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ARCHIVE - 2015年12月

2015
12/15

27年12月14日南三陸病院オープン


昨日は午前中の朝から救急車を5台も見た。「病院ができたら病人も増えた」なんて思ったら、登米市米山の志津川病院からの入院患者の搬送だった。90床の入院ベットの確保があり、施設からの病院での入所者の受け入れも、介護施設の病院の前沢まで行かないで済む。1時間40分は志津川から掛かり、家族の死に立ち会えなかったという家族も震災後少なくは無い。母は米山へも肺炎で1か月も入院したし、石巻仙石病院にも1か月入院し、見舞いや洗濯物を取りに行った事を思い出す。震災の混乱が少し落ち着いた1年後ぐらいの事だった。
昨日は荒砥の施設に支払いに行った。母はベットでいつものように横になるだけで、声を掛けても横を向き、父が顔を自分に向けて「わがっぺ?」との問いに、静かに「んー!」と言うものの、自分の判断ではないようだ。町に病院が出来た事で様態の異変があっても、直ぐに駆けつけられる事ができる。「感謝です。」三陸沿岸で被災した6つの病院で一番最初に再建となった「南三陸病院」です。
病院施設と町の福祉課が併設され、「みなさんどおり」が中央に配置となり、町民の憩いの場所とした。昨日は背広姿のサラリーマンが丸テーブルでパソコンに向かっていた。広々としているスペースの意味があるのかとも思った。町長は病院で亡くなった患者・職員「73人」に報いる為にも、早く立派な病院の建設に取り組んだと言う。
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国立競技場の建設案の2つが示された。外国の建築家ザハ氏の設計に3000億もの、予定価格の倍の建設費で建設計画のやりなおしとなり、今回の募集ではデザインと施工者の共同での提案で、約1470億のA案B案のデザインが示された。私の驚きは「隈研吾氏」がその一人にいた事と、両方のアイデアに木材が使われていた事にある。
我が町の三陸産材のブランド化があり、この程「国際規格認証」を得てオリンピックへの参入を構想していた。志津川市街地のデザイン構想は隈研吾氏によるもので、町が進めていた再建と復興に、関わって来た人と進めた林材産業の発信があり、夢のようなオリンピックへの参加のチャンスが生まれた事となった。偶然かも知れないが、震災の象徴としての南三陸町の再建を隈氏が手掛け、UR都市機構との関わった「ゼネコン」との繋がりもあり、国立競技場のコンペに参加出来た環境が整った事もあると思う。
国民に聴くと、「日の丸のイメージの屋根が良い」や「緑と木材の斬新さが良い」の中に、「つまらない!」と言い切る男性の意見も納得する。ザハ氏の現実離れしたデザインに比べると「普通」の建築物はつまらないと誰もが感じる。以前の「国立代々木競技場」から見れば、将来に残すべき建築物はザハ氏のアイデアが、後世に残すべきものとして最適な物に感じる。建築内容を変え3千億から「2550億」に訂正したが。世界に誇れる日本の競技場の建設は、将来の観光客の集客にも繋がる気がする。ボツとなった!
何を重視すべきかは「総理の英断」による。1000兆の借金も日本の世界への信用があり、1千億の額は震災による人件費と資材の上昇によるもので、ザハ氏のデザインから見れば、今度の二つの案は発信力に欠けていると言っても過言ではなく、どこにでもある気がする。


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