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ARCHIVE - 2015年10月

2015
10/03

丸裸の国民

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「マイナンバー」「ローン契約」「被災者補助」・・などで、行政・銀行・政府の政策・契約で、自分の持っている状況が全て提示しないと補助・倹約とならない。自分の持っている銀行の預金も全てが国で把握で、税金徴収と課税の漏れが無いよう国でルールを決めた。生きて60年となり国民が国から管理・監視される社会へとなる。

昨日は志津川市街地の嵩上げした高台のう回路を通った。何もない赤土の盛り土の上を、新井田から上の山周囲を廻り旧五日町の交差点の場所に出る。夕方4時頃には保呂羽の山に夕陽が隠れる時間、眩しすぎる。昨日親戚の叔父が来て「白内障」だと言う。「手術する」と言うが、手術で世界の見え方が変わると言うが、そんな事はなく個人差がある事を告げた。私は白内障の手術で白など薄い色が眩しく明るく見え、朝夕の運転には「サングラス」が欠かせない。

昨夜は剣道練習に中学校時代の教え子が、大学を卒業し地元に就職し、スポ少のチラシを見て「見学に来ました」と言う。後継として指導者となる事を期待している。

今日は「福祉まつり」だと言う。昨年は見なかったが今年は行きたい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:40 】

2015
10/02

町民は志津川市街地の復興状況を把握できていない


志津川小学校の登校坂の現在の状況を写真に収めた。五日町の写真中央の電気会社まで津波が押し寄せ、命と家の生死の狭間がこの地区ではここだった。しかし、志津川を離れ、生活が一変した家庭があり、低地部から残った自分の小さな土地にプレハブを建て生活する人もいる。志津川での子育てを諦め新天地に生活の場を移した社長さんもいた。こうした町の再建に必要な人達を、町に残す方策を考えないままに、復旧復興を進めている行政があり、昔の町の「人・暮らし・伝統」を何とか守る事をしなかった。これで新しい町はできるのか? できない!

昨夜の雨があり今は強風が町を通過している。三陸沖は「暴風警報」がでて、漁師さんの仕事は無理だろう。私の不安ばかりの急ごしらえの家も、1年半を迎え特別な問題は発生していない。
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同じ場所から町を望むと防災庁舎がある。この場所では生死の狭間に職員・町民が漂った。生き残った町長・副町長と職員が、生還し通った道路も瓦礫まみれのこの道路と、震災以後に聞くが、投げかけられた言葉に厳しい言葉があった事を、命からがら避難した志津川地区民に聴いた。誰しもが町の当時の避難対応と、避難の呼びかけなど防災対策の不備を日が経つにつれ、町民たちの空しい声を聴いた。今は諦めの言葉しか聞こえず、自助での自宅再建を進めている。

「国破れて草木深し」と、この写真の風景からも感じる。隈氏の市街地再生の構想図があるが、そのようにはならない気がする。自己の出着る限りの商店建設があり、昔ながら漁村風景はない。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:49 】

2015
10/01

ここにも巨大な工事が


歌津地区の漁船の4月発生した海難事故があり3名の乗務員が亡くなった。今月4日の本通夜で5日10時30分から葬儀となった。当初は合同葬儀との事だったが、宗派の違いもあり気仙沼「アーバン」で行われる。
進水式の案内状の印刷など震災前からの付き合いで、突然の息子さんの死に、お母さんが一人奔走し、多くの人達の支援を受けここまで来た。私には何も出来ないが、捜索などでお世話になった方々への「捜索御礼」の新聞掲載の仲介をかって出た。初めての事で驚く事も沢山あった。河北新報は宮城県内・以外にも「50万部以上」の発行だという事と、掲載料金の普通の「会葬御礼」でも人枠で約28万円前後掛かる事に驚いた。誰かれ掲載出来る事で無いと思った。故人のお母さんはお世話になった皆さんへの感謝の気持ち、金額ではないと言う。息子さんへの供養との思いがあった。

写真は志津川地区の「志津川魚市場」で、大規模工事が進んでいた。震災での壊滅状況から、品質・衛生面の整備と施設の見学なども目的とし、全国に対応できる環境の整備を図った。村井知事の水産業の今後の発展と新しい技術で、宮城の水産物を広く発信して行きたいとの目論みがある。
震災で亡くなられた方や、仮設で町の再建の姿を見られず逝去された皆さんに見せたかったが、私が皆さんの代わりに見届け、あの世で教えて上げたいと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:34 】


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