ARCHIVE - 2015年09月

2015
09/30

4年6か月でも普通の生活ができない高齢者の住む町「南三陸」


今から10年後の自分の生活を考える。両親も100歳を超え自分も70歳となり一人暮らし、糖尿病の悪化で自動車も利用できなくなり、現在の自宅付近にはコンビニはあるものの、歩いて自分の好むものを変えない、不住な生活が待っている。
こんな事を考えると、今のうちにしたい事をする。時々仕事も暇で眠れない時の夜に思う。昨日はお客さんの特別な御礼状の文面の本を探しに登米市に16時半に出掛けた。ジャスコの本屋さんには多くの種類の本があり、目当ての本を見つけようとするがメガネを忘れた。チョット考え隣の「100円ショップ」に入り老眼鏡を購入し事なきを得る。食材はヨークに回り父の惣菜を買い、自分の身体に良い野菜・チーズ・食パンなどの、1週間分の食糧を調達する。「今夜は少し贅沢に」とカッパ寿司に回り、10皿を食べ大盤振る舞いと父へのお土産も買った。今の体調だからこそできる車を活用した自由がここにある。所用時間は3時間余り掛かった。こんな事が35%にも及ぶ高齢者はできないでいる。年を取り現在の何でもある飽食時代に、好きな物を食べられない、したい事ができない被災地に高齢者は住む。
帰りには北上川の上に輝く「スーパームーン」を見る事もできた。21時前には爆睡し夜中1時半に目覚め眠れず3時にテレビを付けた。4分位するとニューヨークの国連総会の安倍総理の「一般討論演説」の生放送に切り替わった。
日本の世界への貢献活動が語られた。アフリカの難民のボートで脱出した若い母親の持ち物があり、「母子手帳」に目が止まった。この母子手帳が日本の活動だったからだ。次に戦争地帯のアフガン等への警察育成活動を上げ、2万人も地元の警察官を誕生させ、その中には女性警官もいると話す。今後は8兆円? もの人道支援をしていく事も告げた。先走り的な「安保法制の二の舞」とならなければとふと思った。最後に国連の常任理事国入りを希望した。TPOによる発展途上国への病院整備・格差の改善と、女性の人権確保と環境整備の活動を今後もしたいと語った。
日本の海外への支援は日本を疎かにしている気がする。グローバル社会の中で、内需の発展はと言う地方の疲弊ばかりが聞こえてくる。
中国の経済破たんは着々に始まっていた。一部上場の「第一中央汽船」が民事再生法を申請した。中国の爆買いの好景気が減退し、その状況で貨物運搬が一揆に減少し、4年連続の赤字が倒産の理由だ。リーマンショックによる暴落があり、事業拡大で格安の運搬船を購入した事による、景気に踊らされた大企業の結末と受け取る。
町の「震災特需」もあと5年で町の潤いも低下して行く。来月から牡蠣の水揚げが始まるが、漁民の頑張る漁業支援も終わり、関わった漁師が3分の1減少し、今年は牡蠣も減産を予想していると聞く。
地方は厳しいのに世界への依存を深める日本は、本当に大丈夫かと心配する。
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2015
09/29

偶然の行動から

27.9.29ブログ
「志津川大好き!」の私の2009年からのブログ開始は、偶然の活動ながら多くの志津川地区の風景を残してくれた。そのうち活動の一つに写真の紹介をしていきたい。
「スーパームーン」は昨日の事で、見はぐってしまった。昨日の昼間の天気は雲一つなく、昨夜の「十五夜」はさぞかし綺麗だっただろう。月の大きさは1.14倍で明るさは3割増しと言い、今度は10数年後と言う。今日は翌日ながら忘れずに月を愛でたいと思う、たが22時の見頃まで起きていられるだろうか。
旧暦の8月15日が昨日にあたると聞く。40年前の「十五夜」は我が家も9人3世代が揃っていた。子どもの私は山にススキ・萩・ソゾメ・栗の木を取って来て、お月様に飾り、さつまいも・枝豆・リンゴ・ぶどう等を供え、家族がそろって十五夜を迎えた。良き時代で季節の節目には家族がそろって、家庭の行事を行っていた。

昨日は志津川小学校の高台の仮設に出掛けた。天気も良く志津川の市街地の、防災庁舎周辺の状況を撮影してきた。今日の写真にと思ったがあまりにも荒廃した姿が変わらない事に、仮設前の満開のコスモスで市街地を隠した。
いま、志津川小仮設から痛んだ仮設住宅の部分の修理が始まったとラジオが伝えていた。そう言えば浄水タンクの前に工事関係者のワゴン車らしきものが止まっていた。仮設の状況は見なかったが、ここも多くの入居者が新しい住居へ、他の地区へと行ったのだろうか。
歌津の使い終わった仮設の再利用が、中学校近くに新しく整備され、そこに町外から来たボランティアの方が入所した。2DKが2.5万で30年までは半額の軽減処置での入居という。その上の3K?は3.5万だった。被災地支援で来町しそのまま子育て支援の仕事をしていた。これが町の考える人口減少対策の一つなのだろう。
私は以前から言っている。早期の被災者の居住地確保で住民を町に残ってもらう対策を講じる事の方が、町を維持し継続できた。震災後の行政の初動の失敗が、大きな町の損出となった。こんな事を言っても無駄とは私は思わない、復興計画の検証で今後の町づくりを失敗なく行う事で、キラリと光る町が出来る。

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2015
09/28

自分が生きてきた証を刻みたい


人生60年間は日本の男性の平均寿命「80歳」よりもまだ20歳も若い、これからの20年間を生きていくのに生活・体調・老いの面からも苦しい事を予想し、今から自分の「やって来た奇跡」を残す事をして行きたい。
今回1年半ぶりに「ホームページ」をリニューアルした。PCに長けた若い従業員による作成された旧ページを残し、震災後の会社の復興と活動、町の復旧復興の姿をを全国に伝える事をしてきた。
ブログの「南三陸町から愛と死と希望を見つめて」は平成9年から始めた。自己の日々の生活と町に思う事や、友達と子供達へなどあらゆる角度から、自分の考えを伝えてきた。無料のブログ「FC2」は知人のアドバイスで始め、新人従業員が作ってくれた形でこれまで18年間続けて来た。「南三陸町の政に思う」は政治の負の部分と疑問を自分なりの分析と、町民の声を復興に向かう町への提言として時々書いている。
その他にも「結婚したい」「南三陸の贈り物」「志津川本浜町の・・・」があり、25歳前後の従業員の「ヤングブログ」もあり、多くのコメントがあった事を思い出す。
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HPは「千葉総合印刷株式会社」で検索して欲しい。
恥ずかしながら南三陸町の名勝「神割崎」をバツクに写真を撮った、剣道の戸倉地区の教え子の妹の結婚があり、私の写真とメッセージが欲しいと言われた。携帯から送ろうとするとできなく、良く考えたらメールの返信でイイ事に気づいた。やっぱり老いの成す技と判断する。
オレンジの帽子は頭のハゲ隠しと、ラッキーカラーのオレンジ、サングラスは紫外線の目への影響軽減、お腹のでっぱりも悲しい姿となり、あの腹筋は何処へ言った感じだ。顔の大きさと体型は若い時からの自己嫌悪の塊だ。
いつまで経費と時間を掛けて発信続けられるかは体調しだいだろう。昨日は家を一歩も出なかったので話は何もない。

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2015
09/27

町への自分の思いを綴る


高校を卒業後に兄の跡継ぎの放棄があり、自分の進む道を会社跡継ぎを選択した。ある意味で苦労の少ない物に自分の道と決めながら、日々の仕事と自分の好む事ができ、苦労なく若い時代を過ごしてきた。
印刷業の技術の革新を自分が全て会得し、事業の継続をしてきたが、私生活の確立を怠った事が、今の将来不安に繋がっている。結婚に対する願望は人一倍あったものの、出会いの場をめいっぱい?努力をせずにここまできて、これからの家の跡継ぎの千葉家家督の役目を達成する事が難しくなっている。父の「申し訳ない」との気持ちに胡坐をかき、今の自分を形成してきた。
決して今の自分を全否定せずに、今も継承の模索を続けている。挫折してしまったら人生の終わりで、「生きはしていても死人」と自分に言い聞かせながら被災地「志津川地区」で暮らしている。

生きる目標の一つに「城洋新聞」さんの社長の突然の逝去による、町民に変わって情報を伝える事があり始めた。城洋社長の足元にも及ばないが少しでも町民に町の情報を伝えたいがあった。「マイタウン情報」は当初週一で色々な情報を載せ、購読支援もあり約30名の理解者の元で始まった。震災前まで第100号を達成した。
同様に「マイタウン誌」も年4回冊子として発行した。仲間・同級生の理解の元で支援の輪となり、「第43号」まで発刊できた。
総てが東日本大震災で会社・自宅の流失により、継続ができなくなった。しかし、「被災地だからこそ住民は町の復興の情報を求めている」との、自分の役目を自分なりに行動に移し、先月で「復興第41号」を発行した。現在は発行月三か月前の一か月間の町の復興と町の現状を伝える事を主体に、自分の動きの中の情報を伝え、町民の一人として取り組んでいる事を記事にしている。「マイタウン情報」楽しみにしてくれる読者の為に、新聞を取っている購読者にチラシとして配布してもらっている。本分は仮設で暮らす新聞も取れない方への情報を伝えたいが、物質的に会社状況もあり出来ない事を理解してもらいたい。
今後は高齢者も「パソコン使用」は、自分の生活防衛の為にも必要と私は思う。人口減少と高齢者の街になりつつある「南三陸町」「志津川」寂しい限りだ。

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2015
09/26

何んとか家族を守り今を生きて


川島さんの生きざまが報道で伝わっている。2年前にガンが見つかり昨年1月に腹腔きょう手術を受けた。いつの時点かで「余命一年」と宣告されながら、仕事を続け亡くなる一週間前まで舞台をこなしていた。その他にも今後の3つの仕事を受け、ガンとの戦いを仕事への情熱で一日一日を生き抜いた。知人たちは口々に「女優魂」の人という。ご主人への愛に生きワインを愛した一人の女優の死は、癌と向き合いその生き方の一つを示してくれた。
私は弱虫で延命の苦しみを諦め、末期時には「ホスピス」と決めている。守るべき物の無くなった時の死にざまを考える。それは今守っているのは両親と会社だろう。色々考えされた一人の女優の死だった。
写真は八幡川に架かる国道398号の橋の現工事風景だ。向かいの八幡町側の河川堤防の「8.7m」から、旧志津川小学校のくろしおグランドを含めた、志津川市街地の10mの嵩上げの上を、新しい国道二つが以前の志津川の「ちがや」前で交差する。
来年には橋の高架橋下にあった「サケ捕獲場」が再建され?、小森に建設中の孵化場も秋サケの始まる来月から稼働すると言う。志津川湾の漁も始まり、採卵し孵化・育成し志津川湾に放流される。志津川魚市場のさけ漁は漁協の最大の収益を生み、20~30億? 以上あった気がする。町の再建には早期の整備として必要な部分の一つでもある。
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我が社に一匹の白黒の猫が住み着いている。従業員の車の下が大好きで、今年の熱い夏をこの場所で毎日過ごした。こないだ茶色のワル猫が愛猫を襲い前足を怪我させたようだ。少しのキズでもそこから死に至る場合もあるので心配している。一昨日家の玄関前に座っていた。写メを向けても逃げようとしない「私は貴方の飼い猫よ」と言わんばかりの態度だ。しかし、姿が見えなくなると会社で「きょう猫見た」と話題となっている。家族のような猫になった。あのワル猫から家族を守らないと。

怒りが「生活の糧」だった自分から、日々の何気ない暮らしが怒りを穏やかにしてくれる。これまでの生きる活力の低下が、還暦を来年に向かえ更なる気力の低下を心配する。新たな目標を早く持たないと!

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2015
09/25

「我が人生」に悔いなく


昨日は秋の交通安全週間で商工団地の入口の交差点に立った。7時から8時までとの通知に、他の班は30分との話に7時45分まで、通勤のラッシュを見つめた。青の矢印の市街地からの右折台数を数えると、少ない時で13台、多い時は黄信号ギリギリまで20台の通過に多少の危険を感じた。
午後は入谷の佐武商店に「金紙」を買いに行く。神社のお祭りのお札の帯に使用する。途中の入谷産直前で警察・指導隊・園児が、ドライバーに交通安全を呼びかけていた。子ども達が手渡す「お守り」に添え、「気を付けて運転してください」が最高のお守りかもしれない。
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現在町内のみならず全国で秋の例大祭が開催されている。テレビで「雄勝法印神楽」の話題をしていた。石巻市雄勝は大震災で人口が半分になり、地区の存続にある中で、地区の神楽は住民の拠り所としてある。舞い手の67歳の男性は震災で妻が不明のままで、自分を鼓舞するかのように「雄勝法印神楽」の再開に努力していた。震災で流出した神楽の品々を探す事から初め、見つかった物に新しく整え祭りに向かった。新しい舞への挑戦は、は舞台の貼られた縄に踊りながら回転して登る妙技を披露した。後は志津川地区の八幡神社でもあった、赤ちゃんを抱きながら踊る神楽は、河北新報でもカラーで伝えていた。67歳の雄勝の千葉さん、同姓という事が元気と勇気を私に与えてくれた。
こないだの連休は三本木の向日葵のイメージがあり、その終わりにコスモスとの報道も聴き、探しながら向かった。旧松山町の「コスモス園」の看板があり行って見た。小高い山にあり駐車場から急な坂と階段に、疲れて屈んでしまった。こんな状況で歩けない事は初めてだ。やはり病気の影響と老化があり、もうゴルフは無理と感じる瞬間だった。コスモスは今年の天候と先週の豪雨で全てが終わり、遅咲きのコンモスの種類らしき物があり、その場所には福祉施設の高齢者が秋の終わりを楽しんでいた。コンモスはピンク・白のけな気で可愛く、ひっそりと咲く光景が好きだ。
昨日の北斗さんの乳がん手術があり、夜のニュースで川島なおみさんの、管内胆管がんによる急逝に驚く。結婚して悔いなく生きられた6年だったろうか? 54歳の若さのがんによる死は決して少なくはない。「私が死んだらお墓にワインをかけて」と生前話していたと友だちは言う。女性のがん死亡の一位は「乳がん」との報道が朝のワイドショーで伝えられていた。
松山町は高校の恩師の国語の先生だった方の故郷、卒業後に先生の「自死」の報があったが、熱血で厳しく優しい先生、未だに信じられない。

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2015
09/24

気になっている戸倉地区へ


戸倉団地がどう変わったのか見に行く。だがバリケートがあり「通行証」がない者は通行できず、事務所によって下さいと言う。連休を利用し知人の住む、子供達の通う新築となった戸倉小学校を見たいがあった。事務所に回り許可を貰おうとするが休みのようだった。工事現場で危険という事は解るが、自分たちの住む町を何処にでも行ける環境にはまだない。志津川市街地の三地区も土地希望者の現地見学が実施されているが、町づくりを知りたい発信している私としては、町協からの連絡通知もなく、行政から建設経過のニュースだけの情報しかない。
敬老の日に戸倉の神割崎とプラザで食事をした。
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ちょうど神割をバックに写真を撮った時、沢山の観光客が波しぶきの上がる一番したまで下がって来た。私は「地盤沈下で危険」の看板で尻込みをした。自然の波はどういう力で打ち付けるか予測がつかなく、この日の気圧配置による沖からの荒波が三陸海岸に白波を立てていた。観光客は怖くないようだ。
来町者は新潟ナンバーで、若者達が多く震災の恐ろしさを忘れていると感じた。それが「風化」と言う言葉である。あの巨大な地震・津波の報道も4年半を過ぎると、経験のない人は忘れてしまっている。継承・伝承の大切さを私は自己の将来と町の再建に、その思いを向けている。
昼食は管理委託事業による経営権が「南三陸町観光協会」となり、料理人も若いシェフ・スタッフに変わり、雰囲気と提供料理も都会風な感じを受けた。以前は高橋さんが委託事業所としてあり、奥さんが地元の水産食材にこだわり、町外の観光客に地元の漁師料理を振る舞った。この日は「プレート定食」と「カレー」を注文し、シェフは「辛みそジヤージヤー麺」がお勧めと話していたので、次回はそれを頼もうと思う。
地元の海産物が好きな私は、「牡蠣づくし定食」や「三陸海産色々定食」・「三陸磯ラーメン」などを以前は注文した。
今のメニューに「たらすもち」、こんな品があった。何と懐かしい! 幼い頃に学校から帰って、自分で小麦粉・卵・砂糖を入れてかき混ぜ油を入れフライパンで焼くだけだ。幼いながらに「御馳走」だった。これも又楽しみであるし、次回は忘れずに頼みたい。古き良き食材がメニューにある事はシェフのアイデアだろう。
戸倉小学校を見たかった。2学期から新校舎で授業が始まり10月4日に開校記念式典と聞く。立派な学校を見て伝えたいが、勝手に部外の者の侵入を町は危険と拒む。今、災害公営住宅が全貌を見せ、戸建の災害も数戸建設中と言う。学校へは広い道路ができ、防災集団移転の高台団地には一本広い道路を建設する事が義務づけられている。現在「戸倉団地」へは45号からと、海岸の集落を結ぶように「国道389号」が、津波襲来とならなかった高台を今後通る。
人口が30%も減少した戸倉地区、多くの若者世代が町外に流出した。今後どうなるのだろうか心配だ。


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2015
09/23

町の合併に階差ばかりを感じる被災地の復興

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今日の河北新報に歌津で国内初めての「のうとう類」の化石が2億5千年前の地層から発見された。東北大学生による発見は約4㎝に満たない甲殻類の3種の発見で、「ウタツギョリュウ」の世界最後の魚竜が発見され、新たな化石発見ながらその発信を、町は大切にしていない気がする。海から陸地に生息し、また海に帰った生物として東北大学生が昨夜のテレビで説明していた。
そんな化石の町「歌津」のギョリュウ館が津波で被災し、一次保管所として町の山地区入谷に場所建設の予算計上で、歌津の議員から「なぜ地元の歌津に保管しないのか」と異論が出た。9月の定例会の事だった。
歌津町との志津川町の合併10周年を来月の1日に向かえる。他の自治体に聴くと特別「合併の事業はしない」と聞いた。合併が10年間から20年に延長され「特例債」も使える今、10周年事業は被災した町には必要なく、余計な経費を町再建に向かう中で必要はないと私は思う。行政はその理由に「新たな復興への活力を」と説明する。それは行政だけが町長だけが思う事で、被災町民からしてみれば、震災遺構「県有化」の意見募集のような14%と、興味のない事とまだ町は判っていない。誰の為の事業なのかを町民は理解できないだろうし、考える余裕の無い事を利用した諸行である。
昨日の三陸新報には歌津の市街地再建に「格差」と報じていた。歌津地区は防潮堤の工事はまだで、嵩上げも進んでいない。歌津商店街の希望は当初の20軒の整備から、8軒だけと大きく再建を地元事業所は伊里前市街地での再建を諦めた。その理由には資金と後継者などがあるものの、市街地再建の遅さが最大の理由に住民は上げていた。こんな状況下でのウタツギョリュウの入谷移設には、行政と町長の歌津蔑視的な物を感じる。いったい誰の思惑なのだろうか。
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昨日は三本木の道の駅に行った。県内の亜炭の発掘地であり古き町の復興の原点がここにあった。道の駅の隣りには亜炭の資料館があり、4号線に隣接する二つの施設は相乗効果を生み、次々と買い物客が二つの施設に寄る光景が見られた。早期の伊里前市街地の再建と「魚竜館」の併設で、観光客の流入拡大の環境造りとして当然の考えを思う。町は「歌津町民の結束と底力」を軽んじている。人口動向も戸倉・志津川地区に比べ、大きな津波被害を受けながらも人口減少率は戸倉に比べ半分留まっている。これに対して復興事業の格差は誰が生んでいるのか? 不公平な行政の体質改善こそ今まちづくりに必要で、平安な町づくりの達成には欠かせない。
地元に支持者が減ると、町外のボランティア・派遣職員と移住者にその支持を求める。こんな姿勢は住民減少の阻止に「町の消滅」を視野に考えるかと言うと、去る者は追わない町を築いてきた人に敬意を払わない体質を思う。問題は町づくり計画の構想失策にある。
亜炭資料館には定礎に三本木町長の名前が記されていた。現在は大崎市への合併で、合併前の軌跡を知る物として存在する。今後、町の施設が多く再建される。「定礎・・・」を私は許せない。人口を半分になる原因の一助に誰の政策の失敗があったか、町民の弱体化に乗じて国と県の予算を当てにしての、右習いの政策を感じる。JR気仙沼線の「陸前戸倉駅」までの運行を、なんで南三陸町が主体とした再建はできないのか。鉄路は残っているのに、これを町の観光の一部として活用すべきと私は考える。全線復旧に1100億円掛かるが戸倉までなら、JR東日本を説得できる気がする。
特別どこにも行かないシルバーウィーク、こんな事を考える一日となった。

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2015
09/22

チームが一つになる

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日本ラグビーチームの快挙が世界で報じられた。一人の選手は言う「それだけの事をしてきた」と、選手皆が胸を張る。決して一人で達成できた勝利ではない。最後まで勝つ事を目標に、ボールを繋ぎ一つのミスでゲームが終わるのに、その戦いの時間を越えても続き、最後に五郎丸が「トライ!」を決め皆が抱き合った。
こんなゲームを民放の放送の終了間際に、志津川市街地の変化をカメラに収め、帰りテレビをつけたら終了の5分前で、日本と南アフリカの最後の攻防で、「ボールを拾い繋ぐ」、その繰り返しが30回以上も続き諦めない姿勢が日本チームから溢れた。瞬間を見れたこの偶然、以外と色々な出来事の時に立ち会って見れてる。
相手の反則で「ゴール」を選択したら3点入り同点となるが、選手全員が最後までトライにこだわった。総ての選択と戦略で選手が一体となっての勝利だ。
森さんオリンピックの準備委員会の会長を辞めて、ラグビーの日本大会に備えた方が、オリンピックの開催が順調に行くかもしれませんよ。
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五郎丸のような若きリーダーが我が町に出現する事を私は願っている。町民総ての事を考える「しがらみのない」「我欲のない」「利己主義に走らない」、純な心の若きリーダーが町づくりを行った方がイイ!

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2015
09/21

志津川市街地の嵩上げの風景


昨日の好天で上の山から市街地の嵩上げの進捗を見に行く。上の山に添うように国道45号の一時的なう回路が10月1日に開通する予定だ。嵩上げと市街地の国道整備はう回路となる道路へと、再度整備され本格開通に向け進む。
以前まで上の山の下を通っていた水道管は、緑地公園の真ん中を通り縦断するように、旧山根地区へと続いていた。被災地の状況を見る為かマイクロバスが一台、上の山の志津川保育所駐車場に止まっていた。この日の市街地の風景も震災直後から、「瓦礫の原野」と「土盛りの原野」と違いはあるものの、住民の暮らす市街地へは4年半が経つのに何の変りも無い。「生みの苦しみ」が今と言うが結果的には町民が志津川から去っている。町民の為の町づくり復興ではなく、町長と仲間たちの町づくりとの感じが、私には強く感じる。
新井田地区の孤立する残った家々がそのまま在り、29年度以降となる新井田地区(中央区)の再生は、震災から10年を要する気がする。新井田地区は町内で一番多くの住民が亡くなっているのに、住民の死亡に報いる町の再建策としては、死者の納得は得られない気がする。今後も町の変化を伝えて行く、生きる限りパソコンが使える限りだ。
会社のホームページを作成した従業員が、震災1年後に雇用し2年間務め、我が社のホームパージを、震災の経過を発信するために素晴らしいデザインで公開していた。しかし、1年半前の突然の退職でホームページが止まっていた。今回、美里町の会社にHP作成を依頼し、4か月を要し新たな物の完成に至った。1年半の震災の経緯の総てとはいかない物の、3年半の町の変化を伝えた。時々は町を考える情報として活用し、真剣に町づくりの在り方と、町の再建政策の取り組の検証を住民で考えて欲しい。
「南三陸町マイタウン情報」も41号を発行済で、毎月第二日曜の発行をしている。これまでは会社再建と自己の健康状況で不規則な形で発行していた。私の新聞を楽しみにしていた、南三陸町の80歳を過ぎた方がこないだ亡くなった。町の変化を私の発行する新聞で確認していたと聞く。南三陸町内の志津川・戸倉・入谷・歌津地区に「1700枚」を新聞広告として配布している。以前は協力者に「1枚7円」の低価格で仮設にも配布して頂いた。しかし、経費を考えると個人的にも厳しく新聞広告だけでの配布に切り替えた。本当は仮設生活の被災された方への「無代紙」としての配布が本意ながら資金的にも無理となった。
できればHPで町づくりの町の取り組みの推移を、全部とはいかないが見られる。弱体化の被災事業所の支援もある。事業所も人口が減少する中で何とか経営を続けている。建設業の復興特需が終われば、新たな町の衰退が見えてきそうだ。

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2015
09/20

私にとっての目標は・・・


私の一番の目標は千葉家の日々の安定であり、次に町の情報発信と町づくりへの意見・被災者への支援活動を上げ、最後に自分の人生の喜び追及にある。
昨日はしばらくぶりの晴天が多少見られ、10日間溜まった洗濯物をかたづけた。震災前までの不規則な生活が体をむしばんでいた事に気づき、生活改善が日々の身の回りの管理と、両親の見守りと安心した老後の充実を上げる。今日も朝に互いの健康について話しが出来た。
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国会の攻防が土曜日の早朝2時に「安保法制」が成立となった。与野党の目論みは理解できるが、日本国民としては将来の国の安定と、世界的な多くの紛争の中で国民の命を守る策を講じるのは国会議員の役目と、この双方の議論・行動は当然と思える。
そんな中でスポーツはラグビーの世界選手権で、日本が世界3位の南アフリカに点の取り合いの接戦で勝利した。宮城県のラクビーの理事をしている方が、我が社へ会社営業で来て、宮城県から2人が日本代表として大会に参加していると聞いた。「私は3位の南アフリカには勝てないでしょう」と話をしたが、何と勝てた。勝因は選手のこれまでの努力と勝利へのこだわりを追求し、これまでの練習に取り組んだ成果だと思う。
野球はパリーグの史上最速でソフトバンクがリーグ優勝したと伝えた。セリーグは3チームが一進一退の戦いを続けているが、昨日の巨人がヤクルトに勝てなかった事で、ヤクルトの勝利への気迫が勝っている事を感じ、ヤクルトのリーグ優勝を私は感じる。
写真は中央区で志津川地区の一番最後に土地造成が終わる場所であり、この現状を見ても工事の大変さを思う。これから中央区の街・国道・河川の整備が進み、並行して工事を進行するのだろうが、これまでの町に無い一大工事に取り組む大変さを感じている。
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昨日は登米市のお店の「さんま刺身」を食べた。盛り合わせ・刺身の摘など美味しさは格別だった。今年のサンマは小さく580円のさんま刺身は6~8切れと刺身大好きの私には物足りない。
今日のお彼岸の入りにあたり、登米市の「愛菜館」に準備の買い物に行ったが、夕方5時には花は売り切れ、物も少なくなっていた。南三陸町では新鮮さ・選択・価格など、地元の買い物は予定どおりにはいかない。家庭らしい四季の行事を他の家庭のようにと、男二人で他に恥じない生活をしようと日々心がけている。

今日は午後に志津川上の山緑地公園から、志津川市街地の嵩上げの状況と進む新井田地区の工事進捗と、国道のう回路の10月1日から予定の状況も写真に収めたい。4年6か月での町の復興の姿を全国に届けたいとの気持ちがある。
最近の日本情勢と南三陸町の再建の取り組む姿が同化して見えてくる。菅による強権主義が各所で見られるが、何もできない自分が歯がゆい。


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2015
09/19

今度は大雨洪水警報だ


昨日は歌津への用事で大雨の中を向かった。時間は8時40分で向かい始めると雨脚は益々ひどくなり、45号の国道は元より町県道までもが冠水となりその水深の通行は怖かった。場所は清水市街から皿貝の寄木への続く道、そして歌津市街地が一番ひどく名足集落までの道々も雨水が勢いよく道路を埋めた。大変な場所は被災地の造成整備が進む場所だった。
石巻地区の牡鹿半島の一部の集落は、がけ崩れによる道路の通行止めとなり、340世帯が孤立したとラジオは伝えた。女川町などには24時間で100ミリの雨量となり、宮城県内は局部的な豪雨にみまわれた。私の用事の時も1時間に20ミリ位だったのだろうか、24時間になおすと大した事はない。今年の局部的な豪雨は、一時間に100ミリを越えそうな地区が、全国に何か所も発生したことは、全国ニュースを聴いてもわかる。
エリアメールは気仙沼地方と南三陸町から発信され、今回は10回を超える位の受信があった。今日も朝1時18分に「土砂災害警戒情報」が発令されていた。一時間10ミリでも雨水の排水は、側溝や排水溝の整備が進まない為に、町の至る所で冠水があるが、川や海に近い場所では雨水の激しい排出が見られた。
常総市のきぬ川の氾濫での川の水の洪水を「津波のようだ」と地区民は話していた。家は流され屋根に上り救出を待つ光景は、正に津波のように思った。
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今回の市の対応に多くの疑問が募り、我が町の行政の考えやそのトップの判断が、危機意識の低さは首長を無難にこなせば住民の信頼は得られるが、問題の発生でその政策と権威ははぎ取られる。
同等の問題を見つけた。常総市役所のガイドラインに市役所も1~2mの冠水予想も出していた。それなのに発電機を一階に置き、住民の避難場所となった。我が町の「防災庁舎」の津波避難マニアルには、「2mの津波の確認で避難行動をする」など、在り得ない行政の決め事に驚く。町職員・住民の死を議論を尽くさないままに、町の復興は続いている。検証をして自然の災害の防災を図って行く事が本分だろう。
「職住分離」は確かに生活場所を低地部から高台への、政策は間違ってはいないが、その時間の長さで人口減少へ繋がった。行政・首長はこの政策による弊害を検証しないままで、現震災対策を講じた。検証による想定の把握で町の問題回避を図るのは当然と思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:36 】

2015
09/18

今度は津波注意報


今朝の町の防災無線の異様な音に目覚めた。時計を見ると3時30分頃と記憶する。「津波注意報」の発令で、昨日のチリ国の地震で、太平洋のハワイに90㎝の津波到達での、日本への津波が5時から7時の到達とのテレビ放送だった。チリの津波は「4.5m」で8人の死者と100人の怪我人と伝えていた。
私の4歳の誕生日に世界最大の「M9.5」の大地震で、30mもの津波がチリ国を襲い、ハワイを通過し志津川地区には「4.5m」の津波が襲来し、41人の死者を町では出した。チリでの津波の波高から見ても到達する津波の高さは想定できる。
午前6時55分の放送で、岩手久慈港で30㎝・宮古で10㎝の津波の確認をしたと、今回初めての津波の確認をした。その後に仙台港に津波到達中と続けて伝えていた。
ジェイアラートは朝30時から5件もエリアメールが届いていた。南三陸町は2カ所に避難所を開設し、学校は全てが休校となり、BRTも全線見合わせとテレビのテロップで流れていた。
2010年の被災前もチリからの津波が発生し、写真の平磯地区のこの場所から、津波の発生を地区民と共に見つめていた。私は自宅・工場の事より体験の記憶の薄い、津波と言う物をビデオに収めたいとの気持ちが強く、両親も会社も避難など何も考えなかった事を思い出す。だが津波は襲来した到達時間とは異なり、波と言うよりも海面が盛り上がり沖の堤防を呑込み、海上の船が木の葉のように舞った。津波は高さで言うと1m位な物だろう。町の漁港で船の沈没が数隻と養殖施設に多大の被害が出た。チリからの津波は海底を走り間違いなく、35年のチリ津波のように志津川に到達し被害をだした。この時も6時間以上も津波注意報は続いた事を覚えている。
人の体に身に付く直感が、わが身の行動にも繋がっていた。私は人間の「第6感」を信じこれまで生きて来た。感性が「私利私欲」に溺れた結果が今回の人命の大被害に繋がった。今の判断は全国の警告で過剰な判断は当然、2011年の災害で自己の判断があり、正当性の反省と行政のマニアどおりの行動と思う。
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昨日は仙台に行って来た。県内の理事・役員の日本の業界を取り巻く問題を聞く。選挙にあたり印刷業を応援する立候補者の地域の支援をと言う。印刷業を取り巻く問題の尽力への、恩返しがここにあり、「公正取引委員会」「経産省」など、印刷物資の高騰の抑制に働き掛けて貰っていた。弱小会社よりも100人前後の大印刷会社の影響の軽減に対する活動を思った。国内・世界の印刷技術の変革を敏感に捉え、会社の維持と発展の活動をしていた。私には似つかわしくない場所と強く思う。今年度で新しい若い会員への引き継ぎを希望している。
10時に出掛け15時に帰って来た。高速道の便利さあっての行動だ。この日は松島~利府間で事故の為か通行止めがあった。上りだったら30分は余計掛かるだろう。
今日は何時になったら「津波注意報」が解消されるのか。そんな中で9時には歌津名足に行き、夜は中学校に剣道の指導に行く。国会のごたごたのスマートさに欠ける、論争行動を忘れていた。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:42 】

2015
09/17

守るべきものは何なのか


「人を簡単に殺す時代」のようなニュースが蔓延する。グローバル社会を迎え国際的な人々の苦悩があり、貧しい生活からの日本への労働者も多い、「私は未だに外国人は怖い」、こんな気持ちが多少ながら拭いきれない。今回発生した埼玉県熊谷市の殺人事件があった、「訳も分からず外国人が騒いでいる」との通報が消防署からあり、警察官が出動し取り調べの途中に、「たばこが吸いたい」と、少しの空きの間に逃走し、家で夫婦が殺害されているのが見つかり、一人暮らしの老人と、家に包丁らしき物を持って押し入り、母親と子供二人を殺害した。こんな朝3時のニュースに怖すぎる日本の国際状況を思った。
昨日は介護施設に母の入所の料金を支払いに行く。来月の10月10日には「敬老会」のような祭りがあり、食べ物と催し物など家族も参加できる。「シルバーウィーク」の来週に向け、父のディサービスでも、お昼には「お寿司」が出て演芸もあったと、笑顔で父は私に話しをする。そんな父はホテルでの町の敬老会には出席しないと頑なだ。知人も体調が悪く今年は行かないと言う。人に絡む事が不得手になっている被災者が増えている。施設の前には写真のような強固な防潮堤が建設中だった。ここには津波は来なかった8mぐらいの場所で、湾の入り江ながら小さな半島があり角度も津波の増幅とはならなかった。施設の隣りと前の6mの場所の水産施設は津波で全壊した。ここには守るべき物が存在していた。
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母は受け答えができるまでに回復した。少しの認知と歩行の困難はあるが、迷惑を掛けないように施設の介護者と楽しく暮らして欲しい。
川崎の介護施設での不可解な死が3件あり、入所者への暴力も発覚した。そんな中で大阪のクループ企業の介護施設が、認知の進む高齢者に「言う事を聞かない」とたたくしベットに投げ飛ばすなど、見るに堪えない行動が家族の隠しビデオで発覚・報道された。施設は半年間新入所禁止の処分を下した。同系列での発覚は企業の体質もあるが、介護者不足で優秀な介護者が少ない事にも原因がありそうだ。
被災後の我が家も母の介護で、家族の中で修羅場を経験している。大震災で生活と心の余裕の無い時に、父と自分は「母の介護」に向き合った。その現実は体験した人でしか解らなく、町の介護支援の職員には頭が上がらない。南方の施設から志津川の施設に入り、資金の面や施設の事故など多くの問題の中で、施設の方々には感謝しかない。
警察官の不祥事があった。殺人強盗だ。男性を殺害し金庫から100万円がなくなっていた。以前に男性の親が家で亡くなり、死亡の検証で交番の警官だった犯人が家を見ていた。強硬な犯罪の理由が「不倫」の果てに子供ができ、生活費に困っての犯行だった。裕福な家庭に婿入りした、「何不自由ない生活」と近所の人は言う。犯罪は直ぐに判るような事件で、捜査一課での勤務もある中で、「見つけて欲しい」かのような幼稚な事件だった。その人間でしか解らない行動は、人類の世紀末の異常行動の一部かも知れない。
世界で発生している問題の最大の責任は人類であり、日本の国会も何処か違うし、国民行動も何処かおかしい。「戦争反対」「憲法守れ」と日本人にとっては犯してはいけない方向に、本当に向かっているのだろうか。
マイナンバー制度による消費税の還元がある。麻生外務大臣の官僚中心の政策があり、大臣は言う「いらない人はカードを提示しなければイイ」と、生活弱者の事など何も考えていない、裕福で傲慢な世襲の姿がここにある。
今日は地域の印刷組合の為に県の理事会に出席の為に、仙台に行く。自分の為ながら余計な事をしている状況にはない今の家庭状況があり、剣道関係も残務処理のような事を今している。これからは無理はしないで生きて行きたい。

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2015
09/16

戸倉地区を昼間通り気づいた


震災後に車検は登米市津山町柳津の自動車会社に頼んでいた。親戚筋の方が震災で家を無くし家族を亡くし営業で来たからで、2年5か月前に志津川商工団地内に工場を移し、震災以前から車検をしていた車会社に昨日頼んだ。広く多くの人を助けたいとの活動に限界を感じている。突然「車どうするの?」電話がきた、事訳を話し理解してもらった。
10時からの石巻日赤病院の診察に9時に出掛ける。水尻川の高架橋建設があり、折立川もこちらも同様の工事が進んでいた。戸倉地区に大きな鉄骨工場が建設されていた。これから進む橋などの再建工事での鉄骨需要にこたえる為の工場なのだろうか? 戸倉滝の沢の被災地に積まれた盛り土の合い間に、工場が出現していた。震災復興はあらゆる方向で進んでいて、私が復興の全容を理解するには難しい。時々町の隅々まで歩かないと益々解らなくなっている。
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石巻までの途中までは変化がないが、津山町に架かる柳津大橋から大河「北上川」を望む、一昨日より水嵩は減っていたが、大雨の宮城から岩手での降水が大崎市のような決壊とならなくて、津山地区の住民は安堵しているだろう。
石巻日赤病院は隣接地に震災後に、震災の体験館のような施設と、地域拠点医療機関としての増築を図り、本吉郡の手前から入る道路が、建設中は通行止めだったが、建設整備が終わるに伴い10月1日から解除と言う。昨日の45号線からの病院への来客は、今までない渋滞が駐車場まで続いていた。玄関に直接だったので15分掛かったが、駐車への患者は30分から45分は要した気がする。病院内の患者は何時もと変わないのに、工事のせいとも言えなく不思議な渋滞だった。診察科に行くといつものように大混雑、志津川からも2・3人知っている顔を見た。顔を知らない人も多く、我が町からも紹介状による患者が確実に多いと思う。
新設「南三陸病院」が完成しても、地元の患者を含め町民の患者が増加となるかと言うと、厳しい経営が待っている気がする。私は地元の個人開業医と、登米市の元主治医を信じ、眼科も登米市に通う。病院は石巻日赤で治療の高度を求める時は大学病院を紹介してもらっている。父は志津川で本格治療は石巻に行き、心疾患でペースメーカーと治療は石巻で、定期的な診察は週一で来てくれる心臓内科の先生に診てもらっている。母も施設で町の病院の定期検診を受け、こないだは仙石病院に1か月入院した。国民健康保険の支払額が来た、「57万」の金額に驚き、日本の「国民皆保険」の恩恵に感謝しかない。
昨日は家を出て帰りは3時と、6時間も通院に要した。こんな生活がこれからも続く事となる。

常総市の不明者の「15人」は何だったのか。「全員の確認ができた」との結果に、県と市の被災者の把握に多くの疑問を思うし、「災害での混乱」との説明にどこの自治体も災害には万全ではない事を知った。いたずらの不明報告も1件あったと言う。こんな大災害の中でも10数軒の「泥棒事件」が発生していた。我が町でも大震災の中で震災泥棒が発生し、逮捕とはならなかった事がある。人間の醜さがあり、これでぬくぬくと生きている人間が成功いるかと思うと、人が生きる事の意味を考えてしまう。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 08:09 】

2015
09/15

世紀末のような時に人間は


昨日は午前に引き継き「安保法制」の議論だった午後、ラジオで聴きながら仕事と思っていたら、熊本の阿蘇山中岳で「マグマ蒸気爆発」が発生した。国会は中断され噴火を伝えている。人間の戦争への加速が世界にあり、自然からの継承かも?しれない自然の警告があった。
今回の大雨は「東日本豪雨災害」と名づけられたようだ。最近の台風の全国の豪雨と言い、東京の直下型を思わせる「5弱」の地震があり、続いて北海道に震度4があった。そして、阿蘇山の噴火は、御嶽山から島の噴火や箱根の地下の異常など、天変地異は偶然の重なりなのだろうか。
常総市の市長の「すべてに避難指示は出した」は、行政トップの部下からの話の報告の無いままの無責任発言で、行政職員は「抜けていた」と話したや、避難方向を鬼怒川側の西にと放送したなど、豪雨によるまさかの決壊に、対策本部の市役所の1千人の孤立など、突然の災害に行政の防災対応の不備を露呈した。まさに我が町と同じ結果で自宅の流失や15人の不明と、不明者の名簿に記してない2人の死亡が確認された。しかし、東日本大震災のように国民のボランティアの活動が更に迅速化の姿を見せた。社協がいち早く体制づくりに動くが、2日頃?から受け入れ体制を整え、市内の住民と企業のボランティアの受け入れを限定し受付を始めた。大震災の教訓がこうして生かされたと私は思っている。
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テレビで自衛隊の特設のお風呂が被災者を休ませ「最高!」と言う。南三陸町も5日目ごろにアリーナに設置され、私も議員活動として、名足保育所の避難所から、児童と先生を乗せていた事を思い出した。
「自分に自信を無くす事が発生した」、しかし、挫折して止まる事ができない今がある。人の為に、この人の為と思えば「がんばらないと!」と、自分を奮起・発奮させて生かされている。目の前の問題を解決し、又問題が起こる日々の連続であり、のんびり立ち止まる暇がない。
来月は友人の他所での「新築祝い」があり、再来月には先輩との慰安一泊も予定している。メリハリのある暮らしで活力を再燃している。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:47 】

2015
09/14

頑張ってー


朝、登録の無い固定電話からの珍しい着信、会社の固定電話からの転送で携帯が鳴った。近くに無く急いで二階に、切れたが返信すると我が社の記事で「志津川の土地の単価は坪単価ですか?」との問い合わせだった。地元紙での内容で、たしか「2.5万~1.5万円」だった。㎡でない事は間違いがない。たぶん疑問は、我が社は町の少し入った道路沿いの住居で「坪8.5万円」だった。しかし、志津川市街地でも不便な土地や農地・空き地は、坪5千円前後の場合もある。総ては土地評価額から算定される。戸倉地区は確か「5千円」と、歌津は「8千円」だった気がする。震災後の土地の格差が町内でも問題として、多くの町民が苦情を言っていた。高台の土地は6万円前後ながら、不便な人たちの以前の土地の買い上げと新たな土地買取の差が大きい事で、町での再建を諦め「坪3.5万」とも言われた登米市のある地区への移転を決め、浮いた値段を住宅再建に回したとの話も聴いた。
現在、国勢調査が町内で実施されている。これによりはっきりした人口が見られそうだ。以前は用紙に記入だったものが、今回からパソコンでのデータへの打ち込みと、二種類の選択となり高齢者も多く、パソコンの使用は2割も無い気がする。私も廻って来た方に「筆記記入」と伝えた。
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ツールド東北が南三陸町を滑走した。河北新報の旗をもった方々を見た。商工団地前でも水などを沿道で手渡したり、多くの声援を送っていた。被災地を走り抜ける為か、建物や住居はなく点々とした人影しか見えなかった。
沿道からは「頑張って」「気を付けて」と声援が飛び、選手は「ありがとう」「頑張って」と、自転車レースよりも被災地を応援する声を聴き元気をもらった。私が予想する参加者以上に自転車の数に驚いた。
昨日は旭ヶ丘団地の知っている方が、父親に会いたいとお昼に迎えに行く時にレースにぶつかった。来客の弁当やお菓子を買いにセブンに寄った時に、私も道路から声援を送り、帰って来る言葉に感激した。私の知る町内の人達よりも町外の人々は遥かに優しい。来客のお二人は75歳を過ぎ一人暮らしだった。これが今の南三陸町の実態です。
私も一人暮らしの予備軍としてあり、将来の生活を楽しむ為にあらゆる手段と方法で、高齢となる生活をエンジョイできるよう、今から考え取り組もうと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 05:35 】

2015
09/13

「越水」「線上降雨体」など耳慣れない言葉が日本を襲う


台風の一時的な突風が南三陸町にも発生した。我が社事務所の目隠しつい立が突風で倒れた。2年と5か月が経つが初めて事だった。8つのブロックで設置していたが、倒れたつい立は車を直撃と、傷がついたが「どおって事はない」、被害はそれぐらいで済んだ。
全国の台風17・18号の大災害は川の氾濫で「越水」と言う現象で、土手を決壊させ常総市の48K㎡の市の3分の1を冠水させた。行政は決壊した地区に「避難勧告」「避難指示」をしていなく、担当者は「この地区が抜けていた」と後に話していた。人のする事にミスはあれど、高給取りの公務員の全体でのチェック体制が、人災の防止となり被害を最小限にする。
防災庁舎での43人の職員や住民から、「大丈夫ですか町長!」とこんな話は出なかったのだろうか。あの体験したことない地震と、直感的な人の感覚で想定以上を想定する人間はいなかっただろうか。こんな事を検証したいと、日々この問いを行政に向けたいと思っている。戸倉小学校の先生方に出来た行動が、「町民を守る為と言い」、別の理由で自分の判断を正当化しているように感じる。しかし、最近は自治体もミスがあるのは当たり前に見え、「モラハラ」「パワハラ」はどこの首長にもあると知る。何か任期が長くなると多い発生している事を思う。
支援ブログ

茨城県常総市の鬼怒川決壊の原因は「越水」と言う。川の防潮堤が下流域の満水と上流からの雨水が川の限界を超え、土手を伝って低地部に流れ出し、川側のコンクリートから外側の土手の土を、川水が浸食し決壊に至ったと、今回の氾濫の原因と分析していた。
大崎市の渋井川も同様の原因で、当初の大和の「吉田川」の堤防の決壊も、「越水」の光景が映され、その溢れるすさまじい川水の流れを見ていた記憶がある。水田の稲刈りも間近かとなった今、今回の大雨の冠水は収量に大打撃となり、泥水がこのままだと米の収穫もままならない状況が予想される。
「線上降水体(アウターバウンド)」は18号の台風の時計周りの逆の風が、太平洋の暖かい海水を巻き上げ積乱雲となり、次々と雲が発生する現象であり、オホーツク高気圧とジェット気流の蛇行が、低気圧の進行を妨げて停滞する事で、同じ場所に長く雨を降らせる。それに17号の左周りの風が積乱雲に吹き付け、更なる大雨に繋がった。
最近の現象ではなく、CO2のオゾン層の破壊が赤道のエルニーニョ現象となり、海水温を上げて日本の近海水温が「2℃」上昇したことで、台風の日本近海の発生になったと専門家は分析する。当初から地球的規模の大気の変化を想定しているのに、人間が対策を怠った事により、こうした災害の多発や巨大な低気圧発生を生んでいる。
常総市の避難場所への支援活動が始まり、常日頃の高校野球球児がお世話になった支援のお返しと活動し、つくば市の市民からの支援物資やボンティア活動がテレビで映し出された。我が町も震災時の支援が全国からあり、被災復興中ながら今回の被災地への迅速な支援をして欲しい。貰う事を当たり前と思う町の体制が気になる私は、今こそ「恩返し支援」を何処よりも早くして欲しい。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 12:57 】

2015
09/12

町の河川は大丈夫?


昨夜の宮城県の大雨災害は、南から大雨範囲が帯状となり宮城の山岳地を北上してきた事があげられる。仙台市内の雨はコンクリートの都市を襲い、町に走る小さな河川を氾濫させ、市街地を冠水させ交通網を麻痺させた。宮城の中央にあたる大崎市古川地区では、大雨が渋井川を氾濫させ、大きな被害を発生させた。
常総市の鬼怒川の大規模な堤防の崩壊は、10K先の低地部へと洪水が走る。常総市役所や病院を呑込み、役所には避難者を含め1千人が孤立した。東北沿岸を襲った津波のような決壊場所の川からの濁流は、津波の威力にも負けない水の力と化した。
大崎には南三陸町からの被災者もいる。私の本浜からも知る限り3つの家族が、色々な事情で移転し永住を決めた。今回の大洪水での影響が無かった事を願いたい。
今回は被災地で多くの病院が巻き込まれ、通院する方々の病状による投薬や治療ができない事に寄る、体調が心配だ。私の関係する「糖尿病」による透析治療があり、被災地での透析患者の問題も浮き彫りとなった。体の血液交換なしでは体を維持できない。水の引かない家屋での孤立があり、透析患者の把握は行政と病院であり、機能しない二つの機関の孤立は二次災害と繋がる。
こうした想定外の被害状況に対応する「防災体制と意識」の確立に、町全体で過剰過ぎるマニアルの確立が求められる。通り一辺倒のマニアルから今回の津波被害を経験し、多くの被災者を出した災害の検証から、他に類を見ない「津波防災体制づくり」が、殉職職員の死を無駄にしない行政の仕事と思う。現在、「故郷に暮らす」と言う意識の風化は進み、住民の「町で暮らし住み続ける」と言う意識の低下が人口減少に繋がっている。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 10:25 】

2015
09/11

宮城県にも大雨特別警報


今日は朝3時に目覚めた。民放は全てがスョッピング番組で、NHKは昨日の栃木県と茨城県の大雨被害を放送していた。常総市の鬼怒川決壊での川からの土手を越えての濁流は、一瞬にて市内を襲った。自衛隊のヘリが家に取り残された市民の救助に活動していて、自衛隊の早期の機動力の姿に感謝だ。震災時の志津川中学校上空を舞う何機ものヘリが夜中の着陸を断念し帰還していく姿を思い出した。
宮城県の「大雨特別警報」は午前3時25分に気象庁から発令され、その後4時に町の防災無線が警報を伝えた。「命を守る行動をして下さい」とテレビは何度も言う。丸森と泉ヶ岳は降り始めから400ミリを超え、6日から6日間で平年の二倍の雨が降った。仙台でも200ミリと広瀬川の増水となり、大和町の「吉田川」からの川水が一気に農地に流れ込み、高い土手と農地が同位置に3時間後にはなっていた。吉田川は以前から台風の大雨などで、川が溢れ平地に流出する事は知っていた。山間地の大雨は川に流れ込み、河川の増水となり今後も岩手県の雨水が、北上川の下流域に増水をもたらす。まだまだ気を抜けない状況に宮城県はある。
南三陸町は山間地の400ミリと比べても、64ミリと大雨は当地区には降らなかったようだ。夜中の4時55分に雨が強くなったときには、「これからか?」と思ったが、私の町は大事には至らなかった。今後の報道に目が離せない。

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2015
09/10

50年に一度の大雨特別警報


こんな高台に水産工業団地を構想し整備した、勝倉三九郎先々代町長の先を見通す力は凄い。水産業に携わる会社にとって、海岸の市場から魚介類を2K以上も離れた場所を選択し、水揚げしての運搬時間を考えると、候補地には相応しくない。そんな場所に6社が水産会社を運営している。低地部での水産事業者は全てが流出し、再建の途上に今ある。
そんな商工団地にあった「石材店」が廃業したか? 写真のような更地になり、建設会社の大看板が昨日通過した時に立っていた。両親を亡くし多くの心の痛みの中で、震災後に営業・活動して息子さんと話もしたが、現在はどうなったか知るよしも無く、その苦しみの深さと悩みを理解する事は私にはできない。行政や被災者支援の相談や「一緒に町づくりを!」との声掛けをして、何とか共に町再建の一員として頑張りたかった。
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100年・1千年の一度の災害は、その周期が短縮している気がする。今回の二つの台風の影響が、東海地方から愛知・岐阜、そして静岡・神奈川・東京・千葉・埼玉に大雨をもたらし、現在は昨夜から栃木県に気象庁の50年に一度と言う「大雨特別警報」の発令を見た。何時に災害が起こっても不思議でない状況と言う。
今後は東北太平洋岸に、大雨の地域が帯状に停滞するようだ。今は穏やかな気象ながら、大荒れとなる前の静けさと言った感じだ。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:42 】

2015
09/09

志津川地区の日々の変化

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昨日は今年初めてのサンマを買い父に食べさせた。魚屋さんのサンマ1匹は小さい物でも100円で3匹を買い求め、勿論自分で料理し食卓を飾った。高い物は1匹200円と「庶民の魚」とは言えなくなった。
しばらくぶりで高台の旭ヶ丘団地に行く。会社の倉庫から工場に変身した屋根のトタンが腐食して、塗り替えないとサビから穴が空くと言われ、その見積を昔からの知り合いの塗装屋さんにお願いしに行った。商店街側から上がり、農協側の反対から下るつもりが、その道路は写真のように、西地区の高台造成で通行止めとなっていた。普通の以前の志津川に戻るにはまだ多くの時間を要するようだ。
震災後に自社で発行する「マイタウン情報」を配達して貰っていた方が、認知のような症状が出始まったようだと聞いた。長い間船員として元気いっぱいの御主人の、老いによる異変が身近な所にもいた。「あの元気な人が」と決して他人事でないと思う。
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議会の5日目、町の問題が色々と議会で正された。7人の一般質問があり、陳情は有志による「安保法案撤回」が議会に提出された。賛成少数により採択されなかった。全国の多くの自治体でも同様の陳情がされ、採択となった議会も多いと聞く。
町の財政難は厳しい事が浮き彫りとなった。気仙沼・本吉広域事務組合の町の基金「3343万円」がある。消防と美術館運営の事業の基金で、財政不足から103万円を取り崩す。と言う、使い道の詳細は判らないが、103万円が財政難の補てんとなるのか? だからこそ町財政が心配だ。気仙沼市も9200万円を取り崩すと言う、被災自治体の財政はいったいどうなっているのだろう。103万の取り崩しは少額と思うが、議員からは「今後美術館をどのよう利活用するのか」や「三陸道の開通で登米市との関わりが強くなっていく」などの意見が出た。
思う限り登米市との依存が強く、行政も登米市寄りの町政となっている気がする。

南三陸町・旧志津川町の存続を強く訴える町民団体の誕生を私は望んでいるが、強い政治の力が阻止へ動く事が、現在の町の「政(まつりごと)」にある。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 11:12 】

2015
09/08

登米市の良さに行く事が多くなった


人との繋がりを再構築する事は私に取っては近頃苦痛となっている。故郷「志津川」で暮らす事の大きな意味は、仕事があるからで生活の糧となっている事が最大の理由なのかも知れない。行政依存の今の生活は、町には我が社を応援していた「お得意様」が他の町に移転し、事業者の廃業もあり日々減少している。そんな中での生活は守りとしての生き方へと変わった。時々の神頼みを幸運を引き込んでくれた。登米市の小さな神社であった。

日曜に「そこまで言って委員会」に安倍総理が出演した。30問のイエスとノーの答えは、真剣に日本を考え、将来の日本構築しようとする姿を見た。民放のテレビに出て政治の綻びが出ないよう、一語一句を注意しての発言にも笑顔を欠かさなかった。
「戦争法案」ではない! と言う。メディアも一部の国民も過剰に反応するのは、「原爆や戦争は嫌だ」との多くの国民が死んだ敗戦国としての反省がここにある。
戦後70年の日本総理の談話に、「次世代の日本の子ども達に戦争謝罪や反省行動を引き継がせない」との強い発言に、安倍総理の真意があり感銘を受けた。記憶に残るのはこの部分だけだ。これまでの過程の説明に疑問を持ち、国家秘密がポロポロ出て来る事で政府への不信感と、米国議会での先走った発言が、今の国会を更なる混乱へと引きずっている。強行採決となると強権政治と取られるが、国会規則手法を使い頭を下げ真摯に訴えれば、理解してくれる国民も増える気がする。
強権・強行・我欲・金欲・・・など、利己主義の強すぎる人間は未だに好きになれない。
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登米市南方の「道の駅」の売店では、地元の牛乳によるソフトクリームや、仙台牛の里「南方産」の牛肉串焼きが売られていた。道の駅には農産品や味噌や米など地場産の物が豊富に店内にあったが、さすがに海のものは少なく、我が町の道の駅の目玉はそうなると「海の幸」が主品となるだろう。農家は置き去りとならないような、道の駅の在り方を商工店主だけでなく、皆でその決め方を話し合ってほしい。全て町民はその見張り番として、横暴な行政や商店主の特別視した結果とならないよう、注視しないといけない。町民皆の町づくりであり、商店や仲買の町づくりであってはならない。
登米市にはその他にも「米山」「米川」「迫」にも道の駅があり、山の幸が地元の人達の買い物の場所となっている。志津川の道の駅となるのだろうが、観光客相手では商売としては限界がある気がする。
震災直後の仮設商店街の震災景気の継続は難しく、新たな営業戦略で観光客の獲得を模索していく事で、大金を掛けた出店者の保護に繋がる。町民も大きな顧客として考えて欲しいが。大手
スーパーの29年の出店は大きな影響をもたらすだろう。
志津川地区の商店街も29年の整備の完了と、自元でも商売の競争が始まる。
現在、市街地の嵩上げした大地には、新しい国道となる位置に舗装の準備がされてある。後一年が早いか遅いかは関わる人達にとっては、特別な思いがある。町を離れた町民にとってはもうどうでも良い事のようだ。

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2015
09/07

災害公営住宅の20年後に光と影が


昨日の朝に地響きと共に大きな雷があった。雨も降り北の低気圧と南の高気圧による、停滞前線が列島の南から北へと続く、この状態が昨日に千葉県に竜巻を発生させ、その被害は津波を彷彿させる。
「ダウンバースト」の異常気象も一週間前に小さい物ながら自宅で感じた。二階のサッシのドアが一瞬の突風で開き、何度も鳴る不思議な音で気づいた。また、土曜日には午前中だけで3回の地震を感じた。多くの自然の現象の異常に地球的な異変は間違いなく起こっている。地震で言えば小規模な物は大きなエネルギーの発散であり、大地震の発生を低下させていると言われている。
幸いには南三陸町は異常気象での被害は無く、場所的には平穏な地区と言え、津波を除けば住みやすい所と言えるかもしれない。
気仙沼のとある高台で、造成が始まってから2年位で宅地整備と災害公営住宅が完成し、現在住宅建設ラッシュとなっていた。平坦な山を選択し高台移転の場所とした事が、早期の住宅再建に繋がった。ハウスメーカーも繁忙期前と多くの建設現場があり、地鎮祭も2つ3つと掛け持ちする神主さんの姿を見た。
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気仙沼市の災害公営住宅の入居者推測では、20年後には空室が半分になるとの報道記事に目が止まる。全ての被災の小さな自治体で人口減による、同様の現実が待っている。自然死と出生低下による自然減が日本に過疎指定の自治体を、今後人口減少の波が襲う。南三陸町も20年後、さらに25年後の時には人口が5千人を割る。政府の地方都市の抜本的改変を考え、余計な国費の投資を社会保障に蓄積して置いた方が、現実を考えれば得策と私は考えてしまう。
こんな将来像は私の町づくりには無かった。二世代三世代が共に暮らし、子供達の声が飛び交い、若い夫婦の笑顔がそれを見つめ、祖父母は静かに余生を送る。こんな状況で永続とはいかないが、少し長く維持される町づくりを想定していた。当初約4千億円と言われた復興交付金の使い方に、頼もしささえ感じていた。しかし現実の厳しさに、町づくり計画は何なのかと思い始めた。4百戸から5百戸とも言われる災害公営住宅は半分になり、維持費も大変だが、中国の人が住まない高層住宅街のゴースタウンを思い起こす。
岩沼市のとある地区の町造りは、平坦な地区で地域が津波で流出し、3K内陸に2mの嵩上げで、地区民が中心となり市は当初口を出さなかった。半年後に再建計画が決定し、2年で整備が完了し、震災2年半で住民の住宅再建が始まり、現在は以前に負けない地区形成へとなった。1700人居たが1000人にまでも減少した。近隣が大都市とあり移転は2年半でも加速していた。最終的に住民の提案に行政は各地区の復興の公平を図る為に、全て住民の構想どおりはならなかったが、住民のアイデアと資金・労力で、自分たちの理想の町を造り上げた。こんな昨日のテレビに我が町の再建の在り方に、多くの間違いと行政主導ありきが感じられ、多くの住民活動は町のパフォーマンスの造られた場所だけと感じた。
我が町で言えば平坦な「入谷地区」がそれにあたる。水田が広がる地区で1mの嵩上げで、1年半で被災住民の再スタートの場所の整備ができ、こんな人口減少を生まずに済んだかもしれない。町の描く戦略的な町の復興に溺れた結果が、多くの町民の南三陸町からの脱出となり、高齢化の加速に繋がった。住民の為の町づくりではなく一部の住民の為の「行政の行政による行政の為の町づくり」である。
私も小さいながら自宅と工場も、維持して行く事は「20年前後」と予想する。同じような現実の中で楽しく生きたいと思っている。悲しい先の事は考えまいと言い聞かせながら。

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2015
09/06

企業拡大と企業誘致にもっと努力を

我が町の震災後の企業誘致は、震災前からの入谷地区の「シルク総合開発」と、ゴミの有効活用に「アミタ」がガス発酵エネルギーと農地への液肥の活用と、「ミシン工房」の被災者の働く場と新たな職場としての雇用を生んでいる。その他には17年度の以前のあったウジエの再建ぐらいしか報道にはない。「労働者がいない所に企業は来ないむ「人口の減少の町に店舗の出店はしない」・・・など、こんな現実に町の復興の厳しさを感じている。


3日前の三陸新報に気仙沼市本吉町の小泉地区に、トマトの大型生産施設のスタートの広告が大々的に掲載されていた。
本社が東京で施設本部が愛知県にある「井関農機株式会社」が施工し、施工管理は全国農業協同組合連合会宮城県本部が名を連ねていた。
「夢ある農業応援団」の井関が提案した事業として、水耕栽培によるトマト生産会社だ。雇用は30人を超え取締役は地元の人材を登用し、地元に根付いた首都圏への新鮮トマトの供給がある。これからも商品開発などで地元への新事業への拡大も見込まれ、将来に繋がる事業展開の姿がここにあった。
気仙沼市の各種多様な町づくり事業は、総ての市民への繋がる事業として震災からの再建を進めている。「観光立町」だけでは町づくりは難しく、総ての町民が潤う事業が、企業誘致により成り立つと思う。
一時産業は昔から引き継がれた「食文化」として決して絶える事はなかった。全ての自治体は観光での交流人口の拡大を目指し、他の市町村に負けない観光地開発は、資金力による競争もあり必ずすたれる気がする。継続する為には国の支援も必要で、震災復興の交付金は必ず終わり、自助努力により町経営は他力では、将来への希望は薄い。もっと多角的な町経済の構築に町は取り組むべきだ。
10年後に1万人、30年後は8千人と、町の疲弊は人口に比例する。こんな事を深刻に捉えず、町づくりの修正もしない行政に将来はないと私は思っている。
震災後に私の知人に「水耕栽培」の事業を進めた人が居た。投資は2億円と言い、補助金で7割は補てんされるような事業だったが、町トップへの反対派として行政は受け入れをしなかったのだろう。もしこれが真実の事実としたら広大な浸水域の農地の新たな開発となった。知人も農業人ではないが、挑戦していたら町の発展に繋がったかもしれない。農地は塩分を含んでも水耕栽培なら、直ぐに事業始まっていた。本吉も取締役は建設会社社長と言う。町再建の事業はチャンスを見極め実施が欠かせない。
企業誘致の一番は働く人間の確保がある。人口減と高齢化が進む町に企業が来るのは難しい気がする。

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2015
09/05

60歳を迎えようとする私には先の見えない町づくり


昨日は歌津石泉まで納品に行く。途中で見つけたのがトンネルで、たぶん三陸道の通過道路に下にあたる、道路の交差点部分だと思う。45号と平行し走る高速は「山と山」を繋ぐ高架橋が見えない所に建設されている。予定だと今年度は小森まで、次に商工団地までと、一年度おきに北へ北へとインター建設が完成へと向かっている。4年後の「63歳私たちは生きているだろうか」との話で昨夜は盛り上がった。

10歳上の兄貴たち二人の突然の誘いに、将来の町と自分たちの話で盛り上がった。病の淵から12日ぶりの復活と冷たいビールは最高だった。料理は家では食べる事の無い店の味を色々楽しんだ。少しずつながら、エビチリ・ゲソサラダ・冷やしうどん・ギョーザ、続いて焼き鳥・焼きそばと、アサヒスーパードライを3杯飲んだ。当然、朝の空腹時血糖値は「205」とだいたい予想どおりの値だった。こんな事をしていたら兄貴たちのように70歳までは生きられない気がする。でも楽しい夜だった。
南三陸町の志津川には気軽に飲めるところは無く、人目を気ずかっての席に横山「さくら」さんでの会だった。
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多くの電話でのやり取りは、10月11日の秋刀杯剣道大会参加と、同級会の会費集め、知人に働く人を紹介してや、2軒の納品と用事色々。そしての飲み会だった。11月中旬に「一泊旅行」も段取りをと言われ、4人での今年の汗流しの旅を企画する事となった。こんな事をするのも何年ぶりになるだろう。
今日は「大安!」、南三陸町にも「地鎮祭」を行う方が多いだろう。被災地全般ながら土地造成も完成率が5割を超え、各被災地の再出発の地鎮祭が今日のような晴々しい中で開催できる事を願いたい。
歌津枡沢の災害公営住宅の設計ミスと、議会で町長が認めた。建設設計会社と住民との「桜植樹祭」が5月にあった。終の棲家と決めた町民の災害公営住宅への入居での、雨漏り・カビの発生は住民の町への不信となった。
私の住宅建設の二重払い分も、自己の努力で弁護士の「戻らないでしょう」との意見から、愛知県の職員の活動により、互いの負担の少なくしての和解決定に一歩と言う所まで来た。自己の努力なしに多くの問題の難局を乗り越える事は無理である。誰も助けてくれる事などしてくれない。町はボランティアの支援・全国から見舞金・寄付などで再建に向かっている。
10年後に人口は1万人、30年後に8千人の新聞報道があり、今度は町長の口から45年後は「5千人」との町の予測報告に驚いた。何も対策の効力無しに合併特例債や更なる町づくりの交付金は、何のための町への交付金かと思う。頑張る企業には応援するとの町の方針は何なのだろう。後ろ向きな自治体には過剰な交付金は無意味と思う。
耐えに耐えた生活で再出発を果たし、次の時代への町民の引き継ぎこそが町再建のカギと私は思う。

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2015
09/04

楽天大久保は今年だけ?


先月の30日の剣道大会の帰りに伊里前商店街の前を通ると、警備員が沢山いて、駐車場には車がいっぱいと大型バスがいた。何か商店街でイベントかなと思った。道の脇に楽天が試合の看板があり、めずらしく歌津の商店街に多くの車の意味が分かった。
歌津の潮風球場はグランドコンディションが悪いために、ファンとの交流会があったと聞く。選手の身長の高さに仲間は驚きを隠せなかった。昨日はチケットの払い戻しが防災放送で流れていた。南三陸楽天応援団では29日にプラザでもファンとの交流があった。今日のスポーツ紙に楽天のGMに星野氏就任との見出しがあり、大久保監督の就任への不信の中で、星野GMの来年の楽天立て直しが楽しみになった。
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昨日は県議会で22億円の補正予算が採択された。中身には南三陸町防災庁舎の「県有化」にあたり、庁舎整備保存の為の予算も入っていると言う。サビ止めの補修などで2千万にも満たないと思った。県予算が防災庁舎の県有化にあたり、ラジオでも県補正予算額が取り上げられた。

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2015
09/03

震災死の慰霊碑は何時に


約800名の南三陸町で亡くなられた「慰霊碑」は何時になったらできるのだろう。9月1日の防災庁舎の「県有化」の協定が締結により、平成43年3月10日までの20年間は、防災庁舎・土地も県へ移譲される。西側地区の「祈念公園」への慰霊の場所の設置はいったいどうなるのだろう。
町長を守り「生きて町再建をお願いします」と託された、殉職職員への町長の思いはどういう形で示され、亡くなられた町民の慰霊は行政の役目として、早期の建設は当然の事と思うのだが。
今日から議会と言う。7名の議員が町長への一般質問で檀上に立つ。慰霊碑の問題を是非「どうするか?」を町長に問うて欲しい。「復興計画」には10年間の後期に祈念公園に「慰霊碑建立」があった。多くの全国からの義援金に、「慰霊碑建立支援金」もあるはず、その資金の明確化と使い道をしっかりと行政に説明を求めて欲しい。町長に近い与党が多く在籍し、町長が困る質問は出ない気がする。
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知人の父親が亡くなり葬儀に行った。まだ震災の大津波から逃れた家も多い集落は、自宅健在の地区で多くの近隣者が参列していた。喪主は父の姿を見ながら生活をしてきて、今後とも同様のご支援をと涙ながらに地区民にお願いした。
菩提寺には数体の「お地蔵様」があり、自然と目が止まり死者への畏敬の念に駆られた。笑顔を絶やさないお父さんの顔は私も忘れないが、孫たちの心にもしっかりと刻まれていた。
家族が暮らした長い志津川町の生活を、今も続けている。父の歩んだ道の継続こそ、町づくり精神として欠かせく必要だ。

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2015
09/02

小さいながらも家業に誇りを


佐野氏のオリンピックエンブレムの「使用停止!」
が今朝の一番のニュースだ。多くのバッシングから「家族とスタッフを守る為」と取り下げ理由を上げた。オリンピック委員会の理由は「国民の理解が得られない」と言う。決して模倣ではないとも話す。「絶対にしてない」「バクッてはいない」の言葉にまだ若者の考えと言う。今回のロゴの決定は不自然だったと他の出展者は言う。「プレゼンが上手い」は口が達者であり、「大手の企画会社の繋がり」はグループ・身内の決定だと言う。多くの疑いのロゴ作品があり、今回新たなデザインの模倣を認め、テタッフのデザインにも模倣が発覚し、指導と監視を怠ったと話す。これを引きずる事は日本の損出で、佐野氏にとってはやり直すチャンスが生まれた。
以前同じような事を体験した。町の観光協会のネット情報の入札に、町で予算化し多くの繋がりを利用し結果ありきの入札だった。こんな事をしなくても思うが、「自分で仕事を作り、自分に水を引く」こんな姑息な事をした。口が上手く仲間だけの利益追求が生んだ問題に、私一人が怒った。早く今やっている事の間違いに気づき、やり直す事で昔のような町民一帯の町づくりができるし、新たな会社づくりができると思う。「もう遅い、何処まで暴走するのか?」。
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東京神楽坂の印刷街はシャレた店に変わっていると言う。土地の安い場所への移転があり、工場・倉庫をリホームし家具店や喫茶店に変わり、新たなスポットとして街が造られていた。製本会社の特殊な工場は二階の搬入口がそのままで、家のデザインに利用され、広い印刷機のあった場所は、そのままで空間を利用しゆったりとしてコーヒー店に再活用されていた。この店もあの店もと、出版会社の街が新しい名所として生まれ変わっていた。
九州のある印刷会社の孫は、祖父が経営していた活版印刷会社を、昔の印刷技術「活版印刷」の継承を決めた。製薬会社の技師として仕事からの転換である。「活字」と「こみもの」を使う植じゅ工としての道を選んだ。現在、活字での印刷会社の維持は大変で皆無となっている中、活字を使わないオフセット印刷と言う新たな時代も終わりを向かえ、「ペーパレス」時代へと進んでいる。そんな中での活字での印字や深みは風情もあり、良い面もあるが印刷経営をして行くには厳しさばかりで仕事は無いと思う。私は活字時代からオフセット時代そしてネット時代の、印刷業の3つの変換期を乗り越え今を生きている。もう古い人間になってしまった。
しかし、何とか新しい時代に生きてはいるものの、経営面から言ったらもう終わりで、早い印刷業の流れについていけなかった経営者となるだろう。活字の良さも、オフセット印刷の良かった時代も、一気に駆け抜けた青春だった。多くのコネと人との繋がりが仕事には必要で、上手に立ち回れない無口な性格は、現代から将来への可能性は低い。「一生懸命に謙虚に頑張る」は今の時代には合っていない事を、分かり今後も「ひっそり」と暮らして行こうと思う、以外と楽な道を選び、言い訳ばかりの人生ですね。

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2015
09/01

早く! 早くッ!


4年6か月が経っても川の流れだけは変わらず、みんなが車で逃げた高台の中学校が見える。土を盛り嵩上げは捗っているようで、盛り土が落ち着き新しい町が出来るまでには、まだまだ先と町民は知っているが待てなく、子供は高校を中学校を卒業し大人になっている。
市街地に「津波避難塔」を小さいながらも造りたいとの考えは打ち消された。基礎を以前の地盤まで打たないと建てられないとの話しを聞く。10mの盛り土の部分から又もとの地盤まで、測り知れない建設費が掛かり、商店再建とて事業主にそんな余裕はない。
日曜に女川・気仙沼・名取の再建途上の姿を見る。行政の再建の遅さに嘆く、新城地区の酒屋さんは新たな再建を、両親と御主人を亡くし、この地で頑張ろうと頑張っていた。ご主人の造った店を思い出に、二人の息子は母と共に昔の店を夢み歩んでいた。名取のおばちゃんはみんなの集まる場所を作り、一人で涙を流し活動をし続け、多くの仲間が寄り添い土地の変化を見つめていた。
山元町は震災後4000人が減少し、町の大半が流出し町自体の再建に苦しんでいた。大部分の市街地からの脱出に車が欠かせなく、車での避難を町では模索し今後の津波対策を考えていた。

町の震災後の再建案に、志津川市街地に二車線での歩道も広い「避難路」の建設と、8.7mの防潮堤と嵩上げも5mだった構想があり、この建設だと、今までに8割は市街地ができていた気がする。志津川湾の入り江の志津川市街地は、6mの津波でも防災庁舎に16mに達し、10mの市街地再健があり、今回の半分3mの津波でも、10mの津波を予想する。町の作り上げ構想する町は再度大被害ととなる。自然の力は益々増す気が私はする。
私の商店再建は慰霊の場として、伝統と歴史を伝え皆が集まれる場所を構想し、新しい町を自分なりに楽しもうと思う。

【 未分類 | CO:0 | TB:× | 07:46 】


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