ARCHIVE - 2015年07月

2015
07/31

震災復旧・復興の差は復興計画に問題あり

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気仙沼市のある地区の高台造成地を見に行った。27年6月に造成完了し計画通りの、仮設と同じ長屋敷の災害公営住宅と戸建は、住民からの被災後のコミニティー維持の為と要望が受け入れ実施された。町の議会にも町民から「長屋敷」との要望もあった気がする。CIMG3005.jpg
昨日はお昼のNHKで「被災地から」の番組では南三陸町が取り上げられ、亘理などは2割まで仮設生活者が減っているのに、南三陸町ではまだ7割が仮設生活をしているとアナウンサーは言う。市場前の食事処の清吾さんのギターでの「上を向いて歩こう」の光景が脳裏に残り、ある漁業者は自分一人が再建しても、以前の地区の皆さんが助け合う事で仕事ができた。昔のコミニティー再建が復興の姿と話す。寄木でヒツジの飼育を始めたボランティアさんが町に定住を決めた。「寄木のみなさんに感謝です」と話す。また、「夢に向かい頑張ります」と志津川の千葉さん、「息子の結婚と孫ができる」こんな事を夢見る。いぶし銀クラブは、高齢者に何かをしてもらう団体で、仮設から是非施設に来て下さいと言う。「生活不活発病」からの脱却を図り、高齢者が町を支える活動をしている。将来は閉所したシルバー人材センターの再建を夢見る。
多くの町民に応える町づくりが行政の仕事ながら、その声がどこまで聞き入れられているのだろうか。28年末に住宅再建の整備は終わる。土地引き渡しとなった時の、またの混乱とならない対策を、今からどうするかを町は想定をして欲しい。
2011-04-24 13.52.47
南米チリ国の「M9.5」の大地震で、太平洋を横断し三陸海岸を「チリ地震津波」が襲い、南三陸町に41名の死者を出し、志津川の平磯地区に5.6mの津波が押し寄せた。私の旧地区「本浜町」も一階の軒下まで津波が押し寄せたと父は言う。
入り江の戸倉折立地区にも約5.5m近くの津波が襲来し、ある人は「仏壇の上がり助かった」と言う話も聴いた。
チリ津波で志津川地区の防潮堤は「5.4m」の高さだったと記憶する。今回「千年の一度」の津波は、戸倉折立には最大の「22.6m」の津波襲来で、次に志津川地区は「21.5m」の津波の増幅の原理により、市街地を全て呑込んだ。当初、気象庁は6mの津波警報を出したが、リアスの湾入り江には21m・23mと津波増幅をした。仙台空港を見れば内陸の場所であり「3m弱」がロビーに押し寄せた。入り江と平地の差は歴然である。

大森地区の加工場用地の防潮堤は「8.7m」で防潮堤が建設されている。ショッピングモールや土地換地の商店街は「10m」の防潮堤で同等までの嵩上げで現在工事が進んでいる。市街地の整備はこれで大丈夫なのかと私は思う。自然災害は人間の想定を絶する事を、今回の津波で把握しているのに、防災庁舎を同じ場所に残し、市街地を同じ場所に形成し、再び予想される大津波に甘いと感じる。町の総てを20m以上の高台に形成し、リアスのジオパークとして津波が再度来ることを予想し、多くの復興交付金を町民の高台生活の予算に回す事も視野に入れるべきと思う。
そうすれば住宅再建・町づくりも、もっと早くでき人口流出も最小限に抑えられ、新たな産業形成も図られたのではないかと思う。
私の暮らしていた「志津川地区」は、2052世帯が津波で被災し人口は5832人が震災前に暮らしていた。袖浜や林・大久保は入っていない。

27年5月現在、志津川地区は5711人となり減少率は「26%」で、南三陸町の中で戸倉地区と同じ減少率となっている。志津川市街地だけで「2052人」が減少し、震災死は全体で793人ながら志津川地区だけで500人前後の人が亡くなった。志津川地区はこれからも「みなし仮設」の終了時には再度大きな減少となる気がする。28年度がその期限だが、現実的な改善の対策はない。
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2015
07/30

みなさんと共に帰りましょう


沼田地区にも「精米機」が地区の外れにある。我が家でも親戚でコメを作っているので、30Kの玄米を貰う。二人だけの生活には毎年2表余り間に合い、仙台の兄の甥っこ姪っ子の子沢山の家にも、時々お裾分けをしている。
こないだ沼田地区から平磯へ向かう細道の光景にこんな場所がある。震災前は田んぼと緑で覆われていた場所には、精米機の場所から現在5軒の家が新築となり、道路沿いには高台移転の「平磯団地」もでき家の6世帯は完成している。その向かいも造成が進み、今後家が建ちそうで、町のあちこちに家が建つのは良いが、少子化と高齢化で夫婦だけの高齢世帯になったときの買い物などの生活環境の大変さを思う。
私は仲間の新築物件内を見るのが苦手だ。何かしげしげと覗く感じが嫌で、自分の参考にとは思わない。話を聞くと「ベット」を入れたと言う。60歳をまじかに向かえようとしている仲間たち、寝起きは布団よりも絶対楽な事を、自分自身も安いベットを購入したので、日々寝起きの立ちあがる事の楽さを体感している。父親にもとベットを進めるが、「俺はイイ」と90歳を過ぎてもこのままで良いと、いまだに頑固を通している。これが色々な生活不便の中で生きる「バネ」となっているようだ。
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昨日も登米市横山の仮設に物資の「じゃがいも」を少し持って行き、欲しい方々に配って下さいと自治会長に話すと、快く引き受けてくれた。帰り際に「家で作ったササギ食べますか」と言われ喜んでいただき、キューリは入谷から貰いものだけと「どうぞ」と3本貰った。その獲りたての地物野菜は昨夜の食卓にプラスした。この日もお金の節約の生活だった。互いに「物々交換ですね」と、助け合い生きましょう、そして町に帰りましょうと伝えた。「大変だけど」と声が返ってくる。
被災者の事業補助や生活補助を、政府は厳正に厳しくすると言う。震災直後のゴタゴタの政府の不備を利用し、多くの補助を受けた人たちも多い中で、やっとこれから事業の再建・生活再建と動き始めた被災者に、国民に更なる壁として覆いかかっている。各省庁と県の関係部署は、対象者となり被災事業所を心を込めた精査で、補助判断をして欲しい。多くの知識と大きな伝手を持っている人達との「格差」を真剣に考え、悪者と頑張って生きようとする弱者を、見極め支援を考えて欲しい。
震災の混乱の中で多くの支援金で潤った人、支援金を独り占めし大きくなった人、いろんな人達の顔を見て来た。「顔が変わり」「鼻で人を笑う」、こんな人たちが町に多くなった気がする。

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2015
07/29

被災地支援「愛の福袋」に感謝


登米市に何件かの用事に行き突然の極地豪雨に直面した。多くの南三陸町被災住民が登米市鹿賀野に新築移転をした。この鹿賀野地区は石の森地区と言う事を初めて知った。佐沼地区にあり役場も近いのに昔は「石の森」だったが、迫町佐沼から新興住宅地が出き発展した地区である事を感じる。周辺にはスーパー・電気量販店・コメリ・イエローハット・本屋・食事店など、生活をするのには申し分ない場所だった。
「ここまでが限界」がここに移転した方の理由にあった。私も震災3年目の25年で、仲間も25年・26年が再建のピークだった気がする。南三陸町で共に暮らしていた同級生の、半分は町外での再建を果たし、その半分が地元再建し、残りは高台整備がされてからとなる。
志津川東工区西の土地希望者も27年度中の土地引き渡しと聞く、出着た所から土地が取得でき建設へと進む、東の東も引きを渡し1か月余りとなったが、いまだに基礎工事が始まる所はない。市街地住民の再建の厳しさが伺える。
写真は東工区の西に位置する「幼稚園」の場所だったが、土地造成の中心となり、今は中瀬町のお寺の墓地駐車場に再度移転している。子どもの成長は早く「この5年」の果敢な成長期の大切な時期に、狭い環境での生活があり、幼児期の町の子供達に被災地の厳しい生活は、なんの「成長の肥し」とはならない。
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東京都以南の被災者支援団体「愛の福袋」の皆さんに、「いま被災地で何が必要なのか?」を教えて下さい。こんな要望があり民宿で25分間話す機会をもらった。被災の厳しい現状ではなく、何が私たちにできるのかを知りたいと言う。ある意味「震災風化」をこんな所からも感じる。遠くは福岡から御出でになり、3日目は気仙沼と陸前高田に行くと言う。多くのお母さんたちで家庭の防災対策にお役に立てばと思う。
「糸はしっかり繋がりました」。

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2015
07/28

目標に向い「節約」と「経費削減」


先生、こんな食生活で糖尿病大丈夫でしょうか。
夕方に豪華な「おすそ分け」を頂いた。咋朝の「うに開口」に5時起きし、南三陸町発信のブログの写真を撮影した。このブログのアクセスは最近ない「80件」にも及んだ。やっぱり南三陸「うに丼」は全国的に魅力がある事を知った。
晩御飯の食前に、ノンカロリービール一本と生うにの小鉢、勿論最高に美味かった。
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志津川市街地の低地部開発は「まちびらき」と同じ頃の28年末に土地の引き渡しがある。相続の困難な土地で税金も発生する土地、有効利用で税金分は捻出しないと、自分の経営・生活も行き詰まるだろう。新事業での15帖ぐらいの変わったプレハブを見つけた。後1年半の事ながら、今から胸がワクワクする。意外と私の「天国の楽園」はここ南三陸町志津川にあるかもしれない。
主食を紹介したい、笑う! コメは親戚が食べてとくれたもので、その上に「油みそ」を載せた。おかずは「カボチャの煮物」で、一昨日に収穫し2カ所が痛み始めていたが、皮の分だけだった。油味噌も貰い物。カボチャは適度にカットして鍋に入れ砂糖をまぶし、30分浸みらせてから水を入れ煮込む。最後に醤油を少し入れる。昨夜は美味しく出来た。私の料理の趣味は普通を越えたかも知れない。
食前のビールも貰いものだ。昨日は家に詰め仕事をし、車も乗らずに済んだ。意外と節約生活は面白い。しかし、時々の外食が少し贅沢かも知れない。

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2015
07/27

うに開口

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昨日の午後、町の防災無線が明日の「うに開口」を告げる。朝、4時半から7時半の3時間が捕獲の勝負だ。聞く範囲だと「捕ったウニ殻は海に捨てない」「自分での捕獲で漁協の買取はない」「野島以外で捕獲する」・・、こんな内容で志津川漁協は組合員に開口連絡をする。今日は絶好の漁業日和で「べたなぎ」で漁もし易い状況、こんな日を「開口日」と漁協が決定する。
この写真は「はまゆり大橋」の中間から撮影した。荒島とデベソ島の周囲が漁場と選んだ漁民が10隻集まっていた。砂浜はあるもののまだ海水浴場としては整備されていないが、「サンオーレ袖浜」の海水浴場の復旧工事は決定したが、もう少し先となりそうだ。60歳前後の私たち世代は、大森海水浴場と袖浜海水浴場の中間に荒島が鎮座し、切り立った崖がこの両側にはあった。干潮時には大森から荒島までは行けたが、荒島から袖浜までの海岸線はその行く手を崖が防いでいた。ここは人が立ち寄れず、うに・アワビの住家で、昆布・若布・カジメなど、魚貝が生息するには最高の場所だった。
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5月1日から8月31日までが「うに丼」の期間としてある。しかし、年中、「うに丼」が食べられる今となっている。ウニが産卵期に入ると白い部分が身に混じる。昔から「旬の今」にうにを食べるのが一番美味しい。温かいご飯茶碗にうにをスプーンで3杯ほど載せ、私は醤油をたらし「かきこむ」、こんな食べ方が最高と思っている。私の周辺にも「うには苦手」「食べ過ぎるとお腹をこわす」など、人により好き嫌いも多い。地元でもこんなにうにを食べる事はない。昨夜も知人が持って来てくれた「塩うに」を食べた。
夏は南三陸町の「うに丼」も旅の楽しみの一つです。
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友人が登米市に今日の引っ越しをした。寂しいよ! 死ぬまで「南三陸町志津川」で楽しく暮らすはずだったのに、何故なんだ。
私の友達同級生の子供達の結婚・孫の誕生と、多くの問題の中で、「何時までも仮設の生活を続けられない」、こんな年代のせいもありそうだ。
子ども達の新たな出発に「資金提供」も親としてしないといけない等、被災した仲間たちの両親の事そして自分の事と、総てに悩み苦しみ地元再建を諦めた他の仲間も沢山いる。ここで暮らし続ける事は当然の考えながら、長引く土地造成に「別にここでなくても」「子供達の事を考えたら何処でも」と、新たな60歳を過ぎての生活行動を模索する。
やっぱり待つ事の限界は2年だろう。二年で出来る住民再建の場所を町は考えるべきだった。また、短期間でできる移転土地の確保にもっと本気であたり、土地代の軽減策を講ずるべきだった。町長が鉄路の復活を早々に諦めたように、貴方の政策について行かないと決定が、町民の町からの脱出だ。
「安保法制」の議論が参議院で今日から審議に入った。安倍総理の早急な法案の通過は、米国議会での「夏まで」がある。国民の5割以上の反対に対する総理の決断は、アメリカとの約束の筋を通す事とでは、民意とどちらが大切か。
「日本を守る・国民の生命を守る」、安保法制の大切さも私は理解するが、もっと議論を付くし正直に国民に訴えないと、安倍政権の今後は参議院選の結果に大きく現れると私は思う。政治は同じことを繰り返すが、ここまで頑張った安倍政権、立ち止まりもう一度、政治政策の推敲をしたらと思う。国会論争を明日から見ます。また同じ議論ではなく発展的な論議をし尽くして欲しい。

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2015
07/26

篤実に会いに行く

270726ブログ
朝5時30分に伊里前商店街で親友と待ち合わせた。少し前に着き歌津の慰霊碑のある歌津駅裏の高台を望む。24日に建立式を終え、下の駐車場からでも「観音様」がある事で、その場所を確認できた。
歌津湾の朝日の毀れる海上を、高台から観音様が下界の人が作り出す姿を見つめる。「遅い」「町の復興の公平化」「死者への心からの供養」など、その行動を監視するかのようだ。
慰霊碑に刻まれた方の8名の名前に思いを馳せる。山口さん優しい人だった。小野寺さんも気遣いに感謝し、まだ若い井上君・三浦さん、多くの心残りで天国へ召された。牧野君は農業委員会で町の農業振興に一生懸命だった。
篤実はベガルタを応援し、楽天を見なから美味しいビールを飲んでいる。また、ゴロフ談議で酒を酌み交わしたい。「釣りへは行ってるか」、君が大好きな多くの大きな魚も君が来るのを待っているぞ! 大好きな歌津湾の今日は「なぎ」だ、さあ出かけよう。
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観音様の建立は「怒り」「悲しみ」「怨念」があり、年老いてもまだ納得できない町の対応を、その矛先に慰霊碑建立を感じる。
私の町づくりへの住民再建への遅すぎる事での反発が、多くの行動力の原動力にある。ベイサイドでの行政の二次避難説明会での、「住民は大好きな南三陸町志津川で死んでもここにいたい」と、町長に訴えた。しかし、多くの町民が町の復興の姿を見ずに天国へ旅立ち、町を離れ他所への移転を余儀なくされた。
震災後の故郷「南三陸町志津川」への帰りたいとの気持ちも、大きな風化の渦に埋没している。

昨日の志津川湾夏祭りは、市場がメインの会場となり、町外から町で暮らす人たちが、わざわざ新漁港市場まで足を伸ばす。そうしないと祭りを感じ取る事はできない。以前の町中の夏祭りは、家に居ながらにして祭りに参加し浸る事ができた。これからの市街地整備は観光客向けの「夏祭り開催」へと、荒島神社例大祭は観光の為のイベントと成り下がる。京都の祇園祭のように、都の賑わいの創出があるのに、利益主義がまかり通る社会へと町は変わる。
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志津川中学校卒業の還暦祝い同級会を来年2月に予定し、物故者の供養の「角塔婆」の立てる場所を見に行って来た。
志津川中の同級生は、志津川小・清水小・荒砥小の3校から集まり、約240名の5クラス編成だった。今回の物故者には3.11の大震災で10名前後の死者が増え、22人を超える事となった。60歳でのこの数は、中型漁船の海難事故での死と、交通事故も多く、社会問題での死も現世の置かれている状況を反映している。
これ以上の仲間の不幸は当分の間ないだろうと思うが、せめて80歳までは生きようと、仲間で話す。物故者の塔婆建立を「8月9日」に行う、同級生の都合の良い仲間は集まって欲しい。そして、来年の1月末の週末に還暦祝いを予定し、平日を避けみんなの意見で土曜日宿泊で計画は進んでいる。


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2015
07/25

生みの苦しみ


今日は志津川湾夏まつりなのに、天気は雨模様となりました。トコヤッサイなど多くのイベント出演者はがっかりでしょう。天気予報は「曇り」ながら明日は「曇りのち晴れ」、午後からの祭り開催で雨が止む期待は大です。
写真は新井田地区の河川の変更による工事と、45号のルート変更の嵩上げされる入口にあたり、その場所がここで大きな「う回路」となっている。
道路渋滞がここから旧駅前まで続いている。込み合うのは役場・病院・工事関係者・加工場従業員が帰宅する夕方で、5時15分から6時15分です。昼間はこの商工団地と東工区に多くの人が働いている事を示している。また、朝はその逆となり7時45分から8時15分頃が出勤のピークとなっている。その中には多くの大型トラックもあり危険がいっぱいながら、南三陸町は意外と大事故はないと思う。
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突然に交互通行の交通整理の「止まれ」に会う。う回路とトラックの蔭から突然見える、よそ見は被災地では最大の危険・事故を生む。夜はもっと危険でアスファルト舗装など、工事車両の拡大で道路の劣化も早いためだろう。市街地の電線工事・水道管工事・外構工事などの多くの復興事業があり、全面通行止めはう回路の設置など、道路を造ったり壊したりの繰り返しだ。嵩上げも「仮置き場」なのか「一時の土盛り」なのかは、生活している住民には分からない。三陸道の工事の土も同じように、空き地と言う空き地を利用し、残土の一時置き場として町が取得した場所に大山のように盛られている。
「無駄が多い」と被災住民は口々に巷で話す。
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朝8時から「交流会」で多くの支援の繋がりとこれからの絆の維持について話す機会を得た。
福岡・広島・愛知・東京など、全国の方々が参加した被災地支援の会で、広島に避難していた袖浜「明神崎荘」の奥さんとの関わりで、被災地の現状を各県の仲間の皆さんへの「被災地発信」と、会員の皆さんで支援し早く南三陸町の民宿再建を願い、開店支援として皿など送り、早期の帰還の達成への活動を続けている。
8時30分には気仙沼と陸前高田への被災地の現状視察と、支援に何ができるか調査に向かった。23・24日の来町で仮設生活者への支援をし、南三陸町で宿泊し時間の限り被災地を学び、地元に帰り災害・防災に何をすれば良いのかを、多くの被災者聴き、今後の防災対策に活用したいと言う。

還暦の大雄寺さんへの慰霊の「角塔婆」の設置の段取りを完了し、お盆前の8日9日の建立を計画する。中瀬町からの墓所の駐車場の上に建立する予定だ。31年生まれの仲間の会で近くへ来たら、合掌で慰霊の意を示していただきたい。建立場所を見に行ったら、昭和43年度戸倉中学校卒業生の「角塔婆」も建てられていた。ちなみに我々は昭和46年度の志津川中学校の卒業生徒となる。

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2015
07/24

少年よ国内・世界を見て英知を養え


自分ができなかった事、働き盛りの終末を迎える今を考えと、町内の子供達には多くの事を見聴きして、自分を今のうちに成長させることで、未来が開け「夢」への実現が可能となる。そして充実した人生を送れ、出来るだけ悔いのない一生を過ごせる気がする。
「家を離れ他の会社経験をする」「若い内に多くの知識を備える」「苦労はするほど非常時の対応ができる」「多くの人と接する」・・・など、いま出来るようで人間には「甘え」があり、そのうちに! は間違いで「今やらないと」いけない。多くの挫折した人生を情報や現実を聞くと問題は、自分を振り返ってもそこにありそうだ。今、苦しみ悩む事で、還暦を迎える将来に苦労が少なくて済む。
一日も早い借金生活からの脱却に、昨日は「モバイルの解約」を決めた。暇な部分いろいろな事を確認でき「無駄」を見つけられる。震災直後に南三陸町からの情報発信に、ブログをやる為にノートパソコンでの配信と、移動しての書き込みなど被災後の2か月目、ライフラインの目途がたたない中で活用した。しかし、事務所でのネットの光回線も整備し必要が無くなった。使用料の月約5300円の節約は当然だろう。まだまだ必要ない物は廃棄・処分し、最低の生活でも幸せを今は強く感じている。
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志津川高校の「モアイ化計画」があり、生徒が提案計画した作品を販売し、町の為に使って欲しいとの寄付金を渡す報道があった。
先般、志高の「同窓会」で町長の挨拶に、高校生の活動紹介があった。寄付金で町民の「巡回バス」を購入して欲しいとの願いだった。以前の250万円があり今回450万円で、合計で700万が集まったが、まだ震災前にあった「いしゃりくん」と同等の町民バスを購入には足りない中で、毎日放送から「200万円の寄付」があり、購入可能となったと報告をした。今後は「ネーミング」「車体デザイン」など、志高生のアイデアを是非欲しいとの要望もあった。みんなの活動が形になる事で、被災した当時の救助活動から、震災復興への支援と、今後大人となり「志津川高校ここにあり」と全国に誇れる活動が、後世に伝えられる。

17年のオープン予定の「ウジエスーパー」は、地元の佐沼高校の生徒を、外国への夏期海外勉強のため留学支援をするとの報道に目が止まる。今から海外の外国感に触れる事は、自分の知識の「肥やし」としての意味から必要で、将来への投資と言える。若い人材の育成は町にとって必要で、地元の企業や自治体にも言える事と私は思う。国際語の「英語」は勿論、発展途上の「中国語」など、アジア圏域の言葉も取得など必要な時代になった。
取り残されない為に何をすれば良いか自分も考えたい。理想は「天国の楽園生活」ながら、家庭菜園から始めている。
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歌津の駅裏高台の慰霊碑建立があった。大阪からの来客をここに案内し、歌津地区で亡くなった総ての方々の名を刻む碑の、若い方々の死に感慨ひとしおだった。
昨夜、建立者の方から電話をいただき、是非、明日の2時?からの「観音様入眼式」に来て下さいと連絡を貰った。今日は週末の平日で予定があり出席はできない。時間がある方は出席をお願いしたい。
慰霊の丘までは車で行けるが、今日は混雑するので歌中駐車場から歩いて行く事を薦めます。今日も30℃越えと言う天気予報なので、「熱中症」に気を付け、ペットボトル持参をお願いする。できれは佐藤町長も私は出席して欲しいと願っている。慰霊碑建立でも顔を見れなかったので。

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2015
07/23

夢と希望が薄れ行く日々


今朝は何もない。以前に自宅二階から保呂羽の山の「夕陽」の赤と朱色のグラデーションに感激し、撮影した光景をブログに掲載した。
昨日も私の携帯は鳴らなかった。こんな日々に寂しさを思う。知人が来て諸々の話の中で、「生活不活発病になってない?」と言われた。他人から見て私は今そんな風に見えるのかも知れない。借金の中で住宅再建と工場の今後に合わせた規模の再建を終え、「燃え尽きた」かのような気持ちにも感じる。
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「なでしこ女子サッカー」に燃えた頑張りの姿はもう消え、以前の男子サッカーの「大久保」のユニホームに身を包み、ワールドカップの決勝トーナメント一回戦? 敗退に、がっかりした事を思う。世界のサッカーを見て、ドイツの底力に感動した。石原元都知事の「男子は情けない」との発言に、日本の侍スピリットの低下を、日本の多くの事件から「日本人の魂」は何処へ行ったのかと思う。私の今もこんな感じなのだろう。

被災地の取り組みは「夢を持った若者」がやるべきと思う。こないだ町づくりの輪者たちの協議会設置? かのような報道に触れた。多くの若者が被災地に入り、漁業・農業や町づくりの一員として加わり、新たな町の形成が成されつつある気がする。「若者よ、利用されるのではなく利用し大きく町を変えて欲しい」、決して悪い意味の政治的な邪心や我欲に走るのではなく、「貪欲に夢を追い」そのために邪心や我欲を発揮して欲しい。

とにかく何もない日々である。時間に追われ、する事はいっぱいあるが、「夢」が持てない事にその原因がありそうだ。

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2015
07/22

松原公園復活へと山の牛舎工場


志津川中学校下に松原公園が再建される。被災前は水田が広がり町の水源があった場所、この助作に海岸の松原の中にあった運動施設が復活する。300Mトラックと野球グランドで、29年4月から共用開始予定で開発が今後加速する。
施設は高台横断道路とBRTと河川堤防に囲まれ、7mの嵩上げされ整備される。以前のような町民の運動施設として、ジュギングなどの活用で「生活不活発病」の改善へと繋がる気がする。
昨夜6時半からの体育協会の理事会に出席した事でこうした情報を知る。多くの議論があり子供達の運動環境整備への理事たちの熱意が伝わってくる。戸倉中の被災した体育館の「屋内運動場」としての活用についても協議された。多くの問題が行政より報告された。トイレ・管理などの維持費や今後の使用状況確認、また、体育館施設は勝手に手を入れられないと言う。建築・設計者の「設計の権利」を上げた。まだ被災して使用ができない状況でも、建築者に「著作権」があると言う。多くの問題に行政職員は取り組んでいた。
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戸倉荒町の山の工場から全てを商工団地の工場に運んだ。人が見れば利用価値がない「ゴミ」かも知れないが、私に取っては震災で再建の基礎で、多くの思いが詰まった品々だ。
4坪位の製本工場で機械5台をここに入れた。大家さんと近所の大工さんが、牛舎の一角に壁を立て床を整備し造ってくれた。電気も整備し経費は「25万円」足らずだった。感謝でしかない。
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津波で流出した本社の工場も、何も無い所からの電気の整備・機械搬入・工場増築・紙倉庫など、印刷工場の総てを山の牛舎一部利用で、被災後の再建の一歩を踏み出せた。「牛舎からの出発」とホームページにはその記憶と記録を残した。

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2015
07/21

志津川地区の崩壊の責任は誰が


「消滅都市」「過疎化指定」は震災後にできた言
葉です。「財政破たん都市」はあってもこんな言葉は無かった。もっと自分達が生きる生きて来た町を考えよう。大きな原因は大震災とは判断できるが、それから更なる町の低迷は誰に責任があるか考えよう。
南三陸町は志津川地区と入谷・戸倉地区が一つとなり「志津川町」が出き、今年10月1日は志津川町と歌津町が合併し、「南三陸町」が誕生した。10年前は志津川地区が9353人で、戸倉・入谷は合わせても4758人だった。歌津地区は5567人で合併し南三陸町となった10年前の人口は19131人だった。
27年5月末で志津川地区の人口は5771人となり、合併前の人口から「3824人」が減少している。しかし、合併した歌津地区は10年前5567人だったものの、震災死は110名ながら現在の人口は「4545人」と津波の死者を引くと、922人の減少でしかない。志津川の4000人近い死は何でなんだろう。商工観光に特化した町政があり、少子化や子育て問題を先送りにし、震災後の少子化対策を津波被害の学校環境整備に追われ、人口減少への取り組みが後回しになったからと私は思う。そして人口減少の対策を今から進めても、それを食い止めるには大きな流れがあり、いまさら遅きに失した。
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志津川市街地整備の嵩上げが進み、本浜と南町の防潮堤が本格工事に入り、通行禁止となり8月4日から写真のような切替道路の為、う回路がまた出来る。45号からの右左折に関し、石巻側からの「右折禁止」となり、十分運転に気を付けて貰いたい。被災地の交通事情は益々大変となり、防災庁舎慰霊のバスの侵入も、新しくバス通路があるのに、小さな入口からの侵入で右往左往する大型バスを見かける。
「何で観光を批判しているの」と言われる。そうではなく、もっと力を入れる事が行政にはあるとの意味から、それを訴え続けているだけと答えている。「地方創生交付金」「ふるさと納税」の使い道、いまだに全国の義援金を充てにする行政の現在の姿があり、被災者の自己再建への補助など限られたものだ。
国民保険税が来た。昨年は年間「45万」があったが、今年は「20万」となっていた。所得割の為で町の税収減がこんな所にもある。私の事業所の経営の厳しさが町の税収にも影響を及ぼしている。

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2015
07/20

町の再建と発信

志高の同窓会の光景をツイートした時、ツイッターを見ていると、東京の宮城のテナント「宮城ふるさとプラザ」の10周年の賑わいを伝えていた。宮城県産の商品で「ささ蒲鉾」「燻製のホヤ」などが販売されたと、ラジオで放送していた。
宮城アンテナ
7月17日のリニューアルオープンにあたり、観光担当課長・むすび丸が「みなさんおいでください」と呼びかけていた。池袋東口から徒歩2分の場所の一階部分に、写真のような来場の人たちが列を作っていた。立地場所で来客数が違う。
南三陸町も日本橋のビル内にアンテナショップを設置したと言う。地元発信と都心での町の観光地の宣伝は欠かせなく、新しい街ができる前から大きく広く発信し、28年の「まちびらき」に発信し続けて備えないといけない。

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この街並みは平磯地区の被災者の住宅街で、「平磯団地」と言い6世帯ながら、真新しいハウスメーカーの住宅が立ち並ぶ、モダンでかっいい住宅が6戸だけなから華やかに立ち並んでいる。海岸道路からは家は何も見えない、家からは海を見る事ができない。そんな場所ながら昔からの津波襲来の心配はない、「安心・安全の終の棲家」ができ安堵の日々を送っているだろう。

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2015
07/19

過去に学んだ現在


この配電盤の動力電気のあった事に感謝したい。その工場の持ち主が津波被害なく、被災者に対する救済の気持ちが強かった事、そして私の知人だったことで、23、3,11の震災からその年の5月の仮工場の準備ができ、7月からの営業で今がある事を、これまでの歩みで実感している。
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何も無くなった我が町「志津川」の姿を見ながらの再建は、議員で居たことで自己の責務と、会社の復活への取り組みで、辛い苦しいなどの気持ちとならないままで、あの5か月を過ごし、一年間そして2年3年と、勢いのままに生きて来た。
志津川の商工団地の倉庫の暮らしと、仮設での入浴ができ落ち着いた日々があった。戸倉の事務所と工場で事業の再開は、山の牛舎の仕事はいっぱいの緑と四季の花々の温もりで、被災地である事を忘れさせてくれた。荒町にくる事で倉庫のベット暮らしの母を父に任せ、仕事の再建と被災した方々への支援ができ、苦しい事など微塵も感じなかった。
住宅建設で係った建設会社の理不尽な対応で、3か月の工事期間も約一か年の工事期間となった。しかし、26年4月17日の工場と自宅の生活の開始は周囲の人達の支援で迎える事ができた。
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皆さんはこんな町並見た事ありますか。私も2か月ぶりにこの高台造成地を訪れた。歌津地区の寄木と韮の浜の移転地です。40戸の整備戸数ながら、5戸の再募集を行政は呼びかけていた。現在、見える限りで約30戸余りが既に建設完了だったり、建設中の建物も多く見られる。歌津福祉施設「つつじ園」の前のこの場所は、旧寄木浜への道路が良く分からなくなっていた。

そのまま本吉まで行った。歌津の友人が寂しいが本吉に自宅を移した。
帰り小泉川に建設中の高架橋の建設現場に寄った。志津川の河川に架かる橋の工事よりは早い気がした。
他の復旧工事を見ると私だけだろうか? 早く感じる。

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2015
07/18

母校志高に粉骨砕身で取り組む誓いの同窓会


昨夜は志津川高校同窓会が6時から「南三陸プラザ」で開催された。小畑会長の同窓会への参加への活動が実を結び、来賓・会員で80名余りの卒業生がしばらくぶりの再会を楽しんだ。
入谷出身の山内松吾校長の挨拶で、福島大学を卒業し教員となり、気仙沼高校・鼎が浦高校・西高で30年間気仙沼地区の教師として教鞭をとった。市内には多くの教え子もおり、気仙沼圏域の「互いの輪」活用し被災地から早期脱出を願う。南三陸町に一つの公立高校の生徒の活躍を支援し、震災復興の一員として活躍できる生徒を育成したいと話す。
挨拶では、この日の生徒一丸となった野球応援の実施や、野球部の活躍を讃え、監督・顧問の指導に感謝した。母校への就任は巡られた運を感じると話し、英語の通訳として国際的な資格もとり、書道に於いても自分の作品の「メディアティク」での展示を紹介した。生徒にも上を向き多くの事に挑戦して欲しいとのメッセージを、この場を通して伝えた。
これからの自己の抱負で、「皆さんのおかげ様でこんな素晴らしい学校になった」と、卒業生と地域の支援があってこそと話す。震災を乗り越え、震災に負けない生徒の精神力を養った。県立ではなく「おらほの学校」として、亡くなった地元の同級生3人の分まで頑張って行きたいと結んだ。
記念撮影は全員がカメラのフレームに収まった。集まった中には志高女子の姿もあり、かっこよくなった制服に時代の経過を感じた。
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2015
07/17

本を読もう 文章を書こう


お笑いコンピ「ピース」の綾部さんの相方の又吉さんが、「芥川賞」を初めての作品「花火」でノミネートされ受賞した。賞金は100万円と時計?の置物と言う。
又吉氏は一日10冊も本を読み、自室には本で埋め尽くされた光景がテレビで流される。私の父親も本は好きだが歴史本・文学全集を棚に飾るだけで、時間を費やし読んでいる姿を見た事が無い。全て津波で流されてしまった。私も本を読む事が昔から苦手で、立たされ本を読めばつっかかり漢字も苦手で、人前の話しとて恥ずかしいばかりだ。

大阪府印刷工業組合の月刊誌への寄稿をお願いされ、その校正がメールで届いた。日々のブログから抜粋し繋ぎ合わせた文章を原稿にした。意外と接続に無理があり、同じことが繰り替えされ、文章が長々と読みにくいと自分でも判った。しかし、私の本当の支援への感謝を伝えるのには十分にその意を達成していると思っている。
大阪の会報は関西圏・組合員も広く多く、部数とて宮城県レベルからは大きな広報力を持っている。この20Pを超える冊子に2Pの枠の記事に、被災地「南三陸町」「気仙沼市」が幾度も出て来る。被災地が一歩一歩復興を遂げている事と、当地方の水産品の豊富さと美味しさが、大阪の同業の皆さんに伝わった事と自負する。「ワカメ」「銀鮭」がそれだった。美味しい! との声を多く頂いた。
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南三陸町出身の海外で活躍の須藤さんの感謝絵ハガキを、東大阪支部長さんが贈ってくれた。長野からも感謝の葉書が届いたと連絡があった。
大阪ロータリークラブの「平成の森」への自動車支援があり、東大阪の永谷支部長さんと訪れ自治会長さんから話を聞いた。ロータリーへの報告にもう一度取材してと、畠山自治会長から聞き取りをして、まとめ文章にしてメールで送った。
「南三陸(月刊)マイタウン情報」を毎月第二日曜に新聞折り込みで配布している。B4両面にびっしりと文字で埋めている。この原稿のまとめは1週間前後を要する。仕事の少ない事を良い事に執筆に励んでいる。経営者としては失格だろう。しかし、被災地は仕事がない!のが現実です。成るように成るしかなく努力は続けているが、行政だのみの地元の事業所です。

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志津川高校の夏は終わった。今日の二試合目で第一シード?育英高校との四回戦だった。一回表に1点を先制しその裏の5点を取られながらも踏ん張った。5回裏までに11点を取られ、残念ながら1対11で敗れた。全ての面で大違いの野球部の環境ながら、ここまで夢を町民に与えてくれた。「ご苦労さん、ありがとう、また来年楽しませて下さい!」。

4月の新聞を一気に読んだ。町民の「心的外傷後ストレス反応やうつ病」の町民が、南三陸町男性に「8.1%」が調査の結果がでた。県平均の「3.6%」の倍近く発症していた。飲酒・喫煙が多くなったと答える人が多い事で、この数字になった。調査も男女600人と言う。震災の遺族を亡くしたり長引く仮設生活から、心的ストレスが発生したのたろう。
気仙沼市の向洋高校の遺構保存に、7億~9億の整備費が掛かるとコンサルは積算した。毎年の維持費も4200万円掛かる。遺構の入館料も年間5万人で、大人600円子供300円として収益がその他の物販と併せても2700万円しかならない。一年で1千万円の赤字を想定した。「県有化」も良いが県民の税金から支出であり、残り15年間は県民に依存する町の体制は、私はズルいとの気がしてならない。町民の6割ではなく、パブリックコメント提出が14%で、本当は町民の「3%」にしか過ぎない。全ての民意を聞かないと安倍総理のようになってしまう。

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2015
07/16

国民もわが身と未来の生活を守る政治参加を

安保法制の自民・公明の強硬採決で、特別委員会を通過し今日の衆議院で採決となる。安倍総理の自分の代に安保法制整備の成立に、国民の75%が納得しないままで与党の数の論理で、国民の安全の為もあるが議論が尽くされないままで、国民の反対が多い中で、自己の強い思いの「憲法改革」を含めた、日本の新たな国防体制を築こうとやっきだ。「戦争とはならない」と言いながらも、中国の驚異の基地整備は、米国との交戦への道が見える中で、日米安保は中国への驚異となるのだろうか。
ギリシャの国民性は私には理解できない。ギリシャの国民投票を訴えた首相は。EUへの借金の棒引きを訴え、さらに融資を引き出す交渉をし、内諾を受けた。国民投票で増税はしないと公約しながら、国に「付加価値税」の増税と、報酬カットなどの政策を国民に告げた。その結果、国民のデモは火炎瓶での警察との衝突なった。ユーロ圏からの脱会はできるが、各国も政治的な駆け引きがあると言う。
政治家は国民の為、国の利益の為に、国のトップは政治に取り組むのは当然だが、ここに自分の「我欲」が入ると国の混乱を起こし、数の論理を作り出した国民の判断がこうした政治を生んだ。
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写真は津山町柳津の中心にある建売だった。震災の1年目には土地開発会社が6区画を整備し、あっと言う間に売れた気がする。1400~1650万円で、土地は50坪前後で、総二階で約18坪の二階だった。志津川の高台に当てはめると土地は坪6万で360万円となり、建設費は現在坪65万円で35坪として単純に1950万円で、合計2310万円となる。当時としては買い得で、戸倉から5世帯と歌津1世帯が入居となった。
東浜団地で100坪「6万」として600万円、住宅は親子2世代が住むとても、40坪は必要となり65万円で2600万円となり、合計3200万円だ。被災し全てを失った町民再建は、厳しい現実が待っている。
浄化槽と水回りは200万掛かり、浄化槽補助は40万円で、大きな補助金としてはり災加算金の「200万」がある。県・南三陸産材補助もあり最高100万円の補助だった気がする。ローン金利補助は450万円までながら、最高で80歳まで組めるが精々「75歳まで」だろう。その他に引っ越し資金支援や太陽光支援補助もあるが、さらなる出費となる気がする。外構工事としても経費が掛かる。私は舗装で120万掛かり、庭の整備とて50万以上の経費が必要となる。
土地が整備引き渡されても大変な建設費が予想される。何でもっと町の補助を出す事ができないのか? 他の地区移転の方は土地代も建設費も安いと聞く。ここまで待ったのに住民が「南三陸町で暮らしたい」との、最小の町民の願いを町の復興計画はまるで考えてない。
家族で共に苦しみ最悪の状況になったら、誰が責任をとるのだろうか。行政にきまっているが、その時にはもう首長は居ないかも知れない。町民の自己責任にしては酷過ぎる。復興交付金は町民の為に使って欲しい。騙されないで!
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税金徴収のフートーが届いた。目立つ「紫色」で後期高齢者の引き落とし通知だった。昨年から町の税務課は税金徴収に力を入れているのが判る。クラフト色からオレンジ封筒そしてミドリ封筒と色により税金徴収内容を変え通知しているのだろうか。こないだも税金徴収強化月間として、「物納」のチラシが「これでもか」と言うように、掲示板に貼られていた。私もその対象になる可能性もある。
気仙沼市の仮設退去時予告が新聞に載っていた。平成30年3月と言う。それまでに住宅建設が終われば良いと思っている。災害公営入居は市の建設であり確実に入居となると思うが、個人での住宅建設は予定どおりはいかない気がする。県南のある自治体は仮設集約を(来年?28年)に計画していたが、総ての町民が全て住宅への入居が成るとの事で、仮設集約事業をやめた。地域によってこんなにも違っている。
大森地区の防潮堤建設が順調に進んでいる。長さは393.5mで27年度には完成する。大森地区の土地換地は水産加工場で、市場と共にこの場所を早期に整備する行政の計画がある。十日町・本浜町・南町の商店の換地は、まだまだ時間が掛かるようだ。

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2015
07/15

予算掛け過ぎじゃない


小森の「さけ孵化場」です。6億以上の整備費は、自宅再建の補助より遥かに高額の再建費で、原型復旧の事業所再建補助とは程遠い。
昨日は予定どおり「平成の森」「中瀬町」「童子下」の仮設の自治会長さんに、長野県飯島町の宮澤さんからのジャガイモを届けた。4年目を迎え2度目の配布となった。
宮澤さんも大森の海外勤務の須藤さんから御礼の葉書が届き、実家に収穫した野菜を届けてくれた。宮澤さんに「何を贈りますか」の問いに、須藤さんから頂いた「ホヤの燻製」との答えが返ってきた。何処の商品かと探すと、歌津「みなさん館」から買った物だと分かった。
昨日平成の森の帰りに寄ると、多くの商品の中から見つけられず店員さんに聞くと、「ここです、試食もありますよ」と教えてくれた。ホヤの生食はちょっとと言う方も多く、燻製にすると独特の触感と臭さは消え、試食は美味しかった。新幹線で小さな飴の箱に入った「ホヤ燻」にはまり、ビールのつまみに今も時々乗車した時に楽しんでいる。南三陸町の特栽品になるようパッケージなどの「商品開発」を、水産加工の事業所に取り組んでいただきたい。
東京には町が3月にテナントショップが設置し、宮城県のショップもある。テナントに展示されている商品にも、町の推薦する商品が多いと思うが、一般の小さな商店の品も平均に出品して欲しい。
こないだテレビで「南三陸町ミシン工房」を紹介していた。今度「工場の増築を予定しています」と、デザイナーの「皆川さん?」が来て話す。映像には8名ぐらいの従業員の作った料理を、美味しいと食べていた、それもホヤだった。現在、東京のブランド店に出品し、「被災地南三陸町」の名前は、商品の内側のタグに小さく「南三陸町ミシン工房」と縫い付けているだけで、いつまでも「被災地」で物を買ってもらう事から、製品の良さで勝負と言う。働く方の商品検査があり、200個のうち「11個」がやり直しと、その検査の厳しさが中央で勝負できる意味と知る。しかし、工房に20代30代の若い女性の姿がないのが心配だ。
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新井田川の水門はまだ少し残っているが、大きく本浜町の状況は防潮堤と10mの嵩上げが進み、私が55年間暮らした昔懐かしい町は無くなっていた。
南三陸町の人口減少は13990人となり、震災前の23年3月のデータ「17046人」から、減少率は18%と数字となった。南三陸町の一年間の減少は「660人」と大きく減少している。気仙沼の27年3月末は67268人で、一年間で「683人」が減少した。世帯は26039世帯で「193世帯」が増加し、核家族化が進行しているのだろうか。双方を比べると人口からも南三陸町の減少は、異常を通り越している。
気仙沼市の仮設商店街の再建も、25年3月に42店舗の移転計画が、現在31店舗となり資金繰りや高齢化・後継者不足が減少の要因だ。気仙沼は全体の3分の1が被災を受けたものの、内陸部の商店が沢山残っている。南三陸町は歌津・志津川市街地の商店は全滅し、そんな中で40軒と20軒の計画も、約40店舗が再建の道を選択した。
気仙沼市の商店街再建は総工費16億円で、4分の3は国からの補助で、残りを入居者が賃料で20年間掛けて返済する。10坪で一か月6万円と、管理費1万円と出資金が50万掛かる。被災し何も無くなった被災地の商店再建は厳しさばかりが目立つ。
南三陸町は町上げて、商店再建を町づくりの最重要課題として、商店街の再建に取り組む。商店が半分の100軒減少し、残った商店だけで町経済が成り立つかと言うと、私は違うと思っている。

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2015
07/14

鎌倉「長谷寺」のような紫陽花の寺に


こないだ我が家の菩提寺「大雄寺」に行った。歴史を重ねた山道の樹齢数百年の杉も流出し、塩害で多くの樹が伐採され、寂しい感が強い寺の雰囲気だった。
現在は山門下から周辺の紫陽花が見ごろとなっていた。紫陽花は「鎌倉市民」の皆さんや清泉女学院の立て看板もあり、「長谷寺」の立札にあの「紫陽花寺」からとの、鎌倉から支援に感謝したい。南三陸町に長谷寺の「株分け」かどうかは判らないが、志津川の「紫陽花寺」として、今後は大雄寺が観光の名所となればと思う。
寺の右側のお墓に向かう道路も、多くの添え木があり、寺階段の左側にも同等の光景が広がっていた。年々多くの紫陽花が咲き乱れる光景となる事だろう。現在「大雄寺」は紫陽花に包まれ「あったかい!」気持ちにさせられた。
自治会の受け入れ体制の整った仮設に「物資」を持って行く事にし、今日は歌津・志津川・入谷の3地区に今回は配ろうと思う。秋は戸倉・横山・歌津に配布し、平均に配るが総てに配るのは困難な事を理解してもらいたい。
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気仙沼の2割増し商品券は一日で完売した。次の日の日曜日しか行けない人たちの事を考えない、商品券の販売方法に大問題があった。
一世帯で3人まで買い求められ、五万上限で1万円が割増しで引き換えとなる。一世帯15万円で3万円の上乗せ、誰もが考える生活費確保だ。土曜日だけで売り切れた事で、多くの人が買えない状況が発生した。南三陸町は2日目に私は5万円買い、2万円の上乗せで、一世帯で一回しか買えない制限付きだった。でも直ぐに完売し買えない人も多数いたと聞く。気仙沼市のやり方は今後問題になるかも知れない。
南三陸町は、県内トップの4割増しプレミアム商品券で、南三陸町長は「他の自治体よりメリットとなるよう4割増しにした」と話す。観光客の皆さんにも購入して頂き、消費喚起に繋げたいと言う。町民しか買えないのに?
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遠藤副町長の退任にあたり、津波で犠牲となった職員に触れ、「彼らの思いに十分に応える事ができなかった」と声を詰まらせたと言う。48年間の公務を振り返り、「常に前を、そして上を向いて歩いて欲しい」と職員を前に語った。副町長の任期中は、自治体の合併や震災後の町づくりに尽力した。佐藤町長の出馬にあたり、遠藤福町長も出馬の気持ちがあったとも聞く、遠藤さんが町長として町政を担ったらどうなっていただろうか? きっと合併の決めごとだった、「新庁舎を町の中間の高台に建設」を実行しただろう。多くの職員・町民が命を落とさずに済んだだろう。こんな事を今思っている。「長い公務ご苦労さんでした」。

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2015
07/13

小さな交流の場が広がっている


嬉しい事があった。被災地「南三陸町」を支援してくれる多くの方々がいる。私が受け入れる支援者の中に長野県飯島町の「マジッククラブ」がある。マジックを通して「被災者に笑顔を」と8名の方が2年続けて4カ所の仮設を慰問し、3年間ネギとジャガイモを届けてくれ、30カ所くらいの仮設に配り喜ばれた。
そして昨日も10袋が我が家に届いた。今週に仮設暮しの方々に配布して歩こうと思う。御礼の電話を入れたら長野の宮澤さんが「シンガポールからも御礼の葉書届きました」と言われた。初めは何のことか判らなかったが、大阪府印刷工業組合へも葉書が届き、東大阪支部の永谷支部長さんから「絵葉書」を見せてもらった。
私の父親の知人である大森の須藤さんがおり、その息子さんであった。私のブログを通し南三陸町の故郷復興の状況を知り、私が受け皿となった支援者へ、「感謝の気持ちをシンガポールから」の行動に、私からも感謝を伝えたい。海外で暮らす南三陸町出身の方々の皆さんの、蔭ながらの応援と受け止めている。
新たな広がりとなっている被災地と支援者の輪が絶える事無く、何時までも支援を受けるのではなく、同等の立場で全国・世界との繋がりが、互いの絆として交流の場が広がり、継続する事を願う。しかし、被災住民の高齢化もあり、無理せず葉書での通信交流や、近くに行ったら声を掛け合う「心の交流」が良いと、私はこれからの交流に思う。
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また作り置きの料理が「あめちゃった」、もったいない。私のいつもの料理は野菜主体で、こんな料理が毎日のように食卓に並ぶ。

7月になり気温が熱くキッチンも蒸し蒸しとなり、「味噌汁」「煮物」が一日置くと酸っぱくなり、悪くなる事が多い。二人だけの生活に大目に作り3日間もたせていたが、今の気候は1日が限界で、もったいないと食べるが、美味しくないので2日目からは冷蔵庫に入れる事とした。せっかく作った自分の料理を無駄にしたくない。気仙沼弁で悪くなる事を「あめる」と言うらしい。なけなしの節約し買い求めた食材、大切にお腹に収めようと思う。気仙沼でも「2割増し商品券」が一日も経たない内に売り切れた。皆が節約で自己防衛の対策に取り組んでいた。
昨夜3時頃に全米ゴルフを見る為に早く目が覚めた。起きると直ぐにテレビを付けると、緊急の地震発生予告の字幕が表れた。「九州地方に大きな地震が発生します」と言う。東北ではないが「震度5強」の地震が大分県で発生した。震源が内陸なのか「津波の心配はない」と、直ぐにテロップが流れた。「南海トラフ」は絶対来る。今日は?奥尻島を大津波が遅い200名余りが死亡した、南西沖地震津波が発生した日とラジオは伝える。必ず来る「きっと来る」、そんな意識を常に持つ事が、津波防災対策には必要だ。
志津川高校野球部が、二回戦の佐沼に延長で接戦の末勝利したとラジオから流れた。庄市! やったよ。


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2015
07/12

復興途上の被災地 3か所朝歩き


午前3時30分、6時間の睡眠で目覚めた。ニュースで防衛庁の課長が列車内で「痴漢」で、周辺の客に取り押さえられた。昨日のニュースで小学生への下半身を痴漢が、同じ小学生をターゲットに痴漢を繰り返していた事が、報道されていた。日本を二分する問題に取り組む中で、「防衛庁」の職員が事件を今起こす事が考えられない。安保法制が来週にも採決を目指す与党なのに? 昨日は安倍総理が南三陸町に来町し、商店街の見慣れた顔との3人で映り、その後は病院の視察をし役場会議室で町民との意見交換し、玄関の役場の看板前で震災からの復興を今後も支援すると、自民・与党の被災地支援を訴えた。「安保法制」の理解とメディア戦略を展開しているのに、その当事者の防衛庁の一課長の「ふらちな・ふしだらな事件」に、1000人とも言われる職員はどんな事を思うだろう。
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戸倉折立の折立川の水門も写真のように、自動開閉防潮水門の残骸は撤去され、海が近くこの場所での再建は怖いとの感じを受けた。この地区も震災から5年目となり何の復興の計画も形も見えてこない。志津川湾の入り江にあたる地域で、同等の津波で河川堤防が出来ても、3Kを一気に荒町地区まで川を上り走る津波を、私は想定する。水門でいくらかの津波防御は勢いを減少させた事で、有効な防災対策と、傍聴水門があるだけでも安心感に繋がっていた。とにかく大きな地震が来たら「逃げる! 逃げろ!」が津波防御としての初動と、実感した今回の大災害だった。
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志津川地区東工区東に地区内の一部道路も整備され今朝見て来た。15区画の福祉枠の土地もあり、既に地鎮祭をした後もあった。これから「災害公営住宅」の建設となり来年の入居と、今現在の進捗を見ても、大きな施設なので時間が掛かりそうだ。病院が出着て、次に行政庁舎を建設する予定で、志津川地区の大きな3団地が一番最後となる。この施設整備の順番と時間の掛かり過ぎの計画が正解だったのかと言うと、住民志向とのミスマッチと私は思う。

昨夜NHKスペシャルで年金問題の今後への不安が広がった。物価上昇と比例し年金額が上がるのに、デフレだった状況から年金は据え置かれ、消費税の高騰でも年金は上がるどころか、減額の動きさえ厚生省は模索している。年金運用額が日本の株価高騰でその恩恵から「15兆円」が出たと言う。これまでの年金機構のずさんな経理・管理からいくらの損失となっただろう。日本の景気もこのまま続くとは思えない。
現在の平均的な夫婦の月々の年金は、厚生年金で「22万円」で国民年金は「6.5万円」と言う。これで月々の人間的な生活は無理だろう。積み立てを取り崩し安値スーパーへの買い出しに走る。家庭・親戚の慶弔に困窮し親戚間の繋がりの希薄な事態となっている。毎年「生活保護家庭」の増加となり、貯金の無い仕事の無い若者は、結婚への希望も諦めざる負えない状況は、日本の人口減少の一つの要因なのに、政府の対策は金のばらまきでしか無く、心のケア的なソフト面の対策こそ必要だ。
オリンピックの競技場は計画の当初は「1300億円」だったが、現在は「2520億円」と跳ね上がった。サッカーの宮間はサッカーでの育成費は年間1億円で、低すぎのその額を指摘した。今回、スポーツ振興基金から、100億円以上も建設費に充てると言う。元石原都知事は、現在の文部科学省の大臣を力も能力もないと一喝した。
その影で「ゼネコン」はほくそ笑んでると、現在の建設費の高騰の構造の裏側を指摘した。
また一家族が仙台の災害公営住宅に引っ越ししましたと、電話連絡をくれた。町の土地から自己再建にしましたなど、町の復興計画への自己防衛が続いている。

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2015
07/11

小さな命は大人が目を掛け見守る


人間の子供と野菜の苗は違うけれど、成長を見守る上で手を掛け心を付くし、日々見守る事で成長をし続ける。
3か月前に植えた「ミニトマト」「さええんどう」は、半月でエンドウは枯れたものの、トマトは百倍も大きくなり根本の方から収穫へと繋がった。昨夜のスポ少剣道で二人の団員への指導で、大会に備えた剣道練習から、今度は来月の気仙沼での大会に向け新たな技の練習を開始した。まだ入団して一年も経ってはいないが、大会が近づくと2人の団員に試合中心の練習で、「勝たせる」為に厳しくなってしまう。昨日も練習で4年生に2年生が足を敲かれ泣いてしまった。「泣いたら試合を中止して練習は終わります」と伝え、試合を開始した。案の定1分で練習を終了した。厳しい指導ながら「必要」と思い、指導方針は今更変えられない。しかし、反省も検証も自分なりにする。来週は「試合をしたい」と願う団員から、試合練習をやめ一か月は練習だけをして、試合がしたい気持ちを稽古だけに向けたい。常に子供達の指導にも団員の状況を考え進めている。
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こんなにも大きく草花は成長する。天候が良く朝の露だけでも十分で「甘い実」を付けた。サラダの隣に彩として付け合わせる。少しでも自分が育てたトマトを美味しく頂くのが、苗を買い育てた自分の役目でもある。
多くの関わった子供たちの成長を蔭ながら見届けたい。スポ少に関わり20年ぐらいが経つ。社会人となり結婚し子供が生まれ親となった、指導した子供達も多い。
岩手の不幸な事件は、中学校長は知らなかったと言っていた。町の教育委員会の教育長は「いじめの可能性が高い」と話し、涙ぐむ。これが大人の教育関係者であり親の姿と思うが、教育現場の長は残った定年までの期間の教育生活の汚点とならないような、行動しかとらない気がする。一番大事なのは子供達だと思うが、教員者の意識の欠如の校長・教頭が多いようだ。大津の「いじめ防止法」の内容を知らないかのようだ。
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実が裂けるまで大きくトマトは育っていた。
台風9・10・11号が沖縄・九州・四国に今年も大きな被害が発生している。自然災害は確実に強大な力となり、より広範囲にこれまで災害が起こらない場所に発生している。
私は家族の身は家督が守る使命の元で、自然災害時には「自助」での行動で身を守る必要性を訴えたい。一人一人がわが身を守る行動だ。猫の額の家庭菜園からも多くの「生きる術」を日々学んで居る。

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2015
07/10

静かに町民は亡くなっている


100年に一度の災害からの町の再建に、6年も土台造りに掛かるなんて、近代社会と言われる中で国の対策は遅すぎる。
各地区で国の為と戦後を乗り越え、日本再建の為に中心となった人たちが、誰からも惜しまれる事も無く静かに亡くなっていった。被災地の悲しみに大津波で亡くなった住民、そして大震災から逃れ家族の為に頑張った人たちが、人知れず現世から旅立っている。
2011年3月11日の大震災から、もっと早く住民再建は、本当に「出来なかったのか?」。時間を要する場所の選定を避ける事や、広範囲な防集の政策は必要だったのか、特別な都市再生計画が町民の為なのか。など、迅速な生活の場の確保は、やり方次第でできたのではないかと思う。
被災した低地部は後回しにしても、土地造成を進め自己再建できる人には、直ぐに土地を提供し、土地確保には町民の理解の元で、登記前でも町が造成を進められる制度改革をする。造成の簡単な場所を選択し、全精力を住民再建に費やす。一日も早く土地の確保で住民再建を支援すれば、こんなにも多くの町民は減少しないし、住宅の土地・借地・住宅に、被災者に重荷とならない価格設定を、行政が取り組まない事も理由にある。
「風の噂」に同業で被災し、町を離れたお世話になった奥さんが逝去された。(合掌)
昨夜も盛岡で「震度5弱」の地震があり、町は震度3だった。最近地震が一日一回体感する。感じない地震を入れれば相当数だろう。昨夜、志津川の秋目川地区に熊が目撃された。地球・自然と人間のバランスが変わってきている。やっと再建できても何も起こらない事を願う。良い事が一つ「志高野球部一回戦突破!」。
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父親を内科の心臓担当の先生の予約が、11時30分という事で、11時に病院に送って行った。父親の帰りは知人に送られたものの、4時半を時計は回っていた。
午前には役場前の駐車場は止める場所は無いくらいの混雑で、「今日は凄いな」が二人の感想だった。父の話だと今日は「婦人科」の先生も診察日で、内科の専門医と重なった為だと言う。
今年の秋には新病院がオープンし、透析部門の開院もあり、更なる混雑を懸念する。病院が大きく立派になっても、患者の大きな増加もなく、先生の増員も無い中で、これまで毎月の「3千万円」の赤字が改善される保証はない。町民負担の増加は、被災し生活の苦しさに拍車とならない事を願うしかない。

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2015
07/09

被災者は自分の事で精一杯

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今月17日(金)は志津川高校同窓会が6時から南三陸プラザで開催されます。会費は3千円で今年卒業した新会員は無料です。母校の活躍を支援していきましょう。入谷地区出身の新山内校長は私たち「59歳」の同級生です。母校に帰って来た同窓生を応援しましょう。現在私を含めた「3年4組」の仲間3人が参加する予定です。
志津川市街地のう回路がまた変わりました。交通整理の人はいるものの、道路変更は高齢者には危険がいっぱいです。テレビでも高齢者が線路に紛れ込み2K余りも走行し、対向する列車とすれ違ったし言う。72歳男性で道に迷い線路に入ったと言う。開かずの踏切の事故も、高齢者が事故の犠牲になっている。南三陸町には「踏切」は無いが、石巻に行った時、海岸地区の津波被害があり内陸部への住民移転があり、ある店を探しに踏切を5回も渡った。まるっきり車での踏切横断のない私に取っては、左右安全確認に念には念を入れ走行した。
石巻市の海岸部のとある内陸が大きく変わっていた。震災前に田んぼや畑だった広大な土地が、被災者の新興住宅や災害公営住宅へと復興していた。スーパーや病院を初めとし、商店・企業が進出していた。人が集まる事で町づくりが成立していた。
昨日は大阪の交流会で来町した東大阪からのお土産を、登米市・気仙沼へ届け送った方々から御礼の電話が届いた。互いの町からのお土産は地域の商店販売へと繋がり、小さいが地域の活性化となる。京都の観光客が世界で選ぶ都市で2年連続一番となった。宿泊する観光客が年間「183万人」に上った。食事・商店だけでない伝統・歴史などの場所への観光への魅力があると言う。その地区の持っている昔からの財産が発信源となっている。
現在の南三陸町の報道記事は、防災庁舎と学校活動の掲載が多い、民宿の再建は3軒しかなく津波被害を免れた宿泊施設があるだけだ。新しく漁業民宿や大学研修施設ができた。交流人口の日帰りでは、町の素晴らしさを見つける旅とはならないと思う。人口の減少は大手ホテルの進出も、従業員の確保がならない事があり、企業誘致は厳しく「観光グッブ」「被災地発信商品」だけが、町の新たな産業として今発展している。
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午後に歌津へ行って来た。平成の森仮設に行きその後で舘寺「津龍院」の本堂を見に行った。山門は現在「お盆」を前にした建設が進み、本堂も細部にあたり建設業者が手を加えていた。
知らなかったが東日本大震災で亡くなった檀家の、名前を刻んだ慰霊碑が建っていた。70歳前後の高齢者の方が多い中で、仙台・気仙沼の方々の名前もあった。役場職員の亜里沙さんや2歳の幼児の死に、家族の悔しさ悲しさが伝わってきた。(合掌)

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2015
07/08

子供を守れ


「モアイ化計画」、こんな事業が志津川高校で被災後に注目された。チリ地震津波でのチリ国との繋がりから、送られたモアイ像を活用した町起こし活動に、高校生のアイディアを取り込み全国へ発信した。写真の「マグネット」が我が家にあり、「缶バッチ」などをイベントなどで販売した。そのお金を町へ寄付し「巡回バス」の購入できるまでの額となった。私的には町の為よりも町の教育環境整備に使った方が良いと思う。

岩手の学校で「いじめ事件」が発生している。生徒と先生間の「連絡帳」があり、事前に子供たちの異変で「いじめ食い止め」があったと思う。連絡帳に「いじめられている」「死にたい」の生徒の「SOS」に対し、「明日は頑張ろう」のような言葉を書く担任に、教育指導はどうだったのかと思う。いつものように「いじめはなかった」と校長は言う。いつもの事件の発生にたいし同じ記者会見がある。この重大事案に対し教員の対応と、上司である教頭・校長が知り得なかったとしても、大きな責任がある。保身・責任逃れが何時もの事のように繰り返される。沢山の素晴らしい教師が居る中で、子供達の先生に恵まれない所が多い。
電車に飛び込んだ中2男子の心情を思う気持ちは何処にもない。担任は会見に出席しない、いつもの記者会見だった。なんで同じような事件が繰り返されるのか。文部科学省の「教育現場改革」へと厳しい取り組みに消極的のように感じる。互いの保身の中で、「身を捨ててこそ」、教育改革ができる気がする。
少子化が進む中で、最近子供たちの事故が多発している。大人が子供たちを大切にし、守る事の軽視がある。世間の多くの問題があっても、大人がその矛先を子供に向けられる事はあってはいけない。
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京都府が世界で一位の観光地になった。来客数ではなく歴史と伝統、古い寺や建造物・庭園があり、商店・ホテルなど観光の受け皿として、環境設備が一番と認められた。
先月は偶然にも大阪の印刷組合からの招待があり、初めての「京都観光」をしてきた。南禅寺の山門で人力車の花嫁に遭遇した。ブライダルの企画の一環かがら、外国からの観光客の目を楽しませてくれた。
観光の推進は多くの企画が物を言い、結婚問題も町の水産業や自然・伝統を活用し、震災を体験し復興途上の今だからこそ、町の多くの問題解決の道があるように思う。

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2015
07/07

新たな交流と発信


7月の3・4日と仙台での「ソフテック東北2015」には、東北地方ならず全国から印刷関係者が来県し、その数は2日間で「9880人」との県より報告があった。セミナー参加者も多く、出店した企業も多様な展示品・企画で、今後の印刷体型変革への参考となった。
会社へ来ている紙業者が、「秋田印刷製本株式会社」を紹介してくれた。この会社は印刷業の新たな取り組みとして「米の生産」に会社で取り組んでいる。その他にも秋田県の企業との提携で、お酒・ケーキ・漬物・漆器などを産品販売支援し、会社の仕事への繋がりと拡大を図っていた。
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毎日いろんな事が起こる。防災庁舎は「県有化」により一段落と言った感じだか、村井宮城県知事の震災遺構への今後という事で、南三陸町と宮城県との「協定」を結ぶと話す。町長が変わっても県有化の方向が変わらないようにで、石巻市大川小学校の震災遺構の県有化はしないのか、との話が浮上している。南三陸町防災庁舎も同じ場所での保存を示唆した。この場所でのこのままの保存は、台風や低気圧などの自然災害が、威力を増し発生している中で、ここでどう保存して行くのか、その方法を聴きたい。被災地の復興や祈念公園整備の足かせとはならないのか。県の考えや事業制度は年々変わる事で、被災者は事業助成で更なる混乱をしている。制度も厳しく、本当に被災者救済に本気で取り組んでいるのかと言うと疑問だ。
今日から「夏の甲子園」が始まる。そんな中で「気仙沼向洋」で大会への参加を棄権した。たばこの喫煙や飲酒が発覚し、その前の「盗撮」もあり、一部の高校生の良い悪いの判断の欠如が見られる。この学校で野球をやり甲子園への夢を叶えようと頑張って来たのが、今年はそんな生徒の夢は「無」となってしまった。真面目に3年間やってきた生徒の思いは複雑だろう。
「なでしこ」のサッカーは終わった。特別強いチームでもない。決勝のアメリカとの対戦で、初めの防御に一瞬のすきがあり16分で4点を取られた。ジャパンのユニホームで応援する私も、早期の大量得点に落胆し、応援をやめようと思った。しかし、ここまで頑張って来た「なでしこジャパン」の試合を最後で見つめようと、テレビの前から離れなかった。2対5を最後まで諦める事無く、身長さのあるアメリカ選手に真っ向からぶつかった。こん大会の全ての得点・失点にドラマがあった。全てが素晴らしい試合だった。イングランドの決勝点のオウンゴールに、仲間の選手が寄り添い慰める。3位決定戦でこの選手の活躍もあり、3位に輝いた。「頑張って努力した人にはご褒美がある」、人の褌で楽した人には、惨めな最後が見え隠れする。

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2015
07/06

観光客で町は埋め尽くされていた


土曜日に来町され交流会をした大阪府印刷工業組合の東大阪支部の皆さんを、歌津長須賀海岸の津波前の民宿街の合った場所、志津川袖浜の同様の現状を案内して歩いた。戸倉でも「青島荘」が再建したと言う。しかし、以前の民宿軒数と比べても、津波民宿流出から5年目を迎えたものの、再建はこれで終わりとなると、8割近い民宿が町から消えた。今後は漁業・農家民宿が増えていくかもしれない。
お昼を食べに志津川商店街に行き、その来場者の駐車場の車の数に驚いた。特別な国民的な連休でもないのに、300台以上も駐車できる場所に8割近くの車で埋まっていた。歌津商店街を通過してきたため、その皆無の来客の差に驚いた。震災前には100万人を超える来町者ながら、今の観光の強化と被災地支援の国民が、被災地への流れは「風化」を感じさせない現状を知った。週末・連休の来町者の流れは、大震災により水産物と海鮮丼での観光の町づくりを成功させた。と昨日の光景から悔しいが実感させられた。
大阪の帰り時間で限られたお客さんを、行列させ窮屈な所での食事は避け、ホテルのレストランで2時頃の食事をした。広い店内に来客は2組、広々とした場所で広大な志津川湾を眺めなからの海鮮丼に、大阪の同業者も大満足していたようだ。丼ぶりいっぱいのイクラと、サーモンとアワビを「美味しい」と言って喜んでくれた。
観光では歌津の田束山と、歌津駅裏の「歌津津波慰霊碑」から、震災で消えた街並みを説明した。帰りに「未希の家」に廻った。東大阪支部の皆さんは南三陸町に来町の度に、未希の両親に顔を出し「仏壇に上げて下さい」と大阪からのお土産を持参する。剣道の師でもある父親と、志中剣道部女子部長の娘との係わりがあり、遠藤家と繋がりを今後も続け、支援をして行きたい。少しの落ち着きのような母の顔に安堵した。
最後に「防災庁舎への慰霊」を欠かさない。祈念公園・防災庁舎保存の計画を決定しているものの、整備されるまでに後何年掛かるだろうか。嵩上げの間の大型バス道路に驚き、知らないままで細い入口に入り込んだバスは、入口で立ち往生していた。語り部が案内し防災庁舎での悲劇を語り聞かせる。どんな思いで観光支援の皆さんは聴いているのだろうか? 語り継ぐ意味を私は別な角度で考え、最後まで行政の津波防災不備と、それで失われた町民とその家族の悲劇を伝えていきたい。
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志津川の商店街の隣にできた「さかなのみうら」への来客が一日「700人」と言う新聞が、店内に掲示されていた。品数も多く新鮮な魚介類が格安で買えるが、この店のコンセプトと聞く。商店街への影響は大きく、競争化社会の現実がここにもあった。以前東大阪への「支部ビールパーティー」の商品に、銀鮭の「お頭つき」の内臓を取った一匹丸々を贈り、喜ばれ驚かれた。東大阪支部の皆さんは、お土産にと10本近く依頼し、宅急便で友達に送ると言う。大阪に留まらない山口・福井と、広く志津川産の養殖ながらブランド「伊達銀」の名産品の発信の手伝いをした。震災後に放射能の風評被害で、関西圏の銀鮭が売れない事への、蔭ながら漁業の支援をした事になる。
昨日の町探索は大阪の来町で叶い、複雑な一日となった。昨夜の8時に仙台空港が帰路に付き、一時間で地元に帰えると言う。狭い日本がここにあったる

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2015
07/05

遠距離交流


本吉・気仙沼支部と大阪の東大阪支部の皆さんとの交流会を昨夜南三陸町「民宿コクボ荘」で開催した。
宮城県印刷組合の機材展示会に、わざわざ大阪から飛行機で来県し、友好支部の「繋がりの絆」を深める事ができた。
民宿は地元の海の幸満載のお膳に皆がビックリした。ホヤやウニは勿論の事、刺身は10品盛でカレイの煮物やツブなど様々な中に、マンボーがあった、身は酢味噌で合え、珍味中の珍味にマンボーの内臓があった。油を抜くためにお湯で茹で何度も水洗いし、また別の味付けでお膳に並んだ。大阪の方々はホヤを苦手と言いながらも挑戦してくれた。なんだろうとお膳の先頭にあった小鉢を「美味しい」と喜んでくれた。これがマンボーの内臓だった。ご主人が仕入しての料理で、地元で暮らす私にもめったに口に入らない代物だ。「タケノコ」だと思って食べましたと話す。料理に御女将の話に大満腹の交流会だった。
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初めて参加してくれた気仙沼の社長さんは、「これまでの支援にお応えしたい」と、諸々の多忙の中を駆けつけてくれた。娘さんがネパールの地震災害の支援に行っていると言う。東日本大震災で国内や海外からの多くの支援を受けた、「今度はできる範囲での被災地の支援をしている」と話してくれた。この絆、そして繋がりを今後も大切にしたいと言う。

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2015
07/04

SOPTECとおほく2015 現世に触れる


昨日は宮城県印刷工業組合の展示会に、県理事としてオープニングに参加し、県理事長の挨拶の「時代の変化に対応する企業と人材育成」を目指す事が、会社の発展へとなる。多くの取り組み形が業界に求められている。との言葉に地方から何を発信し、会社の在り方を根本から考える機会を得た。
全国印刷工業組合会長の言葉に、「展示会・機材展の在り方に疑問を思った」と言う。開催での出店会社の費用を充てにする運営傾向に、組合活動としてその危うさに警鐘を鳴らした。組合と出店企業の互いの利益の共有を元での開催が求められると言う。こうした不景気の中で、周囲の事を考えない、権力と圧力による経営方針は、何時かは行き詰まるという事を話す。
また、セミナーでは「心の健康づくり・改正労働安全衛生法に基づくストレスチェック制度を有効に活用するには」について、中央労働災害防止協会の方から、会社社員の健康管理について学んだ。我が国の自殺者は23年のデータでは「3万人超」となり、うつ・躁うつ病の自殺が23年で858人で、男性が374人で女性が594人だったと言う。この対策として、ストレスの解消を上げる。それには「バランスのとれた食事」「十分な睡眠」「趣味を持つ」「悩みがある時は相談する」「孤立しない」などを講師は上げた。会社内のストレスやリスク管理には、見逃せないサインの一つに、「ホウレンソウ」が無くなる事と言う。「報告」「連絡」「相談」の略である。危うい部下として、孤立・時間のルーズ・コミニュケーションの能力が低い・仕事の目的を理解できない・仕事のやりがい・職場同僚が嫌い・他罰的考え等がある従業員と言う。人を自分で雇うようになり、15年が経過しこれまでの従業員を見て、こうした傾向の社員は自然に淘汰されていった。現在は理解しあえリスクを分散できる従業員と会社を細々としているが、大・小の事業所とて同じで、経営者次第である。勉強・学習や展示会での新たな技術・企業取り組みを知る事は、残り少ない印刷業の形の変革を考え、楽しく仕事をする為の方法を模索している。
今日は、大阪府から「友好支部」である、東大阪支部の3名の方々を南三陸町で迎える。友好の交流を深め「業態や経営学」を指導して頂く。民宿の御馳走と少しのお酒で、忌憚のない話ができる事と思う。今日も飛行機で仙台に9時30分到着し、展示会場で待ち合わせて、出迎えに仙台に行く。

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2015
07/03

未だに変わらぬ風景の広がる旧志中跡地から


南三陸町の「福祉の里」の跡地にJA南三陸本所が完成し7月1日からスタートした。
以前は志中の校舎があり、その校門のあった所から撮影した。4年4か月が震災から経過したが、この地域は何も変わらず原野が続いている。今後は震災祈念公園とは気仙沼線を境に、陸側は圃場され農地が整備される予定だったが、また変更となる町づくり計画の中にある。
農協の再建は早期にがあり、震災からの住宅再建のローンや保険など、組合員だけに留まらない町民の生活再建の支援がある。農産品の組合員との繋がりよりも、今はこうした金融事業が主体と聞く。私も多くの係わりの中で、その資金を農協に貯蓄している。
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マンナンバー制度は個人の財産・健康などを行政・国が把握し、税金や国民保障を適切に行う為に、行っている国の国民生活管理の大改革です。

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2015
07/02

「県有化」 合掌


7月1日の町の「県有化」の決定記者会見が新聞で大々的な報道があった。しかし、町の住民の生活は何一つとして変わらないように思う。それぐらい住民の防災庁舎の事など「どっちでもイイ」がある。
今日の朝8時からの「なでしこジャパン」の準決勝の為に早起きし、5時30分に役場跡地に行って、観光大型バスの入口と場所を確認して来た。やはり高野会館跡地前から入り、工事用の大型トラックの行きかう所だった。奥の行き止まりの場所まで進み、嵩上げの盛り土を両脇に見ながら右に進むと、赤錆の鉄骨むき出しの防災庁舎が見えてくる。現在は鉄骨が風化し落ちてくる対策の為か、鉄パイプで囲まれていた。
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ギョネットのトレーラーハウスは当初に、町長が自宅前に個人着用し、NHK記者などの対応に使われ、議会の指摘でジョネットの事務所として活用していた。今朝に行くと2つあるトレーラーの一つは、防災庁舎の観光に来た方へ、「トイレをお使い下さい」と、利用を促すポスターが貼ってあった。女性的な気遣いがここにあった。以前にも紹介したが、慰霊の為の「献花」「線香」をジョネットが準備していた。「女性参画事業を被災地で!」と、町は国の事業費からこの事業に交付され、そして今、南三陸町で被災した女性達が色々な活動をしている。
朝、散歩をする初老の男性が、「2時間散歩するんです」と、JA南三陸のオープンとした本社前で会い話してきた。旧福祉の里から市街地を二人で望み「ここは、あそこはどうなるんですか?」との問いに、今知る限りの町の市街地復興計画を伝えた。「こんな事ができたらいいね」の話に、市街地に桜などの花を植え、花をみながら散策し、その合間の「一休み」の場所として、屋台などがあったら嬉しいと笑顔で語ってくれた。
町民と未来の町構想を、その在り方を話す事は楽しく、住民は望んでいる事をその考えから強く感じた。

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