ARCHIVE - 2015年11月

2015
11/30

初めての水族館 南三陸の海と同じ

27.11ブログ
親友に誘われて「仙台うみの杜水族館」に行って来た。三陸の海と題された展示場は、「あまもの森」と「昆布の林」の展示物があったが、さすがに「カジメ」「アラメ」がなかった。多くの海藻の中には小魚が溢れ、子供の頃に見たり釣ったりした魚がいっぱいいた。クサギンポとシマカジカは石をひっくり返せば、海岸の何処でも顔を出した。町長さんはこんな事は知らないだろう。
「南三陸町にも水族館を」と私は提案したが無理のようだ。「ネイチーセンター」は南三陸の海を知ってもらう為と言うが、職員の確保であり、子供たちに南三陸町の海を味わってもらうなら、戸倉地区の一部の海岸を解放し、海と触れてもらった方が、魚の良し悪しと危険な海の生物を知ってもらう意味でも、海の自然を感じる機会となる。
地元の子供も「海を怖いと言う」が、可愛い生き物の宝庫である我が町の海には、「ダンゴウオ」「クチバシカジカ」などの「かわいい」と言ってくれる魚が、地元のダイバーにより全国に紹介されている。
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「イルカショー」には家族ずれがいっぱいだった。フードコートにすわる所が無いくらいで、お土産も各種ぬいくるみやお菓子・来館記念の品々が多く並び、隙間の無いくらい人ごみとなっていた。
入場券は大人が2100円で、高校生・小学生そして幼児は600円となっていて、大駐車場は無料で何時間でも遊べる。関東・東北からの多くの他県ナンバーが居た。
一人の事業者の利益より市の収入として、雇用とお土産があり、仙台への集客が目的のようだ。有効な税金の使われ方がここにある。一部の町民の潤いの為にだけ行政は動いていない。これが自治体の考える事で、「なれあい政治」は永続的な町の成長とはならない。町民皆が将来への可能性を公正に平等に与えられる町が基本にある。私なんかは現政権政治の反対派で、自力で今を生きて行くしかない。

グループ補助金での再建での大問題は、「働く人が居ない」「販路がなくなった」だと再建者は言う。以前の利益の確保は厳しく、「半分にも至らない」と言う石巻の水産業者は苦しんでいた。日本の人口減での販路を海外に向けない限りには「過去の繁栄」を掴む事は難しい。

昼は仙台へ、夜はNHKの震災から4年のドキュメントを見た。事業所の再建で大切だったのは、従業員の維持と得意先を逃がさないが調査で解った。私は23年7月の事業の再開により、何とか現在、仕事を続けられている。年賀状は全盛期の10分の1となり、年々年賀印刷は減っている。無駄な出費を避け自己再建に全勢力を傾注している。生活にゆとりが出来て「年賀でも」と思う時が来るのだろう。
次世代が生きて行ける町づくりをお願いしたい。住民も「長い物にまかれる」だけでは、真の豊かな町とはならないと私は思う。心にゆとりの持てる南三陸町には? まだほど遠いようだ。


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2015
11/29

28年度末には被災者の土地整備が終わる

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5回目の紅葉から落葉へと、季節の移り変わりを鑑賞できる気持ちに、被災地の皆さんはなってきただろうか? 私は病院との係わりが多くなり、入院で何気ない世間の風景を静かに見つめる事が多くなった。ちなみに写真は東北大学病院の玄関近くの風景です。
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何気なくリビングの窓からカーテン越しの風景を見た時に、その姿が自分の「生きざま」に見えた。家の二階部分が隣の工場の影となり写し出された。移り住み1年8か月が経つが、こんな事を思った事が今までは無かった。
今思うと、平屋が年を取ると住みやすい。ベランダは必要ない、トイレは寝室の近くが良い、もちろん洋式で、玄関は絶対にスロープになど、人は必ず高齢になり在宅で最後を迎えたい、その為の準備が新しい生活の住宅には欠かせない。再建にも平屋が意外と多い事は、子供が居なく老々介護生活がこの理由にあるのだろう。

還暦の同級生の住所が判らない。兄弟への配布で送ってもらい、仲間から聞いたり、私の分は何とか同級生の所に届けられそうだ。意外と皆が近くにいた。
60歳を迎えようとしている今、私も今年の1月の元旦は「失明手前」まで眼底出血・網膜剥離の影響があり、将来を悲観し布団で色々考え込む、そんな日々を過ごしていた。知人も最悪の状態を脱していた。「病を誰かの為に治す」と言う強い気持ちが、病気を抑えたり心を強くしたりする。
貴方には「誰か」が居ますか。

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2015
11/28

町の再建の大きな変化に戸惑ってます


写真は一昨日前に道路の変更となった、志津川中の入口です。高い登り坂の八幡川沿いは、川と逆側に仮道路が建設された。河川堤防の建築にあたり架け替えの為の処置だ。繰り返される盛り土と道路変更は、市街地の総てが流出した南三陸町にはしょうがない再建方法ながら、国民の税金での復興に余計な経費が使われていないか心配だ。日本の借金が1000兆を超え、円高・株高の一時的な好景気に踊らされていないだろうか。

少年少女・幼児への虐待が続いている。大人になりきれない20~40代の存在が多くの事件を起こし、家庭の問題を解決できない50~60代の大人が、最悪の結果へと突き進むニュースを多く聞く。金がないから「葬儀」ができなく遺体を放置する等は、行政への相談で解決の道が開ける。生活費に困り親の死後も年金をあてにして生活するは、親の介護などで仕事ができず預金も無いと言う。「生活保護制度」を活用すれば解決する。行政・民生委員・議員などに相談すれば何とかなる。一番必要な事は相談する人を持つ事で、解決の糸口は何処かに在るし、犯罪者にならなくて済む。
3日前に「竜神」と名のる人間に殺された子供の事件があった。昨年12月に突然の「1型糖尿病」の発症の小2の男の子がいた。医師は「インスリンの投薬なしには生きられない」との診断に、子供が毎日の注射を嫌がるからと、「難病の治療ができる」と言う、竜神なる人間に、揉んだり祈祷などで治療を頼み、2か月の治療中に病状が急変して1か月後に亡くなった。嘘の治療をした人間は生活苦借金苦で犯行に至った。両親は子供を思い1回の診療に3万円も払い、200万以上も支払った。間違いなく子供を愛するが故の行動だった。しかし、両親も過失で書類送検されると言う。家族の優しさと無知が引き起こした事件だ。
糖尿病のインスリンは私も13年ぐらいになるだろうか? 針も細くはなっているものの、腹筋周辺の針は痛いし皮下出血で、今はわき腹とヘソの下へと針を打ち分け毎日の治療を欠かせない。何とかヘモグロビン数も「7」で血糖値も「140」で推移する。まだ、高い数字ながら最悪の体調は回避している。

先生が子供にいたずら、警察が盗撮、公務員の痴漢・売春など、子供を取り巻く事件が多く発生している。子ども達が家族と一緒に食事をし、日曜は家で家族と過ごす事が当たり前の時代から、生活苦の為に共稼ぎで、家に家族が居ないケースでの事件発生が多い。何か日本人の生活が大きく変わった気がする。

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昨日は歌津大橋の北の切れ目から歌津市街地を撮影した。海のギリギリの場所に盛り土がされ、その場所に仮設が整備されていた。ここが伊里前商店街の一次的設置場所なのだろうか? 自然の驚異を体験しながら、何時起こるが判らない自然の猛威を考えない震災復興の現実に、何も起こらない事を願うばかりだ。やはり二つの地区の再建策に「格差」を感じるのは私だけではない。

昨日は町づくり協議会への出席を回避した。理由はポータルセンターまでの道路が大きく変わった事と、夜の運転に天候の不順も重なり、危険な夜の行動を避けた。まだ、14年のローン生活、頑張って生きないといけない。

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2015
11/27

祈念公園

ブログ11.27
「記憶の広場」「語り継ぎの広場」「記憶の道」「追憶のテラス」など、防災庁舎の後ろには色々な施設が設けられていた。後ろの高い土盛りは「築山」で、一番上には80坪の避難が遅れた方々の場所としてあり、築山までの登りには4カ所の階段と、らせん状に上る道があり、16mの場所が途中に設けられ津波の波高を表していると言う。周囲には森を形成し、町民がくつろげる場所を提供すると言う。こんな計画が初めて示されたが、来月には内容を決定し県に上げると言う。町民の意見を取り入れようとする考えは薄い、今日は「祈念公園」の2回目の会議が持たれる。
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予想図で見る限りは多くの思いを取り入れた設計だが、被災し家族を亡くされた皆さんを思いと、観光客の多くが訪れる事を想定した設計でもある。

昨日は突然に気仙沼への用事ができた。行きは良かったのだが帰りの国道は、仙台方面に帰る車がスピードをあげ、天候も雨が降ったりで、フロントガラスの曇りに悩まされた。友達のところでコーヒーを御馳走になり、クリーニング店に寄ったのが悪く、帰りは5時近くとなり既に暗く「多くの危険」を味わった。
歌津のお客さんの所で話を聞いた。歌津地区の伊里前商店街が、嵩上げに伴い今の場所から、向かいの海岸の場所の土盛りの場所に一端移ると言う。嵩上げは「5m」と思いきや「8.7m」と防潮堤の高さと同じだ。歌津の商店主の苦悩はまだ続くようだ。
「仮設から仮設」への住まいの集約があり、「仮設商店から仮設商店」へも、志津川地区の商店街整備とは大分違っている。これを地区民は「復興格差」と言っている。志津川の輝かしい復興の数々に比べ、歌津地区の高齢化も進み、町・地区の復興を見ずに亡くなる方も多い、将来を見据え「素晴らしい町づくり」を考えるは理解するが遅いと私は思う。

4日続けて午前3時30分に起きた。日テレニュースの愛好者であり、4時から「オハ4」のファンでもある。メインパーソナリティーの中田さんがお腹に子供を授かった。少しの高齢だが嬉しい。あの優しい朝の笑顔で一日を迎えられる。先週の「愛の福袋」活動で訪れた方に、静岡県からの人もいて、志津川にボランティアで来町した女性が、地元の人と結ばれ子供が今お腹にいます、の説明に「素晴らしい!」と叫んだ。
我が町は昨年に20名の出産だったと言う。亡くなる人は100名以上と、人口減少は当然の事ながら、「町の人口維持の対策が遅い」と私は言い続けている。
昨日は涌谷町の状況を聴き驚いた。12年前に18000人だった人口が、現在は13000人に激減しているとの事だ。震災の影響の少ない宮城の町でも人口減となっていた。それに伴い議会選挙が近日中にあり、定員16人が「3名減」の13人になり、現職16人から4人が勇退し、10名の新人が立つ方向で進んでいると言う。議会改革に町民が立ちあがったと私は思う。
こないだの南三陸町の選挙で、公約に「議員の削減」をうたった議員がいたが、今月の「住民と議会の懇談会」では議員定数質問は無く、震災の住民再建に質問が集中した。町民の議員に対する改革の期待はないようだ。

今日は家・会社から出ない。

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2015
11/26

自然の色の素晴らしさ


昨日の朝6時の仙台への出発は、まだ薄暗く東の空からの明るくなってきている。水尻川河口の前を通ると、荒島の影から陽が登る姿をしばらくぶりで見た。戸倉荒町での仮営業の時には朝5時前後の出社で毎日のように、綺麗な朝焼けに堪能した。ここからの南三陸町志津川の海と島と朝日の、自然の彩のバランスは最高だ。写真は黒崎パーキングからで、歩道のあまりのゴミに無頓着な私でさえ、汚いと目をそらした。このパーキングからの日の出は、戸倉半島の蔭から陽が登ってくる。神割崎の割れ目からの朝日は11月頃だと言われ、この時期がきっと角度から見てもそうなのだろう。あの狭い間からだと限られた日時となる。志津川湾の水平線からは春~夏頃だろうか、朝雲があり丸い太陽が頭を出す事は少なく、その恩恵は漁師さんの特権だ。以前、銀鮭の養殖イカダからの日の出をパーキングから撮影した。そのパネルをある人に贈り大変喜ばれた事を思い出した。
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昨日は南三陸病院が開院の祈念式典が行われた。多くの人達の出席した映像がテレビで流れた。米山の入院病棟の営業を思い出す。12月14日からは南三陸町志津川にオープンする。10月のオープンを予定していたが、2か月の遅れとなった。未だに入居・土地の提供とならない、志津川市街地区民の完成予定も、町が示している時期から遅れる事の無い事をお願いしたい。
震災時、南三陸町の「老人芸能祭」が開催され、400人余りが助かった「高野会館」が震災遺構として残される事となった。あの西岸地区には「祈念公園」が整備されるがあの場所に残る事で、整備計画に変更が必要となる気がする。
日々変化する志津川市街地、町づくり完了まで最後まで生きていたいものだ。

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2015
11/25

南三陸町なにかおかしいぞ?


昨日は町の事を語り合う事ができた。志津川仮設商店街は今日も多くの観光客で賑わっていた。朝のラジオでもアナウンサーが「南三陸町には新しい商店街の外構工事も進み完成したら是非行って見たい」と話していた。被災地の復興の姿を全国で見守っている。震災後良く聞いた言葉に、「南三陸町の復興は東日本大震災からの復興の象徴です」だった。
南三陸町の輝かしい復興があっても、人口は減少し高齢化により将来を不安視している。町が出来てもこれまで暮らしてきた住民の心は、震災前のようにはならない現実にぶつかる。人が家庭が目の前の現実に押しつぶされそうになっていた。
しばらくぶりで西地区西工区の場所の道路を通った。一年前の囲いからこんなにも新しい土地が露わとなっていた。災害公営住宅の基礎工事の光景も見られ、来年度に迫る完成時期に向かい、住民の再建の場所の確保に建設会社が期限まで完成を目指す。この場所では災害公営住宅が「22戸」と、防災集団移転が「22戸」の住宅と土地の整備が進められている。西の東でも入居の抽選があり各々の希望の場所も、住民の希望が全て叶う事は難しい。仮設の入居の抽選も混乱したが、土地抽選は余り騒ぎとはなっていない。「悲しみ」「憤る」「諦め」など、町への怒りよりも「何処でもいいや!」との言葉が聞こえてきた。東区も住民の土地の決定も進んでいた。終の棲家や事業の再開など将来の為に、「当たる」「外れる」の抽選の中で、家庭なりに将来への展望を描いていた。中央区は3段階に分けて土地の提供があり、南三陸町で最後の土地の引き渡し場所である。ここまで復興の姿に興味を持っているのは、自慢ではないが一町民として私ぐらいなものだろう。皆が自分の事で精一杯だからだ。
入谷地区の発展の更なる加速を知る。町で初めてのビジネスホテルが来月オープンとなり、土地の造成での住宅の建設の話も聴き、学生の研修センターの増築話も伝わってきた。誰が主導しての町づくりかと言うと、個人の努力と企業の目論みと被災地支援があった。町の企業誘致の話は「スーパー再建」だけで、町が生み出したものではない。ゴミの再利用も多くの住民雇用とはいかないようだ。
最近、チラシを見ると気仙沼の「社員募集」を良く見る。事業所の再建や市外からの企業の立地も見られ、南三陸町の雇用状況とは大きく違っていた。若い人が町を離れ企業の求める働き手がいない、こんな将来への希望の一部が欠落した町の今後を考えると悲しくなる。
問題が発生したら早期の確実な対策で、被害を最低限にできる「初動」の対応が、震災後に我が町では出来なかった事が、今の状況を生んでいる。千年に一度の大震災だからは「逃げ口上」としか感じない。
政治家は日本を考えると言うが、自衛隊の装備の拡大へと防衛大臣が米国に視察に行き、総理は自分の示す考え達成に向かい、「マイナンバー」「最低賃金千円」など、国民に「飴と鞭」を使い分け突き進んでいる。政権政党のやるがままで、野党の力は地に落ちている。こんな日本で幸せを掴むには、自分で防衛そして努力とで、納得できる生活形態を生み出すしかない。
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今日は仙台に行く、この行動は人助けであり自分を守る為でもある。

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2015
11/24

これからも町で生きる若い家族の為に


日本中で「税金の納付できない」が様々な事件に発展している。我が町の高齢化と人口減は住民に、今後も新たな大きな負担として現れてくる。
介護保険料が約2500円から5000円台に増加したと父から聞いた。ある奈良県の二つの村での人口は1600人前後ながら、介護保険料に違いがあり、その理由に施設への入所が少ない事がその差だと言う。低い村は高齢者が体を使っている仕事をし、病院や施設の利用が少ない事で保険料が安かった。
現在、町では高齢者住民の健康管理に力を入れている。「生活不活発病」や「生活習慣病」などの予防を強化し、寝たきりや長引く通院の解消に努力している。町には多くの介護施設やグループホームなど、これまでは福祉施設の充実に力を注いできたが、今後の住民の高齢化による町の財源負担の軽減への対策を今頃し始めている。
若者が町を去り子供たちの少なくなる状況は、成年・若者・子供が高齢者を支える日本の社会保障のバランスが、震災で疲弊する町の形態で、高齢者の生活の維持に財源が無くなるが懸念され、税の増税でカバーするは町の勝手な乱暴な考えだと思う。病院も新設となり経営での赤字の負担も、改善されないまま町財源から支出するとなれば、更なる重荷となり税の新たな課税と成り兼ねない。

合併10年間での現町長の政策は、病院組合を町職員組合の一体化とし、福祉施設の他からの受け入れがあった。福祉としての高齢者の治療・施設入所対策は整ったが、高齢化により町の保険負担の増加により、町民の保険料の増加へと繋がった。更なる増加の一途の高齢者の施設への入居となると、5千円台から8千円台へと健康保険料が増加となるのは目に見える。
人口減少は人が少なくなるだけでなく、この町に残った住民に更なる増税の負担が覆い被さってくる。高齢者の生活の糧の「国民年金」は満額で6.5万と言われ、介護保険・後期高齢者保健など、1万近くの税金が、支給時に天引きされて振り込まれる。高齢者だけの生活は益々苦しくなる一方で、高齢者の年金不正受給や無理心中など多くの事件が発生しているのは、高齢者を支える家族が核家族化へと進んでいる事にある。災害公営住宅も東区で入所者が平均70歳とも言われ、15年が経てば住宅の空家が増え、維持費が増加となり町の財源を圧迫するだろう。
ただ人口が減るだけだと思ったら大きな間違いで、町で生きようとする若い家族への負担となる。高齢者が体を動かし病気にならない事に心掛ける事で、若い家庭を助ける。こんな事を考えながら共に生き続ける町の創造へと、住民みんなで努力していきたい。少しでも長く南三陸町が、志津川にここで生き続けられる為にも。

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2015
11/23

仲間と温泉と楽しい一夜を満喫


2か月前に私と10歳違う先輩から、忘年会に温泉に行きたいなー! と命令された? それを昨日実現させ、町を離れ楽しい21時間を過ごした。寝不足で心地よい昼寝も帰りできました。言い出しっぺの先輩、「突然の急用」で不参加に、生きて行く上には色々な事が起こりますよねだ。今度また企画し行きましょう、人生はまだまだ大変ですから遊びましょう。

ニュースに色々な事への挑戦には危険は付き物と思った。趣味のヘリコプターの操縦で二人の男性が亡くなった。こないだ戸倉小学校の支援の引率で、学校を見学させてもらった。その時の航空写真が目に留まった。知人から「入谷の方がヘリ操縦するんだよ」と聞いた。説明で電気店の社長の操縦で、写真店の社長の撮影のパネルがこれだと思った。地元の商店の方への依頼は、通常の航空写真は「1カット5~10万円」との話も聴いた。この活動に「凄いなー」と私的には驚きがあった。

フランスのテロリストの制圧が続いている。欧州ならず米国へのテロ予告など、世界は「争いの連鎖」へと突き進んでいるようだ。日本への標的としての警告もネットで流されている。自衛隊の集団的自演の解釈の拡大は今後どう進むかは検討もつかない。
第二次世界大戦での日本人の戦死は「300万人」と言われていると聞く。また、こんな悲惨な事が現在起こっている。理由は宗教対立とは言うものの、テロへの報復・報復へのテロの連鎖の拡大である。フランス・ロシアの飛行機爆破の報復砲撃で、その怒りの拡大が「人命の尊き」など何処へ、と言った状態になっている。人類は争いから目覚める事は無く、最終の目的の「殺人」へとその本能は消える事はない。「日本は大丈夫」との神話は消えつつあり、政府の世界平和の為の日本の海外への対応を見直す時期に来ている気がする。

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2015
11/22

観光で生きる町に


第9回まちづくり会議「輝くまち造り部会」の会議が19日にポータルセンターであった。
委員のひとりが私と同じ事を議題に出した。中橋の構造だ! 以前の松月館の前の「八幡橋」の場所に、隈氏が設計した木造の「人道橋」ができる。こんなにもデザイン性に富む橋が必要か? という事だ。本来の橋の役目を果たしてないのでは? だった。

以前は河口から、港橋・汐見橋・中橋・八幡橋が、志津川市街地の二つの地区を結ぶ重要な交通手段だった。新しい町づくりでは、港橋を若き設計家の公募による橋に、汐見橋は国道45号の高架道路となり、八幡川も入谷からの国道398号の高架道路となる。中橋は人道橋により、東側の商店街と西側の「祈念公園」を結び、一体となる観光施設としての役目と、志津川市街地は変わる。
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この「職住分離」が良かったか? 悪かったか? は20年後・30年後に判るだろう。勝倉町長の商工団地構想と阿部町長の総合体育館の高台への整備構想は、大震災で町民の避難場所として生活・商業の場として、その大きな役目を果たす事となった。
高台居住の三地区での町民との懇談会も、町民との協議も、「行政は町民の声に耳を傾けた」とのバフォーマンスと捉えている。参加しないと意見を言わないままで、町づくりが進む事は、URと町の計画を了解したと見なされる。「私はこんな事に意義がある」との、証拠を残すためにも参加し「ブログ」で結果を残している。このままで復興計画が「町民の意見の薄い事を良い事に」、町民の同意を得たと理由づけ、佐藤行政の思うがままに進む事に「疑問? 疑問!」ばかりが日々増幅する。

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2015
11/21

突然の北の湖の逝去


昨夕に「北の湖理事長が貧血で救急搬送」と、テレビにテロップが流れた。「まさかな?」との思いのままで、朝のニュースで驚いた。62歳で直腸がん・多臓器不全で死んだ。貧血は直腸の出血により発生したものと思う。先代貴乃花が向かうも幾度となくねじ伏せられ、引退に追い込んだのは千代の富士であり、テレビで北の湖が「負ければいいのに」と思い見ていた。その強さに妬みがあったのだろうが、今思うとその強さが羨ましかったのだろう。先代貴乃花・千代の富士の細い身体と、小さいながらも食らいつく二人が、私の子供時代の理想だった。強い者に幾度と倒れながらも食い下がり、最後まで諦めない生き方が、今の私の最後の活力としてある。
北の湖親方は2日前まで白鳳の相撲に注文を付けた。理事長としても独裁的な姿と、鋭い眼差しはあえて自分の気迫を高めていたのかも知れない。周囲の親方は「優しい素晴らしい理事長だった」と、皆が口々に話していた。また同時代を生きて来た人が亡くなった。
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一昨日前は被災地支援者の支援活動で一日を費やした。山口の方々のお願いがあり、下関の「垢田小学校の子供たちのメッセージを届けて下さい」があった。同行した方の一人のお孫さんの学校で、人数は80人弱と新築となった戸倉小学校と同じくらいの規模で、5・6年の手紙とビデオメッセージを届けた。
学校では併設の志小からの移転もあり、厳しい学業時間制約もあり難しい状況下で、快く受け入れをしてくれた。震災後は全国の南三陸町の学校支援も、子供達と先生の多忙の中で、頭を下げて支援を断る事も多かった。置かれている環境の中での先生方の対応に感謝したい。子ども達が下校してからの新校舎の、教育委員会と学校の方が同行しての校内の説明に感謝していた。現在の建設の粋を尽くした建物は、木造の良さを前面に配し温もりを感じさせる「戸倉小学校」に生まれ変わっていた。下関市立垢田小学校の子供たちの笑顔が見えるようだ。その他に富山の仲間からの「チューリップ球根」の支援もあり、春の植え付けから秋の色とりどりのチューリップの開花が見えるようで、その影には子供たちの笑顔も溢れて浮かぶ。

県会議員当選の「境氏告訴」に驚く。訴えを起こしたのは元本吉町議会議長の高橋気仙沼市議だった。境氏の内縁の妻の子供への虐待で、「言う事を聞かない子供を叩いた」が説明であった。市議の孫への虐待が許せなかったのだろうか。市議の娘で離婚して2人の子供を連れての付き合いだった。こんな事も世間の知る事となり、さらけ出す事が娘にとっても良かったのかと思う。県議選が終わってからの報道は、テレビ・新聞で掲載され、境市は「事実無根」と言うが、今後の裁判で有罪となれば、議員辞職と、無罪でもまだ30代の若手のホープの将来に影を残す事となる。政治の裏側での人々の目論みが渦巻く政治は、誰の為の「民主主義なのか」と思わずにはいられない。
こんな事が被災地の我が町と、周辺の都市に起こっている。

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2015
11/20

のぞみ作業所を訪問して


広島を中心とした「愛の福袋」被災地支援訪問の活動に、民生委員の方も参加されているとの事で、子供達の取り巻く被災地の環境を知りたいとの活動はできなかった。「いじめ」「引きこもり」などの全国的な事件発生の問題は、我が町には「ない!」と言う。そんな中で「のぞみ福祉作業所」を紹介すると、施設長の畠山さんから許可も頂き、12名の支援の皆さんと訪問が実現した。
団体の代表の山下さんの話に、メンバーの皆さんに「子供達に寄り添いお話しをして下さい」と説明があった。作業を見学するだけでなく、作業している子供達と話をして互いに笑顔で接する。こんな支援活動もある事を知った。紙すきの作業所でも通所生から、色々な事に対し参加のお母さんのような皆さんが、語り掛ける姿に「福祉に何が大切か」を再確認させられた。
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畠山施設長さんの震災後の活動は、全国からの障害施設の支援と応援があり、毎週交代で支援員がのぞみ作業所の再建にあたってくれたと言う。現在は「紙スキ」の作業による「独自製品開発」により、作業の段階ごとの機械の支援や作業設備の制作など、多くの人達が関わり今の状態に辿り着いた。今後は「販路開拓」が必要で、価格の維持も通所生への賃金を払う為にも、付加価値を付け守っていきたいと話す。
「モアイの絵は僕が書いたんだよ!」と元気に話す子や、黙々と自分の作業に没頭する子など、自分の作業を一生懸命に向かう通所生の姿は、施設の職員の取り組みの賜物と感じた。施設長さん曰く、「牛乳のパックのラベル剥がしは技術がいるんです、通所生は日々の作業でどうすれば上手く剥けるのかを自分で見つけたんです。」と話す。健常者でも難しい「紙すき」の作業に、真剣な眼差しで向かう通所生の姿があり、一部の健常者の多様な世間の事件の中身に空しさが募った。

昨晩は突然の「まちづくり協議会」の開催の連絡が入った。今回は西岸の「祈念公園」の内容について話し合った。私が議員だった頃に、生協と全優石の「被災地にモニュメントを」の義援金は何処に盛り込まれたのだろう。被災地「南三陸町」に全国の生協で募金を集め、翌年には町に手渡された義援金は、どんな形で「慰霊碑」「モニュメント」として慰霊の場所に建立されるのか、全国からの南三陸町への義援金が適正に使われるのかを、確認・検証するまでは仲介をした私の役目と思っている。「そのうちに」、祈念公園の計画内容をお伝えしたい。

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2015
11/19

「愛の福袋」被災者支援活動に同行して


17日に来町した「愛の福袋活動」が昨日一日の活動を行った。志津川・歌津・戸倉の仮設生活者を、二人組となり24名が一斉に仮設に「愛の福袋」を届けた。
小雨が降る寒さの中を、被災者目線で「こんにちはボランティア支援に参りました」と、一軒一軒に顔を出し仮設生活者の話に寄り添う活動は、「ありがたい」と嬉しい声があった。高齢者には腰を下ろし総ての話に耳を傾ける。志津川地区は沼田に初めて入り、2仮設45~25世帯ながら午前8時半から10時まで、留守の家庭もある中で一軒を15分も掛け回るなど、多くの話を最後まで聴き、優しい声を掛け続けた。
一番初めは「沼田2期仮設」で、東区北工区の造成で隣の坂の道路を、トラックが途切れる事無く土砂を運搬していた。震災から4年8か月となり、県設置の「仮設住宅の老朽化」の問題から、補修・補強工事が始まっていた。災害での仮設の利用は「2年」と言われ、仮設の痛みはしょうがなく、集約仮設として今後まだ利用を考える仮設の修理が、最初に建設会社が入っているようだ。
11.18ブログ
活動は「のぞみ作業所」と「戸倉小学校」もあり、報告は今後していきたい。戸倉地区の「海洋自然の家」の入口に迷った。地区の高台に整備された団地には、一本の主要道路を建設する事が必須で、被災した戸倉の浜は高い道路の整備があり、以前の道路からは大きく変わっていた。変わらないのは仮設の風景だけだった。「自然の家」では一人の女性に話し掛けられた、「千葉さん私判らないの」と言う。震災を含めた10年前後の時間は、人の様子を大きく変えていた。私もそうだが心も体型も被災した生活環境で、心は疲弊し身体は言う事をきかなくなり、「今後は整備した高台に孫と住みます」と話すが、まだ先と今後の不安定に生活に、大変さを感じた。しかし、三世代家族が肩を寄せ合って生きる姿がここにあった。

「フランスのテロ」や「高齢者・若者の交通事故」があり、「猟奇的な殺人」も発生している。生徒児童の「自死」も減少する事無く発生している。こないだは松島で20過ぎの母親が子供と入水自殺があり、母親だけが生き赤ちゃんが死亡し警察に出頭した。
こうした生活に困っての若い女性の行動を、引き留める事はできないのか。「こういう生き方も」「この困窮生活からの脱出法」「一人じゃないよ」など、死を選ばない生きる手段を考える事や、周囲から教えてもらう為にも、多くの人と知り合いになる事が自分を助けてくれる。「美味しい物を食べられる」「人と楽しい話しで笑える」「子供の幸せの為」「家族の為に生きる」など、少しの喜びが生きる力となり、生きていれば必ず笑える時が来る。
私も性格や体型から、「自己嫌悪」となり50歳まで生きる事は無いと思っていた。家族・会社の為に友達に支えられながらここまで生きられた。苦しい事も沢山あったが楽しい事も仲間と共有できた事で、良い人生だったと過去を振り返る。
また、問題が発生している。「なるようになる」との気持ちで、自分の追い込まない思考がこれまでの生活を維持できた。この考えで乗り越えて行く。こんなもんだよ人生は!

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2015
11/18

待ち合わせは「モアイの前で」


昨日は今回で3回目と言う会が、メンバーを変えて来町してくれた。初めての方の運転で午後3時半・モアイ像の前でと待ち合わせた。定刻となり携帯に電話が、「宝江・中田に居るんですけど」と言う、三陸道の折口か方向を間違えたみたいで、時間には付けませんとの連絡だった。ナビ任せの案内で、私のナビは米谷インターまでは、農地と川の上を走っている。観光の案内板をもっと掲示して欲しいと思った。
さんさん商店街についても「モアイ像が見つからない」と言う。大駐車場でなく小さい方に到着しての連絡だった。4時を過ぎ暗い中で商店街から見える、旭ヶ丘への津波到達位置や河川堤防・津波の怖さを説明した。袖浜までの民宿の途中は「防災庁舎」に回り、亡くなられた方々へ焼香をし、屋上での起こった出来事に対して質問が飛んだ、「命の大切さ」を言葉の端々で話し、その意味が12名の方々に伝わってくれればと思う。誰しもが4年8か月も経つのに遠藤未希の「早く逃げて下さい」の、必死に訴えた当時の事を知っていた。その他の若い職員の頑張りと無念さを語り、総ての亡くなった皆さんの為にも早期の復興に、町全体で取り組んでいますと話した。
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BRTのバス停には沢山の「町民巡回バス」が、次々と人を載せて運行していた。来町の他の団体の方もBRTでの午後9時過ぎの到着と言う。福岡・広島・愛知からの南三陸町への被災地支援は本当に大変と感じる。今日は町内のまだ行ってない3カ所へも「愛の福袋」を300個以上も、仮設生活者に直接持って行き、志津川小中高の仮設の方と交流を今夜また深める。代表さんの話に「今後も家族のような御付き合いを」が、団体の最大の目的と言う。それにより「家族に会いに来る」と言う最終的な、末永い被災された方々の支援に繋がると話す。二泊三日の強硬日程で、感謝の言葉しかない。
昨日は全ての時間を「支援者支援」に費やした。充実した日となり、今日はその締めくくりで一日案内をする。震災で疎開した方の出会いが、新たな出会いの生んだ実現がここにある。

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2015
11/17

なんだかな~


阿藤快さんが69歳でベットで眠るように亡くなっていた。動脈瘤破裂・胸腔内破裂だと言う。2日前まで普通に仕事をして、背中が痛いとの状況もあったが、突然連絡が取れず「おかしい」との周囲の判断で、妹さんが部屋に入って見つけた。ひとりで暮らす怖さがここにある。こないだも町内の仮設に行った折にこんな話を聞く、「同級生が仮設で死んでいた」まだ65歳前後の方だと言う。被災地では多くの悲劇が報道される事無く、静かに被災町民が誰に看取られる事無く死ぬ。町の復興の姿を示す意味でも、こうした暗い出来事を表にする事を「良し」としない。また個性のある年の近い有名人が逝ってしまった。
志津川沼田地区、横山駅裏・南方仮設を廻り長野からのネギを届けた。一人の自治会長さんは、小さな物を送り御礼の葉書を貰ったと言う。こうして被災者との交流が最大の成果だと思う。
玄関に「ネギ2本」を置く、これが被災者がまだ多い事を示している。「ネギ欲しい」と直接的な声に生活の苦しさを感じる。また、3世帯家族が登米市への移転を決めていた。「働く場所はあるの?」が第一声で、「無いようです」と答えるしかなかった。
現在、南三陸町で厳しい生活環境で暮らす人たちは、最後まで生活は大変だが、生まれ育ったこの町で今後も暮らす事を決めている。しかし、町外への仮設で暮らす人たちは、生活環境も整い仕事も豊富にあり、沢山の選択肢を持つ場所に暮らしたいと思うのは、話しを聞く限り当然であり、それを誰も否定する事はできない。高台造成となる来年度で居住地が整備され、仮設の集約もあり、帰って来ても生活が成り立たない、南三陸町の生活環境で帰って来るのは、一線から退いた高齢者と、復興と行政に働く人達だと思う。

5か月ぶりで「防災庁舎」に合掌してきた。この姿でイイの? が第一印象だった。今日も被災地「南三陸町」に多くの復興支援で人が来る、防災庁舎の錆びた鉄骨の柱に、亡くなった人たちの「供養塔婆」が巻きつけられている現実を、嘆かずにはいられなかった。線香には火が付きボウボウと燃え上がり、何で仮設でも良いから慰霊台・塔婆建て・囲い等を町が整備しないのかが不思議だ。「県有化」になった為と、もう町の管理下では無いのか。町長をはじめとした残った職員で出資し建てる気持ちが無いのかと思うし、町民に資金を募り来町者に恥じない、慰霊の場を仮設置出来ない物かと、今の防災庁舎の姿を見て感じた。

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2015
11/16

変化にとんだ一週間


今年も長野県飯島町から素晴らしい「ネギ」が届いた、10袋500本で夏のジャガイモと秋のネギと、3年目の物資支援を迎えた。昨日は沼田地区に3袋を届けた。2~3日中には後2カ所に届けたい。一世帯2本と少ないが、頂いてくれた人は「1本でも嬉しい」との声があった。
先週の金曜日で今年の「志津川剣道スポーツ少年団」も終わりにした。網膜剥離で夜中の運転は不安があり、早々2回の練習を残し終わりとした。中学校の武道館前のテニスコート街路灯が切れたままで、修理を町にお願いし5か月が経つが、修理されないままで今に至る。来年は新たな南三陸町の「志津川剣道スポ少」への体制でスタートする予定だ。子ども達の減少が最大の問題としてある。
昨日は本浜町の「結婚の仲人」で町でも有名だった、奥さんが仙台の避難先で亡くなった。住所が南三陸町に無い事で、町からの弔電は無かった。昔から町の為に尽くしてきた方々に、大震災の理由により、町民の絆と感謝の念の繋がりが消えていっている。やはり町の町民に対する考えはおかしいと痛感させられた。
我が社に「感謝状」が届いた。長年に渡り保護司会に寄付を社長が続け、今回その功績に対して感謝状が贈られた。これが社長のやり方で、「何も求めない、広く人の為に」の生き方にある。「町民栄誉賞」「町功労賞」などが文化日に、合併10周年と同じ日合わせてに町民に授与されたが、我が家とは無関係なものらしい。
「後継人問題」「印刷組合総会」など、仕事と関係ない事が多いが、頭を休める暇がないのが、私の病気には良いらしい。体を動かし頭を使う事で「若年性認知症」の予防となっている。
役場の仕事もトラブル? 我が社の責任で無かったが、迅速な対応で感謝された。
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先週、制作を予定していた車の「マグネット看板」が届いた。会社の発信は情報紙だけだったが、愛車にも「がんばろう(絆)南三陸町」を刻んだ。「共に志津川の地で生きましょう」との気持ちを伝えたい。志津川市街地の2千世帯の消滅により、再建に町外に多くが移り住んで、何とか留まって欲しいの期待は空しく散った。
昨夜は五日町の「山長商店」の社長さん夫婦が夢に出てきた。店の商品を整理していた。お二人とも元気でいるだろうか?

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2015
11/15

被災地の子供たちの格差


昨日は午後3時まで家に居て、その後に横山まで3軒の用事に向かい、そのまま石巻に行った。
4か月ぶりの「石巻ジャスコ」に行くと、子どもと一緒の家族連れの姿を多く見られた。我が町からは車で大型商店までは、気仙沼・登米・石巻と1時間は掛かり、ショッピング・買い物・食事など出掛けると4時間は要するだろう。ジャスコには子供たちの無邪気に遊び、笑う姿に溢れ、石巻の小中学校の紹介のパネル展も開催されていた。こんな状況を見ていると石巻市へと、子供も持つ家族は、復興再建の進まない被災の真っただ中からの脱出を考えるのは当然と思った。私の「故郷から離れない」との気持ちとはまた別な物だろう。「子どもの為に」が両親の最大の目的としての行動がある。
横山でも小学校は今年度入学が「5人」と言う、地元の方もその減少に戸惑い驚いていた。
石巻は既に「クリスマス」の飾りで色取られていた。一か月もまだ先なのに若者たちが賑やかに品定めしている。こんなにも街に若者たちの様子を見られたのは懐かしい。南三陸町には学校の仮設に行けば子供達を見られるが、多くのイベントにも子供たちの集まる事は少なく、家にいる事が多くなり、親たちは町に居る事よりも、震災を忘れられる場所へと子供達を連れ立って行く。自分達も「一時の癒しを求め」、逃避したいと思っても不思議はない。
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我が社も今月末からイルミネーションを飾ろうと思う。少しでも心に輝きを持ち、周りにも暗いよりも「町に明るさを」と、小さい活動ながら続けて行きたい。近所にもこんな光景に写メを撮ったので紹介したい。

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2015
11/14

助作地区の1-1を 志津川中学校から望む


「仮設もいいものです」「狭いのになれました」など仮設暮しを話す。しばらくぶりで昼間に志中仮設に行った。生徒はクラブ活動に一生懸命に励む姿が見られた。
登校坂から眼下の助作地区の今を見る。今後の計画では野球場と陸上競技場が、7mの嵩上げの後に整備される。ここにも高台の残土が高く積まれている。市街地や町の至る所に小高い山が、造られたり削られたりとの造成整備に町はあたり、現在も同じような事が繰り替えされている。災害公営住宅の建設が急ピッチで進み、被災者の生活確保の重点部分であり、その周辺から個人の土地の整備が一早く進み、最後にそれ以外の造成地へとの流れのようだ。「最後だから」と早期再建の気持ちを削ぐかのような、被災地の再建計画のように思う。年だけか空しく流れ仮設で亡くなる人も沢山いる。
本浜町の為に尽くされた方がまた亡くなった。一足先に地区を背負っていた息子さん夫婦が津波で亡くなり、その元へと旅立った。「津波さえなければ」「避難できていれば」と、地区の発言力を持った方の死に、地域コミニティーの崩壊を感じる。親は故郷で生き続け、子供達は生活の確実な都会の生活へと移り住む。こんな流れが被災地では加速している。日本の人口減少があるものの、経済成長ばかりを追い求める政治と、本当の幸せとは何かを見失った日本人が多くなっている。
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「後見人問題」と言う事が高齢化の老々介護の家庭に、新たな問題として発生している。人間の認知は「家庭の絆」さえ制度で縛ろうとしている。母の財産は個人の物との考えは間違っている。家族で築いた財産の分配で、家族の共有物ながら家族がそれを自由に使えない事はおかしい。現在、父も私も「認知症」と言う病の可能性を秘め、こうした問題の対策は後見人しかないのだろうか。防衛策を講じようとするも、「マイナンバー制度」による個人財産の日本国の管理社会へと進む。「国民を守るべき国が国民を縛る」、そんな社会となっている。自己の防衛策を模索している。
社会保障の年金も「先行受給」を考え、3割減と「介護保険」「後期高齢者」などの税金を、年金支給から直接天引きしての支給となっている。満額の国民年金で「6万5千円」で、三割減で「45500円」となり、税分を引くと3万5千円となり、これで人間として最低の生活ができるだろうか。現在・これかにと「生活保護家庭」が増加し続けると言う。「何もしない方が安定したお金がもらえる。」、こんな錯覚を国民がし、政府は何の対策も取っていない。「1億総活躍社会」という政府の政策の言葉は、被災地には届かなく空しさが増してくる。
母は今日も施設で静かに眠り、家族が地道に生きる道を相談する。こんな町民が生きる町「南三陸町」が誕生しつつある。「千と千尋」の夢の町ができ静かに消えて行く、そんな50年が今後待っているようだ。
私は決して後ろ向きでない「堅実な町づくり」を思い、多くの町を離れた町民が、次世代には「町の戻りたい」との気持ちが芽生える「街」に生まれ変わって欲しい。最後までこの町づくりの検証を発信続けたい。

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2015
11/13

北へ南へ


以前「まちづくり事業」で田舎暮らしの補助事業に関わった。新潟から南三陸町に移り住み、その翌年に3・11大震災にあい富山?に現在は暮らしている。咋朝6時代に携帯が鳴った、誰かと思ったら「太田さん」で、夢の中でバタバタしていて明日でも「ゆっくり」電話を掛けたい。いつも町を離れても南三陸町を心配している。移り住んだ時は「川が汚い」「臭い」とよく言われた。日々生活していると、この姿が当たり前と他所の違いに気づきにくい。

こないだ、役場に行った時に「イスラエル医療団」の支援モニュメントが解体されていた。来月「開院」となる向かいに移築したのだろう。中東の戦闘の中でよく名前が出る。医療技術の発達先進国でありながら、宗教・発明・戦争は「紙一重」の発展への繋がりを持っている。原爆も戦争で使う為でなく、別な発明により発見したと聞いた。最近の「原発再開」の政府の動きは、震災による原発の悲劇を思い起こさせるが、原発は「国策」で企業も外国への輸出品としての取り扱いだ。地震大国の日本には多くの危険が潜んでいるが、アメリカ・フランスなどの地震の少ない国には絶対必要な部分だろう。現在、シェールガスにより原油の下落があり、町ではガソリンは1リットル「125円」で推移する。日本でも断層がある場所の原発も稼働が決まった。自治体への誘致の交付金が理由に上げられる。原発への津波での被災による四国の半島の孤立避難を船でと、訓練を国で開催した。
原発再開には根強い反発があり、多くの人が勉強をしているようだ。「女川原発が来年には稼働する」、こんな話しが進んでいると言う。知らなかった! また以前にも聞いたが、モンジュや六ヶ所村の施設等からは、毎日のように汚染した水が海洋に流れている。こんな話だった。無駄を無くす政府の「仕分け」で、原発の輸送船の年間維持に「14億円」かかり、約10年で6回しか使われていないと言う。震災後に原発が稼働なくしても日本は混乱しなかった。原油安と自然エネルギーの取り組みで対応ができたが、国策して世界に売り込む為には、地震国でも原発は安全を政府は輸出先への宣伝の為にの政策だろう。多くの使われない原発を維持して行くだけで、関わる人達の人件費を考え、その裏側の家族を思うと複雑だ。しかし、福島原発の被災で故郷を追われた人たちの悲惨さを思わずにはいられない。
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昨日の印刷組合理事会での全国表彰の報告会があった。理事職20年以上が対象だ。父親も金沢で30年前に全国表彰を受けている。私はまだ2年、足元にも及ばない。

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2015
11/12

人口減少は止まらない


今朝、うとうとと夢の中で良き志津川の暮らしを味わった。海には魚が溢れ魚影とウミウシが海底でゆらゆらと揺れていた。誰でもが気軽に語り合い触れ合う姿がそこにはあり、船揚場は砂利の上を一気に小石のガラガラと音をたてて、陸地に船を上げる光景に触れた。

役場への配達の帰りに、東区東工区の災害公営住宅の、好天に恵まれ光輝く工事現場がった。短時間での住宅が空高く伸び、工事に今後の問題は無いのかと、現世の基礎工事・外壁工事の規定の図面・内容どおりの強固な建物かと、工事偽装に現実に不安を思う。

河北新報と東北大の「被災地の福祉」を調査分析した。「生活保護率」は震災後低下し、翌年再び上昇している。と言う。私は一人の被災者の生活保護家庭への加入を支援した。高齢となり住宅被災で二重ローンなどを抱え、自己破産や戸建から災害公営に入居する等、生活防衛に被災者は取り組んでいる。
南三陸町は出生率の減少が増し、高齢化率も高まり、生活保護家庭は増加したが大きな上昇は無いと言う。国保加入率は下がりその後も低下し続けている。自殺率は上昇し増加していた。我が町は「クラスターA」の自治体は高齢化が進み震災による人口構造が見られると言う。「E」は東松島市だけで、被災後の宮城の海岸部の実態をデータで分析した。
南三陸町はどれをとっても「生活が大変」「これからの不安」との結果だが、今の復興計画で改善するかは難しい。ある専門化は人口減少は気仙沼・本吉圏域では最善しなく、今後もこのままで減少して行くと話している。政策の失敗と対策の遅さが、町の疲弊を造り出していた。

今日は仙台に行く、県の印刷組合理事会へで、今年度で辞退しようと思っての、無理をしてでも最後まで1期半は続けたいとの気持ちだ。若い後継者がいる会社のご子息に、本吉・気仙沼地区の支部長職と共に、引き継いでもらおうと思う。

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2015
11/11

議会と住民の懇談会に行った


昨夜の6時30から志津川中学校に行った。その前に小森ローソンと焼き鳥なっちゃんに回り、夕食の買い物をする。
30分を少し回っていたが、会場には20名が集まり、議員団が現在までの説明をしていた。質問タイムが始まり最初は静だったが、5人の議員団の委員長が「何でも良いですから」の言葉に、堰を切ったように参加者からの質問が始まった。以前のポータルセンターには3人で、同じ人が何度も質問していた事を思い出す。今回は仮設生活者の切々とした相談が多かった。

質問は、息子が帰りたいけど被災してないので泊まる所がない、仮設で一次宿泊ができないか。・病院は何時頃できるのか。・志津川3地区の中央区が遅れている。やはり文化財のせいなのか。・行政の土地登記に時間が掛かりすぎる。工事と平行に進められないのか。・工事が一斉に始まっている。土地造成を優先出来ないのか。・住宅造成を早めないと人口が減る。・大森の市場から本浜の旧市場に通じる道路が欲しい。・仮設の修理で物置を移動したが水平が取れなくドアが閉まらない。・志中の仮設の集約は何時になるのか。・佐沼に市営住宅がまた50軒建設している。人口流出とならないか。・南三陸町の人口を減らさないで欲しい。・若い人達の働く場がない。・高台移転の工事を早く。・雇用を考えた場合、どんな企業誘致が必要か。・大手企業がなぜ来ないのか。・南三陸町に合った仕事がない。・仮設では手すりなどの器具を付けたが、災害公営住宅には付いているのか。・体が不自由で生活ができない。・三陸道の小森インターは27年度の3月まで出来るのか。・出席された議員の皆さんは女川原発をどうしたいと思いますか。

こんなにも多くの問題に、南三陸町議会としての答えであり、「個人での意見」と前置きする事もあったが、集まった町民に真摯に応える姿が感じられた。3日間の最後に「議会と町民の懇談会」に出掛けて良かった。


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2015
11/10

戸倉団地整備進む

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また、歯が欠けた。虫歯の入れ歯2カ所と歯槽膿漏と歯周病で、年齢に見合った歯医者通いが始まる。「歯は永遠の友達、皆さん大切に!」

戸倉団地の整備が加速している。戸建と集合住宅がここまで進み、学校施設も小学校の再建が終わり、今後は住宅再建が90世帯余りと、集合住宅へも約90世帯の住宅が整備される。その他にも団地内に商店・各種店舗が整備される予定だ。何時になるかは判断できないが、地域の再建は一歩一歩進んでいる。
来年度には志津川地区の高台造成が490世帯と17棟の災害公営住宅が、今年度中に着工し来年の中ごろには引き渡されると、UR都市機構の南三陸所長は話す。
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最近は町内や町外に出掛ける事も少なくなった。病院通いと食材調達ぐらいなもので、今日も被災地の情報の整理と、会社のHPとマイタウン情報の制作だけで、仕事は本当に少なくなり、被災地の事業所の厳しさが増している。震災後の事業所の半分が廃業と継続を断念する中で、今後も町の疲弊が進む中で、今後の経営難が予想できる。どうしても業種により被災地の経営は益々厳しくなって行く。我が社も業種の多角化は言葉では簡単ながら、新たな事業は資金と可能性は低く、更なる経済困窮を招きかねない。小さな夢でも持ち楽しく仕事をする事で、将来が開けると言った方がいた。私にあてはまるかは疑問だ。

国民年金の掛け金も来年の4月で終わる。こんな事も「還暦祝い」の一つなのかも知れない。震災が無かったら、静かに生きる選択もできたが、多くのローンを抱え、支払いが滞ったら土地も家も銀行に持っていかれる。「それでもいいか!」と家族三人の生活を考える。

母の権利もある弟の「住宅共済」の支払いも、2年を残すばかりとなり、毎月の支払いを日々思案する。後一年、後三年とこれまでの支払いと、初めて組むローンを「どうしたら」と考えている。自分一人で背負う悲しさがある。二人の92歳となる両親の余生の見守りは、他から比べれば私はまだ楽と捉えるが、年を重ねる毎に不安が増して行っている。

まあ、一日一日を静かに暮らす事を、目の前の目的と考え生き、起こった事に対処するしかない。朝から後ろ向きな話で申し訳ない。

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2015
11/09

気仙沼の民主主義


「原発避難訓練」「防災訓練」などが先週開催された。高台移転し津波・地震のリスクから「0」に近く遠ざかる今、我が家としては訓練の意味が無くなった。地域防災の必要性は認めるが、東浜団地(沼田)は町一番の地域に広がり、色々な人が集まっている。個性的な私はもう少し「アク」が消えた高齢者となったら参加を考える。以前の地区総会も20・30・40代が居なく、高齢化が多く出席してこの地区の姿が分かった。今度の東地区の高台移転の折には、多くの知人が来る、限られた私の力で「お世話のなった恩返し」の支援をして行きたい。

気仙沼の「三陸新報」に
「私たちはJR大船戸線・JR気仙沼線の鉄路での復旧実現を求めます」との一面広告を、気仙沼市の団体・個人が掲載した。
理由に上げたのは、安全性・定時性が高い鉄路での復旧を求め、長期的には観光客誘致による交流人口の増加や、産業の復興に大きな役割を果たし、仙台圏への学校通学の手段としてなど、その鉄路の復活は市民にとって大きなプラスとなる。と言う。短期的にはバス高速輸送システム(BRT)の必要性も認めている。
こんな内容だった。
南三陸町長佐藤仁氏は、早々と鉄路での再建を諦め、BRTの利便性を唱え更なるバス輸送による町づくりを考えている。
南三陸町陸前戸倉駅までは鉄路の線路は残った。これにより気仙沼市までの鉄路復旧よりは経費が掛からない再建に、早期断念の消極的なその考えが私には理解ができない。三陸沿岸の南三陸町の交通手段の鉄路再建の特色として、気仙沼線南三陸戸倉駅の再建の力を利用し、町の復興の後押しとなる。
我が町の再建には沢山の疑問が山積する。目的が一点集中し住民の生活環境整備が、二の次のように私は感じている。

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2015
11/08

町の賑わいは町民で


飯野川に行った時に撮った「アップルタウン・ウジエ」さん、17年の二年後の夏に、ついに志津川に建設が決まり「締結式」をした。

昨日はトラブル続き! 一つの仕事は2日も掛かったのに全面やり直し、かぶせた歯は取れるし、あてにした方には受け入れ断られるし、「なるようになる!」の生きる為の気持ちの導に立ち返る。

今、リビングには花を置きたいと決めている。今度は「ジャコバサボテン」にした、以外と育てやすく長持ちする。佐沼まで買いに用事も含め出かけた。この日は「買取店」はいっぱいだった。何故と思ったが知人は「仮設からの出る人が余計な物を持ってくるんじゃない?」と言う。生活の無駄を無くし節約し生きて行く知恵を発揮している。国の補助による町づくりに、行政の甘い再建の行動に、平時となった時の不安を思う。

帰ってから佐沼の叔母から新米を三袋、昔からお世話になった二人の方に渡してと一袋ずつ、未だに仮設で暮らす70・80世代の家庭に届け、後は我が家に頂いた。太っ腹の叔母は決して見返りを求めない。「ありがとう。」の声に、「裸で生まれ育って来たもの、困っている時はお互い様だから。」といつも言う、御年「93歳」で、じっとしているのが嫌いと話す。私は見習う事ばかりだ。

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震災前から大型スーパーの進出で、町内の小売店が閉店に追い込まれた。時代の流れで「商品我が町での高齢者の買い物は町づくりが終了してでも大変だ。28年第一四半期に東地区の東工区の災害公営が完成する。2階建てと4階建てでエレベーターが欠かせなく、入谷の公営住宅には無いが、平均70歳ともなるこの地区では必需施設となる。82世帯と同時期に14の戸建も完成予定だ。志津川市街地の東地区東工区災害公営の第一番目にはエレベーターが設置される。
学校などの教育施設にある仮設は、早期解体撤去場所と集約が進む。子ども達のスポーツの場所確保にも、南三陸町には歌津地区で2校、志津川地区では3校、県立高校の1校が早期に集約場所として解体が考えられる。次の移転場所が確保されている生活者は良いが、未だに生活の場所が確保・建設されない世帯にとっては、「仮設から仮設」の引っ越しは、精神的にも大変だろう。
多くの問題の山積の南三陸町で、昨夜から「住民と議会の懇談会」が3カ所で持たれ、私も入谷災害公営住宅へ行くつもりだったが、夜の開催と山の仮設への出向く事に、運転の危険からいく事をやめた。来週は8・9日と開催されるので、行きやすい「志津川中学校仮設」での懇談会に行きたいと思う。

高齢者の買い物に今後は、高台からの巡回バスの利用を町は計画している。震災後の学校の通学バスや40カ所の町内外の仮設からは、無料の巡回バスを町が走らせている。数千万の被災地への交付金による運営から、近く「有料」の巡回バスを町は模索し実行しそうだ。高齢者の自動車事故の多発での重大事故発生が、全国的な問題となっている。将来はこのような問題の発生も予想される。
選択の拡大」「商品の低価格化」など、町民の求む買い物事情が町でも広かり、多くの集客を生んだ「ウジエスーパー」の盛況を思い出す。現在のスジエさんの大型買い物バスの運行は、以前からの顧客のサービスとして、赤字覚悟で今も運行を続けている。後1年9か月前後で再建か進む。町民の待ちに待った新たな集まりの場ができる。被災し町で仮の住まいが出来て、病院の完成を目の前にし、次の町民が望む「スーパーオープン」は、もう少しの我慢だ。

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2015
11/07

この町で生きる


昨日は石巻への配達に行き、三陸道が日赤インターで下りお客さんの所まで1時間掛かった。やはり遠い! 目的地もあるが気仙沼までは50分で登米までは45分と、商工団地からは一時間圏内ながらまだ遠い。

帰りに5年ぶりで道の駅「モクモクハウス」に寄って見た。食事をとるトラックの運転手さんと、一休みするドライバーさんが駐車場に多く居た。道の駅まで橋を渡り産直に入る人も疎らだった。
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午後は歯医者に行った。口の歯・歯茎からの出血で朝の口中は最悪だ。歯の詰め物が取れ、歯が割れて「もう無理だな」と言われた。歯周病は始まり治療で抑え遅らせるしかないと言う。よく歯が抜ける夢を見る。衛生士さんに「歯磨き指導」を受け、歯周病は歯茎に「2m~4m」の針が入るのは前兆で、歯の周囲からの出血も見られると話す。とにかく朝晩の歯磨きの正しい磨き方の励行で、歯周病予防で快適な朝を迎えたい。

17・18・19日に南三陸町に滞在する、福岡・広島など近県の人達が仮設生活の被災者・子供たちの支援に来る。民生委員の方もおりその活動の支援準備の行動した。町内の学校と行政の教育部署の方と、町に置かれている子供たちの取り巻く環境について話しが聴けた。
被災し何も無くなった環境での子供たちの心のケアや、教育環境の整備など「ゼロ」からのスタートで、その中でも子供達を生き生きと学校生活が送れるように、町外からの諸々の関わりをどうすれば、子供達の育成に繋がるかを、厳しい目と対応に当たっていた。

障害者施設の訪問にも施設長さんは快く応えてくれた。仮設生活者との交流も午後の7時からの予定にも、快く応えてくれた人達に感謝したい。

今年も三陸沿岸の「アワビ開口」の時期となった。気仙沼の唐桑での開口では1K当たり7800円で、いつもより高値と言う。10月よりカキの出荷が始まっていたが、本吉・気仙沼地区ではこれまで唐桑が10トンで、戸倉4トンと志津川は2トンと、生育によるものか志津川に於いては昨年の5分の1と言う。高値での流通ながら仙台の飲食店でも「広島カキ」の商品表示には、宮城県での三陸・松島カキよりも広島は何故かと驚く。商店でも宮城県が地元牡蠣を推奨する活動で全国に、南三陸町の牡蠣を発信できると思う。生産減の理由が今年の天気と生産体制が整備されていない事なのかとも考える。

南三陸町の復興はまだまだなのだろう。

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2015
11/06

「津波」 自然にやられている事もあるが生かされている


今日の題名は南三陸町戸倉地区の漁師の菅原さんの言葉だ。フェイスブックの岩手県田野畑村の漁師の佐々木さんは「魚が少なくなった」と言い、コンブとワカメを生産者から高く買い、ネットでの販路を開拓し漁民を支援していた。この間は県知事への陳情に行き、秋サケの刺し網での漁の許可を訴えたと言う。「何で?」と我が町のような各種の漁の形の連携が取れないのか不思議だった。
八幡川の河川堤防建築の準備が町中で進んでいる。写真は再建された農協本部の小さな高台から、う回路と並ぶ現在の姿の道路を撮影した。
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昨夜深夜2時、NHKのドキメントで三陸の海の「津波からの海の再生」を放送していた。
現在は海の再生が志津川湾は進んでいると言う。津波の湾内への侵入経路にあたり、湾内の「藻場」の被害を平磯・荒砥地区など最小に留め、再生の道が残り小魚などの生育に繋がっている。湾の地形も津波の増幅はあったものの、内陸地からの土砂の海底への流入は、もっと沖へ流れ湾内は現在、元に状態に戻りつつある。藻場の「アマモ」は多くの魚など生物の住家となっていて、メバル・ソイ・タナゴ・アナゴ・カニ・シャコなど、おおくの種類がいた。アマモは志津川湾で60haあり津波後は半分となり、そこからの自然の力による再生進んでいる。
「磯焼け」を知っているだろうか。震災前から戸倉地区で見られ、それがウニの食害である事は知られている。震災からの海底の捜査と影響の分析で、現在の磯焼けのメカニズムを分析していた。震災で多くの海底生物が津波で流されたが、ウニは岩礁の岩場で流されなく残り、ヒトデやヤドカリの天敵がいなくなり、その繁殖力は一個のウニの産卵で500万個だと言う。食害はアラメ・コンブなどを一気に食べつくす。それによる三陸の磯焼けに繋がっていた。
戸倉地区の菅原さんは話す。「自然にやられるものもあるが、生かされている。」と、秋サケの恵みは震災後の放流時の稚魚が、生まれ育った川に3~4年の後に帰ってきていた。牡蠣の養殖も川のミネラルと親潮の栄養が混じりあい、豊潤な海の志津川湾を作り上げていた。
夜中にこんな海の「食物連鎖」が、自然の力として生き物が育つ環境を作っていた。

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2015
11/05

志津川湾の海の守り神「荒嶋神社」


震災があり志津川湾の荒島は神殿の入口の鳥居が津波で破壊されたものの、神社は何事も無かったように「凛」と島の中央に佇んでいた。
以前に行ったのは大震災の前の年だった。地元新聞が無くなり町の良い所の紹介で、「パワースポット」として荒島を紹介した。
町が津波で消え去り、島の神社へ行く事と島が変わってる事が「怖かった」があった。意を決して、昨日の天気を見ながら急な階段を登った。最近は体力が無くなったのか最初の曲がり角で、身体が動けなくなりその坂のキツさが分かるだろう。その後は懐かしさもあり神殿まで、昔を思い出しながら歩いた。
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島の頂上に神社があり、昔のままに島の反対側に向かう道路も残っていた。小道の両脇には「竹でっぽう」の玉「ラン玉」があった。ランの種類の野草の実で、この実を取り子供の頃よく遊んだことを思い出した。
感じたのは「屋久島と似ている」だ。御神木も神社の隣りに神輿の担ぎ手だった40年もの前の頃のままで、この脇に石碑があり、チリ津波で被災した場所から町の石碑をここに建立したと建て看板に書いてあった。
子供達の町の探索に良い場所と思うが、島の階段と坂道の片側は直ぐ崖となっていて、人の出入りを拒むかのようなで、子供達の探索には厳しい島だった。
小さかった小学生の時は一人でも島の裏側まで遊びに行ったが、今は家族も心配で行かせないだろう。私は勿論ひとりだが「気つけでいげよ」が母のいつもの言葉だった。
聖なる島「荒島」と「荒嶋神社」にパワーを貰った。数百年も変わらないその姿に、自然の力にも生き方を変える事の無い「凛」としていた事にだ。こんなふうに私も生きたい。

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2015
11/04

愛の福袋


また中学生が自殺した。中一の男子、部活で「いじめ」があった。誰かが守って上げられなかったのか。それが同級生で在り、いじめた側の同級生でもあったりする。責任はやはり顧問・担任の先生や、この学校の総ての先生たちだと思う。いじめっ子に対して中学生は、新たな「いじめ」のターゲットとなる恐怖から、防止できるのは親から子供達を預かる学校であり、守れるのは先生方でしかない気がする。再び繰り返す校長の「いじめは無かった」の言葉は保身なのだろうか。「陰湿ないじめ」である為に本当に確認できなかったのだろうか。
私は「いじめ」を知るキッカケは、親との会話であり、告白だったりする。私のような人間が学校に出入りし、生徒と交流する事で「いじめ防止」に繋がると思うのだが、こうした問題の発覚を学校は嫌がるようだ。
優しい子供がいじめを受けるケースが多く、両親も周囲を思い考え、自分が我慢し家庭での解決を模索する。葬儀の後での父親のインタビーで、「犯人捜しではなく、いじめの無い学校のために」と発言する。いじめの元の「なぜ」を加害者から聞かないと本当の「いじめ撲滅」とはならない。

また、九州・中国地方から「愛の福袋活動」の方達が来町すると言う。総勢20名余りが仮設生活者や被災地の現状を見聴きに来る。写真が持ってくる「福袋」で、活動の団体は企業や個人から支援物資として集め、袋に色々な物を詰め入れ仮設に配り、会話での交流を深める。今回で2回目となる。震災からの復興の状況を知らないと言う。「今だに仮設なんですか」「復興はもう終わりなんですか」など、現地に来てそれを確認したいと話す。「被災者に寄り添いたい」と「交流をしたい」と言うが、仮設生活者と交流は被災地では簡単なものではない。積極的に参加してくれる人も無く、仮設に住みながら被災地の現状を伝えたいとの、個人ボランティアで動いてくれる人を探している。語り部は多くの制約があり、乗り物や料金の発生があるようだ。突然の依頼は無理など、被災地に来てくれる方々の対応策の整備を町にお願いしたい。

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昨日は歌津地区の名足に出掛けた。帰りの伊里前の市街地を写真に撮った。やっと盛り土が高々と積まれ始まった。しかし、整備ではなく一時的な「残土置き場」である。伊里前の破壊された防潮水門もそのままで、この地区の復興への槌音はまだ聞こえてはこない。

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2015
11/03

町を離れて「道の駅」三昧


一昨日は石巻の「上品の郷道の駅」の「ふたごの湯」に後輩に誘われた。仲間の一人が家族の介護で家を離れられない事を心配し、「慰労の時間を作ろう」との午前中だけの旅だった。
早く行くとの事で8時10分には迎えに来た。「ふたごの湯」には一番乗りの人が、まだ開かない自動ドアの前にカバンが一個置かれていた。9時のオープンとあり外の「足湯」もまだ締まっていた。我が町にも「道の駅」「町営温泉」があったら、町の経済・産業も新たな転換ができると思っている。
オープンと同時に家族ずれ仲間同士・一人だけでと、日曜の温泉を楽しもうという人がゾクゾクと入館し、自分のお気に入りのスペースを目指し急ぐ。私は後輩の赴くままで奥の周囲を気にしない場所に陣取った。5人の仲間の会ながら、この日は3人での温泉に、しばらくぶりの再会でもあり話が弾んだ。約1時間後に入浴する、既に風呂には15人が気持ち良さそうに入浴していた。茶色でぬるめの温泉は、長く入っていても大丈夫で、長時間入っている高齢者も多かった。
最近は熱めの私の入浴は「異常発汗」「意識混濁」など、自宅で体調を崩す事が多い。以前は「ふたごの湯」でも長風呂とサウナは、一人入浴でどうしようもなくマッサージ機で30分横になった事を思い出す。脱水症状で55歳位の時ながら、大丈夫の自己の過信は大事故の可能性がある。最近はシャワーだけとか半身浴に心掛けている。無理は禁物である。
「ふたごの湯」は効能として「肌がつるつる」があった。年を取り身体・顔が油症となり、ぬるめの長風呂の効力があった。
帰りには隣の産直所に回り親父の大好きな焼魚を買い、後輩は飯野川のウジエスーパーで一週間の食材を購入した。もう一人の後輩は歌津からなのでやはり一週間の買い物を中田のウジエに買いに行くと話す。我が町にも17年夏のオープンを目指し新井田地区への建設を予定している。20代から40代の町づくりの希望に、「早期スーパー建設を」がトップにあった。町の復興の進め方にこんな所にも町民の希望が叶っていない。
総ての町民が復興計画の中の所々に意義を申し出てはいるものの、町民の願いは行政には届かない、国がURが基本として進めている被災地復興があり、町長・行政の力など小さいものだ。沖縄の知事の政府への問題提起と似ている。何ともならないようだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:09 】

2015
11/02

南三陸町にはなぜ「道の駅」が無いのか


「観光立町」を目指す南三陸町には何故「道の駅」が無いのか解った気がする。
限られた来場者を独り占めする環境が蔓延している。写真の「厳美渓」の道の駅には産直への買い物と、食事客でいっぱいだった。昨日も石巻の「道の駅」も駐車場が全て埋まり、買い物と温泉は午前中から多くの来場があった。
現在進む市街地の商店街には、水産加工会社・飲食店・魚屋などが出店する。2日間で見た道の駅には農水産品が並び、色々な商店の商品が展示販売される。食事処は産直の商品を利用した品々が料理に盛り込まれ、野菜を残さず使うやり方で成り立っているようだ。我が商店街には食事処は約5店舗ぐらい出店し、水産加工会社は約5軒が出て経営を続ける。
「道の駅」と「商店街」の競合となる事が理由なのだろう。大谷の「道の駅」は1億2千万円の売り上げで、組合員30人として個々に「400万円」の利益となる。さんさん商店街でのピーク時の飲食店では年間5千万もの売り上げを出す店もあったと聞く。この大きな利権を町のトップは商店のみの振興に繋げ、農家の救済策を講じていない。
スーパーが町に出店する17年の年には、首長の思惑の崩壊と繋がるだろう。「タコの名産地なのに何で髙いの?」の声がこの警鐘なのに、政治が方向修正の出来ない事がこの町の姿だと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:35 】

2015
11/01

岩手県「厳美渓」の秋の紅葉と思い出探し


昨日は晴天に恵まれた土曜日、多くの観光客が紅葉の終わりを楽しんでいた。
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厳美町の橋を渡った正面の店が、「いつくしだんご」の、有名な店でここに来ると必ず食べてお土産にする。ずんだ・くるみ・あんこを注文した。あとは父に買って帰った。「餅で町づくり」をして道の駅には、お米が各種並び地元の農産品を買いに食べに人が集まる。今日は「収穫祭」らしく質素なチラシが会場に張ってあった。「安い」とりんご・かきが飛ぶようにうれる、安いのが来場者への感謝の印だ。
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家族づれの子供が「きれいだね」とはしゃいでいた。
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名物の向かいの店からの「だんごが飛んだ」、志津川から1時間15分と金成インターから高速を使えば、岩手も近い。
こんな最後の紅葉を楽しんできた「5時間の旅」だった。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:30 】


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