ARCHIVE - 2015年10月

2015
10/31

世代が引き継がれる町だった志津川はもうない


世代を引き継ぐ事ができなかった一人でもある私は、その訳を時折考えている。日本の成長真っただ中の日本があり、志津川町には多くの店が押し合いへし合い肩を並べていた。結婚できた31歳は11月初旬、年末の仕事の多い繁忙期とあり、年末まで残業の日々を続けていた。世間を真の家庭の在り方を判らない人間が、東京から来た女性を満足させられなかった。今思うと「申し訳なく」、ここから世代交代の歯車がくるってしまった。家業を引き継ぐ事と、「また別な出会い」をと、希望に満ちていたが別な形を求めたものの「在り方」を見つけ、今を生きている。
子どもは自分で「我が道を進む」が良いと、拙い経験からの判断だ。親の道に習うより切り開く事で、苦しい学業や人生経験が「こやし」となる。家業も良いけどそこには信念が無いと駄目だし、外に出て「他の飯を食う」事は、人間を社会で生きられるようにしてくれる。今現在の世代の交代に必要な事はこうした生活だと思う。これからは益々世代継続は難しいとも思う。「私は井の中の蛙」で終わりたくはない。

目の前の問題に関係する事件が起こっている。今度は「認知症」だ。世界では意外と少ないのではと思う。日本の風土が作り出した特有の病気でない「病」だ。宮崎の73歳の高齢者の歩道を70mの暴走は不可思議でしかない。今日の報道で鹿児島から宮崎への100Kの途中で、道路の真ん中に止まっていた車で中に高齢者が、ぼーと立ち止まっていた。ニュートラルでアクセルをふかし急に発信した。渋滞となった人たちが見ていた。高齢化社会での何気ない事を警察などに伝えていれば、2人の死亡もくい止め重症者も出さなかった。警察が多忙かと言うと全国的には平安な日本と思う。認知は家庭だけの問題から広い国民にも影響を及ぼした事件だった。高齢化社会となり今後の社会保障を含めた将来の問題に発展しそうだ。
今度は警察官の不祥事が続いている。最悪は「自殺」だろう。ある機関での2人の立て続けの自殺があり、自分が描いた「理想と現実」の違いと、置かれている指導者と環境にも関係がありそうだ。こないだは少女への携帯での盗撮があり、所持品の拳銃での自殺もあった。何かがおかしくなっている。
沖縄の埋め立ての基地の移転は、日本の国民どうしの争いとなっている。中国の南沙諸島のサンゴ礁の岩礁を埋め立てし領土の主張は、経済成長の終わりを告げようとしている大国の横暴だ。軍事力の新たな抗争がロシアから中国へと米国が対応している。世界の秩序は「安保理」が当たっているが、世界が一つになる事は今後も難しいだろう。南沙の周辺の国々も決して裕福な国々でもなく、弱い者をいじめる人間の心の悪がこんな所でも現れている。サンゴ礁の大小はあるが国民と国民・国と国の争いは、何も良い事は無く、冷静な話し合いで解決は出来ない物かと思うし、総てを考え「妥協策」を模索し、長引く抗争は両方にとってもマイナスでしかない。
中国の36年間の「一人っ子政策」の政府の人口調整も終末となってきた。高齢化が進み、支える国民が少なくなっている。今後二人までと言うが中国人民にそんな余裕はないと言う。中国の破たんは途上として今あり、「リーマンショック」のような世界恐慌を予想する政治解説者もいる。
日本が世界の国々に財政支援を「数千億」などしている。日本の企業が世界で事業展開できるようにと、お金のばらまきがあり、これで国民の社会保障や介護保険の減額をし、国民にそのしわ寄せがきていると思うのは私だけだろうか。
幾度も無く招待のフェースブクでの、みなさん館での「大芋煮会」の参加は、申し訳ないが興味はあるが、ツイッター・フェースブツク・ブログでの発信協力に留めたい。今日の開催で盛会となる事を祈ります。また、福岡からのお客さんも南三陸町の自然と人と海の幸で喜んでくれればと思います。
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2015
10/30

半年ぶりで「さんさん」で飲んだ


最近は多くの人達と話しと聞く機会があり、震災後の多くの別れや出会いを知る。
新井田地区の親戚の多くが亡くなったとの話しは、震災の恐怖と人生の別れ、家族が居なくなる事の悲しみ苦しみを聞いた事を思い出す。こんな内陸なのになぜ津波の情報と、対応ができなったかと行政への不信感を持っている。
私も家族は無事で従業員も直ぐに避難させ皆今も生きているが、20代は4人が町を離れ生活の場を他の市に変えた。親戚に数名の死亡があった。その場所は避難場所で「まさかここまで」との自然の脅威を軽く見ていた事が原因だ。
また、新井田地区の方の話は、震災直後に両親を思い様子を見に行き、家族全員が津波に呑まれ、お嫁さんとお腹の子供が亡くなったと言う。こんな悲し過ぎる現実があった事を初めて聴いて驚いた。大震災の苦しみ悲しみは一生消える事はない。

昨夜は被災した町に一人の大学生が、「何か被災地に出来ないか」と来町し、悲惨な現状と何処で何をすればいいのかと困っていた時に、私の知人が学生に声を掛けたと言う。「休んでいきなさい」との優しい言葉に、何をすればいいか困っていた時に、安堵の気持ちと「助けられた」との人の心に触れ、今もその交流は続いている。今度は子どもから親へと交流の輪が、「ぜひ南三陸町に行って会いたい」との気持ち変わり、九州から来町を実現させた。当初は電話の会話から始まり、地元の物を送り合う付き合いから、今回の南三陸町での交流が生まれた。地元での接待の知らないと相談され、さんさん商店街の店を紹介し、その下見に招待した。昨夜も店は地元の人や復興で来たような人たちが、美味しい南三陸の食べ物を頬張っていた。今が旬の「牡蠣」のフライと注文が入っていた。九州のお客さんにも「かき鍋」を御馳走したらと提案した。今日から二泊三日を南三陸を楽しむ、町民の一人一人が夢大使、観光支援の復興に取り組んでいる。

昨夜はイイ酒を飲ませて頂いた。人の出会いとそれを大切にし、生きる「糧」と変わる瞬間だった。

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2015
10/29

けなげに「なでしこ」のように被災地に生きる


写真は志津川地区の八幡川の国道45号の「汐見橋」の再建工事風景だ。ボロボロになった町の全てを地中に埋葬し、新たな町が生まれようとしている瞬間かも知れない。

昨日は関わりのある女性たちが個々に来てくれた。諸々の置かれる環境に「けなげに」「志津川の女性らしく輝き」、地元に根差し生きていた。生活の大変さから多くの町民が町外に移住する中で、この町で暮らす事を強く決めていた。置かれている状況から逃げる事も無く、「ずーと」南三陸町の志津川地区で共に生きようね!

最近の事件に「老々介護問題」による悲惨な事件の中に、50歳前後の女性の看護の精神的に異常?からか信じられない事件が続いている。七が浜の女性も秋田で逮捕された。東京・新潟・福島などを点々として捕まった。母を介護し兄と3人生活の中で、精神的な状況が私達には分からない状態に追い込まれたが、あったのだろう。母を兄を殺害し埋めたその恐慌性を人間は奥底に持っていた。

今度は貧困でロウソク生活で子供を含めた3人?が死傷した。現時代に考えられないが日本も広い。行政・地域・民生委員や福祉事務所が、救済の手を伸ばす事が何故できなかったのか。電気代は我が家も1万足らずなのに、1万が無くて子供が亡くなる時代になったのか。こんな家庭にこそ「生活保護」を周囲がアドバイスできなかったのかと思う。政府はこうした事件が発生したら「迅速」に「検証」と「対策」を講じているのだろうが、公務員の資質が「緊急性」と「危機感」の欠如の状態にある気がする。

しかし、介護施設に入れれば「12万円」前後が掛かる。国民年金は3万~6万と施設入居などできる訳も無く、家族も農家などの一次産業では厳しく、私も二人の高齢者の介護となったら、一年で預貯金が全て無くなる。そんな危惧を日々描いている。
国の生活保障にも限界があり、その前の対策として「在宅介護」への転換を進めている。介護施設への一人の支出は、母の場合でも4万の支払いと国から施設に一人当たり「28万円」もの補助金が支給されていた。介護施設の職員のなり手も少なく、報酬も減少している中で地方の家庭にも、困窮生活が高齢化に伴い年々増加の一途だろう。

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2015
10/28

前向きに


こないだの24日の土曜日に志津川市街地の商店街の再建場所となる、高台の造成が完了し「説明会」が開催された。町長の挨拶に続き、商店街の運営にあたる「まちづくり会社」の代表の三浦さんが挨拶に立ち、「前向きに」・「前向きに」と繰り返す。
町の再建に商店街の再生は欠かせなく、「やるしかない」との気持ちが前向きにとの言葉となったと感じた。私も会社の早期再建はこの考えによるものだ。早くしないとお得意様が去って行って仕事がなくなるがある。4年7か月は遅いと思うが、この志津川の被災地のど真ん中の荒野と化した大地の大造成は、大変な時間と段階を踏んでの事だった。
UR都市機構の説明に、瓦礫の撤去が2年弱掛かり、この後での嵩上げは2年でここまで来たと説明に、2年と言う月日が妥当なのだろうか? とも思ったが、かつてない大規模な陸の孤島の町の工事には間違いがない。称賛したいが再建の項目の順番を思うと納得が今もいかない。

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2015
10/27

私は引きこもり生活に等しいかも


「志津川町は良かった」と日々考えてしまう。年を取ったせいだろうか。事業所も200社あったが100社弱となり、我が社のお得意様も230社から100社となり、今はこれすらも減少している事に情けなさを痛感する。企業努力も高齢化と跡継ぎも無く、雇用したくても仕事が無い中で、淘汰されまいと小さな努力をしている。行政も小さな会社など無くなってもと、どおって事はない。これが被災地の現状だ。我が社も節目の創立百年で終わる事を想定する。間違いは無く想定外でもない。

町へ繰り出そうとしても、町民が遊ぶ集う場所が無い。さんさん商店街は私に取っては、住民の為の「何の場所」って言う感じとしか受け取れない。「行くところがない」「仲間も日々の生活に追われ」「集まる機会もめっきり減った」、こんな周囲の現状から、時々逃避したくなり、何を買う訳でもないが、眩しすぎる場所の一つ「石巻」の家具の店の華やかさに触れた。

「どんな年の取り方とすれば」「どんな今後の生き方を」と二人っきりの家族会議をした。守りの私に対し、落ち着いた父の来し方に、嫉妬もある。昨日は来社と言えば営業マンだけだが、知人が新米と野菜を持って来てくれた、本当に嬉しい。
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こないだ気仙沼市の災害公営住宅の建設内容に、我が町とは違う事と感じた。町づくり協議会の当初の議論にあった、我が町の災害公営住宅は高齢者の入居が多く、「一階部分に商店や保育所・デイサービスを設けた方が生活がし易い」があった。しかし、我が町の体制は人口減少の中で、ショッピングモールの建設があり、高台への店舗付住宅も出来、限られた消費者の動向を考えても、経営が成り立たない商店主目線に行政の政策ある。高齢者の買い物事情は「巡回バスの充実」と言うが、今後は有料化を町は目指す。4階建の災害公営住宅から、高齢者はエレベーターで下がった一階で、日常生活必需品が買えたら生活がどれほど楽だろう。東地区には5棟の災害公営住宅が出来る。10分も散歩がてらに「買い物」ができ、最高の余生のスローライフとなるだろう。
災害公営住宅も行政の提案だと思うが、民間で会社を作り住宅と店舗スペースを確保し、建設したら行政が「土地」と「住宅」を買い取ると言う方法を市は選択した。我が町は全てに行政が関わり、新しい商店街にも町が出資し、総ての災害復旧の箱物に行政の支配を及ばせ、家賃を行政の収入とする財政確保を目指す。

個人の自由競争化社会の中で、甘い競争しない行政運営を目指しているようだ。自分の考え・行動で新しい町の体制づくりが当然の社会に、行政の仕事ながら、逆行するかのような体制と私は思う。
「棚からぼたもち」的な行政運営に、行政改革は必要ながら「なれ合い」の、体質が定着すると町は疲弊する。そんな想定を私は描くが、「想定外」となる事を期待するしかない。

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2015
10/26

知らないうちに町の様相が日々変わる町


何時ものように水尻橋を左手に新しい橋脚建設を見ながら石巻への道を通過する。土曜日に大雄寺までの道路の異変に気が付き、昨日見に行った。気仙沼線の川の線路橋の陸の基礎と土台が解体され、無くなり瓦礫となっていて、新しい臨時の橋が出来ていた。町内を歩いてもあちらこちらで河川堤防の国の事業が確実に加速を見せていた。
水尻川の鮭の捕獲場が設置されていた。今年は鮭の孵化場も建設され、小泉川からの稚魚を買い放流した昨年の5百万匹から、1千万匹の放流が可能となった。秋サケ漁は年間での漁業の基幹産業であり、「キラキラ丼」のイクラもこれで成り立っている。当初定置網の期間付での操業の中で、網揚げ時期が合意とならず、その後の漁協の結果は分かっていない。
中瀬町から田尻畑の地区の何もない原野が広がるだけで、市街地西地区は残土置き場と化し、今後の5mと言われる嵩上げでの整備は時間がまだまだ掛かるようだ。しかし、見て解るように「国道45号」と「国道398号」の整備は、志津川町内にある川に対し、橋の整備3カ所は確実に進んでいる。
水尻川河口も水門が解体され、鮭の「魚道」となる別ルートの川の流れとなっていた。橋脚整備にあたっての重機・型枠の油やコンクリートの河川への影響が心配ながら、鮭は震災の年に放流された物が帰って来ていた。夜になっての本格遡上とあり昨日のお昼時は、満潮であり川岸近くでの「水撥ね」の音と、川底に沈む鮭の姿も見られた。
昨日は「バスケット」のリーグ戦が南三陸町であり、選挙に向かう保険センターまでの道路は、ベイサイドアリーナからの大渋滞が続き、会場周辺には特設の駐車場が出来ていた。誘導員の数も多く見られ、被災地の元気と復興を願う大会は嬉しいが、早い工事の完成が一番と住民は思っているだろう。だが、さすがに日本リーグのトップ選手の試合に、バスケットファンが集まった。私の仲間も登米市に移転したものの、仙台大学の息子の同級生の選手の応援に駆け付けて来た。
こんな10月最後の日曜の一日だった。

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2015
10/26

南三陸町からも県会議員へ


昨日の宮城県議会議員の選挙で、現職に気仙沼の元市議会議長の新人の守屋氏がトップ当選した。南三陸町は4600票と投票率は40%余りで、仮設生活者も未だ多く生活の不安定と、投票所の場所までの高齢者の投票は少し厳しいが、私は30%位と思っていた。
南三陸町は震災後に地元の県議は出馬を断念し、2期連続で地元の立候補者はいない。寂しい限りだ! 気仙沼市はボランティアで地元に根付いた人と、震災後に南三陸町に出向した県職の方の2人が出馬したが当選とはならなかった。仙台泉選挙区から出馬した鎌田氏、衆院選挙で気仙沼・本吉選挙区で落選したが、県議選では11000票を越え、5人区の10人の中でトップ当選となった。
選挙前に家に顔を出したのは「境氏」だけで、商工団地の交差点にも随分前に立っていた。一番若く36歳と被災地においで若い世代の、期待感が結果にでた。地元はやはり強い。選挙前に事前に地元へ入り指示を仰いだ3人が結果的にも当選した。

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2015
10/25

将来的な地方都市の形成がここまで必要か


私たちが志津川地区の復興の姿を見る為には、市街地の嵩上げされた高台の見晴台から見るしかなく、行政が現地視察を実施しない限りは把握できない。
今回の見学会で、八幡川の河口がこんなにも再建されていた。勿論、知らぬ間に起動しない水門は解体され、代わりの河口が整備されていた。漁民の浜への市場への主要道路となる「港橋」が見える。ここは新たに公募のよる設計で建設されるが、より漁業の利便性を高めて水産業の発展に繋げるべき「橋」ながら、若き建築家には町の古き良き伝統や文化を見つめ、設計に要素を入れているのだろうか。観光に特化した設計が見て取れる。岩手の水産加工者の販売の橋店舗共用、津波の高さの三日月型の橋など、交通と言う事を考えると、デザインよりも通行の便を考え強固な物を作るべきと思う。
しかし、ここからも津波の防災と言う観点からも、観光重視と言う考えがあるようだ。
今後は河川堤防となり水門での一次防御が無く、高さが12mと言われる高さでの橋建設となるが、津波の特性の内湾の入り江に増幅する今回の大津波で、行政の防災対策は何処に生かされているのか。
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7月の実施された「港橋」のデザインコンペの公開審査は、相変わらず我が町の目立ちたがりの体制を感じる。町民の生活重視と言うよりも、対外的な目立つ事をしている。他の被災地と比べれば判る。40年後には7千人の町に巨大な観光地が必要だろうか。15.9mと言う津波の波高で、巨大化、地震の頻発など自然災害の軽視を、現町の体制と強要する仲間が、再度大災害の発生に責任を取れるのかと思う。「想定外」とまた関係した人たちは言うだろう。
6mの津波予報は16mにも増幅し町を襲った事を忘れないで欲しい。志津川市街地からの防災の為の「観光客の避難道」を絶対造るべきで、観光客を守る事も町の責任として欠かす事は出来ない。多くの死者への追悼と、大震災の反省に取り組む町づくり体制は絶対必要である。

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2015
10/24

志津川地区市街地嵩上げの先行エリア見学会


24日の今日、観光・商工エリアの嵩上げが終わり、「先行エリア」の住民への説明会が開催された。9時30分前に入った私の番号は「21番」で、10時から13時までの見学時間の中で、開会式にもメディアと町・URの関係者が多いように思った。
まだ、仮設で暮らす志津川地区の住民は高齢者も多く、観光・商工の拠点施設を見に行く、「行って見ても」との考えがそこにはある気がする。行政と都市機構と商工関係者が大部分で、それでも家族連れの姿もあった。造成の為の重機も展示され、それを見に・試乗にと、子供サービスとして来場しているようだ。
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市街地の風景は西岸には志津川地区の面影が残っているが、ここにはもう志津川はない! 私が判る人は報道関係者と建設の3つの関係者だった。偶然にも前副町長の遠藤健治氏が御夫婦で来ていて、歌津地区の議員さんも一人いた。
今後の人口減少対策とて推進会議の若い世代と、行政の総合創生対策の人口減阻止への会議があった。最重要課題への取り組みにも、観光・商工の復活が町を救う的な、税収の確保が一番との首長の考えがあるようだ。
住民の帰還と住宅再建で、若い世代も付いて来て、安定した税収の確保となるのではないかと私は思う。自然減と出生の減少で25年後には、町の人口は8千人台になる。その想定の間違いを期待したい。想定は個人ではなく、統計からで首長の想定ではないので、間違いなく大きな減少へ向かっている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 14:01 】

2015
10/24

殺伐とした時代に生きて


写真は南三陸町志津川字小森にできる、仮称の三陸道「志津川IC」の今です。目の前の橋が架かり半年以上も何も変わらない。今回工事状況が報道であり、盛り土部分が今年の豪雨で土砂が崩れ、完成時期が伸びた。年度内が翌年度にずれ込む。総てと言っても良いくらい市街地の嵩上げの場所に関しては遅れている。将来の志津川町民の暮らす場所確保が遅れる事は、「この町で死にたい」「仮設で死にたくない」との、町民の切ない気持ちを、行政の首長は裏切り、それを指示する住民の気持ちが私は解らない。町の進めている再建は本当に町民の為かと、疑いの心が決して私は消えない。
宮城県の七ケ浜町での家族殺人事件? は、更なる段階となっていた。今日は近所の人の話で「帰るのがいやだ、殺される。」との弟の言葉を聞いたと言う。母と娘と息子の家庭にいったい何が起こったのだろうか。遺書には「一緒に死にます」との娘の言葉とは裏腹に、家族に何が起こったのか勘ぐりたくなる。
「噂に噂」とよく警察は取り合わないと言う。結果的に事が起こって小さな噂にも耳を傾ける。「煙の無い所から火は出ない」の格言は、過去から現在も言い続けてられ、そこには何かがあるという事を、前提として考えるべきとの言い伝えだ。そう言えば捜査の聞き取り電話も無くなった。
今の時代、職を持たない成年男女がいて、高齢化社会の介護問題があり、平気で人を殺し、高齢者の年金を使う50~60代の子供がいる。成人して働かない事がその根底にある気がする。
子育ての中での教育・道徳を考え、家族内の将来を考え話し合う大切さを思う。
親に頼る子供が多くなった。「嫌な事や辛い事はしたくない」、これでは普通の大人に必要な精神・知性はは、身に宿る事はない。

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2015
10/23

検証と挑戦


震災から日々追われる生活の中で、目の前の近々の問題解消へは取り組むものの、問い合わせや容易に行かない事の、確認と解決に動かなかった事での無駄に気付かされた。
「白内障」はレンズを交換すれば世界が変わって見えると言われた。右目は手術1年半後に0.9から0.01迄視力が下がった。検査したら「後発性白内障」と診断された。先週再度「レーザー治療」を受けた。写真のようにレンズの裏側がくもり混濁した幕ができていた。先生の診断では「厳しいな」の言葉に大きな不安が募った。大学の教授先生が手術の時に「石巻日赤」に来るという事で、診察してもらった。瞳孔が開かない現状でのレーザー照射ながら、大丈夫と太鼓判を丸山先生に頂いた。その治療が20日だった。写真のようにできた幕をレーザーで十字に切り、治療後には「見える」と驚きと感謝を先生に伝えた。挑戦と言える物でもないが、左が0.9と普通に見える中で、生活に困らないとの安易な考えなら、右も0.9で見える事の良さを感じる事は無かった。良い先生に診てもらい、眼科は自分の納得できる先生を探す。私は今回の結果からも「東北大学病院」の技術と設備で最終的には頼ろうと思っている。
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震災後の仮の事務所でのパソコン設備と回線の整備に取り組んだ。直後は被災地の混乱の中で業者も見つからず、戸倉事務所の仮の設置は「とりあえずメール」との考えながら、ネットの設置は時間と経費の無駄もあり、「モバイル」で6月頃から始めた。昨年4月の工場移転によりネットなどのパソコン回線もしっかりした物にした。モバイルは入院時の個室で仕事をしたいとの気持ちがあり使い続けた。4回の入院の中で、病院で「ブログ」も続けて更新する事ができた。
最近はブログの休まない発信に無理があると思い始め、モバイル使用も月5千円と大きな無駄と感じた。3か月前に解約手続きを終えた。
昨日は「ビズFAX」のNTTコミュニケーションズへの解約を済ませた。一か月前に電話で申請し直ぐに解約を済ませながら、連絡がない事と10月の請求が来た。確認をすると「ビズFAX」は、FAXの回線での受診をパソコンで見られるサービスと言う。当初はFAX回線で「050」の電話回線が持てるとの話が、通話できませんと言う。震災後から契約の意味も解らず4年7か月も、料金「1千円」ながら払い続けていた。メカに弱い事情と請求書の小さい説明内容が見えない事も、その言い訳に上げてた。他の人には理解できない震災後の無駄があった。まだまだ私には会社・生活でも余計な出費をしてそうだ。

今は朝から洗濯機が動き、朝から魚のナメタを煮ている。自分の事と父親の大好きな「煮魚」を作っている。時間の有効利用で「無駄」をしない生活に取り組んでいる。

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2015
10/22

昭和49年志高卒3年4組クラスのみんなへ


大恩師工藤先生が急逝され、昨日21日午前10時から開催され2時間のお別れの場に参列した。志津川高校の昭和48年度の2年4組からクラス替えにより、担任が工藤先生になった。進学クラスとして共に先生の教育・指導を受けた。その先生が16日大好きなお酒の晩酌の後に亡くなった。余りにも突然の死ながら、私は亡くなる3日・10日前に会っていた。自宅を元の場所に娘さんが建て、両親を南方仮設から迎えて移転した日が、私が最初に訪ねた10日前の午後の事だった。志津川地区はまだまだ復興は程遠く、市街地には赤土の山があるだけだ。

葬儀に弔電を送った。
「工藤すけよし先生の突然の訃報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。教壇に立つ『凛』とした先生の姿は忘れる事はありません。安らかにお眠り下さい。」
昭和49年度志高3年4組クラス一同

3番目の弔辞は今年から志高校長として赴任した、同級生の入谷の山内松吾が当時の事を振り返り、最後に二人で趣味の先生のカメラの写真に収まった事を話した。
学院高校から国学院大学に進み、信教と学問に没頭し、八幡神社の宮司となり、築館女子校から佐沼高校そして志津川高校と、宮司と教員の二束のわらじを最後まで全うした。震災で自宅を無くした物の、県の神社庁から全国の神社庁の仕事も厳しい生活の中で続け、被災地「志津川」の地区の活動は元より、ボランティアとの交流を大切にし、震災復興の加速する中での「地鎮祭」への仕事も、車の運転をしない生活で、町との行き来も「巡回バス」を利用し、町民の皆さんと同じような生活をしていた。当年「80歳」を迎えながら活発に家の事と町への復旧への尽力の日々だった。
先生の生き方の思想と理念に感銘し人々が集まり、多忙の中で若い時からの「短歌」は、自叙伝を出版もしていた。志津川の地区を守る「上の山八幡神社」の宮司として、多くの仲間と町内の何か所かの神社の氏子も含め、多くの人が最後の別れに参列した。300名は居ただろうか、その人望の深さと人脈に驚く。
高校教諭として県の協議会に参加し、60周年の記念誌発刊の事業が完成まじかだったと、代表はその無念さを神前で伝えた。
私たちの弔電は100通を超える中で選択され、教え子の代表としての気持ちを伝えられた。多くの人の中に他の当時の先生方の名前を聞く、卒業してから丁度40年が経過していた。卒業後も先生の暖かい優しさに包まれ、「のぶたか・伸孝・・」と先生はよく言っていたと、奥様の言葉に寂しさが増す。総ての教え子にも温かい目で接していたのに、早すぎる死に対し町民・教え子・同僚が集まってくれた。安らかに(二礼二拍手一礼)

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2015
10/21

母の子供達への愛の力に感激


以前、自閉症の子供にパソコンを与えた母親の何気ない行動で、パソコンのキイボードの「キイ」を使い言葉と考えを伝えた障害者の話しをテレビで見た。健常者以上の優しさと分析力で言葉を綴っていた。本を出版し世界の医師が彼の変化に注目した。母の子供への自立への道を切り開き、将来一人でも生きられる力を付けてくれた。
障害は子供に責任は無く、赤ちゃんの時は普通に生まれ生活し、大きくなるに連れて障害が表れる。その理由はばらばらながら、こうした例は一握りの話しながら、大きな期待の中で暮らして欲しい。

こないだもテレビで障害を持つ子供の能力を紹介していた。「多動性障害」「書字障害」「自閉症スペクトラム障害」などの事を説明し、自然と多いのが「アスペルガー障害」だと言う。私の知人も大学・教師だったがこの病気と診断された。40歳を過ぎての発症は諸々の生活環境変化からだと聞く。「心的障害」の怖さは人間社会の環境で大きな影響を子供達に与える。
写真の絵はまだ12歳前後の子供が1時間で書き上げたと言う。頭に浮かんだものを一気に書く。もっと緻密な線画には健常者では難しい「技術」として、優秀な人間とて無理だろう。一人いる子供に「紙とペン」を渡したら、黙々と何処でも没頭し絵を短時間で書き上げたと言う。母は展示会や同様の障害を持つ子供との交流もしていた。目の前の障害を乗り越え子供に「生きる力」に変えていた。
子供の底力と母の愛の力に感激した10分位の映像に呑込まれた。それなのに一部の政治家は汚すぎる。

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2015
10/20

あらたなお客様に感謝と一人と町民の交流

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友人が気仙沼市本吉の「山田大行列」を携帯メールでくれた。昔から続く伝統の継承で、震災の影響は無い地域ながら形を変え開催する。観光客を呼ぶ為でなく旧本吉町の住民の繋がりと、町民参加がここにはあり、互いの顔合わせの意味も込められている。
昨日は知人が5人も来てくれた。お客さんを連れてきたり、仕事の相談もあった。互いに身体を気遣い「身体大丈夫か」と問いかける。「病は気から」と言い自己の管理はしていると言う。血液状況を聞くと心配だが、大丈夫というものの疲れ易くなったと帰った。
多くの町民にも震災による出会いあり、新たな繋がりが生まれていた。「福岡からお客さんが来るけど仕事で時間が合わなくどうしよう」「車もない」と相談された。夜7時過ぎに民宿での食事は出せない中で、商売をしてやっとお得意さんが増えて「来てもやってない」では、来てくれる人達に申し訳ないと言う。被災地では色々な事が起こっていた。二人の南三陸町に来たいというお客さんを接待を月末する。車は会社にある軽自動車を貸し、夜の交流はさんさん商店街の「はしもと」ですれば喜ばれると提案した。これで来町してくれる方々の願いの交流ができる。買い物は商店街ですると言う。
相談事は何とか叶える為の努力は惜しまない。

今日の恩師の通夜となり、午前中に焼香に行き午後から石巻日赤病院で「レーザー治療」だ。高速の日赤前にインターができ、時間に少しの余裕が生まれたものの、一人での治療の通院は瞳孔を開く薬をさすので運転手付である。
また、一日がこうして終わるが、最近亡くなる人が毎日のようにあり、これで出生が無いと人口減少の道しかない。
一つ復興の話題がある、7月の港橋のデザインコンペで最終的に2人と一人の2点の、若い建築家の提案が採用された。オリンピック競技場の二の舞にはならない事を願いたい。山田の行列の華やかさは我が町とは違い、無駄なお金を使わない町づくり、再建には大胆な復興が必要だと言う意見は、穏やかな海・山・川・人と言う、志津川の景観に逆こうするように思うし、これまでの住民の生活に対し曲解した町開きの考えと思う。

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2015
10/19

人ごみに出かけました


志津川小学校の学習発表会に行き、その来場者の数に驚きました。体育館は修繕中で玄関は小体育館からで、PTAの父母会が会場整備に働き、立ち入り禁止場所や指定など私にとっては勝手が悪かった。入り口から会場に入るにあたり、暗闇に瞳孔が慣れるまで15分は掛かってしまった。不便な身体になってしまった。
三年目の小学校の学芸会の見学が最後で、今回は先生に「是非来て下さい」の言葉が後押しした。写真は6年生の「東京オリンピック1964」の最後の場面で、鳴り止まぬ拍手に涙が流れた。戦争からの敗戦で日本の復興にはオリンピック開催が必要と言い、幻の戦争直前の東京オリンピック中止があり、出られなかった選手は他の国開催のオリンピックで、水泳で大きな結果を残した。この選手を中心に多くのオリンピックの東京開催の誘致活動を劇化した物だった。
講道館の加納じごろうが誘致活動をして居て、政府の平沢と選手の活躍があり、「戦争の敗戦国に開催の資格はない」と世界は言った。加納先生の死に際の「頼むぞ」と言葉に世界の人の心が動いた。
「スポーツの力」があり、「心の距離を縮める事が大切」と言い、「お互いが一緒に、人と人とが直接会う事が一番、アジアで最初の開催を」と日本のプレゼンテーションを、関わった多くの人達の思いを平沢は行った。有力の米国デトロイトの10数票に対し、日本は30票を超える世界からの指示を受けた。
戦後の復興のキッカケをオリンピックに託し、見事に日本は敗戦からの経済の復興を成し遂げた。今回の大震災からの復興の在り方を訴えた劇に、来場者は南三陸町の復旧復興をダブらせただろう。
子供達の劇は復興に必要な事を説いている。昨ごろは安倍総理の病院視察に続き、昨日は石井建設大臣(公明党)が来町し、市街地の復興とBRTのバス停視察をおこなった。沿線の鉄路の復活に対しては明言をさけた。これもまた、現与党の政治家のパフォーマンスとしか私は感じない。過去の政治家の言葉と行動に学んで欲しい。今日本に何が必要かを! 日本の少子化・社会保障など将来の安定社会の創造にもっと努力すべきだと私は思う。昨日は行って良かった!

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2015
10/18

南三陸町志津川の大切な人がまた亡くなった


昨日のお昼ごろ友人の一つの電話が来る。「確認して欲しい」との内容で、情報が分かりそうな人たちに電話を入れた。保険でお世話になっている工藤さんが以前から親類と聞いていたので電話した。にぎやかな場所らしい声、「突然だった」と言う。元議員の西城さんも神社の役員をしていたので電話があり、幼稚園の会場からのようだった。皆がビックリする方の死は私も大きな支えを失った。
上の山八幡宮の工藤祐よし先生で、私はおじいさんの祐雄大先生の時代からお世話になり、父親と2代続けて会社を助けていただいたと言っても過言ではない。
高校の2年4組の担任として、多くの迷惑の中で大目に見てもらい進級ができた。国語・古典の先生で苦手な教科ながら、「優しかった」。怖そうな凛として態度で、笑うと笑顔がいっぱいとなった。高校卒業後は三浦陽太郎先生や多くの先生に可愛がられ、地元「志津川」の千葉印刷のご用命に預かった。
工藤先生は「和歌」に精通し、自費出版をして制作も何冊がしていて依頼され、奥様の本への取り組みは推敲に推敲を重ね、幾度となく御邪魔をして迷惑をかけた。また、選挙では今だから言える指導を頂き、「お前がこれまでやってきた事を言いなさい」と、選挙カーにまで携帯をくれた。
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町の八幡様として志津川地域民から慕われ愛され、伝統を守り続けた大きな人が亡くなった。震災後は南方の1時間も掛かる場所に追いやられ、氏子の仕事や町の地鎮祭にわざわざ志津川まで足を運んだ。4年7か月が経つが、高台の自宅は10日前頃に完成し帰って来たと言うが、そこから見える市街地の様子は赤土の山だけだ。何と寂しい悲しい風景と大先生と工藤先生は映っている事かと思う。(合掌)
二礼二拍手一礼も不幸の時は手を敲かないも、御祖母さんが亡くなれた時に教えてもらった事を思い出す。

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2015
10/17

南三陸町第二の町に


入谷地区の発展が現在も続いている。
昨日は建設中のビジネスホテルを見に行ってきた。70室の宿泊数と地元の宿泊施設と比べても格安で、建設関係や観光・少人数の教育学習などの宿泊施設に利用されそうだ。
知人の町内の民宿はだいたいが「7800円」の価格設定で、現代人はビジネスホテルでの宿泊を好み、外食で地元の名物を食べられれば、「南三陸町へ行って来た」との目的は達成されそうだ。町外からの被災地の仕事として、建設特需にあやかろうと企業なら当然の企業努力の取り組みと言える。しかし、やっとの思いで再建を果たした「民宿」などの経営者には更なる不安となるのは間違いがない。町内のホテルも出店にあたり、価格の低価格設定もあり得るかもしれない。私としては今回のビジネスホテル出店は複雑な思いでいっぱいだ。
今年度内に志津川小森の「志津川IC」も開通の予定で、市街地の造成の赤土と海岸線の整備も進まない現在、入谷での宿泊は容易にできる強みを感じる。入谷地区には学生などの研修施設「いりやど」があり、林際小跡地活用の「さんさん館」もあり、農家民宿も数軒ある入谷地区は、発展の余地をまだまだ在る気がする。
震災後はデイサービスセンターや蕎麦屋さん・床屋さん・事業所・居酒屋・コンビニなども出来たし、一番は老人介護施設「慈恵園」も建設された。震災後に何でこの場所に大きな仮設の誘致を町でしなかったか不思議だ。南三陸町の志津川・戸倉・歌津地区での大きな人口減少の中で、入谷地区は人口が増加を続けている。
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また、7月1日に「高齢者交流施設」が、NGOピースウィンズ・ジャパンの8千万円の支援の元で、「晴谷れい(ハレバレー)」の施設ができた。「びば!!南三陸」が中心となり施設を運営する。南三陸シルバー人材センター会員の「いぶし銀倶楽部」のメンバーが、陶芸・木工・習字など、高齢者の趣味の場を提供する。
10.17ブログ
施設は二階建で一階の広いスペースの色とりどりの「敷石」の素晴らしさに目を奪われた。「これは力になる」と一目で感じた。この技術も町外の団体からの指導によるものと聞く。新たな南三陸町シルバー人材センターの「うぶ声」を聴いた気がする。
今、突然の恩師の訃報を聞いた。一週間前に東山の「西宮神社」の灯篭設置の寄付金を持って行った時は、いつもの気丈な姿に笑顔で迎えてくれた。3日前には郵便局で会ったばかりなのに、まだまだ南三陸町の復興の姿を見つめてもらいたかった。
先生に花を手向けたい。

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2015
10/16

苦心し朝食をとる


「一人でやってるの凄い!」と周囲から言われる。父と二人の生活の中で、ジャーでのご飯炊きは父の仕事で、汁物と料理が私の役目として、震災直後から母の介護状態の中でこれまでやってきた。ときどき父の食材に好きな物を3・4点買ってくるが、5日から7日もそのままで食べない時もあり、「臭いので投げた」と言う。せっかくと思うがしょうがない。
自宅の道路向かいの坂の上にはコンビニがあり、何もない時は父が好きな物を買いに行く。こんな生活が4年目を迎えた。
これまで父は台所に入らない人なので料理は無理だ。私の小学生時代「たすすもち」は、家に帰ると何も無い中で空腹を満たすために、小麦粉と砂糖を水でこねてフライパンで焼いていた。小3位の頃からだろうか、両親は家業で時間いっぱいの仕事で子供にかまっていられないがある。
志津川の海・山は最高の食材に満ちていた。春から夏の海はあさり・ツブなどや釣りのハゼ・うなぎなども家に持ってかえり、祖母が料理をしてくれた。山では栗やあけび・わらびなど、春と秋は山を駆け歩いた。小から中学生と仲間での行動から、私の一人での探索で「家族に喜ばれる」と言う嬉しさから、寒かろうが冷たいだろうが、少しの危険も覚悟し、両親は「気をつけていけよ」ぐらいの言葉しかなかった。擦り傷・切り傷・うるしかぶれは年中行事で、一人でも生きれる「術」を学んだ。これが今生活スタイルに表れている。
写真は朝食のご飯と「一汁一菜」だ。だいたいこの内容で品を変え、一日が始まる。
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今はまっているのは、海苔巻だ。中身は生協のすき昆布とさきいか・ごまのふりかけに、キュウリを入れ、食卓で州の子に巻き、一枚の海苔を二つに裂き2本たべるのが、時々朝の食事としている。朝から意外と楽しい。冷蔵庫には「シソ巻みそ」と「カット野菜」「さば缶」「ハム」「ちくわ」「たまご」が常備品として入っている。米は現在30Kと口を開けた20Kがあるので6か月は大丈夫だ。今年は新米はどれくらい貰えるだろうか? 毎年3袋は親戚筋からくる。
昨日は震災の年に石巻からNPO法人が来社し、「若者雇用」「引きこもり」などの若年層の支援活動をします。協力をお願いしますとの事で、町内に告知の情報を無償配布した。昨日その場所へ行くと非営利団体「ワーカーズショップ」との看板はあったが、生徒の指導も無職の支援など今は出来てないと言う。小さい団体の被災地支援は予算の面からも、活動の大変さを感じる。
今日は死語と言う仕事は何もない。まあ! のんびり行きますか。

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2015
10/15

いつになるのやら「東北に日本にサクラ咲く」


日曜11日の気仙沼市からの帰りに歌津「みなさん館」に寄り野菜などを買い求めた。外ではボランティアさん達とイベントを開催し、当選した方に地元の米が当たるなど、会場は賑わいを見せていた。
午後に帰り「フェイスブック」に目を通すと、「感謝の大芋煮会」がありますと、案内が店の前で多くの参加者の笑顔で写っていた。これが「みなさん館」の大芋煮会の会場だった。昨年は400人が参加し今年の開催の呼びかけだ。金比羅丸さん等の漁民の協力と、歌津の海と幸を伝える高橋さんフェイスブックには子供と一緒に、海を楽しむ姿に目を引かれ良く見ている。たしか開催は10月31日だった気がする。フェイスの案内には「興味ある」と答えたが、人が集まる賑わいは苦手で、その時の気分で決めたい。若い人達を先人達が支えボランティアとの交流を応援している。
昨日は仙台へ、バイパスの六丁目まで「1時間20分」と三陸道の利便性の恩恵で何とか会議に間に合った。登りは3カ所で道路整備のため片側通行ながら、2車線の道路の効果は絶大であった。
気仙沼市で義援金の配分があった。被害によって額は違うが項目が分かれで合計で「6万円」貰ったとある人に聞く。多くの自宅建設は思った以上にお金がかかる。千円でも支援のお金は生活に大助かりだ。
横浜のマンションの耐震性の杭打ちの偽装のデータ改ざんがあった。志津川市街地も防潮堤の杭打ちが多くの場所で何か月も続いている。自然の破壊力に負けない為の作業だが、何本打っているのだろう。
気仙沼市からの出馬の県議選の方は、選挙の自己紹介に気仙沼市の海岸線の「やき板」の打ち込みが一か所で700本などと言い、地下からの雨水の海への放流と、海の栄養なる山のミネラルの遮断と危惧を抱いていた。
今後の志津川市街地の商店・工場再建も、10mと言われる嵩上げがあり、地盤の基礎杭は「支持層」まで達しないと建物の耐震が維持されないと言う。10mから更に支持層までの杭の打ち込み予算経費を聞いた。その金額の大きさに驚いた事もあり、被災地での再建の大変さと今後の問題も心配する。盛り土は盛り土であり多くの時間を掛けての安定も限界がある。
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昨日、志津川市街地の国道の信号で、自分の土地の上が見上げも程の嵩上げとなっていた。一時的残土仮置きと言うが、又、削りトラックで別な場所に運ぶ、こんな不合理は国の復興交付金だからこそやれる事であり、余りにも町の再建に国依存に「これでいいんだろうか」と、1000兆もある借金に、今後の国の財政を心配する。
国民皆保険の日本の制度に感謝がある。母の施設の利用料は月4万足らずながら、毎月30万に近い額が国からの施設への給付に驚く。だからこそ国の「在宅介護の推進」は人の給付の削減にある。民主党のムダの削減は政府として当然の政策ながら、安倍総理の「アベノミクス」の二回目の三本の矢は万全かというと、第一の矢も結果はまだ流動的である。
こんな事からも自分は「身の丈」の生活へシフトしつつある。後ろ向きと言われてもこれが自分を守る今の手段だと思っている。しかし、やりたいことは実行していきたい、先人への感謝と活動の伝承の為に!

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2015
10/14

生涯学習センターが新井田に


昨夜は半年ぶりの「町づくり協議会」が開催され、新井田地区に整備される南三陸町の図書館・公民館の共用の、「生涯学習センター」の施設についてのワークショップが、ポータルセンターで開催され10名の委員が参加した。
若い世代の多くが町の公的施設の整備は大きく、他に類を見ない物に作るべきと言う。私は身の丈にあった人口減少の中で、費用対効果を考え維持費の削減など、そんなに規模を大きくしなくていいと思っている。「後ろ向きの考え」とも指摘された。私は将来の時代に人口が減る中で、維持をするためにコンパクトで使いやすい物との考えた事に、参加の若者は考えは良い意味で「前向き」「楽天的」は、将来の可能性? と見た方がいいのだろう。
現在は町民が集まる場として、ベイサイドアリーナ・ポータルセンター・入谷公民館などがあるが有料であり、利用には経費が掛かるが、交流と言う名の元の障害学習センターは無料だ。
公民館は文化協会・学生・青年団などが集まれる場であり、練習場として利用していた。図書館は本を探し読書できる場であった。これからは交流や喫茶室・託児・キッズルーム・パソコン室など、町民があらゆる角度から利用できる場として整備される。公民館の多目的ルームは気軽に遊び・軽スポーツも総合体育館とは違う利用の場のようだ。当局は将来的には「管理委託制度」の活用も考慮に入れている。
少し私に取っては寂しい会議だった。帰り際に私の土地の巨大な嵩上げの意味をUR都市機構に聞いた。一時的な盛り土であり、嵩上げ高さは五日町に予定する「ショッピングモール」の現高さと言う事を確認した。今度の24日10時から、この場所で現地見学会を予定し、この場所からの海の見え方や大型重機の試乗などをすると言う。ぜひ行ってみたいと思っている。
今日は県の印刷組合の定例理事会が12時のお昼時間を利用し開催され、10時15分に仙台へ向かう。先週から多忙の中でこれまで予定通り進んでいる。剣道スポ少の活動報告があり補助金受給と、同級会の郵便局の振込用紙の申請、友人の新築祝いと海難事故の焼香にも気仙沼まで行って来た。仕事も順調に余裕を持てて進んでいる。何もなく会社・生活が進む事で心の平静の状況を維持している。
今度は来月の福岡からの20人の、不登校・いじめ等の問題の支援に来られる皆さんの、南三陸町で受け入れてくれる人や団体を紹介する予定だ。デリケートな問題で正面には出てこない部分で、色々と知る限りの人達と折衝を行っている。被災地での自分なりの活動をして行きたい。自分は団体での活動は無理なのかも知れないと感じている。大きな見えない力が覆っている気もする。それは町の余りにも巨大な復興事業にあり、昔の町への思いが消えうせ空しい!

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2015
10/13

えっ! 油井亀美也さん?

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昨日もメール着信確認から私の朝が始まる。見て驚いた、宇宙ステイーションの油井亀美也さんがツィートしてくれた。ツイートと言う事は私のメッセージを読んでくれた。「子供達に夢と希望を与え、宇宙の素晴らしさを伝えて下さい。」に答えてくれたのだろうか。
ツイッターを初め1年6か月が経つが、最近時々町の事をツイッターで映像と気持ちを伝え、全国の人達がリツィートしてくれる。どんなふうに私の「つぶやきと風景」が伝わっているのか?近頃リツイートが多くなった気がする。そして宇宙の油井さんに繋がった。凄いソーシャルネットワークの力! を直に感じた。大震災での都知事に被災地の現状が繋がり支援を受けられたのも、ツイッターだったと思い出した。
(写真の横写りは何時ものやり方でこうなった、我慢して貰いたい。30分~1時間のブログ発信時間なので、修正している時間はない)   修正しました。
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ラグビー日本がアメリカにも勝ち3勝1敗ながら、4トライ以上の「1ポイント」とはならなく、得点差等などもあり、南アフリカとスコットランドに次ぐ3位に終わった。試合前に南アとスコットランドの結果で3位が決定している中で、精神的の維持は強い日本だから、と私は思う。「ベスト8」を最後まで目標だった事を、五郎丸が試合の優勝選手となりながら、涙して言葉が詰まった。総ての選手が家族に支えられここまで来た事、辛い練習を4年間も頑張ってここにいる事を、自分のラクビー人生を正直に努力してきて人間の涙だろう。
これまでの剣道指導の中で、頂点を極めても目標を前に敗れても「泣く」、これは一生懸命に頑張ってきた事で現れる姿と私は思う。団体スポーツは皆が抱き合い涙し笑い喜ぶ、こんな姿を私は2回も体験させてもらった。大きな目標に向かい取り組み夢を掴んだ瞬間がここにある。人生の中の一通過点ながら、こうした経験は人生には幾度となくあり、体験し、普通の大人として精神的な肥やしとなるのは間違いがない。

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2015
10/12

気仙沼に剣士集う


4年ぶりに「気仙沼秋刀杯剣道交流大会」が震災から初めて開催された。開催も急だったものの参加団体と人数も以前の半分だったような気がする。また、少子化が影響を及ぼし、会場の総合体育館も館内に「震災仮設」がある事で、駐車場が足りなく隣の西高にと15分前後歩いての会場入りとなった。
気仙沼市新剣道連盟の新しい吉田新会長の就任と、本吉・気仙沼スポーツ少年団会長となり、剣道を通した気仙沼市の震災復興を示す為の開催と感じた。気仙沼市は「防具付け空手」など県大会など多くのスポーツ大会が開催され、その中で「秋刀杯」の開催は圏域の剣道関係者が望んでいた事もあった。しかし、現実として剣道の少年団の人数の減少により、1チーム5人から、3人編成でのチーム対戦となった。三陸沿岸部の市町は震災からの復興もまだ遠く、参加者の減少が現実としてあり、被災地の人口減の実態が顕著に現れた。
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「気仙沼に帰って来てくれて市民を代表し感謝申し上げます」「剣道大会だけじゃなく剣道を志す剣道の仲間との交流でもある」と述べたのが、気仙沼市の菅原市長で、「今年は敗れても1年間練習し、また対戦する時は剣道の相手を友として歩んで欲しい」と結んだ。
剣道は取り組む姿勢と、努力し強くなる事で、多くの選手と試合を通して交流ができる。「剣道の試合で、勝って泣き、負けて悔しくて泣く」、継続して多くの対戦で互いの健闘を讃えあう。地域から圏域、そして県大会と交流の輪を広げて行くためにも、地域の指導者の育成は欠かせない。震災で自分の家庭再建の中で、他人の為に時間を割く人は少なくなっている。子ども達の減少はこれまでの築き上げた伝統までも亡くなっている。震災後4年半、何とか少年剣道の火を消さないように頑張って来たが、来年の還暦が一つの節目と私は決めている。

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2015
10/11

仙台に志津川の美味しいお米を届けました


懐かしい仙台市一番町・中掛丁を歩いた。数年ぶりながら我が町との違いと、私の知る多くの町民の皆さんも仙台に移り住んでしまった。「南三陸町で一緒に暮らしましょう!」のメッセージの空しい事、理想と現実の取り巻く環境から「やっぱり」と落胆だ。どうすれば言う考えは今は「無」である。
一番町は被災地の写真の現実と比べてどうだろう。4年半が経つのに現光景、こんな姿を何時まで全国にさらし、交流人口と言う名の観光客の為の町づくりをするのか。ひと時の脱出にから被災地を忘れ、限られた食事から町にない美味しい物を舌で触れる事ができた。若者たちのイベントに市民の笑顔がいっぱいだった。
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志津川地区の守りのシンボル「上の山八幡宮」に行った。神事まで利用する行政の観光に、強い違和感を思い、頼るしかない町民の悲しさを感じる。人の「祈りと追悼」までも観光化にして、町づくりでいいのですか。先人たちの悲しい顔が浮かぶ、いいんですよね「多くの大先生たち!」。

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2015
10/10

傷ついた猫のまなざしの先は


我が家の周囲に住みつき、従教員の車の下のアスファルトの温もりが大好きのようだ。同じく暴れん坊の薄茶の野良猫にこないだ襲われ、交尾を拒否したのか? 喧嘩・争いで右前足を負傷し、ビッコを10日間ぐらいし、姿が見えなくなった。3日前から又駐車場で日向ぼっこ、足には傷がくっきりとあった。小さい野良猫ながら会社に話題と癒しを与えてくれる。

予定した仕事は余裕を持ちながら納品までを行う。その中に仕事以外のするべき事を入れる。これが私の今の生活の形だ。連休明けの13日に仙台へ印刷組合理事会を12時に予定に入れ、夕方から半年ぶりの志津川町づくり協議会と二つの会議を入れた。予定の仕事は昨日までに段取りし、連休に片付ける段取りだったが、原稿が出来ないと総てを13日にするしかなくなり、二つの会議をキャンセルしないと行けなくなった。予定した事を入れる事でこれまでの生活のサイクルが狂う事となった。これまでは全て残業・夜業で眠らず、目の前の事を片付けて来たが、体調と環境からも無理である。しかし、自己の性格から作った計画は守らないと納得がいかないが、生活を守るために今回は回避する。
朝眠れず決定した。13日の仙台はやめよう! そして先方の発注が遅れた事をホローし、予定通り14日には納品をしたい。9時までに大きな仕事の校正を提出する。夜6時30分まちづくり会議には出席だ。
日曜の11日は志津川剣道の気仙沼での「秋刀杯剣道大会」に参加の為、朝7時には団員の引率がある。昨夜も試合に向け夜8時30分まで指導にあたった。27年度の集大成を見届けたい。
家の「クロ」も多くの障害の中で生きていて、昨日は歌津の方も飼っている猫に助けられたと言う。突然の息子さんの死に、遺影を見ると涙が出て来るが、「残された孫の為に頑張らないと」と、気丈な姿を見せていた。一人になった時に息子の買った猫を膝の上で抱きしめていた。
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戸倉小学校が再建され子供達が、戸倉の高台の学校での元気な姿が新聞にあった。69人での2学期からのスタートながら、戸倉地区の人口が約35%も減少し、建設された学校の将来を不安視する。
志津川の被災地区民は戸倉の学校の再建など関係ないと、知らない人も多い。自分の事で精一杯なのだろう。
今日は仙台の甥っ子・姪っ子の5人の子供達に、志津川の新米を持って行く。少しの多忙の中での一休みでもある。父は母の施設のお祭りに従妹と共に行く。連休を有効に過ごさないと、被災地の生活は滅入る事ばかりだからだ。天気も良くドライブ日和だ。

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2015
10/09

美味しいご飯と不思議なメール

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一昨日の夕方、剣道指導に行く車に携帯が鳴った。父からで携帯を見たら変な物があり、お金の支払いを求めるものだと言う。翌日、再度携帯を見ると写真のようなメールがあった。今年6月のものながら私は「振り込め詐欺」と思う。90歳の父親に携帯の支払いを任せる訳も無く、親子電話契約で持たせて4年余り、支払いに滞る事も無くいれまで使用し、そんな中でこのメールの通知はおかしい。高齢者は携帯機能もメール請求も知らないなかで、こんなメールが高齢者世帯に来たら携帯で問い合わせをするだろう。私のような家族がいる事でこうした近代犯罪の防止に繋がる。取りあえずこちらから問い合わせ電話はしない事と、間違いない物なら必ず又電話が来る。
固定電話・FAXには危ない勧誘もあるが、絶対に受け付けない。会社メールは危ない物はセキュリティーでカットしている。自己防衛は当然の時代となっている。私も70を過ぎればどうなるか解らない。
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知人から新米「5K」を貰った。さすがに収穫したばかりのお米は美味しく、何も無くても「ご飯」だけでも満足だ。ついでに兄弟・姪っ子・甥っ子達にも食べて貰おうと5袋購入した。精米し袋詰めして「1袋3千円」は安いと私は思う。お米大好きの父は3食ご飯と言う「米党」で、年間90Kは米が必要だ。私は変化が欲しく、パン・そば・うどん等、震災後に賞味期限の切れた乾麺などを処分している。
知人としばらくぶりで会い、「米いりませんか」と言われた。農協出しは「5500円」で安くて出せないと言う。又、地区の人が「7000円」で収穫した米を看板で掲示して販売し、値段が上げられなく今年は「7000千円」で売っていますと言う。昨年より1千~2千円も安くした。農家が一年間手間を掛け育てたお米30Kが、「7000千円」は安すぎる。震災時に福島に住む40年も会ってない同級生が、「お米買います」と被災地の農家を思い、戸倉地区の米を30K購入してくれた事は一生忘れない。来年1月30日の還暦同級会で会えれば良いと思っている。
今日の朝、日本で一番人気の「道の駅」を紹介していた。そこでは10K4千円と言うが、店頭に置くと直ぐに完売すると言う。ブランド・美味しい等、精魂込めて作った物は美味しく、値段も当然ついてくる。6日から始まった志津川産カキの出荷、是非ご賞味頂きたい。

町の総合計画の会議で45年後の南三陸町の人口が示された。「7200人」と言う。早急な何の住民の地元再建の強固な政策をしなかった現町長の責任と言いたい。想定外の津波だからとか、人口の減少の見通しもできない、町づくりも偏った政策に、住民は怒りを通り越し、あきらめの気持ちが町民から囁かれている。

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2015
10/08

愚か者めが!

三代目「安倍内閣」の大臣が決定した。丸川環境大臣の大抜擢は何なのか? 参院二期目となる朝日放送キャンターを退職しての国政の進出だ。「愚か者めが!」は自民党が野党時代に、民主の強行採決の時に委員長席の隣りから、この言葉を連呼する姿がテレビで流れていた。一生残る国会の姿を生まれた子供が見たら、私は耐えられない。新人議員として「声の通る」との為に、自民党の先輩から指示されたとしたら悲しい。女性参画社会の創造へは大きな期待を持っているが、安倍総理の今回の閣僚決定は私には問題もある気がする。凡人だからなのだろう。
今回の安倍内閣は「一億総参加社会」が目標と言う。どう言う事かは今後紹介されるが、国民に仕事を目標を与える事は、高齢化社会で難しいと私は思っている。後ろ向きと言われてもこれば被災地を見てもこれ現実だ。80歳でもノーベル賞をとれる人間は別で、「好きな目標を持てる事」が高齢になっても頑張れる事だろう。
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昨日も事件発生! 父親が9時半に病院の予約と言うので、9時過ぎて町の病院に向かった。「石巻日赤だ」と言う。病院! 病院を連呼し石巻とは一言もなかった。急遽石巻まで走った。
石巻日赤へは三陸道から入れるインターが今月3日に開通した。商工団地の自宅から石巻日赤まで40分弱、10分は短縮となった。日赤には「石巻赤十字看護学校」と「震災医療研修センター」が病院に隣接となった。北棟には「検診センター」と「救急センター」もでき、地域医療の拠点が着々と進み近隣市町からの患者を受け入れる。病院の新たな姿を創造していた。働く場所を作るだけでなく大震災を通し、その役目を考えた病院づくりを進めていた。そんな中で石巻市立病院が石巻の駅前に工事が進み、当初の3倍も建築費が掛かった。そして現在は「気仙沼市」「南三陸町」で病院建設となる。地方の人口減少の中でそんなにも病院が必要かと言うと疑問で、経営に無理が生じてくると思う。良い先生のいる病院を患者は求めている。箱物も必要だが中身だろうと思う。
私の目の治療がまた始まる。「レーザー治療」で結果が出ないと、また手術となるかも知れない。

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2015
10/07

「ごはん まーだ」


第3回目となる「南三陸町福祉まつり」が先週の土曜日に開催された。
11時30分ごろに出掛けたが整理番号で「226番」だった。「餅まき」などの前半の行事や吹奏楽などの応援もあった割には、来場者の少なさを感じた。しかし、ベイサイド周辺は来年度以降は災害公営が5棟でき、土地造成の後で住宅再建も始まり、400世帯ぐらいがここに住む事となり、志津川住民の一番大きな街となる。災害公営は平均年齢が「70歳」と言われ、福祉社会がここにある。今回の高齢者や障害者への、関係施設・介護用品の展示ブースが設けられ、生活支援の相談会も開催されていた。高齢者の町となる南三陸町には欠かせない活動です。
「輝き劇団」は、認知症世帯の家族が抱える問題の解決策としての寸劇を、行政の「包括支援センター」の職員が演じてくれた。高齢者とお母さんの会話で、祖母が「はらへったなー、ごはんまだ・・」と嫁に言う。「お母さんさっき食べたでしょう!」と話す。10分してまた「ご飯・・」と言う。何度も繰り返す母に「おかあさんまたー・・」と言い返す。これが二度三度を続く。会場からは笑いの中に、今の現実が事実ある事を体験している人は真剣に見入っていた。私もその中の一人で、一つの提案と解決方法として演じられたのが、何度もくる祖母に「お母さんせんべいでも食べてて」「ご飯できたら声掛けるから」との言葉で、母のご飯が食べられないイライラを、柔らかく落ち着かせる対応がこここにある。ついつい家庭仕事の忙しさの中で、優しさの無い言葉を向けてしまっている事に気づかされた。祖母の認知は病気であり、強い言葉で何度も叱るような口調は、病気として見た「認知症」の悪化となる。上手く病気と付き合う方法を教えてくれた。
我が家でも震災後に、倉庫の不自由な暮らしの中で、母の認知症が一気に進み、身体の不自由と重なり、父の母への介護が始まり、家事などの昼間の疲れと心労が、母をベットでの力ずくの梗塞へとなり、少しの間家族の苦しみがあった。私の毎日の会社再建での仕事の疲れから、夜の就寝ができない事に力による行動を取ってしまった。父の一日の介護から比べれば、夜だけのいっしょの生活はまだ楽だったかもしれない。こんな環境に生きて来た私たち家族にとっては、町の高齢者の家庭の見回りと指導は力強いものとなった。この寸劇から4年前の出来事を思い出した。現在は母を施設に、父は週2回のデイサービスに行きはじめ、バラバラながら個々に安定した生活環境の中で暮らしている。
必ず家族が通る道、介護との上手い付き合いは、行政の支援を活用する事と、民間の施設を知りお金は掛かるが利用する事で、家庭の平安と心の安定を生む。何も知らないままでの両親の認知は子ども達にとってはショックでもあるが、現実を直視し向き合い事で解決が出来る。

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2015
10/06

また素晴らしい人を知る


北里大学栄誉教授大村智(80)さんの功績に感激した。23人目の日本人のノーベル賞の受賞と言う。ノーベル医学生理学賞で山中さんのIP細胞の発見の次となる。
多くの大村市の功績と謙虚な発言は私の理想とする人間像だ。誰に初めに伝えたいか言葉に「16年前に亡くなった家内に」と言う。苦労させた事、妻の内助の功であり自分一人で出来た訳ではないと言う。兄弟も「特別できた子ではない」と答えた。
山梨大から定時制高校の化学と体育の先生となり、その後「東京教育大学」・「東京理科大学」を卒業し、北里大学研究所へと進んだ。自分のしたい事を一段ずつ登り詰め「平成の野口英世」とまで言われるようになった。
今回の功績はアフリカの河川などで発生する寄生虫による目の病気、「オンコセルカ症」の抗生物質「イベルネクチン」を発明し、年間3億人の人々を救った事からだ。この目の病気は寄生虫によるもので、悪化すると失明になる。
発見は静岡のゴルフ場の土壌からで、何気ない場所ながら微生物の2千~4千株の分析により抗生物質を発見した。これまでも一つだけでなく多くの微生物から薬を作り、病気で苦しむ人達への抗生物質の発見がある。
発見した「特許料」は人々への恩返しに活用した。昔の小さい頃はおじいさんおばあさんに怒られた事への恩返しとして、得たお金で温泉発掘のボウリングをして、温泉施設のオーナーとしての顔を持ち、地元の美術館に5億円の絵画を寄付し、現在は「館長」としの役目を、山梨県の「緑は良い」と、医学以外の事へも積極的に取り組んでいた。
アフリカでの子供達に囲まれ、笑顔で撮られた写真は最高に輝いていた。
現在は「私利私欲」に走り、自分の成長への恩返しなどする人は少なくなった。資材を投げ捨て研究に人生を捧げた先人の功績に学ぶ事が多い。しばらくは大村先生のノーベル賞がワイドショーを賑わすだろう。

子供たちの事件が続き、警察の不祥事があり、異常気象の日本中の被害が起こった中で、ただ一つ国民にとって嬉しい話題となった。現在も台風23号が太平洋を北上し、北海道の東岸に接近するようだ。
ひと時ながら町の復興の遅延を忘れさせてくれる話題となるだろう。何か人の為になるのを研究に臨んだ結果、素晴らしい人と周囲は絶賛する。

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2015
10/05

祈りと祝いの日でした


気丈な母親が半年も掛かり辿り着いた息子さんの葬儀、いつも元気な母が終点の葬儀の安堵から小さくなって見えました。また、次のスタートです。孫さんを将来の目標まで見届ける事が、これからのお母さんの生きる糧として、ある気が私はする。
こんな母親の姿をこれまでも多く見てきて、できる限りのお手伝いをしてきた。まだ自分がやれる事は沢山ありそうだ。
登米市への親友の住宅再建の仲間のお祝い会があった。友人も「めでたいが寂しい」と会の挨拶で話した。集まった仲間みんなが町内に散らばり、こうして町外にも移転した。しかし、みんなの心と気持ちはいつも「一つ」と言っているような席だった。
写真は戸倉団地に続く高台への道路です。「道」は生活の道として、人生の道として生きていく上で大切な物である。踏み外す事で人生も生命も町も失う。
新築した友人は大震災大津波の避難行動を席上話した。海岸部にいて仲間に避難を呼びかけ確認後に避難したと言う。津波は遠くに見えたと言う。地域の道路を把握する彼は、どう逃げれば安全に高台へ行けるかを考え、後ろから襲う津波を確認しながら車で逃げた。みな同じ方向への避難行動があり、渋滞を「ぶつかってもいい」と対向車線を一気に突っ走った。渋滞の中で道路情報の把握は自分の命と家族の幸せに守った。「渋滞の中で津波に襲われた人たちがいた」と言う。自分の地域の状況を知っている事で、命が助かった。普段の道路の確認と状況を知る事が災害から命を守る事に繋がった。と私は思う。

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2015
10/04

ルーティンの五郎丸


昨日は南三陸町で「福祉まつり」があり、2年ぶりに出掛けた。私は224人目で10時からの開催で11時45分の入り込み数にしては、少し少なく感じた。今後アリーナのある志津川東工区の高台には多くの被災者が、今後に災害公営と自己再建に来年度から本格化する。400世帯を超える住民が今後ここでコミニティーを作っていく。年々来場者の増加を予想する「継続は力なり」です。高齢化の介護福祉施設と障害者救済の団体が多い南三陸町は、福祉の在り方の「皆が寄り添う」があり、福祉活動で学ぶ事も多く、老々介護の暮らし方・過ごし方を知る事で、家庭円満が維持される。被災後の「第1回福祉まつり」のあの賑わいは、町民が皆で助け合う姿と今も覚えている。復興の進む中で「自分の事は自分で守るしかない」との考えに至った現実で、多くの人が自己の再建で生活の場所を他所に決めた。さも「まつり事に町の復興を描いた」、町民一部の特化した町づくりに、何も言う事なく「言ってもしょうがない」との町民が多い町になりつつある。
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昨日夜10時20分のラグビー世界選手権を楽しみに、土曜の昼間午後はだらだらと生活してしまった。しかし、ラグビー日本チームから色々に事を学んだ。キャプテンはニュージーランドから15歳に北海道に来た。ホームステイの親代わりは4人目の子供として、日本の生活習慣で自分の子供のように育てた。日本に帰化し日本人よりも日本を理解し連帯意識をチームにもたらした。その一つに日本国歌「君が代」を、チームの外国人に解いた。帰化しないとチームには入れないが、一人ひとりが日本人としてチーム連携を作り出した。ラグビーはこれが無いと絶対勝てない。
写真のスクラムは練習に明け暮れた努力した選手の成果であり、小柄な日本人でも技術で負けないスクラムを作りだし、日本の持つ身体的な特性を生かす攻撃があった。監督も南アフリカを優勝に導いたコーチの一人であり、選手の采配も世界的な指導者を機用に、現在2勝1敗の成績を生み「世界ベスト8」の夢に向かい一試合を大切に戦っている。
このスクラムはサモアチームを圧倒し「認定トライ」が認められた。五郎丸のペナルティーゴールも、前試合のスコットランド戦の後半のペナルティーゴールの2本失敗で勝ちパーターンのリズムを崩したと私は判断している。五郎丸は言う「自分は完璧な人間でない」と、一試合目の確実性の高い人間からそんな言葉が発せられるとは思わなかった。彼がラグビーに取り組む中で、多くの障害を解決する手段を確立し今の五郎丸を作った。
世界で有名となった五郎丸の「ルーティン」には強豪チームの選手の先駆者があり、そこから学び真似たと言われている。著書の中にある指導者にだらだらしての練習に、「帰れ」と言われた事にふてくされた行動で練習をやめた。指導者は「叱咤激励」の為によくこのような発言をする。期待するが故の言葉で私も我が団の子供達には、和を乱す行動には本気で「帰れ」と数名には言って来た。チームの統率を維持する為もあるが、本当は辛く「素直な方が成長するよ」とのメッセージがある。こうした他にない物を持っている子供はスポーツで強くなる資質を持っている。
「ルーティン」は心の冷静さと自信を生む。この形でゴールは成功するとの、これまで築いてきた練習の賜物である。試合やゴールに臨む心は「無」であり、そうなる為の練習と経験の積み重ねがある。それが自信となるが、その成功確率を高める事には「心を無にする」で求める物が近づく。26対5で勝ったが、2つ目のトライをした山田選手の担架退場が気になるが、次試合の1週間後には元気な姿を見せて欲しい。
帰化した外国人選手とのチームワークが今回の結果に繋がる。サモアの強力パワーを封じ勝てたのは総合力にある。
町づくりも町民の力の結集があってこそ、昔なからの町民の営みが再生される。今後進む町は被災前の町とは程遠いと私は思っている。言葉ばかりの行政の「町民一丸」は嘘であり、政治家はみんな世間体と自己保身の嘘つきと、政治評論家は語る。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:28 】


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