は少なかった。私の行きつけの店も震災で流出し、100mぐらい場所を移動し開店した。大胆に内容を一変し系列店のようにも見えるが、店主のラーメンへのこだわりの味を継続していた。
160215_132542.jpg
歌津に来ると「仙台銀行」が全容を現していた。ファミリーマートの隣りに再オープンする。枡沢地区は住宅街や福祉施設と、新しい高台の住宅再建地区もあり、地区民にとっては行きやすい場所でもあるだろう。伊里前市街地の再建が進む中で、一番欲しい施設の「銀行」が、商店街から他の場所となる事は、再建の店にとっても誤算だっただろう。今後は公的施設として「郵便局」が浮かぶが、あと何が歌津の商店街に建つ事なるのか。昔から続く歌津地区の中心地の復興が心配だ。

昨日は仲間の急な誘いで、ゴルフの友が5人集まった。皆が事業所を持ち町の復興の後押しをしている。総ての分野でチョット五月蠅い知識人であり、情報通だ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 09:16 】

2016
02/15

一日中懐かしい思い出に浸って

昨日はエアコンもストーブもいらない温かさながら、小雨舞う一日で洗濯も出来なかった。天王山・天王前・新井田地区の復興の変化を撮りに行きたかったが、現在の地区の道路は歩道はあるものの、歩くには遠く車の泥はねなどもあり、現在を伝えるのに不便に市街地の造成地事情となっている。
160214_125436.jpg
160214_125529.jpg
一日中家に居て片付けをした。そんな中でテレビに懐かしい光景が飛び込んできた。私が20歳の頃は、我が社は活版印刷が主体で、写真のような「組版」「印刷」をしていた。年度末始めは名刺の印刷で忙しかった。県の合庁・警察署・消防署・高校・漁業組合など、移動の名刺で50個以上は作った。通常は「手封筒」と言う手動の印刷機が大活躍した。100枚2千円で消費税は無かった。名刺の小さい字も良く見え、「こみもの」と「活字」の組み合わせと、文字を拾う「分選」と言う文字探す事から仕事を始まった。早い物は15分で完成し難しい物は1時間で仕上げた。アナログであり自分で機械を調整し作業をし、夜中までの仕事は「明日使うから」のお客さんの要望に応える為で、一人で仕事をした。懐かしさとあの頃は良かったと思う。他者・他社への「ねたみ」もなく、黙々と家業を両親の為と頑張って働いていた。本当よかった時代だ!
CIMG5974.jpg
CIMG5977.jpg
こないだ知人から「まつも」「ふのり」を貰った。歌津地区の「磯開口」だったと言う。いただいた物は作るのが大変でも、自分で料理して食べるを実践している。今年初物の「まつも」を味噌汁に入れて食べた。ミネラル豊富で髪の毛にも良い海藻、新ワカメも取れ始め、健康にも良いので努力して食べる事にしている。
濃い茶色が、温かい汁に入れると綺麗な緑に変わる。成分が緑色に変わると聞いた。今の子ども達の「南三陸の海藻が好き」との声は、個人的には聴いた事が無い。「食育」は子供達が地元の食にもっと触れ、町外に出たら多くの人にその良さを美味さを伝えて欲しいと思う。

昨日はクルクル変わる復興大臣と、南三陸町の有識者との話し合いが、「南三陸プラザ」で開催された光景がテレビで流れた。ぐるりと顔ぶれを見渡すと誰も知っている人がいない。「有識者」と言われる人の集まりで、行政の主導の元に復興が進められ、結果的には多くの町民が町を離れ、高齢化が加速した。もっと現実的な必要施策を講じる事は、「机上の議論」ではなく、生活している住民からの苦痛な話が、有識者の意見よりも必要に思う。国も自治体もお役所仕事に徹し、この地方の危機に静かに向かう、自分を守る政策では、何ともならなく被災地の真実の再建はならない。空虚な夢に向かい、人の暮らしは益々大変になって行く。
宮崎衆議院議員の出産前の「不倫」そして「辞職」は、若い一部の国会議員の危うさがあり、年間でこの議員は「1億2千万円」の報酬と経費が、国民の血税で賄われている事に、日本の政治家の裏側を見た。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:52 】

2016
02/14

南三陸町の合併10年の意義は

最近、町の印刷業務としての見積依頼が、南三陸町から多く来る。総合計画の中でも「見える化の推進」など、町民に復興の姿を伝える為の印刷物なのだろう。
パブリックコメントも、「防災庁舎県有化」「町の今後5年の総合計画案」など、町民から意見を求めている。しかし、回収率や費用対効果を考えても、どのように復興にプラスとなっているかが分からない。
こうした被災自治体の復興へ向かう活動を、復興交付金の算定基準にしているのだろうが、町の復興の加速や住民の為になっているかと言うと、自治体の予算の確保と一部の業者への仕事でしかない。
「県有化」のパブリックコメント「住民意見」の14%ながら、民意とその結果を行政の進もうとしている考えに、無理にあてはめようと言う節がある。
気仙沼市の人口減少による交付金額が決定した。「23億円」で、5年間での交付だ。当初は50億の減額を覚悟していたが、被災地特例軽減と5年間だけ猶予された。その後は減少した人数分の交付税となり、この最低額から年間「10億円」が給付されない。また、今後の人口減少からも交付金の減少で、住民への生活環境の整備と財政難は厳しくなっていく。
南三陸町も同じだ。気仙沼で1割の人口が減少し、我が町も3割の人口減が今後も進む。復興が順調と言う自治体としてのメンツと、復興交付金の獲得に懸命に町職員と町長は一生懸命だ。

「ボランティアセンター」のプレハブの解体が始まった。若布の刈取りも繁忙期となり、「観光に来ながらボランティアをお願いしたい」と言う、若き漁師の苦悩の声が昨日放映されていた。せっかく養殖で育てたワカメを、加工できなく捨てる事もあると言う。ボランティアの力に寄る生産活動は何時までも続く訳も無く、他者からの依存の脱却が求められる。しかし、多くの地域の住民が流出し、作業員の確保は町では難しい。「南三陸応援団」のボランティアの継続策も、安易な自治体の考えもいつか破たん、こんな現実からも見えてくる。日本はまだ元気だと言うが、国民の生活の疲弊はそこまできている。自分だけに肥しをまく政策はもう終わりにしないと駄目だ!
今度も4千万円の外国赤十字からの支援があり、「生涯学習センター」の建設資金として使われる。台湾からの町病院への「22億の支援」があり、小さい町には相応しくない巨大病院が建った。昨日に発生した「台湾南部直下型地震」があり、支援の恩返しとして南三陸町はどんな支援をするのだろうか。この発生により台湾からの観光客の誘致も厳しくなる。人の支援を受ける事は「お互い様」と言う、昔からの人付き合いの基本がある。アメリカからオーストラリアからの、多大な支援の恩返しを今後も続ける事の大切さは、震災時の首長に責任があり、辞めたからと言ってその任から解かれる事はない。今後一生被災地のトップとしての役目がある。
政府からの4000億もの復興交付金は、南三陸町の再建が目的で、住民の確保もその大きな政府の要望がある。しかし、こんなに町民の減少による町からの税金の徴収は厳しい。私はこの町に国民・町民としての役目を全うしたいと思っている。会社の維持はその根本となる。公平・平等に地元の事業所を見て欲しいが、町には何も見えないし、そんな余裕も職員にはないだろう。自立居派遣の任期を全うし、多くの手当の保護の元に元の暮らしに戻って行く。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:53 】

2016
02/13

人間の心に潜む悪魔


昨日は商工団地の我が社の看板制作の打ち合わせに登米市に行った。登米市で頑張る志津川地区の友人に、南三陸の魚と惣菜を買って行き、佐沼の看板屋さんには「志津川産カキ」を持って行き喜ばれた。小さい看板ながら30万前後かかると言う。ここでの仕事は10年余りと自分の中で考えているが、30年以上持つと言う。「千葉印刷は被災しても頑張っている」との証としたいと思う。しかし、仕事の付き合いも広がる事となった。反面、時代の流れで15年余り続いたお得意さんが、また一つ消えて行った。
登米市に行ったついでに「ウジエスーパー」の、日本一弁当を買いに、登米市の本店に行き、弁当を探すと2個残っていた「ラッキー」だった。父の剣道の友達であり、母の義理の姉筋の氏家さんは、佐沼から県内一円に店をオープンさせ、現在の原点が「佐沼のおばさん夫婦」とよく聞かされた。昔は佐沼の旧商店街の裏にあり、母と家を訪ねて行った事を思い出す。今では「日本一」の商品を作るまでになった。
昨夜は父に日本一の弁当を食べさせ、「美味い!!!」と言って食べていた。南三陸産の「銀鮭使用」がまた嬉しかった。二種類の味付けご飯と漬物2品、そして卵焼きと誰もが喜べる内容だった。
3月10日まで全店で販売と言う。是非、賞味して欲しいが昨日のように品切れ覚悟で行って欲しい。昨日も2時頃ながら2個の状態だった。
160113_115025.jpg
平磯の仮設の道路脇を通過した時の一風景だ。遠くには老人介護施設があり、海から300mは離れ、海抜は20m前後と津波の心配は少ない。我が町の新年の風物詩「悪魔払い」を見つけた。家や部屋などの御払いの道具が、道の角に納めてあった。震災後は神事に疎い私と父は、神棚にお札と画像を準備するくらいで、家の御払いはもうしていない。
海岸部は「危険区域」として家が建てられない事から、町の造成した場所に行政は住民移転を促す。しかし、土地の価格も高く、民間で造成した場所への住民の希望取り消しは続いている。民間の会社は農地や原野を切り開き、町の整備地よりも「早く安く」の開発が町内の至る所で見かける。その結果、町の災害公営や土地区画からの住民撤退で、行政はその空き地の住民希望を募っている。「募集に希望はない!」に決まっている。これまで約20%に近い、町の提供場所は町民が入居を辞めている。どうするつもりだろう。
長野県飯島町への「七久保御柱祭り」に来ませんかの案内は、仲間が2人一緒に行ってくれる事で実現し、その要望が叶えられそうだ。これまでの支援に何を持参すれはいいか、現在思案中だ。若布・ホタテ・カキ等、地元の新鮮な海の幸を持って行き、南三陸町を伝え発信してきたい。
個人での仲間の支援を受けての長野行きは、また、予想外の出費となりそうだ。名古屋の関わった建設会社が「破産」し、弁護士より内容証明郵便が届いた。大きな希望(野望)が、被災地を利用した会社の発展は夢と消えた。金欲と我欲が泡と消える瞬間である。神様は見ていて悪は消えるが、つぎの代が邪な経営意識を変えて、誠実・真実の道へと変更させていれると、私は信じている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:38 】

2016
02/12

楽しみは「食」


昨日、夕方4時から石巻方面へ出掛けた。旧天王前の国道のう回路工事は動いていて、旗持ちの作業員の突然の飛び出しが、100mで2件も続いた。工事現場からの車の出入りながら、カーブでの出入りは危険がいっぱいだ。夕方近くは帰宅を急ぐ車が、接車する気がして、ついつい町中の走行もスピードを出してしまい、道路から「旗振り」が突然現れる。危険! 怖い!
昨日は「建国記念の日」で休日ながら、仕事が重なり仕事とした。4時に登米市柳津の新聞店に情報紙を届け、そのままジャスコに「イタリアン」を食べに行く。食事店街にはしゃぶしゃぶ・中華・食べ放題など、5時半となると店には列が出来ていた。石巻の蛇田地区は津波の被害もなく、住宅再建も進み応じて市民の動きも活発だ。海岸線の人口減は、震災復旧は何処へやらと言った感じた。スパゲティーを食べたいが、奮発して「ディナーコース」を頼んだ。南三陸町の生活ではあり得ない。今、動けるうちに少しの贅沢をしたいと考えている。
今日も35~50歳ごろの多忙の時間に追われる生活の夢を見て目覚めた。あの頃は夜中の仕事は私一人で後「5時間で完成しないと」と、一分一秒に追われた繁忙期の生活だった。今は自分のペースで仕事ができる事を楽しんでいる。夕方はコメリ隣りの「焼き鳥なっちゃん」の、レバーと皮を食べたい。
ウジエスーパーが全国のお弁当で、7000社を超える出品で一番となった。お客さんの他薦での栄誉と、女性のウジエデリカの藤原チーム長は話す。地域に根差しお客様に支えられて、ここまでの品質を高めている。鮭のはらこ飯は南三陸の「ブランド伊達銀」を使い、宮城・岩手の食材をふんだんに使っている。また、価格が「626円」とリーズナブルだ。3月10日まで各店で販売すると言う、是非一度食べたくなった。
震災直後に入谷地区へのウジエの出店の噂や、以前の県合庁跡地への出店も復興の計画の過程で実現はしなかった。来年の夏ごろには天王前の場所、志津川中央区の下にウジエスーパーが開店する。「これまで育ててくれたウジエ、これまでの恩返しに早期出店したい」との会社の願いと、町民の大きな希望が叶うまで、あと一年半となった。
160211_120557.jpg
昨日はしばらくぶりの晴天で、気温も7度近くとベランダで布団を干し、敷布を洗濯し干し乾いた。だから気持ち良く昨夜は眠れた。冬季は布団も干せなく「万年床」に近く、男二人の生活は色々と不便な事ばかり、母の力と女性の居ない家庭生活は大変だ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:18 】

2016
02/11

前略 辛抱じろう様


一週間の私の見るテレビに、週末の「ウェイクアップニュース」「そこまで言って委員会」がある。双方とも辛抱氏が司会をしている。政治に厳しくそれでいてジョークも面白い。
震災前の商工会の記念講演で辛抱氏が、高野会館で講演した。そこでは高齢者芸能大会で400人余りが津波で孤立した場所であり、あなたが南三陸町との関わりはここから始まっていたのかも知れない。
震災後に「辛抱治郎の番組のディレクター」ですと、私のメールに着信があり「取材したい」との事だった。私は全てを流失しパソコンを見れない状態で、2か月は生きる為、両親を守る為、周囲の町民の安否確認で、歩き回った頃だった。今もそのメール着信を思い出す。
その後で貴方を見たのはウエィクアップでの、南三陸の気仙沼線の線路上で町長とのツーショットだった。町長への辛抱氏のインタビーの会話に違和感を感じたのは私だけだろう。
そんな中での盲目のヨットマンとの太平洋横断で、貴方は海の・自然の怖さを肌で感じ、日本の海上自衛隊の海上ヘリの素晴らしい機能・体制で救われたと、涙ながらに話していた。少しの謹慎? からのテレビの復活でも変わる事の無い「個性」で、茶の間のファンを引きつけていた。
橋下徹氏の大阪府知事の出馬も、そのキッカケを作ったのは、「たかじん氏」と貴方と番組のメンバーの、政治の空虚感に切り込むトップとして、担ぎ上げた気がする。色々あるものの政治は橋下徹の出現で、国政に新風を起こし、「大阪都構想」は失敗したが、政治生命を掛けて国を変えよとした事は、国民に少しは「カツ!」を与えた気がする。上手に世を渡れない人の一人なのかも知れない。充電し又の国政に参加して欲しい。
辛抱さんとは「何か繋がる物」を感じる。性格はまるで違うが、震災後も来町を続けていて、会えるチャンスが幾度かあった。最後まで「町づくりの政治と現状」を大阪圏域ならず、全国にその真実を貴方の目で伝えて欲しい。

「国会議員育休」の必要性を求めた国会議員が、妻が切迫出産を控えている5日前後に、アイドルと京都の自宅に引き入れ不倫? 国会での逃げる貴方の姿に、一票を入れた国民は情けなさでいっぱいだろう。「何が国会議員の育休だ!」、こんな声が聞こえてきそうだ。
188㎝・政治家・高給取りに、このアイドルもこの人がどんな発言をしている人物かも判らないのだろう。でも、国民にとってはこんな人間が3期目にならなく、上の役職につかないで良かった。
全くおかしな事件と男が増えている。北海道の元妻と義母の「死傷事件」にも、自分の暴力から離婚となり、逆恨みで事件に発展、自殺をほのめかし、死ねない意気地なしだった。私は死んだほうか周囲が安心できた気がする。ここまで騒がせておいて、警察には「殺す気持ちは無かった」「記憶が無い」など、自分に責任を取れない人間が多くなってきた。潔さや信念など何も考えない男が増えている。
こんな事からも、挑戦から潔さをわきまえ、今後も、自分なりの生活をして行きたい。「だって自分の人生だもの」、しかし、仲間がそれを今まで導いて来てくれた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:23 】

2016
02/10

蜃気楼


7日の歌津の仮設商店街に行った時、かさ上げされた場所から、広々と見渡す歌津湾をカメラに収めた。改めて画像を確認すると「蜃気楼?」らしき物が、水平線上に無数の四角いビルのように見える。日本海の富山で良く紹介されるが、歌津地区で蜃気楼は新たな発見だった。
今日は薄ら雪が大地を覆っていた。朝5時に起きエアコンを30分稼働して起きる。暖かい布団から室温2度の寒さで「心筋梗塞」「脳梗塞」など、持病の血液ドロドロの対策をしての日々の行動だ。両親がこんなにも元気で、まだ死ねない!
たま、機械が故障した「20万は掛かります」と言う。出費は安心した頃に発生する。油断大敵だ。マイタウン情報も予定どおりの「第二日曜配布」の準備を終え、「復興第47号」を発行できる。ついまで続けられるか判らないが最後まで続けた。
昨日、長野県飯島町の知人から「ありがとう」の電話がきた。昨年12月に正月用の「御餅」を頂き、忙しさから2月まで恩返しが伸びてしまった。今が「旬」の寒鱈を一本を食べやすいように切り分け送った。空いたスペースにはブランド「南三陸ワカメ」を添えた。電話は「どうして食べればいいの?」だった。鍋・煮魚・フライなど、淡白な魚でどう料理しても美味しいと伝えた。長野までの送料込みで「5千円」の贈り物とした。お世話になった方々へは、地物の魚を一本送る事にしている。クール宅急便で次の日に気持ちが届く。今回は長野県「七久保」地区の7年に一度の「御柱祭り」に行こうと思っている。諏訪大社系の「御射山神社」への奉納で、50回300年の大祭と言い、是非との案内を貰った。竹澤さんは「坒細な交流だすが」と謙遜して下さる。一緒に行ってくれる仲間を募集している。20日大祭で19日な向かい、片道8時間の所要と遠い。支援の皆さんはこんな距離を3年続けて、被災地「南三陸町支援」に来てくれた。
中央区への土地の分配が始まった。147戸の土地整備と言うが、現在は40戸が予定戸数から減少した。私の仲間も東京に留まったり別の地区へと変えた者もおり、中央区を取りやめた。その以上にはないと思う。何故なら「復興推進課」では入所決定まで進んでいるからだ。希望・予定では造成工事は、減少のままでだと余った区画整備は無駄な事になる。行政と住民の駆け引きが展開されているが、住民の生活の危機感と、行政の復興の在り方に温度差を感じているのは私だけではない。
さあ、今日はワカメと油揚げの「味噌汁」を作るか。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:43 】

2016
02/09

生命の境界線「72時間」


台南市の「6.8」の直下型地震は、違法工事の16階のビルが木の模型のように崩壊した。現在も100以上がビルの中に居ると言う。「72時間」を過ぎ重機による時間との闘いの解体に向かっている。
見守る家族は「子供が・母が」とその安否への不安で押しつぶされていた。まだ朝現在で30人の子供がビルの中にいる。
建設業者のずさんさに驚く。ビルの柱には「一斗缶」が積まれ、その中は空洞で柱の役目をしていなかった。既に強者は破産していた。しかし、業者は倒産すると社長が名前を変え、会社を設立し建設業を続けている。工事をする社員も建設に対する知識もなく、平気? でこんな工事をしていた。
日本でも「アネハ建物偽装」があり構造物の審査が厳しくなり、基礎工事の「杭打ち偽装」など、新たな建設業者の事件発覚で、建築基準や制度の監視体制の、国土交通省は規制の見直しに取り組んでいる。こうした事件は「人間のモラル」の問題だ。人間のズルさが人の命を軽んずる。こんな社会は昔から続いている。
160209_053238.jpg
震災に対する被災地宮城からも、「支援に対する恩返し」が始まっていた。一昨日オープンした「伊里前商店街」では、昨日から「募金箱」を商店内に設置した。「これまでの支援に少しでも恩返しを」と代表が言う。南三陸町も病院建設の建設費4割の支援が台湾からあり、今回「震災見舞い」に100万円を送った。また、仙台市は台南市との姉妹都市であり、市内の公的施設に「募金箱」を設置したと言う。震災時に1億円の義援金にたいする恩返しだ。
観光交流で台湾の高校生が、南三陸町を訪れ「民泊」で町民との交流を深めた。町内の学生も「被災地支援募金」へと今後動くだろう。台湾仏教協会の町内全世帯への支援があった。町民も一世帯「1000円」で、全世帯半分で2千世帯として募金をすると、200万円。賛同してくれる人達からの募金活動もある気がする。日赤の世帯ごとの「赤い羽根募金」があるので、町としてこうした取り組みもあっても良いと思う。
自然災害の発生は避ける事ができなく、過剰なまでの募金は先方も望んではいないだろう。「気持ちの大切さ」、この部分でイイ気もする。早々の台湾へのお見舞いの書簡と言葉で十分な気がするし、また、それを理解してくれるだろう。
昨日は臨時議会があった。新聞の報道では「議員報酬の増額」だと言う。県内の町村議会の26自治体で「20番目」の報酬額だ。町民が認めてくれる政治活動があれば、報酬の増加は認めてくれるだろう。全町民を見ないで地区・一部の人へだけの議員活動もある気がする。「木を見て森を見ず」、こんな国会・自治体・議会も多いと感じる。

日銀の「マイナス金利」で銀行の金利も0.025や0.005と、定期・通常預金の金利も一気に下がった。今から30年前は、1千万を積むと一年で「70万円」の金利が付いた時代があった。国民には暮らし難い日本・時代になってしまった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:22 】

2016
02/08

再々オープンの賑わい


好天に恵まれた歌津商店街の再々オープンは、以前の場所から向かい側200mの所に、土盛りされた上に仮設が再度建設され移動し、営業を7日から開始した。
午前10時からのテープカットで始まり、テレビでは町長が挨拶をしていた。今年度中に伊里前地区のかさ上げを済ませ、志津川と同じ頃の29年3月に「町開き」を目指し、地域の再生が始まる。
仮設の集約に伴い最後のまで残される予定の「吉の沢仮設」に行って見た。静かな仮設の生活がそこにはあった。
知人の新築中の家を確認に、本吉町までの「グリーンロード」に向かった。震災時の海岸線の津波被害から、被災者が活用した避難道路でもある。あれから震災復旧のトラックの交通も多くなり、一部舗装の無い部分を整備し、復旧・緊急時の国道のう回路としての道路が整備されていた。
以前まで志津川地区の駅近くの、スーパーなどの大型量販店・個人病院などがあった場所から、造成完了を待てないと、不便な場所ながら土地の確保と格安さで、買い物・生活などには不便な場所に、新たな住家とする事を決めたと聞く。震災から5年の諸々の被災の環境の整理と、新たなスタートは家族が無事でいたからこそ、ここまで来れたのだろう。後2か月で新たな生活が始まれるところまで、家の建設は進んでいた。家族が一緒なら少しの不便は気にはならない。
160206_090639.jpg

土曜日に朝に「安藤忠雄氏」が出ていた。オリンピックの国立競技場の審査委員として、先ごろまでテレビで各関係機関・国民の審査問題に、テレビでその実情を真摯に説明していた。南三陸町との関わりとして、歌津地区の牧野前歌津町長の私費を投じた、歌津駅の「鎮魂の丘」の整備と監修に協力してくれた。
日本の観光の在り方を話していた。「地元の個性を発見して磨く」と、自分の観光の成功の考え方を話す。そこで北海道のある所の取り組みを紹介した。大きな大仏像を造ったものの、観光客が増えないので、どうしたら良いか相談されたと言う。安藤はあえて大きな大仏の頭だけを出して大仏を石で覆った。頭だけを出した覆いに紫色の「ラベンダー」を引敷きつめた。この整備により観光客は特段に伸びたと言う。
ヨーロッパから帰ったばかりと言う安藤、年に数回ここを訪れ写真に収めていると話す、季節の変化を確かめながら、施設にもっと必要に物と模策を続けていた。
世界的建築家の発想は、通常からの転換と後世に残ってもその輝きを保ち、他に類を見ない構造物の整備が必要と、観光客の確保に繋がると安藤の話から思った。

最後まで我が町の復興の姿を伝える。こんな使命をまた新たにした。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:46 】

2016
02/07

志津川東地区の西工区で住宅再建始まる


ベイサイドアリーナから商工団地中央道路を帰社しようとしたが、信号が長いためにあさひ幼稚園の脇を通ろうとしたら、幼稚園の基礎補強工事の為か、道路が通行止めとなっていた。通行案内の作業員が通れないと指示され、東地区西工区への地区へと初めて入った。私の知っている方が、一か月前に電気も水道も開通していない所で、「地鎮祭」をしていたと聞いていた。
同級会の仲間の実家でもあり、気になっていたが同級会の1月30日に「上棟式」だったと聞いた。まずは一歩前に進んだ事を蔭ながら祝福したい。
午前9時31分に政府の「Jアラート」による、北朝鮮の人工衛星と言われる「弾道ミサイル」の発射が実施された。「ボタン一つで戦争が始まる」と言った、米ソの核開発の停戦を迎え、数十年が経つ今、北朝鮮による「核爆弾」をちらつかせる、アメリカの支援を引き出すための国トップの未熟な政策で、ますます国は孤立して行く。隣国の中国とロシアの思惑は、北朝鮮を擁護する政策は、自国を守り独裁国家の自国の正当性をかくす事の、意味を強く感じる。互いの国の利益を追求する為だけの行動に、「世界平和」なんてどこにも無いようだ。世界は地球は「戦国時代」に再び突入している。人類は過去の過ちの渦の中に、また反省・改善とはならないままで突き進む。子ども達や弱い女性がその多くの犠牲になっている。「従軍慰安婦問題」を日本政治への批判し続ける韓国があるが、現在の「IS」はどうだろう。現実に性奴隷として女性の虐待は続いている。人間の悍ましい性格が世界に蔓延し、世界が解決に取り組むが、一向にその解決の糸口さえ見えない。小さな戦闘が世界各国に広まりを見せているのは、多くの国での生活への不満が、殺戮と言う不満のはけ口として発生している。平和な世界は理想だけで実現などできない! と思い始めている。そんな中で、貧しい国の人口は増え、難民の受け入れによる問題が今後も発生する。「人の為と見せかけて自分の事だけを考えている」、大国も小国も、大都会も政府も被災自治体も、人の欲が溢れている。甘利氏の行動に「辞職会見」の中で、私が金銭を授受してポケットに入れる事は絶対ない。と言っていたが、渡した千葉県の建設の総務担当が、直にそれを見ていると供述している。あの甘利氏の凛とした事件発覚の前の発言に共感をもった私には、見る目がなかったのかと、その事実は解明される事はない。
160204_094416.jpg
志津川の東工区に家族の将来を考え、親は子供の為にと早期の自宅再建を進める。私も「両親の葬儀は自宅から」と最大の目標を達成した。しかし、準備をすると両親は益々元気になった。震災後に2度の死の淵を乗り越えた母、「ずっと長生きていてください」「100歳の祝い金を貰ってからも」「私が最初になっても」と、決して投げやりではなく、命の尊さはみんな同じである。
昨日は2月5日に還暦祝いをした歌津の仲間から、「還暦は秋保で俺たちと同じか」と連絡が来た。我々の先月30日の会の後に女性達が「仙台でまた同級会」と言っていたが、昨夜開催したのだろうか? わが同級の女性達は元気で若い。

今日は「歌津商店街」の仮設から仮設に移っての、再オープンが開催されると言う。午後に様子を撮影にとみて来たい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:01 】

2016
02/06

歌津地区伊里前市街地が大きく変化していた


昨日は歌津の中学校仮設の知人を訪ねた。後輩の強い仲間の家であり、互いに助け合う仲間としてある。明るい奥様の笑顔に励まされ、私の心の応援団家族である。
そんな家族が暮らしていた歌津伊里前地区は、高台の残った家以外は全て無くなった。歴史も思い出も大切な人もだ。そこから立ち直ろうと必死で、一歩ずつ前に希望を胸に進んでいた。大切な家族を亡くした家庭は、未だに「心の傷を抱き」ながら、日々が繰り返されただ過ぎている。
写真は「歌津バイパス」の解体が始まった。水門の解体も見られ、予算の確保の方向性が見え、今年から一気に伊里前地区は大きく復興へと走り動き始めた。5mの嵩上げの計画で「海抜は7m」となり、防潮堤も当初の計画だと「8.7m」で今後進む。来月で震災後5年を経てやっと歌津の街の再建が本格化する。遅いと思うが地区が小さい為に、志津川よりも早く地域の再建に向かう。
CIMG5900.jpg
伊里前福幸商店街も国道向かいに移築され、残り一年間を前の「町開き」に向け、商店主は地区の発信と町の復興を支えていた。
全国の被災地の観光支援の皆さん、歌津地区の仮設商店にも来て頂きたい。人情と地域を守っている商店主さんに、「良く頑張って来ましたネ!」と、皆さんからの応援の声が最大の元気に繋がります。一人でも多くの人たちが、伊里前の色々な苦境の中で頑張る皆さんを労って欲しい。私も「一万円」を握って、今度は全部のお店を廻って見ようと思う。
CIMG5922.jpg
昨日は還暦祝いの同級会が終わったばかりなのに、北海道に帰る友とのお別れ会の晩さん会を開いた。仲間が地元の先輩の寿司店から豪華寿司に舌鼓、女性達は特製愛情たっぷりのブリ海鮮鍋を作ってくれた。3体3の正に「合コン」のようだった。同級生の祝い会での友達の変化に話題が盛り上がった。
残った時間で「頭の活性化」の麻雀をした。「北海道旅行」「又の同級会開催」等など、話は麻雀よりも昔話に終始した。そんな時に「桜島噴火」の臨時ニュースに目が止まる。レベル3だった。しかし、昨年の噴火は700回とも言われ、同等の噴火は「150日」ぶりと伝えていた。仲間が言う「今回の大震災に比べれば」と、確かに、私たちもその家族も体験する事ない、千年に一度の大災害の中を生きている。今は皆で笑って楽しい事をしたいと話した。「来年は秋保温泉で」、こんな話も現実身を帯びて来た。
楽しい話とビールと鍋で、9時30分には解散し昨夜は爆睡だった。また、昨日は長野県飯島町の知人から、7年に一度の「七久保区御柱祭」への招待が来た。出無精の私ながら震災後の支援に応え、何とか行く計画を立てている。震災による出会いが互いの町に人を呼び込む、行動に繋がる。疲弊する自治体に「日本人交流の輪」が広がる事で、日本人の笑顔が一つでも増える事を願いたい。「友達の友達は皆友達」、こんな言葉が思い浮かぶ。私の町では「友達の友達」は無い。飯島町のフェイスブックの友達リクエストに「承認」クリック!


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:32 】

2016
02/05

趣味は身を暮らしを助ける


私は食べる事が大好きで、その延長上には料理がある。震災前に趣味の一環として、商工団地内に会社の倉庫を利用して、もう一つの趣味の釣りの魚を調理する環境を整えていた。冷蔵庫・調理器具・ガス・水道など一式が整っていた。震災後に弟の家から一晩で出て、宿泊する物がない倉庫に親子3人で、暮らしを始めた。だから老々生活があるものの、今の暮らしが贅沢に感じてならない。

昨日も5時に起きブログ・メールなど、5種類の発信を7時まで2時間掛けて済ませた。予定の「寒タラ鍋」を作る。長野のネギと入谷の白菜、地元の真だらのアラと白子、正月の蒲鉾の残り、生協の安い「しめじ」をした処理して鍋を40分掛けて、朝から御馳走だった。始めに父に白子と鱈の身を小丼で配膳し食べさせる。白子は煮すぎると溶けて小さくなるので、仕上がり直前に食べやすい大きさに切り鍋に入れ、ひと煮たちしてから出来上がりだ。
物を無駄には出来ないがあり、冷蔵庫の食材は賞味期限が切れようが、野菜も少し芽が出ても、料理の仕方で普通に食べられる。「もったいない!」が私の生活の根底にある。こんな性格からも料理は大好きです。生活と身は一つの物で、これからも食材無駄にする事無く、食卓に並べていきたい。フリーザーに半年になる「鮎」と「戻りカツオ」が入っている。どうにか食べる方法を考えている。
160205_050341.jpg
電気機器が震災後から使い5年が経とうとしている今、一斉に故障や異常が起こり始めた。戸倉の山の工場にあったエアコンが止まった。「アラーム表示」の赤が点灯し、親戚筋の電気屋を東松島市から来てくれた。このエアコンは牛舎だった場所に置いた物で、2年前の新築に合わせ設置した物で、多くのゴミやほこりがフィルターを覆い、排気の障害となり機能しなくなっていた。40分ぐらいで修理が終わった。父はわざわざ来てくれたと修理に「3千円」を渡したと言う。足らないだろう! 不足分は又来てくれた時に渡したい。
もう一台はリビングの温風ヒーターだ。ストーブから変な音が鳴り始めていた。昨日はついに「FF」の表示が出ていた。同じく排気口に汚れ? と思い、扉を開きストーブのファン等を掃除した。1時間は掛けた掃除で、表示も音も改善されたようだが、ストーブの中はサビが所々に見られ、これも交換時期にきているのだろうと、事故が発生する前に買い替えを考える。

工場の印刷機械も劣化・異常となっていた。昨日、早々に部品をメーカーに注文する。早期の問題解決はギリギリの生活の中での最大の防衛対策としてある。問題を先伸ばしは何の意味も無い。
こんな事からも問題山積に時間を掛け過ぎる被災自治体は、地方の疲弊を加速させている。いくら新しい町と施設が整備されても、人の居ない町には「重荷」となり、財政負担で維持費に苦しみ、「夕張破綻」の二の舞だ。東京都からの出向の? の若いトップが斬新な政策で今を運営している。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:27 】

2016
02/04

広大な町の再建工事


昨日は旭ヶ丘団地の西地区東工区の造成の為に、左側の登り坂が通行止めとなり、臨時のトラック道路が一般車も通れるので、1年以上ぶりに行って見た。工区への入口ができ、ここから高校裏の高台造成地まで被災した住民の、80戸の自己再建が始まる。
中央区も若い世帯は時間を置き、最後に再建するとの話を聞く。しかし、我々のような高齢者世帯は、「時間が無い!」、一日も早く建設を終え両親を住まわせたいとの気持ちが強くある。

南三陸町の45年後の人口は町の総合計画の中で、「4300人」を何も政策を講じなく、そのままに推移する数字と言う。町の人口減少の為の「教育育児環境の支援」や「観光による交流人口拡大」「雇用対策としての企業の誘致」などの、政策を実施する事で、減少は「7200人」まで抑えられると言う。あてにならない町の想定は今も続いている。
ここまで町の描く復興計画が進み、今さら後戻りもできず、時間を掛け町の整備を進めて行く。各自治体では、時代は街の「コンパクトシティー化」を模索し、広大な町の設計は薄れている中で、町のあった市街地の整備と、住民の住む高台の整備ははたして必要だろうかと思う。公共施設の再建は全て復活させ、完成したら「委託管理制度」を活用し、町の管理で無く財源支出を削減すると言う。年々減少する人口の町は、過疎化の町に進むだろう。施設の委託業者はいるだろうか、「箱物」の管理維持は町の財源の枯渇とはならないのか。

私は考える。2年前後での町再建の構想を計画していたら、人口はある程度確保されたかも知れない。町の住民サービスの低下は巡回バスの有料化から、今年度始まって行く。
住民の多く住む市街地の整備を、5mのかさ上げを実施し堤防は10mで整備し、国道整備によるかさ上げ道の二重防御で津波対策をする。浜々の地域も集約し中規模の街の形成を図る。多くの工事現場は工事の時間と工事費を要する、誰の為の町の再建工事なのか、人が住んで街であり、住む人の少なくなった場所は「集落」でしかない。昔のような賑わいは一部の人たちの生活の為である。そんな気がしてならない。
160203_100541.jpg
町民全体は「先祖を守る」。こんな意識を30代ぐらいまでは強く抱いている。そうした意識が代々続き、町の発展と歴史が築かれてきた。町の将来を考えた街づくりを本気で考えているのか疑問だ。子ども達の減少もこれからも続き、こんな町に将来の可能性を抱けるだろうか。人任せの住民の町に愛着はないだろう。

私は祖母と叔母と暮らした「千葉家」を守ろうとここまで来た。甥・姪などは6人いて、その子供達も5人いる。この両親の子供達が「血を継ぐ」、これで千葉家の家系は志津川町から居なくなっても、しっかりと私の血も継続されていくのだと、途切れる訳ではない等、「千葉家」の永遠に続く事を願い、今を納得しようとしている。

街にこだわってここまで生きて来たが、私はまだ先祖に恥じない生き方をしていると胸を張りたい。

町長さんここまで来たら、現在で14年目の65歳、あと10年は続けて下さい。そこで自分のやってきた事を検証して、復興計画はどうだったのかを確認して欲しい。私のしてきた行動と言葉が間違いなら、私の財産を町に寄付しましょう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:05 】

2016
02/03

同級生に対して自分のできる事


同級会も終わり昨日はまだ帰らず残っている同級生の希望を叶えようと動いた。
わざわざ遠くから来た友は、将来の体の為にと「麻雀」「ゴルフ」を始めたと言う。麻雀はボケ防止と笑う。頭を使う事で麻雀は、手・頭などの運動として有効だと、老人介護施設の活動でも紹介されていた。ゴルフは打ちっぱなしから、たまにコースもでていると聞いた。自分の身体は自分の努力で維持をしていかないといけないと、自分から進んで活動していた。
地元の同級生も普段の生活に戻り、被災地の多忙な生活をしていた。いつも会う仲間は「一人足りないから!」と声を掛けたが惨敗だった。町を離れた仲間の中にはできる人間がいるものの、震災前なら多くの友達が駆けつけてきてくれただろう。

同級会の翌日は、「御払いの祈祷のお札」が無くなったと仙台から電話がきた。私も飲み過ぎで会の後始末は事務局に一任して、ホテルでの対応は出来ない。やる事はやったので、後は事務局にお願いする。

「西武の清原」が薬物使用で逮捕された。朝一でこんな大きなニュースを知った。48歳の野球界のヒーローが、自分の身から出たサビで、野球界の燦然とした輝かしい栄光を全て失う事となった。これまでの努力の結晶が「薬物」一つで、一生の終わりとなるかも知れない。野球のキャンプも始まり、多くの仕事も入っていたのに、一回目なら執行猶予も付くが、これからの人生の多難と家族の生活まで影響となる事を心配する。
人間は弱い生き物ながら、良くするも悪くするのも、周囲の人々で大きく変わる。町から沢山の人間が去り、私の友もその家族もいなくなり、その相談や協力する人たちが居なくなった。会社の疲弊も従業員の確保ができない事も一因として上げられる。印刷業はアナログからデジタルとなり、私の拙い頭脳ではもう付いていけない。

昨夜はテレビで「社会保険の現状」を聞いた。社会保険加入は法人会社は必須でありながら、その対象となる200万人が未加入で、法人・事業所への未加入の罰則もあると言う。我が社は法人加入20年を超えているが、印刷業の疲弊から加入はできなく、社会保険庁から幾度となく指導を受けている。法人である事がその制度の加入を義務付けようとしている。
別に法人株を解消しなくてもと思うが、何がどう違ってくるのかもわからない。厚生年金の掛け率は、年間所得に対し「17.82%」と言っていた。国の為に協力をとの思いもあるが、国民としての義務の「納税」は何とか滞る事なくこれまで来たが、高齢者二人を抱え、今後が正直言って不安でいっぱいだ。

今日の写真は、同級会の初めの準備体操で、田舎弁による「ラジオ体操第一」をみんなとやった。意外と「いで! いで!」と言いながら、楽しい雰囲気で始まった還暦祝い同級会だった。

朝6時、定時の「血糖値測定」をこれからする。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:09 】

2016
02/02

南三陸の海の幸に舌鼓


先月の30日の同級生の還暦祝い会の写真が返って来た。みんなの笑顔がいっぱいで、「やってよかった」「皆と話が出来て嬉しかった」「やり残した事ができた」、こんな多くの心の隙間が埋まった。
写真は、次の日の満足感と達成感の中で、ホテルからの朝日に眩しさに浸っていた。本当は最悪の「ビール酔い」ながら、仲間は「のぶたかオカシクなった」と私の姿を見て言っていたと言う。現実、「おかしく」なっていたかも知れない。戸倉半島の山から登る日の出が、志津川湾の川面にキラキラ光る光景は、これまで何百回も見た太陽とは違い、格別の明るさと感じた。「将来への希望」ではなく、これまで生きて来れたと言う「感謝と満足感」だった気がする。
160130_231754.jpg
友が二次会のステージで、故郷を語っていた。「こんなイイどごねえべだ!」「みんな帰ってこい!」と、最後は涙で仲間に訴えていた。会場からは鳴り止まぬ「拍手」が起こった。こんな郷土愛の強い同級生の人間が、地元の私たちの仲間に入る。私も゜ずー」と住んで来た故郷の思いを、みんなに向かい話したら、絶対に泣く! 彼の話を全てもう一度聞きたい。と思う。

最近は南三陸の海の幸を改めて「美味い!」と再確認している。「かき鍋」「かきフライ」「タラ鍋」「タラの煮もの」「ホタテ」「いか刺し」など、私の大好きなものばかりだが、私の手作りで食卓に上る。鍋の最後は「雑炊」にする。残った物にご飯を入れ、ネギを入れ卵でとじる。何杯でもいけるが身体の為に「一杯」で止めている。

ホテルでの同級会の食事は豪華なお膳だった。同級生の再会の喜びの会話により、お膳に手が余りついて無かった。90人分の食事の5割は残った気がする。「もったいない!」。現在、何処のホテルもだが、持ち帰り厳禁となっている。食中毒による「営業禁止」を心配するからだ。週末となれば、南三陸のホテルは2日間で来客は1000人を遥かに超える。一人12000円として「1千2百万円」となるし、従業員の経費を入れると大変ながら、一番の被害は「信頼」を失う事だろう。皆さん絶対駄目ですから、お食事の持ち帰りはご遠慮下さい。まだ、町内の民宿なら少しは許されるかも知れないですよ。

甘利経済再生大臣の辞職は当然の事が、少しずつ出される情報で分かってきた。2億2千万のURからの建設会社への補償金名目の支払いが「何で」なのかは、いま一つ解らないが、今日からの国会での質疑で、少しずつ判明していきそうだ。UR都市機構への民主党の聞き取りでも、UR側の毅然とした対応が目に付く。また、拉致問題での民主党議員の総理への質問が、蓮池さんの兄の書いた本を読んだだけでの質問だった事が分かり、外務省出身の官僚議員の余りにも稚拙な行動に衝撃を受けた。

また、社会問題について語ってしまった。昨年「愛の福袋」の繋がりの継続で、また、40名の一行が袖浜の民宿に来町する。新たな交流に何を求めようか? 自然体で再会を楽しみたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:44 】

2016
02/01

我が町にあるのは思い出だけ


頭の中の希望が夢が崩れ去って行く、そんな夢を見た。体の急激な悪化となって行く姿が、夢だけのものでない現実が近づいていた。朝方にその夢から目が覚めた。しかし、こんな時が後10年目か20年目に来る。160201_070631.jpg
新築住宅の「見学会」の情報が、チラシとダイレクト郵便で我が家にも届いた。志津川地区の高台の東地区東の15世帯整備の一軒だった。町立南三陸病院の隣りの地区で、福祉枠としての早期の土地提供地で、チラシには若夫婦と子供たちの4人の笑顔が輝いていた。
この地には4~5階建ての集合住宅と戸建が現在建設中で、戸建は年度内の完成を目指し、志津川地区東地区での集合住宅として、大きい物が28年度早期に完成する。地元の建設関係者は年末年始もないと話す。
我が社の築20年になる建物のトタン屋根が、「錆びてもうもたないよ」と建設関係者に言われ、昔から付き合いのある塗装店の社長に声掛け、あれから3か月が経つ。社長も子供の為にと仙台での生活を決断し、古里のお得意さんは二の次かも知れない。
今日から私は黙々と個々の生活に集中したい。「継続は力なり」と自分の信念は変わらないけど、全てからの撤退は余りにも寂しい。
昨日の二日酔いと、家庭の環境のトラブルが発生し、その他にも電話が来て何度もベットから起こされた。その体調最悪の中で、早期の解決にと父と話し、親戚筋の東松島市に住む電気会社に、修理の手配をした。「問題の早期解消」は私の、問題を後回しにしない性格からだ。父の部屋の管理は家の事に関する、会社環境に次ぐ家の問題であるからだ。両親には「もういいよ、頑張らなくても」と思う反面、「一日でも長く」が心の片隅に渦巻く。

今日はパソコンに集中して向かう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:54 】


TOP