ARCHIVE - 2016年01月

2016
01/31

これ以上町から人がいなくならないで


昨日は怒涛の12時間の同級会だった。
役員皆が自分の役目を全うし、総ての同級生が感謝し、笑顔で帰っていった。当時の若かりし日々の思いの丈を話し、高校・社会人となり両親の世話や送り出し、家族の事を第一に考え、新たな環境で必死に頑張る話に、一緒に頑張りましょう。とまたの再会を楽しみに別れの時を迎えた。

知らないうちにまた一人、また一人と町を離れていた。この結果に驚きが込みあげる。志津川市街地も町の想定とは裏腹な状況となっている事を、町は把握して復興を進めているのだろうか。
45年ぶりの懐かしい顔に、みんなと話を欠かさず出来た同級会だった。「のぶたか、ちゃんと撮ったか」「若く撮ってね」「恥ずかし―」など、仲間の笑顔がいっぱい溢れていた。
朝3時までお酒とおしゃべりで、喉は枯れ、具合が悪く、今やっと回復してきた。酒に飲まれる性格は未だに治っていない。もう同級会は卒業なんて思う。家庭の事と両親、そして自分の事を本気で考えたい。周りの活動の清算を昨年から始めている。2日間の同級会でも、自分の力のなさと甘さを実感した。
昔の部活の仲間との思い出話は本当に、最高に楽しかった。チームの5人の内、大震災で1人を亡くし、1人は体調が悪いと欠席で、中堅の自分と副将の佐藤と大将の西城の3人で、中体連の県大会の思い出など、心行くまで語り合った。最初で最後の再会となるだろう。孝次・修ありがとう。
多くのこれからの出来事は、自分の為に活躍して欲しい。人にする事は自分に帰って来る。多くの仲間の帰りの「ご苦労さん」は、最高のご褒美だった。
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2016
01/30

還暦同級会の朝を迎えた


早朝、二階の部屋からベランダを見ると一面の積雪があった。夜には無かった雪が多く積もっていた。父が「12㎝も積もった」と大騒ぎし、今日予定のデイサービスに行く事をやめたと言う。「送迎車が迎えに来て5分と掛からない場所にあるから」と、行く事を勧めたが「行かない!」と頑固だ。
昨夜、今は町を出た同級生の富男くんのお母さんが「息子が沢山写っていた冊子ありがとう。仏壇に上げて手を合わせました。」と御礼の電話をわざわざくれた。お母さんの元気な声が嬉しく、私の活動に感謝の言葉をくれた。同級生への母校の町づくりの中心で、小さいながらも町を離れた仲間への活動で、みんなが喜んでくれる事が、最大の私の喜びでもある。
今日も朝、東京から来てくれた仲間が、「南方仮設からの巡回バスでアリーナまで行くのでホテルまで乗せて下さい。」とメールが入った。勿論「OK」ですと返信した。

雪払いも広い駐車場と面する道路を除雪すると、運動不足の体からはどっと汗が噴き出す。良い運動と40分の作業に満足感がある。今年2回目の除雪で、今後2回前後はある気がする。
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今回の同級会に合わせて2冊の記念誌を作成した。津波でのアルバムなども流出し復刻版を作った。240名余りの中学の同級生がいて、志津川高校の受験でも50名ぐらいが通らなく涙を呑んだ。中学から仕事を始めた仲間も多く、中学時代のアルバムと、これまでの「男女の厄年同級会」と「中学卒業20年」などの記念誌の写真をまとめた本を作成し、今日の同級会の受付で配る、みんなの反応を楽しみにしている。その他に仲間の3分の1が志津川高校に入学し、高校のアルバムの復刻版も作成した。これは私の仕事として有料配布をしたい。津波で被災しアルバム流失した仲間には「2000円」で販売する。そうでない人には「3000円」でお願いしたい。限定40冊で、既に3人からの購入希望で販売した。お金に変えられない思い出が詰まっている。昨夜の同級生の母も喜んでくれた。歌津地区の同級生は中学のアルバム復刻版を希望の方に配布し、また、物故者となった家族に贈呈し喜ばれたと聞く。私もアルバム流出の友達に無料提供すれば良いが、そんなに生活が楽な訳でもなく、作成に経費も掛かっているので、そこはご容赦願いたい。欲しいと願う同級生がきっといると確信する。
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今日、地元紙に南三陸町の情報がトップに掲載されていた。今月の18・19日の南岸低気圧の被害が出ていた。ワカメ養殖の被害が南三陸町だけで4億にもなったと言う。また、昨日は戸倉地区に観光教育の拠点として、「ビジッターセンター」が10月完成と載っていた。住民の生活場所の整備、買い物環境が整わない中で、公的大規模施設が次々と町に完成をしている。当初から訴えている、施設の災害復旧の再建が以前よりも大きく建設となる事に、将来の維持費の町財政は大丈夫かと懸念する。行政も議会も新しい町づくりを進めるのはいいが、将来の子供たちのツケとならない「町再建」を考えるべきと思う。私も65歳までは町に物を言いたいとおもっているが、高齢となれば静かに町の運営に従うしかない。政府の一億総活躍社会? とは、私には理解ができない。

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2016
01/29

突然の訪問者と 衝撃の政治問題


昨日は足が痛いのにわざわざ会社まで、星さんが訪ねてきてくれた。80歳半ばを過ぎ弱音を吐く事なく頑張って、この町に暮らしている。
高齢者社会の加速する「南三陸町」は、若者の安定居住環境の整備も進まず、高齢化率減少への、強力な政策と思い切った取り組みのアイディアもない、これまでどおりの生ぬるい政策を続ける。誰も止められない被災地の人口減少と言うが、宮城県の人口減少も示され、約200万人から、45年後には150万人への人口予想があり、仙台市・大和町・富谷町などが人口増加と安定の中で、減少する地域の被災地だけがそのスピードを加速する。

大森地区の「すみれ会」の皆さんと話しをした時に、ホテルで開かれる1~2回の高齢者の集まりが楽しみだと言う。町の「包括支援センター」の活動で、ひと時を町の高齢者が集まり交流会の開催だった。そこで町内の皆さんとの町の事を聞き、昔の仲間の老いに寂しさを感じ、これからも楽しく生きて生きたいとの希望を話す。南三陸町の高齢者問題は、60歳を迎える私自身も他人事ではなく、老々介護の現実に向かいまっしぐらだ。
私達の同級生の「渡邊富男くん」を知っているだろうか? 私と同じく母はまだ健在ながら、総てを津波で流出し、写真が欲しいと弟さんが来社した。同級会開催の私のブログを見て、わざわざ中高のアルバム復刻版作成した物が欲しいと来てくれた。
中高と志津川で一生懸命に頑張った彼、今思うと「諦めない、ガンバや」だったと、彼の姿から学ぶ。決して仲間の事を悪く言わない、人をねたむ事無く、自分に厳しい人間だった。万年野球の補欠でも愚痴を聞いた事が無く、いつも会う時は笑っていた。彼の突然の死に、なんでもっと話をしなかったのかと、当時私は悔やんだ。誰かが傍にいてくれたら人生は変わっていただろう。苦しむばかりが人生ではないと、明日は仲間と色々な話をしたい、聞きたい、そして何か力になれる事はないかと、「遠慮せずに話してくれ!」と言いたい。解決は出来ないけど話す事で道が開ける事もある。私も一つの言葉で今がある。「雨の日は雨の中を、晴れの日は晴れの中を……」で相田おさむの書にその言葉はあった。起こった事を素直に受け入れ、自分ばかりじゃない、無理せず前に進む。私もこれで多くの苦難も乗り越えられた気がする。
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甘利経済再生相が昨日、突然の辞任発表となった。産業廃棄物の処理と隠す事が目的の口利きがあった。大臣への献金は収支報告書に記載されたものの、金品を貰い「口利き」による「斡旋利得処罰法」に抵触する、政治家にありがちな事件ながら、それとは別に秘書が500万円を受け取り、200万は報告書に記載はしたものの、300万は個人的に使った。他の秘書も接待や金品を受けていた。もう説明責任を果たしただけでは逃げられない事実が、弁護士の調査により判明した。甘利さんの潔い辞任会見に、「これ以上政治の混乱を招く事は出来ない。」があるものの、自分の政治への教示があり、継続を許せなかったと、私は理解する。
安倍政権となり4人目の「政治と金」による、大臣の辞任劇で、総理は「任命責任は私にある」と言う、何の責任も取る事もなくこれまできている。政治家の責任の取り方は様々である。

南三陸町のトップも殉職した職員の為にも町づくりを続ける。と、こんな話を何回も耳にする。町の復興は進むが人口減少と高齢化と、「生活格差」は拡大の一途で、将来への不安ばかり目立つ。町長の後継者育成も無く、後継者は町民だけでなく、行政にも言える。

産廃の隠滅や不透明な土地取得を私は疑問のままで死にたくはなく。震災後の見える事の無い、全国からの「義援金」の所在も示さない町の行動は、そのお金がどう使われたかも知りたい。町内の学校への支援金は透明性が担保されている中で、亡くなった職員はその蔭でおこなわれているかも知れない、不正を見ているのに、なんで多くの裏切りの中で生きられるのか不思議だ。町民に話したら楽になれるのに! あの世まで持って行くつもりなのた。

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2016
01/28

なつかしい名前が 今も南三陸町の生徒を支援


昨日はアルバイトに来てもらった。地元にいる知人も少なくなり、昔のゴルフ仲間の後輩の奥様にお願いし来てくれた。年間通して考えても平均した仕事量は確保できず、時期に寄って大きく違い、常用雇用は無理な状況にあり、余分な従業員の雇用は我が社の状況からはできない。
私もだが常用の従業員も、何時どんな事があるが判らない。でも、震災後の再建と生活の中で、多くの困難を乗り越え家業の継続をして来れし、生かされてきた。

昨日は母校の志津川高校の会議に参加してきた。学校は今も多くの方々からの支援があり、被災地の真ん中の公立高校として、生徒達が勉学・スポーツに頑張っていた。その席上で「志津川高校を支援する会(仮称)」の事が紹介された。その中に懐かしい先生の名があった。あの鈴木悟先生? 「南三陸スマイル・アゲイン・プロジェクト」の代表となっていた。志高在職時代に仕事でお世話になり、生徒にも人気があり、転校し仙北の高校の校長となり、現在は退職されているだろう。もう一度会いく感謝の気持ちを伝えたい。高校を卒業し多くの先生方にお世話になったが、現在県立高校はネットによる県の印刷見積となり、仕事の参入には厳しい制約があり、学校へ仕事行く事は無くなった。卒業後にお世話になったのか、地元の工藤先生・三浦先生……など、多くの恩師先生がいた。母校に恩返しとして志津川高校の情報をブログ・情報誌で発信を続けている。その会議の中で、気仙沼市ではロータリークラブが、大学進学者に年間10万円?を数人に支援している話があった。学費に困っている生徒も少なくは無いと言う。私の同級生も奨学金で国立の大学に入り、大手企業に入社し一時借りた資金を返金した。しかし、現在は奨学金の返済に苦しむ生徒もいると校長は話す。考えているのは気仙沼のロータリーのような、返済の必要がない奨学金制度の構築と言う。私も残した私産を就学資金として支援もあると気付いた。ユニセフなど少ないが私産の有効活用を模索している。
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昨日は台湾からの観光客の南三陸町の「民泊」の姿をテレビで紹介していた。台湾の高校生の「頑張って」「ありがとう」の言葉に、夫を津波で亡くしたお母さんは、台湾の生徒の言葉に何度も涙していた。震災支援の恩返しとして民泊として手を上げたと言う。観光も一つながら、住民の多くの帰還が今は大切と私は思っている。

県の印刷組合の会議で、電力自由化と言う事で、シャープの社員が説明に来てくれた。判りやすいように組合の電気料金を参考に示した。年間で100万の電気量の6%が安くなる。料金の積算の部分の基本料の部分の減額となり、電力の自由化により参入企業ごとに設定される。我が社は「低電圧使用」で、月額5万で年間60万円、6%で3万6千円で月3全円の減額になる。東北電力への支払ながら、他の企業に変えて安定電力供給は大丈夫か心配だ。

高校の下の「グランドゴルフ場」は一年前に閉鎖と言う話もあったが、この地区に関わる業者が延長をしている。高齢者はこの措置に大感謝していた。高齢者の生活不活発病の改善と、地元の高齢者の交流は、町の再生に欠かせない活動と思う。


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2016
01/27

言葉が漢字が出てこない


「あー! 朝から言葉が出てこない」、この事で前に進まない、
こんな性格が時間を無駄に使っている気がする。「ヒートショック」? こんな言葉だったか、お風呂上りの暖かい所から寒い脱衣所での「心筋梗塞」がこないだもあった。我が家も父の環境には大きく気を使っているが、私以上に臆病なのが病気を悪くしていないのだろう。
一昨日の説明会でも「インバウンドを積極的に進める」、こんな言葉は「外国観光客の受け入れ」との意味らしく、我が町は台湾観光客の集客に取り組むと言う。病院の22億の支援金、仏教協会の家族の数に合わせ、全世帯への現金支援など、こんな多くの支援は全て「台湾」からだった。こないだも台湾の高校生一行が、病院の南三陸町と台湾の友好の看板の前で記念写真をカメラに収めていた。
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八幡川の川岸に「矢板」が一列に打ち込まれていた。新井田川の旧45線への川の移動の、アスファルトの掘り起しが進み、水尻川の高架橋・仮道路の大規模工事も始まった。志津川町内の聖なる川に人の力が全て加わる事に、何も無い事を願わずにはいられない。防災庁舎は今年になり3回目の訪れとなり、5年経しようとしているのに何も変わらない。800名余りの犠牲者に問いかけるも、何も返ってはこない。(合掌)

こないだ宮城県印刷組合の理事が「千葉さん南三陸町から『タコ鎮』買いに行きました。娘の受験のお守りです。」と言う。昨夜テレビでもタコ鎮の制作がピークとの報道があり、2000体?を作ると言っていた。
昨日は銀行で同級生とあった。先月まで胃がんで入院していたらしく、10キロ以上も体重が減ったと言い、「脾臓とリンパも取ったよ」と、笑顔で話してくれた。今、父を病院に送り銀行で保険の振込に来たとも話していた。私と同じ家庭環境で、昨年に動脈瘤で母を送ったとも教えてくれた。生活は厳しく生活保護も考えたが、家があるので難しいと言う。30分、自分の事と考えを話し「何かあったら来てくれ」と、住所を教えた。型枠の仕事らしく、早く働かないと言っていたが、「身体の状態が改善したらでいいんじゃない」と助言する。会社は何時でもいいからと言ってくれている。父の病院送りから生活の事など、多くの事が自分に覆い被さっていた。60歳はこんな年齢で、両親の事と自分の体調が変化する時期なのだろう。
後3日に迫った「還暦祝い同級会」、共に歩んだ皆の軌跡を聞き廻りたい。そして自分の肥しに!

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2016
01/26

町の分散と小さな集落の孤立へ


昨夜6時30分からの町民への「南三陸町総合計画(案)」の説明会があり行った。最大の人口減少問題への町の取り組み案を示した。町内の漁業・農協・商工などの組合長と、若い世代にも議論の場を広げ計画を練ったと言う。変わらないいつものメンバーで、特別な戦略かと思えば、説明者も「特別変わっていない」と言い、副町長も「町の想定する減少率に近づける計画」と話していた。参加者は40名余りながら、計画案への質問は4名だけだった。昨夜の説明会への周知も広報と「総合戦略推進会議」の委員の口コミと言うから驚いた。どんな周知をしても集まる人は、行政に近い人たちの声掛けの人以外は変わらない。メディアが入っている為に、町の復興は町民一丸だと発信する意味がある。町の総合計画案策定や町民の期待・関心行動が、国の交付金の査定に関係する。念公園の説明会でも、500名が入るアリーナに真実の町民数は20名に満たないとも、ある人は言う。町民の行政への町の再建への魅力も期待も薄い。言い訳をすれば未だに被災地状態で、心の癒しもゆとりも無い町民の実情を察知する。「早く安心できる生活が欲しい」のこれしかない。昨日の説明者も純粋な志津川・歌津の住民でない。企画課にトップの構想を支持する「創生室」が設置され、国から予算の獲得に「財務省」の人間を派遣として採用した。この室長の話が最後にあったが、南三陸町の甘さを指摘し、本当に必要な政策に立案に取り組んで欲しい。期待するのは今の所あなただけです。ある高校生を持つ母親の切々な話があり、「子どもは町で暮らしたいと言っている。働く場がない。」と言う。何でもいいから地元で家族とこれからも住み続けたいんだと発言した。今の近々の問題に、明快な言葉の説明は行政からは無かった。
渡された「町の将来人口推計」があり、2060年には最悪の状態で「4361人」で、町が対策を講じ減少を抑えた場合は「7143人」としていた。想定を厳しくしていた。これまでの復興計画に記載されたものから、大きく人口の減少想定を引き下げた。町の人口減少の抑制対策ではできなく、こんな低い想定に引き下げていた。これから暮らす住民の、高齢者・子供達から「夢も希望」も失墜させる内容だと私は感じた。こんな会議にも出ないと、知らない事が知らないうちに町で行われてしまう。自分の考えを「言わないよりは、言った方が良い」、この町で暮らす意義を、在り方を私は発言して行きたい。
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志津川地区の上保呂毛に2日続けて行った。山陰の集落で津波でガードレールも破壊されたままで、細い道路には道沿いの小川にガードの境は無く、ハラハラで運転した。こんな奥地の不便な所に震災後に再建住宅が4・5軒建っていた。畜産家は集めた家の切れ端で「牛舎」を再建し、生活の為に仕事を継続していた。町民の生活の苦悩が町の随所に見えるのに、町は復興交付金の元に華々しい復興の形を描く、町民の為と言いつつ自分たちの生活の糧に、環境整備に真っしぐらだ。45年後の町に立派な役場庁舎は必要だろうか。13400人から最悪4361人の町に、理想は高く現実は4千人余りの町、どんな町になるのか見たいが、私はもういないだろう!

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2016
01/25

互いに思いやる気持ちで優勝 愛の力は強い


琴奨菊が優勝! 14勝1敗で3横綱を破り、10年ぶりに日本人力士の優勝に日本中が沸いた。
相撲が負けた時には妻に「スイーッ」を買って帰る。国技の厳しい相撲界の中で、敗れた時の悔しさ、明日の相撲への気力を高めている時に、今週土曜日の結婚式の今場所、何時も踵のヒビにクリームをつけ、マッサージを欠かさなかった妻がいた。こんな互いの思いやる心は、「ゆとり」と「癒し」を与えあい、厳しさの中で心にゆとりが持てた事で、相撲が変わったと私は思う。やっぱり一人では人間は生きていけない。

2日間の-12℃の寒気は、日本全国に記録的な雪をもたらした。気象史上初めて沖縄に雪を降らせ、奄美大島には115年ぶりの雪を降らせた。九州や四国の降雪は生活に大きな障害をもたらした。長崎県は坂の町とも言われ、学校の休校が昨日中に決定し、街中は閑散とし車の姿が無かった朝の風景に、静かな長崎の風景が広がっていた。
昨夜は4時から最後の「還暦祝い」の会の打ち合わせが入谷地区の、「ハレバレー」であった。シルバー人材の基礎固めをしている施設で、その事務局として仲間が勤務している。玄関の広場には石を散りばめたアートのような、石畳が広がっていた。
南三陸町は夜にまた雪が降ったのか、朝は道路も車も昨日雪を払ったのに銀世界が広がっていた。
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住民の生活の場として整備している土地が空いている。住民の希望・要望を受け、整備戸数を決めているのに、今回また50戸余りの区画の再募集を町は行っている。29日までと言うが、被災し危険区域として認められた住民が対象である。既に「終の棲家」を決定し建設予定を他地にしていても、土地希望を撤回していない人が多い。今、再入居募集をしても希望者は居なく、現在希望をしている人に、再確認・再々確認し、土地の希望が無くなった土地を造成中止にするとか、将来に有効利用となり、収入が得られる施設を創造するなど、新たな政策に向かった方が良い。これも造成率が県内でも2番目に整備が遅い事が最大の理由だろう。並行してスーパーや生活に必要な銀行・郵便局などの、環境整備をして行かないと益々人が町から離れる。高齢者も交通手段の確保と乗車賃金の軽減策など、高齢者に優しい環境整備が必要で、子ども達は自分が暮らす場所へ両親を呼ぶ、こんな事が加速すれば益々人口減少は、想定以上に早く町にもたらされる。
政策の失敗と遅れは、町の将来に大きな影響をもたらす。震災後の行政の取った決定は、タイミングを少しずつ狂い、その結果、このような事態を生んでいる。三陸道の建設力を町の復興に向ければ、もう町の復興は9割も進んだ気がする。「何をするべきかの!」適切判断・決断できない行政がない。国の仕事を遅らせても今ン二が町に必要か訴え、実現へ向かわせる。こんな事ができない自治体が被災地に存在する。


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2016
01/24

町内の復興格差と住民生活は震災後のまま


戸倉地区の復興は戸倉小の再建と、戸倉団地と地区の防災集団移転の整備が終わり、災害公営と団地の土地の整備は年度内に完了し、個人の住宅再建へと進んでいる。しかし、戸倉地区全体を見ても、戸倉の入口である「陸前戸倉駅」の再建を町は早々断念を表明し、BRTの整備を進め、町内のJR東日本の町内の「停留所」の環境整備の資金を、JRから出してもらう政策へと進めている。
震災後も戸倉団地の産業廃棄物の処理を県に、防災庁舎の保存も「県有化」として町の対応は、被災地だからと他人に任せる自治体で、自分では資金を含め何もできないと諦めている。町民は住宅再建や環境対策は、住宅補助金はあるものの、金利補助はローンの利子であり、建設費の補助はり災加算金の150~200万と、政府の被災地支援対策でしかなく、自治体の再建には全て復興交付金が充てられ、行政の仕事は引かれたレールの上を走っているだけだと私は思う。
戸倉地区は国道45号の玄関口の「荒町」を通過すると、写真のような原野が、五年が経つ今も続き志津川に至る。三陸道の建設は今後の戸倉地区のストロー化を生み、益々の地域の疲弊に繋がるだろう。そういう意味でも「陸前戸倉駅」の再建は必要なのに、?・疑問だ。
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昨日も飯野川の「アップルタウン」に買い物に行く。買い物は「100円ショップ」のダイソーで、クリラファイルを50枚、100円老眼鏡、クリップ、赤黒ペンを買い、1000円内で収まった。町の量販店で買ったら2000円は掛かるだろう。スーパーではジャガイモ・人参・玉ねぎ、惣菜サラダとアジのフライ、160円の8個のぼたもちを買い、御菓子店で350円のガンズキを父に買い、2000円で済んだ。昨夜からの最大の冷気が日本列島を覆うという事で、防寒着を「フジヤ」で帽子2つ・靴下3足・腹巻・ジャージ等、4500円で買い、晩御飯は850円のエビフライ定食を食べ、夜6時30分に帰って来た。支出の削減に町での暮らしは町外に出るしかない。
92歳の父親との生活、買い出しは自分しかない。父は自分の事は自分とご飯の準備、自分が歩く敷地内の除雪・掃除をしてくれる。私の仕事の間の生活品の購入は、空いている時間で隣町に、安い物を購入するようにしている。
南三陸町に「100均」ができたら被災住民は大助かりだろう。しかし、地元で頑張る商店の為に、スーパーの出店は延期され、勿論、格安店の進出も町の産業振興課は、町の商店を守る為に難しいようだ。遅くなっても町民が求める環境は近いうちに来る気がする。

我が社ももう先は無い。後継者が居なく15年の住宅ローンが終わるまでと思っているが、それは叶わない現実と思っている。どうして楽しく余生を生きれるか、その模索と活動をし続けている。今から雪かきをする。「12㎝」ぐらいは積もった、これからまた降らないとも限らない。午後4時から同級生の集まりで入谷まで行く。この雪だと20分は係る。怖いが出かける。

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2016
01/23

北へ南へ


昨日は気仙沼に仕事で向かった。助手席に乗せられ45号沿いの変化に写メにて連続撮影した。運転していては見る事の出来ない物・事が沢山目に入って来る。
歌津の仮設商店街が移動し開店したものの、あるべきはずのサッカーフラッグが無かった。公共用地としてのゾーンも設けているものの、途中のファミマの隣りに本設で「仙台銀行」が建設中で、市街地には銀行が消えそうだ。枡沢には伊里前の商店の町並が移るかのよう再建が進んでいた。田の浦の高台移転の場所は、下から見上げるような場所で、冬の坂道を心配している。帰りに「歌津大橋」の残った道路の解体らしい工事が始まっていた。
本吉に入ると道路の両方の高台に、ポツリポツリと民家が経ち、自己再建が「防集」の合い間に建設されていた。企業の進出では「トマト工場」が、被災した小泉の田園に整地整備され事業が始まっていた。地元雇用は30人と言われ、直売所も始まると地元民は伝える。

気仙沼市の被災住民の意見がある。定住・帰郷を希望する住民は「戻るつもりはないが52.9%」にもなり、戻りたいが現実的に無理が「20.7%」で、帰郷が決まっているが「1.4%」でしかない。年祝いの同級会に帰郷した668人の内208人(31%)のアンケートなよるものだ。故郷に戻る条件に、「働く場がある事が62.5%」が一番で、次に医療や介護の面で不安がない事を上げた人が「45.5%」となった。
若者が自分の将来の為に安定した職場・報酬も求めるも、企業誘致がなく、地元の事業所も今は建設特需があるものの、後5年の復興期・安定期が終われば、職場が減少する。行政の企業誘致も、若者が居ない我が町に設置は難しい。優秀な若い将来を担う人材が町を離れ流出し、将来の町形成に不安が募るだけだ。
町の人口減少阻止へは「将来への安定感ある働く場所の確保」が、町民が一番望んでいるようだ。入谷の震災後の企業進出も、国の企業立地補助金目当てで、町の廃校の有効利用の互いの思惑が成立した。結果的には継続は無く撤退したと聞く。現在も1社が同じ町の為の企業立地となったが、町の支援なしには継続は厳しく、雇用も住民の望む体制ではない気がする。
漁業・農業もさることながら、商店主の後継もなく自分の代で終わりが半分以上と感じる。親もこの町での事業の継続は厳しいと、後継を望んでないが現実だ。しかし、町の事業者の後継者は優秀で有名大学に入り、高い能力をもっていた。
現在、私たちの前後の年齢の子供達が、安定職種として「地方公務員」として町に就職している。町民皆が望むものの狭き門である事は間違いがない。家督として町に残り役場職員を希望しても、挑戦するが何回も就職は叶わないと言う。年齢制限の終末にきている。
気仙沼市の家族も「子供達は仙台市や盛岡市」の一時間圏内に暮らして欲しいと、被災地の地元での生活を望まず、子ども達も「望む職がない」と、地元就職を諦めている。
昨日、志津川市街地に初めて事業所が本設された。セブンイレブンで渡辺さんと言う地元の方が、震災後から仮設で家族で経営し再建を果たした。現在の来客を見ると建設関係者が多く、復興後の経営は「三陸道」の開通で、ストロー現象となり来客の減少を想定する。志津川市街地の商店街も観光客の集客も一時的な活性化となるが、風化による厳しい状況が必ず訪れる。町の住民数が町商店の復興に大きな繋がりを持つ。

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気仙沼市の最知地区に「旭川ラーメン」があった。被災しながらも場所を移し内容を変えたものの、ご主人の味の継続をしていた。若い頃に車の免許を取ってから夜中に幾度となく、「塩コーンチャシュー麺」を食べた。二杯食べたこともあり気にいっていた。昨日も同じメニューを食べたが、口に親しんだ味は健在だった。
昔の商店も町民には懐かしく再建を待っても、もう町を去ってしまい、再建も厳しい環境にある。もっと昔ながらの町の商店復活の支援を、町にはお願いしたいものだ。


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2016
01/22

体調管理と健康


仙台の帰り道、三陸道の下りの「かすが」に寄った。道の両方には雪が残り、サービスエリアも片隅に雪が積まれていた。

国家での甘利議員の質問予定以外の、「贈収賄問題」で甘利大臣への質問から補正予算審議が始まる。何度も委員長から指名され説明を繰り返していた。
新しい情報では「UR都市機構への口利き」での、工事への補償金支払いがあり、一回目は謝礼金の効果でURから支払いがされたが、2回目の口利き料の甘利氏への提供の時に、録音と写真を撮影し、依頼が成立しない時に「脅す」意味での方策なら、悪意を感じるが、果たしてどちらに問題があるのか、UR都市機構と資金提供の建設会社と、法廷で決着を付けて欲しい。UR都市機構には以前から国土交通省からの官僚が天下りがあり、政治的な繋がりも大きく一般会社は不利である。
私も町の復興推進課に「土地換地」の件で連絡があり出向いた。制度上の手続きは都市計画上必要なのだろうが、私のような一般人には土地の書類などの提出では、その内容は理解しにくく、専門家に頼るしかない。しかし、二人の対応にも笑顔の対応は高齢の期間付職員と、若く毅然と説明にあたるUR出向?の職員の、キツイ目の中の話には反発したくなる。私のような難しい疑いの目で推進課の強固職員には、ついつい反発の言葉が強くなる。
住宅建設での登米市で暮らす知人の「補助制度の全容」を聴きに行ったが、自治体派遣らしき職員の対応にも同様の感じを持った。3年前は地元職員が対応にあたり、知っているが故に相談も「相手を思う」、こんな会話だった事を思い出す。難しい町民も対応で「心を開く」と私は思っている。
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風邪・腰痛・持病の悪化への健康管理には多く気を使っている。食事は3回定時にとり、野菜主体でご飯は小さい椀に8分と決めている。新年のお正月食材が残り、もったいなく整理を現在しているせいか、最近「血糖値」が高い。知人に郵便局で会った。20キロもやせたと言う。食事は豆腐が主食でご飯は食べないと言う。腰痛や神経痛の対策としてやせる決断をし、現在は余計な食は体が受付無いと話す。
私は「扁桃腺」が弱く、喉の咳や痛みに年数回かかる。夜のパジャマにも慣れ、首筋の寒さを感じ首巻をして寝ている。今年はまた「腹巻」を初めて着用し、これが背中の腰の寒さの防御として私に合っている。我が家も明け方は寒いが、トイレに入っても洋式便座で保温となり寒気を余り感じない生活をしている。入浴は風呂場から脱衣所と玄関と通りリビングに行く。こないだ脱衣所、ドアを開けて玄関の寒さで、体が急に冷やされ背中が痛く体調の異変となった。対策としてリビングのストーブの温風を、通る区切りのドアを全て開け温かくしている。暖かい所から寒い場所への体への負担の対策を取り、父にもそうするように話した。去年までは風呂上りに体調が変なんて事は無かったが、年であり体が弱くなった事を実感する。
食べ過ぎは「糖尿病」が進み、悪化するとまた目が異常となる。無理に運動すると心臓の負担となり、身体の為の行動も良し悪しがあり、今はどうするか自分なりに努力している。
ある朝の食事だ。「岩泉ヨーグルト」に「長野県の蜂蜜」を掛けて食べた。最近は「170」の血糖値ながら、高いのでご飯を一日一食減らしても見た。偶然だろうが「130」まで下がった。やせる為には「米」「麺類」などの穀類は取らない。こんな知人の方法を試してみたい。


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2016
01/21

政治と金


この広大な入谷の地区に、登米市に建設した「震災仮設」が建設されていたら、生活環境としてのスーパー建設がされたら、こんなにも多くの町民が町外に流出する事は無かった。入谷へのスーパー建設は話があったものの実現とはならなかったが、この英断が下されていたら、南三陸町は第一の問題の一つが何とかなった気がする。千年に一度と言われる大災害には、町をひっくり返る大政策が町の窮地を救う事ができた。やっぱり普通の人では無理だろう。

自民党に激震が走った。今日から「TPP問題」が参議院で議論されようとする中で、その中心人物の「甘利経済再生担当大臣」が政治報告書に記載しない献金があったと、千葉県の建設会社の総務担当者が週刊誌に告発した。事務所にはその証拠が今もあると、生々しい話が週刊誌に今日掲載される。既にこの話は総理と官房長官には報告済みと言い、この記事の説明でも甘利大臣は「否定」をしなかった。
問題はUR都市機構との道路工事保障の仲介役として、甘利氏にその解決をお願いし、問題の解決に居たり工事補償金が入金され、その謝礼として甘利大臣政治団体へ「1200万円」の献金をした。
甘利大臣は「説明責任を果たす」と言う。最後には自分の知らない所で秘書がやった事との言い訳があるが、この建設会社の総務担当者は、甘利氏に直接「100万円」を渡したと言っている。当事者の告発で言い訳は難しいようだ。
東北の高速道路の建設会社の談合が発覚した。入札に関わる会社が区間数に合わせ一社ずつ受注していた。こんな事は現実的に無理な事は誰が考えても判る。建設会社は震災による資材の高騰や、人材不足があり入札では利益がでない。と言っていた。トラックの一日に代金が通常の1.5~1.8倍と言う。2011年の道路舗装での4社の談合だった。震災時の早急の復興の為だった。と建設会社は話していた。落札率は「95」で通常の10Pも高いと言い、こんな非常時を訴えていれば解決の道筋ができたのではと思う。こんな時こそ政治家が活躍する場と思う。
現在進む三陸道の工事も高騰しているとの話も、同様の問題もあるのではないかと「?」だ。UR都市機構は南三陸町から委託され、ゼネコンと地元建設会社の共同体の配置も手掛けている。私には建設業の事も、政府の震災復興の取り組みの事情も闇の部分は分からないが、「政治と金」が問題発生時には必ず出て来る。私は政治家は精神誠意に国民の為に活動している人が大半と思っているが、中枢に居ると「なれあい」で「内密な金が動かせる」が、その内面に持つ物が現れてくる。長期の政権と大規模工事の時に、こんな問題が発生しているように思う。「日本改造論」「ロッキード」「リクルート事件」なども、こうした政治状況の中だった気がする。国の「都市機構」が、民間の「UR都市再生機構」となっても、その利権には政治が甘い汁を吸おうと集まる構図は変わっていないようだ。
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入谷の通称「ババ山」が、福島の「花見山公園」のように、花で山を飾ろうとの構想が動き出している。田んぼの代々の所有者も、町の一大事に地主も理解を示してくれただろう。「町のこの計画は無かった」が、ここに震災仮設を建てない大きな理由だろう。この広大な土地に志津川の被災者が一時的に暮らし、向かいの山の斜面に花が季節で咲き誇る、こんな地域になったと私は空想した。一人の力では何もできないが実感だった。

今日は仙台で二つの会議に参加する。雪が無くて良かった。

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2016
01/20

町も人も大きく変わったが大自然だけは昔のまま


昨日は夕方4時ごろに図書館に用事で出かけた。そこから西の双内山がくっきりと雪景色になり、町を優しく包むようにその姿があった。一角に「あさひ幼稚園」が見える。サッカーの長谷部選手の一億円と、大雄寺の山門の樹齢半世紀にも及ぶ、津波被害の参道の杉を利用し建てられた物ながら、住宅建設の用地の中にあり造成が進み、周囲が削られ園舎だけが残り、その周りから基礎土が崩れトン袋で補強されていた。多くの問題があるだろうが支援に感謝し、そのまま利用した方法は無かったのかと思う。しかし、大自然は人がやる事を全て見てくれている。それが自然の人への猛威として「制裁」「戒め」を与えているようだ。
前町長の建設した「ベイサイドアリーナ」が神々しく輝く姿を見る事ができた。多くの町民の一次避難場所として命を守り、南三陸町の防災対策拠点して大切な役割を果たしてきた。
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18日から町立南三陸病院で「透析治療」が始まった。歯科医院で3年ぶりに仲間と会った。57年来の悪友の中の親友だ。志津川保育所からの付き合いで、悪い事もしてきたし、スポーツでも違う土俵で学校の代表として頑張って来た。その彼も「透析治療」をしている。登米市まで週3回の治療の大変さを聞いていた。私が知るだけで町に10人はいるだろうか。
18日の治療に行って来たと言う。「近くにあるから楽だ」「透析でも仕事もできる」と、町にできた透析施設で喜びの声を上げる。この日は4人の患者が治療を受けた。現在は2人の医師と4人の看護師の体制で診察にあたると言う。現在は13人の患者の対応にあたり、住宅再建に伴い患者が増える事を予想している。公立志津川病院が平成13年に透析部門を廃止し、民間の南三陸リクニックで透析は町で行われていたが、大震災で登米市南方を中心に周辺の治療院に通院していた。現在は40人前後の透析患者がおられ、新しく患者予備軍もいると聞く。三陸道が開通すれば「陸の孤島」からの脱却となる気もするが、患者の車移動は健康な人間には判らない苦労がある。
私の町の病院に透析施設完備の活動が、実を結んだ状況を見聴きして嬉しい。私も糖尿病を持ち近い将来に透析になる可能性を秘めている。他人事ではない。入谷の西城先生に感謝で、きっと喜んでいる事と思う。共に活動を行ってくれたが、設置までには間にあわなかった。
同級生がゾクゾクと住宅再建の話を聞く。私の仲間たちは早めに住宅再建を終えている人間が多く、地元に残り頑張ろうと心で呟いている。

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2016
01/19

多くの悲しみの上に町再建がある


私が同級会の中にいる事で、その再会には必ずこれまでの歩みの資料を作成していた。多くの仲間が津波で流出していない限りは、仲間が大切に持っていてくれていた。
中学校卒業30年の同級会の表紙には、志津川中学校から見える志津川駅前の風景を印刷した。現在は荒地の志津川地区の風景としてテレビで見られ、被災の現状を見る場所として時折、観光客や来町者を案内している。
1月30日の還暦同級会まで残り10日余りとなった。今回は中学当時や32歳の同級会の資料をまとめた冊子と、高校時代のアルバム復刻版を作成し、震災で亡くなった仲間の笑顔の写真に触れて貰いたい。高校の冊子は当日に購入をお願いしたい。
昨日の強風で会社玄関の案内板が倒れた。強固なものではないが花やクリスマスイルミを小さく飾っていた。

中国人の爆買ツアーが今も続いているが、中国の隆盛も一時期の活気が薄れている、株価の下落、輸出入の減少が始まり経済の低迷の中で、軍備・領土の拡大は今も続き、中国人の爆買は収まる所を知らない。日本も原油の価格の下落がありガソリンが安いと喜んでばかりもいられない。ここ4・5日で円が3円安くなり株も2000円も下落した。
デパートの売り上げは4年ぶりに減少した。中国人の爆買が続いていても地方の購買力の低下がこの現状に繋がっている。日本経済に貢献しているのはグローバルな企業経営だけでなく、地方の国民の購買が日本の安定を生んでいる事を忘れてはいけない。
南三陸町もこんな状態にあり、商業・建設・漁業・観光があっても、町民の税収が町の一番の財源の元になっている。26年の税収は10億を超え、22年の震災前の8割まで戻ったと言う。一部の町民の納税が多い事もあるが、個々の町民の多くの世帯の納税が大きい。その為にも町民の流出を防ぐ政策が町を救う。
歌津に出来た仮設住宅の再利用の定住住宅があり、5戸の募集に6人の応募があった。40歳以下で移住者が対象で30年3月待では家賃が半分だ。この人たちが将来も町に住み続けるかは、働く場の確保が必須で、現在は町の復興の工事や町づくりの雇用があるものの、このまま雇用が維持できるかと言うと不透明だ。復興交付金が終われば、住民サービスも低下し暮らし難い町を去る事も予想される。故郷に流出した住民を呼び戻す事の大切さを思う。
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剣道の見学に夜、中学校武道館行った折に、表紙の写真と同じ場所から低地部を撮影した。震災直後に向かいの旭ヶ丘からの町は「灯り」が一つ残らず消えていた。ここまで5年近くで明かりが戻った。

町立南三陸病院はこれから「毎年1億円」の赤字も元に運営されると報道は言う。町民は関係ないと言う人も多くが、町に納める私たち町民の税金からの支出である事を忘れてはいけない。震災前までは毎月3千万の赤字で年間3億6千万の町からの財政支出で成り立っていた。それが1億の負担で済むなら改革となったと言える。しかし、90床の入院施設に患者が半分しかないと問題は山積だ。一昨日前の父の診察は3時間と半分になったものの、先生と患者が少ないせいか多く話が出来たと喜んでいた。果たしてこれでいいのかとも思った。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:51 】

2016
01/18

一人はさびしい! 父は強いなー

日曜日、ブログ・「愛と死…」「政に思う…」・フェテス・ツイッターで、南三陸町の近況を発信した。歌津伊里前の嵩上げが本格化し、今年中に商店街の整備が終わり町開きの予定と言う。総ての発信に歌津地区を上げた。

午後に同級生の家へ行く。「歯周病を軽く見ると大変だ!」、こんな事を強く思った。同級生は総入れ歯だと聞き驚くと共に、歯周病は歯茎を底まで解かしていたとの話に衝撃を受けた。周囲の人々に歯周病は多く、「奥歯が全部抜けた」「歯がグラグラで痛い」など、私もそうだが歯に無頓着な人が多い。60歳を迎えようとしている今、真面目に歯医者に通院している。被せた歯が取れたが「初めに歯周病の治療」と、同級の先生は言う。その意味が周辺の歯の状態から理解ができた。
「転んだら大変だ!」は高齢者の家族の話だ。現在、知人の中にも3人の親が入院か施設に入っていて、寝たきりになったと聞く。母は施設で二回も転んだが、骨が強いのか転び方が良かったのか、大事には至らなかった。両親は92歳何時どうなっても不思議ではない。大寒波が日本を覆い志津川も濡れた地面が心配で、父には「滑るから外には出るな!」と、最大の防衛に心掛けている。家の中でも高齢者が転ぶ、何もしない事も身体には良くなく、ボケにも繋がりかねない。

こないだ本吉の薬王堂に「ボディーソープ」を買いに行ったが、目当ての品が無く、昨夕に志津川の薬王堂に行くと、同級・知人・後輩・従妹に声を掛けられた。多くの町民がこの店に集まっていた。4つのレジには5人ずつの列があった。生活用品と生鮮品を除く食品がここだと全てば揃えられる。商店街では無理で、こんな所にも町の復興の進め方に疑問がいっぱいだ。何で「早期のスーパーを地元事業所での出店」に取り組めないのか。
南三陸病院の売店も町長のブレーンが経営者と聞いた。誰も「売店経営者募集」で無かったが現実だろう。町の新たな商業者支援に、「新雇用者の住宅費補助」があり、一か月3万を限度とし、一事業所の上限が180万円だった。こんな行政の政策で事業所に人が集まるだろうか。こんな町の状態から事業所が廃業を決め、県の指導も「今も求人予定ですか」と、補助対象事業所の実態の把握に一生懸命だ。
町で事業を継続する会社、グループ事業で補助決定者の再建に、町に働く人が居ないは町の疲弊へと繋がる。多くの働く三世代家族の町からの流出が、一番の理由だろう。5年10年掛けての町づくりの国の政策にも、間違いがあったのだろう。大規模な町の被害でもいち早く町の再建は「3年以内」で、長引くと人が町を去り今回の町のように、経営が成り立たない状態からも思う。先を見通せないトップでは町の再生は難しい。
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昨日も昔からお世話になった会長さんが亡くなり、葬儀に参列した。孫たちは祖父の優しさに触れ、素直な人間として育っていた。
お寺のある田尻畑も造成地の土で覆われ、広大な農地の姿は消えていた。
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【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:57 】

2016
01/17

歌津市街地の再建(2)


一昨日前に市街地の現風景を撮影した。商店に飾られたサッカーj1の全チームのフラッグが撤去され、移転の準備が進んでいた。これで伊里前市街地の復興整備が本格的に始まる。

歌津地区の伊里前商店街地かさ上げを年度内着工へ、南三陸町は予算の措置をした。伊里前商店街の整備は、都市計画地域外として国の復興交付金の対象外で予算のメドが立たなかった。その為にかさ上げなど復興が遅れていた。
町は復興庁との協議の中で、事業費の一部を町が負担する事で、今年1月に「効果促進事業」として交付金の一部が認められた。町はかさ上げ工事請負費として今年度補正予算に2億8千万円を計上し、議決後に現在の仮設商店街を向かいの造成地へと、一時的に移転させ営業を続ける。
伊里前市街地の整備エリアは、「伊里前福幸商店街」の向かいにかさ上げされた町有地1.4haで、県漁協歌津支所の用地3500㎡と、商業用地として2千㎡で、現在の地盤高2mより5mをかさ上げする。その他にイベント広場や駐車場、郵便局や金融機関の誘致を図る為、公的施設スペースを整備する。
敷地北側に区画道路も配置する予定で、商店施設には8店舗が入居予定で、早ければ28年12月の開業を目指す。

これまでの報道だと、志津川市街地の商店街の開業は29年3月を予定している。歌津伊里前商店街の整備が志津川地区よりも3か月余り早い事で、その分伊里前商店街の「町開き」を、町外に早く発信ができ、一時的な観光客の集客が可能となる。その魅力をアピールし、南三陸町の志津川と歌津の商店街が、互いに独自の特色で競い合う事で、町の活性化となる。リピーターの確保が現在の町の交流人口拡大へと繋がる。17年に志津川地区に開業するスーパーに、負けるとも劣らない商店街づくりが求められる。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:06 】

2016
01/16

伊里前商店街の移転


昨日も本吉・気仙沼に出掛けた。伊里前の商店街が市街地の嵩上げに伴い、向かいの盛り土した場所へ移転となった。向かいの撮影場所は伊里前川の水門も未だに撤去されていなく、他の町内の水門は全てが撤去された今、震災の驚異と威力を後世に残す教訓として、このまま残して来町者の目玉としての観光地の一つにして欲しいと思った。
9月の新聞を整理していると、9月定例会の高橋議員の人口減少の問いに町長が答えていた。それによると45年後の志津川の状況が語られていた。「人口は5千人を切る推計にあり、高齢化率は5割を超え、出生数も年間10人程度と見込まれる。」と話していた。
これまでの町の報道に載る45年後の人口は「7200人」と言う。この町長発言の報道を町民はどう見るかだ。「子どもが生まれ45歳になる頃は、住民サービスの低下と同級生も少なくなり、周囲に人はいなくなる。」など危機感から今後移住を考える人もいるだろう。また、「こんな状況からの脱却に町民の奮起を促す。」との意図があるとも思えない。
建前だけの意見ではなくこの厳しい現状の、現実的な自分独自の人口の確保の考えを議会の場で答える事を望むが、議員の皆さんの更なる議論が薄い。国会と同じ三分の二以上の与党体制では当然の結果だろう。
三世代家族の大量流出や、金持ちといわれる人や所得の多い人が、数多くいち早く町外に住宅を建設する中で、震災後の町の取り組みと、町長の町外への発信ばかりで、町民に移住しないよう「地元に残って欲しい」との行動が、町の根幹となる住民維持への活動としての、政策の欠如に理由があると私は思っている。町職員の町外への流出も多く、町の税金で生活の安定を得た公務員までもが、町を捨て生活の場を町外に決めている。
政治評論家の台湾の金さんは言う。私は現総統の政策に意義を申し立て、前回の選挙で現頭首が圧倒多数で当選した時、国民の投票行動に愛想をついたと言う。そして、台湾の国籍から日本の国籍に変えた。50年も変えなかった「台湾国籍」を、国民の真実の国造りの見えない国民を見限ったと話す。今日、総統選挙で新しい総統が誕生する公算となった。中国化する台湾に若い世代が立ちあがった為と言う。
この事は私がこの町に留まる必要が無い事を教えてくれた気がする。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:16 】

2016
01/15

町の施設大きすぎないですか


一昨日前に新設なった南三陸病院から「見積お願いします」と連絡が入った。売店の向かいを真っ直ぐに・・、そして地下一階です。と聞いたが判らなく職員に聞く、案内されるがこんな迷路とは知らなかった。また行ったら迷うだろう。

病院の入札は地元2社と隣町の印刷社の3社の入札ながら、その価格は余りにも過当競争で、年間に20点余りの入札でも昨年は1点しか落札とはならなかった。値段は8千円前後で、参加をやめようとも思っている。油代にもならない仕事の入札参加に意味はあるのかと考える。

病院と役場の高齢者への福祉対策の中枢ながら、この二つの施設は広すぎだろうと思う。こんなに空間に余裕は必要だろうか? 人口などの町の拡大しているのならまだしも、人口減少の加速する町に、将来的な維持費を考えても、周囲の自治体の疲弊と、他からの患者を集客しようとする競争の中で収入の増加は望めない。将来の世代に負担とはならないのかと思っている。一部の若者たちは華やかさを町の施設に求めるが、働く場も少ない町の今後は厳しい。
人口増加の自治体に「大和町」「富谷町」「大衡村」があり、人口増の理由にトヨタ誘致や仙台圏のベットタウンなど、多くの発展する環境を持つ。我が町は漁業・農業・林業などの従事者の高齢化などによる、後継者が居なく子供を後継者として考えなく、皆が町から仙台・石巻圏域に居住を移転している。親たちは孫が来たら一泊できる部屋を造り、子は何時でも両親を呼べる環境を整えていた。
こないだ戸倉の若い頃にお世話になった人と銀行であった。住宅再建は戸倉の暮らしていた高台に建設を終えていた。「墓を守らないといけない」と話す。仮設で奥様を震災後に亡くし、4年近く一人で仮設に暮らしていた。80歳を超え「大変だったですね」と声を掛けた。しかし、息子たちの事を考え強くは希望を言えなかったが、息子が一緒に住んでくれると言ってくれました。と笑顔で話してくれた。家族の姿そして在り方に触れた。

町の仮設の集約が8月から始まる。初めは入谷小学校だと言う。18棟の内にまだ7世帯が住んでいる。集約の理由に生活者が30%の達した時点で集約を進める。まだ達してなく、説明はこれからと報道は伝えていた。住居者への説明・承諾があり発表だろうと思った。我が町は何時もだが住民よりもメディアに対しての、「リップサービス」が好きなようである。
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10日ぐらい前に総合ケアセンターに行った折、玄関の太い柱があり中央の柱の表の蔭に、一本のペットボトルが置いてあった。違和感を覚えながら1週間後に行ったら、そのままで置いてあった。こんなにも環境に無頓着でいいのと想い写メを撮った。警鐘として意識の改革をお願いしたい。先日も父の診察終了まで7時間も病院に居る事となったが、職員に「落ち着きましたか?」と聞くと、まだ改善がされていないと言う。立派な施設が出来ても、人が居ないとか、まだ混乱している等、理由にもならない町の説明の中で、町民の「命と後継者を守る」と言う言葉の元に、50数億の建設費を掛けて病院・総合ケアセンターがスタートした。これから「町役場」「生涯学習センター」など、公的施設ができるが将来の人口動向を見据えた規模での復旧を考えた方が、将来に大きなツケを回さない為にも必要だ。
昨夜は目の前の問題を一つ片付けた。今日は気仙沼に行き気になる事を片付けたい。日々充実した時間を過ごせるのは、お得意さんと仲間と助けてくれる親戚があるからと感謝したい。昨日も悪友が来て昔話しに華を咲かせる事ができた。

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2016
01/14

地域コミニティーの再生と取組


志津川地区の地区コミニティーは、現在、旭ヶ丘・中瀬町・沼田地区が活発に活動しているようだ。小さいながらも大森地区の老人会・近所付き合いの活動は、細やかながら長い継続とお互いが助け合って生きている。

夜中1時頃に目覚め、NHKのクローズアップの再放送の内容に眼が奪われた。内容は人口減少が進む自治体に、20代の女性が町の支援活動に励んでいた。子育て支援や観光支援の行政の活動をしていて、今度は若者の受け入れの為に、民家を借りての格安「シュアハウス」の運営を計画していた。
町には民宿も多く来客の争奪を無くすために、民宿組合は「7080円」の価格設定で公平な運営に、組合が助け合い民宿経営にあたっていた。そんな所に彼女の提案に民宿組合は、これまでの地域の助け合いの輪が乱れる。互いに何かがあれば補う、こんな町の民宿の在り方に反する提案に組合から反発が溢れた。
町の地方創生と活性化事業で、他から来た人間には過剰なまでの支援と補助が町にはあると言う。また、国の特別な補助金など、町の民宿組合への支援はなく、町のこれまでの年月が築き上げた繋がりを乱す事でいいのか。とも厳しい話していた。
こんな状況で地域から受け入れて貰う為に、彼女は価格を同じくし国からの補助を受けずに「シェアハウス」の計画に変更した。民宿の組合員も地域からも理解が得られ、空家を仮りる事もできた。
行政の安易な町外からの受け入れ、制度を特別に取り入れ地方再生と言えば、国の予算が付くとの考えがある、何をするかと、どう地域と溶け合う事ができるのかを考えないといけない。行政や関係者だけでなく、広く町民の意見を聞き入れ、共に生きる事に努めないと成功は続かない気がする。
我が町もこんな体制の中にあり、人口減少でとにかく人の受け入れにやっきで、従来の住民の維持と支援に心が向いて無い気がする。
写真は歌津地区の田の浦の高台の場所で、海岸から500mは離れた20mの高台に建設され、現在住宅建設が加速している。
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28年最初の「マイタウン情報」が完成した。復興第46号まで続けて来た。毎月第2日曜の発行を予定していたが、諸々の事情で今回は第3週目にずれ込んでしまった。
これまでの45号までは「南三陸町千葉総合印刷」で検索し、震災後の歩みを確認するのも、復旧復興を強く感じられる。是非ご覧ください。45号からは4か月ごとに3回に分けて、HPに掲載していきたい。

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2016
01/13

ぶらりとアリーナへ

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今年も成人式が無事に静かに行われた。対象者が203人でそのうち172人が集まった。その会場となったアリーナ玄関にはエグザインルから、祝福の生花が贈られその豪華な花を写メで撮った。志津川・歌津・戸倉・入谷の4つの中学を卒業した数としての203人は、多いようで少ない。45年前の私たちの時代には志津川だけで「204人」にもなった。
年々人口減少は続いていて、歴代の町長の政策により減少の鈍化に努めてきた。震災での人口減少は皆さんが知る通りで、県全体でも13950人が減少した。初めての減少数と危機感を伝える。その意味は人口に応じた「地方交付税」があり、自治体の住民サービスの低下を懸念している。
私の仲間も移転していている「富谷町」は、県内2位の増加率で5万人も越え、死への昇格する人口数となった。仙台市は3万人の増加となり、県内では9自治体が増加し、26の沿岸自治体で厳しい人口減と、国政調査の結果が発表された。
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昨日は正月に外れた歯の治療に歯医者に行った。取れた歯よりも歯槽膿漏の治療が優先と、「キリキリ」と歯石を取り除く治療した。衛生士さんは「痛いですか?」と聞く。昨年の目のレーザー治療・眼底の手術から比べれば大した事は無い。髪の毛もだが歯も「ながーい友達でいたい!」と、今、痛感している。

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2016
01/12

自分の暮らしたルーツと60歳の年になる


三連休の三日間を仕事が出来る事に感謝だ。
元旦は青空の下で、自分の住んできた55年間の場所を記憶に留める時間にあてた。旧志津川市場の西堤防の突端と、上の山避難所のある電波塔を結ぶライン上にあった自宅を確認した。現在は10mの盛り土の下に生地は埋まってしまった。防潮堤の震災後は現在残ってはいるものの、ここ5年ぐらいには無くなりそうだ。今後残る物で場所を確認して置きたいがあった。
西堤防の灯台は無くなっていて、東西の堤防の距離も離れ、堤防の両端は津波で破壊されたのだろう。多くの風景の一年一年を記録に留めて置きたい。会社を廃業したら震災写真の整理をしたいと、老後の楽しみとして発信を続けていきたい。
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土曜日の「アサコの朝」に巨人の名誉監督の長嶋茂雄が出ていた。脳梗塞により右半身の障害が残ったものの、リハビリにより旺盛に今も活躍している。当初は「人前にでるのは嫌だった」と言う。周囲のスタッフに協力をもらい、毎日のリハビリを続けてここまで回復したが、休めば筋肉がまた固たまってくる。この努力の継続は凡人とは違う長嶋監督の精神力と、監督に頑張って欲しいと言うスタッフの支援の何物でもない。アサコは聴いた「現在同じ境遇にある方に何と助言したいか」に、「日々欠かさずにリハビリを続け励む事」と話した。自分はリハビリが嫌になる事はないとも言い切る。人は楽な事を選択する、病の中で年を取っても自分の生き方を貫く、やっぱり歴史に名を刻める人は違う。

新年明けに被災自治体の復興と、被災地からの人の流失が紹介されていた。県内の人口減が最大の自治体は女川町で、約37%の減少率は、3700人が流出し現在6300人まで減少した。次は我が町で約29%となり、14000人を割り込んだ。災害公営住宅の整備状況は、名取市が最低の12.8%で整備戸数が716戸で完了は95戸だった。次は南三陸町で「14.1%」で、738戸の整備のうち「104戸」が完成しているものの、28年度中には全てが完成すると町は話している。予定通りにいって欲しいと願うばかりだ。

昨日から私が好きだった人が相次いで亡くなった。テレビコメンテーターの竹田圭吾氏だ。歯に衣着せぬ物言いは説得力があり、問題に切り込む解説は納得できる内容だった。弱い者には優しく強い者に厳しく立ち向かう、そんな考え生き方が好きだった。病名は「すい臓がん」で最後まで戦い続けた。先月までテレビに出演し最後まで我が道を貫いた。妻には一日2回「愛しているよ」と言葉に出さず言うと話す。最後の番組ではカメラに向かい「愛してるよ」と、恥ずかしげもなく話した。自分の最後を悟ったかのような、イイ顔をしていた。
今朝にはイギリスのデビットボ―イが亡くなった、1980年代のロックシンガーで、あのクールな感じと低音の声とリズムに乗る姿がカッコ良かった。69歳でやっぱり死因は「がん」だった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 06:52 】

2016
01/11

町民の流動はまだまだ続く


昨日の夜に震災後初めての「釣り仲間」と酒を酌み交わした。
震災時の大津波の物凄さを記憶に留め、震災後の老人ホームの入所者や職員の痛ましい姿を確認したと言う。家族の安否にあの何もない荒野と化した、町を歩き回ったと振り返る。そして今こうして再開し、家族と子供の事を想い将来の設計をしていた。
私の志津川中学校の同級生も、津波被害の及ばない土地の安価な安全な地区への移転を決め、また一人その数にプラスとなった。市街地の住民の高台移転は今後もその多難さを感じる。造成地の5.5万前後の土地代は再建住民として大きな負担となっていた。
若者の7割の生活不満の中で、行政の町再建は計画修正なしに復興を進め、当たり前の人口政策に終始し、行政トップのブレーン達が会議に加わり、町の疲弊を改善する努力も少なく、誰でもが描く対策案を声高に言い続けている。これでは他地区から来たボランティアは拍手喝采だろうが、住民の満足感は行政と密接な関係を持っている方達だけだろう。こんな町に未来は薄い。
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一昨日、歌津地区の「鎮魂の丘」に、被災町民の一人の仲間の慰霊碑に名前に手をあて聞いてみた。亡くなられた人の想いは誰かが代弁しないといけない。そうしないと亡くなられた人の死が、「無」になってしまうと思っている。何度も津波の驚異を人に聞く事で、その記憶を心体に留め、多くの人が亡くなった事を風化させないために、これからどうすれは良いかが自ずと判ってくる。
昔のような町の再建と、残った人がまた南三陸町で平安に暮らせる町を造るが、生き残った町民の役目だろう。それが亡くなれた人に報いる事となる。
今日で4年10か月となり、未だに1237名の人が行方不明と宮城のラジオは伝える。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:08 】

2016
01/10

他人の言葉から学び知識を得る


「福寿草」がリビングの暖かさで異様に茎が伸びだ。季節に反する異常な人の生活で、こんなにも植物は成長した。季節の外気の中で厳しく成長するのが良いと、野草の生きるべき姿を思った。
昨日は還暦同級会の3回目の会議があり、残り3週間で同級生の45年目の再開をし、5人の担任の先生も健在で3人の先生が、出席を承諾し参加してくれる。80歳を過ぎた先生の高齢を思うと感謝しかない。現在の数の出席は105名前後が集まる。最後となるだろうと私は思っている。あの人に会いたい昔の事を話したいなど、仲間と共に生きた時代が懐かしく、共に60年を生きて来た仲間と互いに喜び合いたい。個々に色々な状況を乗り越え、その喜びと悲しみ等を聞けたら、今後の自分の生きる肥しとしたい。
昨日の本吉郡の剣道寒稽古には、歌津・志津川の中学校が寒さの中で集まり、互いのレベルアップに精を出した。地元で剣道の発展に尽力している指導者の方々には、今後も本吉の剣道の神髄の継続と、新たな地元の後継者となる担い手の育成も、こうした活動で先生方の姿から学び取って欲しい。60歳を目に剣道の指導者としての一線から離れる事を心に刻んだ。
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昨日、7時半の朝食を何時も座るリビングのイスに座った。「ガタン」とイスが破壊した。震災後の倉庫にあったリサイクル店から買ったイスながら、被災後の倉庫にあった事で私の一部でもあった。一週間前から「グラグラ」していたが大丈夫と使っていた。手首を捻ったが大事には至らなかった。「壊れるまで愛着のある物は最後まで」と思っている。
知人が父のヘルメットを震災跡地から広い、捨てられないと言う。津波で行方不明と聞いていたので、その思いは当然で「持っていたら」と話したが、当事者は複雑だろう。区切りとして供養もあるが、被災地では未だに悪夢から抜け出せない人々も少なくない。
今日は震災以前から55年間・30年間の付き合いのある仲間と民宿で新年会を企画した。震災後に是非一席を持ちたいと思っていたが、震災5年目の今まで伸びてしまった。お世話になりっぱなしで、こんな事しかできない事に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。今夜は楽しく昔話に花を咲かせ、今後の事を語りあいたい。保育所の時から共に切磋琢磨し、ぶつかり合った同級生でもあり、悪友であり最大の親友でもある。他の仲間とは一味違うが、会うとまた得る物が多い。

日々やり残していないように、一つ一つ今やらなければいけない事をこなしている。
今日の昼間は仕事を予定どうりこなしていく。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:03 】

2016
01/09

震災復興請負支援の地元を知らないマニアル行政


被災地・被災者に寄り添う為に来町した職員の、意識が5年も経つと低下している気がする。町は少しの事には目をつぶり、派遣職員の中には「来てやった」との気持ちもの人も一部いる。

あくまでも一事案ながら、昨日「支援で来た職員により家庭が崩壊した」との話が飛び込んできた。裁判にまでなり住民が願う、思いのとおりには、いかなかったと話す。「男女の問題」「自由恋愛」などに町は寛大で、行政の職員の中にもこんな意識があるのも、我が町の行政の体質だ。震災後も職員の「不倫」的な男女の恋愛を容認する。震災で妻を夫を亡くした職員があり、既婚職員がボランティアとイオンで手をつなぐ光景や、結婚できない男性が南三陸町には多い中で、不倫しての再婚は社会の女性が許さない。大人としての「職員のモラル」は? と議会でも問い正した事がある。高給取りの話術に長けた幹部にこうした傾向がある。家庭の状況・環境がこうした「不倫」へと走る姿を分析した。相談に来た方は「社会的制裁」がままならないのなら、派遣が終了した時に履歴にこの問題を記載してと言う。こんな方が町に永住してもトップはきっと喜ぶだろう。人に不幸が及んでも自分さえ良ければとの考えが、被災地の復興を遅らせている気がする。
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こんな怒りが消えないままで、昨日、防災庁舎の委託会社による調査が終了した。元旦に庁舎の姿を写真で撮影した。祈念公園の説明会で宮城教授が話す、庁舎建物の基礎も震災の継承の役目をすると言う。住民の中には写真から本庁舎の花壇跡と理解するが、観光で来られた人には語り部が説明するだろうが、この跡地の思いは亡くなられた職員家族の気持ちまでは及ばないだろう。この第1庁舎・第2庁舎の基礎は、震災の驚異を伝える物として妥当かと言うと、私はそうは思っていない。何処にでもありそうな基礎で、後15年で防災対策庁舎が解体となれば、基礎などから津波の驚異を知る事は無くなる。

今日は、本吉郡剣道連盟の寒稽古が歌津である。剣道指導からの終了は今年度と位置づけている。会社と私的問題がその理由だ。後5か月で還暦となり、まだ若いが周囲の想いだろうが、身体は正直である。我が人生の「来し方」に向かい歩みを続けて行く。


【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:43 】

2016
01/08

生活環境確保と防災体制と無駄の削減


全国に11カ所ある日本郵政の「逓信病院」を、東京の一か所を残して閉院する。初めに北大阪の逓信病院を閉めると言う。理由に通算営業赤字額が「60億」になった事と、患者や病床への集客が減少した事を上げていた。新設になった南三陸病院はどうだろう? 以前までの毎月の3千万の赤字で、町が赤字の補てんをしている。患者は人口減少と医師が不足など、その他にも病院の維持費と、職員不足など障害が余りにも多く、問題山積で今後の継続を、立派に建てたはいいが懸念する。

今日は志津川地区の高台移転地「中央区」の今を写真に撮った。正面の山を全て削って住民の生活区を確保する。今年の3月以降に一回目の土地の提供と、4回に分けて29年3月までに整備を完了する予定だ。
災害公営住宅も基礎部分が出来ていたが、何もない運搬にも厳しい場所も、ここまで進んでいて景観が露わになっていた。ヘリでの資材運搬もあり、災害公営の県の事業としての期間も、5年以内との目標に工事が加速していた。
写真の向かいの山の谷間から、「高台横断道路」の整備が少しずつだが、その道路整備が高台の様相から伺い知る。これも全ての高台移転が済む後で、この大工事は震災10年目ごろになるだろう。
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昨日、県の事業としての防災庁舎保存調査が、5人の委託業者が内部に入り、今日まで二日間掛けて状況を調べ県に報告する。錆止めや補強など保存に何が必要か、今後の整備予算の算出により保存が進む。日々この場所を通るが「防災庁舎」の観光客の流入は、今は寒いせいか人影は無い。

昨日は「マイタウン情報」の記事掲載で感謝された。私が感じるままで行政批判を封印して、町民の皆さんに新聞折り込みで伝えている。震災前は3600戸だった新聞も現在は、南三陸町全域で「1750枚」と半分になった。住宅や公営住宅で住民が落ち着きを見せた時に、また、新聞の購読が増加すると予想する。多くの人達への復興情報の発信と、住民の交流と被災地支援活動など、町の広報に載る事のない情報を発信していきたい。今月は第3日曜日になる。無料での配布は永遠とはいかない事を、情報発信が何時まで続くかも判らない。

石巻の水産会社の整備場所に「避難タワー」が完成した。多くの水産会社の社員が津波で亡くなり、事業再開でも再襲来の予測から年内に4機を整備すると言う。高さ18m広さ130㎡で200人が避難でき、太陽光発電や備蓄など震災時の事を考え、石巻では住民の避難場所を平坦な場所に整備した。大津波は5mだったので水産会社従業員も安心して水産業の復興に向かえる。経費は2億7千万で人の命と比べれば安いものだ。

他の自治体と復興の事業順番・手法と比べると、その整備順位に大きな違いを感じ、益々の人が居なくなる復興の姿が、私の町「南三陸町」にはある気がする。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:42 】

2016
01/07

車が無かったら生活ができない南三陸町


昨日も事件発生!  携帯電話の雑音で通話ができなくなった。私用・仕事での形態の役割は大きく、大切で電話もあり「このまま」と言う訳には1時間もできなく、急遽、佐沼のドコモショップに走った。店まで45分は掛かり往復と修理で2時間要した。携帯の交換かと思ったが内部のチップを交換し事なきを得た。更なる出費を回避できた。
こないだも石巻免許センターに年明けに行った。5日とあり大きい駐車場は満車で、100名前後は人がいただろうか、正月休みの間に「書き換え」は皆が考える事だ。これまでは警察署での更新ながら、センターの方が自由に日時を決められるので、被災地の警察署の署員の多忙を考えれば、一日2回も実施される講習があり、自分の時間で書き換えができる。日曜日も実施していると思った。
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その前には仙台の帰り、「河南~河北通行止め」に直面した。石巻日赤前で高速から落された。事故が日赤病院の入口だったらしく、ここで下されたら、その後で直ぐに解除となり、インターから下ってまた入口から上がった。こんな事もあるんだと初めての体験だった。国道に回らなくても済んだ。「ラッキー」だった。交通事故の5割に高齢者が絡まる事故で、今後も日本の高齢化のために全国で事故が多発するだろう。地方も高齢化があるがまだ楽で、都会での現状の交通網は高齢でなくても迷ってしまう。こないだも80歳代の父親がお墓詣りの途中に、中央分離帯に高速でぶつかり、妻と娘が亡くなった。「居眠り運転」だと言うが、私も含め「高血圧」「糖尿病」などの生活習慣病は、運転時に諸々の体に異変を生じ事故に発展する事も少なくない。
被災地の買い物や専門医への通院、突然の隣町への用事など、やむなく無理しての運転には、事故の発生の可能性が増す。体調を整えての誰かに助手席に乗ってもらうなど、万が一の事を考え今後は運転したい。被災地では無理を押して運転しないといけない事が多すぎる。生活環境に於いて店舗の整備が進んでいない事が理由に上げられる。仮設商店街もショッピングモールも、住民の生活必需品の買い物場となるかは、疑問も多く町民は以前にあった「ウジエスーパー」さんの出店を心待ちにしている。

また事件発生である。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:51 】

2016
01/06

歌津地区の変化


歌津地区へは用事があったら出かける。私にとってはこんな地区になってしまった。仕事の用事も多くの老舗の商店が廃業し、数10年の取引先も生活の為に町を出た。住宅再建は地区ごとの5~20軒の防災集団移転は整備を済ませ、新しい家々が出き新しい生活を始めている。歌津で残っているのは「枡沢団地」と「歌津中裏団地」の2カ所が在り、120世帯が土地整備を待ち、同等の数の災害公営住宅の整備を待っているようだ。
そんな中で市街地整備も事業の資金源の確保が決まった。しかし、市街地は被災5年目を迎えようとしているのに、私の目では何も変わっていないように映る。

そんな中で歌津駅裏を通過した時にラーメンの登りを目にした。震災前に伊里前の寄木地区に向かう道路の角にあった店が、被災した駅裏に店を構えていた。震災以前にラーメンと餃子を食べた事を思い出す。この場所にはネギの畑がありラーメンの具として使われていた。両親の土地であり畑だった所と聞く。市街地の土地があれば、被災地であっても住宅が建てられれば、と言う町民も少なくない。住宅建設規制が被災した土地には掛けられている。ラーメン「タナカ」の再建は建設関係者だけでなく、歌津地区に暮らす人たちにも地元の味の復活は、住宅再建の力としてその元気に繋がっている気がする。
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石泉から田束山に向かう道路に出て、西光寺から国道45号に出る道で帰る時に、「三陸道」の高架橋が道路に架かっていた。既に高架橋に道路の鉄骨が上げられ、しばらく来ないうたにここまで完成していた。
町民は言う! 「三陸道よりも住宅整備を」「商店街よりも早く土地整備を」とだ。町が消滅するまでになった町に何が必要かと言えば、住民がいち早く暮らす場所である。早く住宅が整備できる場所の選択と、建設の手段としての早期の住民再建ながら、行政は浜々の小さい土地の整備である。多くの住民が暮らす志津川・伊里前市街地の住民再建の整備は一番後回しの「復興計画」は、行政の一番の失敗であり、その復興計画の期間決定の為に多くの町民が町から流出した。27年11月の人口は「13840人」と14000人を割った。節目の月として、「12月末」「3月末」の人口動向が気になる。

19歳から39歳の住民意向調査によると4000人余りの調査人数に「29.2%」の回答があり、10代の若者は4割が町外の就職を望み、6割の住民は早いスーパーなどの生活環境の利便性を求めていた。生鮮食品の確保には未だに近隣の町へ行くしかないと言う。住民の生活の改善は17年の夏のスーパー開設まで時間が掛かる。5年経っても生活環境整備はできず、震災6年で町民が一番望む買い物の場の確保は、余りにも住民の意向を考えない、実現できない行政の甘さが在る。「千年の一度の災害」と、何時までも逃げ続ける町がある。
女川町の駅の再建が終わり、商店ゾーンも昨年末にオープとなった。女川町の5mの嵩上げが早期の町整備を実現させた。人口の減少は女川も危機的状況ながら、「さあこれから!」と新しい町づくりの一歩となった。

昨日は生活の大変から、生命保険から借り入れの返金をした。年利「6%」ともなる借り入れは、更なる生活の圧迫となっていた。「前向きに!」何でもして行きたいと考えで、被災地の復興の一助となるよう、新事業の開拓を今後もして行きたい。


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2016
01/05

志津川清水地区


歌津からの仕事の帰り途中の志津川清水地区の変化があった。時々通過するが旧清水地区の中へは、小学校からしか今は行けなく、4か月以上も伝えてない。昨日は少しの時間の余裕で気仙沼線の「清水駅」から、津波でも残った橋脚の解体の光景を撮ってきた。津波での町の変化と写真で残す活動の中で、忙しくても時間とチャンスを生かしデータで納めている。
清水小学校の閉校時の写真も、入谷の中学校の姿もブログを始めたのが10年前ごろなので、どこかにその写真が残っている。暇になったら懐かしい姿を紹介したい。ブログをやっていた事で何もかもを失いながらも、志津川地区の風景はブログのどこかにある事で、私の志津川の思い出が残っているとの安心感が繋がって、この大災害を予感していたような気もする。
今の場所も何も考えず、周辺の商店主が購入したからと、勝倉三九郎町長時代の政策での工業団地整備があり、この結果多くの商店主が事業の再開を早期にできた。日々の生活から自然と向き合い、その身体的な予感を感じ取っていた。

石巻の大川小学校の遺構として残すべきか、地区と市が幾度となく議論の場を作って、何度も今後と家族の思いを汲み取り議論を重ねている。清水地区の鉄路の橋脚とて地区の震災遺構とて成り得ると私は思う。防災庁舎の20年間の保存で、町なかの震災遺構の必要性が無くなった訳でもない。
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清水地区は桜川の河川堤防の建設だけで跡地の利用は何も決まっていない。地区の歴史と伝統は地区民の心の中だけでは、行政の大震災を伝えるとはならなく、復興で変わった町を高台の新しい場所から、整備の完了の跡地の風景を見るしかない。私は震災後の海岸線も直後の復興工事も、清水駅の移り変わりも通る度に携帯やカメラで保存している。膨大なデータは会社が終わったら整理したいし、どこかに欲しい方に上げたい。今の行政にだけは決して渡したくない。町民の活動に公平・公正を欠き、広い視野での町民の維持の考えられなく、これまでの人口流出の結果を生んだ行政の政策は、国民の税金の無駄で、復興交付金はいったい誰の為と思う。震災前の職員の対応と、今の幹部職員の対応は大分違っている。震災復興で職員の多忙といつまで言い続けるのだろうか。
明日は歌津地区で新しい発見があった事を伝えたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:21 】

2016
01/04

仕事始め

仲間が集まると酒が進んでしまう。
仲間が集まると健康を語り合う。
仲間が集まると楽しく嫌な事をひと時忘れられる。
仲間と別れると現実生活に戻る。
仲間はイイ!

今年初めて昨日仲間4人と楽しい時間を、正月開店していた一軒の飲み屋さんで、各々の実情を「どう思う?」と語り合った。これがまた楽しい。酒はビールから芋・麦焼酎と酒飲みのボルテージも上がった。・・・体に悪い。年末年始は少し食べ過ぎて血糖値は「190」前後で推移する。これで正月気分は終わりながら、冷蔵庫には沢山の食材があり、片付けるのに当分掛かりそうだ。少し悪くなっても無駄にはしたくないが、私の食に対する考え方だ。

平成29年3月とまだ先の私の市街地の土地の「町開き」を前に色々と考えている。何が私に出来るかと、町のために何ができるか、考え思案する。町の情報発信の他に、地元産品の販売支援と「集える場所創出」がある。町の人との繋がりが希薄になりつつある中で、町外に散らばった町民が、たまには寄り合い、今を語らえる場所を、小さくても良いから作りたいがある。
本浜町の場所は大きく変わった。

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2016
01/03

自分の幸せ・喜びは 自分で掴みに行く


今日の南三陸町志津川の朝は暖かく、日中は12℃まで上がり4月の気温と言い、それを肌で感じる天候となった。リビングの正月前に頂いた「福寿草」の蕾は、3分咲と千葉家に明るさと幸せを伝えてくれた。苔の丘から3株の福寿草の黄色い幸せを運ぶ色、日本にも世界の子供たちの「笑顔で満ちる」、こんな世界になる事を祈り、今年は世界の貧しい子供達に手を差し伸べて行きたい。CIMG5545.jpg
昨日は予定通り仙台市泉区の「龍泉寺の湯」に行った。先輩から「体が休まるよ!」との助言から、正月休みを利用し出かけた。志津川商工団地の自宅から1時間40分は掛かった。仙台のベットタウンの仙北に位置し、三陸道から国道4号を北上した。駐車場の2階に温泉場があり全てが「発券機」で、暗い施設での私の目には勝手が悪く、従業員からの補助が必要だった。色々な温泉に戸惑いながらも、ジェットバス2種と炭酸泉に入浴し、後は岩盤浴で人の合い間に入り込む、こんな混雑がここにはあった。私には大都市のスーパーセントーは合わないと感じた。
以前に知人と言った岩手県の「国見平温泉」の静かな湯治場が、私にはピッテリの温泉だと気付いた。仙台も私には暮らせない事を再確認し知った。入口も何処か判らずいたが「私と一緒に行きましょう」と人の優しさにも触れられた。
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朝5時半ごろの正月番組で五島列島のとある島の家庭の話に枕を濡らした。2年前の父の死は子供達の「父の偉大さ」を再認識させた。多くの子供達に恵まれ、うどん作り・塩造りなど島で子供を育てる為に夫婦で頑張って生きて来た。子ども達は小さい時から仕事を朝早くから手伝わされ、子供達は辛く大変だったと言う。しかし、父が亡くなりその偉大さに自分の生き方を考え、父の生きざまに学んだと話す。
一周忌に島を離れ、大学から教員の道を選んだ末っ子が、船に乗り遅れた法要に間に合わなかった事に、法事の席で親戚の叔父がテーブルを叩き叱り、姉妹もげんこつで頭を叩き、大切な事を守れなかった末っ子の兄弟を叱った。「悪い事をしたら約束を守れないと皆が怒る」、こんな家庭の習わしを父が築いてきた。家庭はこんでないといけなく、子供達は一人で生きて来たと勘違いしている。家族が・両親が子供を社会に出て恥じない常識・対応ができるよう育てる。こんな家庭の習慣が消えつつあると、私は今の子供達と家庭を見て感じ言い聞かせてきた。だが、私の言葉は子供達には伝わらなく、子供がいない事を悔やんでいる。人生の最大の失敗は、家庭と子供を作れなかった事だと思う。いい番組を見させてもらった。

今日は階段の電燈が切れ電球を変えるが、階段の上で怪我のないよう気を付けて一人で作業をする。


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2016
01/02

新旧交代


震災後から続いている志津川町内の状況を写真に収め、町内・全国への発信の為の活動の28年の始まりである。年々大きな変化が志津川地区にはあり、昔の再発見も出来る。こうした生まれた町が復興して行く節目に生きられた事を、貴重な体験として後世に残したい。

元旦のこの日は7時に日の出を見て、実業団マラソンを午前中テレビ観戦し、午後から志津川町内を廻った。初めに志津川高校に向かい旧志中跡地の今を撮影した。1月30日の「還暦同級会」に写真を載せる為だ。その後は中瀬町第2期仮設から1期仮設を通り、水尻川の河口から荒島と建設中の水尻橋の橋脚を撮影した。その前の鮭の捕獲施設はもう終了なのか、死に絶えた「鮭」の無残な姿が捕獲箱入口にあった。生なる川への帰還に対し、人間の人口放流での自然の惨さを感じた。
一番目標だった生まれた地区「本浜町」を見に行くと、10mの防潮堤? 志津川地区内は「8.7m」の津波防災対策としての防潮堤ながら、市街地は10mの嵩上げにより再生を図っている事により、どちらの高さで整備するのか良く解らない。写真には5m余りの旧防潮堤が津波被害の残骸が今も残っていた。その後ろには新しい津波防災の防潮堤が真っ直ぐに大森地区まで続いていた。八幡川は両岸に「河川堤防」が、造成地と三陸道の残土が堤防の形となり、市街地には天高くピラミットのように残土が積まれていた。旧志津川魚市は再建が進んでいたが、本浜の船揚場は未だに海水の中にあった。
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今度は高野会館の前から防災庁舎に向かい手を合わせて来た。そして、ここには必ず来る! そこは志津川地区の津波避難場所の「上の山緑地」で、嵩上げによりその高さは同等となり、志津川湾の市場・水面が見れないまでの嵩上げにより光景が一変していた。知人が同じ考えか写真を撮り、八幡神社にはお参りに訪れる車が駐車場にあった。市街地の何もない中央の交差点はやはりコンビニだった。

こうして1時間30分の私の新年行事は終了した。今日は温泉に行く予定だ。28年も自分の描く理想に向かい、楽しく我が人生を悔いなく生きようと努力を続けたい。


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